>>926
半弓か長弓か解らんよ。弓だけじゃ。表芸が長弓じゃけえ、長弓と断定する
ことも出来ん。暗殺手段として目立つ長弓より半弓の方がええじゃろう。
鵜呑みに云々云うが、文献は解釈論じゃし、あんたも戦闘当事者がおらん
ようになった時代の13世紀中頃以降の後世の資料、保元・平治物語や
『平家物語』から関東優先史家の引用じゃないか。ちなみに、中国地方の
武士の戦記物である『陰徳記』の著者、香川正矩氏は文書記録だけでなく、
古老を訪ねフィールドワークして編集されたもんじゃ。戦記物にも
風土的着眼、地方的差異がある。
機動力?郎党歩兵の速度に合わせてか?包囲殲滅は軽装騎兵の迂回も
無くか。しかも発展型と云う限り、中央ユーラシアの騎馬戦闘と
比較したうえのことと思うが、中央アジアの騎馬軍団よりどこが、
発展しとったんなら?組打ち以前に打物の白兵戦になるんが普通じゃろう。
後世の南北朝期や戦国時代に、槍や太刀を使うたんは勇敢じゃのうて臆病
じゃったんか?古代、大伴家持に徴発され動員された関東奴隷兵を称えても
のう。『太平記』は楠木びいきじゃのうて、南朝びいきじゃろう。
北朝方の播磨の赤松悪党勢の活躍記述が少ない。多々良浜の足利軍も宗像・
小弐の九州の兵を含んどる。肥後の菊池勢も征服地の将兵軍を含み、離反者
も多く、東国が肥後より強かった訳でもない。関東が肥後に優るんか?
後世の近代熊本兵団と宇都宮、東京師団の戦歴を較べたら解ろうに。