何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:44:33ID:k214r3khそれもそうだ
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
どれも立派な姓であり、秀吉の出自が官位就任に影響をおよぼしたことはない
しかし関白太政大臣にとんとん拍子に出世した秀吉の力なら
容易に将軍職も狙えたはずでなので、あえて将軍職としたわけです
Q1やQ2のような俗説をわざわざ否定したのもそのため(この手の質問が多いためでもあるが)
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:47:51ID:k214r3khQ1やQ2
↓
Q2やQ3
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:50:30ID:G0yG0YRJこのスレでは>>12,17,34,36,43読んで。
特に34の
> 問題はそのようなクソ低レベルのくだらんことじゃない。
に端的に非難されとる。研究者が誰も支持してない説をめぐって
挙証責任がどうしたこうした言い合ったって仕方ないでしょ。
それをふまえて34,36,43あたりでやっと、
朝尾・今谷説が羅山説に回帰するのかどうかが話題になったけど、
そこでスレが止まった。
前のスレでもここにつながる論点がいくつか出てるから読んだらいい。
でも>>82
要約作ってくれたのはどうも。その手の突発レスが多いので有益だよ。
(ただし「秀吉の力なら容易に将軍職も狙えたはずでなので」は
論点先取。例えば朝尾・今谷説はそう考えていない。)
(>>27についてだが、朝尾・今谷説は武家関白の成立過程について
論じてるんだから北条征伐後がどうたら言っても批判にならない。)
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:59:54ID:k214r3khなるほど。長文ありがとう参考になったよ。しかし>>34の
義昭に将軍職を断られて小牧長久手で将軍を完全に断念したという説は興味深いね
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 23:28:53ID:JdvBAXtt0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 23:44:41ID:Xyo57Qsv0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 23:53:05ID:aesdOh7J北条が実権を握っていた時でも、幕府のトップはあくまでも将軍。
北条はその補佐官に過ぎない。
要は、建前上のトップは天皇でも
摂政や関白や大臣や将軍が実権を握っているという
当時の日本の政権の形態をそのまま幕府にも取り入れただけ。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 01:14:35ID:WSr9mcVC> 「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
これのさ、「将軍を断られたかも知れないが」っての
羅山しか言ってない上に、学説で完全否定されてるんだから
正しくは
A4、つまりこのスレの結論は「将軍職に興味を示した資料は無いが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
が正解だろ。
秀吉が望んだ将軍職って箔をつけるのはまずかろう。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 01:44:39ID:rhtsShajにすぎない。色々理由を並べたところであくまでも後付けの論理にし
かすぎない、仮に秀吉が将軍織を望んだとしても義昭の事を持ち出さ
れて断られるのがおち、実際はそんなもの、学者が小難しく言ってい
るのはあくまで商売だから、
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 02:06:30ID:nXK7skas何度も書かれていると思うが
秀吉が将軍になろうとしたという史実もないし
信長の三職推任の件を見ても秀吉が将軍になれないという根拠が全くない
秀吉が将軍になる必要性も認められない
おそらく君はこのスレに初めて来てログも読まずに書き込んでいるのだろうと思うが
恥をかきたくなければログくらいは読もうぜ
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 02:36:18ID:WSr9mcVC>れて断られるのがおち
これこそ根拠のない思い込み
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:05:52ID:rhtsShaj関白になったのも近衛家の猶子になり強引になったものであって推挙
されたわけでもない、
なろうとした史料がない、ってそんなものが根拠となるならなんとで
も言えてしまう。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:10:58ID:WSr9mcVC0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:16:53ID:6rJ7Mxnv0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:22:39ID:T1z5xzie朝鮮出兵のためにも関白が必要だったってことはない?ごめん。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:26:42ID:rhtsShajはいはい、自分の意見もなく挙げ足取りぐらいしか出来ないオバカサン、
いかにも秀吉厨らしいね。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:28:16ID:WSr9mcVC0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:30:52ID:nXK7skas史実にない「将軍になろうとした」という珍説を主張したいのであれば
他に資料をかき集めて分析し、誰もが納得出来るようなそれなりの根拠を作る作業が必要だが
史実にない以上、珍説を否定するための根拠は全く必要ない
ちなみに、再三書かれている事だが
朝廷には将軍職を任命する権利もあるが解任する権利もあり
実際に解任されている将軍は複数実在する
足利義昭の存命中に織田信長への将軍を含む三職推任があったので
それらをまとめると「義昭の関係で将軍になれなかった」という珍説は否定できる。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 04:25:28ID:jwyMjzd3変な改行と、一人だけ書き込みのレベルが凄く低いからすぐわかる
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:26:03ID:72VkGz7Kなれなかったというほうが自然であり、なれたということを証明する
ほうが難しいと思うのだが、
秀吉が将軍になれたと思っている人は、「戦国時代は誰もが天下を狙い
上洛して足利氏に取って代わろうとした」みたいな勘違いをしているの
か、というか当時の人たちは秀吉が将軍になれる、もしくは将軍にふさ
わしいなどと思っていたというのか。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:35:43ID:H/5DhGnuおそらく君は創価学会に入信していないと思うが
君の発想で行くとそれは「入信出来なかった」と考えるほうが自然なんだね?
「入信出来る事」を証明するのって難しいの?
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:43:52ID:72VkGz7Kどうしたらそういう発想がでてくるのか?マジで言っているとしたらかなり
やばいな、だいたい創価学会に入るのは難しいことなのか、話にならん。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:51:05ID:H/5DhGnuだろ?
他人のキチガイ発言を読んで
やっと自分の発言が如何にキチガイなのか気がついた?
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:52:23ID:xFgaUS8b0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:55:45ID:H/5DhGnu>>101
何度も書かれていると思うが
秀吉が将軍になろうとしたという史実もないし
信長の三職推任の件を見ても秀吉が将軍になれないという根拠が全くない
秀吉が将軍になる必要性も認められない
おそらく君はこのスレに初めて来てログも読まずに書き込んでいるのだろうと思うが
恥をかきたくなければログくらいは読もうぜ
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:58:02ID:A5BIF60mそのアナロジーが通ると思ってることのほうが
よほど基地外だよ
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:59:39ID:A5BIF60m>>106は以後コテハンつけてくれない?
NGワードで消すから
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:59:51ID:gQmWK1cCにすぎない。色々理由を並べたところであくまでも後付けの論理にし
かすぎない、仮に秀吉が中納言を望んだとしても(ry
という論理も成り立つんだよな
検非違使になっていないから秀吉は検非違使望んでも断られたに決まってるとか〜
例え検非違使や中納言や征夷大将軍が関白より低い官位役職でも。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:01:19ID:72VkGz7Kしか言えないんだろう。実際なっていないものをなれたというからには中
途半端な意見じゃ通らんよ、なれなかったというよりも何倍も知識が必要
になってくるよ。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:06:31ID:gQmWK1cC関白になった以上将軍になる必要が特に無かっただけじゃないか
世界チャンピョンが日本チャンピョンにわざわざならなくてもいいみたいなもの
義昭に断られたのが本当に原因だとしたら
義昭が将軍職を返還した後になればよかっただけだしさ
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:09:08ID:H/5DhGnu秀吉は関白に就任するために「摂関家と養子縁組」という、
過去に前例のないアクロバティックな手続きを取って関白に就任する資格を得ているのよね。
しかも秀吉が無理強いして行なわれたのではなく、朝廷も納得ずくでやっているのよね。
関白になるために朝廷と組んでこんな無茶な事をやっているのに
それよりも簡単に就任できるはずの将軍になれないという話はありえないのよね。
将軍になるためには「摂関家と養子縁組」よりも難しい手続きなどありえないのだからね。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:15:06ID:H/5DhGnuいやいや、朝廷は足利義昭の将軍職なんか解任出来るんだから。
解任しなかったのは、解任する必要がなかったから。
つまり秀吉がはなっから将軍職を望んでいなくて
義昭なんかは将軍のままで放置プレイしとけばいいと考えたから。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:19:45ID:72VkGz7Kよく思いつきだけで長文が書けるのか、ある意味感心するよ。
もしかして、三戦ころの関が原でも有名だったお方かしら?
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:27:02ID:xFgaUS8b学説でも、小牧長久手の敗戦による東夷の未達成による方針転換の結果としての
「将軍になれなかった」という論が少数意見としてあるぐらいで、大勢は
「なる必要がなかった」という論が主流をしめてるんだけどねえ。
まあ君がそうした学者先生達よりも高等な知識を有してるんなら拝聴するんだけど。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:27:06ID:H/5DhGnu1・秀吉が将軍職を望んだという史実
これだけあればOKだが、それがないのなら
2・秀吉が将軍になる必要性
3・秀吉が将軍になれない理由
これをキチンと説明する責任があるのだが
「将軍になれなかった」と主張しているヤツは
この説明責任から逃れ、相手の人格を否定する事だけに奔走し、
ほとぼりが冷めた頃に同じ事を繰り返し主張するという無限ループに陥っている。
前スレからずっとこれ。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:31:51ID:72VkGz7K0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:36:05ID:gQmWK1cC付け加えるならこれも本当に将軍職を望んでいたのなら北条降伏後に
なればいいわけで
結局将軍には「なる必要がなかった」になるんだよな
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:40:47ID:H/5DhGnu必死なのは分かったから
一言でもいいから何か反論してみなさいw
0120中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 22:42:05ID:u1QTMJ9bよく帰って来てくれたwwwwwww
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:44:55ID:72VkGz7K君を相手するのかったるい。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:48:26ID:xFgaUS8bそれが駄目というID:72VkGz7Kはきっとすごい学識を有してるんだろうな。
0123中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 22:52:00ID:u1QTMJ9bつまり羅山を超える新史料を持っているということか
それから>>34で俺様があげた朝尾と今谷のソースだが
随分前に読んだから正直よくわからん。
今谷のほうは「武家と天皇」、朝尾のほうは「豊臣政権論」だったと思う
今谷のほうはたぶんそう。朝尾の方は記憶が曖昧なので誰か知ってたら教えて呉
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:58:30ID:A5BIF60mお前さんに言われていくつか見たが
まだ朝尾・今谷が羅山にのっかってる証拠は
見つけてない。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:05:20ID:A5BIF60m> 大勢は「なる必要がなかった」という論が主流をしめてるんだけどねえ。
それを積極的に述べている論文を1つ2つ挙げてくれ。
参考にしたいから。
それから俺はまったく別分野の研究者だが
「学論」なんて語は使わない。「論」より「説」だ。
詳しいふりで使うとあまりに素人臭くて馬鹿にされるから
以後気をつけるといいぞ。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:14:58ID:A5BIF60m> ここでおこなわれてるような論証のやり方は学論でもよくある型なんだけどねえ。
の「学論」ってのは「学士論文でも」の意味か?
だったらまあどんな論証のやり方があっても驚かんなw
(卒論をいちいちチェックしてる122には驚くが)
0127中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 23:16:16ID:u1QTMJ9b逆に起点を想定した場合、それが義昭から将軍を断られたという例の物凄くあやしい羅山説に
結びついたというのが件のシミュレートだったと記憶している
>>34でその起点に立脚したかのような書き込みをしたが
実際は終点を元にシュミレートした結果、帰納法的に起点が浮かび上がっただけに留めてたと思う
>>34は書き方としてはまずかったな。
とにかく朝尾の論文片っ端から読んで記憶の曖昧さを払拭するしかほかに方法はねえ
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:22:23ID:jJz6BiqUそれよりも>>101が書いているように当時の人は秀吉をどのように見ていたの
か、など当時の状況から考察したほうがいいのではないか、結果から推測する
のではなく。
0129中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 23:24:03ID:u1QTMJ9bそれなら家わけの島津家文書だったかの島津家の反応が如実に物語ってると思うが
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:34:35ID:H/5DhGnu「将軍様は武家の頭領で偉いんだぞ」
「秀吉はその武家の頭領様になれなかっし、なる資格もなかったんだぞ」
「だから徳川家は偉いんだぞ」
という事を言いたかったんじゃないのか?
その結論ありきでいろいろと書いてるんだから、
信憑性という意味ではまず疑ってかかるべき話でしょう。
同じように、明治から終戦までの歴史学者は、まず
「天皇陛下は偉い」
「天皇家は万世一系で今まで一度も途絶えた事がない」
「戦国時代の武将が天皇に逆らうはずがない」
という結論から始まってるから、いろいろと間違ってることがあるのよね。
織田信長と正親町天皇の関係は上手く行っていた事になってるし。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 01:03:13ID:GTpNU2BCこのとき秀吉から1万石も知行もらっている。
この時点で関白と将軍の政治的位置関係は決したんじゃないか。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 06:45:19ID:2pLcWU5d日本史の研究者なら、この話題についてのあんたなりの考察も書いてくれれば
いいのに。煽りしか書いてないんじゃ何も説得力ないし。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 07:29:23ID:kNOrTL/Yあなたが少数派と言っている意見のほうが私は目にする機会が多いのだが、
それは気のせいなのか?NHKなどもその説を採用しているのだが、
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 07:58:02ID:aLCtYd1s0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 08:00:35ID:BMHHiqxR大河ドラマの前説で、足利義昭に断られたから将軍の就任を諦めたと
言ってるのをみたんだけど、NHKでも歴史番組によって違うんかね。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 08:44:01ID:Z2ozcvgZ「まったく別分野の研究者」と書いてあるけど・・・
>>133
俺もそう思うけどな
>>115は「主流」の本や論文の紹介キボン
>>135
大河は歴史番組に入りません
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 08:49:33ID:aLCtYd1s0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 09:02:43ID:GlT0lIKQNHKがそのような説を採るのは単純に面白いからでしょ。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 09:10:50ID:Z2ozcvgZ実名で顔突っ込んでくる研究者なんかいるか?
実名でなければ大変も何もないんでないと思うが
0140中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 09:33:02ID:fRGyndTn>>129で島津家文書と書いたのは間違いで正しくは上井覚兼記。頼朝以来の名門島津が
羽柴などという「非貴」に軽々しくなびくものではないと言ってる
この「非貴」がどの程度の非貴を指しているのかはわからん。秀吉を百姓ととらえていたのか
あるいは頼朝より格下の者をすべて非貴ととらえてたのか。
島津は信長とは修好を通じていたから、少なくとも信長未満の階級を指して非貴と言ってるんだろう
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 10:18:17ID:ZKnJfAIG俺は>>1だが
そもそも俺の考えは>>5で語ってる通り
「秀吉は元々将軍職を望んでない」っていうのが俺の持論。
将軍に「なれなかった」って記述は羅山の思惑にのっちゃうかららめぇええええ
0142中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 10:32:23ID:fRGyndTnちと待て>>1よ。すると何か?スレタイに対する答えがわかっていながら
お前はわざわざ新スレを立てたのかよwwwww
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:07:18ID:aLCtYd1s日本史板にはいる
案の定荒らしに粘着されて大変みたいだが
それに例え実名が晒されなくても本人のプライドがズタズタになるんじゃないかw
>>140
信長みたいな守護代の分家の家柄でもOKなのに、秀吉を殊更差別するのもおかしな気がするな
誼を通じるのと実際に臣従するのでは話が違うってだけじゃないの
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:22:54ID:GlT0lIKQだいたい島津だって分家の分際でw
いや島津も庶家だから分家の信長はOKという論理なのか?
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:27:47ID:ZKnJfAIG>結論
>「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
> 朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
前スレの「断られたかもしれないが」が激しく気に食わんかったから立てた。
反省はしてない。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:30:54ID:Z2ozcvgZやっぱり>>1が何を言ってるのか
よくわかってなかったんだね
>>120で1と違うほうに絡んでるから
変だと思ったよ
0147中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 11:37:01ID:fRGyndTnまあ修好と威圧じゃ島津の対応は違うわな。しかし当時の信長は
明智→惟任日向守
丹羽→惟住
羽柴→筑前守
塙→原田
簗田→別喜
と九州名族の苗字や官位を家臣に与えて暗に九州を牽制してるわけで
島津がこの意味をどの程度認識してたのか。認識した上での交誼なら
上井日記の秀吉の格付け評はやはり信長未満ということになる
0148中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 11:42:43ID:fRGyndTn前スレで終わったと思ってた議論を、スレまで立ててまた再開という>>1の姿勢と
昨日の奴がだぶった。今は反省していない
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:44:44ID:aLCtYd1s信長と秀吉への島津の対応を比較することで秀吉の出自の卑しさを証明しようとしなくても、
それこそ都の落首や榊原康政の檄文、豊鑑の序文など、
当時の人間が秀吉の出自をどう見てたかという状況証拠はいくらでも有るでそ
0150中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 12:00:08ID:fRGyndTn0151中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 12:01:25ID:fRGyndTn萩中納言が聞いて呆れるぜ
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 18:24:27ID:CsgGcpJx0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 19:34:18ID:GlT0lIKQ当時の状況から考察するって
それは完全になる必要がなかったといってる人達の
採ってる手法じゃ・・・
>当時の人は秀吉をどのように見ていたの
当時の人々は秀吉は将軍になれるはずがないと見ている史料は多分無いし
秀吉を成り上がりと見ている史料があってもそれが何の役に立つの?
秀吉が何の官位役職に就いていなかったりするとか、
せめて将軍職より低い位にしかつけなかったのならまだその論証も可能かもしれないが。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:20:30ID:kNOrTL/Yいきなり核心をついちゃったよ、そう、このスレは家康叩きが目的であり
屁理屈をならべて秀吉が将軍になれたことにしようとする所です。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:33:45ID:VaEyHv0W0156中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 20:45:02ID:fRGyndTnそうか
へえ
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 01:09:47ID:yJ1RMaE10158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 01:29:48ID:WA44RHoGあけ渡さなかったから秀吉は将軍になれなかったでいいではないか、これだ
けでも十分理由になってると思うが。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:50:57ID:6lR4vVie1・秀吉が将軍職を望んだという史実
これだけあればOKだが、それがないのなら
2・秀吉が将軍になる必要性
3・秀吉が将軍になれない理由
これをキチンと説明する責任があるのだが
「将軍になれなかった」と主張しているヤツは
この説明責任から逃れ、相手の人格を否定する事だけに奔走し、
ほとぼりが冷めた頃に同じ事を繰り返し主張するという無限ループに陥っている。
前スレからずっとこれ。
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:54:39ID:bDL3wTJWそれが史実でないから問題なんだよ。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:57:18ID:WA44RHoG0162中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/02(木) 10:58:38ID:8Umd1Xv8京を追われたときに将軍職がなくなったと考えるのなら
義稙以下歴代将軍はどうなるんだよwwwww
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 12:36:44ID:WA44RHoGこのように思っている人は少なくない、実際1573年に解任されたとする本を
目にすることがあるし、公卿補任に義昭の名がずっと記載されていたことを
意外と述べている人は多い、
公卿補任のことが取り沙汰されるようになったのは比較的新しい話ではないか?
0164中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/02(木) 13:19:36ID:8Umd1Xv8将軍辞職後に准三后とは、ここの経歴だけみれば足利義満と同じか
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 18:57:04ID:iRUWhup4のもうかかがわれるけど、それらの事実と林羅山の書いた猶子拒否の話の信憑性はまったく別問題と考えるほうが
いいと思うんだけど。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 20:34:04ID:WA44RHoGか無視されていたのではないか、それ故、専門家は秀吉が将軍にならなかったこ
とを不思議に感じ関白になったことから逆算して色々な説を生み出したのではな
いか、
0167中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/06(月) 13:59:38ID:MmuBu0B9京子ちゃんだけでお腹いっぱいです
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 15:12:56ID:v75xD+QF家柄コンプレックスだからさ
0169中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/06(月) 16:05:00ID:MmuBu0B9ただ任官時期を改竄して累進を急いだのは確かだ
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 21:14:52ID:c3ffLvcYそれを秀吉は断ったという話があるがどうなの?
後代の林羅山のはなしより同時代の多聞院日記のほうがよほど信憑性高いと言えないか?
0171中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/06(月) 21:50:42ID:MmuBu0B9秀吉に有利な計らいなら、英俊に先んじて権大納言晴豊・右大臣晴季・神祗大副兼見ら秀吉に平身低頭な
彼ら昵近公家衆らが耳にし、或いは記録に残すはずだ
他でもない秀吉の関白任官に関する情報は、まず任官に先だって晴豊が受け、兼見が記録している
(天正十三年七月九日・秀吉の関白就任二日前)
要するに秀吉に近い公家衆より先に情報を得ることはアリエナイ。単なる風聞じゃね?
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 23:04:12ID:c3ffLvcY断ったなんて話にはならなかったと思う。英俊だって義昭の動向は気になっているはずだし
0173中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/07(火) 10:05:43ID:BuVe1UKvこの官位運動に対する理由付けを当時の人間が色々と噂していただけかも知れない
目的語を将軍職においた風聞とは言いきれないと思うぞよ?
あと奈良の田舎ぼうずが中央の政局や備前の貧乏公方の情報を正確に受け取れたのかどうかも疑問だな
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 12:51:59ID:+JK9ba5d確実なのは当時「そういう噂」があったということだけかな
ただしその噂に対して特に疑問を呈することなくそのまま書き記しているということは、
当時の人間は秀吉の血筋やら小牧・長久手の敗戦やらは
将軍就任に対して大して問題だと考えてなかった、と逆説的に言えるかもしれない
0175中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/07(火) 13:44:01ID:BuVe1UKv信長=平姓、秀吉=平姓だし単純に等号でつなげば
「平姓信長が将軍になれるなら、平姓秀吉も将軍になれる」でいんじゃね?
あと>>173の補足だが、公家の日記に将軍を望んだことも将軍を辞退したことも書いてないから
秀吉は最初から将軍を望んでなかったと考えていいかもね
結論
1.秀吉が将軍になることに障害はなかった
2.秀吉は将軍になるための運動を起こしてないからなる気はなかったと考えられる
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 23:53:50ID:kq88H0hr相変わらずキチガイ炸裂ですなw
結論は正しいが
1・晴豊は「信長が将軍になるだろう」とは書いていない。
村井に「信長を関白か大臣か将軍に推任したらどうか」と勧められた事を朝廷に報告しただけ。
2・秀吉は平氏も源氏も関係ないほどの低い身分の出身。
忘れないようになw
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 01:21:02ID:qDk35lAo>村井に「信長を関白か大臣か将軍に推任したらどうか」と勧められた事を朝廷に報告しただけ。
それ京子説やん
0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 06:32:27ID:XVPENUjc摂家や皇族など血筋の良い者を選んでトップとして担いでいた、それにより
武士が政治を行なう正当性を主張していた、それなのに他の大名と比べても
出自のわるい秀吉を将軍に担いでどうするの?
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 07:11:22ID:Q3QUvzXU0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 08:36:27ID:B9f8Wj5Y摂家や皇族など血筋の良い者を選んでトップとして担いでいた、それにより
武士が政治を行なう正当性を主張していた、それなのに他の大名と比べても
出自のわるい偽源氏を将軍に担いでどうするの?
0181このスレのまとめ
2006/11/08(水) 11:11:10ID:iQcrmmZ8A1、秀吉が将軍を断念したソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので今のところ否定も肯定も出来ない
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
どれも立派な姓であり、秀吉の出自が官位就任に影響をおよぼしたことはない
Q3、源氏しか政権担当者としての将軍にはなれないんだよ。おまえ馬鹿?
A3、「天正十年夏記」によると勧修寺晴豊は信長が将軍になるだろうと感想を洩らし
誠仁親王も信長をどのような官にでも推挙すべしと言っている
そして信長は平姓。もうわかったね?
Q4、はあ?意味不明
A4、だから信長が平姓で将軍になることに問題はないから
平姓秀吉も将軍になることに問題はないと考えられるの
Q5、だったら将軍になればいいじゃん。ならなかったのはやっぱ秀吉じゃ無理なんだよ
A5、小牧・長久手合戦の直後に権大納言や内大臣つまり将軍が兼任した官位を獲得したが
すぐに関白になっているため秀吉は将軍職を望んでなかったようだ
小牧・長久手の敗戦により将軍職を諦めたという論説もあるが
秀吉が将軍職獲得のために運動した形跡はないため憶測にすぎない。
Q6、だから何?
A6、つまりこのスレの結論は「将軍職に興味を示した資料は無いが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
Q7、秀吉厨キモすぎwwwww必死だなwwwwww
A7、・・・反論に窮してその態度かよ
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