何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 11:23:01ID:NCGJmNSF0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 11:23:13ID:/siyyYCy結論出てるんだけど理解できる?
970: 結 論 2006/10/10 20:53:14 ZtXb26V6
1.秀吉が義昭に泣きついて将軍職を希望したが断られた
(ソースは林羅山の「後鑑」「豊臣秀吉系譜」)
2.秀吉は最初から将軍職だけを望んでいたわけではない
(ソースは近衛・二条の関白論争の経緯)
結論
「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 11:31:01ID:NCGJmNSF立っちゃったらなんか語ればいいじゃん
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 11:35:51ID:R6vu/Xof1.のソースがやばすぎる。根拠として全然なりたっとらん。
羅山なんか幕府よいしょしかしないし、彼の著書なんか時系列、徳川家家系捏造等
眉唾なものばかり。
しかも秀吉が死の間際に
「秀頼が君主の器でないのなら君が天下を治めてくれ」
と遺言したと堂々と妄想垂れ流してる。
したがって
>結論
>「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
> 朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
の
>秀吉は将軍職を断られたかもしれないが
秀吉は元々将軍職を望んでないっていうのが俺の持論。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 11:39:45ID:R6vu/Xof>「秀頼が君主の器でないのなら君が天下を治めてくれ」
>と遺言したと堂々と妄想垂れ流してる。
結局、大阪の陣等で家康が言われもしなかったから当然だが、天下覇者としての
後継の正当性を遺言によって主張した事もなく、秀頼の後顧の秀吉遺言が残ってる
っていう物証でこの羅山の妄想は完全否定されとるが、
>秀吉が足利家名を欲しがったが断られた
という妄想に関しては、現時点では物証が無いだけであって、
羅山の著作の信憑性から言ってもこれをソースとは認められん。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 11:46:24ID:NCGJmNSF俺は中華皇帝説でも支持しとこうか、根拠はとくにないけど
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 13:51:52ID:UTGpNRw/前スレ落ちたら、IE使用者がやってきてイチから同じ議論始めて(ry
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 14:57:09ID:Pt+KaVZc鎌倉幕府の時代でさえ、将軍位は源氏三代以降は藤原氏や親王が征夷大将軍。
藤原氏を自称する信長も将軍着任を打診された。
つまり源氏で無かったから、将軍になれなかったという説は成立しない
・義昭に養子を拒まれた
「清和源氏しかなれない」のなら、すなわち「清和源氏ならなれる」のだから
足利以外の養子先を探せばよい。
・現職の義昭がいるからダメ
朝廷は将軍を罷免できる。
10代目の足利義稙は罷免されて、義澄が11代となり、今度は義澄が罷免されて
義稙が将軍位に返り咲いた。
・義昭の工作を受けた朝廷が認めなかった
朝廷が時の権力者の言いなりになるのは、過去の事跡が示すとおり。
それに関白を初めとする朝廷の職を武家に取られると、ただでさえ貧乏な公家は
着任する職までも失うことになり、秀吉が将軍になってくれたほうが、むしろ
都合が良いので、秀吉が将軍位を求めたら拒むはずなどない。
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 17:22:14ID:vpD/Zf1b長文乙。
自分の主張に合う説を都合よく取出して、都合よく解釈してるに
すぎないな。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 17:26:31ID:R6vu/Xofじゃあ
・義昭に養子を拒まれた
これの事例が実際にあったとする根拠を提示してください。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 17:38:54ID:fckaFdZ5ダメだって言われてるんじゃないのかな
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 17:40:43ID:R6vu/Xof結局秀吉が「将軍になりたかった」論を展開する人って
清和源氏の家柄云々とか羅山の説を引用してるだけじゃないの?
あとは東夷説くらいか。
他にもあればあげてください。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 17:53:23ID:vpD/Zf1bや勢力範囲とか考慮に入れている? 家康を抑えていない以上東国
を支配できていないということ、つまり信長の三職推任の時の条件
を満たしていないということになる
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 18:10:23ID:3C9TSyOu何故2をたてたのか。
まあ秀吉が将軍になりたかったとする一次資料もないようだしなあ
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 19:23:27ID:R6vu/Xof三つもとは言うが、羅山の妄想白書や家康の出自なんかは根拠にすらならんでしょ。
議論の余地なんて毛の先程にも無いと思いますが。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 19:56:39ID:tnzIJYEt源氏説や足利拒否説に関してはスルーということでいいと思うけど。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 20:16:53ID:cy3v2W12東国がどうこうって、その後家康は政治的に服従し、関東の北条も滅ぼされた。
そもそも歴代の足利将軍だって、東国(=関東)を完全に服従させていた時期は
あったりなかったりする。関東公方が室町足利将軍との敵対姿勢を見せたとき、
あるいは応仁の乱以後後北条氏が台頭して関東が室町幕府の手から完全に離れた
とき、朝廷が「お前に将軍の資格はない」とか言って位を剥奪したり相続を認めない
なんてことがあったのか?
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 20:25:37ID:/siyyYCyたしかに怪しい説だ。
しかしこのスレの結論は>>3にもあるように 断られた「かもしれない」というニュアンスなのに
>>5>>6のように「羅山は御用学者だから」という呆れた理由で
秀吉が将軍職断念した説を完全に否定するなんて思考は幼稚すぎるな
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 21:19:42ID:UTGpNRw/源氏説否定の根拠史料は晴豊公記しかないだろう。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 00:33:02ID:J4o1Mqdk御用学者の著作にしか論拠がない、というのは立派な否定理由になりうると思うがね。
何しろ儒者といえば、本家本元の孔子さまからして歴史的事実よりも儒教的正義を優先
させてきた連中だからな。
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:16:45ID:Xkvi3kS6将軍じゃないと幕府を開けないんだから
関白なんか所詮公家だからな
ちゃんと武家を統率できない
幕府を開いて強力な政権を作れず
朝廷を利用した中途半端な支配体制だったのが
豊臣家が滅んだ原因の一つなんだから
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:43:07ID:sfOTfS7Y豊臣が滅んだのは子供が少なかったからだよ
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:59:18ID:6/iHPICo0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 02:09:48ID:+VdjAz3p羅山以外にも何らかのそれを裏付ける史料があるはず
それが無い以上、やはり秀吉が義昭の猶子になろうとして断られたという話は信憑性に欠けるとしか
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 03:19:23ID:lsWQKncs0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 03:28:10ID:5AN7BgpO北条征伐の時点で条件満たしてるだろって話にならないか?
関白と征夷大将軍を兼任してもいいし
自分が関白で秀長、秀次、秀家辺りに征夷大将軍をやらせてもいいのに
ずっと関白一本だったんだから、征夷大将軍自体に興味が無かったんだろうな
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 09:26:44ID:7KAHGrqkなら、羅山の
>「秀頼が君主の器でないのなら君が天下を治めてくれ」
も秀吉が秀頼に天下を継がせる気が無かったかもしれないとか言っちゃうのか。
史料検証能力の欠如だよそれ。
可能性だけを挙げるなら、秀吉は宇宙人だったかもしれんとか言ってるようなもん。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 12:22:16ID:fvLJkuQz「証明の材料にならない」と
「反証の材料になる」を混同するな
ということでしょ
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 12:41:06ID:7KAHGrqk羅山が色んな捏造ともいえる著作をだしてるが、
信憑性から言っても羅山「しか」足利猶子云々言ってないのだから
事実無根。
秀吉が将軍になりたがったとされる史料が羅山のトンデモ作以外からは
全く出てこないのだから、ハナから将軍職は眼中になかった。
これで十分だろ。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 13:17:35ID:4qRrfO2k結局、羅山の史料を否定する根拠はあなたの偏見と思い込みという
主観的なものであって具体的で客観性のあることは言えないわけね。
秀吉が将軍に「なれなかった」を証明するのに彼がなろうとした史
料を出す必要はない、なれなかった理由を挙げればいいだけ。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 13:23:51ID:w0Tf1HtG0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 13:32:06ID:7KAHGrqk羅山の説
1、徳川家家系
2、秀吉が家康に残した「秀頼に代わって天下を治めてくれ」の遺言
3、秀吉の足利猶子
とりあえずこの件に関する代表的な物を上げた場合、1、2は別史料から
完全に否定されるが、3に関しては史料が出ない。
悪魔の証明を求めるなら否定は出来ないが、見つからないんじゃ将軍職に
興味が無かったと決定付けるのが当然だろ。
>なれなかった理由
これこそ悪魔の証明。
秀吉が将軍職を望んだとする史料が無い以上、それを証明するのは秀吉自身に
聞いてみるしか無いだろ。
0034中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/13(金) 13:52:05ID:NMuqAGnGちと、おかしくはないか?
秀吉が将軍職を断念した話は、林の書いた「豐臣秀吉系譜」の中にしかない
つまり他の傍証史料を引用してこれを肯定することも逆に否定することも出来ないんだよ
問題はそのようなクソ低レベルのくだらんことじゃない。
学者の朝尾や今谷は、羅山説を鵜呑みにしてさらにそれに小牧長久手の失敗を関連付け
秀吉が将軍職を断念するまでをシミュレートした。
その結果、帰納法的に「足利義昭が将軍職を断った」ことが
なぜか受け入れられてしまったわけだ
もともと否定も肯定も出来ないものなんだから、それ以上追求が出来ないのは仕方ないかもしれんが
「足利義昭が将軍職を秀吉に渡すのを拒否した」ことを前提に論を立脚した朝尾と今谷は
はっきり言って大罪。武功の小和田がかわいいくらいだ
0035中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/13(金) 13:53:55ID:NMuqAGnG0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 14:30:21ID:fvLJkuQz羅山説が信用おけないのは確か。同意する。
(ついでに、証明がどうとかいう話がレベル低いことも認める。)
しかし俺が読んだ狭い範囲では、今谷氏が
羅山説から演繹を始めたことも、
羅山説に帰納したことも
読んだ憶えがないんだけど。
というか今谷氏が羅山説を紹介しているところすら
見かけたことがない。
どこを読めばいいのか書誌を教えてもらえると助かります。
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 14:55:11ID:7KAHGrqk>「足利義昭が将軍職を秀吉に渡すのを拒否した」ことを前提に論を立脚した朝尾と今谷は
>はっきり言って大罪。武功の小和田がかわいいくらいだ
完全に同意
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 15:08:01ID:4qRrfO2k0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 15:29:22ID:fvLJkuQz37さんでもいいから>>36に答えて欲しい。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 15:31:14ID:UB99zhxS1.秀吉が義昭に泣きついて将軍職を希望したが断られた
(ソースは林羅山の「後鑑」「豊臣秀吉系譜」)
2.秀吉は最初から将軍職だけを望んでいたわけではない
(ソースは近衛・二条の関白論争の経緯)
結論
「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 15:37:54ID:7KAHGrqk朝尾の場合は以下が参考になるかな
「近世封建社会の基礎構造 畿内における幕藩体制」
「将軍権力の創出」
今谷の場合、朝尾の京都大学の後輩だし、完全に朝尾に影響を受けたモノしか書かないから
これで十分かと思うが。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 15:46:24ID:fvLJkuQzそこで朝尾氏が林羅山の説を無批判に受け入れるか、
または羅山説に収束するような議論をしているわけですね。
もう一度読んでみます。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 19:17:24ID:lIuq59uKつか学説レベルでは羅山の足利拒否の話は信憑性がないというのが大勢になってたと
記憶してるんだが、最近新資料か何かが出て覆ったのかな?
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 13:27:19ID:9BPxzxoY簡単に源氏しか将軍になれないなんて根底くつがえせるけどな
源頼朝が幕府開いたけどその後は北条が引き継いでるし
北条はまぎれもない平氏だし
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 13:59:18ID:LeLea+DN日本史ちゃんと勉強したか?
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 14:33:30ID:YSPym78Z0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 14:41:08ID:02PwJY8l宮将軍擁立企ててるでしょ
結果的に失敗したが
宮将軍でもOKってことだよね
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 18:58:09ID:YeF68LI2にやたらこだわるんだろう、全肯定か全否定しか出来ないのか?
要は名門かどうかということ、武士の世界では源氏の正統が尊ばれて
いたわけでそれ故頼朝や尊氏の家系が担がれていた。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 19:30:41ID:Zthq95tZ>誰も源氏でなければ将軍になれないなんて言っていないのに
>誰も源氏でなければ将軍になれないなんて言っていないのに
何このキチガイ
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 03:07:23ID:wQXXyIRA尊氏も足利もべつに源氏の正統なんぞではないよ。
当然ならが、徳川と家康もね。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 16:53:20ID:7eyEZGHJ0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 16:59:49ID:MTQOsgD1頼朝に至って現出する。頼朝以降、「血統から見れば土岐源氏が嫡流」といい出すやつがいるが
そいつは嫡流の意味がわからない馬鹿
詳しくは日本史板の議論を見ろ
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 01:31:02ID:p8xrbWbS「なろうと思えばなれた」ってそんな事言いだしたらきりがないよ。
つうか小学生か、だいたいレス読むとレベルの低い発言をしてるのは
なれた派?だね、結局官職にかこつけた家康叩きか、
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 01:34:36ID:HQEzQ5qD0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 02:39:35ID:Xo+baYXw0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 07:24:11ID:k214r3kh史料の提示もなく検証すらなされてない。結局、感想でしか反論できないのかよ
もうお前帰っていいよ
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 11:58:07ID:cab2JolA秀吉が源氏でも平氏でもなかったからだよ。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 12:14:55ID:k214r3khはい却下
秀吉は平姓として従五位下筑前守に任官している
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 14:07:36ID:cPp5AMq+0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 15:30:26ID:W+6axUhY0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 16:00:51ID:k214r3kh残念ながらそれも違う
晴豊公記によると信長は将軍に推任されるだろうと述べている
その信長は平姓つまり源氏でなければ将軍になれないというのは幻想でしかない
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 16:20:16ID:uFue5Cc1述べてねえよw
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 16:40:16ID:cPp5AMq+0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 19:36:55ID:OpaVuKEhわざわざ2スレも作成する必要あるのか?
三戦版でもスレはあったし
ここ戦国版でもスレ作成して、さんざん激論しているから必要なかったんジャマイカ?
また同じ内容のスループになるだけのような気がする。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 19:51:22ID:k214r3kh天正十年夏記の三職推任と誠仁親王消息
文意の解釈は朝廷から信長への推挙とみる
出典は立花と今谷以外の大勢の学者の論文。
もういいよループな人
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 20:01:52ID:sotFZpSvもう新規さんへの反論もめんどくさい
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 20:08:35ID:0faDBpH7殆どの事が「前スレ読め」で終わるからねえ。
そんなわけで疑問がある人は先ず前スレ読め
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 20:19:18ID:G0yG0YRJ今谷説にしたって朝廷の側は申し出を受ける気なんだから
どのみち、信長の将軍就任は朝廷的にはOK、という点では
学会で一致を見てるもんな
そのへんを踏まえたうえでの議論なら論点も若干残ってるんだが
いつもすぐに「源氏が」「義昭が」と直近20レスも追ってないレスが入って
ここぞとばかり「珍説」絶叫君が暴れてどっちらけになる
そのパターンも飽きた
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 20:25:47ID:k214r3khこっちを紹介したほうが親切かも
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか
http://makimo.to/2ch/hobby8_sengoku/1152/1152118867.html
>>68
新規の人は前スレ読んでないから仕方ないが
このスレの>>1=ID:R6vu/Xofは前スレを読んだにもかかわらず電波を飛ばしてるからなあ
この人正直痛すぎる
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 20:27:02ID:7y3XGE1tだったらageるな
0071新規にこのスレをみてる人へ
2006/10/27(金) 20:49:53ID:k214r3khA1、秀吉が将軍を断念したソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので今のところ否定も肯定も出来ない
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
どれも立派な姓であり、秀吉の出自が将軍職就任に影響をおよぼしたことはない
Q3、源氏しか政権担当者としての将軍にはなれないんだよ。おまえ馬鹿?
A3、「天正十年夏記」によると勧修寺晴豊は信長が将軍になるだろうと感想を洩らし
誠仁親王も信長をどのような官にでも推挙すべしと言っている
そして信長は平姓。もうわかったね?
Q4、だから何?
A4、つまりこのスレの結論は「将軍を断られたかも知れないが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
Q5、秀吉厨キモすぎwwwww必死だなwwwwww
A5、・・・反論に窮してその態度かよ
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 20:52:53ID:G0yG0YRJそれとこのスレの>>1の違いがよくわからなくなった
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 20:54:14ID:k214r3kh?
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:02:08ID:G0yG0YRJA1を
秀吉が義昭に断られたというソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので
今のところ否定も肯定も出来ない
に修正したらA3まではまとめとして同意だな。
というかそこまでは>>1も主張してないか?
しかしA3までの論点さえおさえればA4に飛躍できることについては
>>1と君が支持、一方(俺も含め)2スレ目でも何度も反対意見が出てる
(収拾つかないまま)ので君と>>1の考えの違いがわからない。
何をもって>>1を電波と呼んだんだ?
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:07:17ID:k214r3kh>>5>>6>>11>>13>>16のレス。否定も肯定も出来ない林羅山の説を
「嘘つき御用学者の説」だからという理由で完全否定に走ってるから
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:10:59ID:k214r3kh0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:17:05ID:G0yG0YRJ羅山説の成否かー。うーん。事実ならあるはずの傍証がいつまでたっても
出てこないので学会ではかなり疑問視されてるんじゃないのかなあ。
そんなことくらいで電波というのか。
まあそれはさておいてさ、
学会で誰も乗っていない説の真偽云々(A1-A3)だけで問題を片付けるのは
どうして? 出てる学説のほうはどうして無視してすぐA4にいっちゃうの?
そっちのほうがよほどやばくない?
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:21:33ID:k214r3kh勉強不足で済まないが、A1〜3に反論するような学説があるならぜひ紹介してほしい
これは煽りではなく知識として教えてくれない?
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:23:50ID:G0yG0YRJ0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:27:45ID:k214r3kh「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
具体的に反論個所があるならどうぞ
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:37:39ID:Lizftfr/A2の
>秀吉の出自が将軍職就任に影響をおよぼしたことはない
の「将軍職就任」は「官位就任」に変えたほうがよくね?
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:44:33ID:k214r3khそれもそうだ
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
どれも立派な姓であり、秀吉の出自が官位就任に影響をおよぼしたことはない
しかし関白太政大臣にとんとん拍子に出世した秀吉の力なら
容易に将軍職も狙えたはずでなので、あえて将軍職としたわけです
Q1やQ2のような俗説をわざわざ否定したのもそのため(この手の質問が多いためでもあるが)
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:47:51ID:k214r3khQ1やQ2
↓
Q2やQ3
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:50:30ID:G0yG0YRJこのスレでは>>12,17,34,36,43読んで。
特に34の
> 問題はそのようなクソ低レベルのくだらんことじゃない。
に端的に非難されとる。研究者が誰も支持してない説をめぐって
挙証責任がどうしたこうした言い合ったって仕方ないでしょ。
それをふまえて34,36,43あたりでやっと、
朝尾・今谷説が羅山説に回帰するのかどうかが話題になったけど、
そこでスレが止まった。
前のスレでもここにつながる論点がいくつか出てるから読んだらいい。
でも>>82
要約作ってくれたのはどうも。その手の突発レスが多いので有益だよ。
(ただし「秀吉の力なら容易に将軍職も狙えたはずでなので」は
論点先取。例えば朝尾・今谷説はそう考えていない。)
(>>27についてだが、朝尾・今谷説は武家関白の成立過程について
論じてるんだから北条征伐後がどうたら言っても批判にならない。)
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:59:54ID:k214r3khなるほど。長文ありがとう参考になったよ。しかし>>34の
義昭に将軍職を断られて小牧長久手で将軍を完全に断念したという説は興味深いね
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 23:28:53ID:JdvBAXtt0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 23:44:41ID:Xyo57Qsv0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 23:53:05ID:aesdOh7J北条が実権を握っていた時でも、幕府のトップはあくまでも将軍。
北条はその補佐官に過ぎない。
要は、建前上のトップは天皇でも
摂政や関白や大臣や将軍が実権を握っているという
当時の日本の政権の形態をそのまま幕府にも取り入れただけ。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 01:14:35ID:WSr9mcVC> 「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
これのさ、「将軍を断られたかも知れないが」っての
羅山しか言ってない上に、学説で完全否定されてるんだから
正しくは
A4、つまりこのスレの結論は「将軍職に興味を示した資料は無いが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
が正解だろ。
秀吉が望んだ将軍職って箔をつけるのはまずかろう。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 01:44:39ID:rhtsShajにすぎない。色々理由を並べたところであくまでも後付けの論理にし
かすぎない、仮に秀吉が将軍織を望んだとしても義昭の事を持ち出さ
れて断られるのがおち、実際はそんなもの、学者が小難しく言ってい
るのはあくまで商売だから、
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 02:06:30ID:nXK7skas何度も書かれていると思うが
秀吉が将軍になろうとしたという史実もないし
信長の三職推任の件を見ても秀吉が将軍になれないという根拠が全くない
秀吉が将軍になる必要性も認められない
おそらく君はこのスレに初めて来てログも読まずに書き込んでいるのだろうと思うが
恥をかきたくなければログくらいは読もうぜ
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 02:36:18ID:WSr9mcVC>れて断られるのがおち
これこそ根拠のない思い込み
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:05:52ID:rhtsShaj関白になったのも近衛家の猶子になり強引になったものであって推挙
されたわけでもない、
なろうとした史料がない、ってそんなものが根拠となるならなんとで
も言えてしまう。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:10:58ID:WSr9mcVC0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:16:53ID:6rJ7Mxnv0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:22:39ID:T1z5xzie朝鮮出兵のためにも関白が必要だったってことはない?ごめん。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:26:42ID:rhtsShajはいはい、自分の意見もなく挙げ足取りぐらいしか出来ないオバカサン、
いかにも秀吉厨らしいね。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:28:16ID:WSr9mcVC0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 03:30:52ID:nXK7skas史実にない「将軍になろうとした」という珍説を主張したいのであれば
他に資料をかき集めて分析し、誰もが納得出来るようなそれなりの根拠を作る作業が必要だが
史実にない以上、珍説を否定するための根拠は全く必要ない
ちなみに、再三書かれている事だが
朝廷には将軍職を任命する権利もあるが解任する権利もあり
実際に解任されている将軍は複数実在する
足利義昭の存命中に織田信長への将軍を含む三職推任があったので
それらをまとめると「義昭の関係で将軍になれなかった」という珍説は否定できる。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 04:25:28ID:jwyMjzd3変な改行と、一人だけ書き込みのレベルが凄く低いからすぐわかる
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:26:03ID:72VkGz7Kなれなかったというほうが自然であり、なれたということを証明する
ほうが難しいと思うのだが、
秀吉が将軍になれたと思っている人は、「戦国時代は誰もが天下を狙い
上洛して足利氏に取って代わろうとした」みたいな勘違いをしているの
か、というか当時の人たちは秀吉が将軍になれる、もしくは将軍にふさ
わしいなどと思っていたというのか。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:35:43ID:H/5DhGnuおそらく君は創価学会に入信していないと思うが
君の発想で行くとそれは「入信出来なかった」と考えるほうが自然なんだね?
「入信出来る事」を証明するのって難しいの?
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:43:52ID:72VkGz7Kどうしたらそういう発想がでてくるのか?マジで言っているとしたらかなり
やばいな、だいたい創価学会に入るのは難しいことなのか、話にならん。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:51:05ID:H/5DhGnuだろ?
他人のキチガイ発言を読んで
やっと自分の発言が如何にキチガイなのか気がついた?
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:52:23ID:xFgaUS8b0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:55:45ID:H/5DhGnu>>101
何度も書かれていると思うが
秀吉が将軍になろうとしたという史実もないし
信長の三職推任の件を見ても秀吉が将軍になれないという根拠が全くない
秀吉が将軍になる必要性も認められない
おそらく君はこのスレに初めて来てログも読まずに書き込んでいるのだろうと思うが
恥をかきたくなければログくらいは読もうぜ
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:58:02ID:A5BIF60mそのアナロジーが通ると思ってることのほうが
よほど基地外だよ
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:59:39ID:A5BIF60m>>106は以後コテハンつけてくれない?
NGワードで消すから
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:59:51ID:gQmWK1cCにすぎない。色々理由を並べたところであくまでも後付けの論理にし
かすぎない、仮に秀吉が中納言を望んだとしても(ry
という論理も成り立つんだよな
検非違使になっていないから秀吉は検非違使望んでも断られたに決まってるとか〜
例え検非違使や中納言や征夷大将軍が関白より低い官位役職でも。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:01:19ID:72VkGz7Kしか言えないんだろう。実際なっていないものをなれたというからには中
途半端な意見じゃ通らんよ、なれなかったというよりも何倍も知識が必要
になってくるよ。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:06:31ID:gQmWK1cC関白になった以上将軍になる必要が特に無かっただけじゃないか
世界チャンピョンが日本チャンピョンにわざわざならなくてもいいみたいなもの
義昭に断られたのが本当に原因だとしたら
義昭が将軍職を返還した後になればよかっただけだしさ
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:09:08ID:H/5DhGnu秀吉は関白に就任するために「摂関家と養子縁組」という、
過去に前例のないアクロバティックな手続きを取って関白に就任する資格を得ているのよね。
しかも秀吉が無理強いして行なわれたのではなく、朝廷も納得ずくでやっているのよね。
関白になるために朝廷と組んでこんな無茶な事をやっているのに
それよりも簡単に就任できるはずの将軍になれないという話はありえないのよね。
将軍になるためには「摂関家と養子縁組」よりも難しい手続きなどありえないのだからね。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:15:06ID:H/5DhGnuいやいや、朝廷は足利義昭の将軍職なんか解任出来るんだから。
解任しなかったのは、解任する必要がなかったから。
つまり秀吉がはなっから将軍職を望んでいなくて
義昭なんかは将軍のままで放置プレイしとけばいいと考えたから。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:19:45ID:72VkGz7Kよく思いつきだけで長文が書けるのか、ある意味感心するよ。
もしかして、三戦ころの関が原でも有名だったお方かしら?
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:27:02ID:xFgaUS8b学説でも、小牧長久手の敗戦による東夷の未達成による方針転換の結果としての
「将軍になれなかった」という論が少数意見としてあるぐらいで、大勢は
「なる必要がなかった」という論が主流をしめてるんだけどねえ。
まあ君がそうした学者先生達よりも高等な知識を有してるんなら拝聴するんだけど。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:27:06ID:H/5DhGnu1・秀吉が将軍職を望んだという史実
これだけあればOKだが、それがないのなら
2・秀吉が将軍になる必要性
3・秀吉が将軍になれない理由
これをキチンと説明する責任があるのだが
「将軍になれなかった」と主張しているヤツは
この説明責任から逃れ、相手の人格を否定する事だけに奔走し、
ほとぼりが冷めた頃に同じ事を繰り返し主張するという無限ループに陥っている。
前スレからずっとこれ。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:31:51ID:72VkGz7K0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:36:05ID:gQmWK1cC付け加えるならこれも本当に将軍職を望んでいたのなら北条降伏後に
なればいいわけで
結局将軍には「なる必要がなかった」になるんだよな
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:40:47ID:H/5DhGnu必死なのは分かったから
一言でもいいから何か反論してみなさいw
0120中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 22:42:05ID:u1QTMJ9bよく帰って来てくれたwwwwwww
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:44:55ID:72VkGz7K君を相手するのかったるい。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:48:26ID:xFgaUS8bそれが駄目というID:72VkGz7Kはきっとすごい学識を有してるんだろうな。
0123中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 22:52:00ID:u1QTMJ9bつまり羅山を超える新史料を持っているということか
それから>>34で俺様があげた朝尾と今谷のソースだが
随分前に読んだから正直よくわからん。
今谷のほうは「武家と天皇」、朝尾のほうは「豊臣政権論」だったと思う
今谷のほうはたぶんそう。朝尾の方は記憶が曖昧なので誰か知ってたら教えて呉
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:58:30ID:A5BIF60mお前さんに言われていくつか見たが
まだ朝尾・今谷が羅山にのっかってる証拠は
見つけてない。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:05:20ID:A5BIF60m> 大勢は「なる必要がなかった」という論が主流をしめてるんだけどねえ。
それを積極的に述べている論文を1つ2つ挙げてくれ。
参考にしたいから。
それから俺はまったく別分野の研究者だが
「学論」なんて語は使わない。「論」より「説」だ。
詳しいふりで使うとあまりに素人臭くて馬鹿にされるから
以後気をつけるといいぞ。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:14:58ID:A5BIF60m> ここでおこなわれてるような論証のやり方は学論でもよくある型なんだけどねえ。
の「学論」ってのは「学士論文でも」の意味か?
だったらまあどんな論証のやり方があっても驚かんなw
(卒論をいちいちチェックしてる122には驚くが)
0127中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 23:16:16ID:u1QTMJ9b逆に起点を想定した場合、それが義昭から将軍を断られたという例の物凄くあやしい羅山説に
結びついたというのが件のシミュレートだったと記憶している
>>34でその起点に立脚したかのような書き込みをしたが
実際は終点を元にシュミレートした結果、帰納法的に起点が浮かび上がっただけに留めてたと思う
>>34は書き方としてはまずかったな。
とにかく朝尾の論文片っ端から読んで記憶の曖昧さを払拭するしかほかに方法はねえ
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:22:23ID:jJz6BiqUそれよりも>>101が書いているように当時の人は秀吉をどのように見ていたの
か、など当時の状況から考察したほうがいいのではないか、結果から推測する
のではなく。
0129中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/10/31(火) 23:24:03ID:u1QTMJ9bそれなら家わけの島津家文書だったかの島津家の反応が如実に物語ってると思うが
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:34:35ID:H/5DhGnu「将軍様は武家の頭領で偉いんだぞ」
「秀吉はその武家の頭領様になれなかっし、なる資格もなかったんだぞ」
「だから徳川家は偉いんだぞ」
という事を言いたかったんじゃないのか?
その結論ありきでいろいろと書いてるんだから、
信憑性という意味ではまず疑ってかかるべき話でしょう。
同じように、明治から終戦までの歴史学者は、まず
「天皇陛下は偉い」
「天皇家は万世一系で今まで一度も途絶えた事がない」
「戦国時代の武将が天皇に逆らうはずがない」
という結論から始まってるから、いろいろと間違ってることがあるのよね。
織田信長と正親町天皇の関係は上手く行っていた事になってるし。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 01:03:13ID:GTpNU2BCこのとき秀吉から1万石も知行もらっている。
この時点で関白と将軍の政治的位置関係は決したんじゃないか。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 06:45:19ID:2pLcWU5d日本史の研究者なら、この話題についてのあんたなりの考察も書いてくれれば
いいのに。煽りしか書いてないんじゃ何も説得力ないし。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 07:29:23ID:kNOrTL/Yあなたが少数派と言っている意見のほうが私は目にする機会が多いのだが、
それは気のせいなのか?NHKなどもその説を採用しているのだが、
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 07:58:02ID:aLCtYd1s0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 08:00:35ID:BMHHiqxR大河ドラマの前説で、足利義昭に断られたから将軍の就任を諦めたと
言ってるのをみたんだけど、NHKでも歴史番組によって違うんかね。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 08:44:01ID:Z2ozcvgZ「まったく別分野の研究者」と書いてあるけど・・・
>>133
俺もそう思うけどな
>>115は「主流」の本や論文の紹介キボン
>>135
大河は歴史番組に入りません
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 08:49:33ID:aLCtYd1s0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 09:02:43ID:GlT0lIKQNHKがそのような説を採るのは単純に面白いからでしょ。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 09:10:50ID:Z2ozcvgZ実名で顔突っ込んでくる研究者なんかいるか?
実名でなければ大変も何もないんでないと思うが
0140中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 09:33:02ID:fRGyndTn>>129で島津家文書と書いたのは間違いで正しくは上井覚兼記。頼朝以来の名門島津が
羽柴などという「非貴」に軽々しくなびくものではないと言ってる
この「非貴」がどの程度の非貴を指しているのかはわからん。秀吉を百姓ととらえていたのか
あるいは頼朝より格下の者をすべて非貴ととらえてたのか。
島津は信長とは修好を通じていたから、少なくとも信長未満の階級を指して非貴と言ってるんだろう
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 10:18:17ID:ZKnJfAIG俺は>>1だが
そもそも俺の考えは>>5で語ってる通り
「秀吉は元々将軍職を望んでない」っていうのが俺の持論。
将軍に「なれなかった」って記述は羅山の思惑にのっちゃうかららめぇええええ
0142中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 10:32:23ID:fRGyndTnちと待て>>1よ。すると何か?スレタイに対する答えがわかっていながら
お前はわざわざ新スレを立てたのかよwwwww
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:07:18ID:aLCtYd1s日本史板にはいる
案の定荒らしに粘着されて大変みたいだが
それに例え実名が晒されなくても本人のプライドがズタズタになるんじゃないかw
>>140
信長みたいな守護代の分家の家柄でもOKなのに、秀吉を殊更差別するのもおかしな気がするな
誼を通じるのと実際に臣従するのでは話が違うってだけじゃないの
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:22:54ID:GlT0lIKQだいたい島津だって分家の分際でw
いや島津も庶家だから分家の信長はOKという論理なのか?
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:27:47ID:ZKnJfAIG>結論
>「秀吉は将軍職を断られたかもしれないが、実際には将軍・関白どっちでもよかったし
> 朝廷を牛耳れる分、結果として関白のほうがよかった」
前スレの「断られたかもしれないが」が激しく気に食わんかったから立てた。
反省はしてない。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:30:54ID:Z2ozcvgZやっぱり>>1が何を言ってるのか
よくわかってなかったんだね
>>120で1と違うほうに絡んでるから
変だと思ったよ
0147中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 11:37:01ID:fRGyndTnまあ修好と威圧じゃ島津の対応は違うわな。しかし当時の信長は
明智→惟任日向守
丹羽→惟住
羽柴→筑前守
塙→原田
簗田→別喜
と九州名族の苗字や官位を家臣に与えて暗に九州を牽制してるわけで
島津がこの意味をどの程度認識してたのか。認識した上での交誼なら
上井日記の秀吉の格付け評はやはり信長未満ということになる
0148中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 11:42:43ID:fRGyndTn前スレで終わったと思ってた議論を、スレまで立ててまた再開という>>1の姿勢と
昨日の奴がだぶった。今は反省していない
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:44:44ID:aLCtYd1s信長と秀吉への島津の対応を比較することで秀吉の出自の卑しさを証明しようとしなくても、
それこそ都の落首や榊原康政の檄文、豊鑑の序文など、
当時の人間が秀吉の出自をどう見てたかという状況証拠はいくらでも有るでそ
0150中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 12:00:08ID:fRGyndTn0151中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 12:01:25ID:fRGyndTn萩中納言が聞いて呆れるぜ
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 18:24:27ID:CsgGcpJx0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 19:34:18ID:GlT0lIKQ当時の状況から考察するって
それは完全になる必要がなかったといってる人達の
採ってる手法じゃ・・・
>当時の人は秀吉をどのように見ていたの
当時の人々は秀吉は将軍になれるはずがないと見ている史料は多分無いし
秀吉を成り上がりと見ている史料があってもそれが何の役に立つの?
秀吉が何の官位役職に就いていなかったりするとか、
せめて将軍職より低い位にしかつけなかったのならまだその論証も可能かもしれないが。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:20:30ID:kNOrTL/Yいきなり核心をついちゃったよ、そう、このスレは家康叩きが目的であり
屁理屈をならべて秀吉が将軍になれたことにしようとする所です。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:33:45ID:VaEyHv0W0156中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/01(水) 20:45:02ID:fRGyndTnそうか
へえ
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 01:09:47ID:yJ1RMaE10158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 01:29:48ID:WA44RHoGあけ渡さなかったから秀吉は将軍になれなかったでいいではないか、これだ
けでも十分理由になってると思うが。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:50:57ID:6lR4vVie1・秀吉が将軍職を望んだという史実
これだけあればOKだが、それがないのなら
2・秀吉が将軍になる必要性
3・秀吉が将軍になれない理由
これをキチンと説明する責任があるのだが
「将軍になれなかった」と主張しているヤツは
この説明責任から逃れ、相手の人格を否定する事だけに奔走し、
ほとぼりが冷めた頃に同じ事を繰り返し主張するという無限ループに陥っている。
前スレからずっとこれ。
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:54:39ID:bDL3wTJWそれが史実でないから問題なんだよ。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:57:18ID:WA44RHoG0162中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/02(木) 10:58:38ID:8Umd1Xv8京を追われたときに将軍職がなくなったと考えるのなら
義稙以下歴代将軍はどうなるんだよwwwww
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 12:36:44ID:WA44RHoGこのように思っている人は少なくない、実際1573年に解任されたとする本を
目にすることがあるし、公卿補任に義昭の名がずっと記載されていたことを
意外と述べている人は多い、
公卿補任のことが取り沙汰されるようになったのは比較的新しい話ではないか?
0164中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/02(木) 13:19:36ID:8Umd1Xv8将軍辞職後に准三后とは、ここの経歴だけみれば足利義満と同じか
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 18:57:04ID:iRUWhup4のもうかかがわれるけど、それらの事実と林羅山の書いた猶子拒否の話の信憑性はまったく別問題と考えるほうが
いいと思うんだけど。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 20:34:04ID:WA44RHoGか無視されていたのではないか、それ故、専門家は秀吉が将軍にならなかったこ
とを不思議に感じ関白になったことから逆算して色々な説を生み出したのではな
いか、
0167中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/06(月) 13:59:38ID:MmuBu0B9京子ちゃんだけでお腹いっぱいです
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 15:12:56ID:v75xD+QF家柄コンプレックスだからさ
0169中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/06(月) 16:05:00ID:MmuBu0B9ただ任官時期を改竄して累進を急いだのは確かだ
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 21:14:52ID:c3ffLvcYそれを秀吉は断ったという話があるがどうなの?
後代の林羅山のはなしより同時代の多聞院日記のほうがよほど信憑性高いと言えないか?
0171中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/06(月) 21:50:42ID:MmuBu0B9秀吉に有利な計らいなら、英俊に先んじて権大納言晴豊・右大臣晴季・神祗大副兼見ら秀吉に平身低頭な
彼ら昵近公家衆らが耳にし、或いは記録に残すはずだ
他でもない秀吉の関白任官に関する情報は、まず任官に先だって晴豊が受け、兼見が記録している
(天正十三年七月九日・秀吉の関白就任二日前)
要するに秀吉に近い公家衆より先に情報を得ることはアリエナイ。単なる風聞じゃね?
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 23:04:12ID:c3ffLvcY断ったなんて話にはならなかったと思う。英俊だって義昭の動向は気になっているはずだし
0173中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/07(火) 10:05:43ID:BuVe1UKvこの官位運動に対する理由付けを当時の人間が色々と噂していただけかも知れない
目的語を将軍職においた風聞とは言いきれないと思うぞよ?
あと奈良の田舎ぼうずが中央の政局や備前の貧乏公方の情報を正確に受け取れたのかどうかも疑問だな
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 12:51:59ID:+JK9ba5d確実なのは当時「そういう噂」があったということだけかな
ただしその噂に対して特に疑問を呈することなくそのまま書き記しているということは、
当時の人間は秀吉の血筋やら小牧・長久手の敗戦やらは
将軍就任に対して大して問題だと考えてなかった、と逆説的に言えるかもしれない
0175中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/07(火) 13:44:01ID:BuVe1UKv信長=平姓、秀吉=平姓だし単純に等号でつなげば
「平姓信長が将軍になれるなら、平姓秀吉も将軍になれる」でいんじゃね?
あと>>173の補足だが、公家の日記に将軍を望んだことも将軍を辞退したことも書いてないから
秀吉は最初から将軍を望んでなかったと考えていいかもね
結論
1.秀吉が将軍になることに障害はなかった
2.秀吉は将軍になるための運動を起こしてないからなる気はなかったと考えられる
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 23:53:50ID:kq88H0hr相変わらずキチガイ炸裂ですなw
結論は正しいが
1・晴豊は「信長が将軍になるだろう」とは書いていない。
村井に「信長を関白か大臣か将軍に推任したらどうか」と勧められた事を朝廷に報告しただけ。
2・秀吉は平氏も源氏も関係ないほどの低い身分の出身。
忘れないようになw
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 01:21:02ID:qDk35lAo>村井に「信長を関白か大臣か将軍に推任したらどうか」と勧められた事を朝廷に報告しただけ。
それ京子説やん
0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 06:32:27ID:XVPENUjc摂家や皇族など血筋の良い者を選んでトップとして担いでいた、それにより
武士が政治を行なう正当性を主張していた、それなのに他の大名と比べても
出自のわるい秀吉を将軍に担いでどうするの?
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 07:11:22ID:Q3QUvzXU0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 08:36:27ID:B9f8Wj5Y摂家や皇族など血筋の良い者を選んでトップとして担いでいた、それにより
武士が政治を行なう正当性を主張していた、それなのに他の大名と比べても
出自のわるい偽源氏を将軍に担いでどうするの?
0181このスレのまとめ
2006/11/08(水) 11:11:10ID:iQcrmmZ8A1、秀吉が将軍を断念したソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので今のところ否定も肯定も出来ない
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
どれも立派な姓であり、秀吉の出自が官位就任に影響をおよぼしたことはない
Q3、源氏しか政権担当者としての将軍にはなれないんだよ。おまえ馬鹿?
A3、「天正十年夏記」によると勧修寺晴豊は信長が将軍になるだろうと感想を洩らし
誠仁親王も信長をどのような官にでも推挙すべしと言っている
そして信長は平姓。もうわかったね?
Q4、はあ?意味不明
A4、だから信長が平姓で将軍になることに問題はないから
平姓秀吉も将軍になることに問題はないと考えられるの
Q5、だったら将軍になればいいじゃん。ならなかったのはやっぱ秀吉じゃ無理なんだよ
A5、小牧・長久手合戦の直後に権大納言や内大臣つまり将軍が兼任した官位を獲得したが
すぐに関白になっているため秀吉は将軍職を望んでなかったようだ
小牧・長久手の敗戦により将軍職を諦めたという論説もあるが
秀吉が将軍職獲得のために運動した形跡はないため憶測にすぎない。
Q6、だから何?
A6、つまりこのスレの結論は「将軍職に興味を示した資料は無いが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
Q7、秀吉厨キモすぎwwwww必死だなwwwwww
A7、・・・反論に窮してその態度かよ
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 11:41:22ID:Z47/GgFD0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 12:27:00ID:GjYGjGmoそういうのがかえって説得力をなくすんだけど
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 13:19:34ID:Z47/GgFDただ単に煽りたいだけの人が常駐してるのがわかる
それに対する牽制のつもりなんでしょ
自分もそんな煽りまがいのことは不要だと思うが
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 18:41:42ID:32X879pdお前原文も読んでないのかよw
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 00:52:24ID:xMIdNc/j豊臣姓つくってギャフンと言わせてやりましたわ。
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 13:24:08ID:l209gQoIお前こそ原文嫁
というか原文の解釈で2通りの説が出てるだけなんだがな
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 23:43:48ID:xvK8Ygcn(原文)
村井所へ参り候。安土へ女房衆御下し候て、太政大臣か関白か将軍か、
御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
(一般的な解釈)
私(晴豊)は村井の所へ参りました。そこで私(晴豊)は村井に
「朝廷は安土へ女房衆を派遣して信長様を太政大臣か関白か将軍に
御推任するのが当然ではないか」と言われた。
私(晴豊)はこの事を朝廷に知らせた。
(キチガイの解釈)
私(晴豊)は信長様が将軍か何かになるだろう。
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 00:11:11ID:kBcTxlXF立花京子儲とでもいうのか。
信長と十字架読んで納得しちゃうお馬鹿。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 01:45:52ID:TjhiiUb3古文の知識があって素直に読んだらそうなるはずだし
「解釈が分かれている」というのは
推任の件を持ち出したのが村井か晴豊かで分かれているのであって
キチガイの解釈は論外なわけです
0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 02:09:20ID:TjhiiUb3戦前の天皇陛下万歳時代に行なわれた「歴史上の人物は勤皇派かどうか」という意味不明の分別で
「信長は勤皇派」という誤った解釈をしたために生まれた発想
「天皇陛下と信長の関係はうまく行っていたはずだ」という誤解があったために
「村井から切り出すはずがない」とされた
0192中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/10(金) 07:05:16ID:3glb3EsN>>176
>2・秀吉は平氏も源氏も関係ないほどの低い身分の出身。
秀吉の身分のことを言ってるんじゃない。秀吉の身分が彼の官位累進に影響をおよぼしたことがないのは
史実で秀吉が就任した官位を見れば明らかだろ?それとも秀吉は「非貴」だから関白就任は嘘でした
とか言いだすのかw
>>188
それ4/25日の記述だな。それには二通りの解釈が存在し、村井主体説をとってるのは
京子ちゃんと今谷らしかおらんよ。4/25を受けて5/4の勅使派遣につながるが
それまでの朝廷側の準備が左大臣推挙のときと同じく朝廷(というより誠仁親王)主体で行なわれていた
ことに着目し今回のも朝廷から信長側に伝えられたと結論付けている。
「信長権力と朝廷」における京子ちゃんの解釈は、岩沢がご丁寧に原文の訳をして反論してるから
読んでみるといい
>>191
>しかも「晴豊のほうから切り出した説」のほうは
>戦前の天皇陛下万歳時代に行なわれた「歴史上の人物は勤皇派かどうか」という意味不明の分別で
>「信長は勤皇派」という誤った解釈をしたために生まれた発想
日々記が晴豊のものだと証明され、信長への三職推任があったのが報告されたのは戦後なんだが
0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 09:42:33ID:KuXRRtqw御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
立花京子氏の解釈
私(晴豊)は、村井貞勝から「朝廷は安土へ女官を派遣され、信長様を三職に推任するべきである」という
申し入れを受けた。このことを私はすぐに(朝廷に)報告した。
東大史料編纂所の岩沢としひこ氏の解釈
私(晴豊)が村井貞勝のもとへ行き、正親町天皇が安土へ女官をつかわし、
信長を三職に推任したいと望んでいる、と申し入れした。
ここで立花氏が「申され候」のれ(被)に関して、自分自身を表現する文ではないって根拠なんだが、
岩沢氏が「(正親町天皇)が申され候」と反論しとる。
というか立花説は今谷氏以外支持してる歴史学者なんぞ居らんわけだが。
まぁ三職推任に関しては以下のスレでも話題になってるから見てみ。
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160252794/
0194中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/10(金) 10:18:31ID:3glb3EsN全然盛り上がってないな。向こうのスレ
三職を最初に推挙したのが誰か解釈上の違いはあるが、5/4にはそれが朝廷の推挙になり
晴豊自身も、信長が将軍になる儀って言ってんだからいいんじゃね
それより秀吉の将軍に関する件はもう最終結論か?
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 12:44:57ID:33+BHz8N何で晴豊の述懐が、村井貞勝との会談の話になるんだよ
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 13:08:24ID:KuXRRtqwキチガイとか言っちゃうくらいだからなぁ
それに
>古文の知識があって素直に読んだらそうなるはずだし
素直に読んだら岩沢説の読み方になるんだけどな。
然るべく候よし、申され候、
(安土へ〜と(正親町天皇が)申された)
その由、
(事を、)
申し入れ候。
((貞勝に)申し入れた)
0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:00:32ID:+NBtQNjS0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:04:12ID:Z1i6b+6kあるのでは?で、朝廷権威も動員しなきゃならなくなって関白を望んだとか?
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:08:41ID:kzAtzkrcそれは関係ないだろう。結果的に家康は秀吉に従ったのだから。
それを言ったら真田や島津を叩きのめせなかった家康は
どうなんだと言うことになる。
0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 15:41:40ID:rNRgrYWa小牧長久手で「家康は秀吉に勝った」あるいはそこまでいかなくても「秀吉は家康に勝てなかった」とか言うのは
「真珠湾で日本が勝ったから太平洋戦争は日本がアメリカに勝った」とか言ってるようなもの。
0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 15:55:48ID:1Dm9uQp5緒戦で激しく犠牲をだしながら、最後は政治決着をはかったから
このあと、既成事実を積み重ねながら
日本も秀吉も社会的地位を上げていくことになるw
0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:06:13ID:+NBtQNjS0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:16:06ID:eJa3lfCN東夷説の側はそんなスパンで勝った負けたを言ってるんじゃないでしょうよ
小牧長久手の敗戦は1584年
家康の上洛は1586年
秀吉の関白宣下はその間の1585年で
その時点では家康がまだ臣従してないどころか四国征伐すら済んでない
旧織田家内部の後継者争いをほぼ収め終えただけで
まだ対外的な軍事的勝利を収めていない1584-85年の時点では
征夷大将軍になるための「関東打ハタサレ」が欠けていたので
先に関白になってから朝廷の名の下で対外的に優位に立つ戦略を選んだ、
というふうに「何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか」の
経緯を説明するのが東夷説+武家関白説なんだから
秀吉がその後天下人になったことをいくら叫んだって反論にはならないよ
0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:18:00ID:eJa3lfCN0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 19:38:29ID:VKC0zhjJだったら北条征伐後に将軍になればいいじゃんでループ
まあこれは関白就任天下統一後には将軍になる必要が無いことの
証明にはなっても、1584年の時点で秀吉が将軍になれたとか
将軍になる必要が無かったという証明には間接的かもしれんが。
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:13:35ID:SNM49w3tだから、小牧の役という戦争は秀吉の勝利だって。これは動かしようがない。
その中の、長久手合戦という一局面で土をつけただけ。
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:39:02ID:61M8LXzD秀吉は将軍に成りたかったけど成れなかった、何故だ?
って前提で論説を出してるだけじゃん。
秀吉が将軍位を望めばそれなりの猟官運動の書簡やら
史料に記述が見つかってもおかしくないのにそれが無いんだもん。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 11:15:29ID:res8XzyL>>203の言っていることを理解していないみたいだね、要は東国を支配下に置い
ていないということ、
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 13:07:21ID:fbZ9QgbHそれではやはり駄目なんだろうか
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 16:00:02ID:SNM49w3tそもそも東国支配が将軍の条件というのなら、木曾義仲とか護良親王とかどうするんだ?
足利将軍だって、関東はその支配から離脱していた時期がかなりあるのだが。
信長の三職推任だって、話が出たのはまだ武田征伐がなされていない、東国支配が出来て
いない時期だろ?
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 18:12:32ID:0xHD4nKY義仲や尊氏と比較してもあまり意味はない。
秀吉当時の朝廷や武家自身が「東夷」や「源氏」を条件として
どこまで意識していたかどうかが問題。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:21:24ID:SNM49w3tじゃあなんの問題もないね。
朝廷自身が源氏でない、東国支配もしていない信長に将軍就任を認めていたのだから。
そもそも東国がどうこうとは肯定派が言い出したことなんだがな。
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:36:49ID:f9/kygzYそれじゃあ
「慣例として関東の支配がどのこうの」
という妄想と矛盾するのだが
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:42:14ID:res8XzyL0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:46:28ID:f9/kygzY0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:46:53ID:61M8LXzD0217211
2006/11/12(日) 20:22:47ID:0xHD4nKYすべて後世の創作か思い込みだろう。
0218中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/12(日) 20:43:33ID:3hyvUvQ0じゃ珍説と折衝してやろうか。勝頼父子の首が京都で晒されたのが天正十年三月二十二日
甲信が広義での関東とみるなら関東制覇がその時点で成ったと考えられ
それを受けた朝廷が三職推任を諮問して五月四日の勅使晴豊による信長への三職打診と相成
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 06:28:34ID:8jx9ZUqdつまり>>210,>>212は前提が間違っておると?
0220中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/13(月) 11:15:27ID:2J8Csm3m>>218はまず第一に、三職推任までの時系列誤認を指摘
第二に、将軍就任のために東国支配が必要条件と仮定した場合に
では東国の示す範囲はどこなのかを信長の将軍推任の事例にあてはめて仮定すると
甲信であることが浮かび上がってくる。すはわち天正十二年の小牧・長久手合戦で
秀吉は家康から甲信を得ることが出来なかったから将軍を断念。そして武家関白になった
もっとも第二に上げた意見は、仮説を立証するために仮説を引用してる点で
半分妄想みたいになってることに留意してくれ。
現実には(上の方でも指摘してたが)上杉・佐竹・結城・蘆名ら東国の有力な大名が
早くから秀吉に恭順しており、信長の時には甲信獲得だけで将軍を推挙してることから
朝廷が将軍推挙の条件に「東国制覇」を掲げていたとは到底考えられないというのが俺様の持論
0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 12:43:10ID:8jx9ZUqdそだね。俺も>>210,>>212は変だとは思ったんだが、
俺の思っているのと何か別のことを言っているのかと
怪しんでいた。ただの誤認ということでいいのかな?
> 第二に、将軍就任のために東国支配が必要条件と仮定した場合に
・・・
> 甲信であることが浮かび上がってくる。
まあ東国を無理に甲信に限らずともいいと思うよ。
というかそもそも東国に限らず大戦に勝ちさえすれば
たぶんどこでもよかったと思うけど。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 16:41:40ID:Oj0eGDIg北陸も京からみたら「東国」、条件は一応満たしてると言えるかも
0223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 17:00:22ID:ztglA7kxを納得させるのなんて無理に決まっている、短期間て織田家の実権を握ったこ
とだって信じられないほどのスピードだと言うのに。
0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 17:04:49ID:Oj0eGDIg別に自分は秀吉が賤ヶ岳の戦いで征夷大将軍になる条件を全て満たした、
と言う積もりはないが(あくまで叩き台の積もり)、
根拠も提示されずに否定されるのは納得できないぞ
0225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 17:37:58ID:464Mol/30226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 03:31:34ID:0OEGrJ4/しかし恭順でいいのなら、信長には甲信獲得以前から北条や佐竹伊達最上なども
恭順していたといえるから、武田滅亡時点で東国を制覇した、と言えなくも無い。
おや肯定派を証明してしまった(あくまで仮だけど)。
だたそれでも、秀吉の場合になれなかった理由にはならんけど。
北条征伐、奥州遠征で東国制覇した時点で要求すればいいだけの話。
0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 06:45:02ID:IhNVglul0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 13:44:42ID:yqdHEkGZ→既出の源氏説や東夷説、百姓説むしかえされる
→ならなかった派となれなかった派で議論煮詰まる
→結論を誰かがまとめる→新規書き込み
これで1000まですすむスレ
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:01:53ID:IhNVglulどちらにも証拠がないから仕方ないけど
0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:04:15ID:33U1YByQログを全部読んだ上でその感想を述べているのですか?
日本語が苦手なんですか?
0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:05:59ID:IhNVglul勝手に勝利宣言する馬鹿が出没してるのは
読んでわかった
0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:07:26ID:IhNVglulぐだぐだになって人がいったん離れてから
「これで結論出たな」って言う馬鹿、
と言ったほうが正確かな
0233中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/14(火) 20:17:58ID:mj4soAHO前スレ1000レス分+現スレ232レス読んだら結論出てんじゃん・・・
0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 20:30:11ID:yqdHEkGZ新規書き込みが現われたらまたお会いしましょうw
0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 21:12:45ID:pFx0Zuu2今までの事を全部無視して「なれなかった派」が書き込みます
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 21:41:11ID:guw/UTe5IDがアホ
0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 00:04:58ID:PvDk5eTdと思うが、そういう話聞かないな、
0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 11:20:09ID:mm9rWoyS0239中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/15(水) 13:36:49ID:u8YVrVE2禿散らかす程に同意
>>226
>信長には甲信獲得以前から北条や佐竹伊達最上なども
>恭順していたといえるから、武田滅亡時点で東国を制覇した、と言えなくも無い。
仮に将軍職の必要条件として東国制覇というものがあったのなら、甲信制覇で完了かもな
しかし東国の範囲を探るのはあまり意味がないことだと思う
将軍職の発端を考えれば東国や奥州を支配するという原則的な意味を喚起するかもしれないが
朝廷が厳密に将軍の定義を持っていたわけでもあるまいし。
さて、何度も書くがこのスレの命題について俺様なりの考え
第一に秀吉が将軍になろうとした形跡はない。これ事実
武家昵近公家衆の日記、天皇周辺の記録、秀吉側近の行動(玄以や大村ら)。あるのは羅山の記録のみ
第二に秀吉の官位累進は将軍を狙った任官というわけではない
>天正12年10月3日・従五位下左近衛権少将
>天正12年11月12日・信雄と講和
>天正12年11月22日・従三位権大納言
>天正13年3月10日・正二位内大臣
>天正13年4月・紀伊平定
>天正13年6月・近衛と二条の関白論争
>天正13年7月11日・従一位関白
>天正13年7〜8月・四国、飛騨、越中平定
>天正13年10月27日・家康降伏
>天正13年12月19日・正一位太政大臣
つまり秀吉は将軍になれなかったのではなく
「将軍になる必要がなかった」あるいは「将軍にならなかった」と結論
>>237
1584年11月に秀吉が三法師の官位を越えるから
仮に三法師にその資格があったとしてもその時点で断たれてるな
0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 16:11:14ID:0bojs+ho最初の頃は将軍追放後の信長時代の
信長信忠の官位任官の方針を単に受け継いでいるようにも見える
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 17:24:19ID:RND81Madそのような史料がないからといってはたして「なれた」と言えるのだろうか?
0242中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/16(木) 22:31:39ID:HxbwoPwl0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 23:25:40ID:tzvEXYwx「なろうとした」という史料がない以上「なれなかった」という珍説の後押しにはなりませんが
0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 23:52:01ID:RND81Madでは聞くが「なれた」というならばそのなるための手順や方法を具体的に提示し
ていただけないか、たとえばシュミレートしてみるとか、言っておくけど例外を
探してきて都合のよい解釈をしろという意味ではないから。
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:02:56ID:wT+PE+Wm何度も書かれているはずなので過去ログを読むといいよ
秀吉が関白に就任するために朝廷と秀吉がやった事の滅茶苦茶さを考えれば
将軍になるなどたやすいもんです
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:13:31ID:/YPuyPLAあなたの説明でよくわかりました、あなたはたいした知識を持ち合わせていない
のに人の意見を珍説呼ばわりする傲慢な人間だということが、
一応目を通したつもりだが具体的な方法は誰も提示していないが。
0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:35:09ID:wT+PE+Wm秀吉が「将軍になりたい」とさえ言えば
朝廷がごにょごにょと手続きをしてくれて将軍にしてもらえます。
具体的な方法もクソもありません。
0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 09:35:29ID:eYgd2AeY被疑者死亡で有力な物証もなく、情況証拠だけを積み重ねる捜査だよ
「なろうとした」決定的な史料が発掘されないかぎりはね
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 10:36:06ID:7XyS6NVhほんとにちゃんと目を通したのか?
「珍説絶叫君はスルー」ってのは
このスレではもう常識なんだが。
0250中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/17(金) 11:07:26ID:mC749uDL秀吉の官位累進を見ると、その一次的な動機は敵対勢力をいかに飲み込むかを想定した
叙官であったかを知ることが出来る
つまり権少将の叙官は10月に始まった織田信雄との和睦交渉にメドがついた10月中に起こり(翌11月和睦)
これにより織田家で生存する男子のうちもっとも高い官位の者と同等の立場に成り上がった。
それ以後、内大臣獲得までの官位累進は紀伊・四国・飛騨・越中など統一過程で順当に獲得した結果であり
関白職に至っては小牧・長久手の敗戦上講じられた処置、つまり家康という最大の敵対勢力を飲み込むための
手段だったとして理解されている(朝尾・永原)
秀吉が天下統一事業や政権構築のために、受けた官位を運用していくのはその後の話で
官位獲得によって生じる職域や権利の行使は、官位累進の動機としては
あくまでも二次的な側面であるといえる
秀吉が将軍に「なれた」「なれなかった」を語る時には上記に上げた一次要因、
つまり秀吉が他者を圧倒するためには果たして本当に将軍職が必要だったのかどうかを検証することが
重要であると思う。
上にある一次要因を克服するために秀吉は他者より優位に立つための場当たり的な官位獲得を行なっており
>>239で上げた官位足跡を見てもかならずしも将軍職に固執した累進でないことがわかる
与えられた状況証拠から類推するかぎりは、やはり秀吉は将軍職を目指してないと結論付けるしか
他に方法はないだろう。新史料でも出れば別だが
恐らくこれが現在の歴史考察における限界ではないのだろうか?
0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 11:16:34ID:Rkzfa/Xw全国を平定して太政大臣になった後にでも
大臣との兼務でも秀次を使うにしても
自分が将軍職に就くか部下に就かせるかして幕府を開いてただろうに。
それをやっていないという事は
「将軍という地位の必要性も感じていないしなろうともしていなかった」
という客観的な証拠でもあるわな。
これ何回このスレで書かれてるんだ?
もうこれが結論じゃんか。
0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 11:19:02ID:7XyS6NVhそもそも東夷説自体がそんな次元の話じゃないんだから
0253中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/17(金) 11:35:55ID:mC749uDLそういうことだな。原則的な話をすれば、関白も将軍も職に相当する位を持たないのが特徴だ
普通は他の職式と兼帯してその職式に相当する位をもらうのが慣例。統治には必要ではあるが
秀吉がもっとも必要だったのは他者を圧倒するための越官でありそれが秀吉の急務でもあったわけだ
その段階では将軍も関白も差し当たって必要ないわな
やがて自己の政権運営のために関白や将軍が必要になってくるわけで
原則的な解釈を用いてみてもやはり将軍になる必要はなかったといえるんじゃないかな
0254中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/11/17(金) 12:40:08ID:mC749uDL秀吉の素性だけに限定して将軍職の可能性を考えると「なれた」のではないかと言える
0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 22:04:27ID:MAqDk1ox秀吉の中にあったんじゃね?w
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 01:05:05ID:ec1SV/Bl0257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 03:41:56ID:dOolfENlそんなことは秀吉以外で右大将になった武士全てに言えるんじゃないか?
0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 02:49:34ID:JV7Moymk0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 08:19:59ID:OAaOnuXj菊紋を下腸されたかw
0260名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 23:23:35ID:MX9b6EZWトップで新着記事として紹介されてたから読んでみたが、かなり勉強になった
0261中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/12/05(火) 00:06:22ID:SBYtNUfw0262名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/05(火) 08:04:15ID:2/obQzY40263名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/05(火) 10:02:16ID:NrlwUVGA0264名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 21:13:03ID:4VVTsuOZという疑問に答えられなくて、最近京子ちゃんトーンダウンしてるらしい
0265名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 16:53:06ID:tMTT28f+くらいハッピーな脳細胞持ってるからわけわからんな。
0266名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 17:20:46ID:9Ot4xzSzそもそも農民出が将軍になろうという発想すらできない(考えられない)時代だったから
ではないでしょうか。
以下、朝廷目線で書いてみます。
朝廷が恐れたのは、信長と家康。
信長を抑えるために将軍職を打診したが失敗→光秀を使って倒した。
家康を抑えるために秀吉を関白職にした。
すなわち、秀吉は朝廷に操られていたにすぎないのではないでしょうか。
0267名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 22:39:51ID:5WFAm/HE約1カ月ぶりのレス大儀!
さて >そもそも農民出が将軍になろうという発想すらできない(考えられない)時代だったから
そんな時代に農民出を関白にと発想した晴季公は偉大であると思わないかね、きみぃ。
0268名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 23:21:13ID:u66PiiW6否定的に書いてるものが多かった。ただ一つそれを基に関白就任の経緯が書かれているものがあった。
その書は井沢元彦著「逆説の日本史」。
0269266
2007/01/05(金) 00:04:15ID:uXv/Fqv9思います。
自分たちにとってのメリットとして、誰も発想しなかった策を考えた朝廷は、
したたかで一枚上手だったのでしょうね。
0270267
2007/01/05(金) 21:27:34ID:eeSR3xoO同意してくれるか
ならば聞くが、家康を抑えるだけなら武家の棟梁たる将軍職でも
十分用をなすと思われるがいかがか?
0271名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 20:21:56ID:hU9SRybK武家の棟梁なんてカッコ悪い
0272名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 20:27:34ID:CS31TAJH0273名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 02:27:22ID:mEhwHRUzいくら趣味カテ板だからって、ちょっとは勉強汁
0274名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 17:56:54ID:6WPSxryU0275中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/02/06(火) 18:04:10ID:cTdTi5C5一応このスレは俺様の責任において終了させたはずだが
0276人間七七四年
2007/02/26(月) 00:53:51ID:o2AETMrJどっちが偉いの?って部分。ドラマなんかでは徳川将軍が公家関白をザコ扱い
してるシーンがあるけど、関ヶ原前後の関白と太閤、将軍と大御所の関係同様に
結局関白と将軍の上下関係も実質その時の力関係で決まる相対的なものって事?
個人的には望みさえすれば当時あれほど空前絶後の勢力を誇った秀吉が将軍職
をもらえないはずは無いんで、多分出自のコンプレックスも手伝って
「将軍なんて所詮武家の棟梁・・っていうか義昭のザマみてみろや。その点
関白ともなると・・ワシも天子並みの華麗なる一族ってか!?ウシシシww」
みたいな感じで選択したのかもと思ってんだけど、どうなんだろうね?
ちなみに関白とか将軍ってのは成人(元服?)前でも先代が死んだら継承OKなの?
徳川が豊臣を攻めた名目って「将軍家に頭を下げないから」でしょ。
だったら秀頼が関白だったら攻めきれなかったのか・・又は関係なく滅ぼしてたか・・。
または例えば秀吉が将軍になってて秀頼が2代将軍継いでる状態なら
家康は関白(もしくは関白秀忠で太閤家康)になって「将軍家が関白に頭を下げない」
って名目で豊臣攻めを敢行したのか・・関白になんぞならず普通に将軍家つぶしてたか・・。
「何故秀吉は将軍にならなかったのか」って疑問が湧く背景には自分も含めて
「将軍になって幕府つくってれば滅びなかったかもしれないのに・・」みたいな
感覚があるような気がするが、実際関白と将軍の関係が上記のような相対的な
もんだとしたら、豊臣幕府誕生後の大坂の陣ってどんなもんになってたか
とても興味深い。
秀吉が関白と将軍両方なってたとした場合のシュミレーションも含めてね。
(もちろん家康が史実通りに関ヶ原後に勢力を拡大した前提での話だけど)
0277人間七七四年
2007/02/26(月) 06:02:12ID:0QfdLUAS0278人間七七四年
2007/02/26(月) 17:13:38ID:kFgSHDAwもんだとしたら、豊臣幕府誕生後の大坂の陣ってどんなもんになってたか
個人的には望みさえすれば当時あれほど空前絶後の勢力を誇った秀吉が将軍職
みたいな感じで選択したのかもと思ってんだけど、どうなんだろうね?
ちなみに関白とか将軍ってのは成人(元服?)前でも先代が死んだら継承OKなの?
0280人間七七四年
2007/03/04(日) 03:13:52ID:rFG95Iuhまずはいろんな本を読んで勉強して
そうすれば基礎知識的な事を質問して恥をかくようなことはなくなるから
0281九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/03/05(月) 21:58:46ID:jOfPL7Yu0282人間七七四年
2007/04/05(木) 13:19:37ID:QPJKQHUJ0283人間七七四年
2007/04/12(木) 07:55:18ID:P/el3O0/参考文献は東大の橋本だが
橋本と立花って学説的に距離あるんじゃなかったっけ?
0284人間七七四年
2007/04/12(木) 14:59:20ID:fOqWQ1sl0286人間七七四年
2007/05/01(火) 20:42:30ID:LdO27UIU関東の北条は滅ぼしたが、次に関東を与えられた江戸の徳川が豊臣に対して屈伏したとは言えずに
将軍になることができなかった。
また、将軍になるには源平の流れのものでなくてはならない。
朝廷としては秀吉を将軍職に就けるわけにはいかず、源平ではないため、仕方なく豊臣の名を作り
秀吉に与えた。豊臣って名前あげるから我慢してね、という形である。
0288人間七七四年
2007/05/01(火) 22:52:38ID:9vyH6W5a0289人間七七四年
2007/05/01(火) 22:53:34ID:LdO27UIUダメなの?
確か信長は平氏の流れとなってるけど、征夷大将軍にならないかとの誘いを朝廷から受けてたはず。
源氏の流れでないとなれないというのはなんの根拠もない話のはずですよ。
0290人間七七四年
2007/05/01(火) 23:21:44ID:J+3yZSGR0291人間七七四年
2007/05/01(火) 23:25:22ID:9vyH6W5a0292人間七七四年
2007/05/02(水) 05:48:40ID:D9WvDUjV0293人間七七四年
2007/05/02(水) 06:14:59ID:uljoaEd9豊臣は名字ではなくて、源・平・藤原・橘・物部と同じ本姓だから。
その面では何ら障害はないかと
0294人間七七四年
2007/05/02(水) 06:27:37ID:MqpvEqFS0295人間七七四年
2007/05/02(水) 06:43:20ID:mbQ86BNX0296人間七七四年
2007/05/02(水) 10:11:17ID:R2ovFQwY0297人間七七四年
2007/05/02(水) 12:06:37ID:MqpvEqFSけど公卿補任ってその時々の権力者に阿って結構改竄されてるからな
秀吉の正室である高台院が天正16年の聚楽第行幸の後に従一位に叙任してるのに、
旦那の秀吉に音沙汰が無いのは不自然だとも言える
本当はこの時秀吉も正一位に昇叙してたけど後に記録を改竄したんじゃないかと妄想してる
0298人間七七四年
2007/05/02(水) 12:44:17ID:Q0kN93O0橋場秀吉天皇を目指すべきだったな。
下剋上なんだからさ。
0299人間七七四年
2007/05/02(水) 16:05:24ID:R2ovFQwYなるほどね。
生前の叙任が行われたのはいずれも武家政権の無い時期だし、
関白として皇室を奉じる政体を採った秀吉なら生前の叙任も有り得るよなぁ。
ただ、公家が猛烈に反対しそうだな。
0300人間七七四年
2007/05/02(水) 21:24:18ID:QNh2Ihty0301人間七七四年
2007/05/02(水) 22:04:43ID:c68O3uTxこのうち征夷大将軍になって幕府を開いた3者の政権はかなり長続きしているのに対し、平氏と豊臣氏の
政権はほぼ一代限りであっさり滅んでいる。
結果論かもしれないが、やはり幕府を開くというのは武家が恒久的に天下を治めるに当たって
有効なシステムであるのは間違いない。その有効性は秀吉も認めていたはず。
史実からみれば、秀吉が征夷大将軍になろうと積極的に動いた足跡はないが、ならなんで秀吉は
幕府を開こうとしなかったのか。
幕府とは違う、新しい統治システムを構築しようとしたからなのか、そのへんがよくわからないんだな。
だから「なろうとしたのになれなかったんじゃね?」という仮説も出てくると思う。
秀吉が目指していた(実際にやった、とは別に)政権システムってどんなだったんだろうね。最終的な形態は。
0302人間七七四年
2007/05/02(水) 22:46:26ID:igRiM+1h三代アボンなのに
0303人間七七四年
2007/05/02(水) 22:49:24ID:c68O3uTx実朝暗殺の時点で、鎌倉幕府がいったん滅びたという解釈は見たことない。
0304人間七七四年
2007/05/02(水) 23:27:13ID:QNh2Ihty武家関白のシステムを根本的に変えないと
将軍の場合無位無官の赤ちゃんでも襲うことはできるが
関白の場合大臣まで出世してやっと関白に任ぜられる。時間が掛かりすぎるわけだ
関白の政所で政務をとるのでなく、関白府を置き常設の直轄軍直轄領を持ち
その長たる存在に関白を位置付ける。そうすれば第三代豊臣関白秀頼が誕生したはず(かな?)
0305人間七七四年
2007/05/02(水) 23:44:08ID:igRiM+1h0307人間七七四年
2007/05/03(木) 01:34:21ID:IBhV5wpC当時までで生前に正一位なった例は現在判明してる限りたったの三人だし、
なれたのを断ったとするよりも、なれなかったか徳川に隠蔽されたと見るのが妥当でそ。
なんといっても人臣最高位だもの。
征夷大将軍も同様に、従一位に叙任した秀吉になれないはずは無いでそ。
征夷大将軍って室町以降は正二位か従二位程度の役職じゃなかったっけ?
それに、朝廷が武士の棟梁を天皇の代理より上に置くとは思えないが。
あくまで名目上だけのものとはいえ。
0308人間七七四年
2007/05/03(木) 03:37:02ID:Tw75wqRE秀吉が生まれて生きていた時代の幕府がどういう惨状だったかを考えると
幕府そのものには魅力を感じられないかも知れない
やるとしたら
・幕府とは違う新しい統治システムを構築する(信長型)
・過去の幕府の欠点を完全に払拭してシステムを改良する(家康型)
・新しい組織を作らず旧来の組織を活用する(秀吉型)
0309人間七七四年
2007/05/03(木) 06:23:10ID:1SOAuIwi当時の幕府の惨状云々というなら朝廷はどうなの?
0310人間七七四年
2007/05/03(木) 06:36:33ID:6ke+/FPA0311人間七七四年
2007/05/03(木) 06:47:15ID:1SOAuIwi幕府の官僚組織をそのままに使っていたという意味、
つまり信長は幕府を滅ぼしたというより、幕府の最高実力者
になった、というほうが正しい、
0314人間七七四年
2007/05/04(金) 00:38:27ID:k9rwJym4それはそうだろう。でも秀次死後に秀頼を関白につけるでもなく、自分が復職するでもなく
関白職を空白にしてしまったからね。摂関家は近衛だけではないし
豊臣家が関白独占するためのシステムを別に考える必要があったわけだ
0315人間七七四年
2007/05/04(金) 00:47:59ID:8gj+mLi8自身が関白に復職して天下の采配を取らなかったのは謎だな
面倒臭かったのかもしれないけど
0316人間七七四年
2007/05/04(金) 02:38:30ID:lz8oKdoX0317人間七七四年
2007/05/07(月) 01:06:06ID:LI+77Q/L近衛の流刑が他の4家を含めた五摂家に対する刑罰を用いた脅しだと思うのだが。
0318人間七七四年
2007/05/07(月) 08:02:37ID:Q++v7YGF豊臣という姓を新たに創ったように、関白のさらに上をいく位を新設していた方が秀吉らしい気もする。
0319人間七七四年
2007/05/07(月) 20:10:20ID:ZAvi8V+1それでいて源氏を低く見る人が多いんだよなあ。
0320人間七七四年
2007/05/07(月) 21:52:21ID:LPr0VMfU秀吉がそれを思いついていたら出来たかも知れないよ
0321人間七七四年
2007/05/08(火) 04:12:31ID:mMhHNfO8豊臣賜姓の重要性については歴史上何人の臣下が新しく姓を貰ってるか考えればわかるんじゃね
0322人間七七四年
2007/05/08(火) 05:52:27ID:DM5yl0qR0324人間七七四年
2007/05/08(火) 06:13:40ID:lp2+d8Lqこんな姓を信長に与えると言ったら激怒するぞ。
大体、天皇の子孫である源平とはあきらかに格が
ちがうだろ
0326人間七七四年
2007/05/08(火) 12:22:54ID:mMhHNfO8それ以前にも中臣鎌足など数例しかなく、秀吉以降は絶無(皇族の臣籍降下除く)
いずれにせよ日本史上極めて稀な事柄であるのは間違いない
>>324
源氏も平氏もピンキリなんだがそれを全部一緒くたにしてる時点で終わってるなw
0327人間七七四年
2007/05/08(火) 12:36:23ID:ggZtXwHP三千代だけ?
爆笑あげ
その程度の知識で日本史板来るなよ
0328人間七七四年
2007/05/08(火) 12:39:58ID:mMhHNfO8秋篠菅野中原令宗も追加
秀吉以前で一番新しいのが惟宗允亮かな
0329人間七七四年
2007/05/08(火) 13:17:21ID:lp2+d8Lq歴史上まれだからといってなんで豊臣姓が源平より
上になるわけ?
それにピンキリとかいってるが問題をすりかえてないか?
源氏と豊臣の比較であって、秀吉と誰かの比較じゃない。
ピンキリ言い出したら秀吉は豊臣姓を諸大名にばらまいて
いるのだが、それはどうなの?
0331人間七七四年
2007/05/08(火) 15:14:26ID:qF+HbHzT系図をそれに合わせる様に改竄しているのだが、
赤の他人に勝手に名乗られちゃうような源氏姓ってのはどうなの?
0332人間七七四年
2007/05/08(火) 16:51:35ID:lp2+d8Lq豊臣 金持ってる馬の骨
これだけでも豊臣姓に重要性がないのがわかるだろ
豊臣と源の話をしてるのになぜわざわざ家康たたきを
してるんだか?
少なくても今は関係ないはなしだろ
0333人間七七四年
2007/05/08(火) 17:21:38ID:qF+HbHzT0334人間七七四年
2007/05/08(火) 17:33:26ID:qF+HbHzT>豊臣 金持ってる馬の骨
豊臣と源の話をしてるのになぜわざわざ秀吉たたきを
してるんだか?
少なくても今は関係ないはなしだろ
0335人間七七四年
2007/05/08(火) 17:39:15ID:qF+HbHzT>>329で
>秀吉は豊臣姓を諸大名にばらまいているのだが、それはどうなの?
に対して、源姓といえども、素性が明らかじゃない家康だって勝手に名乗ってるという意味で
>藤原姓から源姓に改姓した上に系図をそれに合わせる様に改竄しているのだが、
>赤の他人に勝手に名乗られちゃうような源氏姓ってのはどうなの?
って返してるだけ。これのどこが家康叩きなのか。
馬の骨みたいに明らかな叩き文句なんぞ使ってないんだが。
0336人間七七四年
2007/05/08(火) 18:29:38ID:DM5yl0qR権威付けしか意味がない?じゃあ豊臣にどんな意味が?ぶっ
家康だって源氏長者にも将軍になっているのになにか問題があるのか
0337人間七七四年
2007/05/08(火) 19:12:45ID:MAYfDCat少なくとも藤原家と同格だろ
鎌足の為に創姓された訳だし
0339人間七七四年
2007/05/12(土) 13:16:37ID:XcCCdVsE前の将軍がまだ生きているうちに、
それを放逐して新たに将軍にった足利将軍も何人かいるわけだが。
>>303
秀吉からしてみれば子孫が滅ぼされて組織だけ残った、
なんてシステムには全然魅力を感じないだろう。
血縁には執着しない、天下が治まればいいって人物だったならともかく、
実際は全く逆なわけだから。
0340人間七七四年
2007/05/12(土) 18:24:20ID:620j85V3前者はあくまでも足利家内の首のすげかえであって、他家に取って代わられ
たわけじゃないだろ、それに次期将軍も幕府が指名するわけで朝廷が口出しできることではないだろ
後者については、 将軍とは象徴的存在ということがわかってるのか?と
0342人間七七四年
2007/05/12(土) 19:49:44ID:jBaD4OtV話を聞いたことがあるけど、それはどうなんでしょう?
0343人間七七四年
2007/05/12(土) 22:03:25ID:XcCCdVsEそれじゃあなぜ義昭が生きているうちに、信長に三職推任の話が来たの?
そして、血筋は三代くらいで途切れ象徴にしかならないような組織を、
秀吉が望むとでも?
0344中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/05/12(土) 23:55:29ID:QsMON77Aこのスレ
0346人間七七四年
2007/05/15(火) 11:09:46ID:5t9Mqth3こんな知識で征夷大将軍を語るなんてどこの馬鹿ですか?
0347人間七七四年
2007/05/15(火) 20:27:04ID:skSilSEy現代の総理大臣を天皇が任命している状態とそう変わらんよね
天皇は総理大臣の選定には関与していないわけで
なので>>340が言っている事が正しいと言える時代は
幕府の治世が安定している江戸時代の話でしょうな
0348人間七七四年
2007/05/15(火) 22:26:11ID:W1siQ80a義栄が名乗りを上げた時に義昭も既に名乗りを上げていたから。
あとは、金を先に出した方を将軍にすると朝廷は言っていたのに両方金を出さなかったから。
0349人間七七四年
2007/05/26(土) 15:05:42ID:2adUrY1u関白(太閤)が秀吉の到達した、現実の頂点だったが、唐入りが成功した暁には遷都して天皇を北京かどっかにすえて
自分はアジア全体を治めるみたいな計画練ってたんだっけ。
その途中で、天皇を越える意志があったのかな。それとも関白にせよ征夷大将軍にせよ、天皇の下というポジションのまま?
0350人間七七四年
2007/05/26(土) 18:53:17ID:bME5bDg1唐の皇帝に天皇
日本の王に秀頼
天竺に秀吉自身が王として君臨する
ってのがあったはず
携帯からなんでソースが判らんが
0351人間七七四年
2007/05/26(土) 21:46:02ID:qojqnzqQ0352人間七七四年
2007/05/26(土) 23:41:13ID:bME5bDg1実際の書状ってなかったっけ
0353人間七七四年
2007/05/27(日) 02:37:25ID:de6i1ldB秀吉は農民出身といわれており武家の象徴たる将軍にはふさわしくない
これらの事実があればふつうなれないと言うだろ?
屁理屈こねまわして何が言いたいんだ?
0354人間七七四年
2007/05/27(日) 02:44:35ID:0NL/1emWそう思うんだったらageるんじゃねーよ
0355人間七七四年
2007/05/27(日) 03:15:18ID:7BOKEQlq何度も何度も論破されている事を持ち出してどうする
・義昭の存命中に、天皇から信長に「将軍になれ」という宣下があったので義昭の存在は将軍就任への足枷にはならない
・過去に武家出身どころか武家ですらない将軍が存在しているので武士であるかどうかは関係ない
・秀吉は農民出身ではないし仮に農民出身であったにせよ天下を取った時点ではすでに武士なので農民出身であっても関係ない
これらの矛盾に対してきちんと反論できないのであれば
同じ事を何度も書く必要はない
0356人間七七四年
2007/05/27(日) 06:10:31ID:de6i1ldBだから例外ばっかあげるのではなく具体的な方法をあげて証明してくれ、
三職推任などは専門家でも意見が分かれるし、秀吉にに話が来る
とはかぎらない
0357人間七七四年
2007/05/27(日) 06:29:40ID:+ufPq+Gq>義昭の存命・・
三職推任をまずきちんと説明してくれ、
将軍職に義昭がいることを足枷でないとなぜ言えるんだ?
思いっきり足枷じゃねえか
>過去に武家出身・・
摂家将軍や皇族将軍のことを言ってるのかな?
そんな高貴の血筋の人間と秀吉じゃ比較にならない
>秀吉は農民・・
天下を取ったのは何年だ?スレタイをよく読め
0358人間七七四年
2007/05/27(日) 09:26:14ID:OajMhR+n将軍の義昭が存命なのに朝廷から信長に、
三職推任、つまり望むなら将軍に(或いは太政大臣でも関白でも)任命するという打診がきた、
要するに、朝廷側には現将軍がいようとどうしようと、
新たな権力者に将軍位を与えることに何の問題も感じていないということ。
そして、農民出身というのが問題になるなら、関白になる時の方がはるかに問題になる、
現に関白になれているのに、将軍にはなれないなどという話にはならない。
0359人間七七四年
2007/05/27(日) 13:36:50ID:de6i1ldBだいたいその話はどちらが言いだしたかで意味が変わってくる、だから
例にするのにはむかない、
関白になるほうがはるかに難しいって、勝手な思い込みにすぎない
0360人間七七四年
2007/05/27(日) 13:45:29ID:0NL/1emW意味自体は変わらないと思うよ
0361人間七七四年
2007/05/27(日) 13:53:38ID:wVQYIfsgどちらが比較的なりやすいかといえばまあ征夷大将軍じゃないかな
官位の高さ、歴史的な経緯からして関白は臣下が成り得る最高の役職と言う位置付けだし
0362人間七七四年
2007/05/27(日) 14:22:56ID:HpVC8gjM今の研究者でこの説を採用してる人なんているのかな?
0363人間七七四年
2007/05/27(日) 16:10:34ID:OajMhR+n例外?そもそも秀吉の関白就任自体が例外中の例外ですが?
だいたい、秀吉という新興の権力者の任官について、
そのすぐ前の同じく新興の権力者である信長の例を参考にするのはむしろ当然。
もしも、それを例外だから参考に出来ないというなら、一体何を参考にすればよいので?
そして三職推任については、既出だが、
それが信長・朝廷のどちらから言い出したものだとしても、結局三職推任が行われた以上、
朝廷の出した結論は、信長が将軍になってもよいというものだったことに変わりはない。
0364人間七七四年
2007/05/27(日) 16:29:42ID:de6i1ldBそれに実権を握ったといってもわずか二年ぐらい、反信長勢力は息を吹き返し
義昭や家康とも敵対、こういう状況を考慮してるのか?
0365人間七七四年
2007/05/27(日) 17:31:25ID:0NL/1emW落ち着け、三職には関白が含まれているw
織田家の家臣が関白に推任されたんだ。文章整理しなおさないと君の論理が矛盾をきたす
0366人間七七四年
2007/05/27(日) 17:43:10ID:HpVC8gjMついでに任関白を「先代未聞ノ事也」とも書いてある。
0367人間七七四年
2007/05/27(日) 18:05:21ID:0NL/1emW英俊の伝聞が噂程度のものとして考える向きもある。
秀吉が将軍任官を断ったとされるのが内大臣就任前の話だから
実際の話ならむしろ秀吉が将軍に飛び付いたと素人的には想像する。
0368人間七七四年
2007/05/27(日) 18:53:46ID:rc8mZomd0371人間七七四年
2007/05/28(月) 06:51:32ID:rKTcWGFy0372人間七七四年
2007/05/28(月) 09:43:11ID:o+bAWIfH>だいたいその話はどちらが言いだしたかで意味が変わってくる
三職推任は信長の方から働きかけたって説挙げてるのは京子ちゃんしかいないわけだが。
学会の定説は朝廷側から信長に三職推任の話を持ちかけたってのでFA
0373人間七七四年
2007/05/28(月) 09:44:22ID:o+bAWIfH京子ちゃんの著書は読むには面白いから簡単に洗脳される池沼が多いな。
あれは信長と十字架とかあのあたりはフィクションだと思わないと。
0374人間七七四年
2007/05/28(月) 12:20:47ID:EJ5OOR33>>359
>だいたいその話はどちらが言いだしたかで意味が変わってくる
三職推任は信長の方から働きかけたって説挙げてるのは京子ちゃんしかいないわけだが。
学会の定説は朝廷側から信長に三職推任の話を持ちかけたってのでFA
373 :人間七七四年 [sage] :2007/05/28(月) 09:44:22 ID:o+bAWIfH
たまに沸く京子ちゃん信者だろ。
京子ちゃんの著書は読むには面白いから簡単に洗脳される池沼が多いな。
あれは信長と十字架とかあのあたりはフィクションだと思わないと。
0375人間七七四年
2007/05/28(月) 13:00:26ID:C0DbhVIO少数派というわけでもない、文の解釈については学会でも論争中というのが
実情なんだがな。 あまりはっきりしない説を無知なくせに振り回して
思い付きで、たとえば京子ちゃんが唱えているからとかいうのもなんだか
頭が弱いとしか、
あと関白就任と三職推任は別ものなんだが混同してる馬鹿がいるね
0376人間七七四年
2007/05/28(月) 13:20:44ID:o+bAWIfH0377人間七七四年
2007/05/28(月) 13:26:08ID:o+bAWIfH御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
東大史料編纂所の岩沢としひこ氏の解釈
私(晴豊)が村井貞勝のもとへ行き、正親町天皇が安土へ女官をつかわし、
信長を三職に推任したいと望んでいる、と申し入れした。
立花京子の解釈
私(晴豊)は、村井貞勝から「朝廷は安土へ女官を派遣され、信長様を三職に推任するべきである」という
申し入れを受けた。このことを私はすぐに(朝廷に)報告した。
今現在立花説は否定されとるぞ。
岩沢説の方が現時点では学会で支持されとる。
0378人間七七四年
2007/05/28(月) 13:27:49ID:o+bAWIfH岩沢氏が「(正親町天皇)が申され候」と反論しとる。
というか立花説は今谷氏以外支持してる歴史学者なんぞ居らんわけだが。
0379人間七七四年
2007/05/28(月) 13:29:11ID:o+bAWIfHカルチャー講座で古文書を学び始めて博士号まで取ってしまったという異色の経歴の持ち主。
信長と十字架って著作だが、
仮説をたてて資料をつき合わせながら検証していく論法。
つまりイエズス会ありきで語ってる。
内容はこんな感じ。
イエズス会の宣教師たちは、右手に銃(テクノロジー)を、左手に聖書を持ち、
ポルトガルの世界征服・植民地拡大の出先機関として現れた。
信長は右手だけを上手く利用していたつもりだったが、徐々に自分の力を過信するようになり、
自分を神だとみなし始めた。
これをデウスへの冒涜だと判断したイエズス会は、信長のすげ替えを謀る。
後継者として白羽の矢が立ったのは豊臣秀吉。
ただし、秀吉に信長を討たせたのでは正統性が問われることになる。
そこで狂言回しとして利用されたのが明智光秀。
これこそが本能寺の変の真相である。
0380人間七七四年
2007/05/28(月) 13:35:19ID:o+bAWIfH>>375で
1、少数派というわけでもない
2、文の解釈については学会でも論争中
とか言ってるが
>あまりはっきりしない説を無知なくせに振り回して
これはお前だろ。
論争どころか岩沢はじめお歴々の学者に突っ込まれて今谷くらいしか
京子ちゃんの支持者はいないんだが。
ここが変だよ〜で金星人はすでに地球人になりすまして戸籍まで取ってる
と主張する人がいるいが、そんなキワモノ的な人が世間とは異なる説を吐いてる状態
を論争中というのなら2は論争中だろう。
1の京子ちゃん説を支持してる学者の名前を挙げてくれないか?
他人を無知と言うくらいだからさぞかし詳しいんでしょうね。
0381人間七七四年
2007/05/28(月) 13:57:19ID:I0b2d+KB0382人間七七四年
2007/05/28(月) 14:08:47ID:AYZ6D0HAということの証明にならない気がするんだが・・
なのにそれを金科玉条のごとくかかげて自分の都合の良い
ように拡大解釈するのもなあ
ていうか誰か詳しく三職推任について詳しく語ってくれないか、
話はそれからじゃねえの。
0383人間七七四年
2007/05/28(月) 14:16:48ID:I0b2d+KB0384人間七七四年
2007/05/28(月) 15:53:21ID:1sugVCYoいつものアホの人が
関白になれたほどの人間を「将軍にはなれなかった」と主張するために作り出した根拠が
「農民出身だから」というネタ話のみというのが情けない
まずその前提条件からして間違ってる
だが、仮にアホの言うとおり農民出身だったとしても
秀吉はすでに何10年も前から武士になっているんだし
戦国大名として日本の大半の武士を束ねているんだから
将軍職に就くくらい何の問題もないわけだ
史実として武士以外の将軍もいたわけだから武家出身にこだわる必要はない
それに史実として信長に将軍職に就くよう天皇から勅旨が下ってるわけだから
足利将軍が将軍職のまま健在でいる事は何の障害にもならなかったと言える
0385人間七七四年
2007/05/28(月) 16:08:17ID:1sugVCYo>御推任候て然るべく候よし、申され候、その由、申し入れ候。
これを素直に現代文に訳すと
私は村井の所へ行きました。
天皇陛下が「安土へ使者を派遣して信長を太政大臣か関白か将軍かに推任したい」
とおっしゃった事を村井に伝えてきました。
0386人間七七四年
2007/05/28(月) 16:14:13ID:1sugVCYo「逆説の日本史」の著者、井沢元彦(小説家)
この人の本いくつか読んだけど
小説は面白いけど「逆説の日本史」は初期の頃から全部ダメだ
0387人間七七四年
2007/05/28(月) 19:26:04ID:I0b2d+KBなんで立花説を学会でも有力な説
だとか勘違いしてる馬鹿おおいね
どっかの漫画日本の歴史とかで紹介でもされてるのかね
0388中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/05/28(月) 20:58:55ID:mTG+/YEO俺様のレスを百万遍読み直せ!!!!!!!111
0389人間七七四年
2007/05/28(月) 21:15:51ID:3jFv0aFCだとすれば、もし秀吉が同様に朝廷に将軍職を要求すれば、朝廷はそれを許したと考えることもできる
0390人間七七四年
2007/05/28(月) 22:06:09ID:3NJetU0y0391人間七七四年
2007/05/28(月) 23:34:52ID:bF5pm69oでもその推任の使者を信長は何の返答もせずに帰したなよ
立花説が正しければその辺りの説明がまったく出来ないよ
0392人間七七四年
2007/05/29(火) 00:14:20ID:W/DFBMtjその反論にはカルチャー京子ちゃん自身も説明できないと持説を後退させているからね。
4月25日記の解釈にかかわらず5月3日記の将軍推任の事実のほうがこのスレ的には重要。
この時点で足利義昭はまだ反信長の旗を降ろしていないし、
信長の覇権は近畿・中部にとどまっている。しかも信長は平氏を称していて源氏でもない。
0393人間七七四年
2007/05/29(火) 08:03:46ID:8/Go1jxL信長に対する三職推任は、源氏でなくとも将軍になれるということ、
そして現職将軍が健在でも新たな権力者を将軍にするのに、
朝廷が特に抵抗を持っていないことの証明にはなる。
つまり、秀吉は将軍になれないという説の根拠を明白に否定している。
0394人間七七四年
2007/05/29(火) 14:10:52ID:buLmDqX0なれなかったものを屁理屈ならべてどうすんだ?
じゃあ聞くけど、なぜ時の権力者は天皇にならなかったんだ?
0395人間七七四年
2007/05/29(火) 16:33:58ID:dVqhmqOyたった三行で突っ込みどころ満載でレスするのさえ躊躇うほどの頭の悪い文だが
一応哀れみを感じてレスしてやると
>秀吉が将軍になれたなどとほざいている奴はゲームのやりすぎか?
「将軍になれた可能性がある、希望すれば将軍に就任できただろう」という意見=ゲーム
という意味がわからん。
>なれなかったものを屁理屈ならべてどうすんだ?
朝廷が信長に三職推任したという、極めて時期も近い格好の事象がある
その三職とは、関白、太政大臣、征夷大将軍であり、その時点で信長は
関白、太政大臣、征夷大将軍どれにでもなれた可能性があるわけだ。
信長でさえ勧められた職の中では征夷大将軍が一番格下だから、
関白になれた秀吉が望みさえすれば将軍職に就くのはなんら問題が無い
と推論してもまったく問題はないだろ。
現代に無理やり例えてみると、本社の社長(関白)になったのにわざわざ地方の支社長(征夷大将軍)になる
必要は無い訳で。
*例えば支社長(将軍職)に就くことで、支社内(幕府内)ではある程度思い通りにできるが
(実績さえあれば、本社を脅かす存在にすらなれる可能性もある)
することよりも、社長になって、クセのある支社の社員(武家)をどんどん他の部署に配属し(官位を与え)て
自分の目の届きやすい本社(公家社会)の中で支社の人間(武家社会)を組み込もうとしたわけ。
>じゃあ聞くけど、なぜ時の権力者は天皇にならなかったんだ?
日本史勉強しろ
そういや同じ質問を昔中学の教育実習に行った時に中学生からされたな。
歴史得意な子なら中学生でもわかるぞそれくらい。
0396人間七七四年
2007/05/29(火) 17:13:34ID:buLmDqX0教師?もしそうなら生徒が不幸だな、
>朝廷が・・
秀吉と信長の身分の差や置かれている状況、など個別の案件はまったく考慮に
入れてないのか? 右大臣を自ら辞した信長、官位が欲しい秀吉というだけ
でも朝廷の態度もずいぶん変わってくると思うのだが
>現代に
相当頭の悪い例えだな、
当時日本は、武士が実効支配する軍事国家だぞ、だとしたら答えはわかるよな?
あと相当歴史に詳しいのだろうから、その中学生でもわかるということを
ご教授していただけませんか。
0397人間七七四年
2007/05/29(火) 17:25:42ID:AzfBdRs+まったく違います。
日本が武士によって一元支配されるようになったのは秀吉の天下統一以降。
それを受け継いだ徳川幕府が安定させた。
0398人間七七四年
2007/05/29(火) 18:27:25ID:fRlKrhE5毎回毎回それまでの議論無視して頭悪い煽りするとこなんて酷い
いい加減スルー汁
0399人間七七四年
2007/05/29(火) 19:03:46ID:zqkis7Ao家康が将軍になったり秀忠に継がせたことに対して怒る資格はないな
0400人間七七四年
2007/05/29(火) 19:05:56ID:8/Go1jxL将軍より上の位である関白になれるのに、将軍にはなれないという根拠が全くないでしょうが、
そもそも関白になれるのに、なぜわざわざ将軍に固執する必要があるの?
>>396
状況や態度が変わった結果関白になっているわけですが?
0401人間七七四年
2007/05/29(火) 19:38:01ID:5NTyLYOwこれは違いますよ
武士が統治した時代は武士=官僚でしかなく
現代の官僚主導体制の基礎でしかない
軍事国家の「軍事」というのは対外的な軍事力を持つ1つの組織が国を支配している体制であって
武家社会は組織もバラバラだし軍事というよりは治安を維持する機能でしかないので
「軍事国家」はあてはまらない
0402人間七七四年
2007/05/29(火) 19:48:55ID:buLmDqX0反論のつもりかな?意味不明
ホントは将軍より関白のほうが上だとは思ってないんじゃないの?
でなきゃこんなスレ立たないもんね、
心理学でいうところの「酸っぱいブドウ」「甘いレモン」だな。
0404人間七七四年
2007/05/29(火) 20:31:21ID:buLmDqX0日本史における将軍という位の位置づけを勉強しなさい。
だいたい官位うんぬん言いだす奴はセンスがなさすぎ、
0405人間七七四年
2007/05/29(火) 20:39:02ID:8/Go1jxL征夷大将軍は辺境派遣軍の司令官。
対して関白は天皇の代理で、
天皇を頂点とする朝廷という組織の中でこれ以上の位はありえない。
つまり、天皇から位を授かるという形式をとる限り、
関白以上の位はありえないんだよ。
0406中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/05/29(火) 20:44:46ID:ZkcJgYLQ任左少将 平秀吉
これでわからない奴はバカということだ
0407人間七七四年
2007/05/29(火) 21:04:43ID:kpIo9jUE横レスなんだけどあなたはなんでなれなかったと考察してるの?
まさか出自卑賤説なんていう噴飯ものじゃないよね。
0408中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/05/29(火) 21:22:22ID:ZkcJgYLQ> 254 名前:中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y [sage] 投稿日:2006/11/17(金) 12:40:08 ID:mC749uDL
> そしてここで敢えて「なれた」「なれなかった」に話を戻すと
> 秀吉の素性だけに限定して将軍職の可能性を考えると「なれた」のではないかと言える
もっと言えば秀吉は将軍になれなかったのではなく
「将軍になる必要がなかった」あるいは「将軍にならなかった」
おk?
0409人間七七四年
2007/05/29(火) 21:28:58ID:W/DFBMtj三職推任問題はは岩沢VS京子がすべてとおもってる奴に、その意味がわかるわけないだろw
ひとしきりループが続いたら適当なところでおまいさんのまとめをまたコピペしてくれ
0410人間七七四年
2007/05/29(火) 21:30:42ID:W/DFBMtj0411人間七七四年
2007/05/29(火) 22:34:20ID:Wrm6sZgL>>395
>教師?もしそうなら生徒が不幸だな、
アフォだ
教職課程取ってれば、一応教育実習はあるが、別に教師の資格持ってて
リーマソやら教職とは関係ない職業に就いてる人間は腐るほどいる。
教育実習=教師
と言っちゃう時点で大学にすら到達してない年齢だな。
0412中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/05/29(火) 22:44:17ID:ZkcJgYLQ> >じゃあ聞くけど、なぜ時の権力者は天皇にならなかったんだ?
> 日本史勉強しろ
> そういや同じ質問を昔中学の教育実習に行った時に中学生からされたな。
> 歴史得意な子なら中学生でもわかるぞそれくらい。
網野善彦も同じような質問されて結構悩んだと書いてたな
0413人間七七四年
2007/05/29(火) 22:44:58ID:MswdVsX+>征夷大将軍は辺境派遣軍の司令官
実質的には国家の首長だろ、関白だって昔の勢いはないし
そんな有名無実なことを言ってどうするんだ?
そんなんだからゲーム脳とかバカにされんだよ。
0414人間七七四年
2007/05/29(火) 22:54:00ID:Wrm6sZgL結局古代中国では自分が皇帝に取って代わり、皇帝がころころ変わる。
日本では武士が力を持つようになってからは天皇に国家運営の主権を認めさせる
公認機関なようなものへと変遷していった。
これは結局、日本は島国であるゆえの単一民族から成り立つ国家であったってのが
大きいんだろうな。
>>413
ID変わったね
国家の首長に名実ともになったのは徳川将軍から。
それまではあくまでも武家の棟梁。
0415人間七七四年
2007/05/29(火) 23:03:35ID:buLmDqX0別に教師だとは断定してないが、だから?やもしそうならと書いている
おまえ人のこと言う前にもっと国語力身につけろよ。
0416人間七七四年
2007/05/29(火) 23:05:35ID:Wrm6sZgLというか、京子ちゃん説持ち上げて他のお前だろ?
さっさと学会での今谷以外の京子説の支持者を教えてくれよ
0417中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/05/29(火) 23:14:34ID:K/IVjFJOどういう了見なのか・・・気にはなる
0419人間七七四年
2007/05/29(火) 23:27:12ID:5NTyLYOwとにかく結論としては
「秀吉が将軍になれなかった」という説は間違いである
という事で一件落着
0420人間七七四年
2007/05/29(火) 23:30:47ID:Wrm6sZgL0422人間七七四年
2007/05/30(水) 00:03:01ID:Ms6uSaLt秀吉が将軍になろうと行動(あるいは指向)した一次史料を示さないと
想像の域をいつまでたっても越えられない。
「将軍になれたがならなかった」というのも想像の域を越えないが、
多聞院日記などを同時代史料として多少検討の余地がある。
0423人間七七四年
2007/05/30(水) 00:16:41ID:mRABLowy俺が聞きたいのは京子ちゃん説を支持するのは少数ではなく、
今は学会でも論争中
という部分に関してだから
0424人間七七四年
2007/05/30(水) 00:26:03ID:28rea3gX史実として関白になれた秀吉が「将軍になれない」という根拠がない
アホ側が提示する「根拠」は、それで将軍になれないのなら関白にもなれないし
史実として三職推任の勅旨が来たはずの信長さえも将軍になれないという事になってしまう
0425人間七七四年
2007/05/30(水) 00:32:43ID:mRABLowy出自やら源氏やらを根拠に出されると盛り上がらんな
0427人間七七四年
2007/05/30(水) 01:47:59ID:EWWQ1OEP↓
義昭が糾弾、秀吉包囲網発令
↓
諸大名が蜂起、織田家中も分裂
↓
秀吉あぼーん
ていうのも有りなら、なれる。
0428人間七七四年
2007/05/30(水) 01:52:38ID:28rea3gX義昭は備後へ逃亡後も全国の諸大名に檄文を送っていたが
誰も相手にしなかった
朝廷が義昭を無視して信長を将軍にしようとしたのも
そういう状態を見てるからだろう
なので「秀吉包囲網」などありえない話
0429人間七七四年
2007/05/30(水) 07:26:59ID:oAZA1dNB確かに実際の権力については、室町時代から関白よりも将軍が上だっただろうが、
どの道実権を取り返すなんてほとんど不可能な朝廷にとっては、そんな事は関係ないんだよ。
別に秀吉を将軍にしなかったことで、少しでも実権が朝廷に戻るとかいうようなことはないのだから。
朝廷としてはどうせ実権を取られままなら、格下の征夷大将軍を与えるだけで済ました方がまだいい。
わざわざ、将軍位を与えるのをあえて拒否して、
名目上まで最上位の関白の位を与える意味は全くない。
0430人間七七四年
2007/05/30(水) 07:43:18ID:oAZA1dNBたかだか辺境派遣軍の司令官程度の位で満足しなければならない必要はない、
むしろ最大の実力者なのだから、可能なら最高の位を手にしたいと考えるのが普通だ。
つまり、位を与える側も授かる側も征夷大将軍にこだわる必要は全くない。
なのになぜ秀吉が将軍に「なりたかったがなれなかった」といえるのか、
またそれが事実なら、朝廷はなぜそこまでした将軍位を与えたくなかったのか、
是非説明していただきたい。
0431人間七七四年
2007/05/30(水) 10:25:09ID:nbNOrJmq征夷大将軍云々には羅山の一文しか無いが、関白就任の過程の史料は多い。
0432人間七七四年
2007/05/31(木) 01:49:22ID:AHithgh7だったらなぜ近衛家の猶子になったんだ?必要ないだろ、少なくとも関白に
なるために使った手法は血統を利用したもの、三職推任とは次元の違う話。
なんか皆勘違いしているみたいだけど近衛家の猶子になるという手段を割りと
当たり前のことみたいに思っているようだが、これってかなり凄いアイデアであり、秀吉を高く評価
すべきことだと思う。
0433人間七七四年
2007/05/31(木) 02:09:45ID:FHvSGncF三職推認は、単に将軍職へのハードルの低さを証明するものでしかない。
関白になるための条件(ハードル)は、征夷大将軍になるよりもはるかに高い。
そのハードルを乗り越えた秀吉が、なんでそれよりも低いハードルを越え
られないと思うのか。
この意味で、秀吉の将軍就任への根拠の一つにはなりえる。
0434人間七七四年
2007/05/31(木) 06:07:44ID:u5KmocW1信長が三職推任で関白を選んだとしても
当然ながら秀吉と全く同じ方法が用いられるだろう
なので三職推任と同じ次元の話
あの手この手で毎日ごくろうさん
0435人間七七四年
2007/05/31(木) 06:51:44ID:7evbhScl藤原家の猶子となって関白に就任したのは事実だが、
それを言うなら、同じ藤原氏で征夷大将軍になった者もいる。
つまり藤原氏に猶子に入れば、なろうと思えば将軍にもなれるということ。
もちろん、わざわざそこまでして関白よりも位として格が下の将軍に固執する必要は全くないが。
要するに、あなたの言っていることは、
秀吉はなろうと思えば将軍にもなれたことの根拠にはなっても、その逆には全くならない。
0436人間七七四年
2007/05/31(木) 11:04:02ID:7n5uDdQ+・将軍が居ても関係ない
・将軍就任には平氏でもなんら問題無い
・将軍就任には実効的な関東支配も必要ない
*もしくは甲信、上総あたりだけでもおk?
・五摂家以外の、それも公家でもない武家が関白になれる可能性を
朝廷自ら示した
こんなもん?
0437人間七七四年
2007/05/31(木) 16:29:20ID:TJCQT35gそれだけの話、それを取り上げて身分にとらわれない社会になった
なんていうのは幻想にすぎない
0438人間七七四年
2007/05/31(木) 16:31:24ID:7n5uDdQ+0439人間七七四年
2007/05/31(木) 16:32:02ID:IApVLAWt0442中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/05/31(木) 20:12:37ID:UvFct8SN色々書きたいがどうせ書いても読まないだろうからそろそろ次の話題にいこうぜ
0443人間七七四年
2007/06/01(金) 22:26:46ID:Uj9yEOTkする馬鹿がくると思うんだけど。
0444人間七七四年
2007/06/02(土) 11:20:49ID:vOBRtyU3生まれとかならあれだけ実力があればなれるだろう。
でも、秀吉は義昭の力の無さを見て偏見をもっちゃったから
将軍になるって言う発送をもてなかった。
将軍って言うのはなってそんな損なものじゃないのに
将軍になりたいと思えなかったから秀吉は将軍になれなかった。
極端な話、前例は無いけどあれだけ実力あるなら関白と将軍を兼ねて、
関白将軍でも良いんじゃねえの?とか思うんだけどどうなんだろ。
0445人間七七四年
2007/06/02(土) 11:43:41ID:t3P/AMMoどこに発送したの?
0446444
2007/06/02(土) 11:50:42ID:vOBRtyU3発送→発想
発送の方ばっかり良く使うからナチュラルに間違えた。
0447人間七七四年
2007/06/02(土) 14:00:49ID:PQowuQDz0448人間七七四年
2007/06/02(土) 14:09:27ID:IL1O2MJP「関白様」とお呼びしたらいいのか「将軍様」とお呼びしたらいいのか
三成、困ってしまいまするぅ
0449人間七七四年
2007/06/02(土) 14:21:25ID:PQowuQDz0450人間七七四年
2007/06/02(土) 16:19:03ID:Q+4ECiRi将軍になってれば秀頼も将軍になれたのにね
じゃあ秀頼は関白になれなかったの?
0451人間七七四年
2007/06/02(土) 17:15:59ID:pqAiD/Ef関白も継げてたと思うんだがどうか
0452人間七七四年
2007/06/02(土) 17:30:20ID:e2MJgF7Y確かに秀頼を関白にしなかったのはなぜか分からないなあ。
あまりに幼すぎたのが問題だったのだろうか?
0453人間七七四年
2007/06/02(土) 18:06:48ID:suR4JnQg天皇の補佐って名目なんだから
0454人間七七四年
2007/06/02(土) 18:08:26ID:pqAiD/Ef0455人間七七四年
2007/06/02(土) 18:10:58ID:suR4JnQg誘ってたし、成人したら関白ってプランだったんでしょ
0456人間七七四年
2007/06/03(日) 07:25:39ID:9p36JWCC長く政権を維持しようとすれば、幼君を擁立しなければならない場合もありえるし、
そういった際に君主の権威を保障する位に就くことが出来ないとなると、
「権威ある位」の意義が薄くなる。
豊臣政権の場合は二代目で早くもそうなってしまったわけだが。
0457人間七七四年
2007/06/03(日) 07:40:09ID:KJxKq2zx秀吉が死んだ後も豊臣政権がそのまま安定すると朝廷が予測するような情勢だったら
幼児でも継げたかも知れないわけで
結果論で「失敗だった」と言われてもね
0458人間七七四年
2007/06/03(日) 08:00:37ID:DDyDJxiK関白の最大の問題は天皇一代に附属した職ということだろうな
0459人間七七四年
2007/06/03(日) 08:10:02ID:LhlJpexAいわば「豊臣氏の氏長者」に政権執行者としての役割を持たせようとしたんじゃないか
秀次粛清以後は関白も空席になるが、秀吉が関白に復職して政務に当たったかというとそうでもない
0460人間七七四年
2007/06/03(日) 08:26:52ID:9p36JWCC天皇の補佐だから、という理由で幼児が継げなかったのなら、
政権が安定していようとそうでなかろうと、
幼児は関白になれないって事になってしまうでしょう。
将軍の場合は幼児でも位についた前例はあるが。
0461人間七七四年
2007/06/03(日) 08:33:05ID:9p36JWCCどうしてもと思えば、前例なぞ無視して幼児だろうと何だろうと、
関白にしてしまえば良かったのだろうが。
それをしなかったということは、やはり別の政権構想があったのかね。
0462人間七七四年
2007/06/03(日) 10:58:52ID:LhlJpexA「藤原秀吉」として任官されてるわけで、一応それなりの手続きは踏んでる
太鼓持ちの大村由己に命じて「関白任官記」みたいな怪文書配らせて
せっせと自分の出自を捏造してたのもこの頃
朝廷の権威を後ろ盾に全国統一とその後の政権運営をやってきた豊臣家にとって
あんまり朝廷の先例とやらを蔑ろにするのは賢いやり方じゃない
0463人間七七四年
2007/06/04(月) 18:11:12ID:pyIbY5gm秀頼を関白にしてしまった方が良かった気はする。
確かに無理筋ではあるんだけど、偶には無茶も必要だよ。
0464人間七七四年
2007/06/04(月) 19:28:25ID:CNr7d47V0465人間七七四年
2007/06/04(月) 21:13:33ID:k3zF2+Yn0466人間七七四年
2007/06/04(月) 21:20:50ID:kryo2HfE秀吉相手に断固抵抗する気概はなかったと思うが・・・。
しかし、秀次粛清で政権が動揺している直後に、
朝廷に対して無理なごり押しをするのはさすがに躊躇ってもおかしくないか?
どっちみち、秀頼を関白にしようとしたようなことを示す資料もなさそうだし、
推測の域を出ないわなあ。
0467人間七七四年
2007/06/06(水) 05:39:05ID:gsKslL7v「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と書いてあった
ウソビアじゃねーか
0468人間七七四年
2007/06/06(水) 18:17:48ID:x5GfRTZ2「信玄の死因」を検証するページに「鉄砲傷」が含まれてるのがあった
黒沢明の映画「影武者」で、外国人が見ても分かりやすい映画作りのために
信玄が突然死ななければならなかったから、鉄砲で撃たれて死んだという話を創作しただけなのに
0469人間七七四年
2007/06/06(水) 18:26:59ID:gIv8gIly君もいい加減なことを言うなよ
0470人間七七四年
2007/06/06(水) 19:04:37ID:5B02IoSeコラムで普通に秀吉が義昭に養子の申し出をしたが断られたので
仕方なく関白になったみたいな記載もあったなぁ
0471人間七七四年
2007/06/07(木) 07:05:47ID:1ESmyzJQどっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
一般に流布している俗説だから、
むしろ実は将軍になろうとしたことを示す同時代の証拠は全くない、
という方がトリビアと言えるでしょうね。
0472人間七七四年
2007/06/07(木) 07:10:46ID:JJBla47o0474人間七七四年
2007/06/07(木) 17:00:02ID:bYAJXOiN>どっちかというと「秀吉は将軍になろうとしたがなれなかった」と言う方が、
>一般に流布している俗説
それは初耳だった
いつからそんなデマが広がったんだろうか?
0475人間七七四年
2007/06/07(木) 18:22:14ID:ZFbqHhX6御用学者のヨイショだけじゃなく紫衣事件等で
公家の扱いが悪かったからなぁ
京に住む民衆ならともかく幕府が証人喚問で呼び出した
高位の公家なんかを江戸市民は目撃してるし
0476人間七七四年
2007/06/07(木) 18:58:20ID:1ESmyzJQそういう俗説を知らなかったならむしろ幸運だと思うが、
まあ要するに江戸時代の御用学者が徳川家の権威を高める為に流布した説。
「秀吉は将軍になりたかったがなれなかった、
しかし家康はその将軍になれた(だから将軍家の方が尊い)」というような論法。
こういう背景があるからこそ、このスレなどでも、
繰り返し「なりたかったがなれなかった」派が現れる。
私自身、関白という位の意味や、藤原氏も将軍になっているという事実を知るまでは、
この俗説を信じていた。
今にして思えばずい分恥ずかしいことをしていたものだと思う。
0477中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/06/07(木) 21:05:35ID:GVm6P585ほぼ一次と呼べる史料に基づいて編纂された史料集覧や大日本史料と呼ばれるような
いわゆる「通史」には征夷大将軍における秀吉の猟官運動については一切記されていないし
もちろん当代の朝廷に近かった公家どもの日記にも一切記されていない
これを前提としてもう一度整理してみるが
一般に流布されてきた"俗説"とは何だったのかそれはどのようなものだったのか
1.「秀吉は正親町天皇からの将軍要請を辞退した」(多聞院日記)
この説の信憑性については>>173および>>171で否定しておいた
2.「秀吉は足利義昭から将軍職を断られた」(豐臣秀吉系譜)
豐臣秀吉系譜については原本および著者・林羅山が書くにあたって根拠としたソースの記述もない
ただ徳川史観で編纂された「後鑑」の中に綱文があり「林はこう書いている」とあるだけ
実際に秀吉は将軍に任官されなかった。位人臣を極めた「あの秀吉が」である。
あれほどの権力を持った秀吉が何故将軍にならなかったのかあるいはなれなかったのか
(なれなかった、については俺様の上のほうのレスで否定しているが)
このスレでも書かれているが史料がない以上推論に走るほかなく
当時はこのスレ以上に人々は色々と噂し、納得いく答えが欲しかったはずである
ま、その結果として俗説が生まれただろうことは容易に想像できるわな。
こうした俗説は根拠がないから俗説であって、こうして紐解いていけば考えら得る着地点としては
「秀吉は将軍には な ら な か っ た 」という状況証拠と
「秀吉は将軍になる必要がなかった」という比較的妥当な推論を得られるだけ。
史料を読み込む+αの限界がこの辺りだろうな
史学的検証を付け加えるなら
「だからといってこれらの俗説を否定するに足る史料はないわけで俗説を完全に否定することは出来ない」
という補足を付け加えればもう充分だろう
0478人間七七四年
2007/06/07(木) 23:34:38ID:HY3gWJG80479人間七七四年
2007/06/08(金) 02:52:39ID:XOv8koLQではみなさんよいお年を!
0480人間七七四年
2007/06/08(金) 16:22:36ID:7qts7ivA↓
0481人間七七四年
2007/06/08(金) 16:51:58ID:tadxIQR6今週のって事は一週間がんばらにゃならんのか。厳しいね。
0482人間七七四年
2007/06/08(金) 16:57:56ID:tadxIQR6逆に関白って言うのはでかくて質の良いダイヤみたいなもんだな。
錆びた刀なんて誰が欲しがる?錆びてるんじゃ切れもしないぜ。
ダイヤだったら見せびらかせるし、綺麗だぜ。
ただ、カタナはちゃんと研げば名刀に戻るし名刀に戻れば人を脅せるし、人を殺せる。
秀吉はカタナを研ぐって言う発想がなかったから将軍にはならなかった。
家康は錆びた刀を研ぎなおしてちゃんと武器に戻した。
まあ、ダイヤだってちゃんと工業利用すれば恐ろしい武器にはできるんだけどね。
あと関白も関白の権限を利用すればいろんな事が出来たと思うけど、
秀吉はそれほど、無茶をしてない気はする。勿体無いなあとおもってしまうよ。
by 今週の当番
0483人間七七四年
2007/06/08(金) 23:54:08ID:McG/t/5K天才のオレ様が正解を教えてやろう
秀吉は信長の家臣だった頃に
将軍の命令を聞かない勢力・将軍の指揮下にない勢力と
死闘を繰り広げていたので将軍になっても価値は低いと考えたんだよ
将軍の言う事を聞かないやつでも天皇の命令は聞いたので
秀吉は天皇になろうと思ったけどなれなくて関白になったんだよ
分かったかクズどもwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0484人間七七四年
2007/06/09(土) 00:04:24ID:0YxFTYHP0485人間七七四年
2007/06/09(土) 15:23:09ID:hDw4+IBC当時としては何の役にも立たない役職だった
関白なら朝廷にも寺社にも役に立つ肩書きだし
一揆衆を抑えるのにも重要な役職だよ
だから秀吉は天皇になれなくて関白になったんだよ
0486人間七七四年
2007/06/09(土) 19:50:55ID:St4IjpWF0487人間七七四年
2007/06/09(土) 20:07:44ID:5jZdbu7mとりあえず、あえて兼任する必要はなかったってところでしょう。
現代から見ると、大成功といってよい徳川家の例があるので、
どうせなら将軍職もあった方が良かっただろうと思えるが、
秀吉の時代では、関白になれた以上あえて将軍に固執する必然性はない。
0489人間七七四年
2007/06/09(土) 23:48:05ID:KC9muJNF逆は知らないなあ。
0490人間七七四年
2007/06/15(金) 20:27:52ID:PuuWtRhB0491人間七七四年
2007/06/16(土) 10:51:48ID:d8OiOz6s関白だろうが将軍だろうが、通過点だからどっちでもよかったんじゃないかと。
0492人間七七四年
2007/06/16(土) 22:43:48ID:l0b9BP9v0493人間七七四年
2007/06/17(日) 11:29:57ID:nfOjJkgv>信長が神を目指していた
何、その俗説
0494人間七七四年
2007/06/17(日) 15:10:28ID:eKPatP3F信長と十字架でそんなこと言ってる
0495人間七七四年
2007/06/20(水) 19:54:57ID:lpAdTCHfhttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1180987995
0496人間七七四年
2007/06/20(水) 22:42:38ID:KJaHkfPx0497人間七七四年
2007/06/22(金) 21:01:37ID:r8lMBCPJ0498人間七七四年
2007/06/22(金) 21:18:08ID:1acEpLfi0499人間七七四年
2007/06/22(金) 21:27:16ID:Y+AvN12R0500人間七七四年
2007/06/23(土) 10:47:44ID:XI3ulFIj0501人間七七四年
2007/06/23(土) 11:57:12ID:12A8MZr40502人間七七四年
2007/06/23(土) 12:26:23ID:hA68/0hX別格官幣社建勲神社がそう
0504人間七七四年
2007/06/23(土) 23:22:44ID:3urGudOm0505人間七七四年
2007/07/02(月) 16:26:40ID:+CowluRHそりゃ豊臣政権が10年そこらで終わったからだろう。
多分、江戸幕府みたいに250年以上続いたら話が違ってくる。
0506人間七七四年
2007/07/02(月) 22:22:50ID:rn2RBlJR0507人間七七四年
2007/07/06(金) 14:52:50ID:yVske4Y7これにて一件落着
0508人間七七四年
2007/08/30(木) 23:09:15ID:lEshouPl0509人間七七四年
2007/09/02(日) 16:36:39ID:NDjtAt1y近衛家の猶子になったから関白になれたんだろうが、
なんで関白でも将軍でも好きな方を選べたとか言ってるんだ?
羅山の話が事実かどうかは別にして将軍になりたければ足利家の猶子
になるというのは方法論としては妥当だと思うが
考え方じゃないか、
0510人間七七四年
2007/09/02(日) 19:27:36ID:THZSVviu足利源氏の血統を必要とする理由なんてどこにもないだろ
0511人間七七四年
2007/09/03(月) 01:47:58ID:fNQnbivM室町幕府は15代に渡り世襲できてるんだが・・・
>足利源氏の血統を・・・
それは関白にもいえる、少なくても室町時代は足利家が独占
していたわけで、関白よりもなれる家が限られていた
0512人間七七四年
2007/09/03(月) 02:32:49ID:RwE9UqEF関白も藤原家代々の世襲と言えてしまうな。
0513人間七七四年
2007/09/03(月) 02:40:11ID:gKmnvfRn関白の持ち回りは世襲とは言わないよ
0514人間七七四年
2007/09/03(月) 06:51:45ID:8Zvp6tUc0515人間七七四年
2007/09/03(月) 07:10:26ID:r7ag2ErHつーか、別に征夷大将軍なりたきゃなればいいのよ
坂上も藤原も皇族もなってんだから今更源氏にこだわる必要ない
それこそ関白みたいに強引に猶子になる必要ナシ
0517人間七七四年
2007/09/03(月) 08:40:31ID:clqpU5Cn秀吉様は家康をことのほか嫌っていた。
予知能力の有る秀吉様は家康が将軍となることを見越しておられた。
そのため将軍よりは上位である関白となった。
0518人間七七四年
2007/09/03(月) 08:42:18ID:WWbPu6gR前例を残したくなかったからだろう
武家の棟梁なんだから
0519人間七七四年
2007/09/03(月) 09:38:13ID:sxlEWFa6前例を残したかったからだろう
人臣の最高職なんだから
0520人間七七四年
2007/09/03(月) 20:28:15ID:fFxGbn2t>になるというのは方法論としては妥当だと思うが
足利家の猶子になって将軍になった者など一人もいないのに
どこが妥当なのか説明くわしく
0521人間七七四年
2007/09/03(月) 21:59:14ID:gKmnvfRn0522人間七七四年
2007/09/03(月) 22:57:23ID:fFxGbn2t関白になるための手続きとして
摂関家の養子になるという方法を取ったのはいいとして
(これも当時としては物凄い荒技だが)
それと同じ手続きが将軍職に就くためにも必要だという根拠がないわけで
その辺の説明を一切拒否して「とにかく必要だ」という意見はおかしくないですか
0523人間七七四年
2007/09/03(月) 23:07:14ID:RwE9UqEF足利の猶子もなにも・・・
0524人間七七四年
2007/09/04(火) 02:43:25ID:HcJ0urse0525人間七七四年
2007/09/04(火) 03:37:08ID:dwm9yD1Y大きな影響があっただろう
最低でも武家の子なら将軍職になれたと思う
0528人間七七四年
2007/09/04(火) 16:52:21ID:dhu4wwgi平氏の信長でもなれたんだから源氏捏造は関東支配の為だろ
0529人間七七四年
2007/09/04(火) 19:45:00ID:K44Ze+4l強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ
源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
0530人間七七四年
2007/09/04(火) 19:56:11ID:lOBr6qYV血筋が大切なら、天皇の外戚である藤原氏以外は、
かつて一度も就任していない関白になる方がよっぽど大変なことだが。
もちろん、藤原氏の養子になったからこそ可能だったわけだろうが、
それだったら同じ藤原氏は将軍にもなっているのだから、
どうしても将軍になりたかったなら、藤原氏の養子から将軍になっても良かった。
それをしなかったのは、やはり将軍より関白の方が良いと思ったからだろう。
0532人間七七四年
2007/09/04(火) 21:39:13ID:k438Zw7O織田信長の最高位が右大臣でそれを超える官位として関白の方が良いに決まってる
家康は関が原当事は一応豊臣家の家老という建前なので関白にはつけない
となれば征夷大将軍の方を選んだ
と簡単に思ってたんだが違うのかい?
0533人間七七四年
2007/09/04(火) 21:46:47ID:K44Ze+4lそれでいいと思うよ
加えて言うと、秀吉が関白になったくらいの時代はまだ治安が安定していなかったんだけど
治安を安定させる力は将軍職にはなかったんだよ
将軍は「武家のトップ」でしかないので武家しか統治できず
一揆や寺社には力が及ばなかった事を信長配下の秀吉は実感している
本願寺は将軍の命令は聞かなかったが天皇の命令を聞いて石山寺から撤退した
0534人間七七四年
2007/09/05(水) 06:11:37ID:fEkGu5JZようするに秀吉はアホ
0535人間七七四年
2007/09/05(水) 07:37:28ID:8nnUY8QY0536中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/09/05(水) 23:16:39ID:0healmVw俺様を完全にディスってるとしか思えないなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
信長横死後に秀吉に必要だったのは何だったのか?
それに対する俺様の推論(>>250)がすべてを現しているだろうがッ!!!111!!
秀吉が可及的速やかに行わなければならなかったのは信長の継承者としての地位
他社の圧倒であり越官、そして彼を取り巻く公武門跡に対して戦略的優位に立つことに他ならない
つまり自己の政権統制に必要な関白とか将軍という官は秀吉躍進の初期段階にはさしあって必要ないのだよ。
0537人間七七四年
2007/09/06(木) 01:06:54ID:eBtTSmUB0538人間七七四年
2007/09/06(木) 01:08:06ID:eBtTSmUB0539人間七七四年
2007/09/06(木) 02:02:11ID:QeBr1QiR少なくてもまったくの間違いだとは言えないと思うが
今まで関白不在が語られていないのが不思議としか言いようがない、
0540人間七七四年
2007/09/06(木) 03:17:09ID:pYfTzWGz秀吉を摂関家の養子にするよりはずっと簡単な手続きはなず
0542人間七七四年
2007/09/06(木) 08:37:44ID:yEcQYYcJ徳川三河守任官時がそうじゃないか
0543人間七七四年
2007/09/06(木) 14:33:24ID:AQeyfTPA強大な権力者が朝廷のしかるべき地位に就いてくれて
朝廷を保護した上で国内が平穏になってくれればいいんであって
せっかく平和になろうとしてる時にその機会を朝廷が潰したと言われたりとか
強大な権力者の力だけで朝廷と関係なく平和になっちゃったとか
そういういう事態になったらそれこそ朝廷としては立場がない
朝廷は秀吉や家康が欲しがる地位をやればいいんだよ
源氏が平氏が足利がと言ってるヤツは
そういう当時の朝廷の立場とかを考えた事が一度もないだろ
0545人間七七四年
2007/09/06(木) 20:57:56ID:YSZnfj2y実際の力関係が上の人間から言われれば、どっちも本人がうんと言う必要もないわな
で、秀吉が勤皇よりの人間だったから天皇の権威と別の権威を
はっきり打ち上げることになる将軍職を嫌った可能性は無いのかな?
あくまで天皇の政府を取り締まる関白と
あきらかに天皇とは違う政府を作る将軍との違いね。
0546人間七七四年
2007/09/06(木) 21:33:31ID:d6SDYOIt関白になっても同じことが出来るし実際に同じ事をしてるわけだが
0547人間七七四年
2007/09/06(木) 21:54:16ID:YSZnfj2y天皇の朝廷の実権握るのは別じゃないのか?
それと、天皇に専制させなかったから勤皇はありえないと言ってるのか?
勤皇論者はみな天皇の専制を望んでいると思うのなら朱子学を学べ
0548人間七七四年
2007/09/06(木) 22:33:02ID:xEiwhhet0549人間七七四年
2007/09/06(木) 22:37:08ID:YSZnfj2y幕末の勤皇活動のイメージと一緒にされたら理解できないのは当たり前
0550人間七七四年
2007/09/06(木) 22:59:45ID:BxCJoqmrそれなら将軍は都合悪いかもね。鎌倉にしても室町にしても朝廷と対立して成立してるから
0551人間七七四年
2007/09/07(金) 00:09:48ID:Cq6yagvz朝廷の役職にない奉行だの大老だのを作って運営してたしね
0552人間七七四年
2007/09/07(金) 00:10:41ID:Cq6yagvz0553人間七七四年
2007/09/08(土) 07:33:07ID:Zfql/o5O>>551もいうとおり、実際の秀吉は封建制と奉行を用いた統治を行っていて、
実質的には豊臣家の政治機構を作っただけだしね。
関白は人臣の最高位だからそれを目指すのは至極当たり前だし、
そのことだけで勤皇の志があったという根拠とは言えないと思う。
0554人間七七四年
2007/09/08(土) 09:05:34ID:Zfql/o5O今まで関白不在が語られていないのが不思議としか言いようがないって、
当時は関白空位ではありませんが?
秀吉が関白になるまでは、二条昭実が関白職に就いていました。
0555人間七七四年
2007/09/29(土) 11:36:10ID:TKx2UVTnこれなんかもう劉備が孔明に託した遺言のパクリだろ
羅山がアホ以外の何者でもない裏返しだな
で、義昭に断られたってのも真っ赤なウソだな
0556人間七七四年
2007/10/01(月) 15:14:43ID:hsRvHRMI0557中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/10/02(火) 00:43:36ID:kZdB+h9x0558人間七七四年
2007/10/05(金) 21:06:47ID:VcD1vkFk0559人間七七四年
2007/11/05(月) 23:32:25ID:WA6z2++q誰か出張してこないかw
0560人間七七四年
2007/11/07(水) 19:13:33ID:BSi4hnSH0561人間七七四年
2007/11/07(水) 21:12:23ID:sShaaCzU0562人間七七四年
2007/11/10(土) 09:04:58ID:+2ervALy0563人間七七四年
2007/11/10(土) 11:18:08ID:8P38u0uNすでに内大臣で右大臣以上は欠員、官職ではすでに最高位で
関ケ原以後すぐにでも関白になれる条件にあったのになんで?
0564人間七七四年
2007/11/10(土) 17:05:01ID:zjzuNyaK0565人間七七四年
2007/11/10(土) 17:55:28ID:f4+DBEWS家康が関白になると「秀吉の政権を家康が引き継ぐ」という意味になってしまい
秀頼(右大臣)やその家臣との関係に影響してくるから
0566人間七七四年
2007/11/10(土) 18:58:48ID:+2ervALy0567人間七七四年
2007/11/10(土) 19:35:24ID:P0YILm4C0568人間七七四年
2007/11/10(土) 20:22:54ID:8P38u0uNあきらかに家康の後押しがあったからだろ
0569人間七七四年
2007/11/10(土) 22:05:24ID:2sLtwOOu0570人間七七四年
2007/11/10(土) 23:29:58ID:k4KRhzYY豊臣家への欺瞞作戦みたいなもんだろ
本気で次代将軍は秀頼に継がされると思ってたようだし。
0571人間七七四年
2007/11/10(土) 23:33:40ID:eLqDZB0h0572人間七七四年
2007/11/10(土) 23:44:14ID:JPh2rLVM将軍秀忠は内大臣、秀頼は右大臣
0574中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/11/12(月) 21:28:33ID:XzpZyjyv朝廷は関ヶ原後家康の将軍就任の後までも秀頼に関白となるための官位周旋を行ってる
いわば家康と秀頼を両天秤に掛けていたつうのは補任でも読めば一発回答だけどな
0575人間七七四年
2007/11/12(月) 23:49:05ID:lN8I8y0a0576人間七七四年
2007/11/12(月) 23:59:23ID:aHhGdzG+0577人間七七四年
2007/12/18(火) 16:21:24ID:OSLdGqBF0578人間七七四年
2007/12/18(火) 18:37:31ID:Ji78tScM0579人間七七四年
2007/12/18(火) 19:27:11ID:L9QiqqOo0580人間七七四年
2007/12/18(火) 19:43:57ID:skvuMiceそういう見方もあるかも知れないけど
秀頼が大人になるまでの間、関白という肩書きを与えてムゲに殺されるのを防いで
なおかつ豊臣家を温存する事によって将軍家の専横も抑えてやろうという高度な判断だと思う
0581人間七七四年
2007/12/18(火) 20:27:16ID:S5GUITze両天秤もあるけど、京都は大坂に近いから豊臣家の影響力が強く残っていたんだと思う
公家たちは、よく大坂へ下向している
0582人間七七四年
2007/12/18(火) 20:35:21ID:rI9KUh+2一部公家も味方につけてたし。
0583足利末裔
2007/12/18(火) 20:57:29ID:m94yiu0B0584人間七七四年
2007/12/19(水) 00:15:01ID:10UYR4SB将軍は、武家の棟梁でしかないから、
朝廷で実権を握るのが一番と考えたんだろうな。
秀吉が健在の頃は、まだ不安定な状態で、
仮に将軍になっても、朝廷次第でどうなるか解らない状態だったから
平家と同じ形で国を納めたかったんだろな。
0585人間七七四年
2007/12/19(水) 01:02:23ID:bsQfLUBV0586人間七七四年
2007/12/19(水) 03:15:51ID:ZXYoKBMd0587人間七七四年
2007/12/19(水) 05:20:19ID:PKimy9mJ関白になれるのに将軍が無理なわけないだろ。
朝鮮に大量の武士を動員できるほどだぞ。何でも意のまま思いのままです。
0588人間七七四年
2007/12/19(水) 07:43:26ID:bsQfLUBVはいはい、リアル厨は夜更かししちゃダメよ
図書室で「武家の棟梁」でちゃんと勉強しなさい
0590人間七七四年
2007/12/19(水) 15:17:28ID:3kW5vn/D0591人間七七四年
2007/12/19(水) 21:59:35ID:VFXTuqy+>>586は釣りなんじゃあないの?
いくらなんでも・・若干なり歴史語る板に出没するなら
「武家の棟梁」の棟梁を頭領
と読み替えるなんて馬鹿なこと普通しないだろ?
0592人間七七四年
2007/12/19(水) 22:02:18ID:VFXTuqy+と書く御大が。
間違えても無理ないかも。
誰とはいわないが
戦国の長島巨人軍の作者とだけいえば・・
0593人間七七四年
2007/12/20(木) 01:00:18ID:pnNGQ/9Qなぜなら過去レスにも同じような内容があるから
そう思いながらも釣られてしまうこの快感
0594人間七七四年
2008/01/10(木) 22:04:59ID:5ClO2bpH最初から読ませていただきましたが、みなさん勘違いをなされているようです。
頼朝以降、武士が征夷大将軍になるには清和源氏でないといけないという総意が形成されたことは史実です。
ただし、ただの清和源氏ではなく清和源氏の嫡流の血筋が求められました。
現職の将軍であり、清和源氏の嫡流の足利義昭がいるいじょう秀吉は義昭の養子になるか
義昭に匹敵する源氏の家の養子にならなければ朝廷から将軍には任じられなかっただろうと思われます。
義昭に養子縁組を拒否された秀吉が近衛家の養子という名目で関白に任じられる道を知り
近衛家が養子縁組を許可したので秀吉は関白になりました。
源氏ならば誰でも将軍になれるというのは誤解です。
足利将軍がいるいじょう、その養子になるか足利氏に匹敵する源氏の血筋である
新田氏などの子孫として朝廷に認められない以上
将軍には任命されません。
0595人間七七四年
2008/01/10(木) 22:47:33ID:JtmaumZW|
∩___∩ |
| ノ _, ,_ ヽ (( | プラプラ
/ ● ● | (=)
| ( _●_) ミ _ (⌒) J ))
彡、 |∪| ノ
⊂⌒ヽ / ヽノ ヽ /⌒つ
\ ヽ / ヽ /
\_,,ノ |、_ノ
0596人間七七四年
2008/01/10(木) 23:00:31ID:GXhpT3XP本当に最初から読んだなら、
当然頼朝以降である、鎌倉幕府の4代・5代将軍が、
藤原氏出身だと分かるはずなんだけどね。
0597人間七七四年
2008/01/11(金) 02:10:28ID:oKW8g+TO>>594は、みんなに褒めてもらいたいばっかりに
彼なりに一生懸命努力して書きこんだんだから
あんまりいじめちゃ可哀想だよ。
知的に恵まれない不憫な子は、
社会全体が温かい眼で見守ってあげないとね。
0598人間七七四年
2008/01/11(金) 03:03:22ID:5Tl3pBm70599人間七七四年
2008/01/11(金) 07:32:48ID:GVNuBKolさらに言えば四代将軍に頼経が選ばれたのも頼朝との血縁によるものであって
武士の中で源氏が尊ばれていたのは事実。
0600人間七七四年
2008/01/11(金) 12:15:22ID:Ul/Bet71将軍は朝廷から任命されてなるし 官位も低くてもなれる
まぁ公家を抑えるって意味もあって関白になったのかもね
0601人間七七四年
2008/01/11(金) 12:58:54ID:roFw4BLQ0602人間七七四年
2008/01/11(金) 13:20:45ID:twhmFZog条件なんか関係ない。
坂上田村麻呂もなったじゃないか
0604人間七七四年
2008/01/11(金) 17:44:31ID:duwOCYV4ぶっちゃけ征夷大将軍なんて朝廷の都合で任命してるだけだから資格なんて語っても仕方ないんじゃ?
0605人間七七四年
2008/01/11(金) 21:26:39ID:o5FcyLBd4代5代は源氏として将軍になりました
藤原氏として武士の棟梁になったわけではないです
>>599さんは博識
摂家として迎えられたわけでなく清和源氏宗家の継承者として迎えられました
0606中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/01/11(金) 22:00:48ID:quac3uqx>>605
吾妻鏡嫁
寛元二年甲辰 征夷大將軍從三位行左近衞權中將藤原朝臣頼嗣
0608人間七七四年
2008/01/15(火) 15:27:14ID:MBh7MvLtたしかに甲信地方は関東の範疇なわけだ
0609人間七七四年
2008/01/15(火) 22:28:01ID:2P9niP+s南関東が徳川の領地になったのは北条家滅亡後
しかも秀吉の配下として南関東に領地替えになった
つまり、南関東が徳川家の領地になった時点で
関東は秀吉が支配している事になる
0610九條前関白太政大臣従一位准三后藤原朝臣具経 ◆1Ixlm5F0XU
2008/01/15(火) 23:37:08ID:06K0BNHP>>220あたりで昔回答した気がする
つかループしてんなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0611九條前関白太政大臣従一位准三后藤原朝臣具経 ◆1Ixlm5F0XU
2008/01/15(火) 23:38:30ID:06K0BNHP>>608
>>220>>239な
0612人間七七四年
2008/01/21(月) 14:54:55ID:upE5arVh代々安定した政権を運営したという歴史を知ってるからこそ出てくる疑問。
そもそも信長や秀吉に幕府を開くという意思があったのかどうかすら疑問。
0613人間七七四年
2008/01/21(月) 22:47:16ID:wyRSaD+20614人間七七四年
2008/01/22(火) 04:27:52ID:aQls1zoq幕府は存在していなかったよハゲ
0615人間七七四年
2008/01/22(火) 05:44:18ID:lxtp24R1義昭が京にいないだけで幕府の官僚機構は存続している。
0617人間七七四年
2008/01/22(火) 11:14:28ID:1gkkLGgB0618人間七七四年
2008/01/22(火) 21:41:50ID:bYyZkHwPいや、確かに名目上幕府は存続していたが、
官僚機構なんて呼べるものはもはや存在しないでしょう。
義昭存命、幕府存続中にもかかわらず、信長に三職推任がいったということは、
朝廷もその頃には、既に室町将軍や幕府の存在など気にしていなかったということ。
0620人間七七四年
2008/01/24(木) 01:37:22ID:wQ72//Vy官僚機構の存続とまで言えるかどうか。
0622人間七七四年
2008/01/25(金) 16:26:35ID:P5Ef+fqh質問するが
・幕府の定義は?
・室町幕府が消滅したというならば、それはいつ?何を根拠として?
0623人間七七四年
2008/01/25(金) 16:49:25ID:P5Ef+fqh619〇
0624中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/01/25(金) 17:18:59ID:2a6jVjyLその質問はこの論争に似てるな
つか幕府の定義を質問する時点で何かおかしいことに早く気付くんだ!!!!11!!1!
0625人間七七四年
2008/01/25(金) 22:26:35ID:P5Ef+fqh奴が気にくわなかっただげだよ
0626中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/01/25(金) 23:11:03ID:2a6jVjyL奉公衆がどんだけ義昭に付いてったかってことも
義昭がいつ将軍を辞めたかってこともよ
ただ釣り針がでかすぎるわおまえw
0628人間七七四年
2008/01/28(月) 13:19:22ID:m0tpmHSz0629人間七七四年
2008/01/28(月) 13:41:24ID:kfGmQgvv>>622の後者の質問は別だが、前者の質問は大事なことでは
詳しくは読んでないから知らないけど、鞆幕府だっけ、毛利に逃れた義昭が組織してたという体制
あれが幕府残存の機構としていけるんじゃないのか
0630人間七七四年
2008/01/28(月) 14:00:07ID:JJl5Z31B0631人間七七四年
2008/01/28(月) 18:50:45ID:kfGmQgvv>>625
何でコテ付けてるか、考えてみ
またコテをつけることによって、こちらにも対応する術が発生するということも考えてみ
バカは基本的にスルーしたほうがいいと思うよ
どうせレスしたところで反応は目に見えてるんだから
0633人間七七四年
2008/01/28(月) 21:41:36ID:kfGmQgvv「詳しくは読んでないから知らないけど」
それ以前に、いわゆる義昭追放以前から献上米は途絶し始めてるんじゃないのか?
各地荘園も渋り始めてるし、朝廷すらも衰微していってる状況で、幕府が安穏と受け取ってるというのは考えにくいが
そりゃ多少はあるだろうが、それは三好らの権力と結びついた結果じゃないの?
0634人間七七四年
2008/01/29(火) 11:43:04ID:VVI481gq毛利からもらえるから別にいいじゃない?
実際輝元が副将軍になってたし。
0635人間七七四年
2008/01/29(火) 12:34:12ID:AKvmP9920636人間七七四年
2008/01/29(火) 14:10:47ID:jROk0z+Jすでに実力で権威を付与する立場にのしあがってきた信長秀吉が
その幕府の後を襲う形にこだわる必要はまったくなかった。
義昭が将軍位にながくとどまっていたのは結果論にすぎない。
0637人間七七四年
2008/01/29(火) 15:38:39ID:dJiIyK520638人間七七四年
2008/01/29(火) 18:15:30ID:A8YyDqFFその権利の切り売りがあったからこそ信長は義昭を将軍のままにしておいた
のではないのか、だから結果論ではないと思う。
0639人間七七四年
2008/01/29(火) 18:41:08ID:DL/iaobW将軍職を解任する権限を持っているのは朝廷なんだけど
朝廷もわざわざ解任する必要もないという判断であえて解任しなかっただけで
実質的には他国に亡命した時点で何の将軍としては終了してる
0640人間七七四年
2008/01/29(火) 19:10:00ID:+qcodhdK前は追い出した方が新しい将軍立てたり、追い出された将軍を引き取った方が
その亡命将軍推したてて上洛したりしてた。将軍位にまだ権威や利用価値が
あったからね
0641人間七七四年
2008/01/29(火) 21:41:29ID:jROk0z+Jそのとおり。信長が室町幕府の権威をまだ必要としていたなら、
足利氏の別の誰かを再び擁立すればよいので、義昭をとどめておく必要はない。
義昭の存在が将軍就任の障害になるなら、そもそも「三職推任」問題はおこらなかった。
0642人間七七四年
2008/01/29(火) 22:39:13ID:0uoRheSDまあ、その通りでしょうね。
室町将軍の権威が未だに必要だったなら、今までどおり新しい将軍を擁立すればいい。
それをしなかったのは、既に信長はそんなものは必要ないと判断していたからといえる。
そして、その後も拡大を続けたことを考えれば、その判断は正しかった。
また、将軍位を与える側の朝廷も、三職推任を行っているということは、
義昭の存在などあまり気にしていなかったということ。
0643人間七七四年
2008/01/29(火) 23:06:20ID:uq09WYOJ必要ないなら、処分するなり、追放するなり手段はあるが、実際はしてない
はてさて、641、642の理解だとどうなるの?
0644人間七七四年
2008/01/29(火) 23:58:47ID:UUq3K+i01572年に将軍家の嗣子として誕生するが、翌年に父・義昭が織田信長により追放され、
義尋は人質として信長の監視下に置かれていた。
義昭が豊臣秀吉に帰京を許された時に義尋も大乗院の法嗣として入室する。
義尋は大僧正に任じられるが、やがて還俗して足利高山と称した。
高山は二人の男子をもうけ34歳で没した。
http://www.johokan.net/history/Rekishi/blood/contents/ashikaga.html
0645人間七七四年
2008/01/30(水) 02:16:37ID:n5EHfKtg>処分するなり、追放するなり
処分や追放する価値(必要)さえ無いというほど無価値だったという可能性と
何らかの利用価値があったから手元に留めておいたという真逆の可能性があるな
0647人間七七四年
2008/01/30(水) 06:24:01ID:RAT9lT0W不要だと言う人は彼が畿内を支配するための大義名分は何だったと
いうんだ?
0648人間七七四年
2008/01/30(水) 07:55:20ID:7ZpY3YIr前者に関してきっぱりと否定する
信長の近畿平定の障害になって、今後も騒乱の旗印になりかねない将軍の遺児を無価値って
北条でも義氏を飼い殺していたぐらいで
0650人間七七四年
2008/01/30(水) 21:59:05ID:cpmCfntJまぁ、これで義昭黒幕説は否定出来るけどな。
0651人間七七四年
2008/01/30(水) 23:01:46ID:MEqRFkPs「騒乱の旗印になりかねない」というのなら、何故そもそも現役の将軍を放置したのか?
将軍の息子よりも、現将軍の方がはるかに名分としては上だろう?
信長の名分については、朝廷を握り足利に変わる武家政権の執行者と認定されている。
0652人間七七四年
2008/01/30(水) 23:16:57ID:RAT9lT0W権威の裏付けが必要になるということ、
最高位は右大臣しかもすぐに辞しているということをお忘れか?
0653人間七七四年
2008/01/31(木) 00:24:59ID:05Q3eNOx何も問題にもなりませんよ。
もし、信長にとって室町将軍の権威がまだ必要だったなら、
その子供なり他の足利氏一族なりを新たに将軍にすればいい。
ところが、信長は確保しておいただけで、新たな将軍を擁立しようとはしなかった。
それは、むしろもはや室町将軍という権威を必要としていなかったという根拠といえる。
>>652
必要も何も信長は普通にその立場で勢力を拡大しているわけですが?
もちろん、将来についてはいろいろ考えていたでしょうがね、
朝廷からも三職推任なんてのが来ていた訳だし。
どっちみち、少なくとも義昭が京を出た時点では、
もはや信長は室町将軍という権威は必要としていなかった。
権威が必要なら直接朝廷を使えばいいのだから。
0654人間七七四年
2008/01/31(木) 01:00:43ID:GS+zNRUfんだろう? 朝廷の役職だったっけ?
0655人間七七四年
2008/01/31(木) 01:04:13ID:TRy/30G6就任してない(幕府もないし)のに?
0656人間七七四年
2008/01/31(木) 02:55:20ID:05Q3eNOxその話がどこまで本当か知らないが、もし本当にそう名乗ったなら、
単純に相応しい官職名が特になかったからというだけなのでは?
何しろ室町幕府の正式な任命ではないのは明らかなのだし。
もしも、室町幕府の権威を必要としていたのなら、勝手に自称するのではなく、
新たな将軍を擁立して、その下で正式に関東管領でも何でも就任すればよいのだから。
0657人間七七四年
2008/01/31(木) 05:38:45ID:ULesrGrbそれは国家の省庁とは全然別物でオウム真理教の内部の組織名
ってのと同じで
「関東管領」というのも幕府の役職とは全く別物の
織田軍団の中の「関東管領」って事なんじゃない?
0658人間七七四年
2008/01/31(木) 09:48:37ID:Aq99d8Jp国司も名乗り放題
0660人間七七四年
2008/01/31(木) 13:39:55ID:GS+zNRUfふさわしい役職名がなかったからといって幕府のそれを名乗るというのか?
あなたが言うには信長は朝廷の人間なんだろ?おかしくないか?
それに幕府はもうないんだろ?
0661人間七七四年
2008/01/31(木) 13:59:54ID:kU2aRNU8その様に署名された文書なりが残っているの?
信長が彼を正式に管領に任ずるなんて言った文書なりの記録があるの?
彼が上野に派遣されたのを見て、「彼は室町における関東管領みたいなもの」と
言われたようなものなのでは?
そもそも正式な室町幕府の管領職なら上杉が保持しているのだし。
0662人間七七四年
2008/01/31(木) 14:01:20ID:GLp/awg4他の地方で幕府職を名乗るのは意味ないけど、関東で関東管領名乗るのは
結構影響力あるので関東管領名乗らせただけでしょ
0663中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/01/31(木) 14:10:13ID:LeY5RPXy天正十年十月三日従五位下左少将が位記の初見
ただし吉田兼見などは早くから秀吉に対して「羽筑」の語を使っている
自称官としては通じていたようだが追認された形跡はない
>>660
「信長公記」には関八州の御警固
「伊達治家記録」には東国奉行
「信長記」には関東管領
同時代史料には管領の「か」の字もねえよ
0664中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/01/31(木) 14:19:22ID:LeY5RPXyつか何で鞆幕府や滝川に話が行くのだwwwwwwwww
このスレも末期よのうwwwwwwwwwwwwwww
0665人間七七四年
2008/01/31(木) 16:24:05ID:My07F9Um0667人間七七四年
2008/02/01(金) 21:36:43ID:U8xT394b長いだけで特に何も言ってないのな、それに話が矛盾してて何が何だか?
おまえが言いたいのは信長政権?というのは軍事クーデターみたいな
ものってことか?
0668人間七七四年
2008/02/02(土) 00:08:05ID:HuVCq7xb>>653>>656で言いたいことなら、
少なくとも義昭が京を出た時点では、
もはや信長は室町将軍という権威は必要としていなかった。ってこと。
むしろそれだけ基盤を確立していたということだから、
クーデターみたいなものだということとは、まるで逆の主張なんですが。
0669人間七七四年
2008/02/02(土) 00:18:53ID:7kF5LckW信長個人だけでなく、畿内の豪族や京都町衆さらに公家や朝廷までもが、
足利将軍はもう必要ない、なくてもどうにでもなる、というコンセンサスが
あったということでしょう。
0670人間七七四年
2008/02/02(土) 00:23:21ID:HuVCq7xb現に信長のもとに三職推任なんてのも来ているのに、
秀吉の時代に、足利義昭の存在が将軍職に就くための障害になるなんてことは、
ほとんどありえないだろうと。
0671人間七七四年
2008/02/02(土) 00:55:34ID:iqbWvHcsとして幕政の実権を握ったとする意見が目立つね、ただ彼らとちがうところ
は信長が足利家に取って代わろうとしたところ。
0672人間七七四年
2008/02/02(土) 18:55:29ID:7kF5LckW上洛した時点で、取って代わる気満々だったと思える。副将軍位も管領職も蹴って、
将軍権力を否定・拘束するような条約を突きつけて、さらに朝廷とも深く結びついて。
0673人間七七四年
2008/02/03(日) 01:02:12ID:HEHcSsUX北条も義氏残してる
養子を捩じ込んで、支配するなんて良くやってるのに、公方に対してはしてない
結局なんのために大義名分を求めるかといえば、色んな協力を得るためで、度が過ぎた方法で大義名分を求めたら、そりゃ協力は得られないだろう
なので、手元に子供を残して、傀儡にしようとしたと
>>653
だから、時期将軍のために義尋を囲ってたんだろうと
あと時系列無視しすぎてない?
本能寺とかあのあたりになれば、もう朝廷のほうを重視して、幕府は軽視してるが、少なくとも義昭追放の頃なら重視してるでしょ
>>672
そりゃ幕臣になれば、義昭の統制を受けなければならないからじゃないか
また取って代わるつもりなら、傀儡化する必要は無いんじゃないか?
義昭将軍任官→圧力→信長任官
でやったほうがいいじゃん
0674人間七七四年
2008/02/03(日) 06:46:06ID:dPSw3GPl信長が本当に幕府や将軍が必要だと思っていたとしたら
義昭を追放した時点ですぐに次の将軍を指名してるでしょうに
頭おかしくないか?
0675人間七七四年
2008/02/03(日) 09:00:48ID:9ZXwuqd70676人間七七四年
2008/02/03(日) 09:25:45ID:HEHcSsUX当時義尋は何歳でしょう
そして例えば関東公方の文書発行において、正式なものと認められるのは何歳からだったでしょう
0677人間七七四年
2008/02/03(日) 13:27:46ID:VOfShVba>>674は義尋を将軍にするなんて言っていないわけだが?
もし、将軍が必要なら細川や三好がやったように、
他の足利一門つれてきて代わりの将軍にすれば良いだけ。
0678人間七七四年
2008/02/03(日) 14:01:02ID:ArHNQTO2>時期将軍のために義尋を囲ってたんだろうと
で、実際に信長は義尋を将軍に就任させたんですか?
>>676
七代義勝は九歳
八代義政は八歳で将軍に選出(正式な就任は十四歳だが)
九代義尚は九歳
十三代義輝は十一歳
0679人間七七四年
2008/02/03(日) 15:31:05ID:HEHcSsUXほかにいたのか?
>>678
>>673
>本能寺とかあのあたりになれば、もう朝廷のほうを重視して、幕府は軽視してるが、少なくとも義昭追放の頃なら重視してるでしょ
就任時期は聞いてない
関東公方にも幼くして就任したのはいる
が、その発行文書は管領の名前で発行されてる
つまり、ある程度の年齢にならねば公方としての実質が伴わないということ
0680人間七七四年
2008/02/03(日) 16:06:54ID:VOfShVba足利市の一門がもう誰もいないなんて事はないと思うけどね。
そして何を根拠に「義昭追放の頃なら重視してる」といえるの?
その時に重視していたなら、まさにその時に代わりの将軍を立てるのが当然だろうに。
それから、権威を利用する為なら、公方としての実質など伴わない方がむしろ好都合でしょう。
あなたの言っていることはいろいろと破綻していますよ。
0681人間七七四年
2008/02/03(日) 16:28:22ID:36G1xf9b足利義昭を解任も殺害もしないで追放するような事は考えられない。
解任した上で追放し、すぐに次の将軍を擁立しなければならない。
そうしないで放逐したのは、天下統一を主目的とした織田家の外交に
足利将軍はもはや必要ないと判断したから。
実際に足利義昭追放後に「将軍がいなくて不都合が起きた」という話はない。
0682人間七七四年
2008/02/03(日) 16:42:11ID:9ZXwuqd7嫡流である義昭の息子に勝る候補っているのか?
実質をともなわない将軍が理想的というならば義昭などうってつけなのでは?
人質はとっているし、京にいない、下手に新しい将軍をたてたら厄介、
それなりに敬意を表さなけるばならないし、第二の義昭になりかねない。
0683人間七七四年
2008/02/03(日) 19:45:48ID:ArHNQTO2だからその理想的な義昭を、どうして信長は追放したんだ?
帰洛交渉だって蹴ったしな。もし信長がどうしても義昭の身柄が欲しかったのなら、
義昭の人質要求だって呑んだだろうよ。
0684人間七七四年
2008/02/03(日) 19:49:32ID:HEHcSsUX一門が誰もいないとは思わないぞ
そんな屁理屈もとめてるんじゃない
将軍に据えるにふさわしい血筋の人間が果たしているのかどうかってことだろ
関東公方はおそらく一番の良血だろうが、将軍としてふさわしいかとなると別だろ
義昭が織田と袂をわかって毛利に行こうとしてるときに「帰って濃いよ」と、織田から言ってる
何よりの証
それから文章読んでる?
将軍に据えるにふさわしい人間が見当たらないから嫡子を後生大事に確保してるんだろう
公方をどういう意味で用いるのか→支持を得るため→支持を得るために強引な手法は取れない→実質の伴わない、明らかに傀儡とわかるような存在を無理やりに将軍に据えたら反発が予想される、しかも該当する血筋のものがいない
>>681
重視してるから将軍を殺せないんだろう
北条が関東公方に養子すら送り込めなかったように
0686人間七七四年
2008/02/03(日) 20:55:06ID:Rf65IK+N室町幕府の権威を利用できるタマは握っていたろう。幕府なんか義昭なしでも
いつでも再興できる地位にいたんじゃないの、信長は。
0689人間七七四年
2008/02/03(日) 22:45:04ID:ArHNQTO2現実に、義昭追放後に成立した織田政権は足利の権威をまったく使わずに運営され、
それでまったく障害もなかった。
信長の諸大名の統制、また地方の大名への介入はすべて信長自身の名前で行われている。
足利やら幕府やらの権威はまったく出てこない。そして人質の嫡子はまったく放置。
後北条氏のように政略に名前を使うというような利用もしていない。
これで、信長はまだ足利将軍の権威を必要としたとか、嫡子を大事に抱えていたとか
妄想としか言えないんだが。
0690人間七七四年
2008/02/03(日) 23:10:48ID:VOfShVbaだから、実際義昭をそのままにして新たな将軍なんて立てていないでしょう。
つまり、その時点で信長は、自身と対立した義昭に対抗する権威としての、
新たな将軍の必要性なんて感じてはいなかったということ。
>>684
あのさ、そもそも足利将軍の存在が支持を得るのにそんなに必要なものだったなら、
現将軍と真っ向から対立し戦火を交えた段階で、
信長は多くの支持を失い、もっと大変なことになっていたと思わないかい?
0691人間七七四年
2008/02/03(日) 23:13:47ID:HEHcSsUXだから、使いたくても使えない状況だったでしょ
義昭は手元に無い、嫡子はまだ幼くて将軍には据えられない
これでどうやって幕府の名前を持ち出すのかと
そこで朝廷に切り替えた
しかし、将軍の重要性は認識していたので、人質兼将来の将軍候補は手元においておく
本当に必要としていないなら、追放なりなんなりするよね
>>686で思い出したけど、斯波を尾張統一の過程では利用して、終了したら追放してるように
何回もいってるけど、大義名分を持ち出す最大の理由は、支持を得るため
強引な手法でやったら反感を煽ることはあっても、支持を得ることは無い
別枠で質問なんだけど
1、将軍の権威は残存してた?残存して無いならどの時点で消失した?
2、朝廷の権威は残存してた?残存してないならどの時点で消失した?
0692人間七七四年
2008/02/03(日) 23:23:06ID:HEHcSsUXこっちの質問にも答えてもらいたいものだが
次は答えてね
結論から言うと、思わない
武田は信濃から小笠原を放逐し、今川も遠江から守護を追い、北条は武蔵、上野から守護・管領を追い、長尾は守護と戦い無力化し
と、全国で権威保持者を実力で排除してる
しかし、いずれも(北条は関東公方だけど)守護職を求め、就任し、或いは統治にその権威を利用してる
当時の戦国大名は守護公権を吸収して、統治をしていったというのは普通の理解
翻って織田の場合
きわめて長尾の例と似ているから、暇があれば長尾為影の時代から影虎の越後の領国支配と変遷について調べてみるといい
0693人間七七四年
2008/02/03(日) 23:24:42ID:HEHcSsUXお休み
eoが規制されてなけりゃレスするよ
0694人間七七四年
2008/02/03(日) 23:26:51ID:97WsSrTY平島公方家くらいじゃないかな
関東の足利一門を擁するのは無理ではなかったにしても
現実的ではない品
0695人間七七四年
2008/02/03(日) 23:27:30ID:ArHNQTO2だから、将軍権威が必要なら義昭をどうして追放したのか?帰洛交渉を打ち切ったのか?
>これでどうやって幕府の名前を持ち出すのかと
そう、すでに言っているが、幕府の名前を持ち出さずに織田政権は運営されている。
>将軍の重要性は認識していたので、人質兼将来の将軍候補は手元においておく
本当に必要としていないなら、追放なりなんなりするよね
だから、現将軍の義昭は追放しているだろう。自分で自分の主張を否定することを
言っているって自覚してます?
人質というのは、預かった以上はそれなりに保護する義務があります。自分に逆らったり
しない限りはね。斯波氏の息子も、反乱を企んだという理由で追放している。そして
追放したのは企んだ当人だけで、他の兄弟はそのまま家中にとどめている。
あるいは反乱云々は口実かもしれないが、人質なり客なりを追放するにはそれなりの
正統な理由が必要とされたということだ。
>そこで朝廷に切り替えた
信長が朝廷と結びついたのは、実は義昭を奉じて上洛する以前から。
0696人間七七四年
2008/02/03(日) 23:30:14ID:VOfShVba本当に使いたくても使えない状況だったなら、その状況でも義昭と対立した段階で、
使えなくなっても良いと判断していたってことになると思うが?
もしも、足利将軍の権威がどうしても必要である、
そしてその点で義昭に代わりになるような存在は他にはいない。
ということが前提だったなら、
では、今の段階で義昭と対立することは出来ない。という結論になるのだから。
0697中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/02/03(日) 23:37:14ID:YxnoXvcZ義昭の権威を利用して波多野や若狭武田を呼びつけた件は何だったんだ?
志賀・堅田の戦いで義昭の調停を仰いだのは何だったんだ?
義昭の御内書の副状に信長の署名を付けたのは何だったんだ?
冗談も休み休み言え
0698人間七七四年
2008/02/03(日) 23:45:54ID:ArHNQTO2地方大名は、敵対者に対して正当性を保持するために、将軍権威を利用した。
信長は、その将軍権威を否定、乗り越える為に早い時期から朝廷と結びついて、
その権威を利用して(公的政権としての)足利幕府を消滅させた。
>>691
>1、将軍の権威は残存してた?残存して無いならどの時点で消失した?
個人的な見解だが、長慶以前と以後で大きな変化があったと考える。
それまでは、足利将軍が公権力の担い手と認知されていた。どれほど足利家自体が
没落し弱体化しても、実質政権運営を担った実力者たちは自己の正当性を証明する
手段として足利将軍の権威を必要とした。応仁後の細川政権にしろ、大内にしろ、
あくまで将軍の代行として自分が権力を振るうという立場をとった。
ところが長慶の三好政権は、将軍権威を使わずに成立し運営された。それは時期は
短く、最終的には和解して、かつての将軍の下での執行者という体制に戻ったが、
この政権がとにもかくにも現実に誕生したために、
・公権力となるのに足利将軍は必ずしも必要ではなく、なくても当人に実力があれば
なんとかなってしまう。
という事実が確立され、さらに周囲に認識されてしまった。
砕いて言うと、「なくてはならない」から「あれば便利だけどなくてもそれなりに」という
程度に落とされてしまった。これが決定的な契機だったと思う。
その後、義輝が殺されると、義栄が就任するまで三年以上将軍は不在。
0699人間七七四年
2008/02/03(日) 23:46:34ID:VOfShVba義昭が信長と対立して京を離れた時点ではって話。
>>692
一番肝心の、「何を根拠に義昭追放の頃なら足利将軍の権威を重視してるといえるのか」
には全く答えて貰っていないわけだが?
とりあえず、将軍と朝廷の権威なら、どちらも存在していた、
しかし、将軍の権威は追放されたり暗殺されたりで下がり、義昭が京を離れた段階では、
信長にとってもはやどうしても必要なものではなくなっていたってところでしょう。
0700人間七七四年
2008/02/04(月) 00:09:57ID:d3PsvH3K短く、最終的には和解して、かつての将軍の下での執行者という体制に戻ったが、
>この政権がとにもかくにも現実に誕生したために、
>・公権力となるのに足利将軍は必ずしも必要ではなく、なくても当人に実力があれば
なんとかなってしまう。
>という事実が確立され、さらに周囲に認識されてしまった。
これなんて今谷明!
0701人間七七四年
2008/02/04(月) 17:00:56ID:Jvt2dnkR将軍追放したのは対立したからでしょ
同じ文章の中で矛盾起こしてない?
将軍権威が必要じゃないなら、帰って来いという交渉すら必要ないでしょ?
織田政権が幕府の名前持ち出さずに運営されてるから何?
反論してるつもりになってるのかしらないけど、それ以外に方法が無いといってるのよ、こっちは
それ以上の意味を見出そうとしてるのがあんたなの
つまり、織田信長が「意図的」に将軍の名前を持ち出さなかったということを説明しなきゃ反論として不満足じゃないかな?
だから、将軍とは何度も対立してるからさ…
自分の意志に沿わない、しかも統治の障害になるような存在を囲っとくわけ無いでしょ
だから、子供を確保して、次期将軍を傀儡にしようとしたということ
それでも義昭に未練があっての帰って来いよという交渉
ところでさ、斯波は反乱を企てたとして追放したんだよね
将軍もさ、反乱を(こっちは実際に、でも将軍が反乱ってものヘンだが)起こしてるわけで、追放せざるを得ないよね
逆に言えばさ、追放するにたる正統な理由があるのに、追放しなければそれは織田が軽んじられるってことよね
朝廷に切り替えたってのは、権威の保証者としての存在をって事ね
>>696
戦国大名の本質は領土拡大
それを遂行する過程で、権威者と対立するのはよくある話
例に挙げたけど、長尾なんかは守護と対立したけど、その後の統治には守護の名前持ち出してるでしょ
義昭と対立しなけりゃ、そりゃ織田が衰退するだけ
どこの大名もそうだけど、守護公権を吸収して統治に利用してるって書かなかったかな、覚えてないけど
北条も関東公方と対立したけど、結局取り込んでいったでしょ
0702人間七七四年
2008/02/04(月) 17:02:08ID:Jvt2dnkR早い時期っていつよ?
お、こりゃどうも
できれば2についても答え貰いたいんだけど
それからさ、新たに質問追加
3、権威と権力の違いとは
>>699
いや、ちゃんと答えてるでしょ
答えてるというか、反論してるでしょ
不安になって確認しちゃったよ
あんたは将軍を重視してたなら、代わりの公方を立てたとしてる
でも、こっちはその代わりの公方たるべき人間がいないといってる
立てる公方がいなくて、代わりの公方を立てられないのに、公方を擁立しなかったから重視してなかったという論理はズレてるでしょ?
でさ、今度こそ答えてね
まともな議論を望む姿勢とは思えないよ
あえて質問明示しとくと
将軍に据えるにふさわしい血統の人間が存在したのか
これはでも、あんたの質問に対する回答にもなっちゃうのよね
0703人間七七四年
2008/02/04(月) 17:03:24ID:7Fv6f/eP0704人間七七四年
2008/02/04(月) 17:08:12ID:mFqWtZjLその信長自身の名前で出された書状は幕府の形式にそったものじゃなかった?
秀吉も関白に就任するまではその形式をとっていたんじゃなかったっけ?
0705人間七七四年
2008/02/04(月) 18:43:15ID:wx7GECBm>子供を確保して、次期将軍を傀儡
これの証明は?信長には、彼を時期将軍にしようという動きがいっさいないのだが。
例えば足利義政のように、幼少であっても「時期将軍に選出」という形で時期将軍だと
確定するやり方もある。義政は正式に将軍に任官するまでの数年間を、この身分で
すごし、幕府は正式には将軍ではないが時期将軍の義政を奉戴して運営された。
しかし信長はまったくそんな行動をとっていない。
現将軍を追放し、帰洛交渉でも条件が合わなければ帰ってこなくてかまわんと放置。
時期将軍最右翼候補はそのまま人質として扱い将軍に奉戴する形跡は全くなし。
そして将軍不在のまま信長政権は運営されている。
これで、何で信長が将軍権威を必要としているなんてことになるんだ?
0706人間七七四年
2008/02/04(月) 20:48:47ID:Jvt2dnkRお前の言うとおりだ
だから後は>>697のクソコテを相手にしてくれ
よくみたらクソコテと同じ方向じゃん
0707人間七七四年
2008/02/04(月) 22:09:23ID:CxkcaWxo0708人間七七四年
2008/02/04(月) 22:22:23ID:Jvt2dnkRいいや、コテという存在そのものが嫌いなだけ
特定のコテがどうこうってことじゃなくな
で、そのコテと同じ方向の議論(いやみじゃなくて、理解できる?)はしたくない
それだけだ
別にコテと議論の方向が異なれば、スルーして続けるがな
冷めたといってもいい
0709中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2008/02/04(月) 23:59:04ID:vpEF3P0q0710人間七七四年
2008/02/05(火) 00:18:05ID:uHYsrkCd0711人間七七四年
2008/02/05(火) 00:27:59ID:mpAknYw0秀吉がなれなかった理由…が議論のはじまりだったっけ?
もうわすれちゃったよw
0712人間七七四年
2008/02/22(金) 09:03:41ID:AJRM/fVJ当時の武家の目から見ればとりあえず将軍を目指すのが自然な感じがするんだけどね。
前後(足利、徳川)の印象が強いせいかな?
0713人間七七四年
2008/02/22(金) 21:59:50ID:776tQjfFまず第一に秀吉の時代に参考に出来る二つの幕府は、ろくな結果になっていない。
鎌倉幕府は3代で創始者一族は断絶、家臣に実権を奪われるし、
室町幕府も、南北朝に戦国時代と戦乱続きで、将軍も暗殺されたり追放されたりしている。
よって将軍・幕府という形式に特に固執しないのは当然。
第二に関白は人臣中最高の位なのだから、
もしも実現の可能性があるならそれを目指すのもやはり当然。
0715人間七七四年
2008/02/24(日) 11:35:01ID:8655UYqG特定の血統でないとなれない(はず)という意味じゃ天皇に近い。
0716人間七七四年
2008/02/24(日) 11:39:37ID:kIjeGy2Z朝廷に近づいたのがきっかけで「よしこれを貰ったれ!」てな感じで。
0717人間七七四年
2008/02/24(日) 20:49:00ID:QVJyi3WZ最高の実力を持つ自分が最高の位をって発想は、別に不自然じゃあないと思うけどね。
いくら藤原氏しかなったことのない位でも、臣下の位であるのは間違いないわけだし。
もちろん、最初から関白だけを目指していたというわけではなく、
関白職をめぐるごたごたや、一部公家の秀吉へのおもねりとかもあったからこそなんだろうが。
0718人間七七四年
2008/02/24(日) 22:24:14ID:jM+9Jgrw御落胤説を流したこともあるし、最終的に関白で本当に満足してたのかと。
0720人間七七四年
2008/02/25(月) 22:33:07ID:I9hfC5cK幾ら最高の官職であっても、臣下の位を望むのと君主の座を求めるのとではかなり違うでしょう。
最高位の家臣が禅譲を受けて皇帝になるってのは、中国ではよくあることでも、
日本では全く前例がないしかなり難しいかと。
無論断言は出来ないが、秀吉はそこまでは望んでいなかったのではないかと思う。
0721人間七七四年
2008/02/25(月) 22:42:49ID:g476qN2N0723人間七七四年
2008/02/27(水) 06:08:45ID:Lxoxgv9Rしかし秀吉は一度その壁を乗り越えているんだよな。
織田家重臣筆頭で満足せず、自分の天下にしてしまっている。政治的に実に巧みに。
信長の後ろ姿をみていた秀吉が、天皇だけ神聖視していたとも思えないが、そのへんは秀吉にしかわからないか。
0724人間七七四年
2008/02/29(金) 01:56:00ID:9h5i5BIw天皇に取って変わっちゃったらみんなが敵にまわるでしょうに
もうアホかと
0725人間七七四年
2008/02/29(金) 12:21:26ID:Zii/1LHV0726人間七七四年
2008/02/29(金) 18:40:19ID:m/Z39Gzl0727人間七七四年
2008/02/29(金) 18:50:53ID:Y2aimpWD0728人間七七四年
2008/02/29(金) 18:52:58ID:m/Z39Gzl0729人間七七四年
2008/02/29(金) 18:57:45ID:Y2aimpWD力があったからだろ?
二条だれだったか忘れたが関白相論で揉めてた秀吉の一代前の関白に武士も寺社も従ったのかねえ?
名分の問題で「従いやすい」「従いにくい」はあったろうがな。
0730人間七七四年
2008/02/29(金) 19:37:28ID:m/Z39Gzl秀吉が大臣になって武家も寺社もみんな従ったが
秀吉が天皇になったら武家も寺社も従うわけがない
という話だろ
0732人間七七四年
2008/02/29(金) 20:49:24ID:XeQbcO2jだから関白になった
0733人間七七四年
2008/03/01(土) 07:16:16ID:86sciOxtしかし正当性や権威の裏づけがあったほうが、より統治しやすいのは間違いないでしょう。
で、臣下の位なら天皇がその位につけたということで、正当性と権利を獲得できるが、
天皇そのものに成り代わろうとしたら、
それは現行の天皇を中心とした正当性と権威の建前を全否定することになる。
この点で臣下の最高位である関白になるのと、天皇になるのでは全く意味合いが違う。
ちなみに、中国の場合には皇帝の上に「天」という概念があって、
天命が変わることで皇帝家が代わるという解釈がかなり伝統的に存在するので、
この理屈で「天」を中心とした正当性と権威の建前を否定することなく、
皇帝に成り代わることが可能だが(いわゆる易姓革命)
日本にはそういう伝統が全くなかったので極めて難しい。
0734人間七七四年
2008/03/01(土) 13:31:00ID:jap/Yxyw0735人間七七四年
2008/03/01(土) 14:35:10ID:LqbhMfWd0737人間七七四年
2008/03/02(日) 00:36:02ID:zCtChm7+既に指摘の通り別のお家を乗っ取ったわけでもないし。
まあ立場が逆転したのは事実だが、そういうことを認めるためにこそ、正当性や権威が必要になる。
天皇を中心にした旧来の秩序内にいれば、天皇が織田家より高い位を秀吉に授けることで、
建前の上でも合理的に織田家の立場を超えることが可能だけど、
天皇の位そのものを狙うとなると、そういう正当性の確保がほぼ不可能になる。
既述のように、中国なら天命が変わったから皇帝家が替わるという方便も使えるが、
日本ではそういう伝統は皆無だし。
0738人間七七四年
2008/03/02(日) 10:34:04ID:/fjFHvQf結果的に失敗したが、もし唐入りが成功していたら秀吉は自分と天皇のポジションをどうするつもりだったのかな?
0739人間七七四年
2008/03/02(日) 11:27:04ID:zCtChm7+自分はさらにインド侵攻を考えるとかいう構想だったそうだけど、なんとも言えないかと。
本気で練った構想なのかどうか、そもそも正気だったのかどうかも分からないし。
0740人間七七四年
2008/03/02(日) 13:13:54ID:mYV2ND4U一応ギャグのつもりだったんじゃね?
0741人間七七四年
2008/03/02(日) 17:55:11ID:7ibaGZdU元や清のような成功例からみるに、仮に成功していたら秀吉自身が皇帝の地位になっていただろうな。
その時に天皇がどういう位置づけになるのかは謎だが。
0743人間七七四年
2008/03/03(月) 01:01:19ID:KwcHm+0K天皇は王ではないから、皇帝の臣下ではないが、主君でもない。
0744人間七七四年
2008/03/03(月) 04:32:01ID:DFEDc6urそれでもダメなら過去ログを読むとか努力しような
0745人間七七四年
2008/03/03(月) 13:11:53ID:1QDhLkWT中華思想の世界を日本の小さな地域で模倣して皇帝のふりをしてるけど
実際には日本という一地方の王にすぎない
そもそも中華思想では皇帝は2人もいたらいけない
0747人間七七四年
2008/03/04(火) 00:50:59ID:fAL/GVUT0748人間七七四年
2008/03/05(水) 00:01:15ID:Od4gCyEC0749人間七七四年
2008/03/05(水) 00:15:43ID:U9qLf7Xmなんて最近のゆとり中学のゆとり教科書に掲載されてるんですかw
0750人間七七四年
2008/03/05(水) 00:19:46ID:U9qLf7Xm日本という国家が中国に認められていて
日本の国王(天皇)も中国に認められているので
中国との国交が成立していたんだけど
その辺の関係は最近のゆとり教科書には掲載されていないの?
0751人間七七四年
2008/03/05(水) 06:22:11ID:MoLbOPEY0752人間七七四年
2008/03/05(水) 19:05:05ID:zJviNf0P戦国時代の頃はもう中華の冊封に入ってないんだから、意味ねえだろ。
0753人間七七四年
2008/03/05(水) 19:24:01ID:chr/9InR日本で「国」と呼んでいたのは国家じゃなくて一地域にすぎないんだし
天皇は一国の王じゃん
0756人間七七四年
2008/03/17(月) 13:13:25ID:3Idl4kGXこのスレにある「東国条件説」のバカが書いたのか、それを見て「東国条件説」を言い出したのかわからんが、
そんなもん真に受けてたらアホが増殖するだけじゃないか。
0757人間七七四年
2008/03/17(月) 14:37:07ID:UrvwYmrG> この戦いで、秀吉は家康を完全に屈服させることに失敗し、征夷大将軍補任、すなわち幕府開設への道が閉ざされ、後の政治史へ大きな影響を及ぼすこととなったという説がある。
「説」があること自体は嘘ではないはずなので別に良いんじゃない?
気になるんなら注かなんかでその「説」に対する評価を出典付きで示せばよいのでは?
0758人間七七四年
2008/03/17(月) 16:44:52ID:dI1ZQxlB家康が秀吉に服従していない時点ではまだ関東も東北も秀吉に服従していないんだから
時系列を考えると「家康を屈服させる事に失敗したから」という主張自体が間違いだし
将軍よりも上の位である関白になる事によって家康が服従したのだから
関白になった者がわざわざ下位の将軍職にまで就く必要性は皆無なわけですよ。
そういう流れを考えると、その珍説(ちゃんとした人がそんな珍説を
披露してるの見たことないけど)は
「秀吉は将軍になれなかった」という結論にしたいがために
時系列を捻じ曲げて屁理屈をこねてるに過ぎないと思うよ。
0759人間七七四年
2008/03/17(月) 19:33:30ID:3Idl4kGXちなみに上杉景勝(越後と信濃、上野の一部)が秀吉に臣従したとき、秀吉はまだ関白じゃなかった。
もし東国条件は本当に存在し、秀吉も将軍職に興味があるならこの時点で条件はクリアしたはず。
0760人間七七四年
2008/03/17(月) 19:46:48ID:3qAcmDTAなんでそんな説がまかりとおってんの?
0761人間七七四年
2008/03/17(月) 20:07:51ID:FBB7o3EVどうせ改訂合戦になるに決まってる。不毛
0763人間七七四年
2008/03/17(月) 22:03:57ID:26UtK51m0764中野区民憲章@vip ◆ORWyV99u2Y
2008/03/17(月) 22:14:29ID:FOoF6/vW0767人間七七四年
2008/03/17(月) 23:04:43ID:bB8OCTdQ関白になったのだからそれより下位の将軍職を兼任する必要が全くなかった
ただそれだけ
0768人間七七四年
2008/03/17(月) 23:15:06ID:ptstT8QR秀吉の一代限りって言っても新たに豊臣を賜ってるからそうなっただけで、
やろうと思えば秀吉流近衛家は作れた。
出自は関係ない、権力さえ握れれば名跡はいくらでも手に入る。
0769人間七七四年
2008/03/17(月) 23:18:14ID:26UtK51mがないのに系図の偽装を行なってたわけだ。
0770人間七七四年
2008/03/17(月) 23:22:57ID:ptstT8QR信長は系図の偽装をやった?
家康が系図を変えたのは今川から独立して徳川に名乗ったときじゃなかった?
それに、家康が系図を変えられたのも独立して朝廷に献金した結果だろう。
0771人間七七四年
2008/03/17(月) 23:36:27ID:bB8OCTdQでも秀次が継いだよ
0772人間七七四年
2008/03/17(月) 23:44:52ID:ptstT8QR0773人間七七四年
2008/03/17(月) 23:46:35ID:bB8OCTdQ0774人間七七四年
2008/03/17(月) 23:53:53ID:26UtK51mいちいちそこまで書かなきゃならんのか?
0775人間七七四年
2008/03/17(月) 23:55:35ID:bB8OCTdQでも秀次が継いだんだから何でもありだよ
豊臣姓をもらった人もたくさんいるし
0776人間七七四年
2008/03/17(月) 23:58:36ID:26UtK51m0778人間七七四年
2008/03/18(火) 00:58:13ID:4ZTQELf90779人間七七四年
2008/03/18(火) 01:08:12ID:sf8PWvPv0781人間七七四年
2008/03/18(火) 01:28:20ID:rkrC3iyg織豊政権の時代までは朝廷>幕府、関白>将軍だったんだろう
朝廷、関白が低く見られたのは江戸期幕府の朝廷抑制策によるもの。
それすらわからないじゃここに来る資格はないな。
0782人間七七四年
2008/03/18(火) 03:21:00ID:4ZTQELf9ふるってたんだあ、それはそれは無知ですまなかった、教科書にはその頃の将軍
は載ってても関白は載ってないのはなぜなんだろう?きっと作った人がバカ
だったんだね。
0783人間七七四年
2008/03/18(火) 03:41:58ID:Z+qpmnNyなぜ「実権」とか「権限」という話に固執するんだ?
さんざん前述されているが、秀吉は当代一の実力者だったんだから、実権とか権限よりは「格上」か「格下」の問題なんだよ。
0784人間七七四年
2008/03/18(火) 03:50:39ID:NpRFx4hQしかしそれと実権やらなんやらとは別の話。
そもそもそんな話をしたら、一番は天皇になるわな。
現実に統治をするにはパワーが必要で、それは自前でどうにかしなければならない。
しかしそのパワーを公的に正統性のあるものにするには様々な手段がある。
秀吉はその手段として関白をつかった。家康は征夷大将軍だった。ただそれだけの違いだ。
0785人間七七四年
2008/03/18(火) 03:56:39ID:4ZTQELf9当代一の実力者だから望めば何にでもなれるってことか?
それってもろゲームじゃんww、豊臣姓は万能ってか、それどこで出してるの?
コーエー?セガ?タイトー?
0786人間七七四年
2008/03/18(火) 09:35:47ID:rkrC3iyg>権限の話など一度もしてないが…
>>782をもう一度読み直せ。
言ったこと5分も経たないうちに忘れるタイプなのか?
>当代一の実力者だから望めば何にでもなれるってことか?
天皇以外はほぼ可能。
平清盛が武家で初めて太政大臣になれた、鎌倉幕府は実力で上皇を流刑にして朝廷の権限を制限した。
足利義満は武家ではじめて源氏長者になって太上天皇の称号を贈られ、秀吉は平民の出にもかかわらず豊臣を姓を賜り関白になった。
デカイ面をした無知が恥をさらす前に謙虚に聞くか調べるのが先だろうがこのゲーム脳。
0787人間七七四年
2008/03/18(火) 10:10:46ID:EBs3/jT8関白はもちろん将軍も世襲じゃないよ
官位である以上代替りのたび朝廷からもらわなければいけない。
そもそも将軍職自体は臨時職
0788人間七七四年
2008/03/18(火) 12:51:08ID:4ZTQELf9>ほぼなれるって… 清盛や義満は天皇の末裔、秀吉は形式的には五摂家の人間
として関白になったということがまだわからんのか、これだからゲーム脳は…
0789人間七七四年
2008/03/18(火) 13:10:08ID:rATjsR6N>鎌倉、室町時代政治の実権は朝廷が握っていて関白が権勢をふるってたんだあ
これは権限ではないならなんだろうね。
秀吉は近衛家の人間としてなっただけ、その後関白豊臣秀吉になってる。
秀次に至っては摂関家ではなく藤原秀吉でもなく豊臣秀吉の養子として関白になった。
あと清盛は天皇の末裔とか的外れにもほどがある。
いくら平安時代末期とはいえ、公家の僕である侍でしかない武家が殿上人になれただけで大出世の時代。
公家の中でも道長につながる家系がほぼ独占してた太政大臣に公家の僕である武家がなれたのに、
天皇の末裔だとか意味不明な事言い出してる。
「ボクの考え」に拘りすぎたため事実をもねじ曲げたり無視するタイプか。
0790人間七七四年
2008/03/18(火) 16:53:34ID:FPjAc4Bk官位一覧
ttp://maruyuki.hp.infoseek.co.jp/gamedata/ranseiki/kanni.htm
これを見れば正一位の関白が最高位である事が分かるはず
しかも将軍職がどこにもない
信長は、朝廷が信長を将軍に推挙するために正二位を送られているが
これは右大臣・左大臣クラスね
将軍職は右大臣クラスの非公式の官職なんだよ
0791人間七七四年
2008/03/18(火) 17:22:48ID:GVo9Uvcg本気で 将軍>関白 なんて
考えているヤツはいないよな
0792人間七七四年
2008/03/18(火) 17:53:02ID:rATjsR6N引用先がノブヤボじゃまずいだろう。
律令制の官位一覧はこっち
http://www109.sakura.ne.jp/~kuge/kani.htm
関白は令外官だから律令制の官に当たらないが、天皇の代理人として百官の最高位にあるから正一位に準ずる。
で、征夷大将軍も令外官。元々は東国征伐の臨時司令官だが、自らの司令部を持てるから朝廷に干渉されない武家政権作りに使われた。
律令制の正式将軍職の最高位は近衛大将。この職を大臣、大納言が兼任することが多いからそのクラスだろう。
臨時司令官である征夷大将軍と天皇の代理人である関白はどっちが格上なのか比べるまでもない。
ちなみに臨時職じゃまずいと思ったのか徳川幕府の将軍が代々近衛大将を任官されてる。
0793人間七七四年
2008/03/18(火) 17:53:59ID:4ZTQELf9そう単純じゃないと思ってる人がいるからこのスレがあるわけだろ?
0794人間七七四年
2008/03/18(火) 18:20:34ID:rATjsR6Nこのスレでもすでに「関白になれたのだからあえて下位である将軍になる必要は無い」という結論が出てたんだろう。
そう思わず秀吉の出自に問題があるから将軍になれないと主張するのは今の所アンタだけだけど。
0795人間七七四年
2008/03/18(火) 18:24:47ID:2/Cbbbkq江戸幕府になって、慣例的に従二位が贈られるようになった(在位期間にもよるが)んで、
従二位程度まで地位向上してるけども。
0796人間七七四年
2008/03/20(木) 08:15:30ID:OPocN0QK位は上でも役職はまた別の話だろうし。
0797人間七七四年
2008/03/20(木) 11:41:52ID:9gBCOpGD今でいうと首相が方面隊の総監兼務してるようなおかしいもんだし。
0798人間七七四年
2008/03/20(木) 14:27:31ID:kOSlERraんだが…、
臨時職、つまり緊急時に置かれるわけだから権限を集中させる必要があるのでは
ないのかな?
0799人間七七四年
2008/03/20(木) 15:06:26ID:9gBCOpGD関白は令外官だけど太政大臣は大宝律令の以前からある最高の官位だぞ。
あと、臨時職つーかもともと東夷討伐のための臨時ポストだから、
第二次大戦のヨーロッパ方面司令官、湾岸戦争の時の多国籍軍総司令官みたいなもの。
あくまでも軍の司令官だから、京ではない場所で自前の司令部を設置できる点として武家政権作りにうってつけだけど、
臨時職ゆえの弱さもあるから、江戸幕府はもちろん、室町幕府から頼朝の幕府まで保険として律令制の官位を持ってる。
ちなみに令外官の意味は律令制の不足を補うために作られた官職であって非常勤の意味じゃない。
0800人間七七四年
2008/03/20(木) 20:03:31ID:lxxxwFIzあえて征夷大将軍になる必要性が皆無ですな
0801人間七七四年
2008/03/20(木) 21:49:26ID:D39z5zc5豊家との関係を断ち切る必要性がある徳川家は、将軍を取る必要性があったといえるし。
0802人間七七四年
2008/03/20(木) 22:18:26ID:9gBCOpGD出自、家柄、主君への忠義を重視する幕府が主家を滅ぼした家康に正当性を与えるために
「豊臣家は出自も家柄も徳川家の下だから滅ぼされて当然」を唱えるしかない。
0803人間七七四年
2008/03/20(木) 22:36:05ID:lQiv0nxx将軍>関白
の図式を定着させようとしてたし
0804人間七七四年
2008/03/21(金) 00:21:49ID:GLRrrgJ5http://www.hairyfaces.com/watersports/HF_watersports022.jpg
飲尿将軍…
0805人間七七四年
2008/03/21(金) 02:50:56ID:K4eAUIYq少なくとも家康は豊臣家を一大名として残そうとしていた。
豊臣家も大名として残ろうとしていた節があって
秀頼は右大臣とかの官職を朝廷に返上したりもしている。
0806人間七七四年
2008/03/21(金) 07:57:35ID:GLRrrgJ5ぶっかけ将軍…
0808人間七七四年
2008/03/21(金) 10:07:27ID:Tq9UIey2「関白」という任についた場合、
秀頼に位を返上しなければならない
という論理が成立しかねないため。
諸大名を有無を言わさず従わすには、豊家からの独立性が必要で。
その意味で関係を断ち切る必要性がある。
言わば、豊家との連続性の否定。
0809人間七七四年
2008/03/21(金) 10:14:30ID:lvXC4ug50810人間七七四年
2008/03/21(金) 12:00:35ID:t9z1z3GB縁起悪いし。
0811人間七七四年
2008/03/21(金) 12:56:45ID:Tq9UIey2また、政権確立のためにその戦略上で 五摂家に摂関家の地位を戻しておいて
「じゃ、豊家潰れたから」ってまた取り上げるのはどうか、って問題が・・・。
そもそも、将軍就任によって目的自体は達せられてるから
関白になる必要性があるのか?
というか、>>809の意見だと、関白にならなきゃいけないと聞こえるが、
ならなきゃいけないのか?
0812人間七七四年
2008/03/21(金) 19:02:21ID:6eRyb4Nv法律が一番偉い、天皇も朝廷も将軍家も幕府も大名も法律の下
という倫理を構築した
0813人間七七四年
2008/03/21(金) 19:58:37ID:2ym6Yhgv0814人間七七四年
2008/03/21(金) 20:44:07ID:Tq9UIey2「ならなくてもいいように」ってどういうことだ?
関白・将軍に関わらず、秀吉や家康がその任についた時に、
結果的に得たものは、諸大名に号令する名目的立場でしょ。
武家組織と公家組織はあくまで別の団体であって、それは秀吉の時にだって言える話では?
関白になった結果、公家が武家の統制下に入ったような話は聞いた事が無いぞ。
秀吉は公家から官位を横取りした。代わりに経済を保障した。
家康は公家内部の問題に介入した。
ってのが多分事実だと思うんだけど、どうよ?
0815人間七七四年
2008/03/21(金) 22:34:15ID:Xd4T1+F8朝廷と幕府の力の差があるしな
0816人間七七四年
2008/03/22(土) 00:06:51ID:hqnS/xnKクマ将軍…
0817人間七七四年
2008/03/22(土) 00:33:39ID:38SwS6gg秀吉の時と家康の時とでは時代が違う
徳川幕府が唯一の超大国として全国の大名を統制できた背景には
「せっかく平和になろうとしてるのに、
個人のわがままでこれ以上戦争を起こすのはダサい、戦争やめようぜ」
という空気があったから(作った)から
0818人間七七四年
2008/03/22(土) 00:34:50ID:Ix1KBvfY拉致レイプ人殺し最悪殺人鬼
0819人間七七四年
2008/03/22(土) 20:01:25ID:JN+hsz0aすまん、文章が理解し辛いんだが・・・、
まず、「せっかく平和になろうとしているのに」って何?
そうなの? 武家諸法度で武芸に励めって書いてあるのは何故?
次に「個人の我儘で戦争を起こすのはダサい」って何?
そもそも「個人」という言葉は、江戸時代にはないぞ。江戸時代にあるのは「公」だけだろ。
結城秀康も将軍職に野望があった事は有名だし、慶安事件は何だったの?
あと、仮に文章に筋が通っていたとしても、その結論から導き出されるのは、
武家諸法度だけであって、禁中並公家諸法度を作る必要性はないだろ。
公家には最初から武力が無いんだから。
0820人間七七四年
2008/03/22(土) 21:29:06ID:7dBWfycz0821人間七七四年
2008/03/22(土) 21:53:30ID:6XTF9hFN放っておけ
0822人間七七四年
2008/03/27(木) 22:40:18ID:fgBNrprI498 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/03/27(木) 22:36:00 ID:RLbpmx8t
>>493
長久手の迂回策は秀吉自身の策だし、池田恒興は特にミスはしてない
したのは家康の動向に全く気づかなかった秀吉と一撃で壊滅した秀次
だってさ
0823人間七七四年
2008/05/01(木) 02:18:41ID:QpPULuId0824人間七七四年
2008/05/22(木) 00:23:47ID:201yXfgE足利義昭将軍が健在であったからです!
家康が将軍になれたのは健在でなかったからです。
0825人間七七四年
2008/05/22(木) 00:38:24ID:S3MQiAiUそれっぽい資料とか無いのか?
0827人間七七四年
2008/05/27(火) 17:08:17ID:VTCLfxZR0828人間七七四年
2008/05/27(火) 19:59:12ID:g0d+fbuM所詮、信長は右大臣止まり
0829人間七七四年
2008/05/28(水) 00:35:04ID:HP74U252左大臣よりも。
0830人間七七四年
2008/05/28(水) 14:55:50ID:8KeC/lKX大分下がるけど
0831人間七七四年
2008/05/29(木) 01:58:34ID:A1N9r9qc同格に考えるべきでないならどう考えるべきか
0832人間七七四年
2008/05/30(金) 18:49:35ID:pVXAj9G5宇治の悪左府とかいいじゃん
0833人間七七四年
2008/05/30(金) 20:02:09ID:bbGf3/hx秀吉は朝廷の官位制度を活用した統治形態をとっており、独自の幕府を築くちもりがなかったんだと思われ
五大老は病床についてからの晩年だからね
0834人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 15:33:20ID:ONITAO9S秀吉のおかげなのか
信長のおかげなのか
さあどちらなのか本当に気になるところだ
0835人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 16:59:31ID:lIQeo1Cbということ、はたしてこれが認められるのか?
天皇家と縁もゆかりもない人間が頂点に立つということは革命であり、天皇家
存続の危機でもある。
0836人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 05:37:09ID:1kHLneuA0837人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 06:31:50ID:iDFgZVB10839人間七七四年
2008/06/30(月) 00:20:41ID:eVwVR/jo近衛氏かな?
0840人間七七四年
2008/07/03(木) 20:40:56ID:jGDAR4DX家康→「将軍になりたい!」とおねだり
信長→「神様になりたい!」といって民に賽銭を投げさせる
朝廷「仕方ないか・・」としぶしぶ→秀吉
朝廷「無難なところか・・」と普通に→家康
朝廷「頼むから人間の職で我慢してくれ」と頼むが断られる→信長
0841人間七七四年
2008/07/03(木) 21:22:59ID:mp/AS3jG0842人間七七四年
2008/07/06(日) 00:41:26ID:YQWdn2jZ↓
信長→「神様ですから!」といって民に賽銭を投げさせる
0843人間七七四年
2008/08/02(土) 14:38:16ID:T9B5UE//0844人間七七四年
2008/08/04(月) 19:23:22ID:eeqUwACI0845人間七七四年
2008/08/09(土) 21:00:25ID:lF80HRnvID:eeqUwACI
0846人間七七四年
2008/08/10(日) 06:36:52ID:PuE9Z2py信長 → 急進改革派 「ええい、右大臣もなどいらん!おじゃるども辛気くさい、滅ぼしてしまえ!」
秀吉 → 修正派 「あーあ、殿何でも過激すぎw おりゃちょっとおとなしくするなも」
家康 → 保守派 「猿め、耄碌してわがままぶりがひどいわい。じゃあワシが天下取るには、人の
和じゃな。宮家にも、とりあえずは手を付けんで置くか。」
家康を神にして、礼幣使を毎年来させ、一方禁中並公家書法度で制限はしたが、最終的に天皇制
廃止までに至らなかったのは、幕府というスタイルではやりにくかったんだろう。その点一代限りの
関白なら後に残らない。
0848人間七七四年
2008/08/11(月) 22:51:35ID:SUDUxoY+信長の場合はキリスト教からの発想だっただろうし。
でも、家康ははっきり、「アマテラス」に対する「アズマテラス」を意識してた
形跡がある。
つまり鎖国で国内だけならば、自らを神格化すれば、かなり平和を築ける、というね。
それで260年持ったのだからすごいものなんだけど。
家康が天皇制に手をつけなかったのは、シンプルに、「一族の繁栄」が
最重要だったからでしょう。
今だってねぇ、竜馬と隆盛さえいなければ、政府には「徳川」がいっぱいいたかもしれないぞ。
0849人間七七四年
2008/08/12(火) 10:15:40ID:oOMAKsS9会社なんて藩と対してかわらんもん。
>>848
そうかもね。お家大事。
多分、情勢認識としては依然「徳川だけで武力再統一は相当無理」って認識が
あったんだと思うよ。天皇制を廃止すれば、自分が国家制度から何から全部
一元化する必要がある。そんなことは信長以外無理だろう。江戸時代は所詮
封建時代なんだよ。
0850人間七七四年
2008/08/12(火) 10:26:06ID:OfOtI8Cm家康の場合は、完全に支配化におくことに成功したのが良かった。
もちろん朝廷側も長い戦国の世で、存続さえ認めさせればあえてことはかまえ
たくなかったのだろうし。
ただ、ゴダイゴみたいな戦闘的な天皇があの時いたら
家康はどうしてたか。
ま、うまくやっただろうけどね。
0851人間七七四年
2008/08/12(火) 20:46:49ID:efwPeqqaどっが勝ってても、古代王制の確立はある程度同じ路線を取ったはず。
古代史については非常に丁寧に見ていく必要がある。
欠史八代はともかく、祟神朝も、応神朝も、継体朝もそれぞれ別のもの
と考えないといけない。現行天皇制は、大嘗祭などの古いスタイルは残
しているが、政治的には大宝律令からが現行天皇制権力と見るべき。
0852人間七七四年
2008/08/18(月) 00:02:27ID:yKzyEtvY俺が思うに、ただ単に幕府とか形式張った組織が面倒臭かったんじゃね?(笑)
関白・太政大臣つっても秀吉が朝廷の議事や祭祀になんかまともに出仕してないだろ。茶会やったり花見やったりしたくらいで(笑)
会社にも居るよね。派手なスタンドプレーや人付き合いは達人級なのに形式張った場所になると変に目立とうとして空回りしちゃう人。
0853人間七七四年
2008/08/22(金) 22:04:28ID:ty0WMJiJ藤原家ってのは金で買えるような氏だからそっちのほうが簡単。
しかも将軍より格上だし。
0854人間七七四年
2008/08/22(金) 22:32:17ID:011dBCGc足利将軍は在命中だし。
秀頼が関白を継いだが、ここで家康としては、身分は下でも征夷大将軍
となって実権を握る方が、適切だったのだろう。
0855人間七七四年
2008/08/23(土) 18:18:57ID:e0u7mQwP0856人間七七四年
2008/08/23(土) 21:01:39ID:PI4hdl4L結構しっくりいったんだが、保守的なのも確か。
その点、信長や秀吉の場合は三河の田舎者より遥かに近代的だから、
より上位の価値観を政治的に創造する必要性を感じていた。
ただ、秀吉は信長ほど革新的でなく、また朝廷権力さえ無碍には出来な
い諸勢力の糾合による天下だから、結果中途半端になってしまった。
まあ、ボケるのが早すぎたんだろうね。
0857人間七七四年
2008/08/23(土) 23:47:30ID:SjHqWvLF0858人間七七四年
2008/08/23(土) 23:56:40ID:/u8mBvC81603年時点では実に現実的な判断だと思うが
0859人間七七四年
2008/08/24(日) 20:04:08ID:xevbcsz/0860人間七七四年
2008/08/25(月) 23:37:42ID:xCZSzTYT買えたかなー、一応向こうはきっちり正統で系図残ってるし、難しかったと思うが。
0861人間七七四年
2008/08/25(月) 23:42:08ID:57A4j0Cmさすがに胡散臭いかな
0862人間七七四年
2008/08/25(月) 23:45:53ID:pVFsrCwO0863人間七七四年
2008/08/26(火) 02:18:05ID:Nj/Mdsohだもんで、源氏を名乗る、というのはそれなりに意味があることなんだよね。
だから、秀吉なんかは名乗りようがない、というところ。
家康が、足利の兄貴を祖としたことはそれなりにすごいことで、普通は
名乗りたくても出来ない。
さすがとしかいいようがない。
これをおかしな解釈してる人も多いようだが。
858に賛成なんだが、もっと積極的に「秀吉路線とは別方式にした」と
いうのを強調すべきだろうな。
0864人間七七四年
2008/08/26(火) 05:21:20ID:SMLM+c490865人間七七四年
2008/08/26(火) 06:58:25ID:APOD8xtE0866人間七七四年
2008/08/27(水) 01:54:53ID:WxjRIwdj二代で消滅させた家康はさすがとしか言いようがない。
秀吉が藤原を名乗ってくれるなら、一族の中の下っ端、なんだから藤原からみたら
ありがたいぐらいなんだ。
0867人間七七四年
2008/08/27(水) 07:06:02ID:XI13VxQXもっとはるか以前で、桶狭間の戦いが終わったころ。
「三河守」という位をもらおうとしたが、源氏や平氏の家柄出身でなくては
就くことができない決まりになっていた。
当時、松平姓だった家康は、家系図を「購入」して、もともとは松平でなくて
得川で、新田源氏の末裔なのだと、でっちあげた。
でもこれでOK!、と朝廷から三河守の称号を得た。
0868人間七七四年
2008/08/27(水) 09:56:31ID:Gxkwa+nU0869人間七七四年
2008/08/27(水) 13:39:03ID:WxjRIwdjつまり、家柄うんぬんというのは朝廷側の気分一つだったちゅうわけか、当時は。
0870人間七七四年
2008/08/27(水) 19:37:25ID:MqljxpXn織田は平氏だと思ってた
0871人間七七四年
2008/08/27(水) 20:23:38ID:Gxkwa+nU信秀のころは藤原氏を名乗っていた模様。信長が途中から平氏を名乗り始める。
0872人間七七四年
2008/08/27(水) 22:54:34ID:S5eilfAv分かっているのは、どうやら越前時代から藤原姓を名乗っていたらしいこと
0873人間七七四年
2008/08/28(木) 21:36:24ID:ynOpnTRn0874人間七七四年
2008/08/29(金) 16:11:34ID:pqWE5ZOS0875人間七七四年
2008/08/29(金) 17:22:55ID:bhFSpqX30876人間七七四年
2008/08/29(金) 18:48:06ID:Ch1B1tQc歴史雑誌の徳川家康特集号で、
その中に書いてあったことをパクっただけだよ。
0877人間七七四年
2008/08/29(金) 19:20:58ID:bhFSpqX30878人間七七四年
2008/08/29(金) 19:31:07ID:Ch1B1tQc徳川の間違いだろバーカ。
とでも思っているのだろうか。
0879人間七七四年
2008/08/29(金) 19:34:29ID:bhFSpqX30880人間七七四年
2008/08/29(金) 19:37:01ID:NyKvyZ/D0881人間七七四年
2008/08/29(金) 19:49:57ID:Ch1B1tQc上野国新田郡得川郷の出身でのちに徳川になった、と
系図では一応説明されている。
>>879は真性のようだから、永遠にスルーしてろ!。w
0882人間七七四年
2008/08/29(金) 19:54:50ID:NyKvyZ/Dどういう雑誌か知らないけど、新田源氏の末裔と言ったのは
さすがに桶狭間の後じゃないよね、そういうようにも取れる引用だし。
ちなみに桶狭間の時、家康は10代後半、まだまだ家系図なんていう時期でもないし。
・・つられたか・・
0887人間七七四年
2008/08/29(金) 20:26:12ID:NyKvyZ/D歴史雑誌と言ってムーだとこわいから調べなくてもいい。
0888883
2008/08/29(金) 20:39:53ID:Ch1B1tQc1566年(桶狭間合戦の6年後)、家康は松平から徳川に改める勅許を得て、徳川家康となった。
家康は、近衛前久らに賄賂を贈り、前久は万里小路家から系図を探し出し、このような偽系図をでっちあげた。
この系図では、新田義重の子で、上野国の得川郷を与えられ、得川を名乗ったが
のちに徳川という字を使うようになり、その子孫が諸国をまわる僧となって、
三河国の加茂郡松平郷に至って、そこで松平を名乗った。つまり、本当は松平でなく、徳川である、
という主張をしている。メリットは、清和源氏新田氏の末裔であるとアピールすることにあった。
なぜ、この時期に改姓しなければならなかったか?。
松平家康は、三河を統一した時点で「松平蔵人佐」という官位であった。三河の支配者として
「三河守」がほしくなったが、三河守の官職は源氏か平氏か藤原氏か橘氏でなければならず、
松平氏のままではだめだった。
祖父清康が、一時期、源氏新田の世良田氏を名乗ったこともあり、新田流に系図をつなげることを思いついたのであろう。
改姓の効果はすぐあらわれ、翌年(1567年)には、三河守に任官している。
以上、p44〜45の要点引用
0889人間七七四年
2008/08/29(金) 20:49:09ID:bhFSpqX3君の元レスと色々違う件
まぁそれは置いておいて、>>888に「万里小路家から〜」と書かれている通り
一気に源姓を名乗ったわけじゃなく、まず藤姓を名乗っている
家康が源姓を名乗り始めるのは、うろ覚えだが1588年頃じゃなかったっけ
0890人間七七四年
2008/08/29(金) 20:57:29ID:NyKvyZ/Dやっぱり引用がおかしくないかな。
1566なんてまだ三河のあんちゃんで、上野国と結びつけるのは
後に江戸に本拠を置いたのと混同してないかな。
これだと、前久が見つけ出してくれたようだけど、実際は家康がさがしてきた
「得川」だろうし。
ほんで、新田源氏を名乗る、ということがどういう意味を持つかに
全く触れてないから、家康の偉大さに触れられない。
・・つられたか・・
0892人間七七四年
2008/08/29(金) 23:10:20ID:IFTbwt+5でも、遥かに脆弱な基盤しかない秀吉にとっては、どうでもいいものでも
ありがたがるポーズを取らざるを得なかった。おじゃるどもへのご機嫌取
りは、信長の非じゃないw
0893人間七七四年
2008/08/30(土) 01:45:35ID:UEjITdSFそもそも「松平蔵人佐という官位」の部分だけで
ツッコミどころ満載だろww
0894人間七七四年
2008/08/31(日) 01:11:20ID:rTvR5Zct0895人間七七四年
2008/08/31(日) 01:19:53ID:vgn8GgQ/0896人間七七四年
2008/09/01(月) 04:06:13ID:yOru+fhb蔵人は令外官で四等官制を取っていない筈なのだが、ググってみると言継卿記にそう書いてあるとか「本当かよ」という情報が現われる。
0897人間七七四年
2008/09/01(月) 20:59:34ID:rx0dWHZH雰囲気だけでわかりますね
0898人間七七四年
2008/09/02(火) 07:52:11ID:gYxMzwUC0899人間七七四年
2008/09/03(水) 00:33:52ID:fbsTgF1H0901人間七七四年
2008/11/08(土) 23:41:00ID:aoUpjy4rを見たけど酷いな・・・。
「関白は公家の頂点、征夷大将軍は武家の頂点」
「秀吉は生前征夷大将軍地位を望んだが、かなわなかった」
「過去将軍になれたのは源氏の系統に属する武士だけ」
「将軍になるため、源氏の身分になるため足利義昭に養子にしてくれるように頼んだが断られて失敗している」
みたいな事を堂々と言ってるんだが。
ちなみにゲストは小和田哲男
0902人間七七四年
2008/11/09(日) 00:39:24ID:8qonI8T1NHKの娯楽番組でついつい無批判に通説を採用しちゃうのは仕方が無い
本能寺の変黒幕説とか家康が信玄の息子だったとか
噴飯ものの珍説を公共の電波に乗せられるよりは遥かにマシだと思うしか
0903人間七七四年
2008/11/14(金) 07:22:42ID:wbheYD0D0904人間七七四年
2009/01/17(土) 21:18:57ID:3gDQzIjW小田原の役→後北条を滅亡まではいいが、家康に改封させて東国支配を任せた→100%捨ててる
もともとなる気がなかったか、将軍職は初めから可能性はなかったと考えるのが妥当。武功・政策レベルでムリ
0905人間七七四年
2009/01/17(土) 21:21:29ID:WElimWwt0906人間七七四年
2009/01/20(火) 15:17:22ID:mChs/OOu改めて、朝廷に征夷大将軍任官の工作をすれば、
すんなりと将軍就任を許されて、
関白兼征夷大将軍という過去に例のない権力を掌握出来そうだが…。
将軍就任で、幕府も開府出来て、
源氏や足利将軍家のように、
豊臣家の世襲制(ただし、血縁者が居ればの話だが…。)も確保出来そう。
0908人間七七四年
2009/01/20(火) 15:46:14ID:rYrfpMF60909人間七七四年
2009/01/20(火) 16:34:52ID:/7K8bcqP0910人間七七四年
2009/01/20(火) 16:37:44ID:/HHeI23s関白のほうが偉いから。
0911人間七七四年
2009/01/20(火) 16:40:23ID:lW/KTWypことをねがい、血統、家柄に関係なく望む位につけた。
ってか?そんなリベラルな時代じゃねえってば。
0912人間七七四年
2009/01/20(火) 19:53:33ID:X7Big3fa別にいいんじゃないの。
そもそも秀吉の関白就任自体が前代未聞の特例なんだし。
0913人間七七四年
2009/01/20(火) 21:06:18ID:WcPpQLaB0914人間七七四年
2009/01/20(火) 23:41:49ID:MsAddT9p確かに、それ以前に幕府開いた2人とも源氏だったし、
”先例”ってことだと、そうなんだろうけど、関白になるより
難しかったとも思えない
徳川幕府後の人間からすれば、武家政権なら征夷大将軍で
幕府だろうって思うけど、あの当時としては、どうだったんだろう?
0915人間七七四年
2009/01/21(水) 01:36:35ID:JZ7AVBR7源氏うんぬんは幕府を作らせたくない公家の言い訳になったのかも
武士の大半は源氏の流れをくむ家系なんだし朝廷がいえば無理に幕府を作ろうとすれば反発されるし
0916人間七七四年
2009/01/21(水) 06:36:33ID:WOD9mjWI単に後の時代からそう名付けられただけでさ。
0917人間七七四年
2009/01/21(水) 10:15:23ID:pnNIiwZc将軍は工作しても血統に入れなかった、つまり、農民出身の
信長の1家臣のまま
だから将軍になれなかった
藤原氏の血統に入れない場合は1戦国武将で終わりの可能性大
まわりの有力大名は関白の肩書きに従ってただけだからな
0918人間七七四年
2009/01/21(水) 10:26:00ID:pnNIiwZc平家は太政大臣どまり。
0919人間七七四年
2009/01/21(水) 14:59:07ID:364lY1bM幕末の徳川慶喜は、朝廷と幕府の一元化を図る為か、
将軍が摂政を兼ねる構想を持ち出して、
側近達に朝廷工作等を命じていたそうだが…。
0920人間七七四年
2009/01/21(水) 17:19:24ID:R1ay+Smk0922人間七七四年
2009/01/21(水) 19:27:41ID:eEx5wq660923人間七七四年
2009/01/23(金) 03:23:06ID:Ee4aB94Y肩書きだけで従えられるなら、足利昌山だって近衛前久だって天下人になれたわけだが。
家康なんか血統工作しなくても源氏長者を久我家からうばってしまったしな。
0924人間七七四年
2009/01/23(金) 03:40:28ID:rfpuU4lC源氏の長者は征夷大将軍に付属するものではない。
まあ、源氏で武家の場合、征夷大将軍で、なおかつ公家を被官化したものが名乗れる
称号だと考えるといい。
0925人間七七四年
2009/01/23(金) 09:28:41ID:BGfJku6J任官要請を奏上するのは誰かわかってる?
わかってたらそんなこと言えないよね。
自分達の官位をやる前に自分達が任官しない高官(征夷大将軍)をやるよね。
0926人間七七四年
2009/01/23(金) 12:43:12ID:zdMDD3Gc五摂家が口出しできる話じゃないだろ?
0927人間七七四年
2009/01/23(金) 18:03:18ID:rfpuU4lC朝廷権威と共に、「豊臣ノ長者」としての家父長権威で統制しておる。
秀吉の政権は、官位序列と豊臣家と言う家内序列の二本立てで形成されている。
0928人間七七四年
2009/02/09(月) 01:47:27ID:ZVqHeJDj何を言っておるのか。
権限上は、五摂家は普通に口出しできる立場だが。
徳川時代は将軍家の権力が強すぎて、実質的に口出し出来なかっただけ。
鎌倉時代とか普通に五摂家が関わってる。
0929人間七七四年
2009/02/10(火) 21:08:15ID:DOcHy6sj朝廷内部に対しては江戸時代が一番権力を持っていた>摂関家
摂関家に独占的権力を与えて、その摂関家5家のみを江戸幕府が飼いならせば他の公家を無視しても幕府の権力が朝廷内部に浸透させられたから。
0931人間七七四年
2009/02/10(火) 21:26:34ID:b4oQJ3gG>>928と>>929のどちらにレスしているのかは知らないが、どちらも
紫衣事件の背景として間違ったことは言ってないだろ。
0933人間七七四年
2009/03/29(日) 10:25:02ID:d/z2dyhk独裁者に血筋もなにも関係ありません。(天皇は無理でしょうがね)
当時だれも文句言えませんって。
家康だって逆らえば殺されます。公家も同様。
ただ必要なかっただけ。
0934人間七七四年
2009/03/29(日) 13:21:07ID:9s9RPVHZことでなれたんだぞ。
将軍職を足利家から奪えば諸大名を敵にまわすことになる、
少なくても毛利や上杉は抵抗しないわけにはいかなくなる。
0935人間七七四年
2009/03/29(日) 13:59:00ID:5MbgMgvg0936人間七七四年
2009/03/29(日) 17:28:08ID:ToBVpv96征夷大将軍より武家関白制のほうがより上位にあった。
むしろなぜ家康は関白にならなかったのかの方が問題。
0939人間七七四年
2009/03/31(火) 20:35:52ID:c3kdr99g中世以後、公家社会は散位・非参議など官職に就けない公家がごまんといた。
そこに秀吉の元で武家が官職を占めるようになった。だが、武家出身者に複雑な宮中儀式なんて行える訳がない。
しかも、左右の両大臣が秀吉によって失脚させられて宮中儀式も満足に行えなくなって朝廷の権威が低下。
そうなると、秀吉自身の天下人としての権威は健在だったが関白自体の権威は低下。
秀吉が死んだ頃には朝廷の組織は完全に機能麻痺に陥った。
徳川家康が「武家官位」を定めたのは、武家が官職を占めて公家が排除される自体を防ぐ側面もあった。
0940人間七七四年
2009/04/01(水) 17:23:20ID:+RFPLSk3武家関白制でも幕府でも、朝廷が日本統治の実権をほぼ握らない(外交は別みたいだったけど)のは変わらない。
朝廷の機能なんて式典ばかりなんだら、なにも官職に公家が付いていないとやっていけない〜なんてこともないのでは?
新たに役職を設けることもできる。
どうもしっくりこないんだが。
0941人間七七四年
2009/04/01(水) 17:24:40ID:+RFPLSk3武家関白制は形式上朝廷による直接統治だから、「朝廷が日本統治の実権を〜」のくだりは当てはまらないよね。
0942人間七七四年
2009/04/01(水) 18:24:58ID:v9qptW2E官位は、帝に変わり政をするための役職
将軍は、朝廷に変わり武力で異敵を討つ為に作られた役であり官位は低くてもなれる
0943人間七七四年
2009/04/01(水) 18:26:43ID:0JP8hmse0944人間七七四年
2009/04/01(水) 18:30:41ID:VAGr1yOw武家が云々って言う以前に、すでに大葬、即位礼すら満足に
行えてなかったんだから、朝廷の権威もすでに低下していただろ。
むしろ、卑賤の関白を一方ではさげすみながら、一方では財力、軍事力に
感謝していたのが公家たちの実態じゃないのか?
0945人間七七四年
2009/04/01(水) 18:35:34ID:v9qptW2E松平のままならスムーズに将軍になれたやんか
0946人間七七四年
2009/04/01(水) 18:55:38ID:MaYuoPgA今は衰退しててもいつ何時復活するかわからんに、制度としてきちんと定めとくがよかったじゃに
0947人間七七四年
2009/04/02(木) 00:55:23ID:B5jdVv/oその式典ですら満足に行えなくなったんだよ。
もう一つ、朝廷公家は全国統治組織としてはとっくに消滅していたが、
荘園や製造運輸販売の商業経済方面は武家政権が成立した室町鎌倉の頃でも
まだ強く握っていた。彼らがそんな力も完全に失うのは江戸以降。
逆に言うと、そういった旧勢力が握っていた特権も武士に奪われていくのが
戦国時代であり、奪って力をつけていったのが戦国大名。
0948人間七七四年
2009/04/02(木) 05:52:19ID:/IIHMSmB0949人間七七四年
2009/04/02(木) 17:59:56ID:LPg9mqHy>しかも、左右の両大臣が秀吉によって失脚させられて宮中儀式も満足に行えなくなって朝廷の権威が低下。
>そうなると、秀吉自身の天下人としての権威は健在だったが関白自体の権威は低下。
>秀吉が死んだ頃には朝廷の組織は完全に機能麻痺に陥った。
秀吉の権威と、関白そのものの権威との乖離はナニによって確かめられる?
また秀吉が朝廷の権威を貶める意図とは何?
徳川家が朝廷から官位の実質的な任命権を奪取したことはしたが、それでもなお、自己権力による権威の付与を行わなかったのは何故?
つまりは、最終的には朝廷の官位に頼っているのは何故?
0950人間七七四年
2009/04/02(木) 22:58:57ID:i6G4Ju+t本能寺の変をきっかけに天下とったから、
政権構想がなかったんじゃなかろうか。
だから幕府をひらいて天下を経営するプランがなかったのではなかろうか。
と妄想してみる。
0951人間七七四年
2009/04/03(金) 10:13:39ID:f5bhIlJ0松平緒家の上位に立つため、と俺の妄想。
0952人間七七四年
2009/04/03(金) 16:55:12ID:au11I55s実際に秀吉が将軍になる意味は薄いけど、秀吉自身がならなくても
秀長に将軍にならせて、豊臣のNO2が将軍につくとかって言う慣例を
作っておけば徳川につけこまれる隙がひとつ減った。
当時ボロボロだった将軍と言う地位もちゃんと実力の裏づけをもって
メンテナンスすれば恐ろしい威力を発揮するということに気付かなかったから
秀吉は豊臣家から将軍を出すことができなかった。
なろうとさえ思えば将軍になるのも、誰かを将軍にするのも
出来たと思うけどね。
極論としては秀吉が家康を将軍にして、豊臣と徳川の関係を決定しても良かったとすら思う。
自分でとった将軍じゃなく、豊臣からもらった徳川将軍じゃあ、豊臣をつぶしにくくなるだろうからね。
0953人間七七四年
2009/04/03(金) 20:42:01ID:1wpm1XgT0954人間七七四年
2009/04/04(土) 00:15:32ID:gXYHtqIT北畠顕家や懐良親王も大将軍として巨大な権力を持って、中央とは独立して政権を作っていた存在な訳で
あんまり「大将軍」の位を(っていうか幕府を作れる位を)乱立することは
地方分権を認めてしまうことで、中央集権志向から脱却してしまうから
百官の上に立つ関白を選んだ秀吉の選択肢ではないだろう
0955人間七七四年
2009/04/04(土) 01:24:04ID:FL3W5C2P征夷大将軍は源氏でないとなれないって聞いたんだが
0956人間七七四年
2009/04/04(土) 01:27:32ID:YDtGxNOF│
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0957人間七七四年
2009/04/04(土) 02:49:12ID:8fXAnCLq武家を組み込んで一本化しただけじゃないの?
秀頼があと10年早く生まれるか秀勝か鶴松もしくは秀長が生存してれば盤石だったと思うけど。
0960人間七七四年
2009/04/04(土) 13:58:59ID:9Jyh0qsx近衛家の猶子になったことも知らんのか?
0961人間七七四年
2009/04/04(土) 14:32:25ID:26b+qS4o反論としてもなりたってない
0962人間七七四年
2009/04/04(土) 14:54:58ID:d5y6Pnlx家康だって藤原氏(だっけ?)から源氏に血統をくら替えしてるぐらいだから、
この時代、血統を詐称するぐらいあたりまえのことでしょ。
いまさら秀吉が源氏を名乗ることになんの問題があるの?
0963人間七七四年
2009/04/04(土) 15:09:54ID:sDnq5HV+家康は子供もいっぱいいたし、有力大名と縁組みしまくりで地盤がしっかりしてたので朝廷とは距離を置けた
0964人間七七四年
2009/04/04(土) 17:59:32ID:9Jyh0qsx>それならどこぞの源氏・・
じゃあなぜ家康は吉良から系図を貰い受けたんだ?
そのへんのことをよく考えろ。
0965人間七七四年
2009/04/04(土) 19:37:29ID:/CtVftN1吉良からの系図というのが「どこぞの源氏」程度のものだったから。
三河守任官の為の箔作りで、たいして由緒のないその分捏造が容易な田舎源氏の
家系を買い取って念願の三河守になれた。それだけの話。
秀吉が将軍になりたくて、将軍になるには源氏の系図が必要だというのなら、
家康と同じく「どこぞの源氏」の系図買い取って源氏を名乗ればよかっただけ。
足利に拘る必要もない。前身が農民だったなんて関係ない。家康はどこの馬の骨
ともしれぬ三河松平とかいう田舎豪族の出身で、源氏の家系を買い取って名乗った
ことなんて周知だった。それでも将軍任官になんの障害にもならなかった。
なんで秀吉の場合はダメだと考えるんだ?
どうしても源氏になりたいのなら、足利義昭なんぞではなく当時の源氏長者
にでもお願いしたほうがよほどてっとり早い。
0966人間七七四年
2009/04/04(土) 19:38:03ID:JiC1bLKNそりゃ吉良家に世良田氏の系譜が残ってたからに決まってんだろ。
家康は思いつきで藤原氏を名乗ったが、源氏は思いつきで名乗ったわけじゃない。
0967人間七七四年
2009/04/05(日) 01:18:31ID:6dcK0oAY0968人間七七四年
2009/04/05(日) 01:58:18ID:rtkm76qW0969人間七七四年
2009/04/06(月) 02:52:13ID:SzRoirzh将軍+源氏長者で関白より上になる。
秀吉は源氏長者の存在知らなかったんだろ。
0970人間七七四年
2009/04/06(月) 03:05:05ID:SzRoirzhちなみに足利将軍は源氏長者じゃなかったみたい。
将軍だけでは豊臣家の上ではないと考えた家康が、幕府を開く時に古い文献を調べ鎌倉幕府で源氏長者を見つけた。
0972人間七七四年
2009/04/06(月) 08:19:26ID:AeIvV8/C0973人間七七四年
2009/04/06(月) 13:35:03ID:X+CnK3mk>将軍+源氏長者で関白より上になる。
majide?
0974人間七七四年
2009/04/06(月) 13:44:18ID:AeIvV8/C(ネタか無知に決まってんだろ)
0975人間七七四年
2009/04/07(火) 22:41:45ID:SO/PMQa50976人間七七四年
2009/04/07(火) 22:49:40ID:S22iwssq>将軍+源氏長者で関白より上になる。
ならないよ
源氏長者はその名の通りただの氏長者だから源氏に対してのみ有効
将軍は武家の棟梁だから本来なら朝廷の一武官にすぎない
それに対して関白は百官の長、天皇に代わって政治を司る地位と権威が
あるから、どう考えても関白の方が上
将軍が関白より上という概念は江戸期に作られたもの
0977人間七七四年
2009/04/07(火) 23:20:13ID:IIinSt4s鎌倉初期 将軍>関白
鎌倉中期以降 どちらも権力なし
建武の新政 関白は廃止されているので将軍のほうが上?
室町前半 将軍>関白
室町後半 どちらも権力なし
桃山時代 関白>将軍
江戸時代 将軍>関白
権力比較をすればこんなものか
0978人間七七四年
2009/04/08(水) 00:02:43ID:linMLvaX<丶`◇´>すぅ〜
⊂ ⊃
( ) ウソ ウソ
〈_フ__フ ウソ ウソ ウソ ウソ
ウソ ウソ ウソ ウソ
∧_∧ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ
<丶`○´>はぁ〜ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ
人 Y / ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウ
( ヽ し ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ ウソ
〈_フ__フ ウソ ウソウソ ウソ ウソ ウソ
ウソ ウソ ウソ ウソ
0979人間七七四年
2009/04/08(水) 00:24:41ID:lmv4mNiI鎌倉時代ってのは幕府による一元支配ではなくて朝廷と幕府の並列支配だけどね
ただ朝廷は摂関期じゃなくて院政期だから将軍>関白でいいけど
それでも鎌倉中期以降で将軍に権力が無いわけではないよ
もなんで執権北条氏がポンポン将軍を差し替えたかっていうと
そのまま放っておくと将軍と御家人が結びつく流れがあったから
(ここでも別に将軍が源氏である必要がないのが分かる)
ホントに両方とも権力が無くなったのって得宗専制時代だけだろ
0980人間七七四年
2009/04/08(水) 01:03:52ID:JUnuXqF+だからって言って源氏が関係ないってことはないな。
0981人間七七四年
2009/04/08(水) 01:06:17ID:I+yCJa+r源氏であれば好ましい程度じゃね
0983人間七七四年
2009/04/08(水) 05:48:41ID:D/hZ6sMp南北朝時代の藤氏一揆で大将軍にかつぎ上げる予定だったのは小田治久だっけ?
0984人間七七四年
2009/04/08(水) 20:04:24ID:sxLErq61平安時代はともかく、鎌倉時代以降は朝廷の政治機構そのものが形骸化してるから、
関白にはそれほど権力がないんじゃない?
秀吉があれほど絶大な権力を持ち得たのはあくまで圧倒的な軍事力を持っていたからじゃないの?
0985人間七七四年
2009/04/08(水) 20:24:46ID:sIDHjGAN検断権は幕府に奪われたけど、他の部分においては依然として王権のもとで朝廷が一定の役割を果たしていたというのが中世日本史の近年の通説だが。
だからこそ後醍醐による倒幕も最終的に成功した。
むしろ、正平の一統によって武家による権威のみにしか正統性を主張できなかった新北朝(後光厳天皇系)の成立によって幕府権力が朝廷権力を凌駕した結果が大きい。
0986人間七七四年
2009/04/08(水) 21:39:04ID:lmv4mNiI何故に関東管領なのかは分からないが
しょせん夢想の産物だからツッコミだすとキリがないが
そういや近衛経忠は関白だったな
0987人間七七四年
2009/04/08(水) 22:59:04ID:L7l+VeRAレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。