山岡荘八の徳川家康を途中まで読んでいるが、
右府殿から築山、信康の仕置きを命じられる場面が
現在まで最も印象的でした。

ただ事件の経緯について小説的解釈には全く納得がいかない。
右府殿が、天下人として私情を棄てて婿殿の征伐を命じ、
三河殿が、公儀お役目として理解しつつも、親の情としては苦しんだ、
などという筋書きは一般的なものでは無いですよね?

この件についての通説的な理解はどのような筋書きですかね?