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どこの出身兵卒が強いのかな??

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 01:20:07ID:hZWJSov6
ドコの国の一般兵士が強いのかな? 率いる将の力量抜きで。 よく尾張兵は弱いから信長が工夫したとか精悍な薩摩隼人とか言うじゃない お国自慢、思い入れも大歓迎〜
0402名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 01:32:01ID:Vpfjd+F2
おいおい。微妙に話をずらしてないか?

鼻削ぎ落としは首級の代替だろ?それを言ったら戦国時代の武士は全員罪人。
現代の倫理で過去の歴史を裁くのは考察でも何でもないぞ。

で、島津の疑惑を言う前に小西と明軍が共謀して、お互いに敵を討ち取った数を
本国にうまく報告したいから朝鮮人の死体を送りあったことも言うべきだな。

牛はまともに反論できないもんだから悪意に満ちた工作活動に忙しいなw
0403名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 01:58:48ID:geHXfQ7d
そこのトップページに思い切り坂東平氏の子孫たちの興亡て書いてるのがセツナス
しかし牛のもってくるソースは陰徳太平記や通航一覧やらゴミ売やら説得力がありすぎて悶えるぜ

>第六軍が小早川隆景、毛利秀包、立花宗茂、高橋直次、筑紫広門ら筑前の大名で編成され、一万五千の軍勢で渡海した。
>第六軍は釜山に上陸すると、全羅道を漢城に向けて進軍した。しかし、平壌まで戦線を拡げていた小西行長が明の大軍に
>大敗を喫し、在陣奉行として渡海していた石田三成は、朝鮮半島の戦線が拡大しすぎていることを懸念、軍勢をいったん
>漢城に召集した。文禄2(1593)年正月26日、漢城に集まっていた日本軍三万と李如松らが率いる明軍二十万が漢城
>郊外の碧蹄館において合戦し、大勝した。しかし、この合戦で得たものは何もなく、急速に和睦の話が進んだのである

そのページによると碧蹄館では筑前兵卒が一番活躍したと書いてあるな。
0404名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 02:13:34ID:DjffoMPq
>>402
捏造乙。碧蹄館の戦いの後に石田三成が立花宗茂に向かって行った言葉は知らないのか?
「今度当国在陣中、度々の御働は申に及ばず、中にも碧蹄館の先陣、抜群の御手柄なり、、、」
立花軍は緒戦で明軍を破ってる。常識です。

あと小早川隆景の書いた「永禄伝記」知らねーの?攻城戦で苅田が出てくるぜww
0405名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 02:15:19ID:DjffoMPq
↑間違い
>>402じゃなくて>>401ね。すまん、すまん。
0406名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 02:23:33ID:0q8TDEF+
>>401
ざっと見てとりあえず5箇所くらい突っ込みたくなったw
0407名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 03:53:00ID:bh2Qc/ks
牛乙! (=゚ω゚) ノ  さあ遊ぼうか。

「立花宗茂」
碧蹄館の戦いでは、小早川隆景が「立花家の3千は他家の1万に匹敵する」と評するほどの
獅子奮迅の活躍により、鉄砲の速射や、奇襲戦を活用し、数を誇る明軍を撃破し、
多大な戦功を上げ、秀吉から感状を拝領した。

更に慶長の役の蔚山での戦いでは、明軍の十重十二重の包囲を受け加藤清正が
窮地に陥っていることを知ると、宗茂はわずか500の兵を率いて夜襲を行い、
明軍の包囲網を突破し、加藤清正を救出した。
加藤清正をして「日本軍第一の勇将」と絶賛させた見事な戦いぶりであった。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82

カッコ良すぎだぜ立花宗茂。なあ牛。
0408名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 06:32:01ID:G+aIDTCo
>>407
おいおい、牛は損傷率が高くなければ勇戦したと認めない奴なんだぜ?
立花宗茂が味方の損傷率を抑えて戦っていたら、
牛にしてみれば虐殺に他ならないんだよ?

まあ、世間ではそれを名将と呼ぶんだが。
0409名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 07:18:22ID:5b46T0u6
盛 り 上 が っ て 参 っ た
0410名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 09:34:26ID:Vpfjd+F2
牛のソース読んだけど、小早川秀包って見事な負けっぷりじゃね?
うまく体裁整えて書いてあるけどさ。捏造してまであたかも立花が惨敗したせいにして。

で、牛はそろそろ近代戦を出してくるのかな?ここは戦国板ですよ。
0411名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 14:59:08ID:cG5Gg5Cf
おまいら牛すきなw
牛乙
牛に聞きたいが安芸以外の名将って誰がおるん?
0412名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 20:57:45ID:f0ere92D
なあ、そろそろ
牛 迷 言 集 を編纂しないか?w
0413名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 21:11:51ID:zDsFOt/b
700くらいいってからでいいんじゃないかw
0414名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 21:29:56ID:jfqsDiFM
>>399の白馬青牛さん江
損害が八万と報告したのは明側ですよ。
島津側は三万八千七百十七と報告しています。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
島津側の報告は、はたして『民衆男女や赤ん坊』を含めた数なのでしょうか?
仮に明側との誤差四万を『民衆男女や赤ん坊』としても、島津側の報告は純粋な連合軍の損害と見做せるわけで
>>387で書いた通り、損傷率は一九.四パーセントになります。
この数字は大戦果と呼んで差し支えないでしょう。
どれ程鮮やかに戦おうとも三万八千を超す死傷を与えた戦いは激闘と呼べるものだと自分は思います。

ちなみに連合軍の兵力二〇万は頭に『呼称』と上記のサイトで表記されています。
0415白馬青牛2006/11/08(水) 22:11:20ID:j7Er9lyX
>>402
現代の論理で、歴史を裁いとるんはマルクス共産主義史観による時代発展の
段階説で考察し、地域別に考察しとらん、あんたの方じゃ。戦闘を知らん
安国寺恵瓊さんも朝鮮の民慰撫派じゃったが、他地域はどうかのう。
小西も島津と同じく撤退交渉しとるし、越後人の坂口安吾氏も、小西行長と
沈惟敬の文禄の役の和議(商談)について書いておられる。さすが、
越後商人と云える洞察力で作家ながら、坂口氏の見解は感心させられる。
悪口を云われた仙台人は、坂口氏をボロクソに、けなすであろうが。
>>403-404
坂東平氏と起源論か。坂東の人種的に渡来系や近畿系に征服されたん
じゃし。筑前の大名云うても、>>401の桂、内海、粟屋、白井諸氏は
安芸の武将じゃ。今日も、立花の九州ハッタリ文書で喇叭を吹いとるのう。
それは後として、「永禄伝記」のどの項から引用したんか具体的に書け。
0416名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 22:34:19ID:mnbxnijr
戦国武将にさん付けってなんか新鮮だなw

織田信長さん
羽柴秀吉さん
0417名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 23:01:16ID:f0ere92D
でも小西行長は呼び捨て。
0418白馬青牛2006/11/08(水) 23:07:59ID:j7Er9lyX
>>407
九州立花ハッタリ物語が根拠か。秀吉からの個人感状が珍しいんか。
http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/iwami1.htm
に、石見の吉見広行さんが、蔚山籠城戦での奮戦で感状を得たことが
出とるが、激戦の将士に感状は当然の事。小早川秀包さんは、碧蹄館の
功績で、5万5千石(実質7万5千石)の加増となったが、
義兄弟の立花宗茂さんは、対島津戦の功で13万石。ほいで碧蹄館の
功績が多いと云うんならどのくらい石高が加増されたんか?調べた処、
見当たらんので、是非加増石高を提示して貰いたい。
蔚山の話は、軍令に従がわず独断で蔚山の加藤を救援した吉川広家さんの
功績に、清正さんが、馬印を送った話のパクリか?蔚山攻防に背後から
明軍を襲い打撃を与えたんは、毛利秀元さんじゃし。蔚山の宗茂さんの功績
もハッタリなんかのう?兎も角九州の資料を検討する時は、白髪三千丈
が多いんで注意が必要じゃ。近代でも、『熊本兵団戦史』に第二次長沙作戦
の敗北の記述が無く、元熊本58Dの川崎春彦氏の58Dの犠牲が多かった
衡陽攻略を書いておられん。広島の『第十一聯隊史』が都合の悪い華僑
粛清を書き、その他の郷土資料でも宜昌作戦の敵性部落への放火や、
上官の命令で捕虜を殺害したことも素直に書いてあるし、中共側や国府軍側
の中国、台湾の資料と我が軍の見解等、広い視点で記述してあるんは、
郷土の誇りじゃ。深い考察も無い、薄っぺらなwikiを挙げても意味が
無いよのう。九州の隠蔽虚勢資料を引用しとるんじゃろう。
0419名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 23:16:08ID:0CsheWNa
牛はどんな文献から引用しているのか挙げろ
話はそれからだ
0420名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 23:29:06ID:M0YRgq0m
ソース1:陰徳太平記
ソース2;そこらへんの都合のいいことがかいてあるサイト

以上
0421名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 00:09:11ID:3omrUn6c
まぁぶっちゃけ牛はすごいよな。
なんだぁかんだぁ良いながら誰かにかまってもらえてるし。
牛の人気に嫉妬w
0422名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 00:37:57ID:4SiUOvKp
>>415
>>402をよく読め。「論理」じゃなくて「倫理」だ。狭い了見でしかものを考えないから
目が効かなくなったか?www
で、安国寺恵瓊を「さん」付けするほど敬愛しているようだが小早川隆景の遺言三か条を
知らないようだな。
「其二に曰く、安国寺と曰ふ僧は勝れて利口の大侫人なれば、人の国家をも覆すべき者なり、
彼が謀にくみし給はば、国歌を失ひ給ふべし、必ず愼みて彼に欺れ給ふべからず。」
まあ小早川は関東武士の流れを汲むから牛は嫌いなんだろ?

>>415の後半は意味不明だ。負け惜しみか?見苦しいな。

碧蹄館の戦いの捏造も認めたら?反論するのに随分調べたんでしょ?
どの資料も立花宗茂戦功第一だったから苦しい言い訳か?
ちなみに>>404の石田三成の言葉は碧蹄館の戦いの宗茂の抜群の功績がすべて宇喜多
秀家の功に成ってしまったから三成自身が秀吉に口を利いて上げようと申し出て
る内容だ。立花宗茂は断ってるけどな。

自分の捏造と勉強不足を棚に上げて人にソース出せって言うのはマヌケだなww
0423白馬青牛2006/11/09(木) 00:37:59ID:WGVlhGTS
>>414
損害8万と>>399の高野山の石碑文には「泗川表大明人八万○○」
http://www.realintegrity.net/~shimadzu/shimadu-histricsite/kohyasan/shimadzu-korea.htm
に、出ております。戦闘報告は先の日華事変でも、追撃した時、人情から
見逃した兵も加算されとる事(しばらく休んで時間を見計らって戻り、
殺してもおらん殺害人数を報告する。ただし純朴な兵は本気で敵を
殺害する)は郷土資料にもあります。朝鮮の役の時代なら、蹂躙した
地帯で予備の鼻を確保し、それを戦闘の成果に加算すれば良いでしょう。
敵側が敗走のおり、村を略奪し住民を殺した遺棄死体からも鼻は取れます。
最前線兵士と敵側兵士との物々交換でも要求出来るでしょ。(実際に
日華事変でも、戦闘では殺し合うが、交戦以外は物々交換があった。)
文書を額面通り解釈するんは、現代の法律がそうなんじゃけー、
交通規則通り時速制限を日本国民のドライバーが全員守った云うような
もんですよ。我々は、法を犯してでも前の車の流れに合わせる訳で。
日本は尊法主義の国民では無い訳です。世の流れに乗っておるんです。
こういう現実を無視して机上の妄想をするんが、戦前の軍上層部や現在の
官僚や歴史なら文献史学者もそうでしょう。また話がズレたか。
何かのきっかけで、様々な現象を云うんが、わし流です。
しかし島津氏の泗川戦には、あなたの云うよう激戦に含まれるんじゃないか
と様々な見解があるでしょう。薩摩の守備隊500名の内戦死者150名を
出したとか、防戦から追撃に移転した時期の島津軍の死者は爆死2名かの?
http://www.ijyuin.com/seinenbu/ijyuin-townhistory/ijuin,no,rekisi,honnprn.htm
今回は「日置市伊集院町の歴史」から見てみた。
0424名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 00:48:51ID:TlRDgoFW
>>418
蔚山城は何度か攻められてて、毛利秀元の蔚山救援は1597年12月から
98年1月の話で、立花宗茂は5月に救援してるんだがな。
0425名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 00:50:04ID:2MJCInFM
郷土資料を全否定はしないが
ある程度の確からしさしかないことは
頭に入れておいたほうがいい
0426名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 00:59:26ID:uStWvvg4
牛乙! (=゚ω゚) ノ  さあ今夜も遊ぼうか。
しかし最近、牛イジリがマイブームになっちまったなw

>>418
>広島の『第十一聯隊史』が都合の悪い華僑粛清を書き、その他の郷土資料でも
>宜昌作戦の敵性部落への放火や上官の命令で捕虜を殺害したことも素直に書いてある

これは素直に戦争犯罪じゃね?熊本兵団の作戦失敗や軍人同士の戦闘被害とは別次元の話。
刑事事件と軍事作戦は同列には語れない鴨。

んじゃ、また明日。(=゚ω゚)ノシ
0427名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 01:05:45ID:RktaUOfc
牛語録 まとめ編

近現代の第五師団の功績→師団長・参謀の交代による影響は無視。誰が指揮しても広島県人は強い。
                  マレー攻以後の太平洋戦争の戦歴についてはスルー
戦国時代の毛利家の功績→兵卒の出身地(筑前・防長その他)は無視。大将・侍大将が安芸武士団ならどこの兵卒だろうと強い
                  あと朝鮮の以降の毛利家のヘタレぷりもついでに無視 
カープの戦績→残念ながら擁護しようが・・・
0428名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 01:08:14ID:uStWvvg4
あ、そういや首の代わりに鼻を削ぐ場合はヒゲを少しくっつけておかないと
兵士の首とは認められない場合があったとか。
朝鮮の役ではどうだか知らないけどね。

んじゃ、お休み(=゚ω゚)ノシ
0429名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 01:12:11ID:4SiUOvKp
まあどっちに転んでも兵卒は九州兵という結論だな。悪かったな、牛。

釣り野伏せにひっかかった牛隊全滅
0430名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 08:00:08ID:ygsCYGxx
>>423の白馬青牛さん江
「日置市伊集院町の歴史」を拝見しました。
追撃戦時の損害が二名のみというのは流石に信じられませんね。
もっと損害がでそうなものですが、
・戦闘可能な負傷者は損害には含まれてない。
・戦闘不可能な負傷者でも戦闘が終了した後に死ねば戦闘時の損害ではない。
これ位しなければ万単位の軍が戦って一方の損害が二百足らずというのは有り得ないと思います。
そう考えると連合軍の損害報告には戦闘不可能な負傷者が多数含まれているのかもしれませんね。

島津側の戦果を虚偽の報告や民間人で水増ししているとしても、連合軍側の損が報告のほうが四万以上も
数が多いのが気になりますね。
脱走兵と考えた方がいいのかも知れませんが、俄然数が多すぎます。
やはり島津側の報告には虚偽や水増しはそれほど無かったと考えた方が自然かと思われます。

>>423の文はとても読みやすかったです。
無理にとは言いませんがこれからも願いしますね。
0431名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 09:03:39ID:eOH5GyGX
スレ住民にこう言う認め方をさせるコテもいるのか
力押しと言うか無骨者と言うか
もはやみんな楽しんでるだろw
0432名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 09:16:25ID:7vwRXH3t
耕す土地の質
0433名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 17:10:05ID:3omrUn6c
>>432
言い得て妙なり
0434白馬青牛2006/11/09(木) 23:45:10ID:hY+fIJVv
>>424-426
相変わらず、宗茂さんの功績による加増を提示せんのう。隆景さんや
清正さんが宗茂さんを誉めた話も胡散臭い。戦場での蛮行は、九州兵団の
独壇場じゃろう。慰安婦を連れとるのに強姦するは、このスレにも
書いたか。熊本第13聯隊輜重隊の○○○元伍長の記にも、戦闘で捕虜に
した少年兵を歩兵達が奪い取り、伍長の面前で刺殺した話がある。
伍長「それでも日本兵か。赤ん坊みたいな者を殺して気持ちいいのか、
無抵抗で降参した者を大勢で殺すのは卑怯だ。」
歩兵「第一線を知らぬ輜重隊が何をいうか。毎日毎日戦友が殺されてみろ。
口惜しくなるのが当然だ。仇を討つのがなぜ悪い、お前はチャン(支那兵)
の方が正しいというのか。」
伍長「俺はただ君達歩兵は日本の武士道と云うものを重んじているだろう
と思ったからなんだ。」
逆に云うと、九州の人でも、温情を持つ武士道を知る方もおられた云う
ことじゃけどね。
じゃが、北清事変(義和団事件)でも、世界に軍紀厳正を示した
広島第5師団を愚弄するとはのう。今村均将軍は、「南支攻略軍、
(久留米18D等)の占領した市街の多くは、広東をはじめ、市民が悉く
避難しているのに、仏山一帯(広島5D占領)は、日本軍と生活起居を
同じくしている。皆このようにあらねばならぬのに、正反対の状況を
呈しているものが多い。これは国軍の仁義にもとる、遺憾のきわみだ。」
「仁義」に厚い広島師団の戦闘は「仁義なき戦い」じゃないど。
0435名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 23:49:55ID:/YbucUU6
伏字にする意味がわからん
牛も広島第5師団とやらを見習え
0436名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 23:58:47ID:9kLyzJEI
しかし広島第5師団とは凄いんだな
何でそこだけ突出して強いのかは疑問だが。
0437白馬青牛2006/11/10(金) 00:33:35ID:BpinXvl+
>>427
辻政信参謀が作戦を立てた、山西省の戦い、特に忻口鎮では苦闘したよ。
山口第42聯隊は全滅状態まで追い込まれた。山口聯隊を指揮した
大場聯隊長も会津人じゃけー、非難の手紙が来たり苦労された。
辻さんはマレーでも机上の作戦を立て拙劣な立案に兵士は苦労したが、
前線将兵の奮闘で勝利した訳じゃし、師団の歴史にいつも名将に恵まれる
訳ない。また、名将の今村均将軍でさえ、南寧で敵に完全包囲された。
ほいじゃが、名将の条件は戦術より人徳の要素が強い。
マレー戦以後の浜田聯隊が宇都宮51D兵士に戦闘を教えたことも
書いとるよ。>>401に書いとるよう、朝鮮の役の小早川軍には、
安芸国賀茂、豊田郡備後も含む三原衆が多かったよ。兵隊も動員するんは
当然じゃ。三原衆は豊臣の養子の秀秋さんの代で、多くは安芸に戻るんじゃ
けどね。関ヶ原の安芸勢は、前線で戦うとらんし、云うても意味が無い。
0438名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 00:50:45ID:nw2GQPee
牛は都合の悪いところはすべて無視するんだな。
0439名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 01:24:54ID:MygfV3dt
>>434
>>相変わらず、宗茂さんの功績による加増を提示せんのう。隆景さんや
>>清正さんが宗茂さんを誉めた話も胡散臭い。戦場での蛮行は、九州兵団の
>>独壇場じゃろう。

話が全然繋がってねえw
加増が無いから功績を認めないってのも凄い論理だがw
0440白馬青牛2006/11/10(金) 01:25:26ID:FhMnASQG
>>430
明側でも戦死者数は、勝った時も、負けた時も加算されるでしょう。
日華事変でもようある事です。明・朝鮮軍が泗川にどれだけ兵力を
投入したんか解りませんが、泗川に8〜20万とは考えられません。
http://www.h4.dion.ne.jp/~kosak/korea.htm
に、よると、明・朝鮮連合軍は、4路に分かれ、中路軍と東路軍を合流で
3万6700で泗川の島津軍と戦い敗れたとされます。明軍も東路西路も
あり、中路の島津軍だけに大部分の兵力を投入することも出来んでしょう。
「鬼石曼子」と呼ばれたとありますが、近代の薩摩壮丁も含む、
熊本第6師団も「赤鬼」と呼ばれたようで、歴史的な因縁ですかね。
まあ中国人の云う鬼は亡霊や憎しみを持つ相手を表現する意味なので、
日本語の単純に勇敢なイメージとは違います。中国では、日本人を蔑視する
時には「小日本鬼子」と云います。戦前でも中国語の知識の無い兵士は、
鬼と云われ、我々日本兵が勇猛に思われとると喜んでおったそうです。
0441名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 02:43:02ID:ZFXLkmMV
牛乙! (=゚ω゚) ノ  遅くなってごめんな、寂しかったろ。

ところで慶長の役でもやっぱ小早川秀包は加増されたんだろうね?どのくらいなのかな?
文禄の役の小早川隆景もやっぱ加増されたんだろうなー。
そういえば慶長の役で総大将小早川秀秋が敵中に斬り込み10以上の首級を挙げる大活躍
だったのに減封されちゃったね。

もともと『小早川家35万石は養子の秀包が受け継ぐはずだった』けど
羽柴秀俊(秀秋)が養嗣子となり、秀包は廃嫡、別家させている。これがて1591年だろ?
(秀秋が養子となるのが1592年、家督を譲られるのは1595年頃だったか?)
で、秀包が13万石に加増され独立大名となるのがこの頃だが・・・まあ、加増かねえw

立花宗茂はもともと筑後柳川13万石の直臣大名だし、本多忠勝の10万石とかと
比べてもこの辺が相場だったんだろうかね?
もっとも小早川秀秋は最終的に51万石に加増されるからよほど精強だったんだね牛君!

んじゃ、また明日。(=゚ω゚)ノシ
0442名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 03:07:48ID:td0tkI5N
>>441
最近はおまえさんも来ないと淋しいよw
0443名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 04:15:29ID:c2o2ntxT
牛、広島東洋カープの強さも挙げてくれ
0444名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 07:44:41ID:JBuvwDIJ
>牛
加増恩賞主義の牛だったんだな。
まあ確かに碧蹄館の戦いでは立花宗茂の加増は0だね。その殆どが宇喜多の功績
になってるな。小早川秀包もな。
ちなみに立花宗茂が碧蹄館での早朝の緒戦で明軍と戦っているときは小早川軍は戦場
に到着さえしてなかったんだが・・・。宗茂が一度撃退した後にやってきて午後から
の会戦には参加できた。

牛はその辺全部スルー?必死で話をそらすなよ。
0445名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 19:12:00ID:s92lJfbQ
>>440の白馬青牛さん江
他所では三万八千の表記も見受けられましたが、大半が二〇万と表記しています。
上記のサイトでは総数が一〇万と少々数が少なく感じます。
また、「10倍以上の朝鮮軍を敗り〜」「李氏朝鮮と明の連合軍を退路が無く兵力差30倍〜」
と、表記しているサイトもあり、島津軍の兵力がどの程度だったのか気になりますね。
四千、7千、一万二千の表記を見つけましたが、仮に島津:連合軍の兵力差を一:一〇にすると
四千:四万、7千:七万、一万二千:一二万とかなり連合軍にばらつきが出ます。
流石に三〇倍は有り得ないと思いますので切り捨てますね。
両軍の報告から考えれば七千:七万ぐらいが妥当だと感じます。
損害報告を話半分と考えれば、また違った考えができるかもしれませんね。
0446白馬青牛2006/11/11(土) 01:40:12ID:c2JVrA6E
>>441-444
加増云うても、関ヶ原の秀秋さんの背信加増まで同一視しとる。
秀秋さんの首級をあげた敵兵も戦闘員か非戦闘員か定かで無い。
慶長の役は、小早川勢より、毛利・吉川勢の奮闘じゃ。
隆景さんは、帰国後官位があがっとるし、秀包さんの加増を政治的な
もんじゃ云うとるが、隆景さんと別に所領を貰うとるし、他家から養子が
来ても、分家で10万石以下は普通じゃろう。秀包さんの武功が大きかった
と云えよう。>>145にあるよう、立花軍の偵察に出た斥候と明軍が遭遇し、
(斥侯・偵察以外が戦場に到着してないと云うんも笑わす。)
戦闘が始まり、(戦闘は机上の予測は出来ず、突然始まるのが常で
あるが、)結局、数に優る明軍に立花勢は後退する。秀包・元康・宗茂軍が
態勢を立て直し、側面攻撃で打開したんは、後のことで、その辺
全部スルーか?九州儒教朱子学的虚勢張りは、今日も健在じゃのう。
0447白馬青牛2006/11/11(土) 02:14:15ID:8K0WXzhM
>>445
明軍全体の総数すら、20万あったかどうかも解りません。
中国人は遠い距離を万二千里と表現するように、自軍の数や戦闘でも、
被害が出た時(敵の被害に対しても)は表現を大きくします。
4路軍の中、東路軍の一部の兵力を加えても、10倍になるかは疑問です。
また、日本でも特に九州は、朱子学の影響が強いので、白髪三千丈的表現を
考慮する必要があります。
0448名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 02:25:06ID:h4F677fq
攻撃は薩摩  粘りは越後  守りは信州  騎馬は甲斐  鉄砲は紀伊  水軍は安芸

団結は三河  意地は坂東  士気は加賀  気位は山城  自由は和泉  逃げは尾張

これで決まりじゃね?  
0449名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 05:09:18ID:kdlF4BCy
自由とか意地とかどうやって比較するんだ?
あと坂東って広すぎだろ
0450名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 05:26:23ID:ON88HeeZ
攻撃は越後で突撃が薩摩だな。
粘りは奥羽で蹴鞠は遠江。
0451名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 05:34:49ID:dkL7UQNr
>>449
特徴だよ。一般的なイメージ程度と理解すりゃいいだろ

>>450
蹴鞠は遠江、採用
0452名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 06:35:26ID:1edHmvL+
皆の衆乙! (=゚ω゚) ノ あ、牛君も乙。

>戦闘は机上の予測は出来ず、突然始まるのが常であるが
その通り。だから先陣には最強の立花部隊が当てられたのだろうな
川中島もそうだが突発的な遭遇戦は全滅の可能性もある。未知の土地では特に危険。
「敵の伏兵を見抜く」と言われた宗茂の眼が必要だった。
ところで慶長の役でもやっぱ小早川秀包は軍功が有ったらしいね。どのくらい加増されたのかな?

>448 兵卒レベルで言えば馬は信州ではなかろうか?馬牧が多いし
0453名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 06:47:31ID:ON88HeeZ
馬と鷹の名産地なら奥州だろうな。
確か伊達が織田に、駿馬や鷹なんかを送っている。
信長はその中でも、特に白鷹を気に入ったとか。
0454名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 08:43:58ID:8uwXA4hz
九州が朱子学の影響を強く受けてるって?
ありねー
0455名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:34:18ID:YyZyHq8d
>>448
攻撃は薩摩…どうせ過大戦果だろ
粘りは越後…どうせ横田だろ
守りは信州…どうせ真田だろ
騎馬は甲斐…どうせ騎馬特性Sだからだろ
鉄砲は紀伊…どうせ鉄砲特性Sだからだろ
水軍は安芸…どうせ村上だろ
団結は三河…どうせ一揆>殿だろ
意地は坂東…どうせいざ鎌倉だろ
士気は加賀…どうせゲームで選ぶと本願寺だからだろ
気位は山城…どうせ将軍だろ
自由は和泉…どうせ商人だろ
逃げは尾張…どうせ多国籍軍だからだろ
0456名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:13:56ID:dkL7UQNr
>>455
どうせ無能なお前は、他人が上手くまとめてる事を嫉妬してるだけなんだろ
0457名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:47:48ID:CygjGK1/
うどんは讃岐
餃子は下野
0458名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:15:53ID:YyZyHq8d
>>456…どうせ肥儲なんだろ

どこがどう上手いのか説明してください
むしろ、ソースはどの資料なんですか?
武田さんは騎馬をそんなに運用していたんですか?
鈴木さんは織田さんより鉄砲を持っていたんですか?
坂東の意地って具体的に何なんですか?
織田さんは尾張兵しか使わなかったんですか?
あんな安易なレッテル貼りをして恥ずかしくないんですか?
0459名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:38:08ID:dkL7UQNr
>>457
うどんは讃岐、採用
餃子は下野、採用

無能はID:YyZyHq8d、追加
0460名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:42:15ID:9B8R83Ab
正確にはスルー奨励IDがYyZyHq8d
0461名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 17:11:07ID:0eCaBimf
戦国の馬は
関東>信濃>甲斐

だね。
0462名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 17:13:58ID:78WPG+Lt
>>458
・貴方の批評よりよっぽど納得できますよ。
・まずは御自身で調べられては?
・武田騎馬軍団とまでいわれたのですから使ってないわけは無いと思いますが?
・大量に鉄砲を持っていればいいというわけでは無いでしょう。
雑賀のように代名詞になるような鉄砲集団が評価されたのでは?
・底力が凄いという事では?
・貴方はなにを言っているんですか?
・人のことを言えますか?
0463名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 17:24:15ID:9kaiEjlR
牛の好きな長州は兵は雑魚だが装備が優れてたから勝っただけだろ。
戊辰戦争は兵器の差があるから兵の強さの参考にはならんわな。
実際長岡みたいな小藩でも装備の優れたとこにはなかなか勝てなかったわけだし
0464白馬鹿青鈍牛2006/11/11(土) 18:29:08ID:xrI7RRT/
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。
戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。
戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。
戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。
0465名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 20:31:56ID:1edHmvL+
(=゚ω゚) ノ まあまあ皆の衆、せっかく纏めたんだから一つ一つ検証すればえーんでない? 

>鉄砲は紀伊

これは別に良いんじゃないか?最初の国産火縄銃は根来寺杉之坊惣門主
津田監物算長(楠氏、杉ノ坊算長)自らが種ヶ島に渡って鉄砲と火薬の製法を習い、
それを根来寺門前西坂本に住む芝辻清右衛門(堺鉄砲鍛治の始祖)に
製作させたのが最初で、これが後の津田流砲術になる。
根来の僧兵が約二万人。中には雑賀の土橋氏(泉識坊)がいる。相当な数だ。

明国海賊船の南蛮人により鉄砲が伝えられたのが1543年。
津田監物が阿瑠賀放至(鉄砲)を紀州に持ち帰った1544年。
事実上の日本砲術の始祖と言えるかな。
まあ、県民性と関係あるかどうかは知らないがw
0466白馬青牛2006/11/11(土) 23:07:05ID:z9pJFf3f
>>448
根拠も実例もない妄想じゃのう。日本の馬の暴発する騎馬軍等、明の
李如松軍に通用せんし、安芸を含め水軍も古代から日本より造船技術の
優れた、伝統の朝鮮軍に通用せん。日本軍が得意とするんは歩兵しか無い。
越後兵が粘り強く戦い勝った実例も無い。>>463氏が装備云々を
云うとるが、長岡藩もガトリング銃(機関銃)を使いながら官軍に
降伏しとる。長州兵が雑魚なら越後兵は雑魚の餌じゃ。
>>451
イメージでのうて、実例根拠を云えーや。
>>452
先鋒を最強部隊があたるとは云えん。予備兵と交互に使う訳で。
野戦では遭遇戦がほとんどであるが、斥侯の偵察時点で全滅の可能性とは
大袈裟じゃ。宗茂さん云々は兎も角、敵の伏兵を見抜くんは、戦闘経験者の
「経験感」じゃ。秀包さんの加増は文禄の役のものであろう。
>>453
農耕馬として、東北の南部馬は江戸期を含め、ブランド馬じゃった。
0467白馬青牛2006/11/11(土) 23:54:36ID:z9pJFf3f
>>454
九州は朱子学の影響が強いが、ありねーと同意?
http://www.wing8.com/dcity-yame/kurashinojiyoho/200111/con01.html
にも、朱子学の教育や影響が書いてあるが、特に九州西側の東シナ海
沿岸は、東シナ海文化圏であろう。
http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kikuchi/kanko/shisuikoushi_park/shisuikoushi_park.html
泗水孔子公園もある。かって司馬遼太郎氏が日本は儒教の影響が中国・
朝鮮と違い少ないとされ、ドナルド・キーン氏に薩摩の例を挙げられ、
論破された司馬氏は、キーンさんに、うっかりした事は云えませんな。
と誤魔化しておられたが、九州は薩摩のみで無く、儒教の影響が強いね。
広島の仏教・浄土真宗的な慈悲や温情を重んじる精神と九州の儒教・
朱子学的思想精神とは違うね。
04684542006/11/12(日) 00:34:29ID:2TqmF+TR
反論を。
まずは主張の変更、というか詳細です。
一般的に呼ばれる戦国時代という時代において
九州が朱子学の影響を強く受けていたことはありえないと。

http://www.wing8.com/dcity-yame/kurashinojiyoho/200111/con01.html
これは八女の五條一族の話が主なようですが、そもそも南北朝時代の
話であって時代が違います。しかも朱子学の影響を受けていたのは南朝側
だけのようで、九州全域が南朝側だったら理解できますが、そうではないようです。

>朱子学の教育や影響が書いてあるが、特に九州西側の東シナ海
>沿岸は、東シナ海文化圏であろう。

これの真偽は知りませんが、このまま読み取っても九州西側だけであって
九州全域ではありませんね。

http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kikuchi/kanko/shisuikoushi_park/shisuikoushi_park.html
泗水孔子公園もある。

孔子公園に行かれました?これだけで九州に儒教の影響が強いとは言えないと思いますが。
長崎に関帝廟、天主堂、天草にも天主堂ありますよ。

>かって司馬遼太郎氏が日本は儒教の影響が中国・
>朝鮮と違い少ないとされ、ドナルド・キーン氏に薩摩の例を挙げられ、
>論破された司馬氏は、キーンさんに、うっかりした事は云えませんな。
>と誤魔化しておられたが、

こんな話知りません。で、知らないことを前提に、これは江戸に幕府が
開かれた後のことでしょうか?
それに朱子学=儒教ではないですよ?
朱子学の影響がいつのに儒教の影響になったのでしょうか?

>広島の仏教・浄土真宗的な慈悲や温情を重んじる精神
そうですか。知りません。

>九州の儒教・朱子学的思想精神
広島と九州を比較することに無理がありませんか?
九州は儒・仏・神・基が混在していると思います。
これは九州だけではなく、日本がそうかもしれませんが。
で、どうやったら九州が朱子学の影響を強く受けていることになるのでしょうか?
0469白馬青牛2006/11/12(日) 02:20:51ID:kSYSOBml
おまんチョチョポリスぅー

わしゃあチンボ逆むけになってションベンちびりそうじゃー

広島武士が最強の民族じぇけえのぅ
0470白馬青牛2006/11/12(日) 02:32:55ID:P4mnWRJ9
>>468
南北朝時代から朱子学の影響があったと云うことです。民俗学的にも、
九州・南西諸島、と朝鮮半島の少なくとも南部を含む地域に特徴的に
分布する共通要素、長床鋤・打ち鋤・縄筵を下野敏見氏は東シナ海文化圏と
される。熊本は、何度も行きましたし、孔子公園にも行きましたが。
朱子学は、南宋の江南思想、道教の影響も強い儒教国粋思想です。
司馬氏とキーン氏のそれは中公新書を読まれると良い。
後に司馬氏は、薩摩人の作家海音寺潮五郎氏の薩摩式の葬式に金達寿氏が、
「あ、それ朝鮮式だ」と云われたことに、「朱子学の影響でしょう。
もっとも金達寿的古代史風に言えば、あすこは惟宗氏(秦氏)で、
朝鮮筋目だという説もある。」金達寿氏は「九州というと、一番日本の
中で我々の体質に合うようですね。九州人というのは、どちらかというと
慶尚道の人間に気質が似ているんじゃないかな。悪く言えばがさつだと
思うんだけれども」九州は、民俗学的にも新羅・伽耶の分れ、慶尚深南道
(九州慶尚デープ・サウス)じゃと思う。九州兵団と韓国兵の類似、
蛮行や向こう見ずの勇敢さ。薩摩人の海音寺潮五郎氏は、関東武士が
好きで、「従来の日本人と違って、坂東武士の荒らしくて勇敢で
強情っ張りは朝鮮的性格だと思う。」と、される。九州の方も朝鮮人を
勇敢な民族と思われるんで九州と朝鮮は相思相愛であろう。海音寺氏は
「儒教の教えが地球全体が小さな閉鎖社会になってしまった今日では、
大いに参考になるはずである。無限の前進をよしとするアメリカ的方式は、
儒教では淫ー恣欲過度として、中庸と反対の最大の悪徳とするのである。」
海音寺氏は儒教を強調されるが、広島人のわし等は、浄土真宗の教えです。
0471白馬青牛2006/11/12(日) 02:36:15ID:P4mnWRJ9
>>469
偽者が、また出現しとるのう。意味がのうて、つまらんこたー云うなや。
0472名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 04:19:36ID:snZ4SdW4
>>471
お前がいなくても充分面白い牛だから消えろ。
新参には荒らしに見えるだろうがこのスレに限定すればコレはコレでいいんだw
0473名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 04:51:57ID:NzG4s3T7
金達寿にみたいな朝鮮起源主義者の与太話を出して九州人と朝鮮人を
一緒にされちゃあたまらんなw
朝鮮兵を勇敢だと思ってるのは朝鮮人だけだよw
0474名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 04:58:55ID:R2CjnBYB
九州と朝鮮が相思相愛?

ハハ・・・
0475名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 06:36:00ID:5HQXZSHT
九州出身として朝鮮人扱いされれのはさすがに笑えんぞ牛
04764542006/11/12(日) 16:13:33ID:d5VApsXX
>南北朝時代から朱子学の影響があったと云うことです。
南北朝時代に朱子学の影響を受けていた五條一族がいたことはわかりました。
しかし、それが南北朝時代から戦国時代まで九州において朱子学が
影響を強く与えていたことにはならないと思います。

>民俗学的にも、九州・南西諸島、と朝鮮半島の少なくとも南部を含む地域に特徴的に
>分布する共通要素、長床鋤・打ち鋤・縄筵を下野敏見氏は東シナ海文化圏とされる。
なるほど、わかりました。これは具体例として農具をあげられたようですが、
ほぼ同じ気候帯で海を隔ててですが隣接している地域ではそうなることも道理だと思います。
しかし、これが、九州が朱子学の影響を強く受けていることとイコールにはなりえないと思います。

>熊本は、何度も行きましたし、孔子公園にも行きましたが。
それなら旧泗水町に孔子公園があることが、
九州が朱子学の影響を強く受けていた証拠にならないと思いませんか?

>朱子学は、南宋の江南思想、道教の影響も強い儒教国粋思想です。
そう断言されても、という感じです。〜と考えられる、と言われるなら納得できますが。

>司馬氏とキーン氏のそれは中公新書を読まれると良い。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121002857/sr=1-1/qid=1163314924/ref=sr_1_1/250-0991811-5006655?ie=UTF8&s=books
これですか?

>後に司馬氏は、薩摩人の作家海音寺潮五郎氏の薩摩式の葬式に〜広島人のわし等は、浄土真宗の教えです。
海音寺さん一人で九州を代表するのは無理があると思います。
同様に司馬さんやキムタルスさんの言葉を否定することはしませんが、
それだけをもって九州は朱子学の影響を強く受けているとは言えないと思います。
阿蘇に阿蘇神社あり、島原・天草に天主堂あり、球磨・椎葉に御神楽あり、と様々だと思います。
朱子学の影響を受けていないとは言い切りません。
少なからず受けているでしょうが、それを強く受けているとは思えません。

広島の人だって、浄土真宗だけじゃないと思いますよ。
0477名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 17:31:44ID:hVqlf29Y
トリつければ済む話
0478名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 17:59:05ID:T+blDHyx
>>1
小人数ならイタリア
0479名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 22:05:05ID:KjjkcXyt
雑賀集ぢゃ
0480名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 23:29:34ID:nb+yt5om
なんか雑賀衆の評価が高いみたいだね。
和歌山市民としてはちょっと嬉しいなw
あと、皆様方ルイス・フロイスも著書に記述している根来僧兵衆もよろしくwww

空気読めずのレス、スマソ
0481名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 00:58:51ID:eIm2bBTN
木を見て森を見る牛
0482名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 02:04:30ID:SYSnNQyM
牛君乙! (=゚ω゚) ノ あ、偽ウシ君も乙!
>>466
>「斥侯の偵察時点で全滅の可能性とは大袈裟じゃ」

??斥侯の意味知ってるよね・・・? 立花隊は碧蹄館では第一陣。『先陣』です
まさか3000人の先陣が斥侯だと・・・?
斥侯の十時らは敵伏兵を蹴散らして後、すでに本隊に合流しとります。
碧蹄館では立花隊の「前備」十時伝右衛門以下500名は明け方に明軍の先鋒の
騎兵部隊2000と遭遇。突撃するも十時以下100名以上が死傷。
さらに宗茂二千の兵と明軍後続部隊が戦闘、手負死人二百余に及ぶ。
わずか3時間で死傷者1割。これは事実上の全滅覚悟の決死隊と言えるのではないか?
さらに宗茂軍3000は右側面攻撃にも参加している。
中央からは第2隊の粟屋、井上は6000で隆景本隊が続き。
左側面の秀包、毛利元康、筑紫の第三隊は無傷の5000人。
数字だけ見てもたいへんな奮戦ぶりだと思うけど?

>「秀包さんの加増は文禄の役のものであろう。」
つまり慶長の役でも小早川秀包は軍功が有ったのに加増されなかったと言う事でしょ
なら立花が加増されてなくても不思議はないでしょ。
0483名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 02:44:13ID:AF/uWBh+
俺の予想:牛とはリアルじゃこんな人間
http://www.nimaigai.com/ssm.html
0484白馬青牛2006/11/13(月) 23:58:52ID:ZFd5icuG
>>476
司馬氏とキーン氏の対談は、それです。>>470の司馬氏、金氏の発言は、
『歴史の交差点にて』(講談社、司馬遼太郎・陳舜臣・金達寿)です。
風土と民俗の項から要約すると、
司馬「薩摩士族では長男が大事にされ、次男以下は板敷きかどこかで飯を
食っている。これはまさに朝鮮式ですね。ぼくのような西日本人(九州を
除く)は長男絶対制というのはわからないな。」
金「九州全体でそういう傾向があるといいますね。福岡の人の例ですが、
やはり長男というのはたいへんなものですね。朝鮮では財産は、基本的に
全部長男です。次三男はどうにもしようがない。」
陳「中国の場合はあまりやかましくないね。遺産の分け方は、中国では
平等に分けて、長男だけは祭祀料のプラス・アルファがある。」
宗族制の違いは、列島でも、西日本の末子相続、東日本の長子相続と
大雑把に二分出来ますが、九州の長子制は、中国よりも朝鮮の影響が
強いと思います。九州でも漁村は末子相続が多いんですが。
宗族制が発達した地域は、朱子学を受け入れる素地も強いんでないかと
思います。アイヌ人やモンゴル人は末子相続で、宗族制は、中華文明化
した要素もあり得るんでないか、その点から云えば、東日本人は文明人。
西日本人やアイヌ人は野人。九州は西日本と朝鮮の中間で半文明人ですか。
0485名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 00:59:17ID:eFRoNX1M
陰徳太平記と言い・・ww
0486白馬青牛2006/11/14(火) 01:14:49ID:HMcjas1J
>>476
神道は、道教の影響も強いでしょう。天草・島原のキリスト教の影響、
隠れキリシタンや、一向宗を弾圧した儒教王国薩摩にも、隠れ念仏と
して信仰者は多かったでしょう。広島も、他宗の寺等多くあります。
しかし地域に対する文化、影響を考えると広島は「安芸門徒」風土です。
間引きもしませんでした。北陸も「北陸門徒」で、真宗風土でしょう。
岡山は「備前法華」に代表される法華宗。
>>482
わしは、>>446からの流れで、突発的な遭遇戦を斥侯偵察時に限定して
云うたんじゃが。斥侯は本隊に連絡せず、玉砕したらいけんよ。
決死隊云うて攻撃するより、敵を引き付け、左右側面に迂回し、
敵殲滅が目的じゃないか。途中から反転迂回するよりも、
中央で、勢いのある敵の攻撃を我慢する方が苦しいよ。
文禄の役、朝鮮の役全体で最大の決戦は碧蹄館で、互角に持ち込むことが
出来たが、慶長の役は、半島南端で苦闘した戦闘で両戦闘を同一視は
出来んよ。
0487名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 01:56:31ID:EVXqAxv5
>中央で勢いのある敵の攻撃を我慢する方が苦しいよ。

(=゚ω゚) ノ その通りだ。隆景本隊付きの粟屋、井上が参戦するまで中央を死守して
いたのが立花隊。だから隆景は十分に陣形を整えることができた。
立花隊が退却するのは粟屋、井上到着の後。それまで一歩も退いていない。

少数の兵で多敵を足止めするには途切れず攻撃を続けるしかない。敵が防御を
固める事により動きが止まるのだ。これは決死隊でないとできない。
少しでも息を抜けば一気に攻め崩される。(粟屋隊のように・・・)

PS.一向宗なら真宗浄興寺派の本山はもともと常陸の稲田草庵。
   常陸二十四輩と下間氏も忘れないでね。
0488白馬青牛2006/11/14(火) 01:57:02ID:HMcjas1J
>>483
「ささ男」か。そがいなんは、旧国軍の参謀殿や学者に多いタイプ
じゃろう。学問は、情報を、分析よりも総合的に解釈する事が重要じゃ。
穴があるんが当然じゃないか。それを恐れるんは、専門家として、
恥ずかしい云う自惚れがあるんじゃろう。経験や知識のデータも、
歩いて探さんとのう。机上の理論になるわい。事物を真正面から
捉えたら苦悩が増える。視点を変えて捉える方が面白いんじゃにのう。
「ささ男」は、根が真面目で洗脳され易いタイプじゃないんか。
0489名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 02:07:27ID:V1oeAnc5
>>488
あんたは正に旧国軍の参謀や学者に多いタイプだと思うが
0490白馬青牛2006/11/14(火) 02:27:57ID:CULaBSEj
>>487
あんたー、何でも立花勢が強かったように見せたがるよのう。
戦闘で先陣だけ戦うて、後の者が高見の見物しとる訳あるまい。
到着たー、笑うたよ。退却せんと敵を引き付けられんよ。
あのねえ、攻撃する方が足が止まったらいけんのじゃ。この場合は明軍の
方じゃ。明軍が攻撃に終始しとる所に、迂回側面攻撃が効果をもたら
すんど。粟屋隊が攻め崩された?どがいな根拠からか。
ほいで、常陸に真宗の影響が強いんか?真宗の痕跡と社会的影響は違うよ。
0491白馬青牛2006/11/14(火) 02:30:29ID:CULaBSEj
>>489
思い込みの強い、あんたの方が参謀タイプに近いわい。
0492名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 02:46:42ID:gSrwUdyM
牛さんはツンデレ
0493名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 09:49:43ID:V1oeAnc5
>>491
いや、さすがにあんたには負ける。
東日本への偏屈じみた思い込みはどうにかならないんかのう
0494名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 12:07:38ID:WZxNI6LV
劣等感からくるコンプレックスじゃね?
0495名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 17:32:33ID:EVXqAxv5
>>490
(=゚ω゚) ノ 逆だよ真宗は東国の民衆、風土の影響を受けて生まれた。
0496名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 17:35:56ID:O/ZsoJJD
>>493
同感です!!
こういう人間がインパール作戦みたいなのを起こすのです。
0497名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 23:02:37ID:XmV8Ytqh
確かに。自分が一番正しいと思い込み、人の意見を聞かないのは破滅するね。
というか社会人としても失格だろう。
0498名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 23:14:56ID:jGQPyuCY
広島って強兵という感じはしないけど、ここまで資料を揃えて皆と戦える牛さんには脱帽。 願わくば東北、関東、中部、四国、九州の郷土自慢が対抗したら楽しいのにな。 とアゲておく
0499名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 00:02:33ID:X2ck0yjq
では東北の仙台自慢。
伊達政宗が有名だが、それよりフル装備で5里を駆け抜ける脚力と持久力
を持つ仙台藩兵が誇りです
0500名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 00:42:38ID:D86Ra0R3
500(σ・∀・)σゲッツ!!
0501名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 03:57:15ID:v50BnH+T
広島の師団が最強ってw


歴史的には全く役にたってない犬死に軍の代名詞ですよ、少し風刺の効いた軍関係書籍見てごらん


…広島人大ボラも大概にしとけ
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