何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0767人間七七四年
2008/03/17(月) 23:04:43ID:bB8OCTdQ関白になったのだからそれより下位の将軍職を兼任する必要が全くなかった
ただそれだけ
0768人間七七四年
2008/03/17(月) 23:15:06ID:ptstT8QR秀吉の一代限りって言っても新たに豊臣を賜ってるからそうなっただけで、
やろうと思えば秀吉流近衛家は作れた。
出自は関係ない、権力さえ握れれば名跡はいくらでも手に入る。
0769人間七七四年
2008/03/17(月) 23:18:14ID:26UtK51mがないのに系図の偽装を行なってたわけだ。
0770人間七七四年
2008/03/17(月) 23:22:57ID:ptstT8QR信長は系図の偽装をやった?
家康が系図を変えたのは今川から独立して徳川に名乗ったときじゃなかった?
それに、家康が系図を変えられたのも独立して朝廷に献金した結果だろう。
0771人間七七四年
2008/03/17(月) 23:36:27ID:bB8OCTdQでも秀次が継いだよ
0772人間七七四年
2008/03/17(月) 23:44:52ID:ptstT8QR0773人間七七四年
2008/03/17(月) 23:46:35ID:bB8OCTdQ0774人間七七四年
2008/03/17(月) 23:53:53ID:26UtK51mいちいちそこまで書かなきゃならんのか?
0775人間七七四年
2008/03/17(月) 23:55:35ID:bB8OCTdQでも秀次が継いだんだから何でもありだよ
豊臣姓をもらった人もたくさんいるし
0776人間七七四年
2008/03/17(月) 23:58:36ID:26UtK51m0778人間七七四年
2008/03/18(火) 00:58:13ID:4ZTQELf90779人間七七四年
2008/03/18(火) 01:08:12ID:sf8PWvPv0781人間七七四年
2008/03/18(火) 01:28:20ID:rkrC3iyg織豊政権の時代までは朝廷>幕府、関白>将軍だったんだろう
朝廷、関白が低く見られたのは江戸期幕府の朝廷抑制策によるもの。
それすらわからないじゃここに来る資格はないな。
0782人間七七四年
2008/03/18(火) 03:21:00ID:4ZTQELf9ふるってたんだあ、それはそれは無知ですまなかった、教科書にはその頃の将軍
は載ってても関白は載ってないのはなぜなんだろう?きっと作った人がバカ
だったんだね。
0783人間七七四年
2008/03/18(火) 03:41:58ID:Z+qpmnNyなぜ「実権」とか「権限」という話に固執するんだ?
さんざん前述されているが、秀吉は当代一の実力者だったんだから、実権とか権限よりは「格上」か「格下」の問題なんだよ。
0784人間七七四年
2008/03/18(火) 03:50:39ID:NpRFx4hQしかしそれと実権やらなんやらとは別の話。
そもそもそんな話をしたら、一番は天皇になるわな。
現実に統治をするにはパワーが必要で、それは自前でどうにかしなければならない。
しかしそのパワーを公的に正統性のあるものにするには様々な手段がある。
秀吉はその手段として関白をつかった。家康は征夷大将軍だった。ただそれだけの違いだ。
0785人間七七四年
2008/03/18(火) 03:56:39ID:4ZTQELf9当代一の実力者だから望めば何にでもなれるってことか?
それってもろゲームじゃんww、豊臣姓は万能ってか、それどこで出してるの?
コーエー?セガ?タイトー?
0786人間七七四年
2008/03/18(火) 09:35:47ID:rkrC3iyg>権限の話など一度もしてないが…
>>782をもう一度読み直せ。
言ったこと5分も経たないうちに忘れるタイプなのか?
>当代一の実力者だから望めば何にでもなれるってことか?
天皇以外はほぼ可能。
平清盛が武家で初めて太政大臣になれた、鎌倉幕府は実力で上皇を流刑にして朝廷の権限を制限した。
足利義満は武家ではじめて源氏長者になって太上天皇の称号を贈られ、秀吉は平民の出にもかかわらず豊臣を姓を賜り関白になった。
デカイ面をした無知が恥をさらす前に謙虚に聞くか調べるのが先だろうがこのゲーム脳。
0787人間七七四年
2008/03/18(火) 10:10:46ID:EBs3/jT8関白はもちろん将軍も世襲じゃないよ
官位である以上代替りのたび朝廷からもらわなければいけない。
そもそも将軍職自体は臨時職
0788人間七七四年
2008/03/18(火) 12:51:08ID:4ZTQELf9>ほぼなれるって… 清盛や義満は天皇の末裔、秀吉は形式的には五摂家の人間
として関白になったということがまだわからんのか、これだからゲーム脳は…
0789人間七七四年
2008/03/18(火) 13:10:08ID:rATjsR6N>鎌倉、室町時代政治の実権は朝廷が握っていて関白が権勢をふるってたんだあ
これは権限ではないならなんだろうね。
秀吉は近衛家の人間としてなっただけ、その後関白豊臣秀吉になってる。
秀次に至っては摂関家ではなく藤原秀吉でもなく豊臣秀吉の養子として関白になった。
あと清盛は天皇の末裔とか的外れにもほどがある。
いくら平安時代末期とはいえ、公家の僕である侍でしかない武家が殿上人になれただけで大出世の時代。
公家の中でも道長につながる家系がほぼ独占してた太政大臣に公家の僕である武家がなれたのに、
天皇の末裔だとか意味不明な事言い出してる。
「ボクの考え」に拘りすぎたため事実をもねじ曲げたり無視するタイプか。
0790人間七七四年
2008/03/18(火) 16:53:34ID:FPjAc4Bk官位一覧
ttp://maruyuki.hp.infoseek.co.jp/gamedata/ranseiki/kanni.htm
これを見れば正一位の関白が最高位である事が分かるはず
しかも将軍職がどこにもない
信長は、朝廷が信長を将軍に推挙するために正二位を送られているが
これは右大臣・左大臣クラスね
将軍職は右大臣クラスの非公式の官職なんだよ
0791人間七七四年
2008/03/18(火) 17:22:48ID:GVo9Uvcg本気で 将軍>関白 なんて
考えているヤツはいないよな
0792人間七七四年
2008/03/18(火) 17:53:02ID:rATjsR6N引用先がノブヤボじゃまずいだろう。
律令制の官位一覧はこっち
http://www109.sakura.ne.jp/~kuge/kani.htm
関白は令外官だから律令制の官に当たらないが、天皇の代理人として百官の最高位にあるから正一位に準ずる。
で、征夷大将軍も令外官。元々は東国征伐の臨時司令官だが、自らの司令部を持てるから朝廷に干渉されない武家政権作りに使われた。
律令制の正式将軍職の最高位は近衛大将。この職を大臣、大納言が兼任することが多いからそのクラスだろう。
臨時司令官である征夷大将軍と天皇の代理人である関白はどっちが格上なのか比べるまでもない。
ちなみに臨時職じゃまずいと思ったのか徳川幕府の将軍が代々近衛大将を任官されてる。
0793人間七七四年
2008/03/18(火) 17:53:59ID:4ZTQELf9そう単純じゃないと思ってる人がいるからこのスレがあるわけだろ?
0794人間七七四年
2008/03/18(火) 18:20:34ID:rATjsR6Nこのスレでもすでに「関白になれたのだからあえて下位である将軍になる必要は無い」という結論が出てたんだろう。
そう思わず秀吉の出自に問題があるから将軍になれないと主張するのは今の所アンタだけだけど。
0795人間七七四年
2008/03/18(火) 18:24:47ID:2/Cbbbkq江戸幕府になって、慣例的に従二位が贈られるようになった(在位期間にもよるが)んで、
従二位程度まで地位向上してるけども。
0796人間七七四年
2008/03/20(木) 08:15:30ID:OPocN0QK位は上でも役職はまた別の話だろうし。
0797人間七七四年
2008/03/20(木) 11:41:52ID:9gBCOpGD今でいうと首相が方面隊の総監兼務してるようなおかしいもんだし。
0798人間七七四年
2008/03/20(木) 14:27:31ID:kOSlERraんだが…、
臨時職、つまり緊急時に置かれるわけだから権限を集中させる必要があるのでは
ないのかな?
0799人間七七四年
2008/03/20(木) 15:06:26ID:9gBCOpGD関白は令外官だけど太政大臣は大宝律令の以前からある最高の官位だぞ。
あと、臨時職つーかもともと東夷討伐のための臨時ポストだから、
第二次大戦のヨーロッパ方面司令官、湾岸戦争の時の多国籍軍総司令官みたいなもの。
あくまでも軍の司令官だから、京ではない場所で自前の司令部を設置できる点として武家政権作りにうってつけだけど、
臨時職ゆえの弱さもあるから、江戸幕府はもちろん、室町幕府から頼朝の幕府まで保険として律令制の官位を持ってる。
ちなみに令外官の意味は律令制の不足を補うために作られた官職であって非常勤の意味じゃない。
0800人間七七四年
2008/03/20(木) 20:03:31ID:lxxxwFIzあえて征夷大将軍になる必要性が皆無ですな
0801人間七七四年
2008/03/20(木) 21:49:26ID:D39z5zc5豊家との関係を断ち切る必要性がある徳川家は、将軍を取る必要性があったといえるし。
0802人間七七四年
2008/03/20(木) 22:18:26ID:9gBCOpGD出自、家柄、主君への忠義を重視する幕府が主家を滅ぼした家康に正当性を与えるために
「豊臣家は出自も家柄も徳川家の下だから滅ぼされて当然」を唱えるしかない。
0803人間七七四年
2008/03/20(木) 22:36:05ID:lQiv0nxx将軍>関白
の図式を定着させようとしてたし
0804人間七七四年
2008/03/21(金) 00:21:49ID:GLRrrgJ5http://www.hairyfaces.com/watersports/HF_watersports022.jpg
飲尿将軍…
0805人間七七四年
2008/03/21(金) 02:50:56ID:K4eAUIYq少なくとも家康は豊臣家を一大名として残そうとしていた。
豊臣家も大名として残ろうとしていた節があって
秀頼は右大臣とかの官職を朝廷に返上したりもしている。
0806人間七七四年
2008/03/21(金) 07:57:35ID:GLRrrgJ5ぶっかけ将軍…
0808人間七七四年
2008/03/21(金) 10:07:27ID:Tq9UIey2「関白」という任についた場合、
秀頼に位を返上しなければならない
という論理が成立しかねないため。
諸大名を有無を言わさず従わすには、豊家からの独立性が必要で。
その意味で関係を断ち切る必要性がある。
言わば、豊家との連続性の否定。
0809人間七七四年
2008/03/21(金) 10:14:30ID:lvXC4ug50810人間七七四年
2008/03/21(金) 12:00:35ID:t9z1z3GB縁起悪いし。
0811人間七七四年
2008/03/21(金) 12:56:45ID:Tq9UIey2また、政権確立のためにその戦略上で 五摂家に摂関家の地位を戻しておいて
「じゃ、豊家潰れたから」ってまた取り上げるのはどうか、って問題が・・・。
そもそも、将軍就任によって目的自体は達せられてるから
関白になる必要性があるのか?
というか、>>809の意見だと、関白にならなきゃいけないと聞こえるが、
ならなきゃいけないのか?
0812人間七七四年
2008/03/21(金) 19:02:21ID:6eRyb4Nv法律が一番偉い、天皇も朝廷も将軍家も幕府も大名も法律の下
という倫理を構築した
0813人間七七四年
2008/03/21(金) 19:58:37ID:2ym6Yhgv0814人間七七四年
2008/03/21(金) 20:44:07ID:Tq9UIey2「ならなくてもいいように」ってどういうことだ?
関白・将軍に関わらず、秀吉や家康がその任についた時に、
結果的に得たものは、諸大名に号令する名目的立場でしょ。
武家組織と公家組織はあくまで別の団体であって、それは秀吉の時にだって言える話では?
関白になった結果、公家が武家の統制下に入ったような話は聞いた事が無いぞ。
秀吉は公家から官位を横取りした。代わりに経済を保障した。
家康は公家内部の問題に介入した。
ってのが多分事実だと思うんだけど、どうよ?
0815人間七七四年
2008/03/21(金) 22:34:15ID:Xd4T1+F8朝廷と幕府の力の差があるしな
0816人間七七四年
2008/03/22(土) 00:06:51ID:hqnS/xnKクマ将軍…
0817人間七七四年
2008/03/22(土) 00:33:39ID:38SwS6gg秀吉の時と家康の時とでは時代が違う
徳川幕府が唯一の超大国として全国の大名を統制できた背景には
「せっかく平和になろうとしてるのに、
個人のわがままでこれ以上戦争を起こすのはダサい、戦争やめようぜ」
という空気があったから(作った)から
0818人間七七四年
2008/03/22(土) 00:34:50ID:Ix1KBvfY拉致レイプ人殺し最悪殺人鬼
0819人間七七四年
2008/03/22(土) 20:01:25ID:JN+hsz0aすまん、文章が理解し辛いんだが・・・、
まず、「せっかく平和になろうとしているのに」って何?
そうなの? 武家諸法度で武芸に励めって書いてあるのは何故?
次に「個人の我儘で戦争を起こすのはダサい」って何?
そもそも「個人」という言葉は、江戸時代にはないぞ。江戸時代にあるのは「公」だけだろ。
結城秀康も将軍職に野望があった事は有名だし、慶安事件は何だったの?
あと、仮に文章に筋が通っていたとしても、その結論から導き出されるのは、
武家諸法度だけであって、禁中並公家諸法度を作る必要性はないだろ。
公家には最初から武力が無いんだから。
0820人間七七四年
2008/03/22(土) 21:29:06ID:7dBWfycz0821人間七七四年
2008/03/22(土) 21:53:30ID:6XTF9hFN放っておけ
0822人間七七四年
2008/03/27(木) 22:40:18ID:fgBNrprI498 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/03/27(木) 22:36:00 ID:RLbpmx8t
>>493
長久手の迂回策は秀吉自身の策だし、池田恒興は特にミスはしてない
したのは家康の動向に全く気づかなかった秀吉と一撃で壊滅した秀次
だってさ
0823人間七七四年
2008/05/01(木) 02:18:41ID:QpPULuId0824人間七七四年
2008/05/22(木) 00:23:47ID:201yXfgE足利義昭将軍が健在であったからです!
家康が将軍になれたのは健在でなかったからです。
0825人間七七四年
2008/05/22(木) 00:38:24ID:S3MQiAiUそれっぽい資料とか無いのか?
0827人間七七四年
2008/05/27(火) 17:08:17ID:VTCLfxZR0828人間七七四年
2008/05/27(火) 19:59:12ID:g0d+fbuM所詮、信長は右大臣止まり
0829人間七七四年
2008/05/28(水) 00:35:04ID:HP74U252左大臣よりも。
0830人間七七四年
2008/05/28(水) 14:55:50ID:8KeC/lKX大分下がるけど
0831人間七七四年
2008/05/29(木) 01:58:34ID:A1N9r9qc同格に考えるべきでないならどう考えるべきか
0832人間七七四年
2008/05/30(金) 18:49:35ID:pVXAj9G5宇治の悪左府とかいいじゃん
0833人間七七四年
2008/05/30(金) 20:02:09ID:bbGf3/hx秀吉は朝廷の官位制度を活用した統治形態をとっており、独自の幕府を築くちもりがなかったんだと思われ
五大老は病床についてからの晩年だからね
0834人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 15:33:20ID:ONITAO9S秀吉のおかげなのか
信長のおかげなのか
さあどちらなのか本当に気になるところだ
0835人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 16:59:31ID:lIQeo1Cbということ、はたしてこれが認められるのか?
天皇家と縁もゆかりもない人間が頂点に立つということは革命であり、天皇家
存続の危機でもある。
0836人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 05:37:09ID:1kHLneuA0837人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 06:31:50ID:iDFgZVB10839人間七七四年
2008/06/30(月) 00:20:41ID:eVwVR/jo近衛氏かな?
0840人間七七四年
2008/07/03(木) 20:40:56ID:jGDAR4DX家康→「将軍になりたい!」とおねだり
信長→「神様になりたい!」といって民に賽銭を投げさせる
朝廷「仕方ないか・・」としぶしぶ→秀吉
朝廷「無難なところか・・」と普通に→家康
朝廷「頼むから人間の職で我慢してくれ」と頼むが断られる→信長
0841人間七七四年
2008/07/03(木) 21:22:59ID:mp/AS3jG0842人間七七四年
2008/07/06(日) 00:41:26ID:YQWdn2jZ↓
信長→「神様ですから!」といって民に賽銭を投げさせる
0843人間七七四年
2008/08/02(土) 14:38:16ID:T9B5UE//0844人間七七四年
2008/08/04(月) 19:23:22ID:eeqUwACI0845人間七七四年
2008/08/09(土) 21:00:25ID:lF80HRnvID:eeqUwACI
0846人間七七四年
2008/08/10(日) 06:36:52ID:PuE9Z2py信長 → 急進改革派 「ええい、右大臣もなどいらん!おじゃるども辛気くさい、滅ぼしてしまえ!」
秀吉 → 修正派 「あーあ、殿何でも過激すぎw おりゃちょっとおとなしくするなも」
家康 → 保守派 「猿め、耄碌してわがままぶりがひどいわい。じゃあワシが天下取るには、人の
和じゃな。宮家にも、とりあえずは手を付けんで置くか。」
家康を神にして、礼幣使を毎年来させ、一方禁中並公家書法度で制限はしたが、最終的に天皇制
廃止までに至らなかったのは、幕府というスタイルではやりにくかったんだろう。その点一代限りの
関白なら後に残らない。
0848人間七七四年
2008/08/11(月) 22:51:35ID:SUDUxoY+信長の場合はキリスト教からの発想だっただろうし。
でも、家康ははっきり、「アマテラス」に対する「アズマテラス」を意識してた
形跡がある。
つまり鎖国で国内だけならば、自らを神格化すれば、かなり平和を築ける、というね。
それで260年持ったのだからすごいものなんだけど。
家康が天皇制に手をつけなかったのは、シンプルに、「一族の繁栄」が
最重要だったからでしょう。
今だってねぇ、竜馬と隆盛さえいなければ、政府には「徳川」がいっぱいいたかもしれないぞ。
0849人間七七四年
2008/08/12(火) 10:15:40ID:oOMAKsS9会社なんて藩と対してかわらんもん。
>>848
そうかもね。お家大事。
多分、情勢認識としては依然「徳川だけで武力再統一は相当無理」って認識が
あったんだと思うよ。天皇制を廃止すれば、自分が国家制度から何から全部
一元化する必要がある。そんなことは信長以外無理だろう。江戸時代は所詮
封建時代なんだよ。
0850人間七七四年
2008/08/12(火) 10:26:06ID:OfOtI8Cm家康の場合は、完全に支配化におくことに成功したのが良かった。
もちろん朝廷側も長い戦国の世で、存続さえ認めさせればあえてことはかまえ
たくなかったのだろうし。
ただ、ゴダイゴみたいな戦闘的な天皇があの時いたら
家康はどうしてたか。
ま、うまくやっただろうけどね。
0851人間七七四年
2008/08/12(火) 20:46:49ID:efwPeqqaどっが勝ってても、古代王制の確立はある程度同じ路線を取ったはず。
古代史については非常に丁寧に見ていく必要がある。
欠史八代はともかく、祟神朝も、応神朝も、継体朝もそれぞれ別のもの
と考えないといけない。現行天皇制は、大嘗祭などの古いスタイルは残
しているが、政治的には大宝律令からが現行天皇制権力と見るべき。
0852人間七七四年
2008/08/18(月) 00:02:27ID:yKzyEtvY俺が思うに、ただ単に幕府とか形式張った組織が面倒臭かったんじゃね?(笑)
関白・太政大臣つっても秀吉が朝廷の議事や祭祀になんかまともに出仕してないだろ。茶会やったり花見やったりしたくらいで(笑)
会社にも居るよね。派手なスタンドプレーや人付き合いは達人級なのに形式張った場所になると変に目立とうとして空回りしちゃう人。
0853人間七七四年
2008/08/22(金) 22:04:28ID:ty0WMJiJ藤原家ってのは金で買えるような氏だからそっちのほうが簡単。
しかも将軍より格上だし。
0854人間七七四年
2008/08/22(金) 22:32:17ID:011dBCGc足利将軍は在命中だし。
秀頼が関白を継いだが、ここで家康としては、身分は下でも征夷大将軍
となって実権を握る方が、適切だったのだろう。
0855人間七七四年
2008/08/23(土) 18:18:57ID:e0u7mQwP0856人間七七四年
2008/08/23(土) 21:01:39ID:PI4hdl4L結構しっくりいったんだが、保守的なのも確か。
その点、信長や秀吉の場合は三河の田舎者より遥かに近代的だから、
より上位の価値観を政治的に創造する必要性を感じていた。
ただ、秀吉は信長ほど革新的でなく、また朝廷権力さえ無碍には出来な
い諸勢力の糾合による天下だから、結果中途半端になってしまった。
まあ、ボケるのが早すぎたんだろうね。
0857人間七七四年
2008/08/23(土) 23:47:30ID:SjHqWvLF0858人間七七四年
2008/08/23(土) 23:56:40ID:/u8mBvC81603年時点では実に現実的な判断だと思うが
0859人間七七四年
2008/08/24(日) 20:04:08ID:xevbcsz/0860人間七七四年
2008/08/25(月) 23:37:42ID:xCZSzTYT買えたかなー、一応向こうはきっちり正統で系図残ってるし、難しかったと思うが。
0861人間七七四年
2008/08/25(月) 23:42:08ID:57A4j0Cmさすがに胡散臭いかな
0862人間七七四年
2008/08/25(月) 23:45:53ID:pVFsrCwO0863人間七七四年
2008/08/26(火) 02:18:05ID:Nj/Mdsohだもんで、源氏を名乗る、というのはそれなりに意味があることなんだよね。
だから、秀吉なんかは名乗りようがない、というところ。
家康が、足利の兄貴を祖としたことはそれなりにすごいことで、普通は
名乗りたくても出来ない。
さすがとしかいいようがない。
これをおかしな解釈してる人も多いようだが。
858に賛成なんだが、もっと積極的に「秀吉路線とは別方式にした」と
いうのを強調すべきだろうな。
0864人間七七四年
2008/08/26(火) 05:21:20ID:SMLM+c490865人間七七四年
2008/08/26(火) 06:58:25ID:APOD8xtE0866人間七七四年
2008/08/27(水) 01:54:53ID:WxjRIwdj二代で消滅させた家康はさすがとしか言いようがない。
秀吉が藤原を名乗ってくれるなら、一族の中の下っ端、なんだから藤原からみたら
ありがたいぐらいなんだ。
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