どこの出身兵卒が強いのかな??
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 01:20:07ID:hZWJSov60467白馬青牛
2006/11/11(土) 23:54:36ID:z9pJFf3f九州は朱子学の影響が強いが、ありねーと同意?
http://www.wing8.com/dcity-yame/kurashinojiyoho/200111/con01.html
にも、朱子学の教育や影響が書いてあるが、特に九州西側の東シナ海
沿岸は、東シナ海文化圏であろう。
http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kikuchi/kanko/shisuikoushi_park/shisuikoushi_park.html
泗水孔子公園もある。かって司馬遼太郎氏が日本は儒教の影響が中国・
朝鮮と違い少ないとされ、ドナルド・キーン氏に薩摩の例を挙げられ、
論破された司馬氏は、キーンさんに、うっかりした事は云えませんな。
と誤魔化しておられたが、九州は薩摩のみで無く、儒教の影響が強いね。
広島の仏教・浄土真宗的な慈悲や温情を重んじる精神と九州の儒教・
朱子学的思想精神とは違うね。
0468454
2006/11/12(日) 00:34:29ID:2TqmF+TRまずは主張の変更、というか詳細です。
一般的に呼ばれる戦国時代という時代において
九州が朱子学の影響を強く受けていたことはありえないと。
>http://www.wing8.com/dcity-yame/kurashinojiyoho/200111/con01.html
これは八女の五條一族の話が主なようですが、そもそも南北朝時代の
話であって時代が違います。しかも朱子学の影響を受けていたのは南朝側
だけのようで、九州全域が南朝側だったら理解できますが、そうではないようです。
>朱子学の教育や影響が書いてあるが、特に九州西側の東シナ海
>沿岸は、東シナ海文化圏であろう。
これの真偽は知りませんが、このまま読み取っても九州西側だけであって
九州全域ではありませんね。
>http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kikuchi/kanko/shisuikoushi_park/shisuikoushi_park.html
泗水孔子公園もある。
孔子公園に行かれました?これだけで九州に儒教の影響が強いとは言えないと思いますが。
長崎に関帝廟、天主堂、天草にも天主堂ありますよ。
>かって司馬遼太郎氏が日本は儒教の影響が中国・
>朝鮮と違い少ないとされ、ドナルド・キーン氏に薩摩の例を挙げられ、
>論破された司馬氏は、キーンさんに、うっかりした事は云えませんな。
>と誤魔化しておられたが、
こんな話知りません。で、知らないことを前提に、これは江戸に幕府が
開かれた後のことでしょうか?
それに朱子学=儒教ではないですよ?
朱子学の影響がいつのに儒教の影響になったのでしょうか?
>広島の仏教・浄土真宗的な慈悲や温情を重んじる精神
そうですか。知りません。
>九州の儒教・朱子学的思想精神
広島と九州を比較することに無理がありませんか?
九州は儒・仏・神・基が混在していると思います。
これは九州だけではなく、日本がそうかもしれませんが。
で、どうやったら九州が朱子学の影響を強く受けていることになるのでしょうか?
0469白馬青牛
2006/11/12(日) 02:20:51ID:kSYSOBmlわしゃあチンボ逆むけになってションベンちびりそうじゃー
広島武士が最強の民族じぇけえのぅ
0470白馬青牛
2006/11/12(日) 02:32:55ID:P4mnWRJ9南北朝時代から朱子学の影響があったと云うことです。民俗学的にも、
九州・南西諸島、と朝鮮半島の少なくとも南部を含む地域に特徴的に
分布する共通要素、長床鋤・打ち鋤・縄筵を下野敏見氏は東シナ海文化圏と
される。熊本は、何度も行きましたし、孔子公園にも行きましたが。
朱子学は、南宋の江南思想、道教の影響も強い儒教国粋思想です。
司馬氏とキーン氏のそれは中公新書を読まれると良い。
後に司馬氏は、薩摩人の作家海音寺潮五郎氏の薩摩式の葬式に金達寿氏が、
「あ、それ朝鮮式だ」と云われたことに、「朱子学の影響でしょう。
もっとも金達寿的古代史風に言えば、あすこは惟宗氏(秦氏)で、
朝鮮筋目だという説もある。」金達寿氏は「九州というと、一番日本の
中で我々の体質に合うようですね。九州人というのは、どちらかというと
慶尚道の人間に気質が似ているんじゃないかな。悪く言えばがさつだと
思うんだけれども」九州は、民俗学的にも新羅・伽耶の分れ、慶尚深南道
(九州慶尚デープ・サウス)じゃと思う。九州兵団と韓国兵の類似、
蛮行や向こう見ずの勇敢さ。薩摩人の海音寺潮五郎氏は、関東武士が
好きで、「従来の日本人と違って、坂東武士の荒らしくて勇敢で
強情っ張りは朝鮮的性格だと思う。」と、される。九州の方も朝鮮人を
勇敢な民族と思われるんで九州と朝鮮は相思相愛であろう。海音寺氏は
「儒教の教えが地球全体が小さな閉鎖社会になってしまった今日では、
大いに参考になるはずである。無限の前進をよしとするアメリカ的方式は、
儒教では淫ー恣欲過度として、中庸と反対の最大の悪徳とするのである。」
海音寺氏は儒教を強調されるが、広島人のわし等は、浄土真宗の教えです。
0471白馬青牛
2006/11/12(日) 02:36:15ID:P4mnWRJ9偽者が、また出現しとるのう。意味がのうて、つまらんこたー云うなや。
0472名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 04:19:36ID:snZ4SdW4お前がいなくても充分面白い牛だから消えろ。
新参には荒らしに見えるだろうがこのスレに限定すればコレはコレでいいんだw
0473名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 04:51:57ID:NzG4s3T7一緒にされちゃあたまらんなw
朝鮮兵を勇敢だと思ってるのは朝鮮人だけだよw
0474名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 04:58:55ID:R2CjnBYBハハ・・・
0475名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 06:36:00ID:5HQXZSHT0476454
2006/11/12(日) 16:13:33ID:d5VApsXX南北朝時代に朱子学の影響を受けていた五條一族がいたことはわかりました。
しかし、それが南北朝時代から戦国時代まで九州において朱子学が
影響を強く与えていたことにはならないと思います。
>民俗学的にも、九州・南西諸島、と朝鮮半島の少なくとも南部を含む地域に特徴的に
>分布する共通要素、長床鋤・打ち鋤・縄筵を下野敏見氏は東シナ海文化圏とされる。
なるほど、わかりました。これは具体例として農具をあげられたようですが、
ほぼ同じ気候帯で海を隔ててですが隣接している地域ではそうなることも道理だと思います。
しかし、これが、九州が朱子学の影響を強く受けていることとイコールにはなりえないと思います。
>熊本は、何度も行きましたし、孔子公園にも行きましたが。
それなら旧泗水町に孔子公園があることが、
九州が朱子学の影響を強く受けていた証拠にならないと思いませんか?
>朱子学は、南宋の江南思想、道教の影響も強い儒教国粋思想です。
そう断言されても、という感じです。〜と考えられる、と言われるなら納得できますが。
>司馬氏とキーン氏のそれは中公新書を読まれると良い。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121002857/sr=1-1/qid=1163314924/ref=sr_1_1/250-0991811-5006655?ie=UTF8&s=books
これですか?
>後に司馬氏は、薩摩人の作家海音寺潮五郎氏の薩摩式の葬式に〜広島人のわし等は、浄土真宗の教えです。
海音寺さん一人で九州を代表するのは無理があると思います。
同様に司馬さんやキムタルスさんの言葉を否定することはしませんが、
それだけをもって九州は朱子学の影響を強く受けているとは言えないと思います。
阿蘇に阿蘇神社あり、島原・天草に天主堂あり、球磨・椎葉に御神楽あり、と様々だと思います。
朱子学の影響を受けていないとは言い切りません。
少なからず受けているでしょうが、それを強く受けているとは思えません。
広島の人だって、浄土真宗だけじゃないと思いますよ。
0477名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 17:31:44ID:hVqlf29Y0478名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 17:59:05ID:T+blDHyx小人数ならイタリア
0479名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 22:05:05ID:KjjkcXyt0480名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:29:34ID:nb+yt5om和歌山市民としてはちょっと嬉しいなw
あと、皆様方ルイス・フロイスも著書に記述している根来僧兵衆もよろしくwww
空気読めずのレス、スマソ
0481名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 00:58:51ID:eIm2bBTN0482名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 02:04:30ID:SYSnNQyM>>466
>「斥侯の偵察時点で全滅の可能性とは大袈裟じゃ」
??斥侯の意味知ってるよね・・・? 立花隊は碧蹄館では第一陣。『先陣』です
まさか3000人の先陣が斥侯だと・・・?
斥侯の十時らは敵伏兵を蹴散らして後、すでに本隊に合流しとります。
碧蹄館では立花隊の「前備」十時伝右衛門以下500名は明け方に明軍の先鋒の
騎兵部隊2000と遭遇。突撃するも十時以下100名以上が死傷。
さらに宗茂二千の兵と明軍後続部隊が戦闘、手負死人二百余に及ぶ。
わずか3時間で死傷者1割。これは事実上の全滅覚悟の決死隊と言えるのではないか?
さらに宗茂軍3000は右側面攻撃にも参加している。
中央からは第2隊の粟屋、井上は6000で隆景本隊が続き。
左側面の秀包、毛利元康、筑紫の第三隊は無傷の5000人。
数字だけ見てもたいへんな奮戦ぶりだと思うけど?
>「秀包さんの加増は文禄の役のものであろう。」
つまり慶長の役でも小早川秀包は軍功が有ったのに加増されなかったと言う事でしょ
なら立花が加増されてなくても不思議はないでしょ。
0483名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 02:44:13ID:AF/uWBh+http://www.nimaigai.com/ssm.html
0484白馬青牛
2006/11/13(月) 23:58:52ID:ZFd5icuG司馬氏とキーン氏の対談は、それです。>>470の司馬氏、金氏の発言は、
『歴史の交差点にて』(講談社、司馬遼太郎・陳舜臣・金達寿)です。
風土と民俗の項から要約すると、
司馬「薩摩士族では長男が大事にされ、次男以下は板敷きかどこかで飯を
食っている。これはまさに朝鮮式ですね。ぼくのような西日本人(九州を
除く)は長男絶対制というのはわからないな。」
金「九州全体でそういう傾向があるといいますね。福岡の人の例ですが、
やはり長男というのはたいへんなものですね。朝鮮では財産は、基本的に
全部長男です。次三男はどうにもしようがない。」
陳「中国の場合はあまりやかましくないね。遺産の分け方は、中国では
平等に分けて、長男だけは祭祀料のプラス・アルファがある。」
宗族制の違いは、列島でも、西日本の末子相続、東日本の長子相続と
大雑把に二分出来ますが、九州の長子制は、中国よりも朝鮮の影響が
強いと思います。九州でも漁村は末子相続が多いんですが。
宗族制が発達した地域は、朱子学を受け入れる素地も強いんでないかと
思います。アイヌ人やモンゴル人は末子相続で、宗族制は、中華文明化
した要素もあり得るんでないか、その点から云えば、東日本人は文明人。
西日本人やアイヌ人は野人。九州は西日本と朝鮮の中間で半文明人ですか。
0485名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 00:59:17ID:eFRoNX1M0486白馬青牛
2006/11/14(火) 01:14:49ID:HMcjas1J神道は、道教の影響も強いでしょう。天草・島原のキリスト教の影響、
隠れキリシタンや、一向宗を弾圧した儒教王国薩摩にも、隠れ念仏と
して信仰者は多かったでしょう。広島も、他宗の寺等多くあります。
しかし地域に対する文化、影響を考えると広島は「安芸門徒」風土です。
間引きもしませんでした。北陸も「北陸門徒」で、真宗風土でしょう。
岡山は「備前法華」に代表される法華宗。
>>482
わしは、>>446からの流れで、突発的な遭遇戦を斥侯偵察時に限定して
云うたんじゃが。斥侯は本隊に連絡せず、玉砕したらいけんよ。
決死隊云うて攻撃するより、敵を引き付け、左右側面に迂回し、
敵殲滅が目的じゃないか。途中から反転迂回するよりも、
中央で、勢いのある敵の攻撃を我慢する方が苦しいよ。
文禄の役、朝鮮の役全体で最大の決戦は碧蹄館で、互角に持ち込むことが
出来たが、慶長の役は、半島南端で苦闘した戦闘で両戦闘を同一視は
出来んよ。
0487名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 01:56:31ID:EVXqAxv5(=゚ω゚) ノ その通りだ。隆景本隊付きの粟屋、井上が参戦するまで中央を死守して
いたのが立花隊。だから隆景は十分に陣形を整えることができた。
立花隊が退却するのは粟屋、井上到着の後。それまで一歩も退いていない。
少数の兵で多敵を足止めするには途切れず攻撃を続けるしかない。敵が防御を
固める事により動きが止まるのだ。これは決死隊でないとできない。
少しでも息を抜けば一気に攻め崩される。(粟屋隊のように・・・)
PS.一向宗なら真宗浄興寺派の本山はもともと常陸の稲田草庵。
常陸二十四輩と下間氏も忘れないでね。
0488白馬青牛
2006/11/14(火) 01:57:02ID:HMcjas1J「ささ男」か。そがいなんは、旧国軍の参謀殿や学者に多いタイプ
じゃろう。学問は、情報を、分析よりも総合的に解釈する事が重要じゃ。
穴があるんが当然じゃないか。それを恐れるんは、専門家として、
恥ずかしい云う自惚れがあるんじゃろう。経験や知識のデータも、
歩いて探さんとのう。机上の理論になるわい。事物を真正面から
捉えたら苦悩が増える。視点を変えて捉える方が面白いんじゃにのう。
「ささ男」は、根が真面目で洗脳され易いタイプじゃないんか。
0489名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 02:07:27ID:V1oeAnc5あんたは正に旧国軍の参謀や学者に多いタイプだと思うが
0490白馬青牛
2006/11/14(火) 02:27:57ID:CULaBSEjあんたー、何でも立花勢が強かったように見せたがるよのう。
戦闘で先陣だけ戦うて、後の者が高見の見物しとる訳あるまい。
到着たー、笑うたよ。退却せんと敵を引き付けられんよ。
あのねえ、攻撃する方が足が止まったらいけんのじゃ。この場合は明軍の
方じゃ。明軍が攻撃に終始しとる所に、迂回側面攻撃が効果をもたら
すんど。粟屋隊が攻め崩された?どがいな根拠からか。
ほいで、常陸に真宗の影響が強いんか?真宗の痕跡と社会的影響は違うよ。
0491白馬青牛
2006/11/14(火) 02:30:29ID:CULaBSEj思い込みの強い、あんたの方が参謀タイプに近いわい。
0492名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 02:46:42ID:gSrwUdyM0493名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 09:49:43ID:V1oeAnc5いや、さすがにあんたには負ける。
東日本への偏屈じみた思い込みはどうにかならないんかのう
0494名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 12:07:38ID:WZxNI6LV0495名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:32:33ID:EVXqAxv5(=゚ω゚) ノ 逆だよ真宗は東国の民衆、風土の影響を受けて生まれた。
0496名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 17:35:56ID:O/ZsoJJD同感です!!
こういう人間がインパール作戦みたいなのを起こすのです。
0497名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 23:02:37ID:XmV8Ytqhというか社会人としても失格だろう。
0498名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 23:14:56ID:jGQPyuCY0499名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 00:02:33ID:X2ck0yjq伊達政宗が有名だが、それよりフル装備で5里を駆け抜ける脚力と持久力
を持つ仙台藩兵が誇りです
0500名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 00:42:38ID:D86Ra0R30501名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 03:57:15ID:v50BnH+T歴史的には全く役にたってない犬死に軍の代名詞ですよ、少し風刺の効いた軍関係書籍見てごらん
…広島人大ボラも大概にしとけ
0502名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 07:44:00ID:yirnRhhyということで一番強いのは牛さんで決定!(ただし机上のみ)
0503白痴馬鹿青二才鈍牛
2006/11/15(水) 17:27:51ID:ZpYpDPkLそれは、全てあなたの思い込みです。広島師団最強は世界の常識なのです。もっと広く世間を見るようにしてください。
0504名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 19:42:16ID:xgbHotLy相対しながらも親しみすら感じさせる良スレだったのに
急に厨増えてつまんなくなったな
あのさ煽りでなくて頑強で偏った論に自分の知識で向っていけよ。
なら歓迎するから。
ただの煽りなら知識ないオレ同様ROMに撤してろ
0505白馬青牛
2006/11/15(水) 21:21:51ID:9r19ySfQを書いて、『バルチン砲』と命名した覚えがある。
0506名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 21:35:45ID:/YvN6xRp0507名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 21:37:35ID:hd4/ca7wお前は圧倒的劣性からも詭弁と電波で向ってくる伊達厨の相手を出来るのか?
今、牛さんを相手にしてるのは本当に優しい奴と相手を論破することに快感を覚える奴だけだ。
誰がこんな状況を作ったと思う?
0508名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 21:48:20ID:K6ANpLAWお前の意見の方がこのスレには合ってない
黙ってれば勝手にくるだろ
荒らしはスルーと名なしに教わってこなかったのか?
0509名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 23:22:26ID:X2ck0yjqって事だな。でも全国に名前を知らしめたのも事実だし仙台市民の誇りだよ。
坂本龍馬の方が好きだけど
0510名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 23:43:39ID:B5OyrQX8牛の相手が嫌なら、より多くのデータを提示するのが筋だろうな。
>509
伊達の兵士が強いというデータをもっと詳しく提示しないから電波扱いされてるだけだよ
気にする事はない。
仙台市民の誇りにかけて郷土資料をupしてくれ。(=゚ω゚) ノシ
0511名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 23:53:15ID:UrXO9pMb牛も相当煽ってるんだが。むしろ牛は感謝すべきじゃないのか。
0512名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 19:32:16ID:ep2Ok4X3つまんないな
0513名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 20:18:29ID:1SoEwjIR一緒に板東武者最強論を語り明かそう。
0514名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 22:24:39ID:0UiEH026奇矯屋んとこで毒吐きまくってるぜ。
牛の名前でググってみ。
0515名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 02:15:07ID:HGwGnnuKお前あんな所までチェックしてるのなw
0516名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 03:08:18ID:29tbI0Nj自分には全く知識が無いので色々探したらこんなの見つけた
ttp://www.asahi-net.or.jp/~gr3t-tkhs/profile/column/date.html
少し凹みました
0517名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 19:46:20ID:HFw3zqla0518名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 20:12:48ID:DzASZiza伊達の兵士より弱いのは、神保相茂の兵士だけだろw
0519名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 21:57:25ID:u+lIGz9Z戊辰戦争でも武家の仙台藩兵が弱かったので民間人の烏組が作られたんだったか?
まあ烏組は乱暴狼藉だが強かったぞ・・・職業柄。
0520名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 22:56:08ID:29tbI0Njこの差は何?
0521名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 12:19:51ID:H3+2Vsla幕末京都の新徴組。銃火器を自力で装備した民間義勇軍の黄金隊とか
乱世には一般市民が進んで戦ってるようだ。
経済力と教育かな?
0522名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 18:22:09ID:rVrSceGs0523名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 18:33:39ID:rgffYqiGだから信玄は攻めなかった
0524名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 19:13:50ID:d6orc1Dt飛騨にも攻め込んでるが、アルプス越えての維持は難しいから統治はしてないが
0525名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 19:44:38ID:cnxCucPO0526名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 21:57:33ID:wMZ8YIn4強いとか関係ない。山は交通の便が悪いから東海道を攻め上るだけ。
0527名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 12:03:32ID:318NVNku0528名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 13:33:10ID:dxYnQI4w0529名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 14:17:38ID:5pV6fYiz東京10、青森7、大阪6、愛知・鹿児島・熊本4、秋田・千葉3、
山形・石川・徳島2、北海道・埼玉・静岡・長野・岐阜・広島・山口1
ソース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%82%93%E3%81%B1%E3%81%8F%E6%A8%AA%E7%B6%B1
0530名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 16:31:32ID:QjhbH1zj高校入学で全国に散って地元はカスしか残らないが。
0531名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 18:43:49ID:58DV4sBb0532名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 21:05:08ID:0UZle7w/0533名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 21:29:41ID:dxYnQI4w先代の若貴や舞の海とか業師が多くて面白かった。
なぜか東北には拳法体術の名流が多い。
南部の諸賞流、仙台の心眼流、会津の合気柔術。
現在の合気道や居合抜きの原型は東北発祥だ。
0534名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 01:18:02ID:eaLMXBfvそう言えば、現代剣道に影響を与えている、
北辰一刀流の千葉周作も奥羽だったか。
0535名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 01:39:02ID:AlSkQzy00536名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 19:11:53ID:A6j1X8SL0537名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:41:51ID:Rr37340q0538名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 00:30:32ID:nMnoNNYE0539白馬青牛
2006/11/21(火) 02:38:32ID:hPOF3Mky相撲の話になっとるのう。戦前、陸軍部隊で相撲が強かったんは、
土佐の高知聯隊じゃったそうな。うとうとしだした。はー、寝るわい。
0540名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 07:29:49ID:eHGiFTer東北は雪合戦していただけだから弱兵
0541白馬青牛
2006/11/22(水) 00:20:46ID:LjK89BR7しのう。神機隊の活躍が詳しゅう出とるサイトも少ないが、
http://page.freett.com/sukechika/ship/ship08.html
ここの文では広島藩の正規部隊とあるが、「神機隊」は、農兵主体部隊で、
誤解を招くのう。「彼らは山中の戦いに馴れ、屋根を利用した散兵戦や
山道での追撃戦に大いに役立ったと言われて居る。」
平野の少ない地域の広島人が、山岳や陣地戦闘に強かったのは、
近代広島兵団の武勲からも明らかであるが、記述が少ないのは簡略に書いて
あるので仕方ないか。
http://www21.big.or.jp/~kirin/syotai/tyugoku/sinki.html
ここには、神機隊が「隊士が民間有志で(中略)さらに仙台方面に転戦、
勇名をとどろかせた。」と大雑把な記載じゃが出ておる。
■戻る■を、クリックしたら、中国地方の各部隊の編成が出とるのう。
広島神機隊が、東北諸藩兵を抜刀攻撃による白兵戦で奪取した「駒ヶ峰」の
激戦を「勇名を馳す」の一言じゃ、郷土広島自慢人のわしからすると、
不満じゃ。
0542名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 00:22:57ID:hFKNxzK+もう来ないかと思ったじゃねぇか!
忙しい時は無理しないでいいからまたこいよな、牛。
今日は忙しいから明日にでも資料集めて反論してやるから待ってろ
おかえり
0543白馬青牛
2006/11/22(水) 01:42:29ID:LjK89BR7本物で、>>539も、わしじゃ。
http://www21.big.or.jp/~kirin/syotai/tyugoku/tyugoku1.html
の、広島神機隊「駒ヶ峰の激戦」じゃが、寡兵の神機隊が、他の官軍
諸藩兵がその無暴を嗤笑する中、「剣を抜き吶喊して突撃を為し、
躍りて駒ヶ峰関門前なる敵の砲台に登り、縦横斬殺し、賊兵は死屍を捨て
遁走せり。」
四日後は駒ヶ峰奪回をはかる奥羽同盟軍が大挙襲来し、
「賊兵頗る猛烈なりしが、我も亦寡兵を以て奮戦し、遂に旗巻嶺下に
撃退し、」「本通の筑前長州両兵苦戦するを以て応援の命阿り、
我兵直に進て奮戦し本通の砲台を奪う。」等激闘した。
四条総督より特に「芸州(広島)藩は毎戦能く奮戦艱苦して賊軍を挫く。
其の軍事上の好機を致す、深く大慶に存する所」との沙汰を賜った。
0544名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 01:54:45ID:KOBItUy7広島より薩摩の方が脅威だったけどな
0545名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 02:09:09ID:KOBItUy7ttp://www3.ocn.ne.jp/~zeon/bakumatu/syounai.htm
0546名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 07:40:25ID:DsiNyGVB「賊軍」って言葉を使ってるところが文献として信用がおけないな。まさに勝てば官軍的資料で誇張が過ぎる。
まあ煽りだろうけど。
0547名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 11:23:41ID:KOBItUy7そりゃ鉄砲には勝てんさ
0548名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 16:46:03ID:Farjp/acLink先にはこんな大袈裟に書いてなかったんだけど、「」内は何処からの引用?
>「剣を抜き吶喊して突撃を為し、
>躍りて駒ヶ峰関門前なる敵の砲台に登り、縦横斬殺し、賊兵は死屍を捨て
>遁走せり。」
>「賊兵頗る猛烈なりしが、我も亦寡兵を以て奮戦し、遂に旗巻嶺下に
>撃退し、」「本通の筑前長州両兵苦戦するを以て応援の命阿り、
>我兵直に進て奮戦し本通の砲台を奪う。」
>「芸州(広島)藩は毎戦能く奮戦艱苦して賊軍を挫く。
>其の軍事上の好機を致す、深く大慶に存する所」
0549名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 16:53:34ID:Farjp/ac引用だとしたらこんな書き方しないか
0550名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 18:17:10ID:spt8RPqD東北がとりわけ武術の地というわけでも無いよ。ユニークな柔術が多いという話だ。
武人は防人の時代から当然関東、九州が多い。
あと、京都奈良、三河、信州も武芸の穴場だね。
0551名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:29:07ID:IKTs0Wo30552名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:19:38ID:spt8RPqD・・・と、たまに褒めたらどんな反応が返ってくるんだろう。ワクワク♪
0553白馬青牛
2006/11/23(木) 01:23:52ID:cUUkjQuL「賊軍」と書いてあったら信用出来ん?あんたの感情論はどうでもええが、
都合が悪いと何でも拒否するようじゃ歴史を考察するんに向かんよ。
>>548
これも感情論で大袈裟ときたか。
郷土資料「戊辰戦争と神機隊の戦歴」からの引用じゃ。
>>550-552
防人の時代から武人云うて、隼人なんか門番の仕事で、関東の連中は、
九州が磐井のように、新羅と内通されたらまずいゆえ、徴発されて
九州へ行った訳じゃし。弓馬の家は、坂上氏のように渡来系であり、
彼らこそ武人じゃ。
相撲の話か。金星はどうでもええ。広島県出身力士を褒めて、
わしの反応を期待しても、「ほうかいのう。」ぐらいのことじゃ。
0554名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 01:40:31ID:5jkkobdi0555白馬青牛
2006/11/23(木) 01:48:03ID:cUUkjQuL「人国記」では、肥前と比べ勇に劣るように書いてあるが、どうせ
「人国記」は、東日本人の偏見で書いとるもんじゃし。
勇猛な近代九州の兵団の中でも、肥後の熊本聯隊が一番勇猛で命知らず
じゃった。勇猛さでは、肥前兵を含む久留米師団や熊本師団の中でも
鹿児島聯隊より上じゃ。朝鮮の役でも加藤・小西勢で、肥後兵はイケイケ
じゃったのう。今回は他地域兵の長所を云うてみたわい。
0556名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 02:49:14ID:H64o8CRWどの点が優れていたの?
0557名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 09:21:53ID:i2t28rzKはいはい感情論感情論
0558名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 13:41:52ID:nqajuf9b(=゚ω゚) ほう、九州と新羅の内通を指摘するとはさすが鋭いな。
だが渡来系坂上氏の弓馬での武功は道嶋嶋足ら東国夷の武功じゃないかな?
東国夷あっての坂上氏の弓馬だと思う。
防人もそうだが「夷をもって夷敵を制す」というのが中央の政策だしな。
戦国で弓馬が強いのは藤原秀郷流の上野、下野、それに馬牧の有った信州だろ。
あの佐竹氏が手を焼いたのが下野の那須衆だ、那須与一の裔で『那須七騎』と言われた
(那須氏・大田原氏・伊王野氏・大関氏・千本氏・福原氏・芦野氏)
中には越後上杉で弓馬の達人也と言われた大関氏も居るな。
大関氏は上杉景勝の鉄砲奉行、軍奉行となり最上や大坂の陣で活躍している。
もともと上杉氏は関東管領だったから下野武者ともかかわりが有ったのかも知れない。
上杉の鉄砲隊が那須与一の流れというのも面白いな。 なあ牛。
>金星はどうでもええ。わしの反応を期待しても「ほうかいのう。」ぐらいのことじゃ。
(=゚ω゚) おお期待どおりの反応だ。
なるほど金星取れるのは平幕だから自慢にはならないか。牛って相撲通だな。
0559名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 16:19:23ID:BL4NoD4G武術が盛んでも、それで戦に勝てるというわけじゃないだろ。
特に銃撃戦が本格化しているような幕末じゃ。
新式の兵器をひっさげ、錦の御旗とやらを掲げる西軍に属せば、
それだけでも有利だというのに、
その中で無理に広島兵の武勇伝なんか晒されてもねえ。
>神機隊の活躍が詳しゅう出とるサイトも少ないが
てことは、あんまり活躍してないからサイトを作ろうって人もいないんだろうな。
そりゃそうだ、主力は薩長土肥だもん。
(肥前は本当に最新の装備だったけど、やる気はあまりなかったらしい)
広島の兵士が勇猛かどうか知らないけど、
薩摩の伊地知正治や土佐の板垣退助のような優秀な指揮官は広島から出ないのかねえ?
幕軍にも、桑名の立見鑑三郎や会津の山川大蔵などの人物がいるが。
0560名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 18:40:54ID:O8Z9H6vt横の連絡抜きで牛に向かって行ってる
0561白馬青牛
2006/11/23(木) 23:13:50ID:GKBNIx40広島部隊について、元広島第231聯隊長の梶浦銀次郎氏は、
「理知・機敏・剛毅の良質、知情意の調和のとれた将兵。」とされ、
元広島5D長今村均将軍は、「広島の青年達は純朴度と文化度の
平衡がとれ「気がきいていてズルくさい」といえよう。」
「広島人のねばり強さと闘志には感じ入った。」とされる。
つまり、戦闘上手と云うことじゃ。一例を挙げると、越後の高田第58
聯隊が、中国軍に敗れた中島高地を広島第231聯隊は3分の1の兵力で
守り抜き中国軍を撃退した。広島部隊の勝利の要因は、精強に俟つことは
云うまでもないが、訓練の合間に兵隊達が創意工夫した小石、空瓶が
役に立った。高田聯隊のときは、日本軍陣地の銃火の衰えに、破壊された
鉄条網を踏み越え、大挙して最後の詰めの突撃に成功して中国軍が勝利
したが、広島聯隊は、中国軍が勝負あったと最後の詰めの攻撃に、小石や
空瓶の一斉投下である。ガラスの破片は匍匐して来る敵兵の肌を切り、
土塊や石は手榴弾と思い込んで逃げまわり、それが散ると目をやられる。
そこに残り少ない貴重な残弾の一発必中の射撃を集中する。平素の
兵隊達の創意工夫もあって、敵の最後の詰めの戦闘を逆に撃退した。
広島部隊は、「戦闘知力(気がきいていてズルくさい)や防御戦闘に必須の
細かい命令指示を待たず戦闘行動出来る能力、攻撃なら一人の勇者が
いれば、他の者はそれに従がって進むからまだよいが、防御戦は、兵一人
一人の戦闘能力が勝敗を左右する。」これらの特質に優れておった。
越後健児の高田聯隊もインパールで東北兵団の中でも特に精強と評価され
ながら苦労したね。「如何に高田58の兵とて山砲三発では如何せん」。
0562白馬青牛
2006/11/23(木) 23:59:37ID:SEcNiIrmそう、兵卒の多くが関東で徴発された者で、対東北蝦夷戦に苦労した。
古代〜平安期の武人の供給地は、百済系の多い、摂津・河内じゃった。
関東も河内源氏の植民地になったね。鎌倉政権も、弓馬の技術を、
平家降人や西行のような「都に馴れたる輩」に学んでおるしね。
鎌倉政権以降、弓馬は関東と云う宣伝が全国に伝わっただけじゃしのう。
畠山重忠が指名されたんを辞退し那須与一となったそうじゃが、(実際は
解らん)畠山さんは、「強弓遠矢打物などの時は仰せ蒙るべし」と言上した
そうな、これらは一般の関東武士が苦手としとった技術かのう?
横綱であろうが、平幕、いや幕下であろうが、どうでもええよ。
負けて星を落とした力士に対する温情も大切じゃ。力の後ろに「士」が
付いとる限り。
0563白馬青牛
2006/11/24(金) 00:46:23ID:dunGukA1ほいじゃが、広島と鳥取の兵はいっつも前線にやられたしのう。
相馬藩も降伏したのちは、前線に立ったが、(近代以前は降伏した地域の
兵を前線に出す、津軽藩士の家に生まれた、作家今東光氏は、狡猾な薩長が
背後におり、津軽藩が前線に配置されたと憤慨されとった。)仙台藩や
米沢藩の猛攻に押され、広島藩の神機隊が交代し前線に立つこととなった。
主力が薩長土肥云うんは上層指揮官のことじゃろ。
桑名の立見氏が名将かのう。日露戦争の黒溝台で弘前8D(青森、岩手、
秋田、山形の兵)を指揮し成果もなく損害を出し、広島5Dや、仙台2D、
名古屋3Dの救援を仰ぐことになった。特に広島5Dが活躍し、立見尚文
臨時司令官から感状を授与されたが、福山第41聯隊の柳條口の攻略や
村山支隊(浜田第21聯隊)の露軍撃破を文面に書いてあっても、
黒溝台そのものの攻略で、広島第11聯隊第1大隊が弘前8Dの苦戦を
救援し、黒溝台を攻略したうえ、渾河を渡って烟台子をも占領したこと
が、立見氏の広島5Dに授与された感状の文面にない。黒溝台の攻略
だけは、自らが指揮した弘前8Dの手柄にしたかったんじゃろう。
黒溝台の広島第11聯隊の武勲は陛下の勅語の文面に、「左翼に優勢なる
敵を迎へ勇猛果敢之を渾河右岸に撃退し其企図を挫折し多大な損害を与え
たり朕深く之に従事せし将卒の労苦察し其の功績を嘉す」とある。
ほいじゃが、あんたは、優秀な指揮官じゃあ、何の評価で決めとるんか?
0564名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 01:15:04ID:j5Gg7nA+いつもの電波なw
0565名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 08:12:45ID:WkcdDg0J(=゚ω゚) こらこら、冒頭に『道嶋嶋足の弓馬』と書いているのにわざとスルーするーな。
道嶋嶋足は陸奥国牡鹿郡・・・現在の宮城県民。
既出だが西行が鎌倉八幡様に伝えた流鏑馬神事は「藤原秀郷流」
関連性は不明だが上野、下野の武家が名乗っていた流派と同名だ。
古来弓道は神事の色彩が強く作法に厳しい、板東武者が都の兵から学ぶとしたら
おそらくそっちだろう。
弓馬礼法、有職故実。武家の格式と嗜みというやつだ。
小笠原流礼法はご存じの様に正式には「小笠原流礼法弓馬術」と言い
足利、徳川将軍家指南役の弓馬の家だった。
現代でも大規模な武道大会の開始は小笠原流御宗家の鏑矢にて始まる。
(=゚ω゚) と、言う事は562の論理で言うと、さぞや強かったんだろうね小笠原流礼法・・・
ぜひ軍功を教えて欲しい。
0566名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 11:55:51ID:iUCy2B2h強さは、先鋒<2番手、3番手になるのか?
戦う条件や環境が違うよな。
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