どこの出身兵卒が強いのかな??
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 01:20:07ID:hZWJSov60334名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 18:35:29ID:nP4tKOwK他スレの書き込みも見ると、どうやらそれが目的のようだが。
0335名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 19:31:59ID:vpsA6fKo0336名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 20:09:41ID:SE2Mf+km0337名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 23:45:17ID:Z8DH95unお前、会話が成立したこと無いだろ。
0338名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 23:54:29ID:EOv1NuUI0339名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 00:32:07ID:FqBJ1/H90340名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 00:37:51ID:cB6fXJsE0341名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 00:41:37ID:Bwy1anxb0342白馬青牛
2006/11/05(日) 00:47:45ID:Cgv1uTr9余計な世話じゃ。
>>331
武田氏が守護であっても関係ない。社会構成において、安芸は西日本じゃ。
>>333
アンチ東国鎖国史観じゃ。
>>335
ここにも同じ事を書いとるんか。ご苦労なこと、お国自慢板に書いたよ。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/
の436じゃ。
>>337
会話の成立?わりゃは、自己の意見と同じじゃったら成立としとんか。
>>338
実例を挙げず、弱そうな気じゃ云うたら、自己妄想判断になるのう。
0343名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 00:50:00ID:B6dZeiW5発作か〜!
死んだちょんまげのおっさんどもの話でなんでこんな盛り上がるねん〜!
友達おらんのか〜!
爆笑じゃ〜!
0344名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 00:50:38ID:WAOz7h8t別に討論する気はないのですが、あなたが荒らしというのなら
そのレスはよくわかる
0345名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 00:57:05ID:o12sZ+AE洛中でも兵卒なら技術的にはひけは取らないレベルだったと思う。
北面や北嶺には精鋭部隊はいただろう。
0346名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 01:00:09ID:fIE85erh越後は、謙信の統制が厳しくて強い軍団が出来た。
甲斐は軍法による組織力ある。
土佐は一領具足で野生の強さがある。
0347名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 01:00:32ID:WAOz7h8t山城はあまり雑兵というものが少ないように思ってた
0348名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 01:03:15ID:B6dZeiW5発作か〜!
死んだちょんまげのおっさんどもの話でなんでこんな盛り上がるねん〜!
友達おらんのか〜!
爆笑じゃ〜!
0349名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 01:14:17ID:o12sZ+AEあ、ごめんまちがえた。
「甲斐武田家の影響下では?」ではなく「甲斐武田家の植民地では?」です。
失礼すますた。
0350名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 01:17:18ID:cB6fXJsE全国から集めた武人を京洛の兵卒と呼んでしまうのはどうなんだ?
0351名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 01:28:23ID:WAOz7h8t0352白馬青牛
2006/11/05(日) 01:48:05ID:FWmpozPq搾取による忍耐や統制、軍法による組織力、野生で強い軍隊が出来るんか?
妄想笑い話をしとるんか。圧制が兵隊を強うするんなら、兵士を退却
出来んよう鎖で繋いだらええじゃろう。中国国民党軍やソ連軍のように
専制体質の軍隊のように。笑い話が好きじゃのう。
>>349
安芸が武田の殖民地と云う表現も可笑しい。安芸は社会構成が
西日本型じゃ。安芸国人領主も、東日本系が多いが、国人連合も
傘連判状のように、横関係で、東日本の縦型主従社会とは違う。
ルーツを云うんなら武田氏も祖の義光は近畿系じゃし、形質人類学的にも
東日本の在来低顔、エラの張った四角顔の縄文系は、西日本や渡来系の
高顔の北方新モンゴロイドに人種的にも征服されとるよ。
0353名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 02:28:08ID:o12sZ+AE幕末のコロリやアメリカネイティブみたいに海外渡来人からの伝染病で激減し
したのだと思ってましたよ。
あと武田氏は普通に甲斐と安芸の守護職だし・・・人類学的ルーツ論じゃないでしょ。
0354名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 02:31:24ID:I2ci29Yy友達もなく、話し相手もいないあなたは、
ここでしか話しができないかわいそうな人です。
ニートで劣等感にあふれたあなたは、
広島の自慢をすることで自我を維持しているかわいそうな人です。
以上、私のプロファイリングでしたw
0355名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 03:05:34ID:7oLPkSoJ0356名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 03:17:03ID:VxJeaXax会話というか、コミュニケーションは
相手の意見を理解しようとすると共に、自分の意見を相手に聞いて貰えるように努力すること。
地方でならいざしらず、地方という枠のないネットで、
権利だ自由だとか言いながら改めない奴に、会話が成立する余地はないよ。
ふと方言が出てしまうならご愛敬だが、あなたのは嫌がらせ。
0357名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 03:37:07ID:fEydiqk2・手取川の合戦で上杉勝利
・長篠の戦で織田勝利
・三増峠の戦いで武田勝利
戦国最強の越後軍団
0358名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 08:10:49ID:z4GDL8Rz0359名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 10:57:54ID:UKAnB/M70360名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 14:54:00ID:Z/RXoFsEどこか頭でも打ちましたか?
本当に統制や軍法による組織力、忍耐や野生味という兵卒の強さの無い武装集団が強いとでも思うのでしょうか?
義勇兵や一揆勢でも一個の兵卒に気構えや搾取に対する忍耐や恨みがあるからこそ強いのだと自分は思います。
それこそ兵士を退却出来ないよう鎖で繋ぐようでは強い軍隊はできないでしょう。
他人の意見を良く聞きましょう。
その上でもう少しオブラートに包んで意見してみては如何ですか?
0361名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 17:12:42ID:iEaZaf3Cこれじゃあ誰も相手できないと思うぞ。
↑のような呼びかけは、もう何回もしてるのにな。
0362名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 21:20:47ID:7oLPkSoJ0363白馬青牛
2006/11/06(月) 02:26:10ID:PA8DAf5r日本本土の縄文人は、渡来系に人種的に征服されとるよ。
伝染病は、弥生後期の青谷上寺地遺跡の人骨に見られるが、
古墳時代に多いゆえ、土着民が人口を減らした可能性は否定せんよ。
社会構造を無視し、守護職じゃ云うても意味がない。
>>356
何、人につまらん説教しとるんか。人に努力せいじゃ、自分の意見と
合わんもんは会話の成立する余地はないじゃ、拒絶しとるんはあんたの
方で。嫌がらせしとるんは誰なら。
>>357
妄想全開の鈍重越後君じゃのう。
>>360
あんたの、忍耐、野生味云うんは抽象的で推測に過ぎんよ。兵卒の強さは
訓練、連帯感、戦闘知力の要素が強い。
まあ、搾取に対する忍耐は、無批判な恭順性となり、恨みは、より弱い方へ
向けられる。兵士を精神的に鎖で繋げて逃げれんようにしたんが、
旧国軍の欠点じゃった。
0364名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 02:57:08ID:X3IdKctA>社会構造を無視し、守護職じゃ云うても意味がない。
おいおい、ムチャ言うなよw社会構造で守護職を決める訳じゃないんだから。
>兵士を精神的に鎖で繋げて逃げれんようにしたんが、旧国軍の欠点じゃった
つーか脱走兵は普通に銃殺じゃんw 戦争中ですよ。
0365名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 03:06:33ID:TqTWqJjQ>>357だってちゃんとした主張なんだから。ケチつけるんならアンタはどう
思ってんだよ
0366白馬青牛
2006/11/06(月) 03:11:24ID:PA8DAf5r作ったと云える。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/417_1.html
八路軍の少年兵が戦闘を一種のゲームのように考え、わずかな距離を
置いて撃ち合っていても、八路の少年兵たちは笑声をまじえて雑談
しあっている。
後半に、広島第5師団の浜田と山口の聯隊が苦闘した崑崙関(広西人が
英国軍を撃退した場所。)の戦闘が出ておる。広島第5師団と中国軍の
戦いが、武田勝頼軍と織田・徳川連合軍の戦いと似通っておると伊藤氏は
云われるが、武器や糧量に欠き、竹槍を持って攻撃した広島第5師団の
ような状態に勝頼軍があったこどうか。兎も角八路軍については、
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/an1/hansen.htm
にも、八路軍について書いてあるが、思想云々は兎も角、自分で考えさせ、
本を読ませ、講義を聞かせる等、戦闘知力のある優秀な兵士を作った。
0367名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 04:00:52ID:F88dH/q00368名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 08:36:09ID:nGg0aGM60369名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 12:33:27ID:OqVeL7HN地方は強め、
畿内とか駿河とか都チックなところは弱め
と見た
0370名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 12:39:08ID:S0pvvyrZスルー耐性ないな
あぼーんにして自分らは自分らで語れないないのか?
おまえらの煽りしか見れないぞ、全く。
0371名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 12:44:48ID:OqVeL7HN0372名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 16:29:45ID:mbXxWADFじゃ、これからスルーだな。
0373名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 20:34:14ID:En+G4gw2瀬戸内なら海にたけ、関東なら騎馬、の様な具合に。
長短を考えないで、一元的に強い弱いを論じるのはどうかと。
0374名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 21:00:30ID:F02AyZBGお前は馬鹿か?強い軍隊が出来るかどうかは、大名の指導力次第だ。
地域別の条件を生かすかどうかだよ。
0375名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 22:47:28ID:/kMBDnVu全体レベルとしてもっともすぐれて精悍だったのは佐賀県からの兵士だったとか聞く。
0376名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 00:01:41ID:ALQaA7aUうしがいるとスレが盛況。
うしがいなくなったら過疎る。
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152023682/l50
0377白馬青牛
2006/11/07(火) 00:13:31ID:+yr1SaDx戦国時代と近代の日本兵、郷土兵士の性格に相違性があるんか?
朝鮮の役でも兵站を無視し、補給に苦しみんだ事は日本陸軍もそうじゃし、
石田光成らと昭和の参謀、上層部も類似しとるんじゃないか。
http://world-reader.ne.jp/renasci/history/okazaki-060922.html
に、地理、地形、風土を無視し、『机上の作戦を立てても現地では通用
しないのである。東条は陸軍大学での作戦の攻防の授業の延長のように
考えて指令するのが好きなのだ。東条は「戦争ゲーム」をしていた。』
「戦争ゲーム」と云うんは、八路軍の少年兵の実戦のそれとは違い、
日本の上層部は、机上の妄想で作戦を立てた訳じゃ。
上の方に、第5師団が『「広島鯉兵団」と呼ばれ、日本一の機甲兵団として
最強を誇った。』と出ておるが、歴戦・武勲から当然の事。現在のプロ野球
の「広島鯉兵団」(カープ)は、残念ながらさえんのう。
>>145や>>146の朝鮮の役でも安芸勢は奮闘しとるし、日清戦争にしても、
緒戦から闘うとるど。中共の政治体制を誉めたことは無い。チベット侵攻に
しても。権力が出来るまでの八路軍は興味深いが。
0378名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 00:20:46ID:Pm029Sqp日本近代史じゃないから、よろしく。
しつこいとそれ相応の対応とらせてもらいますので
その話題にふさわしいところが他にあると思いますよ。
すみわけたほうがお互いにとってメリットがあると思いますが
0379白馬青牛
2006/11/07(火) 00:41:05ID:+yr1SaDx近畿や駿河も弱いこたーないど。駿河・伊豆の壮丁で構成された
静岡聯隊は、歴戦の名古屋師団の中でも随一の精強じゃった。
二番目に三河の豊橋聯隊ぐらいじゃろう。静岡聯隊は、フォッサ・
マグナ以東の地域で一番強いかも知れん。安芸吉川氏もルーツは駿河で、
駿河時代から吉香は勇猛じゃった。それと安芸天野氏のルーツは伊豆。
駿河・伊豆は、山地が多い地帯でありながら海の進取性を持ち合わせた
優秀な兵士を生む。
>>373
瀬戸内の水軍も小型船戦法で大陸の水軍に対抗出来んし、関東の騎馬技術の
拙劣さも再三書いとるよ。世界に通用せん水軍や騎馬を自慢しても、
日本の恥になるだけじゃ。
>>374
強い軍隊が出来るかどうかは大名の指導力次第?兵隊を将棋の駒ぐらいに
考えとるあんたが、指揮しても失態するんがオチじゃ。上層部に無能な
人間が多いんは、戦国期も近代も変わらん。朝鮮の役でも明らかじゃ。
0380名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 00:42:23ID:YeO6UNc+朝鮮で奮闘という言葉がもっともふさわしいのはまあ泗川の島津勢だな
名島30万石の小早川隆景も碧蹄館や晋州城攻略で活躍してるな
あとは黒田・小西・細川・立花・宇喜多・加藤清正あたりか
で、毛利輝元以下3万は慶尚道で何をやってたんだっけ?誰かおせーて
0381白馬青牛
2006/11/07(火) 01:01:22ID:+yr1SaDx徴兵した兵卒の質を出身地別に査定?何時、誰が、どのような査定を
したんか。また九州のハッタリ癖か。マレー戦で、脇役の
久留米第18師団が主役の広島第5師団に対しての嫉妬かいの。
>>378
歴史で、その該当時代を考察するには、過去や近現代の事例も考慮せんと、
全体像が構築出来んのは当たり前のことじゃないか。
しつこいとそれ相応の対応をとらせてもらいますじゃ?
わりゃは、人を恐喝しとるんか。柄が悪りいのう。メリットじゃ利害
なんぞ余計な世話じゃ。わりゃは、押し付けがましゅう人に強制すなや。
ほんま、あつかましい人間じゃわい。
0382名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 01:09:28ID:8jpNf+lQ0383名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 01:13:44ID:ypwapdme0384名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 01:17:52ID:YeO6UNc+0385白馬青牛
2006/11/07(火) 01:21:33ID:+yr1SaDx泗川の戦いのう。島津勢の犠牲者が少ないんは、激闘じゃなかった
云うことじゃ。碧蹄館は、朝鮮の役の最大の決戦で平壌方面から
敗走した日本軍の死中に活を求めた戦さであり、較べようがない。
前線で苦闘した部隊と島津のように、高麗人カクセイ狩りを
やっとった部隊と一緒にされてものう。
毛利軍は蔚山で加藤を救援し共に籠城戦にしとったよ。
吉川勢の明軍を敗走させた功績も光る。
島津は、小国の琉球相手にてこずっておるが、得意のハッタリが
効かんかったんかのう。
0386名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 01:45:45ID:NI/ZF/3Kつまり、ザマでローマ側の死傷率が低かったのは激闘でなかったから、と言うことですね?
0387名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 02:29:20ID:aPtyyIst死傷率の度合いで激闘か否かという判断をしてるようですが
泗川の戦い
・戦力
島津軍:7千 明・朝鮮連合(董一元)軍:三万七千〜二〇万
・死傷
島津軍:二百以下 明・朝鮮連合(董一元)軍:三万八千七百十七〜八万
連合軍の戦力を話半分としても損害は最小で一九.四パーセント。
最大で四〇パーセントと、連合軍は多大な損害を受けています。
「三〇パーセント消耗の原則」を用いますと連合軍は『全滅』しています。
最小の一九.四パーセントでも「二〇パーセント消耗の原則」がほぼ当てはまり、正常に機能しないことになります。
これだけの戦果を挙げた戦いが激闘ではないとは考え難いと思います。
0388名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 07:12:59ID:xa4P7+cCちなみに無辜の民を巻き込んだ「戦闘による」死人じゃないけどね。
しかも「碧蹄館の戦い」って小早川隆景が薩摩得意の釣り野伏せ戦術を駆使して
勝った戦いだろ。明軍に突撃して壊乱させたのは立花宗茂だしな。
0389名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 07:30:26ID:YeO6UNc+安芸兵には2日くらいで陥としてもらわないとな。苅田狼藉戦法でw
0390名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 12:10:23ID:+ZNHw0v1この数相手に連日よくやる。
0391名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 12:40:23ID:tK+M+Enlもちろん都合の悪い所はスルーされてしまうので少し寂しいがw
0392名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 17:52:12ID:ILGFlzXo粘り強いというか進歩しないというかw
0393名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 19:31:38ID:tK+M+Enlところでヤクザと武芸と総理大臣とカカア天下の国上州はどうよ。
0394名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 19:36:10ID:dvdmPO7r確かに俺自身牛さんが書き込んでないと寂しかったりするからな
名物牛。
0395名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 23:00:39ID:j3mXzUXe0396名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 23:18:38ID:fk/VkzwT後期になると空気的存在感で気づいたらソ連に降伏したりしたあたり、通ずるものがあるな
0397名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 00:17:52ID:gQaPgMh90398名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 00:41:57ID:bh2Qc/ks0399白馬青牛
2006/11/08(水) 00:53:37ID:yXA4zSMv明・朝鮮8万死傷は、島津氏が高野山の供養石碑に8万人を討ち取った
云うんが根拠か?死傷者も戦闘員だけじゃのうて、「男女生子迄も残らず
撫で斬り致し鼻をそぎ其日々塩に致す」と民衆男女や赤ん坊まで含む数と
追撃で逃げる敵を多数殺したとしても、死傷者数は上増し数じゃろう。
じゃが、島津と明の関係は疑問点も多い。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/003/re_003_040326.htm
「鼻切り島津軍の蹂躙好きは兎も角、島津は明と内通しとった疑惑がある。
義弘氏が、明より豊臣政権に尽くす意思を持っておったように書いてあるが、
義弘は、秀吉に対し抗戦論者じゃなかったか。島津は、文禄の役で遅れて、
来るし、肥後にもちょっかいを出し、肥後侵攻意欲もあったろう。
薩摩人は、頭がええし、利に聡い商売上手。幕末でも昨日は会津、今日は
長州じゃ。平気で裏切る腰の軽さがある。南九州でも隣国の肥後や
特に日向の方が余程純心で、薩摩は商人気質じゃろう。越後商人、
甲州商人も名高いが、人身売買蹂躙三大王国は、商人気質が強いのう。
0400名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 01:20:56ID:ajsmx7+m0401白馬青牛
2006/11/08(水) 01:25:05ID:yXA4zSMv>毛利得意の苅田狼藉戦法とまだ根拠の無い事を云うとる。じゃけー、
根拠を提示せーや。隆景さんの戦法が薩摩起源や立花宗茂を持ちあげる
九州ハッタリ喇叭をぷっぷ吹いてものう。
http://hamuzo001.web.infoseek.co.jp/kobayakawa.htm
碧蹄館の戦いが、ここにも出ておるが、先手一の手の立花宗茂が
打ち破られとるど。秀包さんや桂氏、内海氏、粟屋氏、白井氏等安芸勢は
激戦を奮闘しとる。
0402名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 01:32:01ID:Vpfjd+F2鼻削ぎ落としは首級の代替だろ?それを言ったら戦国時代の武士は全員罪人。
現代の倫理で過去の歴史を裁くのは考察でも何でもないぞ。
で、島津の疑惑を言う前に小西と明軍が共謀して、お互いに敵を討ち取った数を
本国にうまく報告したいから朝鮮人の死体を送りあったことも言うべきだな。
牛はまともに反論できないもんだから悪意に満ちた工作活動に忙しいなw
0403名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 01:58:48ID:geHXfQ7dしかし牛のもってくるソースは陰徳太平記や通航一覧やらゴミ売やら説得力がありすぎて悶えるぜ
>第六軍が小早川隆景、毛利秀包、立花宗茂、高橋直次、筑紫広門ら筑前の大名で編成され、一万五千の軍勢で渡海した。
>第六軍は釜山に上陸すると、全羅道を漢城に向けて進軍した。しかし、平壌まで戦線を拡げていた小西行長が明の大軍に
>大敗を喫し、在陣奉行として渡海していた石田三成は、朝鮮半島の戦線が拡大しすぎていることを懸念、軍勢をいったん
>漢城に召集した。文禄2(1593)年正月26日、漢城に集まっていた日本軍三万と李如松らが率いる明軍二十万が漢城
>郊外の碧蹄館において合戦し、大勝した。しかし、この合戦で得たものは何もなく、急速に和睦の話が進んだのである
そのページによると碧蹄館では筑前兵卒が一番活躍したと書いてあるな。
0404名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 02:13:34ID:DjffoMPq捏造乙。碧蹄館の戦いの後に石田三成が立花宗茂に向かって行った言葉は知らないのか?
「今度当国在陣中、度々の御働は申に及ばず、中にも碧蹄館の先陣、抜群の御手柄なり、、、」
立花軍は緒戦で明軍を破ってる。常識です。
あと小早川隆景の書いた「永禄伝記」知らねーの?攻城戦で苅田が出てくるぜww
0405名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 02:15:19ID:DjffoMPq>>402じゃなくて>>401ね。すまん、すまん。
0406名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 02:23:33ID:0q8TDEF+ざっと見てとりあえず5箇所くらい突っ込みたくなったw
0407名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 03:53:00ID:bh2Qc/ks「立花宗茂」
碧蹄館の戦いでは、小早川隆景が「立花家の3千は他家の1万に匹敵する」と評するほどの
獅子奮迅の活躍により、鉄砲の速射や、奇襲戦を活用し、数を誇る明軍を撃破し、
多大な戦功を上げ、秀吉から感状を拝領した。
更に慶長の役の蔚山での戦いでは、明軍の十重十二重の包囲を受け加藤清正が
窮地に陥っていることを知ると、宗茂はわずか500の兵を率いて夜襲を行い、
明軍の包囲網を突破し、加藤清正を救出した。
加藤清正をして「日本軍第一の勇将」と絶賛させた見事な戦いぶりであった。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82
カッコ良すぎだぜ立花宗茂。なあ牛。
0408名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 06:32:01ID:G+aIDTCoおいおい、牛は損傷率が高くなければ勇戦したと認めない奴なんだぜ?
立花宗茂が味方の損傷率を抑えて戦っていたら、
牛にしてみれば虐殺に他ならないんだよ?
まあ、世間ではそれを名将と呼ぶんだが。
0409名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 07:18:22ID:5b46T0u60410名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 09:34:26ID:Vpfjd+F2うまく体裁整えて書いてあるけどさ。捏造してまであたかも立花が惨敗したせいにして。
で、牛はそろそろ近代戦を出してくるのかな?ここは戦国板ですよ。
0411名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 14:59:08ID:cG5Gg5Cf牛乙
牛に聞きたいが安芸以外の名将って誰がおるん?
0412名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 20:57:45ID:f0ere92D牛 迷 言 集 を編纂しないか?w
0413名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 21:11:51ID:zDsFOt/b0414名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 21:29:56ID:jfqsDiFM損害が八万と報告したのは明側ですよ。
島津側は三万八千七百十七と報告しています。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
島津側の報告は、はたして『民衆男女や赤ん坊』を含めた数なのでしょうか?
仮に明側との誤差四万を『民衆男女や赤ん坊』としても、島津側の報告は純粋な連合軍の損害と見做せるわけで
>>387で書いた通り、損傷率は一九.四パーセントになります。
この数字は大戦果と呼んで差し支えないでしょう。
どれ程鮮やかに戦おうとも三万八千を超す死傷を与えた戦いは激闘と呼べるものだと自分は思います。
ちなみに連合軍の兵力二〇万は頭に『呼称』と上記のサイトで表記されています。
0415白馬青牛
2006/11/08(水) 22:11:20ID:j7Er9lyX現代の論理で、歴史を裁いとるんはマルクス共産主義史観による時代発展の
段階説で考察し、地域別に考察しとらん、あんたの方じゃ。戦闘を知らん
安国寺恵瓊さんも朝鮮の民慰撫派じゃったが、他地域はどうかのう。
小西も島津と同じく撤退交渉しとるし、越後人の坂口安吾氏も、小西行長と
沈惟敬の文禄の役の和議(商談)について書いておられる。さすが、
越後商人と云える洞察力で作家ながら、坂口氏の見解は感心させられる。
悪口を云われた仙台人は、坂口氏をボロクソに、けなすであろうが。
>>403-404
坂東平氏と起源論か。坂東の人種的に渡来系や近畿系に征服されたん
じゃし。筑前の大名云うても、>>401の桂、内海、粟屋、白井諸氏は
安芸の武将じゃ。今日も、立花の九州ハッタリ文書で喇叭を吹いとるのう。
それは後として、「永禄伝記」のどの項から引用したんか具体的に書け。
0416名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 22:34:19ID:mnbxnijr織田信長さん
羽柴秀吉さん
0417名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 23:01:16ID:f0ere92D0418白馬青牛
2006/11/08(水) 23:07:59ID:j7Er9lyX九州立花ハッタリ物語が根拠か。秀吉からの個人感状が珍しいんか。
http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/iwami1.htm
に、石見の吉見広行さんが、蔚山籠城戦での奮戦で感状を得たことが
出とるが、激戦の将士に感状は当然の事。小早川秀包さんは、碧蹄館の
功績で、5万5千石(実質7万5千石)の加増となったが、
義兄弟の立花宗茂さんは、対島津戦の功で13万石。ほいで碧蹄館の
功績が多いと云うんならどのくらい石高が加増されたんか?調べた処、
見当たらんので、是非加増石高を提示して貰いたい。
蔚山の話は、軍令に従がわず独断で蔚山の加藤を救援した吉川広家さんの
功績に、清正さんが、馬印を送った話のパクリか?蔚山攻防に背後から
明軍を襲い打撃を与えたんは、毛利秀元さんじゃし。蔚山の宗茂さんの功績
もハッタリなんかのう?兎も角九州の資料を検討する時は、白髪三千丈
が多いんで注意が必要じゃ。近代でも、『熊本兵団戦史』に第二次長沙作戦
の敗北の記述が無く、元熊本58Dの川崎春彦氏の58Dの犠牲が多かった
衡陽攻略を書いておられん。広島の『第十一聯隊史』が都合の悪い華僑
粛清を書き、その他の郷土資料でも宜昌作戦の敵性部落への放火や、
上官の命令で捕虜を殺害したことも素直に書いてあるし、中共側や国府軍側
の中国、台湾の資料と我が軍の見解等、広い視点で記述してあるんは、
郷土の誇りじゃ。深い考察も無い、薄っぺらなwikiを挙げても意味が
無いよのう。九州の隠蔽虚勢資料を引用しとるんじゃろう。
0419名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 23:16:08ID:0CsheWNa話はそれからだ
0420名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 23:29:06ID:M0YRgq0mソース2;そこらへんの都合のいいことがかいてあるサイト
以上
0421名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 00:09:11ID:3omrUn6cなんだぁかんだぁ良いながら誰かにかまってもらえてるし。
牛の人気に嫉妬w
0422名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 00:37:57ID:4SiUOvKp>>402をよく読め。「論理」じゃなくて「倫理」だ。狭い了見でしかものを考えないから
目が効かなくなったか?www
で、安国寺恵瓊を「さん」付けするほど敬愛しているようだが小早川隆景の遺言三か条を
知らないようだな。
「其二に曰く、安国寺と曰ふ僧は勝れて利口の大侫人なれば、人の国家をも覆すべき者なり、
彼が謀にくみし給はば、国歌を失ひ給ふべし、必ず愼みて彼に欺れ給ふべからず。」
まあ小早川は関東武士の流れを汲むから牛は嫌いなんだろ?
>>415の後半は意味不明だ。負け惜しみか?見苦しいな。
碧蹄館の戦いの捏造も認めたら?反論するのに随分調べたんでしょ?
どの資料も立花宗茂戦功第一だったから苦しい言い訳か?
ちなみに>>404の石田三成の言葉は碧蹄館の戦いの宗茂の抜群の功績がすべて宇喜多
秀家の功に成ってしまったから三成自身が秀吉に口を利いて上げようと申し出て
る内容だ。立花宗茂は断ってるけどな。
自分の捏造と勉強不足を棚に上げて人にソース出せって言うのはマヌケだなww
0423白馬青牛
2006/11/09(木) 00:37:59ID:WGVlhGTS損害8万と>>399の高野山の石碑文には「泗川表大明人八万○○」
http://www.realintegrity.net/~shimadzu/shimadu-histricsite/kohyasan/shimadzu-korea.htm
に、出ております。戦闘報告は先の日華事変でも、追撃した時、人情から
見逃した兵も加算されとる事(しばらく休んで時間を見計らって戻り、
殺してもおらん殺害人数を報告する。ただし純朴な兵は本気で敵を
殺害する)は郷土資料にもあります。朝鮮の役の時代なら、蹂躙した
地帯で予備の鼻を確保し、それを戦闘の成果に加算すれば良いでしょう。
敵側が敗走のおり、村を略奪し住民を殺した遺棄死体からも鼻は取れます。
最前線兵士と敵側兵士との物々交換でも要求出来るでしょ。(実際に
日華事変でも、戦闘では殺し合うが、交戦以外は物々交換があった。)
文書を額面通り解釈するんは、現代の法律がそうなんじゃけー、
交通規則通り時速制限を日本国民のドライバーが全員守った云うような
もんですよ。我々は、法を犯してでも前の車の流れに合わせる訳で。
日本は尊法主義の国民では無い訳です。世の流れに乗っておるんです。
こういう現実を無視して机上の妄想をするんが、戦前の軍上層部や現在の
官僚や歴史なら文献史学者もそうでしょう。また話がズレたか。
何かのきっかけで、様々な現象を云うんが、わし流です。
しかし島津氏の泗川戦には、あなたの云うよう激戦に含まれるんじゃないか
と様々な見解があるでしょう。薩摩の守備隊500名の内戦死者150名を
出したとか、防戦から追撃に移転した時期の島津軍の死者は爆死2名かの?
http://www.ijyuin.com/seinenbu/ijyuin-townhistory/ijuin,no,rekisi,honnprn.htm
今回は「日置市伊集院町の歴史」から見てみた。
0424名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 00:48:51ID:TlRDgoFW蔚山城は何度か攻められてて、毛利秀元の蔚山救援は1597年12月から
98年1月の話で、立花宗茂は5月に救援してるんだがな。
0425名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 00:50:04ID:2MJCInFMある程度の確からしさしかないことは
頭に入れておいたほうがいい
0426名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 00:59:26ID:uStWvvg4しかし最近、牛イジリがマイブームになっちまったなw
>>418
>広島の『第十一聯隊史』が都合の悪い華僑粛清を書き、その他の郷土資料でも
>宜昌作戦の敵性部落への放火や上官の命令で捕虜を殺害したことも素直に書いてある
これは素直に戦争犯罪じゃね?熊本兵団の作戦失敗や軍人同士の戦闘被害とは別次元の話。
刑事事件と軍事作戦は同列には語れない鴨。
んじゃ、また明日。(=゚ω゚)ノシ
0427名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 01:05:45ID:RktaUOfc近現代の第五師団の功績→師団長・参謀の交代による影響は無視。誰が指揮しても広島県人は強い。
マレー攻以後の太平洋戦争の戦歴についてはスルー
戦国時代の毛利家の功績→兵卒の出身地(筑前・防長その他)は無視。大将・侍大将が安芸武士団ならどこの兵卒だろうと強い
あと朝鮮の以降の毛利家のヘタレぷりもついでに無視
カープの戦績→残念ながら擁護しようが・・・
0428名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 01:08:14ID:uStWvvg4兵士の首とは認められない場合があったとか。
朝鮮の役ではどうだか知らないけどね。
んじゃ、お休み(=゚ω゚)ノシ
0429名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 01:12:11ID:4SiUOvKp釣り野伏せにひっかかった牛隊全滅
0430名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 08:00:08ID:ygsCYGxx「日置市伊集院町の歴史」を拝見しました。
追撃戦時の損害が二名のみというのは流石に信じられませんね。
もっと損害がでそうなものですが、
・戦闘可能な負傷者は損害には含まれてない。
・戦闘不可能な負傷者でも戦闘が終了した後に死ねば戦闘時の損害ではない。
これ位しなければ万単位の軍が戦って一方の損害が二百足らずというのは有り得ないと思います。
そう考えると連合軍の損害報告には戦闘不可能な負傷者が多数含まれているのかもしれませんね。
島津側の戦果を虚偽の報告や民間人で水増ししているとしても、連合軍側の損が報告のほうが四万以上も
数が多いのが気になりますね。
脱走兵と考えた方がいいのかも知れませんが、俄然数が多すぎます。
やはり島津側の報告には虚偽や水増しはそれほど無かったと考えた方が自然かと思われます。
>>423の文はとても読みやすかったです。
無理にとは言いませんがこれからも願いしますね。
0431名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 09:03:39ID:eOH5GyGX力押しと言うか無骨者と言うか
もはやみんな楽しんでるだろw
0432名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 09:16:25ID:7vwRXH3t0433名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 17:10:05ID:3omrUn6c言い得て妙なり
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