トップページsengoku
987コメント374KB

何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof
前スレ
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0405人間七七四年2007/05/29(火) 20:39:02ID:8/Go1jxL
>>404
征夷大将軍は辺境派遣軍の司令官。
対して関白は天皇の代理で、
天皇を頂点とする朝廷という組織の中でこれ以上の位はありえない。
つまり、天皇から位を授かるという形式をとる限り、
関白以上の位はありえないんだよ。
0406中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/05/29(火) 20:44:46ID:ZkcJgYLQ
天正十二年十月三日 叙従五位下
               任左少将     平秀吉

これでわからない奴はバカということだ
0407人間七七四年2007/05/29(火) 21:04:43ID:kpIo9jUE
>>404
横レスなんだけどあなたはなんでなれなかったと考察してるの?
まさか出自卑賤説なんていう噴飯ものじゃないよね。
0408中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/05/29(火) 21:22:22ID:ZkcJgYLQ
結論再掲:
> 254 名前:中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y [sage] 投稿日:2006/11/17(金) 12:40:08 ID:mC749uDL
> そしてここで敢えて「なれた」「なれなかった」に話を戻すと
> 秀吉の素性だけに限定して将軍職の可能性を考えると「なれた」のではないかと言える

もっと言えば秀吉は将軍になれなかったのではなく
「将軍になる必要がなかった」あるいは「将軍にならなかった」

おk?
0409人間七七四年2007/05/29(火) 21:28:58ID:W/DFBMtj
>>406
三職推任問題はは岩沢VS京子がすべてとおもってる奴に、その意味がわかるわけないだろw
ひとしきりループが続いたら適当なところでおまいさんのまとめをまたコピペしてくれ
0410人間七七四年2007/05/29(火) 21:30:42ID:W/DFBMtj
もう貼ってたorz
0411人間七七四年2007/05/29(火) 22:34:20ID:Wrm6sZgL
>>396
>>395
>教師?もしそうなら生徒が不幸だな、 
アフォだ
教職課程取ってれば、一応教育実習はあるが、別に教師の資格持ってて
リーマソやら教職とは関係ない職業に就いてる人間は腐るほどいる。

教育実習=教師
と言っちゃう時点で大学にすら到達してない年齢だな。
0412中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/05/29(火) 22:44:17ID:ZkcJgYLQ
>>395
> >じゃあ聞くけど、なぜ時の権力者は天皇にならなかったんだ? 
> 日本史勉強しろ
> そういや同じ質問を昔中学の教育実習に行った時に中学生からされたな。
> 歴史得意な子なら中学生でもわかるぞそれくらい。
網野善彦も同じような質問されて結構悩んだと書いてたな
0413人間七七四年2007/05/29(火) 22:44:58ID:MswdVsX+
>>405
>征夷大将軍は辺境派遣軍の司令官
実質的には国家の首長だろ、関白だって昔の勢いはないし
そんな有名無実なことを言ってどうするんだ?
そんなんだからゲーム脳とかバカにされんだよ。        
         
0414人間七七四年2007/05/29(火) 22:54:00ID:Wrm6sZgL
>>412
結局古代中国では自分が皇帝に取って代わり、皇帝がころころ変わる。

日本では武士が力を持つようになってからは天皇に国家運営の主権を認めさせる
公認機関なようなものへと変遷していった。
これは結局、日本は島国であるゆえの単一民族から成り立つ国家であったってのが
大きいんだろうな。


>>413
ID変わったね
国家の首長に名実ともになったのは徳川将軍から。
それまではあくまでも武家の棟梁。
0415人間七七四年2007/05/29(火) 23:03:35ID:buLmDqX0
>>411 
別に教師だとは断定してないが、だから?やもしそうならと書いている
おまえ人のこと言う前にもっと国語力身につけろよ。
0416人間七七四年2007/05/29(火) 23:05:35ID:Wrm6sZgL
教職資格もってて教師になってるやつなんて数%しかいねぇよ

というか、京子ちゃん説持ち上げて他のお前だろ?
さっさと学会での今谷以外の京子説の支持者を教えてくれよ
0417中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/05/29(火) 23:14:34ID:K/IVjFJO
言った本人の京子ちゃんでさえ口を噤んでしまった京子説を持ち出すのは
どういう了見なのか・・・気にはなる
0418人間七七四年2007/05/29(火) 23:16:34ID:Wrm6sZgL
>>417
>>375
0419人間七七四年2007/05/29(火) 23:27:12ID:5NTyLYOw
人格否定合戦はもういいよ

とにかく結論としては
「秀吉が将軍になれなかった」という説は間違いである
という事で一件落着
0420人間七七四年2007/05/29(火) 23:30:47ID:Wrm6sZgL
何度一件落着したのに荒れたんだろう。
0421中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/05/29(火) 23:49:50ID:K/IVjFJO
>>418
重要なのは五月四日の勅旨派遣なんだけどね
0422人間七七四年2007/05/30(水) 00:03:01ID:Ms6uSaLt
つまり「将軍になろうとしたがなれなかった」と主張する奴は
秀吉が将軍になろうと行動(あるいは指向)した一次史料を示さないと
想像の域をいつまでたっても越えられない。
「将軍になれたがならなかった」というのも想像の域を越えないが、
多聞院日記などを同時代史料として多少検討の余地がある。
0423人間七七四年2007/05/30(水) 00:16:41ID:mRABLowy
>>421
俺が聞きたいのは京子ちゃん説を支持するのは少数ではなく、
今は学会でも論争中

という部分に関してだから
0424人間七七四年2007/05/30(水) 00:26:03ID:28rea3gX
>>422
史実として関白になれた秀吉が「将軍になれない」という根拠がない
アホ側が提示する「根拠」は、それで将軍になれないのなら関白にもなれないし
史実として三職推任の勅旨が来たはずの信長さえも将軍になれないという事になってしまう
0425人間七七四年2007/05/30(水) 00:32:43ID:mRABLowy
東夷説ならまだ多少は議論しても盛り上がるかなとおもうけど
出自やら源氏やらを根拠に出されると盛り上がらんな
0426人間七七四年2007/05/30(水) 00:34:43ID:Ms6uSaLt
>>421
>>392で書いた
0427人間七七四年2007/05/30(水) 01:47:59ID:EWWQ1OEP
朝廷を脅し、秀吉征夷大将軍に就任 
     ↓ 
義昭が糾弾、秀吉包囲網発令 
     ↓ 
諸大名が蜂起、織田家中も分裂 
     ↓ 
秀吉あぼーん 

ていうのも有りなら、なれる。
0428人間七七四年2007/05/30(水) 01:52:38ID:28rea3gX
>>427
義昭は備後へ逃亡後も全国の諸大名に檄文を送っていたが
誰も相手にしなかった
朝廷が義昭を無視して信長を将軍にしようとしたのも
そういう状態を見てるからだろう
なので「秀吉包囲網」などありえない話
0429人間七七四年2007/05/30(水) 07:26:59ID:oAZA1dNB
>>413
確かに実際の権力については、室町時代から関白よりも将軍が上だっただろうが、
どの道実権を取り返すなんてほとんど不可能な朝廷にとっては、そんな事は関係ないんだよ。
別に秀吉を将軍にしなかったことで、少しでも実権が朝廷に戻るとかいうようなことはないのだから。
朝廷としてはどうせ実権を取られままなら、格下の征夷大将軍を与えるだけで済ました方がまだいい。
わざわざ、将軍位を与えるのをあえて拒否して、
名目上まで最上位の関白の位を与える意味は全くない。
0430人間七七四年2007/05/30(水) 07:43:18ID:oAZA1dNB
逆に秀吉の側から見れば、実質的権力では最高のものを持っている自分が、
たかだか辺境派遣軍の司令官程度の位で満足しなければならない必要はない、
むしろ最大の実力者なのだから、可能なら最高の位を手にしたいと考えるのが普通だ。

つまり、位を与える側も授かる側も征夷大将軍にこだわる必要は全くない。
なのになぜ秀吉が将軍に「なりたかったがなれなかった」といえるのか、
またそれが事実なら、朝廷はなぜそこまでした将軍位を与えたくなかったのか、
是非説明していただきたい。
0431人間七七四年2007/05/30(水) 10:25:09ID:nbNOrJmq
秀吉が征夷大将軍就任の為の猟官運動をしてる決定的な証拠があればなぁ

征夷大将軍云々には羅山の一文しか無いが、関白就任の過程の史料は多い。
0432人間七七四年2007/05/31(木) 01:49:22ID:AHithgh7
秀吉が将軍になれる、という根拠に三職推任をあげているがピント外れだね。
だったらなぜ近衛家の猶子になったんだ?必要ないだろ、少なくとも関白に 
なるために使った手法は血統を利用したもの、三職推任とは次元の違う話。 

なんか皆勘違いしているみたいだけど近衛家の猶子になるという手段を割りと
当たり前のことみたいに思っているようだが、これってかなり凄いアイデアであり、秀吉を高く評価 
すべきことだと思う。
0433人間七七四年2007/05/31(木) 02:09:45ID:FHvSGncF
まったくもってその通り。
三職推認は、単に将軍職へのハードルの低さを証明するものでしかない。

関白になるための条件(ハードル)は、征夷大将軍になるよりもはるかに高い。
そのハードルを乗り越えた秀吉が、なんでそれよりも低いハードルを越え
られないと思うのか。

この意味で、秀吉の将軍就任への根拠の一つにはなりえる。
0434人間七七四年2007/05/31(木) 06:07:44ID:u5KmocW1
>>432
信長が三職推任で関白を選んだとしても
当然ながら秀吉と全く同じ方法が用いられるだろう
なので三職推任と同じ次元の話
あの手この手で毎日ごくろうさん
0435人間七七四年2007/05/31(木) 06:51:44ID:7evbhScl
>>432
藤原家の猶子となって関白に就任したのは事実だが、
それを言うなら、同じ藤原氏で征夷大将軍になった者もいる。
つまり藤原氏に猶子に入れば、なろうと思えば将軍にもなれるということ。
もちろん、わざわざそこまでして関白よりも位として格が下の将軍に固執する必要は全くないが。

要するに、あなたの言っていることは、
秀吉はなろうと思えば将軍にもなれたことの根拠にはなっても、その逆には全くならない。
0436人間七七四年2007/05/31(木) 11:04:02ID:7n5uDdQ+
三職推任の意義

・将軍が居ても関係ない
・将軍就任には平氏でもなんら問題無い
・将軍就任には実効的な関東支配も必要ない
 *もしくは甲信、上総あたりだけでもおk?
・五摂家以外の、それも公家でもない武家が関白になれる可能性を
 朝廷自ら示した

こんなもん?
0437人間七七四年2007/05/31(木) 16:29:20ID:TJCQT35g
三職推任の意義なんてとくにないって、ただ朝廷が信長に屈しただけ、
それだけの話、それを取り上げて身分にとらわれない社会になった
なんていうのは幻想にすぎない
0438人間七七四年2007/05/31(木) 16:31:24ID:7n5uDdQ+
0439人間七七四年2007/05/31(木) 16:32:02ID:IApVLAWt
誰もそんなこと逝ってなくね?
0440人間七七四年2007/05/31(木) 17:11:08ID:S5Ss+WZh
>>437
落ち着けw
0441人間七七四年2007/05/31(木) 19:58:15ID:8pAYPL+N
>>437
>朝廷が信長に屈した
詳細説明希望
0442中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/05/31(木) 20:12:37ID:UvFct8SN
秀吉は将軍になんか絶対なれないという奴は秀吉に対して個人的恨みでもあるんか
色々書きたいがどうせ書いても読まないだろうからそろそろ次の話題にいこうぜ
0443人間七七四年2007/06/01(金) 22:26:46ID:Uj9yEOTk
少し時間がたつとまた京子ちゃん説を掲げて鼻息フンフンしながら勝ち誇ったレス
する馬鹿がくると思うんだけど。


0444人間七七四年2007/06/02(土) 11:20:49ID:vOBRtyU3
秀吉は将軍になれなかった。
生まれとかならあれだけ実力があればなれるだろう。
でも、秀吉は義昭の力の無さを見て偏見をもっちゃったから
将軍になるって言う発送をもてなかった。
将軍って言うのはなってそんな損なものじゃないのに
将軍になりたいと思えなかったから秀吉は将軍になれなかった。

極端な話、前例は無いけどあれだけ実力あるなら関白と将軍を兼ねて、
関白将軍でも良いんじゃねえの?とか思うんだけどどうなんだろ。
0445人間七七四年2007/06/02(土) 11:43:41ID:t3P/AMMo
>将軍になるって言う発送
どこに発送したの?
04464442007/06/02(土) 11:50:42ID:vOBRtyU3
すまん、誤字だ。
発送→発想
発送の方ばっかり良く使うからナチュラルに間違えた。
0447人間七七四年2007/06/02(土) 14:00:49ID:PQowuQDz
天下の政権執行者としての役職は一つ有れば十分じゃね?
0448人間七七四年2007/06/02(土) 14:09:27ID:IL1O2MJP
秀吉様が関白と将軍の両方になられたら
「関白様」とお呼びしたらいいのか「将軍様」とお呼びしたらいいのか
三成、困ってしまいまするぅ
0449人間七七四年2007/06/02(土) 14:21:25ID:PQowuQDz
「上様」と呼んでれば無問題w
0450人間七七四年2007/06/02(土) 16:19:03ID:Q+4ECiRi
今まで関白将軍って誰かいたっけ?
将軍になってれば秀頼も将軍になれたのにね
じゃあ秀頼は関白になれなかったの?
0451人間七七四年2007/06/02(土) 17:15:59ID:pqAiD/Ef
秀吉が将軍になって秀頼が世襲で将軍職を継げるくらいなら
関白も継げてたと思うんだがどうか
0452人間七七四年2007/06/02(土) 17:30:20ID:e2MJgF7Y
実際秀次は関白になっているわけだから、世襲に出来たはずだと思うのだが、
確かに秀頼を関白にしなかったのはなぜか分からないなあ。
あまりに幼すぎたのが問題だったのだろうか?
0453人間七七四年2007/06/02(土) 18:06:48ID:suR4JnQg
そらそうでしょ
天皇の補佐って名目なんだから
0454人間七七四年2007/06/02(土) 18:08:26ID:pqAiD/Ef
うん、それぐらいしか理由がないですな
0455人間七七四年2007/06/02(土) 18:10:58ID:suR4JnQg
石田三成も、秀秋に秀頼が成人するまで関白にするって内容で西軍に
誘ってたし、成人したら関白ってプランだったんでしょ
0456人間七七四年2007/06/03(日) 07:25:39ID:9p36JWCC
しかし関白が幼い者には継げない位だったなら、秀吉の選択は多少失敗だったかもね。
長く政権を維持しようとすれば、幼君を擁立しなければならない場合もありえるし、
そういった際に君主の権威を保障する位に就くことが出来ないとなると、
「権威ある位」の意義が薄くなる。

豊臣政権の場合は二代目で早くもそうなってしまったわけだが。
0457人間七七四年2007/06/03(日) 07:40:09ID:KJxKq2zx
じゃあ将軍だったら幼児でも継げるのかというとそう言うわけでもないし
秀吉が死んだ後も豊臣政権がそのまま安定すると朝廷が予測するような情勢だったら
幼児でも継げたかも知れないわけで
結果論で「失敗だった」と言われてもね
0458人間七七四年2007/06/03(日) 08:00:37ID:DDyDJxiK
まあ、将軍は幼児でなった先例があるが政権の安定とは関係ないよね
関白の最大の問題は天皇一代に附属した職ということだろうな
0459人間七七四年2007/06/03(日) 08:10:02ID:LhlJpexA
秀吉の場合は関白という役職ではなく、
いわば「豊臣氏の氏長者」に政権執行者としての役割を持たせようとしたんじゃないか
秀次粛清以後は関白も空席になるが、秀吉が関白に復職して政務に当たったかというとそうでもない
0460人間七七四年2007/06/03(日) 08:26:52ID:9p36JWCC
>>457
天皇の補佐だから、という理由で幼児が継げなかったのなら、
政権が安定していようとそうでなかろうと、
幼児は関白になれないって事になってしまうでしょう。

将軍の場合は幼児でも位についた前例はあるが。
0461人間七七四年2007/06/03(日) 08:33:05ID:9p36JWCC
まあ、元々前例なぞ全くないのに、実力で関白にまでなった秀吉なんだから、
どうしてもと思えば、前例なぞ無視して幼児だろうと何だろうと、
関白にしてしまえば良かったのだろうが。
それをしなかったということは、やはり別の政権構想があったのかね。
0462人間七七四年2007/06/03(日) 10:58:52ID:LhlJpexA
秀吉も関白になるときは近衛前久の猶子となって
「藤原秀吉」として任官されてるわけで、一応それなりの手続きは踏んでる
太鼓持ちの大村由己に命じて「関白任官記」みたいな怪文書配らせて
せっせと自分の出自を捏造してたのもこの頃
朝廷の権威を後ろ盾に全国統一とその後の政権運営をやってきた豊臣家にとって
あんまり朝廷の先例とやらを蔑ろにするのは賢いやり方じゃない
0463人間七七四年2007/06/04(月) 18:11:12ID:pyIbY5gm
でも、単純に後のこと考えたら、秀次をやったときにごり押しで良いから
秀頼を関白にしてしまった方が良かった気はする。

確かに無理筋ではあるんだけど、偶には無茶も必要だよ。
0464人間七七四年2007/06/04(月) 19:28:25ID:CNr7d47V
朝廷が首を縦に振らないんじゃないか?
0465人間七七四年2007/06/04(月) 21:13:33ID:k3zF2+Yn
そういえば、松殿師家ってある意味12歳で人生が終わった摂政がいたけれど、それより若い摂関任官ってないんじゃないか?
0466人間七七四年2007/06/04(月) 21:20:50ID:kryo2HfE
>>464
秀吉相手に断固抵抗する気概はなかったと思うが・・・。
しかし、秀次粛清で政権が動揺している直後に、
朝廷に対して無理なごり押しをするのはさすがに躊躇ってもおかしくないか?

どっちみち、秀頼を関白にしようとしたようなことを示す資料もなさそうだし、
推測の域を出ないわなあ。
0467人間七七四年2007/06/06(水) 05:39:05ID:gsKslL7v
日本史雑学トリビア200って本に
「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と書いてあった
ウソビアじゃねーか
0468人間七七四年2007/06/06(水) 18:17:48ID:x5GfRTZ2
この手の本はいい加減な物が多くて
「信玄の死因」を検証するページに「鉄砲傷」が含まれてるのがあった

黒沢明の映画「影武者」で、外国人が見ても分かりやすい映画作りのために
信玄が突然死ななければならなかったから、鉄砲で撃たれて死んだという話を創作しただけなのに
0469人間七七四年2007/06/06(水) 18:26:59ID:gIv8gIly
信玄が笛の音に誘い出されて撃たれた、ってのは黒澤映画じゃなくて松平記みたいな徳川方の史料が元ネタだろ
君もいい加減なことを言うなよ
0470人間七七四年2007/06/06(水) 19:04:37ID:5B02IoSe
コミック乱だかコミック乱ツインズだか忘れたけど
コラムで普通に秀吉が義昭に養子の申し出をしたが断られたので
仕方なく関白になったみたいな記載もあったなぁ
0471人間七七四年2007/06/07(木) 07:05:47ID:1ESmyzJQ
>>467
どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
一般に流布している俗説だから、
むしろ実は将軍になろうとしたことを示す同時代の証拠は全くない、
という方がトリビアと言えるでしょうね。
0472人間七七四年2007/06/07(木) 07:10:46ID:JJBla47o
ガセビアの沼向けの話題だな
0473人間七七四年2007/06/07(木) 14:00:20ID:WjvDMW7Q
>>470
コラム作者にとっては関白は消去法でなれる地位としか思ってないんだろう。
0474人間七七四年2007/06/07(木) 17:00:02ID:bYAJXOiN
>>471
>どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
>一般に流布している俗説

それは初耳だった
いつからそんなデマが広がったんだろうか?
0475人間七七四年2007/06/07(木) 18:22:14ID:ZFbqHhX6
江戸時代から

御用学者のヨイショだけじゃなく紫衣事件等で
公家の扱いが悪かったからなぁ

京に住む民衆ならともかく幕府が証人喚問で呼び出した
高位の公家なんかを江戸市民は目撃してるし
0476人間七七四年2007/06/07(木) 18:58:20ID:1ESmyzJQ
>>474
そういう俗説を知らなかったならむしろ幸運だと思うが、
まあ要するに江戸時代の御用学者が徳川家の権威を高める為に流布した説。
「秀吉は将軍になりたかったがなれなかった、
しかし家康はその将軍になれた(だから将軍家の方が尊い)」というような論法。

こういう背景があるからこそ、このスレなどでも、
繰り返し「なりたかったがなれなかった」派が現れる。
私自身、関白という位の意味や、藤原氏も将軍になっているという事実を知るまでは、
この俗説を信じていた。
今にして思えばずい分恥ずかしいことをしていたものだと思う。
0477中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/06/07(木) 21:05:35ID:GVm6P585
こうして一人一人"俗説"という名の呪縛から解放されていくのだよ

ほぼ一次と呼べる史料に基づいて編纂された史料集覧や大日本史料と呼ばれるような
いわゆる「通史」には征夷大将軍における秀吉の猟官運動については一切記されていないし
もちろん当代の朝廷に近かった公家どもの日記にも一切記されていない

これを前提としてもう一度整理してみるが
一般に流布されてきた"俗説"とは何だったのかそれはどのようなものだったのか

1.「秀吉は正親町天皇からの将軍要請を辞退した」(多聞院日記)
   この説の信憑性については>>173および>>171で否定しておいた
2.「秀吉は足利義昭から将軍職を断られた」(豐臣秀吉系譜)
   豐臣秀吉系譜については原本および著者・林羅山が書くにあたって根拠としたソースの記述もない
   ただ徳川史観で編纂された「後鑑」の中に綱文があり「林はこう書いている」とあるだけ

実際に秀吉は将軍に任官されなかった。位人臣を極めた「あの秀吉が」である。
あれほどの権力を持った秀吉が何故将軍にならなかったのかあるいはなれなかったのか
(なれなかった、については俺様の上のほうのレスで否定しているが)

このスレでも書かれているが史料がない以上推論に走るほかなく
当時はこのスレ以上に人々は色々と噂し、納得いく答えが欲しかったはずである
ま、その結果として俗説が生まれただろうことは容易に想像できるわな。

こうした俗説は根拠がないから俗説であって、こうして紐解いていけば考えら得る着地点としては
「秀吉は将軍には な ら な か っ た 」という状況証拠と
「秀吉は将軍になる必要がなかった」という比較的妥当な推論を得られるだけ。
史料を読み込む+αの限界がこの辺りだろうな

史学的検証を付け加えるなら
「だからといってこれらの俗説を否定するに足る史料はないわけで俗説を完全に否定することは出来ない」
という補足を付け加えればもう充分だろう
0478人間七七四年2007/06/07(木) 23:34:38ID:HY3gWJG8
記憶
0479人間七七四年2007/06/08(金) 02:52:39ID:XOv8koLQ
さて、あのむきになってた馬鹿もなりをひそめたことだし、再びどこかの馬鹿がスレを上げるまでここは凍結です
ではみなさんよいお年を!
0480人間七七四年2007/06/08(金) 16:22:36ID:7qts7ivA
じゃあ今週のキチガイ当番は君に決定!
0481人間七七四年2007/06/08(金) 16:51:58ID:tadxIQR6
あ、俺にきちがい当番が当たったよ。
今週のって事は一週間がんばらにゃならんのか。厳しいね。
0482人間七七四年2007/06/08(金) 16:57:56ID:tadxIQR6
征夷大将軍ってのは戦国末期でははっきり言えばさびた名刀のようなもの
逆に関白って言うのはでかくて質の良いダイヤみたいなもんだな。

錆びた刀なんて誰が欲しがる?錆びてるんじゃ切れもしないぜ。
ダイヤだったら見せびらかせるし、綺麗だぜ。

ただ、カタナはちゃんと研げば名刀に戻るし名刀に戻れば人を脅せるし、人を殺せる。
秀吉はカタナを研ぐって言う発想がなかったから将軍にはならなかった。
家康は錆びた刀を研ぎなおしてちゃんと武器に戻した。

まあ、ダイヤだってちゃんと工業利用すれば恐ろしい武器にはできるんだけどね。
あと関白も関白の権限を利用すればいろんな事が出来たと思うけど、
秀吉はそれほど、無茶をしてない気はする。勿体無いなあとおもってしまうよ。

by 今週の当番
0483人間七七四年2007/06/08(金) 23:54:08ID:McG/t/5K
本当にアホだなオマエラwww

天才のオレ様が正解を教えてやろう
秀吉は信長の家臣だった頃に
将軍の命令を聞かない勢力・将軍の指揮下にない勢力と
死闘を繰り広げていたので将軍になっても価値は低いと考えたんだよ
将軍の言う事を聞かないやつでも天皇の命令は聞いたので
秀吉は天皇になろうと思ったけどなれなくて関白になったんだよ
分かったかクズどもwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0484人間七七四年2007/06/09(土) 00:04:24ID:0YxFTYHP
切れ過ぎ。
0485人間七七四年2007/06/09(土) 15:23:09ID:hDw4+IBC
将軍という肩書きは武家の統制にしか役に立たない
当時としては何の役にも立たない役職だった
関白なら朝廷にも寺社にも役に立つ肩書きだし
一揆衆を抑えるのにも重要な役職だよ
だから秀吉は天皇になれなくて関白になったんだよ
0486人間七七四年2007/06/09(土) 19:50:55ID:St4IjpWF
関白と将軍を兼任することはできなかったの?
0487人間七七四年2007/06/09(土) 20:07:44ID:5jZdbu7m
そこら辺は微妙なところだけど、
とりあえず、あえて兼任する必要はなかったってところでしょう。

現代から見ると、大成功といってよい徳川家の例があるので、
どうせなら将軍職もあった方が良かっただろうと思えるが、
秀吉の時代では、関白になれた以上あえて将軍に固執する必然性はない。
0488人間七七四年2007/06/09(土) 22:46:41ID:zsjdYCHE
>>487
正解
0489人間七七四年2007/06/09(土) 23:48:05ID:KC9muJNF
将軍がさらなる上の位を求めた例はあるけどね(源実朝、足利義満、足利義政、etc)。
逆は知らないなあ。
0490人間七七四年2007/06/15(金) 20:27:52ID:PuuWtRhB
関白が天皇を代理する武家政権ってのもしっくりこないんだけど
0491人間七七四年2007/06/16(土) 10:51:48ID:d8OiOz6s
信長が神を目指していたように、秀吉もさらに上を目指すつもりだったから、
関白だろうが将軍だろうが、通過点だからどっちでもよかったんじゃないかと。
0492人間七七四年2007/06/16(土) 22:43:48ID:l0b9BP9v
まだやってんのか
0493人間七七四年2007/06/17(日) 11:29:57ID:nfOjJkgv
>>491
>信長が神を目指していた

何、その俗説
0494人間七七四年2007/06/17(日) 15:10:28ID:eKPatP3F
京子ちゃん説だろ
信長と十字架でそんなこと言ってる
0495人間七七四年2007/06/20(水) 19:54:57ID:lpAdTCHf
太政大臣、征夷大将軍、関白・3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1180987995
0496人間七七四年2007/06/20(水) 22:42:38ID:KJaHkfPx
種無しは将軍にはなれぬのじゃ。(by 家康)
0497人間七七四年2007/06/22(金) 21:01:37ID:r8lMBCPJ
家康は実際に神として祀られたしな
0498人間七七四年2007/06/22(金) 21:18:08ID:1acEpLfi
秀吉も神格化されて豊国神社に祀られたけど、家康に遺棄された。
0499人間七七四年2007/06/22(金) 21:27:16ID:Y+AvN12R
今は信長も秀吉も家康も皆神様だな
0500人間七七四年2007/06/23(土) 10:47:44ID:XI3ulFIj
信長は神様になっていたか?
0501人間七七四年2007/06/23(土) 11:57:12ID:12A8MZr4
第六天魔王だな
0502人間七七四年2007/06/23(土) 12:26:23ID:hA68/0hX
明治時代になって信長の尊皇の志が評価され、明治天皇から正一位の神格が贈られた>信長
別格官幣社建勲神社がそう
0503人間七七四年2007/06/23(土) 18:18:50ID:XI3ulFIj
>>502
そうだったのか、知らなかった。
情報ありがとうございます。
0504人間七七四年2007/06/23(土) 23:22:44ID:3urGudOm
ノブも秀吉、家康の仲間になれてよかったな
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています