>>738
技量とは読み取れないのは確かだからそれは訂正する。川合的論法になってまうw
別の書状で、
永禄10年(1567)、元就が平佐源七郎に与えたものがあるそうで(毛利家文書)、
「殊更今比はてつほうなどと申事候て……よくよく物語り申すべく候」
近頃のいくさは鉄砲というものが現れ被害に遭うから、鉄砲について十分に話すべし

毛利の鉄砲(鉄砲中間=鉄砲放)は、大友氏との戦を通じて体験した影響が大なのではないかと思う。