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何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof
前スレ
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0472人間七七四年2007/06/07(木) 07:10:46ID:JJBla47o
ガセビアの沼向けの話題だな
0473人間七七四年2007/06/07(木) 14:00:20ID:WjvDMW7Q
>>470
コラム作者にとっては関白は消去法でなれる地位としか思ってないんだろう。
0474人間七七四年2007/06/07(木) 17:00:02ID:bYAJXOiN
>>471
>どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
>一般に流布している俗説

それは初耳だった
いつからそんなデマが広がったんだろうか?
0475人間七七四年2007/06/07(木) 18:22:14ID:ZFbqHhX6
江戸時代から

御用学者のヨイショだけじゃなく紫衣事件等で
公家の扱いが悪かったからなぁ

京に住む民衆ならともかく幕府が証人喚問で呼び出した
高位の公家なんかを江戸市民は目撃してるし
0476人間七七四年2007/06/07(木) 18:58:20ID:1ESmyzJQ
>>474
そういう俗説を知らなかったならむしろ幸運だと思うが、
まあ要するに江戸時代の御用学者が徳川家の権威を高める為に流布した説。
「秀吉は将軍になりたかったがなれなかった、
しかし家康はその将軍になれた(だから将軍家の方が尊い)」というような論法。

こういう背景があるからこそ、このスレなどでも、
繰り返し「なりたかったがなれなかった」派が現れる。
私自身、関白という位の意味や、藤原氏も将軍になっているという事実を知るまでは、
この俗説を信じていた。
今にして思えばずい分恥ずかしいことをしていたものだと思う。
0477中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/06/07(木) 21:05:35ID:GVm6P585
こうして一人一人"俗説"という名の呪縛から解放されていくのだよ

ほぼ一次と呼べる史料に基づいて編纂された史料集覧や大日本史料と呼ばれるような
いわゆる「通史」には征夷大将軍における秀吉の猟官運動については一切記されていないし
もちろん当代の朝廷に近かった公家どもの日記にも一切記されていない

これを前提としてもう一度整理してみるが
一般に流布されてきた"俗説"とは何だったのかそれはどのようなものだったのか

1.「秀吉は正親町天皇からの将軍要請を辞退した」(多聞院日記)
   この説の信憑性については>>173および>>171で否定しておいた
2.「秀吉は足利義昭から将軍職を断られた」(豐臣秀吉系譜)
   豐臣秀吉系譜については原本および著者・林羅山が書くにあたって根拠としたソースの記述もない
   ただ徳川史観で編纂された「後鑑」の中に綱文があり「林はこう書いている」とあるだけ

実際に秀吉は将軍に任官されなかった。位人臣を極めた「あの秀吉が」である。
あれほどの権力を持った秀吉が何故将軍にならなかったのかあるいはなれなかったのか
(なれなかった、については俺様の上のほうのレスで否定しているが)

このスレでも書かれているが史料がない以上推論に走るほかなく
当時はこのスレ以上に人々は色々と噂し、納得いく答えが欲しかったはずである
ま、その結果として俗説が生まれただろうことは容易に想像できるわな。

こうした俗説は根拠がないから俗説であって、こうして紐解いていけば考えら得る着地点としては
「秀吉は将軍には な ら な か っ た 」という状況証拠と
「秀吉は将軍になる必要がなかった」という比較的妥当な推論を得られるだけ。
史料を読み込む+αの限界がこの辺りだろうな

史学的検証を付け加えるなら
「だからといってこれらの俗説を否定するに足る史料はないわけで俗説を完全に否定することは出来ない」
という補足を付け加えればもう充分だろう
0478人間七七四年2007/06/07(木) 23:34:38ID:HY3gWJG8
記憶
0479人間七七四年2007/06/08(金) 02:52:39ID:XOv8koLQ
さて、あのむきになってた馬鹿もなりをひそめたことだし、再びどこかの馬鹿がスレを上げるまでここは凍結です
ではみなさんよいお年を!
0480人間七七四年2007/06/08(金) 16:22:36ID:7qts7ivA
じゃあ今週のキチガイ当番は君に決定!
0481人間七七四年2007/06/08(金) 16:51:58ID:tadxIQR6
あ、俺にきちがい当番が当たったよ。
今週のって事は一週間がんばらにゃならんのか。厳しいね。
0482人間七七四年2007/06/08(金) 16:57:56ID:tadxIQR6
征夷大将軍ってのは戦国末期でははっきり言えばさびた名刀のようなもの
逆に関白って言うのはでかくて質の良いダイヤみたいなもんだな。

錆びた刀なんて誰が欲しがる?錆びてるんじゃ切れもしないぜ。
ダイヤだったら見せびらかせるし、綺麗だぜ。

ただ、カタナはちゃんと研げば名刀に戻るし名刀に戻れば人を脅せるし、人を殺せる。
秀吉はカタナを研ぐって言う発想がなかったから将軍にはならなかった。
家康は錆びた刀を研ぎなおしてちゃんと武器に戻した。

まあ、ダイヤだってちゃんと工業利用すれば恐ろしい武器にはできるんだけどね。
あと関白も関白の権限を利用すればいろんな事が出来たと思うけど、
秀吉はそれほど、無茶をしてない気はする。勿体無いなあとおもってしまうよ。

by 今週の当番
0483人間七七四年2007/06/08(金) 23:54:08ID:McG/t/5K
本当にアホだなオマエラwww

天才のオレ様が正解を教えてやろう
秀吉は信長の家臣だった頃に
将軍の命令を聞かない勢力・将軍の指揮下にない勢力と
死闘を繰り広げていたので将軍になっても価値は低いと考えたんだよ
将軍の言う事を聞かないやつでも天皇の命令は聞いたので
秀吉は天皇になろうと思ったけどなれなくて関白になったんだよ
分かったかクズどもwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0484人間七七四年2007/06/09(土) 00:04:24ID:0YxFTYHP
切れ過ぎ。
0485人間七七四年2007/06/09(土) 15:23:09ID:hDw4+IBC
将軍という肩書きは武家の統制にしか役に立たない
当時としては何の役にも立たない役職だった
関白なら朝廷にも寺社にも役に立つ肩書きだし
一揆衆を抑えるのにも重要な役職だよ
だから秀吉は天皇になれなくて関白になったんだよ
0486人間七七四年2007/06/09(土) 19:50:55ID:St4IjpWF
関白と将軍を兼任することはできなかったの?
0487人間七七四年2007/06/09(土) 20:07:44ID:5jZdbu7m
そこら辺は微妙なところだけど、
とりあえず、あえて兼任する必要はなかったってところでしょう。

現代から見ると、大成功といってよい徳川家の例があるので、
どうせなら将軍職もあった方が良かっただろうと思えるが、
秀吉の時代では、関白になれた以上あえて将軍に固執する必然性はない。
0488人間七七四年2007/06/09(土) 22:46:41ID:zsjdYCHE
>>487
正解
0489人間七七四年2007/06/09(土) 23:48:05ID:KC9muJNF
将軍がさらなる上の位を求めた例はあるけどね(源実朝、足利義満、足利義政、etc)。
逆は知らないなあ。
0490人間七七四年2007/06/15(金) 20:27:52ID:PuuWtRhB
関白が天皇を代理する武家政権ってのもしっくりこないんだけど
0491人間七七四年2007/06/16(土) 10:51:48ID:d8OiOz6s
信長が神を目指していたように、秀吉もさらに上を目指すつもりだったから、
関白だろうが将軍だろうが、通過点だからどっちでもよかったんじゃないかと。
0492人間七七四年2007/06/16(土) 22:43:48ID:l0b9BP9v
まだやってんのか
0493人間七七四年2007/06/17(日) 11:29:57ID:nfOjJkgv
>>491
>信長が神を目指していた

何、その俗説
0494人間七七四年2007/06/17(日) 15:10:28ID:eKPatP3F
京子ちゃん説だろ
信長と十字架でそんなこと言ってる
0495人間七七四年2007/06/20(水) 19:54:57ID:lpAdTCHf
太政大臣、征夷大将軍、関白・3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1180987995
0496人間七七四年2007/06/20(水) 22:42:38ID:KJaHkfPx
種無しは将軍にはなれぬのじゃ。(by 家康)
0497人間七七四年2007/06/22(金) 21:01:37ID:r8lMBCPJ
家康は実際に神として祀られたしな
0498人間七七四年2007/06/22(金) 21:18:08ID:1acEpLfi
秀吉も神格化されて豊国神社に祀られたけど、家康に遺棄された。
0499人間七七四年2007/06/22(金) 21:27:16ID:Y+AvN12R
今は信長も秀吉も家康も皆神様だな
0500人間七七四年2007/06/23(土) 10:47:44ID:XI3ulFIj
信長は神様になっていたか?
0501人間七七四年2007/06/23(土) 11:57:12ID:12A8MZr4
第六天魔王だな
0502人間七七四年2007/06/23(土) 12:26:23ID:hA68/0hX
明治時代になって信長の尊皇の志が評価され、明治天皇から正一位の神格が贈られた>信長
別格官幣社建勲神社がそう
0503人間七七四年2007/06/23(土) 18:18:50ID:XI3ulFIj
>>502
そうだったのか、知らなかった。
情報ありがとうございます。
0504人間七七四年2007/06/23(土) 23:22:44ID:3urGudOm
ノブも秀吉、家康の仲間になれてよかったな
0505人間七七四年2007/07/02(月) 16:26:40ID:+CowluRH
>>490
そりゃ豊臣政権が10年そこらで終わったからだろう。
多分、江戸幕府みたいに250年以上続いたら話が違ってくる。
0506人間七七四年2007/07/02(月) 22:22:50ID:rn2RBlJR
「関白が」の部分を「征夷大将軍が」に置き換えても同じことが言える品
0507人間七七四年2007/07/06(金) 14:52:50ID:yVske4Y7
というわけで
これにて一件落着
0508人間七七四年2007/08/30(木) 23:09:15ID:lEshouPl
ありがとうございました
0509人間七七四年2007/09/02(日) 16:36:39ID:NDjtAt1y
>>1
近衛家の猶子になったから関白になれたんだろうが、
なんで関白でも将軍でも好きな方を選べたとか言ってるんだ?
羅山の話が事実かどうかは別にして将軍になりたければ足利家の猶子
になるというのは方法論としては妥当だと思うが
考え方じゃないか、
0510人間七七四年2007/09/02(日) 19:27:36ID:THZSVviu
なんで?征夷大将軍は関白と違って持ち回りでもなければ、まして世襲でもないのに
足利源氏の血統を必要とする理由なんてどこにもないだろ
0511人間七七四年2007/09/03(月) 01:47:58ID:fNQnbivM
>まして世襲でもない
室町幕府は15代に渡り世襲できてるんだが・・・
>足利源氏の血統を・・・
それは関白にもいえる、少なくても室町時代は足利家が独占
していたわけで、関白よりもなれる家が限られていた
0512人間七七四年2007/09/03(月) 02:32:49ID:RwE9UqEF
足利家15代を世襲というなら
関白も藤原家代々の世襲と言えてしまうな。
0513人間七七四年2007/09/03(月) 02:40:11ID:gKmnvfRn
世襲の意味わかってる?
関白の持ち回りは世襲とは言わないよ
0514人間七七四年2007/09/03(月) 06:51:45ID:8Zvp6tUc
明応の政変以降の将軍職が世襲といえるのだろうか?
0515人間七七四年2007/09/03(月) 07:10:26ID:r7ag2ErH
傍系や弟が継いでも世襲?
つーか、別に征夷大将軍なりたきゃなればいいのよ
坂上も藤原も皇族もなってんだから今更源氏にこだわる必要ない
それこそ関白みたいに強引に猶子になる必要ナシ
0516人間七七四年2007/09/03(月) 07:56:16ID:plLQPTNN
>>509
このスレを読み直しなよ。
0517人間七七四年2007/09/03(月) 08:40:31ID:clqpU5Cn
理由:家康が大嫌いだった。
秀吉様は家康をことのほか嫌っていた。
予知能力の有る秀吉様は家康が将軍となることを見越しておられた。
そのため将軍よりは上位である関白となった。

0518人間七七四年2007/09/03(月) 08:42:18ID:WWbPu6gR
百姓や足軽の子が将軍職に就いたという
前例を残したくなかったからだろう
武家の棟梁なんだから
0519人間七七四年2007/09/03(月) 09:38:13ID:sxlEWFa6
百姓や足軽の子が関白職に就いたという
前例を残したかったからだろう
人臣の最高職なんだから
0520人間七七四年2007/09/03(月) 20:28:15ID:fFxGbn2t
>羅山の話が事実かどうかは別にして将軍になりたければ足利家の猶子
>になるというのは方法論としては妥当だと思うが

足利家の猶子になって将軍になった者など一人もいないのに
どこが妥当なのか説明くわしく
0521人間七七四年2007/09/03(月) 21:59:14ID:gKmnvfRn
↑関白になる時に使った手法と同じじゃねえか、
0522人間七七四年2007/09/03(月) 22:57:23ID:fFxGbn2t
関白職は代々摂関家が代々世襲しているので
関白になるための手続きとして
摂関家の養子になるという方法を取ったのはいいとして
(これも当時としては物凄い荒技だが)
それと同じ手続きが将軍職に就くためにも必要だという根拠がないわけで
その辺の説明を一切拒否して「とにかく必要だ」という意見はおかしくないですか
0523人間七七四年2007/09/03(月) 23:07:14ID:RwE9UqEF
当の足利を追放した信長に征夷大将軍やらんか?と朝廷が言ってるのに
足利の猶子もなにも・・・
0524人間七七四年2007/09/04(火) 02:43:25ID:HcJ0urse
家康だって、将軍になるのに足利の猶子になんぞなってない。
0525人間七七四年2007/09/04(火) 03:37:08ID:dwm9yD1Y
やっぱり当時の世相として血筋というのは
大きな影響があっただろう
最低でも武家の子なら将軍職になれたと思う
0526人間七七四年2007/09/04(火) 10:45:36ID:XDDj+hjt
>>524
家系は平氏から源氏へ捏造済みだったしね。
0527人間七七四年2007/09/04(火) 13:14:05ID:BSo5Crtn
>>522
おもいっきりダブスタだな、何も言えん
>>525
屁理屈
0528人間七七四年2007/09/04(火) 16:52:21ID:dhu4wwgi
>>526
平氏の信長でもなれたんだから源氏捏造は関東支配の為だろ
0529人間七七四年2007/09/04(火) 19:45:00ID:K44Ze+4l
朝廷からすれば
強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ

源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
0530人間七七四年2007/09/04(火) 19:56:11ID:lOBr6qYV
>>525
血筋が大切なら、天皇の外戚である藤原氏以外は、
かつて一度も就任していない関白になる方がよっぽど大変なことだが。

もちろん、藤原氏の養子になったからこそ可能だったわけだろうが、
それだったら同じ藤原氏は将軍にもなっているのだから、
どうしても将軍になりたかったなら、藤原氏の養子から将軍になっても良かった。
それをしなかったのは、やはり将軍より関白の方が良いと思ったからだろう。
0531人間七七四年2007/09/04(火) 21:20:13ID:oXeP09yE
>>528
源氏改姓がいつだと思ってるんだ
0532人間七七四年2007/09/04(火) 21:39:13ID:k438Zw7O
秀吉としては自分らで傀儡として利用し追放した将軍位に大して魅力を感じてない
織田信長の最高位が右大臣でそれを超える官位として関白の方が良いに決まってる
家康は関が原当事は一応豊臣家の家老という建前なので関白にはつけない
となれば征夷大将軍の方を選んだ
と簡単に思ってたんだが違うのかい?
0533人間七七四年2007/09/04(火) 21:46:47ID:K44Ze+4l
>>532
それでいいと思うよ
加えて言うと、秀吉が関白になったくらいの時代はまだ治安が安定していなかったんだけど
治安を安定させる力は将軍職にはなかったんだよ

将軍は「武家のトップ」でしかないので武家しか統治できず
一揆や寺社には力が及ばなかった事を信長配下の秀吉は実感している
本願寺は将軍の命令は聞かなかったが天皇の命令を聞いて石山寺から撤退した
0534人間七七四年2007/09/05(水) 06:11:37ID:fEkGu5JZ
関白なんかなったから将軍職の家康に滅ぼされた
ようするに秀吉はアホ
0535人間七七四年2007/09/05(水) 07:37:28ID:8nnUY8QY
下手糞な釣りだな
0536中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/09/05(水) 23:16:39ID:0healmVw
いまさらこんなスレ持ち上げてるおまえらドッグスメーン
俺様を完全にディスってるとしか思えないなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

信長横死後に秀吉に必要だったのは何だったのか?

それに対する俺様の推論(>>250)がすべてを現しているだろうがッ!!!111!!


秀吉が可及的速やかに行わなければならなかったのは信長の継承者としての地位
他社の圧倒であり越官、そして彼を取り巻く公武門跡に対して戦略的優位に立つことに他ならない

つまり自己の政権統制に必要な関白とか将軍という官は秀吉躍進の初期段階にはさしあって必要ないのだよ。
0537人間七七四年2007/09/06(木) 01:06:54ID:eBtTSmUB
他社の圧倒
0538人間七七四年2007/09/06(木) 01:08:06ID:eBtTSmUB
彼を取り巻く公武門跡
0539人間七七四年2007/09/06(木) 02:02:11ID:QeBr1QiR
>>1 単純なこと、将軍職には義昭がおり、関白は空位だったこと 
少なくてもまったくの間違いだとは言えないと思うが
今まで関白不在が語られていないのが不思議としか言いようがない、
0540人間七七四年2007/09/06(木) 03:17:09ID:pYfTzWGz
秀吉が将軍職が必要だと思えば朝廷は義昭を解任すればいいだけの話
秀吉を摂関家の養子にするよりはずっと簡単な手続きはなず
0541人間七七四年2007/09/06(木) 06:16:30ID:V9SEdNSE
>>540
そうか?養子なんて本人がうんと言えばいいだけの話だぞ、
0542人間七七四年2007/09/06(木) 08:37:44ID:yEcQYYcJ
前例がないと朝廷も渋るぞ
徳川三河守任官時がそうじゃないか
0543人間七七四年2007/09/06(木) 14:33:24ID:AQeyfTPA
朝廷からすれば
強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ

源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
0544人間七七四年2007/09/06(木) 20:52:25ID:vlYmRpSu
>>541
解任なんて本人がうんと言う必要もないよ。
0545人間七七四年2007/09/06(木) 20:57:56ID:YSZnfj2y
>>544
実際の力関係が上の人間から言われれば、どっちも本人がうんと言う必要もないわな


で、秀吉が勤皇よりの人間だったから天皇の権威と別の権威を
はっきり打ち上げることになる将軍職を嫌った可能性は無いのかな?

あくまで天皇の政府を取り締まる関白と
あきらかに天皇とは違う政府を作る将軍との違いね。
0546人間七七四年2007/09/06(木) 21:33:31ID:d6SDYOIt
かつての将軍が勝手に武家政権を作っただけの話で
関白になっても同じことが出来るし実際に同じ事をしてるわけだが
0547人間七七四年2007/09/06(木) 21:54:16ID:YSZnfj2y
天皇の朝廷と別に開府するのと、
天皇の朝廷の実権握るのは別じゃないのか?

それと、天皇に専制させなかったから勤皇はありえないと言ってるのか?
勤皇論者はみな天皇の専制を望んでいると思うのなら朱子学を学べ
0548人間七七四年2007/09/06(木) 22:33:02ID:xEiwhhet
どうして勤皇なんてことが出てくるのかがよくわからない
0549人間七七四年2007/09/06(木) 22:37:08ID:YSZnfj2y
天皇を敬う気持ちがあったて言う本来の意味で
幕末の勤皇活動のイメージと一緒にされたら理解できないのは当たり前
0550人間七七四年2007/09/06(木) 22:59:45ID:BxCJoqmr
秀吉の場合は自分の権威付けに天皇を利用したんでしょ
それなら将軍は都合悪いかもね。鎌倉にしても室町にしても朝廷と対立して成立してるから
0551人間七七四年2007/09/07(金) 00:09:48ID:Cq6yagvz
秀吉の政権だって幕府と同じで
朝廷の役職にない奉行だの大老だのを作って運営してたしね
0552人間七七四年2007/09/07(金) 00:10:41ID:Cq6yagvz
それに関白が朝廷の役職で将軍はそうではないという理屈が分からん
0553人間七七四年2007/09/08(土) 07:33:07ID:Zfql/o5O
実際に天皇の政庁である朝廷を取り仕切っていたならともかく、
>>551もいうとおり、実際の秀吉は封建制と奉行を用いた統治を行っていて、
実質的には豊臣家の政治機構を作っただけだしね。
関白は人臣の最高位だからそれを目指すのは至極当たり前だし、
そのことだけで勤皇の志があったという根拠とは言えないと思う。
0554人間七七四年2007/09/08(土) 09:05:34ID:Zfql/o5O
>>539
今まで関白不在が語られていないのが不思議としか言いようがないって、
当時は関白空位ではありませんが?
秀吉が関白になるまでは、二条昭実が関白職に就いていました。
0555人間七七四年2007/09/29(土) 11:36:10ID:TKx2UVTn
>「秀頼が君主の器でないのなら君が天下を治めてくれ」

これなんかもう劉備が孔明に託した遺言のパクリだろ
羅山がアホ以外の何者でもない裏返しだな
で、義昭に断られたってのも真っ赤なウソだな
0556人間七七四年2007/10/01(月) 15:14:43ID:hsRvHRMI
そろそろ上げてみる。誰かまた煽ろう
0557中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/10/02(火) 00:43:36ID:kZdB+h9x
次回開催はどう考えても冬休みだろw
0558人間七七四年2007/10/05(金) 21:06:47ID:VcD1vkFk
知ってるか?最近のゆとりドモには秋休みってのがあるんだぞ。
0559人間七七四年2007/11/05(月) 23:32:25ID:WA6z2++q
このスレが沈んでいく間に日本史板に議論が飛び火してるみたいだな
誰か出張してこないかw
0560人間七七四年2007/11/07(水) 19:13:33ID:BSi4hnSH
このスレで議論なんてやったことないだろ・・・
0561人間七七四年2007/11/07(水) 21:12:23ID:sShaaCzU
日本史板の該当スレに誘導しろよ
0562人間七七四年2007/11/10(土) 09:04:58ID:+2ervALy
むしろ家康は関白になりたがってたんじゃないの?
0563人間七七四年2007/11/10(土) 11:18:08ID:8P38u0uN
「家康はなぜ関白にならずに征夷大将軍になったのか」

すでに内大臣で右大臣以上は欠員、官職ではすでに最高位で
関ケ原以後すぐにでも関白になれる条件にあったのになんで?
0564人間七七四年2007/11/10(土) 17:05:01ID:zjzuNyaK
ポンコツ政権と同じ構造の政権を作ってどうするよ
0565人間七七四年2007/11/10(土) 17:55:28ID:f4+DBEWS
>>563
家康が関白になると「秀吉の政権を家康が引き継ぐ」という意味になってしまい
秀頼(右大臣)やその家臣との関係に影響してくるから
0566人間七七四年2007/11/10(土) 18:58:48ID:+2ervALy
家康が征夷大将軍に就任しても秀頼は家康のことを格下としかみてなかったんだろうけど実際の官位の上では上下関係はどうだったのだろうか。
0567人間七七四年2007/11/10(土) 19:35:24ID:P0YILm4C
官位も秀頼の方が下
0568人間七七四年2007/11/10(土) 20:22:54ID:8P38u0uN
つーか、秀頼があの若さで右大臣にのぼりつめたのは
あきらかに家康の後押しがあったからだろ
0569人間七七四年2007/11/10(土) 22:05:24ID:2sLtwOOu
そうだよ
0570人間七七四年2007/11/10(土) 23:29:58ID:k4KRhzYY
後押しは確かなんだけど、秀頼の為とか秀吉の恩に応えるためというより、
豊臣家への欺瞞作戦みたいなもんだろ

本気で次代将軍は秀頼に継がされると思ってたようだし。
0571人間七七四年2007/11/10(土) 23:33:40ID:eLqDZB0h
建前上、家康は豊臣の家臣みたいなもんだしな
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