何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0562人間七七四年
2007/11/10(土) 09:04:58ID:+2ervALy0563人間七七四年
2007/11/10(土) 11:18:08ID:8P38u0uNすでに内大臣で右大臣以上は欠員、官職ではすでに最高位で
関ケ原以後すぐにでも関白になれる条件にあったのになんで?
0564人間七七四年
2007/11/10(土) 17:05:01ID:zjzuNyaK0565人間七七四年
2007/11/10(土) 17:55:28ID:f4+DBEWS家康が関白になると「秀吉の政権を家康が引き継ぐ」という意味になってしまい
秀頼(右大臣)やその家臣との関係に影響してくるから
0566人間七七四年
2007/11/10(土) 18:58:48ID:+2ervALy0567人間七七四年
2007/11/10(土) 19:35:24ID:P0YILm4C0568人間七七四年
2007/11/10(土) 20:22:54ID:8P38u0uNあきらかに家康の後押しがあったからだろ
0569人間七七四年
2007/11/10(土) 22:05:24ID:2sLtwOOu0570人間七七四年
2007/11/10(土) 23:29:58ID:k4KRhzYY豊臣家への欺瞞作戦みたいなもんだろ
本気で次代将軍は秀頼に継がされると思ってたようだし。
0571人間七七四年
2007/11/10(土) 23:33:40ID:eLqDZB0h0572人間七七四年
2007/11/10(土) 23:44:14ID:JPh2rLVM将軍秀忠は内大臣、秀頼は右大臣
0574中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/11/12(月) 21:28:33ID:XzpZyjyv朝廷は関ヶ原後家康の将軍就任の後までも秀頼に関白となるための官位周旋を行ってる
いわば家康と秀頼を両天秤に掛けていたつうのは補任でも読めば一発回答だけどな
0575人間七七四年
2007/11/12(月) 23:49:05ID:lN8I8y0a0576人間七七四年
2007/11/12(月) 23:59:23ID:aHhGdzG+0577人間七七四年
2007/12/18(火) 16:21:24ID:OSLdGqBF0578人間七七四年
2007/12/18(火) 18:37:31ID:Ji78tScM0579人間七七四年
2007/12/18(火) 19:27:11ID:L9QiqqOo0580人間七七四年
2007/12/18(火) 19:43:57ID:skvuMiceそういう見方もあるかも知れないけど
秀頼が大人になるまでの間、関白という肩書きを与えてムゲに殺されるのを防いで
なおかつ豊臣家を温存する事によって将軍家の専横も抑えてやろうという高度な判断だと思う
0581人間七七四年
2007/12/18(火) 20:27:16ID:S5GUITze両天秤もあるけど、京都は大坂に近いから豊臣家の影響力が強く残っていたんだと思う
公家たちは、よく大坂へ下向している
0582人間七七四年
2007/12/18(火) 20:35:21ID:rI9KUh+2一部公家も味方につけてたし。
0583足利末裔
2007/12/18(火) 20:57:29ID:m94yiu0B0584人間七七四年
2007/12/19(水) 00:15:01ID:10UYR4SB将軍は、武家の棟梁でしかないから、
朝廷で実権を握るのが一番と考えたんだろうな。
秀吉が健在の頃は、まだ不安定な状態で、
仮に将軍になっても、朝廷次第でどうなるか解らない状態だったから
平家と同じ形で国を納めたかったんだろな。
0585人間七七四年
2007/12/19(水) 01:02:23ID:bsQfLUBV0586人間七七四年
2007/12/19(水) 03:15:51ID:ZXYoKBMd0587人間七七四年
2007/12/19(水) 05:20:19ID:PKimy9mJ関白になれるのに将軍が無理なわけないだろ。
朝鮮に大量の武士を動員できるほどだぞ。何でも意のまま思いのままです。
0588人間七七四年
2007/12/19(水) 07:43:26ID:bsQfLUBVはいはい、リアル厨は夜更かししちゃダメよ
図書室で「武家の棟梁」でちゃんと勉強しなさい
0590人間七七四年
2007/12/19(水) 15:17:28ID:3kW5vn/D0591人間七七四年
2007/12/19(水) 21:59:35ID:VFXTuqy+>>586は釣りなんじゃあないの?
いくらなんでも・・若干なり歴史語る板に出没するなら
「武家の棟梁」の棟梁を頭領
と読み替えるなんて馬鹿なこと普通しないだろ?
0592人間七七四年
2007/12/19(水) 22:02:18ID:VFXTuqy+と書く御大が。
間違えても無理ないかも。
誰とはいわないが
戦国の長島巨人軍の作者とだけいえば・・
0593人間七七四年
2007/12/20(木) 01:00:18ID:pnNGQ/9Qなぜなら過去レスにも同じような内容があるから
そう思いながらも釣られてしまうこの快感
0594人間七七四年
2008/01/10(木) 22:04:59ID:5ClO2bpH最初から読ませていただきましたが、みなさん勘違いをなされているようです。
頼朝以降、武士が征夷大将軍になるには清和源氏でないといけないという総意が形成されたことは史実です。
ただし、ただの清和源氏ではなく清和源氏の嫡流の血筋が求められました。
現職の将軍であり、清和源氏の嫡流の足利義昭がいるいじょう秀吉は義昭の養子になるか
義昭に匹敵する源氏の家の養子にならなければ朝廷から将軍には任じられなかっただろうと思われます。
義昭に養子縁組を拒否された秀吉が近衛家の養子という名目で関白に任じられる道を知り
近衛家が養子縁組を許可したので秀吉は関白になりました。
源氏ならば誰でも将軍になれるというのは誤解です。
足利将軍がいるいじょう、その養子になるか足利氏に匹敵する源氏の血筋である
新田氏などの子孫として朝廷に認められない以上
将軍には任命されません。
0595人間七七四年
2008/01/10(木) 22:47:33ID:JtmaumZW|
∩___∩ |
| ノ _, ,_ ヽ (( | プラプラ
/ ● ● | (=)
| ( _●_) ミ _ (⌒) J ))
彡、 |∪| ノ
⊂⌒ヽ / ヽノ ヽ /⌒つ
\ ヽ / ヽ /
\_,,ノ |、_ノ
0596人間七七四年
2008/01/10(木) 23:00:31ID:GXhpT3XP本当に最初から読んだなら、
当然頼朝以降である、鎌倉幕府の4代・5代将軍が、
藤原氏出身だと分かるはずなんだけどね。
0597人間七七四年
2008/01/11(金) 02:10:28ID:oKW8g+TO>>594は、みんなに褒めてもらいたいばっかりに
彼なりに一生懸命努力して書きこんだんだから
あんまりいじめちゃ可哀想だよ。
知的に恵まれない不憫な子は、
社会全体が温かい眼で見守ってあげないとね。
0598人間七七四年
2008/01/11(金) 03:03:22ID:5Tl3pBm70599人間七七四年
2008/01/11(金) 07:32:48ID:GVNuBKolさらに言えば四代将軍に頼経が選ばれたのも頼朝との血縁によるものであって
武士の中で源氏が尊ばれていたのは事実。
0600人間七七四年
2008/01/11(金) 12:15:22ID:Ul/Bet71将軍は朝廷から任命されてなるし 官位も低くてもなれる
まぁ公家を抑えるって意味もあって関白になったのかもね
0601人間七七四年
2008/01/11(金) 12:58:54ID:roFw4BLQ0602人間七七四年
2008/01/11(金) 13:20:45ID:twhmFZog条件なんか関係ない。
坂上田村麻呂もなったじゃないか
0604人間七七四年
2008/01/11(金) 17:44:31ID:duwOCYV4ぶっちゃけ征夷大将軍なんて朝廷の都合で任命してるだけだから資格なんて語っても仕方ないんじゃ?
0605人間七七四年
2008/01/11(金) 21:26:39ID:o5FcyLBd4代5代は源氏として将軍になりました
藤原氏として武士の棟梁になったわけではないです
>>599さんは博識
摂家として迎えられたわけでなく清和源氏宗家の継承者として迎えられました
0606中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/01/11(金) 22:00:48ID:quac3uqx>>605
吾妻鏡嫁
寛元二年甲辰 征夷大將軍從三位行左近衞權中將藤原朝臣頼嗣
0608人間七七四年
2008/01/15(火) 15:27:14ID:MBh7MvLtたしかに甲信地方は関東の範疇なわけだ
0609人間七七四年
2008/01/15(火) 22:28:01ID:2P9niP+s南関東が徳川の領地になったのは北条家滅亡後
しかも秀吉の配下として南関東に領地替えになった
つまり、南関東が徳川家の領地になった時点で
関東は秀吉が支配している事になる
0610九條前関白太政大臣従一位准三后藤原朝臣具経 ◆1Ixlm5F0XU
2008/01/15(火) 23:37:08ID:06K0BNHP>>220あたりで昔回答した気がする
つかループしてんなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0611九條前関白太政大臣従一位准三后藤原朝臣具経 ◆1Ixlm5F0XU
2008/01/15(火) 23:38:30ID:06K0BNHP>>608
>>220>>239な
0612人間七七四年
2008/01/21(月) 14:54:55ID:upE5arVh代々安定した政権を運営したという歴史を知ってるからこそ出てくる疑問。
そもそも信長や秀吉に幕府を開くという意思があったのかどうかすら疑問。
0613人間七七四年
2008/01/21(月) 22:47:16ID:wyRSaD+20614人間七七四年
2008/01/22(火) 04:27:52ID:aQls1zoq幕府は存在していなかったよハゲ
0615人間七七四年
2008/01/22(火) 05:44:18ID:lxtp24R1義昭が京にいないだけで幕府の官僚機構は存続している。
0617人間七七四年
2008/01/22(火) 11:14:28ID:1gkkLGgB0618人間七七四年
2008/01/22(火) 21:41:50ID:bYyZkHwPいや、確かに名目上幕府は存続していたが、
官僚機構なんて呼べるものはもはや存在しないでしょう。
義昭存命、幕府存続中にもかかわらず、信長に三職推任がいったということは、
朝廷もその頃には、既に室町将軍や幕府の存在など気にしていなかったということ。
0620人間七七四年
2008/01/24(木) 01:37:22ID:wQ72//Vy官僚機構の存続とまで言えるかどうか。
0622人間七七四年
2008/01/25(金) 16:26:35ID:P5Ef+fqh質問するが
・幕府の定義は?
・室町幕府が消滅したというならば、それはいつ?何を根拠として?
0623人間七七四年
2008/01/25(金) 16:49:25ID:P5Ef+fqh619〇
0624中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/01/25(金) 17:18:59ID:2a6jVjyLその質問はこの論争に似てるな
つか幕府の定義を質問する時点で何かおかしいことに早く気付くんだ!!!!11!!1!
0625人間七七四年
2008/01/25(金) 22:26:35ID:P5Ef+fqh奴が気にくわなかっただげだよ
0626中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/01/25(金) 23:11:03ID:2a6jVjyL奉公衆がどんだけ義昭に付いてったかってことも
義昭がいつ将軍を辞めたかってこともよ
ただ釣り針がでかすぎるわおまえw
0628人間七七四年
2008/01/28(月) 13:19:22ID:m0tpmHSz0629人間七七四年
2008/01/28(月) 13:41:24ID:kfGmQgvv>>622の後者の質問は別だが、前者の質問は大事なことでは
詳しくは読んでないから知らないけど、鞆幕府だっけ、毛利に逃れた義昭が組織してたという体制
あれが幕府残存の機構としていけるんじゃないのか
0630人間七七四年
2008/01/28(月) 14:00:07ID:JJl5Z31B0631人間七七四年
2008/01/28(月) 18:50:45ID:kfGmQgvv>>625
何でコテ付けてるか、考えてみ
またコテをつけることによって、こちらにも対応する術が発生するということも考えてみ
バカは基本的にスルーしたほうがいいと思うよ
どうせレスしたところで反応は目に見えてるんだから
0633人間七七四年
2008/01/28(月) 21:41:36ID:kfGmQgvv「詳しくは読んでないから知らないけど」
それ以前に、いわゆる義昭追放以前から献上米は途絶し始めてるんじゃないのか?
各地荘園も渋り始めてるし、朝廷すらも衰微していってる状況で、幕府が安穏と受け取ってるというのは考えにくいが
そりゃ多少はあるだろうが、それは三好らの権力と結びついた結果じゃないの?
0634人間七七四年
2008/01/29(火) 11:43:04ID:VVI481gq毛利からもらえるから別にいいじゃない?
実際輝元が副将軍になってたし。
0635人間七七四年
2008/01/29(火) 12:34:12ID:AKvmP9920636人間七七四年
2008/01/29(火) 14:10:47ID:jROk0z+Jすでに実力で権威を付与する立場にのしあがってきた信長秀吉が
その幕府の後を襲う形にこだわる必要はまったくなかった。
義昭が将軍位にながくとどまっていたのは結果論にすぎない。
0637人間七七四年
2008/01/29(火) 15:38:39ID:dJiIyK520638人間七七四年
2008/01/29(火) 18:15:30ID:A8YyDqFFその権利の切り売りがあったからこそ信長は義昭を将軍のままにしておいた
のではないのか、だから結果論ではないと思う。
0639人間七七四年
2008/01/29(火) 18:41:08ID:DL/iaobW将軍職を解任する権限を持っているのは朝廷なんだけど
朝廷もわざわざ解任する必要もないという判断であえて解任しなかっただけで
実質的には他国に亡命した時点で何の将軍としては終了してる
0640人間七七四年
2008/01/29(火) 19:10:00ID:+qcodhdK前は追い出した方が新しい将軍立てたり、追い出された将軍を引き取った方が
その亡命将軍推したてて上洛したりしてた。将軍位にまだ権威や利用価値が
あったからね
0641人間七七四年
2008/01/29(火) 21:41:29ID:jROk0z+Jそのとおり。信長が室町幕府の権威をまだ必要としていたなら、
足利氏の別の誰かを再び擁立すればよいので、義昭をとどめておく必要はない。
義昭の存在が将軍就任の障害になるなら、そもそも「三職推任」問題はおこらなかった。
0642人間七七四年
2008/01/29(火) 22:39:13ID:0uoRheSDまあ、その通りでしょうね。
室町将軍の権威が未だに必要だったなら、今までどおり新しい将軍を擁立すればいい。
それをしなかったのは、既に信長はそんなものは必要ないと判断していたからといえる。
そして、その後も拡大を続けたことを考えれば、その判断は正しかった。
また、将軍位を与える側の朝廷も、三職推任を行っているということは、
義昭の存在などあまり気にしていなかったということ。
0643人間七七四年
2008/01/29(火) 23:06:20ID:uq09WYOJ必要ないなら、処分するなり、追放するなり手段はあるが、実際はしてない
はてさて、641、642の理解だとどうなるの?
0644人間七七四年
2008/01/29(火) 23:58:47ID:UUq3K+i01572年に将軍家の嗣子として誕生するが、翌年に父・義昭が織田信長により追放され、
義尋は人質として信長の監視下に置かれていた。
義昭が豊臣秀吉に帰京を許された時に義尋も大乗院の法嗣として入室する。
義尋は大僧正に任じられるが、やがて還俗して足利高山と称した。
高山は二人の男子をもうけ34歳で没した。
http://www.johokan.net/history/Rekishi/blood/contents/ashikaga.html
0645人間七七四年
2008/01/30(水) 02:16:37ID:n5EHfKtg>処分するなり、追放するなり
処分や追放する価値(必要)さえ無いというほど無価値だったという可能性と
何らかの利用価値があったから手元に留めておいたという真逆の可能性があるな
0647人間七七四年
2008/01/30(水) 06:24:01ID:RAT9lT0W不要だと言う人は彼が畿内を支配するための大義名分は何だったと
いうんだ?
0648人間七七四年
2008/01/30(水) 07:55:20ID:7ZpY3YIr前者に関してきっぱりと否定する
信長の近畿平定の障害になって、今後も騒乱の旗印になりかねない将軍の遺児を無価値って
北条でも義氏を飼い殺していたぐらいで
0650人間七七四年
2008/01/30(水) 21:59:05ID:cpmCfntJまぁ、これで義昭黒幕説は否定出来るけどな。
0651人間七七四年
2008/01/30(水) 23:01:46ID:MEqRFkPs「騒乱の旗印になりかねない」というのなら、何故そもそも現役の将軍を放置したのか?
将軍の息子よりも、現将軍の方がはるかに名分としては上だろう?
信長の名分については、朝廷を握り足利に変わる武家政権の執行者と認定されている。
0652人間七七四年
2008/01/30(水) 23:16:57ID:RAT9lT0W権威の裏付けが必要になるということ、
最高位は右大臣しかもすぐに辞しているということをお忘れか?
0653人間七七四年
2008/01/31(木) 00:24:59ID:05Q3eNOx何も問題にもなりませんよ。
もし、信長にとって室町将軍の権威がまだ必要だったなら、
その子供なり他の足利氏一族なりを新たに将軍にすればいい。
ところが、信長は確保しておいただけで、新たな将軍を擁立しようとはしなかった。
それは、むしろもはや室町将軍という権威を必要としていなかったという根拠といえる。
>>652
必要も何も信長は普通にその立場で勢力を拡大しているわけですが?
もちろん、将来についてはいろいろ考えていたでしょうがね、
朝廷からも三職推任なんてのが来ていた訳だし。
どっちみち、少なくとも義昭が京を出た時点では、
もはや信長は室町将軍という権威は必要としていなかった。
権威が必要なら直接朝廷を使えばいいのだから。
0654人間七七四年
2008/01/31(木) 01:00:43ID:GS+zNRUfんだろう? 朝廷の役職だったっけ?
0655人間七七四年
2008/01/31(木) 01:04:13ID:TRy/30G6就任してない(幕府もないし)のに?
0656人間七七四年
2008/01/31(木) 02:55:20ID:05Q3eNOxその話がどこまで本当か知らないが、もし本当にそう名乗ったなら、
単純に相応しい官職名が特になかったからというだけなのでは?
何しろ室町幕府の正式な任命ではないのは明らかなのだし。
もしも、室町幕府の権威を必要としていたのなら、勝手に自称するのではなく、
新たな将軍を擁立して、その下で正式に関東管領でも何でも就任すればよいのだから。
0657人間七七四年
2008/01/31(木) 05:38:45ID:ULesrGrbそれは国家の省庁とは全然別物でオウム真理教の内部の組織名
ってのと同じで
「関東管領」というのも幕府の役職とは全く別物の
織田軍団の中の「関東管領」って事なんじゃない?
0658人間七七四年
2008/01/31(木) 09:48:37ID:Aq99d8Jp国司も名乗り放題
0660人間七七四年
2008/01/31(木) 13:39:55ID:GS+zNRUfふさわしい役職名がなかったからといって幕府のそれを名乗るというのか?
あなたが言うには信長は朝廷の人間なんだろ?おかしくないか?
それに幕府はもうないんだろ?
0661人間七七四年
2008/01/31(木) 13:59:54ID:kU2aRNU8その様に署名された文書なりが残っているの?
信長が彼を正式に管領に任ずるなんて言った文書なりの記録があるの?
彼が上野に派遣されたのを見て、「彼は室町における関東管領みたいなもの」と
言われたようなものなのでは?
そもそも正式な室町幕府の管領職なら上杉が保持しているのだし。
0662人間七七四年
2008/01/31(木) 14:01:20ID:GLp/awg4他の地方で幕府職を名乗るのは意味ないけど、関東で関東管領名乗るのは
結構影響力あるので関東管領名乗らせただけでしょ
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