何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0472人間七七四年
2007/06/07(木) 07:10:46ID:JJBla47o0474人間七七四年
2007/06/07(木) 17:00:02ID:bYAJXOiN>どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
>一般に流布している俗説
それは初耳だった
いつからそんなデマが広がったんだろうか?
0475人間七七四年
2007/06/07(木) 18:22:14ID:ZFbqHhX6御用学者のヨイショだけじゃなく紫衣事件等で
公家の扱いが悪かったからなぁ
京に住む民衆ならともかく幕府が証人喚問で呼び出した
高位の公家なんかを江戸市民は目撃してるし
0476人間七七四年
2007/06/07(木) 18:58:20ID:1ESmyzJQそういう俗説を知らなかったならむしろ幸運だと思うが、
まあ要するに江戸時代の御用学者が徳川家の権威を高める為に流布した説。
「秀吉は将軍になりたかったがなれなかった、
しかし家康はその将軍になれた(だから将軍家の方が尊い)」というような論法。
こういう背景があるからこそ、このスレなどでも、
繰り返し「なりたかったがなれなかった」派が現れる。
私自身、関白という位の意味や、藤原氏も将軍になっているという事実を知るまでは、
この俗説を信じていた。
今にして思えばずい分恥ずかしいことをしていたものだと思う。
0477中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/06/07(木) 21:05:35ID:GVm6P585ほぼ一次と呼べる史料に基づいて編纂された史料集覧や大日本史料と呼ばれるような
いわゆる「通史」には征夷大将軍における秀吉の猟官運動については一切記されていないし
もちろん当代の朝廷に近かった公家どもの日記にも一切記されていない
これを前提としてもう一度整理してみるが
一般に流布されてきた"俗説"とは何だったのかそれはどのようなものだったのか
1.「秀吉は正親町天皇からの将軍要請を辞退した」(多聞院日記)
この説の信憑性については>>173および>>171で否定しておいた
2.「秀吉は足利義昭から将軍職を断られた」(豐臣秀吉系譜)
豐臣秀吉系譜については原本および著者・林羅山が書くにあたって根拠としたソースの記述もない
ただ徳川史観で編纂された「後鑑」の中に綱文があり「林はこう書いている」とあるだけ
実際に秀吉は将軍に任官されなかった。位人臣を極めた「あの秀吉が」である。
あれほどの権力を持った秀吉が何故将軍にならなかったのかあるいはなれなかったのか
(なれなかった、については俺様の上のほうのレスで否定しているが)
このスレでも書かれているが史料がない以上推論に走るほかなく
当時はこのスレ以上に人々は色々と噂し、納得いく答えが欲しかったはずである
ま、その結果として俗説が生まれただろうことは容易に想像できるわな。
こうした俗説は根拠がないから俗説であって、こうして紐解いていけば考えら得る着地点としては
「秀吉は将軍には な ら な か っ た 」という状況証拠と
「秀吉は将軍になる必要がなかった」という比較的妥当な推論を得られるだけ。
史料を読み込む+αの限界がこの辺りだろうな
史学的検証を付け加えるなら
「だからといってこれらの俗説を否定するに足る史料はないわけで俗説を完全に否定することは出来ない」
という補足を付け加えればもう充分だろう
0478人間七七四年
2007/06/07(木) 23:34:38ID:HY3gWJG80479人間七七四年
2007/06/08(金) 02:52:39ID:XOv8koLQではみなさんよいお年を!
0480人間七七四年
2007/06/08(金) 16:22:36ID:7qts7ivA↓
0481人間七七四年
2007/06/08(金) 16:51:58ID:tadxIQR6今週のって事は一週間がんばらにゃならんのか。厳しいね。
0482人間七七四年
2007/06/08(金) 16:57:56ID:tadxIQR6逆に関白って言うのはでかくて質の良いダイヤみたいなもんだな。
錆びた刀なんて誰が欲しがる?錆びてるんじゃ切れもしないぜ。
ダイヤだったら見せびらかせるし、綺麗だぜ。
ただ、カタナはちゃんと研げば名刀に戻るし名刀に戻れば人を脅せるし、人を殺せる。
秀吉はカタナを研ぐって言う発想がなかったから将軍にはならなかった。
家康は錆びた刀を研ぎなおしてちゃんと武器に戻した。
まあ、ダイヤだってちゃんと工業利用すれば恐ろしい武器にはできるんだけどね。
あと関白も関白の権限を利用すればいろんな事が出来たと思うけど、
秀吉はそれほど、無茶をしてない気はする。勿体無いなあとおもってしまうよ。
by 今週の当番
0483人間七七四年
2007/06/08(金) 23:54:08ID:McG/t/5K天才のオレ様が正解を教えてやろう
秀吉は信長の家臣だった頃に
将軍の命令を聞かない勢力・将軍の指揮下にない勢力と
死闘を繰り広げていたので将軍になっても価値は低いと考えたんだよ
将軍の言う事を聞かないやつでも天皇の命令は聞いたので
秀吉は天皇になろうと思ったけどなれなくて関白になったんだよ
分かったかクズどもwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0484人間七七四年
2007/06/09(土) 00:04:24ID:0YxFTYHP0485人間七七四年
2007/06/09(土) 15:23:09ID:hDw4+IBC当時としては何の役にも立たない役職だった
関白なら朝廷にも寺社にも役に立つ肩書きだし
一揆衆を抑えるのにも重要な役職だよ
だから秀吉は天皇になれなくて関白になったんだよ
0486人間七七四年
2007/06/09(土) 19:50:55ID:St4IjpWF0487人間七七四年
2007/06/09(土) 20:07:44ID:5jZdbu7mとりあえず、あえて兼任する必要はなかったってところでしょう。
現代から見ると、大成功といってよい徳川家の例があるので、
どうせなら将軍職もあった方が良かっただろうと思えるが、
秀吉の時代では、関白になれた以上あえて将軍に固執する必然性はない。
0489人間七七四年
2007/06/09(土) 23:48:05ID:KC9muJNF逆は知らないなあ。
0490人間七七四年
2007/06/15(金) 20:27:52ID:PuuWtRhB0491人間七七四年
2007/06/16(土) 10:51:48ID:d8OiOz6s関白だろうが将軍だろうが、通過点だからどっちでもよかったんじゃないかと。
0492人間七七四年
2007/06/16(土) 22:43:48ID:l0b9BP9v0493人間七七四年
2007/06/17(日) 11:29:57ID:nfOjJkgv>信長が神を目指していた
何、その俗説
0494人間七七四年
2007/06/17(日) 15:10:28ID:eKPatP3F信長と十字架でそんなこと言ってる
0495人間七七四年
2007/06/20(水) 19:54:57ID:lpAdTCHfhttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1180987995
0496人間七七四年
2007/06/20(水) 22:42:38ID:KJaHkfPx0497人間七七四年
2007/06/22(金) 21:01:37ID:r8lMBCPJ0498人間七七四年
2007/06/22(金) 21:18:08ID:1acEpLfi0499人間七七四年
2007/06/22(金) 21:27:16ID:Y+AvN12R0500人間七七四年
2007/06/23(土) 10:47:44ID:XI3ulFIj0501人間七七四年
2007/06/23(土) 11:57:12ID:12A8MZr40502人間七七四年
2007/06/23(土) 12:26:23ID:hA68/0hX別格官幣社建勲神社がそう
0504人間七七四年
2007/06/23(土) 23:22:44ID:3urGudOm0505人間七七四年
2007/07/02(月) 16:26:40ID:+CowluRHそりゃ豊臣政権が10年そこらで終わったからだろう。
多分、江戸幕府みたいに250年以上続いたら話が違ってくる。
0506人間七七四年
2007/07/02(月) 22:22:50ID:rn2RBlJR0507人間七七四年
2007/07/06(金) 14:52:50ID:yVske4Y7これにて一件落着
0508人間七七四年
2007/08/30(木) 23:09:15ID:lEshouPl0509人間七七四年
2007/09/02(日) 16:36:39ID:NDjtAt1y近衛家の猶子になったから関白になれたんだろうが、
なんで関白でも将軍でも好きな方を選べたとか言ってるんだ?
羅山の話が事実かどうかは別にして将軍になりたければ足利家の猶子
になるというのは方法論としては妥当だと思うが
考え方じゃないか、
0510人間七七四年
2007/09/02(日) 19:27:36ID:THZSVviu足利源氏の血統を必要とする理由なんてどこにもないだろ
0511人間七七四年
2007/09/03(月) 01:47:58ID:fNQnbivM室町幕府は15代に渡り世襲できてるんだが・・・
>足利源氏の血統を・・・
それは関白にもいえる、少なくても室町時代は足利家が独占
していたわけで、関白よりもなれる家が限られていた
0512人間七七四年
2007/09/03(月) 02:32:49ID:RwE9UqEF関白も藤原家代々の世襲と言えてしまうな。
0513人間七七四年
2007/09/03(月) 02:40:11ID:gKmnvfRn関白の持ち回りは世襲とは言わないよ
0514人間七七四年
2007/09/03(月) 06:51:45ID:8Zvp6tUc0515人間七七四年
2007/09/03(月) 07:10:26ID:r7ag2ErHつーか、別に征夷大将軍なりたきゃなればいいのよ
坂上も藤原も皇族もなってんだから今更源氏にこだわる必要ない
それこそ関白みたいに強引に猶子になる必要ナシ
0517人間七七四年
2007/09/03(月) 08:40:31ID:clqpU5Cn秀吉様は家康をことのほか嫌っていた。
予知能力の有る秀吉様は家康が将軍となることを見越しておられた。
そのため将軍よりは上位である関白となった。
0518人間七七四年
2007/09/03(月) 08:42:18ID:WWbPu6gR前例を残したくなかったからだろう
武家の棟梁なんだから
0519人間七七四年
2007/09/03(月) 09:38:13ID:sxlEWFa6前例を残したかったからだろう
人臣の最高職なんだから
0520人間七七四年
2007/09/03(月) 20:28:15ID:fFxGbn2t>になるというのは方法論としては妥当だと思うが
足利家の猶子になって将軍になった者など一人もいないのに
どこが妥当なのか説明くわしく
0521人間七七四年
2007/09/03(月) 21:59:14ID:gKmnvfRn0522人間七七四年
2007/09/03(月) 22:57:23ID:fFxGbn2t関白になるための手続きとして
摂関家の養子になるという方法を取ったのはいいとして
(これも当時としては物凄い荒技だが)
それと同じ手続きが将軍職に就くためにも必要だという根拠がないわけで
その辺の説明を一切拒否して「とにかく必要だ」という意見はおかしくないですか
0523人間七七四年
2007/09/03(月) 23:07:14ID:RwE9UqEF足利の猶子もなにも・・・
0524人間七七四年
2007/09/04(火) 02:43:25ID:HcJ0urse0525人間七七四年
2007/09/04(火) 03:37:08ID:dwm9yD1Y大きな影響があっただろう
最低でも武家の子なら将軍職になれたと思う
0528人間七七四年
2007/09/04(火) 16:52:21ID:dhu4wwgi平氏の信長でもなれたんだから源氏捏造は関東支配の為だろ
0529人間七七四年
2007/09/04(火) 19:45:00ID:K44Ze+4l強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ
源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
0530人間七七四年
2007/09/04(火) 19:56:11ID:lOBr6qYV血筋が大切なら、天皇の外戚である藤原氏以外は、
かつて一度も就任していない関白になる方がよっぽど大変なことだが。
もちろん、藤原氏の養子になったからこそ可能だったわけだろうが、
それだったら同じ藤原氏は将軍にもなっているのだから、
どうしても将軍になりたかったなら、藤原氏の養子から将軍になっても良かった。
それをしなかったのは、やはり将軍より関白の方が良いと思ったからだろう。
0532人間七七四年
2007/09/04(火) 21:39:13ID:k438Zw7O織田信長の最高位が右大臣でそれを超える官位として関白の方が良いに決まってる
家康は関が原当事は一応豊臣家の家老という建前なので関白にはつけない
となれば征夷大将軍の方を選んだ
と簡単に思ってたんだが違うのかい?
0533人間七七四年
2007/09/04(火) 21:46:47ID:K44Ze+4lそれでいいと思うよ
加えて言うと、秀吉が関白になったくらいの時代はまだ治安が安定していなかったんだけど
治安を安定させる力は将軍職にはなかったんだよ
将軍は「武家のトップ」でしかないので武家しか統治できず
一揆や寺社には力が及ばなかった事を信長配下の秀吉は実感している
本願寺は将軍の命令は聞かなかったが天皇の命令を聞いて石山寺から撤退した
0534人間七七四年
2007/09/05(水) 06:11:37ID:fEkGu5JZようするに秀吉はアホ
0535人間七七四年
2007/09/05(水) 07:37:28ID:8nnUY8QY0536中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/09/05(水) 23:16:39ID:0healmVw俺様を完全にディスってるとしか思えないなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
信長横死後に秀吉に必要だったのは何だったのか?
それに対する俺様の推論(>>250)がすべてを現しているだろうがッ!!!111!!
秀吉が可及的速やかに行わなければならなかったのは信長の継承者としての地位
他社の圧倒であり越官、そして彼を取り巻く公武門跡に対して戦略的優位に立つことに他ならない
つまり自己の政権統制に必要な関白とか将軍という官は秀吉躍進の初期段階にはさしあって必要ないのだよ。
0537人間七七四年
2007/09/06(木) 01:06:54ID:eBtTSmUB0538人間七七四年
2007/09/06(木) 01:08:06ID:eBtTSmUB0539人間七七四年
2007/09/06(木) 02:02:11ID:QeBr1QiR少なくてもまったくの間違いだとは言えないと思うが
今まで関白不在が語られていないのが不思議としか言いようがない、
0540人間七七四年
2007/09/06(木) 03:17:09ID:pYfTzWGz秀吉を摂関家の養子にするよりはずっと簡単な手続きはなず
0542人間七七四年
2007/09/06(木) 08:37:44ID:yEcQYYcJ徳川三河守任官時がそうじゃないか
0543人間七七四年
2007/09/06(木) 14:33:24ID:AQeyfTPA強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ
源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
0545人間七七四年
2007/09/06(木) 20:57:56ID:YSZnfj2y実際の力関係が上の人間から言われれば、どっちも本人がうんと言う必要もないわな
で、秀吉が勤皇よりの人間だったから天皇の権威と別の権威を
はっきり打ち上げることになる将軍職を嫌った可能性は無いのかな?
あくまで天皇の政府を取り締まる関白と
あきらかに天皇とは違う政府を作る将軍との違いね。
0546人間七七四年
2007/09/06(木) 21:33:31ID:d6SDYOIt関白になっても同じことが出来るし実際に同じ事をしてるわけだが
0547人間七七四年
2007/09/06(木) 21:54:16ID:YSZnfj2y天皇の朝廷の実権握るのは別じゃないのか?
それと、天皇に専制させなかったから勤皇はありえないと言ってるのか?
勤皇論者はみな天皇の専制を望んでいると思うのなら朱子学を学べ
0548人間七七四年
2007/09/06(木) 22:33:02ID:xEiwhhet0549人間七七四年
2007/09/06(木) 22:37:08ID:YSZnfj2y幕末の勤皇活動のイメージと一緒にされたら理解できないのは当たり前
0550人間七七四年
2007/09/06(木) 22:59:45ID:BxCJoqmrそれなら将軍は都合悪いかもね。鎌倉にしても室町にしても朝廷と対立して成立してるから
0551人間七七四年
2007/09/07(金) 00:09:48ID:Cq6yagvz朝廷の役職にない奉行だの大老だのを作って運営してたしね
0552人間七七四年
2007/09/07(金) 00:10:41ID:Cq6yagvz0553人間七七四年
2007/09/08(土) 07:33:07ID:Zfql/o5O>>551もいうとおり、実際の秀吉は封建制と奉行を用いた統治を行っていて、
実質的には豊臣家の政治機構を作っただけだしね。
関白は人臣の最高位だからそれを目指すのは至極当たり前だし、
そのことだけで勤皇の志があったという根拠とは言えないと思う。
0554人間七七四年
2007/09/08(土) 09:05:34ID:Zfql/o5O今まで関白不在が語られていないのが不思議としか言いようがないって、
当時は関白空位ではありませんが?
秀吉が関白になるまでは、二条昭実が関白職に就いていました。
0555人間七七四年
2007/09/29(土) 11:36:10ID:TKx2UVTnこれなんかもう劉備が孔明に託した遺言のパクリだろ
羅山がアホ以外の何者でもない裏返しだな
で、義昭に断られたってのも真っ赤なウソだな
0556人間七七四年
2007/10/01(月) 15:14:43ID:hsRvHRMI0557中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/10/02(火) 00:43:36ID:kZdB+h9x0558人間七七四年
2007/10/05(金) 21:06:47ID:VcD1vkFk0559人間七七四年
2007/11/05(月) 23:32:25ID:WA6z2++q誰か出張してこないかw
0560人間七七四年
2007/11/07(水) 19:13:33ID:BSi4hnSH0561人間七七四年
2007/11/07(水) 21:12:23ID:sShaaCzU0562人間七七四年
2007/11/10(土) 09:04:58ID:+2ervALy0563人間七七四年
2007/11/10(土) 11:18:08ID:8P38u0uNすでに内大臣で右大臣以上は欠員、官職ではすでに最高位で
関ケ原以後すぐにでも関白になれる条件にあったのになんで?
0564人間七七四年
2007/11/10(土) 17:05:01ID:zjzuNyaK0565人間七七四年
2007/11/10(土) 17:55:28ID:f4+DBEWS家康が関白になると「秀吉の政権を家康が引き継ぐ」という意味になってしまい
秀頼(右大臣)やその家臣との関係に影響してくるから
0566人間七七四年
2007/11/10(土) 18:58:48ID:+2ervALy0567人間七七四年
2007/11/10(土) 19:35:24ID:P0YILm4C0568人間七七四年
2007/11/10(土) 20:22:54ID:8P38u0uNあきらかに家康の後押しがあったからだろ
0569人間七七四年
2007/11/10(土) 22:05:24ID:2sLtwOOu0570人間七七四年
2007/11/10(土) 23:29:58ID:k4KRhzYY豊臣家への欺瞞作戦みたいなもんだろ
本気で次代将軍は秀頼に継がされると思ってたようだし。
0571人間七七四年
2007/11/10(土) 23:33:40ID:eLqDZB0h■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています