【実は駄目武将だった】 柳生石舟斎
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 18:03:43ID:7zFRh/lX36歳のとき、新陰流の上泉信綱と出会い試合を申し込んだが信綱どころか
彼の弟子・疋田豊五郎にすら勝てなかった。
39歳のときには松永久秀の配下であった多武峰衆徒と戦って拳を射られる。
41歳のときには柳生谷への帰路で落馬して重体に陥る。
44歳のときには嫡男である厳勝が辰市合戦で鉄砲によって重傷を負ったた
めに剣を振るう事が出来なくなってしまったので、石舟斎は柳生に隠遁す
るが、太閤検地の際ここにあった隠田が摘発されて、所領を没収、追われ
る身になった。
67歳のとき、徳川家康と出会い、その剣術指南役として出仕を請われたが、
石舟斎は老齢を理由に辞退し、代わりに五男の宗矩を推挙した。後に柳生
に500石の所領を受けた。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 22:09:48ID:3zsU5XBi0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 00:04:16ID:7szhBffk大名タイプの人間では無いが、剣を禅を結びつけて、それを広めたのが剣の道を広げたな。
信長の野望ではすごく使える武将ですよ!
0004歌をあなた$C9
2006/10/22(日) 02:49:10ID:yyWgej+k0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 09:34:40ID:hAvhGN3k0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 13:29:47ID:wP7nVd5V0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 13:41:35ID:WNOs2IJ30008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 14:04:05ID:DNBXcw3L信長に野望ベースが考えられても困るわな。
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