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何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof
前スレ
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0542人間七七四年2007/09/06(木) 08:37:44ID:yEcQYYcJ
前例がないと朝廷も渋るぞ
徳川三河守任官時がそうじゃないか
0543人間七七四年2007/09/06(木) 14:33:24ID:AQeyfTPA
朝廷からすれば
強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ

源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
0544人間七七四年2007/09/06(木) 20:52:25ID:vlYmRpSu
>>541
解任なんて本人がうんと言う必要もないよ。
0545人間七七四年2007/09/06(木) 20:57:56ID:YSZnfj2y
>>544
実際の力関係が上の人間から言われれば、どっちも本人がうんと言う必要もないわな


で、秀吉が勤皇よりの人間だったから天皇の権威と別の権威を
はっきり打ち上げることになる将軍職を嫌った可能性は無いのかな?

あくまで天皇の政府を取り締まる関白と
あきらかに天皇とは違う政府を作る将軍との違いね。
0546人間七七四年2007/09/06(木) 21:33:31ID:d6SDYOIt
かつての将軍が勝手に武家政権を作っただけの話で
関白になっても同じことが出来るし実際に同じ事をしてるわけだが
0547人間七七四年2007/09/06(木) 21:54:16ID:YSZnfj2y
天皇の朝廷と別に開府するのと、
天皇の朝廷の実権握るのは別じゃないのか?

それと、天皇に専制させなかったから勤皇はありえないと言ってるのか?
勤皇論者はみな天皇の専制を望んでいると思うのなら朱子学を学べ
0548人間七七四年2007/09/06(木) 22:33:02ID:xEiwhhet
どうして勤皇なんてことが出てくるのかがよくわからない
0549人間七七四年2007/09/06(木) 22:37:08ID:YSZnfj2y
天皇を敬う気持ちがあったて言う本来の意味で
幕末の勤皇活動のイメージと一緒にされたら理解できないのは当たり前
0550人間七七四年2007/09/06(木) 22:59:45ID:BxCJoqmr
秀吉の場合は自分の権威付けに天皇を利用したんでしょ
それなら将軍は都合悪いかもね。鎌倉にしても室町にしても朝廷と対立して成立してるから
0551人間七七四年2007/09/07(金) 00:09:48ID:Cq6yagvz
秀吉の政権だって幕府と同じで
朝廷の役職にない奉行だの大老だのを作って運営してたしね
0552人間七七四年2007/09/07(金) 00:10:41ID:Cq6yagvz
それに関白が朝廷の役職で将軍はそうではないという理屈が分からん
0553人間七七四年2007/09/08(土) 07:33:07ID:Zfql/o5O
実際に天皇の政庁である朝廷を取り仕切っていたならともかく、
>>551もいうとおり、実際の秀吉は封建制と奉行を用いた統治を行っていて、
実質的には豊臣家の政治機構を作っただけだしね。
関白は人臣の最高位だからそれを目指すのは至極当たり前だし、
そのことだけで勤皇の志があったという根拠とは言えないと思う。
0554人間七七四年2007/09/08(土) 09:05:34ID:Zfql/o5O
>>539
今まで関白不在が語られていないのが不思議としか言いようがないって、
当時は関白空位ではありませんが?
秀吉が関白になるまでは、二条昭実が関白職に就いていました。
0555人間七七四年2007/09/29(土) 11:36:10ID:TKx2UVTn
>「秀頼が君主の器でないのなら君が天下を治めてくれ」

これなんかもう劉備が孔明に託した遺言のパクリだろ
羅山がアホ以外の何者でもない裏返しだな
で、義昭に断られたってのも真っ赤なウソだな
0556人間七七四年2007/10/01(月) 15:14:43ID:hsRvHRMI
そろそろ上げてみる。誰かまた煽ろう
0557中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/10/02(火) 00:43:36ID:kZdB+h9x
次回開催はどう考えても冬休みだろw
0558人間七七四年2007/10/05(金) 21:06:47ID:VcD1vkFk
知ってるか?最近のゆとりドモには秋休みってのがあるんだぞ。
0559人間七七四年2007/11/05(月) 23:32:25ID:WA6z2++q
このスレが沈んでいく間に日本史板に議論が飛び火してるみたいだな
誰か出張してこないかw
0560人間七七四年2007/11/07(水) 19:13:33ID:BSi4hnSH
このスレで議論なんてやったことないだろ・・・
0561人間七七四年2007/11/07(水) 21:12:23ID:sShaaCzU
日本史板の該当スレに誘導しろよ
0562人間七七四年2007/11/10(土) 09:04:58ID:+2ervALy
むしろ家康は関白になりたがってたんじゃないの?
0563人間七七四年2007/11/10(土) 11:18:08ID:8P38u0uN
「家康はなぜ関白にならずに征夷大将軍になったのか」

すでに内大臣で右大臣以上は欠員、官職ではすでに最高位で
関ケ原以後すぐにでも関白になれる条件にあったのになんで?
0564人間七七四年2007/11/10(土) 17:05:01ID:zjzuNyaK
ポンコツ政権と同じ構造の政権を作ってどうするよ
0565人間七七四年2007/11/10(土) 17:55:28ID:f4+DBEWS
>>563
家康が関白になると「秀吉の政権を家康が引き継ぐ」という意味になってしまい
秀頼(右大臣)やその家臣との関係に影響してくるから
0566人間七七四年2007/11/10(土) 18:58:48ID:+2ervALy
家康が征夷大将軍に就任しても秀頼は家康のことを格下としかみてなかったんだろうけど実際の官位の上では上下関係はどうだったのだろうか。
0567人間七七四年2007/11/10(土) 19:35:24ID:P0YILm4C
官位も秀頼の方が下
0568人間七七四年2007/11/10(土) 20:22:54ID:8P38u0uN
つーか、秀頼があの若さで右大臣にのぼりつめたのは
あきらかに家康の後押しがあったからだろ
0569人間七七四年2007/11/10(土) 22:05:24ID:2sLtwOOu
そうだよ
0570人間七七四年2007/11/10(土) 23:29:58ID:k4KRhzYY
後押しは確かなんだけど、秀頼の為とか秀吉の恩に応えるためというより、
豊臣家への欺瞞作戦みたいなもんだろ

本気で次代将軍は秀頼に継がされると思ってたようだし。
0571人間七七四年2007/11/10(土) 23:33:40ID:eLqDZB0h
建前上、家康は豊臣の家臣みたいなもんだしな
0572人間七七四年2007/11/10(土) 23:44:14ID:JPh2rLVM
>>566
将軍秀忠は内大臣、秀頼は右大臣

0573人間七七四年2007/11/11(日) 00:11:06ID:cHhp0ec8
>>570
家康は豊臣家を徳川家の親藩として残そうと画策してたんだよ
0574中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/11/12(月) 21:28:33ID:XzpZyjyv
>>563
朝廷は関ヶ原後家康の将軍就任の後までも秀頼に関白となるための官位周旋を行ってる

いわば家康と秀頼を両天秤に掛けていたつうのは補任でも読めば一発回答だけどな
0575人間七七四年2007/11/12(月) 23:49:05ID:lN8I8y0a
秀頼が右大臣になれたのは家康の斡旋ではなく朝廷の積極的な働きかけによるものなんですか?
0576人間七七四年2007/11/12(月) 23:59:23ID:aHhGdzG+
家康の斡旋です
0577人間七七四年2007/12/18(火) 16:21:24ID:OSLdGqBF
家康厨ホイホイage
0578人間七七四年2007/12/18(火) 18:37:31ID:Ji78tScM
源氏じゃないから
0579人間七七四年2007/12/18(火) 19:27:11ID:L9QiqqOo
それ関係ないから 
0580人間七七四年2007/12/18(火) 19:43:57ID:skvuMice
>>574
そういう見方もあるかも知れないけど
秀頼が大人になるまでの間、関白という肩書きを与えてムゲに殺されるのを防いで
なおかつ豊臣家を温存する事によって将軍家の専横も抑えてやろうという高度な判断だと思う
0581人間七七四年2007/12/18(火) 20:27:16ID:S5GUITze
>>580
両天秤もあるけど、京都は大坂に近いから豊臣家の影響力が強く残っていたんだと思う
公家たちは、よく大坂へ下向している
0582人間七七四年2007/12/18(火) 20:35:21ID:rI9KUh+2
秀吉は天皇を大事に扱ったからな
一部公家も味方につけてたし。
0583足利末裔2007/12/18(火) 20:57:29ID:m94yiu0B
定説通りとちゃいますか?将軍にならなかったんじゃなくて、なれなかったが正しい表現やと思いますけど。
0584人間七七四年2007/12/19(水) 00:15:01ID:10UYR4SB
平氏と源氏みたいなもんだろ。
将軍は、武家の棟梁でしかないから、
朝廷で実権を握るのが一番と考えたんだろうな。
秀吉が健在の頃は、まだ不安定な状態で、
仮に将軍になっても、朝廷次第でどうなるか解らない状態だったから
平家と同じ形で国を納めたかったんだろな。
0585人間七七四年2007/12/19(水) 01:02:23ID:bsQfLUBV
そうかぁ、もう冬休みだよなぁw
0586人間七七四年2007/12/19(水) 03:15:51ID:ZXYoKBMd
>584 頭領な?棟梁て。大工かよボケ。
0587人間七七四年2007/12/19(水) 05:20:19ID:PKimy9mJ
将軍、なろうと思えばなれただろ。ただ秀吉は就かなかっただけ。
関白になれるのに将軍が無理なわけないだろ。
朝鮮に大量の武士を動員できるほどだぞ。何でも意のまま思いのままです。
0588人間七七四年2007/12/19(水) 07:43:26ID:bsQfLUBV
>>586
はいはい、リアル厨は夜更かししちゃダメよ
図書室で「武家の棟梁」でちゃんと勉強しなさい
0589人間七七四年2007/12/19(水) 09:17:44ID:s4HwmhSa
>>586
しらなかったのか?
源平は大工から影響力を持ち始めた家柄だから棟梁っていうんだぞ
0590人間七七四年2007/12/19(水) 15:17:28ID:3kW5vn/D
秀忠が秀頼をアッー!ってやっちゃったんだよ
0591人間七七四年2007/12/19(水) 21:59:35ID:VFXTuqy+
>>588-589
>>586は釣りなんじゃあないの?
いくらなんでも・・若干なり歴史語る板に出没するなら
「武家の棟梁」の棟梁を頭領
と読み替えるなんて馬鹿なこと普通しないだろ?

0592人間七七四年2007/12/19(水) 22:02:18ID:VFXTuqy+
・・と思ったがリアルで歴史小説に「武家の頭領」
と書く御大が。
間違えても無理ないかも。

誰とはいわないが
戦国の長島巨人軍の作者とだけいえば・・
0593人間七七四年2007/12/20(木) 01:00:18ID:pnNGQ/9Q
間違いなく釣り
なぜなら過去レスにも同じような内容があるから
そう思いながらも釣られてしまうこの快感
0594人間七七四年2008/01/10(木) 22:04:59ID:5ClO2bpH
初めて投稿します。
最初から読ませていただきましたが、みなさん勘違いをなされているようです。
頼朝以降、武士が征夷大将軍になるには清和源氏でないといけないという総意が形成されたことは史実です。
ただし、ただの清和源氏ではなく清和源氏の嫡流の血筋が求められました。
現職の将軍であり、清和源氏の嫡流の足利義昭がいるいじょう秀吉は義昭の養子になるか
義昭に匹敵する源氏の家の養子にならなければ朝廷から将軍には任じられなかっただろうと思われます。
義昭に養子縁組を拒否された秀吉が近衛家の養子という名目で関白に任じられる道を知り
近衛家が養子縁組を許可したので秀吉は関白になりました。
源氏ならば誰でも将軍になれるというのは誤解です。
足利将軍がいるいじょう、その養子になるか足利氏に匹敵する源氏の血筋である
新田氏などの子孫として朝廷に認められない以上
将軍には任命されません。
0595人間七七四年2008/01/10(木) 22:47:33ID:JtmaumZW
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                             |
      ∩___∩             |
      | ノ  _,  ,_ ヽ        ((  | プラプラ
     /  ●   ● |         (=)
     |    ( _●_)  ミ _ (⌒)   J  ))
    彡、   |∪|  ノ
⊂⌒ヽ /    ヽノ  ヽ /⌒つ
  \ ヽ  /         ヽ /
   \_,,ノ      |、_ノ
0596人間七七四年2008/01/10(木) 23:00:31ID:GXhpT3XP
>>594
本当に最初から読んだなら、
当然頼朝以降である、鎌倉幕府の4代・5代将軍が、
藤原氏出身だと分かるはずなんだけどね。
0597人間七七四年2008/01/11(金) 02:10:28ID:oKW8g+TO
>>596
>>594は、みんなに褒めてもらいたいばっかりに
彼なりに一生懸命努力して書きこんだんだから
あんまりいじめちゃ可哀想だよ。
知的に恵まれない不憫な子は、
社会全体が温かい眼で見守ってあげないとね。
0598人間七七四年2008/01/11(金) 03:03:22ID:5Tl3pBm7
どう見ても初めての投稿どころか、いつものヤツ
0599人間七七四年2008/01/11(金) 07:32:48ID:GVNuBKol
いまだに摂家将軍のような例外中の例外を得意気にあげるやつがいるとは… 
さらに言えば四代将軍に頼経が選ばれたのも頼朝との血縁によるものであって
武士の中で源氏が尊ばれていたのは事実。
0600人間七七四年2008/01/11(金) 12:15:22ID:Ul/Bet71
関白は天皇の代わりに政治が出来るからじゃない?

将軍は朝廷から任命されてなるし 官位も低くてもなれる

まぁ公家を抑えるって意味もあって関白になったのかもね
0601人間七七四年2008/01/11(金) 12:58:54ID:roFw4BLQ
関東が徳川家のもんなのに将軍になれるの?
0602人間七七四年2008/01/11(金) 13:20:45ID:twhmFZog
蝦夷の討伐ができるなら
条件なんか関係ない。

坂上田村麻呂もなったじゃないか
0603人間七七四年2008/01/11(金) 16:43:40ID:iambFqE6
>>601
木曾義仲が関東を支配したという話は聞いた事がないぞ
0604人間七七四年2008/01/11(金) 17:44:31ID:duwOCYV4
甲信地方も関東の範疇だから、当時信州豪族を押さえた義仲は正統だという学者もいるけどね。

ぶっちゃけ征夷大将軍なんて朝廷の都合で任命してるだけだから資格なんて語っても仕方ないんじゃ?
0605人間七七四年2008/01/11(金) 21:26:39ID:o5FcyLBd
>>596
4代5代は源氏として将軍になりました
藤原氏として武士の棟梁になったわけではないです
>>599さんは博識
摂家として迎えられたわけでなく清和源氏宗家の継承者として迎えられました
0606中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2008/01/11(金) 22:00:48ID:quac3uqx
あれ?冬休み終わったんじゃねえのかヴぉけ

>>605
吾妻鏡嫁

寛元二年甲辰 征夷大將軍從三位行左近衞權中將藤原朝臣頼嗣
0607人間七七四年2008/01/11(金) 22:26:03ID:778eTmvG
>>605
とうとう歴史捏造ですか。全くお話にならないですね。
0608人間七七四年2008/01/15(火) 15:27:14ID:MBh7MvLt
「関東打はたされ珎重間、将軍ニなさるへきよしと申候へハ」

たしかに甲信地方は関東の範疇なわけだ
0609人間七七四年2008/01/15(火) 22:28:01ID:2P9niP+s
>>601
南関東が徳川の領地になったのは北条家滅亡後
しかも秀吉の配下として南関東に領地替えになった
つまり、南関東が徳川家の領地になった時点で
関東は秀吉が支配している事になる
0610九條前関白太政大臣従一位准三后藤原朝臣具経 ◆1Ixlm5F0XU 2008/01/15(火) 23:37:08ID:06K0BNHP
>>608-609
>>220あたりで昔回答した気がする

つかループしてんなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0611九條前関白太政大臣従一位准三后藤原朝臣具経 ◆1Ixlm5F0XU 2008/01/15(火) 23:38:30ID:06K0BNHP
アンカーミス

>>608
>>220>>239
0612人間七七四年2008/01/21(月) 14:54:55ID:upE5arVh
これは結果論というか、後に家康が将軍になって開幕して
代々安定した政権を運営したという歴史を知ってるからこそ出てくる疑問。
そもそも信長や秀吉に幕府を開くという意思があったのかどうかすら疑問。
0613人間七七四年2008/01/21(月) 22:47:16ID:wyRSaD+2
開くもなにも、幕府は存在していたのだが、
0614人間七七四年2008/01/22(火) 04:27:52ID:aQls1zoq
足利義昭の将軍職を解任していなかった(別段する必要もなかった)だけで
幕府は存在していなかったよハゲ
0615人間七七四年2008/01/22(火) 05:44:18ID:lxtp24R1
信長が幕府を滅ぼして新しい政治体制を築いたと思っているのか? 
義昭が京にいないだけで幕府の官僚機構は存続している。
0616人間七七四年2008/01/22(火) 07:05:50ID:3DTIdem/
>>615
形骸と化してたがな
例えば越後上杉家の関東管領なんかはすでに自称レベルのもんだろ
0617人間七七四年2008/01/22(火) 11:14:28ID:1gkkLGgB
官職なんかも自称多かったしな
0618人間七七四年2008/01/22(火) 21:41:50ID:bYyZkHwP
>>615
いや、確かに名目上幕府は存続していたが、
官僚機構なんて呼べるものはもはや存在しないでしょう。

義昭存命、幕府存続中にもかかわらず、信長に三職推任がいったということは、
朝廷もその頃には、既に室町将軍や幕府の存在など気にしていなかったということ。
0619人間七七四年2008/01/23(水) 02:04:17ID:Amk1eIRZ
>>615
>義昭が京にいないだけで幕府の官僚機構は存続している。
どこに幕府があったの?w
0620人間七七四年2008/01/24(木) 01:37:22ID:wQ72//Vy
まぁなんか室町幕府の滅亡時期に関しては色んな説があるらしいが、
官僚機構の存続とまで言えるかどうか。
0621人間七七四年2008/01/25(金) 02:51:11ID:y44kcUWy
>>615
>義昭が京にいないだけで幕府の官僚機構は存続している。
ねえ、どこに幕府があったの?w
0622人間七七四年2008/01/25(金) 16:26:35ID:P5Ef+fqh
>>616 >>621
質問するが 
・幕府の定義は?
・室町幕府が消滅したというならば、それはいつ?何を根拠として?
0623人間七七四年2008/01/25(金) 16:49:25ID:P5Ef+fqh
訂正 616×
619〇
0624中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2008/01/25(金) 17:18:59ID:2a6jVjyL
「中世に国家はあったか?」

その質問はこの論争に似てるな
つか幕府の定義を質問する時点で何かおかしいことに早く気付くんだ!!!!11!!1!
0625人間七七四年2008/01/25(金) 22:26:35ID:P5Ef+fqh
中野うるせえよ、自分の意見もないくせにチャチャ入れる
奴が気にくわなかっただげだよ
0626中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2008/01/25(金) 23:11:03ID:2a6jVjyL
ID:P5Ef+fqhよ俺様にはおまえの言いたいことはよぉぉぉぉぉぉぉく解ってんだ

奉公衆がどんだけ義昭に付いてったかってことも
義昭がいつ将軍を辞めたかってこともよ

ただ釣り針がでかすぎるわおまえw
0627人間七七四年2008/01/28(月) 06:26:17ID:+PsT+X8k
>>622
屁理屈はいいから
幕府という政府機関とその官僚機構がどこに存在していたのか教えてよ
0628人間七七四年2008/01/28(月) 13:19:22ID:m0tpmHSz
おまえがバカだということはわかった、 
0629人間七七四年2008/01/28(月) 13:41:24ID:kfGmQgvv
>>627
>>622の後者の質問は別だが、前者の質問は大事なことでは
詳しくは読んでないから知らないけど、鞆幕府だっけ、毛利に逃れた義昭が組織してたという体制
あれが幕府残存の機構としていけるんじゃないのか
0630人間七七四年2008/01/28(月) 14:00:07ID:JJl5Z31B
小和田先生に聞こう。
0631人間七七四年2008/01/28(月) 18:50:45ID:kfGmQgvv
前後しちゃったけど
>>625
何でコテ付けてるか、考えてみ
またコテをつけることによって、こちらにも対応する術が発生するということも考えてみ
バカは基本的にスルーしたほうがいいと思うよ
どうせレスしたところで反応は目に見えてるんだから
0632人間七七四年2008/01/28(月) 20:09:31ID:Fx0kE4UI
>>629
税収(年貢米)の流れはどうなってる?
直轄領(天領)から直に幕府に年貢米が届いたのか?
0633人間七七四年2008/01/28(月) 21:41:36ID:kfGmQgvv
>>632
「詳しくは読んでないから知らないけど」
それ以前に、いわゆる義昭追放以前から献上米は途絶し始めてるんじゃないのか?
各地荘園も渋り始めてるし、朝廷すらも衰微していってる状況で、幕府が安穏と受け取ってるというのは考えにくいが
そりゃ多少はあるだろうが、それは三好らの権力と結びついた結果じゃないの?
0634人間七七四年2008/01/29(火) 11:43:04ID:VVI481gq
>>632
毛利からもらえるから別にいいじゃない?
実際輝元が副将軍になってたし。
0635人間七七四年2008/01/29(火) 12:34:12ID:AKvmP992
晩年は秀吉からも捨扶持もらってたなそういや
0636人間七七四年2008/01/29(火) 14:10:47ID:jROk0z+J
収入も軍事力もほとんどなく、権威の切り売りだけでなりたっていた室町幕府に、
すでに実力で権威を付与する立場にのしあがってきた信長秀吉が
その幕府の後を襲う形にこだわる必要はまったくなかった。
義昭が将軍位にながくとどまっていたのは結果論にすぎない。
0637人間七七四年2008/01/29(火) 15:38:39ID:dJiIyK52
0638人間七七四年2008/01/29(火) 18:15:30ID:A8YyDqFF
>>636 
その権利の切り売りがあったからこそ信長は義昭を将軍のままにしておいた 
のではないのか、だから結果論ではないと思う。
0639人間七七四年2008/01/29(火) 18:41:08ID:DL/iaobW
>>638
将軍職を解任する権限を持っているのは朝廷なんだけど
朝廷もわざわざ解任する必要もないという判断であえて解任しなかっただけで
実質的には他国に亡命した時点で何の将軍としては終了してる
0640人間七七四年2008/01/29(火) 19:10:00ID:+qcodhdK
亡命した足利将軍なんて結構いるだろ
前は追い出した方が新しい将軍立てたり、追い出された将軍を引き取った方が
その亡命将軍推したてて上洛したりしてた。将軍位にまだ権威や利用価値が
あったからね
0641人間七七四年2008/01/29(火) 21:41:29ID:jROk0z+J
>>640
そのとおり。信長が室町幕府の権威をまだ必要としていたなら、
足利氏の別の誰かを再び擁立すればよいので、義昭をとどめておく必要はない。
義昭の存在が将軍就任の障害になるなら、そもそも「三職推任」問題はおこらなかった。
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