『嫉妬の世界史』とか言う新書に『奔る』の一節を引いて義久妬心説が持ち上げられていたな。
義久家臣による義弘領横領を根拠の一つとして挙げていたがどうだろう。
まあ、太閤派(義弘)とお国派(義弘)の確執は領土、国益、嫉妬、多様な因子を孕んで膨れ上がっていったのだろう。