何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:16:06ID:eJa3lfCN東夷説の側はそんなスパンで勝った負けたを言ってるんじゃないでしょうよ
小牧長久手の敗戦は1584年
家康の上洛は1586年
秀吉の関白宣下はその間の1585年で
その時点では家康がまだ臣従してないどころか四国征伐すら済んでない
旧織田家内部の後継者争いをほぼ収め終えただけで
まだ対外的な軍事的勝利を収めていない1584-85年の時点では
征夷大将軍になるための「関東打ハタサレ」が欠けていたので
先に関白になってから朝廷の名の下で対外的に優位に立つ戦略を選んだ、
というふうに「何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか」の
経緯を説明するのが東夷説+武家関白説なんだから
秀吉がその後天下人になったことをいくら叫んだって反論にはならないよ
0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:18:00ID:eJa3lfCN0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 19:38:29ID:VKC0zhjJだったら北条征伐後に将軍になればいいじゃんでループ
まあこれは関白就任天下統一後には将軍になる必要が無いことの
証明にはなっても、1584年の時点で秀吉が将軍になれたとか
将軍になる必要が無かったという証明には間接的かもしれんが。
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:13:35ID:SNM49w3tだから、小牧の役という戦争は秀吉の勝利だって。これは動かしようがない。
その中の、長久手合戦という一局面で土をつけただけ。
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:39:02ID:61M8LXzD秀吉は将軍に成りたかったけど成れなかった、何故だ?
って前提で論説を出してるだけじゃん。
秀吉が将軍位を望めばそれなりの猟官運動の書簡やら
史料に記述が見つかってもおかしくないのにそれが無いんだもん。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 11:15:29ID:res8XzyL>>203の言っていることを理解していないみたいだね、要は東国を支配下に置い
ていないということ、
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 13:07:21ID:fbZ9QgbHそれではやはり駄目なんだろうか
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 16:00:02ID:SNM49w3tそもそも東国支配が将軍の条件というのなら、木曾義仲とか護良親王とかどうするんだ?
足利将軍だって、関東はその支配から離脱していた時期がかなりあるのだが。
信長の三職推任だって、話が出たのはまだ武田征伐がなされていない、東国支配が出来て
いない時期だろ?
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 18:12:32ID:0xHD4nKY義仲や尊氏と比較してもあまり意味はない。
秀吉当時の朝廷や武家自身が「東夷」や「源氏」を条件として
どこまで意識していたかどうかが問題。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:21:24ID:SNM49w3tじゃあなんの問題もないね。
朝廷自身が源氏でない、東国支配もしていない信長に将軍就任を認めていたのだから。
そもそも東国がどうこうとは肯定派が言い出したことなんだがな。
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:36:49ID:f9/kygzYそれじゃあ
「慣例として関東の支配がどのこうの」
という妄想と矛盾するのだが
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:42:14ID:res8XzyL0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:46:28ID:f9/kygzY0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:46:53ID:61M8LXzD0217211
2006/11/12(日) 20:22:47ID:0xHD4nKYすべて後世の創作か思い込みだろう。
0218中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/12(日) 20:43:33ID:3hyvUvQ0じゃ珍説と折衝してやろうか。勝頼父子の首が京都で晒されたのが天正十年三月二十二日
甲信が広義での関東とみるなら関東制覇がその時点で成ったと考えられ
それを受けた朝廷が三職推任を諮問して五月四日の勅使晴豊による信長への三職打診と相成
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 06:28:34ID:8jx9ZUqdつまり>>210,>>212は前提が間違っておると?
0220中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/13(月) 11:15:27ID:2J8Csm3m>>218はまず第一に、三職推任までの時系列誤認を指摘
第二に、将軍就任のために東国支配が必要条件と仮定した場合に
では東国の示す範囲はどこなのかを信長の将軍推任の事例にあてはめて仮定すると
甲信であることが浮かび上がってくる。すはわち天正十二年の小牧・長久手合戦で
秀吉は家康から甲信を得ることが出来なかったから将軍を断念。そして武家関白になった
もっとも第二に上げた意見は、仮説を立証するために仮説を引用してる点で
半分妄想みたいになってることに留意してくれ。
現実には(上の方でも指摘してたが)上杉・佐竹・結城・蘆名ら東国の有力な大名が
早くから秀吉に恭順しており、信長の時には甲信獲得だけで将軍を推挙してることから
朝廷が将軍推挙の条件に「東国制覇」を掲げていたとは到底考えられないというのが俺様の持論
0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 12:43:10ID:8jx9ZUqdそだね。俺も>>210,>>212は変だとは思ったんだが、
俺の思っているのと何か別のことを言っているのかと
怪しんでいた。ただの誤認ということでいいのかな?
> 第二に、将軍就任のために東国支配が必要条件と仮定した場合に
・・・
> 甲信であることが浮かび上がってくる。
まあ東国を無理に甲信に限らずともいいと思うよ。
というかそもそも東国に限らず大戦に勝ちさえすれば
たぶんどこでもよかったと思うけど。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 16:41:40ID:Oj0eGDIg北陸も京からみたら「東国」、条件は一応満たしてると言えるかも
0223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 17:00:22ID:ztglA7kxを納得させるのなんて無理に決まっている、短期間て織田家の実権を握ったこ
とだって信じられないほどのスピードだと言うのに。
0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 17:04:49ID:Oj0eGDIg別に自分は秀吉が賤ヶ岳の戦いで征夷大将軍になる条件を全て満たした、
と言う積もりはないが(あくまで叩き台の積もり)、
根拠も提示されずに否定されるのは納得できないぞ
0225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 17:37:58ID:464Mol/30226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 03:31:34ID:0OEGrJ4/しかし恭順でいいのなら、信長には甲信獲得以前から北条や佐竹伊達最上なども
恭順していたといえるから、武田滅亡時点で東国を制覇した、と言えなくも無い。
おや肯定派を証明してしまった(あくまで仮だけど)。
だたそれでも、秀吉の場合になれなかった理由にはならんけど。
北条征伐、奥州遠征で東国制覇した時点で要求すればいいだけの話。
0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 06:45:02ID:IhNVglul0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 13:44:42ID:yqdHEkGZ→既出の源氏説や東夷説、百姓説むしかえされる
→ならなかった派となれなかった派で議論煮詰まる
→結論を誰かがまとめる→新規書き込み
これで1000まですすむスレ
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:01:53ID:IhNVglulどちらにも証拠がないから仕方ないけど
0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:04:15ID:33U1YByQログを全部読んだ上でその感想を述べているのですか?
日本語が苦手なんですか?
0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:05:59ID:IhNVglul勝手に勝利宣言する馬鹿が出没してるのは
読んでわかった
0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:07:26ID:IhNVglulぐだぐだになって人がいったん離れてから
「これで結論出たな」って言う馬鹿、
と言ったほうが正確かな
0233中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/14(火) 20:17:58ID:mj4soAHO前スレ1000レス分+現スレ232レス読んだら結論出てんじゃん・・・
0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 20:30:11ID:yqdHEkGZ新規書き込みが現われたらまたお会いしましょうw
0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 21:12:45ID:pFx0Zuu2今までの事を全部無視して「なれなかった派」が書き込みます
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 21:41:11ID:guw/UTe5IDがアホ
0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 00:04:58ID:PvDk5eTdと思うが、そういう話聞かないな、
0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 11:20:09ID:mm9rWoyS0239中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/15(水) 13:36:49ID:u8YVrVE2禿散らかす程に同意
>>226
>信長には甲信獲得以前から北条や佐竹伊達最上なども
>恭順していたといえるから、武田滅亡時点で東国を制覇した、と言えなくも無い。
仮に将軍職の必要条件として東国制覇というものがあったのなら、甲信制覇で完了かもな
しかし東国の範囲を探るのはあまり意味がないことだと思う
将軍職の発端を考えれば東国や奥州を支配するという原則的な意味を喚起するかもしれないが
朝廷が厳密に将軍の定義を持っていたわけでもあるまいし。
さて、何度も書くがこのスレの命題について俺様なりの考え
第一に秀吉が将軍になろうとした形跡はない。これ事実
武家昵近公家衆の日記、天皇周辺の記録、秀吉側近の行動(玄以や大村ら)。あるのは羅山の記録のみ
第二に秀吉の官位累進は将軍を狙った任官というわけではない
>天正12年10月3日・従五位下左近衛権少将
>天正12年11月12日・信雄と講和
>天正12年11月22日・従三位権大納言
>天正13年3月10日・正二位内大臣
>天正13年4月・紀伊平定
>天正13年6月・近衛と二条の関白論争
>天正13年7月11日・従一位関白
>天正13年7〜8月・四国、飛騨、越中平定
>天正13年10月27日・家康降伏
>天正13年12月19日・正一位太政大臣
つまり秀吉は将軍になれなかったのではなく
「将軍になる必要がなかった」あるいは「将軍にならなかった」と結論
>>237
1584年11月に秀吉が三法師の官位を越えるから
仮に三法師にその資格があったとしてもその時点で断たれてるな
0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 16:11:14ID:0bojs+ho最初の頃は将軍追放後の信長時代の
信長信忠の官位任官の方針を単に受け継いでいるようにも見える
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 17:24:19ID:RND81Madそのような史料がないからといってはたして「なれた」と言えるのだろうか?
0242中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/16(木) 22:31:39ID:HxbwoPwl0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 23:25:40ID:tzvEXYwx「なろうとした」という史料がない以上「なれなかった」という珍説の後押しにはなりませんが
0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 23:52:01ID:RND81Madでは聞くが「なれた」というならばそのなるための手順や方法を具体的に提示し
ていただけないか、たとえばシュミレートしてみるとか、言っておくけど例外を
探してきて都合のよい解釈をしろという意味ではないから。
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:02:56ID:wT+PE+Wm何度も書かれているはずなので過去ログを読むといいよ
秀吉が関白に就任するために朝廷と秀吉がやった事の滅茶苦茶さを考えれば
将軍になるなどたやすいもんです
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:13:31ID:/YPuyPLAあなたの説明でよくわかりました、あなたはたいした知識を持ち合わせていない
のに人の意見を珍説呼ばわりする傲慢な人間だということが、
一応目を通したつもりだが具体的な方法は誰も提示していないが。
0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:35:09ID:wT+PE+Wm秀吉が「将軍になりたい」とさえ言えば
朝廷がごにょごにょと手続きをしてくれて将軍にしてもらえます。
具体的な方法もクソもありません。
0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 09:35:29ID:eYgd2AeY被疑者死亡で有力な物証もなく、情況証拠だけを積み重ねる捜査だよ
「なろうとした」決定的な史料が発掘されないかぎりはね
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 10:36:06ID:7XyS6NVhほんとにちゃんと目を通したのか?
「珍説絶叫君はスルー」ってのは
このスレではもう常識なんだが。
0250中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/17(金) 11:07:26ID:mC749uDL秀吉の官位累進を見ると、その一次的な動機は敵対勢力をいかに飲み込むかを想定した
叙官であったかを知ることが出来る
つまり権少将の叙官は10月に始まった織田信雄との和睦交渉にメドがついた10月中に起こり(翌11月和睦)
これにより織田家で生存する男子のうちもっとも高い官位の者と同等の立場に成り上がった。
それ以後、内大臣獲得までの官位累進は紀伊・四国・飛騨・越中など統一過程で順当に獲得した結果であり
関白職に至っては小牧・長久手の敗戦上講じられた処置、つまり家康という最大の敵対勢力を飲み込むための
手段だったとして理解されている(朝尾・永原)
秀吉が天下統一事業や政権構築のために、受けた官位を運用していくのはその後の話で
官位獲得によって生じる職域や権利の行使は、官位累進の動機としては
あくまでも二次的な側面であるといえる
秀吉が将軍に「なれた」「なれなかった」を語る時には上記に上げた一次要因、
つまり秀吉が他者を圧倒するためには果たして本当に将軍職が必要だったのかどうかを検証することが
重要であると思う。
上にある一次要因を克服するために秀吉は他者より優位に立つための場当たり的な官位獲得を行なっており
>>239で上げた官位足跡を見てもかならずしも将軍職に固執した累進でないことがわかる
与えられた状況証拠から類推するかぎりは、やはり秀吉は将軍職を目指してないと結論付けるしか
他に方法はないだろう。新史料でも出れば別だが
恐らくこれが現在の歴史考察における限界ではないのだろうか?
0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 11:16:34ID:Rkzfa/Xw全国を平定して太政大臣になった後にでも
大臣との兼務でも秀次を使うにしても
自分が将軍職に就くか部下に就かせるかして幕府を開いてただろうに。
それをやっていないという事は
「将軍という地位の必要性も感じていないしなろうともしていなかった」
という客観的な証拠でもあるわな。
これ何回このスレで書かれてるんだ?
もうこれが結論じゃんか。
0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 11:19:02ID:7XyS6NVhそもそも東夷説自体がそんな次元の話じゃないんだから
0253中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/17(金) 11:35:55ID:mC749uDLそういうことだな。原則的な話をすれば、関白も将軍も職に相当する位を持たないのが特徴だ
普通は他の職式と兼帯してその職式に相当する位をもらうのが慣例。統治には必要ではあるが
秀吉がもっとも必要だったのは他者を圧倒するための越官でありそれが秀吉の急務でもあったわけだ
その段階では将軍も関白も差し当たって必要ないわな
やがて自己の政権運営のために関白や将軍が必要になってくるわけで
原則的な解釈を用いてみてもやはり将軍になる必要はなかったといえるんじゃないかな
0254中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/17(金) 12:40:08ID:mC749uDL秀吉の素性だけに限定して将軍職の可能性を考えると「なれた」のではないかと言える
0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 22:04:27ID:MAqDk1ox秀吉の中にあったんじゃね?w
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 01:05:05ID:ec1SV/Bl0257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 03:41:56ID:dOolfENlそんなことは秀吉以外で右大将になった武士全てに言えるんじゃないか?
0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 02:49:34ID:JV7Moymk0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 08:19:59ID:OAaOnuXj菊紋を下腸されたかw
0260名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 23:23:35ID:MX9b6EZWトップで新着記事として紹介されてたから読んでみたが、かなり勉強になった
0261中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/12/05(火) 00:06:22ID:SBYtNUfw0262名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/05(火) 08:04:15ID:2/obQzY40263名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/05(火) 10:02:16ID:NrlwUVGA0264名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 21:13:03ID:4VVTsuOZという疑問に答えられなくて、最近京子ちゃんトーンダウンしてるらしい
0265名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 16:53:06ID:tMTT28f+くらいハッピーな脳細胞持ってるからわけわからんな。
0266名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 17:20:46ID:9Ot4xzSzそもそも農民出が将軍になろうという発想すらできない(考えられない)時代だったから
ではないでしょうか。
以下、朝廷目線で書いてみます。
朝廷が恐れたのは、信長と家康。
信長を抑えるために将軍職を打診したが失敗→光秀を使って倒した。
家康を抑えるために秀吉を関白職にした。
すなわち、秀吉は朝廷に操られていたにすぎないのではないでしょうか。
0267名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 22:39:51ID:5WFAm/HE約1カ月ぶりのレス大儀!
さて >そもそも農民出が将軍になろうという発想すらできない(考えられない)時代だったから
そんな時代に農民出を関白にと発想した晴季公は偉大であると思わないかね、きみぃ。
0268名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 23:21:13ID:u66PiiW6否定的に書いてるものが多かった。ただ一つそれを基に関白就任の経緯が書かれているものがあった。
その書は井沢元彦著「逆説の日本史」。
0269266
2007/01/05(金) 00:04:15ID:uXv/Fqv9思います。
自分たちにとってのメリットとして、誰も発想しなかった策を考えた朝廷は、
したたかで一枚上手だったのでしょうね。
0270267
2007/01/05(金) 21:27:34ID:eeSR3xoO同意してくれるか
ならば聞くが、家康を抑えるだけなら武家の棟梁たる将軍職でも
十分用をなすと思われるがいかがか?
0271名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 20:21:56ID:hU9SRybK武家の棟梁なんてカッコ悪い
0272名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 20:27:34ID:CS31TAJH0273名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 02:27:22ID:mEhwHRUzいくら趣味カテ板だからって、ちょっとは勉強汁
0274名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 17:56:54ID:6WPSxryU0275中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/02/06(火) 18:04:10ID:cTdTi5C5一応このスレは俺様の責任において終了させたはずだが
0276人間七七四年
2007/02/26(月) 00:53:51ID:o2AETMrJどっちが偉いの?って部分。ドラマなんかでは徳川将軍が公家関白をザコ扱い
してるシーンがあるけど、関ヶ原前後の関白と太閤、将軍と大御所の関係同様に
結局関白と将軍の上下関係も実質その時の力関係で決まる相対的なものって事?
個人的には望みさえすれば当時あれほど空前絶後の勢力を誇った秀吉が将軍職
をもらえないはずは無いんで、多分出自のコンプレックスも手伝って
「将軍なんて所詮武家の棟梁・・っていうか義昭のザマみてみろや。その点
関白ともなると・・ワシも天子並みの華麗なる一族ってか!?ウシシシww」
みたいな感じで選択したのかもと思ってんだけど、どうなんだろうね?
ちなみに関白とか将軍ってのは成人(元服?)前でも先代が死んだら継承OKなの?
徳川が豊臣を攻めた名目って「将軍家に頭を下げないから」でしょ。
だったら秀頼が関白だったら攻めきれなかったのか・・又は関係なく滅ぼしてたか・・。
または例えば秀吉が将軍になってて秀頼が2代将軍継いでる状態なら
家康は関白(もしくは関白秀忠で太閤家康)になって「将軍家が関白に頭を下げない」
って名目で豊臣攻めを敢行したのか・・関白になんぞならず普通に将軍家つぶしてたか・・。
「何故秀吉は将軍にならなかったのか」って疑問が湧く背景には自分も含めて
「将軍になって幕府つくってれば滅びなかったかもしれないのに・・」みたいな
感覚があるような気がするが、実際関白と将軍の関係が上記のような相対的な
もんだとしたら、豊臣幕府誕生後の大坂の陣ってどんなもんになってたか
とても興味深い。
秀吉が関白と将軍両方なってたとした場合のシュミレーションも含めてね。
(もちろん家康が史実通りに関ヶ原後に勢力を拡大した前提での話だけど)
0277人間七七四年
2007/02/26(月) 06:02:12ID:0QfdLUAS0278人間七七四年
2007/02/26(月) 17:13:38ID:kFgSHDAwもんだとしたら、豊臣幕府誕生後の大坂の陣ってどんなもんになってたか
個人的には望みさえすれば当時あれほど空前絶後の勢力を誇った秀吉が将軍職
みたいな感じで選択したのかもと思ってんだけど、どうなんだろうね?
ちなみに関白とか将軍ってのは成人(元服?)前でも先代が死んだら継承OKなの?
0280人間七七四年
2007/03/04(日) 03:13:52ID:rFG95Iuhまずはいろんな本を読んで勉強して
そうすれば基礎知識的な事を質問して恥をかくようなことはなくなるから
0281九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/03/05(月) 21:58:46ID:jOfPL7Yu0282人間七七四年
2007/04/05(木) 13:19:37ID:QPJKQHUJ0283人間七七四年
2007/04/12(木) 07:55:18ID:P/el3O0/参考文献は東大の橋本だが
橋本と立花って学説的に距離あるんじゃなかったっけ?
0284人間七七四年
2007/04/12(木) 14:59:20ID:fOqWQ1sl0286人間七七四年
2007/05/01(火) 20:42:30ID:LdO27UIU関東の北条は滅ぼしたが、次に関東を与えられた江戸の徳川が豊臣に対して屈伏したとは言えずに
将軍になることができなかった。
また、将軍になるには源平の流れのものでなくてはならない。
朝廷としては秀吉を将軍職に就けるわけにはいかず、源平ではないため、仕方なく豊臣の名を作り
秀吉に与えた。豊臣って名前あげるから我慢してね、という形である。
0288人間七七四年
2007/05/01(火) 22:52:38ID:9vyH6W5a0289人間七七四年
2007/05/01(火) 22:53:34ID:LdO27UIUダメなの?
確か信長は平氏の流れとなってるけど、征夷大将軍にならないかとの誘いを朝廷から受けてたはず。
源氏の流れでないとなれないというのはなんの根拠もない話のはずですよ。
0290人間七七四年
2007/05/01(火) 23:21:44ID:J+3yZSGR0291人間七七四年
2007/05/01(火) 23:25:22ID:9vyH6W5a0292人間七七四年
2007/05/02(水) 05:48:40ID:D9WvDUjV0293人間七七四年
2007/05/02(水) 06:14:59ID:uljoaEd9豊臣は名字ではなくて、源・平・藤原・橘・物部と同じ本姓だから。
その面では何ら障害はないかと
0294人間七七四年
2007/05/02(水) 06:27:37ID:MqpvEqFS0295人間七七四年
2007/05/02(水) 06:43:20ID:mbQ86BNX0296人間七七四年
2007/05/02(水) 10:11:17ID:R2ovFQwY0297人間七七四年
2007/05/02(水) 12:06:37ID:MqpvEqFSけど公卿補任ってその時々の権力者に阿って結構改竄されてるからな
秀吉の正室である高台院が天正16年の聚楽第行幸の後に従一位に叙任してるのに、
旦那の秀吉に音沙汰が無いのは不自然だとも言える
本当はこの時秀吉も正一位に昇叙してたけど後に記録を改竄したんじゃないかと妄想してる
0298人間七七四年
2007/05/02(水) 12:44:17ID:Q0kN93O0橋場秀吉天皇を目指すべきだったな。
下剋上なんだからさ。
0299人間七七四年
2007/05/02(水) 16:05:24ID:R2ovFQwYなるほどね。
生前の叙任が行われたのはいずれも武家政権の無い時期だし、
関白として皇室を奉じる政体を採った秀吉なら生前の叙任も有り得るよなぁ。
ただ、公家が猛烈に反対しそうだな。
0300人間七七四年
2007/05/02(水) 21:24:18ID:QNh2Ihty0301人間七七四年
2007/05/02(水) 22:04:43ID:c68O3uTxこのうち征夷大将軍になって幕府を開いた3者の政権はかなり長続きしているのに対し、平氏と豊臣氏の
政権はほぼ一代限りであっさり滅んでいる。
結果論かもしれないが、やはり幕府を開くというのは武家が恒久的に天下を治めるに当たって
有効なシステムであるのは間違いない。その有効性は秀吉も認めていたはず。
史実からみれば、秀吉が征夷大将軍になろうと積極的に動いた足跡はないが、ならなんで秀吉は
幕府を開こうとしなかったのか。
幕府とは違う、新しい統治システムを構築しようとしたからなのか、そのへんがよくわからないんだな。
だから「なろうとしたのになれなかったんじゃね?」という仮説も出てくると思う。
秀吉が目指していた(実際にやった、とは別に)政権システムってどんなだったんだろうね。最終的な形態は。
0302人間七七四年
2007/05/02(水) 22:46:26ID:igRiM+1h三代アボンなのに
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