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【凡将か?】徳川秀忠を本音で語れ!【名将か?】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 13:30:57ID:6GlfmSQN
徳川二代将軍について揉めてください。
0002名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 13:34:54ID:kjuyS6JO
 父・徳川家康曰く「律儀すぎる。人は律儀一点張りではいかぬものだ」
 重臣の本多正信曰く「殿も時には法螺を吹きなされ」
0003名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 13:44:44ID:Jv7fykQM
父上の法螺ならいくらでも買い手があろうが、
私の法螺ではだれも信じまい・・・アハハハハ
0004名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 17:15:14ID:LHCVatDw
武将としては並くらいなものだろうが、政治家としては充分評価に値すると思うよ。
強大な徳川権力をバックにしているとはいえ、秀忠一代の間にやるべきことは、全てやっていると言って良いし
後継者問題も、波風を最小限に抑えて規定路線をきっちり完遂した。

徳川時代は家康が切り開いたけど、本当に完成させたのは秀忠(と、そのブレーン)だと言って良いかと。
0005名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 21:21:30ID:kjuyS6JO
秀忠が若くして将軍職を家光に譲ったのは自らは猶父秀吉に倣って
関白に就任するためでした。そして、秀忠はいずれ関白職を寵愛していた
忠長に譲るつもりだったのですが、計画を察知した家光に毒殺されました。
その後、忠長が自害に追い込まれたのは有名な話です。
0006名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 21:44:45ID:VoBSMYrY
>>5
はっ?
0007名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 22:02:41ID:uknx7YAw
という話の小説書いてんじゃねえの?
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 23:10:29ID:Y38tRVnM
秀忠の忠ってどこからきてんの?
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 23:15:58ID:Pn/qUS1e
光秀の秀と広忠の忠じゃね?
0010名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 23:29:54ID:zQCgPL5w
>>9
違うよ。
大滝秀治の秀と前田忠明の忠だよ。これ常識だから。
0011名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 00:21:12ID:MXmVRpqp
秀忠は徳川将軍の中では家康に次いで優秀だろ。
親父が日本史上、1、2を争うような政治家なんで目立たないけど。
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 00:44:00ID:LhxoaTTK
武将としては2流だけど、政治家としては1流
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 01:17:25ID:Z7spfH0P
鬼嫁
0014名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 01:23:51ID:RsstpvV/
関ヶ原の遅参が、先陣が西軍に敗れた時の為の保険だとしたら評価は一変。
0015名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 16:49:19ID:ibgjz2CG
15代も続いた江戸幕府260余年の実質的な開祖!
これだけは云える。キリシタン弾圧・貿易徹底的廃止。

ま、この人は外国文化が大嫌いなんだろうね。
だから日本は世界中で遅れた。
0016名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 17:19:16ID:YaJki0N3
>>15
まだ鎖国を貿易や外国との交流廃止だと思ってる奴がいたのか。


ネットやゲームばかりやっていないで、もうちょっと勉強しろよ。
0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 22:55:20ID:MXmVRpqp
いまの歴史教育のレベルが>>15程度だって思うと、先が思いやられるな。
0018名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 22:59:02ID:YrcomQfw
>>15
おまえ改易
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 00:01:32ID:Ll19Y0RJ
>>15
管理貿易て知ってる?
0020名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 00:18:35ID:mjqf8QMe
家康が死んだ段階で
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157087281/
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 09:18:52ID:FaAevv4Z
とーれとーれピーチピチ蟹料理〜
0022名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 00:33:00ID:gIyTpNFR
22
0023名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/08(金) 00:04:11ID:JTd8weeu
江戸時代は発展の方向が重工業に向かなかっただけで、
それなりに高度な社会だと思うが。
0024名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/08(金) 10:38:59ID:7Vqbm7Ua
>>9
たしか秀吉の「秀」。「忠」は広忠でいいかもしれない。
あと、家光の「光」は光秀の「光」とかいう輩がいるが、
家綱の「綱」は?家宣の「宣」はどこから?って話になってしまう。

奇妙なヨタ話を真に受けるなよ
0025名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 15:56:01ID:xDfg6Ukp
秀忠の秀は当時の天下人、秀吉からでしょ。
忠はなんだろ・・・
0026名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 20:57:35ID:eIWQ3Cbz
親忠−長親−信忠−清康−広忠−家康−秀忠
六代前、四代前、二代前の名前。
秀忠の元服時では、むしろ「康」や「家」よりも由緒有る字。
0027名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 12:45:54ID:v7/KBjH8
秀忠の容姿について・・・。
0028名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 01:36:43ID:LzHKdyoN
>>24
家綱の綱は松平信綱からじゃないのか?
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 04:53:03ID:p6KrGeb0
八代吉宗はスロットが名前の由来
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 09:57:40ID:MCKcD+JI
>>28
家臣の名から一字取ることはあり得ない。
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 18:33:52ID:lIpUIXcw
>>24
>家光の「光」は光秀の「光」とかいう輩

秀忠が親忠・信忠・広忠の「忠」を踏襲したと考えられることに沿わせれば、
家光の場合も、祖先にいる松平信光の「光」を踏襲したと考えることが可能だろうな
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 01:46:28ID:sezVrqPb
\ヽ l|l|l|l // l ::       |
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二  い   隆  .二 .l      |
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二  け  一  二 .l ,、-_,ニニ|            |ニ|
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二  ば  さ  二   l .:.:.::::::::::ll    /  秀忠      \
―   :  え  ―:   l .:.:.:.:::::::: |   / \    、/  u:||::\
二   !!     二   l .:.:.:.:::::::: |   l::: (●)     (●)   :||:::::l
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0033名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 17:51:32ID:G7Sjzwdf
>>32
むしろ人の良い律儀な二代目、くらいのキャラ付けしかそれまで無かった訳で、
新しく強烈な照明を秀忠に当てた隆慶一郎には逆に感謝すべきだな。
0034名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 17:25:23ID:Xx7DzSJo
ぶっちゃけ乱世なら氏真とあまり変わらないかも
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 20:18:27ID:6bY9ZF5s
>>34と同意見。
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 13:47:14ID:Q79wIwpK
まあ律儀な分だけ蹴鞠聖人よりはマシだろう。
凡人らしく無難な2代目社長ですな

秀忠の逸話で、重臣が何度も目の前で論議して、政策協議するのだが、一致するまで何も言わない。
結果がでなかったり、政策に満足が行かなければ、明日も協議。
一致した意見になるまで徹底して会議させて決める。

と小説に書いてあった・・・・
自分を殺した権力者と言う感じした。
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 13:53:08ID:w2bJ8OkD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%96%E5%9B%BD
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 13:55:22ID:IalLMOWJ
秀康とあまりにも対照的・・・

まだ、忠吉(忠康)のほうが自分らしさを持ってる分ましかも。
ただ、忠吉の存在感は秀忠よりも薄いかも知らんけど・・・
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:46:43ID:BniSny1E
秀忠というと関が原の遅参が頭を過ぎるが確か何の処分も受けてないんだよね?
蟄居謹慎は食らったんだったか
これで関が原に置いて破れても主力を置いておく為に家康が命じたと言う話も
あったりするんだが それが事実なら親の為に泥を被れる男だったんだろうな
と朝から妄想全開
0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:57:39ID:4xFt2wr3
まあ、政策を見るとかなり内外に向けて強硬的なんだが。
融通が利かないからかね。
目的のためにひたすら正面突破。

良い戦術家ではなかったと思われる。
0041名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 08:57:28ID:5HQXZSHT
大雨による氾濫で伝令が足止めくって
遅れた経緯があったからじゃなかったっけ?
それらも含めて家康の指示って妄想かなw
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 19:09:12ID:uvHcCXqi
そういう話も有るな。
その話の付属で、そもそもは両路並進ではなく信濃平定による後方との連絡路確保が目的だったとか。
で、その作戦変更の命令が大雨で遅れに遅れた、と。
0043名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 15:11:47ID:92iQL+wI
まあ西軍は数多いように見えるが三成以外はまともに戦ってないからね。
家康には、秀忠の兵が必要無かったのだろう。
西軍は史実で負けて崩壊だが、東軍は不利になったら家康引いて、秀忠と合流すれば巻き返せる。
一日で決したのは家康にとって最高の結果だが、もっと時間をかけた戦いも当然計算していただろからね。
そういう意味で秀忠の遅れも遅れで無くなってた可能性もあると思う。
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 15:16:52ID:rstO0dAc
・本来は地方平定目的が急な転進を余儀なくされた
・真田氏らの妨害があった
・大雨で道が悪くなった
・軍資金の持ち合わせがなく、城や食糧を提供してくれる大名もいなかったので物資調達にも苦労した
こういう複合的な条件のせいだろうな
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 21:00:48ID:aEn93HPw
実はかなり腹黒い気がする
0046名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 21:03:48ID:0bojs+ho
>>44
まあ事実はその可能性が高いよな
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 21:14:12ID:l7EnJfW2
秀忠カワイソス・・
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 23:31:29ID:f3PhYmnU
信康が生きてたら彼が将軍?
0049奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/15(水) 23:42:44ID:73azWRCG
ない。
0050名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 23:51:09ID:l7EnJfW2
秀忠以外なら信吉、義直、頼房くらい・・・後はないと思うね。
0051奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/15(水) 23:54:16ID:73azWRCG
オレは忠吉・義直・頼宣以外にないと思う。
0052名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 23:58:02ID:ZpGBYU0n
理由は?
0053名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/16(木) 00:04:48ID:PC+VvGwC
てか忠輝にすればよかたのに
0054奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/16(木) 00:10:03ID:5ldZ/ayW
>>52
長生きしてたとして。
信康・・・警戒されすぎ。罪かぶせて嫡子から陥落
秀康・・・嫌われすぎ
信吉・・・庶子で武田名跡だから御三家扱い
忠輝・・・例外
仙千代松千代・・・忠輝に同じ
頼房・・・生まれながらの御三家。後継にはなり得ない。

とりあえず消去法から。
0055名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/16(木) 00:17:17ID:hPQx8pgD
警戒されすぎて、家康から?家臣から?
0056奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/16(木) 00:20:22ID:5ldZ/ayW
信康なら、家康から。
0057名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/16(木) 00:21:10ID:Q9hPL3PL
忠輝の例外が意味不明なんだが論外のことか?
0058名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/16(木) 00:35:34ID:/kcksEd3
頼宣も家光から結構警戒されたけど・・・
由井正雪の乱の黒幕説もあるというし・・・


>>54
>忠輝・・・例外
亀レスになるが劉永と同じ理由?

信康・・・警戒されすぎ。罪かぶせて嫡子から陥落
多分、劉封と似た感じかな?
0059奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/16(木) 21:53:09ID:5ldZ/ayW
>>57
そう。

>>58
さすがよく分かっていらっしゃる。
0060名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/16(木) 23:21:00ID:/kcksEd3
>>59

やっぱり!・・・というか、殆ど同じ事由で・・・

劉封って、元々“ケ封”(ケ禹の末裔、寇(鴻)は同音)だったとか・・・
或いは、劉封が劉備の実子という珍説も・・・
(この場合、お母さんがケ芙蓉??)
0061奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/16(木) 23:25:01ID:5ldZ/ayW
ケ氏という名族を今川氏に準えたら上半分は無理ではないね。

下半分はちょっとイタズラしすぎ。庶子ですらないかと。
0062名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/16(木) 23:26:56ID:/kcksEd3
・・・となると孫?の劉理は保科正之と同様になる・・・??

亀レスで申し訳ない。
0063名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/16(木) 23:31:42ID:/kcksEd3
劉璿(文衡)と劉理は叔姪(しゅくてつ)ではなく、
従兄弟同士の可能性が高い・・・(同じ玉偏を使用)

まあ、家光と正之のような関係かな・・・
0064奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/16(木) 23:33:43ID:5ldZ/ayW
劉禅の子はみんな王偏だしね・・・って板違うから。場を移そう。
0065名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/16(木) 23:52:10ID:/kcksEd3
>>64

じゃ、このスレ立てたから・・・そこで続きを・・・
【劉封】劉備の息子達【劉禅・劉永】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163688618/
0066名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/17(金) 00:08:19ID:FOAHdRtf
>>64
盛り上がってますよ。
0067名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/08(金) 16:26:19ID:j/HCwWTI
根暗で陰険な奴

ハイッ 隆慶一郎に侵されてます。
0068名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/12(火) 20:57:12ID:idXXrKe8
台徳院公は、東照神君に比べ武将としては凡庸である事は恐らく事実であろう。
大坂の陣では、敵の攻撃を受けて時に大将でありながら敵陣に乗り込もうとしたとの記録が残っている。
この他にも、関ヶ原の時に他の意図があったかもしれないが、徳川本隊を遅参させる大失態をしてしまった。
大坂の陣では逆に早過ぎてクタクタに疲労した兵と泡を吹いた馬を上洛させた。
しかしながら、政治家としては立派な人であったと思う。
家康は、秀頼を残して死にたくなかったであろう秀吉とは違ったであろう!
0069名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/14(木) 18:55:25ID:4MrPMHbS

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           ((
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    /            \
   /        秀 忠     ヽ
    l:::::::::               | >>67
    |/ ̄\  (●)     (●)  | ソウダヨ、僕は根暗でも陰険でもない。
  r┤    ト:::::: \___/     | 隆慶一郎氏ね!!
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ      \//  /    |ヽ、∧
0070名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/19(火) 22:09:02ID:xjzCmNnL


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   /        秀 忠     ヽ
    l:::::::::               | 
    |/ ̄\  (●)     (●)  |  ヤレヤレ・・・僕には人望が名井みたいだね。
  r┤    ト:::::: \___/     | 
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |ヽ、
 ヽ____)ノ      \//  /    | ∧

0071名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/20(水) 20:06:25ID:FMEu7dCu
誰になんと言われようとも俺はお前が好きだよ
0072名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/20(水) 21:33:32ID:pwz3Ui/s



            ●
           ((
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    /    /    \ \   ウウ・・・
   /        秀 忠     ヽ
    l:::::::::               | 
    |/ ̄\  (==)     (==)  |  世の中は捨てたもんじゃないなあ・・・・・
  r┤    ト::::∪\___/     | 
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ  僕はやっぱ魅力がある漢なんだね〜〜〜
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |ヽ、
 ヽ____)ノ    \//  /     | ∧
0073名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 16:48:12ID:vdTluhWx
大御所・家康が実権握ってたんじゃないの?家光も優秀だったみたいだし、凡将というより目立った功績が少なかったとかじゃ…
0074名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 19:06:04ID:0xldbyYP
ヒント:家康死後
0075名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/21(木) 19:26:36ID:WgYi146H
名将言行録の冬咲牡丹の逸話が良い。

「惣って時ならぬものは手にも取られず」

賢明だよ、秀忠。
0076名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 03:36:16ID:jZWeskDJ



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           ((
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   /        秀 忠     ヽ
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    |/ ̄\ (==)     (==)   | ありがとーーー
  r┤    ト::::∪\___/     | 
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ  僕を応援する人がいるんだね〜〜〜
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |ヽ、
 ヽ____)ノ    \//  /     | ∧
0077名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/22(金) 14:47:28ID:jZWeskDJ


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   /        秀 忠     ヽ
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    |/ ̄\  (●)     (●)  | 僕は氏真並みの大馬鹿だと、
  r┤    ト:::::: \___/     | ウィキペディアで掲載されてるけど・・・
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E7%A7%80%E5%BF%A0
0078名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 00:59:56ID:jls1R+Ox


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           ((
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    /            \
   /        秀 忠     ヽ
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    |/ ̄\  (●)     (●)  | 氏真並みの大馬鹿だという僕だけど、
  r┤    ト:::::: \___/     | ここの僕は名君なんでしょ・・・?
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0079名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/31(日) 03:24:03ID:M5j1RSzX
>>39-43
保険の意味もあるし、自分の軍の手を汚さずに
連合軍の兵士を使えるからね。
もちろん西軍との合戦は第一義だが、更に
味方の連合諸将の力もそげるので関ヶ原後に急に
独立されても対応は効く。
諸将の忠誠度合いも図れるし。
0080名無し議論スレて投票方法審議中2007/01/03(水) 16:55:39ID:82FK83IM
秀忠は普通だよ。
初陣で3万8000もの兵を率いさせた家康もどうかと思うけど、
逆に言えば、それゆえに何もせず中山道を通って合流することを
期待してのかな。しかし、いかに大軍、大軍ゆえかもしれないが
3万8000の兵をもって城一つ落とせれないのはどうかと思う
な。だけど、それを反省して立花宗茂らを採用したのは評価でき
るな。
0081名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 23:40:35ID:2iBxAqWS



            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /            \
   /        秀 忠     ヽ
    l:::::::::               | 
    |/ ̄\  (●)     (●)  | >>80
  r┤    ト:::::: \___/     | dクス。
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0082名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/05(金) 07:54:44ID:zceOXAey
>>69
とっくに死んでます……とマジレス。死ぬこと、花と火などの続きが見たかった。

真っ黒で人間失格レベルの屑野郎な秀忠を見たい人は隆慶一郎を、
真っ白で礼儀正しく心優しい秀忠を見たい人は山岡荘八をどうぞ。
0083名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/05(金) 08:28:11ID:edaUTJeg
>>80
でも、結局大阪攻める時に関ヶ原の失態の二の舞を恐れてか、
かなりの強行軍で集結場所まで行き、家康に怒られたという話が無かったけ?
0084名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/05(金) 10:00:22ID:WGJdOaTo
秀忠なんかよりバカ殿綱吉とか、激しい家督争いとかについて語ろうぜ。
0085名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/05(金) 19:20:23ID:4mSDaeGM

            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /            \
   /        秀 忠     ヽ   >>82
    l:::::::::               |  僕は穏やかで優しい漢だよ。決して冷酷非情じゃない。
    |/ ̄\  (●)     (●)  |  >>83
  r┤    ト:::::: \___/     |  狸ヲヤヂ刺ね。大体、僕は戦が大嫌いなんだyo
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   >>84
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__綱吉君は僕の孫だよ。彼の悪口はやめようね。
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0086名無し議論スレて投票方法審議中2007/01/08(月) 11:51:34ID:EkZsCQKf
>>83
確かに、あれは馬鹿とかしか取れない行動だ。
だから、オレはそこまでの過程だけがよかったと思うよ。 
0087名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/08(月) 16:58:40ID:mQFpNalI


            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /            \
   /        秀 忠     ヽ   >>86
    l:::::::::               |  誰が馬鹿なんだね?僕なりに懸命にやったことだよ。
    |/ ̄\  (●)     (●)  |
  r┤    ト:::::: \___/     |
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0088名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/09(火) 10:48:59ID:KGon49xW
関が原は秀忠が合戦に間に合わなかったというより、家康が
秀忠を待たなかったというべきだしなぁ。
合流しようともしとらんし。
親父が単独で勝てると計算して、そのまま勝っちゃったから、
遅れたことになってしまったが。
で、他に特にこれといった失敗ないんだよね、秀忠って。
家光時代の大御所政治でも、幕府の基礎をちゃんと確立して
いるわけだし。
0089名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/09(火) 12:37:17ID:1uhxum10



            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /            \
   /        秀 忠     ヽ   >>88
    l:::::::::               |  ウム!乙!大儀であった。
    |/ ̄\  (●)     (●)  |
  r┤    ト:::::: \___/     |
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0090名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/10(水) 16:26:09ID:0NaNSBuD
今日は頼宣、綱吉の命日
0091名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/10(水) 18:24:07ID:vE4nKGY5
時代によるよね、戦国の信長とかの頃だったら暗君だけど、天下泰平の世だ
ったら名君だよ。武将としては劣ってるけど。
関ヶ原のは洪水や、セカンドオピニオンだったけど、大阪の陣はな・・・
0092名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/10(水) 18:33:23ID:WSy3WfQt
もともと家康に決戦思考はなく、本来後方を固めるために真田を討伐しようと秀忠を送った
gdgdになって関ケ原で戦うはめになったが本来秀忠は真田討伐が目的だったから決戦に遅参したのは不手際ではなかった
とかこの前見た歴史雑誌にのってた
0093名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/10(水) 18:50:28ID:duNc3HZH


            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /            \
   /        秀 忠     ヽ   >>91
    l:::::::::               |  じゃあ僕は暗愚じゃん。君等は僕を褒めてるの貶してるの?
    |/ ̄\  (●)     (●)  |
  r┤    ト:::::: \___/     |  >>92
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ  だから大阪の役でムカつく信繁をヌッ頃したんだよ。わかるかい?
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0094名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/10(水) 21:20:18ID:00h/YE9X
大阪の陣で忠輝が遅参したやら、旗本ぶった切ったやらイチャモン付けやがって
秀忠だって関ヶ原で遅参したクセに!

そんなに忠輝にビビッてたのか
0095名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/10(水) 21:42:40ID:6S7lE3Nh
秀忠たんカワイソス

たわけうつけ間抜けー! コレだね。おもしれーw
0096名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/10(水) 22:07:47ID:duNc3HZH



            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /            \
   /        秀 忠     ヽ  >>94
    l:::::::::               | うるさいうるさい!!君には関係ないことだよ。チッ!チクったな辰千代。
    |/ ̄\  (●)     (●)  |
  r┤    ト:::::: \___/     | >>95
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,,ノ そんな僕をいぢめて楽しい?お江与にチクるよ。
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0097名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/12(金) 20:22:11ID:xP+jWT2J

            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /    /    \ \
   /        秀 忠     ヽ
    l:::::::::               | 
    |/ ̄\  (●)     (●)  |  ・・・相変わらず過疎ってるね。
  r┤    ト:::::: \___/     | 
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |ヽ、
 ヽ____)ノ      \//  /    | ∧
0098名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/13(土) 20:43:59ID:HcGIw6yN
江与って美人だったのだろうか?
浅井三姉妹って容姿がどうだったとか
あまり聞かない。
0099名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/13(土) 21:49:10ID:SqAKUjFh


            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /    /    \ \
   /        秀 忠     ヽ
    l:::::::::               | 
    |/ ̄\  (●)     (●)  |  >>98
  r┤    ト:::::: \___/     |  美人に決まってんじゃン。だけど、お志津と浮気を(ry
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |ヽ、
 ヽ____)ノ      \//  /    | ∧
0100名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 07:05:18ID:sJZO1tEa
秀忠と黄忠ってどっちが強いの?
0101名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 12:53:36ID:j+/ycstK
もちろん中納言様
0102名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 13:23:40ID:17m4UHMX
なんで柳生家っていきなり2千石も与えられて、後に大名にまでなれたの?
功がそこまであったのかい?
0103名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 13:37:15ID:OSbXqN+E
>>102

徳川政権創設期で欠所がたくさんあったから
同時期は次男三男で旗本に取り立てられたって多いから
0104名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 14:49:08ID:50CuXv2O
ひでチュウ
0105名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 16:33:48ID:l3gbdjWn


            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\     >>100-101
    /    /    \ \   僕を老人扱いするな。作左爺じゃあるまいし・・・
   /        秀 忠     ヽ   >>102-103
    l:::::::::               |  宗矩君は僕のお気に入りだよ。もちろん一万石の大名ね。
    |/ ̄\  (●)     (●)  |  >>104
  r┤    ト:::::: \___/     |  僕の顔を見て浮かんだの?
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |ヽ、
 ヽ____)ノ      \//  /    | ∧
0106名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 16:47:57ID:xp+73NwI
秀忠のような真面目な奴からどうしようもない家光が生まれたんだろう。
0107名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 16:59:34ID:sb9FjMrx
俺は家康から秀忠が生まれた方が不思議だぞ?
秀忠の兄弟見てみろ
信康、秀康、忠輝、義直、……DQNばっか
0108名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 17:20:56ID:IX0RvKbX
DQNというか、血気盛んで短気と、家康の気質をそのまま受け継いでいる奴らだな。
苦労してないから、我慢しないので手に負えない。

秀忠の存在が奇跡w
0109名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 17:39:50ID:17m4UHMX
しかし隆の影響でどうも陰険なイメージでしか見れない。
そう考えると小説つうのは凄まじいものがあるな。
0110名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 17:47:03ID:RaxfTDQW
秀康DQNだったの=H
0111名無し議論スレにて投票封法審議中2007/01/14(日) 18:49:47ID:FJD2SYi3
まぁ無礼働いた小姓を無礼討ちにしたり
反徳川系浪人をコレクションしたり
中仙道で理由もなく発砲したり
福島正則と仲良しだったりするぐらいはDQNだよな
0112名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 19:22:21ID:l3gbdjWn


            ●
           ((         >>106
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\    残念!!家光は後陽成天皇の落胤だよ。だから僕の子じゃない。
    /            \   >>107-108
   /        秀 忠     ヽ 義直は違うなあ〜〜頼宣じゃないの?父上って、ああ見えても、
    l:::::::::               | 激情家で頑固で短気だよ。信長公も「家康の頑固には敵わん」とか。
    |/ ̄\  (●)     (●)  | >>109
  r┤    ト:::::: \___/     | 隆慶一郎死ねよ!!!
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,,ノ >>110-111
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ_君はいいこと言ったね。ズバリその通り。父上も任侠風の親分格だし。
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0113名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 19:27:13ID:l3gbdjWn


            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /    /    \ \
   /        秀 忠     ヽ
    l:::::::::               | 
    |/ ̄\  (●)     (●)  | 
  r┤    ト:::::: \___/     |  このスレはお江与が来ることないからすごい気楽だね〜♪♪
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |ヽ、
 ヽ____)ノ      \//  /    | ∧
0114名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 20:54:57ID:spyG95/6
故人に酷い事言うね
まずは手前が氏ね
0115名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 21:38:03ID:l3gbdjWn



            ●
           ((
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    /            \
   /        秀 忠     ヽ
    l:::::::::               |
    |/ ̄\  (●)     (●)  |
  r┤    ト:::::: \___/     | >>114
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,,ノ お江与。乙!
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0116名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 06:40:23ID:JlOAl4YS
>>112
だから隆慶氏は18年も前に死んでるって言ってるのに。
しつこいやつにはこうしてやる。

家康「お前は合戦の素人だ。唯一経験のある城攻めは関ケ原の時の上田城だろう。
あの小城さえ、真田の爺いの手に乗って結局攻め落とせなかったお前に
大坂城が攻め落とせるわけがあるまい。」

隆慶一郎「棄て童子・松平忠輝」より。
0117名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 08:09:57ID:C30chI5g
生まれてくる時代が良かっただけ

治世では名君だが乱世では凡君
今川氏真公も平和な世なら名君になれた
0118名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 08:21:38ID:28mLulyn
>>真田の爺いの手に乗って結局攻め落とせなかった
オマエモナー
0119名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 08:49:50ID:gY3kl5ma
>>117
そんな事を言い出したら他のたくさんの人間も同様な事がいえるぞ。

>>118
家康が指揮を執って真田攻めをした事なんかあったけ?
0120名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 09:42:12ID:+Xlrk5f1
>>116
騙されるな!
あいつは二郎三郎だぜ
0121名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 10:20:54ID:DWUDi/YJ
平和な時代に君主なら俺たちでも名君なんだからそんなもんでしょ
0122名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 11:35:09ID:+cah89i7


            ●
           ((          >>116
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\     君は世良田二郎三郎だろう?父上の偽者乙!
    /            \.   >>117
   /        秀 忠     ヽ  それじゃあ、僕は劉禅であり劉璋ジャマイカ?彼等と同類なの?
    l:::::::::               |  >>118-120
    |/ ̄\  (●)     (●)  |  ナイスキャッチ!!
  r┤    ト:::::: \___/     | >>121
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,,ノ 毒舌家の正純。乙!
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0123名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 18:04:22ID:B/Ysr/JE
>>121
家光にならそういえるが、
秀忠の立場は凡人では務まらないよ。
まあ、仮に俺達が秀忠の立場だったら、250年続く政権の基礎は作れない。
0124名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 18:36:16ID:uCzIkBU0
>>119
直接家康が指揮を執って上田城を攻めた事はない。

>>120
「棄て童子」では家康本人(という事になっている)。
というか、家康も徳川二(次)郎三郎家康なんだが。

話は変わるが。秀忠「殺せ!皆殺しにしろ!楽になぞ死なすな!
悶えに悶え、苦しみに苦しんで死ぬようにせよ」隆慶一郎「花と火の帝」より。
凄い台詞だこと。ここまで書くか、隆慶氏。
0125名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 22:57:15ID:waR7wvDQ
捨て童子、序盤の序盤だといい人っぽく描かれてたんだけどねぇ。
忠輝にちょっと惹かれたりとか。
「コイツ邪魔になるから五年以内に殺そう」って決意したときも微妙にフォロー入ってたし。

まあ、その後はいつもの隆慶版秀忠になったが。
0126名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/15(月) 23:14:42ID:+cah89i7


            ●
           ((          >>123
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\     家光は僕の子じゃないよ!まあ、僕の擁護キャッチ乙!!
    /            \.   >>124 -125
   /        秀 忠     ヽ  隆は所詮そんなやつなんだよ。あいつはもう地獄に堕ちてるさ!!
    l:::::::::               |
    |/ ̄\  (●)     (●)  |
  r┤    ト:::::: \___/     |
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
01271242007/01/16(火) 06:47:00ID:ejIFj8Dh
×棄て童子 ○捨て童子 だった、スマソ。変換ミス。

隆慶小説で例外的に秀忠が人間出来てるのが「かぶいて候」。
「影武者」「捨て童子」「花と火」などはお馴染みの腐れ外道な秀忠w。

あまり叩くネタばっかりでも何だから山岡荘八の白秀忠の台詞でも探すか。
0128名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/16(火) 14:35:27ID:2BSquW4r
基本的に功名挙げた武士の子供は目はでないのが常。
0129名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/17(水) 00:51:17ID:V+lsZpPx
まあ暗君ではないよな
太田道灌を謀殺した上杉定正よりは
0130名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/17(水) 01:08:22ID:/+d09FR6


            ●
           ((          >>127
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\     棄て、捨て、でもどっちでもいいよ。爽やかな僕のイメージをヨロピクね。
    /            \.   >>128
   /        秀 忠     ヽ  そんなことは絶対ないさ!!僕の例があるんだから。
    l:::::::::               | >>129  
    |/ ̄\  (●)     (●)  | “まあ暗君ではないよな ”ってなんだい?僕は英傑・名君だよ。
  r┤    ト:::::: \___/     |
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
0131名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/17(水) 11:27:26ID:J2ZQ5gnq
日光東照宮に龍虎像が飾られているが
これは虎=寅年の家康公、龍=辰年の家光公に見立てており
家光公自身、家康公と並べて徳川二大巨頭として宣伝しているわけである


ちなみに卯年の秀忠タソは… 相当、家光公に嫌われていたようで
0132名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/18(木) 06:40:16ID:LdGUMKev
>>131
墓所からして家康と家光だけ特別扱いだもんな。あとの13人の将軍は
増上寺と寛永寺にひとまとめ。(秀忠は増上寺)

台徳院様こと、秀忠の命日が近づいてきました。1月24日(旧暦)。
来週水曜日はお祈りしましょう。
0133名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/18(木) 12:27:22ID:f8sh28s/

            ●
           ((         >>131-132
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\    >ちなみに卯年の秀忠タソは…相当、家光公に嫌われていたようで
    /            \  >墓所からして家康と家光だけ特別扱いだもんな。
   /        秀 忠     ヽ >あとの13人の将軍は増上寺と寛永寺にひとまとめ(秀忠は増上)。
    l:::::::::               | 大丈夫だよ。そこには米将軍の吉宗君もいるから心配してないさ。  
    |/ ̄\  (●)     (●)  | これからも台徳院の僕の応援をヨロピクね。
  r┤    ト:::::: \___/     |
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |
 ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
01341322007/01/18(木) 12:53:45ID:ivKJSf4Q
補足 
慶喜は谷中霊園だった、スマソ。ただし谷中霊園も元々は寛永寺の一部だったが。
 一方、増上寺では24日の秀忠命日には例祭がある模様。詳細は増上寺HPで。
徳川家の霊廟は残念ながら非公開。4月初旬に1週間だけ一般公開されるので
秀忠ファソはその時に。一切非公開の寛永寺や大猷院(家光霊廟)よりはましであろう。
0135忠吉2007/02/25(日) 10:42:15ID:FtpFU1aa
兄上、なぜそんなに弱いものばかり殺されるのですか?
ただ生きていたいだけの人々を活かせてこそ
名君と呼ばれるのではないですか?
0136人間七七四年2007/04/02(月) 00:26:03ID:2nLrhYKu
井上 力(いのうえ つとむ)著

もう一つの戦国時代〈上下〉
徳川家康をペンで倒した戦国の名将
・太田牛一、四百四十年間の闘い

著者略歴
1937年、大阪市生まれ。大阪大学法学部卒業。電気メーカーを定年退職後、
1998年に小規模企業マネージメント・サポート業を開業し、現在に至る。
東京都在住。中小企業診断士・社会保険労務士。
著書 『もう一つの桶狭間』(講談社出版サービスセンター 2000年)



この本によると秀忠の父は酒井忠次らしいです
0137人間七七四年2007/04/03(火) 21:05:43ID:TpmLvZiL
都合の悪い人物を暗殺しまくったって本当なの?
0138人間七七四年2007/04/03(火) 21:36:49ID:tesTZfrt
具体的に誰を?
0139人間七七四年2007/04/05(木) 14:42:16ID:Fq1TDxcB
>>138
加藤清正とか、豊臣恩顧の勇将

みんな梅毒とか、変な病気で立て続けに死んでる
0140人間七七四年2007/04/05(木) 15:18:13ID:zOm0POLU
加藤清正は家康より先に死んでますが。
他には誰?
キミの妄想?
0141名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/05(木) 20:22:20ID:wKzfJu24
>>139
梅毒は変な病気じゃ無いぞ。当時の大名クラスでも結構な数が梅毒でばたばた死んどるわい。
0142人間七七四年2007/04/05(木) 20:30:20ID:MbnYCKEj
>>140
いや、だからぁ!
秀忠が、家康存命中に殺したんだって!

ほかには?

徳川家康とか。

>>141
それが暗殺の隠れ蓑に使われたんだ。
変な死に方すると、とりあえず梅毒にされたから。
0143人間七七四年2007/04/05(木) 23:20:41ID:RyrX8PZs
まあ、今でも疑わしきは心臓麻痺にとりあえずしとくって事多いらしいしね。
はっきり分かる毒物なら良いけどねー。
0144名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/06(金) 01:38:43ID:zNmmt+xp
>>142
>いや、だからぁ!
>秀忠が、家康存命中に殺したんだって!

おまえはそれを、見たんかと。

一応言って置くけど小説のように都合のいい暗殺は、この世の中には存在しないよ。
0145人間七七四年2007/04/06(金) 02:54:39ID:95lkdSu/
梅毒は確かに珍しい病気だったが
清正をはじめとした、朝鮮で小汚い女をレイプしまくった武将達が
日本に大量に持ち込んだ病気だよな
0146人間七七四年2007/04/06(金) 16:04:27ID:h/QEnn4h
>>144
いやいや、自分の娘の和子以外のお后が妊娠したら
闇の勢力を使って流産させてたらしいじゃないか。

秀忠は怖いんだぞ!
0147人間七七四年2007/04/06(金) 19:08:37ID:zMuNW+fA
>>145
梅毒は朝鮮ではなくルソンやカンボジアなど南方から入ってきた感染症。
0148人間七七四年2007/04/06(金) 23:08:47ID:jUaqfZLg
>>139=>>142はリアルに中学生だよな。
最近梅毒って単語を覚えたばかりなのだろう。
0149人間七七四年2007/04/07(土) 01:27:27ID:G5HDhPcn
>>148
むしろ最近そういう小説でも読んだんじゃないの?
○慶一郎とか隆○一郎とか隆慶○郎とか隆慶一○とかの。
0150人間七七四年2007/04/07(土) 14:42:33ID:t1CIBQjR
>>142
75才の父徳川家康を暗殺、しかも梅毒で。
お前は脳症じゃないないのか?
0151人間七七四年2007/04/07(土) 23:03:13ID:72QdIJVI
俺ガチで名前が秀忠。
由来はこの人じゃないけど意外と珍しい名前だから意識してる。
しかしヘタレ将軍って言われてるからもっとイメージアップして欲しい。
0152名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/07(土) 23:17:46ID:Fk+zM5S1
>>151
>ヘタレ将軍
そうか?昨今じゃ徳川幕府の基盤を作り上げた偉大な2代目って再評価が主流だと思っていたけど?
0153人間七七四年2007/04/07(土) 23:50:31ID:72QdIJVI
>>152
あ、そう?
この間ニュー速で名前晒したらヘタレ将軍とか影の薄い人って反応しかなかったから。
どうしても家康と家光が有名すぎて地味なんだよね。
0154人間七七四年2007/04/08(日) 00:00:34ID:zh91V1pl
家康に比べたら、たしかに「精一杯頑張ったんだろうけど凡人どまり」なイメージだからなぁ。

もっともその家康にしても、信長や秀吉に比べたら「偉大なる凡人タイプ」といわれているし。
0155人間七七四年2007/04/08(日) 00:05:42ID:8y2Xt/gf
>>153
まあ、一般人は秀忠にそういうイメージを持っているだろう
ちょっと知れば偉大なる政治家と言うことは解るけど、武将としてはやっぱり・・・
徳川将軍の業績を評価すれば五指に必ず入る、個人的には第二位
0156人間七七四年2007/04/08(日) 00:10:00ID:zh91V1pl
業績といえば、将軍親政を行ったのが少数派だからな。
家康、秀忠、家光、綱吉、家宣、吉宗、家茂、慶喜あたりが評価高い将軍か。
個人的には五指にはかつかつ入るかどうかのボーダーラインってとこ。
0157人間七七四年2007/04/08(日) 01:25:06ID:OQuPr7Qi
やっぱり秀忠って知名度も低いけど、
間抜けな将軍だったってのが世間的な評判だろうな。
家康の後じゃ仕方ないけど業績はもっと評価されてもいいと思う。
0158人間七七四年2007/04/08(日) 01:34:21ID:4kvdsqMJ
政治では大変優秀な反面、軍事の才能はさほどなかったにも関わらず関ヶ原、
大坂の陣というメジャーな戦いに関わるハメになったのがある意味不幸だな。
0159人間七七四年2007/04/08(日) 10:43:06ID:zh91V1pl
長兄の信康の評価が高い(特に家康からの)ってのもイメージ悪いかな。

なんというか、重盛が早世したため後を継いだ宗盛みたいにみられてしまう。
ま、あっちは御家を滅ぼしてしまったのだからそれこそ無能な二代目なんだろうが。
0160人間七七四年2007/04/08(日) 19:54:02ID:yGM6oQPU
源頼家や足利義あきら(変換めんどい)と比較してみなよ。
明らかに立派な2代目だ。
0161人間七七四年2007/04/08(日) 20:54:46ID:nsHPm+bh
大勇院秀忠公は有力外様大名の熊本藩主加藤肥後守、松山藩主蒲生飛騨守、会津藩主加藤式部少輔、広島藩主福島左衛門大夫らを改易したのは強いリーダーシップによりまする
0162名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/09(月) 00:20:55ID:EnVVcDEU
まあ、家康は良くも悪くも独裁者だけど、秀忠は立憲君主っぽくて爽快さが無いのが不人気の一つではあるんだろうね。
んで、次の代の家光はまた独裁者っぽいわがままいっぱいさなので人気がある、と。

やっぱ組織の事より個人の個性を出しまくる方が人気が出るのだな。
0163人間七七四年2007/04/09(月) 08:11:35ID:ZOovlaY1
>162
イメージじゃそうだけど、実体は
独裁度
秀忠>家光>家康>>>秀吉>超えられない壁>信長
じゃないかな。

老中制を廃止し、取り潰しの強権発動により直轄領の増大
武家諸法度の改訂、朝廷政策
政治能力だけ言えば秀忠は
徳川将軍内の5本の指でもおかしくないとおいらも思う
0164人間七七四年2007/04/09(月) 09:25:51ID:2wztBQVW
土井利勝とか酒井忠世などの能吏に恵まれたからねえ。
本当に秀忠の功績なの?
0165人間七七四年2007/04/09(月) 16:30:52ID:cX1xq9JZ
この時代の黒幕は土井利勝とよく言われるが、
秀忠が暗君(例えば頼家みたい)だったら>>163の事績など出来はしない
自ら大鉈を振るったかどうかは別にしても、評価していいと思うよ
0166人間七七四年2007/04/09(月) 19:58:22ID:g8aEi8Gz
頼家はろくに仕事する前に二十歳そこそこで殺されているからなぁ。それも身内に。
暗君というが、将軍の権力を強化しようとして御家人たちにつぶされたわけで。

義詮だって、父親から受け継いだ状況が秀忠と雲泥の差だったことを思えば、それなりに頑張っている。
0167人間七七四年2007/04/10(火) 02:10:01ID:C6FTW+jr
義詮も戦下手で苦労してるよな
なんつーか、相手も北畠だったり楠木だったり腹違いの兄貴だったりで悲惨なんだけど
腹心はよりによって佐々木導誉だし
0168人間七七四年2007/04/10(火) 19:31:43ID:Y3oFhhvY
>>150
お前日本語わからないのかよ?

暗殺の隠れ蓑として梅毒という病名がよく使われることが
あったってことだよ。

その手を使って秀忠は豊家恩顧の有力武将を殺しまくっていたんだ。

家康は、最期、裏柳生の術者に襲われたんだよ!!
その裏柳生の術者を送り込んだのは秀忠なんだ!!
0169名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/10(火) 19:53:13ID:WoNd5ub5
>>168
>暗殺の隠れ蓑として梅毒という病名がよく使われることが
>あったってことだよ。

いつどこでよくあったんだよ!?お前の脳内か!?
0170人間七七四年2007/04/10(火) 20:33:52ID:jy7D1nQq
伊達稙宗 親子喧嘩を起こす。嫡男を可愛がらない典型的なDQN。袁紹・劉表の如し。
実子より娘婿の相馬顕胤の方が可愛かったらしい。近所の家々(特に相馬)に多大な迷惑をかける
性欲だけは旺盛で21人も子供を作る。その挙句、晴宗と6年間も対立し最後は幽閉されるマヌケ。

伊達晴宗 美女誘拐。親(稙宗)と子(輝宗)と喧嘩をする、近所の家も巻き込み 親父を幽閉までして家督を継ぐ。
相馬顕胤に何度も惨敗する。 反抗的な家臣を殲滅する残虐さ。

伊達輝宗 親と喧嘩をする。相馬盛胤に敗北し領土を奪われる。最後は大名のくせに誘拐され、息子に撃ち殺される。 浅井久政より無能。
無能を見透かされて中野宗時らに謀反され、傷心で引き籠りの隠居になる。鬼嫁の乱行を止められない小心者。

伊達政宗 親父を撃ち殺す。大阪の陣では味方も撃ち殺す。 テロ支援(葛西大崎一揆)。秀宗の宇和島藩を処分しようとする。
テロとの関与を疑われた途端、それまで支援していたテロリストを皆殺しにする。身内に貸した金を執拗に取り立てる。
「日本国王」と詐称してローマに支倉を送り込み、切支丹にしてまで軍事同盟や貿易を画策するも、幕府の方針であっさり支倉を見捨てる。

伊達秀宗 親父に借金を執拗に取り立てられ、ノイローゼ気味に付け家老一族をよぅじょも含め皆殺し。 親父から藩を取り上げられそうに
なって、卒中になって生ける屍になる。

伊達綱宗 藩政を省みず酒色に溺れ遊興三昧の生活を送った結果 その不行状を幕府に咎められ21歳にして隠居させられる。
家臣も満足に操縦出来ず、伊達兵部宗勝などに藩政を壟断される。

伊達綱村 アル中親父のせいで2歳で藩主になり、8歳で毒殺されそうになる。宗教狂いで寺や神社を建てまくり財政難となり、藩札を
出して逆効果になり、一族から強要されて隠居させられる。

伊達吉村 苗字が二つみたいな名前。借金まみれを解消する為に、農民から強制的に米を出させて、江戸で転がして大儲けする銭ゲバ。

伊達宗村 大凶作の年に年貢を軽くしてくれと直訴されると逆上して、家・田畑没収の上、磔にする。

伊達重村 また苗字が二つみたいな名前。島津重豪の昇進を目の仇にして、田沼や大奥にバンバン賄賂を送る。

伊達周宗 歴代最大の百姓一揆が連発する。14歳で死んだが、三年間も幕府に賄賂を送って養子縁組させた。

伊達宗純 秀宗の遺言書を偽造して吉田藩独立。吉田藩は支藩の癖にのちには無駄に参勤交代までする。

伊達宗贇 本来なら吉田3万石を分けて7万石になっているのにプライドのために10万石と過大申告した。不足分は
年貢を上げ、借金し、家臣の給料を減らした事で補った。

伊達 宗敦 せっかく官軍側の宗城の実子なのに養父を奥羽列藩同盟の盟主としてしまい、結局 廃嫡。

伊達 順之助 素行が悪く幾つもの学校を転々とし、不良を射殺するという事件を起こす。
満州で馬賊となるも最終的には戦犯として射殺される。

伊達 興宗 自身の死後、嫁と一族の間で骨肉の泥沼遺産相続争いを起こさせる。マスコミに「現代
の伊達騒動」と叩かれ、元々ロクでもない家名に更に泥を塗る。

伊達 泰宗 伊達氏最凶最悪の現当主。21世紀になってなお「平成の家臣団」を募集し、しかも「家臣」に
なるには金を払わなくてはならない。銭ゲバ・放蕩三昧は先祖以上。先祖の政宗を金づるにして、バカ高い
グッズ(支倉まで利用)や上杉から貰った家紋まで商標登録する始末。更にHPでは自分マンセー記事のオンパレード、
印刷用の自分の画像までご丁寧に置いてある超勘違い野郎。HPを一度見ればそのマンセーぶりに
吐き気を催さない人はいない。
0171人間七七四年2007/04/10(火) 20:50:55ID:lrKiuior
>>168
脳内お花畑w
日本史板ではないとはいえ、見苦しすぎ。
0172人間七七四年2007/04/10(火) 21:02:49ID:TE2z2/Hj
>>171
いやいや、それでは反論になってない

「見苦しすぎ」という理由では相手を説得できないし、
やっつけられない。

むしろ、相手の言っていることが正しいからまともに反論できない、
と理解されかねない。

暗殺ではない、梅毒を暗殺の隠れ蓑にしていない、という
根拠を提出していただきたい。
0173人間七七四年2007/04/11(水) 03:44:55ID:3twWDEGx
>>172
まず暗殺云々の根拠の提示が先だと思うがw
0174人間七七四年2007/04/11(水) 17:15:14ID:OLM8WZ2v
>>173
隆慶一郎先生の本を読め!
0175人間七七四年2007/04/12(木) 09:49:04ID:BQq4CwUk
( ´,_ゝ`)プッ 
0176人間七七四年2007/04/13(金) 17:16:28ID:1XyXXEZ/
>>172
反論するに値しない。
根拠を一切示せない妄想を書く方が悪い。
0177人間七七四年2007/04/13(金) 22:20:27ID:WFbM3VJy
>>176
じゃぁ、隆慶一郎先生は妄想で書いてるっていうのかよ!?

お前いい加減にしろよ!

素直に負けを認めて今までの歴史認識を変えなさい。
0178名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/14(土) 00:28:05ID:vAZ3CzD+
>>177
いいから「創作とは何か」を勉強して来い。もしくは荒らすな。
0179人間七七四年2007/04/14(土) 05:31:11ID:qUpmia47
>>178
貴族の人も
徳川の奴らが帝の子供を殺しまくってやがる・・って
日記を書いていたじゃないか。

秀忠の娘以外のお后が懐妊したら、流産させまくっていたんだろ。

そういう秀忠なんだぞ。

この部分は創作じゃないぞ。
歴史小説だって真実の裏づけがないと迫力がでないだろーが。
0180人間七七四年2007/04/14(土) 08:02:24ID:NTh4XENO
馬鹿殿ティロリロリンの2世登場。
0181人間七七四年2007/04/14(土) 15:30:03ID:uOoE2bTR
>>179
脳内お花畑w
日本史板ではないとはいえ、見苦しすぎ。
0182人間七七四年2007/04/14(土) 21:44:09ID:1q6ceXJT
>>177
今日の日経新聞の夕刊でも見とけ!
0183人間七七四年2007/04/25(水) 17:38:28ID:v+wK/J0R
>>177
もしかして司馬の本とかも歴史書とか考えてるの?君
最近多いんだよねーそういう子
君、リアでしょ。ねえ。
何でって、行間多すぎなんだよね
それに君の主張は根拠もへったくれもないでしょ。わかる?
もう本当に勘弁して欲しいんだよね。君みたいな子がいるからオゾン層が破壊されてるんだよ。ってこれは関係ないか
そろそろ見苦しい抵抗はやめて、一日中秀忠公の肖像画を見つめていたまえ。
0184人間七七四年2007/04/27(金) 09:40:53ID:ZdETMEAi
実記では台徳院記が一番面白いよね
0185人間七七四年2007/04/30(月) 14:47:39ID:+8u+yjZN
>>183
な・・なんだってえ!!

なんで隆慶一郎先生をうそつき呼ばわりするんだよ!!
0186人間七七四年2007/04/30(月) 20:46:48ID:JDIduFy4
>>185
お前はつまんねえんだよ。
面白いネタを振れ。
0187人間七七四年2007/05/01(火) 14:47:28ID:aunYuMAU
>>186
うるせえよ
ぶっちゃけもうねえんだよ
ちくしょうめ
くれくれってこじきかよてめーは?
オレは打出の小槌じゃねえっつんだよ
てやんでえ
0188人間七七四年2007/05/01(火) 18:57:39ID:u/dlxy+T
家康はいつ頃後継者を秀忠に決めたのかな。
年の順でいえば秀康がいたし、決して無能な男ではなかったようだが。
0189人間七七四年2007/05/04(金) 00:05:06ID:1yLSanOy
小牧長久手の戦後処理の一環として、秀康を大阪に人質で出したから、その時点では既に秀忠=後継者が確定してたということ?
0190人間七七四年2007/05/04(金) 09:11:15ID:xhxb+MzV
他家に行く、ってのは基本的に相続権が無くなる事だから。
例えば氏直没後の北条を、藤田氏邦ではなく北条氏規が継いだ様に、
また逆の例を挙げれば諏訪勝頼が武田家を継ぐのには対内的に無理をしてしまった。

秀康が豊臣、次いで結城に入った時点で
一族ではあっても相続権は他の兄弟に劣る。
0191人間七七四年2007/05/04(金) 13:50:56ID:9FYQn/3H
確かに出戻りを認めてたらキリがないわな。
でも足利義昭なんか還俗してるのも確かだ。
0192名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/04(金) 20:50:37ID:l6uVA0Il
>>191
足利家はそんなのばっかり。だから乱世になった。
0193人間七七四年2007/05/05(土) 10:49:52ID:C2zhTz5f
>>191
還俗と他家に入るのとは、また違うような・・・
0194人間七七四年2007/05/05(土) 13:24:27ID:Bf4u4MI1
今川義元も、還俗して家督を継いだ一人でしたね
0195人間七七四年2007/05/05(土) 15:29:51ID:oXkhOxJ+
還俗するってことはそれ以前に出家したわけで、文字通り解釈すれ
ばその家を出ている。
井伊直弼みたいに部屋住みでも家に残っていれば家督が回ってくる
かもしれない。
0196人間七七四年2007/05/06(日) 18:04:07ID:EbKzA+02
秀忠がもし関が原に間にあって戦死してたら、義直が生まれなが
らの天下人?


0197名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/06(日) 18:14:35ID:XpEQPsp0
>>196
仮定を2つも3つも重ねられると流石に何とも言えぬ。
0198人間七七四年2007/05/07(月) 02:02:18ID:16gHHD8P
凡将か名将かで言ったら凡将だが
間違い無く偉大

しかし、明日から仕事だって言うのに寝つけねえ。
0199人間七七四年2007/05/24(木) 12:08:04ID:RBPbd0n9
そうか公方としての評価じゃないんだ、スレタイ
なら凡将には違いないね
0200人間七七四年2007/06/28(木) 23:53:51ID:SGlKxviZ
 
0201名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/29(金) 00:06:53ID:QQD7bJv+
>>199
戦闘指揮間という意味での将か、武士組織の統率者としての将か、で話は違ってくるだろ。
0202人間七七四年2007/06/29(金) 00:17:17ID:AfUUFA1c
亀にも程があるが

>>17
中高の歴史教師の認識が>>15と同等だから仕方ない
0203仙台藩百姓2007/06/29(金) 01:28:02ID:YOKFjBEV
でもよく考えると家康も戦は下手糞だし
秀忠が特別家康に劣ってるとは思えないお( ´ω`)
糞漏らして逃げ回ったり
共に出陣した大坂でも親父は酷い醜態晒してるし
お前に言われたくないよって感じだおね
秀忠もまた神君史観の犠牲者だお
0204宇喜多直家信者2007/06/29(金) 02:17:45ID:nCRVxoJR
大友義統以上北条氏綱と同じくらいかそれ未満

名将の部類には当然入る
0205人間七七四年2007/06/29(金) 03:34:31ID:jct5TVid
>>203
普通に催したか下痢か知らんが野グソして討ち取られるよりか何倍もマシ
恐怖で脱糞したならその状態で逃げ切ったてのも、大将の器だな
大坂も同様で、秀忠のように下手に奮戦するより引く方が賢い

秀忠は太平の君にふさわしい大人しいイメージによくなるが
実は親父や兄弟とそっくりで、生真面目で直情的なところのが多いなぁ
0206人間七七四年2007/07/08(日) 12:41:18ID:LcKAVFWc
名将とは思わないし、名将である必要もないと思うがね。
0207人間七七四年2007/07/13(金) 07:27:02ID:xUIosehO
調査で血液型がO型と判明したそうです
0208人間七七四年2007/07/27(金) 19:54:21ID:luqojiW0
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161813284/51
隆慶一郎によって秀忠の評価はむしろ上がったという意見もある
0209うんこ麻呂2007/07/28(土) 00:36:42ID:PqLvwcll
age
0210仙台藩百姓2007/07/28(土) 03:14:39ID:w9CEht8w
>>205
奮戦もなに家康は
ろくな反撃すら出来ない状態だっただけだお( ^ω^)
組織を維持できないようなのは愚将の極みである
将がみんな家康みたいに逃げ出したら戦にならんお
秀忠や他の大将達が必死に踏ん張ったから勝てたのである
0211宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/28(土) 03:16:33ID:+BcXfmbB
秀忠の功績は認める。
0212名無しさん@お腹いっぱい。2007/07/28(土) 07:58:52ID:LvCeIiX2
しかし三方が原の「脱糞」なんて、あらゆる資料の中で三河物語にしか存在しない描写なのに、それを真実だと信じて疑わないのは不思議だ。
三河物語自体には徳川家内の事ですら誤解や誤認が沢山ある書物なのに。
0213人間七七四年2007/08/23(木) 19:33:58ID:F8zbRyH1
今、ニコ動で徳川三代見てるが、秀忠いいぞw
俺は、好きだな。
0214人間七七四年2007/08/24(金) 09:16:52ID:0BZ/5N8J
ここにもニコ厨が…
0215人間七七四年2007/09/06(木) 19:51:11ID:fBywppUe
>>213
堂々とそう言うことを書き込まない方が吉。
0216人間七七四年2007/09/10(月) 19:14:41ID:dh83FMaA
家康はその生き様や実績があったから誰からも一目置かれてたけど、
その後を継いだ秀忠は大変だったろうね。
幕府をつぶさなかった、或いは衰退させなかったってだけでたいしたもんだ。
むしろ基礎を固めたんだから十分政治家として優秀だと思う。
0217人間七七四年2007/09/11(火) 01:20:31ID:05JfFk3X
家光が散財して名を高められたのも、
家康・秀忠のおかげだしな
0218人間七七四年2007/09/16(日) 22:18:53ID:08yZdLt3
といっても、家康が生前に難問はあらかた片付けてくれてた(あるいは道筋をつけてくれてた)からなぁ。
秀忠の力量も、一応及第点レベルにはあったろうが。
0219名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/16(日) 23:06:44ID:vrNB6leu
>>218
そんなことはない。大阪の陣の後の、旧豊臣残存勢力と大量の浪人の存在は巨大な社会問題だった。
下手すると室町幕府の南朝残党のように、いつまでも畿内周辺でグダグダとゲリラ戦が続くような状況になりかねなかった。
それを上手くソフトランディングさせたのは秀忠の手腕だよ。
0220人間七七四年2007/09/16(日) 23:15:55ID:08yZdLt3
いや、だからそれも家康存命時から明らかになっていた諸問題のひとつじゃん。
家康がそれについての対策をまったく考えず(指示も出さないまま)死んだとも思えないし。

秀忠ひとりの功績とはいいがたいでしょ。
0221人間七七四年2007/09/17(月) 00:02:29ID:6cP0HfNW
名将です
0222人間七七四年2007/09/17(月) 10:02:58ID:GF++l4IT
凡将であり名君
0223人間七七四年2007/09/18(火) 10:05:01ID:HyAyYhuN
治世の名君とは秀忠のためにあるような言葉だな
乱世では英雄には絶対なれないだろうけどw
0224人間七七四年2007/09/18(火) 13:11:04ID:RlP8lUk5
戦闘経験がほとんど無い状態で大軍指揮してるからね。
千軍万馬の家康と比較されるのはきついな。
0225名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/19(水) 21:38:34ID:Ly81rfJH
>>220
現実の事象ってのはいくら方針があっても、その通りにやればすむって物じゃ無い。相手のあることなんだから
日々変化するし場合によっては方針も変えないといけない。いくら家康が優秀でも神じゃ無いんだから、
自分の死語何が起こるか、なんて事まで予想を立てて解決策を作ることは出来ない。

現実の行政執行責任者である秀忠の能力無しに、その時代の諸問題の解決は不可能だよ。
0226人間七七四年2007/10/11(木) 16:26:23ID:fbHvl0MX
将としては凡でも公方としては一流。
外様大名の改易政策なぞ 凄いの一言。
0227人間七七四年2007/10/19(金) 17:31:30ID:zRatVVsm


                   ,. -‐、
                rァ'-──ー 、
               /        \
               /ー-ィ         ヾl
                |  /          .{|
                l / ,. -_一'  ゝ‐- /
              rゝj  <_o >  {(o) /、 牛が引いていないのに牛車が進んでおる
              {^iL       ,. > | }  それもものすごい速さだ
               ヽノ、  __,  l'′
                | \ ´ −  /
            , -ノ<ヽ  ヽ、__ /
          _,. -‐''´  |  ヽヽ   /jーi‐- 、
    _, -‐'"      |  ヽ.\ // .|  ` ー- 、_
   |>、         |   ヽ//  .|        ̄7
   /  \          |ヽ   ヽ/    ,|         ∧
  /    \       | \ /   / |      / ヽ
  /       ヽ  /.  |  /    /  |       |   ヽ
. /         ヽ. /    |  /   /   |        |     l
/          V     | /   /     |        |    |
0228人間七七四年2007/10/19(金) 19:24:34ID:WTSm7Gi/
>>219
すげえ今更のレスだけどさ、
秀忠って浪人問題をソフトランディング出来てないんだけど。
むしろ改易しまくったせいで浪人問題は悪化して島原の乱や由井正雪の乱へと繋がり、
そこまで悪化してからやっと改革されたんだよ。
0229人間七七四年2007/10/19(金) 20:11:11ID:ZUsMVMP7
浪人対策は秀忠の失策。
英・蘭が望んだ浪人の海外供出も秀忠が閉ざしちゃったしな。

>>227
下り坂だからじゃありませんか?
0230人間七七四年2007/10/20(土) 10:51:45ID:G40tJY11
浪人の問題に関しては、家綱ー保科正之ラインでほぼ解決のようだね
0231人間七七四年2007/11/08(木) 15:25:03ID:FQuIh2OS
だけど秀忠 家光が外様大名取り潰さなければ 幕府が安定しなかったと思う。
0232人間七七四年2007/11/22(木) 13:29:46ID:AAUFD88z
政治家としては一流と思うが=秀忠
0233人間七七四年2007/11/23(金) 10:21:12ID:HVCUt0LE
周囲の人材にも恵まれてたからな。
0234人間七七四年2007/11/23(金) 13:14:16ID:E/s+8TfQ
二代目としての役割は十全に果たしたよな。
100点満点評価で、90点は堅い。
0235名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/23(金) 19:39:24ID:VG8lX5Dd
秀忠はその生前にすでに、家光の時代の幕府首脳層をちゃんと用意していたのが偉い。
0236人間七七四年2007/11/23(金) 20:41:15ID:+fR77Hdr
まあ初代は当然として三代目がやけに目立ってるからな
間に挟まれて地味に見えるのも仕方あるまい
0237人間七七四年2007/11/23(金) 23:17:49ID:tE5xqrsm
まあな親がタヌキで息子が掘られ男だからな
地味に見えるのもしょうがないか
0238人間七七四年2007/11/24(土) 01:48:05ID:AYzT+ltx
足利義詮と相通じるものが・・・
0239人間七七四年2007/11/24(土) 02:50:03ID:Oa1jiy6u
将軍職を継ぐ前からある程度の政務を執っていた義詮と一緒にしちゃいかんような。
0240人間七七四年2007/11/24(土) 14:31:19ID:cfhQ7zmr
義詮と秀忠を通して言えること…二代目がしっかりしてなきゃ続かないのだ
0241人間七七四年2007/11/25(日) 11:50:40ID:8GE49TQk
義満と家光と通して言えること。

成金趣味。
0242人間七七四年2007/11/25(日) 16:35:11ID:9rZsmhOy
 
0243人間七七四年2007/11/25(日) 17:35:38ID:H3SJj0te


            ●
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   /        秀 忠     ヽ
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 ヽ____)ノ      \//  /    | ∧
0244人間七七四年2007/11/25(日) 18:08:47ID:H3SJj0te

                                /;;;;;;;::::::;;;;;;;;;;;;;\
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   /        秀 忠     ヽ          〔|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||〕 
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 ヽ____)ノ      \//  /    | ∧  ヽ____)ノ      \//  /    |. .∧

今日は真ちゃんと一緒に来たよ。
0245人間七七四年2007/11/29(木) 07:21:52ID:jWz6oALs
0246人間七七四年2007/12/13(木) 16:30:39ID:8m1ZWlyN
>>241
安定期に入った時期だからでしょうかね。
家光には家康の遺金もあったでしょうし。
0247人間七七四年2007/12/15(土) 00:41:08ID:JJOKtPi1
>>204
北条氏綱はちょっと比較対照が悪いように思う。
どっちが上とかいう問題ではなく、
氏綱はむしろ後北条家初代という感じなので。
0248人間七七四年2007/12/19(水) 14:00:21ID:E0ZR31B/
伊勢宗瑞を独立した存在と見るのは難しいよな。
0249人間七七四年2008/01/07(月) 06:51:14ID:GoBqjj11
保守
0250人間七七四年2008/01/25(金) 14:48:36ID:jeH+jl4M
親父が大敵を殆ど退治してくれたから、楽に好きなことできた面もあるかな、そこが義詮と違うところ
0251名無しさん@お腹いっぱい。2008/01/26(土) 01:15:44ID:BBfEQZC8
足利も義満の代に大敵は殆ど退治したが、その後は…。
0252人間七七四年2008/01/26(土) 05:25:58ID:O7RNB/FG
義詮も殆どの大敵は尊氏が始末してくれてたぞ
0253人間七七四年2008/01/26(土) 09:47:49ID:nT7PAxpB
弱った南朝勢力とすぐ裏切る身内ぐらいか
0254人間七七四年2008/02/13(水) 16:22:18ID:sr5AHl2j
斯波が起こした貞治の政変は尊氏没の三年後だし。
0255人間七七四年2008/02/24(日) 10:28:52ID:acp/LkB/
良スレ
0256人間七七四年2008/03/07(金) 14:29:31ID:Miu05pdc
そもそもは家康が思い切って将軍位を譲ったのが良かった訳だが 
秀忠の大名統制もうまいと思うな。
0257人間七七四年2008/03/08(土) 01:39:33ID:p851xM76
「名将」ではないけど
「名君」であるよな。
0258人間七七四年2008/03/24(月) 15:36:06ID:y4Yt4iNC
秀忠を後継にするあたり、家康の読みは流石
0259人間七七四年2008/03/29(土) 11:11:02ID:x3HJgLuU
というか、普通に年の順だが。
秀康は養子に出してしまってたし、他は若年だったし。
0260人間七七四年2008/04/12(土) 14:47:11ID:+rsI5a3W
年の順はその通りだな
だがあきらに劣れば忠吉に差し替えとかも
0261人間七七四年2008/04/15(火) 02:43:31ID:KGjO8AvI
長幼の順+秀康が他家の養子だから、秀忠が後継者なのは正統性がある。
しかしこの正統性の片方でも否定してしまえば、
誰がなっても不満がでてくるのは間違いないぜ。

秀康が秀忠に対して一歩引いていたのはその正統性を秀康を含む周囲が理解していたからで、
後継者を忠吉へすげ替えた場合、
長幼の順という正統性を否定した以上、他家の養子だから後継者から外されたという正統性も意味をなさなくなる。
徳川家中のことを考えれば、秀忠以外にあり得ない。
0262人間七七四年2008/04/26(土) 12:20:55ID:MJAYWP+v
兄と後継者争いして勝った弟っているんかな
兄が庶兄や養子送りとかじゃない場合で
0263人間七七四年2008/04/26(土) 15:47:05ID:zIqUoJla
そういえば聞かないね
兄の子と争って勝ち残ったのはいるが
0264人間七七四年2008/04/26(土) 16:12:19ID:4WzDLg6j
謙信は?
0265平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA 2008/04/28(月) 11:22:21ID:CjC8zhnm
今川義元もそうじゃなかったか?
0266平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA 2008/04/28(月) 11:24:09ID:CjC8zhnm
あと、前田利家もじゃなかったっけ?
0267人間七七四年2008/04/28(月) 13:21:17ID:7CNdlLDA
兄より優れた弟なんていねぇ
0268人間七七四年2008/04/29(火) 02:30:36ID:QkNhpMFH
今川氏真でも、家康の3男(長男死亡、次男養子)という秀忠と同じ立場で
あったらこれぐらいの結果は残せてたと思う。

逆に秀忠が氏真の立場なら同じように今川家は即刻つぶされてた。

秀忠は周りの環境や人材に恵まれてた。
決して無能ではないけど、これといって優秀だったわけでもないと思う。
0269人間七七四年2008/04/29(火) 02:56:57ID:k/B16crN
周りの人材に恵まれてたって簡単に言うけどさ、
部下を信頼して仕事を任せるって上に立つものにとって一番大切で一番難しいことだと思うけど。
0270人間七七四年2008/04/29(火) 07:42:37ID:YHqX35mN
どうしても口を挟みたくなるもんな。
あと適材適所に配するって凄く難しい。
0271人間七七四年2008/04/29(火) 10:44:58ID:CVKooEkE
紅虎
0272平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA 2008/05/01(木) 03:48:59ID:odSyHnE1
>>267
オレの弟はオレより優秀だよ。全てにおいて。
弟はオレの人生の財産。
のろけてゴメン。
0273人間七七四年2008/05/02(金) 11:11:21ID:/LLNOxoR
天皇家の権威を完全に失墜されたのはある意味恐ろしいよな
紫衣の件といい。
おかげで明治維新になるまで天皇家を担ぎ出す勢力が出なかったし
0274人間七七四年2008/05/04(日) 01:30:44ID:Y70igtjy
http://jp.youtube.com/watch?v=5SMIgGAHAoU&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=looALHmz6aA&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=XlJkpEsaYMY&NR=1
http://jp.youtube.com/watch?v=aJ47PkaeM_M&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=vsbv9Y-oPxg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=srYyLjVihYQ&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=GyY_GFtj5Tg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=9uF85UO9-lg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=svH44ZUVE4A&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=k9OJL0c-CBg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=I7nMFPYuF7o&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=Kci1bOlAOCY&NR=1
http://jp.youtube.com/watch?v=yXPS8v7VqVg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=jpgH4CrHXF8&NR=1

鉄道をこよなく愛する人たち
0275人間七七四年2008/05/04(日) 01:45:58ID:DshEx+TA
>>274
そういや十五代慶喜って将軍引退後、明治時代に写真も趣味にしてたよな
鉄道写真も残してたと思う。
0276人間七七四年2008/05/16(金) 14:06:19ID:VwxIsYmM
>>273
鎌倉は後鳥羽院や持明院統と大覚寺統の争いに悩み
室町は南北朝を引きずったからな。
歴史を学んで上手くやったと思う。
0277人間七七四年2008/05/18(日) 14:56:00ID:8VDjWoJB
>>268
ご名答!!

                                /;;;;;;;::::::;;;;;;;;;;;;;\
                               /\;;:::::::::::::::::::::::;;;;;;;;ヘ
            ●                  /,,\.;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::::/;:::ヽ
           ((         .      .   L::;;, ヽ、::::::::::::::::::..ノ;. ..::;;;;;ゝ
.      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       .   .  //;;;;::::::.... ̄ ̄..:::::::::::::::::::::::::::;;;|l
    /    /    \ \  .   .  .   |l l;;;;;;;;;;;;;::::::::      :..::::::;;;;;;|l
   /        秀 忠     ヽ          〔|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||〕 
    l:::::::::               |     .  .   l::::::::::      氏  真    | 
    |/ ̄\  (●)     (●)  |     .    |/ ̄\  (●)     (●)  |
  r┤    ト:::::: \___/     |       . r┤    ト:::::: \___/     |
 /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   .  .  /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ
 |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__     |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
 |   _)_ノ    ハ // /    |ヽ、   |   _)_ノ    ハ // /    |ヽ、
 ヽ____)ノ      \//  /    | ∧  ヽ____)ノ      \//  /    |. .∧
0278人間七七四年2008/05/21(水) 16:59:31ID:V5Rmugj5
上と下が優秀というのは尊氏‐義詮‐義満3代に似てるな。
まあ義詮よりだいぶまともだけど
0279名無しさん@お腹いっぱい。2008/05/21(水) 17:29:44ID:O7asoarv
つーか、個人能力で言えば

家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀忠>>>>>家光、だろう

その代わり徳川家の力は

家光>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀忠>>>>>>>>>>>>>>>>家康、だけど
0280人間七七四年2008/05/22(木) 15:34:05ID:7BjRzMaa
過疎板なので一応誘導しておきます。

【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211268328/l20
0281人間七七四年2008/05/25(日) 09:00:25ID:vFA+3CWD
>>278
下って家光?家光が優秀?
0282人間七七四年2008/05/25(日) 21:25:15ID:IBsuAvbe
有名ではあるよね
0283人間七七四年2008/05/27(火) 23:41:37ID:ilgigDuj
信康と秀忠って年齢や成人した頃の周りの状況が違いすぎるせいで、兄弟って感じがしないなぁ。
0284名無しさん@お腹いっぱい。2008/05/27(火) 23:45:53ID:STNfUggU
>>283
年齢も違いすぎるしな
0285人間七七四年2008/05/28(水) 10:51:16ID:2HSL4BeH
>>281
幕府の体制という意味でだろ。
正直家光はそこまで優れていたとも思えない。酒井、土居といった秀忠のブレーンや
知恵伊豆あってのものだろうと。病弱だし。青山忠俊などへの処遇を見ても、
陰険な印象がぬぐえん。
0286人間七七四年2008/05/28(水) 14:55:17ID:aXAc5SlQ
>>285
後に許されてるしそこまで陰険でもないだろ。黒田騒動で黒田家潰せるのに潰さなかったりしてるしさ。
0287名無しさん@お腹いっぱい。2008/05/28(水) 16:11:24ID:wxPTlw7W
まあ家光は、奸臣を近づけることもなく政務を滞らせることもなく、江戸気的な意味での「お殿様」としては
十二分に優秀だったと思うよ。
0288人間七七四年2008/06/13(金) 14:16:25ID:hRFpaBIX
家光は家光なりに 秀忠は秀忠なりに 役目を果たした というところでしょ。
どちらかがおかしな方向へ持って行ったら 続かなかったと思う。
家綱も意外に固いんだよね。綱吉はああだけど。
0289人間七七四年2008/06/28(土) 14:10:47ID:ItqA/KPZ
家綱名君説はあるね。
0290人間七七四年2008/06/29(日) 07:10:31ID:738cmGUj
綱吉名君説もね
0291名無しさん@お腹いっぱい。2008/06/29(日) 11:26:30ID:KNZvB1x3
163 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/23 01:33 ID:???
生類憐れみの令だけど、今おもしろおかしくとんでもない法律だったと
語られてるだけじゃなく、割にまともなものだったというのをどこかのサイトで
見たんだが・・・

164 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/23 01:45 ID:???
>>163 山室恭子の「黄門様と犬公方」読め。
結論だけ言っちまうと、命は大切だ、って平時の常識を、
戦乱が長すぎて今のソマリアかアフガン並みに荒みきってた当時の日本人に
叩き込み直す手段だったって事だ。

165 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/23 02:27 ID:???
>>163
「生類憐れみの令」は綱由が行った動物愛護政策に関わる法令の総称で
法令の初期は病気になった牛馬の放逐を禁止やこれらの原因であった過重な
使役の抑制などがあり特に犬の保護は野生化して人(特に子供)を襲ったり
伝染病の媒介を防止するための隔離政策という説がある。
そしてこの当時の日本には犬を食用にする習慣があり庶民の不満とまだ
残っていた戦国の遺風も手伝い飼い犬すら虐待し殺して食べてしまうならず者を
取り締まるため罰則が強化されるといういたちごっこになった。

結局庶民の不満のスケープゴートにされてしまったが綱吉は戦国時代を精神的に
終了させた功績は大きい。
つけくわえるとこれ以降日本から犬を食用にする習慣はなくなった。

171 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/23 08:20 ID:???
>163
生類憐れみの令といえば御犬毛付帳と中野の野犬収容施設、犬目付が有名だけど、他にも
捨馬の禁、鷹狩りの廃止など動物愛護の一連の施策と、捨て子、病人、老人などの
社会的弱者の救護をうたった福祉政策もふくまれる。
0292人間七七四年2008/07/14(月) 16:07:14ID:Ab+Ksf2/
家宣は普通に名君だしね
0293名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/14(月) 19:10:51ID:6awfvRt+
21世紀になって家定が全国区の人気者に成るとは、想像すらできなかった。
0294人間七七四年2008/07/29(火) 14:35:09ID:56asEDng
秀忠も失態を犯すイメージでなく 非凡な統治に光を当てれば人気でるかもよ。
ちょっと暗いかな。
0295人間七七四年2008/07/29(火) 17:58:44ID:OLjT6PpQ
>>294
つ「葵徳川三代」
失態もあるが、政治家としての統治に対し、光を当ててます
0296人間七七四年2008/07/29(火) 21:33:57ID:XCTB4dsa
まぁ無能というほどではなかったが、非凡というほどでもなかった。
0297名無しさん@お腹いっぱい。2008/07/29(火) 23:22:46ID:HhVhqll5
当時の記録とか見ると、諸大名、特に外様から秀忠は、かなり信頼されてるし、好意を
もたれていたみたいなんだよね。
秀吉みたいな形とはまた別の、人たらしの才能があったように見える。
0298人間七七四年2008/07/30(水) 02:09:01ID:w8eZCLJB
今一番キテルのが家継名君説。
わずか7歳にして浅井小谷流にピリオドを打ち
享保中興への道をつけた。
0299人間七七四年2008/07/30(水) 04:39:14ID:HhKajnt4
家康死んだとき義直、頼宣、頼房、家光などはみんな15以下のガキ。
忠輝なども死んだも同然だし秀忠がいなければ徳川幕府もどうなってたかわからん。
御三家が成長して安定するまで持たせた功績は限りなくでかい。
0300人間七七四年2008/08/04(月) 18:49:44ID:pAytQXTP
1958年から1960年にかけて徳川将軍家の墓所が発掘調査された時に
秀忠の遺骸も調べられたが、後代の将軍たちと比べて骨格や筋肉が最も発達していたそうだ。
武将としては低い評価を与えられている秀忠だが、戦国の世に生まれただけあって
そうとう身体を鍛えていたことがうかがえる。
0301人間七七四年2008/08/04(月) 20:44:19ID:1+ybHjee
家康と秀忠の関係はどうだったの?

秀忠は家康に頭が上がらなかったのか??
0302名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/04(月) 20:52:46ID:hXZuCpFx
> 家康と秀忠の関係はどうだったの?

親子です
0303人間七七四年2008/08/04(月) 21:03:53ID:1+ybHjee
>>302
知ってるよ、アホか
0304人間七七四年2008/08/04(月) 22:05:15ID:JjIKtU5C
>>163
てゆーか、五指に入るどころか、家康と一ニを争うでしょ。
他の3人って誰? 家光、吉宗、慶喜は初代と二代に比べたら足元にも及ばないよ。
0305人間七七四年2008/08/04(月) 23:07:38ID:ll7R1iVJ
関ヶ原という大イベント時に20ぐらいの若さだったことがこの人の不幸w
親父が死んだ後は(優秀なブレーンにも恵まれているし)優秀な政治家だとオモ・・・
0306人間七七四年2008/08/05(火) 08:48:23ID:FPfvu2rE
政治能力を家康と一二を争うって・・・・

じゃぁここは家康以上と思える点をまず一つ二つ挙げてくれ。
0307名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/05(火) 12:39:16ID:ABtOf6Ki
>>306
幕府の統制力は、家康の時代よりも秀忠の時代のほうが、格段に上がってるな。
0308人間七七四年2008/08/05(火) 13:06:30ID:FPfvu2rE
・・・・・まさかそれで家康より秀忠の方が統制能力が上だと?
0309名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/05(火) 13:18:52ID:ABtOf6Ki
>>308
統制力が上がっているんだから当然そうなるだろ。
0310人間七七四年2008/08/05(火) 17:55:04ID:Tdc+27xy
なるわけないだろ。
なら統制能力ワーストは慶喜ってことになるぞその理屈だと。
0311人間七七四年2008/08/05(火) 18:18:55ID:tq2nMGyB
ただ、江戸幕府時代に家康の除いて秀忠より政治能力が上回る将軍が居るかどうかを考えると…
>>304は言いたかったんじゃね?
一ニを争うって言っても、その人の得手不得手がある訳だし…

ただ忘れてはいけないのは、今の東京の基盤を築いたのは秀忠である事だろう
0312人間七七四年2008/08/07(木) 12:06:53ID:KB3UcF4R
むしろ秀忠より明らかに劣ると言い切れる将軍がはたして何人いるのやら。

家定株は急上昇だし、家重も言語不明瞭だが頭は悪くなかったといわれてる。
家継も実は聡明だった説がそのうち出てくるかもな。
0313名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/07(木) 12:29:40ID:hWZmnnHa
>>312
煽りは他所でやれ。
0314人間七七四年2008/08/07(木) 18:32:37ID:KB3UcF4R
秀忠の悪口言われたとでも思ったのか?
0315人間七七四年2008/08/08(金) 16:27:25ID:l5DEJ39o
秀忠は筋骨粒隆々で逞しい男だったんだから
それで良いじゃないか

少なくても存在感や威厳は家定や家重なんかより
ずっと上だろうし
0316人間七七四年2008/08/12(火) 00:07:03ID:ZKbiFGOO
家康が臨終に際して、秀忠に問うたという。

「わしが死んだら、世の中は乱れると思うか?」

この問いに対する秀忠の回答を聞いて、家康は安心したという。



それでいいじゃないか。
0317名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/12(火) 00:17:12ID:MAB6wsLa

いいじゃないか

     二代目だもの


           ひでただ
0318人間七七四年2008/08/18(月) 19:27:09ID:2289vME6
あえて自分と正反対のタイプを後継者に選んだ家康
0319人間七七四年2008/08/21(木) 10:56:50ID:t8L74jq2
神君家康公
凡君秀忠公
名君家光公
0320人間七七四年2008/08/24(日) 16:37:08ID:M+PgxmyY
暗君じゃないだけいいじゃない
0321人間七七四年2008/08/31(日) 10:21:13ID:qQDKtsMG
家康が目を光らせてなければ、あの忠長を世継ぎにするところだったと思うと、政治家としての評価も微妙になってくる。
0322人間七七四年2008/09/02(火) 23:05:58ID:Ot0iOdBe
鎌倉や室町の2代目と比べたら遥かに優秀だけどね
それと大名達にとっては最も恐ろしい将軍じゃないか
改易数が一番だったし
後天皇家を完全に掌握したのも
0323人間七七四年2008/09/02(火) 23:59:23ID:nrAv+/Dx
福島潰しも老中が穏健で、秀忠が積極的。なめられまいと気張ってたのかなあ
0324名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/03(水) 01:02:57ID:ih8VIv8T
つーか福島は、一旦は広島城の破壊で所領安堵って裁定されたのに、城の壊し方が中途半端で
「なめとんのかゴラァ」
って事になって改易だからなあ。

正直、半分以上自業自得だぜ?
0325人間七七四年2008/09/03(水) 03:31:45ID:5IkwXxUR
焼き味噌じゃないだけいいじゃない
0326人間七七四年2008/09/03(水) 08:52:56ID:8ScU69ow
>>322
一番なのは数じゃなくて総石高じゃなかったっけ?
0327人間七七四年2008/09/03(水) 12:43:15ID:Nu+RvlCY
武将としてなら、足利の二代目の方がはるかに優秀なんだがね。
そしてまた、武将としての力量がまだ必要とされる状況でもあった。

徳川幕府も、まだ国内をまとめきっていない状況であったなら、普通に秀康が後継だったろうな。
0328名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/03(水) 12:47:43ID:ih8VIv8T
>>327
秀忠の時代もまとめきったわけじゃ無い。徳川幕府は家康の晩年で近畿までをようやく掌握、秀忠の時代に
北九州まで。南九州にも地盤を作りほぼ日本全国を掌握したのは家光の時代になってから。
0329人間七七四年2008/09/04(木) 11:43:56ID:5UBCIv0R
天皇家掌握は高虎の外交によるものが大きい
盲目となった高虎のために江戸城バリアフリーしたのは秀忠だっけ?
0330人間七七四年2008/09/04(木) 17:19:04ID:WymfLwyq
>>328
統一したって言っても、地盤が安定するには結構時間がかかるって事だよね。
それ考えると、秀忠はそつなく、いや、多少はそれ以上に立ち回ったのでは
ないだろうか。
0331名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/04(木) 17:47:29ID:0uavHQTo
対馬の宗氏や薩摩の島津氏に、かなり委任されていた外交に関する扱いを、
幕府による一元的な統制下に置くことに成功したのも秀忠の時代。
0332人間七七四年2008/09/04(木) 18:19:12ID:OKWJLVmB
しかし実質上は抜け荷し放題で、あくまで名目上の話。
0333名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/04(木) 18:33:03ID:0uavHQTo
>>332
それは貿易。
0334人間七七四年2008/09/07(日) 00:10:57ID:Bv6EJBPT
一応戦を経験してるし家光以降の将軍より愛着あるんだよな〜
0335人間七七四年2008/09/20(土) 10:00:03ID:g1d9dEY4
後先考えずに改易しまくったのは大きな失点だな。いかにも小人の権力誇示って感じだわ。
大量の失業浪人作ることがどういう意味をもつかわかってなかったんだろうな。
家光がその尻拭いをするはめになるのだが。
0336名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/20(土) 12:07:22ID:xYIlr4zw
>>335
イメージだけで語らないで、一つ一つの改易の内容ちゃんと調べてみ?
0337人間七七四年2008/09/22(月) 17:58:54ID:L6iwoYCa
秀忠が失業者の救済策をしたなんて自分も知らんが。
0338名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/22(月) 18:19:44ID:hzc4SQH0
失業者の救済と言うか、江戸初期は東海道一体で、地形を変えるほどの大干拓事業が進んでいて、
帰農するつもりなら人手はいくらあっても足りないくらいの状況だった。
0339人間七七四年2008/10/07(火) 14:09:38ID:bUGP0aBd
いろいろな歪が解決した家綱名君説。
0340人間七七四年2008/10/21(火) 14:45:48ID:KzNyZlx/
由比正雪とか出てきたが、家綱の頃が幕府の全盛かな
0341人間七七四年2008/11/06(木) 13:51:29ID:eyd7dLa8
>>338
関東平野からして湿地帯が殆どだったからね
0342名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/06(木) 21:23:24ID:XD3awMaP
>>341
関東平野も家康が江戸入府以降にめちゃめちゃ開拓されたよね。
0343人間七七四年2008/11/20(木) 15:37:27ID:LAaqX+q7
それでも下総あたりは江戸期でも湿地多かったんでしょ?
0344人間七七四年2008/12/05(金) 14:57:07ID:BNtOmfPF
印旛沼干拓事業とかあったな。
0345平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA 2008/12/19(金) 11:40:06ID:Edi4BYIY
>>298
享保中興っていうほど吉宗って名君か?
正徳の治や田沼時代の方が評価に値すると思うが。
0346平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA 2008/12/19(金) 11:43:01ID:Edi4BYIY
>>319
名君秀忠公
凡君家光公なら同意。
0347平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA 2008/12/19(金) 11:45:49ID:Edi4BYIY
>>322
鎌倉の二代目とは源頼家なのか?北条義時なのか?
義時は有能だろがよ。
0348人間七七四年2008/12/20(土) 19:50:36ID:AsNmOieT
徳川歴代将軍の中で、
唯一、生存中に源氏長者にならなかった(なれなかった?)将軍だったな。
0349人間七七四年2008/12/20(土) 21:06:53ID:kip0gHbP
頼家だろさすがに。
義時なら秀忠の方が有能なわけない。
0350平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA 2008/12/22(月) 11:28:09ID:yhy0ZG8y
>>348
それ何で?
0351人間七七四年2008/12/22(月) 18:03:10ID:sjtv+RhS
>>350 二代秀忠は、初代家康から征夷大将軍と淳和院別当を譲られたものの、
源氏長者と奨学院別当は、家康が死ぬまで保持し続けた。

…っで、家康が死んで、源氏長者は、三代家光が将軍宣下と同時に
源氏長者に任じられるまで空位になったようだ。

…家康が死んだのと同時に、源氏長者に就任しても良さそうだがなぁ…。

(…もっとも、秀忠の死後に、
秀忠の将軍宣下のあった日にまで遡って、
源氏長者等の称号は贈られているが…。)
0352人間七七四年2008/12/22(月) 21:00:46ID:CXUV/Or8
ちなみに家康が源氏長者になったのっていつ?
やっぱり征夷大将軍宣下から?

足利義昭はいつまで長者だったんだろうね。
0353人間七七四年2008/12/22(月) 22:36:29ID:sjtv+RhS
>>352 徳川家康の源氏長者就任は、
征夷大将軍とセットです。
慶長八年二月十二日に伏見城において、
将軍宣下の儀式が執り行われ、
この時に、征夷大将軍・源氏長者・淳和奨学両院別当・右大臣・牛車・随身兵仗の六種八通の宣旨を一括受領した。

鎌倉・室町の各将軍は、年次を経て一つずつ受領していたが、
家康の時から、一括受領になったようです。

…もっとも、家康の源氏長者は、
将軍就任の前年二月に、
朝廷から打診されていたそうですが、
この時は、家康は固辞したそうです。(理由は不明だが…。)
0354人間七七四年2008/12/22(月) 22:49:20ID:CXUV/Or8
>>353
丁寧にありがとう。
家康ってたしか以前は源氏以外の姓名乗ってたよね。
結局実力と多少の信憑性があればなんとかなったってことですか。
0355名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/22(月) 22:56:35ID:IvBtJkC9
>>354
家康は「徳川」を名乗った時同時に藤原姓になったんだけど、
しかしそれは「徳川(得川)」がもろに新田源氏の姓なので矛盾することなのだが、
おそらくそれは、家康は三河守への叙任の工作を近衛前久に頼っていて、そのおり近衛の
郎党と言うような立場に(便宜上)なったのだと思われる。それで藤原姓を名乗った。

よって、源氏になったのは、変えたというより「戻った」と判断したほうがいいと思う。
0356人間七七四年2008/12/23(火) 17:37:45ID:BO6s0ZsR
>>355 ついでに言えば、
家康は、本当は端から源氏を名乗りたかったが、
その当時の家康には、
源氏の棟梁である?足利将軍家にツテが無かったので(まあ、足利将軍家自体が混乱していたという事情もあるが…)、
やむなく、公家の近衛前久のルートを辿って
朝廷工作をして、藤原姓「徳川」の改姓に甘んじざるを得なかった事情もあったようです。
0357人間七七四年2008/12/24(水) 11:42:23ID:hoe+5M6O
秀忠は、関ヶ原までに初陣を迎える機会は
無かったのでしょうか?
関ヶ原が初陣であれば、
上田城攻めの失敗を減点材料にするのは、
少々気の毒な気がするが…。
0358仙台藩百姓2008/12/24(水) 12:20:36ID:KUeOBkDA
そりゃ秀忠が元服してから戦なんて朝鮮出兵ぐらいしかないお┐ (´ω`) ┌
でもまあ家康も戦上手なわけじゃないし秀忠が特別劣っていたわけじゃあるまいお( ^ω^)
0359平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA 2008/12/24(水) 17:03:00ID:vwjuuvpy
皆さん博学やね。恐れ入る。
0360人間七七四年2008/12/25(木) 08:41:46ID:mZfBE0Fm
いえいえ、それほどでも・・・。
0361人間七七四年2008/12/25(木) 09:59:47ID:FEaRpzxn
百姓は伊達と北条が絡まなければ尊敬してる
0362人間七七四年2008/12/25(木) 18:55:48ID:18WCswDM
源氏の長者になるには、やはりそれまでの源氏の長者だった足利家の、本家を
譲り受ける何か手続き(?)が必要なのでしょうか。形の上では養子扱い?

ちなみに現代でも徳川さんの子孫である現役の源氏の長者はいらっしゃるんでしょうね。
0363人間七七四年2008/12/25(木) 19:37:00ID:be1p874M
別に要らないでしょ?
北畠親房でもなれるんだし>源氏長者
資格は源氏であること位だろ
0364人間七七四年2008/12/25(木) 19:46:29ID:18WCswDM
じゃぁ宣言した者勝ち?
それなら同時期に複数の源氏長者が現れたこともあるのでしょうか。
0365名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/25(木) 20:02:26ID:4B+nrRp4
>>364
周りが認めて朝廷が認めて、初めて名乗れるんだよ。
0366人間七七四年2008/12/25(木) 20:22:46ID:be1p874M
>>364
源氏長者をなんだと思ってるんだよw
0367人間七七四年2008/12/25(木) 21:33:44ID:Lq2KKx+d
源氏長者は、徳川将軍家の場合は、
二代秀忠以外は、全員が征夷大将軍とセットで補任されているが、

足利将軍家の場合は、
三代義満・四代義持・六代義教・八代義政・九代義尚・十代義稙
の六名しか源氏長者に補任されていません。
…しかも、征夷大将軍に任官して、年次が経ってから補任されている。

ちなみに、武家で初めて源氏長者に補任されたのは、
足利義満です。

これを見ても、武家の代表?と言える
清和源氏が、朝廷ではかなり?低く扱われているのがわかります…。
0368人間七七四年2008/12/26(金) 18:35:54ID:8+KrnDq5
源氏の本家(?)である頼朝がなってないのが意外。
それとも本家が滅びたから源氏長者なんてものができたのかな。
藤原氏とは違うんだ。
0369名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/26(金) 18:51:15ID:lJYaR6I2
>>368
源氏の長者は元々、武家ではなく公家の就くものだからね。
義満以降の室町幕府は、ほぼ公武合体した政権となったので、源氏の長者を名乗った。
0370人間七七四年2008/12/27(土) 19:08:03ID:rZRBJaig
>>368 源頼朝は、清和源氏の本家ではあるものの、
清和源氏自体が、源氏の中でも
一番?朝廷から軽く扱われていた源氏であり、

また、清和源氏で初めて公卿になったのが頼朝(正二位権大納言兼右近衛大将)だから、
とても、源氏長者になれるような身分ではない。
0371人間七七四年2008/12/27(土) 20:32:58ID:t6OH+66L
陽成天皇の御代に政変で帝位剥奪されたから
もう中央で生き抜けないから地方に流れたのが
逆に結果よかったのかもな
0372人間七七四年2009/01/04(日) 00:08:41ID:1zNgvGFk
一応、為義の兄の末裔だかが都で出世を目指してたけど、泣かず飛ばずの中流貴族で終わったんだっけ?
0373人間七七四年2009/01/16(金) 14:48:12ID:CyMMIiM8
為義の兄って誰だろ?
0374人間七七四年2009/01/30(金) 15:00:18ID:NNG4Xy5g
義信とか義俊とか義泰とか。
0375人間七七四年2009/02/10(火) 15:28:53ID:PtfvSVGh
源氏長者でなくてもいいじゃないですか
0376名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/10(火) 18:21:04ID:esH+wXpP
源氏長者は源姓の氏族すべての当主、と言う意味ではなく、
朝廷の源氏貴族のリーダーであると言う意味。
0377平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA 2009/02/10(火) 23:52:03ID:+DZK6TWh
へえ〜。(感嘆)
0378人間七七四年2009/02/24(火) 15:10:41ID:sir94nuc
足利将軍には意味がありそうだが 徳川にはあまり意味がなさそう 源氏長者。
0379名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/24(火) 17:35:47ID:v+xCGVxx
>>378
徳川将軍は代々正妻は京から来ているから、そう言う部分で意味がある。
0380人間七七四年2009/02/24(火) 19:16:14ID:NYpzZgrL
徳川が公家の統制にも口出してるから、源氏長者は必須だろう
0381人間七七四年2009/02/27(金) 12:25:59ID:gEDBb8H/
徳川家康が、朝廷を統制する為の拠り所としていたのが、
源氏長者の地位だったからなぁ。
0382人間七七四年2009/03/03(火) 18:22:53ID:g511ODlO
秀忠生母の西郷局、家継生母の月光院は源義家の長庶子の系統だ。
余談だが西郷局はトロンとした美人(松坂慶子似か?)で家康がぞっこんだったらしい。
月光院はテレビでおなじみの大奥のドンだよね。
0383人間七七四年2009/03/14(土) 14:51:11ID:kexJ4q6m
>源義家の長庶子の系統
誰の子孫?
0384人間七七四年2009/03/27(金) 15:19:00ID:dz+W8eOY
義宗か?
0385人間七七四年2009/04/10(金) 15:06:06ID:37fQP1hi
義宗に子はないのでは。
0386人間七七四年2009/04/25(土) 10:45:04ID:TTd3PUCs
いなそうだ。
0387人間七七四年2009/05/12(火) 14:15:27ID:RZX3FFD4
義詮に比べるとはるかにましな秀忠。
0388人間七七四年2009/05/13(水) 17:21:23ID:E8F6HEB0
義詮は政権の宿題、尊氏が全部残していったからな。
0389人間七七四年2009/05/20(水) 07:06:11ID:cNbEvew4
おそらく、あれだけ宿題山積み状態であったなら、家康も秀忠を選んでなかっただろう。
0390人間七七四年2009/05/24(日) 03:16:35ID:J3VoSK2P
秀忠は、己の立場を良く理解できた人。二代目としては良い見本。
0391人間七七四年2009/06/04(木) 20:14:30ID:/QWnFAzc
秀忠は、恐妻家だったと言われるけどけど、徳川将軍の中では最も夫婦仲が良かったな。
家茂と和宮もかわいいけどな。俺が女なら神君と家光の本妻にはなりたくない。
0392人間七七四年2009/06/04(木) 20:24:41ID:/QWnFAzc
文章、失敗した。ごめん。連投もごめん。
0393人間七七四年2009/06/07(日) 18:20:09ID:qbYFQbMO
俺の中では秀忠のイメージは決して西田敏行じゃない
0394人間七七四年2009/06/17(水) 17:37:13ID:vKdMXfzQ
NHKは17日、11年の大河ドラマを二代将軍徳川秀忠の正室、江(ごう)を描く
「江〜姫たちの戦国〜」に決定したことを明らかにした。

08年の大河ドラマ「篤姫」を手がけた脚本家、田渕久美子さんのオリジナル脚本。
江は浅井長政と織田信長の妹、お市の方の三女として生まれた。
のちに秀忠の正室になり、三代将軍家光の生母となった。

大河ドラマは、宮崎あおいさん主演の「篤姫」から、現在は妻夫木聡さん主演で
直江兼続を描いた「天地人」が放送中。10年は福山雅治さんが坂本龍馬を演じる
「龍馬伝」が放送される。
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20090617mog00m200049000c.html


( ゚Д゚)
0395人間七七四年2009/06/17(水) 19:05:47ID:nHqStM7E
秀忠がアホで頼りないやつになるんだろうな
0396人間七七四年2009/06/21(日) 01:41:44ID:dC+aIva9
ヒロインの旦那だからいちおう若い俳優を使うと思うが
まあ頼りなく描かれるのは間違いないな
0397人間七七四年2009/06/27(土) 13:22:27ID:V+fStlw2
篤姫の展開から予想すれば、周囲からは頼りないように見られがちだが、
実は芯の強い骨のある人物、みたいにされそう。

なんかやだな。
0398人間七七四年2009/07/09(木) 14:51:36ID:pnHarlms
篤と兼続似てるからな。。有り得る。
0399人間七七四年2009/07/11(土) 23:46:31ID:9QoTuZGx
関が原遅刻で臆病者の無能狂人
殺戮大好き
地獄の業火で永遠に焼かれろ!
豚ファシスト徳川蛆虫秀忠!!!
0400人間七七四年2009/07/12(日) 08:00:31ID:/fPzQs0D
「過失を以てこれを棄つるなかれ、宜しくその自新を許すべし」
この言葉や、本当かどうかはわからないけど目が悪くなった高虎の為
曲がった廊下を真っ直ぐにした話とか俺の中の理想の上司No4位w
0401人間七七四年2009/07/12(日) 10:05:47ID:nz8TsOnB
また微妙な位置だな。
0402人間七七四年2009/07/13(月) 19:08:14ID:/q6FGzgB
>>396
小泉孝太郎とか佐藤健とかになりそうだな。
0403人間七七四年2009/07/24(金) 14:35:50ID:LAhs7vwl
西田敏行というのも凄いな。秀吉やったより後なのに。
0404人間七七四年2009/07/25(土) 08:22:30ID:kajJau2k
しかし結構ハマってたぞあれ。
0405人間七七四年2009/07/26(日) 00:26:51ID:DYGaoa0k
今でも秀忠のイメージは西田敏行
0406人間七七四年2009/07/26(日) 22:35:48ID:i4EafrcK
うむ。あれを越えるのは難しい。
0407人間七七四年2009/08/04(火) 18:19:03ID:/kMOexjY
津川家康、西田秀忠は見事
0408人間七七四年2009/08/12(水) 15:21:44ID:MSMygVqX
確かに二人ともハマリ役。
0409人間七七四年2009/08/12(水) 23:00:39ID:ubGmC9WJ
梅之助・梅雀の家康・秀忠の方が
0410人間七七四年2009/08/22(土) 14:50:56ID:ivOTaZ2/
フランキー堺、佐藤佑介というのはどうも
0411人間七七四年2009/08/28(金) 03:17:59ID:DJ0BTDb7
二代目としては秀逸な人物。
親爺さんが鯛のテンプラに当たってコロっといってしもたあとに、あれだけの
長期政権の基礎を固めたわけだから。いろいろ小競り合いはあったものの、
元和偃武という思想をどうにか実行させたしね。武勇一筋の人物だっら家が瞑れる
どころか、更に戦乱となり他国の干渉すら招きかねなかったのではと思うが。

しかし、家康の倅だからこの地位を与えられて、それなりに活躍できた人だろうね。
秀吉や高虎のように、裸一貫からだったら、小さな家中の小荷駄奉行まで行けたか?
現代に生まれていれば、そこそこの大学を出て、一所懸命リーマンをやってると思う。

0412人間七七四年2009/08/28(金) 13:57:53ID:XwWjT4eV
>>411
歴史知らないのに無理して書き込まなくていいよ
0413人間七七四年2009/08/28(金) 19:53:29ID:DJ0BTDb7
>>412
そういうお前は、昼間から2ちゃんなんぞやってないで、
そろそろ働いて、親や周りの人間に迷惑をかけないように心掛けろよw
0414人間七七四年2009/08/28(金) 23:38:12ID:gnpwQ3iP
>>413
なんか「お前のかーちゃんでべそ〜」を思い出したw
小学生かw
0415人間七七四年2009/08/31(月) 13:26:43ID:1QIW38JA
この人、なんか好きだ
小説とかでは扱い悪いけど
0416人間七七四年2009/08/31(月) 17:13:36ID:N6krC2Fx
中村雅俊の秀忠が頼りなさそうで印象的
0417人間七七四年2009/08/31(月) 17:15:27ID:9kkNugMD
千姫のとーちゃんだから好き
0418人間七七四年2009/09/05(土) 11:50:26ID:5hGWAfGX
隆 慶一郎でファンになった
0419人間七七四年2009/09/16(水) 15:31:33ID:nkNzmQqe
どの小説?
0420人間七七四年2009/09/16(水) 20:52:02ID:CbcOPe67
なんか天地人、関ヶ原のあと兼続は野望に満ちた家康ではなく、平和な世の中を求める
秀忠と意気投合して、秀忠に臣従するってことで義(笑)を貫くらしいぞw
0421人間七七四年2009/09/20(日) 15:06:01ID:50RQq4gg
ままごと大河だからそんなとこだろ
ちゃらちゃらしたアイドル役者ばかりで見応えがないな、今年の大河は特に
0422人間七七四年2009/09/30(水) 22:27:59ID:ozogNb2N
太平の世を指導していく才能は高かったな。
でも、対外貿易縮小路線は少し強すぎたのではと思う。それを継続した
家光の代になって、オランダ以外の西洋の国とは貿易禁止になったし。
0423人間七七四年2009/10/07(水) 11:30:50ID:QY15hWrk
徳川将軍の中では一番好きだな。
年齢的にもいつ死んでもおかしくない家康が二代目にしたことから
無能であるわけがない。
「律儀」という性格から、家康の望む事を忠実にこなすと言う点を
見込まれたというのもあるだろうけど。

関ヶ原に遅参したのも、譜代を消耗させたくない父の意を汲んでのこと
というネタもあるし。
流石にこれは小説ネタで、事実ではないと思うが。
0424人間七七四年2009/10/07(水) 21:21:39ID:b6mzOLav
たんに有能というだけなら他の兄弟でもっと優れたのがいたかもしれない。
だがなまじ有能だといらん冒険をしてしまいかねない。
自分の代になった途端に、また海外出兵なんていいだされちゃかなわんし。
0425人間七七四年2009/10/17(土) 15:32:01ID:CzuecPbf
少なくても無能ではない。人の使い方とか大名統制とか。
0426人間七七四年2009/10/18(日) 17:00:54ID:qJ8bat5+
大河ドラマ〜天地人
(46)「大坂の陣」

景勝(北村一輝)と兼続(妻夫木聡)のもとに政宗(松田龍平)が訪ね、
大坂城攻めをやめるよう兼続から家康に諫言をしてほしい、という秀忠の
命を伝える。秀忠(中川晃教)は、秀頼(吉岡澪皇)に嫁がせた娘・千姫
(田辺桃子)の身を案じるが、家康(松方弘樹)は聞く耳を持たず、
諸大名に大坂城攻めの陣ぶれを出す。一方、幸村(城田優)は豊臣の招きで
大坂城に入る。慶長19 年(1614 年)11 月、ついに大坂冬の陣が始まる。
http://www2.nhk-g.co.jp/wp/program/details/disp_j.asp?a=00&s=0&c=200911150944


何からどう突っ込めばいいんだ…
0427人間七七四年2009/10/18(日) 22:03:59ID:W37ta1ov
突っ込みどころ満載だな
ご都合主義にも程がある

今回の秀忠は主役寄りのいい奴に描かれるってことだ
まともに演じられる役者だといいがね
0428人間七七四年2009/10/21(水) 06:03:13ID:YIw+n0MV
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0429人間七七四年2009/10/21(水) 06:30:40ID:aPvAV63X
これで夏の陣が終わったら、千姫をなじるのか・・・
0430人間七七四年2009/10/21(水) 06:44:00ID:YIw+n0MV
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0431人間七七四年2009/10/21(水) 07:09:25ID:YIw+n0MV
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0432人間七七四年2009/11/01(日) 10:15:25ID:xwZCPqwp
大河ドラマいい加減にしろ
0433人間七七四年2009/11/02(月) 00:13:31ID:bodLPpbi
へたくそだた
0434人間七七四年2009/11/12(木) 15:51:42ID:YDdTD4az
愛に絆される。
0435人間七七四年2009/11/25(水) 15:19:18ID:cHMk97PG
随分人が好い描かれ方だった
0436人間七七四年2009/11/25(水) 23:09:01ID:5dsXnZ0f
ちちうえっ
なんだありゃ?
重みがなかったな、小姓みたいだったw
0437人間七七四年2009/11/28(土) 08:07:45ID:JjqArsAd
家康生前は重みなくていいんだし
0438人間七七四年2009/12/09(水) 13:48:26ID:Oy+qE2wQ
苦労してるからもっともっと重みはあるって。
0439人間七七四年2009/12/17(木) 22:40:34ID:+stT0rJz
苦労といっても・・・・父や兄の方がよほど苦労しているし
0440人間七七四年2009/12/18(金) 09:24:17ID:CGLSzacr
特筆するような苦労あったっけ?
0441人間七七四年2010/01/04(月) 12:10:41ID:RervCUF0
関ヶ原とか本人は苦労と感じてそう。
0442人間七七四年2010/01/10(日) 16:56:40ID:DUscYqPz
あれは苦労をしたというより苦労をかけたというべきかと
0443人間七七四年2010/02/21(日) 07:16:26ID:ZgALtC0v
成長はしてるよ
0444人間七七四年2010/03/06(土) 10:37:46ID:AxXIdiNj
江がのだめか
秀忠は?
0445人間七七四年2010/03/06(土) 11:22:42ID:xmDmI9QZ

大統領就任が誕生日だった男がいた。

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/32/210.html

ペルー第45代大統領アルベルト・フジモリがその男だった。
0446人間七七四年2010/03/06(土) 15:14:52ID:2GiKBFcr
武官としてはウンコ
政治家としては神
0447人間七七四年2010/03/07(日) 10:33:50ID:KlV6Axsc
秀忠が神だったら、家康なんかどうなるんだ・・・
0448人間七七四年2010/03/07(日) 13:05:47ID:u1dbwmBW
神にもピンキリがある訳で…
0449人間七七四年2010/03/08(月) 06:58:59ID:5QsMQKKu
神がかり的な政治手腕を発揮したってイメージもないよ
0450人間七七四年2010/03/08(月) 14:34:27ID:5eiot89t
無能なO型の典型って感じ
0451人間七七四年2010/03/09(火) 11:56:43ID:pbqSbPW7
子連れ女房の江に尻に敷かれてたイメージが強い。
女に対しても律義者だったんだな
0452人間七七四年2010/03/09(火) 12:42:09ID:/uWpr+6x
wikipediaに「銃創の痕跡が複数見つかっている」って書いてるけど、これ全部上田城の戦いでのものなん?
0453人間七七四年2010/03/09(火) 14:52:15ID:O5i9BmbV
吊り天井事件の真相や如何に
0454人間七七四年2010/03/10(水) 16:26:12ID:Am3DyCht
>>98
通説では、美人っていわれてる。
かなり有名なはずだが、戦国に興味が無いのなら知らないかもね。

実際美人かどうかはちょっと分からない。
淀や初は文献で残っている(又は江戸時代からそういわれている)んだが
江にはそういう評判も文献も無いから、なんともいえん。
0455人間七七四年2010/03/13(土) 09:03:46ID:JZcDNWKj
肖像画で判断
0456人間七七四年2010/03/13(土) 12:10:13ID:rGVmBGFV
>>455
 しっかりと淀って決まっている肖像画は無いから、この人は何とも言えないな。
しかし、初と江は 現代人から見ると微妙なところだ。
0457人間七七四年2010/04/18(日) 07:29:33ID:SD22qkXJ
市以外は特に美人ということはないんじゃ
0458平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv 2010/05/22(土) 04:30:51ID:IvpNb+CI
関ヶ原で遅参する大失態してんのに
君主になってからは手堅くやっとる。
信じられん栄転ぶり。
徳川慶喜の逆パターンやな。
何でこんなに挽回できたんだろ?不思議だ。
0459人間七七四年2010/05/22(土) 06:39:07ID:l3iyUJV8
向き不向き。
自分が総大将やる戦乱がまだ続いていたなら、慶喜以上にボロが出ていただろうし
そもそも家康も後継者に選んでない。
04602010/05/22(土) 14:40:08ID:eivC1101
土井利勝の影響が大きいんだべ

「天下と供に土井利勝を譲る」とまで言わせた男だもんな

秀忠自信に関しては、関ヶ原の遅参、大阪の陣での兵の疲労を考えない急ぎ過ぎで
戦国大名としては失格
平均以下の武将なのは明らかだ
0461仙台藩百姓2010/05/22(土) 15:17:30ID:KSbOBbq+
秀忠が人に勝っているのは残忍さと冷酷さぐらいで
腹心の柳生が呆れるぐらい浅慮で無能だったからね( ^ω^)
調子に乗って福島正則に横柄な態度とったら逆に恫喝されて震え上がってたのには笑えたお( ^ω^)
04622010/05/22(土) 15:44:23ID:eivC1101
3万の軍勢で2000の上田城に翻弄される無能っぷり
0463平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv 2010/05/24(月) 12:04:05ID:q7Sla6n5
どんだけ罵倒してもヒガミの域を出んわけだが(笑)
0464人間七七四年2010/05/31(月) 21:57:40ID:LKKPxA76
>>461
それは家光の所業 柳生もびっくりするほど独善的で残酷な男
しかも 秀吉の制度をしっかりと引き継いでる

一方 秀忠は有能とは言えないが、律義で優しい男
同時に侘び寂が好きで古田織部の弟子になったほどだから
0465人間七七四年2010/06/01(火) 18:13:09ID:3JVpjQEn
>>461
残忍で冷酷だったら、かかあ殿下になってないような
天下人で側室すら持てないわけないだろ
それともお江与が強すぎたのか
0466人間七七四年2010/06/01(火) 19:48:01ID:tyP/dRmD
秀忠は柔和で優しい男なんだよ 保守的なキライはあるけどな・・

その分 倅の家光とお福(春日局)という強烈なキャラに押されて
窮屈な将軍職が嫌になって 隠居したんだろうな

彼こそ 古田織部の真の弟子かもしれない 有能な人物とは言えないけれど・・
0467人間七七四年2010/06/02(水) 16:32:35ID:KQkFdKxn
秀忠は大坂への進軍や千への言葉などの逸話からして
融通の効かないまっすぐな印象を受けるな
将軍じゃなければ三成のように総すかん食らってたかも
0468人間七七四年2010/06/07(月) 18:16:35ID:PwAa4Q83
多分・・・秀忠は「三成の性格を持った」今川氏真って感じじゃないかな?
律義で真面目なんだけども、かと言って有能とも言えないところが・・・

それから、隆慶一郎の秀忠像は・・・実は家光の素顔なんじゃないかと思う。
秀忠はあんなに執念深くないし、どこか根気が乏しい感じがする。
0469名無し名人2010/09/21(火) 23:08:05ID:qlNytPWf
松平忠直・忠輝を潰して、紀州徳川家設置で一門統制を強化
福島・最上を改易して外様統制強化
皇室との婚姻関係

十分有能だろ
0470人間七七四年2010/09/21(火) 23:24:32ID:5aHmZr1u
加えて、最強の危険分子立花宗茂をスカウトして、大阪の夏の陣では自軍の参謀総長に抜擢
戦後、旧領柳川に復帰させ”武士の鑑”とは何かを言葉や机上の講釈でなく、生きた見本として示す。
家康ですら飼い慣らせなかった反骨の狂兵本多三弥正重を飼い慣らす事に成功
人使いも有能だよ。
0471人間七七四年2010/09/22(水) 00:11:17ID:AKPtBPx8
家光が、嫡男がいなかった秀忠に家康が与えた実子で、忠長こそ秀忠の長子だという説が
ほんとならアワレな話だ 家光も自分は家康の子だと吠えてたらしいが
0472人間七七四年2010/09/22(水) 00:17:06ID:lerQ9Cee
>>471
それはないなw
家光の二世権現ってのを根拠にあげるトンデモ史家もどきがたまにいるけど、
そこでいう二世ってのは、二代目って意味じゃないくて「夫婦の契りは二世の・・・」というような
「生まれ変わり」の意だからね。

仮にもし家光が家康の子だとしても、忠長を差し置いて嫡子のままにしておく理由がない。
(しかも病弱で、若い時分は決して英明とはいえない人物だからな、家光。まあ忠長も大概だけど)
0473人間七七四年2010/09/22(水) 00:56:22ID:HV/NU8S2
>>472 勉強になった。ありがとう。
0474人間七七四年2010/09/30(木) 03:48:38ID:xOxKETbA
しかし関が原の遅参は致命傷だろ・・・
俺が家康だったら廃嫡してるわ・・・
考えても見ろ。吉川広家が気が変わって内応取り消していたら家康
間違いなく死んでたが。大体3万ものほぼ関ヶ原の同数の軍隊を
途中の爺に止められてアホだろ・・・ 華麗にスルーする事を知らない
愚将としか思えんw
0475人間七七四年2010/09/30(木) 07:16:06ID:/o9gECkN
遅参に関しては大久保が遅れたから何とも言えんが
真田を攻め潰せなかった上に遅参したのが何よりも大きい
0476人間七七四年2010/09/30(木) 09:48:18ID:4CNb+IR3
結果的に遅参になった感じだと思うが
これが大方の武将が思っていたように関ヶ原が短期決戦で終わらずにグダグダ続いていたら
互いに疲労したタイミングで東軍に秀忠軍がやってくる事になり
後世「怪我の功名だったよねー」みたいに言われる可能性だってあったんじゃないかw
0477人間七七四年2010/09/30(木) 15:50:03ID:mmDb1F2H
徳川軍主力を温存させるための策略という異説もあるけどちょっと無理があるかな
家康は関ヶ原のあと相当恥をかいたということになってるしな
0478月孔雀2010/09/30(木) 16:14:10ID:b/+04YTV
秀忠が秀頼に遠く及ばないと思った家康が、
大阪の陣を起こしたっていう説は、当っているのだろうか?
0479人間七七四年2010/09/30(木) 16:21:47ID:mmDb1F2H
>>478
秀忠以上の政治家を全員殺してたら偉いことになっちまう
大坂の陣はほかの大名がキッチリ徳川家に臣下の礼をとってるのに豊臣家だけが
最後までキッチリとはせず、淀殿がいつまでもぐだぐだといってたのでやっちまったんだろう
家康は上下関係をキッチリしたい人 自分も家来のときはそうしてたし
豊臣家はどうなんだ、自分の家来になるならキッチリなれ 嫌なら勝負しろ ってかんじ
家康は思った以上に武骨な武闘派だと思ってる
0480人間七七四年2010/09/30(木) 21:31:58ID:bGOCXGTA
影武者徳川家康を見ると、すごい性格してるね。
0481人間七七四年2010/10/05(火) 11:27:54ID:tN7mhEfy
「影武者徳川家康」は少し昔にテレ朝系で高橋秀樹主演で映像化されたけど、
その時の秀忠(市川右近)はもう笑えるほど間抜けだったな。
0482人間七七四年2010/11/04(木) 22:34:41ID:Zl/30vOu
よく(秀忠遅参は兵力温存)っていう人いるけど、だったら大坂の陣であんなに急がないよ
関ヶ原では本当に真田に手こずったのがトラウマになったんだって
0483人間七七四年2010/11/04(木) 22:59:45ID:foM7OUzp
関ヶ原・・・いつ終わるかわかんない
大坂の陣・・・早く行かないと良い場所とられちゃう
0484仙台藩百姓2010/11/04(木) 23:39:48ID:qJFJqhmp
いつ終わるか分からないって、家康は行き当たりばったりで出て来たのかお( ^ω^)
0485人間七七四年2010/11/04(木) 23:45:48ID:6UvAhj7w
徳川の二代目なのにこの影の薄さ
それがもうただ者じゃない
0486人間七七四年2010/11/04(木) 23:50:33ID:caCqpYU1
地味なところが秀忠の最大の魅力じゃないか
0487人間七七四年2010/11/05(金) 00:57:07ID:4Je3xVKJ
家光「秀忠?あんた誰」
0488人間七七四年2010/11/05(金) 01:13:38ID:ZAHncV5K
前田利長よりマシ
0489人間七七四年2010/11/05(金) 03:25:30ID:lT/bKWAB
まあ、来年以降のイメージは今にもまして嫁のおまけになるからな
前田家、山内家と同じく
0490人間七七四年2010/11/05(金) 06:47:39ID:83npyKFY
鎌倉幕府も室町幕府も、2代目将軍は影薄いし。
そういうポジションなんだよ。
0491人間七七四年2010/11/05(金) 08:50:05ID:xNF++LGM
鎌倉幕府は三代目も知名度低いだろ

二代目が地味に頑張ってくれると三代目のころには全盛期で派手に目立てるんだろう
0492人間七七四年2010/11/06(土) 06:41:12ID:a/dQ3bq2
それ、北条執権で考えると鎌倉幕府にもきっちり当てはまるな。
0493人間七七四年2010/11/06(土) 07:19:21ID:vPH5gWwP
北条執権二代目は義時だね

永井路子の影響されて
義時さんも秀忠さんも好きだ
0494人間七七四年2010/11/06(土) 08:28:19ID:vPH5gWwP
永井路子の影響されて×→
永井路子に影響されて〇
0495人間七七四年2010/11/06(土) 09:18:06ID:3sC0LcVf
教科書的な知名度では家康・家光なんだろうけど、家光の代に制度がほぼ完成を見たという面が強い
わけで、家光自体がなぜそこまで評価が高いのか、いまひとつ判らないな。
人間的にも家康や秀忠に比べると、非常に歪んでいる感があるし
0496人間七七四年2010/11/07(日) 06:29:04ID:OI/cUje6
>>495
同意
まぁ大河の「葵徳川三代」であれだけ活躍(笑)したから、俺は満足だけどなw
0497人間七七四年2010/11/07(日) 08:12:40ID:sjdEtuuo
地味だ地味だと言われつつも
大河で実質主人公だったり、主人公の旦那だったり、
少ないながらも主人公の小説を出してもらったりして
なんだかんだで恵まれてる


贅沢言ってはいけないな
0498人間七七四年2010/12/19(日) 19:24:36ID:IcUg+wBz
台徳院殿様万歳
0499人間七七四年2010/12/24(金) 05:52:39ID:DbqpDR37
秀忠にもまして足利義註の(字正しい?)影の薄さ異常
一般人は足利義満は知っていても義註は知らないと思う。
パネェ程度。
0500人間七七四年2011/01/30(日) 15:04:36ID:SMsWuxMx
>>402
向井理だとよ。篤姫の堺雅人と同じ路線じゃねの?
0501人間七七四年2011/02/02(水) 00:48:13ID:iDR5OdUF
鎌倉室町江戸の幕府で2代目、ってのはそう中々影が薄いのだが、
それでも秀忠はまだマシな方。

鎌倉幕府の将軍は頼朝以降は北条氏だと思われてるんですよ奥様。
0502人間七七四年2011/02/05(土) 17:53:18ID:ig8oj6XC
ちょっとでも南北朝囓ってると義詮が影うすいとは思わないんだけどなー
秀忠にも言えることだけど
世間一般の秀忠のイメージ(凡人で努力家)こそ義詮にピッタリだと思うしねぇ
0503人間七七四年2011/02/05(土) 19:47:28ID:acJnM/Gj
ここでなら別だが一般的に南北朝をちょっとかじるのには難しいだろうね
尊氏も知名度では頼朝家康にだいぶ離されるんじゃないか

征夷大将軍の一般的な知名度のイメージ
頼朝=義満=家康>家光=吉宗>尊氏=慶喜
0504人間七七四年2011/02/05(土) 21:14:59ID:ig8oj6XC
むしろ

頼朝=家康=慶喜>家光=吉宗>義満=尊氏

という印象だなぁ
室町将軍自体が、征夷大将軍のイメージが一般にはないんじゃないかと思う
幕府だけど、京都にあるせいだと思うが。あとは一休さんのイメージもか?
将軍というより公家様みたいな?義満っていうと坊主の肖像画をみんな思い浮かべるだろうし
太政大臣 足利義満>征夷大将軍 足利義満
なんじゃないかと
0505人間七七四年2011/03/03(木) 09:11:03.49ID:R/zYLytV
調べれば調べるほど
自分の中の秀忠さんのイメージが巷に流布しているものとは逆方向に向かっていくんだが
どうすればいいんだろう

奥さんに尻に敷かれていたというのも
たいした根拠のない話なんだな
0506人間七七四年2011/03/05(土) 09:39:15.67ID:aYy50DCW
年上且つ庶子を認知、対面したのが死後ってところからきたイメージが一人歩きしてるが、上にもあったように政治的に有利なのを計算してにも見えるんだよなあ
そもそも大奥の制度も整ってない時代の将軍だから、脇腹の扱いもそれ以降や正室や嫡男に苦い思いした初代とは違って当然かと
あと一応家光の前にも男児はいて異母兄は間違いなさそうだが詳しくはわからなかった
0507人間七七四年2011/03/05(土) 10:59:21.63ID:Vmx9bHTq
>正室や嫡男に苦い思いした初代

初代はそれで苦い思いをしながらも、それでも子孫が多いことの重要性をはっきり
わかっていたから、最晩年まで子作りを続けたわけだが。
後継がいないことの危険性は、なにより秀吉の例をみれば痛感していたはず。
0508人間七七四年2011/03/05(土) 19:51:35.49ID:W14STMQF
>>506
家光の異母兄の長丸は前後に生まれたとされる勝姫との妊娠期間の兼ね合いや
江と秀忠が一緒にいられた期間を考えると
妾の子なのは明らか

だから秀忠が嫉妬深い正室に尻に敷かれて側室も妾も置けなかった・・・・とかいう話が広まる意味がわからん
>>507
まあ後継がいないのも大変だが
後継候補が多いのも大変なんだろ
0509人間七七四年2011/03/07(月) 00:00:33.01ID:byAcwyVJ
家康の忠実な後継者のようなイメージがあったが、
追っていってみると、どうも家康とは考え方が大分違うように感じる。
側室関係もその一環かなと
0510人間七七四年2011/03/07(月) 00:44:40.32ID:uYlyw+lL
真面目だけが取り柄の気弱な将軍、とか言う人もいるが

秀忠は意外と
自分の主張を全面的に押し出してくるような強気な逸話が多い気がするな

なのに奥さんと息子の乳母が登場する逸話の時だけは別人格のように気弱なのは違和感がある

まあ所詮逸話なんてそんなもんか
嘘か本当かわからないようなものだし
0511人間七七四年2011/03/07(月) 21:21:29.33ID:GeYwDM30
>>510
福島正則の改易にしても、幕閣ですら及び腰だったのを断行したのは秀忠だしね。
軍事的な才覚は乏しいにしても、将軍として世の中を治める、政治家としてはかなり果断に富む人とみていいと思う。
0512人間七七四年2011/03/07(月) 22:24:53.09ID:o2Y5RyVt
強行な態度に出る人って、強気というよりむしろ臆病の裏返しなんだけどね。
0513人間七七四年2011/03/07(月) 23:49:13.49ID:mzFJRxys
信長とか秀吉もそうだな
0514人間七七四年2011/03/19(土) 19:06:45.47ID:IB08wq5g
>>508
>家光の異母兄の長丸は前後に生まれたとされる勝姫との妊娠期間の兼ね合いや
江と秀忠が一緒にいられた期間を考えると
妾の子なのは明らか

勝姫が慶長五年生まれで、妾腹の長丸はその翌年の慶長六年生まれだと信じていたが、説によっては逆もあり得る?!
最近では、勝姫の生年は慶長六年説の方が有力なようだが・・・・・
0515人間七七四年2011/03/23(水) 11:39:18.62ID:TOM6K8MQ
徳川秀忠が将軍就任に際して「家忠」と改名しようとしたところ、
天海上人から「貴人から貰った名前を改めるのは以ての外」と諭されたw
0516人間七七四年2011/03/26(土) 19:47:14.14ID:xrMtrdTX
>>514
ご存知かもしれないが
長丸は慶長六年十二月生まれとよく言われるけど
公家さんとか鹿苑寺門主とかの日記の慶長六年九月あたりに「秀忠の息子が死んだらしく家康が悲しんでいた」という記述があるらしい

だから自分は長丸は
慶長六年ではなく、慶長五年十二月生まれなのかもしれんと思い始めた
0517人間七七四年2011/03/28(月) 11:31:18.74ID:LKevKjvI
>>516
長丸については、幕府公式の記録に「慶長七年にお灸が元で死亡、享年二歳」とあるので
それが正しいならば、長丸は慶長六年生まれということになる。
慶長七年に数え年2歳で亡くなったのに、慶長五年生まれはおかしい
幕府関係者が将軍の息子の没年を誤って記すとは思えないが・・・・
幕府側の記録より、京都のお公家さんの日記の方が正しいってことあるのかな?

0518人間七七四年2011/03/28(月) 13:56:08.38ID:jKxPvT1h
お久家さんの日記はいわゆる一次史料だろ
「長丸が灸で死んだ享年二歳」と書かれている「幕府祚胤伝」は江戸末期に書かれた史料じゃない?

自分は後世の幕府の記録なんかより同時代の久家の日記のほうが信用できると思うけど
一人しか書いてないなら記述ミスの可能性もあるけど同じことを二人が書いてるわけだし

それに「幕府祚胤伝」の作者は参考にした史料「源流綜貫」に長丸は慶長五年十二月だと書かれていたらしい
それなのにわざわざ慶長六年生まれの勝姫の誕生年と入れ替えたそうだ
たぶん二人とも江の子ということにするため

(「源流綜貫」にしたがって)慶長五年十二月生まれで(久家の日記にしたがって)慶長六年四月死亡享年数え二歳
という可能性もあると思う

0519人間七七四年2011/03/28(月) 14:04:42.73ID:jKxPvT1h
いろいろ間違えた
ごめんなさい

>「幕府祚胤伝」の作者は参考にした史料「源流綜貫」

訂正 「幕府祚胤伝」の作者が参考にした史料「源流綜貫」


>慶長六年四月死亡享年数え二歳

訂正 慶長六年九月
0520人間七七四年2011/03/31(木) 07:44:39.49ID:cbhZhNtH
>>518
>たぶん二人とも江の子ということにするため

妾腹の子なら妾腹の子と堂々と書き残して良さそうなもんだけどね
この時代、庶長子なんて別に珍しくも何ともないし
げんに伊達政宗の長男は妾腹じゃないか
いくら早世したとはいえ、秀忠の長男だけ本当は妾腹なのに正妻腹だということにする理由がわからん
0521人間七七四年2011/03/31(木) 19:30:25.43ID:Ntv9dNfZ
家康たんと俺の子供だから名将に決まってる
まだ家康たんのお腹の中にいる時から、二人でたっぷり可愛がってあげてたし
不思議なもので、あの時俺がお腹ごしに聞かせてあげていた子守唄を奴はまだ覚えてくれているみたいなんだ
0522人間七七四年2011/04/01(金) 06:29:47.17ID:QzKT1CeH
正妻にはばかってか、保科正之ともずっと対面していなかったというのが一般にいわれている秀忠だし。
別に不自然ではないな。
0523人間七七四年2011/04/01(金) 08:09:00.44ID:jbbKviNR
よく言われる慶長六年十二月生まれだと
関ヶ原の戦後処理で伏見にいた秀忠が江戸に戻ってきたのがその年の四月の終わりなので長丸の母親は正室じゃないと思う

慶長五年生まれでも勝姫の妊娠期間との兼ね合いを考えると正室の子じゃない
(正室の子じゃないのは勝姫という可能性もあるかもしれんが)
江戸時代の史料なんかにも
長丸の生母は家女とか御台所の子は七人 と書かれてるし

>>522
保科正之ファンに怒られるかもしれんが
・・・正室に憚ってとよく言われるけど
正室が死んだ後も秀忠は親子の名乗りをしなかったんだよね
よく言われる対面は「親子の」ではなく「大御所と大名の子息の」対面だし
それを考えたら正之の扱いは正室のわがままが原因じゃなくて秀忠の意志のように感じる
0524人間七七四年2011/04/01(金) 10:44:42.42ID:9J7xtKkx
秀忠の遺骨には銃創があったというが、何時何処で負傷したんだろう
0525人間七七四年2011/04/01(金) 17:38:59.43ID:fXW2VtgH
松平長親以来名将と凡将が交互に生まれている
そして凡将は決まって「忠」の字がついている
0526人間七七四年2011/04/02(土) 07:25:56.81ID:Br3eCp4v
清康や家康と比較するなら、広忠や秀忠は凡将といえるだろうが
秀忠の後は?
0527人間七七四年2011/04/02(土) 07:28:16.39ID:RamhLeKc
>>522
>(正室の子じゃないのは勝姫という可能性もあるかもしれんが)

勝姫は普通に正室の子じゃね。正室の子かどうか怪しまれているのは初姫なんだが・・・
仮に長丸が正室の子で慶長六年十二月生まれだとすると、どう考えても翌年の慶長七年七月に初姫を生むのは無理がある
「於通」という名の女性が初姫の生母ではないかという説を唱える研究者も少数派だがいる

0528人間七七四年2011/04/02(土) 12:39:03.77ID:fUHiPp2n
>>527
初姫は身重のお江の方が千姫の婚礼に着いった先の上方で生まれたという話があるから
慶長八年生まれ説もある
ちなみに徳川実紀は慶長八年を採用している

もし初がそのお通の方という女性の子なら
「自分以外の産んだ子を認めない嫉妬深い御台所」という恐妻伝説が消えることになるわな

お江は初姫を姉の家に嫁がせたり
晩年の手紙に「初姫に会えるのが嬉しい」みたいなこと書いていたりして
初姫を大事にしてるから
0529人間七七四年2011/04/03(日) 09:22:45.18ID:pF9vlxHu
男子と女子の違いはあるんじゃね。
世継ぎの生母かどうかは、江の立場にとって非常に重要だが、女児なら
影響はほとんどないから。
0530人間七七四年2011/04/03(日) 13:55:24.44ID:2eFs2MRI
でもよっぽどのことがない限り
先に生まれたとしても正室の子じゃなきゃ世継ぎにはなれないし
0531人間七七四年2011/04/03(日) 17:44:05.01ID:EpL/V7yw
>>520
「正室の子であるという箔をつける必要があったので、もしかしたら江の子とされる七人の中に何人が妾の子が混ざっているかもしれん」
と主張する人と

「豊臣の養女である江の子であることは徳川家にとって都合があまり良くないから、江以外が生母ならハッキリと正室の子じゃないと記載するはずなので、公式記録で江の子とされる七人は間違いなく江の子だろう」と主張する人
がいたんだが

自分は後者のほうが納得できるなあと思っている
0532人間七七四年2011/04/03(日) 19:45:49.23ID:f/gK+H+2
少なくとも家光は絶対に江の実子だと思う。
そもそも、「竹千代」は徳川家の嫡出の第一男子に名付けられる幼名だろ
早世した長男は庶子ゆえに「長丸」だったんじゃね。
0533人間七七四年2011/04/03(日) 20:05:51.66ID:u8LyWmNt
>>531
しかも当時は正室の養子になれば側室腹としても相応の扱いになるし、ましてそれを隠す必要もないからな
一般的にイメージされてる江戸時代の将軍の婚姻に関する事柄や大奥は家光からなのに、秀忠にその杓子定規を持ってくることが誤解の元な気がする
0534人間七七四年2011/04/03(日) 23:33:56.09ID:EpL/V7yw
>>532
江が死んだ後に浅井長政に中納言追贈されてるんだよね
家光が執請したらしい

それに家光の小性に浅井関係者がいるんだっけ

そういう話を聞くとやっぱり家光はお江の方の子なんだなと思う

春日局がどうのこうの言う番組や本では無理矢理、家光と明智を結び付けようとしていて
お江の実家浅井との関係は無視されるから
誤解してる人がたくさんいるな
0535人間七七四年2011/04/04(月) 06:11:31.40ID:plTdpxNC
>豊臣の養女である江の子であることは徳川家にとって都合があまり良くないから

家康の代で淀が存命中ならまだしも、秀忠、家光の代になってもそのへんが問題になるかな?
豊臣の養女とはいえ、元は秀吉に滅ぼされた一族の娘なんだし、別に不都合は生じないと思うが。
実際、秀忠、家光の代で江が特に不遇な扱い受けたという史実も知らないしね。
0536人間七七四年2011/04/04(月) 07:06:22.88ID:G+oJOkNr
>>534
>江が死んだ後に浅井長政に中納言追贈されてるんだよね
家光が執請したらしい

その話を聞いて何だかホッとした。
家光は父方の祖父・家康を崇拝するあまり、母方の浅井氏を軽んじているという印象が強かったから・・・
ちゃんと母方の祖父・浅井長政のことも気にかけてたんだね。
0537人間七七四年2011/04/04(月) 09:29:48.71ID:2e8OOlb0
>秀忠、家光の代で江が特に不遇な扱い受けたという史実も知らないしね。

それはやっぱり将軍と中宮の母を含む七人の子の母で
秀忠も丁重に扱っていたからだろ

もし豊臣のつながり深い崇源院が家光や和子の生母じゃなかったら生母じゃないとハッキリと書かれるだろうし
秀忠とガチで不仲だったりしたら
不仲だった(家光と鷹司孝子のように)とハッキリと書かれるだろうと思う

>>536
言い出しっぺは和子なのか家光なのか
よくわからないらしいけどね
でも家光と和子の二人ともが長政の中納言追贈に関わっていたのは間違いないみたい
0538人間七七四年2011/04/05(火) 20:22:44.10ID:JtFoekNL
>>237
>家光と和子の二人ともが長政の中納言追贈に関わっていたのは間違いないみたい

その点でも、和子も正真正銘・お江の子だと思う。福田千鶴さんの「江の生涯」は半分以上は信用できないなぁ〜。
やはり、長丸と保科正之以外の七人は全員お江の実子だと考えた方が至当だろうね
0539人間七七四年2011/04/06(水) 12:43:38.07ID:cU2L8YRr
>>538
たしか「江の生涯」には長政中納言追贈の話は出てこなかったよね
知らないのか、わざと話題に出さなかったのか、どっちだろ

福田さんは江の「嫉妬深い恐妻」伝説を否定したくて必死になりすぎて冷静さを失ってるよね

そんなトンデモ説を出さなくても
長丸の存在だけでも嫉妬深い説は否定の方向に持っていけるのに
長丸は江戸城で生まれたと考えられるし、増上寺に墓があるし、徳川家の子としての扱いを受けている。生まれてすぐ死んだわけじゃなくて、九ヶ月間は生きてるわけだし。
当然、正室に認められた妾が生んだ子だと思う。
城外で生まれて、認知されなかった保科正之とは明らかに待遇が違う。

0540人間七七四年2011/04/06(水) 23:51:19.09ID:0FrDwr2k
待遇の違いは、母親の身分・実家の勢力にもよるね。
0541人間七七四年2011/04/07(木) 18:44:44.92ID:+xzofLjU
家光は「家康の孫」「信長の姪孫」という、血筋だけはご立派な苦労知らずの三代目。
0542人間七七四年2011/04/07(木) 19:00:49.37ID:pFGhmd3y
大丈夫、その為の傅役の三河武士
0543人間七七四年2011/04/07(木) 21:25:20.90ID:WLstuxfc
家康、信長自体の血筋はたいしたこと無いけどね
0544人間七七四年2011/04/08(金) 07:26:58.13ID:wgtzh9uF
「余は生まれながらの将軍である!」ってry

浅井と織田の血を引いてるからって驕るなよって感じw
0545人間七七四年2011/04/08(金) 13:30:06.36ID:jkU8iLpk
織田で思い出したけど、
養源院の和子が建てた江の供養塔の説明書き、
「浅井豊臣徳川御所の平穏を祈って」って書かれてるんだけど
織田が含まれなくて
豊臣が含まれてるのは意外だなあと思った
和子は「自分や母は織田より豊臣との繋がりが深い」と思ってたのかね

まあ所詮説明書きなんで鵜呑みにできんけど
0546人間七七四年2011/04/10(日) 00:14:14.84ID:eJNZJ7yo
>>545
秀吉の養女だからだろ
0547人間七七四年2011/04/11(月) 20:24:05.65ID:5KNnQEJQ
>>546
江が秀吉の養女だからというより、和子の異父姉・完子が豊臣の血を引く女だからじゃね?
0548人間七七四年2011/04/14(木) 01:09:21.40ID:eDlpqc4B
>>545
養源院はもともと茶々が父の浅井長政の追善の為に
秀吉に頼んで作ってもらったものじゃなかったっけ
あと大坂の陣の一年後に、養源院でお江が施主として
大坂戦没者供養の為に仏事が営まれたとあるし

浅井から豊臣一族の新たな供養の場となって
その後に徳川の菩提所にもなるから、浅井豊臣徳川ってなるのかなと思う
0549人間七七四年2011/04/14(木) 10:53:39.65ID:1+QJ6ycN
とりあえず福田千鶴女史がトンデモ説を広めるのを阻止したい

どうすればいいんだろうか
0550人間七七四年2011/04/14(木) 12:57:20.18ID:eDlpqc4B
広まる前に、たいてい読んだ人は失笑してるから大丈夫じゃないかね

江の生涯の子供とんでも説は、とあるブログさんが全否定していたが
この本よりよほど説得力あったな あの人のブログのレビューをもっと広く紹介したい
が、ここに貼るのはさすがに憚られるな…
0551人間七七四年2011/04/14(木) 13:48:23.79ID:1+QJ6ycN
>>550
まあ確かに
自分もあの本の感想をネットで見て回ったが
感心してすげえ!とか言ってる人は
あまり秀忠や江についての知識がなさそうな人ばかりで

詳しそうな人や普段から説得力ある歴史記事を披露してる人には呆れられてたから
まあ大丈夫だろうと思うんだけど

でも大学教授が自信満々な発言をしているわけだから
なんか隠し玉を持ってるんじゃないかと
いらん心配をしてしまうわ
福田説と春日局説を融合して
そういうことだったのか!とか言ってるアホもいるし
0552人間七七四年2011/04/14(木) 16:18:05.88ID:eDlpqc4B
産み月が足りないとか(実際は足りてる)
戦前の心理状態で子作りなんて出来るはずがないとか
30代後半で立て続けに子供産める訳がないとか
そんなしょーもない理由ででっちあげて恥ずかしくないのかなと読んでて思った

でも子供ネタ以外はよい資料ではあるんだよな
江がどんな仕事をしていたのか分かりやすく書かれてあったし

ってなんかお江のスレになってしまった でも秀忠と江はセットでよい夫婦だと思うよ
0553人間七七四年2011/04/14(木) 18:58:37.11ID:1+QJ6ycN
家光の誕生日が極秘になっていた!とかなあんたがさっき提示した茶々の手紙はどうなるんだよとツッコんだわ

江の娘の中で記録に残る「母のため」の行動が一番多いのは和子なのに江と和子の親子関係は疎遠とか書いてるし

豊臣完子を秀忠妻と混同している伝承があるくらいだから
一部の史料や地方の伝承にしか登場しない側室や妾の存在なんて信用できないわ
妙徳院とか大橋局とか創作や誤伝としか思えん

まあ江が子供を産む以外の御台所の仕事をこなしてたのがわかる所は良いね
0554人間七七四年2011/04/14(木) 19:46:44.88ID:vkpPaPQR
家光の生年月日=慶長九年七月十七日

初姫の生年月日=慶長七年七月九日

初姫の生年は慶長七年説が正しければ、産み月が足りないどころか二年も開きがあるし
二人とも江の子で何も問題は無いじゃないか
いや、たとえ慶長八年説でも十月十日は過ぎとるわ
もう、いい加減「家光は江の子ではなく妾の子」説は飽きた
0555人間七七四年2011/04/15(金) 00:25:24.49ID:8XEoOKQG
>>554
福田さんは千の婚礼に着いていって七月に初を出産した江が
十月末に江戸に戻り、翌年七月に家光を出産するのは無理がある
とみたいに言ってるけど

徳川実紀には
初姫 慶長八年七月(千の婚礼に同行して)伏見誕生 母は北の方(正室)

家光 慶長九年七月江戸誕生 母は正室

と偽ることなくばっちり書いてあるのよ
だから実紀を編纂した江戸末期の学者連中にとっては
江の家光や初の妊娠出産に関してなんの違和感もなかったということで
もし学者がおかしいと思えば生年月日に何か工作をするだろうし
生母の記録があればそれに触れると思うし

もし公式記録で誕生日をぼやかしたり、ずらしたり、生母が誰かを書いてなかったりしたら怪しいけれど
堂々と書いてるんだから怪しいところは何もないと言うことだと思う
0556三女・勝姫と四女・初姫の年齢差↓2011/04/15(金) 09:00:32.42ID:eqLj9A8/
その1=勝姫が慶長六年生、初姫が慶長七年生(1歳違い)

その2=勝姫が慶長六年生、初姫が慶長八年生(2歳違い)

その3=勝姫が慶長五年生、初姫が慶長七年生(2歳違い)

その4=勝姫が慶長五年生、初姫が慶長八年生(3歳違い)

1の説と4の説じゃ全然違ってくるなぁ〜。1歳違いと3歳違いじゃ・・・・・
いずれにしても、初姫が家光の1〜2歳上の姉で、勝姫が家光より3〜4歳上ってことは確かだな
0557人間七七四年2011/04/15(金) 09:06:30.87ID:Gs86sbDY
「昨年10月以降、たばこ3〜4カートンを個人輸入する例が増えています」
と明かすのは、東京税関成田航空貨物出張所だ。
個人輸入であっても、紙巻きたばこには1本当たり約12円が課税される。
例えば、あるサイトで売られていたマイルドセブンは1箱330円。
課税されると570円となり、国内より割高となる。
しかし、税関は全ての郵便物を開封しているわけではなく、別の品目と偽って
輸入し、徴税を免れようとする例が後を絶たない。
 こうした「個人輸入」を助長しているのが、輸入代行を名乗る業者の存在だ。
「輸入たばこは課税対象ですが、ほとんどの荷物は課税されていないのが現状です」
「課税通知が来た場合は、荷物を受け取らず返送してください」
業者のサイトには、脱税を助長するこうした文言が躍る。
海外からの郵便物は、受け取りを拒否して差出人に返送することができる。
課税通知通りに税金を払えば郵便物は受け取れるが、そうなると格安でなくなるため、
返送するよう指南しているのだ。

「タバコ 輸入代行」とか「タバコ 激安」とかで検索すると出るわ出るわ、、、
 送料込みで1箱60円とかもある。


0558人間七七四年2011/04/15(金) 19:58:13.11ID:TFt7mAt2
ところで、秀忠の関ヶ原時の行動って、どれが一番信憑性高いかって
今も分かってないのかな
自分は信州平定説を一番押したいんだがね
0559人間七七四年2011/04/16(土) 02:16:11.69ID:ih9DiPmg
俺と家康たんの愛の結晶だもん
光輝いてるに決まってるだろ
0560人間七七四年2011/04/16(土) 07:02:50.76ID:sCbZZbS0
で、この板の住人的には>>556に挙げた説のうち、2の説を支持する人が多いの?
福田さんは4の説を支持していて、「勝は江の子じゃない」って主張してるけど・・・
0561人間七七四年2011/04/16(土) 07:42:34.37ID:hbwjL0a+
>>560
2で

ついでに珠姫は
慶長四年三月伏見生まれで
0562人間七七四年2011/04/17(日) 06:49:27.02ID:KlyOa0FG
仮に珠姫が慶長四年三月生まれだとすると、勝姫の慶長五年五月生まれはあり得ないわな
それこそ、産み月がビミョーに足りてない感じなんだが・・・。
勝姫は慶長六年生まれでほぼ間違いないんじゃね。
しかし、初姫は慶長七年江戸生まれ説と、慶長八年伏見生まれ説、どっちとも決めかねると思う。
0563人間七七四年2011/04/18(月) 07:11:09.01ID:wYu2ch4J
>>550
別に貼っても差し障りないんじゃないかな?
そのブログ主さんも2ちゃんの秀忠と江に関するスレ、見てるかも知れんし
0564人間七七四年2011/04/18(月) 07:56:34.25ID:kL/C/j89
確かに2ちゃんを見てるようなことがボンヤリ書かれていたりしたが

でも「江の生涯」「感想」で検索すれば一番に出てくるし
貼らなくてもいいんじゃね?
0565人間七七四年2011/04/19(火) 05:42:16.54ID:S17V1gPu
遺体に銃創痕があったと聞くけど、いつどこで?なのかな?記録にはないよね。
0566人間七七四年2011/04/19(火) 06:45:26.36ID:yA3kqJsJ
>>518-562
このスレでは、お勝は慶長六年生まれで決定なのね。
個人的には関ヶ原の戦いの年に生まれた姫なので、「勝」と命名されたと思う。
つまり、お勝は慶長五年(1600年)生まれ
0567人間七七四年2011/04/19(火) 07:37:12.30ID:A5w8dA5N
>>566
関ヶ原で勝ったから「勝」

0568人間七七四年2011/04/19(火) 10:32:29.00ID:mSE1tyRi
ドラマだと、戦のさなかに生まれたと聞いて
よしそれなら験担ぎに勝姫にしよう ってパターン多いよね

>>565
大坂の陣辺りかなぁと思った 秀忠の所は大野治長軍が突撃してきたんだっけ?
0569人間七七四年2011/04/19(火) 12:27:49.85ID:A5w8dA5N
>>568
大野治房?じゃなかったっけ?

秀忠が大将のくせに槍持って前線に出ようとした逸話ってその時だよね

秀忠って真面目な人格者っぽい逸話の中にこういう直情的な逸話が混ざってるのが面白いというか
やっぱり家康の息子だなと思う
初姫死亡の時の激怒話とか忠長の鴨話とか
まあ所詮逸話だから本当にあった話かは微妙だと思うけど
0570人間七七四年2011/04/19(火) 16:08:33.80ID:S17V1gPu
565です。レスありがとうございました。
地味なイメージが定着してるけど、案外熱い人だったのかも、なんて妄想してしまいますね。
鼓が趣味で花を生けるのも好きだったと、何かで読みました。雨が上がったら会いに行くのお手紙もなんとなく心惹かれます。

弟の忠吉さんは病弱だったんでしょうか。若死にが残念です。
0571人間七七四年2011/04/19(火) 17:35:12.14ID:mSE1tyRi
ああ、治房の方だった
秀忠は真面目なイメージだけど、自分のポリシーを貫く熱い所もあるよね
そういう所好きなんだけど

>>570
雨が上がったら会いに行くって手紙は初めて聞きました 誰宛なんでしょうか
もっとこういう手紙系の本増やしてほしい『戦国武将の手紙を読む』も面白かったのに

同母弟の忠吉は病弱どころか、岳父の井伊直政と同じくらいの特攻野郎ですw
関ヶ原で受けた傷が原因で若くして亡くなったそうですよ
病弱なのは、異母弟の信吉ですね 生来病弱で21歳で亡くなったそうです
ちなみに関ヶ原では江戸城留守居役を務めてました
0572人間七七四年2011/04/19(火) 18:29:07.40ID:A5w8dA5N
>>571
雨があがったら会いに行くよ〜
の手紙は宛先不明だよ
ただその前にお返事ありがとね、みたいなことが書かれているから

秀忠と気軽に会える&連絡がとれる&
江戸城の近くに住んでる人だと思う
かな文字だから女性宛てかもしれんということだけど
プライベートな手紙だから男性の可能性もあるそうです

書かれた年代も不明だから
誰宛か特定できないみたい

自分は(養女を含めた)娘のうちのだれかと予想する
0573人間七七四年2011/04/19(火) 20:30:12.72ID:mSE1tyRi
>>572
ありがとうございます
そんなフランクな間柄なら、近くの仲の良い大名とかでしょうかね
懇意にしていた大名はいっぱいいたらしいけど
仲の良い大名は、丹羽長秀とか細川忠興とかは仲が良かったと思うんですが
意外な人と交友関係にあったりするし、そういう交流関係一覧みたいなのがあれば面白そう
0574人間七七四年2011/04/20(水) 19:57:16.48ID:4FGUfGl+
>>567
でも、関ヶ原は秀忠としてはちょっと苦い思い出・・・
0575人間七七四年2011/04/20(水) 22:06:45.06ID:UQ9G+QJD
>>574
秀忠は確かに残念だったけど

でも東軍は勝ったし
勝の名前を決めたのは秀忠じゃないかもしれないしね

0576人間七七四年2011/04/21(木) 13:33:07.54ID:9YrwQt0h
>>575
>勝の名前を決めたのは秀忠じゃないかもしれないしね

おそらく家康じゃないかな、名付け親は
家光の「竹千代」だって家康が自分の幼名を与えたんだし
0577人間七七四年2011/04/21(木) 23:05:40.06ID:ljGwBx8P
秀忠の母さんって
家忠日記や柳営婦女伝系に
「喧嘩に巻き込まれて死んだ」とか「害されて死んだ」とか
書かれてるらしいけど
誰かに殺されたとか事件に巻き込まれて亡くなった可能性もあるのかな

自分は病死だと思ってたからこの話聞いた時びっくりした
0578人間七七四年2011/04/22(金) 06:51:09.37ID:IGvukdJg
柳営婦女伝系は、江の二番目の夫を於次丸秀勝(信長の四男)だと、誤って記しているからなぁ
この書、イマイチ信用できないんだが・・・・。
0579人間七七四年2011/04/22(金) 12:20:11.48ID:NSJU4Mgo
>>578
江が四回結婚して三回目の結婚相手が豊臣完子の息子の道房とか
意味不明なことがかいてあるんだよね柳営婦女伝系

個人的には柳営とそのコピー本っぽい玉輿記と
参考にした史料を無視して秀忠の子供たちの生年を工作したりしている
幕府祚胤伝は信用できねーなと思っている

ソースがこの3つだと疑う姿勢になってしまう
0580人間七七四年2011/04/23(土) 00:33:09.44ID:kzIObArd
阿茶局が西郷局が死んだ後に秀忠の養母になったとか書かれている本をたまに見かけるが
出典がわからない

阿茶が和子の母代を務めたことから発生した創作かなあ
0581人間七七四年2011/04/23(土) 07:39:54.50ID:iwUmkQZ+
>>561
珠姫(子々姫)の誕生日は「慶長四年六月十一日」だとずっと信じていたが、三月説もあるんだね
忠長も慶長十一年五月生まれ説と、六月生まれ説と、十二月生まれ説があるし・・・
将軍の子供の誕生日がこんないい加減で良いのかな?
まぁ〜、この時代には戸籍が無かったし、自分の生年月日を正確に知らない人も珍しくなかった??
0582人間七七四年2011/04/23(土) 09:04:26.02ID:kzIObArd
>>581
神君家康の娘の生母が史料によってバラバラだったりするくらいだからね
(四女 松姫の母が間宮氏なのか英勝院なのか)
>>578>>579
でも書かれてるけど
大御台様の結婚経歴を間違えてる史料があったりもするし
結構史料によって書かれてることが違ったりする

昔はネットとかで色んな人の意見が聞けるわけじゃないから
今よりもどの情報が正しくてどの情報が間違っているのか
判断がしにくかっただろうね
0583人間七七四年2011/04/23(土) 09:58:35.38ID:DfxTySxB
>>580
以貴小傅
0584人間七七四年2011/04/23(土) 18:33:52.36ID:kzIObArd
>>583
以貴小伝に書いてあったっけ?

自分の手元に一応、阿茶の項目をコピーしたヤツがあるんだ
書いてない・・・・

0585人間七七四年2011/04/23(土) 19:28:32.85ID:DfxTySxB
ごめん、間違えた
0586人間七七四年2011/04/24(日) 10:19:48.51ID:tHMSU9OL
>>574
本によっては、秀忠に特に過失はないという説もあるしな
伝達遅れて間に合わなかったってのは、確かに苦々しい思い出になったけどw

自分も会津側を(いくら秀康がいるとはいえ)そのままにしておいて
三成の所に行く説よりも、信州平定してから行く予定だった の方が納得できる
0587人間七七四年2011/04/24(日) 22:17:23.33ID:fS83pJt5
>>538
福田千鶴の「江の生涯」より
宮本義巳の「誰も知らなかった江」のほうが好きだな

江の一生がメインの本なのに「嫉妬深い恐妻」伝説を一言も話題に出さない名著
小和田氏に喧嘩売るようなことが書かれてたりして面白い

また奥方の話になっちまったすまん秀忠
0588人間七七四年2011/04/24(日) 23:11:32.09ID:tHMSU9OL
>>587
それ、買おうかどうしようか迷っていたんだけど、それ聞いて買う決心ついたわ
お江のスレはさすがにないから、どうしても秀忠と関係して語ってしまうのは仕方ない

しかし秀忠は著者によって色んな人間にされてしまうね 
暗君だったり、凡将だったり、懐の深い慈悲溢れる人だったり、真面目で堅物だったり、冷酷な人だったり
まあこれは秀忠に限ったことではないけど

個人的に最近のお気に入りは、「殿といっしょ」って四コマ漫画なんだが
秀忠がとても受難体質の突っ込み役で面白いし、秀忠とお江の関係も良い
というかお江のキャラ付けが斬新で最高でしたw
0589人間七七四年2011/04/25(月) 01:36:09.87ID:eKUsXipa
偏愛話を否定してるような人だから
たぶん嫉妬話も否定派
話題に出さなかったのはそんな俗説にページ割く必要ねーよ
という意思表示だと思うんだけどね

「殿といっしょ」のお江可愛いよね
自分は「東福門院和子の涙」の秀忠に従順で温和な奥さんお江与が好きだな
夫婦仲も良いし

0590人間七七四年2011/04/25(月) 17:33:48.63ID:W1P5FXeC
秀忠さんて、忠長くんが段取りしなかったら、お江さんの死後でも、保科正之さんに会わないつもりだったのかなあ?
お静さんは側室として遇されてないんだよね?
0591人間七七四年2011/04/25(月) 18:19:16.11ID:eKUsXipa
>>590
えとその対面というのは親子としての対面、ということだよね

秀忠と保科正之は一度も親子としての対面はしていないよ
家臣と大御所としての対面が一部の会津藩の二次史料(会津松平家譜や保科なんとか?忘れた)に載ってるだけ
その史料にすら「親子の名乗りはついになかった」と書かれているくらいだから間違いないかと

秀忠は静さんを江が死んだあとも側室として扱わず、保科正之も実子として披露しなかった
側室なら遺産分配されるはずなのに静には分配されず、正之は銀500枚しかもらってないし
秀忠といろいろあったといわれる真田でさえ銀1000枚もらってるのに
0592人間七七四年2011/04/25(月) 19:08:11.21ID:8LgFqCC7
>>589
自分も東福門院和子の涙のこの夫婦の仲良さ気っぷりが凄く嬉しかった
上様上様 と終始にこにこしながら仲良く暮らしているんだよね
娘が悲しんでいるというのにな…とちょっと複雑だったがw
実際もあんな風に徳川の妻として従順だったと思うんだけどね
0593人間七七四年2011/04/25(月) 21:49:30.29ID:W1P5FXeC
>>591
ありがとうございました。
お江さんに遠慮していたんなら、死後でも認知してもよかっただろうに。なんでだろ?
そこまでの気持ちはなかった…ってことかなあ。

うちの大学の先生はロマンチストなのか、秀忠さんとお江を「あからさまな政略結婚なのに、日本史上稀に見るラブラブカップル」って言うんですよ。
持とうと思えば、側室の一人や二人、なんでもなかったはずだって。
ちなみにその教授も奥さんは六歳年上。いつもきちんとなさっていて、ゼミの女の子たちが「あんなふうに歳をとりたい」と憧れてます。
お江さんも女磨きを怠らなかったのかも。
長文すみませんm(_ _)m
0594人間七七四年2011/04/25(月) 23:54:26.44ID:8LgFqCC7
予想外にできちゃった子供で、認知したくなかったのかなーとか思ってしまう
そもそも、本当に秀忠の子供だったのかな? なんですんなり秀忠の子供と断定されているんだろう
お江さんの子供だって、江の生涯のように本当は違うんだよ! とか言われているのに
0595人間七七四年2011/04/26(火) 00:34:02.37ID:DT46habF
>>593
お江が死んだ後も態度の変化がなかったんだもんな・・・

>>594
>本当に秀忠の子
それは言ってはいけないよ・・・・
でもよく考えたら家臣や女中たちに注目され、懐妊時期の生母の動向、誕生前後の周囲の様子などが多少は記録に残っている家光や和子の出生より
身内と数人の後見人にしか生母の妊娠の事実と誕生の様子を知らない正之の出生のほうがよっぽど怪・・・・と思うこともあるよ

結城秀康とその母親はそういうことを疑われているのに
保科正之とその母親にそういう話がないのは不思議だし
0596人間七七四年2011/04/26(火) 00:40:54.38ID:X57ul3Ty
あの時代、端女に産ませたご落胤の扱いなんて冷淡なものだし、なかったことにされてない保科はまだ幸運かも
側室は確かに一段下だが、静のような立場と比べると色んな意味でれっきとした妻なんだなと思う
0597人間七七四年2011/04/26(火) 00:46:42.81ID:xVJ5Tlf+
>>595
やっぱり思うよね 本当なのか怪しいって
ただ、秀忠の乳母の侍女だったっけ? だからそんなに下な身分でもなかったのかな
秀康は、本当に家康の子かどうか疑わしいから、世継ぎになれなかった てのが可能性高いしな
0598人間七七四年2011/04/26(火) 01:03:20.73ID:xVJ5Tlf+
連投すまんが、やはり保科正之は個人的には立派な人だったから
尚更将軍家の血筋の人だから素晴らしい! みたいな箔付けの為に
疑問視する声を抑えてたのかなー とも思った
会津の人の保科正之の讃えっぷりは、ちょっと見てて引くぐらいだし

でもそれなら秀康も立派な人だし、という矛盾もあるけど
0599人間七七四年2011/04/26(火) 07:11:23.06ID:DT46habF
>>597
自分は本気で疑っているわけじゃなくて
お江とその子供達や結城秀康お万の方は「出生の秘密」がどうこうと囁かれるのに
保科正之のことは誰もそういうことを言わないのは
不公平だなあと
思っただけなんだ

あと静が城を出されたのだって
「身分以外の部分でも側室にふさわしくねーな」と判断された可能性だってないわけじゃない

静は当然のことながら史料が少なくて性格なんてまったくわからないのに
「名君保科正之のお母上の素行や性格に問題があるわけがなかろう」という変なフィルターがかかっていると思う

こう考えると歴史上の人物のイメージって曖昧で不確かなものだよなあ・・・・
0600人間七七四年2011/04/26(火) 07:36:27.24ID:DT46habF
連投すまん
>>598
秀康は立派で優秀だけど
完全品行方正というわけじゃなくて
やんちゃなエピソードや梅毒で亡くなった話があるから
「やんちゃな秀康の母ならお万は奔放な女性だったかもな」と思われたのかなあと思う

それに家康の場合は秀忠と違い、側室がたくさんという状況だったので
家康の秀康母子に対する冷淡さを
「正室の嫉妬のせいだ」と言い切ることができなかったんだと思う
築山殿の嫉妬のせいとかいう話もあるけど家康との不仲説その後の残念な結果のせいで
全く説得力がないし
0601人間七七四年2011/04/26(火) 07:54:41.18ID:T4KbQMpD
>「名君保科正之のお母上の素行や性格に問題があるわけがなかろう」という変なフィルターがかかっていると思う
>こう考えると歴史上の人物のイメージって曖昧で不確かなものだよなあ・・・・
同じように、お江は(徳川の敵だった)淀の妹だから…フィルターはあるかも。
だから嫉妬深いとか、国松偏愛とか。
0602人間七七四年2011/04/26(火) 12:22:51.88ID:DT46habF
レスから数時間たって思ったがお静さんに失礼なこと書いちゃったな
ごめんなさい
なんか自分は女性の嫉妬深い話とか聞くと全力で反論したくなってしまう人間だから
冷静さを失ってたわ

自分は江好きだけど悪い話を全否定するわけじゃないし
保科正之のことも立派な方だと思ってるんだけど
0603人間七七四年2011/04/28(木) 11:47:33.23ID:S2Q4GiEA
秀忠主役の本を色々買いあさっているんだが
その中でのお江さんは大抵、俗説のままで夫婦仲が冷めていて悲しいな
自分は俗説のお江さん像は一切信じていないから、尚更悲しい

秀忠を書くに当たって、主役に力入れるのは分かるんだが
その妻を俗説のままにするのは何となく手抜きな感じがするわ
秀忠主役で、夫婦仲も普通な小説はないものかな
0604人間七七四年2011/05/01(日) 04:15:45.18ID:CCley3v5
葵はよかったと思う。
秀忠が主役のドラマってあんまりなかったし
目につけどころがなかなかだった。
0605人間七七四年2011/05/01(日) 18:24:07.72ID:zaJSUqbj
葵は徳川三代というよりも、秀忠の成長ドラマみたいなものだったしなあ
役者もそれぞれ良くて、一番好きな大河ドラマだわ
関ヶ原は本当に燃える
0606人間七七四年2011/05/02(月) 02:34:04.53ID:zH2j5gDA
今売れっ子の香川照之が宇喜多秀家だったかな 徳川三代
西田さんとお江役の極道の姐さんの掛け合いが面白かった
0607人間七七四年2011/05/02(月) 05:21:16.68ID:xPUZ127/
鬼母のお江とそれに逆らえない恐妻家秀忠によって不遇な扱いだった竹千代様が乳母のおふくによって立派に成長し
権現様によってその両親の意志に反して将軍になる事が出来て
自分と同じように不遇な扱いをされた賢弟正之の助けで治世を行った名君家光公伝説がいまだに根強いからな
0608人間七七四年2011/05/02(月) 10:15:27.18ID:XUzZQKuJ
>>603
秀忠の家庭で起きた残念な出来事(家光忠長対立や保科放置など)の責任を
俗説通りすべてお江に押し付けるためだろ
そのほうが楽

話はちょっと変わるが
自分は「史実お江の性格はぶっちゃけよくわからん」(昨年末の講演会でも徳川家の関係者がそんなようなことを発言したらしい)
という話を聞いた時はすごい衝撃を受けたなあ
性格がよくわからない人が強烈なキャラ付けと悪女扱いをされていることにショックを受けた
0609人間七七四年2011/05/02(月) 19:53:31.14ID:CYqrpHKW
お江さんの今のキャラ付けって、ぶっちゃけ大奥や春日局主役の体の良い悪役扱いだもん
未だに史料が少なく性格もよく分からないと言われているから、やりたい放題で常々気の毒だと思ってたわ

しかし、姉の初に宛てた手紙(今日、家光が忠直の所に行くんですよーとか)や
家光が成人するまで健康祈願していたという事実もあるというし
何でそんな人を鬼嫁鬼母にせにゃならんのか 史実のお江さんに謝れよ
0610人間七七四年2011/05/02(月) 20:27:37.03ID:XUzZQKuJ
>>609
まあ落ち着けよ

400年間「嫉妬深い」「偏愛母」だと語られ続けている人のイメージはそう簡単には変わらない
だからそんなにイライラしても仕方ないぞ
信憑性が薄いとはいえ文章に残ってるから全否定できないし

0611人間七七四年2011/05/02(月) 20:50:02.47ID:CYqrpHKW
>>610
ごめん ちょっと熱くなりすぎた
それにしてもなんで秀忠は側室作らなかったのかな
逸話から見れる秀忠って、そんなにヘタレな性格でもないし
むしろ強きで自己主張も激しい人な感じもするが
そんな人が奥さんが怖いから で側室も作れなかったというのも変な話だと思うんだけど

そういえば永井路子さんが「秀忠は仕事人間だから、色事にはあまり興味なかったのかもしれないね」
と何かの本で言っていたな 確かに仕事人間だしちょっと納得してしまった
0612人間七七四年2011/05/02(月) 21:53:13.48ID:XUzZQKuJ
>>611
勇気出して言ってみるが・・・・・・・・・・・・・まさか倹約のためとかじゃないだろうな
とふと考えたことがある

0613人間七七四年2011/05/03(火) 00:18:06.40ID:fLep68j1
名将言行録で秀忠の項目載ってるのって
上中下の内どれなんだろう
0614人間七七四年2011/05/03(火) 10:46:22.26ID:ONGofZwI
>>609-611
そういうふうに江のマイナス面を必要以上に否定しようとすると、「江オタ」って言われるよ。
秀忠が側室を持とうとしなかったのは、ただ単に「お江を愛していたから」
ただそれだけのことだと思うけど、違うの?
考えようによっては、「嫉妬深い」のも二人の愛情が深い証拠だともとれるが・・・
0615人間七七四年2011/05/03(火) 13:38:35.50ID:lb8rPdNC
>>614
>秀忠が側室を持とうとしなかったのは、ただ単に「お江を愛していたから」
ただそれだけのことだと思うけど、違うの?

嫉妬深い説を全否定しても江オタ認定されるけど、そういうことを言っても江オタ認定されると思うよ
「秀忠と江の関係を無理矢理美化している」とか言って叩かれる

あきらめようよ
何を言っても無駄だから
0616人間七七四年2011/05/03(火) 13:59:45.24ID:uWNyRj5Y
当時は出産は文字通り生死をかけた仕事だし、かつ後継者の為には何人も産まないと生けないわけで
それを1人に押しつけるのは本当に愛なのだろうか?
0617人間七七四年2011/05/03(火) 14:56:08.14ID:fLep68j1
>>614
二次創作するとしたら、そういう解釈でやっていきたいなw
お江は今までが必要以上に悪く描かれていた人だから
いい加減少しは見直してほしい と思うのも心情だよ
今まで暗愚だと言われていたけど、研究によって見直された人も沢山いるんだし
0618人間七七四年2011/05/03(火) 18:16:27.08ID:lb8rPdNC
>>616
一応 長丸の母というのがいるんだが
この人も正式な側室ではないようだな・・・・・

0619人間七七四年2011/05/03(火) 20:25:15.30ID:DbRxHar9
ちゃんとした根拠のある見直し評価ならいいんだが、たんにこれまでの通説とは
違った人物像を描きたいってだけの、見直しならない方がいいな。
0620人間七七四年2011/05/03(火) 21:10:58.02ID:lb8rPdNC
>>619
まあ決定的な根拠にはならないけど
東福寺のこととか
初宛ての手紙とか
家光嫁探しの件とか

俗説で語られる家光と江の関係のイメージとは反対のような気がするけどなあ

でも竹千代と国松を巡った対立があったとされる期間には
江→家光への気遣いみたいな話は見えないし
訓戒状も存在するから
自分は偏愛話は全否定しないけどね
0621人間七七四年2011/05/03(火) 21:21:30.25ID:fLep68j1
あの訓戒状の一部も別に厳しい叱責文というよりも
普通に家康から嫁への子育てへのアドバイスみたいなものだし
別にお江が贔屓していたとも見れないんだけどな
0622人間七七四年2011/05/03(火) 21:29:36.20ID:fLep68j1
連投すまん 自分もお江は良妻賢母の素晴らしい人だったんだよと
絶賛するつもりはないけど

大奥などのドラマの影響なのか知らんが、お江はあんな鬼嫁だったんだよ
とそれをさも真実のように語るのを見ると、やはり嫌な気持ちになるな
普通に故人に対して失礼だと思うんだよ
これはお江だけでなく、他の歴史上の人物にも当てはまるけどね
0623人間七七四年2011/05/03(火) 21:57:24.27ID:DiQDhfN2
お江にしたら、姫が何人も続いてからようやく生まれた男の子家光。
まして夭折したとは言え長丸を別の女が産んでいたとなると、プレッシャーはかなりのもんだったと思う。
後継ぎを産んだことで、お江の立場は強固になったんだから、その家光を邪険にするとは考えにくいけどなあ。
徳川の身代が大きくなったことで「公の子」という距離感はあったかもしれない。側仕えのメンバーも家光と忠長ではランクが違うし。
話をややこしくした人物はいるような気がする(例春日局)


「誰も知らなかった江」を読みました。おすすめします。
0624人間七七四年2011/05/03(火) 23:25:30.31ID:DbRxHar9
嫡男はどうしても世継ぎとして公の扱いされるから、手元における下の子の方を可愛がるってのは
よくある話。後継者になれない、差を付けられる不憫さも手伝ってなおさらに。
本人の性格にもよるが、帝王学を学びこまされた長男よりも、気楽な立場で(兄よりは)自由奔放に
生きられる次男の方が、大人からみても可愛げのある子に育つだろうし。
0625人間七七四年2011/05/04(水) 00:02:44.41ID:Kowjo90F
>>623
「誰も知らなかった江」は良かったな
ただ一つ気になる点は、千姫の再婚相手が本多忠政になっていたことかなw
忠政は舅で、再婚相手は忠刻だよ先生…
他にそういう人物の誤字が見当たらなかった文、余計気になっちゃったよ
0626人間七七四年2011/05/04(水) 00:11:03.83ID:Ps5MdXX9
>>623
ずっと気になってたんだけど
家光と忠長が生まれた時につけられた家来連中の格

忠長の守り役の方が明らかな格下だという人と
家光と忠長同等くらいだなという人
二種類みたことがあるから
どっちが言ってることが正しいのか検証したいんだが
なかなか
0627人間七七四年2011/05/04(水) 23:47:17.94ID:GbrBLP/L
家光にとって忠長という存在は、子供の頃の体験から憎むべき存在だったのかな?
それとも将軍後継候補1号という立ち位置が、忠長を消すべき対象にしたのかな?
実際のところは、どうだったのだろう?
0628人間七七四年2011/05/05(木) 00:15:39.89ID:PsBnqV5x
55万石の駿河大納言と呼ばれ、巷では将軍が二人いる とまで言われるくらい
家光との権力の差が近接していたらしいから、どっちかというと後者かな?

個人的に、家光と忠長はそんなに仲は悪くなかったと思っている
忠長の切腹も、家光の指図ではなく、家臣たちによるものだと言われているし
(その決断が下される時期、家光は寝込んでいたのでとてもそんな判断は下せなかったらしい)
家光が欝状態になったのも、自分が直接指示した訳ではないが
やはり実の兄弟が切腹し死んでしまったという事実によるものだ という説もあるくらい
0629人間七七四年2011/05/05(木) 00:24:24.17ID:7ArH70HL
>>627
両親の偏愛やら忠長の問題行動が原因だと言われているけど

1629年ごろの家光が体調不良だったことも考慮すべきかなあと思う
春日局が薬断ちした逸話がこの時だったよな
0630人間七七四年2011/05/05(木) 00:50:39.47ID:7ArH70HL
>>628
秀忠が忠長に蟄居を命じた理由はどう考えますか?

一般的には忠長の問題行動が原因だと言われるけど
0631人間七七四年2011/05/05(木) 00:57:16.95ID:BdWGGTFM
忠長も最初は兄に反抗する気は無くても、周囲から
「あなたは兄より優秀だ。だからあなたが将軍になるべきだ」
とか延々と言われたらその気になってしまうよ。
0632人間七七四年2011/05/05(木) 01:00:11.39ID:PsBnqV5x
>>630
逸話になるけど、水に移った月に手を入れたら、その月が二つに割れて
「今、天下が二つに割れようとしている それを防ぐのは自分次第だ」と涙を流した
というのがあるんだけど
そういう風に天下安定の為に心を鬼にした ということかなあと 綺麗事すぎるとは思うけど

忠長の問題行動も、実際はちゃんとした理由からくる行動であり
特に常軌を逸した悪逆非道なものではなかったんじゃなかったっけ?
後世に伝えられる問題行動と言われるものは、結構そういうことも多いし
0633人間七七四年2011/05/05(木) 09:07:09.48ID:UhImkr1y
アイツばっかりと思う長男の軽い僻みと、主従の立場を忘れ兄弟なんだからという次男の甘え。
歳の近い兄弟のいる家なら比較的ありがちなこと。
ただ、これが将軍家の中で、しかも幕府創成期からの各大名の統制の形が出来てようやく落ち着こうかという時期だったから、あんな結末になったんじゃないかな。
どうってことのない兄弟ケンカに、周囲の権力や思惑が絡むとややこしくなる見本。
「誰も知らなかった江」にあった家光の過剰な被害者意識はあるような気がするなあ。忠長はなんで兄貴があんなに自分を疎ましく思うのか、わからなかったかもな。
いずれにしても、あれほど後継ぎの男子を欲していた秀忠と江は、兄弟の事の顛末をさぞかしあの世で嘆いただろうね。どの子も、幸せとは言い難いしなあ。
保科正之って、立派な政治家だと思うけど、女性問題では失敗してるんだね。初めて知ったよ。それはそれ、これはこれってことか。
0634人間七七四年2011/05/05(木) 19:01:20.41ID:PsBnqV5x
秀忠も忠長がいずれ危機に陥ると考え、あえて蟄居させて権力を削いだのかなあとも思った
そうすればもう、表面的には家光の驚異では無くなるし
しかし家光派からすれば、存在時代が許されないと思われたんだろうか…

もうあんな状況なら、あの世で親子揃って幸せに
の方がマシだったのかなあ… しかしそれではあまりにも悲しい
0635人間七七四年2011/05/05(木) 22:09:54.13ID:7ArH70HL
家光はともかく秀忠は忠長を切腹させるつもりは無かったと思うな
切腹させるつもりなら自分が生きている間に切腹を命じると思うし
自分が蟄居させたのに
殺す役目だけ家光に押し付けるようなことを秀忠はしないような気がする


話は変わるけど一年くらい前のなんでも鑑定団で
秀忠が7才の時に書いたお習字?みたいなのが出てたな
放送後の歴史サイトとか見ても
全く話題になってなくて切ない気持ちになったのを思い出す
0636人間七七四年2011/05/05(木) 22:24:21.74ID:PsBnqV5x
>>635
見たことなくてググってみて感動した
長丸七歳ってのが可愛く見えたが、あれを七歳で書いたのも凄いな
0637人間七七四年2011/05/05(木) 23:39:06.36ID:lqf0iqmI
>>633
忠長は家光の了解をとらずに領内でお江の霊屋を建立して増上寺での仏事への
参加を差し控えるよう命じられている。このあたり、兄弟なんだからという
忠長の考えの甘さがあると思う。
家光の場合、他の同母姉妹とは結構親密なんだけど(とくに千姫あたりとは)。
0638人間七七四年2011/05/06(金) 09:37:56.77ID:9OM8pe53
このスレのおかげで少し忠長に興味が湧いて来たんだけど、彼について調べるのにはどんな本を読めばいいだろう?
0639人間七七四年2011/05/06(金) 12:27:05.98ID:GQMTWKHh
忠長は単独メインの小説とか研究本とかないような・・・

自分が秀忠チルドレン8人(当然長丸は除く)の中で主人公の作品を見たことがないのは
初姫と忠長
0640人間七七四年2011/05/06(金) 16:15:22.60ID:xX1exFky
忠長は頭がおかしくなって殺人を繰り返して父の秀忠に見放され蟄居処分にされ、
反省もせず赦免要求ばかりしてくるので兄の家光に切腹させられただけですよ。
信康・忠輝・忠直と同じ自業自得です。
0641人間七七四年2011/05/06(金) 18:53:56.73ID:mZ0kSBKu
>>639
千姫は有名だなあ あと和子も
琴姫・勝姫はあったっけ?
0642人間七七四年2011/05/06(金) 19:43:08.19ID:GQMTWKHh
>>641
主人公の作品をあげればいいんだよね

勝姫は「天下の悪妻」というすごいタイトルの小説
珠姫はローカル雑誌に連載されてた漫画「おてんば珠姫さま」

一作品しか知らない・・・・
0643人間七七四年2011/05/06(金) 19:49:25.30ID:mZ0kSBKu
>>642
ありがとうございます

「天下の悪妻」って本当に凄いタイトル…勝姫ってそんな酷い性格してたっけ?
どっちかといえば夫のDVの末殺されそうになって子連れで戻って
その後は子育てしながら平穏に暮らした人じゃなかったっけか

珠姫は漫画の方か そういえばよその所でそういう漫画があるっての聞いたことあった
珠姫はやはり旦那の方が有名かな…侍女を蛇責めにしたって本当なんだろうか
0644人間七七四年2011/05/06(金) 22:43:17.06ID:E4OIupql
忠長主人公小説ありますよ。大御所小説家が書いてます。
あばれ公子 山岡荘八 光風社出版

珠姫
百万石の幼妻 珠姫さま 筆内幸子 北国新聞社

0645人間七七四年2011/05/06(金) 23:28:00.62ID:GQMTWKHh
>>644
ありがとう!
よしこれで初姫だけになった
よかった
0646人間七七四年2011/05/06(金) 23:31:34.04ID:9OM8pe53
>>638です。
>>644
レス有り難うございます!たしか山岡荘八って家光の小説も書いていらっしゃったような…?
兄弟両方揃えて読もうと思います。
有り難うございました!
0647人間七七四年2011/05/06(金) 23:32:31.39ID:iwmtWX0j
侍女の蛇責めに関しては、珠姫の旦那から細川忠興系の臭いがするな。
珠姫の死後、鼻毛のばして睾丸露出してのし歩く姿には、馬鹿のふりした
というよりは、人格が破綻したって印象が強い。
0648人間七七四年2011/05/06(金) 23:36:43.26ID:mZ0kSBKu
>>644
これは知らなかった 珠姫もあるんだね
でも山岡荘八って徳川家康を観て思ったのが
悪いこと全部女のせいにして、主人公はいつまでも綺麗なイメージ強くて…
まあ昔だから、史料も今ほど沢山はなかったんだろうけど

>>647
鼻毛伸ばしたり睾丸出したり立ちションしたりするのって
全部珠姫死後の出来事だったのか? どうも年代が分からない…
それにしても利常はシモネタ逸話多すぎだろ
0649人間七七四年2011/05/06(金) 23:57:09.74ID:8vlkH+zL
>>638
忠長については、「徳川忠長の蟄居・改易と「関東御要害」構想--稲葉正勝小田原入封の前提」という論文があるな。
あとは秀忠やお江、家光に関係した本の中で触れられている程度か。
0650人間七七四年2011/05/07(土) 20:36:06.06ID:WiCZGTOR
>>645
初姫は秀忠の娘の中で一番悲惨で可哀想だし、どうしても幸せにはなれそうにないのがまた
しかし忠高はどうしてあれほど初姫と距離を置いたんだろうか
浅井家は元々京極家の下であったのに、下克上で主従反転になったのを恨んだのか
もしかして関ヶ原時に大坂に人質にされたのに、西軍に反旗を翻した父や徳川を恨んだんだろうか
0651人間七七四年2011/05/07(土) 22:23:54.07ID:YVm0sm9W
「誰も知らなかった江」で紹介されてたげど渓心院文に記載されている
家光誕生前の話を読む限りは
忠高が徳川家を恨んでいるようには思えない

でも渓心院さんは京極家の関係者で母親が大奥の年寄とかだから鵜呑みにしたらまずいのかな
0652人間七七四年2011/05/07(土) 22:58:50.30ID:wyVfu1Nt
>>650
初姫の悲惨な話しは一次史料にしるされてるけれど、伝聞であるから真実は不明。
0653人間七七四年2011/05/07(土) 22:59:19.35ID:WiCZGTOR
>>651
自分もその本読んで、忠高の意外な行動にびっくりした
忠高は逸話もほとんどないから、そういうことも出来たのかー と

しかし忠高が初姫を無碍に扱ったのもまた事実だし
年齢重ねていく内に考えが変わっちゃったりしたのかな と思った
初姫も幼少の頃に嫁いでいくから、徳川よりも京極家寄りな思考だと思ったんだけど
やはり性格の不一致だったんだろうか
0654人間七七四年2011/05/07(土) 23:03:40.68ID:WiCZGTOR
>>652
初姫の葬儀は徳川家だけで執り行なったと言うが、これも伝聞のみだっけか?
自分は某細川さんの手紙で知ったけど
0655人間七七四年2011/05/08(日) 00:03:21.07ID:wyVfu1Nt
>>654
その細川家の手紙が伝聞だから真実かどうかは不明という意味です。
0656人間七七四年2011/05/08(日) 00:16:48.38ID:BO4H3ydB
>>654
初姫の死についての忠興さんのお手紙の内容って

初姫さまが自分の悪口を耳にして
発狂?して病気になった。
忠高は姫が病気になっても相撲を見物していた。
初姫の病気を知ると京極家の屋敷に秀忠様の使いが何人もやってきたらしい。
葬儀は京極家は関わらせず大御所様がおこなった。
京極家の女中どもが忠高の初に対する仕打ちを大御所様に伝えようとしたら春日局が「大御所様は姫の死で取り乱しているから今はやめとけ!」止めたらしいぜ。

みたいなことが書いてあるんだっけ?
手元に資料がないうろ覚えだ
0657人間七七四年2011/05/08(日) 14:41:48.51ID:RJ/D8l3R
発狂というよりは、気鬱になった感じじゃなかったかな
その春日局も、他の奴と同じように胡散臭い春日活躍の話みたいに言われているし
0658人間七七四年2011/05/08(日) 18:41:50.81ID:+UuybWls
「なんにせよ異常事態なのは間違いない」でしめられてなかったっけ
事実はわからないけど明らかに空気が異常とか?
0659人間七七四年2011/05/08(日) 21:27:21.35ID:BO4H3ydB

そんなことがあったのに
秀忠や家光は京極家に対して冷たい仕打ちをしていない
むしろ丁重に扱っているように思える

和子に働き掛けて公家の女性を忠高の継室にしたり
常高院や忠高はちゃっかり秀忠の遺産を頂いてるし
男児不在で忠高がが亡くなったのに甥っ子を後継ぎにして京極家を存続させてるし

やっぱり細川さんのお手紙は誇張されてるのかな
うん、たぶん誇張されてる

0660人間七七四年2011/05/08(日) 22:10:42.57ID:+UuybWls
うーんもしかしたら「そんな噂が出てくるのは異常」って意味だったのかも
本当にそれはねーだろって内容だからなあ
0661人間七七四年2011/05/08(日) 22:43:54.72ID:RJ/D8l3R
>>659
これまでの京極家の功績により、お家安堵だしなあ
あの本でも、いくら正妻をそんな扱いしたとしても、忠高に何かを成すことはないだろう
みたいに書かれていて、実際初姫が死んだ後も特に何事もなし
細川さんはどこ経由の情報源だったんだろうかな
徳川実紀などは、さすがに初姫死去時や葬儀の様子は書かれていないのか
0662人間七七四年2011/05/09(月) 00:20:16.24ID:cMMq6UM+
>>661
>細川さんはどこ経由の情報源だったんだろうかな

細川家と懇意(「江戸幕府の組織と伝達文書」より)だったということと
さりげなく挿入されたageエピからして



春日局としか・・・・・・・
0663人間七七四年2011/05/09(月) 13:56:07.60ID:veRne1dA
上様→柳生→息子→3歳様というラインも。
0664人間七七四年2011/05/12(木) 18:13:20.28ID:f27HJimN
前から思っていたけど
凡将か名将か?というスレタイに違和感がある
凡君か名君か?のほうがいい気がする

0665人間七七四年2011/05/12(木) 20:56:39.23ID:z2Pc6rxo
武将評価なら、悲しいけど低評価だもんね…
でも関ヶ原のあの大軍を指揮するのに、ほぼ初陣に近い秀忠では
やはり無理ゲーにもほどがあると思うんだ

そういや秀忠の初陣て、よく関ヶ原と言われるけど
実際は小田原の役が初陣でいいのかな
0666人間七七四年2011/05/12(木) 22:02:58.02ID:f27HJimN
>>665
小田原の前に甲冑始めしたとか
駿府にいる秀忠を秀吉が小田原に呼び出したとかいう話があるね
0667人間七七四年2011/05/12(木) 22:19:27.62ID:z2Pc6rxo
>>666
甲冑始めも秀吉さんがしてくれたんだよね
諱も秀吉さんからもらって、甲冑初めも秀吉さんからかー

童門先生の書いた「徳川秀忠」で兄の秀康から
「お前も俺と同じく、秀の一字もらってるから、親父からみればお前も豊臣一門に見られてるんじゃね?」
みたいなこと言われて、「ああ、だから父上は自分を信用してくれないのか…」
と凹んでいたのを思い出した
0668人間七七四年2011/05/13(金) 00:31:06.73ID:fIfLgPNg
まあ・・・・・・
豊臣と関係が深いのは事実だな

おねさんとの交流も深くて秀忠→おね宛ての手紙が残っている
おねさんが亡くなった時に甥っ子に「まことに痛ましき」とか書いた悔み状を送ってるんだっけ

嫁が秀吉の養女なんでおねは秀忠にとっては姑?
0669人間七七四年2011/05/13(金) 01:00:27.73ID:Nw8rZodh
家康もおねさんと仲良かったらしいし、親子揃って仲良かったのかね
小説内でも秀忠が大坂に行って元服した時、おねさんから
「こんな可愛い子を産みたかったわあ」と気に入られて
それから交流が深まった という展開が多いが

そういう手紙をまとめた本はないだろうか 「戦国武将の手紙を読む」みたいな
これもなかなか面白かったけど、少ないのが難点
0670人間七七四年2011/05/15(日) 22:32:55.33ID:HcRqCMUK
逸話などから伺える堅苦しく真面目で懃直な秀忠も好きだが
葵徳川三代のような、温厚だが少しヘタレな秀忠も好きだな 秀忠可愛いw
0671人間七七四年2011/05/15(日) 23:13:21.33ID:Y2z2Teaz
10代前半くらいの時の
屋敷の中に牛が突入してきてみんなパニックになってるのに講義を聴き続けていた
という話が好きなんだが
ツッコミどころ満載で作り話臭いなw

あと少年池田光政との倹約食事話が好きだ
0672人間七七四年2011/05/16(月) 00:55:10.90ID:5UnTcPGz
牛が入ってきたのに、一人静かに講義聞いてたり
秀忠も凄いがその先生も充分すごいよなw
秀忠も家康と同じく健康志向だから、普段の食事も質素だったのかなあ
0673人間七七四年2011/05/16(月) 11:59:01.18ID:8CIkTGue
福田本に載ってた
同じ着物を何枚も作らせて背格好の似た家臣に着せて
どんな感じが確かめていた話の出典が気になる

そういえばこの前テレビで神田上水のことがやってたんだが
江戸の街づくりに秀忠はどの程度関わっていたのかなあとふと思った
0674人間七七四年2011/05/16(月) 19:00:58.75ID:5UnTcPGz
小和田哲男さんの「徳川秀忠」では
江戸に移転された徳川家だけど、街普請中は唐入り時期でもあったから
家康は名護屋に滞陣 秀忠はその間江戸で留守を守りつつ、城や街づくりを督励していたと書いてあった
ちなみにその時の江戸町奉行は板倉勝重さんらしいよ
0675人間七七四年2011/05/18(水) 00:35:25.45ID:Lw4/4fK9
>>674
ありがとう
江戸と上方何往復もしてるし何かしら関わってたんだろうな
まあいつまでたっても家康の功績としか紹介されないだろうが


話は変わるけど
若いころの秀忠は病気がちだったんだな・・
超健康体だと思ってたから意外だった
0676人間七七四年2011/05/18(水) 00:44:35.70ID:bWGYHVey
「江の生涯」で秀忠のことも割と詳しくあったな
江と結婚する前から体調崩したり、疱瘡かかったりと
自分も割と健康体だと思っていたからびっくりした

晩年は白内障か何かで片目が見えなかったらしいね
死因はやはり胃がんになるのかな 吐血も繰り返してかなりやつれてたと聞くが
0677人間七七四年2011/05/18(水) 01:08:38.12ID:Lw4/4fK9
>>676
腸炎とか咳気とか疱瘡とか色々と罹ってたみたいだね
昔「秀忠は超健康体若いころは病気なし」みたいなことがかかれた本を読んだことがあったからその本に見事に騙されていたよ・・・・・

これは10代後半から20歳くらいの話だけど20代半ばから晩年までの約30年間の間にはなにか病気の話はあったっけ?
0678人間七七四年2011/05/19(木) 16:35:43.71ID:1iSUfCaE
腫れ物もあったと何かの本で書いてあったけど、年代が分からんなあ
秀忠は家康と同じく健康志向だったから、体調には気を使ってただろうし
その頃はあまり病気らしい病気もなかったかもしれんね

お江さんは火葬されたんで、死因がよく分からないな
とある小説では進行性の癌だったかも、ともあったな
0679人間七七四年2011/05/20(金) 01:19:15.59ID:MKiRc1+Z
お江はいつからかはわからないが元和八年ごろは体調がすぐれなくて
体調不良→五月に回復→しかし九月にまた体調不良→十一月に回復
という感じだったようだね
「進行のゆるやかなガンだったのかもしれない」と書かれた本を前に見たんだが
どの本だったか忘れた・・・・

このころは城の改築中だったり本多正純
の件やら家光嫁探しやら御台の病やらで慌ただしかっただろう
秀忠は江が回復するよう内待所で臨時神楽を催している

秀忠は症状的に胃がんらしいな
家康も胃がんらしい
0680人間七七四年2011/05/20(金) 10:58:13.74ID:Jx74rydr
水戸黄門も癌だったらしいし、徳川家はガン家系なのかな
0681人間七七四年2011/05/20(金) 17:11:05.47ID:cKaKN/Bg
家康も胃ガンのようだし、ガンは遺伝するというからな

お江さんがガンだったかも っていう本思い出した
立石優の「徳川秀忠と妻お江」だ 割と良さげな夫婦像で個人的に満足
0682人間七七四年2011/05/20(金) 23:43:44.94ID:MKiRc1+Z
>>636
「今も御文庫に伝えし王義之が聖教序は常に御臨本なされし御品なり」(台徳院殿御実紀)

とあるように秀忠は習字にいそしんでいたらしい

徳川美術館で今やってる特別展示で何点か秀忠筆の色紙やら詞書やらが展示されてる
ついでに秀忠の絵も展示されてる
0683人間七七四年2011/05/21(土) 00:47:10.76ID:2K+kBtiJ
>>682
うわ超見たい…けど地理的に無理だちくしょう
秀忠、絵も描いてたんだな どんな絵なんだろ
それにしても秀忠の作品てあまりみない…? 辞世の句ってのもあったっけ?
0684人間七七四年2011/05/21(土) 12:00:38.82ID:aImAn661
源氏物語の画帖ってどんなんだろう?秀忠はん、源氏物語とか和歌が好きだったんだね。
0685人間七七四年2011/05/21(土) 20:05:06.42ID:k4/rGy1Y
絵は「岩に鶺鴒図」という鳥らしきものが書かれたものなんだけど薄くて良く見えなかった
秀忠の絵はそれ以外に三枚あるらしい

源氏物語画帖は
源氏物語の絵に秀忠筆の文章が添えられている代物

あと藤原俊成の和歌を秀忠が色紙に書いたものとか
これのレプリカ?的なものが売店で1050円で売ってるw
0686人間七七四年2011/05/21(土) 20:29:41.13ID:2K+kBtiJ
堅物の秀忠と源氏物語って、何か水と油のような気が…
いや作品自体を高く評価していたんだろうけど

いいなあ 1050円ならぜひほしい
ネットで買えないものかな 
0687人間七七四年2011/05/21(土) 23:40:51.49ID:k4/rGy1Y
>>686
自分が初めて行った四年くらい前から置いてあるから、当分売店から消えることはないと思う

秀忠は光源氏というより、朱雀帝だな

話は変わるけど
秀忠の乳母は大姥殿と井上正就の母と二人でいいのかな
0688人間七七四年2011/05/22(日) 12:11:28.27ID:DY0HYLVP
土井利勝の義理妹(弟土井昌勝の嫁)の初台局も秀忠の乳母
その初台局の娘の梅園局は家光の乳母になっている

土井利勝の義理妹じゃ秀忠と数歳しか変わらんだろうに
地元の初台駅じゃそういうことになっている
徳川家康の関東転封後に200石を拝領したんだそうな
0689人間七七四年2011/05/22(日) 12:45:48.24ID:s+PWtkBI
>>688
ありがとう
初台局って諏訪大明神に秀忠の成長を祈願したとかいう伝説がある人ですね
でも利勝の弟嫁というのはひっかかる
秀忠と年齢差がなさすぎる
利勝ですら秀忠と六歳しか変わらないのに

土井家とつながりのある女性が家光の乳母だったんですね
忠長の乳母も利勝の妹だし
土井さんとこは信頼されてたんだな
0690人間七七四年2011/05/22(日) 23:36:09.92ID:H9WuNrUG
乳母って一人じゃないんだね それもそうか
大姥局は知っていたけど、もう一人は知らんかったな
0691人間七七四年2011/05/23(月) 11:16:48.97ID:+1GvfqZ2
乳母

秀忠 大姥殿 井上正就の母 初台局

家光 春日局 梅園局
家綱 矢島局 川崎局 岡山局 三沢局

自分が知ってるのはこれくらいだ
地元の図書館で寛政修重諸家譜を見て確認しようと思ったけど借りられてて無理だった

誰も知らなかった江
に「渓心院文作者の渓心院は家綱に仕えた年寄 川崎の娘」
と書いてあったけど
この川崎というのが家綱乳母の川崎局なのかな?
0692人間七七四年2011/05/23(月) 11:31:31.37ID:BnWFpZs8
秀吉ってなんで生きてる間に徳川ぶっ潰さなかったの?
家康みたいに難癖つけてみんなで叩けばいいのに。国替えした時点で満足だったのかな。
0693人間七七四年2011/05/23(月) 17:27:03.06ID:1tflG9/h
>>686
リアルで発散できないぶん、エロ本にぶつけてたんだろうw
0694人間七七四年2011/05/23(月) 18:43:32.69ID:rVqVOpnR
秀忠はそういう性に関してはタンパクだったから
浮気はしたけど、側室をもつまではなかったのかなあ…とふと思った
それでも毎年お江さんを孕ませてるけどw
0695人間七七四年2011/05/23(月) 19:07:13.23ID:+1GvfqZ2
でも当時の権力者らしく男色の噂はあるよね

この話題で盛り上がるのもアレだから深く掘り下げないことにするけど
0696人間七七四年2011/05/23(月) 19:31:49.51ID:rVqVOpnR
男色の噂は大体
「あいつあんなに贔屓されやがって、出来てんじゃねぇの!?」
という嫉妬が元というのが多いからなあ…
秀忠だと丹羽長秀とか仙石忠政とか?

あと小姓の小山長門守吉久と関係があったとか
「御当家紀年録」というのに載ってるらしい
0697人間七七四年2011/05/23(月) 19:35:51.93ID:h99Qd3XT
当時は普通のことだから。そうやって主従の絆もできたと言うし。
秀忠の死後殉死した人なんか、きっとそうだったんじゃないか?

お江さんとはどんな夫婦だったのか。増上寺の合祀墓のなか、お互い今でもイチャイチャしてんのか。それとも、また一緒かとうんざりしているのか。
0698人間七七四年2011/05/23(月) 19:48:53.50ID:rVqVOpnR
お江さんとは普通に仲良かったと思うなあ 
30過ぎたら閨の相手はしないと良く言われているけど
家光が生まれたその後も、二人続けて子供生まれているし

そういや小説やドラマだと、秀忠は死ぬ前に殉死は禁じているけど
やっぱり殉死した人はいたのか 何人くらいいたんだろ
0699人間七七四年2011/05/23(月) 20:00:06.15ID:+1GvfqZ2
>秀忠の死後殉死した人 森川重俊か

お江と一緒の墓になったのは戦後だったか
家光孝子みたいなガチ不仲だったと語られる夫婦だったら、そういうことにはならなかっただろうから昔の人たちにも「なんだかんだ仲が良かった夫婦」と認識されていたかな
秀忠としては家康と離れた場所にいることが嬉しいかもしれんな
0700人間七七四年2011/05/23(月) 20:18:47.38ID:rVqVOpnR
>>森川重俊
wiki見たが、この人も秀忠の小姓の人なんだね
でも忠長派だったから、秀忠死後自分も殺されるんじゃないのかと思って死んだ
とあるけど、同じく忠長派で忠長蟄居・自刃後、戦慄した人は多かっただろうなあ

戦災で秀忠の宝塔が燃えちゃったから
今はお江さんの石塔を秀忠・お江の墓としてるんだったね
偉大な父親と離れて夫婦水入らずなら、ゆっくり休めるかもしれんね
0701人間七七四年2011/05/24(火) 00:34:22.16ID:E8WpHeo4
竹生島の宝巌寺で大奥が奉納した葵紋の帳が発見されたらしい
この発見が江が竹生島を信仰をしていてそれを大奥が受け継いだ、という話の裏付けになるそうです

あと意外なことに宝巌寺には家光が寄進したものもあるそうで
東福寺の件といい、西久保八幡神社の社殿造営の件といい、長政中納言追贈といい

お江家光はいい伝えほど仲が悪かった、嫌い合っていたというわけではなさそう
0702人間七七四年2011/05/24(火) 00:46:37.32ID:R0Q3u2Wq
おお 凄いのが発見されたな それと家光の件も初めて知ったよ
次期将軍だからと、別格として接していただろうけど
やはり息子は息子だったんだろうし、家光も生母のことはそれなりに想っていたんだろうな
そういう話聞くと凄く嬉しいわ
0703人間七七四年2011/05/25(水) 07:42:02.22ID:fJYiXtBr
>>661
初姫の死去時の様子
徳川実紀には細川さんの手紙に記されているようなことは書かれてないよ

0704人間七七四年2011/05/26(木) 20:18:26.30ID:sIT91vvi
桐野作人の「江の生涯を歩く」に載ってたんだけど
1599年頃、毛利輝元が養子の秀元に宛てた手紙(長府毛利家文書)に

「中納言殿女中(秀忠夫人江)が江戸へ下り(夫と)一緒にすごしたいと言上しました
もし別腹(側室)に子供ができれば、これから気の障りになってしまうので
ぜひ右の女中を(江戸へ)お下しいただけるようにと家康が申された」云々

という内容が載ってるらしい

やはり伏見と江戸と離れていたら、秀忠の女性関係が気になって仕方なかったんだろうな
当時は秀吉の命令で、人質は大阪城か伏見城に置かれることになっていたけど
江は秀吉公の養女だしーということで、秀吉公亡き後の家康の権力で江戸に行けたんだと
家康がお江さんの願い聞いてくれたってのがちょっと意外に思えた
家康もお江さんをそれなりに大切にしてくれてたのかな
しかし何で毛利輝元さんにお願いしたのか…
0705人間七七四年2011/05/26(木) 20:48:19.06ID:ZrCS1jfX
>>704
江が言ったとされることが→家康→輝元というルートで伝わったんだね

(この文どおりのことを本当に江が言ったとして)この文を読んで思ったのは「別腹に子供ができたら気の障りに〜」ということは
この時点では別腹に子供がいなかったということだから
珠姫はやっぱり江の子供何だろうな、ということと、
秀忠には正式な側室はいなくても
すでに1599年の時点で普通に妾的な人がはべっていたんだろうな
ということ

まあ家康が適当に書いてるだけかもしれないので
江の肉声かは完全に断定できないかもしれんけど
0706人間七七四年2011/05/26(木) 22:35:17.21ID:sIT91vvi
でも実際に、お江さん江戸に行ってるから、家康の指示もあったのかなあ
嫡男がまだ生まれてないから、口実作って行かせたのかな?

それかお江さんが、離れてばかりで寂しいから側にいたい と言っただけなのが
側室が気になるんだな と家康が深読みした という図式もあるかもしれんね
妾と疑わしい人が、もしかしたら長丸の母親なのかな
0707人間七七四年2011/05/26(木) 23:10:54.19ID:ZrCS1jfX
長丸 慶長五年十二月生まれだとすると
生母の懐妊が慶長五年の春ごろ
上記の江の発言が慶長四年の九月?だっけ
だから長丸母のことを気にしていたというのは有り得ると思う
一年ちかく離れ離れだったわけだから妾がいても当然だし


家康が深読みした可能性もあるかな
それかその後一年以内の動きを考えると・・・嫡男の妻を上方から離さなければいけない理由があったけど本当のことはいえないので適当な理由付でごまかしたとか
0708人間七七四年2011/05/26(木) 23:20:25.25ID:sIT91vvi
あー会津征伐の準備段階に入り、三成挙兵の疑いもあるから
嫡男の妻と子供が上方にいたら確かにまずいね 真っ先に人質に取られちゃうし
と、何となくこちらか深読みしてしまうな
0709人間七七四年2011/05/27(金) 00:13:59.34ID:6KYCUuf4
その頃は千姫珠姫も伏見にいたからなあ

0710人間七七四年2011/05/27(金) 20:13:28.22ID:6KYCUuf4
和子入内時の
秀忠と後水尾さんのやり取りがこわい
0711人間七七四年2011/05/27(金) 20:28:13.36ID:HsPixO63
あれこそまさしく政争
0712人間七七四年2011/05/27(金) 20:37:11.43ID:zSlbSNRb
紫衣事件の時も怖い 秀忠容赦なさすぎ
0713人間七七四年2011/05/27(金) 21:05:08.37ID:6KYCUuf4
別の女に子供産ませたくらいで怒るんじゃねえよそんなこというと譲位するよ譲位するよ譲位したら和子が入内できなくなるよ
と言う後水尾さんに対して
遠慮なく公家連中の風紀が乱れているからと処罰する秀忠
こわい

あと元和の大殉教だな・・・これ宗教的な話だからドラマや小説なんかで深く取り上げられないから
あんまり話題にならないけど
0714人間七七四年2011/05/27(金) 21:14:28.77ID:zSlbSNRb
公家諸法度を出しておいて、風紀の乱れを戒めないのでは幕府の恥とはいえ
天皇が側室もつくらい当たり前じゃん…むしろ天皇の血筋を後の世に多く残す為には
多くの子供残すのは当然というか義務であるし、幕府はやり過ぎだよなあ
それでものすごい子沢山だよね 後水尾さん

幕府のキリシタン弾圧は徹底的すぎて怖いよね…
しかし秀忠って外国もの嫌いというか、警戒心激しすぎるよね
幕府が未だ安定してない時期だから、仕方ないといえば仕方ないが
0715人間七七四年2011/05/27(金) 21:47:10.85ID:lHUhRSbL
でも、家康には言えないよね。
「そんなふしだらな所に娘は嫁にやれない」
身辺の清らかさを武器にしている(笑)
家康だと、反対に帝から「おめーに言われたくない」ってなる(笑)
そんなこともあって、保科正之を認知しなかったとか?

0716人間七七四年2011/05/27(金) 22:04:32.41ID:zSlbSNRb
「月宮の人」は徳川家の娘を入内させる為の
秀忠の計算として側室おかなかったという設定だったな あれは震えた
後水尾さんと同じく驚愕したわ

認知したらお家騒動で面倒なことになりそうだと思ったから、しなかったんじゃないのかな?
それか上のレスにもあるように、本当に自分の子か疑っていたとか
奇しくも結城秀康と同じことが起こってしまった…というか認知しない分秀忠の方が辛辣だが
0717人間七七四年2011/05/27(金) 22:53:14.23ID:6KYCUuf4
保科さんの件は二人の息子のためのような気がする
側室の子供でもちゃんと将軍の子供として扱われて乳母なり家臣なりが味方になって
しかも本人が優秀なら正室の子を脅かすことだって可能じゃないかな
城外で育てられた理由が奥の乱れを防ぐためで
実子として扱わなかったのは嫡庶の乱れを防ぐためだと思う
もし女児だったらどうなってたのか

>>716
月宮の作者の杉本苑子と乱紋作者の永井路子は秀忠のことを対談集で絶賛してた
「魅力ある政治家だ」と
誉め過ぎてて吹いた記憶がある
0718人間七七四年2011/05/27(金) 23:31:45.00ID:zSlbSNRb
>>717
対談集面白そうだな 読んでみたい
絶賛とまでは言わないが、秀忠はちゃんと認めてあげるべき人だよね
0719人間七七四年2011/05/28(土) 00:42:31.63ID:J+EVXquN
秀忠はお江さんの葬儀には出席しなかったんだな ちょっと悲しい
葵徳川三代では、ショックのせいで動く気力も失われてたな
0720人間七七四年2011/05/28(土) 05:18:24.93ID:X2C8OhDC
>>719
京都で仕事してたんだから仕方ないな
もし妻が死にかけていることを知って
仕事ほっぽり出して江戸に帰るようなことをするよりは
仕事続けたほうがよかったと思うし

それにお江の葬儀は金かかってるんだよね
当時は火葬は土葬より費用がかかるので
火葬されたのは大事にされてた証拠だよ、と誰かが書いてたな
千姫やお大やお梶とかお楽とかも火葬らしいから毒殺されて異例の火葬、というのは嘘だし
0721人間七七四年2011/05/28(土) 09:27:59.12ID:T5Bpfsw7
あれだけ子沢山で、多分夫秀忠とも仲良かったのに
いまわの際に誰も(姉初や娘勝姫あたりはいたかも)いなかったのは気の毒な話だ。
公人だから仕方がないとはいえ、何もそろっていない時にと思う。
末っ子の和子だって連絡はきてただろうから、さぞかし…
両親や兄や伯父信長、淀や秀頼の最後を思えば、畳の上なんだから「よし」なのかもしれないけど。
小柄な女性だったというから、度重なる出産も身体にこたえたかもしれないな。
0722人間七七四年2011/05/28(土) 13:20:22.01ID:X2C8OhDC
>小柄な女性だったというから、度重なる出産も身体にこたえたかもしれないな。

上にもあるけど
江は亡くなる何年も前から体調不良だったんだよな
未だに急死だ、とか書いてる本があるけど
遺骨からの推定身長が秀忠が158から160くらいだっけ
江は135から145の間くらいか
0723人間七七四年2011/05/29(日) 00:36:31.97ID:T8m5QSja
>>718
時代を旅する というタイトルの本に載ってる
「徳川家の女たち」というトークテーマなのに2ページくらい秀忠の話題で盛り上がってた

永井路子は「はじめは駄馬のごとく」って本でも秀忠について書いてたな
0724人間七七四年2011/05/29(日) 11:42:49.80ID:wjo8Puyr
お客さんがようけ増えて、養源院さんの鶯張りがピンチやて
0725人間七七四年2011/05/29(日) 19:49:52.05ID:rQaEBG02
娘の和子もまた波乱の人生送ってるよね 「東福門院和子の涙」は実に良かった
誰か良質な脚本家の元、あれをドラマ化してくれないかな
0726人間七七四年2011/05/29(日) 20:38:49.59ID:T8m5QSja
>>725
和子は辛辣な人物批評をする公家さんにも悪口を書かれなかったような人だから
人柄のいい女性だったんだろうな
晩年にお与津の娘とも交流しているそうだし
後水尾天皇ともなんだかんだで仲が良い

東福門院和子の涙は
BSの時代劇とかで
こっそりドラマ化とかでいいよ
動きがない地味題材だから
視聴率とか収入とか気にしなくてもいいような環境が良い
0727人間七七四年2011/05/29(日) 20:48:09.77ID:rQaEBG02
>>726
あの公家さんにすら悪く描かれないとか、どんだけ人間出来てたんだろう
手先が器用で押絵が得意だったと言うが、お江さんから習ったのかな
和子は異父姉の完子とも宮中で出会ったことあったんだろうか さすがに無理か
0728人間七七四年2011/05/30(月) 00:11:43.33ID:KZwByOjD
完子と秀忠の子供たちのつながりは
勝姫の娘・鶴が家光の養女として
完子の息子の九条道房に嫁いだこととかかな

0729人間七七四年2011/05/30(月) 02:53:00.82ID:KZwByOjD
家康スレで西郷局の話題が出ていて思いだしたんだが
宝台院にある西郷局の肖像画っていつ頃描かれたものなんだろう
着物の色とか綺麗だから好きな画だ
0730人間七七四年2011/05/30(月) 20:13:26.06ID:gv36n0nU
>>729
ググってみた 確かに綺麗だな
そのページにあったけど
「徳川家康公は、天下を取った翌年、慶長9年(1604)に龍泉寺を柚の木から紺屋町に移し
朱印(寺社領の安堵)30石と自画像(現存)、そして父広忠から譲られた太刀(現存)を寄進し
17回忌の法要を営みました」
とあったが、自画像これかな?
0731人間七七四年2011/05/30(月) 21:04:09.20ID:KZwByOjD
自画像とか家康いつ描いたんだろう
結構上手いよね

秀忠は母親のために従一位を執奏したり
山門を作ったりして(今は応教声院にある)
子供のころに亡くなった母親のことを思ってたんだな
宝台院は戦災で焼ける前はかなり壮麗な建物だったらしいし

0732人間七七四年2011/05/30(月) 21:57:14.62ID:KZwByOjD
>>731
間違えた
応声教院だ
すまん
0733人間七七四年2011/05/31(火) 23:10:29.65ID:PCA0ppAk
忠吉が長生きしなかったのが残念すぎる
0734人間七七四年2011/06/01(水) 16:08:14.22ID:mVuS99qE
>>721
江の娘たちは幸せな結婚をした者ばかりではなかったので
そこそこ江戸に出戻り娘たちはいたんじゃないのかな。
江が死ぬ4年前に三女勝姫は夫と離婚して江戸に帰ってきていたし、
江が死ぬ5か月前には長女の千姫も二度目の夫と死別して江戸に帰ってきていた。

娘の和子も小柄だったが七人子供を産んで72歳まで生きていたし
江も54歳まで生きていたのだから当時の平均寿命から言えばそんなもの
(特に出産のせいで寿命が縮まったわけではない)と思う

0735人間七七四年2011/06/01(水) 17:15:14.33ID:3XXXELs6
千姫は姫路から帰るのをもたもたしていて、江の臨終に間に合わなかったと記憶してる。(記憶違いだったらすまん)

どの姫も幸せとは思えない。この時代珍しくもない話だろうけど。
信長やお市長政、お江の人生を思えば、仕方ないかも。平穏な運命が待ってるとは考えにくいように。ましてや家康の孫でもあるんだし。濃い血縁関係だなあと思う。

最後は悲惨だが、両親と長くいっしょに過ごし愛された忠長がむしろ一番幸せだったかな。
0736人間七七四年2011/06/01(水) 18:41:49.62ID:5YYNbkDx
というかあの時代に絵に描いたような幸せな姫さまっていたか
夫と仲良しだったり長生きした姫でも
身内が殺されたり
子供が何人か早死にしてたり
男児が生めなくて側室の子供がうんぬん
とか
戦で夫が・・とか
現代の日本人女性だったら考えらないような事態に遭遇してる人ばかりだし

現代感覚で考えると悲惨でも
当時の女性は当たり前のことだと割り切っていたかもしれんから
不幸だ不幸だと言うのは違う気がする

昔の感覚というのは本当わからない
0737人間七七四年2011/06/01(水) 20:38:15.40ID:fszQf/VU
そうなんだよな 戦国時代の女性たちの感覚ってのが大前提なんだよね
今の自分達の感覚で、可哀想とか悲惨なんて言う方が失礼に当たる場合もあるし
一見不幸そうに見えても、その人は幸せだと思う場合もある
だからその時代の人を思うと、簡単にこうだったと断言できないんだよな
0738人間七七四年2011/06/01(水) 23:06:23.14ID:5YYNbkDx
>>737
うん
本当当時の感覚は難しい

よく政略結婚って不幸だなー
とか言う人がいるけど
当時の大名家の子供は父親に「お前自分の好きな奴と適当に結婚すればいいよ」とか言われても
喜んだりしないんじゃないかと思う
逆に「父親に見放された」と思ってへこむんじゃないかと
0739人間七七四年2011/06/02(木) 09:23:18.27ID:QLBFSUDY
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=chachahime-blog&articleId=10907414236&frm_src=article_articleList

この記事とコメント欄のやりとりについてどう思う?
0740人間七七四年2011/06/02(木) 10:46:53.99ID:ebWphN6G
>>731
鎌倉に西郷局のお母さんが開基の寺があるよな
貞宗寺とかいう
0741人間七七四年2011/06/02(木) 11:42:44.58ID:Y3m3ri1Z
保科正之は境遇がああだし、政治家としては名君と言われているから
母の静もイメージとして、清らかで御台様の嫉妬のせいで側室待遇もしてもらえずかわいそうだという認識があるだろ?

お江は静と保科正之のことを知っていたかどうかもわからんよなあ。秀忠も家康に負けないくらいタヌキなところがある。
うちのカミサンは、お江は気がついてたけど、秀忠が何も言わないし側室扱いもしないから黙っていたんじゃないかと言う。オレは知らなかったと思う。

嫉妬で殺されるからなんてのは、暴君を語る必須アイテムの側近を手打ちにしたや酒色に溺れたと同じで
子供のいない女を語る、片方側の一方的な話だと思うんだが。側室を持たなかったから、お江が嫉妬深い女だったろうてのと似たかよったか。

静がどんな女だったかわからんが、イメージとしてかなり得してるような気がする(笑)
ま、保科正之も女では大失敗してるから、そのあたりがおかしいというか面白い。
0742人間七七四年2011/06/02(木) 12:56:59.64ID:ebWphN6G
>>741
お静の方のように本人の史料が少ないのに息子は有名人、みたいな人は
息子のイメージで語られるんだと思う

秀忠母の西郷局が真面目な女性とか
秀康母のお万が男女関係に奔放で〜という話もそう

実際はどんな人だったか具体的にはわからないのに
息子がこういう人だから母親もこうだろうという話が広まっている
0743人間七七四年2011/06/02(木) 13:18:41.03ID:rzGJ/Ks9
お静が御台様のせいで側室待遇してもらえず・・・は本人の祈願文のせいじゃなかったか
加えて正室の江が秀忠よりも年上で婚姻歴のある女だったというのも
「自分より老いた正室に我慢させられた秀忠、普通なら若い処女の静のほうを誰だって寵愛する」
という当時の男性の考え方にあった気も

正之は徳川家綱の補役という仕事においてはある程度の活躍をしたのかもしれないが
父がお家騒動を恐れ正之を認知しなかった教訓を忘れ自分の家庭は無茶苦茶でお家騒動起こしてるし
0744人間七七四年2011/06/02(木) 13:33:49.27ID:ebWphN6G
>>743
え?祈願文が原因なんて話あったっけ

静は確かに江より年下だが
正之を妊娠した1610年時点でもう27歳だぞ(1584生まれ)
30半ばの江を妊娠させてるし
秀忠は年増好きだったんだと思う
まあ長丸母が10代のギャルだった可能性もあるかもしれんが

正之さんは最期まで家族関係では大変だったよな
御家騒動の件は自分の生い立ちの母親の境遇から
「側室や脇腹の子供のことも正室と嫡出子のように遇したい」と思った結果の出来事なのだとしたら悲しいことだ
0745人間七七四年2011/06/02(木) 17:12:10.94ID:rzGJ/Ks9
>>744
静の祈願文=氷川神社に現存
「御たいしつ(御正室)との御心(嫉妬)ふかくえいちう(営中)におることをえず」

1630年には秀忠も32歳なのだから相手の静が27歳であって不思議はない。
一方この頃江は38歳、35歳で末子の和子を産んでから子は産んでいない。

正之は正室と側室の子を(男子に関しては)明確に区別しているので
側室の産んだ娘が大大名に嫁ぐことになったのは単なる偶然だと思われる。
(正之が意図的に側室の娘を厚遇したわけではないということ) 
0746人間七七四年2011/06/02(木) 17:45:29.78ID:ebWphN6G
>>745
ああゴメン勘違いした
御台所のせいで〜といわれるの原因は祈願文、ということね

別の意味でとらえてたw

保科正之の子供って早死にした人も多いよね
側室の娘が正室の娘より待遇がよくなるのも仕方ないかもしれない
そう考えると正室の子供七人が成人した秀忠は珍しいケースだな
千勝和子は長生きだし
0747人間七七四年2011/06/02(木) 19:31:13.16ID:TIYBAQXe
逸話から見ても、秀忠って絶対女性の尻に敷かれるようなタイプじゃないな
むしろ家康のように女性だろうが厳しいというイメージがある
側室持たなかったのは、単なるタンパクだったか、あえて持とうとしなかったのか
それでも何故かこういう時に、正室のせいで〜なんて原因を作られるよな
そうした方が楽なんだろうが、原因にされる女性が気の毒だわ
0748人間七七四年2011/06/02(木) 19:45:29.00ID:ebWphN6G
平安時代でも
村上天皇中宮の藤原安子とか
藤原頼通の妻の隆姫女王が
「嫉妬深い」扱いだな

ちなみに安子は3男4女に恵まれた子沢山で
隆姫女王は夫婦仲良しなのに子供に恵まれなかった

江や初の境遇と被る

0749人間七七四年2011/06/02(木) 19:58:19.01ID:TIYBAQXe
そういや、初が子供に恵まれなかったのは
浅井が京極を下克上で臣下においた恨みを、高次が持ってたから
夫婦の行為がなかったとか、そんな話聞いたことがあるけど、それはないだろうな
高次の配下の人には元浅井家の人もいたはずだし、恨み持ってたら配下にしないと思う
息子の忠高が初姫に冷たかったのもそのせいだ とかそれ秀康と忠直の関係と被ってるし
0750人間七七四年2011/06/03(金) 00:09:39.97ID:tFamN/KL
徳川頼房は正室不在なのに側室に堕胎を命じてたんだよな
そういう特殊な人もいるので側室と庶子の扱いの悪さ=正室のせいとは断定できない
(他の側室の嫉妬のせいとか、養母のお気に入りの側室じゃなかったからとか、結局女性が原因みたいに言われていたりもするけど)

まあ家康秀忠家光正之と親子三代四人の男がいて
四人ともに「正室が嫉妬深いせいでトラブル起きた」みたいな逸話があるなんて
おかしいと思うな

話は変わるけど
杉本苑子の「汚名」って小説の秀忠がこわい
0751人間七七四年2011/06/03(金) 11:32:37.90ID:ayt+6l5E
正室の嫉妬のせいで〜 て話しは井伊直政にもあるな
ひこにゃんでおなじみの井伊直孝は側室の子だけど
直政の正室の嫉妬のせいでしばらく会えなかった みたいな話があるし
単に出来た子の扱いに困るのを、正室のせいにしているだけなんだよな
その手の話なんだか凄く女々しくて、あまり良い印象が持てない

杉本さんは「月宮の人」の秀忠も怖かった というかあの小説の雰囲気すべてが怖い
0752人間七七四年2011/06/03(金) 13:40:13.57ID:tFamN/KL
杉本さんの小説は
良くいえば現実的
悪くいえば突き放した作風なんだよな
明るいとか爽やか、とか、カッコイイとかそういう言葉とは無縁の作品が多い

同じ杉本作品でも「春日局」の秀忠はこわい感じじゃないな
確か家光が生まれる直前、産所にいる江のとなりになぜか秀忠がいて
江の髪の毛をベタベタ触っているんだよ
それを見たお福が
「なんだこの夫婦・・・・」となるシーンがある

まあ春日が主人公なのでこのスレの住人にはオススメできない
0753人間七七四年2011/06/04(土) 00:16:01.61ID:RCi2ZIWU
江が安土総見寺の信長廟を再建していて
秀忠が総見寺を加増していたという情報を
立ち読み本で仕入れた

忠長が信長に似ていたとかいう作り話に無理矢理絡める輩が現れそうだな・・・・・・
0754人間七七四年2011/06/04(土) 11:35:14.63ID:S1BPIWTP
秀忠とお江のお墓を公開

ttp://sankei.jp.msn.com/region/news/110603/tky11060322440022-n1.htm

行きたい!
増上寺は理解あるけど、寛永寺は見せてくれないよなあ
0755人間七七四年2011/06/04(土) 16:19:47.43ID:faDbPRC4
>>752
春日視点でも公平に描いてくれるならいいんだが
ひたすら春日age江sageされるのばかりでうんざりなんだよな
しかしその秀忠なんでいるんだw そりゃお福も「何この夫婦…」って思うわ

>>753
江も織田家のことも色々してるんだなあ あと秀忠も優しいな
伴侶の家族の為に何かしてあげるって、それだけでも美談だよね
秀吉の養源院然り 家光だって浅井家の人たちにしてあげてるし
0756人間七七四年2011/06/04(土) 19:54:52.94ID:RCi2ZIWU
>>754
行きたい

高野山の家康秀忠霊廟も写真で見るかぎりかなり立派なのでも生で見てみたいんだがなかなか

あと秀忠と和子関連で梅照院という寺が気になる

>>755
総見寺の件
歴史読本に詳しく書かれてる
0757人間七七四年2011/06/05(日) 11:00:32.86ID:zCCGB3PS
和子が眼を悪くして快癒祈願をしたところだっけ。
末っ子の和子は可愛かったろうなあ。苦労させるのもわかっていただろうし。
和子は両親のいいとこ取りしたようなイメージがある。素直そうで、愛嬌のありそうな、そして聡明。
0758人間七七四年2011/06/05(日) 11:44:29.86ID:885qXkN6
和子は娘の中で一番苦労というか、凄い人生送ってるよなあ
でもそれを乗り越えたということは、人間的にも良いものをいっぱい持っていたんだろうね
娘が天皇になったんで徳川の血筋が途絶えちゃったのは惜しいけど、武家の娘が天皇に嫁いで
なおかつ娘が女帝なんて、歴史上色々凄い立ち位置だよね

更に今上天皇は、異父姉完子の血筋の方なんだから、もう凄いロマンを感じる
0759人間七七四年2011/06/05(日) 13:35:32.12ID:FIXuU0wX
五人の娘の中で一番夫婦の手元に長くいたのが和子だね

唯一和子の悪い点といえば衣装狂いで金づかい荒かったことか
和子が朝廷に小袖を持ち込んでそれが広まったと聞いた
和子を寛永のファッションリーダーとよんでいた人がいたが
倹約好きの家康の孫 、秀忠の娘がファッションリーダーとはw
0760人間七七四年2011/06/05(日) 15:00:47.27ID:zCCGB3PS
でも、ほら刺繍技術の向上や上方経済の活性化を考えれば
上の人の贅沢は意味のあるものになるからさ。
和子の衣装道楽は、ストレス解消もあったはずだよ。
0761人間七七四年2011/06/05(日) 18:25:04.90ID:885qXkN6
>>759
そらあんな所に一生閉じ込められてるんだし
衣装見立てたりするくらいしか、楽しみがないんじゃね?
それを衣装狂いとか、金遣い荒いとか批判するのは可哀相だ
天皇に嫁いだ身なんだから、質素な物に仕上げる訳にもいかんし
0762人間七七四年2011/06/05(日) 19:13:41.61ID:FIXuU0wX
>>761
批判はしてないよ「あえて言うなら」だから
あれだけ大変な立場なのに人格的批判が出てこないのはすごい
将軍の娘や妻でも性格も趣味もわからない謎だらけの女性がほとんどな中で
和子は性格がわかるようなもの残っているし、好きなものもわかってるから、調べがいのある面白い女性だと思う

光雲寺行きたい
なぜ通常公開しないんだ
0763人間七七四年2011/06/05(日) 21:41:44.36ID:04JMxSqn
和子は姉妹たちの中でも破格の化粧料を幕府から送られていたので仕方がない
朝廷に対する権威付けのためだろうけど
和子は一度着た着物には二度と手を通さず、すべてお付きの者たちに下げ渡しだったらしい
京都の西陣は和子の生存していた時代にはそれでかなり潤っていたらしいね
0764人間七七四年2011/06/06(月) 00:09:41.56ID:dD/qZXrr
上の方にもある、隆慶先生の作品の秀忠はもの凄いド外道らしいな
怖くてまだ読んでないんだけどさ
その作品にお江さんは出てくるのかな 出そうにもないような気がするけど
0765人間七七四年2011/06/06(月) 00:20:40.76ID:p1a+Yt2j
>>764
あなたがお江の方に好感持ってるなら
読まないほうがいい

お江長丸殺害説を採用している作品だぞ
あと勝姫がお梶に「ママより優しいから好き」みたいなこと言うシーンがあるから・・・・
0766人間七七四年2011/06/06(月) 00:29:48.46ID:dD/qZXrr
>>765
ありがとう 読まない方がいいな
長丸殺害の話って、あれ江の実子としての話じゃなかったっけ?
0767人間七七四年2011/06/06(月) 00:56:23.92ID:p1a+Yt2j
>長丸殺害の話って、あれ江の実子としての話じゃなかったっけ?

実子なら殺す必要ないじゃん?

隆先生は確か「幕府祚胤伝」に長丸、灸で死亡と書かれているところから想像を膨らませて
江が脇腹の長丸を灸で殺した、という展開にしているよ
そういう歴史ゴシップ大好きな人たちが信じてる長丸殺害話も同じような話
まあ祚胤伝では長丸は江の子ということになってるんだけどw

幕府祚胤伝はアレな史料だから
本当に長丸さんが灸で死んだかは・・・
0768人間七七四年2011/06/06(月) 18:29:37.89ID:dD/qZXrr
>>まあ祚胤伝では長丸は江の子ということになってるんだけどw
なので、その本の中だと、何故実子の長丸を殺したのか
という謎に迫る みたいな展開だと聞いたんだが
でも、実子じゃないんだから意味のない展開なのは違いない

長丸は単なる病死だと思うけどなあ 同じく早死した子なんていっぱいるのに
なんで長丸だけは江が殺害した なんてことにするんだろうか
その長丸の生母だってわざわざ江戸に呼んで産ませてるんだから
殺すほど憎いのなら、そもそも呼ばないわな
0769人間七七四年2011/06/06(月) 20:37:16.87ID:m4qmpUig
なんかさー悪役が必要なんだよ。
忠輝しかり、忠長もみんなそうだ。悪役を引き受ける人間を据えるんじゃいかな。
特に勝ち組に見える春日局や家光たちや幕府の上層部にはさ。

お江も再再婚で年上で子沢山だった、秀忠が側室を持たなかった、それだけであの言われようだもんな。
0770人間七七四年2011/06/07(火) 00:41:10.10ID:nv1JHqlJ
江戸城で生まれて九ヶ月生存してるんだから正室が嫉妬して殺したんて考えられないな
慶長五年十二月生まれなら秀忠不在時に生まれたことになるし
六年十二月ならわざわざ生母を上方から連れ帰ったことになるし
伏見生まれならさすがに手は届かないし

あと、たまに長丸を隠し子扱いにしている本があるけど、増上寺に埋葬されているから隠し子だったとは思えないし
(以上は脇腹説を採用した場合の想像)
秀忠夫妻は長丸を粗末に扱ったりしてないと思うんだけど

とりあえず長丸さんは生母は江説と脇腹説があり
生まれは慶長五年説と六年説があるから
場合分けして考える必要があるから面倒くさい・・・・
0771人間七七四年2011/06/07(火) 06:58:40.64ID:wLOzL8B+
増上寺に埋葬するくらいなら、なんで生母の素性なり名前なりが伝わらなかったんだろうね?
よほど低い身分の女性だったかと思う一方で、歴代の将軍生母にはかなり低い身分の人がいて、それを隠してないのにさ。
静のことといい、長丸ママといい、秀忠の女性関係って「あ?」がいっぱい。
0772人間七七四年2011/06/07(火) 11:39:44.21ID:Ih3SjoY9
お静さんは、息子の正之が有名だから、便乗で名前でたんじゃないの?
もしも正之が表舞台に出ずひっそりと暮らしていたら、長丸の生母のように名前すら出てこなかったんじゃ

秀忠はたまに浮気するけど、側室置いてまで女ほしいわけじゃないタイプだったのかなあ
0773人間七七四年2011/06/07(火) 23:03:57.86ID:nv1JHqlJ
うーん「正室以外で身分の高い男性の周りにいる女性」というのは三段階くらいあるんだよね?

1 部屋と侍女が与えられていて
正室と分担して、または正室の代わりに(子供を産んだり奥をまとめたり奥様外交などの)仕事をこなす女性→いわゆる側室というポジションで結構偉い

2 立場が保証された後で殿の手が付いた女中(長丸母)

3 立場が保証されないまま殿の手が付いた女中(お静)

秀忠には1の女性が必要なかったんじゃないか

・・・・・というか1の女性がいないせいで
正室江が特別優遇されていて長丸母と静がひどく冷遇されているように感じる、これが恐妻と言われる理由だと思う

女性史に興味ない人が1から3の女性を全部ひとくくりに「側室」と呼ぶのも
誤解の基
0774人間七七四年2011/06/07(火) 23:55:51.14ID:Ih3SjoY9
江は外交などの仕事もしてるし、過程面では家族の呉服の調達もしていたが
やはり一人では限界もあるだろうしね
そういや秀忠の乳母の大姥局も、奥の仕事に携わっていたと思うが
それなら秀忠の乳母の人たち+お江で、奥の仕事を捌いたんだろうか
0775人間七七四年2011/06/08(水) 00:49:28.22ID:9vTUmqIo
>>774
一番関わっていそうなのは民部卿局だと思うな

相良さんとかいう大名家に
民部卿局がお江名義で出した書状とか
民部卿局が秀忠名義で出した書状があるし(火事見舞とか御祝儀がどうのこうのとかいう内容)
すべての藩とこんなやり取りするのはかなり大変そうだ

春日局を家光の乳母になったのも民部卿局が関係してる言われている

お江は立花宗茂の息子とか細川忠利と面会の記録があるんだよね
奥さん外交は断片的に「あっただろう」ことがわかるだけで詳細不明なのが残念だな
0776人間七七四年2011/06/08(水) 07:46:27.92ID:22fBe+ZH
女性に対しては温度の低い人だったのかも>秀忠

家康は、側室たちに役目を与えて仕事を任せてる。阿茶さんとか今ならキャリアウーマンみたいに、根回しやいろいろがんばってたようだし。性別関係なく人を使うのが上手だ。

豊臣を潰すことについては、家康より秀忠の方が積極的で、融通の効かない頑固さを利用して滅ぼしたという説があるよね?
親父が生きてるうちに、みたいな。

政治的には容赦ない人だと思うし、そうでないと幕府創成期は乗り越えられなかったと思う。

「雨があがったら」の手紙を知ると、素の秀忠は優しい人に思えてならない。かな文字も柔らかくて品の良い(女性っぽくさえ見える)ゆったりした手蹟で、秀吉たちの悪筆に比べると印象が全然違う。

誰から何を贈られて、雨があがったらお出かけするつもりだったのかねえ。
0777人間七七四年2011/06/08(水) 19:22:34.19ID:VbnqWS4f
>>776
その手紙ネットで見れないかなあ 検索してもよく分からなくて…

娘の珠姫が、旦那の利常が参勤交代で江戸に行ってしまって寂しいから
早く返してねって秀忠に手紙送ったら、本当に二・三ヶ月早めに帰ってきた という逸話が好きだ
冷酷な面もあれば、優しい一面もあり、親馬鹿な面もありと、秀忠は色んな意味で魅力的な人だと思う
0778人間七七四年2011/06/08(水) 20:03:52.79ID:k0E0fj1K
>>773
秀忠の時代までは戦国大名の痕跡が強かったのでは?
江戸時代以前は大名家においても限りなく一夫一妻(多妾制)の痕跡が残っており、
実際に一夫一妻を通した大名というのは結構いたんだよね。
たとえ跡取りがいなくても(養子を取った)。
奥の仕事というのがあるから妻を娶らない大名は謙信ぐらいで滅多にいなかったけど
側室を持たない大名は結構いたし、徳川家康も正室築山殿がいた時代には長らく一夫一妻に近かった実態がある。
(築山殿と別居してからやりたい放題)
徳川将軍は3代家光のときに大奥ができて30を超えた女は寝所に侍らないなどの規則を作って
入れ替わり立ち替わり常に若い側室を将軍の寝所に侍らせることが半ば強制的になったけど
それ以前の大名は結構一夫一妻の庶民に近い感覚の人も多くて正室と永らく添い遂げた人も多く
側室を持つことが慣例・強制されていたわけではなかった。
庶民感覚に近いねねなどは秀吉の長浜時代夫が側室を持ったことに嫉妬して夫婦喧嘩していたことが残っているし。
07797782011/06/08(水) 20:12:47.66ID:k0E0fj1K
このスレ的にはどうなのかは知らないけれども、よく言われているように
「秀忠は江のことが大好きで、大事にしたいと思うあまりに側室を置かなかった特異な人間」
「秀忠は江を恐れる恐妻家で、側室を置きたくても置けなかった特異な人間」
というのはどちらも違っていて、一夫一妻は普通だったということ。
側室は置いた大名もいるけどプラスアルファ。

0780人間七七四年2011/06/08(水) 21:38:01.00ID:9vTUmqIo
側室がいないのはおかしいことではなかったということだね
家康の女好きぶりや家光以降の大奥の常識を物差しにして秀忠の女性関係を見ているのがいけない、ということか
よくある正室が嫉妬深い、という話も戦国期の家での正室の存在の大きさを示しているのかもしれない

>「秀忠は江のことが大好きで、大事にしたいと思うあまりに側室を置かなかった特異な人間」
「秀忠は江を恐れる恐妻家で、側室を置きたくても置けなかった特異な人間」

このスレでは
上記の二つの理由ではないと思っている人が多いと思う

>>777
忠吉宛の病気見舞手紙とかもあったね
雨があがったら会おう手紙は大河ドラマの特別展に出品されてたよ
0781人間七七四年2011/06/09(木) 00:34:05.52ID:Teo3SM6v
>「秀忠は江のことが大好きで、大事にしたいと思うあまりに側室を置かなかった特異な人間」
秀忠・江夫妻が好きな自分は、こっちの方がいいけど
それはちょっと出来すぎかなあとは思ってね
でも秀忠は江のことを大事にしていたとは思うし、江も秀忠のこと信頼していたと思うよ
0782人間七七四年2011/06/09(木) 01:40:05.73ID:Q7oyLZoN
>>781
愛情面のことはわかりゃしないけどさ
晩年まで奥さんとしての仕事をまかされてたんだから
江は秀忠に信頼されていたとは思う

信頼されてなかったら豊臣滅亡後に鷹司孝子さんみたいな状態になっていると思うし
0783人間七七四年2011/06/09(木) 08:03:07.71ID:pQltqJ0O
こんなところでも夫婦仲良く
http://www.townnews.co.jp/0101/2011/06/09/106993.html
0784人間七七四年2011/06/10(金) 20:26:37.60ID:XCs4B05y
某ブログのコメント欄で
西郷局の名前は「愛」「相」「桐」の三説あるよーと話題がでていたが
確か「丁」説もあったな
どこかのタイミングで改名したのかもしれん
0785人間七七四年2011/06/10(金) 20:54:40.80ID:K48rDluD
そういやお江も、江じゃなくて「徳」という名で呼ばれていたらしいから
督も「ごう」じゃなくて「とく」の方かもしれないねって本で読んだな
女性の改名ってどういうタイミングや意味でするんだろうか
0786人間七七四年2011/06/10(金) 22:41:40.59ID:XCs4B05y
西郷局が登場する一番古い記事が「家忠日記」の葬式記事らしく、そこでは「西郷殿」と書かれているだけだから
どれが正しいかはわからないんだよなあ
二次史料には「愛」が多い気がするから自分は「愛」さんでいいな、と思っている
丁から愛に改名した、ということも考えたがわからない

崇源院は自分の手紙に「五」と書いてるから手紙が書かれた晩年のころは間違いなく「ごう」なんだよ
自分はお江与の方=おえとの方=お江戸の方説に納得したので
お江戸の方呼びを広めたい
お江与の方呼びは大奥のイメージが強すぎ
0787人間七七四年2011/06/11(土) 20:04:52.68ID:Jj4ciGiz
>自分はお江与の方=おえとの方=お江戸の方説に納得したので
>お江戸の方呼びを広めたい
自分もー
お江与の方ってどこから出てきたんだよ! とずっと疑問に思っていたから
「おえどのかた」で納得できた 江戸住みだもんね まんまだね 「江の生涯」で初めて知ったんだけど

そう思えば「江の生涯」の内容は、2〜3割は有益な情報手に入れられて良かったんだけど
残りの8〜7割がちょっとどころじゃないとんでも説ばかりで、あまりお勧めできねぇ
作者は「これまでのお江悪妻イメージを払拭したい」という思いで書いたんだろうけど
なんかアレだと逆効果な気がしたよ… むしろその意気込みでどうしてああなった
0788人間七七四年2011/06/12(日) 00:30:07.64ID:xJjY+e2n
お江戸の方、というのは
茶々の淀の方とか市の小谷の方とかと同じような呼び名ということかな

おえとのかたか
0789人間七七四年2011/06/12(日) 00:34:20.69ID:52qrLN6r
大体はそこに住んでいる地名や部屋の位置+の方 で呼ばれるね

大名の奥方はよく「北の方」って呼ばれるけど
城の北側に住んでいるからというが、北側に奥を作るのが習慣だったの?
0790人間七七四年2011/06/12(日) 02:12:07.28ID:T4O66E9U
北の方の由来は案外古くて
平安時代の貴族の建築様式寝殿造りからきていると言われてます。
寝殿、つまり正殿を中心に東の対や西の対などの建ものがありまして、とくに正妻と目された女性が北の対に住むことが多かったようです。
このことから、奥さんを北の方と呼ぶようになった。鎌倉期に既にこうした呼び名は浸透していました。


上流社会の女性を、周囲のが名前で呼ぶことはありませんで、たいがいは住んでいる場所が呼び名になりました。そのため、正式な名前がどんな字なのか、どう呼ぶのかが後世にきちんと伝わっていない。
お市や茶々、お江などはそれでも名前が伝わってますが、多くは○○○の女(むすめ)としかわからない。
0791人間七七四年2011/06/12(日) 08:41:51.61ID:xJjY+e2n
>>790
徳川実紀はお江戸の方(早速使うw)のことを北の方と呼んでるよね
はっきり覚えているのは家光が生まれた箇所で「母は北の方
」と書かれてた

平安時代から江戸末期まで使われる長い歴史のある呼び名だな
0792人間七七四年2011/06/13(月) 14:55:56.01ID:eII+5tRY
>>787
週間文春読んでたら
「徳川の女について語ろう」みたいな対談やってたけど

磯田さん(武士の家計簿?)という方が
「さすがに家光は江の子だろ」と発言してた

磯田さんのコメントは結構面白かった
江と家康の嫁舅関係とかw
0793人間七七四年2011/06/14(火) 23:20:57.49ID:xGVpx1I0
秀忠って評価が変わってきたと思っていたのに
まだ世間にはヘタレな無能とか思われてるんだな

なんかもう・・・
いろいろと気力がわかない
0794人間七七四年2011/06/15(水) 11:11:01.84ID:gHlAW70P
まあそう言わないでさ。
家康の息子て冠がついて回るし、長男次男は跡を継げなくて「気の毒に」なフィルターがあるし。反対に秀忠には、関ヶ原の遅参があるのに上手いこと二代目におさまってみたいな見方もあるだろ?
あの家康がさ、なんの考えも無しに秀忠を後継者に指名するわけがない。必ずそこには選ばれるだけの理由があったはず。でもって、きちんと期待に応えてる。
秀忠は理想的な二代目だと思う。役割としては損だが、それは仕方がない。

今あの世の家康の前に、信康、秀康、秀忠を並べて「誰を選ぶ?」と聞いてみたいもんだ。
オレは、間違いなく家康が後継者に選ぶのは秀忠と思うが……
0795人間七七四年2011/06/15(水) 22:39:15.70ID:9r04NXrf
ああ、ここは秀忠さん好きとしてはいいスレですね。
おかげでいい本に出会えました。
殿いつ6巻が待ち遠しい・・・
0796人間七七四年2011/06/15(水) 22:55:26.60ID:/b9PdBFd
>>794
関ヶ原遅参って実際何が起きたんだ

自分は秀忠初心者な上、戦のこともよくわからん
0797人間七七四年2011/06/15(水) 23:33:58.78ID:KGHGyxgW
>>796
信州制圧が当初の任務だった秀忠に家康が関ヶ原転進を命じたが、
使者が利根川の増水により到着が遅れたから
0798人間七七四年2011/06/16(木) 00:36:41.29ID:RuTHwpfs
大河ドラマ江の秀忠カッコよすぎワロチw
0799人間七七四年2011/06/16(木) 01:09:15.73ID:5Gi40q+M
>>797
そうか
ありがとう
伝達と天候ね

0800人間七七四年2011/06/16(木) 09:05:29.14ID:oAGCrWzz
>>794
選ぶなら忠吉だな
0801人間七七四年2011/06/16(木) 12:48:46.00ID:AuBQyG4A
>>794
1600年に信康存命という前提なら、信康を選ぶよ。
秀忠は信康亡きあとの2代目に過ぎん。
0802人間七七四年2011/06/16(木) 13:38:54.36ID:arXvdHTf
信康はやはりどこかで家康とぶつかる気がするがのう
0803人間七七四年2011/06/16(木) 16:35:48.97ID:qJahWTxv
さっきちらっと予告編見たけど
秀忠が人質ってwww
秀康ガン無視ですか
0804人間七七四年2011/06/16(木) 16:39:10.19ID:NTI8LZXL
最近の研究では信康の死の原因は信長じゃなくて家康との内粉とする声も大きいとか
築山殿の件といい家康が悪者になるのを避けるために、消しておいて被害者面な可能性は充分あると思う
0805人間七七四年2011/06/16(木) 17:16:11.68ID:gQ0A4NyY
そうですね。武田信玄に傾倒する家康ならば
器量良しと言われる信康が邪魔になる可能性は有りますね。
その武田と内通の噂があれば信長以前に処断しても不思議は有りません。
家康という臆病者は徹底していますからね。
そういう意味でも差し障りのない秀忠は跡継ぎとしては打って付け。
凡将ということでしょう。
0806人間七七四年2011/06/16(木) 17:20:59.93ID:5Gi40q+M
>>803
秀康出てるだろ
0807人間七七四年2011/06/16(木) 18:11:43.10ID:qJahWTxv
>>806
あ、そうなんだ
いやあ、今年の大河は一度も見てないからなあw
0808人間七七四年2011/06/16(木) 18:34:45.10ID:RmCa8zYV
凡将か名将かと問われれば凡将でしょう
ただ足跡からは今川氏真や織田信雄のような愚将ではなかったというところでしょう
0809人間七七四年2011/06/16(木) 18:36:29.41ID:RmCa8zYV
>>802
そうすると相手が強大な小牧長久手あたりがそういう転機かもね
0810人間七七四年2011/06/16(木) 18:40:20.37ID:5Gi40q+M
>>808
凡将なのは同意するけどさ
凡君か名君かと聞かれたらどうする?

0811人間七七四年2011/06/16(木) 18:51:05.93ID:yXIfNnpa
秀忠が将軍、大御所のころはもう将である必要がないし
名君ではあったと思うよ
0812人間七七四年2011/06/16(木) 19:54:09.73ID:mhM7CpXN
>>804
でも一応信康殺害にはそれなりに正当な理由はあるはず
でなければ信長が黙ってる訳がない
0813人間七七四年2011/06/16(木) 20:18:42.43ID:NY5mdMct
名君・・・むずかしいな
大御所や脇を固めた補佐がいてこそだとは思うけど秀忠本人の能力的にはどだろね
0814人間七七四年2011/06/16(木) 20:19:29.28ID:d2ieftoi
生まれた時期が良かった
0815人間七七四年2011/06/16(木) 20:23:29.43ID:5Gi40q+M
>>813
親父や補佐役の力なんじゃね?と考えだすと
秀忠だけじゃなくて他の人たちのこともそういう目で見なくちゃいけなくなるから
アレだな・・難しいな
0816人間七七四年2011/06/16(木) 20:31:20.72ID:dpzFboOD
補佐の人がよかったからと言い出したら
それこそこれまでの名武将と言われた人達も
家来が強くて優秀だったからだろ とか言われちゃうし

秀忠に能力無しだったら、十代の頃から江戸250万石の統治なんて
家康が任せないと思うな やはり内政手腕に長けていたんだろう
0817人間七七四年2011/06/16(木) 21:47:46.58ID:2ZnKFB7h
>>813
本多正信の弟にして、反骨の狂戦士”本多三弥正重”が、大御所様より
遙かに仕え安き主君だと言っている。
「何せ、大御所様のような嘘つきと違って、真っ正直なお方で、仕えがいがあります」
と言わしめているから、人間としての信用度では、秀忠>>>>家康だったんじゃないかな。
でなきゃ家康死後、秀忠の大名取りつぶし政策の際に反乱が起きるよ。
0818人間七七四年2011/06/16(木) 22:07:12.80ID:mhM7CpXN
>>817
ソース
0819人間七七四年2011/06/16(木) 22:30:18.24ID:d2ieftoi
反乱と信用度って関係ある?
0820人間七七四年2011/06/16(木) 23:19:02.21ID:2ZnKFB7h
>>817
ソースは、嗤ってくれても良いが逸話からだな。逸話のソースはわからん(出典不明)
>>818
法令違反で取りつぶす際に、法の適用が公平だと思われるのには信用がないと駄目でしょう。
法の適用が恣意的に行われてるんじゃないかと思われたら、初期の幕府政権は持たなかった
と思いますよ。
0821人間七七四年2011/06/16(木) 23:43:40.19ID:mhM7CpXN
つか取り潰しという行為そのものが幕府の恣意じゃんか
徳川体制を安定化させるための政策に公平も糞もない
0822人間七七四年2011/06/16(木) 23:46:05.28ID:mhM7CpXN
結局取り潰しまくった結果浪人大量生産して家光家綱が苦労するし、その結果ある程度条件を緩くする羽目になったな
0823人間七七四年2011/06/17(金) 00:15:59.22ID:xAKVJGt0
ちゃんと決めた規律を実行させないと
幕府なんて口先だけで怖くねーや と大名に舐められちゃうしね
まあ厳しすぎたってのはあるけどね
0824人間七七四年2011/06/17(金) 01:01:03.68ID:/tb4wT2E
江の秀忠めちゃくちゃカッコイイな あんなかっこいい秀忠ははじめてだ
0825人間七七四年2011/06/17(金) 05:44:16.61ID:czNTqv1F
>>816
輝元「ですよねー。」
0826人間七七四年2011/06/17(金) 09:54:31.60ID:avNGTYJx
>>824
あのGOGOGOのダンナ八頭身秀忠が、中年になったらメタボ西田敏行に自然と脳内変換されちまう。中村雅俊の秀忠も好きだった。

親父家康に反抗的な秀忠けっこう新鮮(笑)
0827人間七七四年2011/06/17(金) 12:48:33.69ID:bsY9NKZJ
>>824
へうげものとか月宮の人の秀忠は
カッコよくないか?
0828人間七七四年2011/06/17(金) 15:43:51.49ID:/tb4wT2E
>>827
そうなん? こんど漫画喫茶いったら読んでみます
0829人間七七四年2011/06/17(金) 15:46:31.77ID:/tb4wT2E
>>826
やっとわかった 春日の局ですか 中村秀忠は
まったく思い出せない・・・ どんなんだったかな レンタル100円のときに借りてみようかな
0830人間七七四年2011/06/17(金) 16:35:36.69ID:vUuF7vGx
上田城・攻防戦について語ろうー
0831人間七七四年2011/06/19(日) 22:54:40.44ID:aYhHgbYH
>>826
西田秀忠は父親のやり方に反感を持ちながらも面に出さずぐっと堪えて、
夏の陣後に溜まってたモノが一気に噴き出す感じだったね。
0832人間七七四年2011/06/19(日) 23:07:44.27ID:8YoLTWms
>>826
ひねくれ者でクールな秀忠なんてねーよ、と言っている人がいるが
親父や家臣の前ではヘコヘコしてる温厚な青年なのに実は・・・・・という設定なら有りだと思う

親父に面と向かって文句言ったのがマズかった
0833人間七七四年2011/06/20(月) 05:51:33.05ID:ZGJiuO2b
>>824-832
大河板ではあの秀忠かなり不評のようだが・・・・・
0834人間七七四年2011/06/20(月) 08:01:57.42ID:JhnWagd/
>>833
「あの作品の」秀忠だからどんな設定でも叩かれると思う
役者も上手い人じゃないし
葵徳川三代の秀忠好きの人も多いみたいだし

0835人間七七四年2011/06/20(月) 09:26:28.07ID:6JQ0zXII
今回の大河の秀忠好きだけどな。
0836人間七七四年2011/06/20(月) 10:19:05.86ID:nSb6Snuz
そもそも秀忠が秀康と仲良かったという設定にも無理がある。
0837人間七七四年2011/06/20(月) 12:00:02.01ID:JhnWagd/
>>836
秀忠と秀康もそうだけど
あの時代の兄弟(特に異母異父)って現代人が思うほど交流ないんだろうな
しかも片方が養子に出されたとなると
節目節目の挨拶で会うだけとかその程度なんじゃないのかな

仲良くするのも味方が増えるから、とか打算的な考えもありそう
0838人間七七四年2011/06/20(月) 13:09:42.75ID:6sK6CohI
でものちのち将軍になったあとも秀忠はみょ〜〜に秀康に気を使ってた
年上の人は尊敬しろという儒教のおしえだけでは説明がつかないようにも思える
家光が隠し弟の保科正之をみょーにかわいがったのに似てる気もする
0839人間七七四年2011/06/20(月) 13:55:39.98ID:jhlOmzuw
つか気を使わないとダメだろ。そこまでは徳川体制強くはないんだから
もし秀康が秀忠に反旗翻したら負けないまでも徳川家がガタガタになるのは間違いない訳だし
秀康は名望があり曲がりなりにも兄だし
家光と正之との関係とは全く違う
0840人間七七四年2011/06/20(月) 14:18:12.44ID:JhnWagd/
>>839
「反抗心を抱かせないように丁重に扱え」と家康が秀忠に命じている作品があったな
なんの作品かは忘れたけど

0841人間七七四年2011/06/20(月) 17:29:22.21ID:yNncYyU2
司馬遼太郎の『豊臣家の人々』じゃね?
0842人間七七四年2011/06/20(月) 17:43:14.91ID:JhnWagd/
>>841
あ、ありがとう
その本、読んでないけど図書館でパラパラめくった記憶ならあるから
たぶん正解だ
0843人間七七四年2011/06/20(月) 23:35:54.23ID:yxZsmRZO
秀康に気を遣うのが面倒くさくなって毒殺したんだろ
0844人間七七四年2011/06/22(水) 23:16:15.42ID:H/TbSWTv
>>843
秀忠が秀康や忠吉を殺したとか
最初に言いだした奴誰なんだ・・・
0845人間七七四年2011/06/23(木) 19:58:46.98ID:bYTc6r6m
忠吉はどうかわからんが秀康は8割毒殺だろ
家康か秀忠かどっちの指示かは解らんが。
0846人間七七四年2011/06/23(木) 20:11:13.30ID:rFBdXBJI
>>845
普通に梅毒
0847人間七七四年2011/06/23(木) 20:31:24.58ID:TcHpf7/e
どっから8割でてきたw
0848人間七七四年2011/06/23(木) 20:43:31.31ID:tYg2Uyin
家康と正信も晩年梅毒で死にかけた時があったみたいだな
よく生き残れたものだ
0849人間七七四年2011/06/23(木) 20:46:39.63ID:W5yMB0Ls
この頃、梅毒って大名家なんかも蔓延していたの?
0850人間七七四年2011/06/23(木) 21:09:18.73ID:rFBdXBJI
大名が遊女と遊ぶことは江戸時代でも行われていたし
0851人間七七四年2011/06/24(金) 00:25:10.04ID:UTF79Zba
遊女じゃなくても、当時の一般女性のまんこは皆汚かった。
ロクに洗ってないからね。
クンニなんか考えられない時代。
0852人間七七四年2011/06/24(金) 00:38:48.03ID:b5b3nGpn
朝鮮出兵が原因じゃないの?
0853人間七七四年2011/06/24(金) 01:57:32.91ID:5YUSDlhX
今のエイズみたいなもんだったのかな
0854人間七七四年2011/06/24(金) 14:32:33.37ID:Dn9Nf/2L
>>844
家光はともかく、秀忠が同母弟を殺す理由がわからん
そんなに秀忠と忠吉って仲悪かったっけ?
0855人間七七四年2011/06/24(金) 17:14:11.84ID:PKEiqJhD
>>854
家光?
それはともかく俺の知ってる限り、二人の仲が解る逸話は見たことないし、
忠吉が野心を見せてる様子も見受けられないな。
0856人間七七四年2011/06/24(金) 17:46:20.99ID:Nf9lzd+c
弟の病状を心配するお手紙が残ってるね。異母兄弟は他人みたいなもんらしいから、秀忠も同母の弟は大事に思ってたんじゃない?

まあ、家光と忠長みたいな確執もあるけど。この二人はもうちょっと年が離れていたら良かったかもしれない。
0857人間七七四年2011/06/24(金) 20:39:25.54ID:V5XX7kXx
家光と忠長の争いは
正室の同母だったからこそ起きたものだろうよ
0858人間七七四年2011/06/25(土) 01:10:22.91ID:Jr+MoUfo
信長公と信勝(信行)殿みたいなかんじか
信長公なんかみずから刀で弟刺したっていうしな
とどめは池田恒興か前田利家の弟がやったらしいけど
0859人間七七四年2011/06/25(土) 06:33:35.88ID:pOxeDpVi
正宗もそうだな。
同母兄弟といっても、嫡男とその弟じゃ状況はまるで異なる。
生母の愛情はどうしても嫡男より弟に行きやすい。
0860人間七七四年2011/06/25(土) 07:51:00.59ID:Vzgu4O3b
母が正室の同母兄弟
母が側室の同母兄弟
異母兄弟
では関係が変わってくるんだろうな
0861人間七七四年2011/06/25(土) 08:13:20.10ID:cBkXNEkv
信玄の兄弟のような関係は例外だったんだろうね
0862人間七七四年2011/06/26(日) 03:43:02.82ID:kvEkaiVV
>>861
晴信だって下手すれば兄弟の争いになったかもしれない
そのかわり親父追放したけど
0863人間七七四年2011/06/26(日) 17:52:04.49ID:sczu2Adw
百年間、一族の結束を乱さなかった北条さんちはガチ

というのはさておき、シエの秀忠は厨二病真っ盛りって感じでおもしろいね
0864人間七七四年2011/06/26(日) 19:13:01.87ID:16oN9oHy
たま〜にドラマとか小説に出てくる
「優しいお坊ちゃまで
秀忠関連の都合の悪い話や黒いエピはぜんぶ親父と妻のせいになんです
温厚で真面目なだからね」的秀忠が大嫌いなので

ちょっと性格悪いくらいがちょうどいいと思っている
ドラマの出来が良ければ「ちょっと黒秀忠」も受け入れてもらえただろうに
残念だ
0865人間七七四年2011/06/26(日) 21:17:11.74ID:g+Gsy5/q
そういえば江の秀忠は父家康が長兄信康を殺害し、次兄秀康を人質に出したことに
大きな不満をもってるような役どころだったけど、後に秀忠本人が実の娘を
豊臣家や前田家に人質同然に出したのはどう説明するんだろうか
とても優しいマイホームパパとは思えない冷徹さだ
0866人間七七四年2011/06/26(日) 21:28:52.63ID:16oN9oHy
そもそも秀忠は家康と同じくらい子供に対して冷徹

後継者争いの件でも
娘の婚姻においても
庶子の扱いでも
0867人間七七四年2011/06/26(日) 21:29:02.56ID:BIYtF2Bi
単に脚本家に一貫性がないだけのような気がする
0868人間七七四年2011/06/26(日) 21:31:39.05ID:d7j1hoBG
今の大河で、そんなにマジメに考える必要は無いだろw
0869人間七七四年2011/06/27(月) 00:11:30.41ID:G+JO8D9R
>>866
史実では千姫に対して「何ゆえ秀頼と共に死ななかった!」だからな
0870人間七七四年2011/06/27(月) 00:50:08.90ID:rHg+G3oH
>>869
よく聞く話だけど、政略結婚が裏切りその他で破綻したら女は出戻りが普通で
人質同然ということで処刑なんて当時でもできるだけ避けたいケースなわけで…
夫と運命共同体なんて考えがあったのだろうか(お市は例外と考えていいと思う)
上にも少しあったように秀忠までは価値観や慣習は江戸時代より戦国よりだから余計に疑問だ
0871人間七七四年2011/06/27(月) 05:48:05.28ID:wpvOgz6C
というかその話ってただの逸話だろ
江戸時代とかの創作なんじゃねえの
0872人間七七四年2011/06/27(月) 06:41:30.52ID:5m+fJzV6
>>833-835
今の大河の秀忠が嫌いって言うより、中の人があまり好きじゃないな
何となくミスキャストっぽい。
そもそも、秀忠って容姿が良かったイメージ無いし。
0873人間七七四年2011/06/27(月) 08:14:56.16ID:wpvOgz6C
それは・・・・・残念な写真が残ってる幕末明治人を美男美女が演じてるんだからべつにいいんじゃないか(例・去年や再来年の主人公)

秀忠ってドンロドリゴ?かなんかが
「色黒で親父のような肥満体ではない」とか書いてて
墓の調査では筋肉質だったんだよな
色黒で筋肉質な男
0874人間七七四年2011/06/27(月) 18:11:12.45ID:VuE4JEAq
>>872
何を言っているんだ?
大河の真田も伊達も三成も散々外見が改変されているではないか
0875人間七七四年2011/06/27(月) 18:12:51.63ID:VuE4JEAq
晩年の家康は確かにでっぷりとしているが
伊達政宗の方がよっぽどデブだったというな
0876人間七七四年2011/06/27(月) 20:50:43.10ID:pn8cRrwI
>>864
自分も自分も
秀忠に限らず都合の悪いことは他の人のせいにして、主人公をやたら綺麗に描く作品は嫌いだな
漫画の話になるけど、殿といっしょの秀忠ぐらいが丁度いい
真田憎しで色々と嫌がらせしようとする黒い面や、妻に対して優しさを見せる面とか
そういう人間臭い感じでいいんだよ 極端に黒くしたり綺麗にしたりしなくていいんだよ
今までの作品の中で何気にトップのキャラ設定だったわアレ…
0877人間七七四年2011/06/27(月) 21:03:12.38ID:wpvOgz6C
永井路子の秀忠が好き
0878人間七七四年2011/06/27(月) 21:12:40.12ID:7/a7YihB
>>876
一時期の家康と信康関連もその辺露骨でちょっと嫌だったな
0879人間七七四年2011/06/27(月) 21:44:29.60ID:wpvOgz6C
>>878
家康は悪くありません的な描き方ってこと?

「信康がいれば良かったのに」ってセリフ
秀忠をディスる時によく使われるけど
これって逸話の類じゃないのか・・・・・
なんでまじで言ったことになってるんだろう

0880人間七七四年2011/06/27(月) 21:51:31.51ID:pn8cRrwI
関ヶ原合戦前に家康が言った「信康が生きていれば…」って話だっけ?
確か信康の命日がその日か前後日だったとか
0881人間七七四年2011/06/27(月) 22:07:56.53ID:7/a7YihB
>>879
YES
確かその逸話では家康が涙を流して嘆いたとあった。
まあ流石にね……。
0882人間七七四年2011/06/27(月) 22:16:38.29ID:HmA8shEc
信康が生きてれば
四〇という
武将としては円熟期を迎えているであろう年齢なんだし、
秀忠のこととは無関係に
あいつがいればな、と思いもするわな
還暦近いお爺ちゃんとしては
0883人間七七四年2011/06/28(火) 06:47:46.11ID:x10Ch5w6
>>824
向井某のヲタは頼むから巣に帰ってくれ
0884人間七七四年2011/06/28(火) 07:52:21.17ID:+ycr7Vej
信康が生きてれば
織田の後継争いにどっぷり嵌って終わってたかもしれんな
0885人間七七四年2011/06/28(火) 18:59:02.75ID:f9x5DEpN
信康が優秀すぎて、織田側が危機感を感じて云々という説もあったな
0886人間七七四年2011/06/28(火) 19:58:33.29ID:oBjXMv2K
実際は逆だったという落ち。
0887人間七七四年2011/06/28(火) 22:07:19.28ID:iefTXudI
信康が優秀だったことがわかる具体的な出来事ってなんだっけ
0888人間七七四年2011/06/28(火) 22:17:25.91ID:oBjXMv2K
長篠の戦で殿に成功したのと、秀康を擁護した逸話と、三河物語関連かな
0889人間七七四年2011/06/28(火) 22:33:13.19ID:GoCUSZRz
俺は於義丸を父に対面させてくれた
この一件だけでも兄上を支持する
0890人間七七四年2011/06/28(火) 22:39:30.88ID:iefTXudI
>>889
あんた秀康本人か?

逸話だからな・・・実際のところは
0891人間七七四年2011/06/28(火) 22:40:18.85ID:RKswRTNj
ぶっちゃけ有能か無能か判断できないw
0892人間七七四年2011/06/28(火) 22:51:16.92ID:iefTXudI
20歳で死んだ人を有能か無能かなんて判断できないんじゃね
普通に考えたら

その後どう転ぶかわかんないのにさ
決められてる人もいるけど
0893人間七七四年2011/06/28(火) 22:57:41.44ID:oBjXMv2K
>>890
確かあの逸話、信康死後約200年経ってからの史料が初出なんだぞ
家康の反応も生々しくて、本当の話と思いたいけどさ……
0894人間七七四年2011/06/28(火) 22:59:14.32ID:ONG0C51a
信長、もしくは家康に目をつけられて殺されてるってことでボンクラじゃなかったとは思うが、素行が悪い問題児や不運なことが重なっただけの可能性も捨てきれない
0895人間七七四年2011/06/28(火) 23:02:42.35ID:iefTXudI
>>893
この人が死んで何百年も経ってからの史料が初出で
反応が生々しいとか
やけに登場人物の心情とかが細かく描かれている話は

あやしいと思ってしまう
面白く読める話ほどあやしいと感じてしまうのは悲しいが・・・・
0896人間七七四年2011/06/28(火) 23:03:37.69ID:vMcsR2WB
考えてみりゃ信長公が殺すってのは変だなあ 娘婿だし
なーんか武田信玄みたいに父家康を追放しようとしてたのがバレて、家康側近に切腹だーって
やらされたような気がする 家康本人は気に入った子だったので殺したくなかった
また、酒井忠次が信長公のところへいったのは信長公の娘の婿を殺すことになるので、
ひとこと言って許可をもらわないと取り潰されると思ったからのように見える
0897人間七七四年2011/06/28(火) 23:08:36.41ID:oBjXMv2K
>>896
信康事件の研究でやや有名な典厩五郎氏は
短編で家康に信康謀反の裏には信長がいるんじゃないかと疑わせてたなw
0898人間七七四年2011/06/28(火) 23:08:56.37ID:f9x5DEpN
戦で活躍してるようだし、無能ではなさそうだけど
内政もこれからって時だったのかな?
三河物語にも、信康が死んだ時は、上から下まで民衆すべてが悲しんだ みたいなこと書いてたらしいし
0899人間七七四年2011/06/29(水) 00:28:56.56ID:NIldYxGW
禿忠スレで関係ない話しはやめろ
0900人間七七四年2011/06/29(水) 00:31:17.47ID:Ayx+cC23
関係ないのか
0901人間七七四年2011/06/29(水) 00:35:09.23ID:JBco2Ivh
信康事件の発端は秀忠が産まれたのと
関係があったと言う説はあるな
0902人間七七四年2011/06/29(水) 00:35:39.03ID:aJuPJI6u
信康が有能か無能か関係無しに、家康があまりに有能過ぎたから怖れた信長が
信康に謀反させて代替わりさせようとしたってのは可能性としてあるかもな。
それを察知した家康が先んじて信康を切腹させたという事に。
0903人間七七四年2011/06/29(水) 00:50:46.33ID:i92t/ouQ
お江とか秀康とか忠吉の話題も出てくるし
別にそんな気にしなくていいんじゃないかな

そういや秀忠と忠吉仲良いねって逸話なんかないかな?
0904人間七七四年2011/06/29(水) 01:12:43.64ID:Ayx+cC23
忠吉の病状を心配した秀忠は食事も喉に通らなかった
みたいな話をたまに見かけるが出展不明
0905人間七七四年2011/06/29(水) 07:20:21.86ID:ddInwMIX
隆慶一郎の本での秀忠の扱いはすごいね
0906人間七七四年2011/06/29(水) 08:49:22.57ID:Ayx+cC23
>>905
隆さんの書く秀忠は嫌いだけど
自己主張しない弱虫みたいに書かれるよりはいい

個人的最悪秀忠はフジ大奥の秀忠
いや女優陣が素晴らしいからドラマ自体は大好きだけどさ
0907人間七七四年2011/06/29(水) 12:18:53.79ID:+6JHjFyh
もし信康が生きて2代将軍なってたら、秀忠はどんなポジション?
0908人間七七四年2011/06/29(水) 12:41:01.38ID:JBco2Ivh
問題起こしそうな性格じゃないし、後の御三家か
家綱将軍時の保科正之ポジションで落ち着くんじゃないかな。
0909人間七七四年2011/06/29(水) 14:39:50.59ID:o8eiwEQ/
かえってその方が評価は高かったかもね
武田信繁、豊臣秀長みたいな優秀な弟として・・合戦はアレだけど
0910人間七七四年2011/06/29(水) 18:10:25.29ID:Ayx+cC23
派手さがなくて政治家タイプだから
「一番偉い人の弟」とか「補佐役」とかのほうが合ってたのかもしれんね

そういうタイプであ秀忠がNO1ポジションを務めたことは
後の徳川の安定のためには良いことだったと思う
0911人間七七四年2011/06/29(水) 18:39:39.51ID:+6JHjFyh
>>909
合戦がアレだってバレずに、すんだかもなw 関が原も大阪も留守番で
0912人間七七四年2011/06/29(水) 18:42:40.51ID:Sw6kg4hL
いちばんひどいのはあずみの秀忠 めっちゃキモチ悪い
0913人間七七四年2011/06/29(水) 19:00:14.69ID:Ayx+cC23
>>912
あずみ、秀忠の顔を見た瞬間に読むのやめたわ

漫画とかドラマの歴史上の人物の顔面設定はあまり気にしないほうだけど
あれはさすがにひでぇと思ってw
性格もキモいのか?
0914人間七七四年2011/06/29(水) 19:09:14.52ID:+6JHjFyh
家康の影武者メッタざしにしてたようなw
0915人間七七四年2011/06/29(水) 21:06:35.33ID:i92t/ouQ
>>913
あずみ みたことないけどそんなに酷いのか
敵役なんだろうけど、そういう敵側の相手も魅力的に書いてこそ
主人公達もまた魅力的になると思うのになあ ドロヘドロみたいに
0916人間七七四年2011/06/29(水) 22:27:14.45ID:Ayx+cC23
>>914
親父本人をめった刺しにするよりはマシだが・・・・
0917人間七七四年2011/06/30(木) 00:11:00.57ID:XwQc+Yp/
>>873
色黒で筋肉質な俳優が秀忠演じたら
「史実と違う」とか「俺のイメージと違う」とか騒がれるんだろうな
一応、根拠のある話なのに
0918人間七七四年2011/06/30(木) 00:33:54.22ID:iMyRmlxF
なんかこう、中肉中背で少し神経質そうな表情が常な人 みたいな印象がある
読む小説が偏っているのかもしれないけど、やたら色白な設定にもされてたな

葵徳川三代の西川秀忠は、最初違和感あったけどすぐに見慣れていったなあ
 むしろ、ああありそうありそう とか思っちゃった
西川さんの演技力にもよるんだろうけど
0919人間七七四年2011/06/30(木) 14:44:25.83ID:IN1Oi/cc
対比が必要だからなぁ。

家康と秀忠がちゃんと武将しているのは関ヶ原からだが、その時から

家康:老人・色黒小太り・老練(性格タヌキ)
秀忠:若者・色白顔立ちいいイケメン(ヘタレ)

のイメージはそのままだからなぁ・・。
0920人間七七四年2011/06/30(木) 21:22:00.23ID:iMyRmlxF
そういやお江さんも伊達の義姫も、長男を疎んじて次男を溺愛する設定にされているけど
昔からそういうテンプレでもあったのかな
そして大河の独眼竜政宗見ると、どっちも志麻姉さんでかぶることかぶること…
いやどちらもそこまで疎んじてはいないんだけどね
0921人間七七四年2011/06/30(木) 21:27:27.72ID:oqcyQAXJ
武田信虎や最上義守にもそういう突拍子のない逸話があるから
昔からあったテンプレだと思われ
0922人間七七四年2011/06/30(木) 21:32:00.85ID:iMyRmlxF
信虎さんの暴虐の数々って本当にあったのかなあ
クーデター起こって晴信に家督継承してるから、何かはあったんだろうけど
クーデターと言えば、お江の父、浅井長政もクーデター的なもので家督継承したんだっけか
この場合は、久政が保守的過ぎて家臣から不満が出て無理やり引退させたんだっけ
0923人間七七四年2011/06/30(木) 21:43:02.38ID:bIooK6Xk
>920
信長母の土田御前もだったか
信長と信勝(信行)の仲裁をしたから?弟溺愛にされる
同腹の兄弟が争うのは、いくら戦国の世でも普通に考えて嫌だと思うけどな
0924人間七七四年2011/06/30(木) 21:55:08.82ID:iMyRmlxF
織田さんちもなんだなあ やっぱり典型的なテンプレだったんだろうね
家光が忠長の饗応に訪れるのが嬉しくて、初さんに手紙も書いちゃうし
自分が生んだ子供達が争うのは、どんな時代でもやっぱり母親としては嫌だろうね
0925人間七七四年2011/06/30(木) 21:59:12.43ID:XwQc+Yp/
昨年末ごろ大河スレにも同じことを書きこんだんだがドラマや逸話で語られるお江の家光忠長の件には

忠長の乳母や春日局以外の家光の乳母が登場しないのはなぜなんだろう
家康が孫に饅頭やる話とか有名だけど
家光の隣には春日局が付き添っているのに
忠長の隣に付き添っているのはお江だもんな
忠長の乳母はどこで何してるんだ
0926人間七七四年2011/06/30(木) 22:12:42.93ID:iMyRmlxF
ドラマでも小説でもゲームでもだが
しょせん知名度高い人しか採用しないのよ
0927人間七七四年2011/06/30(木) 22:24:33.82ID:XwQc+Yp/
ドラマにしろ漫画にしろ知名度高い人だけで物語を回しているから
誤解を生むんだな

仕方ないことだけどさ
家光には春日局以外にも乳母がいたなんて知ったらショック受ける人もいるだろう
0928人間七七四年2011/06/30(木) 22:37:28.42ID:iMyRmlxF
お福さんも、普通に優秀な人だったから家光が重宝した くらいでいいよね
福にしか心開かないとかやりすぎだと思う そんな無駄に持ち上げなくていいのに

家光他の人と交流あるし 伊達政宗とか立花宗茂とかお気に入り武将多いよね
晩年の具合悪い伊達さんを、お忍びで家光が見舞いに来て、感動して泣いちゃった話は良い
0929人間七七四年2011/06/30(木) 22:44:23.17ID:oqcyQAXJ
知名度的には九州大名勢もいい加減ドラマで主役張ってもいいのにねぇ
0930人間七七四年2011/06/30(木) 23:00:17.25ID:iMyRmlxF
島津は唐入りがダメなんだろうか
長宗我部元親もいいかなと思ったけど、息子失ってからが可哀想すぎて…
0931人間七七四年2011/06/30(木) 23:15:14.87ID:XwQc+Yp/
秀忠の側近と聞かれて一番に思いつくのは
みなさん土井利勝?

0932人間七七四年2011/06/30(木) 23:28:53.62ID:gpyKog5k
本田正信
0933人間七七四年2011/07/01(金) 00:07:02.79ID:Lldq0K30
大久保忠隣は、側近というか家老か
0934人間七七四年2011/07/01(金) 00:28:18.92ID:wSJgxt+0
大久保忠隣は親子ほど年が離れてるから爺ってかんじじゃね?
0935人間七七四年2011/07/01(金) 13:40:39.89ID:2HSMFVDc
柳生宗矩かな
0936人間七七四年2011/07/01(金) 15:07:53.41ID:AtcMBEPX
そういや「葵 徳川三代」で、柳生一族出ていないけど、何が理由あるの?
0937人間七七四年2011/07/01(金) 15:23:11.88ID:KKBeCU4P
NHKでは家康・秀忠・家光の裏の顔はタブーです。
吉宗の時は裏の実行部隊を匂わせる(あくまでも匂わせる)人物はテギュラーででていた・・・
0938人間七七四年2011/07/01(金) 18:32:42.68ID:wSJgxt+0
>>936
しょせんその程度の下っ端ってことなんじゃないですか
おいらは島津の大河がないのもしょせん島津じゃ大河の主役は務まらないって
ことだとおもってます 大陸での戦いで活躍したから中国に遠慮して、なんてないない
0939人間七七四年2011/07/01(金) 18:40:39.80ID:fU6k0GWt
永井路子の乱紋を読了
秀忠とお江の夫婦関係が興味深い。
「はじめは駄馬の如く〜No.2の美学」で秀忠を扱っていると聞いて探しているが、地元の図書館にもなかった。
0940人間七七四年2011/07/01(金) 18:55:10.80ID:KhCDjEWI
>>938
柳生は春の坂道って大河で主人公してたぞ。
あと島津はこの前のニュースで中国でも人気があると言ってた。
0941人間七七四年2011/07/01(金) 18:57:02.94ID:wSJgxt+0
>>940
ちゅ、中国で島津が人気あるんですか?! やはりそれは鬼のように強い武将、ってことで、
敵ながらアッパレってことでしょうかね・・・
0942人間七七四年2011/07/01(金) 18:58:09.75ID:Xe5DP4ye
>>939
自分はブックオフめぐってゲットした

来年の大河で黒く活躍しそうな平時忠のことも取り上げてるから復刊すればいいのに
0943人間七七四年2011/07/01(金) 20:50:03.98ID:fU6k0GWt
>>942情報ありがとう!
ブックオフ巡りして探してみるよ。藤原不比等も取り上げてあるらしく、ぜひとも入手したい一冊だ。
0944人間七七四年2011/07/01(金) 20:59:12.66ID:Lldq0K30
>>943
自分は、アマゾンの中古でゲットした
最近はもっぱらアマで購入してるなあ 楽だし結構あるんだもの
0945人間七七四年2011/07/01(金) 21:28:10.04ID:Xe5DP4ye
ちなみに題名の駄馬は秀忠のことじゃないよね
駄馬は北条義時で秀忠は・・・・
0946人間七七四年2011/07/01(金) 22:04:20.20ID:Lldq0K30
>>940
意外だ 唐入りで大暴れしたし、絶対恨まれてると思ってたのに
でも今のNHKは過剰に配慮するから、どちらにしろ大河化は無理そうだ
0947人間七七四年2011/07/01(金) 23:04:20.91ID:NVQ1c7tj
向こうもゲームとかで入った世代多いらしいからね
明は被害出たけど正味勝ち戦だし何処かの人達と違って
こっちの三国志的に興味あるんじゃないか
0948人間七七四年2011/07/01(金) 23:21:21.41ID:Wx1lJpBI
勝ち戦じゃないだろw 秀吉が死ななかったら滅びてた
0949人間七七四年2011/07/02(土) 00:27:01.49ID:i4w0EXKr
>>947
そういえば家康はメチャクチャ人気あるって聞いたことがある
たんなる戦国覇者ってわけじゃなく、子供のころからすごく苦労してがんばってるところが
すごいとかすごくないとか
0950人間七七四年2011/07/02(土) 00:40:34.92ID:Pesx2xBQ
作られた韓流ブーム、その意図は?
【芸能】「韓流スター“チャン・グンソク”訪日の出迎えファンは報酬2000円のバイト」・・・日本マスコミ報道に韓国騒然★4
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1309530337/
0951人間七七四年2011/07/02(土) 00:42:44.51ID:ezYAoC9h
>>948
まあ物の見方の違いだな
俺は劣勢でも戦略目標達成できれば勝ちじゃないかと思っている
0952人間七七四年2011/07/02(土) 01:20:25.03ID:XNwCvEZs
家光は母方の祖父と曽祖父の像を作ったりしてるけど
秀忠は嫁の生家について何かしてるのかな?
0953人間七七四年2011/07/02(土) 05:52:00.10ID:fXjiMWhn
>家光は母方の祖父と曽祖父の像
そんな像あったっけ?
0954人間七七四年2011/07/03(日) 00:16:46.72ID:ojbS9hB5
>>952
浅井の菩提寺に寺領を寄進したことと

浅井亮政の孫で淀殿の侍女だった女の息子が大奥に出入りしていて秀忠にも会っていて家光の小姓になったことくらいしかしらん
あと和子の侍女
0955人間七七四年2011/07/03(日) 04:08:05.39ID:ByKWXYm8
家康と家光はキャラクター、性格がだいたい想像できるけど、秀忠は平凡な二代目なのか、
それとも相当屈折した陰険な王なのか、あるいは人情あふれる温厚な人なのか、
どれかよくわかんない なーんか最近は陰険な権力者に見えてきた
0956人間七七四年2011/07/03(日) 10:24:08.26ID:HdNNnSGs
仕事に厳しい面もあるが、情の厚い人 それでいいと思う
部下がうっかり汁物落としちゃったけど、秀忠がとっさに寝たフリしてみなかったことにした話が好きだ
0957人間七七四年2011/07/03(日) 19:55:03.89ID:ojbS9hB5
元和の大殉教をガチで描いた作品てある?
自分はこの話聞いて秀忠こわ
と思ったんだけど
どうにも宗教関係であらゆる本や番組で無視されてるな
0958人間七七四年2011/07/03(日) 23:11:57.79ID:AD0zuaDS
>>939
遅レスだが、図書館間相互貸借を利用した方が早いと思う
0959人間七七四年2011/07/04(月) 00:06:59.04ID:D1Bq0F0i
>>939
永井路子は徳川関連の女だとお江とお勝が好きだよな
主人公の小説を書いていることと
この二人について話すときの長文っぷりと内容からうかがえる

0960人間七七四年2011/07/04(月) 00:45:57.67ID:L8jQAhO2
秀忠とお江が仲良くしている話が読みたい
「東福門院和子の涙」は読んだけど他にあるのかな
あと漫画だけど「殿といっしょ」は良かった 実に良かった お江さん可愛くて秀忠も優しい
0961人間七七四年2011/07/04(月) 01:16:32.17ID:oAZX7a9a
【長野】NHK大河ドラマ「江(ごう)」がエキストラ募集
長野県の「諏訪圏フィルムコミッション」のサイトに、大河ドラマ「江」のエキストラ募集が
告知されています。「ある武将が、関が原の戦い(1600)に向かうシーン」とか。

<募集概要>
募集日程:
 (A)7月15日(金)※予備日7月16日(土) 16:30〜21:00予定
   募集対象:兵士役、20歳〜50歳くらいの男性 28名
 (B)7月16日(土)※予備日7月17日(日) 6:00〜18:00予定
   募集対象:兵士役、20歳〜50歳くらいの男性 40名
撮影場所:原村・富士見町・北杜市(山梨県)
撮影内容:ある武将・兵隊が関が原の戦いに向かって移動しているシーンなど
特典、待遇等:スケジュールに準じて食事を提供。番組記念品を進呈
締切:2011年7月8日(金) 17時、ただし募集定員に達し次第終了。募集人数を上回った場合、年齢などを考慮して選考する可能性あり
http://www.suwafc.com/satsuei/top.html
0962人間七七四年2011/07/04(月) 01:30:00.05ID:D1Bq0F0i
>>960
美女いくさ
花々の系譜
江 波乱と愛憎の生涯
淡つ江御寮
お江ものがたり

下の二つは少女漫画
0963人間七七四年2011/07/04(月) 03:33:33.50ID:oO/l1hzh
二流の息子だけに酷いもんだな
完全に日本を徳川家の存続のためにものにしてしまった
徳川の歴代の出来損ないのせいで幕末に日本は列強から深刻な脅威を受ける羽目に陥った
0964人間七七四年2011/07/04(月) 18:56:16.28ID:+dY1td9G
はいはい
0965人間七七四年2011/07/04(月) 19:18:41.43ID:L8jQAhO2
>>962
ありがとう 花々の系譜は初視点だったから
仲は良さそうなんだけど、あまり伝わらなかったんだよね

あと、家康がお江をあまり良く思っていないという設定が多すぎるような…
別に遠ざけていたとか、そんな史料はなかったよね?
織田の血筋だから云々はともかく、豊臣家からの輿入れだから、警戒するのは分かるけど
そこまで毛嫌いする必要もないと思う
0966人間七七四年2011/07/04(月) 20:03:31.25ID:D1Bq0F0i
家康自身の女性関係と訓戒状の存在(内容ではなく存在が重要)と竹千代の菓子エピのことを考えると
家康が豊臣養女である息子の妻を嫌っていた設定になるのは仕方ない

もちろん訓戒状は叱責しているような内容ではないし
菓子エピは創作の可能性もあるので(家康の側近が書いた日記に載ってないんだっけ)、仲が悪くない設定でもおかしくない

さすがに仲がいいのは違和感あるが
0967人間七七四年2011/07/04(月) 20:21:05.19ID:L8jQAhO2
家康の訓戒状って、取り上げる部分が
国松はあくまで弟なんだから、嫡子以外は家臣として考えなきゃだめだよ
ってそれだけなのが問題なんだよな なんで全体を紹介しないんだろうか

国松は利発だけど、そのままにして育ててはいけない、植木を育てるように
悪い所は切り捨てて、良いところを伸ばしていくようにしなさいね みたいに
家康さんの子育てアドバイスから、徳川家全体のことといった教えが長々と続くから
あれってお江宛てというか、徳川家全体に宛てた教えに感じたけどな

舅・嫁だから、難しい関係だと思うが
家康の末子の市姫って、お市の方の美貌にあやかってつけたとか聞くと
晩年は織田というだけで、そこまで毛嫌いしてるようには見えんのよなあ
(でも武田の話はよくしたけど、織田の話はあんまりしなかったようだが)
0968人間七七四年2011/07/04(月) 22:54:32.91ID:orHOYb51
家康だって老い先短い爺なんだから
先々を心配して色々言いたくもなるだろうよ
正室不在で姑がいない状態だし
親切な舅じゃないか家康は

…と解釈する人はいないのかw
0969人間七七四年2011/07/04(月) 23:07:03.35ID:D1Bq0F0i
>>968
秀忠やお江の世間イメージがもう少し良ければ
あの訓戒状を「おじいのアドバイス」的とらえかたする人も多かったと思うが
イメージが悪いので
残念な息子夫婦を叱りました的解釈なってるんじゃないか

あの訓戒状って代々徳川家に伝わってるものじゃなかったよな
山本なんとか先生の本に書いてあったが
0970人間七七四年2011/07/05(火) 00:27:05.34ID:ozWOc3Vq
>>931
第一に思い浮かぶというと土井利勝だけど、他には老中をつとめた井上正就もそうかな。
井上というと、この人が殺される原因になった事件が、春日局が井上正就の嫡男と
鳥居成次(徳川忠長の家老)の息女の婚儀を仲介した一件なんだよね


家康がお江に宛てた書状というと、婚礼の翌年(文禄5年)の大地震の際に、お江が
家康(当時伏見にいた)に宛てて出した見舞い状の返信がのこっていて、文中で
親子(家康・秀忠)ともども無事なので安心してね、ということを述べているな。
春日局といいお江といい淀殿といい、逸話や通俗的なキャラクター像ばかりが
先行してて、なかなか実像がわかりづらいんだよな。
0971人間七七四年2011/07/05(火) 01:01:15.59ID:Ijx66b+w
>>親子(家康・秀忠)ともども無事なので安心してね
ということは、地震当時、秀忠とお江は離れていたのかな?
0972人間七七四年2011/07/05(火) 07:27:02.97ID:8vowzaLb
伏見城と伏見城下の徳川屋敷
0973人間七七四年2011/07/05(火) 08:52:59.58ID:8vowzaLb
>>970
この時代あたりの人(織豊期〜家光くらいまで)は創作のネタになりすぎて
一般的に広まっている人物像がドラマ的漫画的すぎる


0974人間七七四年2011/07/06(水) 00:28:06.32ID:mrN0OjCf
良くも悪くも戦国時代は熱い時代だったんだろうな
秀忠は戦国時代・江戸初期 というなんか中途半端な時期に生まれたような感じだ
家康と一緒に色々と合戦巡った訳じゃないし、小田原の役はほとんど見ていただけだろうし
関ヶ原の戦いなんて、ほとんど初陣に等しいのに2万の大軍を従えなきゃならないし
さらにその中で、味方同士の不和も起こったりと、無理ゲーにもほどがあって可哀想になる
0975人間七七四年2011/07/06(水) 00:37:34.59ID:hebkd/L2
そういえば秀忠の初陣は小田原でいいのかな
この前某ドラマ見たらしき人が「秀忠の初陣は関ヶ原だろカスw」みたいなこと言っていて
いやいやそれはどうだかと思ったんだが

一応、徳川実紀には小田原まで行ったという話があるんだよな
0976人間七七四年2011/07/06(水) 00:54:25.79ID:mrN0OjCf
確か、小田原の役の時に秀吉軍・家康軍が箱根湯本に到着したとき
秀忠が秀吉から呼ばれて、そこで甲冑始め執り行なわれたらしいよ
「わが武運にあやかりたまえ」と言って、秀忠の背中撫でたとか
なので、小田原の役には従軍しているから、これが秀忠の初陣みたいなもんかなあと
0977人間七七四年2011/07/06(水) 07:37:53.22ID:vpXxcmh0
小田原では采配をふるったりも無いだろうしな。
やはり真田攻めが初采配かな?
0978人間七七四年2011/07/06(水) 13:05:13.10ID:K4RgsKOZ
実質そうだね
0979人間七七四年2011/07/06(水) 21:54:13.62ID:hebkd/L2
>>965
徳願寺とかいう寺に家康とお江関連の話が残っているな
阿弥陀如来像を家康が江のために江戸に写して云々とかいう
0980人間七七四年2011/07/09(土) 20:55:03.06ID:OzanyBQU
自分が秀忠好きになったのは
「戦国いい話・悪い話」というまとめサイトの秀忠の話読んだのがきっかけだったなー
逸話から滲み出る秀忠の人柄に惚れた
0981人間七七四年2011/07/09(土) 21:06:39.42ID:HiUtLQz7
カッコいいイメージの人や評判の良すぎる人が素直に好きになれない性だから
戦国から江戸初期を調べだしたら自然と秀忠に興味湧いたなw
0982人間七七四年2011/07/10(日) 00:58:33.86ID:pCzzFrf3
分かるなあ 自分も人気ある人にはあまり興味沸かないんだよね
なので、その人気のある人に埋れている、あまり表に出ない人に興味がわく
秀忠もそんな感じだった しかし本当にこの人あまり前に出ない人だなあ
0983人間七七四年2011/07/10(日) 23:01:06.97ID:pCzzFrf3
今週の例の大河酷かったらしいね…
秀勝が病死じゃなくて、戦反対で朝鮮の民をかばって部下に討たれて死ぬとか
そんでお江は更に反戦意識高まるって設定にするんだろうか
そんな秀勝と対照的に、秀忠は上野合戦や大坂の陣やらでやたら好戦的な最低男として書かれるんだろうか
とりあえずあのドラマ早く打ち切られてほしい
0984人間七七四年2011/07/10(日) 23:45:43.18ID:SQ+7/owY
>>983
あのさ三番目の一番持ち上げたいと思っているであろう夫を
NHKが好戦的に描いたりしねーよ

というか大河ドラマになんか期待する気持ちがわからん
自分は(過去の出来の良い作品含)大河ドラマ自体も大河ドラマファンも大嫌いだからそう思う
大河ドラマじゃなくて大河に便乗して開催される博物館の特別展とかがメインだと思っている
0985人間七七四年2011/07/10(日) 23:57:35.45ID:pCzzFrf3
ちゃんとした大河ドラマなら、知名度低かった人の評価もあがるもんなんだよ
ちゃんと歴史の流れにそった面白い大河ドラマから、その歴史に興味もつ人も出てくる
0986人間七七四年2011/07/11(月) 00:09:27.17ID:I0MnoWSd
評判も視聴率もいい大河ドラマで無能だったり悪役扱いされた人はどうすればいいんだ
だから大河ドラマみたいに大規模な歴史作品を作るのはひっかかる
0987人間七七四年2011/07/11(月) 00:09:42.45ID:4hjxpPz/
秀忠の考察本でオススメはないですか?
小和田哲男さんの「徳川秀忠」は分かりやすかった
0988人間七七四年2011/07/11(月) 00:38:19.68ID:I0MnoWSd
あんまりオススメできるものはないな

秀忠の出生から死亡までを逸話や俗説やとんでも説や作者の思い入れ抜きで
研究した本ってないと思う
福田の本は例のごとくだし
0989人間七七四年2011/07/11(月) 00:43:46.53ID:4hjxpPz/
そうですか…残念 結構研究なされて見直されてるとは聞いたけど
まだまだその手の本を書ける人がいないんでしょうか お江本はいっぱいあるのに
福田さんのは、妄想はさておき、この年どこそこで秀忠にこんなことがあった
という情報が得られただけで充分でした
0990人間七七四年2011/07/11(月) 01:01:02.40ID:I0MnoWSd
>>989
ついに福田説が妄想扱いにw
福田さんは男性の研究者や作家以上に男女関係をドライに見ているところは良いと思うけどね
証拠もないのに
最愛の女がどうこうとか恋をして云々とか書く人も多いからさ
ドライが行き過ぎたからあのような結論が出てしまったのだろうと思う
0991人間七七四年2011/07/12(火) 00:10:45.69ID:EcX7UJft
近衛家に秀忠と江の血が入ってるなと書き込もうとしたが
民放の歴史バラエティー番組に先を越されたようだ

ただあの番組は噂によると珠姫前田ルートの紹介しかしなかったようだが
千代姫綱誠ルートでもつながっている
0992人間七七四年2011/07/12(火) 15:57:34.70ID:LLVuEcIM
>>983
一応ドラマ上も病死だぞ
0993人間七七四年2011/07/12(火) 17:37:06.26ID:UYldFE/L
秀忠は、秀吉の義理の甥になるのかな。
0994人間七七四年2011/07/12(火) 19:33:18.06ID:XNJn75aW
秀忠にとって、秀吉は岳父で義理の兄で義理の伯父になるのか なにこのカオス
0995人間七七四年2011/07/12(火) 21:45:18.70ID:XNJn75aW
連投ごめん
忠長の長って、信長の長とよく言われるけど
実父の長政の長って説はないのかな? 自分が初めそう思ったもんだから
0996人間七七四年2011/07/12(火) 22:34:45.13ID:EcX7UJft
家光の光と
忠長の長には特に由来無しだと思ってたんだが
勉強不足か?

頼房の房とか頼宣の宣とかもよくわからんし
0997人間七七四年2011/07/12(火) 22:45:17.86ID:XNJn75aW
家光の光は、松平家初代の信光から取ったとかなんとか聞いたけど、別の人だったかな?
頼宣・頼房の頼もどっからきたんだろう
0998人間七七四年2011/07/12(火) 22:46:03.69ID:1pLOhzIs
お江が父・浅井長政と崇拝する叔父・信長公の両方に掛けたのかもしれないね
でも個人的にはお江は浅井家よりは織田家に愛着を感じてたような気がする
忠長の妻に織田家の娘を選んでるし、やたら織田家の有名な家臣と縁組みしてる気がする
前田家とか森家とか
0999人間七七四年2011/07/12(火) 22:46:44.59ID:1pLOhzIs
>>997
徳川家康が崇拝する源頼朝公の頼ではあるまいか
1000人間七七四年2011/07/12(火) 22:47:58.76ID:jHdb4Ubr
ミエ
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