鹿折信濃
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 05:29:53ID:7EEBSlN+また逃亡して故郷に潜伏。実は伊達の忍者か?
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 13:17:32ID:MqpKlcxR0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 13:22:40ID:NuSM2ZJC0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 19:58:16ID:LGMdMN+G0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:17:24ID:u2Q8XSLf0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:12:29ID:bdVdycFfhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E6%8A%98%E5%94%90%E6%A1%91%E9%A7%85
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:41:41ID:JUdTzTgxそこに「かおり」だと書いてある。
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:02:24ID:GaQAk5yKしかおり
かおり 読みもはっきりしない程マイナーなのは確かだ
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 00:14:03ID:ZVF8czDH0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 02:53:18ID:OW4QxJiV0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 15:11:59ID:tMhfB5aM0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 19:51:00ID:56rmcxBW源三位頼政が但馬国木崎郡(きのさきぐん)及川荘を
領したが、その地に土着したもの及川と称したという。
しかし旧木崎郡の域内には「及川荘」という荘園も「及川」という地名も見つからない。
また有名な系図類でも頼政系の部分で及川なる苗字に
ふれているものは滅多にないので後世の仮冒にすぎまい。
郷土史家などには、神奈川県の「及川」や会津の「笈川」などを
発祥地として想定する説を唱える者が多い。
(及川・笈川・追川・老川・生川などは当て字の違いで
すべてもとは同系と見られる)
現在の及川姓は、岩手県内陸部〜宮城県北部に大量に集中しているほか、
千葉県にも小さくまとまって存在している。
一説にはその分布から上代の部民である吉美侯部(きみこべ)との関連を
想定する説もあるが、詳細に検討されているわけではなく
今のところ思いつきの域を出ない。
吉美侯部(吉弥侯部)は上毛野公(かみつけののきみ)氏の部民で俘囚を
編成したものだったが、多くは「上毛野」の氏を下賜されて農民化した。
このことは福島県内あたりまでは記録があるがそれより北の情況は不明。
また及川氏と上毛野氏を結びつける証拠も今のところない。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 21:46:51ID:vQ90SyOWミッチーは東京都大田区出身か
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 03:16:56ID:BInW7hHTよって、及川光博は由緒正しい及川氏かもしれぬ。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 00:22:17ID:1OfWXwXN0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 23:25:10ID:P0c3FhS8どうせならアゲてくれ。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 12:40:45ID:Uongxluy及川氏の系統は枝分かれして勢力の中心も複数あったが
岩手県東南の大和田東根の及川氏の分流で
宮城県北部の鱒淵城(宮城県東和町)による鱒淵及川氏というのがあり
その一族で及川光政が勲功により主君葛西氏から
元良(本吉)郡の鹿折邑を与えられたのが「下鹿折氏」の発祥。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 18:28:27ID:dIFql8JL「信濃」と称して(下鹿折信濃、鹿折信濃、及川信濃、等)
最後の「下鹿折信濃守源時兼」に至るまで七代続いた。
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