何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0438人間七七四年
2007/05/31(木) 16:31:24ID:7n5uDdQ+0439人間七七四年
2007/05/31(木) 16:32:02ID:IApVLAWt0442中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/05/31(木) 20:12:37ID:UvFct8SN色々書きたいがどうせ書いても読まないだろうからそろそろ次の話題にいこうぜ
0443人間七七四年
2007/06/01(金) 22:26:46ID:Uj9yEOTkする馬鹿がくると思うんだけど。
0444人間七七四年
2007/06/02(土) 11:20:49ID:vOBRtyU3生まれとかならあれだけ実力があればなれるだろう。
でも、秀吉は義昭の力の無さを見て偏見をもっちゃったから
将軍になるって言う発送をもてなかった。
将軍って言うのはなってそんな損なものじゃないのに
将軍になりたいと思えなかったから秀吉は将軍になれなかった。
極端な話、前例は無いけどあれだけ実力あるなら関白と将軍を兼ねて、
関白将軍でも良いんじゃねえの?とか思うんだけどどうなんだろ。
0445人間七七四年
2007/06/02(土) 11:43:41ID:t3P/AMMoどこに発送したの?
0446444
2007/06/02(土) 11:50:42ID:vOBRtyU3発送→発想
発送の方ばっかり良く使うからナチュラルに間違えた。
0447人間七七四年
2007/06/02(土) 14:00:49ID:PQowuQDz0448人間七七四年
2007/06/02(土) 14:09:27ID:IL1O2MJP「関白様」とお呼びしたらいいのか「将軍様」とお呼びしたらいいのか
三成、困ってしまいまするぅ
0449人間七七四年
2007/06/02(土) 14:21:25ID:PQowuQDz0450人間七七四年
2007/06/02(土) 16:19:03ID:Q+4ECiRi将軍になってれば秀頼も将軍になれたのにね
じゃあ秀頼は関白になれなかったの?
0451人間七七四年
2007/06/02(土) 17:15:59ID:pqAiD/Ef関白も継げてたと思うんだがどうか
0452人間七七四年
2007/06/02(土) 17:30:20ID:e2MJgF7Y確かに秀頼を関白にしなかったのはなぜか分からないなあ。
あまりに幼すぎたのが問題だったのだろうか?
0453人間七七四年
2007/06/02(土) 18:06:48ID:suR4JnQg天皇の補佐って名目なんだから
0454人間七七四年
2007/06/02(土) 18:08:26ID:pqAiD/Ef0455人間七七四年
2007/06/02(土) 18:10:58ID:suR4JnQg誘ってたし、成人したら関白ってプランだったんでしょ
0456人間七七四年
2007/06/03(日) 07:25:39ID:9p36JWCC長く政権を維持しようとすれば、幼君を擁立しなければならない場合もありえるし、
そういった際に君主の権威を保障する位に就くことが出来ないとなると、
「権威ある位」の意義が薄くなる。
豊臣政権の場合は二代目で早くもそうなってしまったわけだが。
0457人間七七四年
2007/06/03(日) 07:40:09ID:KJxKq2zx秀吉が死んだ後も豊臣政権がそのまま安定すると朝廷が予測するような情勢だったら
幼児でも継げたかも知れないわけで
結果論で「失敗だった」と言われてもね
0458人間七七四年
2007/06/03(日) 08:00:37ID:DDyDJxiK関白の最大の問題は天皇一代に附属した職ということだろうな
0459人間七七四年
2007/06/03(日) 08:10:02ID:LhlJpexAいわば「豊臣氏の氏長者」に政権執行者としての役割を持たせようとしたんじゃないか
秀次粛清以後は関白も空席になるが、秀吉が関白に復職して政務に当たったかというとそうでもない
0460人間七七四年
2007/06/03(日) 08:26:52ID:9p36JWCC天皇の補佐だから、という理由で幼児が継げなかったのなら、
政権が安定していようとそうでなかろうと、
幼児は関白になれないって事になってしまうでしょう。
将軍の場合は幼児でも位についた前例はあるが。
0461人間七七四年
2007/06/03(日) 08:33:05ID:9p36JWCCどうしてもと思えば、前例なぞ無視して幼児だろうと何だろうと、
関白にしてしまえば良かったのだろうが。
それをしなかったということは、やはり別の政権構想があったのかね。
0462人間七七四年
2007/06/03(日) 10:58:52ID:LhlJpexA「藤原秀吉」として任官されてるわけで、一応それなりの手続きは踏んでる
太鼓持ちの大村由己に命じて「関白任官記」みたいな怪文書配らせて
せっせと自分の出自を捏造してたのもこの頃
朝廷の権威を後ろ盾に全国統一とその後の政権運営をやってきた豊臣家にとって
あんまり朝廷の先例とやらを蔑ろにするのは賢いやり方じゃない
0463人間七七四年
2007/06/04(月) 18:11:12ID:pyIbY5gm秀頼を関白にしてしまった方が良かった気はする。
確かに無理筋ではあるんだけど、偶には無茶も必要だよ。
0464人間七七四年
2007/06/04(月) 19:28:25ID:CNr7d47V0465人間七七四年
2007/06/04(月) 21:13:33ID:k3zF2+Yn0466人間七七四年
2007/06/04(月) 21:20:50ID:kryo2HfE秀吉相手に断固抵抗する気概はなかったと思うが・・・。
しかし、秀次粛清で政権が動揺している直後に、
朝廷に対して無理なごり押しをするのはさすがに躊躇ってもおかしくないか?
どっちみち、秀頼を関白にしようとしたようなことを示す資料もなさそうだし、
推測の域を出ないわなあ。
0467人間七七四年
2007/06/06(水) 05:39:05ID:gsKslL7v「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と書いてあった
ウソビアじゃねーか
0468人間七七四年
2007/06/06(水) 18:17:48ID:x5GfRTZ2「信玄の死因」を検証するページに「鉄砲傷」が含まれてるのがあった
黒沢明の映画「影武者」で、外国人が見ても分かりやすい映画作りのために
信玄が突然死ななければならなかったから、鉄砲で撃たれて死んだという話を創作しただけなのに
0469人間七七四年
2007/06/06(水) 18:26:59ID:gIv8gIly君もいい加減なことを言うなよ
0470人間七七四年
2007/06/06(水) 19:04:37ID:5B02IoSeコラムで普通に秀吉が義昭に養子の申し出をしたが断られたので
仕方なく関白になったみたいな記載もあったなぁ
0471人間七七四年
2007/06/07(木) 07:05:47ID:1ESmyzJQどっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
一般に流布している俗説だから、
むしろ実は将軍になろうとしたことを示す同時代の証拠は全くない、
という方がトリビアと言えるでしょうね。
0472人間七七四年
2007/06/07(木) 07:10:46ID:JJBla47o0474人間七七四年
2007/06/07(木) 17:00:02ID:bYAJXOiN>どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
>一般に流布している俗説
それは初耳だった
いつからそんなデマが広がったんだろうか?
0475人間七七四年
2007/06/07(木) 18:22:14ID:ZFbqHhX6御用学者のヨイショだけじゃなく紫衣事件等で
公家の扱いが悪かったからなぁ
京に住む民衆ならともかく幕府が証人喚問で呼び出した
高位の公家なんかを江戸市民は目撃してるし
0476人間七七四年
2007/06/07(木) 18:58:20ID:1ESmyzJQそういう俗説を知らなかったならむしろ幸運だと思うが、
まあ要するに江戸時代の御用学者が徳川家の権威を高める為に流布した説。
「秀吉は将軍になりたかったがなれなかった、
しかし家康はその将軍になれた(だから将軍家の方が尊い)」というような論法。
こういう背景があるからこそ、このスレなどでも、
繰り返し「なりたかったがなれなかった」派が現れる。
私自身、関白という位の意味や、藤原氏も将軍になっているという事実を知るまでは、
この俗説を信じていた。
今にして思えばずい分恥ずかしいことをしていたものだと思う。
0477中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/06/07(木) 21:05:35ID:GVm6P585ほぼ一次と呼べる史料に基づいて編纂された史料集覧や大日本史料と呼ばれるような
いわゆる「通史」には征夷大将軍における秀吉の猟官運動については一切記されていないし
もちろん当代の朝廷に近かった公家どもの日記にも一切記されていない
これを前提としてもう一度整理してみるが
一般に流布されてきた"俗説"とは何だったのかそれはどのようなものだったのか
1.「秀吉は正親町天皇からの将軍要請を辞退した」(多聞院日記)
この説の信憑性については>>173および>>171で否定しておいた
2.「秀吉は足利義昭から将軍職を断られた」(豐臣秀吉系譜)
豐臣秀吉系譜については原本および著者・林羅山が書くにあたって根拠としたソースの記述もない
ただ徳川史観で編纂された「後鑑」の中に綱文があり「林はこう書いている」とあるだけ
実際に秀吉は将軍に任官されなかった。位人臣を極めた「あの秀吉が」である。
あれほどの権力を持った秀吉が何故将軍にならなかったのかあるいはなれなかったのか
(なれなかった、については俺様の上のほうのレスで否定しているが)
このスレでも書かれているが史料がない以上推論に走るほかなく
当時はこのスレ以上に人々は色々と噂し、納得いく答えが欲しかったはずである
ま、その結果として俗説が生まれただろうことは容易に想像できるわな。
こうした俗説は根拠がないから俗説であって、こうして紐解いていけば考えら得る着地点としては
「秀吉は将軍には な ら な か っ た 」という状況証拠と
「秀吉は将軍になる必要がなかった」という比較的妥当な推論を得られるだけ。
史料を読み込む+αの限界がこの辺りだろうな
史学的検証を付け加えるなら
「だからといってこれらの俗説を否定するに足る史料はないわけで俗説を完全に否定することは出来ない」
という補足を付け加えればもう充分だろう
0478人間七七四年
2007/06/07(木) 23:34:38ID:HY3gWJG80479人間七七四年
2007/06/08(金) 02:52:39ID:XOv8koLQではみなさんよいお年を!
0480人間七七四年
2007/06/08(金) 16:22:36ID:7qts7ivA↓
0481人間七七四年
2007/06/08(金) 16:51:58ID:tadxIQR6今週のって事は一週間がんばらにゃならんのか。厳しいね。
0482人間七七四年
2007/06/08(金) 16:57:56ID:tadxIQR6逆に関白って言うのはでかくて質の良いダイヤみたいなもんだな。
錆びた刀なんて誰が欲しがる?錆びてるんじゃ切れもしないぜ。
ダイヤだったら見せびらかせるし、綺麗だぜ。
ただ、カタナはちゃんと研げば名刀に戻るし名刀に戻れば人を脅せるし、人を殺せる。
秀吉はカタナを研ぐって言う発想がなかったから将軍にはならなかった。
家康は錆びた刀を研ぎなおしてちゃんと武器に戻した。
まあ、ダイヤだってちゃんと工業利用すれば恐ろしい武器にはできるんだけどね。
あと関白も関白の権限を利用すればいろんな事が出来たと思うけど、
秀吉はそれほど、無茶をしてない気はする。勿体無いなあとおもってしまうよ。
by 今週の当番
0483人間七七四年
2007/06/08(金) 23:54:08ID:McG/t/5K天才のオレ様が正解を教えてやろう
秀吉は信長の家臣だった頃に
将軍の命令を聞かない勢力・将軍の指揮下にない勢力と
死闘を繰り広げていたので将軍になっても価値は低いと考えたんだよ
将軍の言う事を聞かないやつでも天皇の命令は聞いたので
秀吉は天皇になろうと思ったけどなれなくて関白になったんだよ
分かったかクズどもwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0484人間七七四年
2007/06/09(土) 00:04:24ID:0YxFTYHP0485人間七七四年
2007/06/09(土) 15:23:09ID:hDw4+IBC当時としては何の役にも立たない役職だった
関白なら朝廷にも寺社にも役に立つ肩書きだし
一揆衆を抑えるのにも重要な役職だよ
だから秀吉は天皇になれなくて関白になったんだよ
0486人間七七四年
2007/06/09(土) 19:50:55ID:St4IjpWF0487人間七七四年
2007/06/09(土) 20:07:44ID:5jZdbu7mとりあえず、あえて兼任する必要はなかったってところでしょう。
現代から見ると、大成功といってよい徳川家の例があるので、
どうせなら将軍職もあった方が良かっただろうと思えるが、
秀吉の時代では、関白になれた以上あえて将軍に固執する必然性はない。
0489人間七七四年
2007/06/09(土) 23:48:05ID:KC9muJNF逆は知らないなあ。
0490人間七七四年
2007/06/15(金) 20:27:52ID:PuuWtRhB0491人間七七四年
2007/06/16(土) 10:51:48ID:d8OiOz6s関白だろうが将軍だろうが、通過点だからどっちでもよかったんじゃないかと。
0492人間七七四年
2007/06/16(土) 22:43:48ID:l0b9BP9v0493人間七七四年
2007/06/17(日) 11:29:57ID:nfOjJkgv>信長が神を目指していた
何、その俗説
0494人間七七四年
2007/06/17(日) 15:10:28ID:eKPatP3F信長と十字架でそんなこと言ってる
0495人間七七四年
2007/06/20(水) 19:54:57ID:lpAdTCHfhttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1180987995
0496人間七七四年
2007/06/20(水) 22:42:38ID:KJaHkfPx0497人間七七四年
2007/06/22(金) 21:01:37ID:r8lMBCPJ0498人間七七四年
2007/06/22(金) 21:18:08ID:1acEpLfi0499人間七七四年
2007/06/22(金) 21:27:16ID:Y+AvN12R0500人間七七四年
2007/06/23(土) 10:47:44ID:XI3ulFIj0501人間七七四年
2007/06/23(土) 11:57:12ID:12A8MZr40502人間七七四年
2007/06/23(土) 12:26:23ID:hA68/0hX別格官幣社建勲神社がそう
0504人間七七四年
2007/06/23(土) 23:22:44ID:3urGudOm0505人間七七四年
2007/07/02(月) 16:26:40ID:+CowluRHそりゃ豊臣政権が10年そこらで終わったからだろう。
多分、江戸幕府みたいに250年以上続いたら話が違ってくる。
0506人間七七四年
2007/07/02(月) 22:22:50ID:rn2RBlJR0507人間七七四年
2007/07/06(金) 14:52:50ID:yVske4Y7これにて一件落着
0508人間七七四年
2007/08/30(木) 23:09:15ID:lEshouPl0509人間七七四年
2007/09/02(日) 16:36:39ID:NDjtAt1y近衛家の猶子になったから関白になれたんだろうが、
なんで関白でも将軍でも好きな方を選べたとか言ってるんだ?
羅山の話が事実かどうかは別にして将軍になりたければ足利家の猶子
になるというのは方法論としては妥当だと思うが
考え方じゃないか、
0510人間七七四年
2007/09/02(日) 19:27:36ID:THZSVviu足利源氏の血統を必要とする理由なんてどこにもないだろ
0511人間七七四年
2007/09/03(月) 01:47:58ID:fNQnbivM室町幕府は15代に渡り世襲できてるんだが・・・
>足利源氏の血統を・・・
それは関白にもいえる、少なくても室町時代は足利家が独占
していたわけで、関白よりもなれる家が限られていた
0512人間七七四年
2007/09/03(月) 02:32:49ID:RwE9UqEF関白も藤原家代々の世襲と言えてしまうな。
0513人間七七四年
2007/09/03(月) 02:40:11ID:gKmnvfRn関白の持ち回りは世襲とは言わないよ
0514人間七七四年
2007/09/03(月) 06:51:45ID:8Zvp6tUc0515人間七七四年
2007/09/03(月) 07:10:26ID:r7ag2ErHつーか、別に征夷大将軍なりたきゃなればいいのよ
坂上も藤原も皇族もなってんだから今更源氏にこだわる必要ない
それこそ関白みたいに強引に猶子になる必要ナシ
0517人間七七四年
2007/09/03(月) 08:40:31ID:clqpU5Cn秀吉様は家康をことのほか嫌っていた。
予知能力の有る秀吉様は家康が将軍となることを見越しておられた。
そのため将軍よりは上位である関白となった。
0518人間七七四年
2007/09/03(月) 08:42:18ID:WWbPu6gR前例を残したくなかったからだろう
武家の棟梁なんだから
0519人間七七四年
2007/09/03(月) 09:38:13ID:sxlEWFa6前例を残したかったからだろう
人臣の最高職なんだから
0520人間七七四年
2007/09/03(月) 20:28:15ID:fFxGbn2t>になるというのは方法論としては妥当だと思うが
足利家の猶子になって将軍になった者など一人もいないのに
どこが妥当なのか説明くわしく
0521人間七七四年
2007/09/03(月) 21:59:14ID:gKmnvfRn0522人間七七四年
2007/09/03(月) 22:57:23ID:fFxGbn2t関白になるための手続きとして
摂関家の養子になるという方法を取ったのはいいとして
(これも当時としては物凄い荒技だが)
それと同じ手続きが将軍職に就くためにも必要だという根拠がないわけで
その辺の説明を一切拒否して「とにかく必要だ」という意見はおかしくないですか
0523人間七七四年
2007/09/03(月) 23:07:14ID:RwE9UqEF足利の猶子もなにも・・・
0524人間七七四年
2007/09/04(火) 02:43:25ID:HcJ0urse0525人間七七四年
2007/09/04(火) 03:37:08ID:dwm9yD1Y大きな影響があっただろう
最低でも武家の子なら将軍職になれたと思う
0528人間七七四年
2007/09/04(火) 16:52:21ID:dhu4wwgi平氏の信長でもなれたんだから源氏捏造は関東支配の為だろ
0529人間七七四年
2007/09/04(火) 19:45:00ID:K44Ze+4l強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ
源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
0530人間七七四年
2007/09/04(火) 19:56:11ID:lOBr6qYV血筋が大切なら、天皇の外戚である藤原氏以外は、
かつて一度も就任していない関白になる方がよっぽど大変なことだが。
もちろん、藤原氏の養子になったからこそ可能だったわけだろうが、
それだったら同じ藤原氏は将軍にもなっているのだから、
どうしても将軍になりたかったなら、藤原氏の養子から将軍になっても良かった。
それをしなかったのは、やはり将軍より関白の方が良いと思ったからだろう。
0532人間七七四年
2007/09/04(火) 21:39:13ID:k438Zw7O織田信長の最高位が右大臣でそれを超える官位として関白の方が良いに決まってる
家康は関が原当事は一応豊臣家の家老という建前なので関白にはつけない
となれば征夷大将軍の方を選んだ
と簡単に思ってたんだが違うのかい?
0533人間七七四年
2007/09/04(火) 21:46:47ID:K44Ze+4lそれでいいと思うよ
加えて言うと、秀吉が関白になったくらいの時代はまだ治安が安定していなかったんだけど
治安を安定させる力は将軍職にはなかったんだよ
将軍は「武家のトップ」でしかないので武家しか統治できず
一揆や寺社には力が及ばなかった事を信長配下の秀吉は実感している
本願寺は将軍の命令は聞かなかったが天皇の命令を聞いて石山寺から撤退した
0534人間七七四年
2007/09/05(水) 06:11:37ID:fEkGu5JZようするに秀吉はアホ
0535人間七七四年
2007/09/05(水) 07:37:28ID:8nnUY8QY0536中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/09/05(水) 23:16:39ID:0healmVw俺様を完全にディスってるとしか思えないなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
信長横死後に秀吉に必要だったのは何だったのか?
それに対する俺様の推論(>>250)がすべてを現しているだろうがッ!!!111!!
秀吉が可及的速やかに行わなければならなかったのは信長の継承者としての地位
他社の圧倒であり越官、そして彼を取り巻く公武門跡に対して戦略的優位に立つことに他ならない
つまり自己の政権統制に必要な関白とか将軍という官は秀吉躍進の初期段階にはさしあって必要ないのだよ。
0537人間七七四年
2007/09/06(木) 01:06:54ID:eBtTSmUB■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています