古くは大伴弟麿・坂上田村麿・文屋綿麿・大塔宮護良親王など。
鎌倉幕府の時代でさえ、将軍位は源氏三代以降は藤原氏や親王が征夷大将軍。
藤原氏を自称する信長も将軍着任を打診された。

つまり源氏で無かったから、将軍になれなかったという説は成立しない


・義昭に養子を拒まれた
  「清和源氏しかなれない」のなら、すなわち「清和源氏ならなれる」のだから
  足利以外の養子先を探せばよい。 
・現職の義昭がいるからダメ
  朝廷は将軍を罷免できる。
  10代目の足利義稙は罷免されて、義澄が11代となり、今度は義澄が罷免されて
  義稙が将軍位に返り咲いた。
・義昭の工作を受けた朝廷が認めなかった
  朝廷が時の権力者の言いなりになるのは、過去の事跡が示すとおり。
  それに関白を初めとする朝廷の職を武家に取られると、ただでさえ貧乏な公家は
  着任する職までも失うことになり、秀吉が将軍になってくれたほうが、むしろ
  都合が良いので、秀吉が将軍位を求めたら拒むはずなどない。