何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0836人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 05:37:09ID:1kHLneuA0837人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 06:31:50ID:iDFgZVB10839人間七七四年
2008/06/30(月) 00:20:41ID:eVwVR/jo近衛氏かな?
0840人間七七四年
2008/07/03(木) 20:40:56ID:jGDAR4DX家康→「将軍になりたい!」とおねだり
信長→「神様になりたい!」といって民に賽銭を投げさせる
朝廷「仕方ないか・・」としぶしぶ→秀吉
朝廷「無難なところか・・」と普通に→家康
朝廷「頼むから人間の職で我慢してくれ」と頼むが断られる→信長
0841人間七七四年
2008/07/03(木) 21:22:59ID:mp/AS3jG0842人間七七四年
2008/07/06(日) 00:41:26ID:YQWdn2jZ↓
信長→「神様ですから!」といって民に賽銭を投げさせる
0843人間七七四年
2008/08/02(土) 14:38:16ID:T9B5UE//0844人間七七四年
2008/08/04(月) 19:23:22ID:eeqUwACI0845人間七七四年
2008/08/09(土) 21:00:25ID:lF80HRnvID:eeqUwACI
0846人間七七四年
2008/08/10(日) 06:36:52ID:PuE9Z2py信長 → 急進改革派 「ええい、右大臣もなどいらん!おじゃるども辛気くさい、滅ぼしてしまえ!」
秀吉 → 修正派 「あーあ、殿何でも過激すぎw おりゃちょっとおとなしくするなも」
家康 → 保守派 「猿め、耄碌してわがままぶりがひどいわい。じゃあワシが天下取るには、人の
和じゃな。宮家にも、とりあえずは手を付けんで置くか。」
家康を神にして、礼幣使を毎年来させ、一方禁中並公家書法度で制限はしたが、最終的に天皇制
廃止までに至らなかったのは、幕府というスタイルではやりにくかったんだろう。その点一代限りの
関白なら後に残らない。
0848人間七七四年
2008/08/11(月) 22:51:35ID:SUDUxoY+信長の場合はキリスト教からの発想だっただろうし。
でも、家康ははっきり、「アマテラス」に対する「アズマテラス」を意識してた
形跡がある。
つまり鎖国で国内だけならば、自らを神格化すれば、かなり平和を築ける、というね。
それで260年持ったのだからすごいものなんだけど。
家康が天皇制に手をつけなかったのは、シンプルに、「一族の繁栄」が
最重要だったからでしょう。
今だってねぇ、竜馬と隆盛さえいなければ、政府には「徳川」がいっぱいいたかもしれないぞ。
0849人間七七四年
2008/08/12(火) 10:15:40ID:oOMAKsS9会社なんて藩と対してかわらんもん。
>>848
そうかもね。お家大事。
多分、情勢認識としては依然「徳川だけで武力再統一は相当無理」って認識が
あったんだと思うよ。天皇制を廃止すれば、自分が国家制度から何から全部
一元化する必要がある。そんなことは信長以外無理だろう。江戸時代は所詮
封建時代なんだよ。
0850人間七七四年
2008/08/12(火) 10:26:06ID:OfOtI8Cm家康の場合は、完全に支配化におくことに成功したのが良かった。
もちろん朝廷側も長い戦国の世で、存続さえ認めさせればあえてことはかまえ
たくなかったのだろうし。
ただ、ゴダイゴみたいな戦闘的な天皇があの時いたら
家康はどうしてたか。
ま、うまくやっただろうけどね。
0851人間七七四年
2008/08/12(火) 20:46:49ID:efwPeqqaどっが勝ってても、古代王制の確立はある程度同じ路線を取ったはず。
古代史については非常に丁寧に見ていく必要がある。
欠史八代はともかく、祟神朝も、応神朝も、継体朝もそれぞれ別のもの
と考えないといけない。現行天皇制は、大嘗祭などの古いスタイルは残
しているが、政治的には大宝律令からが現行天皇制権力と見るべき。
0852人間七七四年
2008/08/18(月) 00:02:27ID:yKzyEtvY俺が思うに、ただ単に幕府とか形式張った組織が面倒臭かったんじゃね?(笑)
関白・太政大臣つっても秀吉が朝廷の議事や祭祀になんかまともに出仕してないだろ。茶会やったり花見やったりしたくらいで(笑)
会社にも居るよね。派手なスタンドプレーや人付き合いは達人級なのに形式張った場所になると変に目立とうとして空回りしちゃう人。
0853人間七七四年
2008/08/22(金) 22:04:28ID:ty0WMJiJ藤原家ってのは金で買えるような氏だからそっちのほうが簡単。
しかも将軍より格上だし。
0854人間七七四年
2008/08/22(金) 22:32:17ID:011dBCGc足利将軍は在命中だし。
秀頼が関白を継いだが、ここで家康としては、身分は下でも征夷大将軍
となって実権を握る方が、適切だったのだろう。
0855人間七七四年
2008/08/23(土) 18:18:57ID:e0u7mQwP0856人間七七四年
2008/08/23(土) 21:01:39ID:PI4hdl4L結構しっくりいったんだが、保守的なのも確か。
その点、信長や秀吉の場合は三河の田舎者より遥かに近代的だから、
より上位の価値観を政治的に創造する必要性を感じていた。
ただ、秀吉は信長ほど革新的でなく、また朝廷権力さえ無碍には出来な
い諸勢力の糾合による天下だから、結果中途半端になってしまった。
まあ、ボケるのが早すぎたんだろうね。
0857人間七七四年
2008/08/23(土) 23:47:30ID:SjHqWvLF0858人間七七四年
2008/08/23(土) 23:56:40ID:/u8mBvC81603年時点では実に現実的な判断だと思うが
0859人間七七四年
2008/08/24(日) 20:04:08ID:xevbcsz/0860人間七七四年
2008/08/25(月) 23:37:42ID:xCZSzTYT買えたかなー、一応向こうはきっちり正統で系図残ってるし、難しかったと思うが。
0861人間七七四年
2008/08/25(月) 23:42:08ID:57A4j0Cmさすがに胡散臭いかな
0862人間七七四年
2008/08/25(月) 23:45:53ID:pVFsrCwO0863人間七七四年
2008/08/26(火) 02:18:05ID:Nj/Mdsohだもんで、源氏を名乗る、というのはそれなりに意味があることなんだよね。
だから、秀吉なんかは名乗りようがない、というところ。
家康が、足利の兄貴を祖としたことはそれなりにすごいことで、普通は
名乗りたくても出来ない。
さすがとしかいいようがない。
これをおかしな解釈してる人も多いようだが。
858に賛成なんだが、もっと積極的に「秀吉路線とは別方式にした」と
いうのを強調すべきだろうな。
0864人間七七四年
2008/08/26(火) 05:21:20ID:SMLM+c490865人間七七四年
2008/08/26(火) 06:58:25ID:APOD8xtE0866人間七七四年
2008/08/27(水) 01:54:53ID:WxjRIwdj二代で消滅させた家康はさすがとしか言いようがない。
秀吉が藤原を名乗ってくれるなら、一族の中の下っ端、なんだから藤原からみたら
ありがたいぐらいなんだ。
0867人間七七四年
2008/08/27(水) 07:06:02ID:XI13VxQXもっとはるか以前で、桶狭間の戦いが終わったころ。
「三河守」という位をもらおうとしたが、源氏や平氏の家柄出身でなくては
就くことができない決まりになっていた。
当時、松平姓だった家康は、家系図を「購入」して、もともとは松平でなくて
得川で、新田源氏の末裔なのだと、でっちあげた。
でもこれでOK!、と朝廷から三河守の称号を得た。
0868人間七七四年
2008/08/27(水) 09:56:31ID:Gxkwa+nU0869人間七七四年
2008/08/27(水) 13:39:03ID:WxjRIwdjつまり、家柄うんぬんというのは朝廷側の気分一つだったちゅうわけか、当時は。
0870人間七七四年
2008/08/27(水) 19:37:25ID:MqljxpXn織田は平氏だと思ってた
0871人間七七四年
2008/08/27(水) 20:23:38ID:Gxkwa+nU信秀のころは藤原氏を名乗っていた模様。信長が途中から平氏を名乗り始める。
0872人間七七四年
2008/08/27(水) 22:54:34ID:S5eilfAv分かっているのは、どうやら越前時代から藤原姓を名乗っていたらしいこと
0873人間七七四年
2008/08/28(木) 21:36:24ID:ynOpnTRn0874人間七七四年
2008/08/29(金) 16:11:34ID:pqWE5ZOS0875人間七七四年
2008/08/29(金) 17:22:55ID:bhFSpqX30876人間七七四年
2008/08/29(金) 18:48:06ID:Ch1B1tQc歴史雑誌の徳川家康特集号で、
その中に書いてあったことをパクっただけだよ。
0877人間七七四年
2008/08/29(金) 19:20:58ID:bhFSpqX30878人間七七四年
2008/08/29(金) 19:31:07ID:Ch1B1tQc徳川の間違いだろバーカ。
とでも思っているのだろうか。
0879人間七七四年
2008/08/29(金) 19:34:29ID:bhFSpqX30880人間七七四年
2008/08/29(金) 19:37:01ID:NyKvyZ/D0881人間七七四年
2008/08/29(金) 19:49:57ID:Ch1B1tQc上野国新田郡得川郷の出身でのちに徳川になった、と
系図では一応説明されている。
>>879は真性のようだから、永遠にスルーしてろ!。w
0882人間七七四年
2008/08/29(金) 19:54:50ID:NyKvyZ/Dどういう雑誌か知らないけど、新田源氏の末裔と言ったのは
さすがに桶狭間の後じゃないよね、そういうようにも取れる引用だし。
ちなみに桶狭間の時、家康は10代後半、まだまだ家系図なんていう時期でもないし。
・・つられたか・・
0887人間七七四年
2008/08/29(金) 20:26:12ID:NyKvyZ/D歴史雑誌と言ってムーだとこわいから調べなくてもいい。
0888883
2008/08/29(金) 20:39:53ID:Ch1B1tQc1566年(桶狭間合戦の6年後)、家康は松平から徳川に改める勅許を得て、徳川家康となった。
家康は、近衛前久らに賄賂を贈り、前久は万里小路家から系図を探し出し、このような偽系図をでっちあげた。
この系図では、新田義重の子で、上野国の得川郷を与えられ、得川を名乗ったが
のちに徳川という字を使うようになり、その子孫が諸国をまわる僧となって、
三河国の加茂郡松平郷に至って、そこで松平を名乗った。つまり、本当は松平でなく、徳川である、
という主張をしている。メリットは、清和源氏新田氏の末裔であるとアピールすることにあった。
なぜ、この時期に改姓しなければならなかったか?。
松平家康は、三河を統一した時点で「松平蔵人佐」という官位であった。三河の支配者として
「三河守」がほしくなったが、三河守の官職は源氏か平氏か藤原氏か橘氏でなければならず、
松平氏のままではだめだった。
祖父清康が、一時期、源氏新田の世良田氏を名乗ったこともあり、新田流に系図をつなげることを思いついたのであろう。
改姓の効果はすぐあらわれ、翌年(1567年)には、三河守に任官している。
以上、p44〜45の要点引用
0889人間七七四年
2008/08/29(金) 20:49:09ID:bhFSpqX3君の元レスと色々違う件
まぁそれは置いておいて、>>888に「万里小路家から〜」と書かれている通り
一気に源姓を名乗ったわけじゃなく、まず藤姓を名乗っている
家康が源姓を名乗り始めるのは、うろ覚えだが1588年頃じゃなかったっけ
0890人間七七四年
2008/08/29(金) 20:57:29ID:NyKvyZ/Dやっぱり引用がおかしくないかな。
1566なんてまだ三河のあんちゃんで、上野国と結びつけるのは
後に江戸に本拠を置いたのと混同してないかな。
これだと、前久が見つけ出してくれたようだけど、実際は家康がさがしてきた
「得川」だろうし。
ほんで、新田源氏を名乗る、ということがどういう意味を持つかに
全く触れてないから、家康の偉大さに触れられない。
・・つられたか・・
0892人間七七四年
2008/08/29(金) 23:10:20ID:IFTbwt+5でも、遥かに脆弱な基盤しかない秀吉にとっては、どうでもいいものでも
ありがたがるポーズを取らざるを得なかった。おじゃるどもへのご機嫌取
りは、信長の非じゃないw
0893人間七七四年
2008/08/30(土) 01:45:35ID:UEjITdSFそもそも「松平蔵人佐という官位」の部分だけで
ツッコミどころ満載だろww
0894人間七七四年
2008/08/31(日) 01:11:20ID:rTvR5Zct0895人間七七四年
2008/08/31(日) 01:19:53ID:vgn8GgQ/0896人間七七四年
2008/09/01(月) 04:06:13ID:yOru+fhb蔵人は令外官で四等官制を取っていない筈なのだが、ググってみると言継卿記にそう書いてあるとか「本当かよ」という情報が現われる。
0897人間七七四年
2008/09/01(月) 20:59:34ID:rx0dWHZH雰囲気だけでわかりますね
0898人間七七四年
2008/09/02(火) 07:52:11ID:gYxMzwUC0899人間七七四年
2008/09/03(水) 00:33:52ID:fbsTgF1H0901人間七七四年
2008/11/08(土) 23:41:00ID:aoUpjy4rを見たけど酷いな・・・。
「関白は公家の頂点、征夷大将軍は武家の頂点」
「秀吉は生前征夷大将軍地位を望んだが、かなわなかった」
「過去将軍になれたのは源氏の系統に属する武士だけ」
「将軍になるため、源氏の身分になるため足利義昭に養子にしてくれるように頼んだが断られて失敗している」
みたいな事を堂々と言ってるんだが。
ちなみにゲストは小和田哲男
0902人間七七四年
2008/11/09(日) 00:39:24ID:8qonI8T1NHKの娯楽番組でついつい無批判に通説を採用しちゃうのは仕方が無い
本能寺の変黒幕説とか家康が信玄の息子だったとか
噴飯ものの珍説を公共の電波に乗せられるよりは遥かにマシだと思うしか
0903人間七七四年
2008/11/14(金) 07:22:42ID:wbheYD0D0904人間七七四年
2009/01/17(土) 21:18:57ID:3gDQzIjW小田原の役→後北条を滅亡まではいいが、家康に改封させて東国支配を任せた→100%捨ててる
もともとなる気がなかったか、将軍職は初めから可能性はなかったと考えるのが妥当。武功・政策レベルでムリ
0905人間七七四年
2009/01/17(土) 21:21:29ID:WElimWwt0906人間七七四年
2009/01/20(火) 15:17:22ID:mChs/OOu改めて、朝廷に征夷大将軍任官の工作をすれば、
すんなりと将軍就任を許されて、
関白兼征夷大将軍という過去に例のない権力を掌握出来そうだが…。
将軍就任で、幕府も開府出来て、
源氏や足利将軍家のように、
豊臣家の世襲制(ただし、血縁者が居ればの話だが…。)も確保出来そう。
0908人間七七四年
2009/01/20(火) 15:46:14ID:rYrfpMF60909人間七七四年
2009/01/20(火) 16:34:52ID:/7K8bcqP0910人間七七四年
2009/01/20(火) 16:37:44ID:/HHeI23s関白のほうが偉いから。
0911人間七七四年
2009/01/20(火) 16:40:23ID:lW/KTWypことをねがい、血統、家柄に関係なく望む位につけた。
ってか?そんなリベラルな時代じゃねえってば。
0912人間七七四年
2009/01/20(火) 19:53:33ID:X7Big3fa別にいいんじゃないの。
そもそも秀吉の関白就任自体が前代未聞の特例なんだし。
0913人間七七四年
2009/01/20(火) 21:06:18ID:WcPpQLaB0914人間七七四年
2009/01/20(火) 23:41:49ID:MsAddT9p確かに、それ以前に幕府開いた2人とも源氏だったし、
”先例”ってことだと、そうなんだろうけど、関白になるより
難しかったとも思えない
徳川幕府後の人間からすれば、武家政権なら征夷大将軍で
幕府だろうって思うけど、あの当時としては、どうだったんだろう?
0915人間七七四年
2009/01/21(水) 01:36:35ID:JZ7AVBR7源氏うんぬんは幕府を作らせたくない公家の言い訳になったのかも
武士の大半は源氏の流れをくむ家系なんだし朝廷がいえば無理に幕府を作ろうとすれば反発されるし
0916人間七七四年
2009/01/21(水) 06:36:33ID:WOD9mjWI単に後の時代からそう名付けられただけでさ。
0917人間七七四年
2009/01/21(水) 10:15:23ID:pnNIiwZc将軍は工作しても血統に入れなかった、つまり、農民出身の
信長の1家臣のまま
だから将軍になれなかった
藤原氏の血統に入れない場合は1戦国武将で終わりの可能性大
まわりの有力大名は関白の肩書きに従ってただけだからな
0918人間七七四年
2009/01/21(水) 10:26:00ID:pnNIiwZc平家は太政大臣どまり。
0919人間七七四年
2009/01/21(水) 14:59:07ID:364lY1bM幕末の徳川慶喜は、朝廷と幕府の一元化を図る為か、
将軍が摂政を兼ねる構想を持ち出して、
側近達に朝廷工作等を命じていたそうだが…。
0920人間七七四年
2009/01/21(水) 17:19:24ID:R1ay+Smk0922人間七七四年
2009/01/21(水) 19:27:41ID:eEx5wq660923人間七七四年
2009/01/23(金) 03:23:06ID:Ee4aB94Y肩書きだけで従えられるなら、足利昌山だって近衛前久だって天下人になれたわけだが。
家康なんか血統工作しなくても源氏長者を久我家からうばってしまったしな。
0924人間七七四年
2009/01/23(金) 03:40:28ID:rfpuU4lC源氏の長者は征夷大将軍に付属するものではない。
まあ、源氏で武家の場合、征夷大将軍で、なおかつ公家を被官化したものが名乗れる
称号だと考えるといい。
0925人間七七四年
2009/01/23(金) 09:28:41ID:BGfJku6J任官要請を奏上するのは誰かわかってる?
わかってたらそんなこと言えないよね。
自分達の官位をやる前に自分達が任官しない高官(征夷大将軍)をやるよね。
0926人間七七四年
2009/01/23(金) 12:43:12ID:zdMDD3Gc五摂家が口出しできる話じゃないだろ?
0927人間七七四年
2009/01/23(金) 18:03:18ID:rfpuU4lC朝廷権威と共に、「豊臣ノ長者」としての家父長権威で統制しておる。
秀吉の政権は、官位序列と豊臣家と言う家内序列の二本立てで形成されている。
0928人間七七四年
2009/02/09(月) 01:47:27ID:ZVqHeJDj何を言っておるのか。
権限上は、五摂家は普通に口出しできる立場だが。
徳川時代は将軍家の権力が強すぎて、実質的に口出し出来なかっただけ。
鎌倉時代とか普通に五摂家が関わってる。
0929人間七七四年
2009/02/10(火) 21:08:15ID:DOcHy6sj朝廷内部に対しては江戸時代が一番権力を持っていた>摂関家
摂関家に独占的権力を与えて、その摂関家5家のみを江戸幕府が飼いならせば他の公家を無視しても幕府の権力が朝廷内部に浸透させられたから。
0931人間七七四年
2009/02/10(火) 21:26:34ID:b4oQJ3gG>>928と>>929のどちらにレスしているのかは知らないが、どちらも
紫衣事件の背景として間違ったことは言ってないだろ。
0933人間七七四年
2009/03/29(日) 10:25:02ID:d/z2dyhk独裁者に血筋もなにも関係ありません。(天皇は無理でしょうがね)
当時だれも文句言えませんって。
家康だって逆らえば殺されます。公家も同様。
ただ必要なかっただけ。
0934人間七七四年
2009/03/29(日) 13:21:07ID:9s9RPVHZことでなれたんだぞ。
将軍職を足利家から奪えば諸大名を敵にまわすことになる、
少なくても毛利や上杉は抵抗しないわけにはいかなくなる。
0935人間七七四年
2009/03/29(日) 13:59:00ID:5MbgMgvg0936人間七七四年
2009/03/29(日) 17:28:08ID:ToBVpv96征夷大将軍より武家関白制のほうがより上位にあった。
むしろなぜ家康は関白にならなかったのかの方が問題。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。