何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:31:51ID:72VkGz7K0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:36:05ID:gQmWK1cC付け加えるならこれも本当に将軍職を望んでいたのなら北条降伏後に
なればいいわけで
結局将軍には「なる必要がなかった」になるんだよな
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:40:47ID:H/5DhGnu必死なのは分かったから
一言でもいいから何か反論してみなさいw
0120中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 22:42:05ID:u1QTMJ9bよく帰って来てくれたwwwwwww
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:44:55ID:72VkGz7K君を相手するのかったるい。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:48:26ID:xFgaUS8bそれが駄目というID:72VkGz7Kはきっとすごい学識を有してるんだろうな。
0123中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 22:52:00ID:u1QTMJ9bつまり羅山を超える新史料を持っているということか
それから>>34で俺様があげた朝尾と今谷のソースだが
随分前に読んだから正直よくわからん。
今谷のほうは「武家と天皇」、朝尾のほうは「豊臣政権論」だったと思う
今谷のほうはたぶんそう。朝尾の方は記憶が曖昧なので誰か知ってたら教えて呉
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:58:30ID:A5BIF60mお前さんに言われていくつか見たが
まだ朝尾・今谷が羅山にのっかってる証拠は
見つけてない。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:05:20ID:A5BIF60m> 大勢は「なる必要がなかった」という論が主流をしめてるんだけどねえ。
それを積極的に述べている論文を1つ2つ挙げてくれ。
参考にしたいから。
それから俺はまったく別分野の研究者だが
「学論」なんて語は使わない。「論」より「説」だ。
詳しいふりで使うとあまりに素人臭くて馬鹿にされるから
以後気をつけるといいぞ。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:14:58ID:A5BIF60m> ここでおこなわれてるような論証のやり方は学論でもよくある型なんだけどねえ。
の「学論」ってのは「学士論文でも」の意味か?
だったらまあどんな論証のやり方があっても驚かんなw
(卒論をいちいちチェックしてる122には驚くが)
0127中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 23:16:16ID:u1QTMJ9b逆に起点を想定した場合、それが義昭から将軍を断られたという例の物凄くあやしい羅山説に
結びついたというのが件のシミュレートだったと記憶している
>>34でその起点に立脚したかのような書き込みをしたが
実際は終点を元にシュミレートした結果、帰納法的に起点が浮かび上がっただけに留めてたと思う
>>34は書き方としてはまずかったな。
とにかく朝尾の論文片っ端から読んで記憶の曖昧さを払拭するしかほかに方法はねえ
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:22:23ID:jJz6BiqUそれよりも>>101が書いているように当時の人は秀吉をどのように見ていたの
か、など当時の状況から考察したほうがいいのではないか、結果から推測する
のではなく。
0129中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 23:24:03ID:u1QTMJ9bそれなら家わけの島津家文書だったかの島津家の反応が如実に物語ってると思うが
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:34:35ID:H/5DhGnu「将軍様は武家の頭領で偉いんだぞ」
「秀吉はその武家の頭領様になれなかっし、なる資格もなかったんだぞ」
「だから徳川家は偉いんだぞ」
という事を言いたかったんじゃないのか?
その結論ありきでいろいろと書いてるんだから、
信憑性という意味ではまず疑ってかかるべき話でしょう。
同じように、明治から終戦までの歴史学者は、まず
「天皇陛下は偉い」
「天皇家は万世一系で今まで一度も途絶えた事がない」
「戦国時代の武将が天皇に逆らうはずがない」
という結論から始まってるから、いろいろと間違ってることがあるのよね。
織田信長と正親町天皇の関係は上手く行っていた事になってるし。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 01:03:13ID:GTpNU2BCこのとき秀吉から1万石も知行もらっている。
この時点で関白と将軍の政治的位置関係は決したんじゃないか。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 06:45:19ID:2pLcWU5d日本史の研究者なら、この話題についてのあんたなりの考察も書いてくれれば
いいのに。煽りしか書いてないんじゃ何も説得力ないし。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 07:29:23ID:kNOrTL/Yあなたが少数派と言っている意見のほうが私は目にする機会が多いのだが、
それは気のせいなのか?NHKなどもその説を採用しているのだが、
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 07:58:02ID:aLCtYd1s0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 08:00:35ID:BMHHiqxR大河ドラマの前説で、足利義昭に断られたから将軍の就任を諦めたと
言ってるのをみたんだけど、NHKでも歴史番組によって違うんかね。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 08:44:01ID:Z2ozcvgZ「まったく別分野の研究者」と書いてあるけど・・・
>>133
俺もそう思うけどな
>>115は「主流」の本や論文の紹介キボン
>>135
大河は歴史番組に入りません
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 08:49:33ID:aLCtYd1s0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 09:02:43ID:GlT0lIKQNHKがそのような説を採るのは単純に面白いからでしょ。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 09:10:50ID:Z2ozcvgZ実名で顔突っ込んでくる研究者なんかいるか?
実名でなければ大変も何もないんでないと思うが
0140中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 09:33:02ID:fRGyndTn>>129で島津家文書と書いたのは間違いで正しくは上井覚兼記。頼朝以来の名門島津が
羽柴などという「非貴」に軽々しくなびくものではないと言ってる
この「非貴」がどの程度の非貴を指しているのかはわからん。秀吉を百姓ととらえていたのか
あるいは頼朝より格下の者をすべて非貴ととらえてたのか。
島津は信長とは修好を通じていたから、少なくとも信長未満の階級を指して非貴と言ってるんだろう
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 10:18:17ID:ZKnJfAIG俺は>>1だが
そもそも俺の考えは>>5で語ってる通り
「秀吉は元々将軍職を望んでない」っていうのが俺の持論。
将軍に「なれなかった」って記述は羅山の思惑にのっちゃうかららめぇええええ
0142中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 10:32:23ID:fRGyndTnちと待て>>1よ。すると何か?スレタイに対する答えがわかっていながら
お前はわざわざ新スレを立てたのかよwwwww
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:07:18ID:aLCtYd1s日本史板にはいる
案の定荒らしに粘着されて大変みたいだが
それに例え実名が晒されなくても本人のプライドがズタズタになるんじゃないかw
>>140
信長みたいな守護代の分家の家柄でもOKなのに、秀吉を殊更差別するのもおかしな気がするな
誼を通じるのと実際に臣従するのでは話が違うってだけじゃないの
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:22:54ID:GlT0lIKQだいたい島津だって分家の分際でw
いや島津も庶家だから分家の信長はOKという論理なのか?
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:27:47ID:ZKnJfAIG>結論
>「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
> 朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
前スレの「断られたかもしれないが」が激しく気に食わんかったから立てた。
反省はしてない。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:30:54ID:Z2ozcvgZやっぱり>>1が何を言ってるのか
よくわかってなかったんだね
>>120で1と違うほうに絡んでるから
変だと思ったよ
0147中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 11:37:01ID:fRGyndTnまあ修好と威圧じゃ島津の対応は違うわな。しかし当時の信長は
明智→惟任日向守
丹羽→惟住
羽柴→筑前守
塙→原田
簗田→別喜
と九州名族の苗字や官位を家臣に与えて暗に九州を牽制してるわけで
島津がこの意味をどの程度認識してたのか。認識した上での交誼なら
上井日記の秀吉の格付け評はやはり信長未満ということになる
0148中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 11:42:43ID:fRGyndTn前スレで終わったと思ってた議論を、スレまで立ててまた再開という>>1の姿勢と
昨日の奴がだぶった。今は反省していない
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:44:44ID:aLCtYd1s信長と秀吉への島津の対応を比較することで秀吉の出自の卑しさを証明しようとしなくても、
それこそ都の落首や榊原康政の檄文、豊鑑の序文など、
当時の人間が秀吉の出自をどう見てたかという状況証拠はいくらでも有るでそ
0150中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 12:00:08ID:fRGyndTn0151中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 12:01:25ID:fRGyndTn萩中納言が聞いて呆れるぜ
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 18:24:27ID:CsgGcpJx0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 19:34:18ID:GlT0lIKQ当時の状況から考察するって
それは完全になる必要がなかったといってる人達の
採ってる手法じゃ・・・
>当時の人は秀吉をどのように見ていたの
当時の人々は秀吉は将軍になれるはずがないと見ている史料は多分無いし
秀吉を成り上がりと見ている史料があってもそれが何の役に立つの?
秀吉が何の官位役職に就いていなかったりするとか、
せめて将軍職より低い位にしかつけなかったのならまだその論証も可能かもしれないが。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:20:30ID:kNOrTL/Yいきなり核心をついちゃったよ、そう、このスレは家康叩きが目的であり
屁理屈をならべて秀吉が将軍になれたことにしようとする所です。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:33:45ID:VaEyHv0W0156中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 20:45:02ID:fRGyndTnそうか
へえ
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 01:09:47ID:yJ1RMaE10158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 01:29:48ID:WA44RHoGあけ渡さなかったから秀吉は将軍になれなかったでいいではないか、これだ
けでも十分理由になってると思うが。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:50:57ID:6lR4vVie1・秀吉が将軍職を望んだという史実
これだけあればOKだが、それがないのなら
2・秀吉が将軍になる必要性
3・秀吉が将軍になれない理由
これをキチンと説明する責任があるのだが
「将軍になれなかった」と主張しているヤツは
この説明責任から逃れ、相手の人格を否定する事だけに奔走し、
ほとぼりが冷めた頃に同じ事を繰り返し主張するという無限ループに陥っている。
前スレからずっとこれ。
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:54:39ID:bDL3wTJWそれが史実でないから問題なんだよ。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:57:18ID:WA44RHoG0162中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/02(木) 10:58:38ID:8Umd1Xv8京を追われたときに将軍職がなくなったと考えるのなら
義稙以下歴代将軍はどうなるんだよwwwww
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 12:36:44ID:WA44RHoGこのように思っている人は少なくない、実際1573年に解任されたとする本を
目にすることがあるし、公卿補任に義昭の名がずっと記載されていたことを
意外と述べている人は多い、
公卿補任のことが取り沙汰されるようになったのは比較的新しい話ではないか?
0164中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/02(木) 13:19:36ID:8Umd1Xv8将軍辞職後に准三后とは、ここの経歴だけみれば足利義満と同じか
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 18:57:04ID:iRUWhup4のもうかかがわれるけど、それらの事実と林羅山の書いた猶子拒否の話の信憑性はまったく別問題と考えるほうが
いいと思うんだけど。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 20:34:04ID:WA44RHoGか無視されていたのではないか、それ故、専門家は秀吉が将軍にならなかったこ
とを不思議に感じ関白になったことから逆算して色々な説を生み出したのではな
いか、
0167中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/06(月) 13:59:38ID:MmuBu0B9京子ちゃんだけでお腹いっぱいです
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 15:12:56ID:v75xD+QF家柄コンプレックスだからさ
0169中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/06(月) 16:05:00ID:MmuBu0B9ただ任官時期を改竄して累進を急いだのは確かだ
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 21:14:52ID:c3ffLvcYそれを秀吉は断ったという話があるがどうなの?
後代の林羅山のはなしより同時代の多聞院日記のほうがよほど信憑性高いと言えないか?
0171中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/06(月) 21:50:42ID:MmuBu0B9秀吉に有利な計らいなら、英俊に先んじて権大納言晴豊・右大臣晴季・神祗大副兼見ら秀吉に平身低頭な
彼ら昵近公家衆らが耳にし、或いは記録に残すはずだ
他でもない秀吉の関白任官に関する情報は、まず任官に先だって晴豊が受け、兼見が記録している
(天正十三年七月九日・秀吉の関白就任二日前)
要するに秀吉に近い公家衆より先に情報を得ることはアリエナイ。単なる風聞じゃね?
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 23:04:12ID:c3ffLvcY断ったなんて話にはならなかったと思う。英俊だって義昭の動向は気になっているはずだし
0173中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/07(火) 10:05:43ID:BuVe1UKvこの官位運動に対する理由付けを当時の人間が色々と噂していただけかも知れない
目的語を将軍職においた風聞とは言いきれないと思うぞよ?
あと奈良の田舎ぼうずが中央の政局や備前の貧乏公方の情報を正確に受け取れたのかどうかも疑問だな
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 12:51:59ID:+JK9ba5d確実なのは当時「そういう噂」があったということだけかな
ただしその噂に対して特に疑問を呈することなくそのまま書き記しているということは、
当時の人間は秀吉の血筋やら小牧・長久手の敗戦やらは
将軍就任に対して大して問題だと考えてなかった、と逆説的に言えるかもしれない
0175中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/07(火) 13:44:01ID:BuVe1UKv信長=平姓、秀吉=平姓だし単純に等号でつなげば
「平姓信長が将軍になれるなら、平姓秀吉も将軍になれる」でいんじゃね?
あと>>173の補足だが、公家の日記に将軍を望んだことも将軍を辞退したことも書いてないから
秀吉は最初から将軍を望んでなかったと考えていいかもね
結論
1.秀吉が将軍になることに障害はなかった
2.秀吉は将軍になるための運動を起こしてないからなる気はなかったと考えられる
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 23:53:50ID:kq88H0hr相変わらずキチガイ炸裂ですなw
結論は正しいが
1・晴豊は「信長が将軍になるだろう」とは書いていない。
村井に「信長を関白か大臣か将軍に推任したらどうか」と勧められた事を朝廷に報告しただけ。
2・秀吉は平氏も源氏も関係ないほどの低い身分の出身。
忘れないようになw
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 01:21:02ID:qDk35lAo>村井に「信長を関白か大臣か将軍に推任したらどうか」と勧められた事を朝廷に報告しただけ。
それ京子説やん
0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 06:32:27ID:XVPENUjc摂家や皇族など血筋の良い者を選んでトップとして担いでいた、それにより
武士が政治を行なう正当性を主張していた、それなのに他の大名と比べても
出自のわるい秀吉を将軍に担いでどうするの?
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 07:11:22ID:Q3QUvzXU0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 08:36:27ID:B9f8Wj5Y摂家や皇族など血筋の良い者を選んでトップとして担いでいた、それにより
武士が政治を行なう正当性を主張していた、それなのに他の大名と比べても
出自のわるい偽源氏を将軍に担いでどうするの?
0181このスレのまとめ
2006/11/08(水) 11:11:10ID:iQcrmmZ8A1、秀吉が将軍を断念したソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので今のところ否定も肯定も出来ない
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
どれも立派な姓であり、秀吉の出自が官位就任に影響をおよぼしたことはない
Q3、源氏しか政権担当者としての将軍にはなれないんだよ。おまえ馬鹿?
A3、「天正十年夏記」によると勧修寺晴豊は信長が将軍になるだろうと感想を洩らし
誠仁親王も信長をどのような官にでも推挙すべしと言っている
そして信長は平姓。もうわかったね?
Q4、はあ?意味不明
A4、だから信長が平姓で将軍になることに問題はないから
平姓秀吉も将軍になることに問題はないと考えられるの
Q5、だったら将軍になればいいじゃん。ならなかったのはやっぱ秀吉じゃ無理なんだよ
A5、小牧・長久手合戦の直後に権大納言や内大臣つまり将軍が兼任した官位を獲得したが
すぐに関白になっているため秀吉は将軍職を望んでなかったようだ
小牧・長久手の敗戦により将軍職を諦めたという論説もあるが
秀吉が将軍職獲得のために運動した形跡はないため憶測にすぎない。
Q6、だから何?
A6、つまりこのスレの結論は「将軍職に興味を示した資料は無いが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
Q7、秀吉厨キモすぎwwwww必死だなwwwwww
A7、・・・反論に窮してその態度かよ
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 11:41:22ID:Z47/GgFD0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 12:27:00ID:GjYGjGmoそういうのがかえって説得力をなくすんだけど
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 13:19:34ID:Z47/GgFDただ単に煽りたいだけの人が常駐してるのがわかる
それに対する牽制のつもりなんでしょ
自分もそんな煽りまがいのことは不要だと思うが
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 18:41:42ID:32X879pdお前原文も読んでないのかよw
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 00:52:24ID:xMIdNc/j豊臣姓つくってギャフンと言わせてやりましたわ。
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 13:24:08ID:l209gQoIお前こそ原文嫁
というか原文の解釈で2通りの説が出てるだけなんだがな
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 23:43:48ID:xvK8Ygcn(原文)
村井所へ参り候。安土へ女房衆御下し候て、太政大臣か関白か将軍か、
御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
(一般的な解釈)
私(晴豊)は村井の所へ参りました。そこで私(晴豊)は村井に
「朝廷は安土へ女房衆を派遣して信長様を太政大臣か関白か将軍に
御推任するのが当然ではないか」と言われた。
私(晴豊)はこの事を朝廷に知らせた。
(キチガイの解釈)
私(晴豊)は信長様が将軍か何かになるだろう。
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 00:11:11ID:kBcTxlXF立花京子儲とでもいうのか。
信長と十字架読んで納得しちゃうお馬鹿。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 01:45:52ID:TjhiiUb3古文の知識があって素直に読んだらそうなるはずだし
「解釈が分かれている」というのは
推任の件を持ち出したのが村井か晴豊かで分かれているのであって
キチガイの解釈は論外なわけです
0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 02:09:20ID:TjhiiUb3戦前の天皇陛下万歳時代に行なわれた「歴史上の人物は勤皇派かどうか」という意味不明の分別で
「信長は勤皇派」という誤った解釈をしたために生まれた発想
「天皇陛下と信長の関係はうまく行っていたはずだ」という誤解があったために
「村井から切り出すはずがない」とされた
0192中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/10(金) 07:05:16ID:3glb3EsN>>176
>2・秀吉は平氏も源氏も関係ないほどの低い身分の出身。
秀吉の身分のことを言ってるんじゃない。秀吉の身分が彼の官位累進に影響をおよぼしたことがないのは
史実で秀吉が就任した官位を見れば明らかだろ?それとも秀吉は「非貴」だから関白就任は嘘でした
とか言いだすのかw
>>188
それ4/25日の記述だな。それには二通りの解釈が存在し、村井主体説をとってるのは
京子ちゃんと今谷らしかおらんよ。4/25を受けて5/4の勅使派遣につながるが
それまでの朝廷側の準備が左大臣推挙のときと同じく朝廷(というより誠仁親王)主体で行なわれていた
ことに着目し今回のも朝廷から信長側に伝えられたと結論付けている。
「信長権力と朝廷」における京子ちゃんの解釈は、岩沢がご丁寧に原文の訳をして反論してるから
読んでみるといい
>>191
>しかも「晴豊のほうから切り出した説」のほうは
>戦前の天皇陛下万歳時代に行なわれた「歴史上の人物は勤皇派かどうか」という意味不明の分別で
>「信長は勤皇派」という誤った解釈をしたために生まれた発想
日々記が晴豊のものだと証明され、信長への三職推任があったのが報告されたのは戦後なんだが
0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 09:42:33ID:KuXRRtqw御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
立花京子氏の解釈
私(晴豊)は、村井貞勝から「朝廷は安土へ女官を派遣され、信長様を三職に推任するべきである」という
申し入れを受けた。このことを私はすぐに(朝廷に)報告した。
東大史料編纂所の岩沢としひこ氏の解釈
私(晴豊)が村井貞勝のもとへ行き、正親町天皇が安土へ女官をつかわし、
信長を三職に推任したいと望んでいる、と申し入れした。
ここで立花氏が「申され候」のれ(被)に関して、自分自身を表現する文ではないって根拠なんだが、
岩沢氏が「(正親町天皇)が申され候」と反論しとる。
というか立花説は今谷氏以外支持してる歴史学者なんぞ居らんわけだが。
まぁ三職推任に関しては以下のスレでも話題になってるから見てみ。
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160252794/
0194中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/10(金) 10:18:31ID:3glb3EsN全然盛り上がってないな。向こうのスレ
三職を最初に推挙したのが誰か解釈上の違いはあるが、5/4にはそれが朝廷の推挙になり
晴豊自身も、信長が将軍になる儀って言ってんだからいいんじゃね
それより秀吉の将軍に関する件はもう最終結論か?
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 12:44:57ID:33+BHz8N何で晴豊の述懐が、村井貞勝との会談の話になるんだよ
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 13:08:24ID:KuXRRtqwキチガイとか言っちゃうくらいだからなぁ
それに
>古文の知識があって素直に読んだらそうなるはずだし
素直に読んだら岩沢説の読み方になるんだけどな。
然るべく候よし、申され候、
(安土へ〜と(正親町天皇が)申された)
その由、
(事を、)
申し入れ候。
((貞勝に)申し入れた)
0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:00:32ID:+NBtQNjS0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:04:12ID:Z1i6b+6kあるのでは?で、朝廷権威も動員しなきゃならなくなって関白を望んだとか?
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:08:41ID:kzAtzkrcそれは関係ないだろう。結果的に家康は秀吉に従ったのだから。
それを言ったら真田や島津を叩きのめせなかった家康は
どうなんだと言うことになる。
0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 15:41:40ID:rNRgrYWa小牧長久手で「家康は秀吉に勝った」あるいはそこまでいかなくても「秀吉は家康に勝てなかった」とか言うのは
「真珠湾で日本が勝ったから太平洋戦争は日本がアメリカに勝った」とか言ってるようなもの。
0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 15:55:48ID:1Dm9uQp5緒戦で激しく犠牲をだしながら、最後は政治決着をはかったから
このあと、既成事実を積み重ねながら
日本も秀吉も社会的地位を上げていくことになるw
0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:06:13ID:+NBtQNjS0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:16:06ID:eJa3lfCN東夷説の側はそんなスパンで勝った負けたを言ってるんじゃないでしょうよ
小牧長久手の敗戦は1584年
家康の上洛は1586年
秀吉の関白宣下はその間の1585年で
その時点では家康がまだ臣従してないどころか四国征伐すら済んでない
旧織田家内部の後継者争いをほぼ収め終えただけで
まだ対外的な軍事的勝利を収めていない1584-85年の時点では
征夷大将軍になるための「関東打ハタサレ」が欠けていたので
先に関白になってから朝廷の名の下で対外的に優位に立つ戦略を選んだ、
というふうに「何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか」の
経緯を説明するのが東夷説+武家関白説なんだから
秀吉がその後天下人になったことをいくら叫んだって反論にはならないよ
0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:18:00ID:eJa3lfCN0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 19:38:29ID:VKC0zhjJだったら北条征伐後に将軍になればいいじゃんでループ
まあこれは関白就任天下統一後には将軍になる必要が無いことの
証明にはなっても、1584年の時点で秀吉が将軍になれたとか
将軍になる必要が無かったという証明には間接的かもしれんが。
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:13:35ID:SNM49w3tだから、小牧の役という戦争は秀吉の勝利だって。これは動かしようがない。
その中の、長久手合戦という一局面で土をつけただけ。
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:39:02ID:61M8LXzD秀吉は将軍に成りたかったけど成れなかった、何故だ?
って前提で論説を出してるだけじゃん。
秀吉が将軍位を望めばそれなりの猟官運動の書簡やら
史料に記述が見つかってもおかしくないのにそれが無いんだもん。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 11:15:29ID:res8XzyL>>203の言っていることを理解していないみたいだね、要は東国を支配下に置い
ていないということ、
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 13:07:21ID:fbZ9QgbHそれではやはり駄目なんだろうか
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 16:00:02ID:SNM49w3tそもそも東国支配が将軍の条件というのなら、木曾義仲とか護良親王とかどうするんだ?
足利将軍だって、関東はその支配から離脱していた時期がかなりあるのだが。
信長の三職推任だって、話が出たのはまだ武田征伐がなされていない、東国支配が出来て
いない時期だろ?
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 18:12:32ID:0xHD4nKY義仲や尊氏と比較してもあまり意味はない。
秀吉当時の朝廷や武家自身が「東夷」や「源氏」を条件として
どこまで意識していたかどうかが問題。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:21:24ID:SNM49w3tじゃあなんの問題もないね。
朝廷自身が源氏でない、東国支配もしていない信長に将軍就任を認めていたのだから。
そもそも東国がどうこうとは肯定派が言い出したことなんだがな。
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:36:49ID:f9/kygzYそれじゃあ
「慣例として関東の支配がどのこうの」
という妄想と矛盾するのだが
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:42:14ID:res8XzyL0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:46:28ID:f9/kygzY0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:46:53ID:61M8LXzD■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています