どこの出身兵卒が強いのかな??
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 01:20:07ID:hZWJSov60552名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:19:38ID:spt8RPqD・・・と、たまに褒めたらどんな反応が返ってくるんだろう。ワクワク♪
0553白馬青牛
2006/11/23(木) 01:23:52ID:cUUkjQuL「賊軍」と書いてあったら信用出来ん?あんたの感情論はどうでもええが、
都合が悪いと何でも拒否するようじゃ歴史を考察するんに向かんよ。
>>548
これも感情論で大袈裟ときたか。
郷土資料「戊辰戦争と神機隊の戦歴」からの引用じゃ。
>>550-552
防人の時代から武人云うて、隼人なんか門番の仕事で、関東の連中は、
九州が磐井のように、新羅と内通されたらまずいゆえ、徴発されて
九州へ行った訳じゃし。弓馬の家は、坂上氏のように渡来系であり、
彼らこそ武人じゃ。
相撲の話か。金星はどうでもええ。広島県出身力士を褒めて、
わしの反応を期待しても、「ほうかいのう。」ぐらいのことじゃ。
0554名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 01:40:31ID:5jkkobdi0555白馬青牛
2006/11/23(木) 01:48:03ID:cUUkjQuL「人国記」では、肥前と比べ勇に劣るように書いてあるが、どうせ
「人国記」は、東日本人の偏見で書いとるもんじゃし。
勇猛な近代九州の兵団の中でも、肥後の熊本聯隊が一番勇猛で命知らず
じゃった。勇猛さでは、肥前兵を含む久留米師団や熊本師団の中でも
鹿児島聯隊より上じゃ。朝鮮の役でも加藤・小西勢で、肥後兵はイケイケ
じゃったのう。今回は他地域兵の長所を云うてみたわい。
0556名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 02:49:14ID:H64o8CRWどの点が優れていたの?
0557名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 09:21:53ID:i2t28rzKはいはい感情論感情論
0558名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 13:41:52ID:nqajuf9b(=゚ω゚) ほう、九州と新羅の内通を指摘するとはさすが鋭いな。
だが渡来系坂上氏の弓馬での武功は道嶋嶋足ら東国夷の武功じゃないかな?
東国夷あっての坂上氏の弓馬だと思う。
防人もそうだが「夷をもって夷敵を制す」というのが中央の政策だしな。
戦国で弓馬が強いのは藤原秀郷流の上野、下野、それに馬牧の有った信州だろ。
あの佐竹氏が手を焼いたのが下野の那須衆だ、那須与一の裔で『那須七騎』と言われた
(那須氏・大田原氏・伊王野氏・大関氏・千本氏・福原氏・芦野氏)
中には越後上杉で弓馬の達人也と言われた大関氏も居るな。
大関氏は上杉景勝の鉄砲奉行、軍奉行となり最上や大坂の陣で活躍している。
もともと上杉氏は関東管領だったから下野武者ともかかわりが有ったのかも知れない。
上杉の鉄砲隊が那須与一の流れというのも面白いな。 なあ牛。
>金星はどうでもええ。わしの反応を期待しても「ほうかいのう。」ぐらいのことじゃ。
(=゚ω゚) おお期待どおりの反応だ。
なるほど金星取れるのは平幕だから自慢にはならないか。牛って相撲通だな。
0559名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 16:19:23ID:BL4NoD4G武術が盛んでも、それで戦に勝てるというわけじゃないだろ。
特に銃撃戦が本格化しているような幕末じゃ。
新式の兵器をひっさげ、錦の御旗とやらを掲げる西軍に属せば、
それだけでも有利だというのに、
その中で無理に広島兵の武勇伝なんか晒されてもねえ。
>神機隊の活躍が詳しゅう出とるサイトも少ないが
てことは、あんまり活躍してないからサイトを作ろうって人もいないんだろうな。
そりゃそうだ、主力は薩長土肥だもん。
(肥前は本当に最新の装備だったけど、やる気はあまりなかったらしい)
広島の兵士が勇猛かどうか知らないけど、
薩摩の伊地知正治や土佐の板垣退助のような優秀な指揮官は広島から出ないのかねえ?
幕軍にも、桑名の立見鑑三郎や会津の山川大蔵などの人物がいるが。
0560名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 18:40:54ID:O8Z9H6vt横の連絡抜きで牛に向かって行ってる
0561白馬青牛
2006/11/23(木) 23:13:50ID:GKBNIx40広島部隊について、元広島第231聯隊長の梶浦銀次郎氏は、
「理知・機敏・剛毅の良質、知情意の調和のとれた将兵。」とされ、
元広島5D長今村均将軍は、「広島の青年達は純朴度と文化度の
平衡がとれ「気がきいていてズルくさい」といえよう。」
「広島人のねばり強さと闘志には感じ入った。」とされる。
つまり、戦闘上手と云うことじゃ。一例を挙げると、越後の高田第58
聯隊が、中国軍に敗れた中島高地を広島第231聯隊は3分の1の兵力で
守り抜き中国軍を撃退した。広島部隊の勝利の要因は、精強に俟つことは
云うまでもないが、訓練の合間に兵隊達が創意工夫した小石、空瓶が
役に立った。高田聯隊のときは、日本軍陣地の銃火の衰えに、破壊された
鉄条網を踏み越え、大挙して最後の詰めの突撃に成功して中国軍が勝利
したが、広島聯隊は、中国軍が勝負あったと最後の詰めの攻撃に、小石や
空瓶の一斉投下である。ガラスの破片は匍匐して来る敵兵の肌を切り、
土塊や石は手榴弾と思い込んで逃げまわり、それが散ると目をやられる。
そこに残り少ない貴重な残弾の一発必中の射撃を集中する。平素の
兵隊達の創意工夫もあって、敵の最後の詰めの戦闘を逆に撃退した。
広島部隊は、「戦闘知力(気がきいていてズルくさい)や防御戦闘に必須の
細かい命令指示を待たず戦闘行動出来る能力、攻撃なら一人の勇者が
いれば、他の者はそれに従がって進むからまだよいが、防御戦は、兵一人
一人の戦闘能力が勝敗を左右する。」これらの特質に優れておった。
越後健児の高田聯隊もインパールで東北兵団の中でも特に精強と評価され
ながら苦労したね。「如何に高田58の兵とて山砲三発では如何せん」。
0562白馬青牛
2006/11/23(木) 23:59:37ID:SEcNiIrmそう、兵卒の多くが関東で徴発された者で、対東北蝦夷戦に苦労した。
古代〜平安期の武人の供給地は、百済系の多い、摂津・河内じゃった。
関東も河内源氏の植民地になったね。鎌倉政権も、弓馬の技術を、
平家降人や西行のような「都に馴れたる輩」に学んでおるしね。
鎌倉政権以降、弓馬は関東と云う宣伝が全国に伝わっただけじゃしのう。
畠山重忠が指名されたんを辞退し那須与一となったそうじゃが、(実際は
解らん)畠山さんは、「強弓遠矢打物などの時は仰せ蒙るべし」と言上した
そうな、これらは一般の関東武士が苦手としとった技術かのう?
横綱であろうが、平幕、いや幕下であろうが、どうでもええよ。
負けて星を落とした力士に対する温情も大切じゃ。力の後ろに「士」が
付いとる限り。
0563白馬青牛
2006/11/24(金) 00:46:23ID:dunGukA1ほいじゃが、広島と鳥取の兵はいっつも前線にやられたしのう。
相馬藩も降伏したのちは、前線に立ったが、(近代以前は降伏した地域の
兵を前線に出す、津軽藩士の家に生まれた、作家今東光氏は、狡猾な薩長が
背後におり、津軽藩が前線に配置されたと憤慨されとった。)仙台藩や
米沢藩の猛攻に押され、広島藩の神機隊が交代し前線に立つこととなった。
主力が薩長土肥云うんは上層指揮官のことじゃろ。
桑名の立見氏が名将かのう。日露戦争の黒溝台で弘前8D(青森、岩手、
秋田、山形の兵)を指揮し成果もなく損害を出し、広島5Dや、仙台2D、
名古屋3Dの救援を仰ぐことになった。特に広島5Dが活躍し、立見尚文
臨時司令官から感状を授与されたが、福山第41聯隊の柳條口の攻略や
村山支隊(浜田第21聯隊)の露軍撃破を文面に書いてあっても、
黒溝台そのものの攻略で、広島第11聯隊第1大隊が弘前8Dの苦戦を
救援し、黒溝台を攻略したうえ、渾河を渡って烟台子をも占領したこと
が、立見氏の広島5Dに授与された感状の文面にない。黒溝台の攻略
だけは、自らが指揮した弘前8Dの手柄にしたかったんじゃろう。
黒溝台の広島第11聯隊の武勲は陛下の勅語の文面に、「左翼に優勢なる
敵を迎へ勇猛果敢之を渾河右岸に撃退し其企図を挫折し多大な損害を与え
たり朕深く之に従事せし将卒の労苦察し其の功績を嘉す」とある。
ほいじゃが、あんたは、優秀な指揮官じゃあ、何の評価で決めとるんか?
0564名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 01:15:04ID:j5Gg7nA+いつもの電波なw
0565名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 08:12:45ID:WkcdDg0J(=゚ω゚) こらこら、冒頭に『道嶋嶋足の弓馬』と書いているのにわざとスルーするーな。
道嶋嶋足は陸奥国牡鹿郡・・・現在の宮城県民。
既出だが西行が鎌倉八幡様に伝えた流鏑馬神事は「藤原秀郷流」
関連性は不明だが上野、下野の武家が名乗っていた流派と同名だ。
古来弓道は神事の色彩が強く作法に厳しい、板東武者が都の兵から学ぶとしたら
おそらくそっちだろう。
弓馬礼法、有職故実。武家の格式と嗜みというやつだ。
小笠原流礼法はご存じの様に正式には「小笠原流礼法弓馬術」と言い
足利、徳川将軍家指南役の弓馬の家だった。
現代でも大規模な武道大会の開始は小笠原流御宗家の鏑矢にて始まる。
(=゚ω゚) と、言う事は562の論理で言うと、さぞや強かったんだろうね小笠原流礼法・・・
ぜひ軍功を教えて欲しい。
0566名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 11:55:51ID:iUCy2B2h強さは、先鋒<2番手、3番手になるのか?
戦う条件や環境が違うよな。
0567名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 17:44:51ID:PFNf5DaNが、常識的に考えて損害0ってのは有り得ない
0568白馬青牛
2006/11/24(金) 23:31:37ID:gq4WrbnQ東北で朝廷側についた蝦夷も関東で徴発された兵も同じようなもんじゃ。
秀郷流、秀郷の末云うても、西行は関東人じゃあるまいし。起源を
云うたら関東の軍事貴族も近畿人、渡来人になるじゃないか。
信濃豪族の海野幸氏が弓の持様について西行の説を云うと、並みいる
弓矢の達者もすこぶる感心したそうじゃ。まあ騎射技術も「京畿の輩」に
学んだ東国武士じゃし。
弓馬の時代の坂上氏の「家世々弓馬を事とし馳射を善くす」と、
弓馬の廃れた時代の小笠原氏の「弓馬の家」を比較する事自体可笑しい。
0569名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 23:35:38ID:HMs9hBhI0570名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 00:03:57ID:IRNiObgmだから弓馬じゃなくて、西行は流鏑(ry
>「家世々弓馬を事とし馳射を善くす」
弓馬の時代w
地方頼みでも軍事重視の律令国家だから、建前上褒めてるようなもの。
実戦経験ゼロの狭い馬場武芸をねw
0571白馬青牛
2006/11/25(土) 01:10:25ID:P0cYwqjN地方頼み?東国あたりの徴発された農奴兵に過ぎんのに。
実戦ねえ。関東武士の岡崎四郎義忠の嫡子佐奈田与一の馬が暴走し
馬を御すことが出来ず、郎党との距離が離れてしまい、与一は討たれた。
関東の実戦とは面白いもんじゃのう。お笑い騎馬武者そのものじゃ。
北・中央アジアの遊牧民の人達が聞いたら大笑いするんじゃないか。
関東は、馬場武芸よりも、何秒馬に落とされずに乗れるかと
関東ロデオ大会でもやっとりゃあええよ。
0572名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 01:24:20ID:jZENRqab近畿人は実戦で落馬したこと無いのか?へー
あっ初めから暴れる馬には乗らないのか
0573名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 01:36:54ID:qN9hQmGn(=゚ω゚) そりゃー信濃武士海野が引用解説したから「は〜なるへそ、ごもっとも」じゃね?
つーか、東国を指導していた西国の武士って誰?
また弓の射法は心得であって武力の強弱にはあまり関係ない。
基本的に武力は兵数とスピードと打撃力、だから戦場では兵法知らずとも事足りる。
鎌倉の弓馬四天王が海野幸氏・武田信光・小笠原長清・望月重隆。
つまり甲斐源氏と信濃武士だな。 >>278氏も望月牧の弓馬の影響を指摘しているだべさ。
・・・あ、ごめん安芸国守護の甲斐源氏武田信光を出したのは悪気は無い。
0574名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 02:20:26ID:b24/nXVB自分の得意分野に持ち込む釣りとしか思えんな。
実に安直で稚拙な振る舞い。
0575名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 10:52:04ID:ckSE7cny日本には虚勢の技術がなかったから、
日本の軍用馬は総じて気性が荒いと宣教師が書いていますが?
関東=日本、広島=異界というのならば、まあ納得できますけどねw
0576名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 21:37:22ID:tgMRmsbY『平家』を都合よく解釈するなってw
佐奈田与一の馬は東国一の強馬・夕貌な。
組討で与一を討ち取ったのは相模武士の俣野な。
・律令政府が期待した軍事力はこれ。
殷富百姓才堪弓馬者
・元来、都の軍事力を担ってたのも東国出身の富裕層だが、世襲に及ぶようになり…
近衛舎人は弓矢を具すといえども、武勇には及ばぬ者なり
・将門の乱を鎮圧したのは同じ坂東人の秀郷や貞盛らだが、京から派遣された征東軍ですら…
征東軍の副将軍に、平清幹(安房平群郡司)など坂東の『兵=つわもの』が任じられてる。
征東軍が東進していく道々で、諸国の兵の参加も増え、征東軍は膨れ上がっていく。
征東軍は残党追捕で活躍してる。夷(東国人)をもって夷を制す、でもある。
『群盗』『凶賊・強盗』。例えば、泰和2年(899)の太政官符に全てみられる。
藤原秀郷(下野)、橘近保(駿河)、藤原玄明(常陸)。代表的な群盗勢力。
毒(賊)にも薬(官)にもなる、群盗勢力=『弓馬に便なる富豪層』こそが国衙の軍事力。
0577278 ◆VY//G4pnEI
2006/11/25(土) 21:59:28ID:tgMRmsbY>鎌倉の弓馬四天王が海野幸氏・武田信光・小笠原長清・望月重隆。
それはありえないな。史料はむろん、軍記物語からも探れない。
貴種の武田信光は(鎌倉方にとって)、表裏定かでないような存在。
弓馬の小笠原は室町中期以降。それも京都における馬場儀礼だし。
戦国期でいえば、甲斐・信濃武士より馬を重要視してるのは関東武士でしょ。
岩槻なんて武蔵国内において馬産地でもない所で、騎兵の割合が異常に高いし。
上野武蔵甲斐の勅旨牧は貢馬の制度が廃れたが、信濃の望月牧だけは中世まで続いてたほど。
それで、京都貴族社会における弓馬儀礼(流鏑馬ねw)と、信濃武士の関連性を感じたわけよ。
距離的な近さもあるだろうしね。
0578白馬青牛
2006/11/25(土) 23:21:52ID:OzTrve9uあのね、「京畿の輩」とは「京都に馴れたる輩」云うこと。
例えば下河辺行平は、源頼政の郎従の家系にして「京都に馴れたる輩」と
云われ、甲斐の武田有義は平重盛に仕え、他に諏訪氏や小笠原氏等も
「京都に馴れたる輩」じゃろう。信濃や甲斐が確かに多いが。
弓の射法だけで、いや銃器においても射撃技術だけで、武力の強弱とは
云いきれん。日華事変でも射撃技術は中国軍の方が日本軍よりも優れて
おったし。
武力と云うか戦闘において、兵力の数よりも、スピードがより重要じゃ。
時機を失すれば勝機も失する。じゃが兵法(わしの云うんは武術より
戦術のこと)知らずは駄目じゃ。孫子も「兵は詭道なり」と。
機先を制し、敵を騙し、敵の精神的動揺を誘い、敵に冷静な判断力を
失わせること。つまり戦闘で大切なんは、主導権を握ることじゃ。
>>561で戦闘主導権のない防者の広島部隊が意表をついた戦法で
中国軍から戦闘主導権を取ったように。「気がきいていて、ズルくさい」
前線将兵に老獪さがないと広島部隊のような勝利を得ることは出来んよ。
0579白馬青牛
2006/11/25(土) 23:42:54ID:OzTrve9u騎乗技術の優れた北・中央アジアの遊牧民と比較せんでどうするんの。
日本だけで自慰してもしょうがない。
>>575
虚勢の技術は無いね、日本や朝鮮は。暴れ馬を戦闘に使う自体が、
日本に家畜管理文化が乏しかった云うことじゃ。ほいで、車や犂を
使う文化は(モンゴル・高句麗・近畿は牛車を使う)西日本迄で
東日本はさらに家畜管理文化に乏しい(高句麗人が多く渡来した信濃や
百済人の多い甲斐でも今の処牛車の文化が無い)。
0580名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 23:52:08ID:ghpebQe7お前の書いてる内容こそが自慰だろ
0581名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 00:04:44ID:QV1rX3U90582名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 00:18:25ID:Rp7e5ko6甲斐に多いとは初耳じゃ。
あのね、平安末の武士いうんは、何らかの形で京都との関わりを持っとったんじゃよ。
久下氏に従属しとった武蔵大里郡の弱小領主・熊谷直実の場合、
平知盛の家人となる事によって、正式な武士身分となれたんじゃ。
『吾妻鏡』で源頼朝が「本朝無双の勇士」と称えとるんが、子の熊谷小次郎直家じゃ。
これに反発したんが、下野の大名・小山政光と朝光じゃ。小山親子も勇士じゃのう。
0583白馬青牛
2006/11/26(日) 00:32:00ID:u8CogfxZ『平家物語』の斉藤実盛の後世虚言物語を先に例に出したんは、
あんたじゃ。同じ関東人が討ち取ろうと騎馬戦闘を知らん者同士じゃ。
東国の富裕層も兵卒も東北蝦夷に苦戦するようじゃあのう。
ほいで、あんたは、蝦夷、縄文に劣等感を持っとるんじゃろう。
律令時代の関東の敵が、蝦夷より強力なオホーツク文化人相手じゃのうて
良かったね。近隣地帯や降伏した兵を前線に出し、主力部隊は督戦するんは
近代より前の戦闘じゃ当たり前じゃ云うたのに。関東隷属農奴兵が勇敢と
勘違いしとる。隷属社会制度の方が忠誠心で信頼出来るだけの話。
河内源氏に隷属した関東人がよう吼える。「天下一之弓上手」の渡辺党の
綱は摂津じゃったが、武人の供給地は摂津・河内じゃろう。
高橋昌明氏の云うよう関東はセミプロと云えば、誉め過ぎじゃろうのう。
まあ、東国史観者は狭い視野でものを云う。
http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20061105/1162695442
ステレオ・タイプの関東優越史観者の根拠の無い前提条件をつける思考を
批判してあるゆえ爆笑したが、関東人は近畿地方、貴族を軟弱と先入観を
持って、自らの偏見で文献を解釈しとるんは、マルクス史観者、
関東優越学者やこのスレの関東原理主義者も変わらんとみえる。
0584名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 00:37:39ID:+6smgo4lどうして西洋はあんな進んでるの?
鉄砲なんて普通思いつく?
0585白馬青牛
2006/11/26(日) 00:54:13ID:u8CogfxZドイツ軍とは、当然戦闘しとらんよ。ほいじゃがドイツ軍を挙げる処、
相当敗戦軍であるドイツ軍の評価が高いようで。
ほいで、広島移民が多い日系人部隊は、ドイツ軍と戦闘しとるよ。
しかも武勲を立て、白兵戦でも日系人部隊が突撃するとドイツ兵は
逃げとったじゃないか。白兵戦は戦闘の最後の決勝戦であり、
負けた方は劣等感を持ち負け癖が付くよ。
>>582
ほう、熊谷氏は弱小領主か。現在の広島市安佐北区可部(可部の地名は、
古くは渡来系漢部・綾部からであろう。)に本貫を移したが、
広島へ移住した豪族を貶すのう。
0586名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 01:17:04ID:Rp7e5ko6おいおい、(京都優越学者で有名な)高橋氏って…電波だらけの昔うしに戻ったかw
高橋氏のいうセミプロって、坂東武者じゃなく北条時政らだろ。嘘乙。
時政=セミプロ、何の根拠もないんだけどw
>渡辺党w
穢れ除去氏族の渡辺党w新日吉社の流鏑馬の射手なw水軍だろ。
渡辺綱は架空の可能性も高い。
ところで、広島浄土真宗は葬式仏教じゃないの?w
>>585
貶しちゃいないさ、領地が小さいから弱小。河原兄弟も弱小だけど勇敢。
0587名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 01:38:18ID:Id3vvea3>>577
そうだな「弓馬四天王」って当時言われてたかどうかはしらん。
平将門の下総も大きな馬産地ではないが、湿地が多いので高台部分に放牧すれば柵も要らず
小さな馬牧が簡単に造れた。 また下総は氾濫河川が多く土地争い(戦争)が絶えなかった。
まあ、馬が良かったと言うより馬と戦争に慣れていたのが板東武者だろう。
京都公家の馬術と言うと「賀茂の競馬クラベウマ」「馬長」とか室町期の「庭乗」と
いう競技馬術だな、これには騎射は無い。
上杉謙信が八條房繁に学んだのがこの庭乗と言われている。今川の蹴鞠のようなモンか?
流鏑馬は一応武家乗馬の儀典化。つまり剣道や柔道の様にルール整備された武芸競技。
笠懸、流鏑馬、犬追物が小笠原家により規定されたが文治三年(1187年)頃。
だがこれらの馬術は応仁の乱の頃には流行らなくなった
まあ、テクは凄いが、あまり実戦的では無かったのだろう
0588名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 02:17:38ID:nkRTN6YL電波や嘘はちゃんと認めてから次書いてね。
ホラ吹きっ放しはいかんよ。それこそまさに自慰行為。
0589名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 03:26:13ID:O03VgZTcすげー詭弁wwwそれ帝國陸軍じゃないだろwwwww
なら、日本の騎馬がいつ北・中央アジアの騎馬と対決したわけ?wwwww
レスする度に内容に矛盾が重なってくな
0590名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 08:27:29ID:BeS2YfiN牛さん そういうのは「アメリカ軍」っていうんだよwwwwwwwwww
0591名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 23:30:22ID:b2+24vh5関東の馬が信濃に劣るということはないと思う。ただ馬の自給率は信濃武士が高かったろう。
下総は古代以来の馬産地。5つの官牧、将門。
戦国の『結城氏新法度』66条。
江戸時代は幕府の牧が広範囲に設置されて、この時代は日本一の馬牧の集中地。
競馬は馬場において、互いに邪魔しあいながら速さを争う。馬長というのは知らない。
王朝貴族と近衛武官が好んだ騎射は、的が動かない静止的で実戦に通じない競技で、
室町期に流鏑馬的な騎射が廃れた理由の一つ。
武士が好んだのは運動的な犬追物で狩猟・実戦に近い。小笠原弓馬も室町期はこれ。
それで…
>笠懸、流鏑馬、犬追物が小笠原家により規定されたが文治三年(1187年)頃。
小笠原流と鎌倉時代は全く辿れないよ。
江戸時代になって隆盛した赤沢系小笠原氏が創作したもので、偽系図レベルの話。
小笠原流自体が信濃小笠原氏じゃなく、分家で幕府近習の京都小笠原氏で室町中期以降。
これが没落して戦国期、本家の信濃小笠原氏の貞慶等が出てくる。
0592名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 23:49:06ID:b2+24vh5蝦夷が最強なのは九世紀頃か十世紀までな。劣等感?
0593白馬青牛
2006/11/27(月) 00:14:49ID:W31u9YVh高橋氏の文は、P163「北条時政の他浪人や流人がかなりのウエイトを
占め、相模の中村・三浦一族、下総の千葉氏以外さしたる名前も見えない
以上、傍流ないしセミ・プロ」といって、はなはだ見当はずれに
あたるまい。」とされとる。わしが昔可笑しな事云うたじゃ、電波じゃあ、
嘘つきたあ、なんなら。どこで嘘ゆうたんか云えいや。わりゃは、わしが
>>583で、根拠のない前提条件をつける関東原理主義思考じゃ云うたら、
都合が良うないんか、知らんが、礼儀の悪いレスを返しあがるのう。
高橋氏は、P164「一時的に軍務につく者は武の専門家とはいえない。」
じゃけえ、セミ・プロが多いじゃないか。ほいじゃが、わしは高橋氏の
プロの兵以外が弱い云われるんは同意出来ん。広島神機隊も京都山国隊も
アマチュアじゃ。世界史的には、米独立戦争でもテネシーあたりの
山岳民兵が英国正規軍を包囲殲滅しとる。じゃが関東領主農奴の
土地争いは問題外じゃ。渡辺氏が水軍を持っとったら騎射技術が無い事に
なるんか。関東の者はよう根拠のない前提条件を付けるわい。
靺鞨・女真は、騎馬と水軍と両要素を持っとったど。
浄土真宗が葬式仏教?その根拠を詳しゅう云え。
0594名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 01:06:56ID:Tj6xejy9高橋氏のは散々論破されて懲りたと思ってたが・・・w
セミプロで指してるのこれだけ→北条時政の他、浪人や流人。根拠無いw
杉橋隆夫氏:著しく中央のしかも京都に偏重した分析視角。
早川牧の中村氏、馬と水の武士団千葉、三浦。三浦一族は騎馬にも長けてたが。
妻帯の浄土真宗は増殖するw安芸は知らんが、肥後のケースはまさにそう。
親鸞の教えは常陸な。
安芸武士は毛利家臣。門徒だから強かったなんて事はありえない。
0595白馬青牛
2006/11/27(月) 01:10:01ID:vOWE9Hq7農民土地争いのどこが実戦なんか。スローガンじゃのうて、関東の
戦闘方法とやらを云えいや。都の騎射技術がないよう後世の例を挙げて
工作活動か。つまらん。的が動かんのは静止で実戦に通用せんじゃと?
http://members.at.infoseek.co.jp/ikokunotabibito/sisen2/seikai12.htm
チベット系の遊牧民カムバやアムドの騎馬技術はどうか。われの妄想じゃ
あ、実戦的でないんか?的に向かい射撃しとるが、静止じゃしのう。
曲乗りも遊戯か。「井の中の関東蛙世界を知らず。」
上の文にある、東チベット人カムバが、頭が良く商才があり、勇敢で
白人女性にもてるのと較べ、関東人は前提条件を付ける癖があるよう
頭が悪く、近畿地方に経済的に支配されたよう商才にも乏しい。
退く事を知らぬ勘違いの勇敢さしか無く、白人女性にもてるかどうかは
知らんが、関東人はカムバに、我々は口取りや馬柄杓、歩く者の速度に
合わせる優れた騎馬文化があると自慢するんかのう。
>>588
じゃけえ、どこが嘘なんか具体的に云えいや。わしの言は嘘や電波と
前提条件付けか。ほんま関東の人間は陰湿で隷属奴隷根性が染み付いとる
よのう。
0596名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 01:28:51ID:Tj6xejy9>農民土地争いのどこが
それ言ったら戦国時代も同じじゃねw弥生以来の伝統。
京や奈良の騎射は半島通じて大陸から伝わったもので、都オリジナルじゃない。
で、そのチベット系の人たちは今も馬乗って戦ってるの?
0597名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 01:38:19ID:CsXNUgd0大陸や古代の話をしてもいいから結論をちゃんと戦国時代と関連付けろよ。
0598名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 01:58:43ID:B0/kdvlu0599白馬青牛
2006/11/27(月) 02:04:10ID:vOWE9Hq7自分の気に入る返答じゃなかったら、詭弁じゃまた前提条件反応か。
日本の騎馬が北・中央アジアの遊牧民と対抗出来る根拠を云えいや。
米軍であっても、彼らは日系人部隊じゃ。白人兵や黒人兵じゃない。
>>592
蝦夷が最強なら、なんで近畿人の奴隷になり、支配されたんか。
>>594
論破したじゃあ、強がり、虚勢だけは相変わらずじゃのう。
わしが意見したら、妄想世界に閉じこもるのう。
騎馬に長けていたが、云うんならどの点がそうなんか?わりゃは、
空虚な実戦スローガンでばっかしじゃのうて、具体的に云えいや。
広島が、海外移民県じゃったのも真宗王国で、東日本のように間引きの
産地でもないしのう。肥後が真宗の影響が強いとは初耳じゃ。
真宗王国は北陸に多い。ほいで、常陸における真宗の何か?文化、社会的
影響とは何があるんか?安芸武士が毛利家臣云うより国人連合。
拘束力が薄いゆえ兵力動員に遅れる弱点もあったわい。真宗地帯は、
権威、権力に弱い縦地帯の兵よりも、兵士の横の連帯感があり、長所にして
強みじゃのう。
0600名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 05:03:22ID:B0/kdvluお前いつも「ほいじゃ聞くが」とか言って、強引な例え話して論点逸らすよな
0601名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 05:10:55ID:i2+vepBW薩摩、越後辺りだな
0602名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 12:57:23ID:6RHotr130603名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 13:08:38ID:JTRxvcBtありえない。
輜重を軽視したジンギスカン作戦なんてアホなことを実行させる参謀がいる限りw
0604名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 13:46:32ID:wO8XoYQZ戦ったことないのにどうやって根拠言えと?
それにその日系人部隊、広島師団と何の関係もないだろ。
じゃあさ、その日系人部隊が負ければ広島師団は弱いってことになんのか?
0605名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 16:47:42ID:JTRxvcBt単なるお国自慢だろ。
鹿児島のヤシ等よりましだよw
0606白馬青牛
2006/11/27(月) 23:52:55ID:ym8qN+Zk10世紀の温暖化により東国の生産力が上がり、西日本では干ばつが頻発
し、近畿勢力の利権も絡んどると思うが、気候変動が東国の土地争いの
要因になったと思う。近畿地方の騎射は渡来系の技術じゃと思うが、
関東や東北はどうか?オリジナルな騎射文化はないよ。信濃や甲斐は
高句麗系や百済系の影響であろう。蝦夷も騎射は、オホーツク文化人か、
渡来系の影響じゃろう。そのチベット人が今も馬に乗って戦う?
現在チベット・ゲリラは中国と交戦しとらんよ。じゃが、中国人は四川・
青海の山岳、遊牧地帯に住むチベット人カムバや羌系を「西蕃」と呼び、
チベット高原の中央部の穀倉地帯チベット人を「烏斯蔵」と呼び区別した。
カムバは、モンゴル人と較べると騎射技術では劣るであろうが、
山岳地帯ならではの健脚力、歩兵としても優秀じゃ。
河口慧海氏は、カム人は忍耐力があり、モンゴル人や(高原の)
チベット人より身体が強壮で、強盗をやるような奴でも人を救う為には
随分熱心にやり、義侠心に富み、おべっかなど大嫌いの性質である。
モンゴル人や特にチベット人はおべっかを言う。と書いておられる。
山岳地帯の人間は誇り高いね。日本でも、戦国末期、近世初期の領主に
山民狩に抵抗し、人質の婦女子を殺害された紀州や四国の阿波祖谷地方も
例外ではない。
0607白馬青牛
2006/11/28(火) 00:34:16ID:DbiFj/+r旧日本陸軍が、漢人がほとんどであろう馬賊討伐で騎馬隊を編成し討伐に
向かったが、水野祐氏は戦争体験で「どうも日本の戦争というものは
伝統的な考え方は歩兵隊であって騎馬隊は遅れております。(中略)我が
騎馬隊は一回の進軍で全滅してしまい、二度と騎馬隊は作られません
でした。なにしろ、向こうの騎馬の連中は、手綱も外してうしろを向いて
銃を構えて、ちゃんと正確に射ってくる。日本の騎兵はあんなこと
出来ないですね。あんなものに絶対かなわないと思ってみていたのです。
私の父は日露戦争に行きまして、北海道の旭川の騎兵隊で、とにかく
日本の騎兵は弱いんだといっていました。ロシアのコサック騎兵なんかに
絶対かなわないから、コサックが来たら逃げたという話ばかり聞かされ
ました。」とされるが、比較材料になろう。そのくらい日本の騎馬兵は
拙劣じゃった。日本の騎馬兵が優秀じゃったと夢を見んなや。
>>601
根拠なきスローガン活動じゃのう。
0608名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 01:17:18ID:56aKRv233日で蜘蛛の子を散らすように逃散してるに10もみじまんじゅう
0609名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 01:17:54ID:gY8Evxbd(=゚ω゚) ありゃホントだ「下総国兵部省官牧・馬牧4、牛牧1」
下総って古代からけっこう大規模な馬産地なのね
下総や美浦に競馬のトレーニングセンターが有るのは知っていたが・・・w
競馬と言えば都の「競馬クラベウマ」だが競馬は十例トオツラ、馬長ウマオサと呼ばれていたらすい
たしか競馬は長谷川一夫の映画「地獄門」でやってた希ガス。
ちなみに正月十五日宮廷の年頭公事の競射が「射礼ジャライ」これは歩射だそうな。
室町期に流鏑馬的な騎射が廃れたのは大規模な戦闘も無くなり、戦闘馬術から
「庭乗」という供覧馬術に流行が変わったため。
庭乗は拍子乗・曲乗と見た目の華美を競い、歩き様を変えるため馬の脚の筋を切ったりした。
これでは戦闘できない。
まあ、あと現在の小笠原家の弓馬故実が正統かどうかは別問題で信濃小笠原家が
弓馬の達者ならこのスレ的には問題ないと思う。
そっち系のサイトだけ紹介しとく http://www.yabusame.jp/y_history/y_history04.html
小笠原長清については吾妻鏡が元ネタらすい。
「十五日癸未 鶴岡ノ放生会ナリ。二品(頼朝)御出。参河守範頼、武蔵守広信、信濃守遠光
・・・足立右馬允遠元等扈従ス。流鏑馬アリ。射手五騎、各々先ズ馬場ニ渡リ、次ニ各々射訖ンヌ。
皆的ニ中ラズト云ウコトナシ」
たぶんこの信濃守遠光が長清の父加賀美次郎遠光(信濃守)の事だろう。
牛っ!遊んでやれなくてゴメンな、591を恨んでくれ (=゚ω゚)ノシ
0610白馬青牛
2006/11/28(火) 01:32:01ID:DbiFj/+r実際広島の部隊はインパールで戦うとらんけえのう。仮定の話じゃ根拠に
薄い。じゃが、広島部隊じゃったら、インパールの前線部隊
15D・31D・33Dと同じ戦闘方法はせんかったと思うよ。
マレー作戦で広島師団の快進撃は、常に敵を攻め立て、つまりクリンチ
状態で敵に包囲殲滅する機会を与えんかった。戦闘は数より速度が
優先すると前にも書いたが、冷静に敵に考える余裕を与えたら駄目じゃ。
ほいでクリンチをはずし、離れたら敵の砲弾の餌食になるだけじゃ。
インパールはそれで敵に余裕を持たせ、やられた訳じゃ。まあ敗戦の
要因は、戦術のみではなく、いくつもの要因が連鎖した状態であるのが
常じゃが。インパールは牟田口司令官の絵図じゃろう。上層部が拙劣な
作戦を立てたんは、マレー作戦でも同じ。なにしろ辻参謀殿じゃったし。
>>604
国は違えど、広島県移民二世が多かったゆえ、全く関係ないとも云えまい。
日系人部隊がドイツ軍と戦うたんも参考材料になるよ。ドイツ軍の白兵戦
は弱点と見えるし。日系人部隊が負ければ云うても、日系人部隊は
負けとらんよ。また広島師団が共に闘った他師団より拙劣な戦闘をした
例もないよ。
0611名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 01:46:51ID:nXGDRkRb近代の安芸兵だけは強かったってわけだね。
0612白馬青牛
2006/11/28(火) 02:09:19ID:xrymcv2Fまたか。わしが>>595でチベット系遊牧民の曲乗りを挙げたのに、
白々しゅう実戦的じゃない云うとる。関東人は妄想が好きじゃのう。
近畿人に隷属した事を忘れたいんかのう。
>>611
戦国時代の安芸兵が実績がない云う根拠を云えいや。
応仁の乱〜朝鮮の役まで武勲を立てとるよ。
0613名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 02:19:34ID:nXGDRkRb牛の最近の発言をまとめたまでだ。戦国時代に言及しないのは実績に乏しいからだろ?
お前こそ戦国板と脈絡のない近代と中央アジアの話ばかりじゃないか。
戦国時代に安芸兵が強かったと言いたいなら、根拠を示すのはむしろお前の方だ。
0614名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 02:21:05ID:zkfStU7V同意
>戦闘は数より速度が優先する
東部戦線
電撃作戦(速度)→ベルリン陥落(数)
>ドイツ軍の白兵戦は弱点と見えるし
WW2の時代の歩兵を白兵戦に特化させてどうすんだ?
WWIで機関銃に突撃→全滅みたいな戦争してんのに、白兵戦狙いの戦術なんてただのバンザイアタックだろ
0615名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 12:55:16ID:gY8Evxbd(=゚ω゚) おいおい、漏れは曲乗りも静止射も否定はしてないぞ。
ただ日本の長弓は馬上では使いづらいし馬具も独特、当然戦術も違う。
西洋の馬術は馬が芸をするが和式馬術は人が芸をすると言うが道具の違いの差は大きいだろう。
ひとくくりに馬術うんぬんで海外の馬芸と比較はできんだろ。
0616名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 15:40:28ID:PD26UNCD広島師団がドイツの陸軍に勝てるって証明になってないな。
アメリカ軍と日本軍では兵力が違うんだよ。アメリカ軍並みの兵力だったら
日本軍もドイツ陸軍に勝てると思うぞ。つか断トツで世界最強のなるかもな。
別に広島人だからとか関係ないだろ
0617名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 22:26:25ID:zkfStU7Vそりゃ日本だけチートしたら最強だわなw
0618白馬青牛
2006/11/28(火) 22:39:45ID:8j4XlV/6大した実績がないと決め付けとるんはワレじゃろうがい。おどれが先に
安芸を実績がない云うて、決め付けて愚弄したんで。早う戦国時代に
武勲を立てた地域と安芸兵と較べてその根拠を云えいや。戦国最大戦で
外国勢との長期対決である朝鮮の役については語ったが、一日劇場決戦の
関ヶ原に武勲もあったもんじゃないがのう。ほいで、戦国板と脈絡が
ないじゃ前提付けとるが、どがいな理由で近代や中央アジアと脈絡が
無いんか具体的に書けや。諸地域による考察なきは鎖国史観に外ならん
云うて、わしゃは、何回も云うとるど。
>>614
白兵戦を特化?現代でも白兵戦がのうなった訳でもあるまいし。米海兵隊
白兵戦の訓練をしとる。ほいで、白兵戦は基本的に敵が浮き足立った
戦機を捉えて敢行するもんじゃ。機関銃の餌食になるんが解っとって
やるんは自暴自棄の思考停止状況においての場合じゃろう。白兵戦は、
お互いの距離が接近し突撃する最後の決勝戦じゃ。敵味方、彼我の将兵の
精神状態で、勝負が左右される戦闘において、重要な要素を占めるよ。
ほいじゃが、先の大戦で英軍ら西洋諸国の軍隊は白兵戦となると、
すぐ手を挙げ降伏して来たね。英軍は前線にグルカ兵がその役割を
しとった故かのう。新大陸の米豪軍は、白兵戦でも挑んで来たけどね。
0619名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 22:44:10ID:2IsiAPHa軍板にでも逝ってくれw
0620名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 22:51:17ID:pk2K/9XA白兵戦は戦闘の最後の決だからなくなることはないね。
地上戦闘は地面を占領しなければならないわけだから。
でも挺身団に広島人が多かったと聞いたことはないし第1空挺団も特戦群も広島県人多くないよ。
お国自慢もほどほどに。
白馬青牛はここの25?
ttp://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/
0621白馬青牛
2006/11/28(火) 23:15:38ID:8j4XlV/6長弓は、重装騎兵が使う武器じゃ。軽装騎兵は短弓を使う。日本の騎馬は
騎乗者は重装騎兵の装備である甲冑を付け、馬には、馬甲を付けず、裸に
して軽装騎兵の装備じゃ。おとぎの国の騎馬兵に過ぎん。西洋の
騎馬甲冑も、やたらに重たい重装備で、騎乗者が倒れたら従者が起こす、
おとぎの国の騎士じゃしのう。騎馬戦闘は、北・中央ユーラシアの
乾燥草原ステップ遊牧地帯の戦闘法で、東アジアの湿潤地帯や西洋の
農耕地帯には、発達せんかった。西洋のステップ地帯は現在のウクライナ、
ハンガリー迄じゃ。ロシア人が農耕民でありながら、コサック騎兵が
優れておるんは、近隣遊牧民と黒海周辺の地理的要因。華北の漢人も
北方騎馬民族の影響とステップの延長風土が生んだもの。中国では南船北馬
じゃ。地図を見て華北の川が、「河」、華南は「江」。満洲西部が「河」、
満洲東部〜朝鮮が「江」であることも、風土を現しとる。日本列島は、
ステップ地域などないし、列島東西も「江」の湿潤風土になる。その
風土性を無視して中国の「南船北馬」を、日本列島も「東馬西船」と
無理やり当てはめたんに過ぎん。
0622名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 23:23:36ID:cN58T5n5軍板に居られなくなったからここに来たんだって
0623名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 23:39:07ID:6Wv4TZNSは、軍板ではおなじみの句。西国の兵隊が弱いのは、昔から結構言われてること。
>>614
ドイツがもすかうの喉笛に噛み付いておきながらソビエトに負けたのは、
・これからという時に最悪のタイミングで偉大なる冬将軍様が来た事
・ヒトラーが前線指揮官の讒言を無視してスターリングラードを攻めた事、
・イタリアのヘタリアぶりがry
の上記が挙げられる。
大体、ソビエトの軍なんて一万の敵に二万人を突撃させて、一万の兵士を残して勝つ。って軍だからな。
速さも大事だが、その後の維持と処理が1番大切。
0624白馬青牛
2006/11/29(水) 00:12:28ID:qvz754hn証明云うて、実際両者が戦闘しとらんど。あんたの云う兵力が何を
指すんか解らんが、日本軍が断トツで世界最強になるたあ、どがいな根拠
からか?旧国軍は郷土部隊じゃし、地域による兵団の性格も異なる。
>>620
旧国軍の挺身隊のことか?大陸打通作戦で、編成された特殊部隊である
桜挺身隊は、広島39D兵士で編成された。弱兵は陸軍中野学校出身の
特務機関S中尉だけじゃ。広島70Dにも挺身隊はあったし(広島第
121独立大隊金崎挺身隊の活躍は敵中深く疾風の如く潜入攪乱し、
神出鬼没にして、敵兵舎に突入する大胆極まる放れ業をやる等、
軍司令官から全部隊へ好戦例として示達され感状上申となった。)
これは、広島人が遊撃ゲリラ戦においても優れておったことを実証して
おる。戦術感や知的能力に優れた広島人ならではじゃのう。
華北戦線でも弘前36Dで編成された挺身隊はあったよ。
中国ではゲリラ部隊の要素が強い挺身隊も南方戦線では、挺身隊は
斬り込み白兵部隊のニュアンスが強うなるね。何で第1空挺団が出て
くるんか解らんが、地理版のそれは、「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史
弐」の事か?廣島もみじ県民はわしじゃ。
0625名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 00:23:07ID:kNDPxAaC実績がないものを出せと言われてもないものをどう出せと。アフォかお前は。
結局、牛は人の主張にいちゃもんは付けるけど自分から主張するのは
恐いんだろ?戦国時代の知識がないからな。
安芸兵が最強を主張するなら事例はたくさんあるんだろ?なんで戦国
になるとあいまいな書き方になるんだ??
>戦国板と脈絡が ないじゃ前提付けとるが、
そもそもこの板自体が戦国が前提になっているのだが。日系アメリカ兵にまで
飛躍するアフォには気付かないか。
>どがいな理由で近代や中央アジアと脈絡が 無いんか具体的に書けや。
自分のレスを読み直してみろよ。どこに戦国時代との関連が出ている?
それとも日系アメリカ兵と戦国時代の兵に脈略があるとでも?中央アジア
の騎馬民族が戦国時代に影響を与えたの?
>諸地域による考察なきは鎖国史観に外ならん 云うて、わしゃは、何回も云うとるど。
そりゃそうだ。では中央アジアと戦国時代を比較する意義は何?
薩摩、尾張、三河、甲斐、越後、武蔵などと中央アジアを並列に考察することが鎖国
史観解消になるのか?
もしかして各国史(日本史含)、地域史=鎖国史観だと思ってんの?
0626白馬青牛
2006/11/29(水) 00:40:56ID:s/RJsyZN軍版は、日本最強師団スレが消えてしもうたけんのう。
>>623
大阪の部隊が何処で負けたんか、連敗した云う実例も挙げずスローガン
活動をやっとるだけじゃないか。関東の兵も弱兵の代名詞じゃろう。
軍司令部から評価が高うなかったね。インパールで前線に立った、
宇都宮33Dも中支派遣軍では雑魚扱いじゃないか。宜昌作戦でも、
乙(警備)兵団の中から広島39Dは最前線。次に評価が高いんは
四国の善通寺40Dで、石本支隊が参戦。それに較べ大阪34Dと共に、
宇都宮33Dも後方でお茶を濁しておった。宇都宮33Dも仙台師団の
新潟や福島の兵が混じっても、群馬、栃木、茨城の兵も含むとなると
前線には出せんと第11軍では評価されたんかのう。近畿兵団は、
軍の評価は低くとも衡陽攻略の武勲があるが、関東は近畿兵団と較べると
武勲に乏しいのう。
0627名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 01:02:07ID:XaunWNYF読解力の無いあんたに分かりやすく説明るの難しいが、小学生に説明するつもり
で頑張ってみる。これでウダウダ言われたらもうお手上げ。つかワザと困らせようと
しているだけの性根腐った古狸なんだろうけど。
つまり、日本がアメリカくらいの国土・物量・兵器・兵の数・資源等あれば断トツで
世界最強になれたんじゃないかなって思っただけ。別に決め付けているわけではない。
こんな小さい国があれだけやれたんだから。
あと地域によってすら兵団の性格違うって自分で言ってるのに、アメリカの
軍隊と広島師団結びつけるってバカか?
0628名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 01:19:39ID:XaunWNYFを訓練して戦わせればドイツ陸軍に勝てるという証明にはなるけど、広島師団が
勝てるという証明にはならないよ。
0629白馬青牛
2006/11/29(水) 01:23:47ID:s/RJsyZNほうか、あんたの地域じゃ実績がない弱兵地域なんか。
虚勢を張るところ関東の隷属奴隷地帯の人間か?近畿地方を罵り、
根拠のない関東妄想物語で夢を見とるんは関東人。越後人に蹂躙され、
奴隷として売られ、哀れじゃ思うけどね。戦国時代についてどこが
曖昧なんか?朝鮮の役の安芸勢の活躍は云うたか、応仁の乱や京都
船岡山合戦でも安芸勢は大内氏の尖兵として前線で戦うとるし、
安芸国人衆の吉川氏や平賀氏は鬼と称される活躍じゃ。
戦国時代の知識がないと云うんは、どの文から解釈したんか?
戦国時代は兵卒から見た資料がほとんど無いゆえ近代の例から地域兵士の
考察が必要不可欠じゃ。わしも歴史に詳しいほうじゃないが、
西国と東国の社会制度の違い等、民俗、地理等様々な考察から多角的に
考察しとるよ。文献専門の一元解釈の妄想史学者より、ちいたー
ましかのう。ワレのように前提条件を付け、世界と比較せず何で
日本のことが解るんか。思考が関東鎖国主義史観に外ならん。
日本の馬文化も中央アジアの馬文化と比較することで特徴が明確になる。
地域史も民俗文化も国内だけじゃのうて東アジアの諸習俗の影響を無視
しては無意味じゃ。学問は閉じこもったら終わりじゃ。
0630白馬青牛
2006/11/29(水) 01:51:53ID:C3ItKxngまた虚勢を張り、わしが読解力が無いじゃ、根性腐ったじゃ、
バカじゃ云うて罵ることでしか優位に立てんと思うとるんは
関東奴隷根性かのう。日本人として風が悪い云う意識が無いと見える。
じゃけえ、世界最強になれたんじゃないかなって思うじゃなしに、
根拠となる事を具体的に述べよ云うたんじゃ。思うだけなら妄想ですと
自己宣言しとるだけじゃないか。米軍の日系部隊は民族区分された
部隊じゃし、米軍と国別で解釈してもしょうがない。
逆に広島師団がドイツ軍に勝てん云う証明にもならんね。
0631名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 02:03:01ID:5VfRtx7a中国の「南船北馬」を、日本列島も「東馬西船」と無理やり当てはめたんに過ぎん。
(=゚ω゚) ん?「西国の兵はたいしたこと無くても操船術はナメてはいかん」と雑兵物語にも
書いてあった気がするが・・・ 今度気が向いたら調べとく。
馬に関しては日本書記や風土記にある馬産国は甲斐、駿河、常陸、上総、信濃、
美濃、飛騨、備前、日向、薩摩、対馬さらに延喜式で下野、安房、相模、武蔵が加わる。
・・・古代から馬産国はほとんど東国、九州やね。
古代の朝敵は蝦夷だったから自然信濃、関東に軍馬が集積され馬牧も増える。
だがこれは蝦夷の武器供与になりかねないので飼部の戸数、馬の売買は
政府によって管理されたそうだ。
実際放牧された野馬なんて調教する技術が無い事には軍馬にはならないからな
兵士レベルでの繰馬能力は推して知るべし。
これは一騎打ち時代の騎射馬術から時代が下り、戦国になると集団騎兵戦術となったため
修練馬術よりも難馬、癖馬を矯正する調教馬術の方が広まった事からも推察できる。
>馬には、馬甲を付けず、裸にして軽装騎兵の装備じゃ
おいおい馬鎧なら古墳時代からあるよ・・・ もちろん戦国時代にもある。
あまり重いと馬体がもたんだろ。それに長巻で脚払われたり熊手に掛けられたら意味がない。
ちなみに日本では神武帝の時代から歩兵も長弓だよ。
牛もそろそろ寝ろ (=゚ω゚)ノシ 明日また遊んでやる。
0632名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 02:39:42ID:g3xyvy83小学生はお前だ
そういう下らない無意味な厨妄想は好きじゃないな
その設定のとこまで築けるのであるなら朝鮮だろうとイタリアだろうとどの国でも最強になれる
それがアメリカだっただけ
その設定が前提なら中の人なんか関係ない
0633名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 03:44:01ID:XaunWNYFでも民族に区分されているからって何で米軍と国別で解釈できないのか
意味プ〜や。白黒黄色いるけどさ、色違い!って区別されるの?されたとして
みんなアメリカ兵に変りは無いよ。
>広島師団がドイツ軍に勝てん云う証明にもならんね。
まあね、実際戦ってないし。でも米軍との戦闘を比べてみてもある程度の
予想はできるんでないかな。
>>632
あはは。そりゃそっすねー反省します
でも日系人部隊と広島師団関係ないと思いません?
それで広島師団がドイツ陸軍に負けないと言っている牛も妄想でしょうに
0634名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 07:19:50ID:/RLiDJI20635名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 12:10:38ID:XaunWNYFそもそもどういう意味だよ池沼?
0636620
2006/11/29(水) 12:23:36ID:qcjCczHi挺身団=空の神兵のことだよ。
知っててとぼけてるのかい?
第1空挺団と特戦群を出したのは戦国時代の話に旧軍の話を出したからさ。
WAiRは知らんけどね。
46iRから1AbnBへの転属者がほとんどいないところを見ると少なくとも現代では言うほど広島の兵隊が強兵とは思えないんだけどね?
時代が違うと言うのであれば旧軍の話もスレ違いじゃないの?
0637白馬青牛
2006/11/29(水) 22:52:56ID:Wlakuyru『雑兵物語』は、関東人による『関東雑兵物語』じゃないか。馬の調教技術
も、平家の郎等であったが、因人になって梶原景時に預けられた武蔵国の
都築経家が、陸奥より悪馬が献じられ、誰一人乗りこなせん処、見事に
御して見せ、厩別当にした処、特別な方法で馬を飼い馴らし、数珠繋ぎに
した馬達が、人手を借りず彼の馬の尻について来た。経家が入海した為
「その飼けるやう」を知る者もおらんようになったという。
関東では、馬を御せる技術を持った者がほとんどおらんかったんじゃのう。
後の戦国時代になって癖馬を矯正する技術とは、具体的に何か?
馬鎧は古墳時代、渡来系の影響であったが、日本の戦国時代は革か藁
じゃったんじゃないんか。古代のパルチア重装騎兵の馬に対する防御は
銅鎧じゃった。重装騎兵の役割は移動出来る防御壁で機動力はない。
そして武器は長弓・長槍じゃ。機動力、追撃は軽装騎兵の役割で、武器は
短弓を使う。敦煌壁画にあるよう鮮卑の重装騎兵も長弓を使用した。
日本では軽装騎兵による機動力が伝統的に重視されんかった。
そもそも実存した人物か解らん日本の神武帝の時代云うて、何時の時代
なんか?じゃが弥生期の倭人もおそらく長弓であったろう。
0638名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 23:45:46ID:/Aln6xKZ馬甲は馬への負担を軽減する事を目的に、革製を用いられることが多かった。
また、鉄砲が普及するまでは皮でも十分。
想像以上に丈夫だからな。
とういか、武士・兵士の鎧も当世具足までは皮が主流なんだがなあ。
0639白馬青牛
2006/11/30(木) 00:23:52ID:NM90QIpm国別で米軍であっても、第二次大戦時は、日系人部隊として編成された訳
じゃし、現在の多人種混合の米軍とは違う。広島師団は英軍とは戦闘しとる
が、どう予想出来るんか?予想屋のあんたに尋ねるが、ドイツ軍とグルカ兵
あるいはインド兵が戦闘した場合はどう予想するんか?
>>634-635
ほいじゃあ、ここに来とる妄想関東人閉鎖的偏見はどう思うんかいのう。
関東人あるいは東北人も混じっとるんじゃろうが、つまらん罵りを浴びせ、
虚勢を張り、わしの文面全部分じゃのうて、一部分を採り上げて、そこから
自分勝手な解釈を付けてわしにカバチ(文句)たれる。人の揚げ足捕りに
熱心じゃわい。他板でも毎度の事じゃ。親方小方、主従関係で結ばれた
上下の区別の強い社会は嫉妬も強いと宮本常一氏は云われたが、
このスレの関東人を見てなるほど、隷属奴隷根性かと考えさせられるよ。
戦国期、関東人が越後人に蹂躙され奴隷化されたことも要因の一つかのう。
>>636
挺身団だけじゃあ、何処の挺身隊か解らんし、第1空挺団も現在の自衛隊の
習志野空挺団のこと云々はっきりさせて云うたらどうかいのう。
ほいで、第1空挺団に広島人が何人おるんか調べたこたあないが、何で
空挺団にどれだけ転属するかで強弱を決めれるんか?そもそも広島人は、
軍人指向も強くなく、上官に従順な性質じゃない。お国自慢板の
郷土の英雄。帝国陸軍師団のスレでも書いたが、広島39Dで編成された
挺身隊の勇士であるI岡曹長やM村一等兵も上官に逆らい、上官に暴力を
振るう等軍隊では悪兵に属するであろう。わしの身内である曾祖父も
気にいらん上官は暴行しとったし、祖父も行軍訓練を友人と一緒にさぼり、
煙草を吸うて休んどったよ。全ての兵士じゃないが、広島人は上に諂わず、
隷属屈辱感をもたん真の勇士もおられた訳じゃ。
0640名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 00:26:19ID:q/aNZkHQ関東人はうんこ
0641名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 00:50:29ID:jRe93W/l0642名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 00:52:16ID:t7YTsr5k0643名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 00:54:40ID:v6NmhDkA>他板でも毎度のことじゃ
なるほど。何が原因かより一層明確になったなwww
0644名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 01:12:05ID:d7DqZeFa予想屋のワシに言わせれば広島師団はドイツ陸軍にはコテンパンにやられる
じゃろうけぇのう。他は自分で妄想してな。妄想自慰は得意なんだろ
てか質問を質問で返すなよ。疑問文には疑問文でって学校で習ったか?
それとも学校あまり行かなかったのか?サボり癖は血筋か?それとも引きこもりだったか?
>わしの身内である曾祖父も
>気にいらん上官は暴行しとったし、祖父も行軍訓練を友人と一緒にさぼり、
>煙草を吸うて休んどったよ。全ての兵士じゃないが、広島人は上に諂わず、
>隷属屈辱感をもたん真の勇士もおられた訳じゃ。
自慢になってないよwなんつーかもう手遅れだこれw
間接的に真の勇士以外の広島人は隷属屈辱感持っているって言っちゃっているよw
わかったわかった、広島師団が強かった理由がやっとわかった
訓練サボる人が多かったから!納得したからもういいよ。最強の理由がわかったww
0645名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 01:14:25ID:t7YTsr5kアッララララーイ アッララララーイ
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0646名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 01:35:45ID:gCUlmJ3f甲子園優勝が関東と北海道ばかりの件
0647名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 02:23:06ID:EoKSYktC(=゚ω゚) う・・・陰徳太平記以下なのか?雑兵物語
ところで都築経家って「つつきの平太経家」武蔵七党の都筑党の事か?
都築郡は相模、武蔵主要官道沿いだから古代から兵部省の駅伝駅馬、早馬の補給のため
駅家や馬牧が有ったらすい。勅旨牧の立野牧は国内最大級ではないかと言われてるらすい。
武蔵七党中には馬牧の別当もいたし蹴馬の党(つーか盗賊)もいたようだ
>後の戦国時代になって癖馬を矯正する技術とは、具体的に何か?
ほとんどの和式馬術は失伝しているので新当流馬術の具体法はわからないが
おそらく「責め馬」の事だろう、馬を痛めつけ力づくで矯正する。
鞭を馬の頭部や股間に打ち込み声で気合いを掛ける。手綱をしゃくり、煽る(アフル)。
癖のつよき馬は縄をさし後、人に引かせる。十日も二十日も日々世々に責める。
昔の地方の馬産地や地方競馬騎手は時々やていたそうだ。
ただこの方法、馬体の大きい馬や過敏な馬には当然できないそうだ。よって現代馬では無理。
ついでに重装騎兵も日本の湿地山間部では無理だろ、密集体系が使われだした頃には
鉄砲が普及している。
アイヌは一位の短弓だが和人の銅鐸には長弓の絵が彫ってあった希ガス
0648名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 02:24:10ID:KIVN6Mi10649名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 03:02:39ID:t7YTsr5kヒント:高校の強い部活は中の人の出身が違う
0650名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 03:06:06ID:UQ7RShh9たしか一番よそ者率が高かったのは島根か鳥取だったはず
0651名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 07:37:49ID:gCUlmJ3fヒント:オテモヤン、アトリ、サトー、オーマエ、イシアヒ、マス、フミ、ハンカチ。関東の注目選手はやはり関東人。
>>609(=゚ω゚)
そのサイトは突っ込み所満載のページが揃ってるんだよね。小笠原、武田のとことかw
しばらくの間、うし任せた∩( ・ω・)∩
0652白馬青牛
2006/11/30(木) 23:51:12ID:yMZ+UnOeじゃけえ、ドイツ軍とグルカ兵、インド兵が戦うたらどう予想するんか?
早う答えんかい。妄想自慰が得意な予想屋さんよ。人に質問しよって、
わしが質問したら、よう答えんたあ、つまらん。
祖父は、途中まで他の兵達と一緒に行軍したが、途中の山に登る坂道で、
友人と共にうまく隊列から抜け休んで煙草を吸い、帰り道で合流した訳
じゃ。全部サボった訳じゃない。兵隊の要領じゃ。そのくらい「気が
きいてズルくさく」ないとやれんよ。
また、揚げ足取りか。中隊単位で悪兵の数が多数派の訳あるまい。
ほいで、各中隊から知力や基礎体力も抜群で、意志強固な自ら自己犠牲
出来る志願兵を集めて特殊部隊を編成しても、一般部隊より精強である
とは限らん。優秀な選抜兵では、同類性格に偏り、戦術に柔軟性がなく
硬直化された状態になりえる。「兵は詭道なり」敵軍の発想の裏を
突かんと戦勝は望めん。一つの部隊には、悪兵とされた人達の硬直化されて
おらん創案や行動が激闘には必要であろう。
そういやー、伝統と武勲を誇る広島第11聯隊ながら陸軍大学受験に
十年近く合格者皆無のことがあったようで、第11聯隊は勉強嫌いの
(頭から受験しない者も相当にあった。広島人の出世嫌いか。)
個性の強い、カンシャク持ちか、一癖も二癖も持合わせてた青年将校が
多かったそうじゃ。癖者の将校や悪兵の兵士等の個性が比類なき武勲を
立てた要因でもあろう。
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