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どこの出身兵卒が強いのかな??

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 01:20:07ID:hZWJSov6
ドコの国の一般兵士が強いのかな? 率いる将の力量抜きで。 よく尾張兵は弱いから信長が工夫したとか精悍な薩摩隼人とか言うじゃない お国自慢、思い入れも大歓迎〜
0761名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 01:28:25ID:VOTNJBcE
(=゚ω゚) 薩摩は精神力がすごいな、でも格闘術で強いかは個人差があるからな
示現流祖の東郷重位は京都で善吉和尚に負けちゃったのが剣豪へのきっかけだし。
幕末のタマの百姓も薩摩に負けてはいなかった感じ。

>753
(=゚ω゚)あ、 いや、師団ネタというより・・・ 宇都宮ギョーザの話だった
0762名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 01:40:51ID:be4zOMXh
示現流って2マンセルで夜道を後ろから不意打ちのイメージのが強いんだが
ガチで強かったのかな?
島津も伏兵や夜襲のイメージ
0763白馬青牛2006/12/21(木) 01:47:12ID:x3aUkv4Q
>>759
『甲子夜話』二十四巻第八話、文政六年(1823)のこと。
大森の路店にて、薩摩の武士三人が安芸の武士一人に喧嘩を売ったが、
薩摩武士は、袈裟に切られて一名死す。又一人は真向を切られて死す。
初めに右手を切られたる者は逃失て在らず。
薩摩人3人で安芸広島人1人に勝てんかったよ。1名が逃亡するとは、
薩摩人は逃げ足だけは速いようじゃのう。足腰を鍛えた賜物かいのう。
まあ、廣島人に喧嘩売る馬鹿度胸というか、向こう見ずの勇気はあったよう
じゃのう。日本一じゃあ、毎度のハッタリかますんなら、
廣島人に勝ってから云やあええのに。
0764名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 02:40:50ID:JXBGCUDi
結局はそんな変わらんに一票。同じ日本人だし士気によりけりだろ
0765名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 05:25:24ID:X3PRimCP
>>763
廣島人に勝った程度で日本一語るのもどうかと思うがな
0766名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 11:49:17ID:PQJB8C+x
広島人ごときに負けたのに日本一語るなってことだろ
0767名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 13:28:13ID:ybZiVtiA
ギギギ
あんちゃん、わしゃ悔しいよ
0768名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 15:27:59ID:dwNRxGOP
ここまでのレスを総合すると

最強=広島

ということですが、異論はないですか?ないですね。
広島最強で決定しました。
0769名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 17:10:05ID:9C7kH/P/
はい。異論は御座いません。

廣 島 最 強 !

スレ終了。
0770名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 17:41:56ID:IdONJpwJ
そんな最強の広島さん。 なぜか関ケ原、大坂の陣は不戦敗  幕末は山口県人が頑張った!
0771名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 18:13:40ID:sntAni0+
確かに現代でも薩人は口ばっかしだよな。
その割には理屈も言えないし。
0772名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 18:42:21ID:VOTNJBcE
(=゚ω゚) あ、広島の武芸者って意外と強かったんだわ。
有名なのは槍の佐分利流、剣の信抜流、柔術の不遷流、渋川流などなど。
わりと質実剛健な流派が多い。
特に不遷流なんか柔道大会で本家講道館を負かしちゃったりしていた。

まあ、浅野家と言えば播州浅野家も・・・強かったようだ。いろんな意味で。
0773白馬青牛2006/12/21(木) 23:24:08ID:acZXNUZh
>>764
士気は重要な要素であるが、わしは風土によりかなり違いがあると思うよ。
あんたの言じゃあ、中国や西洋諸国も同じ人間が戦闘することで違いがない
と云うことか。
>>770
戦闘しとらんのに、不戦敗たァ都合のええ言葉じゃのう。幕末の長州の
権力奪取と地域兵卒に何の関係があるんか?権力志向が強いところ
九州人か?生憎広島人は権力欲に薄いよ。
>>772
浅野藩の武術は関係あるまい。武士階級が庶民と喧嘩して強かった訳でも
あるまいし。安芸で武士の子弟と町人子弟の喧嘩、ほいで長州征伐で
進駐した越後高田藩と安芸海田庶民の喧嘩もあったか。「安芸の国でも
海田がなけりゃ殿に恥辱は取らせまい。」と。越後人も恥辱を取ったのう。
渋川流は、『マレー戦記』の著者、越智春海氏も習われたが
越智氏は、柔道よりも空手に近く、凶器を揮って来る相手を斃す修練が
重点だった。と書かれておられたが、わしは、祖父から棒をくぐって
受身をする練習のことは聞いたことがある。祖父は柔道、剣道初段じゃが、
五段クラスも子供扱いしとったよ。曾祖父は柔道、剣道共に五段じゃった
そうじゃが、武術の素養もあったが喧嘩の実力で、後で認められた名誉段
じゃなかったかと思う。曾祖父の寝込みを襲うても絶対勝てる人でなかった
と祖父が云うちゃったわい。曾祖父が遊郭に行ったら夜の街の業界の人達も
頭を下げよったそうじゃ。勿論広島5Dに入隊しても上官にあいさつも
わざとせず、気にいらんと暴行し、上官を屁とも思わんかったようじゃ。
0774名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 23:35:29ID:U3PGf4IA
・・・それでおまいさんは、ケンカで朝青龍に勝てるんだよなw
0775名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 00:24:46ID:ZFYIce2P
>>773
>>764は同じ日本人同士でといっているのになぜ中国と西洋諸国も同じなのか
という疑問がわくんだ???

>>774
・・・・・・・・・・・え?
0776名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 00:30:27ID:2FRqhNgr
ピカ脳のウザさは異常
0777名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 00:45:35ID:UvTLoNfn
>773
(=゚ω゚) ん?曾祖父とはいつの生まれだ?戦前の五段なんて高段位の部類だぞ。
喧嘩で名誉段なんてありえんと思う。実力だろう。もっと威張ってイイ。
まあ、当時の町道場は普通にケンカで腕を磨いてたからな。
稽古にはケンカが一番良いだろう、ふっふっふ。

武芸では岡山に竹内流という名流がある、かの片山伯耆流も高木流もここから出た。
そして作州浪人宮本武蔵。備中武芸者あなどりがたし。

>774
(=゚ω゚) 口げんかなら圧勝だろうな
0778白馬青牛2006/12/22(金) 00:52:35ID:TBJQArkx
>>774
喧嘩で最初から負ける思う者は喧嘩せんことじゃ。あんたァ闘う前から、
はあ、戦闘気概がのうて負けとるよ。気で勝っとらん者がどがいに勝てる
云うんの。やる前から勝っとらにゃあ。必勝の精神じゃ。
>>775
近代軍隊も組織構成の差異が各国で異なっとったか?日本人同士云うて、
わしゃは、再三云うとるが、西日本と東日本じゃ社会構成が違い、
同一国家に属する国民であっても、同民族と前提条件を付けるんは
可笑しい云うとるんで。西日本でも九州は、文化的に西日本色と朝鮮の
中間色となろう。
>>776
人情のかけらも無い腐れ外道は、つまらん罵倒しか出来んのう。
0779名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 00:52:59ID:45jEx93F
誰でも知ってるような異名を持つとこが強いんじゃないかな。
薩摩隼人とか三河武士なんか有名だよね。
弱ければ異名なんか付かないし、無理につけても後世に残らないと思うんだけどどうでしょうか。
武将の異名はよく聞くけど、国や地域についた異名ってどれぐらいあるのかなあ。
0780白馬青牛2006/12/22(金) 01:24:20ID:TBJQArkx
>>777
曾祖父は明治一桁の生まれじゃ。祖父は、戦前の初段クラスで戦後の
三段クラスじゃと。練習相手は人間だけじゃのうて野生動物もあろう。
笑ようるが、何が可笑しいんなら。宮本武蔵は美州か播磨か諸説あって
正確にゃあ解らんで。
ほう、あんた口喧嘩でも勝てんのか。口ごもりょうる瞬間一発喰らわ
されたら終わりじゃのう。
>>779
異名たァ何なら。有名?現地民に暴行、強姦すりゃあ、恐怖を敵に与え、
有名になれるよ。じゃが戦闘実績とは一致せんよ。
後世に残るんは、日本的には玉砕し負けるか、軍の指揮官に従順であったか
どうかが問われる訳じゃし、戦闘実績とは関係ないよ。
0781名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 01:26:26ID:uh1O6Pwo
お国自慢から身内自慢にシフトしたかw
0782名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 01:30:16ID:96w5+/3w
隼人も異名ってほどじゃないけど、三河武士って異名なのか?
三河武士は一応、室町と江戸で2回幕府興すのに貢献したから地域名で呼ばれるんだろうな
江戸だけだったら徳川武士でいいから
0783名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 01:33:18ID:2FRqhNgr
>>780
日本語使えよ糞コテ
0784名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 01:33:37ID:4UW5bZSC
上官に暴行ねぇ…

なにそれ?どんだけ強かろうがしょうもないな。
0785名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 01:38:03ID:NC2CE7hb
中世、安芸国の小娘が憧れた関東の若侍。
決して、女が群がる亀田のイメージではない(^ω^)


『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)
坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた。
若い殿御が翔け鳥射たる弓手は、さても射たのふ見事や
弓の姿は。
0786名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 02:02:11ID:+eMnTUTU
山国でFA
0787名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 02:06:00ID:eTXv2U/V
久々に覗いたが、牛まだいるんだな。

牛は前から人の考えにケチつけるだけで自分から論を展開しようとしない。だから堂々巡りでつまらん。

って書くと、その根拠を出せぃって言ってくるだろうな。根拠はこの板の牛レスすべてなんだが。

果てしないやつだよ。牛はwww
0788名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 03:30:36ID:ZFYIce2P
>>778
同じ大和民族でも西と東に分かれた場合は異民族だということか?
0789名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 06:41:10ID:+eMnTUTU
否定するのは楽だからだろ
0790名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 00:02:20ID:9ZWZufcb
少なくとも広島は強くない 強いのは菅原文太だけ 三河の国だYO 天下人だらけだし
0791名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 00:03:59ID:Pp8sLczl
>>790
菅原文太は群馬県人なのだが・・・・・・・。
0792名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 00:10:35ID:Pp8sLczl
>>782
隼人は部族名だね。
>>784
復員者はホラ吹き兵隊が多かったらしいからね。
特に速成教育は。
0793名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 00:33:40ID:QopUb74K
>>790
三河の天下人は家康だけじゃないの・・・
将軍でも秀忠とか浜松時代じゃなかった?それなら遠江だし
吉宗、じゃなくてマツケンは三河人だけどなw
0794名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 00:36:06ID:GG5u9hvy
>>780
(=゚ω゚) こらこら「実力だろう。もっと威張ってイイ」と褒めているのに突っかかる
ヤツがいるか。
講道館四天王の西郷四郎が慶応二年生まれで死後加納館長より名誉6段位だから
当時五段なら最高段位の部類だよ。 ・・・たぶんな。
武蔵は播磨生まれを自称してるな、たしか新免氏は播磨、美作両方にいたと思う。

>口ごもりょうる瞬間一発喰らわされたら終わりじゃのう

(=゚ω゚) 学生のケンカみてえだな。平和でイイね。
うちの地元はケンカで口より先に手が出るお国柄でな、武器や集団戦も普通に使われる。
もっとも今時の学生は平気でナイフ刺すからな。怖い時代だわw

>791
文太兄ィは東北出身じゃけんのう。生まれは大陸だったか?
07957912006/12/23(土) 01:07:03ID:Pp8sLczl
>>794
失礼、仙台の人だった。
勘違いスマソ。
0796白馬青牛2006/12/23(土) 01:32:20ID:7CWT4w8n
>>785
坂東蛙君よ、また同じコピーか。つまらん、最近ネタが無いんか?
>>788
同じ大和民族が東西に分かれたんかのう?人種的には西日本人が東日本を
開拓し東日本人が生まれた訳じゃし。じゃが大和民族であることを
拒否する人達は東日本人に多いんじゃないか。東北地方の人達で、蝦夷、
縄文文明マンセイで大和民族は征服者で自分達は被害者であるとしたがる
人や、反西国史観の網野善彦氏等の学者、>>785の坂東蛙君にしても土着を
強調し、西日本、特に近畿地方に憎悪感情を持っとる。東日本人が
東夷や蝦夷と呼ばれても、人類学的に蝦夷の直接子孫じゃのうて、
北方渡来系の方が影響が強いんじゃにのう。西日本と較べて土着系が
多いだけのことじゃ。
西日本と東日本は文化的にも、社会構成も違い、江戸期は西の銀、
東の金と経済圏が違うとるよ。
0797名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 01:57:08ID:f7OHC7LW
そんなに気に入らなければ無視すればよいものを、あらゆる手で>>785を貶めようとする牛に切なさを感じた。

もっともらしく民族学みたいなものを絡ませてるが、そもそも東日本とか関東人っていうくくりが
西日本出身のオレからみてもコンプレックス丸出しなんだよな。

ちなみに関東に住んでわかったことは関東の人間は西とか東とかそれほど意識していないことだ。
牛も文献ばかりじゃなくてもっとフィールドワークで知識を収集しなさい。
0798白馬青牛2006/12/23(土) 02:22:49ID:7CWT4w8n
>>790
広島が強くないと根拠を云わんで吼えるだけか。天下人ねえ。権力欲が
強いだけじゃないか。菅原文太氏は仙台人じゃろう。作家の井上ひさし氏
の先輩。学生時代同じ新聞部じゃなかったか?
>>792
復員兵にほら吹き兵隊が多かった云うんは東京の話か?
まあ、前線で闘わず、後方でウロウロしとった連中に限って戦後に
なってほらを吹く者が多いんじゃが。特に指揮官の連中はのう。
>>794
ほいじゃが、あんたの文じゃあ、おちょくりあがるとしか思えん
文章じゃたど。曾祖父の若い時代は、剣術、柔術じゃし、講道館柔道たァ
違うわいのう。段たァ、免許、目録の時代じゃけんのう。ほいじゃが
実力者じゃったけえ、後の世代の人らから、実力を段で表現したん
じゃろうて。
隙を見せたらその時点で負けじゃ云うたんじゃが、ほう、学生の
喧嘩のう。学生の喧嘩の方が口より先に手が出るんは当り前じゃないか。
喧嘩で武器を使うんはええが集団戦は風がようない。
昔から学生の喧嘩でもナイフを使う者はおったで。まあ、幼稚園の頃の
喧嘩は、ほとんどのもんが石を使うて殴るんが最初じゃないんか。
少年でも幼児でも、昔の喧嘩の方が今たァ荒いよ。
0799名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 02:31:59ID:9f0CDIo1
>>795
近代軍隊にローカルな近世武士の喧嘩話、ネタが同じはうしちゃんよw
田植歌のなかでも代表的存在『田植草紙』(中世成立)は
安芸国のものじゃわい。
>>796
憎悪感情ってw
>>798
散々ほら吹いて、あげくは少年犯罪を助長するのかw


重籐巻いたる弓のふりをしてな
坂東殿ばらの肩に掛からばやな
弓のふりして坂東殿御にほれたよ
何と言うても思うに寄らぬ我が身や
厳しいは坂東殿御の姿よ
(『田植草紙』晩歌三番)
0800名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 02:37:14ID:OZRr1pu7
>>796
東北人だけど先祖が大和民族だったか蝦夷かだったかなんて知らん。
どっちでもいい、日本人には変わりないから。
当然西日本の人達に恨みなんてないけど、そういうの持っている人周りにいたら
情けなく思うよ

>>798
そうかな?今の奴らの方が限度知らない、手加減知らない、罪悪感少ない
集団武器当たり前みたいな感じがして恐いんだが。

0801名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 13:28:11ID:w/fZGxgx
三河武士だろう
0802名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 16:47:21ID:ZLjLBlGx
美濃はそこそこか
0803名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 19:19:21ID:dPaFt933
以外に強かった石田三成軍
0804名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 20:05:00ID:9cj4YL07
西日本人が東日本人を開拓したって愉快な人がいるみたいだね
東日本が縄文文化なのは縄文生活で事足りるぐらい裕福だったからだよ
当時の地球環境だと東北あたりは今の雪深いイメージではなく
程よく温暖で狩猟動物や食用植物には全く困らないユートビアですよ
弥生時代と縄文時代じゃ縄文時代の方が平均寿命が長いしね
稲作による貧富の差と支配階層の形成、武力闘争など無縁だった訳
だから蝦夷征伐に於いて蝦夷側に全体を糾合するような強力な指導者が生まれず
それ故に征伐に時間がかかったが、最終的に大和朝廷に吸収されたの
あえて西日本人・東日本人という言い方を使えば、その二つは全く別の文化土壌を持っている訳で
開拓という言葉を使うのは間違いだね
0805名無し議論スレて投票方法審議中2006/12/23(土) 20:13:39ID:RMZZRi4c
一般的に強いと呼ばれるのは、備前、関東、紀伊、
一般的に最強と呼ばれるのは、肥後、越後、土佐、三河、薩摩、甲斐。

疑問なのは近江、美濃。
書物によっては強かったり、弱かったりする。

軍団的に強いのは、黒田、島津、徳川、武田、一向衆、雑賀、石田、
福島、加藤清、蒲生、上杉、立花、キリシタン衆、長曾我部、柴田、
中川、森、磯野、吉川、伊達、最上、後藤、真田、・・・・(もっといるけど・・・
0806名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 20:15:37ID:9cj4YL07
真田とか最上とか防衛戦で強いのは当たり前だと思うが…
0807名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 21:03:11ID:lCep5Acw
林羅山が編纂した諸家系図伝の付記録「諸国記」では
三河、越後、甲斐、薩摩が強兵とされてるね。
0808名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 21:24:15ID:o5LL03g8
朝鮮被れの徳川史観の温床の言葉など信用できん
0809白馬青牛2006/12/23(土) 22:02:33ID:cnjj3Dq4
>>799
『田植草紙』の坂東殿御のう、安芸は鎌倉期、関東の御家人移住が
多かったけんのう。移住者に惚れたおなごもおったじゃろう。
じゃが、南北朝時代、坂東武士の実戦は憐れなもんじゃ。
楠軍の河内の悪党部隊に苦戦し、新田義貞軍は、赤松軍の播磨の
悪党戦法に手も足も出ず退散しとるよ。途中で参戦した東海勢や近畿勢を
含むとしても、人海戦術の関東は多勢で小勢を攻めるんが好きじゃのう。
ほいでも攻城下手じゃあササラじゃのう。まるで日華事変の小勢日本軍と
人海戦術の多勢中国軍の戦闘と似とる。西日本と東日本は戦闘方法でも
大きな違いがある。関東のどこが強いんかのう。あんたァ、いっつも
関東が強かった云う実戦実例を挙げんのう。
わしの文の何処がほら吹いとんなら。少年犯罪を助長するじゃ?
最近の少年ら、思うように暴れられんで可哀相なで。坂東武士のように
多勢に小勢にかかる集団に頼るんや、弱い者いじめは外道じゃが、
暴れるんは悪りいたァ思わんね。
0810白馬青牛2006/12/23(土) 23:27:35ID:cnjj3Dq4
>>800
民族、文化等が違うとって同民族とも云い難いが、国籍同じ日本国民には
違いないよ。あなたの周りよりも、文筆に携わる人達のこと。東北史家の
高橋富雄氏のように蝦夷側の視点のみで大和側は侵略者であり、蝦夷は
侵略軍に抵抗した民族と賞賛する。どうも大和民族に蔑視、敵意があるん
じゃないかと思うよ。ただし高橋富雄氏の蝦夷は人種概念でなく
文化概念とした処は評価出来るけどね。元仙台13Dの関幸輔氏も
近畿兵団に対する感情は、大阪兵団を「おとぼけ師団」と罵倒した
ことや、わしが、お国自慢板の帝国師団スレや民俗神話板の蝦夷スレで
挙げた東北側視点のサイトも含め、東北人は大和に複雑な感情が
あるんじゃないかと考えるよ。
わしが少年時代やそれ以前の昔の方が限度を知らん、生死を賭ける喧嘩を
しとった者が多かったよ。少年同士の喧嘩で殺人もあったが、今のように
マスコミがギャーギャー騒がんだけの話じゃろう。まあ、西日本の方が
東日本より気性が荒いし、とりわけ広島県はのう。スコップや鋸、鉈を
持ってする大人の喧嘩の影響をガキも受ける訳じゃし。東日本の喧嘩概念が
全国共通じゃないよ。教育問題の議論で昔と違い最近は親は学校へ抗議
してくる云うんじゃそうなが、ピンボケしとるよ。昔の方が親がおらんで
(叫んで)学校へ来たよ。学校の規則で相応しくない物を持った生徒が、
教師に一時預かりされたことで、学校の規則です。じゃ教条的な言を云う
先生に対し学校の先生はぬすっと(盗人)を生徒に教えるんか。わしんち
(わたしの家)の物をがめたん(盗んだ)を返せ云うて、職員室で暴れる
親もおったのう。昔の親の方が子供に対する愛情は強かったね。
0811白馬青牛2006/12/23(土) 23:48:24ID:ySpaKtNl
>>804
縄文人が裕福で寿命が長い云う根拠は何処にあるんか?30歳生きれば
長寿でおめでとう。じゃのう。ステレオタイプの縄文文明論者じゃわい。
貧富の格差も西日本よりも東日本の特徴じゃ。
>>805
強いと呼ばれる云うて、誰が云うたんか。そう云うて宣伝した人物と、
戦闘実例を挙げい。
>>806
善戦して玉砕じゃのうて、最終的に守り抜いたんじゃないと実例に
ならんよ。
>>807
林羅山が示した実例とは何か?
0812名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 23:55:40ID:o5LL03g8
相変わらずズレたレスつけるなこの人
0813名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 00:37:26ID:Yun/e9Ho
現代の東北人の感覚で言えば、東京にとにかく憧れてて関東より西の日本など知ったこっちゃ無いのが大半。
0814名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 00:55:41ID:z7B55AT5
それって大抵の田舎に当てはまるよね・・・広島とか広島とか広島とか
0815名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 03:55:01ID:4QixO/Z8
>>809
>関東は多勢で小勢を攻めるんが好きじゃのう。
(=゚ω゚) 逆だろ。平将門、新田義貞、小田五郎、長野業正、佐倉宗吾、水戸浪士、田中正造
巨大な権力相手にも怖れず戦うのが関東人だ。

>ほいでも攻城下手じゃあ
(=゚ω゚) んな事たぁ無いべさ。つーか、太平記のアレって日本初の攻城戦じゃね?
情報不足と、大軍を維持する資金不足。それに手柄にはやる連中の先走りで
被害が拡大しただけで、よせ集め組織が悪い。城攻め自体は下手ではない。
これと同じ事は島原の乱でも言えるな。

例えば日露の旅順攻囲戦で「要塞攻略に必要な坑道戦教範の欠如」が露見し、
以来帝軍は工兵による坑道戦の強化に勤めたと言われている
だが太平記時代には既に宇都宮公綱が「千早城箭倉の下の崖を掘り」と有るし
南北朝では関城の坑道戦が行われた
つまり近代要塞戦の基本は押さえていたことになる。
ちなみに関城坑道跡は帝軍も参考として調査をし日本三坑道に挙げられている。
0816名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 05:06:15ID:SikZHhhI
>多勢で小勢を攻め
あのー、これって常道、基本中の基本ですよ。
スポーツとかタイマンとかなら話は別ですが、どう考えても今そんな話はしてませんよね。
基本も押さえないで応用が出来ると思っているのですか、あなたは?
0817名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 09:01:45ID:2rAWDXy6
そういや旅順の時の無能な指揮官って中国地方出身の人間じゃなかったけ?
無駄に殺された士卒がかわいそうだよな。
0818名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 10:55:29ID:gcTVNyhm
浅井の強兵と三河武士はガチ。
0819名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 18:46:48ID:XGRwVa1i
三河武士


赤揃えをパクったものの
惨敗して鎧を脱いで逃亡した奴ら
0820名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 21:49:44ID:4QixO/Z8
(=゚ω゚) 三河強いよ、ケチだし頑固だし、良くも悪くもしぶとい。
負けても負けてもいつかは取り替えされる感じ。
0821名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/25(月) 16:23:36ID:/N2KU58T
白馬青牛はピカで脳がやられた気の毒な人
0822名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/25(月) 16:36:05ID:A2KRPDrC
広島はキチガイばっかだから原爆で間引いてちょうどよかったな
0823名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/25(月) 17:38:06ID:xYHoISvB
>>798
如何でも良いが、作家の井上ひさし氏は山形県出身。
0824名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/26(火) 01:56:56ID:yCr4yMYZ
>>809
田植歌は安芸だけじゃない。中国山脈地帯を中心に、南は土佐、西は肥後。
安芸国山県郡のそれが『田植草紙』であって、内容は連動してる。
で、移住した坂東武士とは唄われてないし、読み取れないが。
仮に強引にそう受け取っても、「坂東殿ばらは弓は上手なるもの」が肯定されるだけ。

楠木に赤松?『太平記』の城郭戦じゃん。
太平記全否定論者で明治期の学者・久米邦武を信奉してるusiなのにw
(=゚ω゚)が言う通り本格的な城郭戦はこの時代から。
人海戦術って太平記の兵数を鵜呑みにしてるの?
東国武士が得意としたのは平安末以来の突撃戦法なんだが。
戦国の軍役状でも槍や馬が多いのが北条、上杉は槍が多い。結城や佐竹は馬。 

「日本国中の兵を集めても、真っ向勝負で相模・武蔵武士に勝つのは難しい。
でも策を使えばこれを挫く事ができる。」・・・と、
『太平記』で楠木正成に語らせてるだろ。 
0825名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/26(火) 11:49:03ID:+zrOWgLJ
>>809
少勢に多勢でかかるのは戦術の基本だろ。平和ボケしたアホウだなw
その強くない関東武士がどうやって幕府を開いたのかも是非教えてほしいものだ。
0826白馬青牛2006/12/26(火) 21:40:24ID:DxkPRmKQ
>>815
田中正造氏には同意じゃが、水戸浪士は朱子学の影響の強い水戸学思想じゃ
けえ、思想狂信者のカテゴリーに入れた方がええと思うよ。
文献で知られる範囲で初の攻城戦と云うだけのこと。弥生期の高地集落や
西日本に多い古墳期の朝鮮式山城は、防御、守城戦闘を考えて造られた
物じゃ。古代から野戦と攻城、守城戦闘は行われ、山の多い地帯は、
南満洲の高句麗、四川山地のチベット・ビルマ系の羌系諸種族等、
防御施設を造っとるよ。日本の平安期初期まで弩兵が重要視されとった
ことから、攻城を想定した武器を活用したんは明らかであろう。
秀吉が武田の城攻めで数日で兵を引いたことを、田舎者の合戦の仕方と
川角三郎左衛門は記しておるが、陰徳太平記でも中国勢に較べ、関東勢の
短期で守城放棄する弱兵さを書いてある。攻城や守城、遊撃戦を含め、
西日本の戦闘方法で関東が拙劣じゃった云うことじゃ。
0827白馬青牛2006/12/26(火) 22:25:40ID:DxkPRmKQ
>>816
常に少勢で多勢にあたった広島人から云うと、多勢が有利であるが、
多勢で勝っても自慢にならんねえ。多勢は基本と云うんは大陸中国の方か。
ツンゴピン(中国兵)の戦闘は少勢では戦意がなく逃げるが、多勢となると
命知らずか。と云えるほど勇猛になるねえ。
>>817
乃木将軍のことか。乃木愚将論は司馬遼太郎氏の引用じゃろう。
その司馬氏は戦時中、前線の戦闘の経験は無い訳で、司馬氏の戦後の
功利主義解釈で云われるのは如何なものか。前線兵士は指揮官の能力とは
戦略、戦術にあらず指揮官の人徳によると。司馬氏は昭和の参謀殿を批判
しながら石田光成が好き。石田光成が、昭和の参謀とどう違うんかのう。
人徳が大切であるとされるのは今村均将軍も同じで、「アレキサンダー
もナポレオンにしても項羽にしても、軍隊と苦難を共にしていた間こそ、
常勝将軍だったのだ。下と離れて豪華な生活をやりだし、酒と女に
身と心を傾けだしたとき、皆いけなくなってしまった、と私は考えている。
矢張将師の将の将たる人徳は、欠一致に役立つものと思う。」と云われた。
0828名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/26(火) 22:38:27ID:oLs/o//k
アメリカ合衆国の否定ですかwwww
少勢→多勢なんて弱者の理論じゃん
0829白馬青牛2006/12/26(火) 23:06:24ID:DxkPRmKQ
>>823
井上ひさし氏が、山形出身でも仙台一高時代、菅原文太氏が一年先輩で
同じ新聞部じゃった云うことじゃ。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~jesazuma/libray04.htm
上の方の118『物語と夢』の書評にも出とるよ。
確認する為の検索に時間を取ったわい。
0830白馬青牛2006/12/26(火) 23:14:17ID:DxkPRmKQ
http://www5c.biglobe.ne.jp/~jesazuma/library04.html
じゃったか。
0831白馬青牛2006/12/26(火) 23:19:31ID:DxkPRmKQ
http://www5c.biglobe.ne.jp/~jesazuma/library04.htm
これかいのう。
0832名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/26(火) 23:47:41ID:VlWFk5tL
>>827
多数を揃えるのは雁首揃えればいいわけではなく、
それを維持できる金銭物資に、高度な組織力が必要なのは言わなくても良いことだよな?
また、牛の言うように孫子でも言われていることだが、
同時にクラウゼビィッツも触れている。
毛利だって多数の兵を用意できるようになってからはちゃんと有利な兵数を整えているじゃないか。
最後に、負けることが恥で、戦う以上は勝たなければならない、その為の努力を十全にするのが基本。
この場合の「勝つ」は戦術ではなく戦略的な意味でな。
0833名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/26(火) 23:54:26ID:nxYaAhDj
毛利は強敵相手には逃げてばっかで最後は何もできないまま日和って二国に減封。
兵はともかく愚か者なのは確か。
0834白馬青牛2006/12/27(水) 00:21:32ID:t/6hHRtv
やれやれ、>>831で出て来たわい。
>>824
山県郡は、駿河から移住した吉川氏の移住地じゃが、何言葉遊び
しとるんか。関東武士の弓術が優れとる云うんは、鎌倉政権の宣伝に
過ぎん。あんたが例に挙げたことがある近藤好和氏も、壇ノ浦で新居宗長を
倒した浅利与一との遠矢合戦で、新居に対し『土肥が、「東八箇国には
此矢に射勝すべき者覚えず」という理由で、名立たる坂東武者でなく
敢えて甲斐源氏の浅利与一を推挙している点。この一連の遠矢応酬の
口火こそ坂東武者の和田義盛が切っているが、それはむしろ狂言回しの
役割であり、主役は阿波国の新居宗長や甲斐国の浅利与一だったところに、
なにがしらの歴史事実が反映されているとすれば、それは坂東武者が
遠矢が得意でなかったということではないか。』と、される。
近藤氏は近距離の弓技は坂東武士の得意とされるが、近距離の騎射も
都の技術に学んだ坂東武者が強いとも云えんのう。坂東武者は、
近畿地方の悪党軍の遊牧民、狩猟民的半弓に対し、機動を生かす騎馬に
不似合いな農耕民的長弓じゃ。遠矢に下手なものが近距離戦云うてものう。
近畿南部の吉野・十津河の山地民は遠矢も得意じゃったしのう。
久米邦武氏の見解は参考になるが、信奉?云うて、わしゃは宗教屋じゃ
ないど。文献において本格的に城郭戦が現れる云うことじゃろ。
文献の兵員数鵜呑みにする訳あるまい。近畿の悪党勢より関東各地や途中の
東海や近畿で徴発した兵で圧倒的軍勢に膨れ上がるは当然じゃないか。
平安末以来の関東武士得意の突撃戦法とは何か?無謀な突撃をして
悪党勢の半弓に射抜かれるか、太刀による白兵攻撃で悪党軍の槍に
突き殺されるか。じゃろう。軍役状の徴発した者達の槍や馬を誇っても
意味がない。鎌倉政権が成立した以後、武蔵、相模が強いと云うんも、
徳川幕府が出来て三河武士のカブが上がったと同じで、武勲、実例と
関係ないど。
0835名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 00:36:24ID:wO6VRSE3
>>834
何が言葉遊びなんだか。反論になってないぞw

遠矢は騎射じゃなく歩射。
都の技術ってのは、動かない的を非力な腕で静止的に射る流鏑馬や笠懸。
で、華麗さが求められる儀礼的なものだぞ。
室町期、武家の弓馬故実の小笠原氏にしても華麗な技が足利幕府に受け入れられたわけで
現在、弓馬で有名な小笠原も武田も甲斐だが、この故実は江戸以降それも吉宗の頃だし
甲斐=騎馬のイメージ、諸々の影響で関東は損してるな。
信長公記で褒めてるのも上州であって甲斐は触れてないが

続きはまたあと
0836白馬青牛2006/12/27(水) 00:48:07ID:t/6hHRtv
>>825
人海戦術、兵の動員力であろう。西日本の横型社会と違い、
東日本は隷属縦社会であることも大きな要因じゃろう。
>>832
兵力の動員に毛利軍は何時も困っとったよ。織田軍の中国征伐に
対した時も苦労したし、九州征伐の時も輝元さんは、秀吉さんに
怒られた。家臣の言いなりになる愚か者よと。
逆に毛利の家臣団の国人達に云わせれば、毛利家とは横連合の傘連判状で
あるよう毛利氏は代表者に過ぎん。命令を素直に実行するいわれは無い。
国人領主の家臣も国人領主の言いなりにならん。現代でも民主主義国より
共産主義国の方が兵力の動員は容易いんと同じじゃ。その点毛利氏は
封建的制度の世に組織も兵力の動員力もなく、天下を取れる要素なんぞ
無いね。
0837名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 00:54:26ID:yWbyt0fo
牛は資料を偏った見方しかできないね
0838名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 00:55:41ID:5EFaqrWm
>水戸学思想じゃ けえ、思想狂信者のカテゴリーに入れた方がええと思うよ。

(=゚ω゚) うむ。天狗党と芹沢鴨。血盟団事件の井上日召、橘孝三郎。
たしかに彼の地は宗教、思想テロが多いな。 
でもまあ、水戸学思想は全国に広まっていた・・・が、途中から薩長は
口先だけの尊皇攘夷になったがな。軒先貸して母屋を盗られたわけだ。

だが、彼等はタダの思想テロではなく世直しの義士でもあった。
将門や小田は人に頼られて挙兵し最後まで戦ったわけだし
血盟団ですら五・一五事件の先魁として昭和維新烈士の名を送られている。
国定忠治、新門辰五郎ら博徒ですら弱きを助ける仁義つーもんが有った。
だから彼等は義民と言われる。仁義無き戦いでは江戸っ子は納得しねぇぜ。


>悪党勢の半弓に射抜かれるか、太刀による白兵攻撃で悪党軍の槍に・・・

(=゚ω゚) 半弓にそんな威力は無ェって。甲冑を突き抜けないから騎馬で接近し
駆け抜けざまに長弓で撃ち込んだんだよ。射程距離も違いすぎるし。
山岳夜襲では長弓は不自由だからだろ ・・・つーか悪党って半弓使ってたのか?これだけに関しては詳細希望!
あと、雑兵物語では打刀で普通に戦ってるが?

>835 おっ!続き希望。
0839名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 01:24:53ID:0235RtqZ
>牛
少勢で多勢に当たらざるをえない時は、各個分断は基本なんだが。つまり少勢で勝つ為には数的有利は必要条件。
すなわち多勢を分断して自分より少勢のグループを意図して作り出し、各個撃破は戦術の初歩だ。もっとも少勢で戦を仕掛けるのはそもそも愚策だがな。
はっきり言って牛は無知過ぎる。話にならん。
戦闘をロマンで語るなよ。そういうやつが頭にいると兵の無駄死が増えるだけだ。もっと勉強しなさい。
0840白馬青牛2006/12/27(水) 01:27:58ID:t/6hHRtv
>>835
反論になっとらんのは、戦闘実例を挙げん坂東蛙君じゃ。
風評なんぞ、権力が側につけば後世何とでも云える。
また同じ言か。モンゴル人ではナーダムで遠矢競技があるがモンゴル人は
坂東武者より騎馬技術が疎いんか?静止的に射るチベット系遊牧民の例を
挙げたが、坂東武者より彼らは非力なんか?馬鹿げなことを云うのう。
悪党勢の戦闘の補足として、列島の狩猟文化の指標は、弥生時代から
大雑把に西日本の猪に対し、東日本の鹿。
(ただし、東北地方のマタギの人達は熊の要素も強い。)
東日本の狩猟獲物であある逃げる性質の鹿(鹿には初矢を第一の功する)
と違い、西日本の猪突猛進に向かって来る猪には止めを刺す猪槍等の道具が
重要であり、(猪には致命傷を与えた者を第一の功とする。)
西日本の悪党軍は文献に現れる以前から日常生活に槍を必要とした機会が
多かったんじゃないか。狩猟文化では、東海地方の三河や遠州は、
猪が指標となるので、東日本より西日本となるが。
あんたの続を見るたァ、わしゃはそろそろ眠いんが先じゃ。
0841名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 01:46:02ID:5EFaqrWm
826>古墳期の朝鮮式山城は、防御、守城戦闘を考えて造られた物じゃ。

(=゚ω゚) んーそうかもしれないが、山城のニート戦は・・・微妙だな。
大楠公だって圧勝したわけでも無し。兵站を絶たれたら終わりだと小早川隆景も言っておろう。

石田三成が決戦の地に選んだ大垣城も、都人が恐れた難攻不落の鎌倉城も
武田の躑躅ヶ崎館も一見要塞には見えない。
また、いざとなったら背後の山に逃げ込めるようにできてるもんだろ。
江戸城だって甲州口へ脱出することになっている。
攻防の戦略なんて素人目にはわからないものさ。
0842名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 03:53:10ID:+nVqBb/m
なんでそこでモンゴルやチベットを引き合いに出すのかわからんなw
0843名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 07:49:03ID:3e+jI4Ay
>>834
半弓っておもちゃとか?
南北朝以前の中世城郭は、騎兵戦術へ対して臨時の交通遮断施設レベル。
馬に乏しい河内が遊牧民w楠木に幻想抱きすぎ
相模の北条政権は敗れ去ったわけだが?栄華を極めた三河武士とは違うな。

壇ノ浦の三浦党・和田義盛は騎射で遠矢、新居は歩射。
騎馬での弓射という不利な体勢で弓を射る義盛にかなわない京武者の平家武士が
伊予国の新居に頼ったわけで、理由は平家武者の弓が弱いから
・・・となるわな。

>>835
usiの戦闘実例は太平記と平家なんだが?
熊谷親子と平山主従の計5騎が、悪七兵衛景清ら平家武者24騎を圧倒した
一の谷の先陣とかか?

田植歌が風評の影響?
早乙女(田植娘)らの興味を引かせる内容に、庶民の田植歌なのに政治力が絡む?
室町幕府は京都なのに。

都の騎射は非力な子供(寺院の稚児)でも上手に出来るレベル。モンゴルとか関係ないし。
武士の狩猟は鹿。
0844名無し議論スレて投票方法審議中2006/12/27(水) 21:37:48ID:by9JL863
違う見方で、尾張兵が最強じゃない?(但し信長が率いたときのみ)
大量の兵と鉄砲と堅固な陣地で長期戦に持ちこめられたら兵農分離してない兵なんて、楽勝だね。
0845名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 22:08:52ID:7wKyevCP
それは尾張兵が強いんじゃなくていち早く常備軍を取り入れた信長がすごいんだろ
0846名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/27(水) 23:46:59ID:eq9CDJ8U
このスレって何の為にあるわけ?
0847白馬青牛2006/12/28(木) 00:06:28ID:oEFAHMTW
>>838
おいおい、尊皇攘夷は口先でないと困るよ。南宋の朱子学思想のコピーを
日本でやられたら。じゃが攘夷思想はネットウヨの嫌韓、嫌中に受け
継がれておるし、日本もよいよ中国、朝鮮、韓国と同類の東アジア
朱子学の国じゃわい。
>国定忠治や新門辰五郎ら博徒ですら?博徒の方が儒教思想に感化された
武士階級より武士らしい。義理、人情もある。が、国定忠治は、幼児を
殺害しとるし、外道列伝に加えた方がええ。新門一家は維新後〜大正期まで
浅草で勢力を持ったようじゃのう。浅草六区各興行館じゃ、新門一家の
若い衆が用心棒をつとめたんじゃろ。広島・呉の「仁義なき戦い」は、
飯干晃一氏の題名と茨城県人の深作欣次氏の映画の影響でそう云われる
だけであって、仁義がない、とは云えんよ。国定忠治の残酷さ、
関東版「仁義なき戦い」には敵わんよ。
半弓は狩猟用に猟師が使うとったんじゃけえ、野生動物に有効じゃに、
人間相手に威力が無い訳あるまい。半弓が威力が無いんなら、モンゴル等
の遊牧民の矢は威力が無く、東南アジアやアマゾンの長弓の方が戦闘に
有効なんか?
悪党の半弓をネットで検索したが、概要ぐらいしか出てこんね。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~yume-n/root7.htm
連射の可能な蒙古式の小さな弓と出とるだけじゃ。
http://www.ikedakai.com/heihoyogo.html
【弓】(ゆみ)に、馬に乗ったまま射かけやすい短弓(半弓)が南北朝期に
表れる。と解説にあるが、文献よりも猟師の日常狩猟生活の道具が
戦闘に応用されたと考えるほうが良いと思う。
0848名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 00:14:14ID:U8K1+PMl
(=゚ω゚) あ、ごめん半弓でも弓力10kg以上なら甲冑を射抜けたそうだ。
ttp://www.rak2.jp/town/user/caw57320/ とは言っても当世具足の話だと思うが。

朝鮮や赤穂浪士が半弓使っていたのは知ってたが戦国にも有ったのだな。
伊賀・甲賀で半弓が使われたそうだから悪党も使ってた・・・かも。さらに情報希望。
モンゴルのヤギ角かなんかで造った弓はもっと強いらしい。
もっとも学生が使ってる長弓でも強いのは2、30kg以上の有るし必然として矢も重くなる。
威力に関してはやはり長弓とは勝負にはならんだろう。

>846
(=゚ω゚) そ、それは・・・
0849白馬青牛2006/12/28(木) 01:02:28ID:oEFAHMTW
>>839
敵兵を分断し各個撃破は理想であって、教科書通りにいかんのが戦闘の
現実じゃ。少数で戦いを仕掛けるのは愚策であっても戦闘の流れで、
敵兵の心理状況で違うた展開になる。どうせあんたァクラウゼィッツの
受け売りかドイツ参謀本部流の杓子定規な理屈を付けた戦闘解釈じゃろう。
>>843
河内源氏に隷属した関東蛙が泣いとるのう。北条は相模に移ったが元来
伊豆じゃろう。伊豆の漁師。栄華を極めた三河と同じく関東武士の勇猛
宣伝の効果か。壇ノ浦の口先だけの坂東武者がピエロになったが、
あんたの言から、その口先だけの伝統は継続されとるようじゃのう。
ほいで、新居は阿波の住人ど。安芸に本貫を移した熊谷氏じゃが、
贔屓しちゃあいけんけえ、云うたるが、先陣で勢いがある方が優位に立つ
んは当然じゃないか。京都政権が東人を野蛮視したんを坂東人が自分達が
勇敢であったと勘違いしよるだけのこと。モンゴルは関係無いじゃの、
今日も関東鎖国史観全開じゃわい。
0850白馬青牛2006/12/28(木) 01:44:33ID:oEFAHMTW
>>848
動物の角の弓、遊牧民の使う角弓は威力はあるじゃろうが確かに長弓ほど
じゃない。軽装騎兵の機動性と、騎射の連射に有利なが、牧畜民は半弓
だけでなく、鮮卑やパルチアのように機動性に乏しい重装騎兵には威力の
優れる長弓を持たせとるよ。じゃが元来、長弓は多くの原始民族で、
射魚の風習に伴っておる。長弓は空中では不利じゃが、水中を貫通する
には有利で、中国西南部やベトナム、日本の奄美の島々でも最近まで
射魚の風があったそうじゃ。長弓は狩猟よりも漁撈に関係が深い。
倭人や縄文人の文化が東南アジア的であることも関連する。
アイヌ人は、オホーツク文化人等、アムール・ツングース系の狩猟文化の
影響も強いので半弓じゃが、古墳期の渡来系も北方系じゃに、
現地民の長弓を採用しとる。おそらく当時東アジア重装騎兵全盛時代
じゃったことから、威力のある原住民の長弓を選んだんじゃろう。
0851名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 01:57:18ID:BjrLVosi
>>847
それがソースとは(絶句
>>849
仁井(新居)紀四郎親清は伊予だろ。伊予国新居郡新居発祥。
隷属w猟師w
河内源氏とか表現するのもアホくさい。いつものうし発言w

背後に城郭を控え、敵わず城に逃げ込む景清ら、平家方は城の中から矢を射かけ
馬を射られ徒歩立ちになった熊谷親子に対し、城の中で引篭もってた…という話だが。

西国の歩射遠矢にしても、それを得意としたのは九州や瀬戸内武士(岡山愛媛)であって
京・畿内の武者はただ見てるだけ(^∀^)
罵倒に対し罵倒で返せば、元就まで待とう廣島武士って感じか。
>>850
(*゚∀゚)
0852名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 05:30:50ID:b5m+MOMj
日本語使わないのはコンプレックスか何か?
0853名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 08:05:31ID:b5m+MOMj
維新の前の下関戦争と長州征伐に触れないのはわざと?
0854名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 13:09:02ID:Hd1Gy0VE
>>849
自分の言ってることにちょっと自信ないだろ。各個撃破はクラウゼヴィッツよりも遥か以前からの戦術なんだがな。
クラウゼヴィッツはそれを一般化しただけ。ただし戦史がベースになっているからただの理論として吐き捨てるのはただの無知。それこそ末期のドイツ参謀本部と一緒だな。

それに牛が敬愛してやまない毛利元就だって陶の大軍を厳島の狭い土地に誘いこんでるんだが。まさか心理戦だけで勝ったと思ってるのか?
心理戦といっても家臣に偽の裏切りをほのめかす書状を出させるなど、武士とは思えない卑怯な手を使ったよな。

牛の平和ボケもそこまでにしとけ。地形を利用した敵の分断なんて不良のケンカでもよくあることだぞ。
学者の本やネットからだけで知識を集めてばかりだから視野が狭くなるんだ。もっと広く勉強しなさい。
0855名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 15:32:52ID:21C0Aexp
>>854の言っている事は正論だが
言っている内容は中身がない様に見えるな
0856名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 17:36:08ID:JBsYATJ2
>>853
長州藩は廣島じゃねぇというのが牛理論
0857名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 21:25:10ID:Q1bySo6W
>>855
ヒント
ここは牛追い祭り開催中だから
0858名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 22:04:59ID:4zvuYJVC
>>857
トマトもぶつけようぜ
0859名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 00:55:14ID:UbalRHtF
ただの煽りより中身がある反論が爽快なスレなんだな
0860名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 01:36:31ID:ntFjkZ55
中身がないのはお互い様。煽りは牛もひどいよな。
0861名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/29(金) 02:23:07ID:l8fFs9WQ
>>850
(=゚ω゚) ほう、なるほど射魚ちゅうのは初めて知った。でもアイヌに関してはやや?だが。
うろ覚えだがアイヌ半弓は一位の枝で造るやりかただった希ガス。
枝製の半弓は東南アジアとかにも有ったような・・・ 自身はないが。

モンゴルの弓は現代の和弓家にも引きこなせないほど強いらしいから素材の違いも
有るかもしれん。古代に合成弓は無いだろうからな。
和弓では江戸以降に鯨のヒゲを貼り合わせた李満弓(鯨半弓・駕篭弓)と言うのが有るが
幕末の武藝十八般略説には弓(木弓)銃弩(大弓)李満弓と分けられている。
雑兵物語では長弓の先に付けた「ハズ槍(変換できん!)」が活躍してるな。

>国定忠治は幼児を 殺害しとる
(=゚ω゚) 赤城の子守歌か?やったのは本人じゃないけど、たしかに1人殺してるな。
盗賊同士の抗争のうえの夜襲だから親父の巻き添えになったんだろ。風魔なんかもっと酷い。
山賊なのも事実だし貧民救済したのも事実。

(=゚ω゚) あと、敵兵を分断し各個撃破は普通に有るだろ。能島水軍の言う「我が全力にて敵分力を討つ」わけだ。
孫子にも我が兵は集中させ敵兵は分散させろと書いてあるし
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