【武田】2万5千で上洛【信玄】その45
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:11:08ID:5MgUYlr3【武田】2万5千で上洛【信玄】その44
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151216688/
ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。
テンプレ
>>2-30ぐらい?
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:22:21ID:5MgUYlr3・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:22:59ID:5MgUYlr3>1-12 >45テンプレ
>17-21過去ログ関連スレ
>22-30 過去スレ>34-42スレまとめ
>38-99上野の重要性
>70-78官位、官職の重要性
>100-118上野北信濃を取らずに他方へ攻める・上洛するIF
>121-148信長信玄両者の情勢 戦略性
>145-200甲尾同盟は武田にとって利益か否か・駿河攻め
>182-282上洛戦について・兵の強弱・信玄信長秀吉の戦術能力
>294-339小牧長久手・秀吉家康の能力評価・信長の戦術能力
>376-396機動戦城攻め篭城殿戦など各戦術能力での比較・金ヶ崎の退き口・秀吉の軍功
>388一色藤長書状
>397-426信長と戦い大勝した場合歴史群像
>420-529源氏東国史観関東政権構想
>451謙信と家康、信長の間で対武田同盟(上杉文書・新潟県史391)
>458謙信家康の交渉ソース(本光寺文書)(堀江文書・元亀2年の条)
>462織田上杉同盟(真田文書・群馬県史2719)
>530-553信玄信長の戦術能力
>554-620越後攻略に専念のIF 越後豪族の離反の理由・大名権限の伸張と豪族の不満・
>621-687北条反乱の勝算 越後の地理天候
>687-709本拠地について・駿河攻め・三国同盟を堅持して美濃攻めIF
>703 66-69年信長信玄謙信年表
>710-715新発田の反乱
>742-750謙信上洛の効果
>780-787松永の裏切り先見性について
>788-823織田の家臣武田の家臣について・行政文書
>824-843武田家臣の出自
>828>837武田家臣一覧
>844-856信虎の外交方針政策
>875-967信玄の戦略
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:23:19ID:5MgUYlr3ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。
関東
上野:49万6千石/12400
甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375
東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450
北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:23:37ID:5MgUYlr3山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500
四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:24:04ID:5MgUYlr3●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
遠征後は20%ほどに増大
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
18(21?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。
総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上。領国の疲弊はすでに始まっていた
とする説あり、ただしソースは少ない。継戦能力にも疑問。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:24:29ID:5MgUYlr3・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。
総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。
●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。
総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:24:45ID:5MgUYlr31572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い
1573年
一月 三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。
三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。
四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。
七月 足利義昭京より逃れる。
八月 朝倉・浅井両家滅亡。
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:25:05ID:5MgUYlr3織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?
武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?
武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、石高的には10万石3000ほど
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、石高的には6万石1500ほど
北条の援軍が二千〜三千で、
遠征軍合計実数二万五千ほど
信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500ほど+北条の援軍2000〜3000
+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:25:30ID:5MgUYlr3●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。
総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。
●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。
●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領については、明確な根拠を示さない限り否定されます。
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)
総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。
●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。
総計1850〜2825
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。
●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?
●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:25:54ID:5MgUYlr3計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。
●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。
●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。
●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:26:14ID:5MgUYlr3三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)
畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。
・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。
総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。
四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には義昭信長につく。
・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。
離反は確実であるが織田に付いたとも言い切れない。
総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる
おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。和田池田伊丹などは義昭勢力。
総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:26:31ID:5MgUYlr3信玄が死去しなかったらどうなっていたかを推測
以下、1572年(元亀三年)末日の各勢力の状況
●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…99%(10000)*飯山以北は残す。
・上野…45〜50%(5500〜6250)
*利根川以西に北部と南部の東岸を加える
・駿河…99%(3750)
・飛騨…50%(500)
*江間150騎が先方衆となっている。元亀3年9月に木曾方面からの侵攻もあり
・越中…15%(1500)
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っている。71年には謙信に落とされているというのは
誤りで、近年は上洛開始時健在でほぼ確定。
・遠江…40%(2500)
*元々境の地域は両属の領主が多いうえ、徳川側記録に拠ると
侵攻により地侍が靡く様に寝返ったとある。東海道沿いに逼塞、ぺちゃんこ
・三河…20%(1500)
*山家三方衆を誘降、足助城を落とし、賀茂郡、設楽郡ほぼ全域・八名郡一部を支配。
・美濃…5%(675)
*秋山信友が岩村を制圧。
計32000〜33000 + 北条からの援軍2000
●織田
・尾張…100%(13000)寛永検地では52万石
・美濃…90%(12150)恵那を失陥 岩村遠山、郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…50%(9500)
*浅井・六角は追い詰め中。湖南のいつ蜂起するか判らない一向一揆。
・伊勢55%(8000)
*桑名・三重郡の一揆衆。南部5郡の北畠氏を除く。
・三河…0%(0)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族は家康の寄子。
総計43100
●徳川
・三河…75%(5500)
・遠江…60%(3750)
侵略しぬかれぺっちゃんこ
計9250 ただし味方が原の大敗でもっと減じている可能性大
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:26:54ID:5MgUYlr3・越前…100%(14000)
・若狭中、東部…70%(1500)
*若狭侵攻で一部を除く中、東部を支配、逸見氏・粟屋氏は織田についたため雪隠詰め
朝倉軍の一部が粟屋氏の居城を包囲中。(武藤氏が反織田に回った)
・加賀…20%(1800)
計17100
●浅井
・近江…18%(3500)
*伊香郡、高島郡の朽木、志賀境を除く、浅井郡7割、朝倉との関係上城は元々破却済み。
計約3500
●北畠
・伊勢…40%(5600)
*南伊勢五郡を領有、誰かが織田へ離脱したと主張し始めた国衆はもともと南勢ではない。
織田軍へ加勢するのは長島を根切りにした時の戦から。
計5600−α 織田は北畠一族や国衆を動かせないが
北畠も表立った行動は難しいかもしれない
●六角
・近江…30%(3000)
*騒動にて家中は崩壊状態の雑魚、甲賀郡他丘陵部を占拠、一揆みたいなもん
●三好
主体は阿波、讃岐、淡路の義賢一門、ただし長春は最悪
・淡路(1550)
・阿波(4600)
・讃岐(3200)
計9350 反織田、とはいえ交戦する情勢でもない
三好康長と
三好義継、松永久秀、俗に言う三好三人衆、三好政勝
・河内(6050)
・和泉(3550)
代替わりと内訌、微妙な存在
●本願寺
まあぱっとみ3万人、近江各地で蜂起する
●長島一向一揆
追い詰められた末根切りに遭ったのが2万人、おそらく3万前後かw
*信長の弟が拠る城を短期間に陥落させたこともある
●将軍義昭
プライスレス
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:27:09ID:5MgUYlr3・信玄が長生きする ○(このスレの最低条件)
・結束があんまりなかった信長包囲網がいきなり結束を固める ×
・他の大名が信玄を上洛させるがために信長を攻撃する ×
・上杉が攻めてこない △
・北条も決して同盟を裏切らない ○
・北条が更に援軍を送ってあげる ×
・武田軍が最低でも小説や漫画ぐらいに強い ×
・武田信玄が小説や漫画くらいに頭が良くて戦争に強い ×
・信 長 と の 決 戦 に 勝 つ (多分無理)
以上×3つ以内で上洛可能かと思われるが――
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:27:30ID:5MgUYlr3ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1026/1026581222.html
2万5千人ぐらいで上洛できっかよ、武田信玄。U
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1028/1028227935.html
2万5千人ぐらいで上洛できっかよ、武田信玄。III
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1028/1028801125.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その4
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1030/1030472538.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その5
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1036/1036512172.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その6
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1041/1041779630.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その7
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1044/1044101474.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その8
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1058/1058023120.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その9
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1064/1064639232.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その10
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1067/1067270259.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その11
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1070/1070514544.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その12 即落ち
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1074/1074840050.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その12
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1074/1074799402.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その13
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1076/1076242257.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その14
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1076/1076506638.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その15
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1077/1077469959.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その16
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1082/1082092902.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その17
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1085/1085640794.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その18
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1090/1090340107.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その19
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1092/1092161639.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その20
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1093/1093968735.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その22
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1102/1102343403.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その23
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1105/1105287697.html
【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その24
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1106/1106479691.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その25
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1107/1107409542.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その26
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1107/1107935106.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その27
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1109/1109158066.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その28
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1110/1110682907.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その29
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1111/1111668323.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その30
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1113/1113723907.html
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:27:51ID:5MgUYlr3http://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1113/1113723907.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その31
http://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1117/1117827440.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その32
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1119/1119098285.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その33
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1120/1120829881.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その34
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1125/1125398580.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その35
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1129/1129290639.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その36
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1131/1131364515.html
【武田】2万5千で上洛【 信玄 】その37
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1136/1136471056.html
【武田】2万5千で上洛【 信玄 】その38
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1136/1136471056.html
【武田】2万5千で上洛【 信玄 】その39
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1140/1140425180.html
【武田】2万5千で上洛【 信玄 】その40
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1143/1143284595.html
【武田】2万5千で上洛【 信玄 】その41
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1145/1145250277.html
【武田】2万5千で上洛【 信玄 】その42
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1147/1147078275.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】その33
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1120/1120829881.html
967-981 20スレ〜33スレまとめ
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:28:12ID:5MgUYlr3信玄だったら信長を倒せた?
ttp://makimo.to/2ch/academy3_history/1108/1108262931.html
【ちょい】信玄だったら信長を倒せた?弐【無理?】
ttp://makimo.to/2ch/academy4_history/1120/1120174130.html
武田信玄が生きていれば信長討ち取り天下統一か?
ttp://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1122/1122296944.html
武田信玄が生きていれば信長討ち取り天下統一か?2
ttp://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1125/1125907315.html
武田信玄が生きていれば信長討ち取り天下統一か?4
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1131967924/
武田義信が武田家を継いでいたら
ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/1004/1004178268.html
信玄の跡目は勝頼でよかったのかな?
ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/1005/1005175249.html
信玄の跡目は盛信じゃだめなの?
ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/1002/1002312781.html
武田勝頼はなぜ景勝を選んだのか
ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/1002/1002270251.html
武田勝頼を再評価しません?
ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/992/992195815.html
武田勝頼滅亡を防ぐには?
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1014/1014630361.html
長篠以後の武田勝頼
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1049/1049107921.html
もしも武田勝頼になったら
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1076/1076230098.html
続・もしも武田勝頼になったら
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1080/1080144607.html
続々・もしも武田勝頼になったら
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1096/1096046076.html
続々・もしも武田勝頼になったら
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1113/1113451571.html
もしも武田勝頼になったら Revolution
ttp://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1118/1118993785.html
もしも武田勝頼になったら Re-doing
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1143896192/
長篠合戦 武田の敗因
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1046/1046579990.html
長篠合戦 武田の敗因 U
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1047/1047832129.html
「長篠・設楽ヶ原の戦い」ー武田軍の敗因は?その3
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1070/1070044365.html
織田信長・武田信玄の経済力比較
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1032/1032775515.html
織田信長を客観的に分析するスレ
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1052/1052642625.html
信長は美濃を落とすのに何故七年もかかったのか?
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1068/1068477351.html
信長の戦略・戦術・外交・軍備を語るスレ 2
ttp://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1069/1069595694.html
織田家が凄まじく強かったのは何故なんだろう・・。
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1098/1098182927.html
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:28:32ID:5MgUYlr3ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/982/982355248.html
家康は野戦の達人と言われてるけど、どうなん?
ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/983/983168275.html
武田信玄VS上杉謙信
ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/983/983496799.html
武田信玄と上杉謙信、どっちが優れていたのか?
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1148675936/
氏康、信玄、謙信誰が一番イイと思う?
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1011/1011234955.html
氏康、信玄、謙信誰が一番イイと思う?2nd
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1012/1012811668.html
【武田】川中島合戦【上杉】其の壱
ttp://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1093/1093283225.html
信玄は何故信長を攻めなかったのか
ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/1002/1002283728.html
武田信玄は何で木曽路から美濃に行かなかったの?
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1012/1012538091.html
◆◆◆本当は大した事無い武田信玄◆◆◆
ttp://makimo.to/2ch/salad_warhis/996/996593797.html
徳川四天王VS武田四臣名
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1004/1004464589.html
織田信長vs武田信玄
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1014/1014409127.html
武田家は課題評価されすぎ
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1013/1013363631.html
どうすれば 武田 家は天下をとれたか。
ttp://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1131/1131987695.html
【木曽】武田家を裏切った人物【小山田】
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149941567/
イエニチェリ VS 武田騎馬軍団
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1141451033/
武田信玄、あと10年長生きしていたら・・・
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1011/1011297619.html
武田信玄の失策をあげるスレ
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1015/1015791701.html
妄想の中だけでも信玄は信長に勝ってたことにしよう
ttp://makimo.to/2ch/curry_warhis/1024/1024935089.html
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:28:51ID:5MgUYlr3>1-14テンプレ
>16-64経済力と兵力
>65-114近江の支配率 六角の状況
>115-206 72年末の状況 徳川の状況・採るべき行動・どれだけ粘れるか
>223-233岩村城は本当に重要か
>238-252信長の移動速度
>238信長の移動速度の資料
>253-257 73年3月織田は武田を無視していたか
>262 >264伊賀の国人衆 >265-266服部友貞 別スレからのコピペ
>265-296服部友貞 下克上が非難されるか
>305-329織田毛利武田の鉄砲使用例
>331-440石高の貫高への換算 銭の信用度価値 撰銭令
>350京都の米価推移 >366甲州金 >435小田開城人身売買(別本和光院和漢合運)
>436-517経済力と軍事力 傭兵 足軽>467足軽の初見
>527-566小山田・二股かけてる国人衆
>557-572松平家の一族争い
>573-600織田-熱田津島-水野の商業利権 信秀の那古屋城奪取
>594氏親晩年から1550年までの東海年表
>606-641兵站 農村への影響
>641試算によると300人役では農村には数%しか影響がでない
>642-694信長信玄の戦略
>691-693家督を継いだときの両者の状況 >694信虎の主な業績
>695-966武田信玄の戦略は正しいか否か 別の戦略を採った場合の可能性
>746「高白斎記」による小笠原との講和について >758-759信玄信濃侵攻まとめ
>772信長美濃攻め >808武田軍の弱さについて
>873信濃諸勢力石高 >877-878信濃郡別石高・信濃諸勢力石高・年代別武田信濃諸勢力石高
>817-827信玄は何故下伊那や木曽を後回しに信長は北伊勢を後回しにしたか
>833-971北条氏康と河越夜戦に準じる戦いがあったか否か
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:29:09ID:5MgUYlr3>1-16テンプレ
>18-187どうすれば上洛可能か 手取り川について 駿河攻めずに美濃を攻めたら
>178>180>184武田の上野攻めまとめ
>31-101織田家の武将の戦績
>125-160斉藤道三朝倉宗滴武田信玄の信長評
>188-195テンプレ詳細部分
>200-295高島郡恵那郡旧六角領 >241旧六角領まとめ
>355-398高島郡の状況
>355朽木磯野 >356多胡氏 >360島氏新庄氏林氏 >362平井山崎高島氏
>378高島郡まとめ >385高島郡の地形
>258-325信長公記とか甲陽軍艦
>326-376常備軍の虚構と農繁期の出兵 上洛時の武田の兵数
>375-415信玄は本気で上洛する気だったか >405>461恵那郡岩村の状況
>418-453織田武田を取り巻く状況
>422-443 72年の武田上杉の戦争
>454-500徳川へ援軍は必要か
>444-452秀吉の手勢 >606-617前波吉継ら朝倉降将の具体的人数ソース
>465「顕如上人文案 巻上」1572(元亀三)年9月10日付 、信玄宛の顕如書状
>471-491二俣攻囲はいつか
>484-523三方ヶ原後の武田の行動 徳川の抗戦力 >515「菅沼記」
>524-585武田織田決戦したら 信玄の戦術戦闘能力 信玄は自軍と互角の軍に勝てるか 国境の国人の動き
997 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/11/07(月) 21:26:29
>564-568 >642-674姉川後の浅井と吉田城が落とされた場合の徳川の比較
>661-670数値での浅井徳川国力比較
>580-641徳川は従属するか否か
>663 72年3月に木戸田中城を攻略のソース
>672「京都市小石暢太郎氏所蔵文書」
>682-718 家康の状況 武田に主要な城を攻め落とす戦力があるか 分断できるか否か
>709東海道の諸城
>719-771信長は武田を気にしていたか否か
飯田方面の地理 三河から岩村への進軍 武田滅亡時の織田の行軍路
>723-861吉田城について >769地図へのリンク
>809-810>827三河の城の説明 >817吉田城リンク
>787-823背水の陣と韓信と史記
>852-866伊勢の支配率
>864>884領地の安定化
>890-897徳川降服の可能性
>873-994徳川配下の国人衆の離反の可能性
>984-993平城と山城について それぞれの長所短所
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:29:26ID:5MgUYlr3>1-15テンプレ
>19-50吉田城を落とせるか落とすべきか 東三河情勢
>32-101武田の軍事行動の期間 >52-53武田家の主力の主な出陣期間
>92-141武田の財政は逼迫していたか 大名の財政事情と軍役
>125-146石見銀山
>136-145今回の遠征の武田の目標
>148-224信玄存命時のIF 武田の軍事行動の限界
>189-203三河遠江と川中島の距離と策源地の違い
>211-220 1574年の対徳川戦線 >220 1574年武田織田の行動
>225-245別働隊で徳川主力を拘束すれば
>246-339織田を滅ぼせたらどうなるかとか武田に天下が取れるかとか雑談
>340-380武田の家臣は優秀か
>381-406信玄が死ななかったらIF年表
>392-414武田の支配権の不徹底さ >392領内で発給された書類に占める命令系書類の割合
>416-465雑談真田とか勝頼
>466−528武田信虎の軍事行動 >527年表
>530-538信秀信虎比較 >543信忠の内政的な実績
>554-566武田信虎と北条の関係
>581-590三国同盟のときの石高
>591-618権力基盤の確立
>619-775信玄堤とか運とか雑談
>776-786武田義信
>787-799駿河侵攻の是非 駿河をとった後織田と戦わないIF
>800-833北条の国力 何故北条は武田と敵対したか >800関東諸国の石高
>834-957雑談妄想話
>850-851穴山
>933徳川武田領地図
>946新府城安土城再現グラフィック
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:29:51ID:5MgUYlr3>1-32テンプレ
>150-153>237-242過去ログ
>61-207>225-235長篠の戦いと徳川の強さ >188-190信長公記より抜粋長篠
>193-223信玄信長の戦術能力 斯波小笠原について
>245-292織田との講和と信長への降伏真田 勝頼降伏のIF
>293-359 73年織田の兵の配置について 何故石高兵力を求める必要があるのか
>328-334 当時の諸勢力
>360-457近江伊勢石高飛騨加賀など
>395-396南近江諸豪族 >404伊勢国人衆 >408>410高島郡
>427>428>430加賀の朝倉領まとめ >444>446飛騨江馬氏まとめ
>458-511 73年織田の兵の配置について >472テンプレ修正
>497-521伊勢近江
>499北畠氏学講座リンク >508高島郡 >519>520修正テンプレ
>526-533石高以外の経済力
>540-553浅井郡について >546まとめ
>559-624北畠
>630-691飛騨越中畿内諸勢力上杉の動向
>692-805北畠と南伊勢 >706本願寺からの贈り物
>754-766江間について >757テンプレ時の江馬に関する書状 >791謙信の越中の行動
>812-820軍鑑での参陣武将
>824-882武田織田の兵質戦術能力 兵農分離について 馬廻りの割合と蔵入地
>877-881上杉の関東での略奪行為人攫い 雑兵たちの戦場
>859-909北畠加賀など
>911-981武田織田の兵質戦術能力
>935-994三増峠の北条軍
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:30:12ID:5MgUYlr3>1-21テンプレ
>32-39官位の自称
>60-83本願寺一向宗 三好三人衆の動向と石成について 義昭蜂起に協力した者
>78-100経済力
>90-143織田武田領国の寺社領と大名の寺社勢力への対応
>120-222武田の軍役衆の増加とそれに伴う収入減支出増・財政悪化?があるかについて
>120両棟別共御赦免の書状 >182棟別改
>218-249武田織田の指揮官クラスの死亡について 武田の戦場での強弱
>248-281原田直政について
>268-297 >368-369信長の人事・処罰・追放改易など
>296-357家臣の領地替え
>250-259戦国時代の農村状況・耕地不足か人手不足か
>370-389分国法
>390-571米以外の大名の収入源
>401信長の畿内への矢銭要求のソース?「細川両家記」「多門院日記」「多田院文書」等
>417-418謙信の商業政策
>428-429織田信秀4000貫のソース
>434-469茶器宝物の値段
>470-479甲斐の棟別銭収入の推定
>480-561特産物収入と検地の石高の範囲
>562-571銭について
>572-714信長の上洛への戦略的一貫性?武田の戦略 三河美濃攻め・駿河取得後上杉と決戦の可否
>623義昭による織田斉藤の和議と破談ソース
>648年表
>715-766NHKの信用性 信玄は甲斐の石高を3倍にしたか
>753甲斐郡別石高 >758信玄堤
>767-983甲尾同盟前の三河美濃攻めの可否
>888-988本拠移転
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:30:35ID:5MgUYlr3>5-20テンプレ
>68-126松倉城主椎名氏の70年代の動向 >77『北陸の中世城郭第15号』
>69-117本拠移転
>128-150遠山氏
>140-149NHK問い合わせ >140NHK返答
>151-215戦乱と災害の影響について >155>175>176災害年表
>259-300上洛の可能性
>301-387 1573年の朝倉上杉の動向
>342朝倉始末記 >362福井県史リンク >374 1573年年表
>385-448包囲網 上洛の可能性 吉田周辺の状況
>450-494水軍について
>466武田水軍の規模 >475水軍説明のHPリンク >477武田水軍コピペ
>485-607吉田城攻囲の可能性二俣野田攻めについて
>497吉田城 >596野田城説明
>623 1573年の徳川の反撃
>669-712 1573年の朝倉本願寺の動向 抑えの兵力
>719-734畿内諸勢力
>728>734摂津河内和泉諸勢力の説明 >732安宅信康の織田に付いたソース
>735-758畿内の状況
>759-810農繁期の出兵
>768>770農繁期の出兵年表
>811-937畿内諸勢力
>817摂津寺院 >826和田惟長を高山親子が追放のソース >891三好康長について
>897>937安宅信康の織田に付いたソース
>866-870信長公記の誤記 >869ソース
>943-973朝廷への貢献
>950信長の朝廷への貢献
>962>971>990ソース >961>963三好長慶の朝廷への貢献 >973若狭の朝廷への貢献
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:30:55ID:5MgUYlr3>1-16テンプレ
>27-46寝返りそうな武将
>48-174武田織田の大名権力 穴山・小山田
>59北条分限帳>75荒木への述懐天正4年公記
>83-174穴山氏について
>119穴山氏による金山支配 >157ソース >170デジタル身延町史リンク >172穴山氏の金山経営コピペ
>175-195春日馬場の軍役
>259-279信虎の戦略・村上・勝頼時代の北信濃政策
>276-317大名の個人的武勇
>311-339甲陽軍監の信憑性
>388-435信虎の戦略政策と信虎時代の関東東海の状況・信玄との比較
>420-421信虎相続時の甲斐の状況
>438-510信玄の戦下手について
>511-605 >690信虎の戦略政策と信虎時代の関東東海の状況・信玄との比較
>530>546>549武田今川の対等では関係 >572-573上杉北条の力関係
>584関東年表
>606-621謙信の上洛
>700-714指揮官の戦死
>796-800勝沼信元 >799ソース
>865勝頼が陣代ではないソース
>881>889信玄の負債による勝頼の軍役猶予の書状
>801-942家臣の統制上洛できるか
>944-947信長の庶長子・子供の待遇
>955-993姉川の戦い・大名の強弱 >970姉川の戦い信長公記現代語訳 >978姉川の戦い「年代記抄節」
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:31:15ID:5MgUYlr3>27-41テンプレ
>49-57軍記物での動員兵力
>52-100大名の評価・軍の強弱
>88-148武田軍の戦闘力と川中島の勝敗
>109>111村上旧家臣 >132上杉年譜や軍鑑の説明 >148第4次川中島に関する書状
>149-185武田上杉の財政と領国 牢人や当時の戦場の状況について
>162コシヒカリ
>210-240包囲網の齟齬について朝倉退陣の是非
>241-261 73年正月の織田軍の機動兵力 援軍無くても同盟は成り立つことについて
>262-291織田軍の冬の軍事行動の少なさと家康が援軍を求めたか
織田軍は包囲網の実情武田軍の実情を知っていたのか
>292-330徳川がどれだけ粘れるか・浅井との比較 大須賀の謀叛の理由について
>331-394朝倉退陣の是非・包囲網全体を考えての行動 浅井徳川の状況
>372-429羽柴対浅井朝倉と朝倉始末記
>386始末記の記述>428始末記成立年
>431-445信長は包囲網の内情を入手していたか・情報機密について
>446-539包囲網崩壊の原因について 畿内諸勢力がどれだけ粘れるか 武田軍の圧力の効果
>480岩成の滅亡年表 >514>515野田表撤退柴田等出陣年表
>490-645大名の長期遠征・略奪
>560>561上杉の長期遠征 >597>616大内の遠征
>625-706武田の関東遠征の目的と効果 654深沢城攻め
>707-767短期決戦と長期遠征における背後の安全・北信濃防衛 上杉の足止め
>757-766信長最初の上洛 >760信長謙信の上洛
>784-923長期遠征における背後の安全・北信濃防衛 上杉の足止め
>814>833>836川中島後の信濃での戦い
>859「古今書状」「信長文書の研究518」>889>895謙信68〜69年年表
>912>919>922上杉外交関係のソース
>917室町後期の主要な酒生産地
>954-990上洛の可能性・大名の家督継承
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:31:39ID:5MgUYlr3>7-32テンプレ
>33-61テンプレの正誤について
>45>50小浜の所領安堵 >59>96織田の堺代官
>62-126 >149-166川中島以後の上杉の対武田信濃への行動 城の守備兵力と防衛力
>196-240武田上洛の可能性
>239-261嫡流断絶後の両家
>256-286甲尾同盟と越尾同盟
>265>269年表
>287-360武田戦績浜松攻めの可否信長の戦術能力
>287-290>303>325>326>339>342344>346武田戦績
>359-388真田など >364大熊朝秀
>422-437織田の援軍・出撃の理由・領国荒らしの効果
>454-484>494-537武田の採るべき徳川戦略・徳川の抗戦力と浅井六角の抗戦力
>485-493短期間での大名の滅亡・大敗の滅亡への影響力
>570-572武田氏参考本
>565-580野田城
>573-630北遠江の城の数支配領域東三河の支配領域 >630奥山への安堵
>677>685東美濃十八城 >687リンク先ソース
>694-742武田織田の領民への統治・税
>717竹生島参詣 >737NHKコピペ
>768-792信長の一向一揆殺戮について >775長島攻め
>793-848大名の寺社政策・寺社同士の抗争
>852-986北遠江諸城・落しただけか支配下か・武田の勢力範囲・北遠江の安堵・孤立した城
>852北遠江諸城一覧 >881北遠江の安堵状報償 >893充行の日付
>909久能城リンク >928武田進撃ルート
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:32:19ID:5MgUYlr3>1-25テンプレ
>39安堵状と宛がい状>50の城
>54-71上洛できるか 武田の老臣は老害であったか
>80-114天野氏「遠江国風土記」
>97-138織田武田家臣能力比較
>148-210天野氏 >50の城 大日本史料等についての説明 遠江北中部の推測 捏造か否か
>151活字化 >154見付端城
>215-217発言まとめ安価
>233-247天野氏宛の充行状 >233まとめ
>248-279武田の重税織田北条との比較
>255>258武田の税 >266-273北条の税 >279北国国掟
>274-310信玄の金山支配
>304-352堺の支配 義昭追放時護衛したか否か >327義昭追放時の処置ソース
>355-358鉄砲硝石の入手
>359-377遠江国風土記傅天野文書の写し >359>372遠江国風土記伝
>381-403数年速ければ三河攻めの可否
>400-443遠江国風土記伝安堵状と宛がい状続き >400遠江国風土記伝内容 >404疑問点
>420-454武田直轄地
>462-477駿河侵攻と外交
>494-510土屋昌次の奏者としての働き矛盾点充行状の内容の不自然さ
>507不自然な点まとめ >510平尾・鶴松之内百貫文説明
>525-554武田上杉の対朝廷幕府外交・関東管領・信長の地方大名との外交
>555-632土屋昌次天野氏敷地・長田・飯田村の位置
>561天野氏系図リンク >592-595書き出し >600松井氏リンク
>602書き出し土屋右衛門尉書状は奥山文書から引用 >607天保国絵図リンク
>644-676意味解釈 >644大日本史料にあった奥山氏宛の書状 >656書き出し >669-671現代訳
>705-743書き下し意味解釈 漢文古文
>729発言まとめ安価
>745-755かごめかごめ〜という童謡の意味解釈
>774-903書き下し意味解釈 漢文古文
>795本文要約 >870なほ【猶・尚】(副詞)
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:38:37ID:5MgUYlr3武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153644378/
武田家滅亡を防ぐには
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154886583/
お前らは謙信と信玄をなめすぎな件
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1155501776/
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:49:17ID:A6AxGucR>>1乙
でも>>12までと>>30で良くないかテンプレ?
残りの過去スレとかまとめは今までみたいに5スレに一回ぐらい載せれば十分なんじゃ
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 19:21:04ID:VOzZGMoO乙
しかし長いテンプレだな。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 19:30:42ID:q1cyG4Tvところで、前スレの>>999。
史実で織田と同盟を結んだ時期に、逆に斉藤と結んで織田を牽制と言うのはちょっと無理。
そこまで西にかまけていれば、せっかく大詰めの段階に入った西上野制圧が遅れてしまう。
西上野を制圧しないままではそこは上杉の勢力圏で、
北信濃は北と西から上杉に圧迫されていたことになり、信濃からの動員さえおぼつかないから、
その情勢で本格的に尾張・美濃の争いに参入するのはちょっと非現実的でしょう。
やはり、信長と境を接するようになった段階で、既に西上野の制圧まで終わっていたなら、
上杉を牽制しつつ尾張・美濃の争いに参入、
あるいはそれを横目で見ながら、三河侵攻って手も考えられたと思うけど。
西上野まで押えた勢力なら、史実においてその勢力で今川攻めや、
三増峠の戦いを行っているので、ある程度の兵力はねん出できただろうし。
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 19:35:13ID:PDVhsKjYど う で も い い よ
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 19:35:46ID:+yohcuhtテンプレ貼りご苦労
0036ダイジェスト野郎は中立なのだ
2006/09/09(土) 20:26:26ID:6iycrna0元亀三年(1572年) 武田信玄上洛への道 ダイジェスト
○甲斐の武田信玄起つ
10月3日 武田信玄、甲斐国府中から大軍を率いて出陣。
──『本願寺文書』
10月22日 織田信長、徳川家康へ武田軍との決戦を前
に、簗田広正に作戦を申し含めた上で簗田を派遣した旨
を通知。──『田島文書』
11月5日 朝倉義景、遠藤加賀守へ武田信玄の遠江国
出馬と遠江国・三河国の状況を山崎吉家に注進した内
容を披露した旨を通知。──『鷲見栄造氏所蔵文書』
11月12日 武田信玄、遠藤加賀守へ遠江国過半の
平定と明春(1574年)の美濃国岐阜の攻略予定を
通知。──『鷲見栄造氏所蔵文書』
0037ダイジェスト野郎は中立なのだ
2006/09/09(土) 20:27:35ID:6iycrna0○信玄の快進撃つづく
11月14日 武田信玄、美濃国岩村城を攻略。
──『鷲見栄造氏所蔵文書』
11月15日 浅井長政、遠藤加賀守へ武田信玄との
密約(同盟)が締結された旨を通知。
──『鷲見栄造氏所蔵文書』
11月19日 松永久秀、大和国片岡の近辺へ出撃し
放火す。この日、信長は武田信玄が遠江国二俣城
を攻囲したことを知る。──『信長公記』
11月20日 織田信長、上杉謙信へ全5ヶ条にわたり
織田信長と武田信玄の敵対状況と、その経緯等を
通知。──『歴代古案』『古証文』『武家事紀』
0038ダイジェスト野郎は中立なのだ
2006/09/09(土) 20:28:37ID:6iycrna0○三方ヶ原の戦い
12月22日 遠江国三方ヶ原に於いて武田信玄率いる
武田軍と徳川家康率いる徳川・織田連合軍が激突。
──『信長公記』
12月22日 遠江国三方ヶ原合戦に於いて織田・徳川
連合軍が武田軍に敗れ、長谷川橋介・佐藤藤八・
山口飛騨・加藤弥三郎ら、織田軍の諸将が
討死。──『信長公記』
0039ダイジェスト野郎は中立なのだ
2006/09/09(土) 20:30:39ID:6iycrna0○試練の時 元亀四年(1573年)
1月2日 穴山信君、多胡惣右衛門尉(浅井氏家臣)
へ武田信玄は朝倉義景・浅井長政と申し合わせて
遠江国・三河国へ「出張」し攻略したこと、三方ヶ原に
於いて徳川家康軍と織田の援軍を撃破したことなどを
通知。──『武家手鑑』
2月7日 武田信玄、三河国野田城を攻略す。
──『信長公記』
○流れが変わる時
2月23日 織田信長、遠江・三河周辺を攻略していた
武田信玄は、去2月17日には、早、野田表を撤収したこと
を通達。──『細川家文書』
2月26日 浅井長政、足利義昭御内書が武田信玄に
下されたこと、東美濃へ武田信玄が出撃し加治田城・
つぼ城を攻略したこと、朝倉義景も間もなく出陣する
旨などを通知。──『小島明氏氏所蔵文書』
つづく。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 00:24:04ID:njZw5HIKとか言い出したのではないか?信濃制圧時点で甲斐〜美濃は移動可能で
岩村城に重臣配していたから、今川領は徳川の餌にしとけばよいまいか?
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 00:28:21ID:Mlm/6xhf一気に膨張した大名家は、大抵その前に一大決戦やって勝ってるもんな。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 05:18:29ID:dlraZcjY今川攻め三増峠は本庄の反乱や一向一揆、越中諸勢力の離反中の出来事だから
それらを数年早く煽動していれば可能かも。
>>36-39
乙
ただ11月12日や2月26日の手紙見ると宣伝文書だな〜って気になる
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 11:01:10ID:GK4QFeHdそれには包囲網の圧力がきつくなったり、信玄が調略で信長家臣の裏切りを増やすとか
信玄の調略が信長の家臣に揺さぶりかけることはどれくらいできたのだろう?
そういう話はあまり聞かないからな。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 12:30:01ID:Et+1cer2三条は上洛決意する前に死んでるべ
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 13:16:20ID:6NSJ+/CBとりあえず徳川潰してからじゃないと挟み撃ちに…
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 13:35:58ID:jvWf3xke織田との兵力差が広がって信玄が不利と言う意見が優勢だったかな。
実際は、
織田の兵力が少なければ、信長は決戦したがらない。
武田の兵力が少なければ、信玄は決戦したがらない。
織田と武田の兵力が互角なら、お互い決戦をしたがらない。
になって、決戦なんかしないと言うのが現実だと思うけど。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 13:56:26ID:DYzq+VMS信玄は健康上の理由を除けばあえて不利な決戦をするタイプじゃない。
当初の目的はともかく、決戦にはならないだろうね。
ただどちらの場合も徳川を放置したのはわからないなぁ。
上洛決戦にせよ三河切り取りにせよ。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 14:05:52ID:rQ+PwJw2徳川を降すなら、わざわざ主力が篭る城を攻撃するよりも、
その根拠地である三河を攻めたほうが効率がいいよ。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 14:51:51ID:jvWf3xke三河将兵が離脱して、浜松に篭っている遠江将兵(旧今川家臣)の比率が多くなったら、
信玄に内通するやつも出てくるかもね。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 19:03:38ID:aMCPqD810051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 19:40:36ID:QVHttQLE山奥に篭っていた史実の信玄は賢いと思う
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 19:55:42ID:favK8dMU0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 20:02:18ID:lMl3xdfV0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 21:01:54ID:jvWf3xkeまぁ「かも」って言うだけだからね。
武田にも駿河将兵が居るだろうし、そのツテでって言う感じかな。
上洛軍に駿河勢はあまり参加してなさそうだけど。
0055名無しさん
2006/09/10(日) 22:28:23ID:2ZM9CmC80056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 23:59:42ID:11Z5ltmVこれさえなかったら、信玄の上洛作戦ももっと早くに行われていただろうに
にしても、晩年の氏康は血迷っていたとしか思えん
北条の夢(関東制覇)を保証していた甲相同盟を破棄し、
上野、北武蔵を上杉に割譲までして越相一和を結ぶなんてさ
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 00:22:25ID:kuUr2gHq今川方にも非があるのならば、宣伝工作や北条取り込みを画策しても良いはずだが、
それすら行わずいきなり侵攻しておいて、武田を信用して同盟続行しようぜと言う方が無理。
北条だけではなく、徳川との駿河−遠江割譲案を反故にして無用の恨みを買う辺り、
この時期の信玄が血迷っていたとしか思えん。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 00:40:13ID:vz0ZHFPK0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 01:40:29ID:Epdcuw0w血迷った時代だったのだよ
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 01:50:17ID:0M6YlW4D大名にも復帰できず後北条以上の愚を晒した今川ワロスw
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 02:40:30ID:Epdcuw0wまあ「血迷う」にも色々あるだろう
>>57程度で「血迷う」なら、あったと思う >>58とかは論外ねw
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 03:09:21ID:9s0cu97fって言われてもまともな回答が出来てないし
信玄の采配を批判する奴は長野や村上に負けた事だけを
あげつらうだけで、勝率の高さや領土が拡大し続けた事は無視。
「弱い相手にしか勝ってない」とか言ってる奴は論外。
死を目前にした信玄が外交関係にしても無謀な上洛にしても
かげりが見えたというなら、まだわかるのだけど。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 03:11:15ID:7T+6qthI村上が泣きついたのは越後の戦争屋集団。しかも「義」によって
噛み付いてくる迷惑極まりない相手。離間策で叛乱起させるも
戦術は恐ろしく巧みで軽く鎮圧されるわ、意地になって利の無い
川中島で4回も戦うハメになるわで散々。諦めて同盟破棄して
駿河攻めたは良いけど、許されるならこっちがやってたわ!と
ばかりに北条のオッサン怒らせて三増峠でまた戦争で痛みわけ。
三方ヶ原で徳川ボコって上洛目指したら途中でアボーン。
戦術や施政面ではトップクラスなのは認めるけど、戦略では
全て裏目にに出てる気がするんだけど、気のせいか・・・・。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 07:03:47ID:u4BOhkozじゃあどうすればいいかって?
単純に駿河侵攻時に北条に話を通して駿河の一部割譲くらいで、
黙認してもらうようにしておけばよかった。
北条だって立派な戦国大名、義だの情だのだけで今川を助ける義理もないし、
自分では動かず領土が増えるなら悪いことじゃあない。
今川の上杉への接触は武田に対する牽制のつもりだろうが、
北条に対する背信行為ともいえるから、そこら辺で名分も立つ。
加えてせっかく盟を結んだ徳川とまで敵対してしまったのは全くの愚作。
あせり過ぎた、欲をかき過ぎたが故の失策としか言いようがない。
私は信玄の戦略は概して正しかったと思うが、
駿河侵攻時の外交的な失敗ばかりはどうしても隠しようがないだろう。
>>64
そこで示されているのは、主に戦術に関してで、
戦略についてではないと思いますよ。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 07:07:01ID:WXs31Ciyどうしたらよかったのかは>>57あたりが言ってるよ。
勝率が高いって、他大名と比べてどれぐらい高いの?
相手が強い弱い云々はそれ言い出すこと自体が論外だよな。
そして上洛に関しても徳川平定が目的だったとなればそれほど無謀な行為でもないぞ。
信玄フォローしたいならそこまでしてやれよ。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 08:06:19ID:9s0cu97f武田は戦をして領土は北条に割譲するなんて有り得ないよ。
あるとすれば共同戦線だけど、下手したら
北条を敵にしながら今川攻略しなくちゃいけなかったし。
たしかに信玄は外交において全く信用を築けないのは問題だけど
俺が言ってるのは「信玄は望んで北条を敵に回した馬鹿」
みたいな極端な事ばかり言ってる奴へのレスだと思ってほしい。
>>66
70戦くらいして3回しか明確な敗戦が無く、領土を拡大し続けた武将を
「合戦下手」と言うのは無理があると言ってるのだよ。
別に擁護だのアンチだのに興味はないし。
ここが信玄をひたすら罵倒するスレだと言うなら大人しく去るよ?
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 08:24:32ID:WXs31Ciy随分と敗戦の基準が甘そうな査定で。
で、その三回の敗戦した戦は?
それから勝率聞いてるんだけどねぇ。
ついでに他大名との比較も。
勝率持ち出して「信玄は合戦下手じゃない」というなら他大名と「勝率(引き分け除く)」が遜色ないこと示さないと。
上洛云々に関しても>>66のほうが現実的だろ。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 08:28:44ID:b1gbAjM0>下手したら 北条を敵にしながら今川攻略しなくちゃいけなかったし。
実際、北条を敵にしながら今川攻略しなくちゃいけなかったから外交下手って言ってるんだけど。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 08:37:54ID:JrI0S00E戦った時の国力比でもって強い弱い言うのはある程度客観性があるから有用だと思う。
>>67
>70戦くらいして3回しか明確な敗戦が無く、
まずここから間違い
ついでに合戦をどのように定義している?
信玄が戦下手と言われたりするのは戦術戦闘面での話しであって
その場合だと領土の拡大はあまり関係無いし。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 08:54:35ID:JrI0S00E個人的には小岩岳や砥石での敗戦は城攻めの失敗だから
野戦での戦術能力や武田軍の戦闘力の低さを照明する例にはあたらないんじゃないかと思う。
問題は相手を上回る兵力でありながら戦闘面戦術面で負けた上田原や川中島ではないかと。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 09:40:51ID:9s0cu97fそう言ってくると思ったから「明確な敗戦は3回」と曖昧に書いたんだが。
他大名との比較なんて意味あるの?
どう考えても勝ち戦は負け戦より多いんだが采配下手?
>>69
途中計画は失敗で援軍まで呼ばれたが、結局は駿河を平定して
氏政とは同盟結んでるよ。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 09:58:09ID:9s0cu97fたしかに駿河を巡る一連の外交関係は失敗したと思う。
ただ具体的に北条と仲を保ちつつ、駿河侵攻をするなんて
極めて難しい話だったろうって言いたかった。
「下手したら今川と北条を敵に〜」というのは変な文だ。すまない
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 10:20:46ID:HbDwRA4l戦下手戦略下手戦術下手戦闘下手だろうけど
全体としてみるなら十分一流に入ると思う。
たとえそれが弱い相手にしか勝ってないと言ってもね。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 10:40:26ID:iQ2eR/bzはっきりいって戦国大名としては、戦い上手よりもこちらの方が数段上。
戦闘は強いが領土は(晩年まで)大して増やせなかった謙信をみれば明らか。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 11:01:03ID:vz0ZHFPK0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 11:30:11ID:HbDwRA4lそりゃ秀吉と比べれば落ちるけど
力攻めも信長秀吉と比べると少ないかもしれない
織豊政権が得意とした付け城による包囲戦術などもなく
普通に調略で孤立化させて落としたり後詰を無力化して開城などの基本に忠実な戦術だけど
それは織田も毛利もみな同じだし。
あくまで織田なんかと比べるから劣ると思うだけで一流と言っていいと思うけど。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 15:16:35ID:zifz8Q37携帯からだから分からないだけで、どっかを縦読みするのか?
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 18:53:57ID:WXs31Ciy予想してるんなら最初から書けばいいのに。
信玄の勝率が五割ぐらいだとして、他の大名が八割ぐらいの勝率なら「采配下手」になるわな。
だから他の大名と比較して欲しかったんだけど、具体的にに知らないからごまかしてるの?
プロ野球全体の打率なんかが四割ぐらいだとイチローなんか極々平凡な選手じゃん。
実際は全体の打率がもっと低いから名選手になってるけどさ。
結局率だけ持ってこられてもどうしようもないじゃん、比較対象がないとさ。
敗戦の基準も明確にしてないし、いくらでも都合よく変えられちゃうじゃん。
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 19:31:05ID:HbDwRA4l政治家としてなら
戦略目標を達成していない引き分けなどは負けと同義と思う。
ま、上で言ってるのは戦場における采配軍事指揮に限っての話みたいだから話がずれるが。
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 19:41:46ID:HbDwRA4l城攻めにおいて調略などが主体なのはどの大名も同じ
ただ織豊政権はそれ+付け城戦術があるということ。
秀吉なんかと比べると劣るとはいえ調略においては武田も優秀
十分実績がある。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 22:37:57ID:GGDOvvgQ戦略面において後手に廻った後の結果だからね。
いまいち評価しきれないのも致し方ない。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 22:58:26ID:u4BOhkozだから、獲得した領土の一部でも渡すという条件で北条が断る理由はない、
取った領土は全部自分のものにしようとするから「極めて難しい話」になってしまうだけ。
また、仮に北条との敵対が不可避、或いは覚悟の上なら、
せめて徳川との敵対は絶対に避けるべきだった。
それをもしくじったのは難しい外交だったからと言うよりも、
外交が下手だったからと言う方が適切だ。
今川攻めの時の外交が失敗だったということは認識しているようだけど、
その原因が「極めて難し」かったから、などと言うのは言い訳以外の何物でもない。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:44:55ID:Epdcuw0w0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:59:30ID:5ZPeSEN2北条氏康が利害得失を冷静に考えていれば、
今川の排除、武田の駿河領有を前提とする甲相同盟は成立し得たと思うんだが
戦国の非情の論理を忘れ、娘への肉親の情に引かれ、
弱体の今川との関係を切ることをしなかった氏康の決断は信玄にとって晴天の霹靂とでも言うべきもの
だから甲相同盟の破綻は、信玄の戦略ミス、計算違いと言うより、氏康の暴走が原因だと思う
また上野、北武蔵を上杉に割譲することにした氏康の決断は、
北条の夢を大きく後退させ、名胡桃問題の遠因になったようにも思うんだよね
やはり、氏康は耄碌していた、と言って良いと思う(三増峠の戦いの時も行動が鈍かったし)
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:59:44ID:4C0ADYq9河東は北条にとって貫高以上の意味のある土地だから、
抱き込める可能性はあり得るかと。
また、氏真が上杉と提携を計っている事を強調すれば、
消極的賛同くらいは勝ち取れたかもしれん。
外交努力無しで四方に喧嘩売る様な武田家に外交センスを求めては行けないのかも知れないが。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 00:18:13ID:cCdytYPtお門違いも甚だしい。
事後承諾で、一方的に同盟破って今川滅ぼしたけど以後も変わらず四露死苦とか言われて、
はいそうですか、なんて答えを引き出せる訳がないだろ。
そんな奴信用できない。
まあ、武田にとっても北条にとっても、そして上杉謙信wにとっても
この甲相戦は失ったものの方が大きい戦いではあった。
武田・北条がわざわざ衝突する事はなかった、
だからこそ武田は北条を取り込むべきだったし、北条も有る程度の所で妥協すべきだった。
しかし、武田がその一番前提となるべき交渉すらしなかったことが問題。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 00:25:30ID:KMWUliVm可能性微妙とあっちゃ、必ずしも取り込みを試みるべきだったといえないのでは?
まして取り込みを試みない決断を血迷ったとは・・・
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 06:06:48ID:boAJFZJR強力な勢力に駿東を取られると伊豆相模分断の危機、
本拠地小田原に近すぎるとかもあるのかもしれないが
後に武田徳川と同盟しているからそれはないだろうし。
裏切りを重ねている信玄が信用できなくなったのか
娘が心配だったのか
ただそんな心情的な理由で動くほど戦国大名が甘いと思えない。
氏康が武田に攻撃を仕掛けたのは信玄が徳川に手を出した後だから
北条上杉徳川で組めば武田を倒せると考えたからだろうか
その方が毎年攻めてくるうっとうしい上杉を相手にするより
効率的と思ったのだろうか。
>>88
徳川と事前交渉していますが
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 08:28:57ID:QdGSjJcF氏康が予想外の行動したって言うのは、信玄の読み間違いなんだから信玄のミスだろう。
相手が予想外の行動したから自分のミスじゃないって言うなら、
外交下手な奴は居ない。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 09:31:17ID:f0bIhSM9織田と比較したくてしょうがない。
「信長と比較すれば信玄は雑魚」って言いたくてたまらない。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 09:40:12ID:Yal1qg3N北条氏にとって考えれば、西方は二分されたまま安定してたほうがありがたい。一者だと裏切りの可能性が急上昇するから
一番良いのは自力で領土にすることだろうが、東方を中心に敵を幾つも抱えてるから結局できず、次善の策で武田と再同盟…というところだろう
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 10:08:19ID:wbKh64No>>79のどこにも織田の織の字も出てないわけだが。
余程のコンプレックスがあるのか?
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 13:27:49ID:9ho1I4Iw第一に娘の無残な逃走劇&信玄の一方的かつ理不尽な領土欲への嫌悪。
謙信とは別の次元で義理や人情を重んじる氏康だからなあ。
上杉憲政嫡子を北条に売り飛ばした上杉家臣を惨殺した過去もあるくらいかなり潔癖。
実権が実利的な氏政に移っていたら河東分割とか交渉しだいでなんとかなっただろう。
第二には>>92の言うとおり勢力均衡が崩れること。
甲府と小田原は近接しているから武田は潜在的脅威だし駿府に友好大名がいないと関東攻略が不安定。
もともと武田に比べれば今川との関わりの方が深く古かったわけだし武田が河東から
史実の西ではなく伊豆相模へ進出する野心が見えたのかも知れない。
そうなれば河越夜戦以来の悪夢、東北二正面に大敵を抱えるわけで関東に野心がある氏康には脅威。
第三に女婿氏真を傀儡に駿河に置いておいて…てのは勘繰り過ぎかな。
氏真をずっと庇護していたのは単に氏康の優しさでも何でもなく多少の領土欲とその大義名分の意味もあったろう。
まあ信玄にすれば家臣団分断、西上野進出ほかで謙信の後方攪乱やってあげて松山城攻略にも
大軍率いてやったのにここで裏切るのか氏康、と考えたかもね。自分のことは棚に上げて。
実際遺言で甲相同盟復活を命じた氏康としては短慮だったことが後々分かったんではないか。
信玄と氏康は当時の東国の二大謀略家ながらその思考が違ったのが一番の原因かねえ。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 14:33:25ID:MjnMkoAWそれ以前にも武田と今川は揉めていたが、それだって武田が今川の仇敵の織田と同盟したからだし。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 15:50:43ID:3qCjKXXb時節が変われば切れもするさ
切った結果が前より良いものになるとは限らんけどね…
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 15:57:03ID:x70UZxE/0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 16:37:33ID:9ho1I4Iwていうか織田と武田の婚姻が成立した頃に
今川側から駿相越三国による対武田同盟構想なかったけ?
あの時点で越相同盟は不可能だったろうだろうけど駿河攻めの大義にはなるな。
まあその前に信玄は東三河割譲しろとか氏真に圧力かけているから何とも言えないが。
同盟をどう捉えていたかは当事者次第だなあ。
もちろん戦略の一環だから利益があるから結ぶ、敵の敵は味方、後顧の憂いを絶つとかは当然だが
とりあえず氏康としては武田への牽制のためにも駿河は今川が支えていて欲しかったんだろう。
北条と武田は氏綱・信虎時代からもともと関係悪かったからなあ。今川義元あっての三国同盟。
まあ駿河侵攻、武田北条敵対、越相同盟の流れは信玄にも氏康にも結果的に時間の浪費でお互い不幸だったな。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 17:55:43ID:f0bIhSM9だって打率と違って戦なんて勝ち負けの世界なんだから
五割越えてたら十分凄くない?
打率に例えるのがおかしいよ。信玄が五割越えてるか知らないけどさ。
それを比較比較っていう以上、比較対象なんて
必然的に限定されてくるっしょ。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 19:25:54ID:wbKh64No真っ先に「織田」が出てきたから「コンプレックスあるのね」と言ったまでで。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 19:26:35ID:7tmmXf9K将軍の命令なのにどうして上杉はこの要請をうけなかったんだろう?
上杉が武田が織田を責めている間は休戦協定を結ぶことができて、
上杉も越中、飛騨あたりから、侵攻してきたら、信長苦しかったかもしれないな。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 20:33:29ID:x70UZxE/そもそもここからして議論が分かれるよな
城攻めの失敗を敗戦とするなら信玄の敗戦はもっと多いし
引き分けも戦略目標を達成していないなら負けと同じでもあるし。
他の大名の生涯戦績でも言える事だが。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 20:53:00ID:gdAB5FO4利害得失って、一方的に武田が同盟を破って今川領をすべて併呑するでは、
北条にとっての利が全くないじゃあないか。
一方的に破棄さけ虚仮にされたという事実が残るだけ、さらに事前交渉がなかったということ自体が、
相手がもはや自分たちを交渉相手と見ていない可能性を示しており不審の根拠となる。
そんな状況ではそのまま同盟継続なんて出来るわけがない。
つまり、別に氏康の行動は情に狂ったものでもなんでもない。
仮に信玄が事前に交渉を持ち、
今川が北条にとっても仇敵の上杉と連絡を取っているという名分を示し、
今川領の一部渡すというような「利」も示したなら、それでも氏康が同じ行動を取ったとは思えない。
相手がしっかりと自分たちと交渉するものなら、
関東平定を目指す北条にとって、東海甲信に友好勢力がいたほうがいいに決まっているのだから。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 22:13:24ID:jnLP5iKU有名な戦国大名は大抵そのくらいの戦績だ。
70回の戦いのうち半分でも言えるか?60回は勝って当然の雑魚豪族だろ。
わかりやすく言えば信長の野望にも名前が無いくらい無名の奴ら。亀田の戦績みたいな感じ。
相手がA級以上になると負けか引き分け。箕輪城落としたのも業正死後だし村上義清は幸隆のおかげだし。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 23:07:44ID:QdGSjJcFそうだね。
上杉は論外とすると武田の周りの勢力は、
織田、徳川、今川、北条だからね。
信玄は織田とすでに同盟しているし、
今回徳川と共同で今川を攻めるとなると、
北条が危機感持つのは当然かもね。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 23:29:43ID:7uBFxXAD今川家臣の多くが武田に応じていた状況では、
武田の駿河領有はもう動かし難かっただろう
ならば、現状を追認し、今川と駿河のことはあきらめ、
背後の安全を確保し、関東制覇に邁進するのが北条にとって利益のあること
また、そう判断するのが戦国の論理というものだと思う
武田信玄の駿河侵攻における北条氏康の対応、織田信長の越前侵攻における浅井長政の対応は、
利に従わず、義を重んじた行動をとったという点で、性質が似てるかも
信玄も信長も若干配慮に欠けていたかもしれんが、
戦国の論理を考えた場合、氏康と長政の対応の方が常識はずれなものだったと思う
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 00:15:02ID:TGSU9im90108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 00:39:31ID:ej6vJYLA織田、浅井の関係と武田、北条では関係が全く違うし。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 00:51:16ID:69/IoIhZ>>89
徳川は今川と敵対してるわけだし、北条とはあまりに異なる
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 02:17:37ID:fknZl1xz盟主的存在の大名が簡単に盟約破りを行うようだと内部崩壊に繋がりかねない。
北条も浅井もそうだけど、特に国人連合色の強い大名家は義を蔑ろにはしにくい。
権力の基本構造が地権者連合である以上、この時代義を重んじるって事は統治する上で必要な事なんだよ。
武田だって正に義を欠いて国が揺れた時期もあったでしょ。
現代の感覚だと「利を捨て情に生きた」と見えるかもしれんが、決して利を捨てたわけじゃないんだよ。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 02:53:34ID:QLZSGOTf今川に準備を整えられても武田にしてみればって感じかもな。
あと北条が武田の強大化を恐れたってのは十分納得出来る話だ。
盟約破っておいて「武田は関東には興味無いすよ」
なんて言われても信用出来るわけがない。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 07:34:58ID:jx358Ejc一方的すぎ、そんな一方的に相手だけが有利な条件飲んでいるようでは、
逆に戦国の世を渡っていけない。
>>109
その再同盟をすごすごと受け入れるようではさらに屈辱、
というか、相手は破りたい時に破るし、結びたければ簡単に結びなおせる、
なんて話は対等な同盟ではない、そんなもの受けるほうがおかしい。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 07:42:11ID:jx358Ejcだから、事前交渉をした上で行動するか、
或いは最初から北条が敵に回ることを織り込み済みで行動すべきだった。
つまり、事前交渉なしで攻め、その上徳川も敵に回して東西に敵を作るなんて論外だと。
私は信玄の戦略は概して妥当なものだったと思うけど、
この駿河侵攻時の外交的失敗ばかりはどうしても隠しようがない。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 07:54:52ID:/AVGJ9Mm武田なんか相手にせず関東攻めろよ
花倉の乱後の北条の行動も微妙
武田が今川と組んだからって今川攻めるなよ
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 09:01:39ID:QLZSGOTfだからあの三国は妙な均衡が生まれたんだろ。
お互いの足を引っ張りまくる典型的な例だし。
こいつらが信頼出来る同盟結んで領土を外に広げてけば
まあいずれ瓦解して秀吉に組み込まれるにしても
なかなか面白い展開もあったような気もするね。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 13:18:04ID:FK5cs/zQ謙信もそうだけど
なんで?
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 16:22:18ID:TSr66/Is色々名前変えた最後の名前だからさ
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 17:07:07ID:oHbGykVxほんとうに天から与えられた実力と運命があったならあれから上洛できてたはず。
こういう議論する以前に上洛不可能な人間だったってことよ。信玄は。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 18:41:59ID:WH2J3uqy武田と同盟を最初は組んでいて、矛先をほかにそらしておいて、
武田が織田に矛先を向けたら、上杉と同盟して武田の動きを封じる。
互いに拮抗した大名が隣国にいる地域を互いに争わせてその間に上洛して、領土を拡大する戦略をとる。
武田上杉(長尾)北条が三国同盟を結んでいたら、織田の状況は変わっていたと思うけどね。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 19:49:44ID:QLZSGOTf北条「他はいらんが、関東は俺のもの!あと今川は俺のマブダチ。」
武田「信濃は絶対譲れない。ちなみに今川はぶっ潰すから。」
北条「ぶっ殺すぞテメー」
上杉「つーか信濃も俺のもの。」
武田「あたい関東も欲しいかも」
上杉・北条「!」
こんな奴らが仲良く出来るわけない。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 20:14:08ID:Rfqe0L3L0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 22:25:58ID:jx358Ejcしかし、実際の信玄は晩年は関東よりも東海への進出を狙っていたのだから、
北条との同盟は可能だしむしろ必要不可欠だった。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 00:18:21ID:CTubkEKLそこで織田の総兵力は4万5千、武田が2万5千として、
信玄本隊が1万8千、秋山信友の別働隊が2千、上杉への備えが5千。
攻略ルートは野田城に徳川の備えとして6千、信玄本隊1万2千が濃尾に侵攻、
秋山別働隊と合流して岐阜城攻略、美濃の織田方への押さえで6千を割いて
信玄が8千の軍勢で反織田勢力と呼応して上洛、と推測していたが…
これって武田方にほとんど損害なく迅速に三河・尾張を平定して織田の主力を惨敗させなければ
物理的に不可能なような。これでも得られるものは遠江・三河・美濃・尾張の一部なんだよなあ。
一番信玄が人生で無為な時間を過ごしたのは義信廃嫡から駿河攻めまでの空白のような気もしてきた。
この間したことって西上野攻略くらいじゃないか?
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 07:05:04ID:7guh9yB+旧村上領・川中島で10数年争って、その間手に入れたのは
更科埴科に水内高井の半分に他地域の南伊那木曽安曇の一部で
20万石程度だと思う。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 09:33:57ID:9QtN9CXHでも武田は駿河攻略は必須で、その為には
西上野は必要じゃないかなとも思う。
武田から見れば上杉さえいなければ、って感じ?
上杉からすると武田が邪魔なんだけど。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 11:11:51ID:NQCPFREy信玄公の戦略は完璧だよ。
駿河攻めの前に本庄に反乱を起こさせて越後を攻めわざと失敗。
失敗したので更なる大軍を出陣する準備をして本庄の救援にいくと見せかけ
その軍勢で一気に駿河を攻める。
北条なんかに事前に連絡したら、せっかくの策が台無しじゃないか。
それに徳川といざこざを起こしたのだって計算どおり。
上杉なんて相手にしてられないから、信玄公は西か東に進むしかない。
北条にとっては信玄公が織田・徳川と結び東に進むと思って今川を救援した。
そこで、徳川と駿河・遠江を山分けと言いながら遠江まで攻め込めば遠江の領土を取れる上に、
東には攻めない事を北条に示せて北条との関係も修復できて一石二鳥。
信玄公の軍略は凡人には計り知れませんよ。
と織田厨の俺が言ってみる。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 08:28:12ID:Vdm0TKXv普通なら後継ぎのことを考えるか、生きる事に望みを繋いだ療養専念・あるいは楽隠居を望むだろうに…
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 08:46:21ID:pFq87zAH自分で織田厨と言うくらいだから分かっていると思うが、
その全てが裏目にでて駿河制圧に手間取り貴重な時間を空費した。
>>123
あの時期に西上野取らなかったら、
それまでに費やしてきた時間が全く無意味になるじゃあないか。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 10:38:02ID:IPZO/wRF信濃や西上野を攻略するのに何年掛かっていると思っているんですか。
2年足らずの戦闘でかつての大国今川を滅ぼすなんて上出来じゃないですか。
北条との関係を修復する期間を含めても3年ですよ。
1ターンで一国を攻略しないとダメですか?
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 11:54:19ID:pFq87zAHいや、ターンとかじゃあなく、
事実として今川の追討だけなら1年かからず終わっているのに、
北条との外交を誤って3年かかってしまった、という時間のロスが問題なんですが。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 12:50:20ID:33i07k7a0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 13:26:57ID:IPZO/wRF軍勢を集めても今川に悟られない様に周到に準備を行い
北条にも事前報告をせずに攻めたから、
短期間で今川を滅ぼせたんじゃないですか。
しかも、欲しかった駿河の金山を得られた。
もし、北条を事前に味方に付けようして失敗すれば、
今川に連絡され守りを固められ、
攻略に3年どころじゃ有りませんよ。
成果はそのままで、悪い部分のみ非難して評価するのは、
片手落ちをしか言いようが無いでしょう。
それに北条を味方に付けられたとしても、
それだと今川領を徳川と武田と北条で3分割など割があわず、
徳川との共同をやめて北条と組んで今川を攻めれば、
武田が遠江、北条が駿河という事になるでしょう。
それでは欲しかった駿河の金山がとる事ができない。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 15:14:57ID:K478YzAx対北条戦を織り込み済で戦略を立てているなら問題ない。
しかし、
・余裕ぶちかまして徳川との約束を反故にした挙げ句、いらぬ反感を買う。
・さらに北条の侵攻によって駿河から一時とはいえ完全撤退。
どう考えても武田にとっては青天の霹靂だろ。
対北条戦を考えていたのならば、徳川に喧嘩売るのは正気の沙汰ではないし、
上杉辺りと、同盟とまでは言わなくても関係改善くらいは図っておくべき。
逆に、家康との約を反故にし、対織田戦を視野に入れているのならば
形振り構わず北条の理解を求めておくべきだった。
確かに北条との事前交渉は賭であるのは認める。
しかし氏真が上杉と手を結びつつことなどを強調しつつ、
河東割譲や早川殿の出来る限りの保護などちらつかせれば、
北条も戦国大名、共闘は無理でも黙認くらいは取り付けられる可能性は少なくないと見るが。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 18:48:11ID:50xgjw3Jそのときは、信長と同盟して、足利義昭がまだ信長との関係が悪化してない頃だけど。
領土が三分割になるけど、ある時間と侵攻速度は格段にあがったかもしれないな。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 22:04:16ID:C0yabLv4成果もなにも、信玄の第一次駿河侵攻は大失敗。なにせ全ての占領地を放棄して
領国へ完全撤退なのだから。
「悪いところしか見ない」ではなく、「悪いところしかない」というのが現実。
特に北条と徳川への外交と戦略の軽視は最悪。
その後の駿河の再占領や北条との再同盟はまた別の話。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 23:47:23ID:T8ssPOYT1569年に終わると仮定していいんだろ?
なら志賀の陣に合わせられる。
この時の方がまだ可能性高いし、
この時に可能な限り徳川領を切り取れていれば、
上洛の見込みは辛うじて残る。
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 08:07:29ID:5eupGC9qまあ空論だな。
北条はあくまで常に潜在的敵対国であって味方じゃない。
武田の強大化を望む馬鹿じゃない。
武田が北条に領地を割譲なんてのは家臣団の反発を考えても有り得ない。
現代の感覚で語っても仕方ない。
一時的に失敗はして全面激突寸前までいったとはいえ
ここは最終的に全て成功してるという結果で評価すべき。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 08:50:31ID:UGSifqhpいっちゃ悪いが織田と敵対したこと自体、?なんだが
はっきりいえば織田との同盟は信玄が生涯で組んだ同盟の中でもっとも機能していて、敢えて敵対する事自体がおかしかった
足利将軍家の要請、とかいうほど幕府に忠誠があるのなら、そもそも信長に先んじて義昭から支援の要請があった時に上洛に方針転換してただろうし
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 10:33:16ID:OB8m/V6n問題はその時期の織田に敵対するより他の方面に目を向けそうな事位。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 10:50:56ID:Dm9W2ORF実際にはそんなことはなく、信長以前の上洛者も一時期の滞在だったり軍事行動を伴わない政治的行動だったりと、さほど大勢に影響を与えた話ではなかった
信玄だって信長の後発でなければ上洛なんて考えなかっただろう
自身の本貫地周辺への勢力伸張が第一
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:30:31ID:eXoaSYDF領土拡大と駿河領有が最終目的なら、その結果でもいい。
しかし信玄の最終目的が上洛織田打倒天下人というのなら、3年のロスをつくり
まったく敵わないほどに国力を隔絶されたことは痛恨のミスといえる。
はっきりいって、浅井の離反によって織田の侵略活動が停滞しなかったら、もう
信玄には信長に服属する以外に道はないほどに差を付けられる。信玄が最後に
織田と敵対、上洛戦を行えたのはまったく他人のおかげであり本人にとっては
偶然の僥倖(武田家にとってよかったかどうかは別として)。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:40:12ID:n3mdVY3B上洛後、天下静謐の綸旨を名目に九州の大名からすら実質服従の使者差し出させた時だって、武田家には大人しかったわけで
姻戚筋でありつづけるという外交路線が続いてたら、徳川家より上の同盟者として遇されてたんじゃない?
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 13:17:46ID:YDXOz0quいや、永禄十三年の信長の禁中御修理、武家御用のための上洛要請こそ天下取りのチャンスかもよ
その呼びかけに応じて、2万くらいの兵力を率いて上洛するんだよ
したらば、信長に対するカウンターバランスとして、信玄は天下の政局に重きを占めることが出来る
また、将軍と組んで、信長を排除することが出来る機会もあるかもしれん
京滞在費用は問題だが、本願寺の支援を期待出来るし、まあ解決可能
顕如は信玄の義弟だしね
背後も気になるが、天皇、将軍の命を奉じるということで上杉と北条の動きを封じることが出来るだろうし、
なんとかなるだろう
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 13:27:01ID:8z5y9DQm甲斐はどうするんですか、その場合
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 13:51:54ID:euRPQ6RL甲斐は息子に任せて、自分は畿内進出に力を入れることはできたのかな。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 15:46:04ID:5eupGC9q俺の個人的意見としては、信玄は信長のように早期から
天下を見据えて行動していたわけではなく
生き残りの為に勢力を拡大していった結果として
地方屈指の強豪に成長したに過ぎないと考えているから
駿河併合は最高の結果だったと考えているよ。
信玄好きな人には悪いが、武田に天下なんて無理に決まっていて
端からそういう「天下統一を考えたら〜」って発想は無いな。
尾張美濃伊勢で武田の最盛期より上、それに
畿内の経済力が加わるんだから、甲斐信濃に駿河じゃ勝負にならない。
天下というなら関東統一くらいしていないと無理。
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 16:20:04ID:zzobLEaT駿河を攻めること自体はベターだと思うけど。
せめて徳川と敵対さえしなければ良かったのに、
砥石崩れの時と同じような暴走だな。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 17:45:02ID:5yRnwSIXてか最期の上洛作戦だってある意味大義名分ある領土拡大路線だよな。
戦略的に織田の押さえとなる東美濃を制圧して織田方を牽制。
徳川主力を野戦で撃破して野田城などの戦略拠点を制圧して領国を拡大。
で、織田主力を北陸の雪解けを待って各地に分散させて野戦で撃破(春になると謙信が出てくるが)。
濃尾平野で野田城に匹敵する戦略拠点は岐阜かな?でもあれを落とすのは無理だろうなあ。
最終的に主力決戦の後、天下どこ吹く風でさっさと上洛して甲府に舞い戻って
三河・遠江の大部分(ここは徳川への押さえと尾張への橋頭堡以上の意味はないな)を領有し
肥沃な濃尾平野で織田方と攻防繰り返して終りだろう。
あとは周囲の土豪を懐柔したり主要な支城を大軍出して攻略しにいったりで領土を侵食。
駿河や西上野みたいに拠点に一門と譜代家老を入れておいて本国は永遠に甲斐だろうな。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 20:34:58ID:fUgYnj0q大名達が天皇と将軍の命令を聞くなら、戦国時代になってない。
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 21:24:35ID:5eupGC9q三河・尾張攻略作戦と考えるなら、これが最善なのかもな。
ってかこれしかない。
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 01:07:59ID:ahCG2mJ6徳川は短期間に50城も落とされたのになw
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 01:20:11ID:oxmR6Jfu0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 01:29:09ID:2G7CIJ1Lあそこで、上手く立ち回っていて、次の矛先を徳川に向けていたら、どうなっただろう。
姉川の戦いに徳川軍がいけなくなり、織田だけであのときの戦いをしていたら、負けた可能性もあるのか。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 02:03:22ID:mENarrHtどうも大した合戦でもなかったらしい。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 10:38:23ID:SuSlkjPZ0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 10:43:15ID:DeGaTWW0北条の戦略では関東>今川で、武田の攻撃に対して上杉は助けてくれないから。
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 13:54:22ID:0cdydb3A0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 14:07:49ID:zsiy3lQg武田に大敗したのにか?
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 20:12:37ID:GhLrK+q2氏康が信玄に大敗?
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 20:15:45ID:ahCG2mJ60161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 21:11:36ID:vPeIU2wBあれは氏康父子とは直接対決していないが苦戦していた駿河方面でなくて信濃から侵攻して
あれだけ北条を苦しめたのは大した戦績と思うがな。まあ互いに直接対決は避けられて正解だったと思うが。
氏康が長生きした場合は分からんなあ。大切な駒として氏真を庇護していたわけだし。
息子を越後に人質にしているしお互いに極力主力決戦は避けて残り少ない人生をロスした可能性もある。
だが北条も下手に上杉と手を結んで動けなくなった側面もあるし生きていても中風持ちで健康悪化していた
氏康から氏政に実権が移っていけば自然と史実通り再同盟に至ったんじゃないか?
北条の優先順位はやはり関東進出と伊豆の後背地である駿東の安全にある上に
敵にすれば厄介な謙信が味方になると余り役に立たない現実があったからなあ。
謙信にすれば武田の後方撹乱があってしかも冬に越山して援軍なんて無理難題なんだろうけど。
そもそも上杉との同盟も相互に利益があったのか微妙だからこっちから破綻した可能性もある。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 01:16:00ID:nXCuUeps上杉からみればこの上なくおいしい話のはず。謙信は何故攻めなかったのだろうか。
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 02:16:02ID:JcqFk06W0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 07:26:24ID:FQeNUlvqパワーバランスは一気に変わるはずなのに
お互いに利用したいだけなのでイマイチ同盟は機能せず
片方を滅亡させるような傾き方はしないんだよな。
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 09:28:54ID:4E+GoO3u川一本、山一つあれば係争の地になるから、対立する二家を取り込むと、
裁定しなければならない。それで不満を持った方が敵に鞍替えする。
その意味で、すでに今川の統治が長い駿河は、他家にとっても支配し易い地域ではあった。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 10:01:30ID:GbpG5Df50167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 10:56:39ID:onUsGB4u越中・本庄の離反一向一揆、葦名との係争
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 14:38:38ID:lZ8brsZNやっぱり武田のその後の拡大はともかく勢力均衡における今川の存在は大きいわ。
この三国は互いに潜在的脅威・敵対関係だからなあ、だから三国志なんだろうけど。
それでも利害の対立する越相同盟は無理がありすぎたな、珍しく謙信と氏康が現実的だったけど
これだけ無理をした一時的な同盟関係もないんじゃないか?
武田織田同盟だって一時的かも知れないが敵対していた当事国同士じゃないからなあ。
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 16:23:01ID:gG5AnSNn北条と今川同盟して、早い段階で越後、甲斐、信濃を支配地域に組み込んでおけば、越中侵略から上洛路線もありだったかも。
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 18:13:08ID:bArilFJ/0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 19:58:34ID:VzEjLT8L落としてたら面白かったとは思うが
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 20:36:21ID:gG5AnSNn長尾家の越後守護代争いに武田晴信介入。
景虎に肩入れして、恩を売る。
その後、越後統一時に武田長尾同盟と同時に信濃を武田に領有権を認めさせる。
それと同時に景虎の父親の念願だった為景の越中攻めを支援する。
長尾景虎の関東管領については、断らせる。
その後、北条と同盟。
これで、武田を中心とした北条、長尾の三国同盟が成立?なんていう展開はありかもしれない。
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 20:55:08ID:Lx83qGh9三国の中で武田の石高が一番引くいんじゃないか?
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 22:10:02ID:cyJNacr00175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 09:01:01ID:tgO1qgZd0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 12:33:27ID:wqTtaNJY少ない。
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 12:48:55ID:qFgfF4+S0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 13:37:02ID:QI6f6mdj勢力拡大すれば増えてくだろうし。二代目の勝頼も優秀だった。
ただ甲信越は守りに適した地形で、その攻略に時間をかけ過ぎて
織田に国力差をかなりつけられてた。
謙信と氏康相手じゃ勢力拡大がままならないのは仕方ないし。
信玄は極めて優秀な武将だと思うが信長に比べ
勝負所で勝負しないって印象あるし、足りないものがあったんだろうな。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 15:50:56ID:5/UKe0PO信長もそうだが信玄も危ない戦局に持ち込むのを好まない武将だからなあ。
って大概の武将はそうなんだが、勝てる戦しかしなくて主力決戦を極力避けるのは同じ。
特に信玄は西上野の箕輪攻めや三河・遠江の城攻めでも大軍で何度も攻めているし
謙信や氏康と対陣しても決戦は避けたがっているし。
まあ兵将の人材を無駄に失いたくないのはどの戦国大名でも同じか、そのまま国力の減退だからなあ。
武田の家臣団は有能な武将が首席行政官を兼ねているんだっけ、少なくとも信玄時代は。
まあ家臣団統制では上手いと評判の北条でも顧問は京下り(頼朝みたいだなあ)だけど
評定衆に名を連ねるような連中は第二次国府台など大きな合戦には必ず主力として出てくるからなあ。
まだまだ行政官と武将を分ける時代じゃなかったんだな。
甲陽軍鑑なんかは勝頼時代を武断派VS文治派みたいな対立構図に見せているけど
まだそんな時代でなかったと思う。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 16:04:15ID:3yRkMNzG目先の領土争奪に囚われず、天下全体を見渡して物事を判断できる人間
ってそんな人材、日本広しといえどもほんの少ししかいなかったんだけどね…
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 17:22:57ID:QI6f6mdj信玄の戦略はミスこそあれ、概ね正しかったと思うよ。
ってかあれが限界。
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 18:30:23ID:V2GWiBxWただ、織田家も滅亡の危機という点では武田家より多かったから、なんともいえないな。
今川に攻められたとき、一世一代の戦いに負けていたり、
浅井長政に裏切られて、後ろから攻め込まれたり、包囲網発動のときとか、
色々あって、最終的には本能寺の変だから、結局は天下統一はできなかったしな。
0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 18:39:25ID:jUEChUls村上に最初から勝っていれば問題無い
または上杉を滅ぼしていれば問題無い
逆に
信長は地の利があろうとも
清洲家に負けていればそこで終わり
弟に負けていればそこで終わり
岩倉家に負けていれば今川に勝てない
桶狭間で負けていればそこで終わり
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 18:44:21ID:QI6f6mdjそういう条件の違う比較には意味が無い。
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 19:00:54ID:/WJJljmSそれがなかっただけでも信玄はラッキーじゃん。
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 21:32:46ID:XiCbEhpmむしろかなり好条件だろ。信長や家康とは比べものにならない。
つまり強い奴はどんな悪条件でものし上がるってことだ、信玄が織田や松平に
生まれていたら絶対何もできずに終わってるだろ、信玄に限ったことじゃないけど
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 22:58:17ID:5XobO13j今川には勝てず滅亡か降伏だな。
信長が武田家で生まれていたら、信虎に殺されるか案外意気投合するか
信虎と一緒に家臣団から追放されるか等のようなあっさり滅亡か、
信玄と同じぐらいの成果を残すかか、はたまた信玄以上に急成長するか
いろいろ妄想はできそうだ。
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 00:26:03ID:n6A1KRrI羽柴秀吉→今川軍が来る前に鳴海も大高も落としてる
上杉謙信→謎補正発動で史実の信長以上に余裕で今川本隊を強襲撃破
毛利元就→伏兵やら夜襲やら偽情報の乱れ飛ぶ戦場に
島津家久→狭隘・泥濘な地に誘い込み、今川義元討取
初代武田勝頼になったらスレのパクリだけど
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 01:12:34ID:+L6kgGBa史料として信憑性が高い信長公記が桶狭間に限って年を間違っていたり。
信長公記では1552年。実際は1560年。
駿河・遠江・三河の三国の大名と尾張一国の大名とでは
一見凄い国力の違いが有りそうだけど、今川が若干尾張に食い込んでるのを考慮に入れても、
石高でみれば2万5千対5千なんて言う兵力差にはなるはず無かったり。
石高では90万石対45万石くらいか?
どっかのサイトで1552年の信長の兵力ならこれくらいの兵力差でもうなずける。
牛一はわざと1552年と改竄したのでは?とも書いていたな。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 01:26:18ID:1kTa9KKE>羽柴秀吉→今川軍が来る前に鳴海も大高も落としてる
それは無理だと思う。また元就でもどれほどのことができたことか・・・
>>189
美濃への押さえや海西郡の押さえが必要だし
知多郡だけでなく
春日井や蟹江などの沿岸部にも今川の勢力が伸びてるから
信長はある程度兵を分散させていたのではとも考えられる。
0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 01:34:52ID:n6A1KRrIネタだし、あくまで「できそうな」だから、細かいことは気にせんでくれ。
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 01:46:18ID:1kTa9KKE0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 02:02:34ID:hIm29XoG当時の信長の支配してる土地は尾張のたった二郡だけ、45万石も無い。
0194名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 04:41:00ID:4KjXbtz3能力云々ではなくそういう戦いに勝った実績が無い。
逆に島津や謙信はそういう戦いの専門家。特に島津。
信長はバランス良いね。普段は信玄みたいな戦いを好むが
いざという時の戦いにも強い。
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 07:19:53ID:+L6kgGBa1552年ならそれくらいだが、1560年なら今川に取られている部分以外は統一してるんじゃなかったっけ?
弟の信行を暗殺したのが1559年だったかな?。
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 07:43:08ID:veWCFSI7国力にそんなに差が無いというのなら、
織田軍があんなにたくさんの将を失う事は無いと思う。
もはやスレ違いだけど。
0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 08:19:53ID:+L6kgGBa国力が勝っていても負けることがあるのに、
そんなに差が無いならたくさん将を失い事が無いって言うのは
おかしいでしょう。
0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 08:41:40ID:IQ4aIK77むしろ当時の織田方のそう言った過剰なまでの戦意が不思議
織田一族内の内戦を通じての信長の家臣団掌握の結果かな?
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 21:16:54ID:VB/b1e9B0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 21:36:07ID:Smy16yC7地の不利がとか、周りが強いからとか、アイタタな事言っちゃうんだよな。
0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 23:18:10ID:K9HuonwT指摘されて始めて気づいた。たしかにあの戦意はすごい。
佐久間大学は降服せずに玉砕。別に動いていた佐々と千秋は信長が砦から出撃
したのを見て今川軍に突撃。
普通なら内応や裏切りや離反している家来が一人二人は出ていてもおかしく
ないよな。
0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 00:10:21ID:BpmRFbv4裏切り離反はそれまでに多々でたから
残っているのは最精鋭と言えるような連中ばかりなのかも。
ついでにいうなら信長が家督を継いで以降はかなりの速さで急成長していることもある。
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 02:42:01ID:PSrIuytpそういう観点でしか語れない奴多いな
0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 07:39:29ID:qPw5dL/j信玄大好きなおまえから見たら、震源貶めるヤツは全員同じようなヤツなんだろw
0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 10:53:00ID:jRu+D80Uこれは当時の海運を制御する目的もあっただろうが、京・近江方面へのアクセスルートをもう一つ確保するということになった
金ヶ崎で浅井に裏切られた時、近江−美濃間が危なくなった時にこちらのルートが力を発揮した
戦略的な安全策を予め講じたのも信長が勝ち残った一因
もし軍鑑にあるような、海路一本での上洛を信玄らが考えたとしたらやっぱりリスキーというか、無茶…
敵地に初体験で戦国期にはあまり例がない上陸作戦やろうってんだから
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 15:20:02ID:wdHDCmIN本国から遠いし、相手は孤立した中小勢力ではなく大勢力の織田だから打ち破ったとしても武田軍の被害もただではすまない
将軍を押し立てたところで、義昭が信玄に実権を渡すわけないしそこまで聞き分けがいいのならそもそも織田と敵対していない
逆に苦労したのにメリットが無ければ武田家臣団が分裂するし、武田が欲張れば他の勢力が敵対に回ってしまう
将軍の名目上の上位者である朝廷と直接結びついたことで将軍と敵対した場合の政治的損失を最小限に抑えたような事前の方策を採る余裕もないし
織田と敵対したこと自体が不可解
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 15:47:36ID:PSrIuytp言い方悪かった。つまらない煽りは嫌だったから控えたんだが
「お前みたいな奴って馬鹿丸出しだな」に訂正する。
信長以外全ての大名が最大でも100万石クラス。
つまり彼らと信長を分けたのは何が違うかって考えると
色々面白いのに、信玄擁護だの何だのとくだらない話を持ち込んで
信長を持ち上げるんじゃなく、他を貶したくて仕方ないんだからな。
話が出来ない馬鹿は引っ込んでろ。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 15:49:18ID:takddr8q竹石圭佑
「竹石圭佑」、1986年に名古屋の肥溜めにて湧いて出た蛆虫。
小学校高学年から万引きを繰り返し
学校内では好みの女子に嫌と言う程ちょっかいを出しまくる。
当時のクラスメートが「お前って何で女子ばっか苛めるんだ?」という様な質問をしたところ、竹石は「女を苛めても仕返しとか怖くねぇもん。だって俺のほうが腕っ節が強いからな。いざとなったらツラァ殴ってやればいいし。」と言ったそうだ。
弱い物に対しては恐ろしいほど高圧的になる竹石、万引きで警察に補導された事を自慢げに話す竹石、自分が世界の中心だと言って憚らない竹石…
数々の犯罪行為も在日中国人の両親から産まれた自分に後ろめたさがあっての反発心からの行動だろうか…
ともあれ、竹石はまさに肥溜めから産声を上げた蛆虫である。
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 15:55:59ID:qPw5dL/j>それ以上に評価しようとするから
って書いてるじゃん。
百万石クラスはそれはそれで十分凄いけどそれまでの大名だったって話。
それ以上の何かを為す人間なら不利な状況なんかひっくり返してのし上がっていく。
それが出来なかったってだけのことで、それが理由。
つまり信玄にそれ以上の人間になるだけの能力がなかったってだけの話。
それをやれ周囲が強い、やれ地の不利がある、やれ謙信がいなければとかいうから。
ってことを>>199は言ってると思います!
そしてそれをあおり気味にいったのが>>200だと思います!
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 19:59:43ID:PSrIuytp「○○が無ければ信玄は信長に勝てた!」なんて
真剣に考えてたら論外だけど、そういう論調の人はいないと思うよ。
言われているのは武田の敗因だろ。
だから上杉の存在やら脆弱な国力やらって話になる。
敗因について語ってるのに「武田を必要以上に評価」とか
話を読めない奴がいるって事を言ってる。
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 20:26:38ID:qPw5dL/j敗因って何の負けをさすのかよく分からないけど、上洛できなかったってことなら信玄の能力が劣るから。
困難な状況でもそれを打ち破る者こそが名将。
って事いってるじゃん、さっきから。
それを認めようとせずに上杉やら脆弱な国力とやら持ち出して、信玄は劣ってないことにしたがってるんだろ。
それをさして「必要以上の評価してる」といってるわけだが。
またファビョッちゃうかもしれないから一応行っとくけど百万石でも十分凄い大名だぞ。
ただ、そんなのが上洛とかはおこがましいって事。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 21:18:15ID:nhswGk070213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 21:18:47ID:hJ38yn9lで通るのなら誰でもそう言えるよな。
一条でも結城でも肝付でも周りが自分より弱くて国力が最強なら天下取れる。
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 21:35:18ID:PSrIuytp武田の敗因って言われて理解出来ない?
歴史上、武田は敗者で織田はまあ勝者に分類されると思うが。
あと国が滅亡した要因を「○○の能力が劣ってたから」
で済ませる奴は歴史を語る資格は無いよ。ゲーム板にでも行ってろ。
もちろん能力も要因ではあるが、ゲームと違い現実では
個人の能力より経済力の方がよほど大きいしな。
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 21:59:31ID:qPw5dL/jエスパーじゃないんだからお前が考えてることなんか分かるわけないだろ。
滅亡の原因なら織田の勢力伸張が早すぎた。
それから滅亡なら信玄じゃなくて勝頼だな。
勝頼もそれなりに伸張してるけど、それ以上に織田が領土広げちゃった。
経済力が原因というなら、堺やら押さえてる三好が統一してもいいのにな?
どうなったっけ、三好。
いい刀もってても、ずぶの素人では使いこなせないし、例えナマクラな刀でも達人が持てば十分素人のそれを凌駕できる。
道具をどう使うか、ないなら他の何かでどう補っていくか、補えないならどうやって作り出すか、奪うか。
それこそが能力ってもんだ。
結局それだけの差をつけられたのは大名に能力が無いとは言わないが、劣ってたってことだろ。
てか上洛と関係ねぇよ。
0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 22:07:43ID:PSrIuytp君は信玄嫌いのあまりに物事が見えなくなってる。
俺は「能力も要因」だと書いてるのにそれすら読めてない。
エスパー以前に通常人の理解力が無い。
>>200の言う「必要以上に信玄を持ち上げる」レスなんて
いったいどこにあると言うのか?
地の利や情勢について語る事が、信玄を持ち上げる事になるとでも
本当に思ってるのか?
0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 22:18:46ID:XtHw+h2v>「周りが強かった」「国力が弱かった」
これ重要だと思う
中華の事情がモンゴル帝国と清の興隆に幸いしてたりするよ
ハプスブルクの浮上もドイツ諸侯の事情によるものだったりするし
史上、大仕事をした者は何らかの運、情勢に恵まれていたと思う
秀吉なんかその最たる者なんじゃないかな
まあ、運をものに出来るかどうかは実力だと思うけど
0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 22:31:10ID:qPw5dL/j>>211
敗因って何の負けをさすのかよく分からないけど、上洛できなかったってことなら信玄の能力が劣るから。
困難な状況でもそれを打ち破る者こそが名将。
って事いってるじゃん、さっきから。
「それを認めようとせずに上杉やら脆弱な国力とやら持ち出して、信玄は劣ってないことにしたがってるんだろ。
それをさして「必要以上の評価してる」といってるわけだが。」
わざわざカギカッコも付けてあげたぞ。
>個人の能力より経済力の方がよほど大きいしな。
経済力の影響大きいよなんて能力を過小に見ておいて、俺がそれに反発したら、
>俺は「能力も要因」だと書いてるのにそれすら読めてない。
とは恐れ入りました。
やっぱどう考えても上洛と関係ねぇよ。
>>217
その状況ってのをどう利用するか、利用できないかが能力じゃないか。
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 22:43:19ID:hJ38yn9l重要じゃないとは言ってない。
まぁ俺は武田の国力が低いとはとても思えないが、周りの強さにしたって
戦国時代なら余程地方じゃない限りどこへ行っても強豪と戦うことになるしな
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 23:18:39ID:NpmKHQz0このスレは基本は上洛の可能性を色々な要素から考えるから、
地の利や時の運、家臣団の能力などを考察するのは、むしろ趣旨にあっている。
それに対して文句いいたいなら、他のスレを立ててて、勝手にして欲しい。
話を戻すけど武田信玄は確かに北条早雲、毛利元就、織田信長のような寡兵をもって、
多数を破る大勝利というのがない気がする。
そのため、一気に勢力拡大とかできなかったのだろう。
0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 00:00:20ID:hJ38yn9lそいつらと違って寡兵で戦う必要が無かっただけだろ。
武田は信玄が当主になった時点で信虎がかなり領土広げてたからな。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 00:11:09ID:EB8Ehus40223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 00:37:32ID:cttMchl3>多数を破る大勝利というのがない気がする。
↓
>そのため、一気に勢力拡大とかできなかったのだろう。
???
0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 00:43:58ID:R5dO9M7Z歴史を様々な観点から語るのに地勢学上の条件を語るのは
当たり前なんだが、それをどうしても理解出来ないなら仕方ないな。
信長は全ての不利な条件を個人の能力で跳ね返した超人で
信長を取り巻いた様々な環境要因は全て考察に値しない、と。
そんな結論で満足していればいい。
0225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 01:13:06ID:SYO3VM96継いだ段階での国力・周辺国との関係・
家督相続時の家中国内の状況を比較すると言うのは意味あると思うぞ
そこから能力の優劣を計れば良いし
信玄謙信義元氏康信長で比較するなら
国力は
氏康>義元>>謙信信玄信長
周辺国との関係
信玄>>謙信>義元>>信長氏康
家督相続時の家中国内状況
氏康(対立相手も無く家中においては非常にスムーズ)
>>信玄(但し廃嫡寸前だったため一番悪いとも言える)
>>義元(花倉の乱)謙信(兄と争いかけたり一族と争ったり)
>信長(信秀晩年には信秀に代わり政務を見ていたとかいう説があるわりに家中は大混乱)
0226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 03:38:09ID:ig7uQFa4○○は(世間一般の認識よりは)すごくない。
いや、(凡百の同時代の大名よりは)すごい。
と、比較する対象がかみ合ってないんだよね。だから平行線になっちゃんだよな。
これをクリアする画期的な方法ってないもんかね。
0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 08:05:16ID:fQIp262N>など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
>ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
>幅広くカバーしております。
すれ違いなどという言葉は使えないぞ。
それから、その色々な要素のうちに信玄の能力が入ってもおかしくないだろ。
>>224
誰もそんなこと言ってないぞ。
理解力皆無だな。
ID:PSrIuytpは経済力を重視、ID:qPw5dL/jは信玄の能力を重視してるってだけの話。
良い食材がそろえばそれだけでもシンプルに作ればうまい料理になるが、
まずい食材からでも巧い料理を作れるのが一流のシェフ。
0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 08:58:10ID:SzEh0S/6だから信玄は後世惜しいな、という妄想をもたれる晩年の上洛(?)準備の徳川戦途中で没し信長も強敵連破したのに本能寺で散ることになった
個人の価値観や好みで優劣をつけるな、とは言わないが双方冷徹な目で見れば天下は取れませんでした、なんだからあんまり…
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 09:24:30ID:R5dO9M7Z>>200
煽るのは結構だが、馬鹿を晒すのもいい加減にしとけ。
0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 11:34:50ID:DknUt6qm直筆の綸旨を一大名時代に貰ったのは異例(本音は天皇家の領地をなんとかしてくれ、だったようだがw)
父の信秀が以前多額の献金をしたような流れも信長に朝廷が好意を抱く遠因になったんだろう
だから将軍と切れても問題ない、とは行かないまでもある程度食い止める算段がついた
上洛前に伊勢ルートを抑えることといい、信長のやり方は一般的な印象とは違って慎重。対武田外交もそうだったが
0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 18:57:17ID:DwJQOLfy上洛できたかもしれないな。
まあ、これもあくまでも空想にすぎない話だけどね。
0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 19:04:33ID:DwJQOLfy0233名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 20:00:29ID:Jz1r6IzW信長養女の産んだ信勝が武田の次期後継者
信忠と松姫が結婚している
その上、松姫が嫡男を産んでいれば・・・
0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 21:52:35ID:aFOynOCO織田と同盟するのは従属と変わらないぞ、それで武田が残るのならそれもいいけど
0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 23:27:07ID:YK00grVg本能寺は起こらないだろうって言う意見は多いけどね。
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 03:53:56ID:zwNsPmzm\∧ \∧ \∧ \∧
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0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 05:45:07ID:TM8y9DPH信長と同盟結んで信玄の後方を攪乱した上杉は何考えてんの?
信長が巨大化するか自身が勢力を伸ばせばいずれ
ぶつかるのは確実なのに。
双方に利益の大きい織田武田同盟とはわけが違うような。
0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 06:28:57ID:zwNsPmzm\∧ \∧ \∧ \∧
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0239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 07:37:40ID:UeB1Jwul最後の手段の人格否定。
0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 09:00:01ID:u3u8n17O義のため、といってるけど現実の脅威として春日山を脅かせる位置まで進出していたり、上杉と利害が絡む豪族が多い上野でも衝突を始めた武田のほうがはるかに嫌な相手
織田が将来潰しに来るかもしれないから目の前の積極的な敵を見過ごしましょう、は無理があるのでは?
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:43:29ID:owP80TDC信玄は出馬が遅かった
0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:49:19ID:az0tUqI5信玄の戦略目標が一貫して上洛だったとしても、史実より前倒しは難しいのでは?
0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 13:51:39ID:bDKDjmkF永禄八、九年頃なら、織田を排除して、美濃制圧も十分可能だったと思う
あと、弘治元年頃に恵那郡の遠山氏のところに進駐した時、
東美濃一帯にもっと勢力を扶植しても良かったかも
北信で謙信と対峙している関係上、
軍事的プレゼンスは無理だろうが、外交的プレゼンスは出来たんじゃないかな
まあ信玄にとって、いつ如何なる時も、勤皇家にして仏法者の軍神謙信の存在は大きな障害だったよな
0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 17:08:40ID:TM8y9DPH>>229見ても意味わからないなら恥ずかしいよ。さすがに。
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 17:56:22ID:UeB1Jwul人格否定しかできないんだろw
いいよ、無理しなくてw
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 20:08:46ID:/7k/Haj5上洛という行為は何を得ることを目的としていたのか?成功した際の展望は?
信長の後追いで上洛を考えた、だったらちと寂しい…
0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 20:12:16ID:p3kKMBAC0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 20:51:04ID:nwAtDNha上洛を名目にした徳川攻めでしょう。
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 21:00:18ID:bDRDSfCz西上作戦開始時に既に重病人だったろう信玄からすれば、
自分が生きているうちに織田を叩いてその膨張を阻止し、
自分の死後の武田家安泰を図ったのではないかと思う。
上洛が目的だっとして、それが成功した場合、
織田家に取って代わる武田家が新たな包囲網の標的となることは確実。
上洛後に待っている陰謀と激戦を考えれば、信玄の余命はあまりに短い。
信玄は後に続く者たちのために、危険な賭けよりも堅実な方針を採ったのではなかろうか。
0250名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 22:17:00ID:X7B3XXht武田騎馬軍団が実在してると主張してるのですが・・・
http://megaview.jp/topic.php?&v=3289&vs=0&t=11079339&ts=0&m=n&lmx=9
0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 03:18:52ID:1FPwpnrI\∧ \∧ \∧ \∧
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0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 19:02:47ID:ayk8bZTU>>224の言っているのは>>200って事だろ。
それが理解できないなら馬鹿としかいいようが無いけど…。
理解してるなら人格否定も糞も無いし。
0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 20:16:00ID:oUtC162x>歴史を様々な観点から語るのに地勢学上の条件を語るのは
>当たり前なんだが、それをどうしても理解出来ないなら仕方ないな。
全く違うな
0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 21:09:35ID:grJHdPYK国力や周囲を取り巻く環境
信長と比べても有利だし
三好長慶や宇喜多直家なんかと比べると滅茶苦茶有利。
0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 21:31:08ID:8sN2S+mj淡路の国主の部下から始まり四国、近畿を切り取った
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 22:01:08ID:ayk8bZTUもちろん単純比較は出来ないにしても。
>>253
俺には何が違うかわからないけど、どうしてもこの話題にこだわるなら
ちゃんと具体的に説明した方がいいよ。
0257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 22:09:43ID:oUtC162xこだわるとかじゃなくて、言ってる事真逆じゃないか?
上は周囲の状況とかをかたるのはアイタタな事、つまり、そんな影響は微々たる物
下は周囲の状況を考察するのは当然で、頭ごなしにそれを否定するのは間違い
0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 22:29:38ID:ayk8bZTUそこまでわかるならスレの一連の流れを読めばわかると思うよ。
実際問題として>>200みたいなのはうんざりだ。
そういう事言われたら何もスレで語れなくなるからな。
0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 22:32:46ID:grJHdPYK問題なのは武田を取り巻く環境は割と有利なのに
それをまるで不利な状況だったかのように言う人間じゃないの?
0260名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 22:41:06ID:BcfVABY10261名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 22:56:08ID:UR+g+sUvじいちゃんの頃から望んで敵対している事ではあるが。
0262名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:22:42ID:ayk8bZTUそれはわかるが、このスレは信玄の上洛の可能性や
それに伴う障害について話すからどうしても「上杉がいなければ〜」的な
論調になるのだと思う。
あとやはり100万石クラスに三方を囲まれつつ
最強の織田を打倒しなければならなかった武田の情勢は
毛利、島津、北条、伊達らと比較しても厳しかったのでは?
0263名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:36:25ID:1FPwpnrI\∧ \∧ \∧ \∧
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0264名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 00:34:05ID:OkE7h4na北条氏政や毛利輝元と比較するなら信玄は厳しいけど
島津や元就、北条早雲氏綱氏康と比較するなら楽でしょ。
そりゃ1573年の武田の情勢でなら厳しいけど
継いだ段階では恵まれているにも関わらず
家督継いで30年でその段階までしか伸ばせなかった信玄の責任だし。
無論情勢に恵まれたとはいえ30年で5倍ほどになっているのだから
十分一流だと自分は思うが。
0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 01:39:02ID:48CoNqwr滅亡させるのは極めて困難な大勢力と絡みがあったのが難しいところかな。
だからこそ唯一味方になる余地のある北条への
外交がいろいろ言われるのだろうけど。
0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 01:43:51ID:48CoNqwr200万石に到達してないんだよな。例外は島津くらい?
元就や信玄は当然として伊達や家康すら150万石程度しか切り取れなかったし。
その辺が地方政権の限界ラインなのかな?
0267名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 01:46:08ID:Z02HLeIb北条は超えてる
0268名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 11:27:18ID:Df4N52v10269名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 11:43:38ID:/cuavRT/例えば島津家は九州の過半を制圧したのに、本家と兄弟達の直轄地がとても少なく、経済的基盤が弱いままだった
これが豊臣家との対決を控えた北上戦・その後の直接対決で思うように戦えなかった原因の一つ
もう一つは義弘などの兄弟に指揮権が分散したため、戦略での混乱が起こったこと
領土に見合った支配体制構築ができなければ、却って領土が重荷になりかねない
0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 12:55:33ID:Df4N52v10271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 14:00:40ID:ZroNkwPW島津も竜造寺含めて最後の大友への遠征で一時的に支配した領域含めて
かろうじて200万石なんじゃ。
>>268
輝元は200万石は越えてはいないだろ、
200万石近くまでいったと思うが。
他200万石超えていそうなのは最大限に見積もった三好の最盛期か?
実際は穴だらけの支配体制かもしれないが
家康も超えたのは関東に移ってから。
>>270
それ言うならみんな結構少ない
徳川家や江戸時代の大名が異常に多いと見たほうが良いと思う。
豊臣徳川と時代が進むにつれ変化したと言うべきか?
あと織田家は支配体制経済基盤は優れている方だし。
0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 14:18:24ID:ZroNkwPW伊達政宗
北条氏康氏政氏直
上杉謙信
武田信玄勝頼
織田信長
三好長慶
毛利元就輝元
尼子晴久
大内義隆
大友宗麟
竜造寺隆信
島津義久
ぐらいか?
この中で継いだ時点での状況が信玄より有利といえそうなのは
伊達政宗氏政氏直輝元尼子晴久大内義隆大友宗麟ぐらいか?
以外と多いな、信玄は有利でも不利でもないといった位置付けか?
0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 14:40:10ID:arCrwaN2これは家康が関ヶ原の論功でさらにばら撒いたこともあるけど
織田の場合は…?
少なくとも信長・信忠の勢力が家臣達に押されたとか、経済的に問題が起こったって話は聞かないけど内情はどうだったんだろう?
0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 15:06:11ID:Df4N52v1より恵まれていたのが伊達政宗、北条三代、毛利輝元、尼子晴久、大内義隆
、大友宗麟、島津義久。 同じ程度が織田信長、三好長慶か。
上杉謙信と毛利元就、竜造寺隆信はより厳しい状況での家督継承かな?
>>273
他大名と同じく若しくはそれ以上に、重臣や寄子へ配分していたため
割合からいくと少なかったという説があるね。
0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 16:05:35ID:+ns+cGLp長慶は信玄は勿論、下の三人よりも厳しい状態でスタートしたと思うが。
一部の庶流が図に乗りすぎてるから排除を求めたら主人から逆臣扱いにされ、
主人ごと排除したら、その主人が将軍を取り込み幕府直々の逆臣にされるという滅多にないスタート。
0276名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 16:58:41ID:20s0/rNT同感。
>>274
三好長慶は信玄や信長なんかよりも非常に厳しい状況から
下手したら元服前に死んでいた。
石高で考えるなら
信玄は信長謙信と同程度かな
ただ周囲を取り巻く状況では圧倒的に信玄が有利
氏康や義久も石高では大幅に信玄を上回っているが
強国と敵対している分状況は不利。
0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 17:41:45ID:l3LdLk4yお家騒動で力を減らした大名は沢山いる
信長だって弟に所領の一部を押領された上、二度も背かれた
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 18:50:18ID:XwMzNsOi島津侵攻時の竜造寺隆信、大友宗麟はどちらも当主が狂乱していた時期だけに
両者とも内通者が多く出ていて、強敵と言い切れないと思う。(熊は強大だったが)
それと、氏康の代は既に北条優位でしょう、河越攻めも最後の力を振り絞った感が強い。
>>277
お家騒動は自らの力量も関係するから、一概に有利不利は言えないと思うが。
信繁始め親族と関係良好だったのは、信玄故とも考えられるし
信行が背いたのも信長が原因かもしれない(後年の出来事を考えるに)
0279名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 19:02:26ID:CpbVffeU0280名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:51:40ID:U3nDHS4+0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 22:41:15ID:CpbVffeU0282名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:14:52ID:48CoNqwr0283名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:31:45ID:zh1LlYK4義信が南進に同意しなかったこともあるし、
武田の勢力拡大ということも考慮すると、やむを得ないものだったろう
0284名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:41:12ID:20s0/rNT>島津侵攻時の竜造寺隆信、大友宗麟はどちらも当主が狂乱していた時期だけに
>両者とも内通者が多く出ていて、強敵と言い切れないと思う。(熊は強大だったが)
そんな事実が何処に?大友から離反者が出るのは島津との戦いの後
竜造寺も島津と戦う時は問題など無く最盛期と言っていい。
石高では島津と竜造寺が戦った時は多少竜造寺が上程度で
大友と島津が戦った時は大友は島津の2倍はあると思うが。
氏康の代になった直後から上杉家の反攻は始まっていて一時は江戸付近まで攻められている、
扇谷家に対しては北条の方が有利ではあるが、それでも武蔵の半分程度は保有している、
忍岩附などを奪うのは氏康の代。
また
>河越攻めも最後の力を振り絞った感が強い。
もとても信じられない、この時追い詰められていたのは氏康の方だと思うが。
駿河河東を失い、古河公方の離反まで受けている。
氏康が継いだ段階で既に関東最大勢力になっているとはいえ
四面楚歌状態、今川両上杉里見古河公方など割と強大な敵対者が多い。
>>277
信玄と親族衆との関係に関しては有力な相手が信繁しかいなかったというのが
まず大きい。他は戦えるような相手じゃない。
近い親族はほとんど滅ぼされるか無力化されていて、信繁以外の弟は幼い。
国人衆も勢力を削られている、その上名門武田家の嫡男で守護、
信虎の成果や生まれの恩恵による部分も大きいと思う。
そして国人の支持を受けれたため、他に対抗馬を担ぎ出す勢力が存在しなかったことも大きい、
これは信玄の人望ゆえか信虎追放のための御輿として好都合だったからかは分からないが。
0285名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:53:06ID:CpbVffeU>信繁始め親族と関係良好だったのは、信玄故とも考えられるし
に対しての>>279、>>280と見ると見方が変わるかもしれない
0286名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 00:09:32ID:U+Xl6Aba>義信が南進に同意しなかったこともあるし、
義元の戦死は1560年
駿河攻めは1568年
駿河を攻めるためとするならタイムラグが大きいと思う。
1564年徳川が三河統一
三河攻めを今川に持ちかけたのがいつかは分からないが
徳川に三河を奪われる様を見て信玄が駿河攻めを考えたという
可能性もあるかもしれないが、この時期は上野攻略の最中
今川と敵対するような真似をするとは思えない。
東美濃での織田武田の戦いが1565年春
義信事件が1565年夏
甲尾同盟が1565年秋
むしろ織田との同盟と婚姻が問題なんじゃ・・・
0287名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 00:55:47ID:ImywY8Nt>竜造寺も島津と戦う時は問題など無く最盛期と言っていい。
>石高では島津と竜造寺が戦った時は多少竜造寺が上程度で
家督を渡して以降、親類縁者の謀殺や肥後での粗暴な振る舞いが続き
肥前・肥後の国人が離反し始めた時期、開戦の理由も有馬の離反。
>そんな事実が何処に?大友から離反者が出るのは島津との戦いの後
改宗とそれに伴う寺社の破却、家督を継いだ義統の無能さや宗麟との対立
権勢を振るった紹忍への反感等が招いた家中対立は深刻
耳川の敗戦も統制不足からの勝手な突撃が要因の1つ。
知らない事まで、わざわざ言及しなくていいよ。
>この時追い詰められていたのは氏康の方だと思うが。
扇谷上杉は氏綱の代から衰退の一途、対して北条は関東の最大勢力
北条の優位は既に決まりつつあったと思う。 微妙なところではあるけど
>信玄と親族衆との関係に関しては有力な相手が信繁しかいなかったというのがまず大きい。
信長も信秀勢力の継承者としては信行しか居ない
他の親族は元来から協調していたのでもないし。
0288名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:04:57ID:ffWXfaPZつ最上義光
0289名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:31:33ID:U+Xl6Abaその説明によると大友に関しては内通者離反者いないじゃん・・・
それに竜造寺から国人が離反って、それその時期から急に始まったわけじゃなく
もっと前からなんじゃ・・・
国人の反乱を潰しつつ謀殺しつつ勢力を広げたのが隆信だと思うのだが・・・
北条に関しては扇谷上杉への優位は決まっていたと思うが
上杉への優位はまだ決まっていない、
だからこそ足利が離反したといえるのだし。
0290名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:52:42ID:9LHBL7ij晩年は負けがこんで体制が不安定になってたんじゃまいか。
それが家督相続時の揉め事の一因になっていたのかもと妄想。
0291名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:58:00ID:U+Xl6Aba信長が後を継いでからの信勝の謀反信広の離反は
信長の人格にも問題あるだろうが一番の理由は
道三の死亡と蟹江城を奪われたことじゃないかと。
0292名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 03:45:17ID:DxTcHQGu0293名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 04:07:56ID:9LHBL7ij過去スレ読めば。
0294名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 06:24:57ID:DxTcHQGuスレタイ、読めない方ですか?
0295名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 07:34:47ID:pK/oz5bsスレタイはよめてもテンプレは読めないようで
ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。
0296名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 08:20:04ID:9dkCV88f武田家では信虎が甲斐を纏め上げた功労者であるにもかかわらず、急進的過ぎるということで国人層の憎悪を一身に受けることになった
逆に言えば、信玄が反信虎で立った以上信繁を守り立てるメリットを持つ実力者はいない
織田家の場合、信長は信秀から既に城を譲られ独自の側近団で固めはじめてたから、旧来勢力(恐らく信秀に対して家臣というより同盟者意識を持っていた)からすれば追い落とされる危機感があった
弟に味方した連中の主力は、柴田といった元々信秀存命時から信行に付けられた者達か、林氏のように対今川戦略で既に信長と不穏になっていた連中だし
0297名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 09:47:19ID:qPXbMlQv言ってる事はまともだがその改行はいかがなものか。
0298名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 14:05:52ID:15aiiDRaだな。
氏親はそれなりに対策をとっていたにも関わらず
義元が家督を争う羽目になったのも福島氏がいたせいだし。
弟は何の経験も軍事力も無かったのに。
元就が弟と争ったのも背後に吉川尼子が。
他に嫡男ほどではないにしても弟に兄に対抗するだけのそれなりの軍事力がある場合は
本人よりも親の責任だし。
0299名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 15:16:41ID:ObQxPHz5>その説明によると大友に関しては内通者離反者いないじゃん・・・
内部崩壊が始まっていたのは認めるわけだね?
>それに竜造寺から国人が離反って
>それその時期から急に始まったわけじゃなくもっと前からなんじゃ・・・
力関係から靡いたのは別として、例えば? 小田を始めとして
一連の流れにおいて、隆盛を誇っている状況での国人離反は珍しいと思うが。
>>296
>急進的過ぎるということで国人層の憎悪を一身に受けることになった
戦国時代なんだから、人格云々というような現代人好みの話ではなく利権の奪い合いでしょ
信虎が抜けた存在となっていたから、言ってる事には同意。
>織田家の場合、信長は信秀から既に城を譲られ独自の側近団で固めはじめてたから
結局、配慮が足りず旧来勢力や国人層をまとめきれなかったわけだ
織田の別家は信秀死後の状況からして仕方ないが、信行へ流れたのは信長が原因でしょう。
0300名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 15:37:04ID:15aiiDRa自分は>>284や>>289の意見に近いのだが
耳川直前の大友は確かに内部で問題はあったがそれでも島津より強大。
内部で問題と言えば織田も豊臣も問題や対立を抱えていたが勢力を広げている。
大友の問題が具体的に表れるのは耳川敗戦後で、
田原の謀反秋月筑紫竜造寺の離反なども島津との大敗を受けたあと。
>>299
>一連の流れにおいて、隆盛を誇っている状況での国人離反は珍しいと思うが。
つ信長
というか竜造寺からの離反が相次いだのが80年前後に多いって単にその時期に
竜造寺が急成長したからじゃ、離反者も増えたが同時に勢力も拡大している、
単に配下の国人の絶対数が増えてるだけなんじゃ。
>織田の別家は信秀死後の状況からして仕方ないが、信行へ流れたのは信長が原因でしょう。
どっちかというと>>291が言うように今川と斉藤の影響なんじゃ、
信長が原因であるならもっとはやく行動していてもおかしくない、清洲を奪う前とか。
ついでに信秀にも原因あると思う、信勝に城や家臣を与えすぎたんじゃ・・・
元就や信長北条のように後継者対策をもっとしておけば。
0301名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 16:00:23ID:4og2BYZc公然と敵対してくれたお陰で、自分の反対者を簡単にいぶり出して叩けるわけだから
信長にしろ、家康にしろ家中分裂の危機を乗り越えた後は領国一職支配を成し遂げてその後の雄飛の原動力としている
その家々によって状況が全く違うから、その大名の生涯を通じて見ないとなんともいえないという当たり前の結論が妥当だと思うが
0302名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 20:19:21ID:xm1JvbDBなどと論じるのには無理もあるよな。
例えば尼子と敵対した元就と今川と敵対した信長を比較しても
どっちが不利だとか一概に比較出来る話じゃない。
桶狭間なんて大ピンチと同時に、ある意味大チャンスだったわけだし。
隣接する最大勢力のを討ち取れて、おまけに
分裂して同盟相手まで誕生するんだから。
0303名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 21:01:38ID:4n7pN0GMそれは「勝った」からであって、織田家が大ピンチな状況におかれていたことに
かわりはない。
あの状況で「よっしゃ!義元を討ち取って松平を独立させてこちらの同盟相手に
するチャンス到来だぜ!」とか考えたならそいつは頭のネジが百本ばかし抜けている。
0304名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 21:25:54ID:xm1JvbDB書き方悪かった。
あくまで結果論から考えてな。
でもワロタよw
0305名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 00:04:19ID:Cn1W8gRw>耳川直前の大友は確かに内部で問題はあったがそれでも島津より強大。
>内部で問題と言えば織田も豊臣も問題や対立を抱えていたが勢力を広げている。
織豊とは全く別、内部対立はあったかもしれないが
信長、秀吉は優れた当主であり統制も執れていたのに対し
耳川直前の大友家は若い当主と先代が対立、しかも当主は器量に疑念を
抱かせる振舞いが多く、先代も異教に傾倒、さらには神仏を弾圧して家臣団の反感を招き
家中は能力のない寵臣が実権を掌握。
そんな状況で遠征を強行しても気力が湧かないのは当然で
耳川で大敗したのも必然だと思う。
>というか竜造寺からの離反が相次いだのが80年前後に多いって単にその時期に
>竜造寺が急成長したからじゃ、離反者も増えたが同時に勢力も拡大している
勢力拡大に伴って傘下へ入る国人が増えるのは自然だが
九州の覇権を掴んだ時期に離反が増えるのは不自然だし
加えて離反者に親族・縁者や数年来傘下へ収まっていた家も多く、
粗暴、残酷な振舞いへの反感・鬱憤からと考えるのが自然じゃないか?
この辺は自分の意見というより、書籍や軍記物の受け売りなんだけども
0306名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 01:22:50ID:xRoo6FZpなんか大友に関しては結果論過ぎ。
竜造寺に関しては状況無視してないか?
離反者がでようが勢力は拡大して上手くいってる分には基本的に問題無いと思う、
それが原因で衰退しているわけでもないし。
最もあのまま勢力を拡大しつづけても信長や武田信虎同様いずれ破局を迎えるとは
思うが。
0307名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 06:19:37ID:kCcr6Z+A0308名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 08:18:52ID:DI6euROLと、いうよりはそれ以外に家督を継げる選択肢がなかったわけだな
もし父と同様に国人層を完全な統制下に抑える方法を考えてることがわかったら、それこそ父のように追放か
過去スレで武田の豪族連合体質が信玄に与えたデメリットは散々言われてきたが、それがなければ戦国大名として誕生できなかったというジレンマ
自分の意志を通して武断的に領国支配強化、という方策は採りたくても取れなかっただろう
そして、晩年にはそれまでの実績と宗教的権威の利用などでようやく強力な指導体制を作ったが、それが信玄個人のカリスマという形でしかなかったので没後に反動が息子とその側近に
何しろ武田譜代の跡部すら勝頼に頼りにされただけで「奸臣」扱いされるぐらいだし・・・
0309名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 10:24:56ID:bkqgkAHNおよそ合理的な理由ではなかったんだ
戦国に生まれて生涯を戦に捧げた武人として、畳の上で死ぬのは不本意だったんだよ
そして最後を飾る戦は敵が強いほど良い
しかしその望みはかなえられなかった・・・・・・
0310名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 19:26:09ID:Ti/9f7/30311名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 19:44:50ID:Cn1W8gRw結果論では無いよ、耳川の合戦では統制が利かず布陣も好き勝手
作戦無視しての抜け駆けが敗戦の端緒となった
軍勢は多くとも烏合の衆では勝てない。
>竜造寺に関しては状況無視してないか?
無視しているのはそちらだと思うが。
大友から覇権を奪ったにもかかわらず、島津と衝突する時期は離反が続出。
やはり、鍋島直茂を始めとする家臣の諫言を無視してまで実行された
数々の苛烈・残酷な処置が原因だと思う。
>>308
>過去スレで武田の豪族連合体質が信玄に与えたデメリットは散々言われてきたが
もっとも主張する度、散々に否定されたが。
0312名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 20:09:38ID:kCcr6Z+A>もっとも主張する度、散々に否定されたが
知らないなー。ゼヒ教えてほしい。簡単でしょ?過去ログよめですませないでね。
0313名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 20:09:59ID:Ti/9f7/3何スレ目かわかれば見てくる
教えてくれ
0314名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 20:11:01ID:Ti/9f7/3分かるとは思うけど
>>過去スレで武田の豪族連合体質が信玄に与えたデメリットは散々言われてきたが
>もっとも主張する度、散々に否定されたが。
これに対してね
0315名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 22:25:42ID:Cn1W8gRw直臣はもとより先方衆も含めて、軍事面で組織だった体制を整えているが。
武田家が豪族連合体質ならば、戦国時代の大名は皆豪族連合体質
0316名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 22:36:29ID:Ti/9f7/30317名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 22:42:33ID:cFctHlo9>結果論では無いよ、耳川の合戦では統制が利かず布陣も好き勝手
>作戦無視しての抜け駆けが敗戦の端緒となった
>軍勢は多くとも烏合の衆では勝てない。
普通はそれを結果論と言うんじゃないか?
多分大友が勝っていれば全く逆のことを言われていたと思うが、
確かに大友家にはいくつかの問題はあったが、その問題が
絶対的な国力の差を覆せるほどのものなのか?
耳川で大敗したのも必然などと言えるのか?
自分含め周りの人間の意見は苛烈・残酷な処置で離反が続出して問題があるのか?
だと思うが
中途半端な支配体制のままで見かけだけ勢力広げるのと、織田や徳川のように強固な
支配体制固めるのとどっちがいいのか?
六角のように統制に失敗するならともかく竜造寺の場合は織田や徳川の様に反乱潰しながら
勢力を広げているのだから問題無いんじゃないか?
0318名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 22:44:59ID:cFctHlo9何のソースも論拠も無しに
>直臣はもとより先方衆も含めて、軍事面で組織だった体制を整えているが
これでは
何の説明にもなっていないと思うが・・・
論拠が講談でも小説でもいいから何らかの説明をするべきでは?
0319名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 22:57:21ID:LXqQXBTL0320名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 23:15:32ID:Ti/9f7/3お前は講談がソースですと言われて、はいそうですかとそれをソースとして認められるのか
0321名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 23:21:18ID:D4rBrcIz0322名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 23:57:32ID:cFctHlo9というか>311は講談や小説すらあげてないんだし
0323名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 03:17:38ID:AGqAY/+t0324名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 03:33:54ID:Ga7ZKlpfそれを結果論と呼ぶとしたら、人間はあまりに無能すぎる存在だな。
大友家の家中分裂、執政の出鱈目さから来る士気低下は深刻で大きな問題だろう
実際、領国の広さだけでは合戦に勝利できなかった、耳川で大敗したのも必然。
>僕の意見は苛烈・残酷な処置で離反が続出して問題があるのか?ってこと
織田家が効率はよくても、強固な支配体制でない事は歴史が証明しているが、それは置くとして
全盛期を築く時期にも苛烈・残酷な処置あるが、それは謀略等理由のある行為で
後年の竜造寺隆信が見せる、離反続出の契機となった常軌を逸した異常性とは別モノ
0325名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 03:41:37ID:W4XgxTXT(^ω^; )うっわ・・・
0326名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 07:18:25ID:I0WrlStk本当に講談やら小説やらをあげかねんぞ
0327名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 11:40:07ID:C8X1G1zK寄親―寄子のシステムなら、それこそ全国的なデフォ
でも、「豪族連合的な武田家」の否定でしょ肝は?
例えばどんな時期からの体制を指しているのか。豪族代表といえる板垣・甘利らが両職として実質武田家を取り仕切ってきた時代以降のことだよな?
0328名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 11:49:57ID:I0WrlStk本当はなかったんじゃないかと疑っちゃうぜ
0329名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 12:00:11ID:OXkRMTDEお前、50城だろ
0330名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 12:32:01ID:jCxt3wBL別物という根拠は?
つーかほとんどすべて小説講談妄想を根拠にしてないか?
なんか石田三成がいる限り西軍が負けるのは必然と言うようなタイプに思える
0331名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 12:33:18ID:I0WrlStk0332名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 14:08:00ID:f7X/5SFi0333名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 19:20:03ID:opSeWxHp0334名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 19:46:50ID:IDmbTPk3上洛が楽だったろうに。
0335名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 19:53:09ID:xIV/w1YM0336名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 21:43:12ID:mNrOgOz/微妙な信玄
0337名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 21:59:07ID:EheWjw2Y0338名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 22:11:46ID:I0WrlStk0339名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 23:28:39ID:+yX0TPn2田原紹忍は
無能と言いきれるだけのエピソードはあるか微妙
耳川では総大将となっている軍記物もあるらしいが
そうでない軍記物もあるらしいし。
重用された一番の理由は豊後最大勢力の田原総領家を牽制するため
じゃないかと。
田原家を弱体化するため田原家の領地を庶流の紹忍に与えてる。
0340名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 01:07:36ID:iUfTfO3w勝てたかどうかはよくわからない
だいたい騎馬の突撃を使えば勝頼と同じ事になった可能性も
なくはないのだから
0341名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 01:29:32ID:6kBbi+6F0342名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 02:53:21ID:X3mkICB0勝頼の活路を残しておきたかったのではないかな。
信玄は信長を高く評価していたし。
0343名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 02:57:04ID:/AlRvgbI武田:犯珍
0344名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 07:14:50ID:W8NpVFUYそんな簡単に釣られちゃいけません!
0345名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 09:01:42ID:CT1gR24f0346名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 10:20:13ID:ggLMkD8L結局、地方で巨大化した大名達はよりドライスティックな形で近世大名の雛型に移行した織田家に追い抜かれた
その信長は明智の謀反で散り、討った明智も織田家中から総スカン食う形で滅亡
結局、徹底した検地刀狩りによる民衆の直接支配を成し遂げた豊臣家の全国制覇でこの競争は終焉したわけだが
0347名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 13:32:05ID:HdNPY0n/積極的に前に出て有利なら時に大将自ら攻撃を指示し、不利なら叱咤して持ちこたえさせたと
信玄の実戦での指揮ぶりはどうだったんだろう?
0348名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 18:37:00ID:lryRk2kI信玄はそのようなことしなさそう
というか総大将が自ら突っ込むなよ信長・・・
0349名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 19:22:07ID:rOEcrOZ2陣頭指揮した、ぐらいにしか
上田ヶ原の戦いでは信玄は先方が反撃で壊滅しつつあるのを確認できず渡河して、あやうく自身も討たれかけた
先陣にいるほうが却って状況を把握できて安全ということかも
0350名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 19:56:32ID:oqt+TJex0351名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 20:15:37ID:JND4Z5U5敵がこっちの有利な日取りで戦ってくれると思ってるアホが一人
0352名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 22:58:11ID:Yu9yTdnqそんな簡単に釣られちゃいけません!
0353名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 00:09:25ID:46ODgjNpそんな簡単に釣られちゃいけません!
0354名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 12:05:57ID:rG7a2+Ix武田も2万5千の騎馬突撃があるから足場の良い晴れの方が有利だな。
0355名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 12:31:24ID:YkJuNVcz0356名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 20:24:32ID:2XyXgEhh鉄砲一丁あれば勝手に全滅するだろうな
0357名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 22:23:33ID:uQ3djIU0蒲生軍が4千近い首をとってもその中に信長はいないだろうが、信長軍が五つ首取ればその中には間違いなく氏郷がいるだろうと
『名将言行録』からなんだから信憑性はアレだが、信長の軍事的傾向の一面を表しているな
0358名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 22:58:37ID:Bj2oj9XO0359名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 23:02:09ID:H4/yk8GF0360名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 23:08:29ID:Bj2oj9XO0361名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 23:36:06ID:46ODgjNp0362名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 23:43:35ID:Bj2oj9XO頭おかしいのか?
0363名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 23:51:34ID:46ODgjNp0364名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 23:54:47ID:46ODgjNp死んだ人間に対しての実績からの評価と
現在の実績から評価して未来を予測するのが当たるか外れるかも
全然話が違う。
0365名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 05:22:29ID:ClwIUW9r煽りは一切抜きで公平に頼む。
俺は信濃・西上野攻略に苦戦したのを差し引いても
優秀な指揮官だったと考えているが。
いかに優れた戦略があっても、結局は戦術が駄目なら
戦略目標は達成不可能だし、要所要所では
ちゃんと勝利しているようにも見える。特に対北条。
0366名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 06:20:58ID:gRwwqfGc煽り一切抜きでも
優秀より下、平凡よりは上ぐらいになると思う。
劣勢の相手にしばしば苦戦している、
勝ち戦はすべて数に頼った戦い、それを評価するとなると政治や戦略能力。
戦場に着くまでの行動は優秀だが、
戦場での行動・戦闘面においては平凡。
そんな所だと思う。
0367名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 10:26:05ID:Y9tkHqgb孫子に深く傾倒していた影響か、戦術的優位な体勢を執拗に模索してから戦ってるし、謀略や外交を好む
諏訪侵攻なんかはその典型かも
0368名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 10:53:35ID:JCX1RT2D武田氏の幹部を見ればわかる通り、地元豪族から成る一門衆・譜代衆だけが要職を独占し排他的
信虎の代に家臣に加わった他国者武将の子弟ですら足軽大将ぐらいまでがせいぜいで、それより上になるのは困難だった
信玄自身が無能とは程遠く各種の改革を行ったことは確かだが、よくこの基本構造を変えずにやれたものだとむしろそこらへんを感心する
0369名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 15:09:01ID:zkZd/Mzb対村上の敗戦を考えると、
要所要所でちゃんと勝利しているとは言えないでしょ。
0370名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 16:14:42ID:9O+/xr3X氏康が不在とはいえ山道で挟撃されるという最悪の状況を覆しての勝利。
半歩でも間違えば全滅という恐ろしい状況であれだけ鮮やかな指揮をとれるのは信玄だけだろう
0371名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 16:18:00ID:XV94Ql910372名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 16:29:02ID:RwhmMR5Y0373名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 20:34:12ID:mei2wXCg北条氏照書状によれば「足軽を蹴散らし、武将(宗の者)を何人も討った。信玄を討ち取れなかったのが残念」と、北条方の勝利と喧伝している
一方、信玄勝利としているのは例によって軍鑑
宣伝の可能性がある書状と、偽造疑惑がついて回る後世の本じゃあ・・・・・・
0374名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 20:42:08ID:PJ5ye9qb0375名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 20:55:12ID:mei2wXCgだいたいそれをいったら武田氏関連の書状も写本が大半・・・・・・
0376名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:30:31ID:5GC5s+l2翌月には駿河に再出兵しているし、そこまでの損害は無かったんじゃね?
まあ、高級将官であるところの浅利を失ったのは手痛い所だろうけど。
0377名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:02:24ID:zkZd/Mzb0378名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:21:21ID:HWloeyUG逆方向からの牽制でしょう。もっと大胆に言えば越相同盟に対する牽制。
小田原を落城させるつもりも北条の関東分国を切り取るつもりもなかったんだから
大軍を動員した戦略的側面の方が大きい。
でないと落城寸前の滝山城攻めをやめさせた説明がつかん。
どっちにしろ駿河での戦闘は続いているわけだからどっちも大した被害無しかねえ。
川中島第四回戦も直後の武蔵松山城攻めを考えたら兵卒の被害は少ないと言われるし。
で、>>365の本題に戻ると
やはり戦闘指揮官としてはそこまで劣っているとは思わないが政略家として評価したほうが適切かと。
兵農分離がなされていない現状で戦闘に勝利しても兵卒を失えば将・民からの信望も労働力・国力も損なうだけ。
武田の主要な敗戦で武将討死が多いのは国人である彼らが兵卒=領民を護るためにも当然か。
圧倒的な戦力差で相手を戦わずして倒せるならそれに越したことはないんだから。
ただ政略家としては後継問題が甘かったな。国人連合たる武田家の強さは組織にはなかったんだから。
勝頼を陣代とせずに当主とする、というより義信廃嫡から適当な時期に勝頼に家督相続させてもよかったんじゃないか?
別に氏康や氏政みたいにそれで実権を失うことはないだろうし(廃嫡事件があるから家中に動揺があったんだろうが)。
それが仮にしなかったのではなくできなかったとすれば新興の北条家(氏政・氏直への円滑な家督相続)
よりも名門武田家は領国支配は磐石ではなかったと言わざるを得ない。
0379名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:27:46ID:Gm9HymIG三増峠は撤退戦の一局面の出来事であり、この一事をもって勝ち戦とは到底いえない。
これが勝ち戦になるのなら、金ヶ崎退陣も勝ち戦になってしまう。
0380名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:28:51ID:2aVy9MR8具体的にどれぐらい多いの?
よくこういうの見るけどさ、ただ単に武田が有名だからそういうのが目立つってだけじゃないのか。
0381名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:00:44ID:HWloeyUGうーん、困ったことに比較する史料は少ないんだよなあ。
江戸期にそういう史料が残った(悪い言い方すれば創られた)のが有名大名なわけで
兵卒の士気を考えれば戦国後期の大規模戦で国人クラスの武田に限らず討死は多いと
考えられると言ったほうが適切だったかな。
第二次国府台とかでも北条・里見は有力武将を失っているから。
むしろ織田家が戦国後期にしては有力武将の戦死が少なすぎると言ったほうがいいか。
0382名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 01:18:16ID:ReN5cupr似たような状況に摺上原の戦いがあるが、
政宗の方が戦術的には状況が厳しかったにも関わらず
三増峠のような曖昧な勝敗ではなくちゃんと勝利し
かつ葦名領を手に入れるという結果を出している。
相馬葦名佐竹の侵攻に対し、相馬領を攻め急転し、佐竹と葦名が合流する前に
葦名を壊滅させ、そのまま芦名領を奪い、ついでに南陸奥の諸豪族も従属させている。
信玄のは戦術的にも戦略的にも意味があったのか難しいが
政宗の方は戦術的にも戦略的にも勝利している。
政治外交的に無駄になったけど。
>>378
>武田の主要な敗戦で武将討死が多いのは
これ前にもあったが織田だって武将討死が十分多いって結論にならなかったか?
0383名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 08:03:37ID:MFrCrBSj三増峠での武田軍戦果3千なんてちょっと信じられん。そこまで戦闘力が北条軍に対して隔絶してるなら、戦争全般でもっと優位に戦っているはず
やっぱり武田氏の討死が多いのは、武将クラスにも大損害が出る撤退戦での打撃がいくつもあること・軍鑑などで武将名が有名なことの相乗効果だろうな
足軽大将クラスの討死がいちいち有名なのってちょっと他にないんじゃない?
0384名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 13:23:04ID:1wTP1yux0385名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 14:05:15ID:vt2o/IlX計算高い人間だから、戦においても堅実なのは必然
ただこういう人間は往々にして計算が狂った際の挽回の仕方が上手くない
0386名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 14:39:05ID:1wTP1yuxだから計算の範疇に収まらない高能力の武将相手には
しばしば敗退している。
そこらへんは信玄の凄さでもあるけど弱点でもあったな。
0387名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 17:09:52ID:h+/AzKJpそれだけの損害っつったら長篠日記準拠の3万以上の織田軍損害と同等
手取川合戦で一方的奇襲かけて勝利したっていう謙信の手紙を信じた戦果以上だ
0388名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 20:09:51ID:uPs2gzzB>これ前にもあったが織田だって武将討死が十分多いって結論にならなかったか?
スレ番教えて
0389名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:45:23ID:zxHRZGu138
0390名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:57:59ID:JhNXxdAM例えば織田家としては元亀年間に兄弟二人(天正元年も入れれば一人追加)が戦死。
また武将クラスとしては森可成や坂井政尚、氏家ト全、原田直政らが戦死。
さらにかつての一長林佐渡の継嗣新次郎通政、二長平手政秀の息子兄弟三人が戦死。
林や平手はとっくに家老職は解かれているが、それでも所領は大きなものでそれだけ
戦力も抱えていた立派な織田家の重臣クラス。
また森、坂井、原田などは戦死した時点では後に有名になる秀吉や光秀と地位の上で
同格かまたは上回っていた。
彼らは、途中で退場したのであまり有名でない、というだけ。
0391名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 00:10:32ID:xlerUQav238 名前: 無名武将@お腹せっぷく 2006/01/11(水) 00:41:25
というか、普通に織田でも重臣クラスの戦死はあるよ。
それが、戦死という結果からマイナーにとどまっているため印象に残らないだけ。
例えば、追放まで信長家臣のナンバー1、柴田よりも上だった佐久間信盛は本来は
次男。大学助が桶狭間で戦死してから、彼が佐久間一族の代表(総領格)になった。
佐々成政は三男だし、前田利家は四男。近江戦線で戦死した坂井尚政や森可成も
その頃は秀吉や光秀よりも地位は上な重臣だった。
また一族で言えば信繁のような副将格とまでは言えないが、連枝の重要人物の戦死
がそれなりにある。連枝衆筆頭として信長の戦に従軍した庶兄信広や京を守る重要
地点宇佐山を森と共に任された弟信治などの戦死の意味は小さいとは言えないだろう。
0392名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 03:44:58ID:edN8IgBa上洛はできなかったかも知れないけれど、
信長が無事におられた気にもなれないなあ。
0393名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 06:42:52ID:btUTgnNr0394名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 08:15:50ID:qLgsonCC一方、信長のそれは結果論から逆算できても、基本的に余人が真似できるものではない
桶狭間のように総数で負け、外交で遅れを取り少ない戦力をさらに分散させて各個撃破くらいながら、唯一の天候変化のタイミングを掴んで大将部隊同士の決戦に持ち込んで勝利、なんて真似はもう計算どうこうの世界じゃない
お手本にするなら信玄だが、凄みでいえば信長
0395名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 09:12:08ID:QaLb/aXV0396名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 09:47:38ID:ZVNv12J0桶狭間はまさに秀吉評と伝わる信長の軍事的評価そのものだな。いくら敵に首を取られてもその中に信長はおらず、織田軍がいくつか首をとればその中に敵大将はいる、と
0397名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 10:07:01ID:QaLb/aXVいや、だから「そこまで大きく評価」と書いたんだが。
桶狭間は偶然の要素もかなり大きいし。
0398名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 10:14:05ID:oPywzuRJまぁ信長の用兵はちょっと普通じゃないところがあるよな。
森部の戦いでは劣勢な味方兵力を却って分散させて勝利している。天王寺合戦でも包囲下に突入してから兵を分けて後背を突かせている。
どちらも孫子なんかの原則には思いっきり反している。
0399名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 10:56:44ID:9S9ZtlEkそういう香具師でないと一代で大勢力は築けないんじゃまいか。
0400名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 11:25:16ID:fHj/b3To0401名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 11:44:21ID:C9koJq7L基本は信玄と同じかそれ以上に外交・調略を重視し、大兵力を整えてぶつけることを重んじてるでしょ
普通の人間なら、桶狭間みたいな勝ち方すれば調子こいて天運を信じて無謀な戦続けそうなものだけど。信長にはそれが無かったのが一番の怖さかも
0402名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 12:35:07ID:bkLfQ917まあ外交軽視っつうよりは政治体制が当時のヨーロッパと合わなかったって事
情の方が大きいか。
0403名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 12:45:32ID:mCRtPxPo元々相手が違う文化圏に属する連中で、外交が通じにくかったという面もあるが
講和交渉も蹴っ飛ばし、部下がついてこなくなるまで只管戦闘を頼りに突進
0404名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 19:42:50ID:pyWcucxT経験豊富な織田家中誰一人信じなかったのに、朝倉軍は本当に逃げた
このあたりの直感力というか、軍事的センスは普通に並じゃなかったようだな
一度だけなら偶然かもしれんが、二度三度となると必然
0405名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 19:54:21ID:l2oETCe3自然を読む力を持っていたら天下を取れる可能性が格段に上がると思われる。
0406名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 20:05:09ID:QaLb/aXV0407名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 21:07:55ID:Fp36iQzWごく自然に触れ合って育まれたものだと思う。
彼の動物的な感などは、書物から得た才能とは到底、思えない。
逆に信玄は書物から得た知識が自身の才能に、
直結している部分が垣間見える。
0408名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 21:21:45ID:1yI9A3nh瞬間の判断力ってやつか。
信長の合戦で一番好きなのは天王寺合戦だな。
本願寺攻めの最中に逆襲され、逆に天王寺砦に包囲された明智その他。
その知らせを聞いた信長は急遽かき集めた3千で1万5千の包囲軍に突入。
包囲を突破して砦の兵と合流するやそのまま外に打って出て本願寺勢を蹴散らすという。。
鮮やかというか無茶苦茶というかw
0409名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 23:46:20ID:aUSzP+eV朝倉攻めにしろ、桶狭間にしろ情報力と緻密な作戦のほうが評価されるべき。
0410名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 02:40:06ID:xgwPBE7C信長は戦略からの必然
でも信玄のほうがすきだ
0411名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 03:15:11ID:tjKOQBmw少なくとも信長の乗馬に関しては、走行距離、走行時間ともに相当なものだよ。
0412名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 05:14:24ID:c6eYrqUE信玄の方が戦術的に必然で
信長の方が戦術的には場当たりな気がする
兵を分散させたり劣勢でも戦ったり
戦略的には信玄は場当たりかもしれんが
0413名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 06:35:21ID:PK2RgBv/駿河攻めは外交に失敗しただけで、それも北条との決戦には至らず
再同盟にこぎつけてる。
0414名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 07:22:21ID:S6vvE4doなにこの信玄補正フィルター
0415名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 07:34:23ID:PK2RgBv/全く何の算段も無いなら場当たり的になるだろうな。
ところでその「補正フィルター」みたいな言い回しやめなよ。
そういう話をすると話のレベルが下がるだけ。
0416名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 07:53:11ID:S6vvE4doこれによるメリットは
そしてその算段とやらはなんだ
信玄の行為は全て意味があって、当初は場当たり的でも、結果的に問題解決したから、総合的に場当たり的じゃないというのは高いレベルの話なのか?
つか実際駿河から一時撤退してるじゃないか
0417名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 08:02:32ID:Pb3feyKY後の動きを見ると二正面作戦を最初から考えてたわけでもないだろうし(考えてたら、最高の愚将。上杉とあわせて三正面)
0418名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 08:48:03ID:PK2RgBv/そもそも場当たり的で戦略の無い武将が北条上杉織田に囲まれて
120万石まで拡大出来るわけないだろ。
お前は駿河攻略における一連の行動は全て場当たり的で
事前の目論見も全く無いメクラな戦争だったが
結果的にうまくいっただけだと言いたいのか?
周囲を敵だらけにした事をもって戦略眼が無いと言うなら
信長も戦略眼皆無だな。
お前みたいな奴は一事をもって大袈裟に持ち上げすぎなんだよ。
で、反対意見にはフィルター呼ばわりやらで、やたら攻撃的。
議論する資格無いよ。
0419名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 09:03:59ID:PDn3xycr中世的な宗教が世俗にも大きな力を持っていた。財政面では様々な諸役を新説したが、逆に言えばそれに耐えられる経済特権を維持していたということ
一門・譜代偏重の人事といい、実に「日本的」だった
しかし、これが悪一辺倒かというとそうでもない。徳川三百年がこれと同じ一門譜代偏重で持った(宗教は徹底統制したが)ことからわかるように、安定性はある
信長のような実力主義は活力を呼ぶが、光秀謀反のようなトラブルを孕んでしまう(外部の人間であるオレを重用してくれた、と生え抜き以上の忠誠を発揮するタイプもいるが。腕一本で生きる人間は野心家であることが多い)
0420名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 10:11:55ID:S6vvE4do今川攻めの事言ってるのにいつの間にやら大名の生涯の戦略にすり替えか
今川攻めに関しては言うとおり
だから、その事前協議なく攻め込むとか、徳川にまでちょっかいだすとか、その凡人の俺には到底理解できない信玄が心に秘めた算段とやらを聞いてるんだが
質問に答えずに、じゃぁ○○も△△だなというのはレベルの低い話じゃないのか?
そして、俺は信玄が生涯通して 常 に 場当たり的な行動はしていないといって、駿河攻めまで場当たり的ではないというお馬鹿な信玄フィルターに反論してるまで
そりゃ駿河攻めにスポット当てるのは当然、つかお前が駿河攻めを軽視しすぎ
挙句に自分の気に入らない言葉の一事をもって大袈裟に騒ぎ立て、反対意見には議論する資格wない呼ばわり
大層レベルの高い話をされる方でございますね
信長のの字も出てないのに信長持ち出すあたり、よっぽどコンプレックスあるんだな
0421名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 10:32:35ID:pT7Mu6dQ武田側からすれば、家康が今更信長を裏切るとも思えないので次はオレ達とだ、と判断したのかね
予防的に攻撃をかけようとしたとか?
でも先制攻撃にしては不徹底だよな・・・・・・?
0422名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 10:52:38ID:PK2RgBv/本題は信玄の戦略全体に関する話だ。ちゃんと理解してるか?
信長の例を挙げたのは信長が戦略的に極めて優れた武将だからなんだが
コンプレックスとはどういう意味だ?
お前は全体的にレスがくだらない偏見や煽りに満ちている。
コンプレックスだのフィルターだのと、くだらない単語を
なぜ交える必要性がある?
0423名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 11:01:54ID:PK2RgBv/議論の相手にレッテルはりしてる奴っぽいw
0424名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 11:51:01ID:2svn3ILj諏訪侵攻の際も、相手の一族を分裂させて半数を味方につけたはいいが、彼らを出し抜く形で諏訪氏と頭越し講和したために後に敵対されている
これは簡単に撃破できたけど、そういう傾向があるかも
信玄自身の判断なのか、重臣連の合議の結果なのかはわからんが
0425名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 13:20:12ID:S6vvE4doだから俺はお前が今川攻めまで場当たり的じゃないといってるから、それについて聞いてるんだろ?
で、その信玄の算段ってなんなのさ
いちいちあっちこっちに話を飛ばすなよ
煽りと分かってるならそこはスルーできるぐらい耐性つけとけよ
0426名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 13:27:25ID:PK2RgBv/そもそも場当たり的ってのは、その場の思いつきだけで
何の先の見通し無く行動する事を意味しているわけだ。
信玄の駿河侵攻が仮に思いつきだけで、対北条の外交を
一切考慮してないなら、たしかに場当たり的と言える。
だからあえて信玄の戦略全体に話を戻して
信玄はそれほど愚かな武将ではないと書いた。
真面目な話をしている場面で信玄フィルターなんて言葉を使い
相手を全否定しておいて、スルーしろは都合よすぎだろ。
0427名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 13:45:59ID:S6vvE4doつまりなんらかの目的があって、北条と事前協議せず、徳川おちょくったんだろ?
そのなんらかの目的は何なんだと
それほど愚かな武将ではないならなんらかの目的があるんだろ?
0428名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 13:55:41ID:PK2RgBv/はぁ?
お前、俺の発言理解してる?
0429名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 13:55:43ID:F15uKVOu中山さん、お疲れ。
次は強打の聖陵が相手ですから、もう少し深く守ってもいいかもしれませんね。
>>ID:S6vvE4do
倉橋もお疲れ!
__
, ‐' ´ ``‐、 / ̄:三}
. /,. -─‐- 、. ヽ / ,.=j
_,.:_'______ヽ、 .! ./ _,ノ
`‐、{ へ '゙⌒ `!~ヽ. ! /{. /
`! し゚ ( ゚j `v‐冫 , '::::::::ヽ、/
. {.l '⌒ ゙ 6',! / :::::::::::::::/ __
. 〈 < ´ ̄,フ .ノー'_ , ‐'´::::::::::::::;/ (_ノ)‐-、
. ヽ.、 ` ‐", ‐´‐:ラ ':::::::::::::::: ;∠. ヽ_} ゙ヽ
,.r` "´ /:::::::::::::::::::ィ´ `ゝ !、 /
/ / :::::::::::::::: ; '´ /´\ / r'\
. i ! ::::::::::::::/ 墨 | .!::::::::/ヽ、.._!ヽ. ヽ、
{ {:::::::::::;:イ / ‖i:::::::/:::::::::::::/ \
. ヽ ヽ,.ァ‐'´ /ヽ 二 ,/`ヽ、::::::::: / ヽ
ヽ、 ,. ‐'" .ノ ,〈 > `'‐- '
> _,. ‐'´ / / `)
,ゝ _.⊥.-r┬:/
ヽ_,. -‐i"!´「L.=!┘ ヽ
< / / |
/ 、i / __ ./
0430名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 14:03:17ID:S6vvE4do駿河攻めは場当たり的に見えるかもしれないけど、信玄はそんなことする愚かな武将じゃないよ
だろ?
0431名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 14:11:36ID:PK2RgBv/お前が駿河侵攻を場当たり的と考えるのは
対北条の外交と徳川への敵対行為だろ?
それで何で>>427みたいなトンチンカンな話になるわけ?
目的を持たずに侵攻する武将がいるとでも思ってんのか?
0432名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 14:26:59ID:S6vvE4do北条と敵対する可能性があるにもかかわらず、東西に敵を抱えるリスクをあえて犯す理由はなんなんだ?
何か目的があって徳川まで敵に回したんだろ?
先を見通してれば、徳川とは友好的に行くか、最初に北条と協議しておくか、どっちかだろ
或いは、今川と結んで徳川攻めると同時に織田と手を切るか
実際には徳川と結んで、北条は無視で駿河攻めたんだから、徳川にちょっかいださずに、対北条に備えるべき
にも関わらず、徳川にまでちょっかいだした目的は何なんだと
で、俺にはその目的が見出せないから場当たり的だといってる
0433名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 14:45:44ID:PK2RgBv/駿河は武田にとっては絶対的に欲しい土地なのは当たり前だろ。
それでも北条に関しては外交の失敗だとはっきり書いた。
事前協議無しに侵攻したからこそ、わずかな期間に
駿府を占拠出来たという側面もあるわけで
それが必ずしも間違っているとも思えないが、失敗は失敗。
但し、信玄は他の人も書いているように見通しがやや甘い傾向はある。
そしてそれは場当たり的とは違う。
場当たり的とはそういった見通しが一切無しに行動する事。
信玄は基本的にしっかりした戦略があり、多方面に
敵を構える愚は避ける傾向が強かった大名。
つーか、何度も同じ事を言わせないでくれ。
家康に関しては最初から敵。お互いに駿河をお互いに駿河を巡って
敵対するのは当たり前の話。
駿河侵攻段階では利害が一致しただけだろ。
0434名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 16:06:57ID:S6vvE4do駿河巡って徳川と敵対する見通したてたなら尚の事北条と協議すべきだろ
北条が敵対するとわかってて、それでもなお駿河に攻め込んで徳川にちょっかい出して、当然のように北条がきたら駿河撤退の過程を見てどこに見通しを立ててたと言える?
見通しが甘いとかそんなレベルじゃない
ちょっと考えれば想定できること、それに対して何らかの対策を施してたならいざ知らず、何も為さずに攻めて、でも見通しは立ててたよはないだろ
最初から北条と協議して、或いは北条の援助も得て駿河攻めれば早くなることはあっても遅くなることないだろ
或いは徳川は何とかなだめておいて、徳川に回す兵も全て注ぎ込んでなるべく早く駿河抑えて北条と話し合うか
多方面に敵を構える愚を避けるなら尚の事どっちかしなければならんだろ
ちょっと駿河を早く取る為に、失った北条の信頼と駿河からの一時撤退という時間ロス
どう見れば見通しが立ってたというのか
0435名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 16:24:47ID:PK2RgBv/敵対国の徳川に実を与えないのは当たり前の話。
それから戦国の世で衰退する今川の為に、氏康があれだけ強硬な
姿勢をとるなんて予想はなかなか難しいだろ。
氏康さえ軍を出さなければ問題なく駿河は掌握出来ていた。
それでも結果として多方面に敵を構え失敗した。これは事実。
但し結果論で語るなら、この時は撤退に終わっていても
駿河攻略という戦略はそのものは完全に成功している上に
北条との再同盟にも成功している。
結局は戦略的成功を収めて全面的な勝利に終わった作戦を
一時的な撤退をもって場当たり的とまで評価は出来ないと思う。
戦略が場当たり的というのは、戦略が無いと言ってるも同然。
だからそれは違うと言ってるだけなのに、なぜそこまで
必死に煽ってまで食い下がる?
0436名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 16:31:21ID:pLA35B9Y実を与えちゃいけない敵対国だというのなら、そもそも協力したのが間違いってことだろう
0437名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 16:49:23ID:PK2RgBv/北条が参戦しないって踏んだ以上、徳川なら牛耳れると
甘く見てたって事なのかもな。
たしかにだったら最初から共同戦線張るなとは思うし
一連の行為は武田の外交に対する不信感を募らせたとも思う。
0438名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 17:03:20ID:BRzMwrM50439名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 17:31:10ID:q9V/QmMh1569年1月、家康の抗議を受けて秋山を引かせる。同月、援軍を率いてきた北条氏政と興津で対陣
ちょっとオレの調べでは1月中の正確な時系列がわからんかった。微妙なタイミングだったのは確かなようだが
0440名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 17:40:28ID:PK2RgBv/信玄としては珍しく短期間で達成出来た大戦果だったんだよな。
0441名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 18:52:14ID:acaxB8ru最初に駿河を攻撃して失敗して総撤退した作戦と、後に作戦を組みなおして改めて
再侵攻して占領した第二次駿河侵攻はまったく別の戦略。
「武田による駿河征服」は政治目的であって戦略とは違うぞ。そこを混同している。
政治目的の達成と、戦略目標の達成と、戦術的な勝利はすべて異なる。
何度もこの例えを出しているが、君のその理屈が通るのならば
「結果的に信長は越前を支配した。だから結果論からいって金ヶ崎退陣も失敗とはいえない」
なんてなってしまうぞ。
0442名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 19:43:51ID:sXvfE92s阿部金山と海。
0443名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 20:10:26ID:PK2RgBv/ああ、なるほど。たしかにその通りだった。
しかし金ヶ崎で撤退したからといって、信長の一連の作戦を
全て否定する人間もいないとは思う。
信玄の場合、対北条外交を軽視した結果、駿河及び遠江攻略が失敗し
撤退をした事で、一連の作戦における戦略眼が全て
否定されているように見える。
まるで望んで周囲全てを敵に回したかのような書き方というか。
0444名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 22:42:57ID:BL2zScZe武田幕府スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159965965/l50#tag8
0445名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 23:20:43ID:eu0BhQAS砥石崩れでも下手な手を打っていると思う。
塩尻峠の戦い2年後の1550年7月小笠原を攻めて一気に小笠原領を制圧
そこまでは良かったが一気に制圧に成功して調子に乗ったのかそのまま
村上領砥石城を攻めて撤退。
この時の砥石崩れの結果、小笠原長時が勢力を回復させせっかく制圧した
旧小笠原領もまた危険になると言う結果。
7分勝ちがいいってのは信玄の場合経験論かもね。
信長の金ヶ崎攻めの場合1570年当時織田が攻めるのに適して相手が
朝倉ぐらいしかいないというのもあるから、敵を増やしたには当たらないかも
この時点じゃ六角は逃亡本願寺ともまだ敵対していない、北畠も従っている
三好を攻めるには水軍が無いし。
0446名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 00:38:23ID:mABnRiCc元々駿河攻めの動機から考えてみると
北進の限界
↓
南進派と北進派で家中分裂(?)
↓
義信の廃嫡
↓
駿河攻め
論功行賞を与える事や家中分裂との決別。
家中の地盤固め的な要素が、一見不可思議とも思える侵攻を後押していたと考えられる。
戦争論や孫子等のセオリー通りの解釈では、
駿河攻めの理由を一概に当てはめる事は確かに難しい。
0447名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 07:57:44ID:ahhMGlG9良スレ。
0448名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 08:31:32ID:bGWp9f1Rいきなりの駿河攻めは北条に連絡して失敗した時のデメリットを考え、
北条は味方につかないと言う前提の各個撃破なだけじゃないのか?
1:駿河に不意打ちをして、今川の軍事力に対してダメージを与える。
2:占領地への押さえの兵力すら惜しんで、全力で北条を叩く。
3:北条を叩いて、弱体化した今川を全力で攻める。
占領するだけが軍事目的じゃないだろう。
0449名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 10:05:13ID:EtXKr6zI当時の常識からいって、領土占領ないし相手方屈服を伴わない軍事的成果なんてありえるの?
この話題だけじゃないが、当時の視点と現代の視点がごっちゃになってるケースがままあるぞ
0450名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 11:19:02ID:0/LFnLNa合戦の勝利だけに満足して引き上げる事はあるが。
普通はこの場合も軍事的成果と言うだろう。
0451名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 11:56:32ID:m5Ek1t2a作戦目的を達成できなければ、軍事的成果とはいいません。
0452名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 12:03:14ID:0/LFnLNa0453名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 12:05:25ID:IL4rFpPn最近は潰した戦車の数が多かったと言う理由だけで「ノモンハン事件は日本軍の勝利」と主張する奴もいるからな。
0454名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 12:09:10ID:lCzb4WrV東の徳川氏とは密約を結んで味方に、西の北条氏は不介入を予測
東とは自身の迂闊な先制から敵に回し、西は完全に目論見を外して敵対した
そして数年かけて齟齬を修正して、最終的には駿河領有
問題はこれが信玄の生涯に与えた悪影響なんだけど、この作戦だけを見れば、曲折はあっても成功でしょ
0455名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 12:21:56ID:5A1NCNSy0456名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 12:32:15ID:m5Ek1t2aなんどもいっているが、成功したのは第二次駿河侵攻作戦(と、勝手に名づけておく)。
第一次は、東西を敵に回して占領地から総撤退という大失敗。
「曲折はあっても成功した」のは「駿河領有」という「政治目標」。
ただ、この政治目標を達成するために信玄が払った犠牲(時間や人名、政治的財産)が
見合ったものだったかどうかは別(信玄の生涯に与えた影響のことね)。
0457名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 12:42:05ID:0/LFnLNa同盟相手を見殺しにしたら、北条の今後の外交が崩壊する。
0458名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 12:42:50ID:ahhMGlG9二俣城も短期間で落としてたら1年経ずに15万+25万石
それに金山やら港までゲットか。
0459名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 12:51:09ID:ahhMGlG90460名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 15:43:35ID:abUF68VV0461名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 16:15:48ID:UyebigDqこれマジで?
0462名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 16:48:31ID:loG3zRyI海を交えた3D戦争への進展だからな。
北条、徳川は海を使って補給してくるが、自軍にはそれを
断つことはできない。自軍は陸だけ事と次第によっては
補給路を断たれるかもしれない。
これじゃ長期戦は不利だものな。
0463名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 16:52:20ID:cSZ6pPy5薦めたかはしらんけど同意はしてたんじゃなかったっけ?
0464名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 20:57:19ID:jSm/vD+A徳川の支配体制が固まる前、若しくは徳川が占領する前に
武田が遠江を実行支配してしまおうとするのは当然な気もする。
信玄としてはついでに天竜川以東ぐらい手に入れたかったのかもね。
0465名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 21:03:12ID:jSm/vD+Aもし仮にそれが真実だとすれば
武田は何で徳川とも敵対したと言うことになる
>>454
その論理で成功と言えるのであれば
勝ち組み大名のほとんどすべての作戦が成功になる。
0466名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 22:08:56ID:GowP4HuJ昔の日本の内陸部って平面世界だったんだ、知らなかったな
0467名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 22:27:17ID:ahhMGlG9まあ言いたい事はわかるけどね。
0468名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 23:00:34ID:DD86oXtJ幼少の頃から人質としてたらい回しにされた挙句
独立後は三河の一向一揆に手を焼き、信長の遠征には毎回同行する金魚の糞状態
三方ヶ原の戦いでも大敗して、信玄というか当時の大名たちが家康のことどの程度評価していたのか
晩年の信玄が病身を押して出陣して家康を屈服させるだけで満足できたのかな?
現代の人間からすれば徳川を従えるのは大戦果なんだが当時家康を評価してたのは信長くらい?
0469名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 23:10:23ID:TdpbCiKw北進は中策、史実でも調略が高い効果を見せてたけど長尾相手はリスク高過ぎ。
東進も中策、切り取れても精々西上野。
南進は領土ゲト出来るのか?
西進は・・・冬になったら権六さんと同じ目に。
0470名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 23:34:58ID:ahhMGlG9西上野無しで北条とあの時点での今川と戦えるかも疑問。
どちらに進出しても大大名と激突する運命。
0471名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:03:20ID:iK2IuXwe史実のようにちまちまと勢力伸ばすぐらいしか出来ないと思う。
0472名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:25:24ID:jaQ3dXeJ後期織田は別として。
0473名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:32:16ID:iK2IuXwe後期大友ぐらいかな?
島津竜造寺毛利と
ただ上杉と徳川はこの時期100万石無いと思う。
50万石ぐらいと思う
0474名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:33:30ID:SH6C3kC/0475名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:40:16ID:iK2IuXweどうだろ?
本庄の反乱も鎮圧してようやく揚北も支配できた70年ぐらいで
越後40万石に
上野は東上野の厩橋以北程度、上野1/4程度で10万石程度
越中飛騨は一部の勢力を従属させていて
あと関東に上杉に協力する勢力がいるぐらいか?
ただ対武田にはあまり関係無いような・・・
0476名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:51:37ID:jaQ3dXeJああ大友がいたな。
まあ、あと毛利は織田長宗我部大友。ちと微妙か?
>>475
上杉は直江津やら金山やらで石高以上に動員力あると思う。
0477名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 02:38:56ID:iK2IuXwe四国全土でも80万石ほど
その上82年の段階でも長宗我部は四国の半分程度
0478名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 09:31:10ID:/RQTpPaQ島津はかなり後期(伊達も然り)だし、龍造寺は領国支配が安定しないうちに沖田畷で逝ったから無視でいいかも。
0479名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 09:44:29ID:aqsZdCliそしてなんで後期織田(いつぐらいなんだろうか)がなんで別なんだ?
そしてそんな比較にどんな意味があるんだ?
0480名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 10:33:04ID:tlzaWiz4それだと初期織田とか初期毛利SUGEEEEEで話が終わるかもしれんが。
0481名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 10:50:38ID:NUdx8IQC0482名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 11:36:57ID:jaQ3dXeJそれこそ三好のような例でもない限り。
0483名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 11:58:54ID:aqsZdCli百万石対二百万石ならどうだろう。
百万石対四百万石ならどうだろう。
では五十万石対五十万石ならどうだ。
もしくは二十万石対二十五万石なら。
信玄において百万石というラインは信玄自信が百万石だから設定されたであろうライン。
もし他の大名において同じ様に語るなら、その大名に合わせてラインが変わって当然。
そして自分で言ってるように、謙信みたいに石高に完全に依拠してるわけじゃない場合の大名はどうなる。
0484名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 12:14:00ID:jaQ3dXeJ信玄が100万石だったから同じく100万石レベルに囲まれていては
勢力拡大は難しいだろうなって話をしてると思うんだけど違ったか?
0485名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 12:57:53ID:c2dR5+bt石高っつっても大抵は慶長検地あたりの後年の生産力からの逆算だから正確さも期し難いし厄介かも…
0486名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 13:44:30ID:k40E4Qvz強豪だがそれ以上ではないという。
上洛しようというならどこかで自国と同格の大名をつぶさなきゃいかんわけだが・・・
0487名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 13:45:55ID:jaQ3dXeJ0488名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 15:20:16ID:aqsZdCli>>472で信玄以外に四方全てが百万石クラスの大名はいるか、との質問。
その百万石というラインの設定理由を聞けば>>482
そこで>>483で、その百万石という設定ラインは信玄に使うのは適当として、他の毛利なり織田なりに使うの不適当といってる。
わかった?
あとどこにも勢力拡大が難しいなんて出てきてない。
0489名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:19:16ID:TAKumB+k0490名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:20:24ID:jaQ3dXeJ??
もともとが>>469氏>>470氏の話題を受けて自分が出した話題なんですが…。
武田に上策と呼べるほどの勢力拡大が可能かどうかを考えたくて
石高などを基準に考察してみようかと思って質問したみたのだけど。
0491名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 17:47:14ID:aqsZdCliならNGにするかスレ見ないかどっちかするといい。
>>490
なら他の大名持ち出す必要ない。
他の大名参考にするというならどんぐりの背比べな状況から抜け出した大名を対象にすればいいだけの話。
百万石とかわざわざ規定意味がない。
0492名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 17:56:33ID:TAKumB+k0493名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 17:58:15ID:jaQ3dXeJ武田以外の大大名がどんな状況だったかを問うのには意味がある。
ちゃんと話の流れを読んでから発言して欲しい。
こちらはスレが荒れるのが嫌でかなり気を使ってる。
0494名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 20:01:43ID:aqsZdCli専用ブラウザだとNG登録簡単。おすすめ。
>>493
百万石の規定が意味無いと言ってるわけだが。
同じ国力差でそこから抜け出した大名の状況を見ればいい。
そもそも百万石超える大名はそれほど多いわけでもないし例になるものが多くない。
状況見てそこから何か得ようと思うなら例は多いほうがいい。
0495名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 20:14:08ID:jaQ3dXeJ>>488で話が読めてないのはわかったからそれ以上絡まないで。
>>492じゃないけど鬱陶しい。レスも反論もいらない。
0496名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 20:23:05ID:bdfkCMK1>>272
の挙げた大名ぐらいしかいないからなー
同じ国力差から抜けた大名は
九州だと島津竜造寺
四国だと三好長宗我部
中国だと尼子毛利宇喜多
畿内だと・・・筒井赤井内藤荒木?
東海だと浅井斉藤織田三木松平
甲信だと武田小笠原諏訪
北陸だと・・・
関東だと足利北条佐竹里見宇都宮
出羽だと最上安東
陸奥だと相馬伊達津軽?
ぐらい
0497名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 20:24:17ID:bdfkCMK1間違い多いかも
0498名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 01:28:50ID:Ji1x82hY武田以外はみんな西国だな。なんか意味あるのか?
0499名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 01:29:56ID:Ji1x82hY0500名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 10:42:10ID:D0290ytAほぼ同格の斎藤氏を5年ほどで潰した信長
上杉あたりと最期まで泥仕合だった信玄
むしろこのあたりの効率かと。信玄は上杉家臣団離反に成功したりしたけど、基本的には上杉の矛先を変えるためでしょ。勢力下に納めるためじゃない
このあたりの戦略志向の差かね?
0501名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 10:54:22ID:UXIN2kqu0502名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 11:09:20ID:3xB/mq7Vって言う意見が以前にあったな。
武田家の構造じゃあ、無理って言う話も有ったが。
0503名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 12:59:32ID:hF8QcEj8越後は気候が厳しいから、軍を展開させられる期間が短いから攻撃する側としてはかなりやりにくい
敵も条件は同じだが、地元で防衛側の利がある
それに信玄自身は上杉と敵対したのはあっちから手を出してきたからだという守備的な思いがあったのかも。村上らとの戦争にいきなり首突っ込んできやがって!みたいな
だから信長がやったように、時間がかかっても手間かけてでも併合するという展開は思わなかったとか
0504名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 13:33:54ID:4LNRjsbb0505名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 15:57:50ID:Tk1SIKHI日本のどこに行っても悪条件なんてあるわけでそこをなんとかするのが名君だろ
0506名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 16:18:24ID:3xB/mq7V0507名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 16:46:51ID:Ji1x82hY勝てなかった理由を考えるのもスレの主眼なんでない?
0508名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 22:11:15ID:D9Bw03+Z信長の場合斉藤以前に
織田信友、織田信賢とほぼ同格の相手を倒してるのも凄い。
今川と戦いながら。
まあ信友は斯波氏と争っていたり、信賢は息子と争っていたりとかあるが・・・
信賢はともかく信友の斯波氏との争いは後に似たような状況に信長が陥ったが
信長は追放して解決しているから対処によってはそれほど問題じゃ無かったかもしれない。
信長が優れていたのか信友が劣っていたのかは分からないが。
>>501
信玄と敵対した当初は地位的にたいしたことない
国人は独立的反抗的
越後国内は一向宗との対立がある
崩壊する内部的要因は十分有ると思う。
>>503
雪はむしろ武田にこそ有利に働くんじゃないか?
信州も雪降るがそれ以上に信越国境こそ豪雪地帯で冬は交通が閉ざされる、
武田のほうが冬の間に信濃で有利に戦略を進められるはずじゃ。
0509名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 22:26:31ID:4LNRjsbb>>503は越後に進入する場合の事いってるんだろ
0510名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 22:37:49ID:D9Bw03+Z信玄はそもそも信濃を統一できてないし。
だから信濃統一までを考えれば信玄の方が冬場は有利だったはず
まさか信濃を統一する前に越後に本格的に攻め入るはずも無いし。
ただ夏以外の季節は本拠地からの距離の関係上謙信の方が有利な気もするが
0511名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 22:54:28ID:4LNRjsbb0512名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 23:37:25ID:D9Bw03+Z一応信玄も越後に侵入したことあるけど、その時はあっさり退いているから
支配が目的より牽制とか別のことが目的だったと思うし。
0513名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 23:52:54ID:HsDNn6mE0514名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 07:04:46ID:Su83In7M真面目に語ってるのか、いちびってるのかよくわからん奴だな
0515名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 09:58:59ID:t21i0lwX移転という選択肢は信玄の発想にはないだろうし、武田氏の構造も考えて×だし
(勝頼が新府に移動しようとしただけで避難ごうごうだったことを考えると、後年の指導権を確立した信玄でも難しいだろう)
それに信濃は上杉氏と衝突し始めたタイミングは、制圧して間もない不安定な地域
0516名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 10:26:56ID:qB4aqIYvここでいう武田って信虎のことだよね。
>>514
織田にも武田にも偏らずニュートラルな視点で語っているのだと思う。
>>515
敵対した当初は
武田は甲斐約22万石に信濃佐久小県更科埴科諏訪 安曇1/2伊那1/2築摩1/2
水内高井の一部約28万石くらい
で50万石に対し
長尾は越後3/4で約30万石に
水内高井郡 安曇1/2で10万石
で40万石
50万石と40万石じゃそれほど差は無いから時間がかかるのも無理は無いと思う。
0517名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 16:16:11ID:qXCmXHzu0518名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 17:50:43ID:FekOONiI3D?3D?3D?
0519名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 20:44:33ID:64lR5agI斎藤家も家臣団分裂を起こして、力が弱ってもそれだけ時間がかかった。
長尾家の場合、謙信が家臣団をまとめきれないとはいえ、戦での強さは圧倒的だから
時間がかかったのだろう。
謙信が美濃にいたら、いくら信長でも6年で攻略とは無理そう。
0520名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 21:05:38ID:RDxN3U2u名将と名将が戦ったらよっぽど戦力に差がない限り
そう簡単に勝負が付かないって言う感じと思う。
越後に居るのが謙信でなければ信玄は越後を取れたかもしれないし、
信長は義龍が死んでなかったら美濃を取れなかったかもしれない。
家康は義元が生きている時は従属するしかなかったが、氏直相手なら三河と切り取れた。
0521名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 23:26:22ID:Su83In7M相手の弱みに付け入って攻めたのが信長、信玄はそれを利用して攻める意志が無かったのか出来なかったのかはおいといて攻めなかった
その差が攻略できたか出来なかったかの結果
あと謙信がどこそこにいたらとか寒いだけだからやめとけ
その仮定から出てくる結果は個人の好みとか主観におおいにに左右される
俺はこう思う、いや俺はこう思うの応酬になるだけ
>>520
名将だろうが凡将だろうが国力に差がなければ決着はつきにくい
差があれば簡単に決着がつく
それに見当違いの、名将だから決着がつかないという事くっつけて納得しようとしてるってだけの話
0522名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 23:52:31ID:m191Dsksつまり
知行40貫=知行500石(公35:民65として実収175石)=切米(現米)175石取り=500俵取り=100人扶持取り
そして
現米1石=1両=10万円
ちなみに100人扶持の100人とは自家の使用人や家臣の家族も含むので、軍役上の動員家臣はせいぜい10〜15人
ただし、防衛線や総力戦の場合はその3〜5倍は可
0523名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 23:54:08ID:oPrYYb6f0524名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 01:09:36ID:zhahNrpX0525名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 01:12:32ID:2kCvCpJD>相手の弱みに付け入って攻めたのが信長、信玄はそれを利用して攻める意志が無かったのか出来なかったのかはおいといて攻めなかった
正気で言っているか?信玄の領土拡大なんてほとんど調略→侵略のコンボなんだが。
対諏訪氏、対今川氏が代表格だし、対上杉(長尾)氏でも越後の不満な豪族を扇動
反乱させまくっている。上野の長野氏なんて、それまで負け続けたのが当主が死んだ
とたんに攻略。
ただしこれは信玄をけなすわけではない。大名としてはこちらの被害をいかに少なく
して戦に勝つかは美徳であって責められることではけしてない。
こういったことを卑怯なんていうヤツは戦というもの、武士というものを判っていない
ただの馬鹿。
朝倉宗滴曰く「犬畜生とののしられようとも、武士の本義は戦に勝つこと」
0526名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 01:38:13ID:FijNy833信玄が越後に調略したときは攻める為に調略したんじゃなかった
という意味だろう。
0527名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 01:41:47ID:+9aKJcCv少なくても武田が徳川を侵食している間は織田の侵略速度は鈍るだろうし、他にも勢力がつけいる隙があるはず。
武田信玄が死んでから織田包囲網の崩壊の早さを考えると包囲網の要のひとつだと思う。
その間に信長が宗教勢力を虐殺に追い込んでいたら、上杉謙信も信長の同盟を破棄するとかありそう。
謙信は利益よりそういうことで外交を考える大名だから、ありえる。
0528名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 02:13:19ID:nWY0rYcqせめて志賀の陣のときだったら牽制になったかもしらんが
信玄が参戦するころには危機を脱していたしなあ。
あのまま生きてても徳川を早急に降せなきゃ結果は同じ。
勝頼だって徳川を積極的に攻めてたしな。
0529名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 02:13:25ID:FW0JfIpKそれは楽観視し過ぎじゃないか?
義輝謀殺後の謙信は北条や信長と同盟するなど大義よりも実利的な外交をするようになっている。
まあ信玄が10年と言わず数年長生きしていたら東美濃、遠江、三河に勢力を浸透して
信長も包囲網各方面の各個撃破は難しくなっただろうから天下統一への時間は必要以上に要しただろうな。
その間に信玄が新たな分国支配を確立して、これが一番の問題なんだが家督相続を危篤状態ではなく
健全な間に問題なく行なえれば武田はしばらく存続しただろうねえ。晩年の信玄には確か勝頼と連名で
文書発行していたと記憶しているからそこを何とかできなかったものか。
え?上洛?それは何とも言えない。結論から言えば包囲網が狭まったってところか。
野田城を抜いて雪解けを待って朝倉・浅井連合が圧力を加えて互角ぐらいの主力決戦ならどうなったかな?
多少の脚色はあるだろうけど姉川合戦みたいに三河勢抜きでは少数の浅井にも押された尾張の兵だからなあ。
自分はそれでも信玄の作戦目標は領土拡張の延長と織田兵との主力決戦による撃破だと考えているから
岐阜は陥とさず(てか陥とせず)帰国してしばらく戦線は膠着したんじゃないかと思っている。
兵站ももちろんだがそんなに長期間にわたって甲府を空けることはできないでしょう?
0530名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 03:37:03ID:bgF/LtZf信長の場合、衰退していた三好はともかく
本願寺という厄介な勢力にも悩まされ随分と進撃速度は鈍った。
関東は言わずもがなな三国志。北条が伸びたのも武田滅亡時が大きいし。
毛利も尼子を潰して以降、大友や織田と接触してからは拡大出来てない。
まあ当たり前の話なんだけどさ。
0531名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 08:16:43ID:dR9WusK3流れ読めないやつなんだな
>>529
疲弊しきってひぃひぃいってる浅井朝倉に期待しすぎ
浅井は完全に丸め込まれてるじゃないか
尾張兵だから弱いとかこの狭い国土でそんな顕著な差が出るわけ無い
0532名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 08:26:57ID:nWY0rYcq武田信玄は互角で主力決戦なんてしたことないが。
互角しか兵が用意できなきゃ戦わないと思われ。
弱兵なのは武田もおなじだしな
0533名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 10:56:27ID:rMOrD5PS浅井兵は尾張兵はもとより甲信兵より強かった、とかいう可能性もw
そして調略によりその浅井兵は織田方に何割か寝返っている(姉川の俗説では大活躍した磯野氏なども)から、兵の強弱云々をいったらまたわけがわからなくなるぞ
0534名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 11:33:20ID:J6uEmHTH0535名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 12:36:06ID:vnA3SOIw0536名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 12:52:47ID:qkOU6jEF三増峠 武田軍20000 北条軍12000 武田軍の被害も少なくなく、信長が上洛していた時期に無用の合戦
三方原 武田軍25000 徳川軍14000 山県が徳川の旗本に押されつつ圧勝するも徳川軍の主だった者はほとんど討ち取れず
以上は信玄を名将と称する時によく参考にされる有名な勝ち戦。
他にも兵力では優勢なのに結構負けていたりする。
兵力で勝らねば合戦を発生させなかったことは大変な能力だと思うが、
実態はよく言われるような兵が強くて戦術が巧みだとかいう話とは程遠いように思う。
0537名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 13:07:19ID:EZh6AQ4x0538名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 14:01:07ID:w9/hcMWH遠征時期には自ずと限界があり、それをどう配分して敵を屈服させるかが当時の大名の手腕
0539名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 16:17:42ID:bgF/LtZf戦略を重視し互角じゃ戦わないだけで、絶対勝てないとは思わない。
ただ、有利な局面でのマズい采配も目立つな。信玄は。
本人も謙信みたいに戦術に自信は持ってないだろうよ。
0540名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 16:53:50ID:dR9WusK3あきらめた時点で試合は終わりだよ
0541名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 18:12:12ID:bgF/LtZf0542名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 23:10:00ID:yoISKqq+0543名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 23:33:38ID:Hp+APQt1絶対に戦略上勝てる(負けない)状態で合戦に臨むのは戸石崩れ以降はその通りだろう。
政略に関しては信濃・越中・越後・西上野・駿河とこれを否定することはさすがにできない。
余り無茶をしないことは当然、甲斐国人衆の統制を考えれば無益な損害を出したくないからね。
ただ戦術面では皆が仰る通りそこまで一般に流布されるような「無敵」でなかったこともまた同意。
策士策に溺れるではないが臨機応変な戦術や配下武将の戦場での統制はどうも苦手だったような。
それだけに最期の信玄西上作戦があまり政略面で実績がないことが理解しがたい。
この間やったことって北条再同盟と秋山の東美濃攻略による信長牽制ぐらいじゃないかね?
織田・徳川家臣団が簡単に切り崩せないのは分かるが国境沿いの国人を離反させたぐらいで
大規模な作戦(と言われるように)なわりに謀略が少ないよなあ。
もちろん秋山別働隊の東美濃攻略は戦略上非常に重要だから信玄の政略を否定する気はないが
余りにそれまでの軍事行動に比べると稚拙に思える(小田原包囲から三増峠は武蔵で別働隊の行動があった)。
単に時代や地方が違うからといえばそれまでだが。
0544名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 05:51:01ID:AVdqYsQe0545名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 08:06:10ID:VXPztSph同盟を結んだころの織田と武田はほぼ同勢力だったのに、あれよあれよと言う間に差をつけられたのが印象に残っていて焦ったのかも
0546名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 10:27:15ID:j2pSUEhDだけど上杉と縁戚にあたる高梨氏らの排除なくして信濃制覇はありえなかったわけだから
なんともなぁ
0547名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 11:48:32ID:vekNR28x実際浅井朝倉が長期間織田を牽制してないと徳川攻略は難しいし。
0548名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 13:01:49ID:klbhaS0T北条氏のような同格の相手ならともかく、格下相手に武田がへりくだる事ってあったっけ?
0549名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 14:02:00ID:MfGbFuUp拡張政策を止めるわけにも行かないし。
0550名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 16:08:55ID:yimWFYda0551名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 16:25:51ID:LmJLd0ap0552名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 16:36:07ID:MfGbFuUp0553名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 16:48:37ID:yimWFYda0554名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 17:03:57ID:0Kn1YjDf武田と組んで何の得があるのか、そもそも信玄は信用できるのか、講和とか言っておきながら
不意打ちくらわす算段なんじゃないのか。
0555名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 18:03:38ID:MfGbFuUp0556名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:21:26ID:yimWFYda実際性交してるし、よくそういう手段使ってるみたいだし
三国同盟やぶって信頼失うよりよっぽど現実的
もしかしたら北条の支援もあるかもしれない
それが無くても反乱時期示し合わせて同時に攻め込めば有利な状況作れる
0557名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 21:37:16ID:lgZw5cjX今川は徳川に攻められてボロボロ。
雪まみれの越後より駿河のが魅力的。
正直北条があんなに必死に攻めてくるとは思わなかった。
こんな理由で駿河攻めたんじゃまいか。
0558名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 21:48:01ID:/eWB5yCyやはり攻めるのも越後に足がかりを築くのも難しいんじゃないだろうか?
謙信の本拠地がもっと信越国境から離れていればまた違ったかもしれないが。
信長だって最初は斉藤の稲葉山や西美濃など斎藤氏の影響力が大きい地域での
攻勢は進展せず、斉藤氏の影響力の少ない東美濃から攻めていったわけだし。
0559名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 23:23:35ID:ezU+20Qk案2 三国同盟後に斎藤とも同盟して織田・徳川の拡大を遅らせる→史実とあまり変わらない?
案3 織田と同盟せずに徳川領に攻め込む→浅井・朝倉が頑張ればなんとかなるかも。
0560名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 23:49:04ID:w7cxptJYそんなとこだろうし、その戦略で間違ってなかったと思う。
信玄が講談並みの戦術家なら越後攻略に乗り出してもいいけど
それでも駿河を攻める方が遥かに良い。
0561名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 00:49:59ID:iAzw1M1Hそうすれば武田は三年早く上洛戦に臨め、北条は関東計略をあと五年は早く進めたかもしれん。
両者にとって不幸だった。
0562名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 01:18:59ID:eRyyOHgP今川氏真を相手にする前に、北条と連絡を取ればよかった。
周囲への配慮が足りない気がする…。
0563名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 02:58:21ID:jEP5KylN北条は事前に連絡して決裂すると、あれだけの電撃的な駿河攻略は
無理な気がする。
とはいえまあ、進撃の結果は見ての通りだけど。
0564名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 09:38:07ID:awn2aacK北条としては今川救援は戦略上も当然の選択
最初に連絡入れたら反対して、もっと早く今川にテコ入れして武田軍が史実より苦戦したかもよ
0565名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:29:59ID:SyqpOXeT特に、今川と上杉との交渉をつつけば一定の理解を示すだろう。
武田同様、北条にとっても上杉は大敵なんだし、
この時期は北条優勢で関東経略を進められている時期でもあるから。
0566名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 16:53:07ID:vDfUAMKi後背を任せるなら信頼できて、尚且つ北条と敵対したら致命的になる今川氏が良いに決まっている
武田氏が強大化して何かの拍子に敵対してきたらアボンだから
どう見ても北条氏にとっては今川>武田でしょ
実際、対織田徳川戦の逼迫から上杉と勝頼が接近して両者は再び敵対している
0567名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 17:54:38ID:SyqpOXeTあなたの言うとおり武田の強大化は潜在的な危険を増す事に繋がる。
しかし決定的に敵対するのは勝頼と上杉の講和からで、それまでは今川よりも共同歩調をとっている。
後詰めや援軍などの緊密さは対等の関係としては異常と言ってもいい。
それに今川と北条の仲は河東一乱以降必ずしも良好ではない(義元は北条との同盟に乗り気ではなかった)し、
援軍や後詰めではお互いそこまで助け合っていない上、武田の駿河侵攻当時は実力的にも信頼に足らない。
それに未来の情勢をもって、その当時に判断しろと言うのは無理だろ。
実力的に信頼に足らない今川と、信頼に足る武田。
ただ背を向け合っている今川と、互恵関係にある武田。
北条の敵:上杉と歩調を合わせようとしている今川と、北条と共に上杉を封じ込める武田。
当時の情勢を見れば、北条にとって武田との同盟の方が良いに決まってる。
0568名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 18:43:32ID:jEP5KylNあそこでわざわざ敵対したかどうか。
実力的には良くても武田って信用ならない相手だからなぁ。
0569名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 18:51:53ID:MCC8UGid0570名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:04:17ID:hK0N0HAQ0571名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:17:50ID:1LFAW0/V569の言うように信頼してないのならば、するか?
0572名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:25:56ID:jEP5KylN駿河侵攻で北条と交渉するのはリスクも高いと思うなぁ。
結果論で語るにしても事前の外交交渉が正解とは断言できないし。
0573名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:49:15ID:akWHydI50574名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:57:21ID:MCC8UGid三国同盟のときも主導したのは今川だし当時地方で齷齪してた武田北条と違って
今川の動きは明らかに天下を意識したものだった。
まぁ北条が何考えてたかなんてわかるわけないことだが
0575名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 21:08:55ID:pCzmRBiv0576名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 21:46:04ID:bR1v0riV氏康に限らず北条家としては実は『北条五代記』なんかに記されているように
氏真追放時、恩顧ある今川を追放するなど北条もこれまでか云々以前に
義元相続後の関係悪化以降事実上対等の関係だよな、潜在的に脅威ではないものの。
今川・北条関係は今川を盟主とするくらい緊密ではないだろう。
氏康・氏政にとって問題なのは今川領が蹂躙されることではなんて信義の問題ではなく
駿東という伊豆相模の地政上の後背地に強大かつ信頼に足らない勢力が存在することが問題だったわけで。
実際氏康じゃああり得ないかもしれないが今川が最早領国を維持できないレベルにまで荒廃すれば
(史実の氏真の領国支配を考えれば対徳川でジリ貧はあれど駿河一国は維持できただろうけど)
北条も駿東にアクションを起こしたんじゃないかね?
しかし三国同盟期の武田・北条は直接・後方支援の規模にしても尋常ではないくらい
協調関係にあったな。信玄や氏政なんかは謙信・氏康と比べて実利的な人物に描かれがちだが
信義に厚いとは言わないまでも同時代ではそこまで酷いとも言えないような。
0577名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 04:44:40ID:Ph1eYw4G0578名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 08:11:47ID:G5Wyo3nxなんでかねぇ?織田徳川(松平)間だって長い抗争の歴史があったのに
0579名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 08:31:03ID:jK1Hq+u20580名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 08:33:01ID:jK1Hq+u2戦国時代に豪族が大名に属するのは「たよりになる大将」であるから。
頼りになるというのは「いざという時に助けてくれる」という事。
自分に不利益じゃないからと言って同盟相手を見捨てる大将には
人はついて来ない。
0581名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 11:19:46ID:sV84RjZL北条は大将として合格と
流石に今川に義理立てして武田との絶滅戦争やる義理まではねーからノルマは果たしたと
0582名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 13:08:36ID:yjmzysGJ0583名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 14:07:21ID:1smY0bvR戦国の習いといえばそれまでだけど
0584名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 16:52:01ID:59UeBk9N0585名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 22:33:19ID:vnoPUAYR0586名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 23:35:27ID:Ph1eYw4G0587名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 00:01:30ID:6eFwiOOk今川は京までの道中にある六角や斎藤と何の連絡も取り合っていない。
上洛する気だったら書状を送るなりするでしょ? 上杉なんかは
上洛する時は朝倉とかにちゃんと書状を送ってるし。
まさか道中にいる大名を何の大義名分もなく攻撃するわけないし。
今川は織田だけを意識していたと見るのが妥当。
信玄も、信長が動けないうちに遠江・三河あわよくば尾張まで
占拠できればいいやくらいに考えていたに違いない。
それなら十分実行可能な戦略だろ?
0588名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 00:53:59ID:Zd6lfDJW死ぬ前に徳川はなんとかしておきたかったってとこだろう。
0589名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 11:08:35ID:XOyW4L/8朝倉の退陣に激怒した件といい、少なくとも戦略上の要点と把握していたのは確かだろうな
0590名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 14:38:06ID:RNYW45eP0591名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 16:01:47ID:f8JwgvXy家督相続が既成事実化して次代が楽になるし、自身の寿命も伸びたかも
0592名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 12:22:24ID:cusnBFBc0593名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 12:33:54ID:bFYI6jyj人生かw
0594名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 23:23:54ID:mB/kI//t夜の駿河 同盟協定 破棄して回った
裏切り続け 足掻き続けた
早く将軍に なりたかった
この人生からの 卒業
0595名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 10:29:08ID:AJINO/uE自分を不動明王の化身と称した、とか言われてるけど
0596名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 11:22:25ID:eSK7nPSe麻原や信長みたいに自己以外を神格化できない性分だろ。
0597名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 11:27:19ID:yKIiyq0w父・信秀の病気平癒をある高僧に頼み、その高僧は治ると確約したが結局効果はなく父は病没
怒った信長は、僧を殺した。位牌に抹香を投げつけたのはその延長線上かもしれない
一方で宗派そのものを潰しにかからなかったのが、合理的な信長らしいが
0598名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 11:45:20ID:AYoXyAj0140万石にまで拡大した武田に三河一国の徳川はジリ貧だし
姉川の戦い以前の段階なら浅井朝倉も健在。
強大化し過ぎた武田と早い段階で決戦、決戦になれば
織田が勝てば統一は早まり、武田が勝てば
かなり混沌とした状況になる。
若しくは武田が勝頼の代でもかなり持ちこたえて
本能寺が起きなかったりして、逆に統一が早まったりして。
想像の種が尽きないわ。
0599名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 12:34:01ID:8uflajdb12日 氏真・信玄、薩た山に着陣。北条軍、小田原出陣沼津着。
今川部将が寝返って、氏真駿府に引き上げる。
(今川部将の裏切りが1日遅かったら、前後に挟み撃ちにあっていた)
13日 氏真、掛川逃亡。北条軍、蒲原城入り駿河〜甲斐の道封鎖。
(裏切りが少なく、氏真が数千の兵で、駿府の詰城に篭っていたら
軍勢は多いけど、駿府と興津の間に閉じ込められていた)
0600名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 19:06:38ID:U/SU+ySnまあ、校舎のガラス叩き割る信玄は近寄りがたいわな。
0601名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 19:24:45ID:5TYYVDau村の妊婦 ウザイ家臣 殺して回った
戦い続け 足掻き続けた
早く信濃を 盗りたかった
この支配からの 追放
byのぶとら
0602名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 19:41:20ID:ejt4rzB8その状況じゃ
織田が浅井を敵に回さないとか
武田は上杉を攻めるとかの可能性が高いと思うが・・・
それに69年70年程度の時期では三好の脅威もあることだから
武田が織田の邪魔をしようものなら、武田の方が義昭に敵視されかねない。
70年71年ぐらいの織田が浅井朝倉本願寺を敵に回した時に武田が
織田を攻めれば畿内への影響力を織田は失うかもしれない、
でも寿命があるから結局織田に盛り返されて
織田の勢力伸張をかなりの時間遅らせる程度ぐらいになるんじゃ
0603名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 23:37:52ID:AYoXyAj0ああ、信長包囲網の時期があったか。
となるとあの上洛戦?のタイミングは遅すぎたというより
むしろ絶妙のタイミングに近かったのかな。
結局、駿河攻略が仮に成功しても武田に天下は無いだろうな。
武田の矛先は上杉よりも徳川に行くだろうから
織田との全面対決は必然だと思うけど信玄がもたない。
0604名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 03:40:34ID:r7/wa3ku信長は敵対しない限り
寺社には以外と優しいぞ
0605名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 13:52:54ID:h6awnaxu軍で連れている人夫が荷物の軽重で言い争いした時、大名の自分がわざわざ荷物一つ一つを手に持ってチェックして公平だとした
こういうマメな一面が人物として面白い
信長の性格は複雑で、好悪どう思うにせよ強い印象に残るね
0606名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 12:59:37ID:pNmcD8s+つまり上洛して何をするか、とか何のために上洛するか、ではなくて
上洛自体が目的だったんだよ!
0607名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 13:13:25ID:3JjWBrBc上洛成功→武田家包囲網形成→信玄病死→袋叩きは破滅コース
0608名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 19:05:13ID:i8R6cV+h下手に勝頼に信勝の後見役でリ−ドとってもらうよりも
信虎に(勿論後見役なんてもんじゃなく)戻ってきてもらうなんて事ってやっぱりありえなかったんですか?
0609名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 20:22:31ID:AFeXB6Jr信虎の追放は信玄との親子相克なんてものじゃなく、甲斐国人衆の総意として
おこなわれたもの。そんなヤツをいまさら連れ戻して権力を預けるなんて出来
ないでしょう。武田家が仮に認めても、武田家以外の甲斐住人が認めない。
0610名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 21:35:45ID:ZkOeMzjz0611名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:35:19ID:Vi8pN7ec信玄堤なかったら、悪逆非道なイメージになっただろうね。それぐらいしかないもんな。善政は
0612名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:50:25ID:AFeXB6Jr理由はどうあれ「一度は自分達が否定した支配者を受け入れられるか」ということです。
0613名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 23:05:51ID:UMRkKptJ頭わるそ〜(^^)
0614名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 00:18:47ID:JRN69QNOと信虎は考えてるかもしれない
少なくとも追い出した当事者にとっては恨まれているかもと考えてもおかしくない
もっとも当事者なんて馬場ぐらいしか生き残っていない気もするが
0615名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 00:53:06ID:j1E1C76c多いんですよ。
信虎からしたら「オレが目をかけてやったのにあっさりと裏切って息子について
重臣ヅラしてやがって!」となるかもしれない。
重臣たちからしたら「引き立ててもらった恩義がありながら力にならなかった我々
を、信虎様は水に流してくれるだろうか?」となるかもしれない。
0616名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 08:52:25ID:4WW1uVa7普通に無理では?
0617名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 09:03:29ID:JuTLe4LZ81歳だったかな
0618名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 09:58:30ID:e2ASd+q1やっぱり国人衆とは相入れないよな
0619名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 10:11:00ID:rzoihBp5国人衆からすれば許しがたい行為だったんだろう
抵抗を強引に排除すれば当然粛清となる
0620名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 13:33:21ID:ApekC2Vr0621名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 14:06:43ID:SaRRKYb50622名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 16:55:00ID:pfChVSAh地元出身だから他国衆組とは違うが
0623名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:46:18ID:YWwXIZIo0624名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 20:59:53ID:wCCO5TxR0625名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 21:29:08ID:YWwXIZIo0626名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 21:34:00ID:iidfdqfVだとしたら失敗こそしたものの大した謀略家なんだが。
勝頼との対面ではかなり悪態をついたんだっけかな。
引き取られたのかな?どうも押しかけてきたイメージが強いけど。
でも結局甲斐本国には戻れず、まあ危なっかしい祖父を信玄死後の不安定な甲斐に
戻すほど勝頼も馬鹿じゃあないわな。
0627名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 23:57:06ID:i1ohOh7+やっぱり山道で険しく、守りやすく攻め難いという理由から?
直接織田を脅かすという点では非常に効率的では在ったのだけど・・・
それに上洛目指すなら中山道突っ切るのが一番楽だし、
散々言われているけど、三方ヶ原は上洛ではなくて当然ながら三遠征伐だわな・・・
因に、勝頼の時代に駄目駄目になったのは、軍役のわりに獲得する所領が少なかったから。
信玄時代は雑魚が相手だったから連戦連勝できたけど、
勝頼の時代には周りは織田、徳川、上杉、北条という大大名に囲まれて、容易に領土を広げられなかった。
逆に信長は畿内、中国地方に割拠する精々一国程度の雑魚を相手にすれば良かった。
0628名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 23:58:11ID:btWICpUp0629名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 00:49:17ID:QjJtarExhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160910248/
0630名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 01:15:40ID:1lFKldbO/ ̄| ☆
| |彡 ビシィ
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| ___) | ∩∩ ∠ リュンパッチ♪
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0631名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 01:29:46ID:I2mESfvm0632名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 01:58:36ID:g23xZUDCそれ以上に敵対大名が小さかったから
0633名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 12:02:02ID:KHd+Badp単に守りやすい所を守って、攻めやすい所から攻めただけと思う。
徳川も単独で数千の兵力を動かせるし、当時は徳川家に今川氏直も居たらしいから
主力が岐阜を攻めている時に氏直の旧領復帰を名目に駿河が攻められると、信玄は引き返さざる得ない。
駿河に大兵力を置くと信濃の守りが薄くなり、信濃が家康に攻められ信玄の後方が塞がれる。
そしたらやはり信玄は引き返さざる得ない。
駿河と信濃に大兵力を置くと、信玄が率いる兵力が減って織田と戦えない。
0634名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 14:44:20ID:SVzr+IAH同意
兵力的地理的に攻めやすいところを攻めただけだと思う。
あと氏真ね
0635名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 21:42:54ID:R8QIUKsxここで平気じゃないか?
ここはもう総合スレみたいになって久しい
信虎の話題も何度と無く出ている。
信虎は所領が得られない無駄な戦を繰り返したせいで
追放されたという意見があるけど、
追放されたのは丁度信濃攻略が順調に進んでいる頃
ちょっとおかしい気もする。
0636名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 21:46:01ID:R8QIUKsx野々宮の合戦とか長野業政相手の敗戦とかどういう扱い。
よくある武田の敗戦記録のコピペを講談色を出きる限り抜きにして考えたら、
どの程度真実が含まれていると思う。
0637名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 06:45:45ID:4wn0cqMU嘘ではないけど誇張あり程度と思っている。
野々宮合戦は小笠原が武田を撃退したのは史実だとしても
結局は中塔城に篭城していることから
武田の先鋒を退けて、一時的に武田の勢力伸張を妨げた程度でしかないと思う。
武田側にまともな戦死者もいないみたいだし。
小笠原1千対武田1万というのも誇張だと思う、当時の武田は確かにそれぐらの兵力を
集めることは可能だったと思うが。
0638名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 23:25:42ID:k9JJTV2mhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1161351986/l50#tag6
0639名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 01:34:26ID:ddA6uiuo長時自ら18人切り捨てたというが・・・
まあ半分は創作だな。
それでも武田は相変わらず弱いなという気がするが。
高遠や藤沢にまで苦戦してたりするからなー
最も信長も伊勢攻めで峰城とかで苦戦しているけどなー
0640名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 04:23:54ID:Et7grftzというよりも、武田家も織田家もそうなんだけど、
後々の大大名も最初はそんなに強くない訳です。
信長だって美濃取るのに10年近くかかってる訳です。
でも、その後は版図を何倍にも拡大するのにそんなに時間はかかっていない。
つまり、国の大きさに比例して大名の戦闘能力も強くなる。
なんか信長の野望とかのやりすぎかどうかしらないが、
大名個人や家臣団が優れていれば連戦連勝できるとかいうのは妄想ですよ。
武田家なんて甲斐の山奥の田舎の大名で、いくら名門とは言え、
如何せん小笠原や高遠の時代には大した軍隊規模でなかったのだから当然といえば当然。
0641名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 07:28:05ID:y/NM+mbOそういうレベルの話しじゃないだろ
上に挙がってる話しはどれも圧倒的とまではいかないにしても
かなりの戦力差で苦戦した例だよ。
完全に勘違いしてないか?若しくは知らずに適当なことを言ってるか。
0642名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 08:29:49ID:9xbEOtLw信長の例を挙げて微妙な具合で信玄も10年近くかかったその後は版図を何倍にも拡大してた、としたいようだな。
0643名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 09:23:03ID:6xtNFqAt美濃をとった後の信長の拡大速度が異常なのであって他ではそうそう見られる
もんじゃない。
毛利だって北条だって何年もかけてすこしずつ領土を拡げていった。
0644名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 11:10:14ID:CVXlMlDL日本がいくつあってもたりんよな
0645名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 12:54:09ID:26i3xNKK電撃的に領地を広げたといえば信長と政宗だけど、この二人の場合リスクの高い戦略に打って出て成功させるという橋を渡ったからだし
0646名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 16:08:09ID:o/DhN/bv失敗したんだよなあ。
もし成功していたら信長や政宗のレベルじゃないかも知れなかったが、
やっぱり人の運ってやつだねえ。
0647名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 17:53:07ID:+oSljxzO>美濃をとった後の信長の拡大速度が異常
それも微妙だと思う。
試しに
1561年1568年1575年1582年での織田家の石高をある程度求めると
1561年
尾張57.2万石の大半(丹波郡海西郡を除く)仮に47万石とし
三河の一部>>7より仮に3万石で計50万石
1568年岐阜城に入った後、中部伊勢に侵入する前
尾張57.2万石と三河一部3万石・美濃54万石の大半
北伊勢の一部、面倒なので全部で120万石
1575年長篠の戦い後
尾張三河一部美濃恵那郡以外で仮に50万石とする伊勢56.7志摩1.8近江77.5
若狭8.5山城22.5大和44.9摂津35.6河内24.2和泉14.1
で合計396万石-摂津本願寺や大和の寺社領(仮に36万石とする)などで差引360万石
1582年本能寺直前
東海甲信上野に北陸畿内、山陰・山陽の一部
越中は3/4で30 伯耆半国で5美作半国で9.3
約790万石+徳川(+穴山)領69.6で合計約864万石
このように考えると7年ごとに見ると停滞していたと言われる美濃攻めの時期も2.4倍
美濃をとった後の急成長と言われる時期で3倍、
包囲網を脱し安定しだした?時期も2.4倍でそれほど変化が無いと思える。
むしろ異常に早いのは桶狭間の頃まで
信光信行を別扱いするなら9年ほどで勢力を5〜6倍にしているんじゃ・・・
0648名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 07:13:45ID:46HRxkJUかなりの戦力差で苦戦というが、実際のデータなんて脚色されててイマイチ解らないよ。
しかも攻める側からしたら輸送部隊をはじめ、様々な非戦闘員も含まれる為、一概に優位とは言えないのです。
>>643,645,646
うん、信長の拡大具合は尋常じゃないよね。
しかし、リスクの高い戦略というより、相手が精々一国単位の弱小大名だったっていうのも大きいのでしょうね。
信玄の場合は、弱小の高遠や小笠原、村上を滅ぼし大きくなった時には、周りの勢力も同様に大きかったのです。
西に織田、北に上杉、南に今川、西に北条。
だもんで、川中島の戦いをはじめ、大大名との小競り合い、威嚇のしあいが非常に多いわけです。
因に毛利だけど、元就が表舞台に出てきた1520年くらいから、30年かけて安芸を統一。
そこからさらに10年ちょっとかけて周防長門を版図に加え、さらに10年で石見、出雲。
さらに10年で備後、備中、伯耆、因幡、美作。
こう考えると、田舎で文化的影響力と生産力が低いだけで、意外と毛利も意外と大きく版図を広げているのです。
>>644
だから室町幕府体勢を脱却し、他国を積極侵略する戦国大名が現れると
僅か50年程で覇者が決定してしまったわけです。
>>647
x倍で考えるとね・・・でも年単位の石高増加率を考えると・・・
0649名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 08:21:19ID:caZIaOxp年単位の石高増加率じゃ
ばらつきでかすぎて役に立たないと思うが。
ついでに毛利は意外でも何でも無いだろ。
>信玄の場合は、弱小の高遠や小笠原、村上を滅ぼし大きくなった時には、周りの勢力も同様に大きかったのです。
信長や元就は周りの勢力も同様に大きかったがその大きな勢力を倒し続けたことで大きくなったのだから
根本的に信玄とは違うと思う。
0650名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 12:28:09ID:e6HuGZ8Cそれこそ信長が斎藤氏を倒したように、何年でも粘り強くその敵打倒に精力を傾注するってことはなさげ
武田・上杉・北条間でしばしば同盟と破棄が繰り返されているように、機会的に相手を足絡みできればいい程度で動いてた気配
0651名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 13:19:59ID:80nysJQJ三好、浅井朝倉は各個撃破してるわけで。
0652名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 14:21:10ID:e6HuGZ8C敵の分断・各個撃破はまた別の手腕だと思うが
0653名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 15:30:21ID:80nysJQJ信長も信玄も元就も、削りやすい部分を削ってる。
自分と同等以上の相手が、全く内紛などの問題を起こさなければ
武力で打倒するのは非常に難しいし時間もかかる。
まあ調略なんてみんなやってるけどね。
そういう意味じゃ惜しかったのは信玄なんかより氏康かな。
長生きして上杉の内紛まで生きてれば…。
0654名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 16:11:18ID:P92EIdxv上杉とドンパチやって何で勝てんのかと。
0655名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 16:16:03ID:lvuku4LQその意見には半分しか同意できない。
内紛なんて外的要因の方が大きいと思う。
諏訪家も信玄が煽らなければ高遠が完全に敵対することは無かったし、
小笠原も村上も隣に武田家という巨大勢力がいなければ配下の国人衆が
離反することも無かった、
長尾上杉家も信玄や葦名が煽らなければ国人衆や一向一揆が反乱することもなかった。
内紛なんて実力次第でいくらでも起きる。
織田信友も今川も戦場で負けなければ内紛なんて起きずに滅びなかった可能性は高いのに。
0656名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 16:21:21ID:lvuku4LQ北条は上杉以外に敵多かったから。
主な所で里見佐竹結城と
氏康の代では古河公方も微妙な立場に位置しているし、
上野だけでなく武蔵の一部までがあっさり謙信に付いている。
0657名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 17:17:19ID:94Q2AxzU上杉にしろ武田にしろ、そういう意味での徹底さが無かったからじゃない?
労の多い戦略をしつこく続けるほうがどうかしてるのかもしれんがw
0658名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 17:20:53ID:80nysJQJそう思ったからどこでも調略やってるって書いたんだけどね。
たしかにその通りだとは思う。
ただ城のひとつふたつを調略で落とすのと
内紛にまで発展するのは別かな。
後者は必ずしも仕掛けた側の実力とも言えないし。
0659名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:41:07ID:vc8r29du0660名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:58:01ID:/RiLWo2S>信玄の場合は、弱小の高遠や小笠原、村上を滅ぼし大きくなった時には、周りの勢力も同様に大きかったのです。
>西に織田、北に上杉、南に今川、西に北条。
当時の織田は小さく四方を敵に囲まれている状態。上杉は謙信の経営手腕でもっていただけで直轄地なんて全然ちっこいよ?
0661名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:03:21ID:qb5uxWii信玄の上洛は何%の確率で成功したか
俺は0.003%ぐらいだと思う
0662名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:24:50ID:PcHgOCLeあくまで信玄の上洛についてスレであり、
上洛の一番の障害になると思われるのは信長である以上、
信長と比較するのは仕方が無いと思う。
0663名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 00:30:39ID:s1YMbSEE信長は美濃の斎藤家と復縁して三遠攻める手段もあっただろうに、敢えて美濃を攻め取った。
そして岐阜に移って即上洛戦を行った。
糞田舎を攻めて米や人をそこそこ確保するよりか、都市を攻めた方が遥かにパフォーマンスに優れている。
極論になるのだけど、大きな四国まるごと手に入れるより、
小さな東京都23区手に入れた方が遥かに資産価値や文化価値が高い。
だから信長は上洛と同時に、当時の文化的な中心地であった堺での権益をもぎ取ったのだろうね。
0664名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 01:16:31ID:m19DuJ3+道三と義龍が争っていた頃って、ちょうど謙信と北信を巡って争っていた時期。
基本的に一進一退だったが、それでもじわじわと信玄の勢力が浸透していた。
つまり一応優勢に進めている戦争をいきなり打ち切って方向転換は難しい。
同じ頃、信長はまだ尾張国内でもがいている最中。
0665名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 02:31:32ID:b4k6JSpV0666名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 02:40:02ID:/VA5AE+k0667名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 02:49:12ID:goH9vofF三遠やら伊勢やらを削るのがやっとで、
100〜150万石くらいで終わったかもね
0668名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 02:59:17ID:HpBbfLRU0669名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 02:59:20ID:b4k6JSpVそれは斉藤と上杉を直接比べることはできないから微妙だが
越後と違い美濃は石高は大きいし、一向宗の不安も無い、
国人衆は越後ほど独立的で強力でもないから
謙信からすれば越後を治めるよりは楽そう。
0670名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 03:27:04ID:goH9vofF「そうだ、京都へ行こう」で被る負担は減るだろうさw
って、マジレスすると当然美濃の方が統治しやすいだろうけど、
同様に信濃・甲斐の統治より尾張一国の統治の方が易しい
0671名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 04:05:44ID:b4k6JSpV同感だ
甲斐信濃は地域ごとに分裂している、交通の便は悪い
と統治は難しいだろうな
逆に各地域ごとに分裂しているから、一つ頭を抜けたような勢力があれば
各個撃破して統一することは楽だろうな。
尾張は港などからの収入もあるし経済力もある、交通の便もいいし京ともそこそこの距離。
不安な点は伊勢長島ぐらい
統一は困難だが統一後の統治は容易
0672名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 07:04:11ID:G9rxglCr0673名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 08:14:34ID:fHcCmqEW連年の調略で主力にまで根こそぎ裏切られたら戦争マニアの力でもどうにもならない
それこそ桶狭間急の奇跡が必要だが、謙信にはそういう戦績はない
ただ、「負けるときでも敵に損害を与える」ことはやってるから織田の重臣層に被害が出ることはありえるかも
0674名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 08:24:27ID:jLYHxAaiあれは必要にかられて出兵しまくってたわけだから。
美濃なら豊かだからマターリするかもよ。
0675名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 12:03:28ID:6jsYDMhKやっぱもしどこどこに何々がいたらって議論は意味ないと思うよ。
0676名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 12:06:14ID:aGm0x+MU戦国随一の鬼畜集団だったなんて知らなかったよ
0677名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 12:49:09ID:XFJx+f7oそこまで酷くは無いと思う
鬼畜集団というか本当に最悪なのは九州の大名
0678名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 17:19:46ID:FGYh+0xo0679名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 20:59:16ID:VCv40Htg武田厨は余程謙信が嫌いなんだな。冷静に事実を見つめる思考回路さえないのかw
0680名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 22:04:32ID:CeUnL4IX0681名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 22:28:50ID:rm9568G7それこそ不可能だろ。信玄じゃ桶狭間は千回やっても勝てないだろうし国内平定すら危うい。
むしろ信玄は戦国大名じゃ親父からそのまま受け継いだおかげでかなり有利な状況。
0682名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 23:42:46ID:CeUnL4IX集権化の為に。
信玄だったらそういう事をやらなかった可能性もある。
そもそも「○○が××だったら〜」みたいな妄想には意味が無い。
0683名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 23:51:42ID:HpBbfLRUそもそも、同盟国だし桶狭間は有り得ませんから
0684名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 23:51:45ID:goH9vofF0685名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:03:23ID:I5pIVo68>>681が言っているのは、「尾張が恵まれていると言っても信玄が織田家に生まれていたとしても」
といっているんだと思うが。
0686名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:06:08ID:I5pIVo68尾張は分裂したんじゃなくて、初めから統一なんてされてないだろ。
信長の織田家は、実力はともかく地位としては「尾張下四郡の守護代の三人いる家老のうちの一人」でしかないんだから。
0687名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:19:43ID:SV/xlgEH0688名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:25:36ID:zGtJGrJ80689名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 01:06:59ID:2J1uhSmO信秀個人の力で軍隊を動かす責任者になってただけで。
しかも晩年は負けがこんでたわけだし。
急進力はなくなってたんじゃまいか
0690名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 02:49:25ID:16hiv3JB義景や氏政や義元と同じくらい恵まれていた。
むしろ恵まれてなかったのは家康、信長、秀吉、長政、謙信の方が
よっぽど恵まれていなかった。
0691名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 02:56:52ID:o93pl4xV長政は信玄と大してかわらなくないか?
0692名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 03:14:29ID:zGtJGrJ8不可解な死もあったし
0693名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 08:15:32ID:I5pIVo68だから「実力はともかく地位としては」って書いたんだけどね。
>>689
信秀は精々下四郡の軍勢を率いていたぐらいじゃないか?
>>691
浅井は六角に従属してたのを長政が独立したんじゃなかったかな。
0694名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 08:23:08ID:628XTliU1544年の美濃攻めは一応1万5千というし
晩年は負けつづけて離反され続けたとはいえ、
それでも織田信友と同程度の勢力はあるだろうな
尾張の1/4ぐらいか
0695名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 09:45:16ID:IW7XguMd信長は信行に父の遺領を分け与えたり、戦った相手もしばしば許すなどむしろその手の問題には甘かったほう
尾張時代は後年支配地で何度もやる検地すらやってないし
0696名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 13:08:34ID:DEjhRecwそして稲生合戦で大敗し一度許された後も、また同じことをしたため
一度は許す、というのがむしろスタンス
柴田勝家に対する態度なんかまさにそれで一貫してたわけで
0697名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 13:18:52ID:zGtJGrJ80698名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 13:45:05ID:SV/xlgEH外的要因(今川)さえ無ければ、他の大名と比べて
さほど不利とも思えないけどな。
少なくとも元就と同列に語るなんてとんでもない話。
統一後も常に外交戦略を駆使して有利な状況を作ってる。
0699名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 13:54:30ID:dvPvcEwa最大の障害を除外しといて対して不利じゃないって何の冗談だよ。
そんなこといったらどの大名も対して不利じゃなくなるぞ。
0700名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 14:19:27ID:SV/xlgEH少なくとも「信玄が尾張にいたら〜」とか「謙信が美濃にいたら〜」
と語るよりはマシ。
あくまで外的要因を省いて絶対的な評価をしているだけ。
0701名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 15:00:00ID:61HY1Tr20702名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 15:10:45ID:bnTwpnwa外的要因を外すなんて、さらに無意味で馬鹿な話だ。
0703名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 15:25:52ID:SV/xlgEH10万石以上の力を最初から所持してる大名と
一国人とでは相対的な比較以前に全く与えられた選択肢が違うだろ。
あくまで考慮しないで単独で見てるだけ。
「信玄が〜」「謙信が〜」なんて妄想とは違う。
0704名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 15:51:27ID:Wop9eYfZ信長の初期の動員兵力は、例えば有田中井手の元就自身の兵力とほぼ同数の7百なんだが…
0705名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 16:10:00ID:fMvLXMuq織田信友は織田信長に近い勢力を有しているし、
織田信安は上4郡の大半に影響力を有し織田信長を上回る勢力、
更に後には斎藤家も敵対。
これだけでもかなり不利な大名だと思うが・・・
家督を継いだ段階の勝頼ぐらいか?
>>704
仮に10万石ほどだとしても、周囲に敵がいる上に兄弟も信用できないから、
結局それぐらいの兵力になるんじゃないか?
0706名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 16:17:55ID:SV/xlgEHそれが難しいといえばそれまでだが、可能性はある立場。
0707名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 16:23:47ID:fMvLXMuqそれ言うなら誰でも可能性はあるわな
信玄だって今川や北条滅ぼしていれば大大名
結局それが出来たのが元就や信長で
できなかったのが信玄ただそれだけのことじゃないか
0708名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 16:37:31ID:wYlniaQS楽だというのはあまりに一面的過ぎるべさ
0709名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 16:40:51ID:dvPvcEwaそりゃニラ食べたヤツがニンニク食べたヤツを臭いというようなもんだ。
どっちも臭いのにな。
お前が言いたいのは自分の意思で動かせる兵力だけを純粋に見れば対して不利じゃないってことか?
0710名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 16:46:56ID:2J1uhSmO3万石に届かない。
信長の直轄領がそんくらいだったのかな。
信勝はどんくらいもってたんだろ。
0711名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 17:02:28ID:uEpxH0Nb信長にはそれがなかったということも考慮に入れて欲しい
0712名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 17:09:44ID:fMvLXMuq毛利の家格は低いだろ
0713名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 17:27:39ID:KcxVvave0714名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 17:35:23ID:zGtJGrJ8毛利は成り上がりですけどw
0715名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 18:32:57ID:fMvLXMuq名古屋から鳴海までは10キロぐらい?
清洲から稲生までは数キロぐらいだから
兵站要員がいらないとかで
700は純粋な戦闘要員ということで兵が少なく見えるということもあるんじゃ
>>708
尾張みたいな土地だと相手を攻めるのに兵站は関係無い
距離が近いから1日で攻めて戻って来れるから
隣国攻めるのに何日もかかるような国と違い
少ない費用で戦争ができる、また冬でも戦争できる
など攻める側に有利な要素が多いから、国力が互角ならともかく
国力で劣っている勢力は信濃なんかの弱小勢力よりも守りにくいんじゃないかと思う。
0716名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 18:46:27ID:61HY1Tr2さすが織田厨
0717711
2006/10/25(水) 20:07:58ID:uEpxH0Nb0718名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 23:04:21ID:2J1uhSmO別に悪くはないとおもうよ
0719名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 23:23:17ID:dvPvcEwa0720名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 00:39:50ID:e/bOBHlmそれは織田信友とか上下四郡守護代の家系であって、
信長はあくまで守護代家老の家系。
本当かどうかは知らないが、朝倉が信長に従わなかった理由の一つに
朝倉家は織田信友と同じく斯波氏の守護代の家系であり、
守護代家老の家系の信長に従うのを由としなかったとも言われている。
0721名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 00:45:28ID:bHAJeosBほとんどが建前に過ぎないと思うんだが
0722711
2006/10/26(木) 00:49:02ID:5QvlvakRこんなに気持ちいい論破(あんま好きな言葉じゃないけど)初めてした。
まぁ、毛利がその家格を外交調略等で利用したかどうかは知らないんだけども。
0723名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 00:53:45ID:bHAJeosB0724名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 01:03:35ID:e/bOBHlm釣りだと思うが一応突っ込んでおくと、毛利家は大江広元の家系に辛うじてつながっている程度で、
家格がどうとか言うほどのものではない。
0725名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 01:12:17ID:P/nhAZhs腐っても幕府、信玄も甲斐守護に加えて信濃守護を拝命したし義元も三河守護を得ている。
名門はこういう大義名分に結構こだわっているなあ。
守護代クラスだけど関東管領、謙信なんてその典型例だし東国では有効だったのかねえ。
北条だって形式的には古河公方を擁しているのが対上杉管領の大義になったわけだし。
0726711
2006/10/26(木) 01:14:01ID:5QvlvakRか?
曲がりなりにも安芸の国人領主のトップに立てたのは由緒がはっきりしてたからだろ。
まぁ、どっちにしてもこのスレで比較するべきは織田と武田だから、毛利の話はスレ違いか。
>>721
これははっきり違う。
例えば、今川家が尾張侵攻を上洛活動と認識された(認識されるだけの権威を持っていた)のは、
今川氏という家格による。
0727名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 01:29:39ID:WHX/uPTy「関東管領山内殿」の威力は、越山第一回目を見れば想像つくと思うが。
0728名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 01:44:17ID:bHAJeosB要は実力があれば、後から付け足せるものかと
家柄だけで実力ない者がいくらでも滅びる時代だし
武田、毛利、織田で決定的にアドバンテージ、ハンデになるような
家柄の差はないのでは?
>>726
それがどんなアドバンテージだと?
そもそも今川の「家格」が原因で唯の尾張侵攻が上洛と認識されたというのもちょっとなぁ
0729名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 03:58:26ID:z3qvDoFY0730名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 06:27:18ID:ieaUD/mA武田、毛利、織田は家格がアドバンテージ、ハンデにならないのは同意だけど
今川は実力にプラスされるだけの家格ではあったと思う。
まあそれも実力あってのことだけど。
0731名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 06:42:28ID:LhFw1cnn実力が無ければ駄目だろ、そして信長も元就も当初は実力無かったし。
また実力が互角であれば家格とかはそれなりに効果あるだろ
また実力無くても権威だけで将軍家とかいろいろ出来たのだから
やっぱし権威はそれなりに重要だと思うぞ
0732名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 21:33:46ID:jEilYJUO信長秀吉家康が天下取ってる時点でアドバンテージなど関係無いことがわかる。
強い奴はどんな境遇からでも這い上がってくるものだ
0733名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 00:26:16ID:ZKJdtMkJ家名うんぬんはさておき実力をうらづける権威というのは結構大切。
三人とも権威にはかなり気をつかっていたし。
0734名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 14:08:24ID:vcSUHy4Mこれは朝廷の官位じゃないからか?
0735名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 15:23:53ID:WZL+sK/F武家官位体制で自分を頂点として大名連中を取り込もうとしたし
0736名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 17:37:54ID:5fqbVCMJ以上で準決勝は終了!
今年の決勝進出者はこの2人だッ!!!
翠星石@ローゼンメイデン トロイメント vs フェイト・テスタロッサ@魔法少女リリカルなのはA's
錬金のアルカナ 黄金の風
Suiseiseki - Rozen Maiden -träumend- vs Fate Testarossa - Maho Shojo Lyrical Nanoha A's
Angel of Desu Strike Friendship
3ヶ月の長きに渡って開催されたこのアニメ最萌トーナメント2006もいよいよ終結!
果たして今年の優勝者は一体だれに決まるのか?!
決勝は 10/28 (土) !
ttp://zcwprd.chez-alice.fr/up2/file/b1_004424.jpg
刮 目 し て 待 て ! !
0737名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 18:00:34ID:xKlJNxDTあとは幕府の体制下に入りたくなかったからとか
後に官位も返上しているし。
尾張守護職になったこともあったから
官位役職も必要とする時期は求めていらなくなったら返上したり断ったりしてるのでは。
官位役職にはそれなりの力があるけど義務や限界も生じるのかもしれない。
謙信は関東管領になったことで越後の豪族をまとめただけでなく北信濃や
関東の豪族からの支持も得たわけだが、代わりに関東に遠征する義務
みたいなものも生じてしまったし。
0738名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:26:29ID:Hpszp/K+0739名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:33:13ID:/P6K44DC0740名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 23:05:52ID:hwEJVFGYどっちもだろ
0741名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 01:31:37ID:PPmZ7dPR0742名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 04:54:46ID:LIHSt6z+つまり信玄などが代官を置いてる土地だが
甲斐でさえ親族衆や重臣等がいて割合少ない気がする
0743名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 00:26:36ID:2VDHFyiiそれは誰にもわからないんじゃ
信玄の旗本の数から推測するぐらいしか手段が無いと思う。
というかほとんどの大名の直轄領が不明なんじゃないかと。
おおよそは推測できるかもしれないが。
0744名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 02:26:54ID:OEUau46O親族衆や譜代家老衆、外様である先方衆のそれは間接統治になるだろうな。
足軽大将衆の軍役が信玄の自由裁量に委ねられる直接の軍事力じゃないか?
まあ現実として多くの合戦にこれら身分を問わず諸将をほぼ自由に動員できたんだから
合戦における個々の指揮系統はともかく直轄領がどれだけか?てのは不毛な議論かもしれん。
勝頼の最期を見て旗本が数十人しかいないとは言えないしねえ。
0745名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 20:33:56ID:9Q9Olxm6発言力が低くく、したくない戦も重臣どもが
乗り気になったらせざる得なくなってしまう
なんとなく信長は多そうだ
0746名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 09:21:46ID:o/YQkUxG武田まで全力で織田と戦うだと確実に包囲網側が有利なので
武田を除く包囲網の面々が一致協力して全力で戦えば
武田がいなくても織田に勝てるかどうか。
本願寺の大部隊と三好の全力動員だけで十分各地の守備隊を除く織田の主力と戦えそうだが
0747名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 09:51:34ID:ntRnUasY武田が織田と全力でぶつかるなんてことは徳川を滅ぼさない限りはできないので前提からして間違い。
単独で見れば織田のほうが圧倒的だから、包囲網側のどの勢力も織田とやりあいたくない。
織田の主力がどこか別の遠方を攻めてるときにちょっかいだすか、来るべき織田の侵略に備えたいところ。
武田が滅亡覚悟で織田をひきつけておくか、はたまた三好がそれをするか。
どっちにしてもどこかが囮になる必要があるが、そんなにうまく連携取れるほど包囲網側が緊密に連絡をとれているのかどうか。
0748名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 10:04:46ID:o/YQkUxGいやそうじゃない
現実的に考えれば包囲網側が勝つのはまず無理だけど
単純に戦力で比較して包囲網側が滅亡覚悟で戦えばという御伽噺
0749名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 11:22:06ID:N7HCUTiH0750名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 15:06:05ID:qLO2XlSP連携が完全なら、織田軍を封殺するのは十分できたんだろうが当時の通信能力を考えるだけでそれは空論だなぁ
0751名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 15:33:45ID:0cVuto9t浅井朝倉も頑張って2万5千
将軍様も頑張って6千
北畠が2千
六角が1千
これだけで織田とは互角に戦える?
それに加えて本願寺が数万動員すれば
織田と畿内の親織田勢力を優に上回るな。
0752名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 15:50:17ID:JhzozgYo…あれ?このスレは……?
0753名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 16:14:33ID:8XdxHCe+松永を動かすには筒井をどうにかしないといけないし、
三好一族は、一族をまとめてかつ反三好勢を処理しなければならないし、
朝倉は若狭を完全掌握しないといけないし・・・
0754名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 20:25:19ID:ntRnUasY自領土が壊滅しようが何されようが織田信長を討てればいいと突撃する感じで。
全く意味無いどころかおもしろくもないし可能性もない仮定の話だ。
0755名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 21:24:12ID:5w9kXu6p勝ってるでしょう
同時多発的に行動起こせるのならともかく
タイミングずれた攻撃は各個撃破だ。
0756名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 21:26:21ID:dtopOcM7織田厨ばーか
0757名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 21:50:40ID:mY+B7d/h0758名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 22:09:03ID:8XdxHCe+ああ、すまん。
レスの繋がりを見てなかったよ。
罰として高校生に混じって世界史の講義を受けてくるよ
0759名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 04:31:01ID:2nInckTOでも良く考えたら、正味信玄の主領土って長野県と山梨県なんだよね・・・。
上杉謙信が信玄死後に信濃を攻めなかった理由も何となく判る希ガス。
信長としても武田家討伐の優先順位は多分相当低かったと思う。
0760名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 08:49:55ID:gQmWK1cC0761名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 09:45:57ID:H8U/2iKIそんなに信濃は豊かな土地じゃないのに、なんで固執してたんだろ。あんな枯れ地どうでもいいじゃん
0762名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 11:03:36ID:sDHoX8xO0763名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 11:20:19ID:D+2nNOe60764名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 11:26:57ID:KHu9Ad6Sまるで、第二次世界大戦で真珠湾攻撃をした日本軍と同じ。
このままだと、織田が中央を平定し、やがて、自分たちの独立が保てなくなる。
0765名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 11:32:51ID:KHu9Ad6S地政学を勉強するれば、甲斐出身の信玄が天下を狙うなんて
そうとう無理があるよ、それぐらい地政学的に不利だ。
甲斐を中心にできるだけ領国を広げて
生き残りたいというのが本当のところじゃないのだろうか?
最後の遠征は、自身が天下を狙うのではなく(というか、天下は無理)
足利家を中心とした旧秩序を回復して
自らの安泰を願った行為だと思う。
0766名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 11:57:21ID:h5Z/L649信濃南半分を取った時点で美濃を志向していれば天下取りに名乗りを上げられたかも
もっとも信玄にその発想自体があったかは疑問だが
0767名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 16:05:00ID:8I5piEHf武田信玄が地政学なんか勉強…
するればっ
0768名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 16:15:56ID:D+2nNOe60769名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 17:02:36ID:wRCgYnM1それまでに東美濃はとっておかなきゃいかんが・・・
0770名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 18:00:04ID:iJmPVdM6つか分断されて滅びるだろ
0771名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 18:14:48ID:WuuG1CZg0772名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 18:31:01ID:tH+Erfeq後醍醐天皇も京への復帰も無理だっただろうw
地政学的にはナポレオンだって毛沢東だって・・・
わけわからねえ。
0773名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 19:04:02ID:3KYkg5ag謙信と闘いすぎなんだよ
0774名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 19:07:27ID:iJmPVdM6だが実際謙信との戦いをやめたことが武田崩壊の序曲だ
今川攻めた時点で北条が敵に回ったし徳川攻めたら織田も徳川も敵に 周り全部敵
0775名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 19:41:44ID:tH+Erfeqカリスマ武田信玄が死んだ事が武田家崩壊の序曲だ
間違いない!
0776名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 19:46:06ID:iJmPVdM6いやいや、信玄の存在自体が武田崩壊の序曲だ
親父のように追放されてりゃ良かったのに
0777名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 20:26:10ID:tH+Erfeqいやいや、信虎の存在自体が武田崩壊の序曲だ
甲斐の小領主としておとなしくしてりゃ良かったのに
0778名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 20:28:39ID:7OrB37Id足利尊氏や源頼朝がどこから旗揚げしたのか・・・
ただ単に時を得なかっただけだ
0779名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 20:38:02ID:wRCgYnM10780名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 20:42:50ID:g5Sz/2MX0781名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 20:52:40ID:gQmWK1cC0782名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 20:59:47ID:3KYkg5ag0783名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:16:36ID:H8U/2iKI0784名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:34:51ID:ye+hL7Prさもなくばあんなにスムーズにいかないだろうし、
甲相同盟復活が噂され、謙信が氏政に詰問していたりもするし。
0785名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:27:07ID:3KYkg5ag誰に滅ぼされるって
北条ごときにか?
0786名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:54:16ID:WuuG1CZg0787名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 02:34:10ID:AfIUFYqb>地政学的に言ったら源頼朝は絶対に天下を獲れなかっただろうし
戦国大名の勢力過程と源頼朝の勢力過程は違うだろう?
源頼朝は、全国の開発領主が自らの既得権益確保のための象徴として
担がれただけで、用がなくなれば切り捨てられたわけだし。
武田信玄の場合は、そういう象徴にはなりにくいでしょう?
一から武力・経済力で、自国を拡大していかねばならない。
だからこそ、戦国時代なわけで。
0788名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 02:36:04ID:AfIUFYqb>甲斐から天下を狙うのは地政学的に無理って
>足利尊氏や源頼朝がどこから旗揚げしたのか・・・
足利尊氏や源頼朝も、全国的なうねりの中での担がれなわけで。
0789名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 03:00:58ID:DTep8eCr単純な国力・武力だけでは無理。
2万5千の武田軍があそから武力で京都を制圧するのは厳しい。
対外的な政治環境・諜略などで、かなり運がないと無理。
例えば、武田信玄が全国の大名に担がれ、旗頭にならないと難しい。
足利尊氏や源頼朝みたいに。
でも、武田家があの当時、その位置にいたかは微妙。
担がれには足利家があったわけだし、あの信長包囲網は
足利義昭の権威と外交力だから。そう考えると、足利義昭はなかなかやるw
信長も足利家の権威に対抗するために、最後に天皇を使った。
武田家は源氏といってもね、義家系の源氏である足利家ほどの権威はないでしょう?
また、あの当時は、足利尊氏や源頼朝ほど、清和源氏が
全国の新しい旗頭になったかどうかは難しい。
なるのなら、足利家の誰かさんをそのまま起用するでしょう?
というか、足利家以外なら、今川家とかかなり有力だったと思うんだが。
桶狭間で...
0790名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 09:32:47ID:1n3gisrcなんか同じ轍を踏んでる。信虎のそれが多分に甲斐の混乱に乗じられた受動的なものだったのに対し、信玄のそれは明らかに自分のミスだよな
年老いて判断が鈍ったんだろうか?
0791名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 17:47:41ID:uLyQn7pB父親のほうから攻め込んで討ち取られたわけだから、こだわり捨てて織田と結べたら滅亡もなかっただろう。
「このままでは今川は武田にのみこまれます。今川領取り込んだ武田が相手では徳川どのは滅亡を待つばかり。
織田どのは数年後強大な敵を東に抱えることになるでしょう。
今、我が今川と結ぶならば上杉、北条とともに武田の動きを封じる役目を担えるでしょう。
徳川どのの三河領有を認めるのと引き換えに、不戦協定を結び遠江への侵攻は停止していただく。
そして共に南信濃を切り取りにかかります。
織田どのにとっても美濃の東が同盟者の徳川どのの領土であるほうが望ましいと思うが、どうでありましょう?」
とか1567年あたりに織田にもちかけたらよかったんじゃね?
0792名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 17:52:53ID:Lnv7bix+そんな事したら、あっさり信長に裏切られて
土地だけ没収されるよw
信長に対しては弱みを見せたり誘われてもないのに降ると
骨の髄までしゃぶりつかれ一族郎党皆殺しの目に遭うのは歴史が証明している。
徳川方から同盟や政略結婚を申し込まれて
それに頷くなら良い選択だけどね。
0793名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 18:30:06ID:ykkiNpDn織田と武田は同盟結んでいるのにそこに割って入るのは難しくないか?
それに織田と結んだら家臣からの反発が起こるだろうし、さらなる混乱を招きかねない
氏真が本当に優秀なら徳川独立後即行動起こして叩いた方が早い
氏真が今川家衰退に歯止めをかけられなかったからこそ、
武田に付け入られる隙ができたわけだし
0794名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 19:38:37ID:uLyQn7pB1565年春、その年の秋の甲尾同盟
この間はチャンスありそうじゃね?
このころ、義信事件があるってことは、武田、今川が敵対しそうなことは
すでに今川方にもわかってるんだろうし。
0795名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 19:45:48ID:WyvDQXpT武田がどうなろうが、あんまり意味なし。
とにかく、近畿を完全統一するのが先決だった。
その間、毛利や武田や朝倉はおとなしくしてくれみたいな。
信長にとっての最大の敵は本願寺だった。
本願寺さえ倒せばみたいな...今でいう層化みたいなもん?
0796名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:41:32ID:hF9wHkNG信長が、何の根拠も理由もなく、自分より立場が弱い降服者というだけで
「骨の髄までしゃぶりつかれ一族郎党皆殺しの目に」遭わせた一族という例
を歴史の上で挙げてもらえませんかね?
「歴史が証明している」なんて言うのだから、当然一つ二つでなくいくつも
例があってソースも確かにあって直ちに挙げられますよね?
0797名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:51:46ID:VZKlgOL9氏真が優秀ならば再度上洛を行うだろうよ。当然元康は独立することなく
今川軍先手衆となり織田軍と戦っただろうね。
親の仇に恭順して同盟を結ぶなど戦国大名としては自殺行為。
0798名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 22:07:59ID:GlT0lIKQよくあることじゃないか?
三好長慶や宇喜多直家もそれに近いし、上杉憲政も親の仇の子に頼り
竜造寺政家も一時的とは言え島津に恭順、
大名以下の国人レベルでは小山田信有も信虎に仕えたり、
そういえば山内一豊も信長に仕えているか。
0799名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 22:41:39ID:V3IrsJ5m多分彼はイメージで語ってるから催促しても出てこないか、某新聞社ばりの曲解に曲解をかさねたモノしか出てこないと思うよ
>>797
当主がまさかの討ち死にで家臣が動揺してる中、すぐに尾張討伐に向かうのはそれこそバカ殿
0800名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 23:47:32ID:nC7hA2dp氏政は謙信曰く信玄と並ぶ大将、まあとにかく打算的というかマキャベリストな側面が強いよな。
氏康存命ならさすがにあそこまで武田側有利な甲相同盟復活までは至らず武田の駿東・関東侵犯など
泥沼の紛争が続いた可能性は否定できないけれど同盟復活は必然だっただろうねえ。
少なくとも北条・武田両家とも互いを滅ぼそうなんて考えはなかっただろう。
越相駿の包囲網も三方面からの武田の牽制が主目的でしょう?
同盟後は徳川に対しては終始武田が優勢で東美濃でも織田を圧倒していたのは否定できない事実。
そう簡単に武田を滅ぼす勢力の存在は少なくとも信玄上洛の時点ではまずいなかったかな。
0801名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 23:57:36ID:VZKlgOL9仮にも東海一の弓取りと揶揄された大名家のとる策ではない。
>>799
戦国の世の大名で蹴鞠などで遊んでばかりいる方が余程バカだろ。
氏真がそれなりの将であれば父の志をついで再度挙兵するのは当然。
0802名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 00:07:27ID:iL/SUkCW0803名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 02:27:20ID:5Tgd7w7u氏真は京都に逃れたあと
信長になついてなかったっけ?
0804名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 04:01:10ID:zNF94ZNK信長も晩年は氏真に優しかったもよう。
もう、ライバルではないわけだし、案外、家康がやったみたいに
高家みたいな形で登用したりしてな。
親の仇というけど、侵攻したのは今川のほうだし
また、桶狭間で敗走して、それから攻めるのは難しいと思う。
今川が織田を倒せるとしたら、桶狭間のときが最大のチャンスだった。
織田が一旦、尾張を完全併合したら、なかなか攻略は難しい。
また、松平に独立されたのも痛かった。
あれで、ほとんど天下は難しくなった。
あと、今川内も、必ずしも一枚岩でなかったのかもしれない。
0805名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 06:12:40ID:CVcrsckI織田信長の苛烈な所業
@北畠具教に対して信雄の養子入りを条件として和睦。
養子入りした途端に、北畠親子の身の安堵を反故にし、軍勢を差し向け惨殺。
(厠の糞壺に吊るされ、汚物を身に受けながら衰弱死)
A伊勢の神戸具盛も同様の手口で、一族家臣の多くを殺されたうえで近江国日野城に幽閉。
B長島付近の農民を無差別に痛めつけて長島に押し込め兵糧攻め。
退去すれば許すという条件を提示し城外に出た途端に女・子供を含めて
全員を皆殺し。
C降伏してきた波多野兄弟を、その場で殺害。
D同盟軍の徳川家康の正妻と嫡男を粛清
E武田氏滅亡後に武田に属していた者は例え恭順の遺志を示そうと
容赦なく一族まとめて根絶やしにせよ、とするいわゆる「武田狩り」を命じた。
F義理の母にあたる阿古御料人の指を一日一本ずつ切り落とし、その後、惨殺した。
G無抵抗な佐久間信盛、佐久間正勝、林秀貞、安藤守就を用済みになったので追放
H岩村城城主の未亡人(於艶;信長の叔母)を自ら救出に駆けつけなかったくせに
武田に降りたという理由で磔。
0806名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 07:12:13ID:wGUVNMCMは?
0807名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 07:21:48ID:CVcrsckI日本語の理解できない半島の方ですか?
0808名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 07:28:02ID:O0Ie7kzm0809名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 07:28:32ID:CVcrsckI馬鹿丁寧に馬鹿にでも知恵遅れにも分るように説明するが
BとEには既に無数の一族郎党が含まれてるだろうw
また、その他の例もそれに順ずるのは知能指数80以上ある日本人なら
理解可能。
0810名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 07:31:07ID:CVcrsckIでは、いってきます。
0811名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 07:39:33ID:NfujHAVY言ってる事が地政学とは関係ないような・・・
0812名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 09:10:25ID:yuZFrtIG>信長が、何の根拠も理由もなく、自分より立場が弱い降服者というだけで
>「骨の髄までしゃぶりつかれ一族郎党皆殺しの目に」遭わせた一族という例
>を歴史の上で挙げてもらえませんかね?
その九つは全て理由もなく、根拠もなく行ったと?
つか六番目は命令で「行った例」じゃないぞ
0813名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 10:10:55ID:5Tgd7w7uなついてるくらいだからw
1565年に織田と組んで武田の侵略をかわすのに弊害なのは
やっぱ家臣団なんだろうね。
これを納得させられるかどうか、。ってことだね。
0814名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 10:40:31ID:5qjPilUiただ今川と織田の間には独立した徳川氏が緩衝地帯として存在するわけだからな
即座に結ぶメリットは少ないだろう
むしろ諏訪氏侵攻時から同盟破棄と縁戚でも容赦なく殺害する履歴を重ねてきた武田氏のほうが怖い。史実通りに
0815名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 10:41:56ID:dH0Fdhsgはい、無知晒しおつかれさま。
それらの所業をどう評価するかは人それぞれだが、それのどこが
>信長が、何の根拠も理由もなく、自分より立場が弱い降服者というだけで
>「骨の髄までしゃぶりつかれ一族郎党皆殺しの目に」遭わせた一族という例
というのかね?
@北畠は信玄の上洛戦のおり、密使を遣わして武田への内応を約したことがある。
書状も残っている。また紀伊方面で一揆の扇動もおこなっていたとか。理由アリ。
A神戸家の場合は、殺されたのは養子入りに反対した者達、つまり政治的敵対者
であり、理由アリ。
B農民でも無差別でもない。さらに言えば、一揆側は一度降服内応を自分から提案
して約束しておきながら、破った例がある。つまり降服が信用できない。
Cこれはまあありか。しかしその後残った家臣団を皆殺しにしたのは明智。そも
この策の提案実行者も明智。
Dはい講談オツ。現在では信康事件は徳川家の内部事情であり、信長は巻き込まれた
とする説が有力。昭和以前で止めてないで、少しは勉強したら?
Eこちらも講談オツ。武田遠征で殺したのは戦死かあるいは戦後降服せずに抵抗を
続けたり逃亡してつかまった連中ばかり。通常の戦後処理だな。武田遺臣虐殺はよく
言われるが、実はでは誰が殺されたのか?と聞いても名前が挙がらない。
知る限り、「降服を表明したがゆるされず処刑」されたのは小山田親子くらいしか
いない。そしてこれにも理由はある。降服にもルールや手順や約束事というのがあり、
小山田はそれを守っていない。
Fこれは知らない初耳。詳しくききたい。同じように殺されたのは朝倉義景母がいるが、
別に義理の母でもないしな。これは残酷な例ではあるが、上に挙げた条件からは外れるな。
Gまあいろいろと言われているが、これも上の条件からは外れるね。日本語、理解できる?
Hどういう事情であれ大名に近しい親族がただ降服しただけならともかく、明確に裏切って
るんだからねえ。ちなみに救援にかけつけずに〜というのなら、徳川家康も上杉謙信もして
いるな。
以上。頼むから、自分で挙げた条件くらいは守ってくれよ。あと講談や小説でなくてもっと
勉強したら?
0816名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 11:02:11ID:LNxQlbW2北条家は信義に厚いから史実では頼りになったけど、今川本隊は寝返りや日和見続出でボロボロでしょ
西の大内義隆の例のように、合戦を指導しない大名に対しては家臣は求心力をもてない時代
いずれどこかの大名に食いつぶされるのは避け難い
0817名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 15:01:55ID:cSL5l1H1大内義隆は自身の官位昇格のために朝廷工作に奔走していたみたいだな。
そのために、金を多く使った。
そうすることが大内の権威を高め、大内にとって良しと思っていたのだろう。
一介の地方国主の大内義隆は従二位まで昇格、将軍だった足利義輝の正三位より上で
全国の大名では最高位の官位になったw
しかし、それでは大内家内の家臣には、何の利益にも還元されなかった。
もともと、大内の支配体制は、支配国の守護代による寄り合い所帯で
大内氏はその上に乗っかる状態。ちょうど、足利将軍家の縮小版だった。
そのために、それぞれの守護代の独立性が高かった。
直轄領が無かった状態になってしまったのでは?大内自身は。
0818名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 15:53:16ID:+5gfvhls氏真は自身にそういう体験が無いのに軍事嫌いだったらしいから
氏真が出陣を試みたのって上杉の小田原攻撃による北条からの援軍要請時ぐらいじゃね?
0819名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 17:47:41ID:M0sHpg7R史実どおりの氏真ならどんな手段を使っても無理な気がする
0820名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 21:54:09ID:1PX4Ddsmすなわち領土拡大→恩賞という予めインフレを予想した経済システムで成立していたから、
軍役の割りに獲得できる領土や恩賞が少ない国人衆や守護代達の離反を招く場合が非常に多い。
だから、大軍を率いた大規模合戦での敗北し、更に殿様が打たれるなんてのは、
すなわちその大名家の死にかなり近い訳で、氏真がいくら優秀でも無理に近い罠。
同様の現象は川越夜襲での上杉家、厳島での大内家(陶家)、沖田畷の戦いの龍造寺家とか。
0821あ ◆Hbcmdmj4dM
2006/11/02(木) 22:32:50ID:IfqSLpOX0822名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 23:11:54ID:NfujHAVY信玄の今川侵攻が1568
完全降伏が1569
長篠の戦い1575
武田家滅亡が1582
重臣旗本が多数詩れたら
よほどの即戦力がいなければ
行政や戦の指揮ができる武将不足で
再建するのに時間がかかるり
滅亡するのも仕方がないのでは
現代だって6・3・3・4で16年必要だしw
0823名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 23:12:41ID:bz6H5RxG0824名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 02:12:28ID:312o9W1w0825名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 02:18:00ID:312o9W1wはい、ハクチ晒しおつかれさま。
なんか悪い宗教に洗脳されてないか?
自分が認めたくない事実、自分の知らない知識を全て
「小説ニダ」「講談ニダ」「捏造ニダ」と叫んでれば良いのだから
君等の民族は楽でいいね。
これ以上、馬鹿の相手はできないわ。
二度と、この掲示板には来るな。
0826名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 03:15:24ID:gd48mHo0議論をしてくれ。レッテル貼りでなくて。
それから、根拠をもとにした議論ができないのなら、2chどころでなく現実社会で
やっていけないぞ。
0827名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 03:42:58ID:312o9W1wそれは>>815に言いなさい。
俺もURL貼っとくべきだったが上の1〜9はwiki抜粋だ。
それに反論して「小説ニダ」「講談ニダ」「捏造ニダ」と叫び
自説を展開してるアホは何一つ、根拠もソースも持ってきてない。
0828名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 04:04:23ID:a/OItMygwikiがソースになると思ってる香具師がこの板にいたとは驚きだな。
0829名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 04:05:27ID:IJ8W1I6l0830名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 04:10:23ID:a/OItMygもっと論理的な反論をしろよ。
@の書状が残ってるとか
Aの殺されたのは政治的敵対者であるとか
そういう事に対する反論だ。
そもそも北畠の最後については諸説あるだろうが。
きっと何をいってもまともなものは返ってこないんだろうけど。
そもそも反論できないならレスすんなよ。
0831名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 09:07:41ID:ig5YytB0しかも議論の本筋に関係無い荒し
同盟者になったらどうか、という話でなんで信義違反した同盟者どころか、他の反逆例まで持ち出して残虐残虐言い出さなきゃならんのじゃw
0832名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 09:14:56ID:GTO8lZrR0833名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 11:05:23ID:Cqmki3Ay塩止めみたいな経済封鎖じゃ却って相手に口実を与えるだけ
嫡男で縁戚の義信処罰を口実に今川から上杉・北条と組んで攻め込むぐらいしないと
0834名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 11:17:21ID:a/OItMygそのころは徳川で手一杯なような。
0835名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 12:02:44ID:gd48mHo0wikiはソースにならんよ。特に歴史関係は、ほとんど講談や小説準拠の一般に
流布している「お話」ばかりで学説はロクに反映されていない。
君、現実世界で論文・レポートというものを書いたことないでしょ。
0836名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 12:14:14ID:s0TaDsSu大学で論文やレポートを書くのにWikiはアウトだよね。
だって、誰でも編集できるんだから
全く参考にならん。
0837名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 12:25:24ID:XnEh9wZ3信玄のクーデターだって今川との通謀があったから上手くいったんだし
0838名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 12:44:06ID:312o9W1w論敵じゃないからw
ヤツは単なる厨房だろ。
彼の主張を一つ一つ見て御覧よ。
根拠の無い話や彼の脳内ソースだけで純粋にストーリー展開をし
自分が認めたくない主張だけは「知らない!」「講談ニダ!(ソースもってこいよw)」
「小説ニダ!(どの小説家いえよw)」ばかりだからw
どこが‘論’的やねんwww
0839名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 12:52:59ID:gd48mHo0では「厨房ではない」あなたは、自分の主張をソースを持ってもう一度展開して
ください。すでに指摘しましたが、wikiはソースとなりませんから、あなたの主張
にも根拠がありません。
そして主張を始めたのはあなたですから、まずあなたの側に立証責任がありますよ。
0840名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 12:55:17ID:XnEh9wZ30841名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 12:58:27ID:A/knhzVhお前は単なるWiki厨だろ。
自分の主張を一つ一つ見て御覧よ。
Wikiの話や自分の脳内ソースだけで純粋にストーリー展開をし
Wikiに乗ってないことは「違う」「半島人だろ」
Wiki以外のソースもってこいよw
0842名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:12:48ID:o8aSw5wE0843名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:17:06ID:o8aSw5wE0844名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 14:05:21ID:awsfbuEe屁理屈しかこねられないやつと議論しようとした所で
同じ答えしか返ってこないぞ。
頭の不自由な子はスルーが基本。
0845名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 14:08:48ID:6wM9jEXU0846名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:18:17ID:SKlvs/A80847名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:19:57ID:pn9m6JPl0848名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:45:21ID:312o9W1w立証もなにも、全て織田信長によって殺された人々というのは
不変の事実だろ?それをひっくり返そうというの?
ヤツの言ってるのは、その理由が違うニダ!と脳内妄想を展開してるだけで
織田信長がそれらの人々を惨殺した事は誰一人(ニダ野郎も含めて)疑う事すらない
厳然とした事実なんだよw なんで、それを一々立証責任云々ってw
アホですか?
0849名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:58:39ID:SKlvs/A8大昔にお偉いさんが信忠を暗愚と決め付けてそういう説を流してしまった事で一時主流にはなったが、
近年、信忠の事跡が明らかになるにつれ、暗愚どころかかなり優秀な息子だった
可能性が様々な面で指摘されていくうちに、信長が信康を殺す利点があまり無くなってきてしまった。
もともと関係は良好の上、信康の嫁は信長の娘でいわば義理の息子。
信忠が優秀で信康も優秀なら、信長にとってめでたくはあっても余計な事を考える必要など無い。
更に当時の「家」の考えで言っても、いくら主家であっても配下の嫡男に死ねと言える程の強権は
さすがに余程の事でもなければ無い。家康はたまたま子が居たが、平たく言えば滅びろって
言ってる様なもんなわけで、遠回しに改易没収してるのと大差ない。
こんな事は天下統一後の秀吉や徳川政権ですらそうは言えない。
まして信長にとっての徳川家は関係こそ強弱が出来たとは言え、紛れもない盟友。
そんな無理をする意味があるとは思えない。
ってわけで、信康関連のとこだけ外して貰いたい、あとはどうぞ。
0850名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:03:38ID:SYSavtd9不
ヤ
織
厳
ア
0851名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:04:54ID:GTO8lZrR発端のレスをよく読んでみ>>796
0852名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:07:18ID:4EOFoq+U横レスだが発端は>>792だと思う。
792 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/11/01(水) 17:52:53 ID:Lnv7bix+
>>791
そんな事したら、あっさり信長に裏切られて
土地だけ没収されるよw
信長に対しては弱みを見せたり誘われてもないのに降ると
骨の髄までしゃぶりつかれ一族郎党皆殺しの目に遭うのは歴史が証明している。
徳川方から同盟や政略結婚を申し込まれて
それに頷くなら良い選択だけどね。
これを史料とまでは行かなくても、研究や学説などを挙げて説明すればいい筈なんだが。
0853名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:14:01ID:6jUZ3K+Q0854名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:17:38ID:GTO8lZrR>>796が「理由もなく」とわざわざ断った以上
「理由なんか関係ねぇ!殺した事実が重要なんだ!」は通用しない
そもそも事実かどうかにすら疑問をもたれてるが
そんで>>796あてのレスで回答してるし
それにまっとうな理由なく斬るのと理由があって斬るのとは随分違うぞ
0855名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:19:33ID:4EOFoq+Uいや、俺に言われても困るんだが。
そもそもの発端は>>792だから>>792がこれをきちんと根拠付きで主張できれば良いんじゃないか?
0856名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:22:01ID:312o9W1w同盟・庇護をお願いしろと?浅井家・荒木家の二番煎じになるに決まってるじゃないかw
後々、因縁吹っ掛けられて御家断絶。最高に運が良くて追放だろうw
0857名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:26:12ID:4EOFoq+U浅井は別に因縁を吹っ掛けられていないと思うが。
むしろ浅井側だろう、最終的に信長と断行したのは。
0858名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:33:47ID:312o9W1w0859名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:35:17ID:4EOFoq+Uそういう想像は良いから先に>>792をきちんと根拠を挙げて主張した方が良いと思うがねえ。
0860名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:52:25ID:312o9W1w既に多数の例が挙げられてだろうがw
信長は自分にとって利用価値が無くなったらタイミングを見計らって例外なく殺害、もしくは追放。
そんなの例を挙げたら枚挙に暇が無い。逆に利用価値が無いのに温存、重用を続けた例が
あるのか聞きたいくらいだw
0861名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:53:44ID:hTAWvdrp信長を仇と思う重臣達がいる以上不可能かね?
0862名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:54:31ID:4EOFoq+Uそれは>>792の主張とは違うと思うぞ。
信長に対しては弱みを見せたり誘われてもないのに降ると
骨の髄までしゃぶりつかれ一族郎党皆殺しの目に遭うのは歴史が証明している。
だからな。
利用価値云々とは言ってない。
0863名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:56:17ID:312o9W1w後の例も同様だろう。十二分に証明されまくってるじゃないかw
0864名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:57:12ID:hTAWvdrp0865名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:58:04ID:312o9W1w細川は猛烈に利用価値ありまくりじゃないかwww
0866名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:58:22ID:4EOFoq+U・今川家中を取りまとめられるか。
・その後の徳川と今川をどうするのか。
徳川も今川も勢力を拡大する先が無くなるが。
あと、時期にもよるが徳川に関しては最低三河は与えないと駄目だろうが、
それを今川側が認めるか。
遠江はどうするのか。
問題山積だろうな。
0867名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:00:39ID:4EOFoq+U足利義昭は利用価値が無くなった後も追放されただけで済んでるが。
0868名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:01:48ID:G4xBXDew北畠、神戸の例と言っても普通に反抗したから邪魔だから潰されたと言うだけで
別段珍しいことじゃないし。
一つでもいいからちゃんとした例を上げてみたら
0869名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:02:57ID:312o9W1wそれは運が良かった方の例ね。
0870名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:04:44ID:4EOFoq+Uそういう例がある以上「十二分に証明されまくってる」なんて言えないだろうに。
0871名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:07:06ID:312o9W1w恭順したから反抗したから殺害されたという根拠があるなら出して下さいね。
北畠具教は養子縁組して、まもなく殺害されてるけどねw
具教が恭順後、反抗した証拠や殺されなければならなかった理由を挙げて欲しいね。
0872名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:18:25ID:G4xBXDew>骨の髄までしゃぶりつかれ一族郎党皆殺しの目に遭うのは歴史が証明している。
まずこれを挙げてもらわないと話しにならないんじゃないか?
ただ
>信長に対しては弱みを見せたり誘われてもないのに降ると
って信長以外に対しても弱みもなく誘われても利益も無いのに降るやつなんているのか?
>>871
まもなくって信長の伊勢侵攻が69年で、殺害が76年なんだが?
信長の長島攻めに協力しなかった件
紀伊大和の反織田勢力と連絡を取った件
武田信玄と連絡を取った件?
というか信長おいてに限らず養子を送られて
受け入れた側に力が無い場合はひたすら従順にして全面協力していなければ
殺されたり潰されたりするだろ。
0873名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:28:01ID:PQncwEOK0874名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:33:49ID:DhsC9/xL二勢力の調停はよっぽど権威があるか武力があるかしないと無理。
0875名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:58:43ID:312o9W1wそう考えると氏真はここのネラーの100倍は賢者確定。
0876名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 18:25:01ID:GfwtFa7z0877名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 19:59:47ID:BjkFcDj/0878名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 20:38:18ID:GTO8lZrR0879名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 20:50:24ID:o8aSw5wE0880名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 21:30:10ID:G4xBXDew幽閉なり暗殺なりしているしな
残虐といえば黒田長政の和平のため宴席に呼び出して皆殺しも
かなり酷いし
0881名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 22:42:39ID:CI0KOaeq0882名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 23:10:11ID:IEQYi4WB0883名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 00:06:06ID:gd48mHo0時代の常識か、あるいは政治的必然があったかだからねえ。
0884名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 00:45:09ID:ju/aSxQvIDが変化してない・・・何ゆえ?
信玄だって諏訪を降伏後殺しているし
結局みんなやってるとしか言い様がないんだよな
0885名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 08:52:53ID:W0mqs7/2ほら本筋の話題がきえちゃった(´・ω・`)
0886名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 14:54:25ID:zGzYi7+N0887名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 16:07:53ID:JkIrRxl2だから許してやれ。
0888名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 22:38:19ID:cufZb1cPつってもまあ、どっちが汚いとかきれいとかわからないのがああいう時代だからなあ
0889名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 08:59:42ID:WrNOLnQZ従属ならともかく。
0890名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 15:23:11ID:CDi43xp70891名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 02:24:58ID:OVOSFeib0892名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 11:40:53ID:Ygbw2SHlそれに降伏した以上責任をとるのはある意味当たり前。
もっとも降伏ではなく家臣に裏切られて光秀に捕縛されたみたいだが。
0893名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 14:36:39ID:5tDzpow8今川は既に利用価値もないほど暴落してたしねぇ
0894名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 15:20:03ID:H5+RXcLYでも信玄は勿論、謙信も上洛支援どころか矢止め(和睦)すら蹴って争いつづけたんだよな
朝倉は地理的にも近かったけど動かなかった
実は信長は美濃攻略前に義昭の要請に応じて上洛しようとしていた。これは斎藤龍興が和睦に一旦応じながらこれを破ったせいで大敗して御破算になったんだけど
それで信長は「天下に面目を失った」そうなんだけど、受けた恥辱の割に美濃制圧時に龍興は生かして追放だけで留めている
信長が最初から将軍家の利用だけを考えていたとか、常に残虐だったとかの通説に対する一考察の材料になるだろうね
0895名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 16:51:10ID:VLCi/DqU0896名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 23:06:49ID:D7R7+454謙信が動けなかったのは信玄と顕如の攻撃を受けていたせいじゃないか。
そして顕如と三好は繋がっている。
0897名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 23:57:50ID:D7R7+454信虎が玄広恵探に味方した前島一族を倒したり、義元が北条と争って救援を求めた時
工藤が出兵に反対したり、
一部の家臣は今川と同盟を結びたくなかったのでは、そして家臣の意向を受けて
信虎は初期は今川と戦い続けたのではという説を唱えてみる。
あと信玄廃嫡の話しは軍鑑にしかなく、仲が悪いとしたら何で三条氏から嫁を
そして官位や義晴から名前を貰うような努力したのか、
親子の仲は別に悪くなく無理やり家臣達に祭り上げられ首のすり替えを行われたのでは
と言う説も挙げてみる。
1537年以降に仲が悪くなったと言われればそれまでだが。
0898名無しさん
2006/11/10(金) 00:39:29ID:N7+XAtCa0899名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 01:35:16ID:AcaFGs0Q一応、甥っ子だからじゃね?>龍興
0900名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 02:00:37ID:DvUB7H4b和睦を反故にしたには龍興だけど、その事情を考慮に入れずに
信長をこき下ろしたのは義昭だからじゃね?
その辺の理由で義昭をただの御輿扱いしたのかも
0901名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 05:56:03ID:CWEAZVac信長に従えば家康の様にいいように
つかわれることを・・・
でも使われてれば北近江から北陸一帯
宰領できたかもしれない
0902名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 07:40:12ID:nkFsJbqjノ_◎_ ヽ
∧,,∧(・ω・` ヽ=ゝ
/ο ・ )Oニ)<;;>
/ ノ lミliii|(ヾゝ
(o_o,イ__ヽ´|(__) ノ~⌒)彡
ノllllllllヽ| | ̄ノl ノ
/ /~ヽ ノ'''''''~ヽヽ\ヽ_
ヽニフ|_| (_/ ヽノ
(_ヽ
0903名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 10:24:33ID:tjsQJtnE斎藤利治(濃姫の弟説がある。ってことは斎藤家本流?)は信長に仕え、越中月岡野合戦で上杉家の謙信以来の重臣・河田長親を大破し首級360を得るなど活躍するが、本能寺の変の時信忠に殉じる
信長に関わる斎藤氏の後裔って他に誰がいたっけ?
0904名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 13:24:23ID:y8tgcx8b山城あたりを軍事的に支配できても飛び地になり、維持は困難
大内氏のように軍を常駐させれば本国で尼子氏が隆盛し、それを抑えるために派遣した武田元繁が却って自立を企てるような事態が信玄らにも起こりかねない
普通に無謀かね?
0905名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 16:06:41ID:lQOFABs0でも義昭があまりに頼りない上に勝手なんでキレて制限に走ったと
オレの上に立つ奴はオレよりできるべきだ、と思ってたのかな
0906名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 17:29:38ID:K+Wiv5c1>16-19 >30過去ログ関連スレ
>20-29 >34-43スレまスレまとめ
>33-55 上野攻めるより先に美濃を攻めたら 決戦したら
>36-39 1572年秋-1573年春関連文書
>56-122甲相同盟破棄と駿河侵攻
>67-104武田の勝率
>123-129西上野攻略
>129-154駿河攻略と第1次駿河攻略成功時のIF
>155-161氏康が長生きしたら
>162-171越相同盟 1569年越後の状況
>172-175信玄謙信が戦わないIF
>178-206信長信玄の家督相続時の石高国内外状況の比較 桶狭間の戦い時の尾張の状況
>207-228信玄はどの程度の能力か不利な環境だったか 継いだ段階での国力・周辺国との関係等の比較
>230-249甲尾同盟を維持していたら 上杉織田の関係 何故上洛しようとしたか
>254-339各大名の国力・周囲を取り巻く環境の比較・恵まれた大名
>272 100万石越えた大名一覧
>278-339竜造寺隆信・大友宗麟・集権体制について
>279-286義信事件について >286義信謀反年表
>277-301相続問題・お家騒動
>345-364信長の戦場指揮の逸話
>365-393信玄の戦術指揮能力三増峠の戦い武田織田の指揮官クラスの死亡について
>394-411信長の戦術指揮能力
>412-471信玄の戦略駿河侵攻
>472-500 100万石クラスの大名 1570年上杉の国力 武田は同程度の勢力相手に拡大できるか
>496同じ国力差から抜けた大名
>501-547同程度の国力相手 上杉との戦力比較 信玄の戦術 織田包囲網の状況
>548-586越後攻め駿河攻めについて 駿河攻め時の北条の思惑 武田の信用度
>587-607武田の上洛について 信玄信長の宗教観 第1次駿河遠征が成功していたIF
>608-635武田信虎の政策・甲斐国人衆
>636-660野々宮合戦 信長信玄の拡大速度・敵対相手の国力状況
>647信長の生涯を通しての拡大速度
>663-680信玄は何故先に美濃を攻めなかったのか 斉藤上杉の比較・尾張信濃の比較
>681-715信秀の晩年尾張の状況 信玄信長家督を継いだ段階の比較
>711-738家格権威官位役職の効果影響力
>742-745直轄領
746-790包囲網が完全に機能した場合のIF 地勢 武田による斉藤攻めIF
791-866今川氏真が優秀なら及び織田と同盟した場合のIF 桶狭間後の今川の状況
取りあえずここまで
0907一部修正
2006/11/10(金) 17:30:35ID:K+Wiv5c1>1-15テンプレ
>16-19 >30過去ログ関連スレ
>20-29 >34-43スレまスレまとめ
>33-55 上野攻めるより先に美濃を攻めたら 決戦したら
>36-39 1572年秋-1573年春関連文書
>56-122甲相同盟破棄と駿河侵攻
>67-104武田の勝率
>123-129西上野攻略
>129-154駿河攻略と第1次駿河攻略成功時のIF
>155-161氏康が長生きしたら
>162-171越相同盟 1569年越後の状況
>172-175信玄謙信が戦わないIF
>178-206信長信玄の家督相続時の石高国内外状況の比較 桶狭間の戦い時の尾張の状況
>207-228信玄はどの程度の能力か不利な環境だったか 継いだ段階での国力・周辺国との関係等の比較
>230-249甲尾同盟を維持していたら 上杉織田の関係 何故上洛しようとしたか
>254-339各大名の国力・周囲を取り巻く環境の比較・恵まれた大名
>272 100万石越えた大名一覧
>278-339竜造寺隆信・大友宗麟・集権体制について
>279-286義信事件について >286義信謀反年表
>277-301相続問題・お家騒動
>345-364信長の戦場指揮の逸話
>365-393信玄の戦術指揮能力三増峠の戦い武田織田の指揮官クラスの死亡について
>394-411信長の戦術指揮能力
>412-471信玄の戦略駿河侵攻
>472-500 100万石クラスの大名 1570年上杉の国力 武田は同程度の勢力相手に拡大できるか
>496同じ国力差から抜けた大名
>501-547同程度の国力相手 上杉との戦力比較 信玄の戦術 織田包囲網の状況
>548-586越後攻め駿河攻めについて 駿河攻め時の北条の思惑 武田の信用度
>587-607武田の上洛について 信玄信長の宗教観 第1次駿河遠征が成功していたIF
>608-635武田信虎の政策・甲斐国人衆
>636-660野々宮合戦 信長信玄の拡大速度・敵対相手の国力状況
>647信長の生涯を通しての拡大速度
>663-680信玄は何故先に美濃を攻めなかったのか 斉藤上杉の比較・尾張信濃の比較
>681-715信秀の晩年尾張の状況 信玄信長家督を継いだ段階の比較
>711-738家格権威官位役職の効果影響力
>742-745直轄領
>746-790包囲網が完全に機能した場合のIF 地勢 武田による斉藤攻めIF
>791-866今川氏真が優秀なら及び織田と同盟した場合のIF 桶狭間後の今川の状況
0908名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 19:17:40ID:lUjYTZN6信長は旧態依然・形骸化した権威などに従うつもりは毛頭なかったろうよ。
せいぜい上洛の大義名分が立つし京の案内役程度には利用できると思っていた。
少なくとも足利幕府の忠臣の意識は希薄だったろうね。
0909名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 01:02:32ID:9UUmHWwc0910名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 01:30:21ID:rNRgrYWa長井隼人ってどうなったっけ?
0911名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:39:10ID:k+sNMQOjそれは美濃併呑後の話でしょそれくらいのでかさになったからこそ
その見通しが立ったと見るほうが自然に思えるが。
0912名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 12:41:21ID:jwYmO3vn鶏が先か、卵が先か
0913名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 14:22:55ID:rNRgrYWa上にでている「美濃攻略以前に上洛要請があって信長はやろうとしたけど、美濃との和議が
整わなく出来なかった」って何の史料にありますか?
0914名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:21:46ID:NofVSp8C武田家って、本当に不利な立場だったんだよね。
まさに小国の立場。
大国である関東、東海に囲まれてという感じ。
常に周辺関係との緊張から国を運営しなきゃいけなかった。
0915名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:40:52ID:3EaEpbFdつかそれなら横の富裕な国を攻め取れる絶好のポジションじゃないですか。
まあ実際には関東なんて使えねー湿地だらけの糞田舎だけど。
もっと不利な立場の国はたくさんある。
若狭の方の武田さんとかさw
0916名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 21:11:13ID:VKC0zhjJそれに地政学でいうなら武田は中国の戦国七雄の秦の位置にいるとも言える。
0917名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 21:29:20ID:9Mnt4ap7関東平野統一すれば
300万石になる。
たしかに金鉱も重要だが
結局は農耕社会は石高だと書いてあった。
軍事技術の優劣が大きな影響を及ぼしたり
石高以外の要素が大きくなったのは
近代の産業革命以降だと書いてあった。
0918名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 23:57:38ID:ZtFxwnAF0919名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:04:48ID:MsVGuXdG0920名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:11:29ID:lhAjtq7S国よりも周りとの関係とかの方が重要でしょ
0921名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:21:04ID:/jEfd2cl信玄じゃいくら初期勢力が大きくても所詮は一大名の器でしかない、気がする。
0922名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:33:53ID:hVqlf29Y300万石?それ1598年以降の話じゃね?
信玄の時代はそんな豊かじゃないよ。
関東は秀吉以降の開発が大きすぎるのでその数字当てにならない。
で、関東の北条といっても氏康の頃はまだ相模と武蔵の半分を支配した程度。
関東に割拠する群雄の一人に過ぎず大国というほどではない。
まあ当時の金鉱の重要性の話はともかく
基本が石高だというのは同意する。
しかしその石高に依拠して考えるとだね、
今川は駿河15万石と遠河25万石。その先の三河は29万石。(石高は1598年)
一方甲斐は22万石、信濃40万石。隣接する美濃は54万石、上野は50万石。(同じく1598年)
京都への近さっていうなら北条よりは恵まれてるし、
どうしよう信玄超めぐまれてるよ?
後、周辺と緊張がない国なんてどこの世界を探してもない。
0923名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:49:12ID:MsVGuXdG0924名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 00:58:35ID:/jEfd2cl0925名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 01:05:24ID:lhAjtq7S0926名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 01:06:49ID:MsVGuXdG0927名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 01:24:10ID:hVqlf29Yなんと言おうが、それが設定だと思う根拠を示さない限り
妄想入ってるのはあんたの方だと思われるんですよ。
生きてて恥ずかしくありませんか?
0928名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 01:33:24ID:MsVGuXdG信長が信玄や謙信より恵まれてるという根拠はいず
匿名掲示板のやりとりで「生きてて恥ずかしい」なんて考える人間は、
飛騨の襞ほどの土地も治められないだろうねぇ
0929928
2006/11/12(日) 01:35:27ID:MsVGuXdG×信長が信玄や謙信より恵まれてるという根拠はいず
○信玄や謙信が信長より恵まれてるという根拠はいずこに?
0930名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:11:41ID:hVqlf29Y易々と挑発に乗るんだなぁ。まるで猪武者だ!!
いやいや、こんな夜中だし普通のレスでは返してくれないかと思ってさ。
恥なんて言ってごめんね。つきあってくれてありがとう。(馬鹿でありがとう)
ところで根拠を示す立場にあるのはあんたですよ。
信長と信玄・謙信を比較するのはあんたが始めた話。
俺は信玄と北条・今川しか比較してないし、その根拠は915、922で示した。
ああ、もしかして921に反応したの?でも921も謙信なんて・・・。
0931名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:15:28ID:MsVGuXdGこんな夜中だからこそ相手したのにw
おやすみなさい
0932名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:25:55ID:MsVGuXdGこのままだと滑稽すぎて、寝られそうにない
炭化した英雄(笑)に黙祷して、こころ落ちつかせますね
是非におよばず!! デアルカ
0933名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 08:16:17ID:Fs3UA8Xp0934名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 10:12:34ID:ZcDH4cnK過去スレだけでなくこのスレでさえ示されているのに・・・
せめてこのスレだけでも読んでから発言しなよ。
0935名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:15:46ID:V7pYCd5c江戸、小田原はかなり発展した町だったし。
しかし氏康と信玄のどっちが有利かときかれると難しい。
石高では氏康だが回りとの関係がやばいからなあ。
0936名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:59:56ID:/jEfd2cl0937名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 01:28:09ID:PMPGVq730938名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 03:40:52ID:+TD8FFL1だな。軍事的才能は親父の方があったと見るべきだろね。有力な足軽大将は
みんな親父の抜擢による。名前に「虎」の字が入っているのはその名残。
信玄の良さは、情報と謀略。
これも、武田家の「団結の無さ」「当主の権威の無さ」「戦闘力の弱さ」
を克服するための苦肉の策。そうして積み上げたものが、晩年の
「常勝神話」となり、周囲の勢力を畏怖させることになるが、それも長篠
で実態を露呈させた。
鉄砲戦術以前に、「情報」と「謀略」の優位が無ければ、武田の力って
あんなもんだってこと。
0939名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 07:31:54ID:+mlO7pQ5結局、その政権成立時の条件が
そのまま機動的に動けない体制を生み出して
戦略性の無い展開を繰り返したわけだが…
0940名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 08:02:21ID:lwbgtrgo父祖の代から武田を悩ませた外国の大勢力とはこれまた親父が修交済み
二正面作戦の苦労も、一族間相克の泥沼とも無縁のスタート
これで恵まれてないのなら、何を恵まれていないというのだ?
0941名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 11:43:23ID:dR9Zuj62大内や六角みたいに家臣の力が強すぎたというなら
やはり不利なんじゃないか?
信虎の中央集権が中途半端だったのか晴信が家臣の力を
強くさせすぎたのかは分からないけど。
0942名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 11:59:51ID:yqPbZ0bk信玄がむしろ積極的に二人に頼っていたという事も考えられる
少なくとも板垣や甘利が信玄を蔑ろにした根拠がない以上はちょっと…
0943名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 12:06:14ID:ooY3dk/V継承時に古参の家臣の方が大きな発言力を持つのはごく普通の現象。
大勢力で親父が健在で家中への睨みが利いていて
子もそれなりの年齢で軍功をあげてきて発言力がある、
という諸条件が満たされた幸運な例は少ない方だと思う。
0944名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 15:56:15ID:1feJY59P0945名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 18:41:18ID:4UN41wsK> 大勢力で親父が健在で家中への睨みが利いていて
> 子もそれなりの年齢で軍功をあげてきて発言力がある、
勝頼のことか。
0946名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 19:25:52ID:ooY3dk/V0947名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 19:40:22ID:UmKB0byE最悪というほどでもないが
幸運な例はやはり北条だろうな親が隠居して後見の立場をとって権力委譲
0948名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 20:02:17ID:nu5uASnk0949名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 20:41:02ID:ooY3dk/V御旗盾無のみを以って傀儡を否定することはできないのではないかな。
しかし実際のところ、後の晴信と家臣の関係を見ても
追放はせいぜい家臣が主導したというくらいで
傀儡、というほどのことはなかったと思うが。
>>939
家督継承時に傀儡であっても後に実権を奪い返す例はある。
家臣と大名の関係は刻々変化するものであり
大名個人の能力いかんによっては劇的な変化もありうる。
信玄は最後まで関係を変えれなかった暗愚な大名だという話?
0950名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:11:12ID:4UN41wsK軍鑑では家督を相続したのは勝頼の息子ということになってるけど、
事実上相続したということでいいのではないか。
後継者と目されてから家督を相続するまで、親父の基でそれなりの時間を経ている。
問題は、だからと言って家臣団に強力な指導力を発揮するようになったとはいえないこと。
重臣たちを自分や自分の直臣が統制できず、最後まで苦しんだような形跡がある。
結局、親父が偉大で軍歴があるというのは、重要な要件じゃないと思う。
織田をモデルにするわけじゃないけど、問題は、経済権益を直接掌握することができたかどうか。
織田の津島・熱田湊のような。
0951名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:59:00ID:ooY3dk/V当主がイニシアティブをとるために必要なものといえば
血統、経済力、軍事力、政治力、個人的能力、、などなど。
どれも重要だと思う。どれが最も重要かといえば
それは場合によるので一概には言えないでしょう。
でも信長の場合、家臣に対し強い指導力を発揮できたのは
経済力に加えて戦争の強さや性格が重要な要素になっていると思う。
俺は経済力より戦上手だったことが決定的な要素だと思うが
水掛け論になりますねw
ただ、戦国時代という言葉の通り、当時は戦争がとても意義のあることだったと。
経済権益というが、その権益を守っているのは軍事力。
家臣、国人衆を守ってくれるものは強大な軍事力、戦に強い当主。
そういう風に考えれば戦争に強いことがいかに大切な要素かは分かると思う。
経済力のある大名は他にもいたが、
そのなかで信長が抜きん出たのは何故かと、
他の大名と比べれば誰より戦争に勝っているという要素が俺は目についた。
0952名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 23:03:56ID:ooY3dk/V失礼しました。
0953名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 23:32:48ID:4UN41wsK織田は、美濃攻め長島攻め雑賀攻めなど苦戦や敗退も目に付く。
勝ちの数が多いのはその通りだが、誰よりも活発に兵を動かし攻め続けたからだろう。
それが出来たのは信長(というか親父の代からそうだが)の経済力ではないのか。
> 家臣、国人衆を守ってくれるものは強大な軍事力、戦に強い当主。
信長は決して家臣や国人衆を「安堵」させなかった。
むしろ、常に戦いに駆り立て続けた過酷な君主と見られていたのではないか。
0954名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 04:31:51ID:ho8J9gvdこれは信玄にも言えることだけど。
0955名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 08:35:11ID:qiST6ADh親父の本拠地を弟にくれてやっていたりと、信長は当初から経済力を握っていたわけではない
桶狭間戦の前の会議で重臣達が「知恵の鏡も曇るのか」と信長への失望を表しているが、裏を返せばその時点までは知恵あり、と見られていたということ
尾張統一戦や対今川で見せた実力についてきたんだろう
だいたい苦戦や敗退も目に付くというが、戦歴全般としては勝利のほうが多いんだから
過酷な軍役も、結局のところ所領拡大という形で見返りがあったわけで。実際に信長存命中に軍役拒否や家臣困窮などの、戦争しすぎで領国が疲弊した場合に起こる現象は織田家では起きていない
0956名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 09:06:25ID:TuzauRgFましてや、家督を家臣の力で奪ったような信玄は
それこそ
傀儡中の傀儡になるのは明白と思うけど。
実権を取り戻した頃にはもう寿命…なんて所だったんじゃないか?
0957名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 09:12:54ID:TuzauRgF中央集権を進めることへの反対勢力として担がれているわけだから…
もう宿命みたいなものじゃないかと。
0958名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 11:30:11ID:GKpdyL5X0959名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 23:32:10ID:xH5VrFLM957や939によると信玄にはそんな実力がなかったらしい。
かなりいろいろな資料を否定する斬新な言説だ。
拠って立つ資料か本を教えてくれると嬉しいが。
0960名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 00:35:13ID:2qELn7kW0961名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 16:06:38ID:WBA4zxHI甘利や板垣が命令無視したとか権勢振るったとかいう逸話はないよね?
むしろ馬場あたりのほうが遠慮なく主君にたてついているw
0962名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 16:12:44ID:g6+ikRGsうちの地方ではババ=うんこです。
それから風呂のことをタンタンと言ったりします。
0963名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 18:58:00ID:BQvndn4S0964名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 19:18:37ID:DhdxCAQe正室押しつける現正室が三条氏だから無理なんじゃ
その上三条氏は甲斐に何ら影響力を有していないから
無理に排除する必要も無いだろうし。
板垣が命令無視したとか権勢振るったとかいう逸話は結構ある。
史実かは知らないけど。
0965名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 19:19:26ID:DhdxCAQe訂正
正室押しつけるは現正室が三条氏だから無理なんじゃ
0966名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 19:28:43ID:WQdxeT1O0967名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 22:18:17ID:13lzvnC80968告知
2006/11/17(金) 08:15:09ID:a8pfx+pN内容は、武田信玄息女、松姫を中心に巡っていくお話でございます。
歴史が好きな方、
武田一族がお好きな方は、きっと楽しめると思います。
◆市民劇場八王子夢座第四回公演◆
『みすず刈る』〜松姫哀歌〜
■場所■
八王子市芸術文化会館 いちょうホール(小ホール)
■日時■
平成18年
11月17日(金)
1回目:開場13:30〜
2回目:開場18:30〜
11月18日(土)
1回目:開場13:30〜
2回目:開場17:30〜
※各回30分後に開演
■料金■
前売り/当日共¥2000
ご連絡、お待ちしてます。
0969名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 10:51:43ID:vGtIXy51信玄に実力が無いと言われたと思った武田厨が、それに対して反論しているのか?
0970名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 14:00:20ID:U4OME5Buせいぜい戦場で首実検やったぐらいしか独断癖のある話知らない
0971名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 14:41:58ID:rSTsa39gこの本は面白かった。信玄が武田氏ネットワークを利用して駿河から若狭までの、太平洋と日本海二つの海の利権を狙った上での
天下制覇の構想を持っていた、と言う視点は新しくて刺激的だったよ
あと
http://item.rakuten.co.jp/book/4211650/
これはすごいぞ。電波電波。
もう信玄信者大喜びの内容w
0972名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 14:42:56ID:rSTsa39gちなみに下のほうの本、信玄が後1年生きてたら天下獲っていたんだってさ。
0973名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 22:19:07ID:s2jY/+4W0974名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 02:46:55ID:P+nVxY4n0975名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 02:51:41ID:Mr6i6l3Iだって死ぬ頃には、もう3月で農作期になってた。
どう考えても、一回目の遠征は近江を征服するだけで終わっていた。
二回目は直接伊那郡から、美濃に直接進軍する気だった。
0976名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 04:23:13ID:dbchli4x信玄が近江を征服できるわけがないだろ(笑
0977名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 06:13:04ID:Mr6i6l3I0978名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 07:29:41ID:AJy9ycit三方が原の合戦の直後に浜松城の大手を攻めれば落ちた可能性があった。
そうすれば後方の高天神城や掛川城も自落して、遠州制覇が果たせてた。
しかしそうしないのは信玄の個性がそうなのであって、
信玄が信玄である限り、遠州制覇は不可能だったということだと思う。
0979名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 07:31:38ID:QTCIZ0LU農作期というのをどう考えれば遠江征服だけで終わることになるんだ?
0980名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 08:47:32ID:Mr6i6l3I当然田植えの時期には帰る。
信玄は甲府を9月くらいにたっている。なぜかとろとろと遠州をうろちょろしている。
三方が原が終わったあともゆっくりしているのだ。
まだ岐阜城があるというのに。川中島だって信玄、謙信農作期を守っている。
これを守らないと兵の士気が落ちるのだ。
とにかく進軍速度は遅い。あまりに遅いので朝倉は引き上げたよ。
0981名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 13:35:24ID:nO9A+9Pf頑張って過去スレか他スレ読んできな。この板でそんな話すると恥ずかしいよ。
教科書に書いてある事がいつまでもすべて正しいとは限らないんだよ。
0982名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 17:18:28ID:5MuiyN8y0983名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 20:54:47ID:RSaIjIhG0984名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 22:06:06ID:ub/Ah83Q0985名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 00:48:04ID:RQH69vkC武田信玄の上洛は、不可能だと。
0986名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 01:28:24ID:p7sp1pZfできなかったのに俺達が考えられるわけがない
0987名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 01:44:23ID:hzoq2in5勝鬨式や首実検・論功行賞
村上氏との勝手な戦闘
家中の反対を押しきって村上氏と交戦
かなり問題になりそうな行動だと思うが
まあソースは軍鑑なんだが
あと信方の死から4年後板垣家は断絶させられている
甘利の息子も重用はされていない
0988名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 01:47:38ID:hzoq2in5>1-15テンプレ
>16-19 >30過去ログ関連スレ
>20-29 >34-43スレまスレまとめ
>33-55 上野攻めるより先に美濃を攻めたら 決戦したら
>36-39 1572年秋-1573年春関連文書
>56-122甲相同盟破棄と駿河侵攻
>67-104武田の勝率
>123-129西上野攻略
>129-154駿河攻略と第1次駿河攻略成功時のIF
>155-161氏康が長生きしたら
>162-171越相同盟 1569年越後の状況
>172-175信玄謙信が戦わないIF
>178-206信長信玄の家督相続時の石高国内外状況の比較 桶狭間の戦い時の尾張の状況
>207-228信玄はどの程度の能力か不利な環境だったか 継いだ段階での国力・周辺国との関係等の比較
>230-249甲尾同盟を維持していたら 上杉織田の関係 何故上洛しようとしたか
>254-339各大名の国力・周囲を取り巻く環境の比較・恵まれた大名
>272 100万石越えた大名一覧
>278-339竜造寺隆信・大友宗麟・集権体制について
>279-286義信事件について >286義信謀反年表
>277-301相続問題・お家騒動
>345-364信長の戦場指揮の逸話
>365-393信玄の戦術指揮能力三増峠の戦い武田織田の指揮官クラスの死亡について
>394-411信長の戦術指揮能力
>412-471信玄の戦略駿河侵攻
>472-500 100万石クラスの大名 1570年上杉の国力 武田は同程度の勢力相手に拡大できるか
>496同じ国力差から抜けた大名
>501-547同程度の国力相手 上杉との戦力比較 信玄の戦術 織田包囲網の状況
>548-586越後攻め駿河攻めについて 駿河攻め時の北条の思惑 武田の信用度
>587-607武田の上洛について 信玄信長の宗教観 第1次駿河遠征が成功していたIF
>608-635武田信虎の政策・甲斐国人衆
>636-660野々宮合戦 信長信玄の拡大速度・敵対相手の国力状況
>647信長の生涯を通しての拡大速度
>663-680信玄は何故先に美濃を攻めなかったのか 斉藤上杉の比較・尾張信濃の比較
>681-715信秀の晩年尾張の状況 信玄信長家督を継いだ段階の比較
>711-738家格権威官位役職の効果影響力
>742-745直轄領
>746-790包囲網が完全に機能した場合のIF 地勢 武田による斉藤攻めIF
>791-866今川氏真が優秀なら及び織田と同盟した場合のIF 桶狭間後の今川の状況
>914-962家督相続時の有利さ・家臣の発言力傀儡か否か 他大名との比較・地理的優位性
>961-987板垣信方
0989名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 09:46:19ID:tCzH3PwSよくみんな飽きないねぇ
0990名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 20:28:36ID:GdkvOSDE寿命さえ今少し長かったらな
あの尊大かつ傲慢な信長が、一度は義昭を追い詰めつつも、
義昭に対して低姿勢で臨まなければならなかったほどの緊急事態だったんだから
家康に対する援軍も申し訳程度のものだったしね
これらの信玄西上時の信長の弱気な態度は、
志賀の陣の時のプライドをかなぐり捨てたなりふり構わなさに通じるものだ
0991名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 21:57:52ID:KhhEYXHO久しぶりにイキのいい信玄厨登場
0992名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 22:21:34ID:8TD0uI/Z0993名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 22:29:09ID:L/mFXc+u0994名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 22:57:34ID:zuzep/NE上洛戦の見事さは、信玄生涯最高の芸術だよ。
信玄の軍事力、戦略、政治力の集大成だよ。
あと一ヶ月寿命があれば、織田勢は撃破されて
いた。
あの時の信長が信玄にあてた手紙の卑屈さった
らないよ。
四方八方包囲されて、ついに信玄上洛と聞き、
「信玄公に敵する意思は、全くございません〜」
と繰り返し繰り返し、必死で命乞いしている。
あんた、生き神じゃなかったんかい!?
戦術的には謙信、獲得領土では秀吉だけど、秀吉は
戦国大名とは時期が少しずれてるよね。
0995名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 23:04:33ID:zuzep/NE安倍川金山を狙っての事でしょ。
必然だよ。
しかし謙信は戦術は天才だが、時局の読めない奴だ。
戦略がないよね。
0996名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 23:17:59ID:THKjOnNIただし天下は獲れない。織田にもすぐに取り返されるだろう。
ただ、織田の天下は相当遅れる事になるだろう。
上洛という物を大きく考えすぎだよ。天下と結び付けすぎ。
0997名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 00:35:07ID:UFgHqs8g農繁期には国へ戻さなければならないので、
織田・徳川を一時 的に倒しても、京都の恒
久的制圧は困難。
頼朝のように関東に首都を開くと言う事も考えられるが、
当時の経済圏の中心は京都で、京都からの税収を管理する
には京都に守護職を置かないと、近畿圏の大名が信長の様に
税収を軍資金にして台頭する恐れがあるから、やはり京都守
護職が必要。
故に、武田信玄の天下獲りも、上杉謙信も同様に不可能。
しかし、三方ケ原で大勝したあとに、甲州へ引き返さずに
織田を撃破しておけば、勝頼の時代にあのように短期間で
滅ぶ事はなかったろう。
0998名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 02:25:05ID:owv2Ro/f0999名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 02:37:39ID:Uu6NWGWT信玄自身が、信長にはかなわないと判断して引き返したものを、
何べんループすれば気がすむのか?
1000名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 02:47:56ID:Z75Qwm7410011001
Over 1000Threadもう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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