やれやれ、>>831で出て来たわい。
>>824
山県郡は、駿河から移住した吉川氏の移住地じゃが、何言葉遊び
しとるんか。関東武士の弓術が優れとる云うんは、鎌倉政権の宣伝に
過ぎん。あんたが例に挙げたことがある近藤好和氏も、壇ノ浦で新居宗長を
倒した浅利与一との遠矢合戦で、新居に対し『土肥が、「東八箇国には
此矢に射勝すべき者覚えず」という理由で、名立たる坂東武者でなく
敢えて甲斐源氏の浅利与一を推挙している点。この一連の遠矢応酬の
口火こそ坂東武者の和田義盛が切っているが、それはむしろ狂言回しの
役割であり、主役は阿波国の新居宗長や甲斐国の浅利与一だったところに、
なにがしらの歴史事実が反映されているとすれば、それは坂東武者が
遠矢が得意でなかったということではないか。』と、される。
近藤氏は近距離の弓技は坂東武士の得意とされるが、近距離の騎射も
都の技術に学んだ坂東武者が強いとも云えんのう。坂東武者は、
近畿地方の悪党軍の遊牧民、狩猟民的半弓に対し、機動を生かす騎馬に
不似合いな農耕民的長弓じゃ。遠矢に下手なものが近距離戦云うてものう。
近畿南部の吉野・十津河の山地民は遠矢も得意じゃったしのう。
久米邦武氏の見解は参考になるが、信奉?云うて、わしゃは宗教屋じゃ
ないど。文献において本格的に城郭戦が現れる云うことじゃろ。
文献の兵員数鵜呑みにする訳あるまい。近畿の悪党勢より関東各地や途中の
東海や近畿で徴発した兵で圧倒的軍勢に膨れ上がるは当然じゃないか。
平安末以来の関東武士得意の突撃戦法とは何か?無謀な突撃をして
悪党勢の半弓に射抜かれるか、太刀による白兵攻撃で悪党軍の槍に
突き殺されるか。じゃろう。軍役状の徴発した者達の槍や馬を誇っても
意味がない。鎌倉政権が成立した以後、武蔵、相模が強いと云うんも、
徳川幕府が出来て三河武士のカブが上がったと同じで、武勲、実例と
関係ないど。