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何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof
前スレ
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0790人間七七四年2008/03/18(火) 16:53:34ID:FPjAc4Bk
>>788
官位一覧
ttp://maruyuki.hp.infoseek.co.jp/gamedata/ranseiki/kanni.htm
これを見れば正一位の関白が最高位である事が分かるはず
しかも将軍職がどこにもない

信長は、朝廷が信長を将軍に推挙するために正二位を送られているが
これは右大臣・左大臣クラスね
将軍職は右大臣クラスの非公式の官職なんだよ
0791人間七七四年2008/03/18(火) 17:22:48ID:GVo9Uvcg
まさかとは思うが・・・
本気で 将軍>関白 なんて
考えているヤツはいないよな
0792人間七七四年2008/03/18(火) 17:53:02ID:rATjsR6N
>>790
引用先がノブヤボじゃまずいだろう。
律令制の官位一覧はこっち
http://www109.sakura.ne.jp/~kuge/kani.htm
関白は令外官だから律令制の官に当たらないが、天皇の代理人として百官の最高位にあるから正一位に準ずる。
で、征夷大将軍も令外官。元々は東国征伐の臨時司令官だが、自らの司令部を持てるから朝廷に干渉されない武家政権作りに使われた。
律令制の正式将軍職の最高位は近衛大将。この職を大臣、大納言が兼任することが多いからそのクラスだろう。
臨時司令官である征夷大将軍と天皇の代理人である関白はどっちが格上なのか比べるまでもない。
ちなみに臨時職じゃまずいと思ったのか徳川幕府の将軍が代々近衛大将を任官されてる。
0793人間七七四年2008/03/18(火) 17:53:59ID:4ZTQELf9
>>790 で? だったらこのスレ立てるまでもないわな、 
そう単純じゃないと思ってる人がいるからこのスレがあるわけだろ?
0794人間七七四年2008/03/18(火) 18:20:34ID:rATjsR6N
>>793
このスレでもすでに「関白になれたのだからあえて下位である将軍になる必要は無い」という結論が出てたんだろう。
そう思わず秀吉の出自に問題があるから将軍になれないと主張するのは今の所アンタだけだけど。
0795人間七七四年2008/03/18(火) 18:24:47ID:2/Cbbbkq
征夷大将軍って、室町幕府までは従四位相当じゃないの?

江戸幕府になって、慣例的に従二位が贈られるようになった(在位期間にもよるが)んで、
従二位程度まで地位向上してるけども。
0796人間七七四年2008/03/20(木) 08:15:30ID:OPocN0QK
関白と将軍を兼任することはできなかったわけ?
位は上でも役職はまた別の話だろうし。
0797人間七七四年2008/03/20(木) 11:41:52ID:9gBCOpGD
天皇の代理人になれるなら別に臨時方面軍司令官にこだわる必要はないだけだろう。
今でいうと首相が方面隊の総監兼務してるようなおかしいもんだし。
0798人間七七四年2008/03/20(木) 14:27:31ID:kOSlERra
>>792 ? 関白や太政大臣も常設というわけではないし、関白だって令外官な
んだが…、
臨時職、つまり緊急時に置かれるわけだから権限を集中させる必要があるのでは
ないのかな?
0799人間七七四年2008/03/20(木) 15:06:26ID:9gBCOpGD
>>798
関白は令外官だけど太政大臣は大宝律令の以前からある最高の官位だぞ。
あと、臨時職つーかもともと東夷討伐のための臨時ポストだから、
第二次大戦のヨーロッパ方面司令官、湾岸戦争の時の多国籍軍総司令官みたいなもの。
あくまでも軍の司令官だから、京ではない場所で自前の司令部を設置できる点として武家政権作りにうってつけだけど、
臨時職ゆえの弱さもあるから、江戸幕府はもちろん、室町幕府から頼朝の幕府まで保険として律令制の官位を持ってる。

ちなみに令外官の意味は律令制の不足を補うために作られた官職であって非常勤の意味じゃない。
0800人間七七四年2008/03/20(木) 20:03:31ID:lxxxwFIz
秀吉の場合は関白兼太政大臣なわけだから
あえて征夷大将軍になる必要性が皆無ですな
0801人間七七四年2008/03/20(木) 21:49:26ID:D39z5zc5
まぁ、秀吉は関白でも征夷大将軍でも、号令できる名目があればそれで十分だったわけだからなぁ。

豊家との関係を断ち切る必要性がある徳川家は、将軍を取る必要性があったといえるし。
0802人間七七四年2008/03/20(木) 22:18:26ID:9gBCOpGD
事実はともかく幕府は「秀吉は将軍になれないから仕方なく関白」という説を流す必要はあったんだろう。
出自、家柄、主君への忠義を重視する幕府が主家を滅ぼした家康に正当性を与えるために
「豊臣家は出自も家柄も徳川家の下だから滅ぼされて当然」を唱えるしかない。
0803人間七七四年2008/03/20(木) 22:36:05ID:lQiv0nxx
さらに
将軍>関白
の図式を定着させようとしてたし
0804人間七七四年2008/03/21(金) 00:21:49ID:GLRrrgJ5
http://www.hairyfaces.com/watersports/HF_watersports021.jpg
http://www.hairyfaces.com/watersports/HF_watersports022.jpg
飲尿将軍…
0805人間七七四年2008/03/21(金) 02:50:56ID:K4eAUIYq
徳川家は豊臣家との縁を断ち切ろうとしていたわけではなく
少なくとも家康は豊臣家を一大名として残そうとしていた。
豊臣家も大名として残ろうとしていた節があって
秀頼は右大臣とかの官職を朝廷に返上したりもしている。
0806人間七七四年2008/03/21(金) 07:57:35ID:GLRrrgJ5
http://imgbbs.mobi/upload/paradise4dadds/paradise4dadds-6-308-9e63c17627.3gp
ぶっかけ将軍…
0807人間七七四年2008/03/21(金) 09:35:53ID:6Rl1aige
>>805
それは家康の代のみの話じゃないの?
0808人間七七四年2008/03/21(金) 10:07:27ID:Tq9UIey2
関係を断ち切る必要性というのは、

「関白」という任についた場合、
秀頼に位を返上しなければならない
という論理が成立しかねないため。

諸大名を有無を言わさず従わすには、豊家からの独立性が必要で。
その意味で関係を断ち切る必要性がある。
言わば、豊家との連続性の否定。
0809人間七七四年2008/03/21(金) 10:14:30ID:lvXC4ug5
そんなん言い出したら、豊臣家滅亡後関白就任でもよかったじゃんと。
0810人間七七四年2008/03/21(金) 12:00:35ID:t9z1z3GB
それでは下剋上をみずから宣言したことになるじゃん。 
縁起悪いし。
0811人間七七四年2008/03/21(金) 12:56:45ID:Tq9UIey2
>>810もその通りだしと思う。
また、政権確立のためにその戦略上で 五摂家に摂関家の地位を戻しておいて
「じゃ、豊家潰れたから」ってまた取り上げるのはどうか、って問題が・・・。

そもそも、将軍就任によって目的自体は達せられてるから
関白になる必要性があるのか?

というか、>>809の意見だと、関白にならなきゃいけないと聞こえるが、
ならなきゃいけないのか?
0812人間七七四年2008/03/21(金) 19:02:21ID:6eRyb4Nv
ならなくてもいいように
法律が一番偉い、天皇も朝廷も将軍家も幕府も大名も法律の下
という倫理を構築した
0813人間七七四年2008/03/21(金) 19:58:37ID:2ym6Yhgv
その法律朝廷も寺社も武家も従ったのは幕府の絶対的な力があってのことだろう
0814人間七七四年2008/03/21(金) 20:44:07ID:Tq9UIey2
>>812
「ならなくてもいいように」ってどういうことだ?

関白・将軍に関わらず、秀吉や家康がその任についた時に、
結果的に得たものは、諸大名に号令する名目的立場でしょ。

武家組織と公家組織はあくまで別の団体であって、それは秀吉の時にだって言える話では?
関白になった結果、公家が武家の統制下に入ったような話は聞いた事が無いぞ。

秀吉は公家から官位を横取りした。代わりに経済を保障した。
家康は公家内部の問題に介入した。
ってのが多分事実だと思うんだけど、どうよ?
0815人間七七四年2008/03/21(金) 22:34:15ID:Xd4T1+F8
紫衣事件の頃の幕府の絶頂期と、堀田が使いまわされてた幕末とじゃ
朝廷と幕府の力の差があるしな
0816人間七七四年2008/03/22(土) 00:06:51ID:hqnS/xnK
http://freempegs.aebn.net/gaybear_0038_5.mpg
クマ将軍…
0817人間七七四年2008/03/22(土) 00:33:39ID:38SwS6gg
>>814
秀吉の時と家康の時とでは時代が違う
徳川幕府が唯一の超大国として全国の大名を統制できた背景には
「せっかく平和になろうとしてるのに、
個人のわがままでこれ以上戦争を起こすのはダサい、戦争やめようぜ」
という空気があったから(作った)から
0818人間七七四年2008/03/22(土) 00:34:50ID:Ix1KBvfY
秀吉は朝鮮で残虐な行為をした人殺し
拉致レイプ人殺し最悪殺人鬼
0819人間七七四年2008/03/22(土) 20:01:25ID:JN+hsz0a
>>817
すまん、文章が理解し辛いんだが・・・、

まず、「せっかく平和になろうとしているのに」って何?
そうなの? 武家諸法度で武芸に励めって書いてあるのは何故?

次に「個人の我儘で戦争を起こすのはダサい」って何?
そもそも「個人」という言葉は、江戸時代にはないぞ。江戸時代にあるのは「公」だけだろ。
結城秀康も将軍職に野望があった事は有名だし、慶安事件は何だったの?


あと、仮に文章に筋が通っていたとしても、その結論から導き出されるのは、
武家諸法度だけであって、禁中並公家諸法度を作る必要性はないだろ。
公家には最初から武力が無いんだから。
0820人間七七四年2008/03/22(土) 21:29:06ID:7dBWfycz
この人何言ってるの
0821人間七七四年2008/03/22(土) 21:53:30ID:6XTF9hFN
ネタにマジレスってやつだ
放っておけ
0822人間七七四年2008/03/27(木) 22:40:18ID:fgBNrprI
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176337389/498

498 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/03/27(木) 22:36:00 ID:RLbpmx8t
>>493
長久手の迂回策は秀吉自身の策だし、池田恒興は特にミスはしてない
したのは家康の動向に全く気づかなかった秀吉と一撃で壊滅した秀次



だってさ
0823人間七七四年2008/05/01(木) 02:18:41ID:QpPULuId
へえ
0824人間七七四年2008/05/22(木) 00:23:47ID:201yXfgE
ズバリ
足利義昭将軍が健在であったからです!
家康が将軍になれたのは健在でなかったからです。
0825人間七七四年2008/05/22(木) 00:38:24ID:S3MQiAiU
秀吉自身の気持ちはどうだったんだろう
それっぽい資料とか無いのか?
0826人間七七四年2008/05/24(土) 08:16:10ID:O8xiZx3f
>>824
義昭が生きているうちに、信長には三職推任が来ているし、ほぼ関係ないがね。
これも散々既出だけど。
0827人間七七四年2008/05/27(火) 17:08:17ID:VTCLfxZR
秀吉と信長を同格に考えるべきではない、と思うが。
0828人間七七四年2008/05/27(火) 19:59:12ID:g0d+fbuM
だな
所詮、信長は右大臣止まり
0829人間七七四年2008/05/28(水) 00:35:04ID:HP74U252
でも右大臣って響きかっこいいよね。
左大臣よりも。
0830人間七七四年2008/05/28(水) 14:55:50ID:8KeC/lKX
左近衛中将とかの方がカッコいいだろ
大分下がるけど
0831人間七七四年2008/05/29(木) 01:58:34ID:A1N9r9qc
>>827
同格に考えるべきでないならどう考えるべきか
0832人間七七四年2008/05/30(金) 18:49:35ID:pVXAj9G5
>>829
宇治の悪左府とかいいじゃん
0833人間七七四年2008/05/30(金) 20:02:09ID:bbGf3/hx
もともと関白を希望していたに一票
秀吉は朝廷の官位制度を活用した統治形態をとっており、独自の幕府を築くちもりがなかったんだと思われ
五大老は病床についてからの晩年だからね
0834人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 15:33:20ID:ONITAO9S
>>827
秀吉のおかげなのか
信長のおかげなのか

さあどちらなのか本当に気になるところだ
0835人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/04(水) 16:59:31ID:lIQeo1Cb
秀吉が将軍になるということは豊臣家が代々天下を治めるということを宣言する
ということ、はたしてこれが認められるのか? 
天皇家と縁もゆかりもない人間が頂点に立つということは革命であり、天皇家
存続の危機でもある。
0836人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 05:37:09ID:1kHLneuA
頂点といっても、あくまで臣下、それも武家限定ですから
0837人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 06:31:50ID:iDFgZVB1
武家限定、ぷっ。
0838人間七七四年2008/06/29(日) 20:04:30ID:+zoqRxur
>>832
可能です。
以上。
はい次の方。
0839人間七七四年2008/06/30(月) 00:20:41ID:eVwVR/jo
豊臣創姓の発案者て特定されているんでしょうか?
近衛氏かな?
0840人間七七四年2008/07/03(木) 20:40:56ID:jGDAR4DX
秀吉→「関白になりたい!」とおねだり
家康→「将軍になりたい!」とおねだり
信長→「神様になりたい!」といって民に賽銭を投げさせる

朝廷「仕方ないか・・」としぶしぶ→秀吉
朝廷「無難なところか・・」と普通に→家康
朝廷「頼むから人間の職で我慢してくれ」と頼むが断られる→信長
0841人間七七四年2008/07/03(木) 21:22:59ID:mp/AS3jG
死後とはいえ、実際に神様になったのは家康
0842人間七七四年2008/07/06(日) 00:41:26ID:YQWdn2jZ
>信長→「神様になりたい!」といって民に賽銭を投げさせる
     ↓
信長→「神様ですから!」といって民に賽銭を投げさせる
0843人間七七四年2008/08/02(土) 14:38:16ID:T9B5UE//
秀吉も神になってるぞ。
0844人間七七四年2008/08/04(月) 19:23:22ID:eeqUwACI
家康も神になってるぞ。
0845人間七七四年2008/08/09(土) 21:00:25ID:lF80HRnv










                                ID:eeqUwACI








0846人間七七四年2008/08/10(日) 06:36:52ID:PuE9Z2py
神というのはそう言う意味じゃないだろ。現人神。

信長 → 急進改革派 「ええい、右大臣もなどいらん!おじゃるども辛気くさい、滅ぼしてしまえ!」
秀吉 → 修正派 「あーあ、殿何でも過激すぎw おりゃちょっとおとなしくするなも」
家康 → 保守派 「猿め、耄碌してわがままぶりがひどいわい。じゃあワシが天下取るには、人の
       和じゃな。宮家にも、とりあえずは手を付けんで置くか。」

家康を神にして、礼幣使を毎年来させ、一方禁中並公家書法度で制限はしたが、最終的に天皇制
廃止までに至らなかったのは、幕府というスタイルではやりにくかったんだろう。その点一代限りの
関白なら後に残らない。
0847人間七七四年2008/08/11(月) 19:13:37ID:f4yf1MJQ
>>846
記憶違いでなければ家康が遺言で神号申請を幕府に出させたような気がしたが。
0848人間七七四年2008/08/11(月) 22:51:35ID:SUDUxoY+
そそ、信長が神格化を目指したのは事実だろうが、秀吉はたぶん真似なんだろね。
信長の場合はキリスト教からの発想だっただろうし。

でも、家康ははっきり、「アマテラス」に対する「アズマテラス」を意識してた
形跡がある。
つまり鎖国で国内だけならば、自らを神格化すれば、かなり平和を築ける、というね。
それで260年持ったのだからすごいものなんだけど。

家康が天皇制に手をつけなかったのは、シンプルに、「一族の繁栄」が
最重要だったからでしょう。
今だってねぇ、竜馬と隆盛さえいなければ、政府には「徳川」がいっぱいいたかもしれないぞ。
0849人間七七四年2008/08/12(火) 10:15:40ID:oOMAKsS9
まあ企業城下町とかいうしなw

会社なんて藩と対してかわらんもん。

>>848
そうかもね。お家大事。
多分、情勢認識としては依然「徳川だけで武力再統一は相当無理」って認識が
あったんだと思うよ。天皇制を廃止すれば、自分が国家制度から何から全部
一元化する必要がある。そんなことは信長以外無理だろう。江戸時代は所詮
封建時代なんだよ。
0850人間七七四年2008/08/12(火) 10:26:06ID:OfOtI8Cm
ざっと、天皇制の危機というと、壬申、義満、信長、太平洋戦争、なんだろうが
家康の場合は、完全に支配化におくことに成功したのが良かった。
もちろん朝廷側も長い戦国の世で、存続さえ認めさせればあえてことはかまえ
たくなかったのだろうし。
ただ、ゴダイゴみたいな戦闘的な天皇があの時いたら
家康はどうしてたか。
ま、うまくやっただろうけどね。
0851人間七七四年2008/08/12(火) 20:46:49ID:efwPeqqa
壬申の乱は天皇制の危機じゃないだろ。
どっが勝ってても、古代王制の確立はある程度同じ路線を取ったはず。

古代史については非常に丁寧に見ていく必要がある。
欠史八代はともかく、祟神朝も、応神朝も、継体朝もそれぞれ別のもの
と考えないといけない。現行天皇制は、大嘗祭などの古いスタイルは残
しているが、政治的には大宝律令からが現行天皇制権力と見るべき。
0852人間七七四年2008/08/18(月) 00:02:27ID:yKzyEtvY
信長の時と同じで、家柄に関係なく朝廷から内々の任官伺いはあったと思うよ。

俺が思うに、ただ単に幕府とか形式張った組織が面倒臭かったんじゃね?(笑)

関白・太政大臣つっても秀吉が朝廷の議事や祭祀になんかまともに出仕してないだろ。茶会やったり花見やったりしたくらいで(笑)

会社にも居るよね。派手なスタンドプレーや人付き合いは達人級なのに形式張った場所になると変に目立とうとして空回りしちゃう人。
0853人間七七四年2008/08/22(金) 22:04:28ID:ty0WMJiJ
マジレスもなんだが、単に出自の問題とかじゃないのかな。

藤原家ってのは金で買えるような氏だからそっちのほうが簡単。
しかも将軍より格上だし。
0854人間七七四年2008/08/22(金) 22:32:17ID:011dBCGc
征夷大将軍よりも、関白の方が偉い。
足利将軍は在命中だし。

秀頼が関白を継いだが、ここで家康としては、身分は下でも征夷大将軍
となって実権を握る方が、適切だったのだろう。
0855人間七七四年2008/08/23(土) 18:18:57ID:e0u7mQwP
源氏も吉良から買えますぜ旦那、へっへっへ
0856人間七七四年2008/08/23(土) 21:01:39ID:PI4hdl4L
家康は武家の棟梁というある意味古い価値観を看板にしたわけだ。
結構しっくりいったんだが、保守的なのも確か。

その点、信長や秀吉の場合は三河の田舎者より遥かに近代的だから、
より上位の価値観を政治的に創造する必要性を感じていた。
ただ、秀吉は信長ほど革新的でなく、また朝廷権力さえ無碍には出来な
い諸勢力の糾合による天下だから、結果中途半端になってしまった。
まあ、ボケるのが早すぎたんだろうね。
0857人間七七四年2008/08/23(土) 23:47:30ID:SjHqWvLF
家康は吾妻鏡ヲタだったからだろ
0858人間七七四年2008/08/23(土) 23:56:40ID:/u8mBvC8
関白の席を空けておくことで豊臣家との衝突を避けたんだろ
1603年時点では実に現実的な判断だと思うが
0859人間七七四年2008/08/24(日) 20:04:08ID:xevbcsz/
>>858の意見に大賛成
0860人間七七四年2008/08/25(月) 23:37:42ID:xCZSzTYT
>>855
買えたかなー、一応向こうはきっちり正統で系図残ってるし、難しかったと思うが。
0861人間七七四年2008/08/25(月) 23:42:08ID:57A4j0Cm
経基や満仲の子供あたりの系譜じゃダメかい
さすがに胡散臭いかな
0862人間七七四年2008/08/25(月) 23:45:53ID:pVFsrCwO
秀吉はなりたかったんだけど、なれなかったんじゃないの?
0863人間七七四年2008/08/26(火) 02:18:05ID:Nj/Mdsoh
系譜なんてのはそれ自体が胡散臭いんだけど、源氏だけはしっかりしてる。
だもんで、源氏を名乗る、というのはそれなりに意味があることなんだよね。
だから、秀吉なんかは名乗りようがない、というところ。

家康が、足利の兄貴を祖としたことはそれなりにすごいことで、普通は
名乗りたくても出来ない。
さすがとしかいいようがない。
これをおかしな解釈してる人も多いようだが。

858に賛成なんだが、もっと積極的に「秀吉路線とは別方式にした」と
いうのを強調すべきだろうな。
0864人間七七四年2008/08/26(火) 05:21:20ID:SMLM+c49
藤原家がどこの馬の骨ともしらない人間に藤原家を名乗ってほしくないから天皇と組んで豊臣を新設したんだよ。
0865人間七七四年2008/08/26(火) 06:58:25ID:APOD8xtE
時々負け惜しみのように湧いてくるな
0866人間七七四年2008/08/27(水) 01:54:53ID:WxjRIwdj
マジレスもなんだが、源平藤橘、以来何百年ぶりかの新姓下賜なんて、ものすごいことなんだよ。
二代で消滅させた家康はさすがとしか言いようがない。
秀吉が藤原を名乗ってくれるなら、一族の中の下っ端、なんだから藤原からみたら
ありがたいぐらいなんだ。
0867人間七七四年2008/08/27(水) 07:06:02ID:XI13VxQX
家康が、源氏の家系だといいはじめたのは、征夷大将軍就任のときではなくて、
もっとはるか以前で、桶狭間の戦いが終わったころ。

「三河守」という位をもらおうとしたが、源氏や平氏の家柄出身でなくては
就くことができない決まりになっていた。
当時、松平姓だった家康は、家系図を「購入」して、もともとは松平でなくて
得川で、新田源氏の末裔なのだと、でっちあげた。
でもこれでOK!、と朝廷から三河守の称号を得た。
0868人間七七四年2008/08/27(水) 09:56:31ID:Gxkwa+nU
織田信秀は朝廷から三河守うけてるけど、織田家は平氏も源氏もなのっていないが
0869人間七七四年2008/08/27(水) 13:39:03ID:WxjRIwdj
信秀はどえりゃぁ寄付したもんで、そのおかげでもらったようなもんだからね。
つまり、家柄うんぬんというのは朝廷側の気分一つだったちゅうわけか、当時は。
0870人間七七四年2008/08/27(水) 19:37:25ID:MqljxpXn
そうなんか
織田は平氏だと思ってた
0871人間七七四年2008/08/27(水) 20:23:38ID:Gxkwa+nU
もとは忌部氏だったのか?
信秀のころは藤原氏を名乗っていた模様。信長が途中から平氏を名乗り始める。
0872人間七七四年2008/08/27(水) 22:54:34ID:S5eilfAv
元は忌部氏という説があるだけで、詳しいことは依然分かっていない
分かっているのは、どうやら越前時代から藤原姓を名乗っていたらしいこと
0873人間七七四年2008/08/28(木) 21:36:24ID:ynOpnTRn
>>867が間違いだらけなのに誰もつっこまないのが笑えた
0874人間七七四年2008/08/29(金) 16:11:34ID:pqWE5ZOS
スルーもできないなんて…
0875人間七七四年2008/08/29(金) 17:22:55ID:bhFSpqX3
文体からしてアレだから突っ込まなかったが
0876人間七七四年2008/08/29(金) 18:48:06ID:Ch1B1tQc
>>873-875←ばかどもが!。

歴史雑誌の徳川家康特集号で、
その中に書いてあったことをパクっただけだよ。
0877人間七七四年2008/08/29(金) 19:20:58ID:bhFSpqX3
歴史雑誌がアレなのかパクり方がアレだったのか
0878人間七七四年2008/08/29(金) 19:31:07ID:Ch1B1tQc
「もともとは松平でなくて 得川」は、
徳川の間違いだろバーカ。

とでも思っているのだろうか。
0879人間七七四年2008/08/29(金) 19:34:29ID:bhFSpqX3
すまん、真性だった。スルーするわw
0880人間七七四年2008/08/29(金) 19:37:01ID:NyKvyZ/D
もっとやってくれ。
0881人間七七四年2008/08/29(金) 19:49:57ID:Ch1B1tQc
正解は得川。

上野国新田郡得川郷の出身でのちに徳川になった、と
系図では一応説明されている。

>>879は真性のようだから、永遠にスルーしてろ!。w
0882人間七七四年2008/08/29(金) 19:54:50ID:NyKvyZ/D
>>881
どういう雑誌か知らないけど、新田源氏の末裔と言ったのは
さすがに桶狭間の後じゃないよね、そういうようにも取れる引用だし。
ちなみに桶狭間の時、家康は10代後半、まだまだ家系図なんていう時期でもないし。

・・つられたか・・
0883人間七七四年2008/08/29(金) 20:01:01ID:Ch1B1tQc
>>882は礼節をわきまえた学問熱心な人物だから(好評価!)、
雑誌の記述を調べとくわ。
0884人間七七四年2008/08/29(金) 20:03:19ID:bhFSpqX3
>>883
もちっと勉強してこいよw
0885人間七七四年2008/08/29(金) 20:10:48ID:Ch1B1tQc
>>884のbhFSpqX3 は、>>879で言ってたように
スルーするんじゃなかったのかよ。もうでてきたw
0886人間七七四年2008/08/29(金) 20:14:45ID:bhFSpqX3
>>885
お前みたいな真性ともっと遊びたいなと思って
我慢できずに出てきちゃったさww
0887人間七七四年2008/08/29(金) 20:26:12ID:NyKvyZ/D
>>883
歴史雑誌と言ってムーだとこわいから調べなくてもいい。
08888832008/08/29(金) 20:39:53ID:Ch1B1tQc
新・歴史群像シリーズ(12) 徳川家康

1566年(桶狭間合戦の6年後)、家康は松平から徳川に改める勅許を得て、徳川家康となった。
家康は、近衛前久らに賄賂を贈り、前久は万里小路家から系図を探し出し、このような偽系図をでっちあげた。

この系図では、新田義重の子で、上野国の得川郷を与えられ、得川を名乗ったが
のちに徳川という字を使うようになり、その子孫が諸国をまわる僧となって、
三河国の加茂郡松平郷に至って、そこで松平を名乗った。つまり、本当は松平でなく、徳川である、
という主張をしている。メリットは、清和源氏新田氏の末裔であるとアピールすることにあった。

なぜ、この時期に改姓しなければならなかったか?。
松平家康は、三河を統一した時点で「松平蔵人佐」という官位であった。三河の支配者として
「三河守」がほしくなったが、三河守の官職は源氏か平氏か藤原氏か橘氏でなければならず、
松平氏のままではだめだった。

祖父清康が、一時期、源氏新田の世良田氏を名乗ったこともあり、新田流に系図をつなげることを思いついたのであろう。
改姓の効果はすぐあらわれ、翌年(1567年)には、三河守に任官している。

以上、p44〜45の要点引用
0889人間七七四年2008/08/29(金) 20:49:09ID:bhFSpqX3
>>888
君の元レスと色々違う件

まぁそれは置いておいて、>>888に「万里小路家から〜」と書かれている通り
一気に源姓を名乗ったわけじゃなく、まず藤姓を名乗っている
家康が源姓を名乗り始めるのは、うろ覚えだが1588年頃じゃなかったっけ
0890人間七七四年2008/08/29(金) 20:57:29ID:NyKvyZ/D
>>888
やっぱり引用がおかしくないかな。
1566なんてまだ三河のあんちゃんで、上野国と結びつけるのは
後に江戸に本拠を置いたのと混同してないかな。
これだと、前久が見つけ出してくれたようだけど、実際は家康がさがしてきた
「得川」だろうし。

ほんで、新田源氏を名乗る、ということがどういう意味を持つかに
全く触れてないから、家康の偉大さに触れられない。

・・つられたか・・
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