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どこの出身兵卒が強いのかな??

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 01:20:07ID:hZWJSov6
ドコの国の一般兵士が強いのかな? 率いる将の力量抜きで。 よく尾張兵は弱いから信長が工夫したとか精悍な薩摩隼人とか言うじゃない お国自慢、思い入れも大歓迎〜
0832名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/26(火) 23:47:41ID:VlWFk5tL
>>827
多数を揃えるのは雁首揃えればいいわけではなく、
それを維持できる金銭物資に、高度な組織力が必要なのは言わなくても良いことだよな?
また、牛の言うように孫子でも言われていることだが、
同時にクラウゼビィッツも触れている。
毛利だって多数の兵を用意できるようになってからはちゃんと有利な兵数を整えているじゃないか。
最後に、負けることが恥で、戦う以上は勝たなければならない、その為の努力を十全にするのが基本。
この場合の「勝つ」は戦術ではなく戦略的な意味でな。
0833名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/26(火) 23:54:26ID:nxYaAhDj
毛利は強敵相手には逃げてばっかで最後は何もできないまま日和って二国に減封。
兵はともかく愚か者なのは確か。
0834白馬青牛2006/12/27(水) 00:21:32ID:t/6hHRtv
やれやれ、>>831で出て来たわい。
>>824
山県郡は、駿河から移住した吉川氏の移住地じゃが、何言葉遊び
しとるんか。関東武士の弓術が優れとる云うんは、鎌倉政権の宣伝に
過ぎん。あんたが例に挙げたことがある近藤好和氏も、壇ノ浦で新居宗長を
倒した浅利与一との遠矢合戦で、新居に対し『土肥が、「東八箇国には
此矢に射勝すべき者覚えず」という理由で、名立たる坂東武者でなく
敢えて甲斐源氏の浅利与一を推挙している点。この一連の遠矢応酬の
口火こそ坂東武者の和田義盛が切っているが、それはむしろ狂言回しの
役割であり、主役は阿波国の新居宗長や甲斐国の浅利与一だったところに、
なにがしらの歴史事実が反映されているとすれば、それは坂東武者が
遠矢が得意でなかったということではないか。』と、される。
近藤氏は近距離の弓技は坂東武士の得意とされるが、近距離の騎射も
都の技術に学んだ坂東武者が強いとも云えんのう。坂東武者は、
近畿地方の悪党軍の遊牧民、狩猟民的半弓に対し、機動を生かす騎馬に
不似合いな農耕民的長弓じゃ。遠矢に下手なものが近距離戦云うてものう。
近畿南部の吉野・十津河の山地民は遠矢も得意じゃったしのう。
久米邦武氏の見解は参考になるが、信奉?云うて、わしゃは宗教屋じゃ
ないど。文献において本格的に城郭戦が現れる云うことじゃろ。
文献の兵員数鵜呑みにする訳あるまい。近畿の悪党勢より関東各地や途中の
東海や近畿で徴発した兵で圧倒的軍勢に膨れ上がるは当然じゃないか。
平安末以来の関東武士得意の突撃戦法とは何か?無謀な突撃をして
悪党勢の半弓に射抜かれるか、太刀による白兵攻撃で悪党軍の槍に
突き殺されるか。じゃろう。軍役状の徴発した者達の槍や馬を誇っても
意味がない。鎌倉政権が成立した以後、武蔵、相模が強いと云うんも、
徳川幕府が出来て三河武士のカブが上がったと同じで、武勲、実例と
関係ないど。
0835名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 00:36:24ID:wO6VRSE3
>>834
何が言葉遊びなんだか。反論になってないぞw

遠矢は騎射じゃなく歩射。
都の技術ってのは、動かない的を非力な腕で静止的に射る流鏑馬や笠懸。
で、華麗さが求められる儀礼的なものだぞ。
室町期、武家の弓馬故実の小笠原氏にしても華麗な技が足利幕府に受け入れられたわけで
現在、弓馬で有名な小笠原も武田も甲斐だが、この故実は江戸以降それも吉宗の頃だし
甲斐=騎馬のイメージ、諸々の影響で関東は損してるな。
信長公記で褒めてるのも上州であって甲斐は触れてないが

続きはまたあと
0836白馬青牛2006/12/27(水) 00:48:07ID:t/6hHRtv
>>825
人海戦術、兵の動員力であろう。西日本の横型社会と違い、
東日本は隷属縦社会であることも大きな要因じゃろう。
>>832
兵力の動員に毛利軍は何時も困っとったよ。織田軍の中国征伐に
対した時も苦労したし、九州征伐の時も輝元さんは、秀吉さんに
怒られた。家臣の言いなりになる愚か者よと。
逆に毛利の家臣団の国人達に云わせれば、毛利家とは横連合の傘連判状で
あるよう毛利氏は代表者に過ぎん。命令を素直に実行するいわれは無い。
国人領主の家臣も国人領主の言いなりにならん。現代でも民主主義国より
共産主義国の方が兵力の動員は容易いんと同じじゃ。その点毛利氏は
封建的制度の世に組織も兵力の動員力もなく、天下を取れる要素なんぞ
無いね。
0837名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 00:54:26ID:yWbyt0fo
牛は資料を偏った見方しかできないね
0838名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 00:55:41ID:5EFaqrWm
>水戸学思想じゃ けえ、思想狂信者のカテゴリーに入れた方がええと思うよ。

(=゚ω゚) うむ。天狗党と芹沢鴨。血盟団事件の井上日召、橘孝三郎。
たしかに彼の地は宗教、思想テロが多いな。 
でもまあ、水戸学思想は全国に広まっていた・・・が、途中から薩長は
口先だけの尊皇攘夷になったがな。軒先貸して母屋を盗られたわけだ。

だが、彼等はタダの思想テロではなく世直しの義士でもあった。
将門や小田は人に頼られて挙兵し最後まで戦ったわけだし
血盟団ですら五・一五事件の先魁として昭和維新烈士の名を送られている。
国定忠治、新門辰五郎ら博徒ですら弱きを助ける仁義つーもんが有った。
だから彼等は義民と言われる。仁義無き戦いでは江戸っ子は納得しねぇぜ。


>悪党勢の半弓に射抜かれるか、太刀による白兵攻撃で悪党軍の槍に・・・

(=゚ω゚) 半弓にそんな威力は無ェって。甲冑を突き抜けないから騎馬で接近し
駆け抜けざまに長弓で撃ち込んだんだよ。射程距離も違いすぎるし。
山岳夜襲では長弓は不自由だからだろ ・・・つーか悪党って半弓使ってたのか?これだけに関しては詳細希望!
あと、雑兵物語では打刀で普通に戦ってるが?

>835 おっ!続き希望。
0839名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 01:24:53ID:0235RtqZ
>牛
少勢で多勢に当たらざるをえない時は、各個分断は基本なんだが。つまり少勢で勝つ為には数的有利は必要条件。
すなわち多勢を分断して自分より少勢のグループを意図して作り出し、各個撃破は戦術の初歩だ。もっとも少勢で戦を仕掛けるのはそもそも愚策だがな。
はっきり言って牛は無知過ぎる。話にならん。
戦闘をロマンで語るなよ。そういうやつが頭にいると兵の無駄死が増えるだけだ。もっと勉強しなさい。
0840白馬青牛2006/12/27(水) 01:27:58ID:t/6hHRtv
>>835
反論になっとらんのは、戦闘実例を挙げん坂東蛙君じゃ。
風評なんぞ、権力が側につけば後世何とでも云える。
また同じ言か。モンゴル人ではナーダムで遠矢競技があるがモンゴル人は
坂東武者より騎馬技術が疎いんか?静止的に射るチベット系遊牧民の例を
挙げたが、坂東武者より彼らは非力なんか?馬鹿げなことを云うのう。
悪党勢の戦闘の補足として、列島の狩猟文化の指標は、弥生時代から
大雑把に西日本の猪に対し、東日本の鹿。
(ただし、東北地方のマタギの人達は熊の要素も強い。)
東日本の狩猟獲物であある逃げる性質の鹿(鹿には初矢を第一の功する)
と違い、西日本の猪突猛進に向かって来る猪には止めを刺す猪槍等の道具が
重要であり、(猪には致命傷を与えた者を第一の功とする。)
西日本の悪党軍は文献に現れる以前から日常生活に槍を必要とした機会が
多かったんじゃないか。狩猟文化では、東海地方の三河や遠州は、
猪が指標となるので、東日本より西日本となるが。
あんたの続を見るたァ、わしゃはそろそろ眠いんが先じゃ。
0841名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 01:46:02ID:5EFaqrWm
826>古墳期の朝鮮式山城は、防御、守城戦闘を考えて造られた物じゃ。

(=゚ω゚) んーそうかもしれないが、山城のニート戦は・・・微妙だな。
大楠公だって圧勝したわけでも無し。兵站を絶たれたら終わりだと小早川隆景も言っておろう。

石田三成が決戦の地に選んだ大垣城も、都人が恐れた難攻不落の鎌倉城も
武田の躑躅ヶ崎館も一見要塞には見えない。
また、いざとなったら背後の山に逃げ込めるようにできてるもんだろ。
江戸城だって甲州口へ脱出することになっている。
攻防の戦略なんて素人目にはわからないものさ。
0842名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 03:53:10ID:+nVqBb/m
なんでそこでモンゴルやチベットを引き合いに出すのかわからんなw
0843名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 07:49:03ID:3e+jI4Ay
>>834
半弓っておもちゃとか?
南北朝以前の中世城郭は、騎兵戦術へ対して臨時の交通遮断施設レベル。
馬に乏しい河内が遊牧民w楠木に幻想抱きすぎ
相模の北条政権は敗れ去ったわけだが?栄華を極めた三河武士とは違うな。

壇ノ浦の三浦党・和田義盛は騎射で遠矢、新居は歩射。
騎馬での弓射という不利な体勢で弓を射る義盛にかなわない京武者の平家武士が
伊予国の新居に頼ったわけで、理由は平家武者の弓が弱いから
・・・となるわな。

>>835
usiの戦闘実例は太平記と平家なんだが?
熊谷親子と平山主従の計5騎が、悪七兵衛景清ら平家武者24騎を圧倒した
一の谷の先陣とかか?

田植歌が風評の影響?
早乙女(田植娘)らの興味を引かせる内容に、庶民の田植歌なのに政治力が絡む?
室町幕府は京都なのに。

都の騎射は非力な子供(寺院の稚児)でも上手に出来るレベル。モンゴルとか関係ないし。
武士の狩猟は鹿。
0844名無し議論スレて投票方法審議中2006/12/27(水) 21:37:48ID:by9JL863
違う見方で、尾張兵が最強じゃない?(但し信長が率いたときのみ)
大量の兵と鉄砲と堅固な陣地で長期戦に持ちこめられたら兵農分離してない兵なんて、楽勝だね。
0845名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 22:08:52ID:7wKyevCP
それは尾張兵が強いんじゃなくていち早く常備軍を取り入れた信長がすごいんだろ
0846名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 23:46:59ID:eq9CDJ8U
このスレって何の為にあるわけ?
0847白馬青牛2006/12/28(木) 00:06:28ID:oEFAHMTW
>>838
おいおい、尊皇攘夷は口先でないと困るよ。南宋の朱子学思想のコピーを
日本でやられたら。じゃが攘夷思想はネットウヨの嫌韓、嫌中に受け
継がれておるし、日本もよいよ中国、朝鮮、韓国と同類の東アジア
朱子学の国じゃわい。
>国定忠治や新門辰五郎ら博徒ですら?博徒の方が儒教思想に感化された
武士階級より武士らしい。義理、人情もある。が、国定忠治は、幼児を
殺害しとるし、外道列伝に加えた方がええ。新門一家は維新後〜大正期まで
浅草で勢力を持ったようじゃのう。浅草六区各興行館じゃ、新門一家の
若い衆が用心棒をつとめたんじゃろ。広島・呉の「仁義なき戦い」は、
飯干晃一氏の題名と茨城県人の深作欣次氏の映画の影響でそう云われる
だけであって、仁義がない、とは云えんよ。国定忠治の残酷さ、
関東版「仁義なき戦い」には敵わんよ。
半弓は狩猟用に猟師が使うとったんじゃけえ、野生動物に有効じゃに、
人間相手に威力が無い訳あるまい。半弓が威力が無いんなら、モンゴル等
の遊牧民の矢は威力が無く、東南アジアやアマゾンの長弓の方が戦闘に
有効なんか?
悪党の半弓をネットで検索したが、概要ぐらいしか出てこんね。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~yume-n/root7.htm
連射の可能な蒙古式の小さな弓と出とるだけじゃ。
http://www.ikedakai.com/heihoyogo.html
【弓】(ゆみ)に、馬に乗ったまま射かけやすい短弓(半弓)が南北朝期に
表れる。と解説にあるが、文献よりも猟師の日常狩猟生活の道具が
戦闘に応用されたと考えるほうが良いと思う。
0848名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 00:14:14ID:U8K1+PMl
(=゚ω゚) あ、ごめん半弓でも弓力10kg以上なら甲冑を射抜けたそうだ。
ttp://www.rak2.jp/town/user/caw57320/ とは言っても当世具足の話だと思うが。

朝鮮や赤穂浪士が半弓使っていたのは知ってたが戦国にも有ったのだな。
伊賀・甲賀で半弓が使われたそうだから悪党も使ってた・・・かも。さらに情報希望。
モンゴルのヤギ角かなんかで造った弓はもっと強いらしい。
もっとも学生が使ってる長弓でも強いのは2、30kg以上の有るし必然として矢も重くなる。
威力に関してはやはり長弓とは勝負にはならんだろう。

>846
(=゚ω゚) そ、それは・・・
0849白馬青牛2006/12/28(木) 01:02:28ID:oEFAHMTW
>>839
敵兵を分断し各個撃破は理想であって、教科書通りにいかんのが戦闘の
現実じゃ。少数で戦いを仕掛けるのは愚策であっても戦闘の流れで、
敵兵の心理状況で違うた展開になる。どうせあんたァクラウゼィッツの
受け売りかドイツ参謀本部流の杓子定規な理屈を付けた戦闘解釈じゃろう。
>>843
河内源氏に隷属した関東蛙が泣いとるのう。北条は相模に移ったが元来
伊豆じゃろう。伊豆の漁師。栄華を極めた三河と同じく関東武士の勇猛
宣伝の効果か。壇ノ浦の口先だけの坂東武者がピエロになったが、
あんたの言から、その口先だけの伝統は継続されとるようじゃのう。
ほいで、新居は阿波の住人ど。安芸に本貫を移した熊谷氏じゃが、
贔屓しちゃあいけんけえ、云うたるが、先陣で勢いがある方が優位に立つ
んは当然じゃないか。京都政権が東人を野蛮視したんを坂東人が自分達が
勇敢であったと勘違いしよるだけのこと。モンゴルは関係無いじゃの、
今日も関東鎖国史観全開じゃわい。
0850白馬青牛2006/12/28(木) 01:44:33ID:oEFAHMTW
>>848
動物の角の弓、遊牧民の使う角弓は威力はあるじゃろうが確かに長弓ほど
じゃない。軽装騎兵の機動性と、騎射の連射に有利なが、牧畜民は半弓
だけでなく、鮮卑やパルチアのように機動性に乏しい重装騎兵には威力の
優れる長弓を持たせとるよ。じゃが元来、長弓は多くの原始民族で、
射魚の風習に伴っておる。長弓は空中では不利じゃが、水中を貫通する
には有利で、中国西南部やベトナム、日本の奄美の島々でも最近まで
射魚の風があったそうじゃ。長弓は狩猟よりも漁撈に関係が深い。
倭人や縄文人の文化が東南アジア的であることも関連する。
アイヌ人は、オホーツク文化人等、アムール・ツングース系の狩猟文化の
影響も強いので半弓じゃが、古墳期の渡来系も北方系じゃに、
現地民の長弓を採用しとる。おそらく当時東アジア重装騎兵全盛時代
じゃったことから、威力のある原住民の長弓を選んだんじゃろう。
0851名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 01:57:18ID:BjrLVosi
>>847
それがソースとは(絶句
>>849
仁井(新居)紀四郎親清は伊予だろ。伊予国新居郡新居発祥。
隷属w猟師w
河内源氏とか表現するのもアホくさい。いつものうし発言w

背後に城郭を控え、敵わず城に逃げ込む景清ら、平家方は城の中から矢を射かけ
馬を射られ徒歩立ちになった熊谷親子に対し、城の中で引篭もってた…という話だが。

西国の歩射遠矢にしても、それを得意としたのは九州や瀬戸内武士(岡山愛媛)であって
京・畿内の武者はただ見てるだけ(^∀^)
罵倒に対し罵倒で返せば、元就まで待とう廣島武士って感じか。
>>850
(*゚∀゚)
0852名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 05:30:50ID:b5m+MOMj
日本語使わないのはコンプレックスか何か?
0853名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 08:05:31ID:b5m+MOMj
維新の前の下関戦争と長州征伐に触れないのはわざと?
0854名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 13:09:02ID:Hd1Gy0VE
>>849
自分の言ってることにちょっと自信ないだろ。各個撃破はクラウゼヴィッツよりも遥か以前からの戦術なんだがな。
クラウゼヴィッツはそれを一般化しただけ。ただし戦史がベースになっているからただの理論として吐き捨てるのはただの無知。それこそ末期のドイツ参謀本部と一緒だな。

それに牛が敬愛してやまない毛利元就だって陶の大軍を厳島の狭い土地に誘いこんでるんだが。まさか心理戦だけで勝ったと思ってるのか?
心理戦といっても家臣に偽の裏切りをほのめかす書状を出させるなど、武士とは思えない卑怯な手を使ったよな。

牛の平和ボケもそこまでにしとけ。地形を利用した敵の分断なんて不良のケンカでもよくあることだぞ。
学者の本やネットからだけで知識を集めてばかりだから視野が狭くなるんだ。もっと広く勉強しなさい。
0855名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 15:32:52ID:21C0Aexp
>>854の言っている事は正論だが
言っている内容は中身がない様に見えるな
0856名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 17:36:08ID:JBsYATJ2
>>853
長州藩は廣島じゃねぇというのが牛理論
0857名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 21:25:10ID:Q1bySo6W
>>855
ヒント
ここは牛追い祭り開催中だから
0858名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 22:04:59ID:4zvuYJVC
>>857
トマトもぶつけようぜ
0859名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 00:55:14ID:UbalRHtF
ただの煽りより中身がある反論が爽快なスレなんだな
0860名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 01:36:31ID:ntFjkZ55
中身がないのはお互い様。煽りは牛もひどいよな。
0861名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 02:23:07ID:l8fFs9WQ
>>850
(=゚ω゚) ほう、なるほど射魚ちゅうのは初めて知った。でもアイヌに関してはやや?だが。
うろ覚えだがアイヌ半弓は一位の枝で造るやりかただった希ガス。
枝製の半弓は東南アジアとかにも有ったような・・・ 自身はないが。

モンゴルの弓は現代の和弓家にも引きこなせないほど強いらしいから素材の違いも
有るかもしれん。古代に合成弓は無いだろうからな。
和弓では江戸以降に鯨のヒゲを貼り合わせた李満弓(鯨半弓・駕篭弓)と言うのが有るが
幕末の武藝十八般略説には弓(木弓)銃弩(大弓)李満弓と分けられている。
雑兵物語では長弓の先に付けた「ハズ槍(変換できん!)」が活躍してるな。

>国定忠治は幼児を 殺害しとる
(=゚ω゚) 赤城の子守歌か?やったのは本人じゃないけど、たしかに1人殺してるな。
盗賊同士の抗争のうえの夜襲だから親父の巻き添えになったんだろ。風魔なんかもっと酷い。
山賊なのも事実だし貧民救済したのも事実。

(=゚ω゚) あと、敵兵を分断し各個撃破は普通に有るだろ。能島水軍の言う「我が全力にて敵分力を討つ」わけだ。
孫子にも我が兵は集中させ敵兵は分散させろと書いてあるし
0862名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 22:31:57ID:UbalRHtF
>>860
オレも>>861みたいなのが中身のある反論で楽しんでるのだと思うんだが
0863名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/30(土) 18:09:45ID:clNgQf7Z
>>849

>河内源氏に隷属した関東蛙が泣いとるのう。


頼朝将軍家は三代で北条氏と関東武士に
皆殺しにされました。


あんたの書いてる事は、根拠のないデタラメな自己願望だよ。

朝鮮人がやっている事と同じじゃないか。

見てて見苦しいよ。
0864名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/30(土) 18:23:26ID:clNgQf7Z
212 :日本@名無史さん :2006/11/18(土) 23:19:14
北条執権の荒々しい対朝廷政治手法は、平新皇将門の遺恨を晴らすかの如く痛快無双である。
承久の乱(1221)後鳥羽上皇隠岐、順徳上皇佐渡、土御門上皇土佐に配流。
元弘の乱(1331)後醍醐天皇隠岐、尊良親王土佐、尊澄法親王讃岐に配流。
後鳥羽・後醍醐の狂乱に対する果断な処罰があったればこそ、皇室が今日まで存続したんだと思う。
臣下による<朝廷処罰>の歴史的意義、意見聴かして。


219 :泰時命 :2006/12/13(水) 23:37:29
>212
土地の土豪が、天皇や朝廷に打ち勝った。実にすばらしい。
ただ、平氏や源氏は朝廷の官職にも興味があり、ちと情けなし。
北条氏こそ、関東武士(御家人)のための政治体制確立の立役者なり。
0865名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/30(土) 20:00:16ID:DAwvhNSU
尾張兵はオシャレ
0866名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/30(土) 22:34:01ID:nVYnhADb
尾張のお洒落な武士はチョンマゲがエビフライだったらしいな
0867白馬青牛2006/12/30(土) 22:37:02ID:zD6y45vq
>>851
半弓が西日本山岳籠城遊撃戦重視、長弓が東日本平野部野戦重視と云う
分類も出来、東西の戦闘方法の文化的相違を挙げたんじゃが。
新居は姓から元来伊予であろうが、阿波の住人じゃ。まあどっちゃでも
ええ。あんたが例に挙げたこともある近藤好和氏は、東国でも甲斐と違い、
坂東八箇国は、遠矢下手としとってじゃ。関東は常陸、下総等、低湿地
水郷地帯も多いので近距離の射魚の影響かのう。城に引篭るんを軽視する
たァ、関東籠城山岳戦下手の解釈であろう。相変わらず京・畿内の武者を
蔑視するのう。源為朝は、少年時代に九州へ遷って暴れたが元来畿内ど。
安芸廣島武士は、元就時代以前の応仁の乱での安芸勢の活躍、大内義興軍で
の京都・船岡山合戦で「鬼平賀」と呼ばれた平賀弘宗さん、更に時代は
遡り応永十年の山名満氏軍の相手に御薗宇城で三年間籠城し、遂に山名軍を
撤退させた平賀弘章さん等、廣島人は武勲や籠城戦にも伝統を誇るよ。
0868白馬青牛2006/12/30(土) 23:23:56ID:zD6y45vq
>>854
敵兵を分散し各個撃破する事が、古来からの戦闘法であることは、
云うまでもない。その戦術の常道が机上の理論通りに簡単に出来る訳でも
ない。敵の虚を付かにゃあのう。あんたの、常識的戦闘方法を机上の理論
解釈で論じる方法こそ、近代日本の参謀本部の師匠ドイツ参謀本部式
じゃのう。陶軍を厳島へ釘付けにさせた、桂元澄さんに陶晴方さんへ
内通誓書を書かせた事か。ほいじゃが桂元澄さんも桜尾城に留まり、
陶晴方さんに対し攻撃しとらん。「中国者の律儀」を表したど。
>>856
その通りで、長州は山口県であって広島県じゃない。山口県は大内氏が
室町期、都の政争に安芸兵を伴って兵力を動員し介入したよう、幕末も
同じ性格で覇権欲も強いが、中国地方モンロー主義の広島県と性格が
異なる。毛利氏も山口県に移り、山口人と成り大内氏の性質継続者と
なっただけ。
0869名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/30(土) 23:44:38ID:GrqA1HsN
広島人は戦上手だが出世欲や覇権欲が無かった為、天下を取れなかったのではなく
そんなのに興味がなかっただけと言いたいのかな
0870白馬青牛2006/12/31(日) 00:11:17ID:qHhNzII/
>>861
東南アジアでも、山岳地のチベット・ビルマ系は半弓を使うじゃろう。
海岸部や低湿地は長弓の伝統が強いんじゃないか。
弓の素材でどれだけ威力に違いが出るかは、わしもよう解らん。
国定忠治が手下に殺害させた訳じゃが、命令したんは親分の忠治じゃろう。
薩摩人士族の末である海音寺潮五郎氏は、この件の忠治に関して、
『左右に子分どもを居流れさせて、首実検をしたというのだ。いたいけな
子供まで殺し、女に傷を負わせ、いやらしい話である。しかし、これが
ばくち打ちの義理なのだ。武士道とよく似ていよう。「父と子のために
かくし、子は父のためにかくす。直きことおのずからその中にあり」と
いう孔子の教えの方がずっと人間的だ。』
博打打ちや武士道が残酷と決め付けられるのもどうかのう。
儒教的教養の無い者は禽獣に過ぎん、薩摩人らしい儒教を上位に置く解釈で
あるが、わしは、真宗王国の広島的に仏教的な「慈悲の心」が大切じゃと
考え、海音寺氏と見解が異なる。
0871名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 00:19:38ID:Uzb5q67C
何?この糞コテスレ・・。
0872白馬青牛2006/12/31(日) 00:36:14ID:qHhNzII/
>>863
頼朝将軍家が潰れても、河内源氏の義光や義国の末は関東でも支配階級
じゃったじゃないか。関東の支配者層は相模の三浦半島が弥生時代から
斥侯的存在として移住したよう、北方新モンゴロイド系である西日本人、
朝鮮半島からの渡来系じゃ。朝鮮人がやっている事と云う処、
朝鮮人に劣等感でもあるんか?関東土着民を代表して、朝鮮半島からの
渡来系に支配された恨みか?NEVER掲示板を見たら、韓国人に劣らず、
日本人側も嘘吐き、捏造に熱心じゃのう。お互い様と云うべきか。
>>869
広島人は、政治屋等は別として、覇権欲や出世欲に乏しいのう。
近代軍隊でも廣島聯隊から陸大受験に熱心でなく、合格者も少なかった
ことからも云えるよ。
0873名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 00:38:33ID:bI9DnnNK
>>780

広島人だが、お前みたいな広島弁は初めて見た

キモいな
0874名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 01:08:54ID:EB6mX0iW
>>872
>広島人は、政治屋等は別として、覇権欲や出世欲に乏しいのう。
近代軍隊でも廣島聯隊から陸大受験に熱心でなく、合格者も少なかった
ことからも云えるよ。



これがもし関東の軍隊なら、馬鹿が多いいい見本じゃ!とかいいそうこの人なら
0875名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 01:30:49ID:bI9DnnNK
つか>>780の言う広島って、どの辺りだよ

広島って北と南とでは全然違うぞ

0876名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 03:43:43ID:Q1gv/J3f
>>867
その阪急とやらのソースを示せよ。柳弓に毛が生えたようなものか?w
新居(仁井)紀四郎は諸本で違うのかも知れないな。
射魚ね・・あおうまワールド全開ですな(゚∀゚)

>遠矢下手
出番すらない伊勢平氏の京武者は無視かw遠距離じゃ清盛みたくヘロヘロ矢になるから?

壇ノ浦の遠矢で関東武士は遠矢でも騎射、西国武士は歩射という場面、
騎射は短めの矢を使うし、吹返しが邪魔であまり引き絞れない。
威力の出る近距離で矢継ぎ早に射る。鎌倉以前の弓射騎兵はこれ。
戦国期でも弓射騎兵はわずかにいたようだが、弓射騎兵の全盛は治承寿永期。

馬上では劣るが船戦に長けた瀬戸内武士は、下馬射で長弓大矢で遠矢…余技的。
甲斐の浅利は遠距離飛ばすために長弓を使ってるが、
騎射に当てはめると完全に余技になる(大庭の故実↓)

>>870
真宗王国の広島→江戸時代以降でしょ。
>>872
在地有力勢力との婚姻を通じて勢力基盤を得る。武士発生の根幹に関わる事なのに
相変わらず考慮しない姿勢だな。
半島から多数流入してるのは古墳期の畿内渡来(ry
0877名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 03:44:59ID:Q1gv/J3f
【吾妻鏡】
鎮西八郎は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。八男弓を引かんと欲す。
景能潛かにおもへらく。貴客は鎮西より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
景能は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
壮士等耳の底に留むべし。老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。

源為朝は日本一の弓矢の達人だ。
だが、体躯に対して大き過ぎる弓を用いていたのではないか。
大炊御門の河原の戦において景能は、為朝の弓手にあってしまい射られそうになった。
その時思った。為朝は九州から来たので騎乗での弓の扱いに慣れていないのではないか。
それに対して景能は、東国の者だから馬の扱いによく慣れている。
そこで、馬を為朝の妻手に馳せた。
そのため、体に当たるはずの矢が左膝を射られただけで済んだ。
この故実を知らなかったら命はなかったろう。
勇士はただ騎馬に達すべきだ。
壮士らもよく憶えておいて欲しい。老いぼれの言う事だと馬鹿にしてはいけない。
0878名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 05:33:23ID:h3e5QtnQ
牛は都合のいい解釈しかできないんだな
0879名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 13:00:52ID:5RkBpL1K
訂正:楊弓。江戸の時代劇でお馴染み、座って射る盛り場のあれ。

usiは弓が小さければ良いように考えてるようだが、日本の弓は独特の構造だから
長弓が理由で諸国に劣るわけじゃない。逆にオリジナルな創意工夫があるし。
西国で最も騎馬に長けた鎮西武士の為朝でも、相模武士の景能に指摘されたように
むしろ長弓は西国騎兵が好んだともいえる。
体格・リーチがないと、大きな弓で長い矢は射れないけど。
東国でも南北朝の弓射は歩兵。戦国の東国大名は弓(歩射)装備が少なめ。
0880名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 14:55:43ID:x7qK665+
>>872
家系図=血が繋がってるって判断するのもどうと思うぞ。
そもそもその家系図ですら大体において怪しいものばかりなんだから。
家系図に一箇所でも嘘偽り、間違いがないとでも?
まあ、正直地方に土着した源氏は全部怪しいよなww

関東に下る源氏一族を土豪が皆殺しにし自分達が成りすます。
最初はなりすましていたが、いつの間にか自分達の中に源氏のプライドが根付き育ちはじめる。みたいな。

武田信玄なんて、義光の血なんてひいてないだろな。
鎌倉時代後期〜南北朝にかけて源氏の血筋なんて没落してるよ。
土地の土豪が甲斐源氏を簒奪した家が続いてるってことだよ。


いくら信じろといっても
「血が繋がっているw」しかも「何百年も前の人物と血が繋がってるw」

なんてこんなトンでも電波飛ばされたら、あまりの衝撃波で吹っ飛ばされそうになったよ。
しかも、それを証明するのがたった1枚の「家系図」なんてねw
0881名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 15:01:27ID:x7qK665+
系図が意味しているのは「武田家」に各時代にそういう人物が居て
武田家の〜代目を引き継いで、その〜代目+1代目に引き継いだって事で
「源満仲」と「武田〜〜」の血が繋がってるって事を証明するものではありません。

そんなのその辺りにいる乞食が「私は清和天皇の血が繋がっている」って言い出すのより
1%くらい信憑性が高くて事実っぽい事を述べているにすぎないよ。
信じちゃって、それで喧嘩しあうとかって滑稽だよ。


武田家の本家が「私は武田信玄と血が繋がっている」なんてのは事実じゃない。
でも。武田の本家が「私は武田家の初代武田〜の後を継いだ40代目の当主である。」って言えば
信じる。

しかし、いくら嫡流に近いといっても本家でもないし、分家した時代にそれを証明する公的文書があちこちにあって
事実って証明できるならばいいけど、それも出来ないのに「武田の分家」なんて信じちゃうのも
一体どういう脳みそなの?って感じ。

尚且つ武田本家ですら、武田信玄と血が繋がってるなんて証明不可能なのに
分家にすぎない奴が「血が繋がってる」なんて思い込んでる様は笑っておなかが痛いよ、ほんと。
0882名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 15:04:11ID:x7qK665+
鎌倉幕府のトップは、執権・北条氏だよ〜ん。


北条氏(ほうじょうし)は、伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族である。
また、代々鎌倉幕府執権職を継承したことから執権北条氏ともいわれる。

時方のとき伊豆介となって伊豆国北条郷(現静岡県伊豆の国市)に土着し、
北条氏を名乗ったというが、詳細はわかっておらず、平氏ではなく、東国から北条の地に移り住んだ豪族とする説が有力である。
その傍証として、伊豆の他の豪族と比べて地元に同族が少ないことが挙げられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F
0883名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 15:05:12ID:x7qK665+
鎌倉幕府のトップは、執権・北条氏だよ〜ん。


鎌倉政権はまた、坂東の武士たちの訴訟調停機関の側面も大きかった。
源頼朝が坂東の武士たちに奉じられたのは、かれの調停能力の高さに武士たちが服した結果でもあった。
「一所懸命」という言葉が示すように、武士たちは自分が開拓した土地を守ることに命を懸けた。
そして、土地争いが起こったとき、公平な調停を期待できる機関を求めていたのである。
これが、鎌倉幕府存在の意義であり、その成立は時代の趨勢に合致していたのである。

ところが、源頼朝のあとを継いだ頼家は幕府存在の機微が理解できなかったらしく、血統こそ尊いと思ったようだ。鎌倉政権を担う武士たちは家来として扱い、
結局、反発を蒙って失脚、幽閉先の修善寺において暗殺された。その後は弟の実朝が継いだが、かれも、頼家の子公暁によって殺害された。
そして、かれら以外の頼朝の子孫もまた、ことごとく非業のうちに世を終わり、源氏嫡流は断絶した。

頼朝の子孫が断絶すると、源氏との血縁をもって京から九条頼経が将軍として迎えられたが、のちにその子頼嗣とともに京に帰された。
これは、頼経が反北条御家人らと北条氏打倒の陰謀を画したためといわれている。
その後は、皇室より宗尊親王が迎えられ、その子惟康親王、ついで惟康親王の娘婿久明親王、その子守邦新王と続いた。

しかし、かれらが将軍職についた時代は、鎌倉幕府執権である北条氏の権力は絶対的なものであり、将軍とは名ばかりのまったくの「お飾り将軍」であった。


http://www2.harimaya.com/sengoku/kamakura/html/km_syogn.html
0884名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 15:27:47ID:Ta1IHtrW
>>872
君にとっては「義光や義国は源満仲の子孫で、家系図があるから彼・彼女も源満仲の子孫」

とかいうのは事実wなんだろうけれど、俺を含め、かなりの多くの人間にとって、そんなのは
「妄想」「妄信」「伝説」であって、んなものは事実でもなんでもないって事だよ。
なんなら世の中に出て多くの人に聞いてみなよ。
みんな顔は笑顔だけど、心の中では「はー?何コイツ、気持ち悪!精神病?」って反応されるよ。


もう少し良識を持って欲しい。
なんで証拠も無く、証明も出来ないクダラナイ妄想を事実と思い込むわけ?
馬鹿もいいところ。
結婚して、子供が出来て父親がそんな馬鹿だったら自殺する。
「妄想は妄想」「伝説は伝説」「事実は事実」ってキチンと区別できる
大人にならないとこの国は滅ぶ。
「義光や義国が源満仲の子孫で、家系図があるから私も子孫」なんてのは妄想も妄想、糞妄想
これだけははっきりさせておきたい。
0885名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 15:38:26ID:DBSTrSpE
江戸時代の武士は悪質。
自分の家が卑賤上がりだからって、系図捏造するときに、
その辺の名家の系図抹消を行ってから、その系図に自分の名前を
連ねるとかを強権でやってるし。
0886名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 16:01:06ID:sO48dU8b
なんかコンプレックス持ちがいるようだ。
しかもしつこい。
0887名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 18:26:53ID:ew4aeE9p
>>884
残念だが、現代の国家は滅多な事じゃ滅ばない
つか民族問題以外で滅び(統合・分裂)ようがない
現代の単一民族国家が滅ぶような現実的なシチュエーションを出してくれ
0888名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 19:05:31ID:7syHOwE1
天変地異によって日本列島沈没とかw
0889名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 21:39:43ID:NeoKoiq+
>>870
(=゚ω゚) んー、射魚長弓説はオモロイけど、あんまり関係ないだろ
外国にもイングランド長弓隊とか有るし。
アイヌは半弓だが北海道だけではなく樺太千島まで広く漁労もしていたから山岳狩猟とは言い切れない。
アイヌの漁法は基本的に釣り、マレク(突き鉤)、キテ(銛)、網、梁ヤナ。
沖に出て刺し網、地引き網、川では梁を使って追い込み釣りや銛で仕留めた。
アイヌは薬草に詳しいので毒を使った漁法も有ったらしい。女はウグイとか雑魚も捕ってたようだ。
幕末に見聞された松浦武四郎の近世蝦夷人物誌に「瀬棚の小使役“シテバ”は
山では毎年2,3頭の大ヒグマを仕留め、海に出れば銛の名手で3mもある大トドやアザラシを
仕留めた」とある。
【突鉤のサケ漁】ttp://www.frpac.or.jp/kodomo/html/hito/nariwai/nariwai.html

基本的にアイヌは毒矢を使う。たしか坂上田村麻呂が蝦夷に毒矢攻撃されてたな。
ただ、相手が熊とか鹿だからすぐに毒が回るわけでもなく槍や山刀一本で
組み討ちで仕留めたようだ。 ・・・凄い。アイヌ最強w

 >国定忠治が手下に殺害させた訳じゃが、命令したんは親分の忠治じゃろう。
(=゚ω゚) だから盗賊同士の抗争だっちゅーの。
米軍の空爆みたいに民間人を無差別に殺した訳では無い。
スジ者の世界ではそう扱うのが落とし前のつけかただったんだろう。
カタギのアッシらには関わりのねぇ事でござんす。

ではまた来年(=゚ω゚)ノシ
0890白馬青牛2006/12/31(日) 23:31:41ID:OcaZD2BS
>>874
これがもし関東の軍隊だったら?そがいなん関係なーわい。
わしが学校秀才の参謀タイプを馬鹿じゃ思うとるんは他板を見りゃあ
解ろう。英国の紳士が知性を軽視する傾向(英国紳士がクラスの中以上の
成績を取る子息に極めて疑惑にみちた目で眺める。紳士の子供はあらゆる
点において順応すべく期待され、同期の誰よりも多くの生徒をぶち殴った
とかは賞賛すべき偉業になるが、学業の優秀性は許容出来ん逸脱とされる
そうじゃ。)、人格を重要視したのと較べ、ドイツや日本は、エリート層
、秀才信仰が強い故に国家を誤らせたのであろうか。
『旧日本陸軍(海軍も同様)には、人物、器量、識見よりも、何より陸士、
陸大の卒業成績を重視する弊害があった。俗に秀才と云われる学校の
優等生は、単に記憶力が優れているだけで、人間として最も重要々素で
ある創造性、判断力、決断力、思考力が欠如していた。エリートコースを
たどった秀才がいかに愚者で小人物であるかは、軍人だけでなく、現在の
政財界を観ても一目瞭然である。英国のチャーチルが若い次官時代に、
「このような創造力の無い軍人を司令官にするほど怖いことはない」と
云って、軍司令官に推薦のあった四人の将軍の中の二人を蹴ったという
逸話がある。』と、森金千秋氏は云われた。
広島人の戦闘における知力と学業秀才の馬鹿たれと同一視してくれなや。
0891名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 23:47:45ID:/SdCs6kj
>>890
でもその理屈は何の努力もしないで「実は俺はすごいんだぞ。」みたいなこと言ってる
馬鹿と同じ理屈だよな。
言ってる本人に実力と実績が伴ってりゃ誰も文句は言わないが。
牛の話を聞いてると昔8連隊は戦では負けたが個々の大阪人は強いと言ってた
うどん屋の釜の大阪人を思い出したよ。
0892白馬青牛2007/01/01(月) 00:22:10ID:ot0pKlzR
みなさん、新年おめでとう。
>>876
半弓は、古来から民間に伝わっとったもんじゃないか。
http//katohjuk-web.hp.infoseek.co.jp/aduma48-00-mokuji.htm
【吾妻鏡】第四十八巻の下記の方、原文正嘉二年(1258)八月大
十七日の鹿ヶ谷事件の解説では大弓でなく、半弓と解釈されとるようじゃ。
表芸の長弓だけでカバチたれるだけで、民間に伝わる半弓を無視しても
意味が無い。大阪の天満宮の流鏑馬は、いまだ半弓騎射じゃ。
ほう、あんたが引用した近藤好和氏は関東は接近矢としとるんに、
関東の遠矢たァなんなら。和田義盛のように口だけピエロの関東武士か。
まあ、接近矢の技術を含め西行や平家降人に学んだ坂東お笑い武士団。
騎射、弓術の早業なら半弓にかなわんのじゃに、長弓にこだわる頑固さは
関東流か。関東の騎射下手同様、瀬戸内水軍の船戦も船自体を武器にせん
拙劣なもんじゃ。
安芸門徒は、石山合戦のおり敵中突破し兵糧を運んどるよ。
関東の在地豪族も渡来系が多かろうに。埴原和郎氏によると東日本人でも
渡来系7に対しと在来系3の比率で、関東人は在来縄文系の直系じゃ
ないよ。西日本より多少在来系が多かっただけのこと。
0893名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/01(月) 00:46:48ID:diGUEzDq
あけましておめでとう。
>>890
随分と秀才が嫌いなようだがお互い様だと思うぞ
秀才タイプはあんたみたいなの毛嫌いするだろうし
昔は不良だった???
0894白馬青牛2007/01/01(月) 01:28:46ID:vvUqZC9+
まだ関東蛙君の騎射の時代的変化じゃ、日本オリジナルと他国と比較せず
独善性に酔う関東共産主義解釈の後は、やれやれ>>880氏の妄想かいの。
家系図に信憑性が薄いのはその通りじゃが、文献、系図解釈で
ギャーギャー云うても意味がない。人類学的根拠はどうなら。
http://www.pref.iwate.jp/~hp0909/koto/koremade/jinrui/jinrui.htm
埴原和郎氏の多変量解析分析では、奥州藤原氏が土着蝦夷、在来系では
無く、京都出身の可能性が強い。中央貴族藤原氏出身の系譜通りの結果に
なっとるよ。関東蛙君に云わせれば、秀郷流奥州藤原氏は、関東在来豪族の
血も濃いと云うんじゃが。>>882で東国から北条の地に移り住んだ説が
有力であると、同族が少ないんが、何で「東国」から移り住んだと断定
出来るんか?東国以外でもよさそうに。伊豆、相模は北方新モンゴロイドの
影響が東国の中では強い方じゃ。だいたい、どがいな(どのような)解釈も
出来る文献資料だけで歴史が構築出来ると思い込む方が妄想じゃ。
文献を読んで解釈出来るようになるんは他学問の要素も考慮し、
自己の人間としての経験や世間を知っとらんと妄想になるよ。
ほいで>>884の世の中の多くの人に聞いてみなよ?
何でわりゃ、世間に頼るんなら。昔、わしが少年時代、日教組の馬鹿な
教師も世間の常識から通用せんじゃカバチ(文句)たれとったのう。
世間じゃ、常識じゃあ、頼りにするたァ、自己の判断で生徒に向き合う
たらえかったのにと、昔を思い出したわい。だいたい自分に自信がのうて、
責任を負うことが出来ん人間が、世間がどうじゃ、こうじゃ、ゆうんじゃ。
そがいな(そのような)もんの、受け売りをしとるんが、あんたじゃ。
0895白馬青牛2007/01/01(月) 02:23:24ID:vvUqZC9+
>>889
イングランド長弓隊は、同じブリテン島のウエールズ長弓隊を真似たん
じゃが。アイヌ人が狩猟より漁撈を重視したんは、縄文期からタンパク源を
主に海産物摂取したことからも云えることじゃが、わしは、アイヌ人の
半弓はアムール・ツングース、オホーツク文化人の影響があるんじゃ
ないかと考えるんじゃが。毒矢の使用も靺鞨・女真文化の影響であろう。
トリカブト(附子)使用等は。
国定忠治を盗賊と貶してもしょうがないし、江戸期に空爆があるはずも
ない。スジ者の世界ではそう扱うんが落とし前のつけかたか?
女子供はカタギじゃないか。関東では一族としてスジ者になるんか?
>>891
努力云うても、人様々じゃし、人に好かれる努力は、傍から観て気の毒に
思うよ。人気を得る為に八方美人になっとる人間は哀れじゃし、出世、
金欲に捉われた者も同じじゃ。そがいな努力して他人に見栄を張って、
意味があるんか?そがんなったら他人に経済力や俗物的名声に捉われ、
自分を見失い、ほんまの守銭奴に落ちる。いざ、命を賭すことも出来ん
ようになるんは自身の自由を自らが奪うことになるよ。
ほいで大阪8聯隊がどの戦闘で負けたか明確に云えず、スローガンで云う
自体がピンボケしとるよ。
>>893
一般的不良スタイルは、しとらんかったよ。人は人でわしは、わしじゃ。
0896名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/01(月) 03:44:15ID:TWhRqr7i
おっ
現地語の意味を日本語で括弧書きしてくれてる
やれば出来るじゃないか
0897名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/01(月) 04:11:08ID:sIFq/+f2
>>892
usiさんよ  その記事読んでみたが、事件の内容は建長寺門前で
伊具四郎入道が諏方刑部入道(弓手の騎射)に暗殺された、というものだろ。
それで弓とは書かれてないし、矢(毒塗り鏃)のこと。
鹿ヶ谷事件は全く関係ない。

つか、西国=半弓のソースは?
武士としての西行は、実戦経験が無いまま26才で出家した風流人にすぎない。
環境の整った細長い馬場で行う優美で儀礼的な競技として完成された
都流儀の煩わしい型にはまった流鏑馬の名手だっただけ。
興福寺の稚児でも出来る。
頼朝は古株の秀郷流末裔氏族に気を使う人w
0898名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/01(月) 09:34:07ID:PVyPH8Wp
みなさん、あけましておめでとう。

牛いじりは正月明けてからにしたいと思う。牛も正月くらい家族と過ごしなさいよ。
0899名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/01(月) 10:20:00ID:wcYvEakH
そうだな、元旦位は醜い煽りあいはな
新年明けましてお目出度うございます
昨年度中は半年ROMれ・童貞乙・ワロタなど大変お世話になりました
本年も同様にマターリとしつつ殺伐としたお引き立ての程宜しくお願いします
0900名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/01(月) 13:39:49ID:1RRArx5d
(=゚ω゚)ノ 皆の衆、あけおめ。
以前>>637で都築経家の秘術で馬が人手を借りず数珠繋ぎに彼の馬の尻について
来た言う話が有ったがヒントを見つけた。

「釧路の馬丁の治平は幼少より乗馬を好み、立ち乗り横乗り曲乗りも自在。
身の丈3mの大熊を馬上からの投げ縄一本と犬2頭のみで捉え、熊の攻撃を曲乗りで捌き
武器も使わず仕留めてしまう。
放牧された野馬は掛け縄で父母を捉えれば5頭でも10頭でもその後に付き従ってくると言う」

(=゚ω゚) つまり馬群の核を見抜く眼力と制御が都筑流の秘術だったのかもね。
「あたりまえだろ」と言われりゃそれまでだがw
ちなみに馬丁の治平とは馬好きのただのアイヌのおっちゃん。
0901 【大吉】 【1964円】 2007/01/01(月) 15:00:22ID:il245ijY
まあとりあえず運勢でも
0902名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/02(火) 20:41:29ID:+BcWKA7r
>>895
ひねくれてんなあ。なんで努力という言葉でそんな話へ持っていく?

でも言われてみればなぜ大阪が弱いって言われてたのかわからん
実際はそんなことないだろうな。
0903白馬青牛2007/01/03(水) 00:03:15ID:45w16ugx
>>897
そりゃあ、文献解釈の問題じゃ。あんたの云うソースたァなんなら?
わしが>>847に挙げたよう、わしは赤松悪党勢の西国山岳戦闘法と坂東の
拙劣な戦闘法の違いを表しておると考える。西行が出家したことと、
関東武士が西行から騎射技術を学んだことが、何で関係あるんか。
それたァ、関東の「実戦」とは何かと云うソースを希望するよ。
海音寺潮五郎氏は、源義平と義賢の大蔵合戦を例として、後世の博徒の
縄張り争いの「でいり」と同類とされる。騎兵の集団運用も出来ん坂東
武者の実戦とは何か?盗賊と闘うことは都の武士と変わらん。
ほんまの戦闘らしい経験をするんは、古代を除き、蒙古襲来以降、
外来戦闘の影響で西国から民間的な遊撃、籠城と戦闘変化が起きたと
云うべきであろう。型にはまった戦闘をしたんは関東武士じゃないか。
0904名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/03(水) 00:33:28ID:qnAh4q0Z
文献解釈もなにも半弓と意味してない事を指摘したわけだが、
西行の騎射も吾妻鏡の記事だけで(流鏑馬神事)、それは万人が認めるところ。
流鏑馬における弓矢の持ち方以外に、西行ごとき何が残るよ。
悪党のいくさ=阪急のソースを出せと。847はネタだろ
角弓じゃあるまいし。それとも富士川の例の如く、非力だから使ったとかw
0905白馬青牛2007/01/03(水) 00:57:09ID:mEaqPX0d
>>902
話が私事に、今思うとる方向に向うただけじゃ。>>890の流れで。
努力を美化してものう。戦国期の龍造寺氏の庶流江上氏の末である、
江上波夫氏は、「遊びで勉強するっていうと、今の人は不真面目と
思うものね。刻苦勉励するんだから。もっぱら研究室に通ってさ。
だからわざわざ狭くしちゃうんです。少し見聞を広くしておいたら、
読んだらすぐにわかるものはわかる。文字面だけで解釈するから、
えらい難しいものになっちゃうんです。考古学者だってそうですよ。
出りゃあいいんですよ。ところが予測が違ったら恥ずかしいんだ。
職人じゃないんだから。浜田青陵先生が我々に教えられたのはそれなんだ。
学者は絶対に広くなきゃいけない。常に横に広がる。下に掘るのは職人だ。
職人みたいな先生じゃぜんぜんダメだと言うんだ。浜田先生は、セース(
1845〜1923、英国人比較言語学者)先生から一日二時間も勉強
したら、四十過ぎたらボケる。一週間に二時間ぐらいでたくさんだ。あとは
広く経験したり見聞しろと言われたんです。実際、英国人は悠々と勉強して
いる。朝から晩まで魚釣って、お茶ばかり飲んで、あの連中のほうが、
自分でものを考えるというやり方を知っている訳です。」江上氏の言は
職人蔑視と誤解される人もあろうが、英国的アマチュア尊重文化でもある。
0906白馬青牛2007/01/03(水) 01:38:41ID:mEaqPX0d
英国人の素人(アマチュア)尊重精神は、専門職(プロフェッショナル)
知識より、高く評価されるんは、イギリス文学が主張するところ。
シャーロック・ホームズがママチュアでありながら、プロのスコットランド
ヤードの刑事達より洞察力があること。英国紳士が、努力して金銭を貯め、
立身出世した裕福な資本家や専門職を汚らわしいと軽視すること等。
スポーツでも、サッカーは、もはや、紳士らしいスポーツじゃないそうで、
ゴールを決めた後でお互いが抱き合いキスしたりで品が落ちたと云う。
例えお互いに許し合っている仲(ホモ同性愛のことか。)とはいえ、公衆の
面前でキスするなど、紳士として許される行為じゃない。ラクビーは、
レフェリーが見てない時お互いに股間を膝で蹴り合う程度に留めとるゆえ、
紳士らしいスポーツじゃそうな。
マイスター性専門職尊重のドイツと英国は違うが、どうも日本の職人尊重
傾向は、明治以降ドイツ思想の影響が強まったとも云える。
鈴木秀夫氏は、個々では違う例もあるものの、西日本出身の学者は
ジェネラル総合的で東日本の学者はプロ専門に徹する職人気質の人が
多いとされる。東日本の方がドイツ的かのう。

0907白馬青牛2007/01/03(水) 02:16:44ID:xDMX5npH
>>904
文献の一言一句解釈は、個人の思い込みに過ぎんよ。神学を論じとる訳でも
ないし。カルト教団じゃあるまいし。そう云やあ、中世史学者は、
考古学や民俗学的視点に乏しいと思うね。東国優先史観の網野氏は、
東国系でも例外かのう。
あんたァ畿内を非力じゃ、カスじゃ云うとるが、関東武士の方が筋力や
体力に上回ったと云う根拠を提示せず非力等と文献妄想しとるじゃないか。
治承の頃を云うとらんのに。南北朝期の当時の価値観で、民間のアマチュア
西日本の悪党を含む集団が寡兵で、東日本の専門家武士に対し、
戦闘形態が上回っておった云うこと。近代軍隊において戦闘で参考に
なるんは、関東勢じゃのうて、西日本悪党勢(播磨悪党集団は、丹波、
但馬の近畿北部と中国地方の因幡、伯耆を含む。)であろう。
源平合戦の頃は関東がアマじゃったが、戦闘技術より兵力の動員で
多勢が集まった要員が多いんじゃないか。
0908名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/03(水) 05:16:19ID:FJ2FGqt2
>>892大阪の天満宮の流鏑馬は、いまだ半弓騎射じゃ。

(=゚ω゚) 大阪天満宮の流鏑馬神事だと思うが・・・ あれ騎射では無いんだわ。
弓で(つーか弓形木刀?)的板をひっぱたくモノらすい。
「難波鑑」によると江戸時代には半弓だったらしいが
現在の天神橋筋商店街のド真ん中では半弓でもムリぽ。

しかし、とうとうホームズまで出したかw いったいどこまで逝くのやら楽しみだw
シャーロック・ホームズのモデルは、たしかドイルの師匠のベル博士だろ?
現代で言う法医学的なアプローチができた臨床医だよ。
医師が警察に協力しても言語学者が下町の花売り娘をマイフェアレディにしても
なんら不思議ではない。
0909白馬青牛2007/01/03(水) 23:42:21ID:S9UvrwfG
>>908
いまだにゆうたんは、間違いじゃ。「江戸期において」と訂正するよ。
ドイル氏がベル博士をモデルとしたが、問題はアマチュアリズムを
プロより上位に置く英国文化と云うことじゃ。「シャーロック・ホームズと
アマチュアリズム」で検索したら関連事項が色々出てくるよ。
「ピグマリオン」の話まで出したんか。イースト・エンドのコクニー訛りの
イライザをヘンリー・ヒギンズ教授が矯正する話じゃが、コクニー訛り
じゃあ「h」を発音出来んらしゅうて、Henry HigginsがEnry Igginsに
なるんじゃろう。ほいじゃが、下町云う概念が、階級社会の英国は違うよ。
東京の山の手がウエスト・エンドで、下町が、イースト・エンドたァ
云えまい。英国は階層差が激しい社会じゃし。訛り云うたら、現代の
江戸っ子は「ひろしま」を「しろしま」と云わんじゃろう。
歯切れのええ江戸弁?は聞いてみたいもんじゃのう。
0910白馬青牛2007/01/04(木) 01:02:25ID:xJ31yeKB
検索しよったら面白いサイトがあったわい。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/NetNews_site/Personal185.html
教育論議であるが、63、65の塩時計氏の意見、64の余丁町散人氏の
意見は、努力についてわしの言葉足りずの脱線と違い的確に云うと
られる。ほうじゃ、努力をそろ盤勘定して現世利益に還元する人間が
多い。帝国陸軍の将校や参謀達も「みんな」じゃないが、逃げる人間が
多かった。出世欲で責任を取らんような。英国の貴族が先頭に立つんと
大違いじゃ。賭博や宝くじで稼いだんと努力して収入を得ても優劣は無い
のにね。ドイツ式のガリ勉選りすぐった秀才たちも、知恵や判断力に劣る。
英国紳士は、一生懸命に努力し、それを公言して恥とも思わぬ人間を
軽蔑するそうじゃが、だいたい今日、魚が釣れる釣れんは、最終的には
海の神様が決めること、山の獲物も山の神様が決めることじゃ。
努力のせいにするんは傲慢過ぎる。優秀な人間など、個人の才能なんか、
社会の鋳型が決めるもんじゃ。本人がおらんでも、替わりを務められる
もんは、なんぼでもおらあーや。
NHKでホームズ見ながらカバチたれたわい。
0911名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 01:57:29ID:ktebS/ez
>>906
ラグビーヲタがネタに使いそうな話だ。
>>907
吾妻鏡は半弓を示してない。
江戸時代の流鏑馬w
悪党のヒント 地の利、コソーリ
少数東国騎兵の突撃戦法に、各地で敗れた平家方なわけだが。
0912名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 03:24:22ID:mlXCxx/p
>>906
ちなみにサッカーじゃなくフットボールね
0913名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 06:45:36ID:TCjbORDe
サッカー=足でボールをけって得点を争う競技。1チーム11人。蹴球
どうでもいい訂正すんなカス
和製英語嫌いなら金輪際使うな池沼
0914名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 06:50:31ID:TCjbORDe
JFAに日本フットボール協会に改名しろって抗議してから書けカス
0915名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 12:01:17ID:mlXCxx/p
>>914
釣りだよな?
Fはフットボールwww
0916名無し議論スレて投票方法審議中2007/01/04(木) 14:43:52ID:LYGrkkFD
戦国時代の話しろ!
0917名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 15:51:47ID:TCjbORDe
JFA(JapanFootballAssociation)=日本「サッカー」協会
football(英語)=F(略語)=サッカー(日本語)
英語ならFはfootball、日本語訳ではF(football)はサッカー
ガチの池沼だったのか
0918名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 15:58:00ID:TCjbORDe
因みにラグビーの意味のが強いわけだが
0919名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 16:26:39ID:KHPQ4aGa
武田信玄もダヴーも禿げている

つまりハゲは強い
0920名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 17:22:38ID:vdjKkRyI
要するに鈍牛理論で言えば、日本兵が全員広島人だったら世界征服も可能だったってことか?
幸か不幸か東北人や関東人や関西人や九州人もいたおかげで、そうはならなかったとw
0921名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 17:44:48ID:mlXCxx/p
>>917
サッカーは日本語じゃないぞ
アメリカではフットボールと言うとアメフトの事なのでサッカーで通じる
0922名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 17:47:18ID:mlXCxx/p
無知丸出しだなwww
0923白馬青牛2007/01/04(木) 22:14:43ID:AWWcaeWt
>>911
途中東海勢も連れ大軍勢に膨れあがる東国勢が少数じゃあるまい。
少数東国騎兵の突撃戦法たァなんなら。重装騎兵に必須の槍か矛を持って
突撃したんか?騎射の後いきなり組打ちじゃあ、突撃にならんのう。
せめて打物攻撃ぐらいは。吾妻鏡は東国側の後世の資料に過ぎん。
地の利も活用する術を知らん関東武士のハッタリ「でいり」の人海戦術。
わしゃ、ラグビーオタじゃないど。わしがサッカー云う日本に馴染んどる
言葉を使うた事が反響をよんどるが、>>906のスポーツの部分は、
『英国紳士』(ダグラス・サザランド著、小池滋 訳、秀文インター
ナショナル)から引用したが、P44の正確な訳文は、
『クリケットは紳士らしいスポーツである。少し下がってラグビー式
フットボールもそうである。これは紳士でない連中から「ラガー」と
呼ばれている。アソシエイション式フットボール(サッカーのこと)は、
もはや紳士らしいスポーツとは考えられない。ゴールを決めた後で
お互いが抱き合ってキスしたりする習慣で、品が落ちたのである。たとえ
互いに許し合っている仲とはいえ、公衆の面前でキスするなど、紳士として
許されるとは思えない。ラグビーでは互いにキスし合ったりはせぬ。
レフェリーが見ていない時に互いに股間を膝で蹴りあげる程度に留めて
いるから、これはずっと紳士らしいスポーツなのだ。』じゃが、
P46にあるよう、『紳士の一生においては、ほんの小さいころから、
点とりゲームより動物殺戮スポーツの方が上位に位置する。』
0924白馬青牛2007/01/04(木) 22:45:06ID:AWWcaeWt
『英国紳士』P105に、『若い紳士はほんの子供のころから狩猟時の
安全ルールを習っているのだが、それでも事故は起きるだろうし、
現に起こる。公平を期すために言っておくならば、通常これは、大人に
なってから金ができて狩猟を始めた人の不注意によって生ずるのが常で
ある。しかしながら責任が誰にあろうとも、その者は直ちに一行から身を
引き、もし重大な事故だったら二度と鉄砲射ちをやらない、というのが
不文律だ。同様な理由から、犯人の名前は親友さえも明かさないもので
ある。
こうした標準的エチケットは、海外からの客人が必ずしも守るとは
限らない。最近アメリカのシンジケートの催したある狩猟の折に、一挺の
銃身からダダダダと弾が連発して何と八人の勢子に当るという、実に驚く
べき手腕が披露された。この人物は国外送還されなかったばかりか、
翌日もまた鉄砲射ちに招かれた。勢子の数が減っただけのことなのだ。』
0925白馬青牛2007/01/04(木) 23:12:12ID:AWWcaeWt
まあ、英国紳士の人を喰うた表現の文章は面白いのう。
>>920
そがいなん云うたこたァないど。広島人が多数を占める広島師団が、
武勲、実績から国軍中の精強であっても、全戦闘の前線に立ったら
兵員数が足りんよ。日華事変の歴戦の戦闘で犠牲者も多かったけえ、先の
大戦の広島5Dが主役となったマレー戦じゃあ、兵員不足で通常前線に
立たん補充兵まで前線に使うたんに。華中の前線、宜昌にあった
広島39Dの方がまだ現役兵も多かったよ。仮定の話は空想になる。
実際の戦闘結果の武勲、実績じゃ。
0926名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/05(金) 22:31:59ID:Jm9Pzzqr
>>923
>馳過伊具左方 
>落馬之後知中于矢之旨云々、 塗毒於其鏃云々
この記事のどこが半弓を示してるっての?どう見ても毒鏃の矢。 
内容も確認せず、サイトの解説を鵜呑みにしてもしょうがない。
それで、『吾妻鏡』を例に出してきたのはusiちゃんですよw

東国のいくさ⇒機動力を活かした消耗戦、騎射包囲戦の発展型。平山熊谷もこれ。
組討?どっちかが必ず死ぬシビアな戦い。勇敢さが必要。
「あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけき軍卒」(大伴家持)
西国武士が好きな船上の打物戦は下馬戦闘、流鏑馬好きの僧兵に代表される打物歩兵。
南北朝、戦国の騎兵は打物騎兵。南北朝以来の西国武士、下馬打物の伝統。

>途中東海勢も連れ大軍勢に膨れあがる東国勢が少数じゃあるまい。
楠木びいき『太平記』のか?東国だけでなく、諸国の兵も含むんだが?
10倍以上の肥後菊地勢に野戦で勝ったとされる(太平記)、多々良浜の足利勢は無視?
>>907
動員数に東西の差などない。

日本のサッカーとラグビーだと競技人口が天と地。特にテレビ局総スルーの関東w
>点とりゲームより動物殺戮スポーツの方が上位に位置する。
今の日本でそんな奴がいたら、残酷な基地害としか。
0927名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/06(土) 00:03:06ID:Ao/okbtn
>>923「重装騎兵に必須の槍か矛を持って突撃したんか?」

(=゚ω゚) まあ、突撃と言ってもメクラ滅法突っ込んで逝ったわけでも無いだろ。
アホみたいに突っ込んで討ち死にしても手柄に焦った抜け駆けとして笑われた。
戦場には呼吸というモンがある。つまり突っ込む時節だな。
「秘書一番槍之説」とかいう本には戦場の作法として合戦には「槍を入る節」が有ると言う。
 >一番ニ進ミ出テモ続ク味方一人モナケレバ槍ノ功ニアラズ
 >敵味方トモニ手負死人眼前ニアルヲ見テモ、出テ首ヲ取ルコトナラズ、手負ヲ引カケ退クモナラズ、
 >両陣ノ戦士互ニ眼ヲ動カスマデニテヒッソリト鎮マリ、暫クタメラウコノ時備エノ強弱見ユルナリ
 >若シ一番槍ヲ入ルヤ否ヤ敵ノ備エ崩レ立テ、槍ヲ合スル敵ナケレバ一番槍トハ言ワズ、崩レ際ノ功ト言ウナリ。
 >弱キ方ハ多分場中前後ニ備エ色メキ槍合セニ至ラヌ以前崩ルル故ニ、毎戦槍ノ功アルコトニハアラズ
まあ、名のある武人には敵を突き崩せるだけの気合いと判断力が有ったというこった。

>>途中東海勢も連れ大軍勢に膨れあがる東国勢が少数じゃあるまい。
(=゚ω゚) 楠公は少数精鋭の宇都宮軍を一番怖れていたんじゃね。
つーか幕軍が全員東国だったんかいな?

>>関東武士のハッタリ「でいり」の人海戦術。
(=゚ω゚) ヤクザなら山口組とか関西系の方が・・・

>>916
(=゚ω゚) おお、残り70にしてまともな意見
0928名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/06(土) 20:49:31ID:NEeFN8tT
>>925
広島師団が日本一の実績、武勲を誇ったっていうソースあるならみせて
0929白馬青牛2007/01/06(土) 22:09:23ID:nwgmPuKg
>>926
半弓か長弓か解らんよ。弓だけじゃ。表芸が長弓じゃけえ、長弓と断定する
ことも出来ん。暗殺手段として目立つ長弓より半弓の方がええじゃろう。
鵜呑みに云々云うが、文献は解釈論じゃし、あんたも戦闘当事者がおらん
ようになった時代の13世紀中頃以降の後世の資料、保元・平治物語や
『平家物語』から関東優先史家の引用じゃないか。ちなみに、中国地方の
武士の戦記物である『陰徳記』の著者、香川正矩氏は文書記録だけでなく、
古老を訪ねフィールドワークして編集されたもんじゃ。戦記物にも
風土的着眼、地方的差異がある。
機動力?郎党歩兵の速度に合わせてか?包囲殲滅は軽装騎兵の迂回も
無くか。しかも発展型と云う限り、中央ユーラシアの騎馬戦闘と
比較したうえのことと思うが、中央アジアの騎馬軍団よりどこが、
発展しとったんなら?組打ち以前に打物の白兵戦になるんが普通じゃろう。
後世の南北朝期や戦国時代に、槍や太刀を使うたんは勇敢じゃのうて臆病
じゃったんか?古代、大伴家持に徴発され動員された関東奴隷兵を称えても
のう。『太平記』は楠木びいきじゃのうて、南朝びいきじゃろう。
北朝方の播磨の赤松悪党勢の活躍記述が少ない。多々良浜の足利軍も宗像・
小弐の九州の兵を含んどる。肥後の菊池勢も征服地の将兵軍を含み、離反者
も多く、東国が肥後より強かった訳でもない。関東が肥後に優るんか?
後世の近代熊本兵団と宇都宮、東京師団の戦歴を較べたら解ろうに。
0930名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/06(土) 22:13:18ID:Lr+0i4Kk
>>927
スレの最初から言われてることだが>戦国時代の話をしろ
お前が牛にかまうから戦国時代の話にならないんだろ
0931名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/06(土) 23:18:49ID:/tVdA9uh
>>930
スレの最初から時代違い時代違いと喚いてるのお前だろ?
当初は牛の傲慢さにそんな空気が大勢を占めたが
牛に抗しながら資料を絡めたアカデミックな論で
駆逐しながらこのスレを加速してきたんじゃないんか?
まあオレは>>927のファンだしこのスレの空気は好意的に受けとめてるんで反論しとく
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。