>>280
仁田山城で虐殺している。

このスレではちょくちょく謙信が越山での上野攻略の話が出ているが
上野でも結構な勢力が謙信と戦って没落しているよ。
謙信越山の時にすぐ参陣したのは白井・総社・箕輪だけで、後は大抵北条方だった。
まず綱成の次男、北条康元が入っていた沼田倉内城を攻略し、岩櫃城以前の吾妻の拠点、岩下城に
明間城を攻略、厩橋城の厩橋長野氏は戦わずに開城、那波氏は早い時期に北条についていて
管領家と対立していたが謙信の攻撃によって開城、没落し、館林城の赤井氏も滅ぼされている。
すぐ降伏した厩橋長野も那波攻めの最中に暴れ馬が出たことで謀反を疑われ殺され滅亡。
結果、沼田、厩橋(那波領、大胡領含む)は謙信が支配下においている。
一方、小豪族が点在する西上野では倉賀野城を北条から取り戻して倉賀野直行に返し、
1558年頃に武田に味方した安中氏庶流を攻めて安中氏の嫡流に城を返している。
(ただしこれらは別働隊がやったのかもしれないが)