同一人物の記述だからといって、事象が全く違う別々の件を、同じ論法で解釈するのは
ちと、おかしくはないか?

秀吉が将軍職を断念した話は、林の書いた「豐臣秀吉系譜」の中にしかない
つまり他の傍証史料を引用してこれを肯定することも逆に否定することも出来ないんだよ

問題はそのようなクソ低レベルのくだらんことじゃない。
学者の朝尾や今谷は、羅山説を鵜呑みにしてさらにそれに小牧長久手の失敗を関連付け
秀吉が将軍職を断念するまでをシミュレートした。
その結果、帰納法的に「足利義昭が将軍職を断った」ことが
なぜか受け入れられてしまったわけだ

もともと否定も肯定も出来ないものなんだから、それ以上追求が出来ないのは仕方ないかもしれんが
「足利義昭が将軍職を秀吉に渡すのを拒否した」ことを前提に論を立脚した朝尾と今谷は
はっきり言って大罪。武功の小和田がかわいいくらいだ