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何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof
前スレ
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0438人間七七四年2007/05/31(木) 16:31:24ID:7n5uDdQ+
0439人間七七四年2007/05/31(木) 16:32:02ID:IApVLAWt
誰もそんなこと逝ってなくね?
0440人間七七四年2007/05/31(木) 17:11:08ID:S5Ss+WZh
>>437
落ち着けw
0441人間七七四年2007/05/31(木) 19:58:15ID:8pAYPL+N
>>437
>朝廷が信長に屈した
詳細説明希望
0442中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/05/31(木) 20:12:37ID:UvFct8SN
秀吉は将軍になんか絶対なれないという奴は秀吉に対して個人的恨みでもあるんか
色々書きたいがどうせ書いても読まないだろうからそろそろ次の話題にいこうぜ
0443人間七七四年2007/06/01(金) 22:26:46ID:Uj9yEOTk
少し時間がたつとまた京子ちゃん説を掲げて鼻息フンフンしながら勝ち誇ったレス
する馬鹿がくると思うんだけど。


0444人間七七四年2007/06/02(土) 11:20:49ID:vOBRtyU3
秀吉は将軍になれなかった。
生まれとかならあれだけ実力があればなれるだろう。
でも、秀吉は義昭の力の無さを見て偏見をもっちゃったから
将軍になるって言う発送をもてなかった。
将軍って言うのはなってそんな損なものじゃないのに
将軍になりたいと思えなかったから秀吉は将軍になれなかった。

極端な話、前例は無いけどあれだけ実力あるなら関白と将軍を兼ねて、
関白将軍でも良いんじゃねえの?とか思うんだけどどうなんだろ。
0445人間七七四年2007/06/02(土) 11:43:41ID:t3P/AMMo
>将軍になるって言う発送
どこに発送したの?
04464442007/06/02(土) 11:50:42ID:vOBRtyU3
すまん、誤字だ。
発送→発想
発送の方ばっかり良く使うからナチュラルに間違えた。
0447人間七七四年2007/06/02(土) 14:00:49ID:PQowuQDz
天下の政権執行者としての役職は一つ有れば十分じゃね?
0448人間七七四年2007/06/02(土) 14:09:27ID:IL1O2MJP
秀吉様が関白と将軍の両方になられたら
「関白様」とお呼びしたらいいのか「将軍様」とお呼びしたらいいのか
三成、困ってしまいまするぅ
0449人間七七四年2007/06/02(土) 14:21:25ID:PQowuQDz
「上様」と呼んでれば無問題w
0450人間七七四年2007/06/02(土) 16:19:03ID:Q+4ECiRi
今まで関白将軍って誰かいたっけ?
将軍になってれば秀頼も将軍になれたのにね
じゃあ秀頼は関白になれなかったの?
0451人間七七四年2007/06/02(土) 17:15:59ID:pqAiD/Ef
秀吉が将軍になって秀頼が世襲で将軍職を継げるくらいなら
関白も継げてたと思うんだがどうか
0452人間七七四年2007/06/02(土) 17:30:20ID:e2MJgF7Y
実際秀次は関白になっているわけだから、世襲に出来たはずだと思うのだが、
確かに秀頼を関白にしなかったのはなぜか分からないなあ。
あまりに幼すぎたのが問題だったのだろうか?
0453人間七七四年2007/06/02(土) 18:06:48ID:suR4JnQg
そらそうでしょ
天皇の補佐って名目なんだから
0454人間七七四年2007/06/02(土) 18:08:26ID:pqAiD/Ef
うん、それぐらいしか理由がないですな
0455人間七七四年2007/06/02(土) 18:10:58ID:suR4JnQg
石田三成も、秀秋に秀頼が成人するまで関白にするって内容で西軍に
誘ってたし、成人したら関白ってプランだったんでしょ
0456人間七七四年2007/06/03(日) 07:25:39ID:9p36JWCC
しかし関白が幼い者には継げない位だったなら、秀吉の選択は多少失敗だったかもね。
長く政権を維持しようとすれば、幼君を擁立しなければならない場合もありえるし、
そういった際に君主の権威を保障する位に就くことが出来ないとなると、
「権威ある位」の意義が薄くなる。

豊臣政権の場合は二代目で早くもそうなってしまったわけだが。
0457人間七七四年2007/06/03(日) 07:40:09ID:KJxKq2zx
じゃあ将軍だったら幼児でも継げるのかというとそう言うわけでもないし
秀吉が死んだ後も豊臣政権がそのまま安定すると朝廷が予測するような情勢だったら
幼児でも継げたかも知れないわけで
結果論で「失敗だった」と言われてもね
0458人間七七四年2007/06/03(日) 08:00:37ID:DDyDJxiK
まあ、将軍は幼児でなった先例があるが政権の安定とは関係ないよね
関白の最大の問題は天皇一代に附属した職ということだろうな
0459人間七七四年2007/06/03(日) 08:10:02ID:LhlJpexA
秀吉の場合は関白という役職ではなく、
いわば「豊臣氏の氏長者」に政権執行者としての役割を持たせようとしたんじゃないか
秀次粛清以後は関白も空席になるが、秀吉が関白に復職して政務に当たったかというとそうでもない
0460人間七七四年2007/06/03(日) 08:26:52ID:9p36JWCC
>>457
天皇の補佐だから、という理由で幼児が継げなかったのなら、
政権が安定していようとそうでなかろうと、
幼児は関白になれないって事になってしまうでしょう。

将軍の場合は幼児でも位についた前例はあるが。
0461人間七七四年2007/06/03(日) 08:33:05ID:9p36JWCC
まあ、元々前例なぞ全くないのに、実力で関白にまでなった秀吉なんだから、
どうしてもと思えば、前例なぞ無視して幼児だろうと何だろうと、
関白にしてしまえば良かったのだろうが。
それをしなかったということは、やはり別の政権構想があったのかね。
0462人間七七四年2007/06/03(日) 10:58:52ID:LhlJpexA
秀吉も関白になるときは近衛前久の猶子となって
「藤原秀吉」として任官されてるわけで、一応それなりの手続きは踏んでる
太鼓持ちの大村由己に命じて「関白任官記」みたいな怪文書配らせて
せっせと自分の出自を捏造してたのもこの頃
朝廷の権威を後ろ盾に全国統一とその後の政権運営をやってきた豊臣家にとって
あんまり朝廷の先例とやらを蔑ろにするのは賢いやり方じゃない
0463人間七七四年2007/06/04(月) 18:11:12ID:pyIbY5gm
でも、単純に後のこと考えたら、秀次をやったときにごり押しで良いから
秀頼を関白にしてしまった方が良かった気はする。

確かに無理筋ではあるんだけど、偶には無茶も必要だよ。
0464人間七七四年2007/06/04(月) 19:28:25ID:CNr7d47V
朝廷が首を縦に振らないんじゃないか?
0465人間七七四年2007/06/04(月) 21:13:33ID:k3zF2+Yn
そういえば、松殿師家ってある意味12歳で人生が終わった摂政がいたけれど、それより若い摂関任官ってないんじゃないか?
0466人間七七四年2007/06/04(月) 21:20:50ID:kryo2HfE
>>464
秀吉相手に断固抵抗する気概はなかったと思うが・・・。
しかし、秀次粛清で政権が動揺している直後に、
朝廷に対して無理なごり押しをするのはさすがに躊躇ってもおかしくないか?

どっちみち、秀頼を関白にしようとしたようなことを示す資料もなさそうだし、
推測の域を出ないわなあ。
0467人間七七四年2007/06/06(水) 05:39:05ID:gsKslL7v
日本史雑学トリビア200って本に
「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と書いてあった
ウソビアじゃねーか
0468人間七七四年2007/06/06(水) 18:17:48ID:x5GfRTZ2
この手の本はいい加減な物が多くて
「信玄の死因」を検証するページに「鉄砲傷」が含まれてるのがあった

黒沢明の映画「影武者」で、外国人が見ても分かりやすい映画作りのために
信玄が突然死ななければならなかったから、鉄砲で撃たれて死んだという話を創作しただけなのに
0469人間七七四年2007/06/06(水) 18:26:59ID:gIv8gIly
信玄が笛の音に誘い出されて撃たれた、ってのは黒澤映画じゃなくて松平記みたいな徳川方の史料が元ネタだろ
君もいい加減なことを言うなよ
0470人間七七四年2007/06/06(水) 19:04:37ID:5B02IoSe
コミック乱だかコミック乱ツインズだか忘れたけど
コラムで普通に秀吉が義昭に養子の申し出をしたが断られたので
仕方なく関白になったみたいな記載もあったなぁ
0471人間七七四年2007/06/07(木) 07:05:47ID:1ESmyzJQ
>>467
どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
一般に流布している俗説だから、
むしろ実は将軍になろうとしたことを示す同時代の証拠は全くない、
という方がトリビアと言えるでしょうね。
0472人間七七四年2007/06/07(木) 07:10:46ID:JJBla47o
ガセビアの沼向けの話題だな
0473人間七七四年2007/06/07(木) 14:00:20ID:WjvDMW7Q
>>470
コラム作者にとっては関白は消去法でなれる地位としか思ってないんだろう。
0474人間七七四年2007/06/07(木) 17:00:02ID:bYAJXOiN
>>471
>どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
>一般に流布している俗説

それは初耳だった
いつからそんなデマが広がったんだろうか?
0475人間七七四年2007/06/07(木) 18:22:14ID:ZFbqHhX6
江戸時代から

御用学者のヨイショだけじゃなく紫衣事件等で
公家の扱いが悪かったからなぁ

京に住む民衆ならともかく幕府が証人喚問で呼び出した
高位の公家なんかを江戸市民は目撃してるし
0476人間七七四年2007/06/07(木) 18:58:20ID:1ESmyzJQ
>>474
そういう俗説を知らなかったならむしろ幸運だと思うが、
まあ要するに江戸時代の御用学者が徳川家の権威を高める為に流布した説。
「秀吉は将軍になりたかったがなれなかった、
しかし家康はその将軍になれた(だから将軍家の方が尊い)」というような論法。

こういう背景があるからこそ、このスレなどでも、
繰り返し「なりたかったがなれなかった」派が現れる。
私自身、関白という位の意味や、藤原氏も将軍になっているという事実を知るまでは、
この俗説を信じていた。
今にして思えばずい分恥ずかしいことをしていたものだと思う。
0477中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/06/07(木) 21:05:35ID:GVm6P585
こうして一人一人"俗説"という名の呪縛から解放されていくのだよ

ほぼ一次と呼べる史料に基づいて編纂された史料集覧や大日本史料と呼ばれるような
いわゆる「通史」には征夷大将軍における秀吉の猟官運動については一切記されていないし
もちろん当代の朝廷に近かった公家どもの日記にも一切記されていない

これを前提としてもう一度整理してみるが
一般に流布されてきた"俗説"とは何だったのかそれはどのようなものだったのか

1.「秀吉は正親町天皇からの将軍要請を辞退した」(多聞院日記)
   この説の信憑性については>>173および>>171で否定しておいた
2.「秀吉は足利義昭から将軍職を断られた」(豐臣秀吉系譜)
   豐臣秀吉系譜については原本および著者・林羅山が書くにあたって根拠としたソースの記述もない
   ただ徳川史観で編纂された「後鑑」の中に綱文があり「林はこう書いている」とあるだけ

実際に秀吉は将軍に任官されなかった。位人臣を極めた「あの秀吉が」である。
あれほどの権力を持った秀吉が何故将軍にならなかったのかあるいはなれなかったのか
(なれなかった、については俺様の上のほうのレスで否定しているが)

このスレでも書かれているが史料がない以上推論に走るほかなく
当時はこのスレ以上に人々は色々と噂し、納得いく答えが欲しかったはずである
ま、その結果として俗説が生まれただろうことは容易に想像できるわな。

こうした俗説は根拠がないから俗説であって、こうして紐解いていけば考えら得る着地点としては
「秀吉は将軍には な ら な か っ た 」という状況証拠と
「秀吉は将軍になる必要がなかった」という比較的妥当な推論を得られるだけ。
史料を読み込む+αの限界がこの辺りだろうな

史学的検証を付け加えるなら
「だからといってこれらの俗説を否定するに足る史料はないわけで俗説を完全に否定することは出来ない」
という補足を付け加えればもう充分だろう
0478人間七七四年2007/06/07(木) 23:34:38ID:HY3gWJG8
記憶
0479人間七七四年2007/06/08(金) 02:52:39ID:XOv8koLQ
さて、あのむきになってた馬鹿もなりをひそめたことだし、再びどこかの馬鹿がスレを上げるまでここは凍結です
ではみなさんよいお年を!
0480人間七七四年2007/06/08(金) 16:22:36ID:7qts7ivA
じゃあ今週のキチガイ当番は君に決定!
0481人間七七四年2007/06/08(金) 16:51:58ID:tadxIQR6
あ、俺にきちがい当番が当たったよ。
今週のって事は一週間がんばらにゃならんのか。厳しいね。
0482人間七七四年2007/06/08(金) 16:57:56ID:tadxIQR6
征夷大将軍ってのは戦国末期でははっきり言えばさびた名刀のようなもの
逆に関白って言うのはでかくて質の良いダイヤみたいなもんだな。

錆びた刀なんて誰が欲しがる?錆びてるんじゃ切れもしないぜ。
ダイヤだったら見せびらかせるし、綺麗だぜ。

ただ、カタナはちゃんと研げば名刀に戻るし名刀に戻れば人を脅せるし、人を殺せる。
秀吉はカタナを研ぐって言う発想がなかったから将軍にはならなかった。
家康は錆びた刀を研ぎなおしてちゃんと武器に戻した。

まあ、ダイヤだってちゃんと工業利用すれば恐ろしい武器にはできるんだけどね。
あと関白も関白の権限を利用すればいろんな事が出来たと思うけど、
秀吉はそれほど、無茶をしてない気はする。勿体無いなあとおもってしまうよ。

by 今週の当番
0483人間七七四年2007/06/08(金) 23:54:08ID:McG/t/5K
本当にアホだなオマエラwww

天才のオレ様が正解を教えてやろう
秀吉は信長の家臣だった頃に
将軍の命令を聞かない勢力・将軍の指揮下にない勢力と
死闘を繰り広げていたので将軍になっても価値は低いと考えたんだよ
将軍の言う事を聞かないやつでも天皇の命令は聞いたので
秀吉は天皇になろうと思ったけどなれなくて関白になったんだよ
分かったかクズどもwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0484人間七七四年2007/06/09(土) 00:04:24ID:0YxFTYHP
切れ過ぎ。
0485人間七七四年2007/06/09(土) 15:23:09ID:hDw4+IBC
将軍という肩書きは武家の統制にしか役に立たない
当時としては何の役にも立たない役職だった
関白なら朝廷にも寺社にも役に立つ肩書きだし
一揆衆を抑えるのにも重要な役職だよ
だから秀吉は天皇になれなくて関白になったんだよ
0486人間七七四年2007/06/09(土) 19:50:55ID:St4IjpWF
関白と将軍を兼任することはできなかったの?
0487人間七七四年2007/06/09(土) 20:07:44ID:5jZdbu7m
そこら辺は微妙なところだけど、
とりあえず、あえて兼任する必要はなかったってところでしょう。

現代から見ると、大成功といってよい徳川家の例があるので、
どうせなら将軍職もあった方が良かっただろうと思えるが、
秀吉の時代では、関白になれた以上あえて将軍に固執する必然性はない。
0488人間七七四年2007/06/09(土) 22:46:41ID:zsjdYCHE
>>487
正解
0489人間七七四年2007/06/09(土) 23:48:05ID:KC9muJNF
将軍がさらなる上の位を求めた例はあるけどね(源実朝、足利義満、足利義政、etc)。
逆は知らないなあ。
0490人間七七四年2007/06/15(金) 20:27:52ID:PuuWtRhB
関白が天皇を代理する武家政権ってのもしっくりこないんだけど
0491人間七七四年2007/06/16(土) 10:51:48ID:d8OiOz6s
信長が神を目指していたように、秀吉もさらに上を目指すつもりだったから、
関白だろうが将軍だろうが、通過点だからどっちでもよかったんじゃないかと。
0492人間七七四年2007/06/16(土) 22:43:48ID:l0b9BP9v
まだやってんのか
0493人間七七四年2007/06/17(日) 11:29:57ID:nfOjJkgv
>>491
>信長が神を目指していた

何、その俗説
0494人間七七四年2007/06/17(日) 15:10:28ID:eKPatP3F
京子ちゃん説だろ
信長と十字架でそんなこと言ってる
0495人間七七四年2007/06/20(水) 19:54:57ID:lpAdTCHf
太政大臣、征夷大将軍、関白・3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1180987995
0496人間七七四年2007/06/20(水) 22:42:38ID:KJaHkfPx
種無しは将軍にはなれぬのじゃ。(by 家康)
0497人間七七四年2007/06/22(金) 21:01:37ID:r8lMBCPJ
家康は実際に神として祀られたしな
0498人間七七四年2007/06/22(金) 21:18:08ID:1acEpLfi
秀吉も神格化されて豊国神社に祀られたけど、家康に遺棄された。
0499人間七七四年2007/06/22(金) 21:27:16ID:Y+AvN12R
今は信長も秀吉も家康も皆神様だな
0500人間七七四年2007/06/23(土) 10:47:44ID:XI3ulFIj
信長は神様になっていたか?
0501人間七七四年2007/06/23(土) 11:57:12ID:12A8MZr4
第六天魔王だな
0502人間七七四年2007/06/23(土) 12:26:23ID:hA68/0hX
明治時代になって信長の尊皇の志が評価され、明治天皇から正一位の神格が贈られた>信長
別格官幣社建勲神社がそう
0503人間七七四年2007/06/23(土) 18:18:50ID:XI3ulFIj
>>502
そうだったのか、知らなかった。
情報ありがとうございます。
0504人間七七四年2007/06/23(土) 23:22:44ID:3urGudOm
ノブも秀吉、家康の仲間になれてよかったな
0505人間七七四年2007/07/02(月) 16:26:40ID:+CowluRH
>>490
そりゃ豊臣政権が10年そこらで終わったからだろう。
多分、江戸幕府みたいに250年以上続いたら話が違ってくる。
0506人間七七四年2007/07/02(月) 22:22:50ID:rn2RBlJR
「関白が」の部分を「征夷大将軍が」に置き換えても同じことが言える品
0507人間七七四年2007/07/06(金) 14:52:50ID:yVske4Y7
というわけで
これにて一件落着
0508人間七七四年2007/08/30(木) 23:09:15ID:lEshouPl
ありがとうございました
0509人間七七四年2007/09/02(日) 16:36:39ID:NDjtAt1y
>>1
近衛家の猶子になったから関白になれたんだろうが、
なんで関白でも将軍でも好きな方を選べたとか言ってるんだ?
羅山の話が事実かどうかは別にして将軍になりたければ足利家の猶子
になるというのは方法論としては妥当だと思うが
考え方じゃないか、
0510人間七七四年2007/09/02(日) 19:27:36ID:THZSVviu
なんで?征夷大将軍は関白と違って持ち回りでもなければ、まして世襲でもないのに
足利源氏の血統を必要とする理由なんてどこにもないだろ
0511人間七七四年2007/09/03(月) 01:47:58ID:fNQnbivM
>まして世襲でもない
室町幕府は15代に渡り世襲できてるんだが・・・
>足利源氏の血統を・・・
それは関白にもいえる、少なくても室町時代は足利家が独占
していたわけで、関白よりもなれる家が限られていた
0512人間七七四年2007/09/03(月) 02:32:49ID:RwE9UqEF
足利家15代を世襲というなら
関白も藤原家代々の世襲と言えてしまうな。
0513人間七七四年2007/09/03(月) 02:40:11ID:gKmnvfRn
世襲の意味わかってる?
関白の持ち回りは世襲とは言わないよ
0514人間七七四年2007/09/03(月) 06:51:45ID:8Zvp6tUc
明応の政変以降の将軍職が世襲といえるのだろうか?
0515人間七七四年2007/09/03(月) 07:10:26ID:r7ag2ErH
傍系や弟が継いでも世襲?
つーか、別に征夷大将軍なりたきゃなればいいのよ
坂上も藤原も皇族もなってんだから今更源氏にこだわる必要ない
それこそ関白みたいに強引に猶子になる必要ナシ
0516人間七七四年2007/09/03(月) 07:56:16ID:plLQPTNN
>>509
このスレを読み直しなよ。
0517人間七七四年2007/09/03(月) 08:40:31ID:clqpU5Cn
理由:家康が大嫌いだった。
秀吉様は家康をことのほか嫌っていた。
予知能力の有る秀吉様は家康が将軍となることを見越しておられた。
そのため将軍よりは上位である関白となった。

0518人間七七四年2007/09/03(月) 08:42:18ID:WWbPu6gR
百姓や足軽の子が将軍職に就いたという
前例を残したくなかったからだろう
武家の棟梁なんだから
0519人間七七四年2007/09/03(月) 09:38:13ID:sxlEWFa6
百姓や足軽の子が関白職に就いたという
前例を残したかったからだろう
人臣の最高職なんだから
0520人間七七四年2007/09/03(月) 20:28:15ID:fFxGbn2t
>羅山の話が事実かどうかは別にして将軍になりたければ足利家の猶子
>になるというのは方法論としては妥当だと思うが

足利家の猶子になって将軍になった者など一人もいないのに
どこが妥当なのか説明くわしく
0521人間七七四年2007/09/03(月) 21:59:14ID:gKmnvfRn
↑関白になる時に使った手法と同じじゃねえか、
0522人間七七四年2007/09/03(月) 22:57:23ID:fFxGbn2t
関白職は代々摂関家が代々世襲しているので
関白になるための手続きとして
摂関家の養子になるという方法を取ったのはいいとして
(これも当時としては物凄い荒技だが)
それと同じ手続きが将軍職に就くためにも必要だという根拠がないわけで
その辺の説明を一切拒否して「とにかく必要だ」という意見はおかしくないですか
0523人間七七四年2007/09/03(月) 23:07:14ID:RwE9UqEF
当の足利を追放した信長に征夷大将軍やらんか?と朝廷が言ってるのに
足利の猶子もなにも・・・
0524人間七七四年2007/09/04(火) 02:43:25ID:HcJ0urse
家康だって、将軍になるのに足利の猶子になんぞなってない。
0525人間七七四年2007/09/04(火) 03:37:08ID:dwm9yD1Y
やっぱり当時の世相として血筋というのは
大きな影響があっただろう
最低でも武家の子なら将軍職になれたと思う
0526人間七七四年2007/09/04(火) 10:45:36ID:XDDj+hjt
>>524
家系は平氏から源氏へ捏造済みだったしね。
0527人間七七四年2007/09/04(火) 13:14:05ID:BSo5Crtn
>>522
おもいっきりダブスタだな、何も言えん
>>525
屁理屈
0528人間七七四年2007/09/04(火) 16:52:21ID:dhu4wwgi
>>526
平氏の信長でもなれたんだから源氏捏造は関東支配の為だろ
0529人間七七四年2007/09/04(火) 19:45:00ID:K44Ze+4l
朝廷からすれば
強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ

源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
0530人間七七四年2007/09/04(火) 19:56:11ID:lOBr6qYV
>>525
血筋が大切なら、天皇の外戚である藤原氏以外は、
かつて一度も就任していない関白になる方がよっぽど大変なことだが。

もちろん、藤原氏の養子になったからこそ可能だったわけだろうが、
それだったら同じ藤原氏は将軍にもなっているのだから、
どうしても将軍になりたかったなら、藤原氏の養子から将軍になっても良かった。
それをしなかったのは、やはり将軍より関白の方が良いと思ったからだろう。
0531人間七七四年2007/09/04(火) 21:20:13ID:oXeP09yE
>>528
源氏改姓がいつだと思ってるんだ
0532人間七七四年2007/09/04(火) 21:39:13ID:k438Zw7O
秀吉としては自分らで傀儡として利用し追放した将軍位に大して魅力を感じてない
織田信長の最高位が右大臣でそれを超える官位として関白の方が良いに決まってる
家康は関が原当事は一応豊臣家の家老という建前なので関白にはつけない
となれば征夷大将軍の方を選んだ
と簡単に思ってたんだが違うのかい?
0533人間七七四年2007/09/04(火) 21:46:47ID:K44Ze+4l
>>532
それでいいと思うよ
加えて言うと、秀吉が関白になったくらいの時代はまだ治安が安定していなかったんだけど
治安を安定させる力は将軍職にはなかったんだよ

将軍は「武家のトップ」でしかないので武家しか統治できず
一揆や寺社には力が及ばなかった事を信長配下の秀吉は実感している
本願寺は将軍の命令は聞かなかったが天皇の命令を聞いて石山寺から撤退した
0534人間七七四年2007/09/05(水) 06:11:37ID:fEkGu5JZ
関白なんかなったから将軍職の家康に滅ぼされた
ようするに秀吉はアホ
0535人間七七四年2007/09/05(水) 07:37:28ID:8nnUY8QY
下手糞な釣りだな
0536中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/09/05(水) 23:16:39ID:0healmVw
いまさらこんなスレ持ち上げてるおまえらドッグスメーン
俺様を完全にディスってるとしか思えないなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

信長横死後に秀吉に必要だったのは何だったのか?

それに対する俺様の推論(>>250)がすべてを現しているだろうがッ!!!111!!


秀吉が可及的速やかに行わなければならなかったのは信長の継承者としての地位
他社の圧倒であり越官、そして彼を取り巻く公武門跡に対して戦略的優位に立つことに他ならない

つまり自己の政権統制に必要な関白とか将軍という官は秀吉躍進の初期段階にはさしあって必要ないのだよ。
0537人間七七四年2007/09/06(木) 01:06:54ID:eBtTSmUB
他社の圧倒
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