何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0678人間七七四年
2008/02/03(日) 14:01:02ID:ArHNQTO2>時期将軍のために義尋を囲ってたんだろうと
で、実際に信長は義尋を将軍に就任させたんですか?
>>676
七代義勝は九歳
八代義政は八歳で将軍に選出(正式な就任は十四歳だが)
九代義尚は九歳
十三代義輝は十一歳
0679人間七七四年
2008/02/03(日) 15:31:05ID:HEHcSsUXほかにいたのか?
>>678
>>673
>本能寺とかあのあたりになれば、もう朝廷のほうを重視して、幕府は軽視してるが、少なくとも義昭追放の頃なら重視してるでしょ
就任時期は聞いてない
関東公方にも幼くして就任したのはいる
が、その発行文書は管領の名前で発行されてる
つまり、ある程度の年齢にならねば公方としての実質が伴わないということ
0680人間七七四年
2008/02/03(日) 16:06:54ID:VOfShVba足利市の一門がもう誰もいないなんて事はないと思うけどね。
そして何を根拠に「義昭追放の頃なら重視してる」といえるの?
その時に重視していたなら、まさにその時に代わりの将軍を立てるのが当然だろうに。
それから、権威を利用する為なら、公方としての実質など伴わない方がむしろ好都合でしょう。
あなたの言っていることはいろいろと破綻していますよ。
0681人間七七四年
2008/02/03(日) 16:28:22ID:36G1xf9b足利義昭を解任も殺害もしないで追放するような事は考えられない。
解任した上で追放し、すぐに次の将軍を擁立しなければならない。
そうしないで放逐したのは、天下統一を主目的とした織田家の外交に
足利将軍はもはや必要ないと判断したから。
実際に足利義昭追放後に「将軍がいなくて不都合が起きた」という話はない。
0682人間七七四年
2008/02/03(日) 16:42:11ID:9ZXwuqd7嫡流である義昭の息子に勝る候補っているのか?
実質をともなわない将軍が理想的というならば義昭などうってつけなのでは?
人質はとっているし、京にいない、下手に新しい将軍をたてたら厄介、
それなりに敬意を表さなけるばならないし、第二の義昭になりかねない。
0683人間七七四年
2008/02/03(日) 19:45:48ID:ArHNQTO2だからその理想的な義昭を、どうして信長は追放したんだ?
帰洛交渉だって蹴ったしな。もし信長がどうしても義昭の身柄が欲しかったのなら、
義昭の人質要求だって呑んだだろうよ。
0684人間七七四年
2008/02/03(日) 19:49:32ID:HEHcSsUX一門が誰もいないとは思わないぞ
そんな屁理屈もとめてるんじゃない
将軍に据えるにふさわしい血筋の人間が果たしているのかどうかってことだろ
関東公方はおそらく一番の良血だろうが、将軍としてふさわしいかとなると別だろ
義昭が織田と袂をわかって毛利に行こうとしてるときに「帰って濃いよ」と、織田から言ってる
何よりの証
それから文章読んでる?
将軍に据えるにふさわしい人間が見当たらないから嫡子を後生大事に確保してるんだろう
公方をどういう意味で用いるのか→支持を得るため→支持を得るために強引な手法は取れない→実質の伴わない、明らかに傀儡とわかるような存在を無理やりに将軍に据えたら反発が予想される、しかも該当する血筋のものがいない
>>681
重視してるから将軍を殺せないんだろう
北条が関東公方に養子すら送り込めなかったように
0686人間七七四年
2008/02/03(日) 20:55:06ID:Rf65IK+N室町幕府の権威を利用できるタマは握っていたろう。幕府なんか義昭なしでも
いつでも再興できる地位にいたんじゃないの、信長は。
0689人間七七四年
2008/02/03(日) 22:45:04ID:ArHNQTO2現実に、義昭追放後に成立した織田政権は足利の権威をまったく使わずに運営され、
それでまったく障害もなかった。
信長の諸大名の統制、また地方の大名への介入はすべて信長自身の名前で行われている。
足利やら幕府やらの権威はまったく出てこない。そして人質の嫡子はまったく放置。
後北条氏のように政略に名前を使うというような利用もしていない。
これで、信長はまだ足利将軍の権威を必要としたとか、嫡子を大事に抱えていたとか
妄想としか言えないんだが。
0690人間七七四年
2008/02/03(日) 23:10:48ID:VOfShVbaだから、実際義昭をそのままにして新たな将軍なんて立てていないでしょう。
つまり、その時点で信長は、自身と対立した義昭に対抗する権威としての、
新たな将軍の必要性なんて感じてはいなかったということ。
>>684
あのさ、そもそも足利将軍の存在が支持を得るのにそんなに必要なものだったなら、
現将軍と真っ向から対立し戦火を交えた段階で、
信長は多くの支持を失い、もっと大変なことになっていたと思わないかい?
0691人間七七四年
2008/02/03(日) 23:13:47ID:HEHcSsUXだから、使いたくても使えない状況だったでしょ
義昭は手元に無い、嫡子はまだ幼くて将軍には据えられない
これでどうやって幕府の名前を持ち出すのかと
そこで朝廷に切り替えた
しかし、将軍の重要性は認識していたので、人質兼将来の将軍候補は手元においておく
本当に必要としていないなら、追放なりなんなりするよね
>>686で思い出したけど、斯波を尾張統一の過程では利用して、終了したら追放してるように
何回もいってるけど、大義名分を持ち出す最大の理由は、支持を得るため
強引な手法でやったら反感を煽ることはあっても、支持を得ることは無い
別枠で質問なんだけど
1、将軍の権威は残存してた?残存して無いならどの時点で消失した?
2、朝廷の権威は残存してた?残存してないならどの時点で消失した?
0692人間七七四年
2008/02/03(日) 23:23:06ID:HEHcSsUXこっちの質問にも答えてもらいたいものだが
次は答えてね
結論から言うと、思わない
武田は信濃から小笠原を放逐し、今川も遠江から守護を追い、北条は武蔵、上野から守護・管領を追い、長尾は守護と戦い無力化し
と、全国で権威保持者を実力で排除してる
しかし、いずれも(北条は関東公方だけど)守護職を求め、就任し、或いは統治にその権威を利用してる
当時の戦国大名は守護公権を吸収して、統治をしていったというのは普通の理解
翻って織田の場合
きわめて長尾の例と似ているから、暇があれば長尾為影の時代から影虎の越後の領国支配と変遷について調べてみるといい
0693人間七七四年
2008/02/03(日) 23:24:42ID:HEHcSsUXお休み
eoが規制されてなけりゃレスするよ
0694人間七七四年
2008/02/03(日) 23:26:51ID:97WsSrTY平島公方家くらいじゃないかな
関東の足利一門を擁するのは無理ではなかったにしても
現実的ではない品
0695人間七七四年
2008/02/03(日) 23:27:30ID:ArHNQTO2だから、将軍権威が必要なら義昭をどうして追放したのか?帰洛交渉を打ち切ったのか?
>これでどうやって幕府の名前を持ち出すのかと
そう、すでに言っているが、幕府の名前を持ち出さずに織田政権は運営されている。
>将軍の重要性は認識していたので、人質兼将来の将軍候補は手元においておく
本当に必要としていないなら、追放なりなんなりするよね
だから、現将軍の義昭は追放しているだろう。自分で自分の主張を否定することを
言っているって自覚してます?
人質というのは、預かった以上はそれなりに保護する義務があります。自分に逆らったり
しない限りはね。斯波氏の息子も、反乱を企んだという理由で追放している。そして
追放したのは企んだ当人だけで、他の兄弟はそのまま家中にとどめている。
あるいは反乱云々は口実かもしれないが、人質なり客なりを追放するにはそれなりの
正統な理由が必要とされたということだ。
>そこで朝廷に切り替えた
信長が朝廷と結びついたのは、実は義昭を奉じて上洛する以前から。
0696人間七七四年
2008/02/03(日) 23:30:14ID:VOfShVba本当に使いたくても使えない状況だったなら、その状況でも義昭と対立した段階で、
使えなくなっても良いと判断していたってことになると思うが?
もしも、足利将軍の権威がどうしても必要である、
そしてその点で義昭に代わりになるような存在は他にはいない。
ということが前提だったなら、
では、今の段階で義昭と対立することは出来ない。という結論になるのだから。
0697中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/02/03(日) 23:37:14ID:YxnoXvcZ義昭の権威を利用して波多野や若狭武田を呼びつけた件は何だったんだ?
志賀・堅田の戦いで義昭の調停を仰いだのは何だったんだ?
義昭の御内書の副状に信長の署名を付けたのは何だったんだ?
冗談も休み休み言え
0698人間七七四年
2008/02/03(日) 23:45:54ID:ArHNQTO2地方大名は、敵対者に対して正当性を保持するために、将軍権威を利用した。
信長は、その将軍権威を否定、乗り越える為に早い時期から朝廷と結びついて、
その権威を利用して(公的政権としての)足利幕府を消滅させた。
>>691
>1、将軍の権威は残存してた?残存して無いならどの時点で消失した?
個人的な見解だが、長慶以前と以後で大きな変化があったと考える。
それまでは、足利将軍が公権力の担い手と認知されていた。どれほど足利家自体が
没落し弱体化しても、実質政権運営を担った実力者たちは自己の正当性を証明する
手段として足利将軍の権威を必要とした。応仁後の細川政権にしろ、大内にしろ、
あくまで将軍の代行として自分が権力を振るうという立場をとった。
ところが長慶の三好政権は、将軍権威を使わずに成立し運営された。それは時期は
短く、最終的には和解して、かつての将軍の下での執行者という体制に戻ったが、
この政権がとにもかくにも現実に誕生したために、
・公権力となるのに足利将軍は必ずしも必要ではなく、なくても当人に実力があれば
なんとかなってしまう。
という事実が確立され、さらに周囲に認識されてしまった。
砕いて言うと、「なくてはならない」から「あれば便利だけどなくてもそれなりに」という
程度に落とされてしまった。これが決定的な契機だったと思う。
その後、義輝が殺されると、義栄が就任するまで三年以上将軍は不在。
0699人間七七四年
2008/02/03(日) 23:46:34ID:VOfShVba義昭が信長と対立して京を離れた時点ではって話。
>>692
一番肝心の、「何を根拠に義昭追放の頃なら足利将軍の権威を重視してるといえるのか」
には全く答えて貰っていないわけだが?
とりあえず、将軍と朝廷の権威なら、どちらも存在していた、
しかし、将軍の権威は追放されたり暗殺されたりで下がり、義昭が京を離れた段階では、
信長にとってもはやどうしても必要なものではなくなっていたってところでしょう。
0700人間七七四年
2008/02/04(月) 00:09:57ID:d3PsvH3K短く、最終的には和解して、かつての将軍の下での執行者という体制に戻ったが、
>この政権がとにもかくにも現実に誕生したために、
>・公権力となるのに足利将軍は必ずしも必要ではなく、なくても当人に実力があれば
なんとかなってしまう。
>という事実が確立され、さらに周囲に認識されてしまった。
これなんて今谷明!
0701人間七七四年
2008/02/04(月) 17:00:56ID:Jvt2dnkR将軍追放したのは対立したからでしょ
同じ文章の中で矛盾起こしてない?
将軍権威が必要じゃないなら、帰って来いという交渉すら必要ないでしょ?
織田政権が幕府の名前持ち出さずに運営されてるから何?
反論してるつもりになってるのかしらないけど、それ以外に方法が無いといってるのよ、こっちは
それ以上の意味を見出そうとしてるのがあんたなの
つまり、織田信長が「意図的」に将軍の名前を持ち出さなかったということを説明しなきゃ反論として不満足じゃないかな?
だから、将軍とは何度も対立してるからさ…
自分の意志に沿わない、しかも統治の障害になるような存在を囲っとくわけ無いでしょ
だから、子供を確保して、次期将軍を傀儡にしようとしたということ
それでも義昭に未練があっての帰って来いよという交渉
ところでさ、斯波は反乱を企てたとして追放したんだよね
将軍もさ、反乱を(こっちは実際に、でも将軍が反乱ってものヘンだが)起こしてるわけで、追放せざるを得ないよね
逆に言えばさ、追放するにたる正統な理由があるのに、追放しなければそれは織田が軽んじられるってことよね
朝廷に切り替えたってのは、権威の保証者としての存在をって事ね
>>696
戦国大名の本質は領土拡大
それを遂行する過程で、権威者と対立するのはよくある話
例に挙げたけど、長尾なんかは守護と対立したけど、その後の統治には守護の名前持ち出してるでしょ
義昭と対立しなけりゃ、そりゃ織田が衰退するだけ
どこの大名もそうだけど、守護公権を吸収して統治に利用してるって書かなかったかな、覚えてないけど
北条も関東公方と対立したけど、結局取り込んでいったでしょ
0702人間七七四年
2008/02/04(月) 17:02:08ID:Jvt2dnkR早い時期っていつよ?
お、こりゃどうも
できれば2についても答え貰いたいんだけど
それからさ、新たに質問追加
3、権威と権力の違いとは
>>699
いや、ちゃんと答えてるでしょ
答えてるというか、反論してるでしょ
不安になって確認しちゃったよ
あんたは将軍を重視してたなら、代わりの公方を立てたとしてる
でも、こっちはその代わりの公方たるべき人間がいないといってる
立てる公方がいなくて、代わりの公方を立てられないのに、公方を擁立しなかったから重視してなかったという論理はズレてるでしょ?
でさ、今度こそ答えてね
まともな議論を望む姿勢とは思えないよ
あえて質問明示しとくと
将軍に据えるにふさわしい血統の人間が存在したのか
これはでも、あんたの質問に対する回答にもなっちゃうのよね
0703人間七七四年
2008/02/04(月) 17:03:24ID:7Fv6f/eP0704人間七七四年
2008/02/04(月) 17:08:12ID:mFqWtZjLその信長自身の名前で出された書状は幕府の形式にそったものじゃなかった?
秀吉も関白に就任するまではその形式をとっていたんじゃなかったっけ?
0705人間七七四年
2008/02/04(月) 18:43:15ID:wx7GECBm>子供を確保して、次期将軍を傀儡
これの証明は?信長には、彼を時期将軍にしようという動きがいっさいないのだが。
例えば足利義政のように、幼少であっても「時期将軍に選出」という形で時期将軍だと
確定するやり方もある。義政は正式に将軍に任官するまでの数年間を、この身分で
すごし、幕府は正式には将軍ではないが時期将軍の義政を奉戴して運営された。
しかし信長はまったくそんな行動をとっていない。
現将軍を追放し、帰洛交渉でも条件が合わなければ帰ってこなくてかまわんと放置。
時期将軍最右翼候補はそのまま人質として扱い将軍に奉戴する形跡は全くなし。
そして将軍不在のまま信長政権は運営されている。
これで、何で信長が将軍権威を必要としているなんてことになるんだ?
0706人間七七四年
2008/02/04(月) 20:48:47ID:Jvt2dnkRお前の言うとおりだ
だから後は>>697のクソコテを相手にしてくれ
よくみたらクソコテと同じ方向じゃん
0707人間七七四年
2008/02/04(月) 22:09:23ID:CxkcaWxo0708人間七七四年
2008/02/04(月) 22:22:23ID:Jvt2dnkRいいや、コテという存在そのものが嫌いなだけ
特定のコテがどうこうってことじゃなくな
で、そのコテと同じ方向の議論(いやみじゃなくて、理解できる?)はしたくない
それだけだ
別にコテと議論の方向が異なれば、スルーして続けるがな
冷めたといってもいい
0709中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/02/04(月) 23:59:04ID:vpEF3P0q0710人間七七四年
2008/02/05(火) 00:18:05ID:uHYsrkCd0711人間七七四年
2008/02/05(火) 00:27:59ID:mpAknYw0秀吉がなれなかった理由…が議論のはじまりだったっけ?
もうわすれちゃったよw
0712人間七七四年
2008/02/22(金) 09:03:41ID:AJRM/fVJ当時の武家の目から見ればとりあえず将軍を目指すのが自然な感じがするんだけどね。
前後(足利、徳川)の印象が強いせいかな?
0713人間七七四年
2008/02/22(金) 21:59:50ID:776tQjfFまず第一に秀吉の時代に参考に出来る二つの幕府は、ろくな結果になっていない。
鎌倉幕府は3代で創始者一族は断絶、家臣に実権を奪われるし、
室町幕府も、南北朝に戦国時代と戦乱続きで、将軍も暗殺されたり追放されたりしている。
よって将軍・幕府という形式に特に固執しないのは当然。
第二に関白は人臣中最高の位なのだから、
もしも実現の可能性があるならそれを目指すのもやはり当然。
0715人間七七四年
2008/02/24(日) 11:35:01ID:8655UYqG特定の血統でないとなれない(はず)という意味じゃ天皇に近い。
0716人間七七四年
2008/02/24(日) 11:39:37ID:kIjeGy2Z朝廷に近づいたのがきっかけで「よしこれを貰ったれ!」てな感じで。
0717人間七七四年
2008/02/24(日) 20:49:00ID:QVJyi3WZ最高の実力を持つ自分が最高の位をって発想は、別に不自然じゃあないと思うけどね。
いくら藤原氏しかなったことのない位でも、臣下の位であるのは間違いないわけだし。
もちろん、最初から関白だけを目指していたというわけではなく、
関白職をめぐるごたごたや、一部公家の秀吉へのおもねりとかもあったからこそなんだろうが。
0718人間七七四年
2008/02/24(日) 22:24:14ID:jM+9Jgrw御落胤説を流したこともあるし、最終的に関白で本当に満足してたのかと。
0720人間七七四年
2008/02/25(月) 22:33:07ID:I9hfC5cK幾ら最高の官職であっても、臣下の位を望むのと君主の座を求めるのとではかなり違うでしょう。
最高位の家臣が禅譲を受けて皇帝になるってのは、中国ではよくあることでも、
日本では全く前例がないしかなり難しいかと。
無論断言は出来ないが、秀吉はそこまでは望んでいなかったのではないかと思う。
0721人間七七四年
2008/02/25(月) 22:42:49ID:g476qN2N0723人間七七四年
2008/02/27(水) 06:08:45ID:Lxoxgv9Rしかし秀吉は一度その壁を乗り越えているんだよな。
織田家重臣筆頭で満足せず、自分の天下にしてしまっている。政治的に実に巧みに。
信長の後ろ姿をみていた秀吉が、天皇だけ神聖視していたとも思えないが、そのへんは秀吉にしかわからないか。
0724人間七七四年
2008/02/29(金) 01:56:00ID:9h5i5BIw天皇に取って変わっちゃったらみんなが敵にまわるでしょうに
もうアホかと
0725人間七七四年
2008/02/29(金) 12:21:26ID:Zii/1LHV0726人間七七四年
2008/02/29(金) 18:40:19ID:m/Z39Gzl0727人間七七四年
2008/02/29(金) 18:50:53ID:Y2aimpWD0728人間七七四年
2008/02/29(金) 18:52:58ID:m/Z39Gzl0729人間七七四年
2008/02/29(金) 18:57:45ID:Y2aimpWD力があったからだろ?
二条だれだったか忘れたが関白相論で揉めてた秀吉の一代前の関白に武士も寺社も従ったのかねえ?
名分の問題で「従いやすい」「従いにくい」はあったろうがな。
0730人間七七四年
2008/02/29(金) 19:37:28ID:m/Z39Gzl秀吉が大臣になって武家も寺社もみんな従ったが
秀吉が天皇になったら武家も寺社も従うわけがない
という話だろ
0732人間七七四年
2008/02/29(金) 20:49:24ID:XeQbcO2jだから関白になった
0733人間七七四年
2008/03/01(土) 07:16:16ID:86sciOxtしかし正当性や権威の裏づけがあったほうが、より統治しやすいのは間違いないでしょう。
で、臣下の位なら天皇がその位につけたということで、正当性と権利を獲得できるが、
天皇そのものに成り代わろうとしたら、
それは現行の天皇を中心とした正当性と権威の建前を全否定することになる。
この点で臣下の最高位である関白になるのと、天皇になるのでは全く意味合いが違う。
ちなみに、中国の場合には皇帝の上に「天」という概念があって、
天命が変わることで皇帝家が代わるという解釈がかなり伝統的に存在するので、
この理屈で「天」を中心とした正当性と権威の建前を否定することなく、
皇帝に成り代わることが可能だが(いわゆる易姓革命)
日本にはそういう伝統が全くなかったので極めて難しい。
0734人間七七四年
2008/03/01(土) 13:31:00ID:jap/Yxyw0735人間七七四年
2008/03/01(土) 14:35:10ID:LqbhMfWd0737人間七七四年
2008/03/02(日) 00:36:02ID:zCtChm7+既に指摘の通り別のお家を乗っ取ったわけでもないし。
まあ立場が逆転したのは事実だが、そういうことを認めるためにこそ、正当性や権威が必要になる。
天皇を中心にした旧来の秩序内にいれば、天皇が織田家より高い位を秀吉に授けることで、
建前の上でも合理的に織田家の立場を超えることが可能だけど、
天皇の位そのものを狙うとなると、そういう正当性の確保がほぼ不可能になる。
既述のように、中国なら天命が変わったから皇帝家が替わるという方便も使えるが、
日本ではそういう伝統は皆無だし。
0738人間七七四年
2008/03/02(日) 10:34:04ID:/fjFHvQf結果的に失敗したが、もし唐入りが成功していたら秀吉は自分と天皇のポジションをどうするつもりだったのかな?
0739人間七七四年
2008/03/02(日) 11:27:04ID:zCtChm7+自分はさらにインド侵攻を考えるとかいう構想だったそうだけど、なんとも言えないかと。
本気で練った構想なのかどうか、そもそも正気だったのかどうかも分からないし。
0740人間七七四年
2008/03/02(日) 13:13:54ID:mYV2ND4U一応ギャグのつもりだったんじゃね?
0741人間七七四年
2008/03/02(日) 17:55:11ID:7ibaGZdU元や清のような成功例からみるに、仮に成功していたら秀吉自身が皇帝の地位になっていただろうな。
その時に天皇がどういう位置づけになるのかは謎だが。
0743人間七七四年
2008/03/03(月) 01:01:19ID:KwcHm+0K天皇は王ではないから、皇帝の臣下ではないが、主君でもない。
0744人間七七四年
2008/03/03(月) 04:32:01ID:DFEDc6urそれでもダメなら過去ログを読むとか努力しような
0745人間七七四年
2008/03/03(月) 13:11:53ID:1QDhLkWT中華思想の世界を日本の小さな地域で模倣して皇帝のふりをしてるけど
実際には日本という一地方の王にすぎない
そもそも中華思想では皇帝は2人もいたらいけない
0747人間七七四年
2008/03/04(火) 00:50:59ID:fAL/GVUT0748人間七七四年
2008/03/05(水) 00:01:15ID:Od4gCyEC0749人間七七四年
2008/03/05(水) 00:15:43ID:U9qLf7Xmなんて最近のゆとり中学のゆとり教科書に掲載されてるんですかw
0750人間七七四年
2008/03/05(水) 00:19:46ID:U9qLf7Xm日本という国家が中国に認められていて
日本の国王(天皇)も中国に認められているので
中国との国交が成立していたんだけど
その辺の関係は最近のゆとり教科書には掲載されていないの?
0751人間七七四年
2008/03/05(水) 06:22:11ID:MoLbOPEY0752人間七七四年
2008/03/05(水) 19:05:05ID:zJviNf0P戦国時代の頃はもう中華の冊封に入ってないんだから、意味ねえだろ。
0753人間七七四年
2008/03/05(水) 19:24:01ID:chr/9InR日本で「国」と呼んでいたのは国家じゃなくて一地域にすぎないんだし
天皇は一国の王じゃん
0756人間七七四年
2008/03/17(月) 13:13:25ID:3Idl4kGXこのスレにある「東国条件説」のバカが書いたのか、それを見て「東国条件説」を言い出したのかわからんが、
そんなもん真に受けてたらアホが増殖するだけじゃないか。
0757人間七七四年
2008/03/17(月) 14:37:07ID:UrvwYmrG> この戦いで、秀吉は家康を完全に屈服させることに失敗し、征夷大将軍補任、すなわち幕府開設への道が閉ざされ、後の政治史へ大きな影響を及ぼすこととなったという説がある。
「説」があること自体は嘘ではないはずなので別に良いんじゃない?
気になるんなら注かなんかでその「説」に対する評価を出典付きで示せばよいのでは?
0758人間七七四年
2008/03/17(月) 16:44:52ID:dI1ZQxlB家康が秀吉に服従していない時点ではまだ関東も東北も秀吉に服従していないんだから
時系列を考えると「家康を屈服させる事に失敗したから」という主張自体が間違いだし
将軍よりも上の位である関白になる事によって家康が服従したのだから
関白になった者がわざわざ下位の将軍職にまで就く必要性は皆無なわけですよ。
そういう流れを考えると、その珍説(ちゃんとした人がそんな珍説を
披露してるの見たことないけど)は
「秀吉は将軍になれなかった」という結論にしたいがために
時系列を捻じ曲げて屁理屈をこねてるに過ぎないと思うよ。
0759人間七七四年
2008/03/17(月) 19:33:30ID:3Idl4kGXちなみに上杉景勝(越後と信濃、上野の一部)が秀吉に臣従したとき、秀吉はまだ関白じゃなかった。
もし東国条件は本当に存在し、秀吉も将軍職に興味があるならこの時点で条件はクリアしたはず。
0760人間七七四年
2008/03/17(月) 19:46:48ID:3qAcmDTAなんでそんな説がまかりとおってんの?
0761人間七七四年
2008/03/17(月) 20:07:51ID:FBB7o3EVどうせ改訂合戦になるに決まってる。不毛
0763人間七七四年
2008/03/17(月) 22:03:57ID:26UtK51m0764中野区民憲章@vip ◆ORWyV99u2Y
2008/03/17(月) 22:14:29ID:FOoF6/vW0767人間七七四年
2008/03/17(月) 23:04:43ID:bB8OCTdQ関白になったのだからそれより下位の将軍職を兼任する必要が全くなかった
ただそれだけ
0768人間七七四年
2008/03/17(月) 23:15:06ID:ptstT8QR秀吉の一代限りって言っても新たに豊臣を賜ってるからそうなっただけで、
やろうと思えば秀吉流近衛家は作れた。
出自は関係ない、権力さえ握れれば名跡はいくらでも手に入る。
0769人間七七四年
2008/03/17(月) 23:18:14ID:26UtK51mがないのに系図の偽装を行なってたわけだ。
0770人間七七四年
2008/03/17(月) 23:22:57ID:ptstT8QR信長は系図の偽装をやった?
家康が系図を変えたのは今川から独立して徳川に名乗ったときじゃなかった?
それに、家康が系図を変えられたのも独立して朝廷に献金した結果だろう。
0771人間七七四年
2008/03/17(月) 23:36:27ID:bB8OCTdQでも秀次が継いだよ
0772人間七七四年
2008/03/17(月) 23:44:52ID:ptstT8QR0773人間七七四年
2008/03/17(月) 23:46:35ID:bB8OCTdQ0774人間七七四年
2008/03/17(月) 23:53:53ID:26UtK51mいちいちそこまで書かなきゃならんのか?
0775人間七七四年
2008/03/17(月) 23:55:35ID:bB8OCTdQでも秀次が継いだんだから何でもありだよ
豊臣姓をもらった人もたくさんいるし
0776人間七七四年
2008/03/17(月) 23:58:36ID:26UtK51m■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています