信長と互角以上の戦いをしたのは信玄だけ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 11:51:17ID:6JIh7FcX本能寺の変に救われただけじゃんw
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:16:13ID:YYZkjqek0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:22:23ID:/WuFtHeN0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:25:29ID:pQR+kDBG上杉の手取川(湊川)の合戦を忘れちゃこまる。
上杉信者の心のよりどころなんだから。
本願寺もいるしな。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:29:49ID:2kl/Yh2s0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:58:55ID:nuhQG9980007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 13:07:30ID:gitNovm40008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 15:59:11ID:5eupGC9q0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 17:15:18ID:HfyXrIrL0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 17:22:45ID:DN4OKhX+義龍が長生きしてたらどうなったか、という疑問の方が
信玄が長生きしたら・・・より気になる。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 20:56:56ID:koyXhwuT0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 21:03:55ID:ItYsqMyU0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 21:55:40ID:/hUxtZbt武田は織田にあっさりと滅ぼされた
この差は大きい。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 21:59:11ID:q4X416tf信玄と勝頼
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 22:34:30ID:yMNzdA8T輝元>勝頼
と言うわけですか?
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 11:18:18ID:W8ECqQp3本願寺もそうだし。
つうか、織田包囲網の連中は、信玄を除いてちゃんと仕事している
もんな。信長がその上いっただけで。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 11:47:53ID:4EJpPwpuヒント:親戚衆の協力度
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 14:45:59ID:GMk1BDKF対織田での頑張り度=勝頼>信玄
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 14:04:57ID:XAOMSYbE勝頼ではなく義信が武田の総裁になっていたら、
どうなっていたのかな。やっぱどのみち滅ぼされてたか
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 15:22:02ID:8QQNyGIX信玄は基盤固めで侵攻が遅い
勝頼はもろい基盤のまま逝け逝け
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 23:13:47ID:qWKPKbY9一勢力対一勢力、という意味で苦しめた大名を考えるなら、信長にとって敵はほとんどいないな。
ま、一勢力対一勢力として戦ったのなんて上洛前だけってのもあるけど。
苦しめた順に並べると 尾張統一戦>身内の>今川義元>斉藤
だろ。
尾張統一戦では数に劣りながらも何とか勝ったけど、織田を継いだ直後にこれなんて、本来相当やばい。
義元は勢力的な差で言わずもがな。わりとさっさと勝負ついたのが幸い。
斉藤の義龍・龍興に対しては、軍事力がやや劣勢だったので、少しずつ計略したり、国力増強による差をつけたりして、ようやく滅ぼしたという感じ。
これにくらべりゃ後の戦いなんて、一勢力そのものを恐れる戦いとは言いがたい。一対一ならとても苦戦するとは思えん。
力の部分で一対一でもそこそこ戦える相手を考えるとしたら本願寺ぐらいだろうが、その本願寺も実際はたくさんの勢力に囲まれてる状態の信長に負けてるわけで。
せいぜい、かかる時間の差ぐらいしか出ないだろうな。
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 00:34:06ID:9EYVmJH9なくて、その包囲網を構築した足利義昭の政治力こそ評価すべきでは?
三好三兄弟や松永久秀と和解して本願寺も参戦させて、あとは信玄という
切り札が本格投入されてれば、さしもの信長も潰れたかもしれない。
そういう絶妙なタイミングで挙兵に踏み切った足利義昭も侮り難い。ただ、
信玄が死んじゃって「ワシの死は三年かくせ。」とか言うものだから、何も知らずに
その後も信長に反抗し続けて、信玄の再来を楽しみにしながら自滅してしまったんで
間抜けに見えてしまうが。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 18:04:03ID:PK9NfMLs鬼、魔王、信長 対 優しい信長
現代風に答えてみました
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 18:56:54ID:BkE5j8760025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 21:34:09ID:QNB6nu7i普通そんな大病におかされたら、上洛前に気づきそうなもんだろ、自分の身体のやばさを。
だからこそ、「死ぬ前に慌てて行動をおこした説」はけっこうあると思う。でもこれをとると、
そんな状況で出たら、戦が長引いたらどうすんだよ!になってしまい、かなり信玄の評価を下げることになる。
ま、実際は上洛ではなく単純に家康との戦いだったんだろうが、それにしてもマイナス評価だ。
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:11:21ID:F+daUB1/つまりやみあがりでさらに無理押し。そりゃ死ぬわな。むしろ半年以上もよくもった。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:57:37ID:G3pyAW78でもそうなると(つまり信玄が、自分が本当にこの戦で死ぬ、と思っていたのなら)、
たとえば、「自分が途中で死んでも、指揮は誰々にやらせて戦を続けさせよ」、とか言うことも出来たわけで。となると考えられるのは、
1.まさか戦の最中に死ぬと思ってなかった。
2.死ぬかもしれないと思ってたけど、後のことまで考えてなかった。
3.実は死のうが死ぬまいが、あれぐらいやっただけで帰る予定だった。
個人的には、3がけっこうあるんじゃないかと思ってる。
確かに信玄が生きていて指揮を続けたら、なんて話は戦国時代好きなら一度は考えることだし、
妄想のしがいもあるから、あんまし言いにくいけど。
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