何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0887人間七七四年
2008/08/29(金) 20:26:12ID:NyKvyZ/D歴史雑誌と言ってムーだとこわいから調べなくてもいい。
0888883
2008/08/29(金) 20:39:53ID:Ch1B1tQc1566年(桶狭間合戦の6年後)、家康は松平から徳川に改める勅許を得て、徳川家康となった。
家康は、近衛前久らに賄賂を贈り、前久は万里小路家から系図を探し出し、このような偽系図をでっちあげた。
この系図では、新田義重の子で、上野国の得川郷を与えられ、得川を名乗ったが
のちに徳川という字を使うようになり、その子孫が諸国をまわる僧となって、
三河国の加茂郡松平郷に至って、そこで松平を名乗った。つまり、本当は松平でなく、徳川である、
という主張をしている。メリットは、清和源氏新田氏の末裔であるとアピールすることにあった。
なぜ、この時期に改姓しなければならなかったか?。
松平家康は、三河を統一した時点で「松平蔵人佐」という官位であった。三河の支配者として
「三河守」がほしくなったが、三河守の官職は源氏か平氏か藤原氏か橘氏でなければならず、
松平氏のままではだめだった。
祖父清康が、一時期、源氏新田の世良田氏を名乗ったこともあり、新田流に系図をつなげることを思いついたのであろう。
改姓の効果はすぐあらわれ、翌年(1567年)には、三河守に任官している。
以上、p44〜45の要点引用
0889人間七七四年
2008/08/29(金) 20:49:09ID:bhFSpqX3君の元レスと色々違う件
まぁそれは置いておいて、>>888に「万里小路家から〜」と書かれている通り
一気に源姓を名乗ったわけじゃなく、まず藤姓を名乗っている
家康が源姓を名乗り始めるのは、うろ覚えだが1588年頃じゃなかったっけ
0890人間七七四年
2008/08/29(金) 20:57:29ID:NyKvyZ/Dやっぱり引用がおかしくないかな。
1566なんてまだ三河のあんちゃんで、上野国と結びつけるのは
後に江戸に本拠を置いたのと混同してないかな。
これだと、前久が見つけ出してくれたようだけど、実際は家康がさがしてきた
「得川」だろうし。
ほんで、新田源氏を名乗る、ということがどういう意味を持つかに
全く触れてないから、家康の偉大さに触れられない。
・・つられたか・・
0892人間七七四年
2008/08/29(金) 23:10:20ID:IFTbwt+5でも、遥かに脆弱な基盤しかない秀吉にとっては、どうでもいいものでも
ありがたがるポーズを取らざるを得なかった。おじゃるどもへのご機嫌取
りは、信長の非じゃないw
0893人間七七四年
2008/08/30(土) 01:45:35ID:UEjITdSFそもそも「松平蔵人佐という官位」の部分だけで
ツッコミどころ満載だろww
0894人間七七四年
2008/08/31(日) 01:11:20ID:rTvR5Zct0895人間七七四年
2008/08/31(日) 01:19:53ID:vgn8GgQ/0896人間七七四年
2008/09/01(月) 04:06:13ID:yOru+fhb蔵人は令外官で四等官制を取っていない筈なのだが、ググってみると言継卿記にそう書いてあるとか「本当かよ」という情報が現われる。
0897人間七七四年
2008/09/01(月) 20:59:34ID:rx0dWHZH雰囲気だけでわかりますね
0898人間七七四年
2008/09/02(火) 07:52:11ID:gYxMzwUC0899人間七七四年
2008/09/03(水) 00:33:52ID:fbsTgF1H0901人間七七四年
2008/11/08(土) 23:41:00ID:aoUpjy4rを見たけど酷いな・・・。
「関白は公家の頂点、征夷大将軍は武家の頂点」
「秀吉は生前征夷大将軍地位を望んだが、かなわなかった」
「過去将軍になれたのは源氏の系統に属する武士だけ」
「将軍になるため、源氏の身分になるため足利義昭に養子にしてくれるように頼んだが断られて失敗している」
みたいな事を堂々と言ってるんだが。
ちなみにゲストは小和田哲男
0902人間七七四年
2008/11/09(日) 00:39:24ID:8qonI8T1NHKの娯楽番組でついつい無批判に通説を採用しちゃうのは仕方が無い
本能寺の変黒幕説とか家康が信玄の息子だったとか
噴飯ものの珍説を公共の電波に乗せられるよりは遥かにマシだと思うしか
0903人間七七四年
2008/11/14(金) 07:22:42ID:wbheYD0D0904人間七七四年
2009/01/17(土) 21:18:57ID:3gDQzIjW小田原の役→後北条を滅亡まではいいが、家康に改封させて東国支配を任せた→100%捨ててる
もともとなる気がなかったか、将軍職は初めから可能性はなかったと考えるのが妥当。武功・政策レベルでムリ
0905人間七七四年
2009/01/17(土) 21:21:29ID:WElimWwt0906人間七七四年
2009/01/20(火) 15:17:22ID:mChs/OOu改めて、朝廷に征夷大将軍任官の工作をすれば、
すんなりと将軍就任を許されて、
関白兼征夷大将軍という過去に例のない権力を掌握出来そうだが…。
将軍就任で、幕府も開府出来て、
源氏や足利将軍家のように、
豊臣家の世襲制(ただし、血縁者が居ればの話だが…。)も確保出来そう。
0908人間七七四年
2009/01/20(火) 15:46:14ID:rYrfpMF60909人間七七四年
2009/01/20(火) 16:34:52ID:/7K8bcqP0910人間七七四年
2009/01/20(火) 16:37:44ID:/HHeI23s関白のほうが偉いから。
0911人間七七四年
2009/01/20(火) 16:40:23ID:lW/KTWypことをねがい、血統、家柄に関係なく望む位につけた。
ってか?そんなリベラルな時代じゃねえってば。
0912人間七七四年
2009/01/20(火) 19:53:33ID:X7Big3fa別にいいんじゃないの。
そもそも秀吉の関白就任自体が前代未聞の特例なんだし。
0913人間七七四年
2009/01/20(火) 21:06:18ID:WcPpQLaB0914人間七七四年
2009/01/20(火) 23:41:49ID:MsAddT9p確かに、それ以前に幕府開いた2人とも源氏だったし、
”先例”ってことだと、そうなんだろうけど、関白になるより
難しかったとも思えない
徳川幕府後の人間からすれば、武家政権なら征夷大将軍で
幕府だろうって思うけど、あの当時としては、どうだったんだろう?
0915人間七七四年
2009/01/21(水) 01:36:35ID:JZ7AVBR7源氏うんぬんは幕府を作らせたくない公家の言い訳になったのかも
武士の大半は源氏の流れをくむ家系なんだし朝廷がいえば無理に幕府を作ろうとすれば反発されるし
0916人間七七四年
2009/01/21(水) 06:36:33ID:WOD9mjWI単に後の時代からそう名付けられただけでさ。
0917人間七七四年
2009/01/21(水) 10:15:23ID:pnNIiwZc将軍は工作しても血統に入れなかった、つまり、農民出身の
信長の1家臣のまま
だから将軍になれなかった
藤原氏の血統に入れない場合は1戦国武将で終わりの可能性大
まわりの有力大名は関白の肩書きに従ってただけだからな
0918人間七七四年
2009/01/21(水) 10:26:00ID:pnNIiwZc平家は太政大臣どまり。
0919人間七七四年
2009/01/21(水) 14:59:07ID:364lY1bM幕末の徳川慶喜は、朝廷と幕府の一元化を図る為か、
将軍が摂政を兼ねる構想を持ち出して、
側近達に朝廷工作等を命じていたそうだが…。
0920人間七七四年
2009/01/21(水) 17:19:24ID:R1ay+Smk0922人間七七四年
2009/01/21(水) 19:27:41ID:eEx5wq660923人間七七四年
2009/01/23(金) 03:23:06ID:Ee4aB94Y肩書きだけで従えられるなら、足利昌山だって近衛前久だって天下人になれたわけだが。
家康なんか血統工作しなくても源氏長者を久我家からうばってしまったしな。
0924人間七七四年
2009/01/23(金) 03:40:28ID:rfpuU4lC源氏の長者は征夷大将軍に付属するものではない。
まあ、源氏で武家の場合、征夷大将軍で、なおかつ公家を被官化したものが名乗れる
称号だと考えるといい。
0925人間七七四年
2009/01/23(金) 09:28:41ID:BGfJku6J任官要請を奏上するのは誰かわかってる?
わかってたらそんなこと言えないよね。
自分達の官位をやる前に自分達が任官しない高官(征夷大将軍)をやるよね。
0926人間七七四年
2009/01/23(金) 12:43:12ID:zdMDD3Gc五摂家が口出しできる話じゃないだろ?
0927人間七七四年
2009/01/23(金) 18:03:18ID:rfpuU4lC朝廷権威と共に、「豊臣ノ長者」としての家父長権威で統制しておる。
秀吉の政権は、官位序列と豊臣家と言う家内序列の二本立てで形成されている。
0928人間七七四年
2009/02/09(月) 01:47:27ID:ZVqHeJDj何を言っておるのか。
権限上は、五摂家は普通に口出しできる立場だが。
徳川時代は将軍家の権力が強すぎて、実質的に口出し出来なかっただけ。
鎌倉時代とか普通に五摂家が関わってる。
0929人間七七四年
2009/02/10(火) 21:08:15ID:DOcHy6sj朝廷内部に対しては江戸時代が一番権力を持っていた>摂関家
摂関家に独占的権力を与えて、その摂関家5家のみを江戸幕府が飼いならせば他の公家を無視しても幕府の権力が朝廷内部に浸透させられたから。
0931人間七七四年
2009/02/10(火) 21:26:34ID:b4oQJ3gG>>928と>>929のどちらにレスしているのかは知らないが、どちらも
紫衣事件の背景として間違ったことは言ってないだろ。
0933人間七七四年
2009/03/29(日) 10:25:02ID:d/z2dyhk独裁者に血筋もなにも関係ありません。(天皇は無理でしょうがね)
当時だれも文句言えませんって。
家康だって逆らえば殺されます。公家も同様。
ただ必要なかっただけ。
0934人間七七四年
2009/03/29(日) 13:21:07ID:9s9RPVHZことでなれたんだぞ。
将軍職を足利家から奪えば諸大名を敵にまわすことになる、
少なくても毛利や上杉は抵抗しないわけにはいかなくなる。
0935人間七七四年
2009/03/29(日) 13:59:00ID:5MbgMgvg0936人間七七四年
2009/03/29(日) 17:28:08ID:ToBVpv96征夷大将軍より武家関白制のほうがより上位にあった。
むしろなぜ家康は関白にならなかったのかの方が問題。
0939人間七七四年
2009/03/31(火) 20:35:52ID:c3kdr99g中世以後、公家社会は散位・非参議など官職に就けない公家がごまんといた。
そこに秀吉の元で武家が官職を占めるようになった。だが、武家出身者に複雑な宮中儀式なんて行える訳がない。
しかも、左右の両大臣が秀吉によって失脚させられて宮中儀式も満足に行えなくなって朝廷の権威が低下。
そうなると、秀吉自身の天下人としての権威は健在だったが関白自体の権威は低下。
秀吉が死んだ頃には朝廷の組織は完全に機能麻痺に陥った。
徳川家康が「武家官位」を定めたのは、武家が官職を占めて公家が排除される自体を防ぐ側面もあった。
0940人間七七四年
2009/04/01(水) 17:23:20ID:+RFPLSk3武家関白制でも幕府でも、朝廷が日本統治の実権をほぼ握らない(外交は別みたいだったけど)のは変わらない。
朝廷の機能なんて式典ばかりなんだら、なにも官職に公家が付いていないとやっていけない〜なんてこともないのでは?
新たに役職を設けることもできる。
どうもしっくりこないんだが。
0941人間七七四年
2009/04/01(水) 17:24:40ID:+RFPLSk3武家関白制は形式上朝廷による直接統治だから、「朝廷が日本統治の実権を〜」のくだりは当てはまらないよね。
0942人間七七四年
2009/04/01(水) 18:24:58ID:v9qptW2E官位は、帝に変わり政をするための役職
将軍は、朝廷に変わり武力で異敵を討つ為に作られた役であり官位は低くてもなれる
0943人間七七四年
2009/04/01(水) 18:26:43ID:0JP8hmse0944人間七七四年
2009/04/01(水) 18:30:41ID:VAGr1yOw武家が云々って言う以前に、すでに大葬、即位礼すら満足に
行えてなかったんだから、朝廷の権威もすでに低下していただろ。
むしろ、卑賤の関白を一方ではさげすみながら、一方では財力、軍事力に
感謝していたのが公家たちの実態じゃないのか?
0945人間七七四年
2009/04/01(水) 18:35:34ID:v9qptW2E松平のままならスムーズに将軍になれたやんか
0946人間七七四年
2009/04/01(水) 18:55:38ID:MaYuoPgA今は衰退しててもいつ何時復活するかわからんに、制度としてきちんと定めとくがよかったじゃに
0947人間七七四年
2009/04/02(木) 00:55:23ID:B5jdVv/oその式典ですら満足に行えなくなったんだよ。
もう一つ、朝廷公家は全国統治組織としてはとっくに消滅していたが、
荘園や製造運輸販売の商業経済方面は武家政権が成立した室町鎌倉の頃でも
まだ強く握っていた。彼らがそんな力も完全に失うのは江戸以降。
逆に言うと、そういった旧勢力が握っていた特権も武士に奪われていくのが
戦国時代であり、奪って力をつけていったのが戦国大名。
0948人間七七四年
2009/04/02(木) 05:52:19ID:/IIHMSmB0949人間七七四年
2009/04/02(木) 17:59:56ID:LPg9mqHy>しかも、左右の両大臣が秀吉によって失脚させられて宮中儀式も満足に行えなくなって朝廷の権威が低下。
>そうなると、秀吉自身の天下人としての権威は健在だったが関白自体の権威は低下。
>秀吉が死んだ頃には朝廷の組織は完全に機能麻痺に陥った。
秀吉の権威と、関白そのものの権威との乖離はナニによって確かめられる?
また秀吉が朝廷の権威を貶める意図とは何?
徳川家が朝廷から官位の実質的な任命権を奪取したことはしたが、それでもなお、自己権力による権威の付与を行わなかったのは何故?
つまりは、最終的には朝廷の官位に頼っているのは何故?
0950人間七七四年
2009/04/02(木) 22:58:57ID:i6G4Ju+t本能寺の変をきっかけに天下とったから、
政権構想がなかったんじゃなかろうか。
だから幕府をひらいて天下を経営するプランがなかったのではなかろうか。
と妄想してみる。
0951人間七七四年
2009/04/03(金) 10:13:39ID:f5bhIlJ0松平緒家の上位に立つため、と俺の妄想。
0952人間七七四年
2009/04/03(金) 16:55:12ID:au11I55s実際に秀吉が将軍になる意味は薄いけど、秀吉自身がならなくても
秀長に将軍にならせて、豊臣のNO2が将軍につくとかって言う慣例を
作っておけば徳川につけこまれる隙がひとつ減った。
当時ボロボロだった将軍と言う地位もちゃんと実力の裏づけをもって
メンテナンスすれば恐ろしい威力を発揮するということに気付かなかったから
秀吉は豊臣家から将軍を出すことができなかった。
なろうとさえ思えば将軍になるのも、誰かを将軍にするのも
出来たと思うけどね。
極論としては秀吉が家康を将軍にして、豊臣と徳川の関係を決定しても良かったとすら思う。
自分でとった将軍じゃなく、豊臣からもらった徳川将軍じゃあ、豊臣をつぶしにくくなるだろうからね。
0953人間七七四年
2009/04/03(金) 20:42:01ID:1wpm1XgT0954人間七七四年
2009/04/04(土) 00:15:32ID:gXYHtqIT北畠顕家や懐良親王も大将軍として巨大な権力を持って、中央とは独立して政権を作っていた存在な訳で
あんまり「大将軍」の位を(っていうか幕府を作れる位を)乱立することは
地方分権を認めてしまうことで、中央集権志向から脱却してしまうから
百官の上に立つ関白を選んだ秀吉の選択肢ではないだろう
0955人間七七四年
2009/04/04(土) 01:24:04ID:FL3W5C2P征夷大将軍は源氏でないとなれないって聞いたんだが
0956人間七七四年
2009/04/04(土) 01:27:32ID:YDtGxNOF│
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│ /、 ヽ
J |・ |―-、 |
q -´ 二 ヽ |
ノ_ ー | |
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0957人間七七四年
2009/04/04(土) 02:49:12ID:8fXAnCLq武家を組み込んで一本化しただけじゃないの?
秀頼があと10年早く生まれるか秀勝か鶴松もしくは秀長が生存してれば盤石だったと思うけど。
0960人間七七四年
2009/04/04(土) 13:58:59ID:9Jyh0qsx近衛家の猶子になったことも知らんのか?
0961人間七七四年
2009/04/04(土) 14:32:25ID:26b+qS4o反論としてもなりたってない
0962人間七七四年
2009/04/04(土) 14:54:58ID:d5y6Pnlx家康だって藤原氏(だっけ?)から源氏に血統をくら替えしてるぐらいだから、
この時代、血統を詐称するぐらいあたりまえのことでしょ。
いまさら秀吉が源氏を名乗ることになんの問題があるの?
0963人間七七四年
2009/04/04(土) 15:09:54ID:sDnq5HV+家康は子供もいっぱいいたし、有力大名と縁組みしまくりで地盤がしっかりしてたので朝廷とは距離を置けた
0964人間七七四年
2009/04/04(土) 17:59:32ID:9Jyh0qsx>それならどこぞの源氏・・
じゃあなぜ家康は吉良から系図を貰い受けたんだ?
そのへんのことをよく考えろ。
0965人間七七四年
2009/04/04(土) 19:37:29ID:/CtVftN1吉良からの系図というのが「どこぞの源氏」程度のものだったから。
三河守任官の為の箔作りで、たいして由緒のないその分捏造が容易な田舎源氏の
家系を買い取って念願の三河守になれた。それだけの話。
秀吉が将軍になりたくて、将軍になるには源氏の系図が必要だというのなら、
家康と同じく「どこぞの源氏」の系図買い取って源氏を名乗ればよかっただけ。
足利に拘る必要もない。前身が農民だったなんて関係ない。家康はどこの馬の骨
ともしれぬ三河松平とかいう田舎豪族の出身で、源氏の家系を買い取って名乗った
ことなんて周知だった。それでも将軍任官になんの障害にもならなかった。
なんで秀吉の場合はダメだと考えるんだ?
どうしても源氏になりたいのなら、足利義昭なんぞではなく当時の源氏長者
にでもお願いしたほうがよほどてっとり早い。
0966人間七七四年
2009/04/04(土) 19:38:03ID:JiC1bLKNそりゃ吉良家に世良田氏の系譜が残ってたからに決まってんだろ。
家康は思いつきで藤原氏を名乗ったが、源氏は思いつきで名乗ったわけじゃない。
0967人間七七四年
2009/04/05(日) 01:18:31ID:6dcK0oAY0968人間七七四年
2009/04/05(日) 01:58:18ID:rtkm76qW0969人間七七四年
2009/04/06(月) 02:52:13ID:SzRoirzh将軍+源氏長者で関白より上になる。
秀吉は源氏長者の存在知らなかったんだろ。
0970人間七七四年
2009/04/06(月) 03:05:05ID:SzRoirzhちなみに足利将軍は源氏長者じゃなかったみたい。
将軍だけでは豊臣家の上ではないと考えた家康が、幕府を開く時に古い文献を調べ鎌倉幕府で源氏長者を見つけた。
0972人間七七四年
2009/04/06(月) 08:19:26ID:AeIvV8/C0973人間七七四年
2009/04/06(月) 13:35:03ID:X+CnK3mk>将軍+源氏長者で関白より上になる。
majide?
0974人間七七四年
2009/04/06(月) 13:44:18ID:AeIvV8/C(ネタか無知に決まってんだろ)
0975人間七七四年
2009/04/07(火) 22:41:45ID:SO/PMQa50976人間七七四年
2009/04/07(火) 22:49:40ID:S22iwssq>将軍+源氏長者で関白より上になる。
ならないよ
源氏長者はその名の通りただの氏長者だから源氏に対してのみ有効
将軍は武家の棟梁だから本来なら朝廷の一武官にすぎない
それに対して関白は百官の長、天皇に代わって政治を司る地位と権威が
あるから、どう考えても関白の方が上
将軍が関白より上という概念は江戸期に作られたもの
0977人間七七四年
2009/04/07(火) 23:20:13ID:IIinSt4s鎌倉初期 将軍>関白
鎌倉中期以降 どちらも権力なし
建武の新政 関白は廃止されているので将軍のほうが上?
室町前半 将軍>関白
室町後半 どちらも権力なし
桃山時代 関白>将軍
江戸時代 将軍>関白
権力比較をすればこんなものか
0978人間七七四年
2009/04/08(水) 00:02:43ID:linMLvaX<丶`◇´>すぅ〜
⊂ ⊃
( ) ウソ ウソ
〈_フ__フ ウソ ウソ ウソ ウソ
ウソ ウソ ウソ ウソ
∧_∧ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ
<丶`○´>はぁ〜ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ
人 Y / ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウ
( ヽ し ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ
〈_フ__フ ウソ ウソウソ ウソ ウソ ウソ
ウソ ウソ ウソ ウソ
0979人間七七四年
2009/04/08(水) 00:24:41ID:lmv4mNiI鎌倉時代ってのは幕府による一元支配ではなくて朝廷と幕府の並列支配だけどね
ただ朝廷は摂関期じゃなくて院政期だから将軍>関白でいいけど
それでも鎌倉中期以降で将軍に権力が無いわけではないよ
もなんで執権北条氏がポンポン将軍を差し替えたかっていうと
そのまま放っておくと将軍と御家人が結びつく流れがあったから
(ここでも別に将軍が源氏である必要がないのが分かる)
ホントに両方とも権力が無くなったのって得宗専制時代だけだろ
0980人間七七四年
2009/04/08(水) 01:03:52ID:JUnuXqF+だからって言って源氏が関係ないってことはないな。
0981人間七七四年
2009/04/08(水) 01:06:17ID:I+yCJa+r源氏であれば好ましい程度じゃね
0983人間七七四年
2009/04/08(水) 05:48:41ID:D/hZ6sMp南北朝時代の藤氏一揆で大将軍にかつぎ上げる予定だったのは小田治久だっけ?
0984人間七七四年
2009/04/08(水) 20:04:24ID:sxLErq61平安時代はともかく、鎌倉時代以降は朝廷の政治機構そのものが形骸化してるから、
関白にはそれほど権力がないんじゃない?
秀吉があれほど絶大な権力を持ち得たのはあくまで圧倒的な軍事力を持っていたからじゃないの?
0985人間七七四年
2009/04/08(水) 20:24:46ID:sIDHjGAN検断権は幕府に奪われたけど、他の部分においては依然として王権のもとで朝廷が一定の役割を果たしていたというのが中世日本史の近年の通説だが。
だからこそ後醍醐による倒幕も最終的に成功した。
むしろ、正平の一統によって武家による権威のみにしか正統性を主張できなかった新北朝(後光厳天皇系)の成立によって幕府権力が朝廷権力を凌駕した結果が大きい。
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