【東照】 徳川家康 【大権現】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0552名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 21:25:30ID:fp0CszK0八味地黄丸という漢方薬を飲んでたらしくて、子沢山に恵まれたのはこのおかげでしょう。
今でも薬局へ行くと買えます。
>>551
この事実を前にして何故、真田に軍配があがるなどと言えるのか。
確かに大阪の陣は家康方の圧勝で終わりました。しかしながら赤備えの影武者部隊を編成し
何部隊も連なる敵陣を突破、本陣に迫り家康が後退途中に何度も自害を口にしたのも事実でしょう。
いくさの実践経験が無く、有能な武将の意見を全く聞き入れなかった澱殿と治長が敗因の理由。
>幸村は大阪の陣で、道に迷って後藤基次を見殺しにするなど失態も犯している。
しかし、その後伊達政宗の部隊を後退させ、豊臣方の兵を大阪城に引き揚げるときしんがりをつとめ
「関東軍...男子はおらんのだ」は有名な話。
島津家臣の「真田幸村日本一の兵、古よりの物語よりこれなき由」
つまりは、昔からある軍記物語にもこれほどの戦いぶりはなかったと最大級の賛辞を送ってます。
>九度山から「家康様に逆らった私が馬鹿でした、どうかお許しください」と必死に手紙を書く昌幸の姿は滑稽だ。
石田三成は昌幸を卑怯者と評しています。
息子を使って、また手紙を送り助命の嘆願をし、
虎視眈々と徳川打倒の秘策を練ったのが真田親子です。
秀忠を足止めさせたのも、相手の心理を読み挑発行為を行い、相手が油断したスキを突いて
一気にそこを攻める。真田丸の戦いも同じく。家康に媚をうる姿は滑稽に映るかも知れませんが、
面従腹背で15年後家康を苦しめたことを考慮すれば、真田親子を自害させなかった家康の負けです。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています