>>578momiji
甲斐に多いとは初耳じゃ。

あのね、平安末の武士いうんは、何らかの形で京都との関わりを持っとったんじゃよ。
久下氏に従属しとった武蔵大里郡の弱小領主・熊谷直実の場合、
平知盛の家人となる事によって、正式な武士身分となれたんじゃ。
『吾妻鏡』で源頼朝が「本朝無双の勇士」と称えとるんが、子の熊谷小次郎直家じゃ。
これに反発したんが、下野の大名・小山政光と朝光じゃ。小山親子も勇士じゃのう。