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どこの出身兵卒が強いのかな??

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 01:20:07ID:hZWJSov6
ドコの国の一般兵士が強いのかな? 率いる将の力量抜きで。 よく尾張兵は弱いから信長が工夫したとか精悍な薩摩隼人とか言うじゃない お国自慢、思い入れも大歓迎〜
0136白馬青牛2006/10/20(金) 02:26:48ID:vtY5kjRU
>>132-133
普通の猟師が、騎馬じゃないんは、東西日本でも如何に騎馬文化が
定着せんかったか。云うことじゃ。関東丘陵地の畑作農耕地帯を
武士団を生み出した地としておるが、相模の三浦、和田氏等は
海岸地帯の海民要素が強い。縄文期から動物タンパク質摂取も内陸より
海岸の貝塚民の方が多かったことからも、狩猟だけで生活出来る訳
あるまい。採集〜畑作が関東丘陵地の生業で狩猟は副業であろう。
都合よう後継ぎじゃ云うとるが、引用した文は五味氏の『武士と文士の
中世史』じゃ。P11「平将門に率いられた東国の狩猟の民、藤原純友に
率いられた西国の漁撈の民、これらすべてを狩猟民と呼びたい。山野河海を
活動の場とする民である。」とされ、東西の違いを云うておられるが、
両者は、P17の図3武士団のモデルで、非農業民に分類しておられる。
じゃが、五味氏のどの文から引用したんか解らんが、関東が季節を問わず
と云うのは、想定出来んよ。戦国期の上杉謙信が冬季に関東で略奪した
ように。西洋でも、東洋でも、近世前は季節的な武人じゃ。
西国の水軍も大陸の大型船に対抗出来んので海戦に弱いよ。弓馬戦も
東西日本供に大陸と比べ弱い。郎党も坂田金時のように東国人もおったが、
拾うて来た者を、秦氏の様な随身の家柄と同一視することは、
出来んよ。
0137白馬青牛2006/10/20(金) 02:58:48ID:vtY5kjRU
>>134
西国の遠矢も船戦に限らんよ。「吉野・十津河の指矢三町遠矢八町」と
奈良県の山地民も遠矢を得意としとる。大陸のモンゴル人も遠矢が
弓術の基本じゃろ。ナーダムでも、遠矢が競技として受け継がれとる。
遠矢無くして、弓馬狩猟文化も乏しいんじゃがのう。旧日本軍兵士が
射撃訓練しても、より訓練されて無い(実戦は豊富じゃが)が、森林が
日本に比べ少ない大陸農耕民の中国人兵士に射撃で劣っておった事。
東西列島日本人は、射撃、弓馬に疎いよ。戦国期においても騎馬に
こだわる関東の伝統?も大陸では通用せんよ。
社会制度的に主従縦社会の関東は、外来者に征服された云うことじゃ。
関東武士が広島へ殖民しても、社会制度は、西日本むしろ封建要素は、
広島と比べ関東武士の殖民の少ない岡山の方が強いよ。
いっつも、わしの文面から内容を読み取ることが出来んで、わしの文面の
言葉尻を取って、云うとるが、ええ加減頭を使うたらどうかいのう。
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