【東照】 徳川家康 【大権現】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:27:31ID:F/N5Rh1W幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。
東京が首都となったのも、家康が始原。
次期一万円札の肖像は是非、神君家康公にしてもらいたい。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。
日本が誇る、KING OF SAMURAI 我等が徳川家康について大いに語ろう!!
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:29:29ID:VDpFDgV80003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:32:14ID:St1dkJ3Eピザは
嫌い
ロリコンも
嫌い
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:39:13ID:oxmR6Jfuそうは思えないのだけれど。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:42:28ID:F/N5Rh1W何故そうは思えないの?
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:47:28ID:F/N5Rh1Wと思うよ。しかも恭順しなかった。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:52:24ID:ETB5RFVjきっと大好きな武将でした
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:56:35ID:F/N5Rh1Wだろうし、秀吉も天下を取れなかった。天下統一の大勢を
握っていたのは実は家康だったんだよね。だから、最後は決して
棚ぼたではなくて、落ち着くべきところに落ち着いたというか。
落し物が無事に所有者に返ってきたという感じ。
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 18:27:18ID:AwYOg3L5人質時代に相当勉強したらしいね
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 18:29:32ID:tgSz11Eaむしろ勉強していない武家の人物のほうが珍しい
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 01:20:59ID:VOMt9P8f雪斎が桶狭間まで生きていたらどうなっていたか分からない。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:36:04ID:3grYilEcあの当時、孫子読める武家はそう多くはないよ。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 14:33:17ID:23ioAGrI0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 02:42:27ID:MUSbZTwjやはり孫子と言えば信玄だよね。家康の偉さは負けて
いながら恨むよりも信玄を生涯尊敬し目標としたことだね。
>>13
柴田勝家好きな人結構いるね。自分はあんまり…
勝家は最初信長がうつけだと思って、弟の信行について
たんでしょ? それでよく許されたよなあ。
裏表ない武骨なところが信長の癇にさわらなかったのかも。
家康も信長と馬があったらしいけど、家康は武骨どころか
実は狸だったのだから、これまた不思議だね。だが聡明な信長に
それが見抜けなかったはずはない。家康には何か「敵にしたくない」
と思わせるオーラがあったのだろう。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 09:05:17ID:TntO16PJ0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 15:21:48ID:rvsSepeW「与えられた職務を全うする」タイプの人間のようだ。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 10:30:02ID:XROeZfQc信長は普通に実直な人が好きなんだろ
家康の関ヶ原の起こし方と豊臣の滅ぼし方は、狡猾というよりはむしろ強引で不器用だろう
本当の狡猾とは、秀吉のように光秀を利用して自分は手を汚さなかったり、
幼い三法師を立てるふりして政権を簒奪するのを言う
家康は結果として天下を取れたから他人から嫉妬され、いろいろと揶揄もされるが、
天下を取れなければ普通に誠実な人間と言われたはず
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 10:52:55ID:DYCkthmO家康を大名と呼ぶには違和感は全然ないんだが、侍と呼ぶにはなんとなく抵抗があるんだが?
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 12:27:45ID:lbWk7NI6それは家康に限らないのでは・・・
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 12:59:50ID:7yeqFKES戦略能力も戦術能力も外交力も一流だし。
さらには、繁殖能力も一流だし。
政治家としての能力が超一流なのと、本人が全然自慢しないん
で目立たないが、かなりいろいろとすごい。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 13:47:00ID:mSPqTWUP俗物の分際で天照大神に張り合うなど言語道断
慢心するにも程がある
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 22:38:36ID:loo1oJb9http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/fortune/1153205316/
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 01:58:27ID:1B5Fgrytサムライというのは武士階級のことだよ。その発生から、院や殿上人の警護
のために側に「さぶらふ」つわもの達のことを言った。
将軍も大名も下級武士も皆侍です。
>>20
素晴らしいレスですね。その通り。日本史上最大の人物だと思います。
>>21
天罰とは何ですか? 信長は家臣に討たれ、秀吉は失政したのに、家康は
空前の安定政権を創始した。西鶴、芭蕉、近松、浮世絵等、日本が誇る
ジャポニズムの下地を創った。天罰どころか、神に愛された男です。
>>22
血液型はなんで分かるんでしょうね? 髪の毛でも残っていたのかな。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 02:09:58ID:1B5Fgryt>>17
>秀吉のように光秀を利用して自分は手を汚さなかったり
これは本能寺の変は秀吉が黒幕だということ?
そういう説もあるみたいだけど、なんか眉唾だな。秀吉は信長の
ためなら死ぬ気で働いてきたから。織田家というより信長至上主義
だったんだと思われ。信長だけが主君だから、息子達には忠誠を誓わ
なかったということじゃないかな。
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:54:14ID:90vOhqNV0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 11:54:50ID:zqjCXq0P自分は手を下さずに光秀の謀反を利用してのし上がったということ
黒幕というと陰険だが、普通に光秀の動向をマークしていた可能性大だろう
いずれにしても悪玉は光秀とされ、秀吉は悪く言われないところが家康と比べてはるかに巧妙狡猾
ちなみに、光秀が山崎の合戦で憤死したというのは嘘で、
千利休と名を変え秀吉の参謀になったという説もある
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 11:59:35ID:90vOhqNV武経七書や琴棋書画は武家の嗜みじゃないの?
元が農民ならともかく、もともとの武家でも読める人がいなかったってなんで?
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 18:19:58ID:aG/Ic9Xi学がなくても凄い奴もいるけど最後はやはり学がある奴が勝つというか。
スレ違いだが海外ドラマに「ホワイトハウス」というのがあるんだが
そこの米大統領が家康とだぶってみえるんだよね。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 13:31:56ID:vqvB3+cmやっぱり己の権力の為のお題目だけではなく、何かの使命感に追い立てられて
戦乱の終結と天下泰平を求めたようにも思うよ。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 16:45:34ID:pr21IEjf確かに中国攻めは秀吉一人でもなんとかなったっぽいのに、信長に
甘えを見せて「可愛い奴だ」と援軍に向かわしめるところが、秀吉の
狡猾さが窺えるね。秀吉は信長に対して大胆に甘えるところがあるね。
対謙信戦の手取川でも勝手に軍列を離れたり、荒木村重の謀反で黒田長政
を斬るように言われたのに命令に背いたり、それでも特に処罰されないところ
がやはり信長から認められていたということだろうね。
>>27
兵農分離は秀吉の刀狩と江戸の士農工商からだから、教養のない下克上で
のしあがった武家の方が多かったということだろう。
学問それ自体は寺社や公家の方がレベル高かったんじゃないかな。
>>28
明智光秀や石田光成は学があったそうだけど、敗者になった。家康はまず
武威で武功派の人望を集めたのだから、まさに文武両道だった。
>>29
そうだろうね。がむしゃらに権力に邁進したのだったら秀吉に恭順しなかった
と思う。秀吉の惣無事令に筋があったから協力し、秀吉が失政し天下が乱れた
から代って自分が治めたという王道を歩んでいる。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 19:34:32ID:0JBwd3RVたくさんの人を殺した罪滅ぼしの意味らしい
立派な心掛けだね
たまーに南無阿弥家康と書いてあったりする
遊び心なのか本気なのか
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 19:49:45ID:t/mBgtOG0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 00:32:00ID:mpCi8iDRその当時の、天照の子孫を称する方を取り巻く集団のほうが、よほど罰当たりな
行動を取っていたと思うのですが?
すくなくとも家康は民衆に平和と安心できる暮らしを提供したわけだから
いいとおもうよ。
それと家康の場合、東方の仏・薬師如来を己の守護としていたのはあまりにも有名で
ただ単純に天照にライバル視して東照というわけでもない。
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 11:42:54ID:UVTEsWlq司馬氏によれば、村社会の島国根性でしみったれた国民性
なのかもしれないが。
今の中国人みたいな個人主義や血族主義のアジア的国民性から
集団性、協調性を重視する国民性への転換は
中世の国家から近代化するには重要だったと思う。
江戸中期に人治から法治への移行し始めるが、それも
家康による封建制が単なる独裁ではなく、中央国家の権力を
直轄領以外は改易権に留めるあたりに、「権力の抑制」に
対して意識的であったのも大きいと思うけどな。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 12:23:25ID:CgewP+a9司馬遼も晩年には、三英雄のうち「仕えるなら家康」と言っていますね。
信長や秀吉にはやはり、知れば知るほどやりきれない部分があるからなあ。
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 14:54:44ID:xjyBRL0+0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 18:19:30ID:WME9GWAO家康って信玄を模倣したとかいうじゃない
ってことは家康は信玄の亜流でその亜流を模倣しようとする
家康にも及ばないおれは亜流の亜流の・・・・・orz
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 18:28:08ID:xjyBRL0+家康の生き方が良いと思うなら( ̄ー ̄)ニヤリッ
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 19:22:14ID:iMIQUF3Sもともと評価はしてたんじゃないかな? ただ個人的に嫌いだった
だけで。自分でも「これ苦しいな」って思いながら貶してるような
感がある。
>>37
傍流の方が気がついたら優れてましたってのは良くあること。
個人的には信玄は家康の足元にも及ばない将だと思ってる。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 19:53:17ID:UVTEsWlqなかなか現代で真似るのは厳しいと思われ。
薬マニア←薬事法違反
幼女マニア←青少年育成条例違反・つか強制猥褻罪
後家マニア
神仏妄想疑惑>>31(気分はもう生き仏)
…………。
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 20:10:40ID:hETK2UVf評価はするけど、絶対褒めねーぞって感じが出ているな。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 21:45:06ID:jw4qiy2m0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 01:45:03ID:sezVrqPbとりあえず、食事を全部麦飯にすることから始めよう。
暇があったらとにかく身体を鍛える。大井川を泳いで往復するのを目標にすべし。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 15:08:53ID:bJK4G1ZOこれは間違いないよ。
が、しかし家康の評価を決定的に悪くしている、言い換えればなぜ家康はさほど人気がないのか…。
答えは簡単。ずばり三方ヶ原の敗戦&焼き味噌(脱糞)である。
豊臣を攻め滅ぼした事は大したことじゃない。
そんなの主家をさしおいて天下を獲った秀吉も同格だし。
戦の最中に逃げながらしかも脱糞だぞ?そんなヤツ日本に一人しかいない。
しかも言い訳が『焼き味噌』だぞ?
三方ヶ原さえなければ家康は最高なんだが…
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 15:56:00ID:xtDcyJ/Cどうやら君は完全な信者にはなりきれなかったようだね・・・・・・・・・・・・・
信者はその醜態すら家康公の成長過程としてオナニーするからね
これは家康が若かったからとか将として未熟だったからという次元の話ではない
>戦の最中に逃げながらしかも脱糞
>言い訳が『焼き味噌』
これは根からくる家康のへたれさ臆病さを表している
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:34:55ID:r6/Dv+i+人間のタイプの違い
天才タイプと学習タイプ
信長・秀吉は前者で、家康は後者
学習タイプは派手さがないので、一般受けしないのは当然
三方ヶ原の惨敗がなければその後の家康もない
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 13:00:01ID:QQ+hooL0そんな天才タイプとか学習タイプなんて信じれない。
レッテル張り的な二分法は司馬氏観を真に受けている感じがする。
家康個人の性格、嗜好は別にして、江戸期は中期から近世に分類される。
老中、奉行制度により正統派官僚が育ち、
>>34に書いたように、公事方御定書等も制定など中世的な
人治国家から法治国家への移行が基礎付けられる。
無論、江戸初期の幕府の志向性を決定付けるものとして
幕藩配置、諸法度の類も重要である。
近代は個人に依存せず、統治者個人の裁量権を限定させ
(三権分立、主権在民の目的である)組織によって社会が動かされる。
例え個人が倒れても、別の人間で十分代替される制度。
確かに面白みは無い。派手さも無い。しかし、統治にとってそんな事は問題ではない。
謀反人を殆ど出さず、豊臣恩顧の大名を手懐けた家康の人心掌握力は当代随一であろう。
しかし、選挙という人気投票で統治者が決定される時代では無い上に、
後世の人気という、「統治に関係しない人気」など最もどうでもいい。
合戦、謀略、人心掌握、内政など統治の為の手段でしかない。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 13:56:30ID:zYhOVBKjすごいおもしろい人生だと思わないか。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 20:58:52ID:rW/ms5/E信じる信じないはお前の勝手だが、
そういう分け方はたとえ話として昔からある
絶対有利のはずのウサギが、なぜかカメに負けてしまうというあの話
信長・秀吉がウサギで、家康はカメ
0050名無しさん
2006/10/02(月) 23:35:59ID:9UrqZzU10051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:51:30ID:9PtvkYnQ成人になっても義元や信長のヨイショするため
性格のきついかみさんをもらい溺愛する息子を殺さなきゃならず、
それでも海道一の弓取りと呼ばれるまでになったのに
今度は百姓出身の猿に関東の田舎へ追いやられ
豊臣を滅ぼしてようやく目の上のたんこぶが消えて
やっとめぐってきた天下を楽しもうと思ったら
わずか一年あまりでぽっくり
本人にとっては満足な人生ではなかったかも。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 00:00:18ID:NgI07E/f0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 00:05:57ID:2KeVsdG8逆に言えば「生ききった」人生だな。
長寿なのに全く無駄の無い人生だった。合理主義者の家康らしいと言えばそうだがw
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 08:31:24ID:xDOfCcrl子供向けのおとぎ話の例えを真に受けるのはお前の勝手だが、
あくまでも子供向けの類型化であって、実際の亀と兎もそうだった
とか言い出す奴は単に痛い奴だ。
「>>49おまえの心の家康」がこうだから、実在の家康もそうだったんだ!!
それが事実なんだ!!って言うなら何もいわんがな。
小説家が話を面白くするためにはキャラ確立の為の類型化は必要な事だ。
しかし、実在の人間がそうだったって言うのは、痛い人間でしかない。
人類を二分法で分類する事自体が問題じゃない。
男女により分類される二分法に何ら問題は無い。
それにより、思考パターン、体型、運動能力の傾向の差が見られるのは事実だ。
明確な「判断基準」が有ればな。
信長や秀吉だって旧来のいいところを取り入れ、自らの体験の失敗で学習している。
学習してなければ天才ではなくただの馬鹿だ。何もかも独創的な発想で、失敗がな
かった訳じゃあるまい。家康は独自性が全くない訳じゃなるまい。
何処からが学習タイプで天才タイプかどの基準で分類されるのか。
そういった分類があるといって説明するなら「判断基準」をまず示す事だ。
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 19:31:15ID:56rmcxBW不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、
勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。
己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 19:59:23ID:COmtqjnN信長の場合は、前時代のシステムがボロボロになっていたから
壊して造ったのだし、もともと性格から言って自分流でないと
気がすまないタイプだった。
秀吉の場合は、個人的な趣味では独創的だが、天下を収める
システムの方はほとんど信長の構想のコピーみたいなもんだ。
秀吉が完成させたものが一部にあるから、独創みたいに見える
だけ。
家康の場合は信長・秀吉の時代のシステムで稼動しているものが
あれば、そのまま使ったってだけ。独創が必要な部分は、ちゃんと
独創で埋めている。本願寺を分割して統治したり、なんといっても、
財力と権力を切り離すという離れ業に近い体制を打ち立てている。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 20:46:35ID:qrTlJyyD悪いがお前の論理につきあうつもりはないし、
認めたがらない人にまで認めさせる気もない。
そういう分け方は昔からありますよと指摘しただけ。
というか、そういう大雑把な分け方はお前も使ってるじゃないか。
>信長や秀吉だって旧来のいいところを取り入れ、自らの体験の失敗で学習している。
>学習してなければ天才ではなくただの馬鹿だ。何もかも独創的な発想で、失敗がな
>かった訳じゃあるまい。家康は独自性が全くない訳じゃなるまい。
大筋で分かれているからこういう言い方ができるわけだろ
0058参考
2006/10/03(火) 21:13:01ID:kIXPl7E2少なくとも、それまで存在したあらゆる中央政権よりも豊臣は強大だった。
なんせ日本中に命令して関東や奥羽を仕置きしたり大陸を攻めたりする程だったしね
秀吉存命中は家康も含めて誰も秀吉に逆らえなかった。
こんな強大な政権は実は今までの日本になかった。
それと畿内以外にもあちこちに徳川政権でいう天領(お蔵入り地)を持ちその合計は
220万石程度はあったという。
他に日本各地の金山、銀山を押さえ、博多などの港の運上益も独占。
経済能力はすざまじいものだ。
あと江戸幕府でいう親藩・譜代も豊臣政権には存在してた。
親藩は豊臣秀次、小早川秀秋、豊臣秀長、木下など、加藤や福島も実は秀吉の親戚筋だ。
譜代に相当するのは山崎の合戦以前の配下が相当するんだろう。
黒田、竹中、蜂須賀、山内、七本槍、石田など。
ただ、家柄の卑しい豊臣家の結束は秀吉が死んだあとは激しく脆かったけどね。
なんにせよ一つ言えるのは
実は徳川政権というのは豊臣政権に酷似してる部分があり、
実は家康が秀吉のやり方を模倣しさらに改良強化したものだ。
秀吉というお手本・土台がなければ
家康がいきなりあんな強力政権を作れたわけではない。
繰り返しになるが
それは秀吉が家康より劣っていたからでは少なくともない。
むしろ家柄を除いてはやはり優れていただろう。
単に秀吉が強い力で切り開いた道を家康が進んだから、
家康が強力政権を作れただけ。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 21:18:42ID:kIXPl7E2織田政権、豊臣政権があったからこそ徳川政権・江戸幕府が出来たのであって、
それは全て一人の人間の資質に帰せられるものではない。
戦国時代が信長、秀吉の行動や統治によってこなれ、
家康が信長、秀吉のいい部分・悪い部分を真似たり参考にしたりしたから、
江戸幕府が出来たのであって、
仮に信長や秀吉の立場と家康を交換したからといって、
一足飛びに江戸幕府のようになるわけではない。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 22:05:44ID:fNo88kXFそう。
まさに家康の言う急ぐべからずってやつだ。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 22:28:19ID:kIXPl7E2まあ、そうなんだけど、
家康は全て達観していたとかいうのなら賛成できない。
実際は家康もいろいろミスしたり焦ったりあきらめかけたりもしただろう。
そもそも家康は「自分が天下取れたのは運である」と言ってる。
これを謙遜と取る人が多いが本心だったろう。
今川義元が倒れ、一揆との戦いを凌ぎ、
三方ヶ原で命拾いし、信玄が倒れ、信長が倒れ何とか国元まで生還し、
秀吉が壮年の息子残すことなく倒れ、利家が倒れ、清正が倒れ、
実力で切り抜けたものや生きていても何とかした人物もあるが
さまざまな幸運や偶然が重なって天下を取ったのは否定できないし。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 22:42:49ID:fNo88kXF家康の天下とりは運ですな。
しかし達観だと思う。
周りにもいないか、そういう賢い方。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 10:33:32ID:Itty3igS運がいい、と簡単に言ってしまうのもどうかと思う。
運がいいやつというのは、よく見てみると運が来たときに的確にそれを
利用しているということであるし、また、運がくるまで我慢できる忍耐
力を持っているということでもある。
さらには、家康なんか特にそうだが、運がいい以上に不運に対して強い。
どのような不運がきても、じっと耐え続け、運が来るまでは辛抱強く待
ち、運が来たら機を逃さず一気にすべてを賭ける。確かに、天下を取っ
たのは運かもしれんが、その運を天下取りの運にまで成長させるのは、
並大抵のことではない。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 10:59:45ID:ZK6yBVY1思いきり謙遜だろう。
運なんてことをいえば、信長や秀吉のほうが当てはまる。
「武田信玄と石田三成のおかげで天下を取れた」とも言っている。
俺が俺がと言わないのがこの人の特徴。
それと同じ天下人でも、秀吉の見るべきところは天下を取るまでで、
天下をとった後は思いきり暗君になってしまうのがなさけない。
チャンピョンになるよりそれを維持することことのほうが難しいということ。
家康がすごいのは、戦国を昇華し江戸への前段階として肯定したこと。
家康が平和な新時代を築いていなければ、
信長と秀吉はだだの乱暴者と暗君と言われていただろう。
信長と秀吉は家康に感謝すべき。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 11:01:27ID:sb+PzioH0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 12:05:17ID:2XhysEdb福本漫画のキャラが浮かんだww
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 12:50:09ID:F6KZvyaZ信じる信じないじゃなくて、単に根拠を聞いてるだけだが?
後、その杜撰な分類は、お前が書いたのに合わせてるだけで肯定なんかしてない。
何処に認めたなんて書いている?
俺個人は三人は時代の中の連続性で捕らえるべきもので、個人の性格に帰したりすべき
ではないと思ってるが。ただし、統治結果の判定は、政治である以上、結果で行うべきだ。
これは政治学の基本だからな。
>58
>56も、徳川政権が織豊政権とは全く別物だなんていってない。
今までの流れでも、織豊政権の良い所は取り入れているとは書いていると思うが。
天才タイプ、学習タイプとか言う根拠のレッテル張りに、根拠を聞いてるだけ。
ただ、猿真似ではない。
まず、織豊政権に共通するのは、統治者個人に権力が集中しているものの、
統治者直轄軍(旗本)が少ない。(これは、本能寺成立の原因となる。)
に対して、徳川政権は将軍自体は老中などの合議制の上にあり
権力集中制は低いのに対して、軍事的に旗本8万騎と称される直轄軍を保有し続けた。
豊臣政権の合議制が外様を組み込んでいるのに対し、徳川政権は
外様を政策決定機構から可及的に排除している。
また、豊臣政権は織田政権に酷似している部分もある。
権力集中性や宗教政策、重商主義などはね。
だからと言って秀吉が独創性が無いとか、
信長は天才タイプで秀吉が学習タイプとかいう事にはならないって話。
結束が脆いというが、それができるかどうかが統治じゃないのかい?
個人の忠誠心(性格)に依存したシステムって言うのが、秀吉が築いた政権システムの
脆弱性に他ならない。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 12:51:34ID:Rm1x1n33家康は信長の安土時代の段階から、天下政治に参画していた節がありますね。
やはりその頃から、家康なりの天下経営の抱負があったのでしょう。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 16:16:26ID:iKOABfLbいつ誰が死ぬか生まれるかは人類にも永遠に制御できないだろう。多分
家康が信長秀吉の失敗を見つめ、成功を糧に地道に日本の未来を考えて
現代にまで続く日本を作ったのは、家康の政治力もあるが信長秀吉の、後
を受け嗣いだからだからこそだよね。上でも書いてる人いるけど。
一言に運が良かったからとか、天下が転がり込んできたとかは、家康の事
を知っていれば言えないと思う。
家康の言葉で「道義は戦力なり」なんて言葉もあるからな。
この精神に重きを置いた、真の侍魂の根底は現代にまで続く江戸政権の
功績だと思う。
当時白人どもは肌の色が違うだけで、人間扱いもせずに、征服虐殺奴隷
を繰り返していた。
それも第二次世界大戦終結までだよ。
家康からの道義観が、現代の日本の元になっているとも言える
まあ日本は太平記とかさらに遡って縄文弥生時代から、日本人らしい行動
とっていたけどね。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 16:25:49ID:iKOABfLbたんに教科書だとか漫画よんで、天下盗んだ狸じじいなどと言うのは
家康の事をほとんど理解できてない証拠。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 16:30:40ID:Rm1x1n33でも、家康の偉さって、実感するのは社会に出てからだよね。
大人にならないとどうにも理解出来ない部分が、家康には特に濃いと思うよ。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 16:54:25ID:dBE0BAqo逸話とかためになるよね。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 17:07:32ID:Rm1x1n33松本清張がそんなの書いていましたな、青少年向けの家康伝みたいなの。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 17:26:20ID:iKOABfLbハタチ超えて歴史本読み出してから家康が一番好きになったわ。
山岡家康全26巻読んだのも実は最近だしなあw
「生まれてくるときも死ぬときも所詮裸。
地位も名誉も天下も肉体も所詮、現世での預かり物なのだ。
だから使い潰してしまっては後の人間が迷惑するからほどほどにするのがいいのさ」
みたいな事書いて有ったな。
秀吉は天下を取ったが、家康は天下を譲り受け、後世に受け渡して行った
これは天下の私有を認めない、山岡家康の天下預かり物説
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 20:23:52ID:acaxB8ru家康の時代は、信長秀吉と変わらず主君に権力が集中した独裁者政治だった。
それを君がいうような老中による合議制に変えていったのは秀忠や家光。
私は信長秀吉と家康に統治者としてのタイプはたいしてかわりないと思っています。
もちろう後任者は、前任者の成功失敗をみて参考にできるので、政策ではそれぞれ
異なってくるでしょうが、それは枝葉のこと。
信長秀吉と家康の違いといえば、「二代目が守成を行うことができたか否か」だと思い
ます。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 21:31:02ID:ZK6yBVY1もはや自分の時代ではないと悟ったことは大いなる慧眼。
秀吉は子に恵まれなかったこともあるが、
何としても秀頼を後継者にしようと愚劣の限りをつくした。
>>74にあるが、秀吉は天下を私物化しすぎ。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 21:59:15ID:dBE0BAqo0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 22:10:32ID:Ol2zXe9W0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 22:47:15ID:W8kGmLec逆を返せば
秀吉と秀次 太閤=関白の二元政治の失敗を見ておきながら
家康自身はこれをきちんと成功させ
なおかつ3代目への継承も見事に筋道を立てたという点が
評価に値する。
そりゃ実子と養子の違いはあったかもだが・・
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 23:06:06ID:FOQdgH7Iフィクションを読んで何が分かるんですか?
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 23:14:48ID:Rm1x1n33ちゃんと資料のうえに肉付けされたフィクションだぞ?そこからわかる事はいくらでもある。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 23:24:32ID:qpu3vAMa当時のソ連アメリカ二大強国に挟まれて苦心していた弱小国家日本が
いかにして生きていくかという思いを、織田、今川に挟まれた徳川に託し
二百五十年の平和を築いた家康を未来日本のモデルケースにしたかったと
いう思いがあった。
現実の家康はそれほど善人でもないが、戦国大名として生きていくには
それなりの精神構造が必要だ
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 22:46:57ID:+wDSu6x4そのパターンでいうならば
織田と今川に挟まれた徳川の他にも
大内と尼子に挟まれた毛利というのもある。
昨今のバブル破裂とか失われた10年とか国会とマスコミの馬鹿騒ぎ
を見るにつけ、今の日本は徳川ではなく毛利の道を歩んでいると思う。
大内と尼子 米ソ冷戦
豊臣の世 アメリカの世界支配
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 10:29:44ID:zMgEI+GUアメリカとソ連の話は、読者から言われてそうかもしれないと思った
という後付の話だったような・・・
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 12:03:56ID:sPBDr5Oy確かに、君のいう通り合議制が制度化されたのは家光の時代になってから。
しかし、老中に外様をいれず、旗本を保持しつづけたのは家康から。
最初の諸法度は1615年に公布されたのだから、家康の意向も働いている。
これにより、日本史上それまで天皇が法の枠外であった存在から
法の下に規制される存在となった。
家康自身が独裁権力を保持し続けたのは事実であるが、
志向性として、人治から法治への基礎作りはしていると思うよ。
後、>「二代目が守成を行うことができたか否か」に関しては
一代目が用意したものが全然異なる。
信長は、自らの制定した軍団制の弊害、人心掌握の失敗の為、
自らのみならず二代目も殺される。
秀吉は、秀次一族の抹殺に伴いただでさえ少ない羽柴血族を更に弱体化させ
外征に伴い武断派と文治派の確執を決定的なものに悪化させた。
二代目が守成を行う事ができる環境を用意できたかどうか、という統治者の業績
には決定的な差が有ると言える。
0086あい
2006/10/07(土) 16:20:12ID:Mw3Llcaj尼子にも援助しなかったのが徳川に失敗だったなm
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 18:37:56ID:bhwoJamQ「思い切り喧騒」は言い過ぎ。
どう見ても。三河の小大名だった家康が天下取れたのは運の要素が多い。
その点、信長はとにもかくにも天下を自分の手でつかみかけた。
勿論、だからと言って家康が「たいしたことない」とは言わない。
その運を逃さずに長い年月かけて天下を取ったんだし、それは凄い。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 20:37:46ID:qM7653xd織田の授業
豊臣の授業を受け、実技をやった。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 20:58:05ID:4g7Dz5tC0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 23:18:25ID:aLAvtnxQ他は自分から学びとったもの
それと信玄の影響がかなり大きい
敵味方関係ない
>>87
百姓から成り上がった秀吉は運だけか?
他人を師としてやってきたきたくらいだから謙遜してる部分大
0091あい
2006/10/08(日) 00:30:04ID:CgWzZxmP0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 07:51:57ID:+9iOJbRD信玄房多すぎ、仮に信玄の政略を戦争から学び取ったとして。
それが生かされてる事は正銘できるのか?
甲斐征服したのがその成果とでも言うのか?
信長秀吉の反省点は明確に江戸政権に反映されているが
信玄の軍略はともかく政治力はその他大勢クラスだろう
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 08:12:26ID:+9iOJbRD大坂の陣の後に政宗が家康を訪ねていって色々掛け合うんだが
江戸の噂で政宗が謀反を企んでるそうだと言ってその討伐を政宗に
依頼するんだが。
秀頼を殺し伊達や忠輝にも背かれるような事では天下はもたない
と言って、
「このままでは、明智光秀がおる。石田三成がおる」
で政宗は涙ながして、
「ご安心めされい、政宗はこの伊達政宗が討ち取りました」
なんて言って政宗は太平の為に天下取りの夢を捨てるんだが
まあドラマとは言え原作にも無い、光秀がおる三成がおるって
台詞には痺れたw
これこそ信長秀吉の失敗点の象徴の人物だからな。
政宗が光秀や三成を参考に反乱しなかったとしたら
とか考えると考え深い物があるなw
すまんね妄想乙w
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 11:41:14ID:Qdct0Dt9信玄を師として兵法を学んだことは家康自身証言している。
武田の遺臣を積極的に取り込んだのは信玄を尊敬していたからだし、
二君に仕えることになった遺臣のほうも、家康が信玄を尊敬していたので抵抗が少なかった。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 12:54:36ID:g1Iv0yUH当時の戦国武士が「二君に仕える」なんて江戸時代的儒教武士道を気にしたとは思えんな。
0096あい
2006/10/08(日) 17:01:14ID:GwSAh9Jn大日本帝国時代が朝鮮式儒教○
江戸期は朱子学です。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 21:23:45ID:+Il0O31k疾きこと風の如し→三成との戦を風のような疾さで決着させた
静かなること林の如し→関ヶ原後は15年も静かにしていた
侵略すること火の如し→大阪城を火の海にした
動かざること山の如し→輝元や秀頼を山のように動かなくした
まさに風林火山
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 21:34:08ID:pzFSYsEB朱子学は儒教の一派だからその訂正の仕方のほうが間違えている
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 11:51:59ID:GyjyIQulまぁ、朱子学=儒教と言ってしまうと、重要なことを見落とす
けどな。朱子学は儒教の名を騙った別の宗教じゃないかと思う
くらいだ。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 13:13:28ID:Mr30FY3L0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 13:19:01ID:2kCvCpJD■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています