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何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof
前スレ
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0653人間七七四年2008/01/31(木) 00:24:59ID:05Q3eNOx
>>643
何も問題にもなりませんよ。
もし、信長にとって室町将軍の権威がまだ必要だったなら、
その子供なり他の足利氏一族なりを新たに将軍にすればいい。
ところが、信長は確保しておいただけで、新たな将軍を擁立しようとはしなかった。
それは、むしろもはや室町将軍という権威を必要としていなかったという根拠といえる。

>>652
必要も何も信長は普通にその立場で勢力を拡大しているわけですが?
もちろん、将来についてはいろいろ考えていたでしょうがね、
朝廷からも三職推任なんてのが来ていた訳だし。

どっちみち、少なくとも義昭が京を出た時点では、
もはや信長は室町将軍という権威は必要としていなかった。
権威が必要なら直接朝廷を使えばいいのだから。
0654人間七七四年2008/01/31(木) 01:00:43ID:GS+zNRUf
室町幕府の権威が必要ないというなら、なぜ滝川一益は関東管領を名乗った 
んだろう? 朝廷の役職だったっけ?
0655人間七七四年2008/01/31(木) 01:04:13ID:TRy/30G6
本当に名乗ったの?
就任してない(幕府もないし)のに?
0656人間七七四年2008/01/31(木) 02:55:20ID:05Q3eNOx
>>654
その話がどこまで本当か知らないが、もし本当にそう名乗ったなら、
単純に相応しい官職名が特になかったからというだけなのでは?
何しろ室町幕府の正式な任命ではないのは明らかなのだし。
もしも、室町幕府の権威を必要としていたのなら、勝手に自称するのではなく、
新たな将軍を擁立して、その下で正式に関東管領でも何でも就任すればよいのだから。
0657人間七七四年2008/01/31(木) 05:38:45ID:ULesrGrb
オウム真理教の中に文部省とか建設省とかがあったけど
それは国家の省庁とは全然別物でオウム真理教の内部の組織名
ってのと同じで
「関東管領」というのも幕府の役職とは全く別物の
織田軍団の中の「関東管領」って事なんじゃない?
0658人間七七四年2008/01/31(木) 09:48:37ID:Aq99d8Jp
羽柴筑前守
国司も名乗り放題
0659人間七七四年2008/01/31(木) 11:10:57ID:h9HEo7rc
>>658
あれは正式に任官されたんじゃない?
0660人間七七四年2008/01/31(木) 13:39:55ID:GS+zNRUf
>>656 
ふさわしい役職名がなかったからといって幕府のそれを名乗るというのか? 
あなたが言うには信長は朝廷の人間なんだろ?おかしくないか? 
それに幕府はもうないんだろ?
0661人間七七四年2008/01/31(木) 13:59:54ID:kU2aRNU8
いや、そもそも滝川が関東管領だと名乗ったのは事実なの?
その様に署名された文書なりが残っているの?
信長が彼を正式に管領に任ずるなんて言った文書なりの記録があるの?

彼が上野に派遣されたのを見て、「彼は室町における関東管領みたいなもの」と
言われたようなものなのでは?
そもそも正式な室町幕府の管領職なら上杉が保持しているのだし。
0662人間七七四年2008/01/31(木) 14:01:20ID:GLp/awg4
というか、関東管領なんて室町幕府の中で殆ど独立していたようなもんじゃ
他の地方で幕府職を名乗るのは意味ないけど、関東で関東管領名乗るのは
結構影響力あるので関東管領名乗らせただけでしょ
0663中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2008/01/31(木) 14:10:13ID:LeY5RPXy
>>659
天正十年十月三日従五位下左少将が位記の初見
ただし吉田兼見などは早くから秀吉に対して「羽筑」の語を使っている
自称官としては通じていたようだが追認された形跡はない

>>660
「信長公記」には関八州の御警固
「伊達治家記録」には東国奉行
「信長記」には関東管領

同時代史料には管領の「か」の字もねえよ
0664中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2008/01/31(木) 14:19:22ID:LeY5RPXy
「信長公記巻十五滝川左近上野国拝領ノ事」これな

つか何で鞆幕府や滝川に話が行くのだwwwwwwwww

このスレも末期よのうwwwwwwwwwwwwwww
0665人間七七四年2008/01/31(木) 16:24:05ID:My07F9Um
ろくに本を読まずにwiki知識だけで書いてる阿呆に何を言ってもむだ
0666人間七七四年2008/01/31(木) 17:55:46ID:Aq99d8Jp
>>664
中野おまい間違ってるよ、このスレは最初から末期だww
0667人間七七四年2008/02/01(金) 21:36:43ID:U8xT394b
>>652 >>656 長文乙 で?
長いだけで特に何も言ってないのな、それに話が矛盾してて何が何だか? 
おまえが言いたいのは信長政権?というのは軍事クーデターみたいな 
ものってことか?
0668人間七七四年2008/02/02(土) 00:08:05ID:HuVCq7xb
いや、おまえといわれても、>>652>>656は別人だってことはレスの内容から分かると思うんだが?

>>653>>656で言いたいことなら、
少なくとも義昭が京を出た時点では、
もはや信長は室町将軍という権威は必要としていなかった。ってこと。
むしろそれだけ基盤を確立していたということだから、
クーデターみたいなものだということとは、まるで逆の主張なんですが。
0669人間七七四年2008/02/02(土) 00:18:53ID:7kF5LckW
信長がというのもそうなんだが、「周囲が」というのもあると思う。
信長個人だけでなく、畿内の豪族や京都町衆さらに公家や朝廷までもが、
足利将軍はもう必要ない、なくてもどうにでもなる、というコンセンサスが
あったということでしょう。
0670人間七七四年2008/02/02(土) 00:23:21ID:HuVCq7xb
で、スレタイとの関連で言えば、信長の頃ですら室町将軍の権威なんてその程度のもので、
現に信長のもとに三職推任なんてのも来ているのに、
秀吉の時代に、足利義昭の存在が将軍職に就くための障害になるなんてことは、
ほとんどありえないだろうと。
0671人間七七四年2008/02/02(土) 00:55:34ID:iqbWvHcs
最近では信長は幕府を滅ぼしたのではなく細川氏や三好氏のように最高実力者
として幕政の実権を握ったとする意見が目立つね、ただ彼らとちがうところ 
は信長が足利家に取って代わろうとしたところ。
0672人間七七四年2008/02/02(土) 18:55:29ID:7kF5LckW
>>671
上洛した時点で、取って代わる気満々だったと思える。副将軍位も管領職も蹴って、
将軍権力を否定・拘束するような条約を突きつけて、さらに朝廷とも深く結びついて。
0673人間七七四年2008/02/03(日) 01:02:12ID:HEHcSsUX
>>651
北条も義氏残してる
養子を捩じ込んで、支配するなんて良くやってるのに、公方に対してはしてない
結局なんのために大義名分を求めるかといえば、色んな協力を得るためで、度が過ぎた方法で大義名分を求めたら、そりゃ協力は得られないだろう
なので、手元に子供を残して、傀儡にしようとしたと

>>653
だから、時期将軍のために義尋を囲ってたんだろうと
あと時系列無視しすぎてない?
本能寺とかあのあたりになれば、もう朝廷のほうを重視して、幕府は軽視してるが、少なくとも義昭追放の頃なら重視してるでしょ

>>672
そりゃ幕臣になれば、義昭の統制を受けなければならないからじゃないか
また取って代わるつもりなら、傀儡化する必要は無いんじゃないか?
義昭将軍任官→圧力→信長任官
でやったほうがいいじゃん
0674人間七七四年2008/02/03(日) 06:46:06ID:dPSw3GPl
>>673
信長が本当に幕府や将軍が必要だと思っていたとしたら
義昭を追放した時点ですぐに次の将軍を指名してるでしょうに
頭おかしくないか?
0675人間七七四年2008/02/03(日) 09:00:48ID:9ZXwuqd7
わざわざ新しい将軍をたてる必要ないだろ、人質もとっているわけだし、 
0676人間七七四年2008/02/03(日) 09:25:45ID:HEHcSsUX
>>674
当時義尋は何歳でしょう
そして例えば関東公方の文書発行において、正式なものと認められるのは何歳からだったでしょう
0677人間七七四年2008/02/03(日) 13:27:46ID:VOfShVba
>>676
>>674は義尋を将軍にするなんて言っていないわけだが?
もし、将軍が必要なら細川や三好がやったように、
他の足利一門つれてきて代わりの将軍にすれば良いだけ。
0678人間七七四年2008/02/03(日) 14:01:02ID:ArHNQTO2
>>673
>時期将軍のために義尋を囲ってたんだろうと
で、実際に信長は義尋を将軍に就任させたんですか?

>>676
七代義勝は九歳
八代義政は八歳で将軍に選出(正式な就任は十四歳だが)
九代義尚は九歳
十三代義輝は十一歳
0679人間七七四年2008/02/03(日) 15:31:05ID:HEHcSsUX
>>677
ほかにいたのか?

>>678
>>673
>本能寺とかあのあたりになれば、もう朝廷のほうを重視して、幕府は軽視してるが、少なくとも義昭追放の頃なら重視してるでしょ

就任時期は聞いてない
関東公方にも幼くして就任したのはいる
が、その発行文書は管領の名前で発行されてる
つまり、ある程度の年齢にならねば公方としての実質が伴わないということ
0680人間七七四年2008/02/03(日) 16:06:54ID:VOfShVba
>>679
足利市の一門がもう誰もいないなんて事はないと思うけどね。

そして何を根拠に「義昭追放の頃なら重視してる」といえるの?
その時に重視していたなら、まさにその時に代わりの将軍を立てるのが当然だろうに。
それから、権威を利用する為なら、公方としての実質など伴わない方がむしろ好都合でしょう。
あなたの言っていることはいろいろと破綻していますよ。
0681人間七七四年2008/02/03(日) 16:28:22ID:36G1xf9b
信長が将軍職や幕府を重要視していたなら
足利義昭を解任も殺害もしないで追放するような事は考えられない。
解任した上で追放し、すぐに次の将軍を擁立しなければならない。
そうしないで放逐したのは、天下統一を主目的とした織田家の外交に
足利将軍はもはや必要ないと判断したから。
実際に足利義昭追放後に「将軍がいなくて不都合が起きた」という話はない。
0682人間七七四年2008/02/03(日) 16:42:11ID:9ZXwuqd7
>>680
嫡流である義昭の息子に勝る候補っているのか? 

実質をともなわない将軍が理想的というならば義昭などうってつけなのでは?
人質はとっているし、京にいない、下手に新しい将軍をたてたら厄介、 
それなりに敬意を表さなけるばならないし、第二の義昭になりかねない。
0683人間七七四年2008/02/03(日) 19:45:48ID:ArHNQTO2
>>682
だからその理想的な義昭を、どうして信長は追放したんだ?
帰洛交渉だって蹴ったしな。もし信長がどうしても義昭の身柄が欲しかったのなら、
義昭の人質要求だって呑んだだろうよ。
0684人間七七四年2008/02/03(日) 19:49:32ID:HEHcSsUX
>>680
一門が誰もいないとは思わないぞ
そんな屁理屈もとめてるんじゃない
将軍に据えるにふさわしい血筋の人間が果たしているのかどうかってことだろ
関東公方はおそらく一番の良血だろうが、将軍としてふさわしいかとなると別だろ
義昭が織田と袂をわかって毛利に行こうとしてるときに「帰って濃いよ」と、織田から言ってる
何よりの証
それから文章読んでる?
将軍に据えるにふさわしい人間が見当たらないから嫡子を後生大事に確保してるんだろう
公方をどういう意味で用いるのか→支持を得るため→支持を得るために強引な手法は取れない→実質の伴わない、明らかに傀儡とわかるような存在を無理やりに将軍に据えたら反発が予想される、しかも該当する血筋のものがいない

>>681
重視してるから将軍を殺せないんだろう
北条が関東公方に養子すら送り込めなかったように
0685人間七七四年2008/02/03(日) 20:46:21ID:3deeLh43
>>684
足利義昭を殺さなかった理由も知らないのかw
0686人間七七四年2008/02/03(日) 20:55:06ID:Rf65IK+N
将軍が追放されても、信長に頭下げていた斯波義銀とか細川昭元とか
室町幕府の権威を利用できるタマは握っていたろう。幕府なんか義昭なしでも
いつでも再興できる地位にいたんじゃないの、信長は。
0687人間七七四年2008/02/03(日) 21:09:06ID:9ZXwuqd7
>>683 
ちゃんと読んだのか?
0688人間七七四年2008/02/03(日) 22:22:07ID:HEHcSsUX
>>685
ほぅ、なんで?

0689人間七七四年2008/02/03(日) 22:45:04ID:ArHNQTO2
>>684
現実に、義昭追放後に成立した織田政権は足利の権威をまったく使わずに運営され、
それでまったく障害もなかった。
信長の諸大名の統制、また地方の大名への介入はすべて信長自身の名前で行われている。
足利やら幕府やらの権威はまったく出てこない。そして人質の嫡子はまったく放置。
後北条氏のように政略に名前を使うというような利用もしていない。

これで、信長はまだ足利将軍の権威を必要としたとか、嫡子を大事に抱えていたとか
妄想としか言えないんだが。
0690人間七七四年2008/02/03(日) 23:10:48ID:VOfShVba
>>682
だから、実際義昭をそのままにして新たな将軍なんて立てていないでしょう。
つまり、その時点で信長は、自身と対立した義昭に対抗する権威としての、
新たな将軍の必要性なんて感じてはいなかったということ。

>>684
あのさ、そもそも足利将軍の存在が支持を得るのにそんなに必要なものだったなら、
現将軍と真っ向から対立し戦火を交えた段階で、
信長は多くの支持を失い、もっと大変なことになっていたと思わないかい?
0691人間七七四年2008/02/03(日) 23:13:47ID:HEHcSsUX
>>689
だから、使いたくても使えない状況だったでしょ
義昭は手元に無い、嫡子はまだ幼くて将軍には据えられない
これでどうやって幕府の名前を持ち出すのかと
そこで朝廷に切り替えた
しかし、将軍の重要性は認識していたので、人質兼将来の将軍候補は手元においておく
本当に必要としていないなら、追放なりなんなりするよね
>>686で思い出したけど、斯波を尾張統一の過程では利用して、終了したら追放してるように

何回もいってるけど、大義名分を持ち出す最大の理由は、支持を得るため
強引な手法でやったら反感を煽ることはあっても、支持を得ることは無い

別枠で質問なんだけど
1、将軍の権威は残存してた?残存して無いならどの時点で消失した?
2、朝廷の権威は残存してた?残存してないならどの時点で消失した?
0692人間七七四年2008/02/03(日) 23:23:06ID:HEHcSsUX
>>690
こっちの質問にも答えてもらいたいものだが
次は答えてね

結論から言うと、思わない
武田は信濃から小笠原を放逐し、今川も遠江から守護を追い、北条は武蔵、上野から守護・管領を追い、長尾は守護と戦い無力化し
と、全国で権威保持者を実力で排除してる
しかし、いずれも(北条は関東公方だけど)守護職を求め、就任し、或いは統治にその権威を利用してる
当時の戦国大名は守護公権を吸収して、統治をしていったというのは普通の理解
翻って織田の場合
きわめて長尾の例と似ているから、暇があれば長尾為影の時代から影虎の越後の領国支配と変遷について調べてみるといい
0693人間七七四年2008/02/03(日) 23:24:42ID:HEHcSsUX
もう寝るわ
お休み
eoが規制されてなけりゃレスするよ
0694人間七七四年2008/02/03(日) 23:26:51ID:97WsSrTY
同時代で足利一門で生き残っていて信長に使えそうなのは
平島公方家くらいじゃないかな
関東の足利一門を擁するのは無理ではなかったにしても
現実的ではない品
0695人間七七四年2008/02/03(日) 23:27:30ID:ArHNQTO2
>>691
だから、将軍権威が必要なら義昭をどうして追放したのか?帰洛交渉を打ち切ったのか?
>これでどうやって幕府の名前を持ち出すのかと
そう、すでに言っているが、幕府の名前を持ち出さずに織田政権は運営されている。

>将軍の重要性は認識していたので、人質兼将来の将軍候補は手元においておく
本当に必要としていないなら、追放なりなんなりするよね
だから、現将軍の義昭は追放しているだろう。自分で自分の主張を否定することを
言っているって自覚してます?
人質というのは、預かった以上はそれなりに保護する義務があります。自分に逆らったり
しない限りはね。斯波氏の息子も、反乱を企んだという理由で追放している。そして
追放したのは企んだ当人だけで、他の兄弟はそのまま家中にとどめている。
あるいは反乱云々は口実かもしれないが、人質なり客なりを追放するにはそれなりの
正統な理由が必要とされたということだ。

>そこで朝廷に切り替えた
信長が朝廷と結びついたのは、実は義昭を奉じて上洛する以前から。
0696人間七七四年2008/02/03(日) 23:30:14ID:VOfShVba
>>691
本当に使いたくても使えない状況だったなら、その状況でも義昭と対立した段階で、
使えなくなっても良いと判断していたってことになると思うが?

もしも、足利将軍の権威がどうしても必要である、
そしてその点で義昭に代わりになるような存在は他にはいない。
ということが前提だったなら、
では、今の段階で義昭と対立することは出来ない。という結論になるのだから。
0697中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2008/02/03(日) 23:37:14ID:YxnoXvcZ
将軍の権威が必要なかったっておまえ・・・

義昭の権威を利用して波多野や若狭武田を呼びつけた件は何だったんだ?
志賀・堅田の戦いで義昭の調停を仰いだのは何だったんだ?
義昭の御内書の副状に信長の署名を付けたのは何だったんだ?

冗談も休み休み言え
0698人間七七四年2008/02/03(日) 23:45:54ID:ArHNQTO2
>>692
地方大名は、敵対者に対して正当性を保持するために、将軍権威を利用した。
信長は、その将軍権威を否定、乗り越える為に早い時期から朝廷と結びついて、
その権威を利用して(公的政権としての)足利幕府を消滅させた。

>>691
>1、将軍の権威は残存してた?残存して無いならどの時点で消失した?
個人的な見解だが、長慶以前と以後で大きな変化があったと考える。
それまでは、足利将軍が公権力の担い手と認知されていた。どれほど足利家自体が
没落し弱体化しても、実質政権運営を担った実力者たちは自己の正当性を証明する
手段として足利将軍の権威を必要とした。応仁後の細川政権にしろ、大内にしろ、
あくまで将軍の代行として自分が権力を振るうという立場をとった。

ところが長慶の三好政権は、将軍権威を使わずに成立し運営された。それは時期は
短く、最終的には和解して、かつての将軍の下での執行者という体制に戻ったが、
この政権がとにもかくにも現実に誕生したために、
・公権力となるのに足利将軍は必ずしも必要ではなく、なくても当人に実力があれば
なんとかなってしまう。
という事実が確立され、さらに周囲に認識されてしまった。
砕いて言うと、「なくてはならない」から「あれば便利だけどなくてもそれなりに」という
程度に落とされてしまった。これが決定的な契機だったと思う。
その後、義輝が殺されると、義栄が就任するまで三年以上将軍は不在。
0699人間七七四年2008/02/03(日) 23:46:34ID:VOfShVba
>>697
義昭が信長と対立して京を離れた時点ではって話。

>>692
一番肝心の、「何を根拠に義昭追放の頃なら足利将軍の権威を重視してるといえるのか」
には全く答えて貰っていないわけだが?

とりあえず、将軍と朝廷の権威なら、どちらも存在していた、
しかし、将軍の権威は追放されたり暗殺されたりで下がり、義昭が京を離れた段階では、
信長にとってもはやどうしても必要なものではなくなっていたってところでしょう。
0700人間七七四年2008/02/04(月) 00:09:57ID:d3PsvH3K
>長慶の三好政権は、将軍権威を使わずに成立し運営された。それは時期は
短く、最終的には和解して、かつての将軍の下での執行者という体制に戻ったが、
>この政権がとにもかくにも現実に誕生したために、
>・公権力となるのに足利将軍は必ずしも必要ではなく、なくても当人に実力があれば
なんとかなってしまう。
>という事実が確立され、さらに周囲に認識されてしまった。

これなんて今谷明!
0701人間七七四年2008/02/04(月) 17:00:56ID:Jvt2dnkR
>>695
将軍追放したのは対立したからでしょ
同じ文章の中で矛盾起こしてない?
将軍権威が必要じゃないなら、帰って来いという交渉すら必要ないでしょ?

織田政権が幕府の名前持ち出さずに運営されてるから何?
反論してるつもりになってるのかしらないけど、それ以外に方法が無いといってるのよ、こっちは
それ以上の意味を見出そうとしてるのがあんたなの
つまり、織田信長が「意図的」に将軍の名前を持ち出さなかったということを説明しなきゃ反論として不満足じゃないかな?

だから、将軍とは何度も対立してるからさ…
自分の意志に沿わない、しかも統治の障害になるような存在を囲っとくわけ無いでしょ
だから、子供を確保して、次期将軍を傀儡にしようとしたということ
それでも義昭に未練があっての帰って来いよという交渉
ところでさ、斯波は反乱を企てたとして追放したんだよね
将軍もさ、反乱を(こっちは実際に、でも将軍が反乱ってものヘンだが)起こしてるわけで、追放せざるを得ないよね
逆に言えばさ、追放するにたる正統な理由があるのに、追放しなければそれは織田が軽んじられるってことよね

朝廷に切り替えたってのは、権威の保証者としての存在をって事ね

>>696
戦国大名の本質は領土拡大
それを遂行する過程で、権威者と対立するのはよくある話
例に挙げたけど、長尾なんかは守護と対立したけど、その後の統治には守護の名前持ち出してるでしょ

義昭と対立しなけりゃ、そりゃ織田が衰退するだけ
どこの大名もそうだけど、守護公権を吸収して統治に利用してるって書かなかったかな、覚えてないけど
北条も関東公方と対立したけど、結局取り込んでいったでしょ
0702人間七七四年2008/02/04(月) 17:02:08ID:Jvt2dnkR
>>698
早い時期っていつよ?
お、こりゃどうも
できれば2についても答え貰いたいんだけど
それからさ、新たに質問追加
3、権威と権力の違いとは

>>699
いや、ちゃんと答えてるでしょ
答えてるというか、反論してるでしょ
不安になって確認しちゃったよ

あんたは将軍を重視してたなら、代わりの公方を立てたとしてる
でも、こっちはその代わりの公方たるべき人間がいないといってる
立てる公方がいなくて、代わりの公方を立てられないのに、公方を擁立しなかったから重視してなかったという論理はズレてるでしょ?

でさ、今度こそ答えてね
まともな議論を望む姿勢とは思えないよ
あえて質問明示しとくと
将軍に据えるにふさわしい血統の人間が存在したのか
これはでも、あんたの質問に対する回答にもなっちゃうのよね
0703人間七七四年2008/02/04(月) 17:03:24ID:7Fv6f/eP
なにもかもが餃子のせいだ
0704人間七七四年2008/02/04(月) 17:08:12ID:mFqWtZjL
>>689 
その信長自身の名前で出された書状は幕府の形式にそったものじゃなかった?
秀吉も関白に就任するまではその形式をとっていたんじゃなかったっけ?
0705人間七七四年2008/02/04(月) 18:43:15ID:wx7GECBm
>>701
>子供を確保して、次期将軍を傀儡
これの証明は?信長には、彼を時期将軍にしようという動きがいっさいないのだが。
例えば足利義政のように、幼少であっても「時期将軍に選出」という形で時期将軍だと
確定するやり方もある。義政は正式に将軍に任官するまでの数年間を、この身分で
すごし、幕府は正式には将軍ではないが時期将軍の義政を奉戴して運営された。
しかし信長はまったくそんな行動をとっていない。

現将軍を追放し、帰洛交渉でも条件が合わなければ帰ってこなくてかまわんと放置。
時期将軍最右翼候補はそのまま人質として扱い将軍に奉戴する形跡は全くなし。
そして将軍不在のまま信長政権は運営されている。
これで、何で信長が将軍権威を必要としているなんてことになるんだ?
0706人間七七四年2008/02/04(月) 20:48:47ID:Jvt2dnkR
>>705
お前の言うとおりだ
だから後は>>697のクソコテを相手にしてくれ
よくみたらクソコテと同じ方向じゃん
0707人間七七四年2008/02/04(月) 22:09:23ID:CxkcaWxo
中野区は別段変なことを言ってないと思うが…。ID:Jvt2dnkRはただのコテ粘着か。
0708人間七七四年2008/02/04(月) 22:22:23ID:Jvt2dnkR
>>707
いいや、コテという存在そのものが嫌いなだけ
特定のコテがどうこうってことじゃなくな
で、そのコテと同じ方向の議論(いやみじゃなくて、理解できる?)はしたくない
それだけだ
別にコテと議論の方向が異なれば、スルーして続けるがな
冷めたといってもいい
0709中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2008/02/04(月) 23:59:04ID:vpEF3P0q
んなことどうでもいいから秀吉語れよ・・・ってもう語ることないかw
0710人間七七四年2008/02/05(火) 00:18:05ID:uHYsrkCd
武力でなく平和で天下を治める為さ
0711人間七七四年2008/02/05(火) 00:27:59ID:mpAknYw0
えっと…将軍が解任されずに存在してたこと自体が
秀吉がなれなかった理由…が議論のはじまりだったっけ?
もうわすれちゃったよw
0712人間七七四年2008/02/22(金) 09:03:41ID:AJRM/fVJ
なんで秀吉は将軍ではなく関白に目をつけたんだろうね?
当時の武家の目から見ればとりあえず将軍を目指すのが自然な感じがするんだけどね。
前後(足利、徳川)の印象が強いせいかな?
0713人間七七四年2008/02/22(金) 21:59:50ID:776tQjfF
散々既出だけど、
まず第一に秀吉の時代に参考に出来る二つの幕府は、ろくな結果になっていない。
鎌倉幕府は3代で創始者一族は断絶、家臣に実権を奪われるし、
室町幕府も、南北朝に戦国時代と戦乱続きで、将軍も暗殺されたり追放されたりしている。
よって将軍・幕府という形式に特に固執しないのは当然。
第二に関白は人臣中最高の位なのだから、
もしも実現の可能性があるならそれを目指すのもやはり当然。
0714人間七七四年2008/02/23(土) 00:33:18ID:P1CyKkO4
>>712
当時の人間からみれば関白が将軍よりも格が上だからじゃない?
0715人間七七四年2008/02/24(日) 11:35:01ID:8655UYqG
しかし関白になるのもかなり実現可能性の低いポストだぞ。
特定の血統でないとなれない(はず)という意味じゃ天皇に近い。
0716人間七七四年2008/02/24(日) 11:39:37ID:kIjeGy2Z
卑賤な出自だから逆にそう思ったとかないかな?
朝廷に近づいたのがきっかけで「よしこれを貰ったれ!」てな感じで。
0717人間七七四年2008/02/24(日) 20:49:00ID:QVJyi3WZ
>>715
最高の実力を持つ自分が最高の位をって発想は、別に不自然じゃあないと思うけどね。
いくら藤原氏しかなったことのない位でも、臣下の位であるのは間違いないわけだし。
もちろん、最初から関白だけを目指していたというわけではなく、
関白職をめぐるごたごたや、一部公家の秀吉へのおもねりとかもあったからこそなんだろうが。
0718人間七七四年2008/02/24(日) 22:24:14ID:jM+9Jgrw
だから最高の位をとことん望むなら、その上に天皇というポストがあるじゃん、て話。
御落胤説を流したこともあるし、最終的に関白で本当に満足してたのかと。
0719人間七七四年2008/02/24(日) 23:40:48ID:9kSUgWE8
>>713 
よっお珍説くん
0720人間七七四年2008/02/25(月) 22:33:07ID:I9hfC5cK
>>718
幾ら最高の官職であっても、臣下の位を望むのと君主の座を求めるのとではかなり違うでしょう。
最高位の家臣が禅譲を受けて皇帝になるってのは、中国ではよくあることでも、
日本では全く前例がないしかなり難しいかと。
無論断言は出来ないが、秀吉はそこまでは望んでいなかったのではないかと思う。
0721人間七七四年2008/02/25(月) 22:42:49ID:g476qN2N
義満の二番煎じを狙ってたのでは?
0722人間七七四年2008/02/26(火) 01:01:24ID:eFw1C5tN
>>721
義満が天皇家に対してとったような行動が秀吉にはほとんど見られない。
0723人間七七四年2008/02/27(水) 06:08:45ID:Lxoxgv9R
>臣下の位を望むのと君主の座を求めるのとではかなり違うでしょう。

しかし秀吉は一度その壁を乗り越えているんだよな。
織田家重臣筆頭で満足せず、自分の天下にしてしまっている。政治的に実に巧みに。
信長の後ろ姿をみていた秀吉が、天皇だけ神聖視していたとも思えないが、そのへんは秀吉にしかわからないか。
0724人間七七四年2008/02/29(金) 01:56:00ID:9h5i5BIw
大臣になれば武士も寺社も従うだろうけど
天皇に取って変わっちゃったらみんなが敵にまわるでしょうに
もうアホかと
0725人間七七四年2008/02/29(金) 12:21:26ID:Zii/1LHV
なんで大臣になれば武士も寺社も従うんだ?
0726人間七七四年2008/02/29(金) 18:40:19ID:m/Z39Gzl
何で「従わない」と思うんだ?
0727人間七七四年2008/02/29(金) 18:50:53ID:Y2aimpWD
時の関白や将軍に誰もが従っていたら戦国時代にはならなかったろうなあ……
0728人間七七四年2008/02/29(金) 18:52:58ID:m/Z39Gzl
でも実際に秀吉が大臣になってみんな従ったじゃんかボケ
0729人間七七四年2008/02/29(金) 18:57:45ID:Y2aimpWD
>>728
力があったからだろ?
二条だれだったか忘れたが関白相論で揉めてた秀吉の一代前の関白に武士も寺社も従ったのかねえ?

名分の問題で「従いやすい」「従いにくい」はあったろうがな。
0730人間七七四年2008/02/29(金) 19:37:28ID:m/Z39Gzl
誰も前関白の話なんかしてないじゃんか

秀吉が大臣になって武家も寺社もみんな従ったが
秀吉が天皇になったら武家も寺社も従うわけがない
という話だろ
0731人間七七四年2008/02/29(金) 20:42:19ID:Y2aimpWD
>>730
そうか。流れ読めなくてスマン。
で、秀吉が関白にならなかったら武家や寺社は従わなかったの?
0732人間七七四年2008/02/29(金) 20:49:24ID:XeQbcO2j
従わなかっただろうね
だから関白になった
0733人間七七四年2008/03/01(土) 07:16:16ID:86sciOxt
従わないって事はないと思う、何せ最高実力者なのだし。
しかし正当性や権威の裏づけがあったほうが、より統治しやすいのは間違いないでしょう。

で、臣下の位なら天皇がその位につけたということで、正当性と権利を獲得できるが、
天皇そのものに成り代わろうとしたら、
それは現行の天皇を中心とした正当性と権威の建前を全否定することになる。
この点で臣下の最高位である関白になるのと、天皇になるのでは全く意味合いが違う。

ちなみに、中国の場合には皇帝の上に「天」という概念があって、
天命が変わることで皇帝家が代わるという解釈がかなり伝統的に存在するので、
この理屈で「天」を中心とした正当性と権威の建前を否定することなく、
皇帝に成り代わることが可能だが(いわゆる易姓革命)
日本にはそういう伝統が全くなかったので極めて難しい。
0734人間七七四年2008/03/01(土) 13:31:00ID:jap/Yxyw
正統性は重要だが、そこは織田家に成り代わった時も同様の問題が起きているわけで。
0735人間七七四年2008/03/01(土) 14:35:10ID:LqbhMfWd
秀吉が織田家になり変ったり、織田本家を乗っ取ったわけじゃないよ
0736人間七七四年2008/03/01(土) 15:25:43ID:Dw/8g+i8
>>734
秀吉は織田家を乗っ取ったわけではない
織田から独立しただけ
0737人間七七四年2008/03/02(日) 00:36:02ID:zCtChm7+
>>734
既に指摘の通り別のお家を乗っ取ったわけでもないし。

まあ立場が逆転したのは事実だが、そういうことを認めるためにこそ、正当性や権威が必要になる。
天皇を中心にした旧来の秩序内にいれば、天皇が織田家より高い位を秀吉に授けることで、
建前の上でも合理的に織田家の立場を超えることが可能だけど、
天皇の位そのものを狙うとなると、そういう正当性の確保がほぼ不可能になる。

既述のように、中国なら天命が変わったから皇帝家が替わるという方便も使えるが、
日本ではそういう伝統は皆無だし。
0738人間七七四年2008/03/02(日) 10:34:04ID:/fjFHvQf
天皇を頂点とした従来の枠組みってのは、あくまで日本国内でのものだよね。
結果的に失敗したが、もし唐入りが成功していたら秀吉は自分と天皇のポジションをどうするつもりだったのかな?
0739人間七七四年2008/03/02(日) 11:27:04ID:zCtChm7+
一応天皇は中国に呼び、
自分はさらにインド侵攻を考えるとかいう構想だったそうだけど、なんとも言えないかと。
本気で練った構想なのかどうか、そもそも正気だったのかどうかも分からないし。
0740人間七七四年2008/03/02(日) 13:13:54ID:mYV2ND4U
それ、誰かに宛てた手紙に書いてたヤツだよね
一応ギャグのつもりだったんじゃね?
0741人間七七四年2008/03/02(日) 17:55:11ID:7ibaGZdU
占領後の統治体制を考えずに遠征始める奴はいないだろうから、大風呂敷にみえても秀吉は本気だったはず。
元や清のような成功例からみるに、仮に成功していたら秀吉自身が皇帝の地位になっていただろうな。
その時に天皇がどういう位置づけになるのかは謎だが。
0742人間七七四年2008/03/02(日) 18:54:59ID:vIijkSnD
矛盾してるね。
本気だったと言うのなら>>739で合ってるんだから謎もクソもないがな。
0743人間七七四年2008/03/03(月) 01:01:19ID:KwcHm+0K
皇帝秀吉と天皇を、どう位置づけるかって話だろ。
天皇は王ではないから、皇帝の臣下ではないが、主君でもない。
0744人間七七四年2008/03/03(月) 04:32:01ID:DFEDc6ur
もう少し頭を使って考える練習をしような
それでもダメなら過去ログを読むとか努力しような
0745人間七七四年2008/03/03(月) 13:11:53ID:1QDhLkWT
天皇は王ですよw
中華思想の世界を日本の小さな地域で模倣して皇帝のふりをしてるけど
実際には日本という一地方の王にすぎない
そもそも中華思想では皇帝は2人もいたらいけない
0746人間七七四年2008/03/03(月) 23:26:41ID:hEG6v0SB
>>745
頼むから、せめて中学の日本史の教科書くらい読んでから来いよ。
0747人間七七四年2008/03/04(火) 00:50:59ID:fAL/GVUT
アホが「中学の日本史の教科書」とか低レベルな事を言ってるぞw
0748人間七七四年2008/03/05(水) 00:01:15ID:Od4gCyEC
天皇が王なら、誰に任命されたんだろうね?
0749人間七七四年2008/03/05(水) 00:15:43ID:U9qLf7Xm
天皇は誰にも任命されていないから皇帝です
なんて最近のゆとり中学のゆとり教科書に掲載されてるんですかw
0750人間七七四年2008/03/05(水) 00:19:46ID:U9qLf7Xm
ちなみに魏志倭人伝ぐらいの時代に
日本という国家が中国に認められていて
日本の国王(天皇)も中国に認められているので
中国との国交が成立していたんだけど
その辺の関係は最近のゆとり教科書には掲載されていないの?
0751人間七七四年2008/03/05(水) 06:22:11ID:MoLbOPEY
その天皇の名を具体的にどうぞ。
0752人間七七四年2008/03/05(水) 19:05:05ID:zJviNf0P
何か変な流れになってるな。
戦国時代の頃はもう中華の冊封に入ってないんだから、意味ねえだろ。
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