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どこの出身兵卒が強いのかな??

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 01:20:07ID:hZWJSov6
ドコの国の一般兵士が強いのかな? 率いる将の力量抜きで。 よく尾張兵は弱いから信長が工夫したとか精悍な薩摩隼人とか言うじゃない お国自慢、思い入れも大歓迎〜
0305白馬青牛2006/11/02(木) 03:16:47ID:SdERLI4B
>>303
「日本史板」に、疫病が明治期じゃ云う、妄想を振り舞いとったが、
あんたあ、毎回馬鹿な事云うのう。野球じゃ関係無いことも並べて、
ご苦労様じゃ。浄土真宗が、禅宗や日蓮宗より権力との関係が、
一番薄かったし、関東で宗教改革の様な社会変革も無かった。
関東農奴民は、自治意識のない、権利意識もない、越後の奴隷売買
商人の謙信に売り飛ばされるぐらいじゃろう。
馬場武芸でも都に劣るロデオ関東武士か。まだ世界に通用せん騎兵じゃ
云うとる。関東の徴発された兵士は蝦夷より弱かったことが自慢なんか?
今日も世界的に通用せん、妄想オナニー東国鎖国史観全開じゃのう。
>>304
あんたが、信濃は関東じゃ無いと文化類型で語ればよいこと。
フォッサ・マグナ以東は文化類型で東日本に属すると考えとるが、
間違えと云えるんか?
0306名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 08:39:41ID:67A+XWz/
牛さん。 まー言ってることは具体的で良いのだけケド、何故関東をそこまで敵視するの?   埼玉の女にでもフラレたんか?
0307名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 08:49:12ID:cz341GVa
フォッサ・マグナ以東は関東か・・・ すごいな関東文化圏
0308名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 09:09:51ID:GICQgtEV
新潟ってどうなんだろ?
強そうな気もするけど・・・
0309名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 10:19:19ID:0W/g0FT1
なんかいつも農奴とか言って得意になってるけど
現実問題として一番多くの披差別地区を有してしるのは中国地方じゃないか
全国の20%以上に当たる
正確に言うと中国地方と言うより広島に多い
現在でも400を越える披差別地区がある
都道府県別に見れば福岡に次いで全国二位になる
適当な事言って他地域にケチつけてる暇あるなら
地元の解放に協力でもした方がいいんじゃない?
0310名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 10:20:22ID:75DzFODu
山岳部とか局地の兵卒はどれも精強で大差ないと思うけどね。
0311名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 10:24:13ID:GICQgtEV
どうして山地の人は強そうに見えるんだろう?
山地の人が仮に強いとしても、平地では強さを発揮できなかったりするんだろうか?
0312名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 12:04:16ID:OjBmptWR
302さん。宮津は丹後じゃなかったっけ?大江山は丹波だけど。たぶん。丹波の赤鬼こと赤井(荻野)悪右衛門直正のいた黒井城の近くに住んでます。あと丹波で有名な人は…特攻隊の生みの親、大西滝治郎?中将かな。
0313名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 14:47:26ID:hDgQENMa
牛くんが都合良く無視した毛利の「苅田(=田畑を荒す)」戦法は、放火、乱取りに匹敵する戦場の狼藉です。兵糧攻めという名にかこつけた略奪です。

つまり人身売買をどうこう言える立場ではないほど毛利の戦法は卑怯だったって事です。
しかも大将自ら率先して雑兵にやらせるなんて酷いな。
0314名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 16:17:15ID:R3x4vkqx
>>312
村上水軍が大友に九州での奴隷の売買を認めないと脅されると
大友に従順になった経緯を知らないと見える。
九州でも島津北上時には凄い有様だったことも有名だし、何処も一緒。
それとも広島だけはなかったと言いたいのか?
0315名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 16:17:53ID:R3x4vkqx
盛大にアンカーミスw
312→305で
0316名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 16:30:39ID:0W/g0FT1
それ以前に人身売買は古代から全国的にあったもので珍しい事ではない
弥生時代から生口や奴婢など奴隷と見られる存在が記されている
奈良時代の近江の記録(国司解文)では一人あたり稲千束で取引されたと記されている
又、日本記によると各地での略奪されて奴隷化された者達の記載があり
略奪されて奴隷化された安芸人数百名についての記録もある
その後も人身売買の風習が続き、全時代を通して禁止令が出されていたが近代まで絶える事はなかった
戦国期に関しては人取りは軍略として各地で行われた
秀吉の九州での記録(九州御動座記)によれば
妻子までも売り払う者が居たと記されている
他に伴天連追放令の一項目に人身売買を禁じる旨が記されている事から
海外にまで売却するものが居た事が伺える
0317名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 22:18:01ID:pQVHJufC
>>305
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1138247458/160-163
0318白馬青牛2006/11/02(木) 23:36:16ID:zDySOv7I
>>306
関東を、とりわけ敵視しとらんよ。わしの先祖も関東武士系が多い故、
好んで批判しとる訳無いが、反東日本鎖国的史観の立場と列島東西
社会制度の違いから考察しとるだけじゃ。わしが、関東の女にフラれて、
楽しいんか。関東だけのことじゃのうて、わしゃは女にようフラれる。
>>307
わしゃは、東日本じゃ云うとる。
>>308
新潟は、東日本の中では強いんじゃないか。近代兵団でも、高田や新発田の
聯隊は、東日本屈指じゃないんか。広島と比較するとミジメになるが。
>>309
東日本農奴社会の庶民は、飢饉で喰われとる訳で、被差別民が存在する
キャパシティーすら無い憐れな社会じゃしのう。農奴社会は。
>>310-311
戊辰戦争で勇敢であった京都府下桑田郡の農民兵の「山国隊」もね。
甲府城を攻め、背後から甲陽鎮撫隊が襲って来ても屈せず、逆襲し
大勝利した。地の利が読める山国猟師の狩猟の延長の戦闘が、
幕府軍武士団を倒したね。山岳兵が勇猛であるが、海に接してない兵は、
進取に欠ける部分があり、海岸の砂浜で鍛える方が健脚に貢献する等、
様々な考察すべき要素はあるね。地域風土でも、平野の少ないピリッとした
隙の無い安芸兵と、山地も多いが、平野も広い間が抜けて、大雑把な
風土の東北地方の兵とは違うよ。
0319白馬青牛2006/11/03(金) 00:34:13ID:lE03aBct
>>313-316
苅田戦は、平将門以来上杉、武田等、東日本の伝統じゃろう。放火、
乱取りそのものが、苅田戦の後におきる。
http://homepage.mac.com/takashisa/sengoku/sengoku.html
この本は未だ読んでないが、東日本の民衆は憐れじゃ。
戦国民衆の視点で書かれた藤木氏も、東日本と九州の乱取りや人身売買の
例を多く書かれておられる。また、九州を除く西日本について、身代金に
よる人身売買は書いておられるが、それを持って全国的と解釈されとる
ように思う。毛利氏と武田氏の被官の扱いの違い、秀吉の拉致売買は、
「東国の習い」等、逆に地域差を現すもんじゃと思う。
弥生期のそれは、『東夷伝』の倭人生口。倭人は漢人の奴隷民じゃった。
日本記?は読んどらんけー、安芸人数百名の記録はどの項にあるんか、
提示して貰えんか?
苅田は、古代〜戦国期まであったが、近代以降も先の日華事変で、
日本軍、中国国民党軍もやっとったよ。憐れなんは、中国人民衆じゃ。
>>314
その資料は、手元に無いゆえ、確認出来んが、能島(あるいは来島?)の
水軍が大友氏の船や南蛮船を略奪した事じゃないんか。従順になったと
記されて無いと思うが。大友氏と三島水軍は交易相手で、水軍側が、
大友氏に朝貢した訳でもあるまいし。安芸でも労働力になる民衆拉致は
あったよ。じゃが、本場の東日本ほどでも無く、何処も一緒と云える
根拠も無い。武士団や村落の社会構成が違うゆえ、列島が同一に時代的
変化を辿ったとは云えんよ。
0320名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 00:51:39ID:ROv0C0EQ
新潟と広島比べてみじめになるわけがない
0321名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 01:01:01ID:gxqGFAEz
最近は牛さんがこのスレに必要だと思うようになってきたなw
意見には納得は出来ないんだが反証を出してきたり
明確な視点(一方方向だが)で語られてるのが小気味良い。
中国だけやなくてよその地域からもこう言う人がわらわらでてくると
このスレは充実するな。
0322名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 13:34:12ID:NCYRFFp2
>>牛さん
関東での人取りも身代金や人質交換に根差すものですよ
秀吉は北条征伐以前に九州で度々人取りや人身売買の中止を命じている
無論豊臣の支配地域でも禁じた
「東国の習い」とは東国の特異性を示す意味ではない
藤木氏もその事に触れていますが
著書を読んでいるのならあなたも知っているはずなのに随分とセコい言い回しをするのですね
それと東日本が本場などと言っていますが
どのような根拠に基づいているのでしょうか?
事例など提示して頂きたい

あと、広島が全国トップクラスの被差別地区保有県である事に対する見解を頂いていないのですが?
そして西へ行くほど差別社会が広がっているのがほぼ定説になっていると見受けられる
現在も被差別人口の約80%は西日本に集中しています
あなたの言う事は全く逆です
これもどう言った理由によるものなのですか?
0323名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:40:19ID:shC6eYGC
>>牛
>>苅田戦は、平将門以来上杉、武田等、東日本の伝統じゃろう。放火、
乱取りそのものが、苅田戦の後におきる。

苅田が東日本の伝統という根拠は?苅田は毛利の功城の戦法として小早川隆景
がはっきり記しています。全国的には、苅田は武士に付き従ってきた下人が行う
卑怯な行為で、大将自ら放火、苅田、乱取りを禁止する布告を出して厳しく取
り締まります。
しかし毛利は自家の攻城の戦法として苅田を記しています。つまり下人のやる卑怯な
所業を公認し、大将自ら指示して行っているということです。安芸兵は上から下まで
下人並みのモラルしかなかったということですね。
上杉、武田等〜と言うのなら、上杉、武田が苅田を正式な戦法として記している文書
を示してください。陰徳太平記並みのじゃ困りますよ。毛利は小早川隆景並みの武将が
悪気もなく記しているんですから。
気まずくなると起源説に逃げる牛も下人並みに卑怯ですね。まあ安芸の伝統なのでしょうが。

あと「放火、乱取りが苅田戦の後におきる」とは初耳です。もしそうだというソースを持っている
のなら、放火、乱取りの引き金になる苅田は本当に卑怯な戦法ですね。
0324名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 19:33:44ID:4SNY0c6C

つまり東日本の伝統を安芸兵が学んだと言う事だろ
0325名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 00:13:34ID:MgWLCLfG
安芸の話はもう飽きた
0326白馬青牛2006/11/04(土) 00:26:07ID:JgBgd6cm
>>320
実際日華事変でも、安芸兵の活躍に較べて、越後兵はミジメじゃった。
>>322
関東での人身売買が身代金変換もあったかも知れんが、東国農本主義では、
労働力確保の意味あいが強いんじゃないですか。人身売買を法で禁止
しても、人間と云うもんは、悪知恵が働くもんで、労働力を売り買いする
口入業者に転向すりゃええことです。
「東国の習い」は、藤木氏の云われる時代的なものじゃのうて、藤木氏は
民俗学的列島地域の社会構成も考慮せず、戦国大名なら、上杉・武田・島津
等、特定地域を例に偏って書いておられる。蛮行は近畿の松永の例も
あるが。毛利氏については、資料不足か、事例に乏しいんかのう?
リベラル派の藤木氏は、共産主義的な文献実証、社会段階論で書かれ、
民俗学的考察、フィールド・ワークに欠ける。
http://www2.aasa.ac.jp/people/kanare/1602.htm
最初の文に宮本常一氏の教えで「あるく・みる・きく」とあるが、
重要なこと。文献を漁るだけじゃあ、一語一句を額面通り捉える
カルト宗教になるよ。人間的経験がないと歴史資料はよう扱えんね。
最後のほうの文に、「東日本は有力な家を中心にそこに隷属する人たちで
構成されていた社会だ。これに対し西日本は、ほぼ同じ力を持った人々が
連携することで形つくられた社会を特徴としている。」東西日本の
社会構造を知らんもんが文献で妄想しても意味がないよ。
0327名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 00:26:31ID:2QY5ZicF
西国で刈田が行われていなければ、
長曾我部元親が伊予かどっかに攻め込んだとき、
刈田で全部刈るのは可哀想だから、半分は残しておいてやれ、って命令を出して
伊予の民衆からなんて慈悲深い殿様だ、と好感触を得た話はどうなるんだ?w

西国、少なくとも四国では刈田が普通に行われていたからこそ、この逸話があるんだろ。

牛、恣意的な情報の取捨選択は、恥ずべき行為だと認識しているか?
0328名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 01:43:58ID:zE5voFjB
>>326
戦国時代の話をしてるんじゃないのか?

板違い
0329白馬青牛2006/11/04(土) 02:04:23ID:JgBgd6cm
>>322
被差別部落のことを云われるが、被差別民も中世は、隷属した農奴で無く
自由民ですよ。傀儡子も「自ら進んで彷浪し、王公が居ることも知らず、
傍らに村長がいても怕(おそれ)たりせず、課役税金がかからず
自由を楽しむ。」
東国の江戸政権も、被差別民を縛り固定化した側面も強い。
あなたは、近代的解釈で被差別民を見る共産主義史観で解釈しておられる。
>>323
毛利氏の苅田戦の記述は何処からの引用か?蛮行の代表上杉・武田・島津に
ついて記されたものは多いが、毛利氏ものは知られとらんので、引用した
文書を提示せいや。
苅田を攻める側がだけがやった訳でも無い。戊辰戦争の時でも、
奥羽連合軍が退却する際、民家に放火し捨石にして逃げとるよ。
日華事変でも中国国民党軍も退却する際は同じく。
http://home.n00.itscom.net/hasegawa/tagami/gomado.htm
資料の信憑性は検討せんといけんが、1に奥州の者による人妻を含む
女性の略奪、7に上杉景勝が空気を入れた一揆勢が、苅田をやっとるのう。
苅田、略奪が身近であった故の事じゃろう。
ほいじゃが、わりゃは「卑怯」じゃ、人に対して絶対使うたらいけん
言葉じゃに、平気で使う神経は、ほんま糞外道じゃわい。われの地元じゃ
「卑怯」云う言葉が軽い言葉なんじゃのう。
>>327
土佐の例でもって西日本では普通とは云えんよ。西日本でも、
朝鮮の役で、略奪した薩摩と慰撫した隆景さんら安芸人を一緒に
されてものう。苅田も根こそぎ収奪する場合と次回の略奪、侵攻や兵站の
確保の為残す場合がある。人の情報がどうじゃ、こうじゃ云う前に、
わりゃ何処の文書から引用したんか?云えーや。
0330名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 02:15:43ID:zE5voFjB
結局、広島が一番といいたいわけ?
あなたのせいでスレがものすごく殺伐としているから
どこかよそでやってほしいのですが
0331名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 04:11:54ID:8MwX5P9y
安芸国守護武田家って甲斐武田の分家だろ、というか一時兼任だったかな。
もともと甲斐国の影響下では?
0332名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 08:58:26ID:1tAg/O9G
>>330
同感です。
もうウンザリしてきました。
そんなに広島自慢したいなら、自分のHPでやったらいいんですよ。
周りに迷惑ですよ。
誰もありがたがってないです。
0333名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 11:48:43ID:qM8FIB9n
廣島・もみじ民 :2006/10/14(土) 02:01:15 ID:Trs+O0oK0
>>418
わしゃは、アンチ東国、アンチ縄文文明、アンチ江南派、じゃけど。
ベッキー(翁)さんにもアンチじゃのう。


アンチ東国だから、仕方ないじゃけぇのう
0334名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 18:35:29ID:nP4tKOwK
関東アンチが目的なら他に行け。
他スレの書き込みも見ると、どうやらそれが目的のようだが。
0335名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 19:31:59ID:vpsA6fKo
広島第五師団はシンガポールで華人処断の名のもとに虐殺をやらかした帝國陸軍最狂のDQN師団
0336名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 20:09:41ID:SE2Mf+km
みんなもNG登録しろよ
0337名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 23:45:17ID:Z8DH95un
>>329
お前、会話が成立したこと無いだろ。
0338名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 23:54:29ID:EOv1NuUI
それで、京都って弱そうな気がするけど、どうなんだ?
0339名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 00:32:07ID:FqBJ1/H9
京都たって山城やら色々あるからなぁ。
0340名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 00:37:51ID:cB6fXJsE
山城だって木津あたり国一揆の連中と洛中じゃ全然別物っぽいしなぁ
0341名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 00:41:37ID:Bwy1anxb
牛が無理矢理に京都擁護するよ。
0342白馬青牛2006/11/05(日) 00:47:45ID:Cgv1uTr9
>>330-332
余計な世話じゃ。
>>331
武田氏が守護であっても関係ない。社会構成において、安芸は西日本じゃ。
>>333
アンチ東国鎖国史観じゃ。
>>335
ここにも同じ事を書いとるんか。ご苦労なこと、お国自慢板に書いたよ。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/
の436じゃ。
>>337
会話の成立?わりゃは、自己の意見と同じじゃったら成立としとんか。
>>338
実例を挙げず、弱そうな気じゃ云うたら、自己妄想判断になるのう。
0343名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 00:50:00ID:B6dZeiW5
アホやこいつら〜夜中んなっても戦国武将の話しとる〜

発作か〜!

死んだちょんまげのおっさんどもの話でなんでこんな盛り上がるねん〜!

友達おらんのか〜!

爆笑じゃ〜!
0344名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 00:50:38ID:WAOz7h8t
思っただけで、そこまで言われるのはひどい気がする

別に討論する気はないのですが、あなたが荒らしというのなら
そのレスはよくわかる
0345名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 00:57:05ID:o12sZ+AE
いや、腐っても鯛は鯛だから全国から一流武人を集めるくらいの事はできた。
洛中でも兵卒なら技術的にはひけは取らないレベルだったと思う。
北面や北嶺には精鋭部隊はいただろう。
0346名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 01:00:09ID:fIE85erh
三河は、今川時代からの搾取と忍耐で団結力がある。
越後は、謙信の統制が厳しくて強い軍団が出来た。
甲斐は軍法による組織力ある。
土佐は一領具足で野生の強さがある。
0347名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 01:00:32ID:WAOz7h8t
なるほど。
山城はあまり雑兵というものが少ないように思ってた
0348名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 01:03:15ID:B6dZeiW5
アホやこいつら〜まだ寝んと戦国武将の話しとる〜

発作か〜!


死んだちょんまげのおっさんどもの話でなんでこんな盛り上がるねん〜!

友達おらんのか〜!

爆笑じゃ〜!
0349名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 01:14:17ID:o12sZ+AE
>>342
あ、ごめんまちがえた。
「甲斐武田家の影響下では?」ではなく「甲斐武田家の植民地では?」です。
失礼すますた。
0350名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 01:17:18ID:cB6fXJsE
>>345
全国から集めた武人を京洛の兵卒と呼んでしまうのはどうなんだ?
0351名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 01:28:23ID:WAOz7h8t
やっぱり、兵卒は他地域から見たら少ないんでしょうか?
0352白馬青牛2006/11/05(日) 01:48:05ID:FWmpozPq
>>346
搾取による忍耐や統制、軍法による組織力、野生で強い軍隊が出来るんか?
妄想笑い話をしとるんか。圧制が兵隊を強うするんなら、兵士を退却
出来んよう鎖で繋いだらええじゃろう。中国国民党軍やソ連軍のように
専制体質の軍隊のように。笑い話が好きじゃのう。
>>349
安芸が武田の殖民地と云う表現も可笑しい。安芸は社会構成が
西日本型じゃ。安芸国人領主も、東日本系が多いが、国人連合も
傘連判状のように、横関係で、東日本の縦型主従社会とは違う。
ルーツを云うんなら武田氏も祖の義光は近畿系じゃし、形質人類学的にも
東日本の在来低顔、エラの張った四角顔の縄文系は、西日本や渡来系の
高顔の北方新モンゴロイドに人種的にも征服されとるよ。
0353名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 02:28:08ID:o12sZ+AE
え?縄文人は、西日本や渡来系に征服されたんでつか?初耳です。
幕末のコロリやアメリカネイティブみたいに海外渡来人からの伝染病で激減し
したのだと思ってましたよ。

あと武田氏は普通に甲斐と安芸の守護職だし・・・人類学的ルーツ論じゃないでしょ。
0354名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 02:31:24ID:I2ci29Yy
>>352
友達もなく、話し相手もいないあなたは、
ここでしか話しができないかわいそうな人です。

ニートで劣等感にあふれたあなたは、
広島の自慢をすることで自我を維持しているかわいそうな人です。

以上、私のプロファイリングでしたw
0355名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 03:05:34ID:7oLPkSoJ
リアルじゃ誰も相手にしたくないだろあんな奴w
0356名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 03:17:03ID:VxJeaXax
>>牛
会話というか、コミュニケーションは
相手の意見を理解しようとすると共に、自分の意見を相手に聞いて貰えるように努力すること。

地方でならいざしらず、地方という枠のないネットで、
権利だ自由だとか言いながら改めない奴に、会話が成立する余地はないよ。
ふと方言が出てしまうならご愛敬だが、あなたのは嫌がらせ。
0357名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 03:37:07ID:fEydiqk2
上杉謙信>織田信長>武田・毛利>北条
・手取川の合戦で上杉勝利
・長篠の戦で織田勝利
・三増峠の戦いで武田勝利

戦国最強の越後軍団
0358名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 08:10:49ID:z4GDL8Rz
うわ〜 で〜た〜短絡的極論。 待ってました  でも嫌いじゃないなこういうの。 牛さん! これだよ!! ツッ込み所満載の発言に根拠を持って楽しく検証してあげる。 と言う訳で誰か↑↑ヨロシク
0359名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 10:57:54ID:UKAnB/M7
もうすっかり狂牛をいじるスレと化したな
0360名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 14:54:00ID:Z/RXoFsE
>>352の白馬青牛さん江
どこか頭でも打ちましたか?
本当に統制や軍法による組織力、忍耐や野生味という兵卒の強さの無い武装集団が強いとでも思うのでしょうか?
義勇兵や一揆勢でも一個の兵卒に気構えや搾取に対する忍耐や恨みがあるからこそ強いのだと自分は思います。
それこそ兵士を退却出来ないよう鎖で繋ぐようでは強い軍隊はできないでしょう。

他人の意見を良く聞きましょう。
その上でもう少しオブラートに包んで意見してみては如何ですか?
0361名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 17:12:42ID:iEaZaf3C
関東を悪意満々でけなしておいて、自分が痛いところをつかれたら卑怯と言うな、って・・www
これじゃあ誰も相手できないと思うぞ。

↑のような呼びかけは、もう何回もしてるのにな。
0362名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 21:20:47ID:7oLPkSoJ
いっそ広島民国で独立すれば?

0363白馬青牛2006/11/06(月) 02:26:10ID:PA8DAf5r
>>353
日本本土の縄文人は、渡来系に人種的に征服されとるよ。
伝染病は、弥生後期の青谷上寺地遺跡の人骨に見られるが、
古墳時代に多いゆえ、土着民が人口を減らした可能性は否定せんよ。
社会構造を無視し、守護職じゃ云うても意味がない。
>>356
何、人につまらん説教しとるんか。人に努力せいじゃ、自分の意見と
合わんもんは会話の成立する余地はないじゃ、拒絶しとるんはあんたの
方で。嫌がらせしとるんは誰なら。
>>357
妄想全開の鈍重越後君じゃのう。
>>360
あんたの、忍耐、野生味云うんは抽象的で推測に過ぎんよ。兵卒の強さは
訓練、連帯感、戦闘知力の要素が強い。
まあ、搾取に対する忍耐は、無批判な恭順性となり、恨みは、より弱い方へ
向けられる。兵士を精神的に鎖で繋げて逃げれんようにしたんが、
旧国軍の欠点じゃった。
0364名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 02:57:08ID:X3IdKctA
牛乙! (=゚ω゚) ノ 

>社会構造を無視し、守護職じゃ云うても意味がない。

おいおい、ムチャ言うなよw社会構造で守護職を決める訳じゃないんだから。

>兵士を精神的に鎖で繋げて逃げれんようにしたんが、旧国軍の欠点じゃった

つーか脱走兵は普通に銃殺じゃんw 戦争中ですよ。
0365名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 03:06:33ID:TqTWqJjQ
牛よ、人の意見にケチつけてばっかいないで自分の主張してみたら?
>>357だってちゃんとした主張なんだから。ケチつけるんならアンタはどう
思ってんだよ
0366白馬青牛2006/11/06(月) 03:11:24ID:PA8DAf5r
優秀な兵士と云うと八路軍兵士じゃが、彼らの同志愛が精強な部隊を
作ったと云える。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/417_1.html
八路軍の少年兵が戦闘を一種のゲームのように考え、わずかな距離を
置いて撃ち合っていても、八路の少年兵たちは笑声をまじえて雑談
しあっている。
後半に、広島第5師団の浜田と山口の聯隊が苦闘した崑崙関(広西人が
英国軍を撃退した場所。)の戦闘が出ておる。広島第5師団と中国軍の
戦いが、武田勝頼軍と織田・徳川連合軍の戦いと似通っておると伊藤氏は
云われるが、武器や糧量に欠き、竹槍を持って攻撃した広島第5師団の
ような状態に勝頼軍があったこどうか。兎も角八路軍については、
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/an1/hansen.htm
にも、八路軍について書いてあるが、思想云々は兎も角、自分で考えさせ、
本を読ませ、講義を聞かせる等、戦闘知力のある優秀な兵士を作った。
0367名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 04:00:52ID:F88dH/q0
なんで日本の戦国時代の話に、支那の八路軍が出てくるのかねえ?
0368名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 08:36:09ID:nGg0aGM6
つまり結論は、旧石器時代から明治まで広島人は特に歴史上で活躍する事無く、日露戦争くらいからボチボチ活躍しだして、太平洋戦争を頑張ったと(^.^)b  そして何故か中国共産党と仲良しこよしと言いたいのか…  なら納得
0369名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 12:33:27ID:OqVeL7HN
それで、一番強いではなくて強め、弱めで考えると…

地方は強め、
畿内とか駿河とか都チックなところは弱め

と見た
0370名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 12:39:08ID:S0pvvyrZ
人格批判や考察抜きの煽り入れてる奴なんなの?
スルー耐性ないな
あぼーんにして自分らは自分らで語れないないのか?
おまえらの煽りしか見れないぞ、全く。
0371名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 12:44:48ID:OqVeL7HN
で、やっぱり地方というか田舎の人は強いと思うんだわ
0372名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 16:29:45ID:mbXxWADF
なんだ。出稼ぎの中国人だったんだ。
じゃ、これからスルーだな。
0373名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 20:34:14ID:En+G4gw2
あと強い、と言うのも特化したものが有ればこそ。
瀬戸内なら海にたけ、関東なら騎馬、の様な具合に。

長短を考えないで、一元的に強い弱いを論じるのはどうかと。
0374名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 21:00:30ID:F02AyZBG
>>352
お前は馬鹿か?強い軍隊が出来るかどうかは、大名の指導力次第だ。
地域別の条件を生かすかどうかだよ。
0375名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 22:47:28ID:/kMBDnVu
戦前の日本の軍隊において、徴兵した兵卒の質を出身都道府県別に査定してみた記録によると、
全体レベルとしてもっともすぐれて精悍だったのは佐賀県からの兵士だったとか聞く。
0376名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 00:01:41ID:ALQaA7aU
〈うしの効能〉
うしがいるとスレが盛況。
うしがいなくなったら過疎る。

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152023682/l50
0377白馬青牛2006/11/07(火) 00:13:31ID:+yr1SaDx
>>367-368
戦国時代と近代の日本兵、郷土兵士の性格に相違性があるんか?
朝鮮の役でも兵站を無視し、補給に苦しみんだ事は日本陸軍もそうじゃし、
石田光成らと昭和の参謀、上層部も類似しとるんじゃないか。
http://world-reader.ne.jp/renasci/history/okazaki-060922.html
に、地理、地形、風土を無視し、『机上の作戦を立てても現地では通用
しないのである。東条は陸軍大学での作戦の攻防の授業の延長のように
考えて指令するのが好きなのだ。東条は「戦争ゲーム」をしていた。』
「戦争ゲーム」と云うんは、八路軍の少年兵の実戦のそれとは違い、
日本の上層部は、机上の妄想で作戦を立てた訳じゃ。
上の方に、第5師団が『「広島鯉兵団」と呼ばれ、日本一の機甲兵団として
最強を誇った。』と出ておるが、歴戦・武勲から当然の事。現在のプロ野球
の「広島鯉兵団」(カープ)は、残念ながらさえんのう。
>>145>>146の朝鮮の役でも安芸勢は奮闘しとるし、日清戦争にしても、
緒戦から闘うとるど。中共の政治体制を誉めたことは無い。チベット侵攻に
しても。権力が出来るまでの八路軍は興味深いが。
0378名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 00:20:46ID:Pm029Sqp
ここは戦国時代板、おk?
日本近代史じゃないから、よろしく。
しつこいとそれ相応の対応とらせてもらいますので

その話題にふさわしいところが他にあると思いますよ。
すみわけたほうがお互いにとってメリットがあると思いますが
0379白馬青牛2006/11/07(火) 00:41:05ID:+yr1SaDx
>>369
近畿や駿河も弱いこたーないど。駿河・伊豆の壮丁で構成された
静岡聯隊は、歴戦の名古屋師団の中でも随一の精強じゃった。
二番目に三河の豊橋聯隊ぐらいじゃろう。静岡聯隊は、フォッサ・
マグナ以東の地域で一番強いかも知れん。安芸吉川氏もルーツは駿河で、
駿河時代から吉香は勇猛じゃった。それと安芸天野氏のルーツは伊豆。
駿河・伊豆は、山地が多い地帯でありながら海の進取性を持ち合わせた
優秀な兵士を生む。
>>373
瀬戸内の水軍も小型船戦法で大陸の水軍に対抗出来んし、関東の騎馬技術の
拙劣さも再三書いとるよ。世界に通用せん水軍や騎馬を自慢しても、
日本の恥になるだけじゃ。
>>374
強い軍隊が出来るかどうかは大名の指導力次第?兵隊を将棋の駒ぐらいに
考えとるあんたが、指揮しても失態するんがオチじゃ。上層部に無能な
人間が多いんは、戦国期も近代も変わらん。朝鮮の役でも明らかじゃ。
0380名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 00:42:23ID:YeO6UNc+
朝鮮の役か
朝鮮で奮闘という言葉がもっともふさわしいのはまあ泗川の島津勢だな
名島30万石の小早川隆景も碧蹄館や晋州城攻略で活躍してるな
あとは黒田・小西・細川・立花・宇喜多・加藤清正あたりか
で、毛利輝元以下3万は慶尚道で何をやってたんだっけ?誰かおせーて
0381白馬青牛2006/11/07(火) 01:01:22ID:+yr1SaDx
>>375
徴兵した兵卒の質を出身地別に査定?何時、誰が、どのような査定を
したんか。また九州のハッタリ癖か。マレー戦で、脇役の
久留米第18師団が主役の広島第5師団に対しての嫉妬かいの。
>>378
歴史で、その該当時代を考察するには、過去や近現代の事例も考慮せんと、
全体像が構築出来んのは当たり前のことじゃないか。
しつこいとそれ相応の対応をとらせてもらいますじゃ?
わりゃは、人を恐喝しとるんか。柄が悪りいのう。メリットじゃ利害
なんぞ余計な世話じゃ。わりゃは、押し付けがましゅう人に強制すなや。
ほんま、あつかましい人間じゃわい。
0382名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 01:09:28ID:8jpNf+lQ
わりゃ
0383名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 01:13:44ID:ypwapdme
そろそろ本気でそれ相応の対応を取ろうぜ。
0384名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 01:17:52ID:YeO6UNc+
わりゃ(笑)
0385白馬青牛2006/11/07(火) 01:21:33ID:+yr1SaDx
>>380
泗川の戦いのう。島津勢の犠牲者が少ないんは、激闘じゃなかった
云うことじゃ。碧蹄館は、朝鮮の役の最大の決戦で平壌方面から
敗走した日本軍の死中に活を求めた戦さであり、較べようがない。
前線で苦闘した部隊と島津のように、高麗人カクセイ狩りを
やっとった部隊と一緒にされてものう。
毛利軍は蔚山で加藤を救援し共に籠城戦にしとったよ。
吉川勢の明軍を敗走させた功績も光る。
島津は、小国の琉球相手にてこずっておるが、得意のハッタリが
効かんかったんかのう。
0386名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 01:45:45ID:NI/ZF/3K
なるほど、死傷率が低いと激闘ではなかった、という事ですか。

つまり、ザマでローマ側の死傷率が低かったのは激闘でなかったから、と言うことですね?
0387名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 02:29:20ID:aPtyyIst
>>385の白馬青牛さん江
死傷率の度合いで激闘か否かという判断をしてるようですが

泗川の戦い
・戦力
島津軍:7千 明・朝鮮連合(董一元)軍:三万七千〜二〇万
・死傷
島津軍:二百以下 明・朝鮮連合(董一元)軍:三万八千七百十七〜八万

連合軍の戦力を話半分としても損害は最小で一九.四パーセント。
最大で四〇パーセントと、連合軍は多大な損害を受けています。
「三〇パーセント消耗の原則」を用いますと連合軍は『全滅』しています。
最小の一九.四パーセントでも「二〇パーセント消耗の原則」がほぼ当てはまり、正常に機能しないことになります。
これだけの戦果を挙げた戦いが激闘ではないとは考え難いと思います。
0388名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 07:12:59ID:xa4P7+cC
しょうがないよ。毛利得意の苅田狼藉戦法じゃ無用な死人がたくさんでるからね。
ちなみに無辜の民を巻き込んだ「戦闘による」死人じゃないけどね。

しかも「碧蹄館の戦い」って小早川隆景が薩摩得意の釣り野伏せ戦術を駆使して
勝った戦いだろ。明軍に突撃して壊乱させたのは立花宗茂だしな。

0389名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 07:30:26ID:YeO6UNc+
関ヶ原で1500人が壊滅後、薩摩大隈2国になった島津が10日かけて琉球制圧して→苦戦となると
安芸兵には2日くらいで陥としてもらわないとな。苅田狼藉戦法でw
0390名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 12:10:23ID:+ZNHw0v1
安芸人が粘り強いと言う事は証明されてるなw
この数相手に連日よくやる。
0391名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 12:40:23ID:tK+M+Enl
まあ、牛君のハッタリはツッコミ所満載だから結構楽しんでいるよw
もちろん都合の悪い所はスルーされてしまうので少し寂しいがw
0392名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 17:52:12ID:ILGFlzXo
>>390
粘り強いというか進歩しないというかw
0393名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 19:31:38ID:tK+M+Enl
まあ、あれだけ書き込んでも誰も安芸兵が強いと思われてない所が哀愁が漂ってイイんだよ

ところでヤクザと武芸と総理大臣とカカア天下の国上州はどうよ。
0394名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 19:36:10ID:dvdmPO7r
継続は力なりというが曲がりなりにも認知というか受け入れられつつあるなw
確かに俺自身牛さんが書き込んでないと寂しかったりするからな
名物牛。
0395名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 23:00:39ID:j3mXzUXe
毛利は関ケ原も大阪も不戦敗の為に強さ測定不能。 強いかもしれんがヘタレと言うことで
0396名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/07(火) 23:18:38ID:fk/VkzwT
第五師団も太平洋戦争の初期のアメリカとあたる以前では活躍できたが
後期になると空気的存在感で気づいたらソ連に降伏したりしたあたり、通ずるものがあるな
0397名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 00:17:52ID:gQaPgMh9
やはり島津でせう。
0398名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 00:41:57ID:bh2Qc/ks
島津なら立花の方が戦国的には強い希ガス。
0399白馬青牛2006/11/08(水) 00:53:37ID:yXA4zSMv
>>387
明・朝鮮8万死傷は、島津氏が高野山の供養石碑に8万人を討ち取った
云うんが根拠か?死傷者も戦闘員だけじゃのうて、「男女生子迄も残らず
撫で斬り致し鼻をそぎ其日々塩に致す」と民衆男女や赤ん坊まで含む数と
追撃で逃げる敵を多数殺したとしても、死傷者数は上増し数じゃろう。
じゃが、島津と明の関係は疑問点も多い。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/003/re_003_040326.htm
「鼻切り島津軍の蹂躙好きは兎も角、島津は明と内通しとった疑惑がある。
義弘氏が、明より豊臣政権に尽くす意思を持っておったように書いてあるが、
義弘は、秀吉に対し抗戦論者じゃなかったか。島津は、文禄の役で遅れて、
来るし、肥後にもちょっかいを出し、肥後侵攻意欲もあったろう。
薩摩人は、頭がええし、利に聡い商売上手。幕末でも昨日は会津、今日は
長州じゃ。平気で裏切る腰の軽さがある。南九州でも隣国の肥後や
特に日向の方が余程純心で、薩摩は商人気質じゃろう。越後商人、
甲州商人も名高いが、人身売買蹂躙三大王国は、商人気質が強いのう。
0400名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 01:20:56ID:ajsmx7+m
ドン五里仙台人ですが、私自身逃げ足の速さには自信があります
0401白馬青牛2006/11/08(水) 01:25:05ID:yXA4zSMv
>>388
>毛利得意の苅田狼藉戦法とまだ根拠の無い事を云うとる。じゃけー、
根拠を提示せーや。隆景さんの戦法が薩摩起源や立花宗茂を持ちあげる
九州ハッタリ喇叭をぷっぷ吹いてものう。
http://hamuzo001.web.infoseek.co.jp/kobayakawa.htm
碧蹄館の戦いが、ここにも出ておるが、先手一の手の立花宗茂が
打ち破られとるど。秀包さんや桂氏、内海氏、粟屋氏、白井氏等安芸勢は
激戦を奮闘しとる。
0402名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 01:32:01ID:Vpfjd+F2
おいおい。微妙に話をずらしてないか?

鼻削ぎ落としは首級の代替だろ?それを言ったら戦国時代の武士は全員罪人。
現代の倫理で過去の歴史を裁くのは考察でも何でもないぞ。

で、島津の疑惑を言う前に小西と明軍が共謀して、お互いに敵を討ち取った数を
本国にうまく報告したいから朝鮮人の死体を送りあったことも言うべきだな。

牛はまともに反論できないもんだから悪意に満ちた工作活動に忙しいなw
0403名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 01:58:48ID:geHXfQ7d
そこのトップページに思い切り坂東平氏の子孫たちの興亡て書いてるのがセツナス
しかし牛のもってくるソースは陰徳太平記や通航一覧やらゴミ売やら説得力がありすぎて悶えるぜ

>第六軍が小早川隆景、毛利秀包、立花宗茂、高橋直次、筑紫広門ら筑前の大名で編成され、一万五千の軍勢で渡海した。
>第六軍は釜山に上陸すると、全羅道を漢城に向けて進軍した。しかし、平壌まで戦線を拡げていた小西行長が明の大軍に
>大敗を喫し、在陣奉行として渡海していた石田三成は、朝鮮半島の戦線が拡大しすぎていることを懸念、軍勢をいったん
>漢城に召集した。文禄2(1593)年正月26日、漢城に集まっていた日本軍三万と李如松らが率いる明軍二十万が漢城
>郊外の碧蹄館において合戦し、大勝した。しかし、この合戦で得たものは何もなく、急速に和睦の話が進んだのである

そのページによると碧蹄館では筑前兵卒が一番活躍したと書いてあるな。
0404名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 02:13:34ID:DjffoMPq
>>402
捏造乙。碧蹄館の戦いの後に石田三成が立花宗茂に向かって行った言葉は知らないのか?
「今度当国在陣中、度々の御働は申に及ばず、中にも碧蹄館の先陣、抜群の御手柄なり、、、」
立花軍は緒戦で明軍を破ってる。常識です。

あと小早川隆景の書いた「永禄伝記」知らねーの?攻城戦で苅田が出てくるぜww
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