つまり「将軍になろうとしたがなれなかった」と主張する奴は
秀吉が将軍になろうと行動(あるいは指向)した一次史料を示さないと
想像の域をいつまでたっても越えられない。
「将軍になれたがならなかった」というのも想像の域を越えないが、
多聞院日記などを同時代史料として多少検討の余地がある。