どこの出身兵卒が強いのかな??
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 01:20:07ID:hZWJSov60049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 13:43:47ID:em2tIjg20050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 13:47:10ID:Bxh0Rqwd0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 14:38:43ID:YPX6dT8k装備は同じ
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 15:17:29ID:Vwaexne9地図上では密接しているように見えるけど一体何が両者を分けてるんだ
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 16:03:38ID:uMLiPmsE東京は田舎者の寄せ集まり。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 16:25:18ID:+57jayCq>困苦に耐え、忠誠心に強い
って、防戦の苦境では最重要な要素では。
0055白馬青牛
2006/10/14(土) 23:08:01ID:6pxRlgVs『陰徳太平記』の記述が、近代広島兵団の性質と類似性があるのに、
根拠ものうて一概に否定出来まい。否定出来るんなら根拠を出せ。
>>48
戦国時代の勉強?あんたは、文献のみじゃのうて、民俗学、考古学的要素も
含め、戦国期の全体像を考察したんかのう?戦国期の人物の歴史を
調べるだけじゃあ、全体像を考察したことにならんよ。個人崇拝の
新興宗教に過ぎん。
>>54
防御戦の苦戦で重要なんは、「攻撃なら一人の勇者がいれば、他者は、
それに従がえば良いが、防御戦で、兵隊は、小陣地に数人に孤立するんで、
いちいち細かい命令指示をまたずに、各個人が自信を持って戦闘行動の
出来る能力が要求される。各個人が、磨かれ、鍛えられた兵士でないと、
そこが弱点となり、敵に抜かれる。」(広島第231聯隊。まるさ聯隊
戦記、遥かなる戦場から。)「防御は攻撃戦以上に兵一人一人の
戦闘能力が勝敗を左右する。」(梶浦元広島第231聯隊長。)
上官に従順な東北師団に防御戦を期待するんは無理じゃろう。
東北兵団は実際失態の連続じゃったし、防御戦に弱かった。
しかも歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した
実例も無い。実例のない地域兵団に防御戦は酷じゃったね。民主的要素の
強い地域の兵団で無いと防御戦は無理じゃろう。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 23:18:57ID:b3itxtI3なんか強そうなイメージあるのは、こんな感じかな
全然、適当だけど
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 23:49:13ID:ShffP36Xまあ、常陸に限らず関東自体がそうだが
頼朝も尊氏も家康も武家の棟梁たる将軍達は皆関東で兵を挙げて天下取ったしね
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 01:54:28ID:NEkHd9W2埼玉は東京に住めなかった貧乏人、通称都落ちの巣窟
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 02:00:30ID:oH8JfU5vマジレスすると日本人ならどこでも同じ
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 11:03:28ID:i72vW9sN新宿、渋谷、池袋、上野などの東京の主要都市を歩いている4割は埼玉人。
ちなみに格差社会と言われてるのは関東では東京だけの現象。
わかりやすくいうと世田谷区と足立区の平均所得の差などで
埼玉と東京というより23区内で彼らを分けているものがあるな。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 12:16:40ID:8RifGC86主君に従う忠誠心、歴戦している点が強調される。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 12:55:06ID:2439J7sC指揮する人物いかんでしょな。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 13:05:46ID:LsdEpMp5他国立ち殊更遠国迷惑の由也、甲斐・越後の弓矢、天下一の軍士の由風聞、一大事の陣立也
と表現してるから、事実はともかく甲斐や越後の兵隊が強兵だと言う認識はかなり一般的だったんでしょ
信玄・謙信の死後でも甲斐や越後の兵が如何に怖れられたかがわかる
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 14:57:04ID:6y3WyYvm正直、同じ人間なら差はない
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 15:19:58ID:AW2dmed70066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 16:06:07ID:8RifGC86たとえば、越後兵は毎年のように雪の中を行軍し、鍛えられていた。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 17:05:06ID:VO7/WpTT戦で勝つことが出来たことで 呼ばれただけだろ
九州の中で飛び抜けて強かったらあっという間に
統一してた筈で
本州に攻め込めてない時点で 十人並み
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 23:14:59ID:robZZs830069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 00:05:32ID:zkNKXdsNなんせ慢性的に四面楚歌で打ち破り続けたんだからな
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 01:05:41ID:ZM6eXJ6P織田軍の兵卒は強くは感じられないだろうな
それだけ動員できる時点で十分軍としては強いんだが
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 01:11:45ID:Zoxjdjbv0072白馬青牛
2006/10/16(月) 01:29:07ID:Q3ofBn/s現地の住民を拉致し、略奪したことが、強兵になるんかね。
現地民に恐怖を与えたじゃろうけど。
>>68
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州人の、いつもの儒教的朱子学的白髪三千丈的、ハッタリ屋さんは、
ほどほどにせい。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 08:14:58ID:kp3WrlES>よく言えば蛮勇。
良く言ってないってそれ
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 11:50:24ID:4TjShfkx0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 11:53:59ID:AAjnhs5H九州人と一括りにするな。
盲昧な輩め。
0076白馬鹿青鈍牛
2006/10/16(月) 15:06:10ID:m5B5ncvj広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 19:10:39ID:3Mf4qRZg現代のモラルで戦国時代の兵卒の強さを問えるのか?
それにモラルを備えた兵の資質=兵の強さなのか?
単に広島を持ち上げたいばかりに、周りを貶めてるようにしか見えないぞ。
尻尾丸出しだ。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 20:40:06ID:kp3WrlES四行も五行も同じことを繰り返し書くな。阿呆に見えるぞ。
てか戦国時代に備後や安芸の兵が強いってのは聞いたことが無いが
ホントに強いのか?
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 21:34:58ID:HDClRaiu0080白馬青牛
2006/10/16(月) 23:37:27ID:5jzHF1Gjモラルつまり、「精強は軍紀にかかる。」兵士の足を鎖で逃げれぬよう
撤退した農奴隷属体制の中国国府軍より、同志的結合を持った
共産八路軍の方が強い。封建的体質より民主体質であった方が強いよ。
>>78
安芸勢は、応仁の乱や京都・船岡山合戦で、鬼吉川・鬼平賀と武将、
国人部隊も武勲を立てとるよ。安芸門徒も、石山本願寺に織田軍包囲網を
突破し兵糧を送り、帰りの方が困難じゃが、犠牲を払いながら、
兵団が崩壊せず戻った云うことは、それ程精強じゃった云うことじゃ。
「進者往生極楽・退者無間地獄」の黄旗のもと、その精神は安芸門徒の
気概じゃ。
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 00:32:22ID:wR0WOy+m基本的に住んでる環境が苛酷なほど兵は強くなるって言うし、あとは戦争ってエネルギー使うから、食うもんも関係してたと思った。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 00:40:04ID:v1mgaxiEただ風土が生む気質の違いは確実に戦いに影響を及ぼす
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 01:07:44ID:JQsTCzBN北国は、粘り強く持久戦に強い
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 01:22:15ID:b5TDrBEJ江南の兵は粘りが無い
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 01:47:45ID:ia2YhI83日本人全部イタリアに持っていったら全員陽気になったり
イタリア人全部ロシアに持っていったら全員大人しくなったりはしないだろ
鹿児島県民と宮城県民入れ換えたら性格まで入れ替ったりすると思うか?
無論多少の影響はでるだろうが基本的には変わらないはずだ
日本人は単一民族と言っても多種の混血であり
地域によって各種の比率が違う
それによって民族性の違いが出てくる
0086白馬青牛
2006/10/17(火) 01:49:57ID:eOpD+2Ru確かに南国の兵は、攻撃型で勢いのある時の強い。
九州や四国の兵団はそうじゃった。
じゃが、北国の兵が、粘り強く持久戦に強いとは云えんよ。
近代の東北兵団や、戊辰戦争でもあっけなかったしね。
じゃが、不器用なんじゃが敵陣地をじっくりと時間をかけて攻める場合は
強いじゃろう。東北や日本海側の兵は、そうじゃった。
>>84
中国でも、北の山西軍は鈍重であるが、困苦に耐える。南の広西軍は剽悍、
獰猛。西の四川軍も強いね。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 01:53:33ID:a3IPcpzC根拠の乏しい主張しか出ないな。
不毛なスレだ・・。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 03:56:55ID:AvDE3uRD弾け方が半端ない
九州や東北は質朴精強など言う割りに実際はえらく打算的だ
その点常陸人は打算も無視して突き進む強さがある
平将門は一族の争いから勢い余って関東制覇し新皇名乗ったり
佐竹は頼朝の討伐を受けたが山から山へとしぶとく転戦し
ついに頼朝も留めを刺せず諦めて帰った
長倉氏は主家の家督争いから勢い余って関八州総出で討伐を受ける
だが孤立無援ながら粘りに粘ってついに落ちず鎌倉府も諦めて引き返した
戦国時代も各勢力とも割拠し続け他国の直接支配を受ける事はなかった
明治維新も薩長土ではなく常陸から始まった
水戸藩は御三家ながらも大暴れ、多勢の犠牲者を出しながら突っ走る
その余波で薩長土が目覚めるも、水戸藩は泥沼の内戦に突入
新政府での栄達も幕府擁護も知った事かとばかりに
戊辰戦争でも「諸生討伐」の為に出兵して諸生を追い回し
諸生党も会津落城後なぜか関東に逆走
「水戸城を奪い天狗討つ」と水戸城になだれ込み大激戦
※天狗党=改革派(新政府側)、諸生党=保守派(幕府側)
明治6年まで戦い治まらず殆ど壊滅
幕末に於ける一番(無意味に)熾烈を極めた戦いと言える
近代戦ではペリリュー島で水戸連隊は2ヶ月以上に及ぶ奮戦の末玉砕
米軍上陸作戦史上最大の損害率を与える
米軍もパラオの人々もその戦いぶりを讃えた
「日本軍がいかに勇敢に戦ったか祖国に伝えよ」
と言うニミッツ提督が旅行者に宛てた石碑が残る
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 17:41:47ID:JqalOrQm0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 19:29:15ID:AvDE3uRDそう
武術は常陸・下総あたりから派生したものが大半だからね
飛鳥時代に常陸鹿島で国摩真人が神妙剣を創案して以来
各武術形態が創られていき剣、槍、杖、薙、棒から
柔術、弓、手裏剣、馬術、鎖鎌、忍術に至るまで広がり
鹿島の〇〇使い、と呼ばれる各流派の武芸者が
行商人のように全国に普及させていった
島津の御家流で有名な示現流も常陸の笠間から伝わったものである
常陸は言わば武芸者集団
個人の戦闘力はかなり高い
だが、全くまとまりがなく非常に飽きっぽいと言う欠点があり
防衛戦はやたら強いが外征はグダグダになると言う特徴がある
0091白馬青牛
2006/10/17(火) 22:19:17ID:W7AoFcl+常陸?越後の上杉謙信に、小田城を攻め落とされて、二十銭、三十銭で
売られた奴隷民か。
宇都宮師団(群馬、栃木、茨城)は実績が無いしのう。ペリリュウ島の
負け戦を自慢するしか無いんじゃろう。戦歴に乏しい関東兵団でも、
緒戦の水際作戦で有利にたった事と自然要塞ゆえ米軍が攻略に手間取り
2ヶ月もった云うことじゃ。防御戦にも強うない。
ニューギニアでも、広島5D浜田第21聯隊(島根)が宇都宮51Dに
防御戦闘方法を教えたぐらいじゃし、サワラケット山越えでも、
宇都宮師団は、行軍の辛さに軽機関銃はおろか小銃さえ捨てて、行軍し
乞食部隊同様になったが、島根の浜田聯隊は小銃一丁すら損じる者は
無かったので、中野宇都宮51D長は、「君達の部隊は羨ましい。」
全員あの難行軍を武器を捨てずに持っている」と賞賛された。
武器を捨てる北関東の兵士が、武芸者集団とはのう。武器を粗末にして
武器を捨てて、どうして闘えようぞ。北関東は武人向きじゃないだっぺ。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:23:05ID:Wgv9zeRx0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 01:33:59ID:UzIx86/n上杉の前身・越後守護代の長尾氏は、関東から越後に進出して勢力を拡げた家。
越後は関東出身御家人が多いし、関東の植民地みたいなもんじゃわい。
中世の史料、『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)にある。
「坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた」
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 02:34:08ID:QwPKj1jB0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 02:50:58ID:EBR7Ze9Bアホ牛がデタラメ言って他を必死に貶めても
広島が最強なんて事ありえないしwww
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 02:57:49ID:/F7vwQ3n0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 08:37:11ID:z7PDLXbE0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 11:27:52ID:EBR7Ze9B0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 13:57:45ID:dMG1579N0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 16:25:59ID:qtPFwbalまあ戦国時代のことをろくに知らんくせに他を貶めたり、論点ずらして近、現代に
すりかえるやり方じゃ誰も納得しないのは皆承知なんだけどな。
ということで今のところ広島兵全滅じゃわいw
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:24:10ID:77GqMwx60102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:24:44ID:mT/CNnVb0103白馬青牛
2006/10/18(水) 23:12:04ID:V8KpvMa/云うたら関東蛙らが反論根拠を提示せず、一言コメントで罵倒を、
繰り返しあがるで。思うたら案の定じゃのう。越後蛇に喰われた関東蛙の
泣き声が今日は、雨じゃのうてもやかましいのう。こんなら関東蛙の
合唱団でも、結成して公演したらどうかいの。
>>93
関東は、古代から「人種的」に近畿地方、北方渡来系に征服されとるが、
関東は近畿地方や渡来人の植民地云うことか。越後蛇に喰われた蛙君。
鎌倉以降の資料で、弓射下手の関東武士が後世平家物語などの書物により
弓馬に優れておったように誤解され、書物を読む層に風評偏見として、
取り入れられただけの事。わしの言の方が偏見じゃ云うんなら、
『更級日記』に当時の関東は、葦や萩が高く茂り、馬に乗った人の弓の
先が見えんほどで、弓馬の術が発達するんか?遠くを見渡せん土地で
モンゴル人のように、視力5,0以上ぐらいの視力を得られるんか?
弓や小銃の射撃で、視力は大切じゃ。旧日本陸軍の兵士も射撃では、
中国人兵士に劣っておった。
平家降人や西行から都の技術を取り入れたら、武術の起源は関東なりと
水戸学的、つまり儒教朱子学的発想で文献妄想に自慰する。関東奴隷民は、
韓国と朱子学同士で起源論を争うほうが似合うっぺよう。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 00:17:17ID:W8MbQJUX征服じゃなくて、先進地畿内から進んだ文化・文物の受容を通して服従したということ。
征服じゃなくて、中央貴種の血を在地豪族が取り込む⇒招婿婚。
>『更級日記』の関東
それは港区三田のあたりだろ。武蔵の南端。広範な武蔵武士の発祥地から外れてるね♪
そんな辺境野原にも、弓を持った武人の姿が見える。
うしちゃん得意の悪質騙しw
>平家降人や西行
実戦の役に立たない流鏑馬だけw頼朝の都趣味だな。
『今昔物語』の源頼光
若ク候ヒシ時、オノズカラ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候
>鹿などの狩猟を行っていた若い頃と違って、今の自分は在京が長いため(都の武者だから)
>狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。
都で日頃行える馬上弓射は、馬場で行う静止的で単純な運動、流鏑馬や笠懸などしかない。
幅の狭い平坦な馬場で、都のお遊戯武芸⇒西行の武芸
実盛の言葉にあるように、坂東武者が強弓を自在にあやつり、強馬を訓練して人馬一体に乗りこなし、
恐れを知らない騎兵であったことが『平家物語』の他、『源平盛衰記』、『保元物語』などの記述からも
推察出来るのである。(1995年、愛知大・福田以久生氏)
0105白馬青牛
2006/10/19(木) 01:19:22ID:DoiE7YYTほいで、『とはずがたり』の鎌倉から岩淵まで原野を歩いた記述は
嘘か?浅草観音堂の馬に乗った者が見えんほど、荻が生えとった事も、
嘘と断言出来るんか?河内源氏に征服された関東奴隷民が、頼光の諸事に
忙しいんを都に技術が無いと誤魔化し、斉藤実盛も、富士川合戦に参加
しとった根拠はあったんか?
記述の推察?研究室で妄想し、諸学問の分野から考察する事を拒否した
学者は、戦前の作戦室で妄想し拙劣な作戦を立案する参謀殿と同じじゃ。
歴史は通説を疑うことから始まるんに、関東蛙君は、カルト信者のように、
文面を都合よう解釈する。ほいで関東武士の視力は10,0を下まわらんと
捏造したいんか?これじゃ人類の起源は関東と云いかねんのう。
縄文文明派は、そう工作したいんじゃろう。カルト朱子学的歴史観は、
理解出来んのだっぺ。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 01:35:20ID:W8MbQJUXはいはい、下ノ道経由で武蔵国で一番の田舎を辿るコースねw
今で言えば鳥取島根だな。
北区岩淵、川口の周辺とか、ちょうど武士団不毛地帯じゃないか。
嘘って何の事だ?w
狩猟が馬上弓射術訓練に最重要だと認識出来ないのか?畿内武士も同じく狩猟が実戦に通じる。
この伝統は形を変え、形骸化しながらも江戸時代まで生きてる。
出鱈目で血圧上るよw
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 01:42:33ID:3fx04NaC郷土を誇るならいざ知らず
あることないこと並べ立てて他を貶めるのが安芸の武士なのか?
大した武士もあったものだw
確かにそんな武士は他国にはおらんわ
それに一国内でも文化の形成と過程は異なるのに
お前はいつも関東だの関西だの一くくりにしてる時点で抜けてるんだよ
広島広島言ってる割には他国の威を借りなければ何も言えないのだなw
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 01:56:08ID:6yMtOf8Q0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 02:00:44ID:wVXNlueR安芸の方では馬場が存在しなかったの?
それに視力云々て、騎射するのに眼が霞むほど遠くから射るとでも思ってるのか?
マジで面白い事言うなwこのオッサン
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 04:41:33ID:d5Ne0ETp0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 09:13:04ID:Vq/TrdMb0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 13:09:25ID:/Jvg3mML0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 13:32:41ID:Plydn4HF0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 14:16:47ID:3fx04NaC毛利氏、吉川氏、小早川氏、安芸武田氏、高橋氏
全て東国武士だな
畿内から東国に下向して土着し武士になった者達が
鎌倉幕府成立と共に恩賞を与かり支配したものだ
安芸は東国武士の植民地だなw
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 15:25:03ID:qg4ZzFWh0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 15:33:39ID:JEFtkYJS114の3〜4行目。
>畿内から東国に下向して土着し武士になった者達が
>鎌倉幕府成立と共に恩賞を与かり支配したものだ
前スレを嫁とか、過去ログを嫁とか言ってない。
自分のレス先くらいきちんと嫁。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 16:31:08ID:MHNUg9el戦国期の田舎の豪族は自分の先祖と鎌倉武士とのつながりを切望したものだよ。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 16:56:19ID:qg4ZzFWh畿内の字を見落としました
大江音人とか大江匡房のことが言いたっただけ
0119白馬鹿青鈍牛
2006/10/19(木) 17:01:44ID:9DXsUj9x広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 17:10:22ID:bRiyt6x10121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 17:16:26ID:wVXNlueR0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 20:09:52ID:eu0YrNNj無論、坂東武者や薩摩隼人と比べられるのは厳しかろうが特に劣っていたという資料は見当たらないよ。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 21:06:36ID:6yMtOf8Q0124白馬青牛
2006/10/19(木) 22:11:47ID:kcn/JGZ7何で荒川沿いが関東で田舎地帯なんか。二条はわざわざ田舎を選んで
旅したんか?ほいで書いてある記述が嘘なんか?云う聞いたんじゃ。
騎馬に関わらず、狩猟訓練が実戦に最上であることは云うまでもない。
じゃが、武士よりも、専門の猟師の方が上じゃ。
あんたが引用した五味文彦氏の文から、朝廷に武芸を持って仕える
「帯仗の者」達について「これらの武士の供給源は、京都周辺の豪族
なかでも河内・摂津の豪族であった。」これらの武士が後に、
「東国に勢力を広げた」「頼義朝臣の威風大いに行はれ、拒捍の類みな
奴僕のごとし。」東国武士が平家降人から武芸を習う以前に、近畿地方の
武士に隷属しとるよ。狩猟訓練に形骸化はあるまい。
日本の風土で遠矢は向かんが、西国の方が遠矢の技術が東国より優れて
おった事に反論は無いか?視力の問題も答えとらんのう。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 22:17:12ID:PAkZWeVY少しはあるかもしれんが
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 22:25:13ID:gjk2aVOxアホか?おまえ
緯度で言えば10度以上差があるのに少しはあるかもしれんがって・・・
soreni隣近所の村でも風習が大きく異なる事だってあるのに
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 22:31:26ID:wVXNlueR同じものを指してどっちが勝ってるとか
気狂いも大概にしろと
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 22:40:12ID:d5Ne0ETp>何で荒川沿いが関東で田舎地帯なんか。
この時代は、はっきりいって田舎です。
おまえ江戸時代以前の関東の中心地がどこか分かってんの?
0129白馬青牛
2006/10/19(木) 22:52:54ID:kcn/JGZ7あることは兎も角、ないことたあ何か?具体的に云わにゃ解らんど。
他を貶める云うが、わしゃは、根拠ものうて貶めたことは無いよ。
安芸の武士は温情をもって降人を保護した(尼子や立花城の大友の
籠城した者の命を助け、城兵を大友氏に護送した。)事や、近代の
広島兵団が北清事変でも軍紀厳正で精強、世界に日本軍の誇りを示した
事等、郷土の誇りじゃ思うし、「中国者の律儀」安芸人の武士道じゃ。
わしが、他地域を貶める云う前に、自地域の武士道を云やーええじゃ
ないか。列島東西の文化が違う云うんは、風土的に大区分したが
小区分したら更に違いが出よう。他国の威を借る云うんは何処の文か?
あんたの抽象的な文じゃ、解らんど。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 23:12:56ID:uRsFBiFV畿内→(蝦夷征伐)→東国→(鎌倉幕府成立)→九州/東北/広島 だよな
東国武士の分家が土地もらって土着したのが各地方の中心的武家勢力だし
と思ったが大内氏だけ土着だったな。よって中国地方の純然たる英雄は大内義隆で決定 大内マンセー
0131白馬青牛
2006/10/19(木) 23:25:14ID:kcn/JGZ7面倒臭いが、ちいたー(少しばかり)答えたろうか。
安芸広島の国人領主は、山口や岡山と較べても関東武士系が多いよ。
関東武士系でも、広島の風土で育ったもんは、広島人じゃ。
武士団構成も傘連判状が如く西日本型の横社会制度じゃ。
奥州藤原氏が、人種的に東北人よりも京都人であっても、文化的に
蝦夷であったように、関東が近畿や渡来系の植民地であっても、
坂東人であるように。わしの血流に関東系が流れとっても、まぎれもない
広島人じゃ。人種的に北方渡来系に吸収された関東人が血脈にこだわるんは
朱子学的解釈なんかのう。
ほいで、>>122のような、にせ広島人まで登場して、広島を貶めとるのう。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 23:35:40ID:yyz0DPl9普通の猟師は騎馬じゃないなw
鎌倉街道の下ノ道は、鎌倉から芝・浅草方面へ抜ける海沿い低地の道。
府中から菅谷方面へ抜ける丘陵地の上ノ道や、熊谷方面への中ノ道の方が開けてる。
弓馬に長けた精強な武士団を生み出した丘陵地、
秩父平氏・西・横山・村山・河越・比企・児玉・丹党…。
沼沢と原野に囲まれても、武士は高地に館を構える。
浅草の場合、周囲は原野や低湿地だが、海と千束池に囲まれた台地上にあった。
九世紀以来の坂東の兵は、だだっ広い関東平野で騎馬で広範囲に活動し狩猟する。五味氏も言ってると思うが。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 23:38:06ID:yyz0DPl9文章を都合よく継接ぎするいつもの癖、どうとでも創れるしw
感情が先走りし過ぎで出鱈目ばっかw
日本馬の特性=勾配に強い。
これを最大限生かして戦ったのが坂東武士だな。五味氏も述べてることだよ。
・五味氏が述べる【東国武士団】
季節を問わず、昼夜の区別なく、悪所にも馬を踏み入れて合戦を行い
その日常は高度に訓練された戦士の生活であり、反面、西国の海戦には弱い。
・五味氏が述べる【西国武士団】
季節の訪れとともに合戦を行う季節的な武人で、4・5月に集中。海賊的。
東国の年中の武人に敗れた。
源氏の摂津在住の郎党と、坂東兵の関係知ってるか?
弓馬に長けた坂東の兵を畿内在住の郎党として組織したのが、渡辺綱らの伝承に反映されてるか。
元木泰雄氏の指摘。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 23:59:17ID:yyz0DPl9三連投失礼、一つ忘れてた。西国の遠矢な。
それは西国武士が得意な馬に乗らない「船の戦」で有効なんだろう。
平家でも太平記でも遠矢の場面は海だな。
馬上の弓射では余技に近い。笹間氏が言ってるよ。
関東=騎乗の伝統は、騎乗下手な安芸武士と違って戦国期でも生きてる罠。
五貫文の身分でも騎乗する結城氏、騎乗足軽の鉢形北条。
時代遅れでもあるが。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 01:37:35ID:KVWaiNk3都合よく180゚も話し変えるなよw
畿内政権に支配された関東が畿内の植民地なら
関東政権に支配された広島は紛れもなく関東の植民地だろ
安芸で生まれ育った関東人が安芸人なら
関東で生まれ育った畿内人は関東人だろ
お前の言ってる事は話しにならんほど支離滅裂だ
安芸について簡単に言える事は
畿内と関東に支配され続けた土地に過ぎないと言う事だ
0136白馬青牛
2006/10/20(金) 02:26:48ID:vtY5kjRU普通の猟師が、騎馬じゃないんは、東西日本でも如何に騎馬文化が
定着せんかったか。云うことじゃ。関東丘陵地の畑作農耕地帯を
武士団を生み出した地としておるが、相模の三浦、和田氏等は
海岸地帯の海民要素が強い。縄文期から動物タンパク質摂取も内陸より
海岸の貝塚民の方が多かったことからも、狩猟だけで生活出来る訳
あるまい。採集〜畑作が関東丘陵地の生業で狩猟は副業であろう。
都合よう後継ぎじゃ云うとるが、引用した文は五味氏の『武士と文士の
中世史』じゃ。P11「平将門に率いられた東国の狩猟の民、藤原純友に
率いられた西国の漁撈の民、これらすべてを狩猟民と呼びたい。山野河海を
活動の場とする民である。」とされ、東西の違いを云うておられるが、
両者は、P17の図3武士団のモデルで、非農業民に分類しておられる。
じゃが、五味氏のどの文から引用したんか解らんが、関東が季節を問わず
と云うのは、想定出来んよ。戦国期の上杉謙信が冬季に関東で略奪した
ように。西洋でも、東洋でも、近世前は季節的な武人じゃ。
西国の水軍も大陸の大型船に対抗出来んので海戦に弱いよ。弓馬戦も
東西日本供に大陸と比べ弱い。郎党も坂田金時のように東国人もおったが、
拾うて来た者を、秦氏の様な随身の家柄と同一視することは、
出来んよ。
0137白馬青牛
2006/10/20(金) 02:58:48ID:vtY5kjRU西国の遠矢も船戦に限らんよ。「吉野・十津河の指矢三町遠矢八町」と
奈良県の山地民も遠矢を得意としとる。大陸のモンゴル人も遠矢が
弓術の基本じゃろ。ナーダムでも、遠矢が競技として受け継がれとる。
遠矢無くして、弓馬狩猟文化も乏しいんじゃがのう。旧日本軍兵士が
射撃訓練しても、より訓練されて無い(実戦は豊富じゃが)が、森林が
日本に比べ少ない大陸農耕民の中国人兵士に射撃で劣っておった事。
東西列島日本人は、射撃、弓馬に疎いよ。戦国期においても騎馬に
こだわる関東の伝統?も大陸では通用せんよ。
社会制度的に主従縦社会の関東は、外来者に征服された云うことじゃ。
関東武士が広島へ殖民しても、社会制度は、西日本むしろ封建要素は、
広島と比べ関東武士の殖民の少ない岡山の方が強いよ。
いっつも、わしの文面から内容を読み取ることが出来んで、わしの文面の
言葉尻を取って、云うとるが、ええ加減頭を使うたらどうかいのう。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 03:14:01ID:bU21kGUGではお前が上で貶しめようとした常陸を例にとってみよう
佐竹は基本的に大義のない戦はしていない
そして敵対勢力を攻めても極力寛大な処置をとっている
白河氏や江戸氏のように攻め落としても緩い同盟関係を結ぶのみで領地をも返している
戦国期に佐竹のもとに集まった勢力の大半は元々敵対関係にあったものだ
それでも保護を求められれば受け入れた
領内統治についても評判がよく、現代に至っても佐竹は善政を敷いたと語られている
近代では例の水戸聯隊らはペリリュー島での戦いで
世界戦史上に名を刻む精強さを示し
米軍もその勇猛さを賛美した
そしてこの戦いで島民の犠牲者をたった一人も出してない
島民からの自発的な協力の申し出があったが
全て断り夜間に空襲をかい潜りパラオ本島に全員避難させた
日本軍全滅後帰島したパラオ人は悲しみ日本兵の遺体を丁重に埋葬してくれた
反日感情の強いアジアの中でパラオは希有な親日国であり
現代でも日本人以上にペリリュー島守備隊に畏敬の念を持ってくれている
お前はこう言う人達の心まで踏みにじる下衆な妄言を吐いて恥ずかしくないのか?
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 03:24:39ID:KVWaiNk3ログ読んでて気になったのだが
俺は関東人の視力がよくなかったって話し初めて聞いたんだけど
何に載ってる話しなの?
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 04:03:05ID:zVfR9/lW日本語もまともに読めないと広島を陥れてるのはお前の方だ。
あのな、安芸毛利の精強に疑いがあるとはそもそも考えてないがお前が痛いというのだ
戦術も教育基準も国力も違う大戦時の評価を戦国板で持ち出す痛い論法に
更に勇名を馳せた他国の武者を落とすだけで
安芸武者の覇を語るには実績も勇名も足りぬと言うのだ。
お前がやってるのは逆に安芸武者の評価を落とすだけのアンチ行為なんだよ。
あと私は南蟹屋在住の生粋の広島人だ。田分け。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 04:52:48ID:Frgb5ZxKこういう論法の奴っているよな、
他者を貶めないと特定の者を褒められない奴。
或いは自分では上手い比喩を使っているつもりで場を白けさせる奴。
まあ、いいや。
以後NGにするから勝手にやってくれ
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 15:50:44ID:6zRgO/FU0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 22:37:41ID:ArPGgIxj>>36を見ると軍板とかで構ってもらえなくて流れてきたんだろ
0144白馬青牛
2006/10/20(金) 22:57:40ID:txz++SIH佐竹氏の祖は源義光じゃしのう。義光は、後三年の役で捕虜を保護するんが
武士道じゃと都の価値観を持っておったが、関東化しとる義家に
拒否された経緯がある。義光の考えが佐竹氏に受け継がれとったんかのう。
>水戸第2聯隊が、ペリリュー島の戦いで、世界戦史上名を刻む精強さを
示しとされるが、水戸聯隊の負け戦であり、水際作戦で主導権が握れた
だけで他部隊と比べ精強とは云えんよ。敵軍が健闘した部隊を
賞賛しとるだけの事じゃが、他スレでも云うたが、戦闘した兵士は、
弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。ニュウギニアで宇都宮51Dと
共に闘うた島根の浜田聯隊の兵士も戦闘の駆け引きの下手さや行軍の弱さ、
死中に活を求めるしぶとさに欠けるんは別として、北関東兵士の勇敢さは
誉めとるよ。パラオの島民との話は感動もんじゃ。
第2聯隊は、日清戦争で旅順虐殺で批難されたが、パラオでは、
日本人の誇りを示したね。じゃが、最後のこういう人達と、パラオの人達の
威を借りるんは筋道が違うとる。
0145白馬青牛
2006/10/20(金) 23:43:53ID:spXfbp6M日本列島内の話じゃのうて、ステップ地帯の人間と対抗出来るほど、
関東人が視力に優れとったんか、>>105で皮肉を含んだ質問したんよ。
>>140
わりゃほんま広島人か?全文広島弁じゃ書けんのか?安芸武者が
実績が無い?ローカル地域戦闘と違うて、戦国期の最大の激戦は
朝鮮の役じゃ。最大の功労者は碧蹄館で戦闘指揮した隆景さんじゃろう。
http://fukubara.web.infoseek.co.jp/2006/2006_3_1.htm
隆景「なしてか言うたらのー、」から広島弁の練習でもせいや。
0146白馬青牛
2006/10/21(土) 00:27:52ID:5hFa4XjM>数百年という時を無視。云うとるが、地域将兵の性格は、そがいに
変わるとも思えんのう。
http://fukubara.web.infoseek.co.jp/2006/2006_3_4.htm
朝鮮の役での戦闘も、熊本勢の猛攻や兵站を無視してイケイケは、
近代熊本兵団の性格に似ておる。勝ち戦も、負け戦も豪快じゃのう。
小西、加藤は肥後人じゃないが、指揮官も地域兵団将兵の影響を受ける
事も、ようある事じゃ。朝鮮住民を慰撫せんかったんは失敗じゃったね。
広島、中国地方勢が死中に活を求める戦闘を常に強いられたんは、
偶然の皮肉か。運命か。我が広島人の先人は激闘を常に克服して来た。
ほいで勇将の吉川広家さんが、関ヶ原のような、たった一日の戦闘に
過ぎんのに、裏切り者の汚名にされたんは、世間の評価が可笑しい。
確かに政略には疎かったであろうが。それだけで評価されとるんは、
過小評価の典型じゃ。文吏派は昭和の参謀殿と同じで作戦を企画しても
実戦を知らん。残念ながら、我が郷土の安芸武田氏出身の安国時恵瓊さん
も戦さを知っとらんかった。
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 01:09:34ID:CVaaDqPT中ノ道は違っとったか。
ほいでも、鎌倉街道の府中中心に上州方面、武蔵野丘陵で多数の武士団が派生しとる事実は変わらん。
山林原野湿地、川にも馬を乗り入れ戦うんじゃよ。平坦な馬場じゃないけん。
ほいで馬上、近距離で狙いを定め強弓を射る。基本は立鞍の前方射じゃ。
狩猟は日本史板じゃ。へっぽこ随身は日本史板じゃ。遠矢は歩射じゃ。
江戸時代の騎馬断絶期を考慮せい。千石の旗本でも馬すら飼えん。馬も呆けたわい。
大陸に固執しちょるんは、中華の奴隷民じゃからかのう。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 02:16:38ID:sCPvoNGzまたそうやって無理矢理他を貶しめようとする
水際作戦で主導権を握れたからって言うが
では何故他島の水際作戦ではペリリュー島ほどの戦果をあげられなかった?
それにペ島では500以上の洞窟を要塞化し水際での戦力損耗を抑えたから長期抗戦が行えた
大戦末期に負け戦云々など不毛もいいところ
11聯隊が終戦まで勝ち戦を続けていたとでも言うのか?
それに兵力消耗による消滅を兵卒の強弱に直結させるのは余りに安易すぎる
虐殺云々もさも第二聯隊が凶悪であったかのような口ぶりだが
広島師団で虐殺等により戦犯になった者が何人いる?
広島に限らず全国に言える事だ
地元の事を棚に上げて他を非難するなど余りに稚拙であろう
それと最後にパラオ人の威とか言ってるが
パラオ人が日本に威?
さっぱり意味がわからん
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