戦国時代の馬はポニーサイズ
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 11:40:18ID:DuDy4IDa0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 11:42:45ID:UuK7KWXc0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 11:58:24ID:mv/fLTqa0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 12:07:41ID:GJIfkA06でっけーのw
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 18:36:39ID:wbLyUE5x0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 21:53:37ID:KxYoW8czここはそれを検証するスレです
0007戦国馬
2006/09/07(木) 23:00:25ID:Hd6Pj9390008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 00:17:41ID:ILU7Nr8pそれはそうと当時の馬の体高は130センチ前後
驚くほどは小さくない
当時は海外でも似たようなものでさして変わりない
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 01:28:14ID:3ZRV82yj0010名無しさん
2006/09/09(土) 16:03:14ID:blSu6Vp70011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 02:51:02ID:Ozxi6hln0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 19:02:30ID:6PbfJbDUポニーのほうがよほどがっちりしている気がする
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 02:21:53ID:o0jlu0UU朝青龍とかがテレビ番組でモンゴル行って馬のってたりするんだから
走るだけなら余裕。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 14:48:35ID:3tyr792F0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 15:01:36ID:c57bEk8O0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 15:48:56ID:d7r7mIG00017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 16:07:09ID:c57bEk8O見てきた
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 20:08:57ID:gc+cN/qdまた日本の馬は体高は低くとも、馬格自体はがっしりしていて馬力はある。
>>1はサラブレッドで騎馬戦できると思っているのだろうな。
だっせーのw
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 12:29:06ID:5ulxLw3u乗せてどのくらいの速さで駆けられるものか。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 14:28:18ID:XvmCCjqE0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 17:04:41ID:47nltIJd中年のチビ親父がポニーに乗って突撃
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 01:25:45ID:Yi9U3Lubでもお前の首をねじ切るくらいの力があるぞ。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 21:50:35ID:W3kH2/Pnき、乗馬経験者君なのか?そうなのか?
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 22:50:25ID:ei/btTGd少なくとも君よりかは何千万倍も強いだろうね
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 01:05:48ID:4UfFBaIF0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 04:40:06ID:zVW17HcFそれはともかく、ポニーサイズというのは半分正しくて半分間違っている。
日本の馬の大きさは、四尺を基本として一尺あがるごとに一寸の馬、二寸の
馬と呼んでいき、四尺九寸以上だと、丈にあまる馬という。ようするに
147cmぐらいの馬は特別に大きい部類の馬だ。
ポニーは体高147cm以下の馬なので、戦国時代の馬はほぼすべてあてはま
るだろうから当たりに思えるが、しかし、一般にポニーという場合シェッ
トランドポニーという体高100cmぐらいの馬を指すので、間違っている
ような気もする、微妙ないいようだね。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 22:56:53ID:vBrlqLjN体高から言えば、日本の在来馬はポニーにあてはまるけど
無教養な人間が思い浮かべるような小型な馬ではない。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 11:57:57ID:Fr3E9v8C当時と今じゃ平均身長20センチ近く違うんだぜ
良質なタンパク源も科学トレーニングもない
そんなやつらが強いわけないじゃん
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 12:26:29ID:l503UwjS釣り針が、大きすぎます・・・
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 12:37:36ID:gbquJV3I日本人もゲルマン人並だな
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 13:12:19ID:KK/84ZKI無双でもやってろよw
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 02:40:57ID:mKJ0l42R戦国の世を生き抜いてきたおっさんと、
平和ボケした現代人じゃあ、どっちがツエーと思ってんだ?
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 03:11:59ID:mB/kI//t0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 03:36:01ID:lysNdHzG0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 09:32:54ID:+57jayCq0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 23:50:14ID:2E0mWiJdポニー2万5千頭は見てみたいと思った
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:55:16ID:mXeue+Fl横浜の馬の博物館に赤備え武者の騎馬複製が展示してあるから
見に行ってみると良いよ。
馬の複製で参考にされたのは博物館の人曰く
骨格:鎌倉で出土した鎌倉時代馬の骨
肉付け:木曽駒
見た感じ>27の言うとおりポニーとはかなり違ってた。
参考までに
ttp://www.bajibunka.jrao.ne.jp/U/U02-22.html
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 00:08:03ID:o65LZxHN0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 18:17:51ID:dJ1oXjSGそこにいるサラブのブラックジョーカーは喉に穴が開いているけど
元競走馬だけあってめちゃカッコイイんだよね(さすがJRA)。
でも俺は木曽駒萌え。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 00:25:44ID:aoQeSof80041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 02:05:44ID:AqKBrO+r山県さん大喜び!
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 07:46:36ID:exqox0+K0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 13:08:09ID:qCdw/hIpあの小ささを生かした戦法として相手方の陣に何十頭かぶちこめば
陣中を混乱させ突破口を開くぐらいはできたかもしれんw
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 15:42:58ID:PZ7S8Xpm想像すると笑える。これで死んだ武将がいたら不名誉だろうな〜。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 19:16:34ID:rj1muSEF義元さんも大喜びだろうな。
桶狭間で首を取られることもなかっただろうに。
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 19:21:14ID:rcwr2s+C0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 21:26:52ID:NpstoYZiもう良いよ
そんな話しなくたって
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 00:42:27ID:LJq64RcP0049ミニホースを飼いたい人
2006/10/27(金) 01:04:18ID:n2Qd8zE6子供達の乗馬練習にも木馬より最適じゃんかとマジレスしてみる。
0050ななしさん
2006/10/27(金) 01:25:48ID:JaCwyJgE0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 02:39:11ID:/hCbFI0/義元は馬に乗れなかったのではなく、
輿に乗ることが出来る事を誇示していた。
デブすぎて馬に乗れなかったのは佐賀県の誇る郷土の英雄、熊さんだよ
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 06:23:38ID:ZeToBpQP0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 08:25:30ID:8gFUtAEW0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 21:54:20ID:MhZP6Y010055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 19:04:18ID:w6U70+My外乗の山道コース)を体験してくるといいよ。
サラブには負けるとはいえ案外と早いし力も強い。
山道でもガンガンに登るから。
現代であの状態なのだから虚勢もしていない戦国時代なんて
半端じゃなかっただろうにと思う。
正直、俺もどちらかというと在来種は舐めていたけど
外乗りしてみて見かたが変わった。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 19:59:45ID:ggQRPxZH0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 22:16:36ID:3ZJHDVMW0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 22:26:56ID:nFubOXoFそのため維新後、来るべき大陸での戦争で重要な騎兵に使える在来馬はいなかった。
で、明治政府は外国産の馬と交配させて騎兵向きの品種改良を行った。
後に騎兵用の馬の大部分は大陸に運ばた。
第一次世界地戦後、時代遅れとなった騎兵のために国内で馬を育成することはなくなり、今に至る。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 22:42:53ID:3ZJHDVMW開拓されて野生馬が生息できるような土地がなくなったってことかいな?
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 22:55:20ID:nFubOXoF日本にはそもそも野生馬はいなく、飼育されていた在来馬が
逃げ出しものなどが小規模なコロニーを作っていただけだしな。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 23:05:29ID:NTeS6Brj別に不名誉ではない。
ユーラシアの大半の国はモンゴル帝国のミニチュアホース軍団に手も足もでなかった。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 00:03:38ID:eZsHj5d4ttp://www.safari.co.jp/Animal/Western/Mini-horse.htm
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 00:10:05ID:Ow4Ap/V4160cmって、マスコットキャラかよ。
足もすっげえ短いし。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 00:10:59ID:lgU2XRVN0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 00:11:55ID:eZsHj5d40066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 04:24:23ID:9zWPOPCiそれおかしくねえ?
ことさら日本の馬を卑下するのも変だが、ヨーロッパは重騎馬兵が居たんだぜ?
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 06:08:29ID:7AA8NUIy0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 06:28:37ID:G+aIDTCo脱線して話しているのならともかく、
スレの指針通りに話しているのならば何も問題ないじゃないか。
>>66
大河などでは決して使われないが、日本にも馬甲はある。
北条氏は麾下の武士達の具足の支持にやかましい家だったが、
そこに馬甲を装備してこいといっている。
もちろん重装騎兵には及ぶべくもないが、それでもかなりの重量だったことは間違いないと思うが。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 07:33:27ID:xEzWo4gr160cm?
そんなにはでかくない。
戦国の世では男子平均身長で157cm程度。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 07:37:39ID:oEPc5zTtサラブレッドで騎馬戦やってたと思ってる馬鹿発見w
18世紀に競馬のためだけに軽量化されてできた品種がどうして騎馬に使われるの?
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 10:37:10ID:KakCoDh9昔はどうだか知らないけど、今のペルシュロン種の体重はサラのほぼ二倍
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 13:51:26ID:wSDPnaHV日本の在来種は小型で山岳向けだからね。
騎兵に使われる馬じゃ日本の地形に合わないのよ。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 16:17:16ID:myi4eZu0めちゃカワエエ。
陣中に突進してきたら捕まえてお持ち帰りされそうだなw
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 20:06:11ID:ImzNphf6馬が在来種といえど、結構大きかったんだな。豊臣秀頼
も対面した家康にとってはかなり大きかったらしい。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 21:55:22ID:Arm2GLkt馬鹿はお前だ知恵遅れw
重種馬の存在も知らんアホは死にさらせ
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 22:02:41ID:oEPc5zTtスピードではサラに劣るがスタミナと頑強さでは在来種の方が上だよ。 つか、サラじゃ鎧つけて100kg近い武者乗せて長距離走破は無理
66 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/08(水) 04:24:23 ID:9zWPOPCi
>>64
それおかしくねえ?
70 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/08(水) 07:37:39 ID:oEPc5zTt
>>66
サラブレッドで騎馬戦やってたと思ってる馬鹿発見w
18世紀に競馬のためだけに軽量化されてできた品種がどうして騎馬に使われるの?
75 名無しさん@お腹いっぱい。 New! 2006/11/08(水) 21:55:22 ID:Arm2GLkt
>>70
馬鹿はお前だ知恵遅れw
重種馬の存在も知らんアホは死にさらせ
ことさら日本の馬を卑下するのも変だが、ヨーロッパは重騎馬兵が居たんだぜ?
∩_
〈〈〈 ヽ
〈⊃ }
∩___∩ | |
| ノ ヽ ! !
/ ● ● | /
| ( _●_) ミ/ <こいつ最高にアホ
彡、 |∪| /
/ __ ヽノ /
(___) /
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 22:45:22ID:Arm2GLkt0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 22:53:23ID:oEPc5zTtそれより
・サラブレッドが重種馬。
・重騎馬兵にサラブレッドが使われていた。
この二点の新説(珍説w)を早く説明してくれよw
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 22:57:52ID:Arm2GLkt本物のバカ子供だw
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 23:11:39ID:oEPc5zTtsagaを覚えたか
>>76でコピペミスしてわかりづらくなったがもう一度レスの流れを読み返せ、池沼
64 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2006/11/08(水) 00:10:59 ID:lgU2XRVN
スピードではサラに劣るがスタミナと頑強さでは在来種の方が上だよ。 つか、サラじゃ鎧つけて100kg近い武者乗せて長距離走破は無理
66 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/08(水) 04:24:23 ID:9zWPOPCi
>>64
それおかしくねえ?
ことさら日本の馬を卑下するのも変だが、ヨーロッパは重騎馬兵が居たんだぜ?
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 23:25:55ID:Arm2GLktやっぱり馬鹿だw
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 21:26:47ID:oV4Z7yIg0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 22:08:45ID:0oPRLlF60084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 13:42:16ID:7/QekKtqくれば怖いんだ。
鎧を着けて武器を持ったオッサンが馬で突撃してくれば、誰だって怖いだろう。
もっとも、武田軍では馬を失う要因にもなるので、従者に預けて徒歩で突撃
していたようだが。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 14:11:16ID:VHAkP60sトルクメニスタンやアラブには(東西の馬よりは)大型の品種があり、
それらを品種改良していって18世紀にできたのがお馴染みのサラブレッド。
トルクメニスタンの馬は三国志では赤兎馬や汗血馬などとして登場してる。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 15:32:30ID:X63f+rE1背が小さかろうと足が短かろうと、たとえ普段着で丸腰だろうと
角田みたいな筋肉達磨なオヤジが突進してきたら俺は逃げるぞ
ついでに言えば150cmの馬が野放しで近くにいても物陰に隠れる
体重差だけでも十分怪我するしな
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 17:05:46ID:Nghg4AYu┃ 中川翔子 特設 おっぱい ┃ │検索│←
┗━━━━━━━━━━━━━┛ └──┘
_ ∩
( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい!
⊂彡
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 21:18:14ID:McQ2Dm+M俺はチワワの猛攻に腰を抜かしたけどな('A`)
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 21:58:33ID:o8a2hMPg0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 22:03:19ID:l9hdxfcN戦闘に参加する人間がみんなお前みたいな考えだったら楽だね。
動物を突入させるか筋肉オッサンを暴れさせるだけで逃げてくれるんだからこんな楽な戦争はないよ。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 22:14:38ID:SKH5icELぷっ、だせぇwww
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 22:33:41ID:X63f+rE1戦闘に参加する人間が、動物やマッチョで逃げるなんて思ってないし、言ってないぞ
上のほうで日本の馬と戦国時代人の小ささを馬鹿にしたレスがあったから、
荒事の経験が無い現代日本の一般人の感覚なら、普通は怖いんじゃないかと思っただけで
別に当時の戦闘についても、現代の戦闘についても何か言ったつもりはないんだが
なにが気に入らなかったのか???
>>89-90
威嚇してるチワワの顔は意外と怖いぞwww
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 23:02:22ID:l9hdxfcNお前のレスに決まってんだろ
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 08:32:22ID:llGWbEa90096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:04:17ID:E6BTi02l調子にのんな うましか
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 05:31:58ID:GGZS8J2W0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 05:43:42ID:IDaO93M70099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 19:00:40ID:4eY92oxN0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 17:08:12ID:wZ08iDPA今夜、乗馬経験者君が大暴れ!!
0101名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 14:48:52ID:5dIh+o710102名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 15:32:04ID:3KtFg7M30103名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 17:16:26ID:0179j9dmサラブレッドなんか使うと敵陣にたどり着く前に骨折続出
とてもじゃないがあんな脚の細い馬なんかで喧嘩は出来ん
0104名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 23:37:20ID:iYWXWcMh馬と合戦(〜来年2月4日まで)
ttp://www.bajibunka.jrao.ne.jp/U/U03-1.html
>>103
アラブは性格がヤンチャなのが多いから気性面もサラブより強いよ。
自分はアラブの馬主だけど、ヤンチャすぎて委託先の牧場主から
お小言をもらうこともしばしば…。
0105名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/05(火) 21:02:24ID:HEeZMPMQアラブ馬なんてどうやって手に入れたの?
0106名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 04:48:58ID:s/i0Tps70107名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 08:22:01ID:qNjeaJZi平均身長だったんだ・・・
0108名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 11:03:47ID:zart0aVd岡村さ〜ん、何してはるんですか〜?
0109名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 16:08:07ID:s/i0Tps70110名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 18:27:15ID:u9okx7Pj0111名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 08:32:16ID:VjK5DxX3お前やポニーや猪が突進してきても逃げないのか?
0112111
2006/12/07(木) 08:35:07ID:VjK5DxX30113名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 09:55:43ID:bYHmqnNp0114名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 09:57:57ID:zpUiatnPどれだけ虚弱体質なんだよ
0115名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 21:12:51ID:iIf+otrh残念ながらそんな場面に出くわしたことがないんでねw
0116名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 23:44:26ID:yBifjkgx野生動物はやっぱり怖いわ。
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2006/12/08(金) 17:13:59ID:m12dPLBJ下等超人はこれだから困る。ジョワジョワ
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2006/12/08(金) 22:13:36ID:yl8ODHwU0119名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 22:21:02ID:4kCwFTRe0120名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 23:16:59ID:n3z0cCDdむりむり
0121名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 23:38:37ID:iXAm0hDs0122名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 23:41:57ID:DL7IXEnC荒い奴相手だと馬に関してはプロの集まりである中央のベテラン
厩舎員ですら負傷させられているし、乗馬レベル上級の人でも
乗りこなすのが実は難しいのが実情なんだよな。
だからポニーだからって絶対ナメない方がいいよ。
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2006/12/09(土) 00:12:04ID:u+JabcXT0124名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 10:36:33ID:fcZvNQc5それだって素手で撲殺は難しすぎると思うが、
ここで話題になっている日本の在来種は、
高さ1.3mくらい体重400kgくらいで、
ポニーには分類されてもかなりの大きさになる。
生半可な鍛え方では素手の人間が太刀打ちできるものじゃあない。
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2006/12/10(日) 16:13:58ID:SYTyeiw7プロ騎手(名前失念)が自ら調教した自馬ポニーがポニーとは思えない走りでタイムも
かなり良いのを出して騎手もさんまも驚いてたことがあったな、そういえば。
翌年に同じのをやった時はゲートから出た瞬間騎手が落馬して(放送後のGTでかなり
野次を飛ばされたらしいw)失格になってしまいそれ以来見なくなってしまったけど。
0126名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 16:32:24ID:Mi2xKXod犬ですら素手で撲殺するのは大変
猪を棒で叩き殺したの見た事あるけど
もの凄い腕力ある人なのにかなりしぶとかったよ
数十回頭がぐちゃぐちゃになるまで叩いてようやく死んだ
とてもじゃないが素手では死なない
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2006/12/10(日) 17:01:37ID:N6gfab0X0128名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 17:07:02ID:1xD88B2z目突き鼻突きが一番有効
まあ、死にはしないがな
0129名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 23:23:26ID:K9WgWrKK0130名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 23:27:58ID:NH+45Sdvサラブレッドが異様にデカイだけで
0131名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 03:26:52ID:bexE18R3純品種改良じゃないだろ、あれ。
0132名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 04:13:38ID:ztxu8+Ls0133名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 13:55:39ID:WRhbTEDrその番組は自分も見てたから覚えてる。撮影は大井のコース使ってたね。
何かと下に見られるポニーだけどポニーも調教と騎手次第で十分に走れる
馬であることを証明してくれた良いレースだったと思う。
是非またやって欲しいな。今度は在来種も入れて。
>>131
ばん馬、道産馬、南部馬のどれのこと?
0134名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 18:39:43ID:41kTH6Ru目突きや鼻突きなんかだと一歩間違うと暴れるから危険だが
実は安全かつ確実に倒せる弱点場所が馬にはある。
何発か殴っただけでもそれがうまく入れば即死ないし数日後には死ぬか
死なずともその場で寝たりかなりのダメージを与えることができる。
だが、牧場とかで悪戯する奴が出ないとも限らないんでどこかは言えないが。
0135名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 00:22:46ID:j4XJ3Yygああナリタブラリアンか、懐かしいw
ああいうのを名馬、と言うのだろうね。
∴ポニーサイズだろうが、名馬ならばサラブレットと互角に戦える かも。
0136名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 19:35:28ID:VfS0NyrRポニー版マキバオーみたいな珍馬とも言えるかも。セン馬にする前に
血を受け継ぐ子を何頭か残して欲しかった…。
あいにくと現在は消息すら不明らしいが、もし消息がわかれば
自馬にしたいな〜。年齢的に爺ちゃん馬だろうからもうあのようには走れないだろうけど。
0137名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 21:43:17ID:tRy8+Irt体重400`もあったらサラとあんまり変わらんじゃん。
ディープインパクトと1割ぐらいしか差が無いし。
0138名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 21:46:52ID:aZCCnN8S0139名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 22:11:54ID:CohYJO84サラブレットが異様に軽すぎなんだよ。
もちろん、在来馬ががっちりしていて、見かけより重いってのもあるけど。
0140名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 22:52:15ID:lbzHKm7N日本在来種=テベス
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2006/12/12(火) 22:55:58ID:M6bpPeVQ0142名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 22:56:48ID:xEwVa1AY昔、ウィリー(猪木と戦った人)が巨大灰色熊と素手で戦ったビデオ見た事
あるぞ!(14800円で買った)
イヤガル灰色熊?をウィリーがグーでボコボコに!
それ以上は秘密!
0143名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 00:10:09ID:I446ZwRL0144名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 00:29:39ID:OdR0jswmロングボウを作る暇があったら「夜店の弓」大量に作るのではないでしょうか?
0145名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 01:08:29ID:RwoG5z6lこれって、確か
右翼団体の永田部とかいう人が最初に言い始めたんじゃなかったっけ?
0146名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/13(水) 19:41:57ID:YRp4/amO0147名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 02:34:21ID:7b4ogUyO・ロングボウ=120cm〜180cm
・和弓=多少の長短はあるけど221cmが基準と日弓連審査規定で
決められているので、現在売られている和弓はこの長さに準じてる。
また、南九州を中心に伝わっている四半的弓道という短い弓(4.5尺)を
使う弓技もあるけど(弓具が小さいため扱いやすさなどから江戸時代に入ると
武人より庶民の遊戯になってしまった感が強いが)短い弓と言っても
それでも135cm〜長いのになると150cmはある。
あと、ヨーロッパでは4ft(120cm)以上の弓はロングボウを指すから
和弓にしても四半的弓にしても広義でみれば日本の弓はどちらにしても
ロングボウということになると思われ。
0148名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 03:45:49ID:jCWYr1Xe0149名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 04:49:47ID:RQGAGca1その永田部って人が
主張する前、遥か昔から言われてたぞ
しかも、ググったら学者とかじゃなくて一個人じゃん。
0150名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 12:54:41ID:IQLMdBx/0151名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 01:03:46ID:hOmyg7Zp0152名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/31(日) 06:48:32ID:7syHOwE1遅レスだけど多分ばん馬のこと言ってるんだろうな。
あんなのあの時代にいたら馬とかいうレベルじゃねぇなマジで。
体重1t、引っ張れる重りも1t、その癖してサラには勝てないものの普通に速い。
スタミナは無尽蔵。ただ突進するだけで人間なんか粉微塵だ。
0153名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/02(火) 01:50:16ID:oeSZWK1Nばんえい競馬の1dクラスの農耕馬は外国の血入ってんの?
0154名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/02(火) 03:06:21ID:ST4Hucf7道産子ではない。
ただあんなでかい馬、原産国の方でもレースなどで育てたりなどしてないため、
事実上日本の馬みたいなもんで、ばんえい競馬も日本独自のものと言って良い。
0155名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/02(火) 11:15:15ID:IDVG9yCQ0156名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/03(水) 22:56:02ID:n8+m+H070157名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 17:38:28ID:1SZfwbRU0158名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 23:09:40ID:V4hFpN0A0159名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/05(金) 00:35:17ID:cVbJbpuR彼らがこっちにも来ている可能性は否定できないと思われ。
あと流派の門下生はともかく木曽馬のスポーツ流鏑馬をやっている人には
戦国好きが少なくないから(中には自作HPで己の勇姿を披露している)
ここにすでにいる可能性もかなりある。
0160名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/05(金) 14:42:04ID:OExiAIoO“もしかしたら”にして“彼らが”の前に置くべし
0161名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 06:17:24ID:cYPKoKuRもちろん本国やらでも絶滅してる訳じゃないし、
農耕馬や馬車などで使ったりと言うのは一応普通にある。
だけどばんえい競馬のばん馬はそういうレベルじゃない、
あれでレースやってんだから半端無い。
0162名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/09(火) 00:30:50ID:lKKR60A8品種は何だかわかりますか?
0163名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/09(火) 01:33:56ID:CR9D5ag1純血サラブは少なめでアラブとアングロ系が多かったように思う。
クウォータっぽいのや在来種混じりっぽいのもいたような気もするけど
自信はないから再放送の時に改めて確認してみるよ。
0164162
2007/01/09(火) 03:21:20ID:lKKR60A8ありがとうございます。手間を取らせてすみません。
サラブよりアラブが多かったんですね。
とりあえず、当時の馬とは全然違うということでしょうか?
0165名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/09(火) 12:56:27ID:DZjIL6sBポニーどころじゃない。俺170だけど馬の背が胸の辺りまでくる
あんなので体当たりされたら絶対吹っ飛ぶな
高鍋藩が放牧したのが野生化したものらしいが
0166名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/09(火) 20:03:29ID:h8fpe3ds0167名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 19:14:45ID:KXN7fw590168名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 00:48:57ID:TX0UPupc木曽馬は武士の象徴にもなっていた馬。
戦国時代でよく使われてた馬の1つだよ。
ttp://www.janis.or.jp/users/n-takeru/histry/tokuchou01.html
ちなみに現存する在来馬のほとんどは、時代と共にアラブ馬やサラブレッドの混血。
だから本来の足の長さの馬はほとんど残ってないらしいです。
0169名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 00:57:00ID:TX0UPupcしかし、それと同時に当時の日本人の身長も平均150cm台で低い。
バランス的にはちょうどいいのかも。
0170名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 01:08:58ID:g7DnFj9c0171名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 02:13:40ID:ImqOSW3oここに書いてあったから馬の博物館に行って鎌倉から出土したという
鎌倉時代の馬の骨格で復元した騎馬武者像を実際に見てきたけど
そんなに短足な馬じゃなかったぞ。体高もあったし。
だからそこを含め今残っている木曽馬って江戸時代に小型化された系統が
主になっているんじゃじゃないかななんて思ったりする。
0172名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 02:14:20ID:wM0Fp7Ai> 純血サラブは少なめでアラブとアングロ系が多かったように思う。
アラブ、サラブレッド、アングロアラブの違いが見た目でわかるとはスゲーなww
0173名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 12:28:06ID:JKmN36DH自分も見たけど、何か微妙な感じはする。
そもそも武者がでかすぎ。
当時は平均身長152pだから、そう考えるとあの馬はでかすぎ。
本当はまだ小さいと思う。
0174名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 20:53:02ID:nu5y/XXeアングロは何とも言えんがアラブとサラブなら 見慣れてくると違いはわかりやすいんじゃないかな。
顔付きも微妙に違う。
0175名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 21:34:09ID:Wp04jtN70176名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 21:56:58ID:Itqwp5/D昔は種馬のDNA鑑定なんて無かった
100%アラブのレースをやってるフランスなんかでも
「この馬がアラブ?」なんて馬もレースで走ってるらしい
0177名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/15(月) 23:14:22ID:A6BK98pn一昔前ほどはあまり騒がなくなってきているし、アングロアラブの需要も
そんなないから生産数も激減して現在では数的には減少傾向かな。
アラブ馬に関しては基準が日本と外国では少し違うようけど(国内では
ハンガリーで生産されたアラブ系種をアラブ馬の基準にしている)もともと
血の比率が25%以上か以下かでアラブ系かサラブ系かでわかれるから
25%以上アラブの血でもサラブの血が濃く出ることも有り得なくはないから
この馬は本当にアラブか?ということもありえると思う。(逆も然り)
とはいえ中にはそれにしてもマジにアラブかな〜、アラブのアの字も
付かないんじゃね?というようなのがいるのも確かだけどね。
まっ、そこは御仏だけに国民性からしてそのあたりは黒に限りなく近い
グレーゾーンということでかなり怪しいけどなw
0178名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 12:32:57ID:+I4zgBc90179名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 20:51:41ID:qJC03Cqk>>168リンク先
>おとなしい馬である
0180名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 21:37:21ID:fOMAPLVy0181名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 15:15:14ID:KAWVqZBb比率では
0182名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 22:05:32ID:V9PgvgUY戦国より鎌倉末の方が背は高い
>>181
体長、体重
0183名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 00:08:44ID:5cnP3I4eいくら鎌倉時代の身長が高いにしても現代人サイズはないだろ・・・。
0184名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 23:55:44ID:a2Z5m8/h日本人成年男性の平均身長の推移
縄文時代 156p
弥生時代初期 156p
弥生時代末期 160.5p
古墳時代 160.5p
14世紀 157p
16世紀 157p
18世紀 155.5p
1901年 157cm(一説では155cm)
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/sintyou.htm
0185人間七七四年
2007/02/28(水) 00:07:46ID:MSQwW4atとして愛用してた馬がアラブ馬の(マレンゴ)体高141a
ワーテルローの戦いのあと捕らえられてイギリスに連れて行かれ
38歳で死んだあとロンドンの国立軍事博物館に収められている
ちなみにウェリトン将軍は(コペンハーゲン)体高152aにワーテルロー
の戦いの時に15時間ほとんどこの馬に乗って戦闘を指揮してたと言われている
そのぐらいの馬が一番乗りやすのでは?
0186人間七七四年
2007/02/28(水) 20:58:23ID:eS/zrDHL農家に残っていたのがおとなしい馬だったんだろ?
幕末に来た外国人の記録では、日本の馬は気性が荒く、
馬同士で喧嘩している姿をよく見かけたとの記述がある。
0187人間七七四年
2007/03/01(木) 00:31:16ID:hilv6/ptその辺の記録はね〜
その人がタマタマみた数頭の馬で判断されることもあるし
戦国時代の宣教師の記録並みに怪しい・・・
0188人間七七四年
2007/03/01(木) 17:01:26ID:ezotujFu0189人間七七四年
2007/03/02(金) 02:14:00ID:83Ju7Z790190人間七七四年
2007/03/03(土) 21:47:16ID:iwaAbw9Rそして馬同士のけんかなんぞ今でも普通に見れることだ。
特に食欲と性欲に関係すると馬の種類関係なくスゲー喧嘩するよ。
生きることと子孫を残すことは本能だから。
そして人間の指令にひたすら従順になるよう調教して乗る西洋馬術が
当たり前の人たちから見れば当時の日本の馬は荒く見えたんだろうな。
西洋ではあばれ馬はどちらかというと嫌われたし気性が荒い若い馬は
馬齢がある程度高くなっておとなしくなるまでは放牧と調教ばかりで
人前に出したり実戦で使ったりはあんましなかったらしいからね。
今でも、ヨーロッパでは例えばウィーンにあるスペイン乗馬学校等で
披露される馬術に使う馬は平均12歳ぐらいだし、障害競技などで
出される馬も8歳前後なんてザラ。
0191人間七七四年
2007/04/05(木) 12:57:33ID:QPJKQHUJ国産馬の小ささが関係しているのでしょうか
0192人間七七四年
2007/04/05(木) 19:58:29ID:buDSk97W一方、日本にはそもそも去勢の習慣が無かった。
去勢済みの馬を馬本来の気性だと思いこんでる一般西洋人が
当時日本の牡馬を見たら種固有の荒々しい気性だと思い込むだろうよ。
0194人間七七四年
2007/04/05(木) 22:31:53ID:WUu/wThc女性の文化が発達していたからだと言う説を聞いたことがある。
0196人間七七四年
2007/04/06(金) 20:34:38ID:vea2Cl4x>>610
新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
0197人間七七四年
2007/04/07(土) 01:33:53ID:cUuv2Zan車の運転でも大きい車より軽自動車のほうが扱いやすい。
スピードが遅く、着座位置が低いほうが、落馬しても怪我をしにくい。
乗り降りもしやすい。
足が短い小さな馬のほうが上下動が少なく、騎射のさいの命中精度が高い。
乗員の疲労も少ない。
0198人間七七四年
2007/04/08(日) 06:11:30ID:SYSgGj93することもある。実は。騎射の命中精度って最後はタイミングだから。
馬の扱い方は人によるところも多いけど体格云々より性格が
一番左右すると自分は思う。
0199人間七七四年
2007/04/08(日) 08:17:40ID:BOHYQxhGにするのだろうが、体重80kg程度の猪と戦う事になったらその怖さは想像付くだ
ろう?裸で四角いリングに上がって、興奮させた猪と遣り合ったら先ず無事では
済まない。
此れがだ木曾馬だと300〜400kgある。しかもその上には武装した人間が乗ってる
んだ合計体重は更に増す。瞬発力は猪並にあり、その突進力の凄さが解る。
しかも野生動物とは違い、相手は確実に自分を殺しに着てる。
もうねこんな相手と「武装させてやるから戦え」なんて言われても普通に無理っ
て答えるよ。
0200人間七七四年
2007/04/08(日) 14:00:37ID:xXM1V+z8いいかもしれないが、馬同士でみれば、体格がはるかに
大きな相手には萎縮してしまいそうだな。
0201人間七七四年
2007/04/08(日) 15:13:29ID:rAvhtCJI0202人間七七四年
2007/04/08(日) 16:10:49ID:rhXkTclb0203人間七七四年
2007/04/08(日) 16:46:35ID:xE+sFAxr0204人間七七四年
2007/04/08(日) 16:49:37ID:8Viw9UXE同程度が正解。
0205人間七七四年
2007/04/08(日) 19:44:21ID:86QztVBx0206人間七七四年
2007/04/08(日) 20:15:08ID:BMb9GAOG0207人間七七四年
2007/04/08(日) 20:37:08ID:XYbSwdI80208人間七七四年
2007/04/09(月) 01:29:29ID:60YD7Fxvどれをとっても実戦レベル向きなのは当たり前だが鎌倉武士。
そして流鏑馬経験者≠弓がうまいだよ。
一昔前までは弓が何段以上という規定があった流派もなくはないけど
様々な理由で今はこの流派も緩和されたし、指導する立場としては
弓も馬も初心者の方が変にクセがついていない分指導しやすいから
初心者の方が歓迎される傾向にあって、弓馬を始めるまで弓を引いたことは
ないなんていう人も少なくなくないんだよ実は。
それと弓(歩射含)に重きをおく指導なのか馬術に重きを置く指導なのか
流派や会によっても違ってくるから流鏑馬経験者と一口には言っても
本当に弓のレベルってバラバラだよ。歩射(弓道)と騎射(弓馬)は
似て非なるものでもあるし。
0209人間七七四年
2007/04/09(月) 03:37:03ID:XZ33EDEy色々と本を読むとポニーはない
運耕馬とポニーの間くらいのサイズ
しっかりと勉強しなさい
0210人間七七四年
2007/04/09(月) 04:06:16ID:Ra3hq+89大鎧は騎乗戦闘のための鎧だし、南北朝時代には馬鎧の使用もしばしば見られた
戦国期の馬鎧ような装飾目的ではない
0211人間七七四年
2007/04/09(月) 06:28:41ID:EX1RUajg意味がないと否定傾向にあったからじゃないかな。
0212人間七七四年
2007/04/09(月) 21:08:54ID:HCiNLOqY南北朝期に多く見られる腹巻は、元は徒歩武者が使用していた物が次第に騎馬武者にも
使われるようになった武具だからね。騎馬武者が馬上戦だけを考慮していたのなら、防御性に勝る
大鎧が廃れる理由がないもんな。
0213人間七七四年
2007/04/10(火) 22:58:14ID:eBFhKUfi0214人間七七四年
2007/04/11(水) 13:31:15ID:gvIF+zl6やるから騎射に興味があるなら見に行くがよろし
武田流の弓は日置系統らしいからいちよ実戦向き
0215人間七七四年
2007/04/13(金) 03:21:01ID:lNu2goIGその通り。
兵頭二十八氏が南北朝の戦の最大の特徴は馬上打物と言っていたが、
馬上での斬撃に重点が置かれたため、動きを制限する大鎧は廃れていったということだ。
刀も1m数十cmもあるような大業物もよく使われた。
0216人間七七四年
2007/04/13(金) 03:23:29ID:lNu2goIG0217人間七七四年
2007/04/13(金) 03:41:38ID:lNu2goIG0218人間七七四年
2007/04/13(金) 05:43:49ID:1qaIUDAiその通りって、>>213のレスでよく意味が分かったなお前。
因みに馬上で大太刀や薙刀の斬撃をする場合、人間工学からいって下馬した方が戦いやすいと思うがね。
生きるか死ぬかの状況で、わざわざ戦いにくいことをするとは思えんな。
0219人間七七四年
2007/04/13(金) 07:06:30ID:lNu2goIG大太刀による馬上の斬り合いは南北朝のハイライトだからね。
馬鎧が最も使われた時代でもある。。
古くは源平合戦の頃から、騎馬集団で体当たりの如く敵陣に突っ込む崩す戦法があった。
南北朝では騎馬武者が腹巻を、徒歩武者が大鎧を着る例が増えた。
本来騎乗戦用の大鎧だが、徒歩の弓兵が増えたためだろうか。
0220人間七七四年
2007/04/13(金) 07:26:20ID:1qaIUDAi颯爽と敵に突入して馬上で斬り結ぶって軍記物のハイライト表現みたいだね。
>南北朝では騎馬武者が腹巻を、徒歩武者が大鎧を着る例が増えた。
主人のおさがり説に一票。
0221人間七七四年
2007/04/13(金) 19:49:06ID:lNu2goIGどうみても妄想w
60 :名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/21(日) 00:56:40 ID:1iPJUm/G
鈴木の考え方の傾向として以下の特徴があるね。
1:今日伝わる歴史の通説は「天下人史観」に毒された嘘偽りのものである。
2:よって今日伝わる通説は信じられない。
これが鈴木の考えの基本線であり、根源だね。
絶対的な先入観と言っていい。
で、この先入観に基づいて、以下のように鈴木は研究を施す傾向がある。
1):通説は否定されなければならないので、
研究対象についての通説否定を唱える自分の考えと一致する他の研究者の論文を探す。
2):その論文を裏付ける史料を探し、自説に肉付けを施す。
3):通説を唱える人間の主張を独自に規定し、これを侮蔑的に否定しながら、
自説の優位性を強硬に主張する。
0222人間七七四年
2007/04/13(金) 19:50:15ID:lNu2goIG以上の特徴を有する鈴木の研究の何が問題かと言うと、
1:自分の先入観(通説は間違い)を絶対的に考え、これに異を唱える意見を一切否定する。
わかりやすくいえば頑固。
2:自説に都合のいい(納得できる)他の研究発表、史料のみを無批判に採用し、
これだけをもって高圧的に通説否定をしてしまう。以下例文参照。
例):「○○は通説とされるが、××さんの最近の研究では、
実際は△△だったのではないか、という通説とはまるで逆の考え方が示されている。
それを裏付けるように◇◇という史料には●●という記述があって、これを裏付けている。
常識的に考えれば、◇◇という史料とその時の情勢を考えれば、
××さんのように考えるほうが通説よりもはるかに自然のように思われる。
こうしてみると、○○という通説は実は天下人史観に毒された信者が、
バカの一つ覚えのように勝手に信仰しているだけなのである」
このように通説批判を行う他の研究者の論文を紹介しそれを裏付ける史料を紹介し、
自分がそれに納得理由出来る理由を軽く述べたあと、
それをもって「通説は間違い」と一方的に断言してしまう。
中には軍忠状などを元に合戦形態の分析を行ったような好例もあるが、
「天下人批判」などの際はこういう乱暴な分析を行う傾向がある。
実際、「信憑性が低い」と自ら述べていた小瀬甫庵の甫庵太閤記を史料としていたり、
戦国期よりはるか後にまとめられた常山紀談の記述だけを信用して人物批評を行っている。
通説・それに対する反論双方を多角的に分析するという視点が根本的に欠けており、
そのため非常に検証があいまいなまま強引に通説批判を行ってしまうのだ。
0223人間七七四年
2007/04/13(金) 19:53:31ID:lNu2goIGそれで、単純でわかりやすいものに影響されやすい
若年層に人気が出たってだけ。
0224人間七七四年
2007/04/13(金) 21:55:55ID:o2xL70ph鎌倉武士が見たら馬の大きさ、速さに圧倒されるだろうね。
0225人間七七四年
2007/04/13(金) 22:05:51ID:CfDD1rxzポニーサイズでも短距離の早駆けなら、スピードはのる。
0226人間七七四年
2007/04/13(金) 22:23:58ID:yG1sCZxv下から急所切られれば即アボーンなのにな。
0227人間七七四年
2007/04/13(金) 22:48:57ID:o2xL70phポニーがサラブを抜くのか?
0228人間七七四年
2007/04/13(金) 23:08:26ID:i19gocdZ0229人間七七四年
2007/04/14(土) 00:11:57ID:Q4lJBGGi急所は関係ないだろw
0231人間七七四年
2007/04/14(土) 05:20:32ID:Wscs2QgCああ耳の前あたりの所な
0232人間七七四年
2007/04/14(土) 07:46:44ID:YJhEjCK/またお前か
ほんと好きだね〜鈴木叩き
しかも上から目線w
0234人間七七四年
2007/04/14(土) 09:19:48ID:pF/cbptM大きすぎたために、大斧で足のアキレス腱を切られ、壊滅。
馬の場合にも、大きな馬は自重で足への負担がかかるやすい。
レース馬もまめに足の手入れをしないと、すぐに足がだめになる。
0235人間七七四年
2007/04/14(土) 12:37:32ID:yZHfshfb競争馬は足の故障もよくあるし。
ガラスの様に脆い足だなぁ、確かに。
0236人間七七四年
2007/04/16(月) 00:28:57ID:y7UP5gIi0237人間七七四年
2007/04/19(木) 23:30:15ID:LB0DwPYE0238人間七七四年
2007/04/20(金) 10:28:07ID:lk9zIw3v戦国期の足軽の生活や戦闘をイラスト付きでまとめた軽い読み物なのだが、
変にマニアックにならずに雑兵の成り立ちから武具の着方、陣中のインスタント
食品、バクチの現状、デタラメな治療法、味方の貴重品の略奪、略奪人狩り
までまとめてくれている。家康クソ漏らしの件についても「東照大権現様は
袴のあいだからどうやってウンチをはみ出させたのだろうとそればかり疑問に
感じていた」という筆者が、出陣用の袴は真ん中から左右に割れる構造を
していることを解説、「妙な胡座のかき方をした場合、股間が丸見え」とまで
開陳して大河ドラマの女武者の股間について体験談を述べるという代物だ。
ラストがまた凄く、足軽が江戸期・明治期と形を変えて被差別職として
生きつづけたことを述べて、こう結んでおり、イラストが秀逸。
「明治五年には卒族という地位そのものが廃止され、翌年に平民の一般兵士が
入隊。一見、近代的な軍隊のような体裁となったが、何のことはない、中味は
下級武士・足軽・軍夫・夫丸のピラミッド構造である。戦国期に逆戻りしたような
もので、階級間の差別感覚といじめが濃厚な分、初期の足軽社会より暗く始末の
悪い組織であった。これがそのまま明治大正と続き、太平洋戦争の敗北により
ようやく終息する」
0239238
2007/04/20(金) 10:29:22ID:lk9zIw3v隷属者が司法の末端を担いそのうち戦闘補助員となりましたが、明治に入ると
再び同じ形に戻った。もっと悪いことには、徴兵制によってごく普通の人々までが
足軽と同じ扱いを受けるようになりました。
他国の軍隊に比べて異常に待遇の悪い組織と上下の階級意識の差。
補給をさほど考慮せず兵を送り出し、敵地での『乱取り』を許す指揮官の
無能さ。江戸時代の大番屋や足軽長屋で行われたのと全く変わらぬ
兵士間のいじめ。スタイルも見てください。足軽と帝国陸軍兵士とを
並べてみると、驚くほどその姿が似ています』
なるほど氏の言うとおり、現代人の我々の目からすると、これはとても
近代軍隊の姿とは思えない。
昭和二十年、わずか数十年前、我々の父や祖父の代まで、「足軽雑兵」の
時代は続いていたのである」
0240人間七七四年
2007/04/21(土) 09:34:06ID:PYWhtrZlなんか階級間の差別感覚とか階級意識の差とかをやたらと強調した挙句
それを帝国陸軍批判に結びつける手法に左翼イデオロギー臭を感じる。
0241人間七七四年
2007/04/21(土) 12:59:32ID:pUfBwCce指揮官の無能さだのイジメだのスタイルだの、軍制と関係ないことをあげて、
明治以降の軍の戦国の足軽を同一視するとはあまりにも浅はか過ぎる。
0242人間七七四年
2007/04/21(土) 15:28:51ID:NKHmKsOS持つ性質と正反対だからなあ。
効率も補給も無視して兵力を浪費する体質は明らかに各国軍隊の
それじゃない。足軽の身分に因を求める方が「どこの軍も同じ」と
思考停止している人間より明らかにマトモ。
0243人間七七四年
2007/04/21(土) 15:58:16ID:35y/I6Ni先輩、すべからくの使い方間違ってまっせ
0244人間七七四年
2007/04/21(土) 16:56:45ID:35y/I6Ni近藤好和氏の著書読んできた。
馬上一騎打ちという戦士のルールに乗っ取った戦闘に於いてのみ馬上打物戦を行えるといった解釈でいいのかね。
0246人間七七四年
2007/04/21(土) 22:16:58ID:PYWhtrZlここでやれ。
雑兵足軽の実状
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150275919/
0247人間七七四年
2007/04/22(日) 11:11:16ID:VeHH5R1B>>240
同じ作者の本を俺も持っている。
「絵解き・雑兵足軽たちの戦い」以前に、「絵解き・戦国武士の合戦心得」というものもある。
戦国武将の方はあくまで武将に絞って武器や武装を解説している。
どちらも面白いし、鈴木眞哉氏よりもずっと武具に精通しているという印象を受けた。
どちらも極めて分かりやすいのだが、足軽の本の最後で太平洋戦争まで話をつなげるのだけは止めて欲しかったな。
鈴木眞哉氏にも言えるが、旧軍隊批判(?)で結ぶのが唐突でちと蛇足だ。
0248人間七七四年
2007/04/22(日) 13:05:51ID:Es8xGqY20249人間七七四年
2007/04/22(日) 22:17:37ID:WYTYpXFp0250人間七七四年
2007/04/24(火) 14:56:21ID:97dhQuDy過ごさせられて遺恨コツズイだから。
戦争ってのが若い奴らみたいに思想や理屈じゃないんだよな、身体の記憶だし。
軍隊カフェなんてものを作る世代は伊達じゃない。
0251人間七七四年
2007/04/27(金) 16:21:46ID:nYvQsOpv日本軍は兵站を軽視していたわけではなくて、
戦闘艦・民間船を無差別に撃沈する通商破壊のせいで補給線が維持できなかったてのが真相らしい。
米兵が乾パンを食ってるときに、日本兵は飯盒で食事してたわけだし。
関東軍では兵站はそれなりだったんじゃないかと。
0252人間七七四年
2007/05/10(木) 17:39:14ID:KF9rUst4極めて分かりやすいのだが、
この本で、今ひとつ解りにくいのが、与力・同心の位置づけ。
内与力は町奉行(旗本)の家来らしいから、幕府の直臣ではなさそう。
その他の与力は、御家人?
旗本・御家人という身分と、奉行・与力・同心という、役職名がからまってるから
よけいに解りにくい。
与力も同心も足軽の事なのかな。つまり御家人は全員、もとの足軽なのかな。
だとすると、御家人が将軍への御目見えが出来ないことも納得しやすい。
0254人間七七四年
2007/05/11(金) 20:14:41ID:RFCW4qae奉行の家来だが俸禄は与力と同等で幕府から出る。
無論、何人も内与力に任命できる訳ではなく、最大10人までと決められていたそうだ。
0255人間七七四年
2007/06/28(木) 23:38:31ID:SGlKxviZ0256人間七七四年
2007/07/07(土) 04:24:35ID:DnP8XeLF0257人間七七四年
2007/07/07(土) 23:36:14ID:hV1jJu1c0258人間七七四年
2007/07/10(火) 21:54:48ID:4VDwVe6v0259人間七七四年
2007/07/11(水) 10:41:00ID:BMFNgmTCP419
「クマン人は熟練した騎馬兵であり、遊牧生活で鍛えられた頑丈なポニーを乗りこなし、退くと見せかけて
一気に反撃に出る戦術を得意としていた。過去の十字軍はこの戦術を用いるトルコ人やシリア人に何度も
敗北を喫しており、このときもブロウ伯が性急に行動したせいで、また一つ同じような負けを重ねることに
なった。ラテン軍が広く拡散して猛攻の勢いが弱まると、クマン人はさっと向きを変えて雄たけびを上げ、
続けざまに矢を射ながら西欧人のほうへ突進してきた。」
0260人間七七四年
2007/07/11(水) 18:42:12ID:IYkLNRB9しかも日本では馬の去勢も蹄鉄も知らず、馬具も騎馬突撃可能なものではない
従って日本には明治まで騎兵は存在しない
0262人間七七四年
2007/07/11(水) 20:06:35ID:lnjvVTz5使っての乗馬法をこなせるように
なってから言おうなw
0263人間七七四年
2007/07/11(水) 20:25:19ID:swm0ohs9全力疾走はさせなかったけど頑張れば40kmくらいでそうだとのこと
0265人間七七四年
2007/07/11(水) 23:16:52ID:GaNV84KAサラブレッド=スポーツカー
どちらが戦場向きかは言うまでもない。
0266人間七七四年
2007/07/11(水) 23:44:03ID:swm0ohs9中世ヨーロッパでは馬の速度よりも鎧の重量に耐える頑丈さが求められた
向こうで馬に速度が求められるようになったのは17世紀以降だね
鉄砲や大砲の列に突っ込むには鈍くちゃダメだからね
0267人間七七四年
2007/07/12(木) 14:41:37ID:8yB1rwkV0268人間七七四年
2007/07/12(木) 15:26:09ID:U0Ob4oJkが、フィクションにせよ「できなくはねぇよな」と思わせるほど馬が小さかっ
たんだろうな。今の馬だとそのフィクション自体がバカバカしすぎて成立しな
い。
0269人間七七四年
2007/07/12(木) 19:11:20ID:hgScNBvR物理的におかしな動きを見せても
大概の人は気にしないのと同じだよ
軍記物語はあくまで小説の類だから
0270人間七七四年
2007/07/12(木) 23:30:31ID:oE9pnZhv背負って稽古した!て話があるから2,300キロの馬を背負う事は不可能
ではないと思うけど・・・次の日動けなかったらしい
ひよどり越えについては崖を下る事をビビッテ嫌がる馬を無理やり引きずり・・・
て話なのでは?
0271人間七七四年
2007/07/13(金) 08:32:50ID:LACsOe58サラブレッドだとノイローゼになりそうだなw
前に自分でバケツを蹴ってその音に驚いて、高速道路を疾走した馬がいたなぁ
0272人間七七四年
2007/07/13(金) 21:20:23ID:Dg6JoVa8越えの奇襲をやった。当時の馬が鹿とあんまり変わらん大きさだったおかげで
あの作戦ができたんかもしれん。今のデカ馬だったらこれはムリやな、で終わ
ってたかもな。
0273人間七七四年
2007/07/13(金) 21:58:32ID:xUIosehO0274人間七七四年
2007/07/14(土) 17:27:30ID:xOdbZ5i/サラブレッドのような足が長く細い体型は、競馬場のような平坦地をひたすら高速で走るためのもの。
0275人間七七四年
2007/07/14(土) 19:38:39ID:bozFkjtJ蠣崎は15世紀の下北半島時代に蒙古馬を輸入していたそうだが。
0276人間七七四年
2007/07/15(日) 01:49:24ID:iGu1PUbN0277人間七七四年
2007/07/15(日) 23:04:49ID:fu2PrmRj0278人間七七四年
2007/07/15(日) 23:13:55ID:Z0A3sO12知らんかった
0279人間七七四年
2007/07/16(月) 00:12:09ID:9EXa+R+2畠山重忠。
重忠は古今著聞集や吾妻鏡にも逸話が残るほど有名な大力の武者で、
平家では大力が伝説化されて取り入れられた。
大名である重忠の乗馬は秩父鹿毛という名馬、300`以上はあるだろう。
馬を背負ったのは架空の話だよ。
>>275
江戸時代の徳川家もペルシャ馬を輸入させて、房総・陸奥の牧で品種改良に用いたというけど
実際のところ成果は不明で、上手くはいかなかったようだ。
延宝4年の馬頭観音(オランダ様)があるという下総小金牧の輸入馬は、群れに馴染めず性格も荒れ、
周囲の作物を荒らし、上から命じられた牧士に殺されてしまったという。
0280人間七七四年
2007/07/19(木) 10:43:25ID:tNtkYUncサラブレッドなんか見た目がゴツいだけでムチャクチャ虚弱だからこれに乗って戦いたくはない
10キロも走らずに骨折するような代物だし
0281人間七七四年
2007/07/19(木) 12:06:39ID:WmXkLJeTでかくて力があって、過酷な環境での労働にもよく耐えるから戦場向き。
あとは木曾馬。ジムニーのように乗り回せそう。
0282人間七七四年
2007/07/19(木) 15:08:04ID:9RKXV57Y朝鮮半島を経由して入ってきた蒙古馬が日本馬の源流らしい。
0283人間七七四年
2007/07/19(木) 18:15:48ID:WmXkLJeT0284人間七七四年
2007/07/19(木) 21:00:43ID:z7Ecl7Mwチョンによる捏造失敗w
0286人間七七四年
2007/07/19(木) 23:56:00ID:xHsN78TAキチガイあおりして自分の無知さをさらけ出す前に、これでも読んでいればよかったのにね
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9C%A8%E6%9D%A5%E9%A6%AC
0287人間七七四年
2007/07/20(金) 08:42:16ID:j8bNuK4o0288人間七七四年
2007/07/20(金) 11:35:02ID:edidQysT0289人間七七四年
2007/07/20(金) 16:50:25ID:diip4E0vもしかしたら弥生時代にまで遡るかも
0290人間七七四年
2007/07/20(金) 16:52:56ID:j8bNuK4oでもそれ以前の馬の遺物だか骨だかが東北で見つかっているんじゃなかったっけ?
ある本のなかでどっかのえらい人が文献至上主義の考古学を批判していた。
0291人間七七四年
2007/07/20(金) 19:18:08ID:fK1Uxkrnポニーで調度いいサイズじゃん
0292人間七七四年
2007/07/20(金) 19:59:02ID:GdpIRTbv0293人間七七四年
2007/07/20(金) 21:22:38ID:aGx91HqI軽種はさした差はないよ。馬体がでかくても
食わない奴は食わないし小さくても
食う奴はすげぇ食う。
0294山形義光
2007/07/21(土) 11:52:42ID:gYV82p2q0295人間七七四年
2007/07/21(土) 12:49:50ID:ik2WnLiJ食べる量は激しい運動してない時とあんまり変わらないから
草以外のも飼料に混ぜてタンパク補給させないとないとダメらしいね
0296人間七七四年
2007/08/18(土) 02:33:17ID:SGex5JQV0297人間七七四年
2007/08/24(金) 23:40:07ID:fPni+cULttp://www.chinahistoryforum.com/index.php?s=&showtopic=13165&view=findpost&p=4836789
0298人間七七四年
2007/08/28(火) 11:35:46ID:YWkHOv6t0299人間七七四年
2007/08/28(火) 13:27:37ID:tAQER25+世界ではサラブレット的な馬に乗って戦った。
日本では馬がシェトランドポニーのように小さかったので馬に乗って戦わなかった。
0300人間七七四年
2007/08/29(水) 00:15:34ID:3D/ufj+pかなり頑丈そうだし騎兵に使えそう。
0301人間七七四年
2007/09/24(月) 16:36:25ID:6fU9hJZy0302人間七七四年
2007/09/28(金) 07:38:00ID:i1KBv7ML0303人間七七四年
2007/09/30(日) 17:51:50ID:eXT2kuZN0304人間七七四年
2007/10/08(月) 22:37:52ID:My4CYWQh0305人間七七四年
2007/10/08(月) 23:27:05ID:JKvOoJfM0306人間七七四年
2007/10/09(火) 00:06:58ID:qFsMH+tN130-160kg位のポニーが人を乗せた状態で100m16秒くらい。
当時の馬が鎧武者を乗せて100m20秒で走れたら立派なもんだろうね。
0307人間七七四年
2007/10/09(火) 00:19:42ID:j+yDeUeFと思うんだがなぁ
大きければ大きいだけ弓とか鉄砲の的になりやすいだろ
それがどんな力持ちでも飛び道具の前には一瞬で死ねるから
0308人間七七四年
2007/10/09(火) 00:25:40ID:B24i2W67ちょうどポニー(最大)サイズじゃないか?。
競演している競走馬崩れと思われる馬より1回り小型。
力馬タイプでもないので、鎧を着込んだガクトを乗せて
河原を走るシーンとか、かなり重そうな様子。
0309人間七七四年
2007/10/09(火) 00:27:52ID:j+yDeUeF0310人間七七四年
2007/10/09(火) 10:21:24ID:VjI1t+hLとスピード出して走らせていたな
恐らく日本の在来馬では朝青龍が乗れてもあれ程のスピードは出せんだろうな
0311人間七七四年
2007/10/09(火) 12:59:21ID:IwR9CVBw0312人間七七四年
2007/10/09(火) 18:52:06ID:eCXRr4i4日本在来馬の先祖はモウコウマ
0313人間七七四年
2007/10/09(火) 19:04:26ID:eCXRr4i4それを>>306みたいに
130-160kg位のポニーを連想させといて
「日本の馬は小さかった!」
「こんな馬に乗って戦える訳ねーよ!」
ってのが鈴木眞也のズルイ手なんだな
0314人間七七四年
2007/10/09(火) 20:28:02ID:VjI1t+hLまず日本では去勢技術がなかった
これは馬を集団的に戦闘用に使用するのにかなり重要である
実はローマや中世ヨーロッパの十字軍も当初、去勢技術を知らず、実戦で支障が
かなり出た
突然、牡馬がいな泣いて敵に位置を知られたり、戦闘中に勝手に敵の牝馬を追い
駆けたりしたのが記述されている
第2にハミや鞍や鐙、そして最も重要な蹄鉄が日本では集団使用の騎兵用に作ら
れていないことだ
モンゴルではもともと遊牧民であり、長距離移動に適した馬具であり、さらに日
本の軍装に比べ軽装である
サルマティア、ゴート、ローマ後期、ビザンティン、ササン朝、中世ヨーロッパ
北魏、突厥などは重騎兵(あるいは鉄騎)を使用したが、馬具も堅固なものに改
良されている
もともと農耕馬である日本の馬は戦闘用には適していない
しかも水田が多い泥寧地の多い日本では騎兵の集団使用が適している地形は少な
い
そのため日本では長い槍のファランクスのような槍兵集団戦術が発達したのだろ
う
0315人間七七四年
2007/10/09(火) 22:15:13ID:GBHWE9KA遊牧民族の蒙古馬と同じ。
集団戦に向かないなら、鐙すらないアレクサンダー帝国やローマでどうしてあれだけ騎兵が活躍したのだろう。
鐙も鞍も蹄鉄もないヌミディア騎兵が、ローマすら敵わない最先端のカルタゴの包囲戦術の要だったのはなぜか。
サルマティア、ゴート、ローマ後期、ビザンティン、ササン朝、すべて鐙の存在すら知らなかった国じゃないか。
鐙がない時点で乗りこなしは日本の騎馬にはるかに劣る。
馬にまたがって手綱を握り、両足で馬の体をはさんでしがみつくしかなかった時代なのに、
なぜ軽騎兵ばかりでなく全身馬鎧で固めたカタフラクトがパルティアや東ローマで活躍したのか。
隋や金、清の鉄騎兵のように人馬ともに鉄の鎧で覆った超重騎兵は蒙古馬だったが?
0317人間七七四年
2007/10/09(火) 23:20:23ID:VjI1t+hL定を保った
ゴートはチャルニャコフ文化の遺跡から鐙の遺物が出土している
ゴートはサルマティアの騎兵技術を模倣しているからサルマティアも鐙を持って
いた可能性が高い
ビザンティンはアヴァールの侵攻前後に鐙を持っていたことは当時のレリーフ等
で確認できる
0318人間七七四年
2007/10/10(水) 01:10:09ID:EwXKog62http://www15.wind.ne.jp/~kisaihakubutukan/kisaijo/4sengoku/1buki.htm
>薙鎌(ないがま)【写真】
>馬上の武士を落とす武器です。
>薙鎌は槍と並んで戦いに多く使われました。
>馬甲(ばこう)【写真】
>馬甲は馬の鎧のことで、これは障子堀から見つかりました。
>堅(かた)く叩きしめた革の表と裏に漆を塗り、表面に金箔を貼っています。
>戦国時代の元亀2年(1571)、北条氏が「合戦の時、馬に金の馬甲を
>装着すること」を定めています。
0319人間七七四年
2007/10/10(水) 01:14:33ID:EwXKog62時代劇では出て来ないけど、もしも再現したら驚くほど派手だね。
0320人間七七四年
2007/10/10(水) 03:20:28ID:KIUJ6X+2和式乗馬は馬に負担をかけない方法なんだぜ。
馬の扱いは日本だって負けてないんだぜ。
みんなにもっと自信を持って欲しいんだぜ
0321人間七七四年
2007/10/12(金) 02:09:22ID:5X7BVnkW0322人間七七四年
2007/10/14(日) 21:36:29ID:OYbm0h0Dギンギラギンにさりげないのが当時の関東の流行w
あと、メッキが光を反射して、馬がそれに驚くので騎馬突撃を防ぎやすいという効力もあったりするらしいぞ。
0323人間七七四年
2007/10/15(月) 01:59:12ID:Q8ZtZo+e短く簡潔で、しかも思い違いを解消してくれるぞ。
ttp://www.sasakijo.com/kiba.htm
0324人間七七四年
2007/10/21(日) 17:41:21ID:dQti+UfB日本在来馬に乗れるよ。
案外大きくてびっくり。
流鏑馬団に入ってみれば?
0326人間七七四年
2007/10/21(日) 23:20:32ID:Yjhy35VW牧場自体は馬もスタッフも凄くいいからお薦めだが
流鏑馬団はちと微妙だな。少し通ってから入会するか
どうかを決めた方がいいと思う。
0327人間七七四年
2007/10/22(月) 15:32:18ID:A9ypOOfh馬上で弓を使える者の方が少なくなっちゃって、突撃しかやることがなかったんじゃないかと言う研究者がいる
0328人間七七四年
2007/10/22(月) 23:10:14ID:lqUp5mcWその研究者は電波(神戸系)のT橋・K井とN口。
特にK井は城郭、動員数など論外の珍説。
騎射訓練は馬場でなく実戦的な狩猟を考えるべきで、その視点を全く欠いている。
0330人間七七四年
2007/11/03(土) 14:07:32ID:Vf6KmjpGhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/314
のコピペじゃんw
315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/10/09(火) 22:15:13 ID:GBHWE9KA
日本の馬は古墳時代以降に大陸から輸入した蒙古馬で、農耕馬ではない。
遊牧民族の蒙古馬と同じ。
集団戦に向かないなら、鐙すらないアレクサンダー帝国やローマでどうしてあれだけ騎兵が活躍したのだろう。
鐙も鞍も蹄鉄もないヌミディア騎兵が、ローマすら敵わない最先端のカルタゴの包囲戦術の要だったのはなぜか。
サルマティア、ゴート、ローマ後期、ビザンティン、ササン朝、すべて鐙の存在すら知らなかった国じゃないか。
鐙がない時点で乗りこなしは日本の騎馬にはるかに劣る。
馬にまたがって手綱を握り、両足で馬の体をはさんでしがみつくしかなかった時代なのに、
なぜ軽騎兵ばかりでなく全身馬鎧で固めたカタフラクトがパルティアや東ローマで活躍したのか。
隋や金、清の鉄騎兵のように人馬ともに鉄の鎧で覆った超重騎兵は蒙古馬だったが?
323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 01:59:12 ID:Q8ZtZo+e
日本の馬をポニーサイズとバカにしてる連中は、とりあえずこの文でも読めよ。
短く簡潔で、しかも思い違いを解消してくれるぞ。
ttp://www.sasakijo.com/kiba.htm
0331人間七七四年
2007/11/03(土) 14:10:03ID:Vf6KmjpG0332人間七七四年
2007/12/27(木) 18:50:21ID:Tu/7j7jt0333人間七七四年
2007/12/29(土) 06:21:05ID:lXzXiI1e身長と、体高の違いが理解していなかった、みたいです。
馬の場合、またがる高さが重要なので、体高、つまり背中までの(正確には地面から肩まで)高さで通常語らいます。
案外知らない人が多いみたいなので、念のため書き込みます。
鈴木さんもうちの女房と同じ勘違いをしてるのかもね。
0334人間七七四年
2007/12/29(土) 07:19:48ID:R79SgDNl0336人間七七四年
2008/01/01(火) 23:38:35ID:r5p8ObZ50337人間七七四年
2008/01/04(金) 17:52:49ID:BEwPX37Rもしそうなら、土下座でもすまない、ものすごい素人以下の勘違いだな。
0338人間七七四年
2008/01/13(日) 21:23:45ID:vHQ+R5JS首を取るのは脇差や鎧通しなんてこともわからなかったらしい。
だいたいこの人はアマチュアの史家という事を忘れてる人が多すぎる。本業は役所勤めの公務員だっけ?
イデオロギーや私情を交えないで研究するという最低限のモラルも守れてない気がするよ。
0339人間七七四年
2008/02/27(水) 03:50:08ID:x2rNswtL脇差も日本刀に入れると一部正解と言えるが…
それだったら、武士が使った槍は両刃直刀の日本刀に長い柄を付けた中国なら矛に分類されるのがメインだし…
0340人間七七四年
2008/03/01(土) 09:23:44ID:NSQ/moCW白馬に乗るって、高貴な階級(上官)だと教えてるもんだから、
狙撃の的になるので戦闘中にはしだいに乗らなくなった。
現在でも小学校で教える跳び箱は、元々はやく馬に跳び乗る特訓が目的だった
0341人間七七四年
2008/03/04(火) 08:07:33ID:3sTNOmZu0342人間七七四年
2008/03/04(火) 16:06:40ID:gwONCzpy地面からキコウな正確には。
0343人間七七四年
2008/03/05(水) 07:51:22ID:tAKM1fQg専門家の方ですか。
素人の読む程度の本では体高が肩までの高さぐらいしか書いていないので、出来ればもう少し詳しく教えてもらえれば有難いのですが。
キコウ→? 馬の高さ? 騎高? どこ?
などと言う状態になっております。
0344人間七七四年
2008/03/05(水) 09:16:23ID:1B8Lh3zu0345人間七七四年
2008/03/05(水) 10:29:20ID:tAKM1fQgありがとうございます。
0346人間七七四年
2008/03/05(水) 10:39:12ID:2rWVOSFV0347人間七七四年
2008/03/05(水) 11:45:08ID:yK1XSZei0348人間七七四年
2008/03/06(木) 05:56:04ID:z7Dfz4ox髟 (き) 甲 (こう)
耆
0349人間七七四年
2008/03/12(水) 08:45:16ID:UW3XNiczペット屋で犬の体長が胸からお尻になるみたいなもんか?
一つ気になるのは、日本以外でもキコウまでの高さで体高になっているのかどうか?字から見て日本独自のものぽい
0350人間七七四年
2008/03/12(水) 17:11:06ID:CPnjWXvw0351人間七七四年
2008/05/16(金) 13:16:32ID:70aXf7FN飼い方をしていたのかな?
0352人間七七四年
2008/05/18(日) 01:11:33ID:byQaPNkQ良好な食生活を送るのとは違う。
0353人間七七四年
2008/05/19(月) 02:04:47ID:RZcSmpu9しかし、馬が家畜化されると、より栄養価が高く美味しい食料として、豆類や
穀物を与え、より良い食生活を送らせるようになった。
特に冬から春先にかけては新鮮な野草が不足するため、豆類や穀物で十分な栄
養を補給する必要があった。
0354人間七七四年
2008/05/24(土) 06:01:29ID:0btzdmVb無機物の補給源もちゃんとあるし素敵な環境
0355人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 20:20:44ID:Mwcf1tYM0356人間七七四年
2008/08/24(日) 00:22:00ID:A9YdTcDI少なからず小田原北條家の近隣諸国ぐらいまでは
普通に知られていたと思われ。
0357人間七七四年
2008/08/24(日) 17:41:54ID:iYDUkYKQ義経の「鵯越(ひよどりごえ)の坂落し」。
そんなことはありえない!
ポニーのような小馬に乗った坂東武者…。
これが本当だ!
「技術」の視点から、源平合戦の通念をくつがえす。
『源平合戦の虚像を剥ぐ』(川合康著、講談社選書メチエ帯より)
(笑)
0358人間七七四年
2008/08/24(日) 18:26:09ID:adm0ITzV日本式の乗馬・操馬法について調べてから書けって思うw
落としという表現は誇張かもしれないが険しい山道でも
平気なのが和種だろ。
斜面のきつい富士山やその山麓ですら登ったり下りたりを
してきたような馬だぞ。
0359人間七七四年
2008/08/24(日) 21:29:15ID:nMadTa5h・唐沢玄蕃が厩橋城攻防戦で金の馬鎧を着用
・北条家で馬鎧の着用を義務付ける軍令状
・信長が初陣で馬鎧を着用
・1575年信長の馬廻衆百騎以上が馬鎧を着け岐阜に帰陣しているのを島津家久が目撃
・家康が信長に三百領の馬鎧を献上
・徳川家で馬鎧の生産を命じる記録複数
・朝鮮出兵の閲兵式で伊達隊が馬鎧の上に豹皮や孔雀の羽で着飾っていた
0360人間七七四年
2008/08/30(土) 12:25:42ID:AnUyQkqRそだね。今でも富士山の富士吉田口には普通に馬がいる。
どの馬も和種をかけたと思われる太い足の馬ばかり。
こんな感じ
ttp://santa21.fc2web.com/2004/fuji2004/index.html
↑多分戦国時代もこういう体格の馬が多かったと思うよ。
今のように小さくなったのは江戸時代に改良されてからだから。
0361人間七七四年
2008/08/30(土) 12:42:25ID:uVE+OfOi競馬用のトレーニングしてない大馬でも長距離は無理なの?
0363人間七七四年
2008/08/30(土) 14:16:27ID:rEthkc33論外だわ
0364人間七七四年
2008/08/30(土) 16:17:30ID:jFcYF4EQ富士山にいる馬で少し調べたがこっちの方が和種の特徴が
良く出てると思われ。
その馬はさりげなく重種がかけてある感じが出てるような・・・。
でも貫禄ある足だよな。サラブにはまずない魅力。
(蛇足になるがその写真、心霊写真っぽくないか?
鼻孔がやけに長くて違和感を感じるんだが。動いていただけかもしれんけど)
・奥のは和種に出やすい河原毛と手前はいかにも木曽馬って感じの馬。
ttp://www.360navi.com/photo/15yamanasi/01fuji/05mt05/10photo16.jpg
・河原毛の全体像。
ttp://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/12/68/61/src_12686123.jpg
>>361
大馬でもエンデュランスという人馬一体マラソンみたいな競技が
できるのだから長距離でも可能。
この競技はそれこそ100km以上のこともある。
でも、おもしろいぞこの競技。まじではまる。
戦国時代もこんな感じで移動していたのかなと思う。
エンデュランスについて
ttp://www.hea-gr.jp/
0365人間七七四年
2008/08/31(日) 00:20:05ID:p0DqN//4てか、合戦図に出てくるまんまの馬だ(;´Д`)ハァハァ
大河もこういう馬ばかりで作ってくれ!
0366人間七七四年
2008/08/31(日) 15:46:46ID:3zIpxFfu・今の俳優は背の高い人が多いから義龍のようなことになりかねない。
・今まで馬を貸してもらっていた牧場などの付き合い上
などの理由で大河で使うのは難しいらしい。
本当は和種の方が甲冑での騎乗も映える(合戦図にある武者のような感じが
出やすい)からN○Kとしては使いたくて仕方ないらしい。
関係者から以前聞いた話だと、風林火山では信玄の中の人がなかなか乗馬が
うまくならずスタッフは本番をどうするかと頭を悩まし、性格がのんびりしていて
従順な和種なら大丈夫では?とその路線で準備も進めていたらしい。
ところが、某人らが自馬を持ち込むこととなりその人らの馬が
サラブだったためやむなく断念したことがあったそうだよ。
0367人間七七四年
2008/08/31(日) 19:15:24ID:MiKz6InT草原の風景がダダッピロすぎるならCGで誤魔化せ。
0368人間七七四年
2008/08/31(日) 20:50:37ID:Z8EP1i8X今さらながらカピ亀には木曽馬みたいな馬の方がむしろ似合ってたと思う。
使いたいならせめてOPだけでも使えば良かったんじゃないかなと。
OPぐらいの頭数ならさすがに揃うべ?
0369人間七七四年
2008/09/02(火) 01:46:06ID:p9/UYJAY0370人間七七四年
2008/09/02(火) 15:19:23ID:WLc6B5mC結構強暴で油断してるとよくかまれそうになった。
0371人間七七四年
2008/09/02(火) 20:14:20ID:IG8Aumts0372人間七七四年
2008/09/02(火) 20:46:21ID:RCuxf+BA身長170cmの人間の胸ぐらいあるから、それほど小さくないよ。
まして当時の平均身長は157cm程度だから
並んで立った状態だと馬の胴体の上に人の頭が出るくらいになるから
乗り降りの便とかを考えると丁度扱いやすく実用的なサイズだと思う。
競馬のサラブレッドを見てると騎手の騎乗の際、他の人に補助してもらって乗ってるでしょ。あれじゃ戦場でイザというときヤバイと思うな。
0373人間七七四年
2008/09/03(水) 01:40:52ID:k0cRUYFP戦場ではF1カーよりもジムニーの方がまだ役に立つ
0374人間七七四年
2008/09/03(水) 02:19:27ID:dCHWg/WZ確たる事実なわけで、戦国時代にアラブ種などの大きな馬があったらそっちが
使われていた可能性も高いんじゃないかと思ったりもする。
騎馬武者は見栄えが重要だしね。
0375人間七七四年
2008/09/03(水) 14:36:35ID:bPVPiwRW戦国時代においても在来馬は役に立たずであったかのように言われることがある。
しかしながらこれは、近代の後装ライフル銃と火縄銃とを比較して、
火縄銃は能力が低いとして
戦国時代においても火縄銃は役立たずであったと言うのに等しい。
あくまで明治以降では、品種改良が重ねられた近代馬種との比較において
相対的に能力不足になっていたのであって、
戦国時代にあって役立たずであったわけではない。
また明治という時代は、近代欧米技術の導入が積極的に図られた時代であり、
そのために、在来技術が実際以上に貶めて評価される傾向にあった時代でもある。
(在来の物をダメだダメだと言わないと、新規技術の導入は中々進まない。)
そいった時代背景も考慮に入れるべきであろう。
0377人間七七四年
2008/09/05(金) 23:04:20ID:WquCCxUH戦えない
0378人間七七四年
2008/09/06(土) 01:15:51ID:KAGzM9z6本当? 戦国時代は蹄鉄もなければまともにハミすら使わず、
日本流の戦闘への向き不向き以前に、まともな馬具がそもそも
なかったというべき。
0379人間七七四年
2008/09/06(土) 01:27:58ID:34WXfIsU0380人間七七四年
2008/09/06(土) 01:47:39ID:KAGzM9z6蹄鉄がいらないそうだ。ただ、蹄鉄があれば蹄は柔らかいけれども大型化した
馬に改良する方向も出てきたはず。
日本では鉄が貴重品なので馬に使う消耗品にするにはもったいないので
蹄鉄が無視され続けたという可能性はあるかもしれない。
でも、鉄製農具が広く普及した鎌倉〜室町期以降なら、蹄鉄のような
鉄の消耗品というのにも耐えらえると思うんだけどなぁ。
0383人間七七四年
2008/09/06(土) 23:05:36ID:LunuOg3fそういう方向で言いたかったのなら当時の乗馬法では馬具を
あまり用いなくても操馬ができ、馬も轡なしでも大丈夫な性質だっためと
いったような内容を前に書くべきなんだよ。
ここにいるみんながみんな乗馬、特に古くからの日本での
乗馬法に詳しい訳ではないのは最初から読めばわかること。
自分が理解している=他人も理解しているわけではないと
いうことを前提にレスは入れた方がいい。
そしてけんか越しでないのに煽るような書き方もどうかと。
ちなみに蹄鉄技術は去勢と同じで明治時代に入ってきたものだから
日本に無かったのは当たり前。日本には石畳のような路地は
あまり無かった上に蹄を痛めるような場所も少ないから
鉄を履かすという感覚が無かったんだろ。沓や草鞋だけで十分だし。
あと、蹄鉄って必ずしも必要なものでもない。必要時以外は
外しておくことも少なくないよ。鉄を履かせると基本的に複数頭での
放牧ができない(喧嘩をおっぱじめると大きい怪我のもと)し
冬場の凍った地面だと滑って危険だから。蹄鉄が主な原因で
罹る怖い病気もあるからリスクを減らすためということも。
0385人間七七四年
2008/09/07(日) 00:13:46ID:2syIt/EH残れなかったとみるべきじゃないの? 見栄えのいい馬が賞賛されていた
のにも関わらず、一向にそういう方向に改良が進まなかったわけだし。
まあ、今の在来馬って意外と気性が荒いけどね。
大陸では普通に去勢をしていたし、蹄鉄も欧州に比べるとかなり遅かった
とはいえ、14世紀頃には一般化していたわけで、日本では馬具や去勢技術
など馬関連の多くの技術がなぜか非常に遅れていたのは厳然たる事実でしょ。
だからといって馬が戦力にならなかったのかとかいうのは別問題だけど。
0388人間七七四年
2008/09/11(木) 21:38:46ID:9rgHqW/Rしたのは五世紀になってからである・・・
ハミの歴史は非常に古くデレイフカ遺跡と呼ばれる後期新石器時代の
遺跡からハミの断片と推測される加工した鹿の角が発見されている
この遺跡から同時に発掘された馬の前白歯にはハミの使用によると
思われる異常な磨耗が認められている・・・馬の博物誌より
戦国時代には普通にハミを使ってると思うけど?
0389人間七七四年
2008/09/11(木) 21:55:58ID:pDzrhcicハミがはさまってるんじゃね?
曳いた馬には、騎馬武者が乗ってる。
0390人間七七四年
2008/09/11(木) 22:26:24ID:capKuY1gと称するものが出品されてますがw
ttp://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w23624300
0391人間七七四年
2008/09/11(木) 22:45:16ID:f0lh3l4e0392人間七七四年
2008/09/12(金) 10:54:07ID:I3g/EcIW暴れて蹄鉄打たせない馬はしばらく裸足で調教してる
普通に馬に乗る分には蹄鉄が無くても問題ないと思うけど
尖った石がゴロゴロ落ちてるような道なら草鞋はかしたほうが良いかも
昔は牛にもはかしてたらしいから
0393人間七七四年
2008/09/13(土) 05:07:27ID:Cfiqhloo0394人間七七四年
2008/09/13(土) 05:28:11ID:Cfiqhloo蒙古襲来絵詞、大坂合戦図屏風絵等で、見た限りすべての馬にハミが装着されている事を確認。
轡取りなんて役もあるだろ・・・
そもそもハミがなきゃ手綱がつけられないだろうw
0395人間七七四年
2008/09/22(月) 12:11:03ID:ky7oFCTuポニーに鎧を着た武将を乗せるなんていう検証番組も全くのナンセンス
因みに同時代の西洋の騎士が乗る馬もポニーサイズ
0396人間七七四年
2008/09/22(月) 20:45:52ID:O9SktHBO0397人間七七四年
2008/09/22(月) 21:28:50ID:5ImQrdFEあ、ほんとだね。
0398人間七七四年
2008/09/23(火) 01:23:45ID:7sgVTkEPアラブ、サラブ系の足の長い貧相な馬が遙か昔からスタンダードっていう思い込みが恐ろしいよな
0399人間七七四年
2008/09/23(火) 12:06:38ID:XhNBtBzVそのせいでシェトランドポニーみたいな小さいのが
ポニーの典型であるかのような誤解が生じやすい。
「戦国時代の馬はポニーサイズ」というのは
そういう誤解を利用して、まるで戦国時代の馬が
シェトランドポニーみたいな小さな馬であったかのような
ミスリードを行ってるのよね。
0400人間七七四年
2008/09/23(火) 17:19:34ID:6J49MyK6走れるかどうかは知らないが。
ロバは主に物運び用だな。日本にロバが多くいたかどうかも知らない。
0401人間七七四年
2008/09/25(木) 06:46:45ID:nak651rE同時代の中東や欧州には存在しなかった(と言われている)鐙(あぶみ)も。
ミスリードする輩ってのは、意図的にミスリードしようとしているとしか思えんところがあるのが如何にも胡散臭い。
鈴木某とか。
0402人間七七四年
2008/09/28(日) 22:38:28ID:ghVsbaZR本などには案外気難しく扱いずらいとは書いてあるが
ロバ×馬=ラバ←これは走らせるとけっこう速い!
メキシコだったかな?ラバで競馬してる
0403人間七七四年
2008/09/28(日) 23:38:54ID:5StnpZoH逆がケッテイでこいつは気難しいらしい。
スペインだかに「ケッテイのように頑固だ」って言い回しがあった
日本にはこういう計画繁殖みたいなことって根づかなかったね
0404人間七七四年
2008/09/28(日) 23:52:22ID:EDFUNCfwってのはあんまりきかないね。吉宗の時はどうだったっけ?
0405人間七七四年
2008/09/29(月) 18:24:14ID:9aDNhgGaまったく興味をしめさなかったみたい
0406人間七七四年
2008/09/29(月) 18:29:19ID:1b3iznQs当時の日本人の平均身長なんて120cmくらいだろ。ポニーとかでちょうど良い。
0407人間七七四年
2008/09/29(月) 19:46:07ID:82fefCnn0408人間七七四年
2008/09/29(月) 20:11:41ID:PZKyeI0f0409人間七七四年
2008/09/29(月) 22:06:28ID:9aDNhgGa注意、あくまでも冗談ですょ〜
0410人間七七四年
2008/09/30(火) 01:12:49ID:ZUMsrhUf0411人間七七四年
2008/09/30(火) 03:34:26ID:WBHsZzmRA 150cm 弥生時代「最大」から江戸時代「最小」まで継続縮小説
B 157cm 戦乱期の戦国で一時最大 江戸期で縮小説
他説もあるかも。
0412人間七七四年
2008/10/01(水) 22:46:24ID:q9Yd4p9Q相手を威圧できなきゃただのでかい的か暴れて味方に損害を与える厄介者
0413人間七七四年
2008/10/01(水) 23:14:26ID:5T5mXeOwピュロスのローマ侵攻のときは象にビビったローマ軍が崩壊した戦いもあったし
ただザマみたいに隊列に間隔をあけてしっかり象対策されたりするとな・・・
0414人間七七四年
2008/10/02(木) 00:45:36ID:7Q9xjnof象は群れのボスを調教すると、そのボスが群れの他の個体を教育するんで、調教、訓練は他の動物よりも楽って部分はあるみたい。
カウティリヤの「実利論」(ダルマシャーストラ)には戦象に関する記述もあるので、興味のある方はそちらも参照されたし。
0415人間七七四年
2008/10/02(木) 07:55:31ID:lA0Ks9Zu次は訓練されてない傭兵
戦象が負けた相手は訓練された歩兵で
実はこれ、オリエントでは騎兵軍団より貴重
0416人間七七四年
2008/10/02(木) 19:08:40ID:+dsXcssAゾウで戦うというよりも権威の象徴ぽいね
まあ馬も同じようなかんじだけど
0417人間七七四年
2008/10/05(日) 23:58:17ID:WgRtJz6Sサンデーサイレン酢系のほうがおおいのかな
0418人間七七四年
2008/10/07(火) 02:13:33ID:rmvh5vBn0419人間七七四年
2008/10/10(金) 16:36:56ID:AtXcPTVTとはいえ、日本では圧倒的にサンデーサイレンス系統が強いんで、増えてるかもね。
ただ、気性面で考えると断言しにくいけど。
0420人間七七四年
2008/10/18(土) 21:57:15ID:hIDlmZQc>B 157cm 戦乱期の戦国で一時最大 江戸期で縮小説
平均に比べると、戦国武将って結構背高いよね。
やっぱ身体がでかくないと武将としてダメだったんだろうか。
日本在来馬って大分減っちゃったんだよね?
一番大きかった南部馬も絶滅して。
大河で西洋のでかい馬でてるとなんか違和感。
0421人間七七四年
2008/10/18(土) 22:01:43ID:hIDlmZQcでも一応区分ではポニーじゃん。
それにやっぱ西洋の馬に比べれば小せえ!って思えるし。
俺は好きだけどさ、日本・中国・蒙古の馬。
てか中国はアラブ馬輸入してなかったのかな?
0422人間七七四年
2008/10/18(土) 22:46:29ID:zb/33nF0・中手骨(38例)―体高分布 121〜139cm:平均値 130.9cm
・中足骨(34例)―体高分布 109〜138cm:平均値 130.1cm
・とう骨(26例)―体高分布 117〜136cm:平均値 128.7cm
・脛骨(26例)―体高分布 109〜140cm:平均値 127.4cm
・上腕骨(3例)―体高分布 119〜139cm:平均値 128.5cm
・大腿骨(1例)―体高分布 128.1cm
◆全平均値 129.5cm
◇最も多い体高 126〜136cm
日本は幕末まで在外馬の流入、飼料の改良など行われなかったのでこの平均値が日本軍馬の平均値と思ってよいと思われる
0423人間七七四年
2008/10/18(土) 22:50:38ID:hIDlmZQcその程度なんだろう。
0424人間七七四年
2008/10/18(土) 23:47:56ID:zb/33nF0小馬―四尺(約121cm)
中馬―四尺五寸(約136cm)
大馬―五尺(約152cm)
軍記物で名馬と呼ばれる馬の体高はだいたい四尺六寸〜四尺八寸(約139〜145cm)の範囲
0425人間七七四年
2008/10/20(月) 23:01:56ID:6T+hDYEb北海道和種(ばんえい競馬の馬じゃない方)なら元々南部馬だから
大河ドラマで走っててもおかしくないかも
0426人間七七四年
2008/10/21(火) 18:47:14ID:tDYzBXxzやっぱ完全にポニーだな
これで完全装備の糞重い武者が乗ったら蹄鉄もまともじゃないから動き鈍そう
去勢もしてないから牡馬なら暴れそうだ
0427人間七七四年
2008/10/21(火) 20:16:54ID:PiQ8trH20428人間七七四年
2008/10/22(水) 00:49:47ID:4Pfkuwoc何訳のわからんこと言ってんだ
そんなこと考えてる奴いるわけないだろ
もともと軍馬に向いていない日本馬を無理矢理軍馬にして馬具も技術も不完全なんだから言われても仕方ないだろう
0429人間七七四年
2008/10/22(水) 18:29:01ID:Sa6R+q3j0430人間七七四年
2008/10/22(水) 23:14:13ID:WZfnL+NF鎌倉時代のヨロイを測ると、大柄のものが多く、
人間の身長が180センチくらいだという。
なんでも当時は気温が高めで、人間も大きかったようだ。
もっとも、
>>422を見る限りでは、馬は大きくもないが。
0431人間七七四年
2008/10/22(水) 23:19:23ID:GYstk5vD誇張だと言い切るのはちょっと無理がある。
0432人間七七四年
2008/10/22(水) 23:20:52ID:R966THOTつーか、気温が高かったら人間が大きくなるってwwww
お前いっぺん東南アジア行ってこいよwwww
0433人間七七四年
2008/10/22(水) 23:43:57ID:EkARjgVT0434人間七七四年
2008/10/23(木) 00:56:31ID:w7EhqNgX鎖で鉄騎を繋いで鉄の方陣を作ったり、
数千〜数万の楔となって敵戦列を破砕するなど、大規模な装甲騎兵の運用が見られた。
機動戦術を主とするモンゴル帝国の軍馬も蹄鉄を打ってない。
0435人間七七四年
2008/10/23(木) 14:57:02ID:RIm93HV4温暖化により食糧事情が良化すると体はでかくなる。
逆に慣例化すると小さくなる。小氷期だった江戸中期〜後期なんて、
小人かと思うほどに小さい人が多い。
こんな常識すら、草はやして喜んでいるバカは知らないんだなぁ。
0436人間七七四年
2008/10/23(木) 18:37:01ID:99j/Qd3l食糧事情が平均気温だけで決まると思ってるの?
気候その他の要因も大きい。
第一身分の差はなんも考えてないのか?騎乗身分ってどれくらい偉いか知ってるか?
バカにする前に当時の人間の平均身長の統計データぐらいもってるんだろうな?
俺の知る限りでは14世紀と16世紀の平均身長は殆ど変わらん。
180とかバカじゃないの?お前の身長より高いじゃん。
0437430
2008/10/23(木) 20:18:08ID:HvzxRhYw源 頼朝(みなもと の よりとも)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将である。鎌倉
幕府の初代征夷大将軍として知られる。 ...... 身長は大山祇神社に奉納された甲冑を元
に推測すると165センチ前後はあったとされ、当時の平均よりは長身である。
義経
身長に関しては義経が奉納したとされる大山祇神社の甲冑を元に推測すると150cm前後くらいではないかと言われている。しかし甲冑が義経奉納という根拠はなく、源平時代のものとするには特殊な部
49 :習志野権兵衛:03/08/17 23:15
確か足利尊氏もでかくて180cm。現存の遺品の甲冑もでかい。
10 :日本@名無史さん :03/07/10 07:47
徳川吉宗はよく分からない。愛知県岡崎市大樹寺にある
位牌では156cmしかないし。遺骨の発掘調査でもしないと
分からないかな。なお、
坂本竜馬:176cm 藤堂高虎:187cm 前田利家:179cm 加藤清正:181cm
伊達政宗:159cm 徳川秀忠:159cm 明治天皇:168cm 西郷隆盛:183cm
源 義経:147cm 東条英機:163cm 徳川慶喜:157cm 桐野利秋:177cm
ナポレオン156cm ヒットラー175cm ルーズベルト:191cm アラビアロレンス 165cm
仏人平均:176cm 独人平均:180cm 英人平均:178cm 米人平均:175cm
0438つづき
2008/10/23(木) 20:19:12ID:HvzxRhYw武田信玄は153B(肖像画や鎧甲から計算)。伊達政宗は遺骨から計算して
161B。
95 :日本@名無史さん:03/11/02 12:18
徳川将軍(遺体からの推定身長)
http://www.jah.ne.jp/~risuko/hone.html
家宣 160.0
家重 156.3
家慶 154.4
家茂 156.6
天親院(家定正室) 147.8
静寛院(家茂正室、和宮) 143.4
桂昌院(家光側室・綱吉実母) 146.8
殊妙院(家慶側室) 147.9
0439つづき(まとめ)
2008/10/23(木) 20:21:23ID:HvzxRhYw幼少の七代家継を除けば、一番小さいのは五代綱吉。135センチ。
十五代慶喜も小さく、侍女の回想談によると「今のお人が想像なさるより
はるかに小柄で五尺そこそこでした」とある。150センチ程度ですね。
ttp://ameblo.jp/urutora5963/entry-10106190674.html
人類学者の鈴木尚氏によると、日本人の身長には”大人期”と”小人期”の周期があり、
現代は”大人期”に当たっているのだという。つまり、食べ物や生活環境だけの問題では
ないということだ。
過去の大人期の代表としては、南北朝時代があげられる。たとえば、この時代に活躍
した新田義貞などは、180センチもある大丈夫(だいじょうふ)だったという。
一方、小人期の代表は、平安時代と江戸時代。とくに平安時代は日本史のなかの
”氷河期”ともいえ、寒冷期にも当たっているため、それが食物の生産に悪影響を与え、
当時の人々の身長をより低くさせたといわれる。この時期の日本女性の身長は、
140センチくらいだったと推定されている。
0440430
2008/10/23(木) 20:25:58ID:HvzxRhYw>>人間の身長が180センチくらいだという。
情報源は本からだったが、
鎌倉時代の有名人がでかかったとあり(鎧から)、
それは源頼朝と思ったが、そうでなく、新田義貞のことだった。
0441人間七七四年
2008/10/23(木) 23:23:59ID:vXS89zyw蒙古兵は革製のラメラ・アーマー程度で日本の武士みたいに重武装でないし
一日100`走れる人を乗せることが目的で品種改良されてきた遊牧民の馬と
農耕目的で品種改良もされず去勢も知らずや馬蹄、鐙、鞍など馬具の技術も低位であることを同次元で比べることはできない
鉄騎は中国や鮮卑族が多用したが、それも西域から馬をかけ合わせ品種改良された馬だ
0442人間七七四年
2008/10/24(金) 01:03:42ID:M59ajvCd0443人間七七四年
2008/10/24(金) 01:45:40ID:MIl0AZPQ日本の馬と蒙古や中国の馬は同種。
モンゴル騎兵は他の遊牧国家同様、弓騎兵の他に決戦兵力として重騎兵を持っている。
モンゴル重騎兵は鋼鉄製の札と鎖製のラメラーアーマー、鎖とプレートでできた籠手を身に着ける。
その上で鉄札を綴じ合わせた重厚な馬鎧を馬に着せている。
武器は槍や斧、メイス、片手用曲刀で武装していた。
そもそもこの手の重騎兵は鮮卑、宋、清代の鉄騎に至るまで中国・モンゴルで幅広く存在していた。
0444人間七七四年
2008/10/25(土) 05:22:36ID:VNPsJETDむしろ重騎兵のほうがやばいわけで
0445人間七七四年
2008/10/25(土) 19:09:05ID:fNKEkwoD0447人間七七四年
2008/10/27(月) 06:44:46ID:nDySs9GG確かにサラブレッドみたいにデカくはないが、ポニーほど小さくもないし。
推古天皇が「馬ならば日向の駒」と詠んだくらい宮崎の馬は有名だったそうな。
0448人間七七四年
2008/10/27(月) 08:23:57ID:jZKGiib0そこらのニートに2〜30キロの鎧着せて、「戦どころか走るのもままならない。足軽なんていなかった」とか言うの?
0450人間七七四年
2008/10/27(月) 17:05:05ID:Pb2Xg5Qn日本=木曽馬の概念なんだろう。
鈴木氏の影響か?
戦国時代は運用以外にも馬の役目があった。
無論、戦闘用。
その為に品種改良を多く大型化させようとしていた。
騎馬隊は一応、大河のようなものではなかったが存在していた(馬は少ないが)
対抗策の一つに槍衾というのも生まれた
巨大な馬は突撃させるだけでも脅威となった証拠ともいえる。
ただ騎馬だけの部隊もなく騎馬は実質扱いにくく
相手の部隊が潰れた状態でないと槍衾で返り討ち。
移動用であり、奇襲用で戦う際は下馬するのが基本。
馬上で戦うのは難しいかったからだ。
士気の下がった部隊にとって槍衾は呼吸が揃っての代物。
ましてや、そんな状態で巨大な馬が走ってきたら…
天下泰平の世に巨大な馬は無用であった為、小型化さしていった。
戦う必要が無いのに巨大な馬を持って何とする?という具合。
時代が進むにつれ、軍馬そのものの需要が下がり。
役蓄馬の需要が高まった。道路網の発達で駅馬が大量に要求されたことなどから
体高のある馬よりも、がっちりと低く構えた力持ちの馬にとって代わった…
こんな所だろ。
0451450
2008/10/27(月) 17:08:41ID:Pb2Xg5Qn「その為に品種改良を行い、大型化さしていった」だw
0452人間七七四年
2008/10/27(月) 18:44:05ID:vr/DOL2pほぼ決まりか。
0453人間七七四年
2008/10/27(月) 19:19:05ID:IMU6cB8Wそもそもこれが立証されてないから憶測に過ぎない
つか日本在来種と言われてさえいない南部馬を引き合いに出す時点でオhル
0454人間七七四年
2008/10/27(月) 22:02:18ID:Pb2Xg5Qnスレタイには『戦国時代の馬はポニーサイズ』とある。
答えはノー! >>450にある通りの理由だ。
これが『日本の馬は元々ポニーサイズ』なら答えはイエスだ。
用は日本在来種にこだわる必要は無いということだ。
南部馬は実在しなかった馬でも、戦国時代にはいなかった馬でもない。
実在した馬ということと、戦国時代に大型化された事実。
南部馬は戦国以前に日本にいた馬。引き合いにだしても問題ないのでは?
>天下泰平の世に巨大な馬は無用であった為、小型化さしていった。
無駄に巨大な馬を飼育すると、幕府に何を思われるか…
一戦交えるつもりか?と思われるだろうしな。
幕府も小型化を推し進めたようだ。
そのような史料も確かあった筈だが…
戦国時代が終わり火縄銃が急激に消えていくのと同じ
戦闘用という役割がなくなった馬は消えていった…
巨大化した馬は絶滅している事実がある。
幕末。明治にかけて歴史は逆をいくわけだが…(再び銃の需要。馬の需要↑)
0455人間七七四年
2008/10/27(月) 23:07:13ID:IMU6cB8W現存する南部馬は品種改良され大型化されたんだけど
だから日本馬事協会は日本在来種に南部馬入れてないんだぞ?
発掘された馬骨からポニーサイズなのは間違いないし、現存する和種の純血種は体高でもポニーサイズ
これは疑いようもない事実なんだが、今要る在来種でもっとも日本古来の馬に近いのは対馬馬と言われてる
南部馬を引き合いに出す時点で違う意味わかった?
フロイスの日本史でも馬
で一生懸命小型化したと力説してるが、それを裏付ける文献などの証拠は?
“小型化”を主張してる論説でも大きくとも体高140前後から、最大でも120超える程度まで小型化したというぐらいで、
基本的に日本馬が小中型の馬、いわゆるポニーサイズなのは疑いようもないんだが?
0456人間七七四年
2008/10/27(月) 23:24:18ID:oSiWqg3w0457人間七七四年
2008/10/27(月) 23:44:02ID:HPFQME39南部馬が小型化していったのは事実みたいだが
さすがに戦国時代のウマの大半は147センチ以下だろ
分類でいえばポニーだ。スレタイは間違っていない
>>455
参考までに
http://www.jtng.com/thrc/p70nanbu/p70.html
南部馬は一般に大型で、体高5尺(150センチ)を超えるものもしばしば出ました。
盛岡南部藩38代利済の栗毛馬の国一は、体高が5尺2寸5分(157.5センチ)もあって、
江戸藩邸に置かれて殿様のお国自慢のタネでした。
低い馬を好む傾向は徳川中期に顕著でした。宝暦9年(1759)の七戸代官所調査によると、
特に優れたメス馬で体高4尺6寸5分(139.5cm)というのもありますが、
平均すれば4尺3寸5分(130.5cm)にとどまっています。
オス馬はこれより2寸(6cm)ほど高いのが普通でした、
背の高い馬は荷を乗せるのに不便なため次第に敬遠されていきます。
馬産の主目的が軍用馬の生産にあったころは、騎馬戦に有利である点から大型馬がもてはやされた。
だが荷物運搬用には、積み下ろしが楽な背の低い馬が好まれる。
俗に南部九牧と呼ばれた藩牧は、いずれも良馬の産出で知られ、
なかでも本県上北地方にあった木崎野は大型馬の出どころだった。
ところが明和3年(1763)の2歳駒調査では、
すでに4尺4寸(1m32)を超える馬は無く、
ほとんどが4尺2〜3寸と小型化傾向が顕著になっている。
0458人間七七四年
2008/10/28(火) 00:12:28ID:ZrIpy0Jjだから何?
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c2/Gustavus_Adolphus_at_the_Battle_at_Breitenfeld.jpg
0459人間七七四年
2008/10/28(火) 03:27:16ID:xuBrwBmS当時のヨーロッパはパイク(長矛)と銃を組み合わせたテルシオやオランダ大隊の隆盛で
騎馬の突撃は自殺行為とされていたが、
騎兵突撃戦術の復活に成功したウェーデン軍の軍馬は平均115cmくらい。日本馬より小さい
ポニーで軍用に耐えないという考えがおかしい
0460人間七七四年
2008/10/28(火) 08:29:02ID:FozEz3T0南部馬現存してたのか…
品種改良されて巨大化している南部馬が…
昭和初期には絶滅していたものと思っていた。
火縄銃も本来日本のものではないのだから…
外国から馬が入ってきて、それが使えると思ったら
使う為に品種改良するなりするのが戦国大名じゃないの?
日本在来云々や日本馬事協会は関係ないんじゃない?
鎌倉時代のような戦い方が減ったのは
槍衾なり、槍が長くなったり、馬を大型化させた結果。
小柄な日本人には以前の様に馬上で戦うのが
扱いにくくなったからでないかな。 元々馬上では難しそうだが
流鏑馬みたいのがあるし、弓馬の道ともいったことだしね。
発掘された馬骨は戦国時代のもの? 日本全国調べた結果?
火縄銃の工夫のように、戦国大名によって馬の目の付け所も違うだろうし
大型化さした所もあれば、そうでない所もあっただろう。
中には馬なんかもう時代遅れだろうという所もあった筈。
馬は分類的にはポニーとされるものが戦国時代の大半ではあったが
武将クラスが乗る馬は巨大であるのが多かった。
小柄な馬なら馬鹿にされるし目立たない…という所でしょ。
まあ、今のサラブレッドが巨大すぎるだけだから
ポニーサイズ=小さい。
ポニーサイズ=木曽馬という概念であることに問題があるんだろう。
逆に世界=巨大な馬という概念が日本に生まれてきているのが問題。
0461人間七七四年
2008/10/28(火) 18:39:20ID:n4w8DghTよく雑誌に地図で表示されているが、
すんごい距離だぞ。
桶狭間の戦いで、織田信長は清洲城から馬を走らせている。
立ったまま飯をかきこんで、鎧をつけさせ、それから10キロ以上走らせてる。
供の者は徒歩だが。
桶狭間の戦いでは、馬から降りて、信長自身もヤリをもって突きまくってる。
馬の使い方として、移動および、敵前で下馬しての戦闘、
のまさに典型例。
0462人間七七四年
2008/10/28(火) 18:42:44ID:2NiAntc3品種改良って…
それよりも遥かに導入しやすい馬具や技術ですら、
戦国期に蹄鉄も去勢も導入されなかったことすら知らないのか?
調べもせずに妄想だけで語るバカなのはわかったから、消えろ。
0464人間七七四年
2008/10/28(火) 23:21:09ID:YpdIJB+s>昭和初期には絶滅していたものと思っていた。
そうだね、どこぞのサイトにはそう書いてるねw
寒立馬も南部馬の一種だし、純血種としての南部馬はもう絶滅してるねw
>発掘された馬骨は戦国時代のもの? 日本全国調べた結果?
発掘だから鎌倉期から江戸期まであり、戦国期(室町期も含む)もあるんだけど
JRAの博物館行って聞いてきたらいいぞw
でそっくり返すが、ポニーサイズ否定する君の物証は?
>武将クラスが乗る馬は巨大であるのが多かった。
これもね
大きい馬が好まれるのは疑いようもないが、南部馬が体高150超えても特筆されるぐらい珍しかった時代に、
さも巨大だったように誇張表現してるのが君
日本馬がポニーサイズなのは疑いようもない事実で、否定するなら物証だしてくれ
小柄だったら馬鹿にされるとあるが、平均しても140前後なので、今で言う小型馬が標準なんだよ
つか木曽馬に拘る理由が謎
それと
>外国から馬が入ってきて、それが使えると思ったら
>使う為に品種改良するなりするのが戦国大名じゃないの?
品種改良する知識も技術もなかったんですけど?
思い込みで語ってるのか?
0465人間七七四年
2008/10/29(水) 08:34:44ID:wlZ6rm7F7・8世紀ごろには蹄の裏を焼いて
硬質にする方法や繊維質のもので保護する護蹄方法
また万葉集にも護蹄を示す記述がある。
護蹄手段を耐久性のある素材として鉄にもとめ
鉄沓(てつのくつ)として鋲を打った鉄板を着用したのは
わが国では、戦国時代であったとされている。
只、雨でも降ろうものなら、道がぬかるんで滑る等し
日本の地形にも合わなかった。
変わりに馬の蹄に蹄鉄をつけず、馬にも藁で作ったクッションと滑り止めを
兼ねた馬ぐつを履かせることが多かったとある。
去勢は雌馬の方が扱いやすいという考えも確かにあったが
荒々しい方が威力はあるからな。 敢えてしなかったんだろ。
雌馬放して、去勢してない馬を使っている騎馬隊から
難を逃れた武将の話云々が戦国時代にあった筈。
雄馬興奮して大変だったそうだw
0467人間七七四年
2008/10/29(水) 13:56:15ID:9BIgawTaポニーサイズだったのだから問題ないのでは。
現代人でもポニーサイズの人いるでしょ?160以下の人
戦国時代にサラブレッドみたいな馬がいても
当時の日本人からすれば
馬の図体がデカ過ぎて、一度落馬したら乗れないよ。
0468人間七七四年
2008/10/29(水) 14:14:36ID:IwKhStLA速度が出るが怪我が多すぎて軍用に使われていないよ。
0469人間七七四年
2008/10/29(水) 15:08:32ID:zIbqiCBQとりあえず、基礎知識としてこれぐらい読んでおいて欲しいところ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5
>>468
まあ、サラブレッドの主な原種でもあるアラブ種を使っていたし、
各種在来種の改良のためにサラブレッドを種付けしたりもしていた。
フランスが幕末に幕府に品種改良のために寄贈したのは有名。もっとも、
見た目はサラブレッドらしかったものの血統は不明だったので、血統登録上は
アラブ種という馬が多かったようだけど。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%A0%82_(%E9%A6%AC)
海外での軍馬の事例は
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Horses_in_warfare が異様に詳しい。
0470人間七七四年
2008/10/29(水) 17:48:47ID:WoYdUDN30471人間七七四年
2008/10/30(木) 00:10:47ID:8rNE0Pg00472人間七七四年
2008/10/30(木) 03:15:07ID:vjhQ4GSs現代でも、アラブ種は140〜150p程度。
戦国時代はアラブ種もポニーサイズなんだけどなあw
0473人間七七四年
2008/10/30(木) 05:44:58ID:u2o73BgD嘘つけ
食性も変わらず、外国馬との交配もない日本の馬が急激に10cm以上も高くなるわけないだろ
鎌倉〜南北朝時代には良馬の奪い合いで武士同士殺し合いまで発生してんのに
とにかく去勢技術、蹄鉄がなければ集団使用やギャロップは絶対無理
0475人間七七四年
2008/10/30(木) 08:41:33ID:WAcVQLOz0478人間七七四年
2008/10/30(木) 11:42:03ID:YTqNUrX00479人間七七四年
2008/10/30(木) 16:33:52ID:95NlSgpT0480人間七七四年
2008/10/30(木) 17:27:40ID:vjhQ4GSs0481人間七七四年
2008/10/30(木) 17:55:44ID:WTU2mPhPモンゴル帝国では旗信号による一糸乱れぬ集団機動戦術(偽装退却、円陣射戦法等)
で他国を圧倒したが、蹄鉄は打っていないよ。
0482人間七七四年
2008/10/30(木) 18:02:22ID:WTU2mPhP西洋騎士も徒歩の従者が随伴して戦っていたけどね。
日本だと鎌倉時代は従者も騎乗しているし、馬当てという突撃戦法も源平合戦以降見られる。
蒙古襲来絵詞で百騎の騎馬集団で攻撃をかける場面では、
従者の馬が射られて血を吹き、しかたなく徒歩で旗を持って従うシーンもある。
0483人間七七四年
2008/10/30(木) 18:58:56ID:vjhQ4GSs乗るのは当然牡馬。
十字軍関係の史書には、発情期に馬が嘶いて敵に見つかったとか、そういう逸話が山ほど。
(ちなみに、古代のローマ軍にも似たような逸話がある。)
つまり、西洋の古代〜中世時代、彼らは馬の去勢を知らなかったのだが、騎馬の集団運用が存在しなかったと言う人はいない。
去勢も蹄鉄もあった方が良いに越した事は無いが、絶対条件でも必要条件でもない。
0484人間七七四年
2008/10/30(木) 19:01:51ID:WAcVQLOz馬が射られて血を吹き出しながら、騎馬で突撃する武者(主人公ね)しか
知らなかったよ。この騎馬武者の武器は、弓だったな。
0485人間七七四年
2008/10/31(金) 08:38:07ID:i/gOd7B5戦国時代には、既に去勢や蹄鉄というのは一応伝わっている。
>>405にあるように、日本人が余り興味を示さなかったのは何故か分かるか?
>>465に理由が少しあるし、外国の攻城兵器も日本で普及。
使われなかったのも日本の地形が異なる点にある。
運搬という面が大きいだろう。
馬を運搬や戦闘(時代により需要に差があるが)にと重宝する日本は
馬の数が多く必要であるのに去勢してどうするんだ?
競走馬にでもするつもりか?
去勢すると攻撃的な性質が失われるし、生産力が落ちる。
>>401を見れば、日本が馬を重宝していた事が分かるだろう。
馬の技術や馬具も使えると思えば使っている。
0487人間七七四年
2008/10/31(金) 21:47:11ID:/qvQHpyb0488人間七七四年
2008/10/31(金) 23:04:14ID:HHzdFL/F去勢すると馬の攻撃性が失われる為
日本の戦国時代に必要とされていた軍馬としての生産力が落ちると
思っていたのだが違うのか?
荒馬を乗りこなすことが誉れとされていたということ等もあるだろうが
日本と外国では兵器や環境も違うように
馬に求められていた性質も異なる筈なのだが…
0489人間七七四年
2008/10/31(金) 23:29:23ID:A+ExcVyy多数の牝馬相手に繁殖させるから
あぶれた多数の牡馬を去勢しても馬の生産力は落ちない
ということを>>486は言いたかったのだろう
0490人間七七四年
2008/11/01(土) 00:04:23ID:Qjghewc1種牡馬になれない/なれそうもない馬が去勢されるのは世界的な常識だといっても差し支えない。
しかし、成績の優劣に関わらず、牡の競走馬の去勢は日本では殆ど行われていない。
これは商業的合理性とかそういうのとは別のものと言わざるを得ないw
それはそれとして、
サラブレッドの三大始祖の一頭とされるバイアリータークは、元々はオスマン朝の軍馬だった。
英国軍人が戦利品として得、その後も戦争で活躍し、最後は種牡馬として生涯を閉じたとされる。
軍馬→種馬だから、当然ながらこの軍馬も去勢はされていないという事になる。
0491人間七七四年
2008/11/01(土) 23:01:26ID:1elfdu71>とにかく去勢技術、蹄鉄がなければ集団使用やギャロップは絶対無理
珍説だなーw
それって人間に例えるとニューハーフになってスパイク履かないと
全力疾走も集団行動もできないってことだよ?
悪いこと言わないからさ、一ヶ月・・・いや2週間で十分だから
どっかの馬牧場か乗馬クラブでスタッフバイトして本物の動くお馬達と
存分に戯れてきなよ。
0492人間七七四年
2008/11/02(日) 07:44:58ID:Px4qUOAc0493人間七七四年
2008/11/02(日) 14:59:51ID:8FLMm887日本では血統なんだかんだと口では言っていても、結局は馬を
単数で見たり数打てば当たる感覚が古くから残っているから
どうしても種牡馬選別が及び腰だったり甘かったりなんだよね。
これは競走馬の世界だけではなく乗馬界なども同じ。
だから、一部の種にばかり頼って偏ってしまうきらいもあって
名馬があまり出ないし、出てもうまく継いでいけない・・・orz
和種は使えないと絶滅推進運動やったのでもわかるけど
結局、日本の場合は血統を重んじるという意識が現代でも
まだまだ低いんだよ。
0494人間七七四年
2008/11/02(日) 15:06:15ID:8FLMm887こっちでお願いします。
和種は使えないと絶滅推進運動やったのでもわかるけど
結局、日本の場合は血統を重んじると言う意識がもともと
あまり無かったんだろうし、それは現代になっても
少しは改善されてきてるとは言ってもまだまだ低いんだよ。
0495人間七七四年
2008/11/02(日) 22:34:53ID:tVrIJhex無かった感じなのは否めんな。
名馬という記録はあっても、そんじゃあその子は?孫は?となると
記録はもとより逸話すら残っとらんしね。
そういえば、サンデーサイレンスの子で幻の三冠馬とまで称された
フジキセキ。種牡馬としても悪くない成績を残していたにも関わらず
今では外国に出してしまったらしいぞー苦笑ー
0496人間七七四年
2008/11/02(日) 23:54:48ID:yAEverCIまあ一応血統保存の意識が無かったわけではないみたいだけどな
三春馬の場合
天明年間に名馬と言われた日暮を種馬にしてその後も名馬を得てるわけだし
当時の人も血統の重要性は認識してたと思うよ
日暮ー小桜
巻衣ー花月ー岩船ー雲竜
花山 旭
村雨
0497人間七七四年
2008/11/02(日) 23:57:03ID:7A1/BV880498人間七七四年
2008/11/05(水) 04:14:57ID:jSalY8re0499人間七七四年
2008/11/05(水) 09:21:50ID:0Dkco4cI牛にさわったことすら、ない。
0500人間七七四年
2008/11/05(水) 11:52:36ID:8LnzQuudでも臭いよ
0501人間七七四年
2008/11/07(金) 14:17:22ID:eV7Xb5M2絵画史料見てから言え。馬に乗って戦ってるぞ。
「大坂夏の陣図屏風」
ttp://www.osakacastle.net/castle_ch/display/index.htm
ついでに日本刀で戦闘もしてるな。
0503人間七七四年
2008/11/07(金) 18:13:49ID:y45jK+5a馬格すら知らない鈴木的なヤシはさすがにおらん罠。
ただ、海外に比べて馬具や馬産関連など、馬周りのほとんどの技術が劣っていた
のにも関わらず、それらの技術を受け入れようとしなかったのは確かで、それは
なぜなのかという話になっている。
0504人間七七四年
2008/11/07(金) 19:42:43ID:ip4iSUdaというから、技術や知識の伝来自体はあったんだろうね
0505人間七七四年
2008/11/07(金) 19:54:02ID:qJaEUjV+馬は貴重品なんで、そりゃ下手に突っ込んで怪我でもさせられたらタマランからね
0506人間七七四年
2008/11/07(金) 21:21:23ID:cFqvgxUd馬産関係が劣っていたのは認めるが馬具関係は劣ってなぞいない。
むしろ、山岳地帯を騎馬をする場合は日本の馬具の方が有利なこともある。
0507人間七七四年
2008/11/07(金) 23:09:10ID:KHmq/ghe乗り崩しという戦法や馬に関連するの多多ある事実があるからな。
馬周りの殆どが異国より劣っていたというのは言い過ぎ。
馬産関係はまだしも
海外の技術は必ずしも当時の日本で使えたものでもないからな。
山岳地帯での馬に関連するのは日本の方が上かもしれんしね。
単純に優劣は決められない。
>>506
細かいことですまない。自分が間違っているのかもしれないが
正しくはこうだと思う。
×劣ってなぞいない ○劣ってなどいない
0508人間七七四年
2008/11/08(土) 01:34:29ID:436kVgNd主流だった日本では海外で使われていた鐙は足の裏が
痛くなるからまず使い物にはならないだろうしね。
0509人間七七四年
2008/11/08(土) 02:06:17ID:bOQn7ESz…横入りですが……
これは戦国時代から使われ出した”なんぞ”が変化した”なぞ”じゃないでしょうか。
元々の”なんぞ”は、代名詞「なに」に副助詞「ぞ」の付いた「なにぞ」の音変化で、ある事物を例示する意を表します。
ですから、これを誤用とするには無理があるかと。
0510人間七七四年
2008/11/08(土) 11:47:52ID:+2PSaXppスレ違いだけど、火縄銃は本来日本のものでない〜というけれど、
じゃあ火縄銃が本来どこの国のものかあなた言えますか?
火薬発明あり、製鉄技術あり、いろいろな国の文明が絡んでできているのですよ
0511人間七七四年
2008/11/08(土) 14:02:57ID:xSEuOSRT馬具も違うのが当然とはいえ、西欧はもちろん中国の騎馬民族的な
知識すらまるで導入されなかった。
部分的な導入では意味がなく、今までの常識をかなりひっくり返さないと
導入できないと判断され、馬に乗ることが武士の特権だったというのに
影響があまりにも大きすぎると判断されたのかな? にしても、去勢ぐらいは
導入されてもよかったのに。
0512人間七七四年
2008/11/08(土) 19:51:49ID:PvZfEKyG0513人間七七四年
2008/11/08(土) 21:32:19ID:+2PSaXpp牧畜文化のある地域にはすんなりと受け入れらるけど
日本は牧畜文化がないからよほどのメリットがないと浸透しない・・・のだと思う。
ついでに牧畜文化のある国では人間の男を去勢した宦官というものも、
ひろく行われる・・。
0514人間七七四年
2008/11/09(日) 00:05:47ID:oRzTJuOQ浸透しなかっただけじゃないの
コストや風習などでそれほど魅力を感じなかったとかで
0515人間七七四年
2008/11/09(日) 02:53:45ID:KaSFvji20516人間七七四年
2008/11/09(日) 17:48:22ID:tvR0+Yq6中国の宦官と家畜の去勢では、切る所がけっこう違うんだな。
中国の宦官だが、ペニスごと切り落とす。もち激痛があるはずなので、男なら
想像できると思う。ブルルーッ。
家畜の去勢では、キンタマ袋に切れ目を入れて、睾丸だけ引っぱり出して、取り除く。
後ろ足で蹴られることもあるらしいが、事が終わると、家畜は何事もなかったような
動作をとるそうで、そうは痛くないらしい。
人間でやった場合はどうだか知らないが、西洋でも音楽隊のために
声の高い男子を作るために、玉だけ取る手術が行われた。
たぶんやっぱり痛かったと思うが。
おまけとして、イスラム教徒がする「割礼」というものがあるが、
包皮を切り取るだけ。砂漠で洗いづらい環境ゆえに生じた風習。
0517人間七七四年
2008/11/09(日) 17:55:48ID:d4pC1oIa0519人間七七四年
2008/11/09(日) 20:22:33ID:oRzTJuOQ0520人間七七四年
2008/11/09(日) 21:32:04ID:0drEAMvl140cmもあれば立派なポニーですよ
0521人間七七四年
2008/11/10(月) 18:16:34ID:ZR5mh2wL0522人間七七四年
2008/11/10(月) 20:23:00ID:pW9HuYWQ語源から辿るとフランスでFA
0523人間七七四年
2008/11/10(月) 22:40:27ID:ULrg6XSi0524人間七七四年
2008/11/11(火) 01:26:02ID:aJbRYMEg同じ頃、西洋でも下馬して戦っていたりする
この傾向は16世紀半ばまで続く事になる
百年戦争でもフランス騎士がロングボウに備えて下馬戦闘しているな
0525人間七七四年
2008/11/11(火) 01:41:31ID:aJbRYMEg馬まで鎧で覆いローマに恐れられたカタフラクトで有名なパルティアの馬は
日本の馬より小さい。
しかも鐙がないので足で馬体にしがみつくしかない。
なのに騎兵が大規模運用され決戦兵力だったのは注目に値するな。
ゲルマン部族の馬は極めて小さかったらしく、カエサルのガリア戦争でローマを支援したときは
貧弱で知られたローマの馬のほうがまだ使えると即座に乗り換えさせている。
0526人間七七四年
2008/11/12(水) 17:29:17ID:gOyjLI0d0527人間七七四年
2008/11/12(水) 17:58:32ID:1tHNnOZN0528人間七七四年
2008/11/14(金) 12:35:22ID:3DqoJALnこれでしょ?
当時のサイズに近いの。
0529人間七七四年
2008/11/14(金) 15:20:29ID:/qFnqwdm目ざとい嘘つくなよ
アケメネス朝時代の馬は15ハンド=150cmぐらい
とオスプレイに書いてあるじゃないかよ
0530人間七七四年
2008/11/14(金) 19:28:45ID:B7sExDTWttp://www.geocities.jp/koyodaikisoumabokujyo/jho-1.html
0531人間七七四年
2008/11/15(土) 00:42:54ID:pFh9v3qSうわ、小ぃせ!
幕末期の、平均身長150cmぐらいだった日本人と較べて、その馬高か。ポニーより多少は大きいとは言え、大差ないんじゃね?
>530
これはこれは、すごく参考になる。サンクス
0532人間七七四年
2008/11/15(土) 01:49:55ID:qqr6kLXd何が言いたいの?
古代ローマ人の男性の平均身長は150cmぐらいといわれている
後に南イタリアに侵入したランゴバルト人はローマ人より背が高かったが
そのランゴバルト人が雇ったノルマン人(フランス化したノルマンディー地方に住む北方人)は
ランゴバルト人から巨人と言われたが、ノルマン人の平均身長は167cmぐらいといわれている
栄養状態が良いとは言えないそれらより古い古代人ならさらに低いだろ
これの上の方のレスに誰かが書いてあった日本の遺跡から発掘された複数の軍馬の骨から推定された体高だと
日本の軍馬は120〜140cmぐらいだろ
よっぽどこっちの方が小さいと思うがね
0533人間七七四年
2008/11/15(土) 18:07:16ID:49+YbEdT(藤本正行の「鎧をまとう人々」)
騎馬に乗ったAと敵の騎馬兵Bが、
一対一で弓で射ち合うシーンがあった。元の記載は当時の文献による。
戦闘はお互い接近するところから。
A→ ←B
でも、騎馬に乗ったままなので、弓は左側に向ける。右側だと弓の弦が馬の腹にあたって
しまい、引けない。
だから、実際にはこのように近付いていった。
←B
A→
だが、騎馬Bは弓の名手として名高い源為朝だとわかったため、
騎馬A(大庭景義)は不利と感じ、予想外の行動にでる。
←B
A↑
方向を急に変えて、騎馬Bの直前を突っ切る策にでた。
A↑←B
騎馬Aは右方向には矢は射てず、騎馬Bも自馬の頭が邪魔で矢を討てず、
お互い射てないまま、交差した。
↑A
←B
騎馬Aは左旋回を続けながら、騎馬Bと同航態勢にした。
←A
←B
これにより、騎馬Aは左に矢を討てるのに、騎馬Bは右には矢を放つことができず、
騎馬Aが一方的優勢に立つことができた。
だが、騎馬Bは弓の名人ゆえ、窮地に陥りながらも、矢を放つ。
騎馬Aの左の膝に当たり、騎馬Aは敗走する。
騎馬A(大庭景義)が後に語った回顧として、
騎馬B(源為朝)が不利な状態だったためで、自分は左足負傷だけで済んだ、という。
以上。
本によれば、この騎馬戦は、もっとも代表的だという。
0534人間七七四年
2008/11/15(土) 18:12:48ID:49+YbEdTではなくて、
この騎馬戦は、もっとも有名だという。
と書いてあったように思う。
0535人間七七四年
2008/11/15(土) 18:25:17ID:49+YbEdT実際に大きな鎧だからであり、馬に乗ることが前提であるため、
つまり、自分で歩くわけではないので、重い鎧となったという。
武者と鎧あわせて、合計100kgの重さで、馬は超大変。
だが、駄馬でも、米俵を馬の両腹脇に下げて運んで(1俵60kgを計2つ)
いたりするので不可能でもない。
のちの戦国時代には、足軽という(←この表現からして、鎧は比較的軽く、
馬にも乗らないことがわかる)武者による戦闘が主流になったため、
大鎧を装備しての騎射戦は廃れてしまっている。
0536人間七七四年
2008/11/15(土) 20:27:49ID:sgtEFra2ちょっとニュアンスは違うけど、その話はここでも挙げられてるね
ttp://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/kachukishakou/ss03.html
0537人間七七四年
2008/11/15(土) 21:03:01ID:49+YbEdT馬を乗りこなせるかどうかで生死が分かれたわけなので、この主張は当然であろう。
馬に乗らざねば武士にあらず、と言いそう。
0539人間七七四年
2008/11/15(土) 23:46:15ID:7bUJvTbXそのサイトは昔の馬術を探求している会が開いているようだから
どうしても騎乗(騎射)重視になってしまうだけなんじゃね?
0540人間七七四年
2008/11/16(日) 01:54:52ID:jYrP5ZbS人間に身長から推定して、馬の大きさが随分と小さいよな、と書いた@531
だから、この写真の馬の大きさが120〜130cmぐらいの高さだよな、って意味。
「日本の軍馬は120〜140cmぐらいだろ 」という>532 の記述と一致してるんだから、問題ないだろ?
0541人間七七四年
2008/11/17(月) 10:36:12ID:G2xczSiV阿呆ですか
写真があるということは幕末で外来馬が流入して交配ぐらいさせてるし
飼育法や飼料も西欧化されてるのは容易に考えられる
幕末の幕府軍はフランスの指導で騎兵隊編成してるんだから馬や馬具が流入して当然
革命時、フランスは体高148cm以下の馬を軍役適さずとしてそれ以下を農耕など使役馬として放出した
あと日本に去勢法なくても・・・
とほざいた馬鹿いたけど
去勢はただ馬を従順にするだけではない
去勢馬は骨の太さをあまり変えずに長くなり通常の牡馬、牝馬より体高で10ハンド=10cm程高くなり
顔も小さく面長になる
出自が同じ中国大陸にも関わらず西域馬との交配や去勢馬のある中国馬に比べ
和製馬は体高も低く、その割には顔が馬鹿でかいのである
0542人間七七四年
2008/11/17(月) 16:36:49ID:9OG/jj61これはすごい技術だ。
ただ、去勢しようとして馬に蹴られた人物は確実にいると思う。
現代でも牛の去勢は、蹴られやすくて危険な作業。
0544人間七七四年
2008/11/17(月) 17:06:17ID:x73QzxwQ0546人間七七四年
2008/11/18(火) 03:53:28ID:vu+4blV7戦国時代の馬って小さかったの?
【回答】
「戦国時代の馬はポニーと同等以下の大きさ」というのは,それを言った歴史研究家が日本の
在来種である木曽馬が「ポニー」に分類される大きさというだけで小さいと早とちりして広めた話.
実際には木曽馬はポニーに相当すると大型の部類ということになるサイズだし,一般に
ポニーとしてイメージが定着している種類は,ポニーの中でもかなり小型の部類の特定の一種の事.
でもって,発掘された戦国時代の馬の骨の復元からすると,当時の馬は木曽馬よりも大型だという
(つまり,違う種類というわけで…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq22.html#09398
0547人間七七四年
2008/11/18(火) 08:35:50ID:575pFsYlこれは甲府市教育委員会に問い合わせれば、資料付きで証明してもらえるぞ
>>546みたいな2ちゃんがソースなんてのじゃないのであしからず
0548人間七七四年
2008/11/18(火) 21:35:50ID:opiYd8Ccでなきゃ・・・・・・
色々と都合が悪いだろ?wwww
大人の事情ってのもあるしなwwwwwww
0549人間七七四年
2008/11/18(火) 22:15:58ID:dqlZQ2vGここで触れられてるな
http://www.sengokushi.com/gote/b00200.html
馬を「山に登る道具」と捉える見方を新鮮に感じてしまったよ
日本は山だらけだから当然と言えば当然なんだが
0550人間七七四年
2008/11/19(水) 10:16:13ID:LxstCHCF今時そんな
古い考え持ってるやつはいないよ
あほかと
0551人間七七四年
2008/11/19(水) 16:14:43ID:AtQ2jzoj0552人間七七四年
2008/11/19(水) 16:54:33ID:y7xT7KG40553人間七七四年
2008/11/19(水) 18:05:12ID:QlL/hHq+横レスだが、548が言ってる「大人の事情」とか「色々と都合が悪い」って、
ドラマの演出って意味であって、歴史的事実って意味じゃないような気がするんだ。
0554人間七七四年
2008/11/19(水) 19:20:32ID:+8JEvV0x秀吉が小田原城を降伏させたあと、奥州に向かっている。
会津に入ろうとして、猪苗代南方(だったと思う)の峠を越えるさいに、
それまで御輿に乗ってきた秀吉は(義元みたいだ…)、
馬に乗り換えて、峠を越えている。
0555人間七七四年
2008/11/20(木) 00:20:46ID:1atfwFicぶしのうま〜
0556人間七七四年
2008/11/20(木) 15:13:21ID:HdmOreWk足の速さってどれくらいなの?
飛脚みたいに右手右足左手左足
一緒に前に出して走ってたの?
0557人間七七四年
2008/11/20(木) 16:29:11ID:r4JsWZZb時速4kmとして、8時間歩くと、32kmということになる。
松尾芭蕉は、奥の細道の旅行では、福島あたりで1日50kmも歩いている。
0558人間七七四年
2008/11/20(木) 22:27:23ID:WY3JXPzU手を振って歩くのは速度は出るが手を振ることによりエネルギー消耗が激しいので歩くのには不向きだと思うが
あと宿場宿場で泊まるわけではないから一日40kmあたりは移動していたはず
0559人間七七四年
2008/11/21(金) 00:11:19ID:rj1i/3nhあとナンバ歩き説は眉に唾つけて聞いといた方がいいぞ
0560人間七七四年
2008/11/21(金) 00:20:51ID:4+kLYN9q着物姿で走る関係上、手と脚を同じ方向に出さないと、着衣が乱れてしまうだろ。
身体をねじらないで歩くためには、手を動かす方が適切だと思う。
もちろん、手と脚は同時に前へ出すんだよ。現代のとは逆に。
0561人間七七四年
2008/11/21(金) 23:17:23ID:GgAeD1xI江戸〜京の間は何日くらいで着いたのか
0562人間七七四年
2008/11/21(金) 23:20:04ID:GgAeD1xI0563人間七七四年
2008/11/21(金) 23:47:46ID:dQVplt/s武士は関東から興った
関東は広いので、騎馬の機動力が役立ち、狩猟も行うので
弓術が上達した
そしてある程度の小領主なので、重い鎧を維持する財力があった
0565人間七七四年
2008/11/22(土) 00:41:37ID:RkykxGxn宮中警護なら集団戦は考えにくく、壬申の乱のような本格的な内乱なら
ともかく、保元の乱や平治の乱程度ならかなり動員兵力は少ない。
各藩がかなりの兵力を動員可能だった幕末でさえ、千人も動員すれば
それだけで政策がひっくり返るような状況だった。
集団戦ではなく、しかも担当しているのが貴族層なのだから、
自分の名前を売るために個人の武勇を磨く。
0566人間七七四年
2008/11/23(日) 19:05:28ID:sLLM5zVQ西洋は身代金戦争が進みすぎてさくっと死ぬ弓の価値は下がったが
威力はみとめてるのに
0567人間七七四年
2008/11/27(木) 01:36:44ID:ChRgNr0N【吾妻鏡】
鎮西八郎(源為朝)は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。
八男弓を引かんと欲す。
景能(大庭)潛かにおもへらく。
貴客は鎮西(九州)より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
景能(相模国住人)は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。
勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
壮士等耳の底に留むべし。
老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。
0568人間七七四年
2008/11/30(日) 21:24:52ID:QjS/2TqW鎮西八郎(源為朝)は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
(鎮西八郎(源為朝)は吾が国の無双の弓矢の達者である。 )
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
(しかし弓の腕前を論じるには、過分な言い過ぎか)
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。
(その理由は、大炊御門の河原において、景能八男の左手側に逢う。)
八男弓を引かんと欲す。
(八男、弓を引こうとした。 )
景能(大庭)潛かにおもへらく。
(景能(大庭)、ひそかに思った。 )
貴客は鎮西(九州)より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
(貴客(源為朝))は、鎮西(九州)の出身のため、馬に乗っている時は、弓の扱いは心に思うままにできないだろう)
景能(相模国住人)は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
(景能(相模国出身)は、関東において、馬乗りに馴れている。 )則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
(すなわち八男が、妻手(相手の右手)に駆けて回り込んで、距離が縮まりお互い擦れ違い、身を低くして矢をかいくぐるに及びて、 )身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
(身体にの中央に当たるべきの矢が、膝にの中ほどに当たった。 )この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。
(この故実(西国武士は舟がうまく、東国武士は馬乗りがうまい、という当時の一般常識)を知らなかったら、すなわち命を失うところだったろう。)
勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
(勇士はただ乗馬に熟練すべき事である。 )
壮士等耳の底に留むべし。
(壮士等の耳の底に留むべし。 )
老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。
(老人の説、嘲笑するなかれ、と云々。)
0569568
2008/11/30(日) 21:31:11ID:QjS/2TqW景能(相模国住人)は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
(景能(相模国出身)は、関東において、馬乗りに馴れている。 )
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
(すなわち八男「の」妻手(右手)側に駆けて回り込んで、距離が縮まりお互い擦れ違い、身を低くして矢をかいくぐるに及びて、)
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
(身体の中央に当たるべきの矢が、膝にの中ほどに当たった。 )
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。
(この故実(西国武士は舟がうまく、東国武士は馬乗りがうまい、という当時の一般常識)を知らなかったら、すなわち命を失うところだったろう。)
0570人間七七四年
2008/12/01(月) 00:29:45ID:Oxdg7eNQ0571人間七七四年
2008/12/14(日) 16:09:18ID:nK5t7IGt現代の道で計算しているんじゃない?
昔の道は直道だよ。
山があっても、迂回ししない
自動車道路は、出来る限り迂回する
0573人間七七四年
2009/02/07(土) 19:08:49ID:eNdD9X3sバトゥータを観に行ったところ、騎乗して駆けたまま両手で色んな作業をやったり
地面に落ちているものを拾ったり、馬の横腹に体を沿わせて反対から隠れたり
2頭の馬の上に片足ずつ乗ったり…
と、スゴイ武将の逸話や花の慶次にでてくるようなことって本当に出来るんだ!と感動しました
0574人間七七四年
2009/02/07(土) 22:01:12ID:ODjshFg8落ちてる矢を弓の先ではね上げて取るというものや
体を横に倒して馬の体に隠れ矢をよける、といった事が紹介されていました
こういった技術は恐らく洋の東西を問わず存在したのでしょうね
0575人間七七四年
2009/02/18(水) 22:49:06ID:VDFuhKq4/ ヽ‐‐ ヽ
彡 ヽ
彡 ● ●
彡 ( l
彡 ヽ | 保守だウマー
彡 ヽ l
/ ` ( o o)
/ __ /´> )
(___|_( /<ヽ/
| / ´
| /\ \
| / ) )
ヒl ( \
\二)
0576人間七七四年
2009/02/21(土) 00:52:17ID:FeUcB0yOという点についての議論をですね……
0578人間七七四年
2009/02/21(土) 08:57:07ID:FeUcB0yOだとすると現在の競馬というのは一体何なんだろうというのがですね。
>>577
戦国板というのは理解していますよw
ただ日本では>>443-444で言われているような
モンゴル軍の重騎兵というのはそんなに知られていないと感じたので。
元寇の時に来日していたら知名度も上がっていたのか?
0581人間七七四年
2009/02/21(土) 11:05:31ID:FeUcB0yOだからそんな故障し易い馬を競走馬に使うというのがね。
いくら競争に使うのが第一目的な品種とは言ってもチョット気分の良くないものを
感じてさ……現代では丈夫な馬というのはあまり必要じゃないんだろうか。
0582人間七七四年
2009/02/21(土) 12:57:18ID:5STMx4g7丈夫な馬が必要とされてた仕事には機械が使われてるし
競走馬以外に家畜としての馬の需要なんてほとんどないでしょ
0583人間七七四年
2009/02/21(土) 17:37:10ID:K+C5KOPt戦後〜昭和50年代位までは、その名残があったが、
昭和59年のグレード制度導入以降は、スピード重視にシフトして行った。
サラブレッドやアラブ以外の品種も嘗ては競走馬として優秀な品種も居たが、
英国のサラブレッドがスピードでそれらの品種を上回って以降は、
サラブレッド・アラブ以外の品種は他の用途にまわる為に丈夫になるようだんだん重たい品種を掛け合わせるようになり、
今ではサラブレッドのスピードには遠く及ばない品種になっています。
つまり、軍用とかの目的がない限り、サラブレッドはより速くを求められる訳で、結果、足元が弱い品種になってしまった・・と言えるのです。
0585人間七七四年
2009/02/22(日) 12:20:24ID:YmYrZyzrあんまり日本じゃ有名じゃないね・・・
モンゴル軍は騎兵の四割が重騎兵だったそう
金とかホラズムとかの半端ない騎馬隊と戦ってきたから重装化したのかな
中東の影響か顔に着ける鉄仮面や目だけ穴の開いた鎖面がかっこいい
0586人間七七四年
2009/02/22(日) 14:06:57ID:iO4Q+i2o0587人間七七四年
2009/02/22(日) 21:59:01ID:jRzbI9F3まあ戦国時代の日本の装備と比較すれば良いんですかね。
と言う事でモンゴル軍の重騎兵と日本の戦国武士とではどちらが重装備なんですか?
何となくですが日本の方が軽そうなイメージがあるんですが……
>顔に着ける鉄仮面や目だけ穴の開いた鎖面
それっぽい装備は日本にもあったような気が。
0589人間七七四年
2009/02/22(日) 22:23:43ID:tXWFHr2Hラメラアーマーは双方とも同じ、但し日本は鉄が一部から全部に用いられているが、
モンゴルは総革鎧
またモンゴルは馬甲を備えていたが、日本の馬も備えていた者もいる
日本の方が重装甲ですな
0590人間七七四年
2009/02/24(火) 18:38:19ID:wVAMiHRTいや、第三代モンゴル皇帝グユクの即位式に列席したローマ教皇使節、プラノ・カルピニの
ジョヴァンニ修道士の報告書によると、当時(1247年)のカラコルムなどのモンゴル宮廷にいた
モンゴル兵も皮革だけで四枚重ねにした胴鎧とかあったけど、皮革製や鋼鉄製の小片を紐や皮革で
束ねて重ねた鎧を肩とか各パーツごとに作ってそれを身につけていたそうだ。兜は頭の部分は鉄や
鋼鉄で作り、しころみたいに首廻りは皮革の小片を束ねたパーツで覆ったりして、弓矢は2、3張り、
他に槍、斧などを常備していた、っていうから重装備の場合なら、質的に大鎧あたりとあまり
変わらないように思う。
これはモンゴル帝国だけじゃなくて、当時の中東から中央アジアのテュルク・モンゴル系の騎馬兵は
だいたいどこも事前に戦況に応じて装備の軽重を変えていたらしい。
こういった重装備の兵は遠目で見ると黒光りしている、プラノ・カルピニは言っているようだ。
0591人間七七四年
2009/03/21(土) 19:05:24ID:mnNYEIvwまあ、モンゴルという枠組みでは同じかも知れんが。
0593人間七七四年
2009/04/20(月) 18:36:01ID:xqy3A1Bt0594人間七七四年
2009/04/23(木) 19:06:08ID:vyLXYP5d日本在来馬はどうしてだめなの?
0595人間七七四年
2009/04/23(木) 19:18:36ID:nuKzxOIW0596人間七七四年
2009/04/23(木) 23:30:55ID:P7YQPytd0597人間七七四年
2009/04/24(金) 19:59:50ID:q4NGZ0w6湾曲した日本刀に変化したのは
馬上からの斬撃がしやすいようにするため
と日本刀の解説書に書いてた。
0598人間七七四年
2009/04/25(土) 13:15:22ID:Uk5Qv9Kxttp://www.geocities.com/normlaw/khazararms/khazar09.jpg
騎馬民族はこのサイズの馬で黒海周辺を席巻していたわけだ。
0599人間七七四年
2009/04/25(土) 18:32:16ID:NUPL/spjこれに蹄鉄も着けずに鞋履いてたら超鈍足間違いなしってかww
0600人間七七四年
2009/04/26(日) 04:38:22ID:4bpO2M2r蒙古馬は蹄が硬い。
モンゴル帝国でも蹄鉄は打たなかった。
機動戦闘を好む弓騎兵はポニーに乗る事が多い。
639 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:44:27 ID:CEb3VgHP
>>610
新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
0601人間七七四年
2009/04/27(月) 00:24:50ID:ITdoEDSV現代のモノサシで言うとポニーサイズが世界標準。
アラブ馬もポニーサイズ。
0602人間七七四年
2009/04/27(月) 00:47:34ID:wX9Wk8Pnフランスあたりの在来馬はでかかったろう
0603人間七七四年
2009/04/27(月) 13:25:31ID:ycKL3QrHモンゴルは総革鎧という根拠って何かあるの?
0604人間七七四年
2009/04/27(月) 18:49:12ID:g1rIpQoV【刀剣弓矛】 武具総合 【槍槌鎧楯】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1098114455/
【上天】モンゴル帝国史総合スレ【眷命】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1165431835/
0605人間七七四年
2009/04/28(火) 20:56:16ID:2kFRY5vE二代目のオゴタイ以降は、カラコルム等で製作された鉄製の鎧が主流になった。
大体こんな感じで。
0606人間七七四年
2009/04/28(火) 21:12:41ID:pO1AnOht今の内モンゴルにあたる地域には、チンギスの時代から既に巨大な製鉄工場があった。
モンゴルの拡大は豊富な鉄器が支えた。
0608人間七七四年
2009/05/05(火) 16:08:24ID:od0cfS8nどっかの動物図鑑にそう書いてあった。
0609人間七七四年
2009/05/05(火) 23:17:37ID:RbI6eHJ2寒いと大きくなりそうなもんだけど
0610人間七七四年
2009/05/06(水) 00:42:27ID:lF13GaLn0611人間七七四年
2009/05/06(水) 21:34:42ID:9jogpu5m「馬は丈高からず、我が国の中等の子馬の大きさなり、首は短くして、肋張り、頭小さくして、勢い強し、
予の考えでは、勢力においてはイスパニア馬に勝れり」
0612人間七七四年
2009/05/06(水) 21:52:13ID:O9n5PAKI0614人間七七四年
2009/05/10(日) 21:04:39ID:hDE94iae0615人間七七四年
2009/05/10(日) 21:57:17ID:qWa5SHFO0616人間七七四年
2009/05/10(日) 22:44:48ID:bzuMOq560617人間七七四年
2009/05/10(日) 23:15:41ID:hDE94iae0618人間七七四年
2009/05/16(土) 15:27:45ID:DUn5t0nA今川軍が砦攻撃を始めた報告を聞いて、信長は立ったまま朝メシを食いながら
鎧をつける(つけてもらう)。
馬に乗って出発。殿様の鎧は重装備だったろうから、徒歩ではつらいが、馬に
乗って進むのなら馬が重さを負担してくれるから大丈夫。
一気に熱田新宮まで駆ける。全力疾走ではなく、ギャロップと思われる。
徒歩の足軽も随伴したみたいだから。
桶狭間に到着。馬を降りて、信長も槍をもって突撃する。以上
0620人間七七四年
2009/05/16(土) 15:54:45ID:DUn5t0nA信長、全員(自分を除いて)馬を降りて徒歩で戦うことを命じる。
ただし、武将3人が馬に乗ってもいいかと申告してきたので、許す。
その3人は、敵からも味方からもよく目立った。移動指揮台としての使い方。
0621人間七七四年
2009/05/16(土) 16:13:53ID:LrzJ8vOoだって長篠は織田徳川が野戦築城に籠って戦った合戦じゃん。
つーかわざわざ「徒歩で戦う事」を命じている以上、それは普段はそうで無かった、という証拠ですな。
0622人間七七四年
2009/05/16(土) 16:28:16ID:DUn5t0nA0623人間七七四年
2009/05/16(土) 17:38:00ID:Gh/AVivLお前がギャロップの意味を知らないことと、鈴木同様に馬を全然知らないくせに
馬を語るバカってことは理解してあげた。
0624人間七七四年
2009/05/16(土) 18:28:20ID:DUn5t0nA出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
* 馬術における全速力の指示
全速力のことだったのか。全速力で走ったらすぐ疲れてしまうな。
0625人間七七四年
2009/05/16(土) 18:30:13ID:DUn5t0nA0626人間七七四年
2009/05/16(土) 18:30:18ID:flWH6zy+0627人間七七四年
2009/05/16(土) 18:42:25ID:DUn5t0nAか、
駈歩・駆歩 (canter )
だな。
間違いのおかげでかえって勉強になった。
0628人間七七四年
2009/05/17(日) 10:41:04ID:lE0yqNHv競馬からだよ。ギャロップ(全力疾走)とか。
0629人間七七四年
2009/05/17(日) 11:45:30ID:tD3W5+VY馬ごと体当たりは強そうだが馬が嫌がってやらなさそうだし、
したときは数人もやれば馬が使えなくなりそう。
持った武器で攻撃する場合は、馬を攻撃されてきつそうだ。
で、攻撃されない離れた距離なら馬に乗らずに弓や鉄砲で済む。
移動が速い以外はわからん。
0630人間七七四年
2009/05/17(日) 11:55:24ID:idtIRMUM0631人間七七四年
2009/05/17(日) 13:18:36ID:2x2gJIle0632人間七七四年
2009/05/17(日) 14:12:55ID:idtIRMUM0633人間七七四年
2009/05/17(日) 18:34:37ID:KGhuUEiA源平合戦では馬ごと体当たりする「馬当て」
これは当時馬に乗れる者まで大量動員したので、
弓を使えない者はこれしかやることがなかったという説もある。
戦国時代は「乗り崩し」とかあと何個かあったね。
0634人間七七四年
2009/05/17(日) 19:18:27ID:58uCPB6E時代はちょいと異なるが、西欧の騎士たちは「メス馬に乗るのは騎士の恥」といった風潮があったようで、そんな意味の歌があったりする。
(乗っていたのもいたんだろうけど、チキン扱い。)
あちらでは軍馬の他に、儀仗馬、乗用馬と使い分けはしていたみたいだけど。
0635人間七七四年
2009/05/17(日) 20:32:38ID:lE0yqNHv子馬が生まれて売れれば大金になるだろうし。
また騎馬武者用には使えなかったとしても、兵糧運びとかで馬は活躍するだろうし。
木材運びだって、普通は川で流すだろうけど、馬で木材をひきずって運べばいい。
戦地では、陣立て用に小屋は作るんだから。
思い出したが、武田の木曽氏が、新府への材木提出を拒否して謀反となった件だが、
木曽地方から、甲府盆地へ材木を運ぶのは、超・大変な作業だったと思うぞ。
木曽川を河口まで筏流しできないからな。
0636人間七七四年
2009/05/17(日) 23:04:34ID:s0Ot+G4s(騎馬軍団あったという事でw)
0638人間七七四年
2009/05/18(月) 17:59:04ID:BLAZTb+r先日、五月の連休中に、行楽地で馬を見たけど
柵によりかかって見ると、馬でかすぎて、チンコが真正面に見えて
そればかり気になって仕方なかった。ピンクで剥けてた?ように見えた。
0639人間七七四年
2009/05/18(月) 18:00:51ID:PWwXAnJT去勢してない猛獣だから体当たりぐらい問題無いはず
0640人間七七四年
2009/05/18(月) 22:40:33ID:0FYnaHGs戦国時代までなら馬も人もこのくらいはできて
当たり前のだったのかもしれんね。
ttp://oliviar.blog46.fc2.com/blog-entry-141.html
ttp://www.asiawave.co.jp/KOKUBORU1.htm
ttp://www.asiawave.co.jp/KYRGYS2.htm
ttp://yoshiokan.5.pro.tok2.com/moro/moro-63.htm
ttp://www.metacafe.com/watch/859100/horse_side_running/(動画)
0641人間七七四年
2009/05/19(火) 03:37:46ID:xmajSao/ttp://en.wikipedia.org/wiki/Polo
今は普通サラブレッドになっているけど、ポロの馬はpolo ponyと呼ばれる。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Polo_pony
0642人間七七四年
2009/05/19(火) 06:18:10ID:Euwk07w5サラブレッドの比じゃねえ。
速さだって、サラブレッドに勝った事例も結構ある。
昔は馬鹿っ早の化け物アラが中央でサラと激突したこともあったが、今はアラブレースが衰退して淋しいよ。
0643人間七七四年
2009/05/19(火) 07:03:23ID:Uh7/UKlgポニーじゃないと戦場では邪魔でしょ
サラブみたいに気性が荒いと邪魔
0644人間七七四年
2009/05/19(火) 11:13:06ID:uyixbAeSよく似合う。
騎馬ラグビー「コクボル」の馬はこぶりだし。
0645人間七七四年
2009/05/19(火) 15:43:15ID:Shgzai6U馬鹿げていたのかがよくわかるけど、鈴木本人の言い訳ってどんな感じなの?
0646人間七七四年
2009/05/22(金) 14:37:20ID:aFeqej0Nルイス・フロイス
「武士階級の食生活は、どの階級よりも質素である。
多くは菜食主義で、下は雑兵といわれる足軽から大名に至る迄、少食・粗食であった。
また着ている物も、普段は木綿の粗衣であったがヨーロッパ人に比べ暑さや寒さに強かった。
武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、我々ヨーロッパ人とは違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった」
>敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
敵に、というからには戦いでの鎧着用時のことを言っているんだと思うけど、それで落馬しても怪我せずに再び騎乗し直すことができたというんだから
アクロバットとはまた違う意味で凄い。まあ、馬上組討が戦法の一つなんだから伝統的に受身はうまいだろう。
0647人間七七四年
2009/05/22(金) 18:15:23ID:aFeqej0N0648人間七七四年
2009/05/23(土) 00:05:02ID:J3agSHC/おまいらは無知!って文句つけてくるのに。
0649人間七七四年
2009/05/23(土) 01:21:29ID:Wh471N+Xそこのスレ、最近また充実し始めてるな。
勉強になることも多いし厨の混じり加減もいい塩梅なんだよね。
あのスレとこのスレを合体させたらおもしろいだろうにと思う。
0651人間七七四年
2009/05/23(土) 22:24:57ID:YKWBbeS0足軽は、長槍攻撃に弱い騎馬武者を守るのが第一の役目である
足軽は騎馬隊長と共に行動するため走る。そのため軽装が基本である
騎馬隊は花形部隊で軍の顔的役目。そのため、馬具など飾りが派手でカネが掛かる
騎馬に付き添う足軽はエリート部隊でもあり、あらゆる戦闘に長けた強兵でもある
騎馬隊の用途は、威嚇、宣伝の道具と言ってよい
勝敗が、ほぼ決まった時、敗走する敵軍を蹴散らすのが騎馬隊の役目である
敗走する敵軍に恐怖を植え付け、他国へ強しと語らせ、宣伝する情報戦
武田徳川の赤備え部隊は、例として分かりやすい
そのため騎馬隊は基本、後詰隊である。
戦国前期は騎乗突撃が行われいていたようであるが
足軽の増大と彼らが繰り出す対騎馬隊戦法
(騎馬武者に対する長槍による槍衾、鉄砲隊による射撃は双方とも馬を狙う事が肝要とされている)により、
先ず西国から、後には全国的に馬から降りて徒歩で突撃する様になった
勝敗が決しての登場で、騎馬隊強しと誤認されている
その他、機動力を生かし伝達、錯乱などに使う
騎馬の用途は荷駄の運搬が多数であったようだ。戦闘に用いた馬の数は少ない
騎馬騎乗は旗本クラスでその数が伺える
騎馬武者の戦闘は平安、鎌倉時代の一騎打ち戦の印象で
戦国期には適用されない
0653人間七七四年
2009/05/24(日) 14:40:12ID:shnR7VICWIKIにあるけど戦国期の部隊編成は備(そなえ)といい、一つの備あたり数百人程度だよ。
旗組、長柄組、鉄砲組、弓組、騎馬組、小荷駄、軍監・目付、太鼓・貝、士大将と兵科別編成になっていて、
1〜2列の横隊をそれぞれ重ねたように整列した隊形になってる。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%82%99.JPG
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E9%99%A3%E7%AB%8B.jpg
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E8%BB%8D%E5%9B%A3.JPG
旗組は、軍旗を持ち戦闘に参加しない。
長柄組は、1,2列の横隊を組み、進退や攻撃時の槍の上げ下げまで号令や陣太鼓によった。
鉄砲組は、戦国後期の主力ともいえる部隊で、装填時間を補うため弓組が付く。
騎馬組は、騎乗身分による備の突破戦力。西洋騎士同様徒歩の従者が付き、弓や鉄砲なども扱った。
小所荷駄は、補給部隊であり小所荷駄奉行が管轄する。人より多く駄馬を連れている。
軍監・目付は、戦功記録や軍紀違反を取り持つ、書記兼憲兵的存在。
太鼓・貝は、号令に合わせて法螺貝や陣太鼓、または鐘や銅鑼を使う事もあった。
士大将は、備の指揮官。護衛である従者は予備兵力の意味もある。
この備を1ユニットとして地形や作戦等に合わせ柔軟に展開できる。
ほかに大名直属の馬廻、近習という精鋭騎馬部隊や、鉄砲だけ800名など単一兵科だけの部隊運用も見られる。
0654人間七七四年
2009/05/25(月) 16:03:26ID:RFgbIrdy俺からいわせりゃ、そりゃ中期か後期だぜ。
ほぼ、天下大勢決まってる時だよ。
そんな時代に騎馬も何もなかろうもん。
大砲とか出てきた時代だぜw
騎馬なんて時代遅れに決まってる、何を今更だよ。
戦国時代、多くの大名が凌ぎを削った戦国初期に騎馬突撃は無かったと言い張る、もしくは捏造するから駄目なんだよ。
無いわけ、無いだろう、馬鹿w
さも、戦国時代全期に渡り騎馬隊など無いとか捏造すんじゃねえw
中期、後期は時代遅れになったんだから、あたりめーだ。
0655人間七七四年
2009/05/25(月) 22:37:53ID:2KHslE3yゲームやドラマみたいな
騎馬武者特化の騎馬だけの軍ではなかったってことでしょ
戦国の騎馬隊は
騎馬武者の比率が高かっただけってことw
あと騎馬突撃はなかったなw
やってそうな野戦、例に上げてみて
武田も野戦が少なかった
0656人間七七四年
2009/05/25(月) 22:48:37ID:R823WZIU0657人間七七四年
2009/05/25(月) 23:00:34ID:Dx721VtV> あと騎馬突撃はなかったなw
> やってそうな野戦、例に上げてみて
あったに決まってるじゃん。長篠の馬防柵は何のためにあったんだよ。
しかも家康の書状に武田の騎馬隊に気をつけるようにって内容の物が残っているというのに。
0660人間七七四年
2009/05/25(月) 23:17:38ID:U9vuwZcBフッ。
わかちゃいないね。
馬スレ初心者だね。
馬がちっちゃい云々言ってるスレに、必ず文句つけるお決まりの奴が出てきてない、って言ってるだけ。
君は馬並なんだろナニが。
オホホッ
0661人間七七四年
2009/05/25(月) 23:21:53ID:2KHslE3y決戦場って
田園地帯で雨が降ってて相当、足場は悪かったんでしょ
で馬防柵ってあるけど
段になってる軽い丘の上に設置されてたようだ
0663人間七七四年
2009/05/25(月) 23:33:25ID:Pp2GxE0Y「今日コンビニで戦国時代の本を買ったら、今まで教えられてきた事と全然違う真実が書かれていたので、みんなに教えたくなった」でしょ?
0665人間七七四年
2009/05/25(月) 23:51:06ID:RFgbIrdy武田が織田に突撃したのだから晴れかと。
まあ、でも足場が悪かったのは多分確かだよ、設楽原ってのは今でも山奥だし。平地なんてほぼ無い。田舎すぎて愛知から除外してほしいほどであるw
ただ、昔の日本の馬がポニーだ、蒙古小馬だというなら、足場なんて関係ないよ。パワーが取り柄なんだから。
サラブレッドなら足場が悪けりゃ走らないだろうけどね。
0666人間七七四年
2009/05/25(月) 23:51:07ID:2KHslE3yでもさぁ、騎乗して走らせながら
片手で槍を振り回せるかってとこが、普通に疑問になるでしょ
漫画の花の慶次じゃあるまいしw
>>664
まー耕す感じなら動けるかもねw
鈍足突撃って感じですかw
0668人間七七四年
2009/05/26(火) 00:38:45ID:l7DdSD0vにしても、いまだに鈴木信者をやっているだけあって、すさまじい知能のなさだな。
0669人間七七四年
2009/05/26(火) 00:39:45ID:kIA74w1Kそういう訓練してるんだよ戦国の騎馬侍はさ。
馬上剣術馬上槍術馬上体術。実際に存在するんだよ。君がどれだけ脳内で否定しようともな。
0670人間七七四年
2009/05/26(火) 01:12:48ID:Gt8504F6だぶん、早い=パワーがあると思っているw
むしろ、その逆で早い馬はパワーがなくて、パワーのある馬は遅い。
稀にパワーもスピードも両立した馬が生まれてくるが本当に稀。競馬でいえば、ダートも走るし芝も走るという稀なタイプ。
別にポニーちゃんが弱っちいわけではないのだよ、むしろ現代のサラより全然たくましいw
まあ、サラブレットがひ弱、気性難すぎるというのはあるのだかwww
0671人間七七四年
2009/05/26(火) 10:52:52ID:X6cDgCG7基本的に騎兵の槍は突いて抜くだけですよ。
騎兵槍が20世紀まで世界中で使われてたのを知らない人ですか?
0672人間七七四年
2009/05/26(火) 11:19:30ID:nJKzoe6Jhttp://www.youtube.com/watch?v=3G4CnYA_hWk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=IiS6drsSQP8
1分30秒過ぎからの訓練では騎槍を保持しながら走り回っている。
http://www.youtube.com/watch?v=BZCh05FF_5E&feature=related
0673人間七七四年
2009/05/26(火) 11:28:18ID:VsyixGXVおまいが噂の荒らし?
って、鈴木信者?
わけわからん!
決めつけ杉
0674人間七七四年
2009/05/26(火) 16:46:42ID:C8JV0FqR確かに蹄鉄がなく、鞋みたいなものはかされ異様に重い武装した人間に乗っかられたら馬は嫌がって走りたくないだろう
去勢技術が日本にはなかったのだからまず牡馬は従わないだろうな
0675人間七七四年
2009/05/26(火) 17:53:01ID:nJKzoe6J「騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、我々ヨーロッパ人とは違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた」
0677人間七七四年
2009/05/26(火) 20:10:12ID:eOlfRFH50678人間七七四年
2009/05/26(火) 21:17:08ID:sL7MD2/m木曽馬は足がしっかりしてるなと思った。
0679人間七七四年
2009/05/26(火) 21:47:07ID:Tvc2r/lE0682人間七七四年
2009/05/26(火) 23:02:10ID:F9jOjMi4騎馬として戦場出る人はみんな士分のひとなの?
いろんな場合があると思うんだけど、全兵種の中の割合はどの程度のもんなの?
0684人間七七四年
2009/05/26(火) 23:45:56ID:hSVEgriI残念ながら馬上組討が描かれてるのは
源平盛衰記や太平記ぐらいまでw
結局、足軽主体の戦で機能しなくなったのが戦国時代
騎馬隊は騎馬vs騎馬戦が主流で
足軽増大で騎馬が機能しなくなったってのが現実のところでしょ
0686人間七七四年
2009/05/27(水) 08:38:03ID:OJbgzEBK主力ではないが。
世界大戦時、騎兵部隊があったのは日本だけじゃないぉ。
たしか、イギリスとかもあったんじゃないかな。
0687人間七七四年
2009/05/27(水) 10:21:50ID:+liEFnnLつーか現代ですら存在自体は残ってる。儀式用に近いが。>騎兵部隊
0688人間七七四年
2009/05/27(水) 10:29:20ID:F5+3vvAs0689人間七七四年
2009/05/27(水) 21:28:00ID:QMrGk9tr西部劇みたいなのかな?
突っ込むと武器が軽量化されて連発できる銃なだけなんだよなw
槍、刀の騎馬武者突撃は足軽増で消えていったってことでしょ
0690人間七七四年
2009/05/27(水) 23:04:10ID:+liEFnnLんなわきゃねーだろ。戦国期〜近世初期の鉄砲の性能で、そこまでの変化が起こせるかよ。
キミみたいな発言を、卓上の空論って言うんだ。
0691人間七七四年
2009/05/27(水) 23:36:24ID:yA4LddhWせめて、ナポレオン戦争ぐらい調べてこい。
そして、その次にライフル銃と大砲の榴弾が一般化した南北戦争との違いを調べろ。
0692人間七七四年
2009/05/27(水) 23:36:42ID:OJbgzEBK車両が使えない山岳で主に運用されたとか。
いずれにせよ、近代まで騎兵があったということはそれなりに活用方法があったんだと思われ。
いくら足軽や鉄砲にボッコにされたとはいえ、戦国時代に消えたってのは無いかとww
0693人間七七四年
2009/05/29(金) 16:23:40ID:OHoNS7fj騎兵の護衛がついていたな。
新郎新婦は、白馬の馬車に乗っていたけど。今からみれば西洋かぶれのぶっとび映像。
騎兵は、当時も昔も、上流階級のシンボルみたいなものか。そうでない者は当然、徒歩。
0694人間七七四年
2009/05/29(金) 16:30:54ID:qOjc+qgt0695人間七七四年
2009/05/29(金) 16:46:35ID:nBB6fUsghttp://img88.imageshack.us/img88/2189/157lq3.jpg
http://medieval2.heavengames.com/m2tw/history/historical_battles_folder/liegnitz_mohi_folder/mongols7c.jpg
0696人間七七四年
2009/05/29(金) 21:20:12ID:GRW1r2hvその頃の騎兵は移動目的が主でしょう
で武器の発展で騎兵歩兵関係なく戦っていたと思う
戦国時代は騎兵は人と馬とが一体化した兵器
移動目的ではないな
江戸時代、馬を持つことは旗本以外禁止されてるし
カネが掛かるから一般じゃもてない
0697人間七七四年
2009/05/30(土) 00:43:44ID:mSbqZjTb0699人間七七四年
2009/05/30(土) 21:11:33ID:cwG4BCu3バイク乗り、武器は長い鉄パイプか金属バットのどちらか
VS
素、武器は長い鉄パイプか金属バット+道端に落ちてる石ころや砂を投げておk
どっちが強い?
あなたならどちらを取る?
0700人間七七四年
2009/05/30(土) 21:20:47ID:rEqSiNFW0701人間七七四年
2009/05/31(日) 05:36:03ID:lhgBYpTC0702人間七七四年
2009/05/31(日) 08:39:40ID:psacgWr8力石に殴られて落車。
0703人間七七四年
2009/06/01(月) 00:32:19ID:0qxz9f1I騎馬も同じ。
バイクで飯食っている、例えば白バイとかには絶対勝てん。
これも、騎兵と同じ。
騎馬兵は命かかってんだぞ?w
そりゃ一所懸命、騎馬練習するよw
まあでも、やっぱり個々の戦闘力と運だがなあwww
集団戦だとまた違う気がしないでもないが、やっぱ個人戦は騎馬の方が断然有利かと。
俺みたいな素人が騎馬乗ったら逆に戦闘力マイナスだがなw
どっかの本で昔の「強い」というのは馬の扱いが上手いか下手かで計られるみたいに書いてあったぞ。
0704人間七七四年
2009/06/01(月) 02:29:29ID:2Z6aoeVu技量は抜きで考えるんだ!
0705人間七七四年
2009/06/01(月) 11:30:40ID:iXo79VV4種類とかも分からないのか?無理言ってたらスマソ
0706人間七七四年
2009/06/01(月) 11:34:43ID:RLKeOabCおそらくはこんな感じ
木曽馬
ttp://www.kiso.ne.jp/~ponystable.kt/meikan/umaphoto/159910005.jpg
0707人間七七四年
2009/06/01(月) 11:39:09ID:iXo79VV4親切にありがとう
現代の馬と比べて足が短いなあ・・・
0708人間七七四年
2009/06/01(月) 11:41:09ID:xkRZTdP/ここで再三言われているように蒙古馬の系統だよ。
0709人間七七四年
2009/06/01(月) 12:58:55ID:ZCQm3JJ3木曽馬は基本的に山地の駄用馬だから
必然的に短足寸胴になるんだよ
乗用馬の系統は足や首が長く胴も細くなるよ
ttp://www.geocities.jp/koyodaikisoumabokujyo/jho-9.html
ttp://www.geocities.jp/koyodaikisoumabokujyo/koyo00.html
0711人間七七四年
2009/06/01(月) 18:45:56ID:4DN3Dr98サラやアラブに比べたら小さいけどポニーって思ったより大きいよ
見慣れてるポニーはポニーの中でも小さいミニポニーみたいなもんだし
0712人間七七四年
2009/06/02(火) 22:04:13ID:kBcKXkdC小柄な馬でありながら、ほっそりとしていたなあ。
0713人間七七四年
2009/06/07(日) 01:26:07ID:XSxRLAzu怖くて漏らしちまうよwww
時速30〜40キロぐらいで走るのかね?
0714人間七七四年
2009/06/07(日) 01:55:08ID:WGNF2ahvもう少し遅いくらいじゃないかな
0715人間七七四年
2009/06/07(日) 05:32:09ID:synrW0UXかなり速いしね。
0716人間七七四年
2009/06/08(月) 17:48:35ID:0einKznC敵陣に到達すれば有利だわな。騎馬に随伴している足軽たちは、鎧は軽量なぶん
防御力に弱いだろうから。
0717人間七七四年
2009/06/08(月) 23:50:35ID:Jh9dANvoもし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/
もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/
もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/
もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/
0718人間七七四年
2009/06/09(火) 00:16:23ID:ZnC6nCpQ騎馬に付くのは武器持ちの従者で、基本的に戦闘には参加しないみたいです。
古代ローマ騎兵エクィテスの従者のように、主人に付いていかず自陣で待機するのか、
西洋騎士の従者のように、騎士の後を追って随伴してくるのかまではわかりません。
0719人間七七四年
2009/06/09(火) 05:45:51ID:P5fyCb1r人間はチビでも
こんなゴツイ人間だらけだったんじゃ・・・?
http://blog-imgs-41-origin.fc2.com/w/o/r/workingnews/ps21446.jpg
0720人間七七四年
2009/06/09(火) 10:50:05ID:/e/8zwwOしかも長時間の戦闘は事実上不可能
おそらくは乗り潰してしまうため合戦時には一人の騎馬武者が複数の馬を連れて来ていただろう
まあ欧州のノリーカ種より平均体長が20cm近くも低い超小型の和製馬の速足なら
徒の足軽が引き離されず随伴できるメリットもあるが
敵に鉄砲集団がいると逆に徒の兵の中で騎馬武者は際立ち格好の射撃目標と化しただろうことは容易に想像できる
0721人間七七四年
2009/06/09(火) 10:57:48ID:5SmTCH6H蒙古馬の仲間ですが。
0723人間七七四年
2009/06/09(火) 12:20:53ID:iiXNBFZl鈴木本人は資料はあさるものの非常に恣意的に取り上げるし。
あと、鈴木本人も信者も、実際の馬については非常に無知。
0724人間七七四年
2009/06/09(火) 21:27:10ID:SOaEIgmaポニーでは戦えないなんて方が逆に珍説だぞ。
0725人間七七四年
2009/06/12(金) 19:29:45ID:6FG5T3hq「F1カーでサファリラリーに出場すれば、ぶっちぎりで優勝間違い無しだぜ!」
「いや、無理だからそれw」
という単純な話しなんだけどね。
0726人間七七四年
2009/06/12(金) 20:55:30ID:ejs2pLIV>農耕馬から派生したような小柄な和製馬
>一人の騎馬武者が複数の馬を連れて来ていただろう
自作ファンタジーですか?
0728人間七七四年
2009/06/18(木) 11:04:02ID:Ul7IfPcj0729人間七七四年
2009/06/18(木) 13:21:14ID:/oExTnoL体高130cm程度しかない超小型の欧州馬に跨った騎兵を率いてたね
0730人間七七四年
2009/06/18(木) 14:16:34ID:2keKsKaw0731人間七七四年
2009/06/18(木) 15:23:11ID:/W7RfxXk大嘘もいいとこ
欧州でまだ品種改良以前軍馬として使用されていたノリーカ種の平均体長は147cm
イギリスのヘンリー8世が軍馬として使用される馬の基準体長を決め
基準以下の馬を処分するよう飼育業者に強制したのは有名な話
0732人間七七四年
2009/06/18(木) 18:00:38ID:xLQu5yk20734人間七七四年
2009/06/18(木) 18:52:26ID:QnZ6u7H2ノリーカー種って軍馬にも使われてたの?
平均体高が147センチは今と比べるとずいぶん小さいけど
いつの資料?
0735人間七七四年
2009/06/18(木) 19:43:03ID:/W7RfxXk揚げ足取りや専門家ぶるのは一流だな
スウェーデンは歴史的に閉鎖的、排他的な日本じゃないだろ
家畜の交易なんかあたり前のようにやってるだろう
ましてやスウェーデンはカルマル同盟で大陸側のデンマークと同君同盟結んでいるしな
大陸の物産なんか当たり前のように入ってくる
たかがどっかのサイト、本単体の誤植かなんかを誇張してミスリードされてもねぇ
0737人間七七四年
2009/06/18(木) 20:13:51ID:vUBmtoC30738人間七七四年
2009/06/18(木) 20:36:39ID:iw+5MCbz1メートル12センチから1メートル33センチだよ。オスプレイの『グスタヴ・アドルフの騎兵』参照。
0739人間七七四年
2009/06/18(木) 20:42:11ID:bzQQ7QwEグスタフ・アドルフの時代にはとっくに離脱しておるわ
だから小型のフィン馬を使っていたわけだ
0740人間七七四年
2009/06/18(木) 21:30:18ID:xLQu5yk2>>735
イギリスの馬産の例を出して
スウェーデンの馬が小さかったという話を大嘘と言うのは
論理的に飛躍していて無理がある。
因みにモンゴルは歴史的に閉鎖的、排他的でもなく
各地と交易を盛んに行っているが
日本の馬と同じくらいの蒙古馬を使い続けている。
特にモンゴル帝国時代は蒙古馬の騎馬軍団を率いて
中東やヨーロッパまで進出しているので
モンゴル人は当地の馬にも接しているはずだが
彼等は中東やヨーロッパの馬に乗り換えることはなく
その後も日本の馬と同じような体格の蒙古馬を使い続けた。
またその後もモンゴル人にとって蒙古馬は主要な輸出品でもあり
特に明とは馬市が開かれ盛んに輸出されていた。
0741人間七七四年
2009/06/18(木) 22:41:59ID:pavvUTqi足元弱かったり、虚弱体質、気性が荒いのは現代のサラブレッド。
なんでかっつーのはサラブレッドは元々、三頭の馬が源流だから。
同じような血脈を人為的に交配しているんだよ。
だから、体が弱くなり、足元も弱くなる。
その変わり、スピードは早いがな。
体がでかい=強い、丈夫、は間違い。
蒙古馬のことは知らんが
競馬でいえばむしろ、ポニーなアラブの方が強い、丈夫。
0742人間七七四年
2009/06/19(金) 00:03:14ID:yp8pTM1V日本人は当時小さくて体格に合っていたんだろう
0743人間七七四年
2009/06/19(金) 00:33:14ID:7/CAzszr体高が役者の肩くらいの馬を使いなさい!(`・ω・´)
0744人間七七四年
2009/06/19(金) 02:38:01ID:zI/yVIo6大陸には結構いたみたいだし、日本にも渡ってきてたんじゃ?
0745人間七七四年
2009/06/19(金) 07:55:55ID:bxShLDij0746人間七七四年
2009/06/19(金) 22:08:26ID:VLvSxS/m騎兵はますます重装備になっていたので、いきおい馬もますます重種になり大型化していくことになる。
13世紀から15世紀の頃には、体高17〜18ハンズ(およそ170〜180cm)くらいあったというから
だいたいのところは大型馬の時代だったといっていいだろう。
中世ヨーロッパ社会では軍隊の主力は歩兵よりも騎兵に置かれていた。
完全な重装備をほどこした戦士を背に乗せるのだから、大型の重種馬を軍馬として用いるようになる。
入念な交配をくりかえした結果、14世紀には、体高17ハンズ(約170cm)の馬はざらにいるようになった
『馬の世界史』より
著者は史学教授であり、馬についても詳しい人物
参考文献は内外合わせ73冊に及んでいるから怪しげなサイトよりは十分信頼に値する
0747人間七七四年
2009/06/19(金) 22:59:49ID:44qFKqHgアホか。本村凌二先生の専門は古代ローマ社会史。
中世〜近世は既に専門外だ。
ついでに言うとこの著作も2001年といささか古い。
最新の物を読め。
0748人間七七四年
2009/06/19(金) 23:33:48ID:MaPqCvBcスウェーデンの話だろ。スウェーデン軍の1622年と1623年の装備品目録を否定する根拠はなんなんだよ?
0750人間七七四年
2009/06/20(土) 01:07:18ID:6UuzqP+cこれは、現代の荷馬車用の馬と同じぐらいの大きさがあったことを意味するが、そのような馬の遺物は
十四世紀以前には発見されていない。中世後期以前の考古学遺跡から出土した馬の遺物は、体高は、
せいぜい一四二・二センチであった。
J.クラットン=ブロック『馬と人の文化史』
0751人間七七四年
2009/06/20(土) 12:04:22ID:yTqyj0Le>せいぜい一四二・二センチであった。
当スレは『中世ヨーロッパの馬はポニーサイズ』に変更になりました。
0752人間七七四年
2009/06/20(土) 13:22:02ID:6UuzqP+cヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)は、彼自身体重が決して軽くはなかったが、王国全域にいる馬
の大きさや体力を改良することに特別な関心をもっていた。彼は一五三五年、実質上の土地所有者は、
一三二センチかそれ以上の雌馬を最低でも二頭は飼わなければならないという布告を出した。そして
一五四一年には、イングランド中部および南部の州の所有地では、一四二センチ以下の種雄馬の放牧を禁じた
0753人間七七四年
2009/06/21(日) 09:32:01ID:N8fM5pcV>>>610
>新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
>126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
>グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
>モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
>北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
0754人間七七四年
2009/06/21(日) 15:26:29ID:N8fM5pcV槍がメインとはいえ日本刀もそれなりに使われていた、騎乗戦闘も鉄砲の馬上射撃もあったという方向になって来ているね。
次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
戦国時代の馬はポニーサイズ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
0755人間七七四年
2009/06/21(日) 15:27:09ID:N8fM5pcV0756人間七七四年
2009/06/21(日) 15:28:30ID:Y1rrLAbs鈴木眞哉史観を疑う
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169129287/
0757人間七七四年
2009/06/21(日) 16:42:24ID:H2lWurYe0760人間七七四年
2009/06/21(日) 18:15:49ID:6h8Mmk00金子有鄰という人の説が伝聞のように引いてあったので氏の著作を探してきた。
金子有鄰・著『日本の伝統馬術・馬上武芸篇』(日貿出版社)
・元来、戦場における騎士の刀は指揮するためのもので、敵と渡り合うためには長物がある。p74
・馬上では長物は容易に振れるものではないので、そのため刀が馬上使いに案外繁昌するに至った次第である。P204
という箇所が鈴木の論拠なのだと思うが、ここ以外には
・馬上の刀で敵に打撃を与えるには「迎え撃ち」と申して敵と我れとの摺れ違いの勢いを利用して霞打ちに叩くのをもって
最も有効とされている。これで敵の馬の面を打てば馬はそれだけでたおれる。P71
・平素より槍を叩き折るのを目的としてがんじょうな大太刀を持っていた者もおり、この場合は必ずしも太刀が不利とはいえない。P139
という箇所をはじめ、刀の使い方や有効性などを書いている箇所はたくさんある。そして金子氏は
・今ひとつ、長巻の特長は槍を叩き折ることができることである。刀でさえ槍を叩き折れるのであるから、長巻で叩かれたら
槍は往々にして折られる。P201
・したがって対等の腕前ならば、刀も槍も長巻の敵ではなく P203
とあるように、馬上においては長巻を槍や刀を凌ぐ武器とする長巻最強論者。
これだけ事細かに馬上打物を解説している本から自分の都合のいい箇所だけを抜き出して
騎馬武者などいなかった、という愚説の根拠の一つにしているのは本当に腹立たしい。
こんなことに使われては金子氏もさぞ無念だろう。
0761人間七七四年
2009/06/21(日) 18:17:41ID:6h8Mmk00『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。
・同、馬上にての心持、たがひにかたなにてかかつて来るものは、かかるものの左のかたへわり、
馬のつらをのりかくるやうに、心持専一なり。右の方へなる時は、あわする心持一つなり。
・下に刀にてゐるものきる心持、まづわをのりかけてまはしたるよし。右にゐるものをきらんとおもはば、
みぎのあぶみをふみはり、くらをすかしてきりたるよし。左にある時は、左をふみはり、是もくらを
すかし、すみのくらにてきりたるよし。
馬上の槍は「わがやりつよくもち」、つまり乗り手は保持することに専念し、「馬につかせる心持」
「馬にてつかせたる」とあるように馬を走らせる勢いで突くことが大事。槍を片手で振り回すのは無理だとかの
書き込みを見たが、想定が初めから間違っている。漫画的な想定を自分で勝手に出した挙句にそれは現実的ではない、
なんてバカか?
新陰流のものを長々と書き出してみたが(ただしこれですべてではない)、馬上での槍・刀使いの事細かなセオリーが
存在していたことはわかってもらえると思う。新陰流の槍術以外にも、大島流や神道流系槍術の伝書にも
馬上の槍はある。『一刀流兵法目録』にも「馬上切合之事」がある。鈴木の説に従うなら、これらは必要とされていない技術を
頭で考えて作った机上の空論となるがねw
0764人間七七四年
2009/06/21(日) 22:31:51ID:foDQdqaK変えればいい。
0765人間七七四年
2009/06/21(日) 22:42:27ID:H2lWurYe長い銃を騎乗時に有するのは問題がある
だから後世の騎銃も短い、これらも下馬してが普通
それに前装銃は馬上では一発撃ったらお終いだから、効果が薄い
0769人間七七四年
2009/06/21(日) 23:16:33ID:H2lWurYe0770人間七七四年
2009/06/21(日) 23:25:42ID:foDQdqaK0772人間七七四年
2009/06/21(日) 23:36:09ID:Klc/kYM1機動的な騎馬兵に鉄砲持たせるんだから、敵の背面や側面に回りこんでダメージを与えるに決まってるだろ。
キミは火縄銃での戦い方を全くイメージできてない。
0773人間七七四年
2009/06/21(日) 23:39:55ID:H2lWurYeああ、そういう使用法は日本ではありません
備が基本的運用法の日本ではそういう騎馬兵だけを回り込ませる運用はありません
0774人間七七四年
2009/06/21(日) 23:55:04ID:YsXrw4cM見てきなよ
日本の戦国時代 合戦の虚像と真実
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
0775人間七七四年
2009/06/22(月) 00:00:40ID:LLVbACo5つまり徒歩兵と共に騎乗銃兵が移動し、到着すると降りて撃つと考えているんだね。
だったら郎党に大きい銃を持たせて伴走させたほうがはるかに効果的だよ。
>備が基本的運用法の日本ではそういう騎馬兵だけを回り込ませる運用はありません
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.htm
鎌倉時代には弓騎兵の集団戦術があったようだがね。
0776人間七七四年
2009/06/22(月) 00:08:34ID:9Zk1FODV・馬を走らせながら火縄式ピストルを使う
・ピストルを撃ちながら突撃
日本ではともかく、全部西欧では実現されているね
0777人間七七四年
2009/06/22(月) 00:15:49ID:YGQOshFaそんなことはできるはずがないと結論づけるのがこの人たちの常套手段だね。
0779人間七七四年
2009/06/22(月) 00:21:41ID:NjCJmT+u羽黒の戦いでは下馬鉄砲で高級将校を狙撃ですから、この場合は後続させるような従者は
いない編成かもしれませんね
0780人間七七四年
2009/06/22(月) 00:28:41ID:NjCJmT+uそれではおやすみ
0782人間七七四年
2009/06/22(月) 05:32:57ID:eu6r+zvg日本の合戦で実際に使用されたのは殆どないし
まして役に立った場面なんてないのでまあ、その程度に考えている。
0783人間七七四年
2009/06/22(月) 07:17:25ID:kpHxzY81ということはまったく別の問題だな。
0784人間七七四年
2009/06/22(月) 07:34:34ID:eu6r+zvg馬上で撃てる性能を持っていたのは確実じゃん。
だからどうでもいい。
0785人間七七四年
2009/06/22(月) 07:56:16ID:3fz1xQVBフス戦争では乱戦で至近距離からのピストルに、騎士の鎧は無力だったし
胸甲騎兵はピストルで敵を崩してから突撃していた
0786人間七七四年
2009/06/22(月) 11:32:08ID:xat3hTRH確かに
その頃の同時代人のティツィーノらの画家が描く軍馬の頭は人と同じ背丈かそれ以上だな
当時の欧州人の平均身長から考えて>>746の出してる体高は妥当だろう
0787人間七七四年
2009/06/22(月) 12:08:05ID:kpHxzY81http://www.joel.pasquier.nom.fr/images/bayeux.jpg
http://home.versateladsl.be/apexoccult/Cometes/comete3.gif
ここから考えると馬の体高も城と同じくらいの高さだったとするのが妥当だろう。
0788人間七七四年
2009/06/22(月) 12:13:45ID:jkIDcLRl0789人間七七四年
2009/06/22(月) 12:20:41ID:7UDjW9Bnこのカール5世騎馬像が有名なようだ
ttp://art.pro.tok2.com/T/Titian/tit02.jpg
カール5世の身長が分かれば、馬のおおよその大きさが分かるだろう
ネットで信頼できるソースは見つかられなかったが
こんなブログがあった
ttp://blogs.yahoo.co.jp/maximthecat/8674116.html
>ガイドによるとカルロス一世は身長が150cmくらいしかなかった、らしい。
>そのころの王侯貴族は小柄な人が多かったようだ。
カール5世=カルロス1世だから、とりあえずこれを元に推定してみようか
0790人間七七四年
2009/06/22(月) 12:31:47ID:kpHxzY81スウェーデンの装備品目録を覆せる史料があるのか?
0791人間七七四年
2009/06/22(月) 22:24:00ID:SUSNFJno軍馬の頭が人と同じ背丈程度なら、体高はそれより数十センチ低くなるんだが。
ひょっとして>>746の数値は馬の頭の天辺までの高さのことかな。
0792人間七七四年
2009/06/23(火) 16:42:20ID:zX4EHNzNちなみに体高=肩のたかさな。
頭までの高さではない。
だから、786の絵なら、150弱ほど。
0793人間七七四年
2009/06/26(金) 15:21:24ID:T2BjZk2+映画の見すぎwww
0795人間七七四年
2009/06/26(金) 18:21:19ID:bFF2F7480797人間七七四年
2009/06/26(金) 19:32:19ID:bFF2F748話題ないならスレが落ちてもしょうがないしなぁ。
0798人間七七四年
2009/06/26(金) 19:46:11ID:dMcfxStj日本の馬の運搬能力が低かったためだ、何て事が書いてあったんだが、
そんな事ありうるのか?むしろ日本の馬、特に荷馬は、運搬能力に優れていると思うのだが。
0799人間七七四年
2009/06/26(金) 19:48:45ID:T2BjZk2+ポニーでも突撃できたんだとか、蒙古騎兵は革の鎧だったとかにするか?
でもプラノ・カルピニが蒙古の金属鎧を見てるというし、グスタフ・アドルフも本当は
鎧を着せたがったが必要な量を調達できなかったし、それに現場の兵士が着たがらなかったという
事情もあるようだしな。
0802人間七七四年
2009/06/26(金) 20:28:05ID:T2BjZk2+それほど効力を発揮しない。カエサルはガリア人の作った木を骨組みにした土壁には攻城兵器に強かったと報告してたし
火砲時代に入ってからのヨーロッパでは石壁を土で覆って大砲に対する防御を高めた例もある。
そういう問題を差し置いて馬の運搬能力云々は筋違いじゃない?日本在来馬と同じ系統の馬を使っていた
モンゴル軍は輸送に関して蒙古馬以外の種類を導入した記録とかあるかね?
0803人間七七四年
2009/06/26(金) 21:36:49ID:JdE1nVtXとかそもそも大砲がどれだけ作れたのか、ってのも疑問だしな
0806人間七七四年
2009/06/27(土) 00:18:51ID:j2qXETO8当時の大砲の重量なんてタカがしれてるでしょ
ひかせるだけなら可能だったはず。
馬車文化のない日本では
大砲に車輪をつけて馬に引かせるという発想がなかっただけなんじゃないかな
そもそも大砲一門作る材料があるなら
そのぶん鉄砲を何丁もそろえた方が合戦では有利だと思うんだが
0807人間七七四年
2009/06/27(土) 00:39:37ID:JAuoegsH牛車もあるし、発想としてないというのはちょっと不思議。
0808人間七七四年
2009/06/27(土) 00:48:14ID:Ts1sdzLe0809人間七七四年
2009/06/27(土) 01:04:42ID:JpQYwF60歩兵や接近戦に消極的なピストル騎兵は、射撃する前にあっという間に突撃され長剣で串刺しにされた。
0811人間七七四年
2009/06/27(土) 07:35:30ID:kCZayMHS0812人間七七四年
2009/07/01(水) 02:14:32ID:V1eKnL+h重いものは船で輸送って考えだったんじゃないか?
0813人間七七四年
2009/07/01(水) 02:50:16ID:oVPa+kR2中国の刀と剣の用い方の違いから来た説明じゃないかな
刀は片刃であるから峰の部分を厚く作ることができるために剣より丈夫であり
丈夫であるから刃を剣より薄く作れたために切れ味にも優れ
より大きな衝撃を受け、すれ違いざまに切る戦法を用いる騎兵が使い
剣は両刃であるから峰を持たず衝撃にもろく刃を薄くすればさらにもろくなるため切れ味が鈍く
歩兵用の武器として用いられていた、ってやつ
もっとも、時代が下ると剣は淘汰され刀が歩兵にも普及したが
0814人間七七四年
2009/07/04(土) 06:20:44ID:/ECp2Hnu亀だけど
俺、この前いい馬を手に入れたんだ
お前の馬とどっちが早いか決めようぜ
俺がまけたら、この荘園をやるよ
その代わりお前がまけたら云々
からサラがスタートしたとか
0816人間七七四年
2009/07/04(土) 18:36:11ID:8v2FbVAQ現役中に大きな故障を経験しないほうが珍しいくらいの虚弱体質であり
故障が原因で引退に追い込まれるケースも極めて多い。
最悪の場合、レース中やトレーニング中に骨折で死に至る馬も少なくない。
彼等の体は、ひたすら速く走るために、心臓が巨大化し、
それは通常の哺乳動物では考えられない大きさに達している。
その反面、強度は犠牲になっており
この虚弱体質は生物としては異状なまでの次元に達している。
兵器は武人の乱用に耐えうるものでなければならないといわれるが
サラブレッドは、とても武人の乱用に耐えうるものではない。
0817人間七七四年
2009/07/04(土) 21:23:35ID:tadLU96t0818人間七七四年
2009/07/05(日) 13:56:57ID:UP6tHfIM普通のサラの持ち主(権利?)は普通、一人の馬主か牧場が持っているのだが、
株式のように何口かでサラの持ち主を集う場合がある。
一般低取得、中取得の競馬好きが馬が欲しいけど高くて買えないって奴が、共同で馬を買うシステム。
大体、こういう馬は足が遅くて、勝てないが健康は折り紙付きっていう馬が売りに出されるのだが、(多く出走して5着内で賞金を稼ごうという魂胆)
俺はかつて三回、共同馬主を一口づつ買ったが、
三回とも故障で引退したwww
しかも、一匹は出走前だぞ?w
一度も走らずに故障して、引退www
まあ、こういう場合は保証がきいて、その一口は別の馬に振り当てられるのだが。
ちなみに、その三匹、全部、未勝利で終わったw
0819人間七七四年
2009/07/05(日) 20:09:49ID:Ce75XOQs0820人間七七四年
2009/07/05(日) 21:58:51ID:tX9fMnd3気性もおかしい馬が多い。
0821人間七七四年
2009/07/05(日) 22:03:04ID:IDyj0I/Aいや、共同馬主の馬もピンキリで相当良血で高額の馬もいる。
>三回とも故障で引退したwww
>しかも、一匹は出走前だぞ?w
>一度も走らずに故障して、引退www
吹いたwww
0822人間七七四年
2009/07/06(月) 00:24:41ID:jpZR1g1Z0823人間七七四年
2009/07/06(月) 10:11:29ID:jZBJjh0x繁殖に上がれるのは一割にも満たないだろうね
ほかに乗馬とかもあるけど、実際には屠殺されてたりするし
脚元の弱いサラよりも乗馬用の大人しくて丈夫な種のほうがクラブなんかはありがたいんだろうな
社台なんかセルフランセの種牡馬とか導入してたりするもんな
0824人間七七四年
2009/07/16(木) 01:35:09ID:M9wkjhNHサラが貧弱なこととはあまり関係ない
0827人間七七四年
2009/07/19(日) 18:26:18ID:iV2jjDMv旨いかどうかは知らないが・・・。
ハマノパレード
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89
0828人間七七四年
2009/08/07(金) 23:14:31ID:Snz1s5dChttp://www.youtube.com/watch?v=xcxm5hAq6wM
0829人間七七四年
2009/09/15(火) 02:17:04ID:F/qp8sCsポニーと言われればシェトランドポニーしか日本人は想像しないもん
釣り放題だべ
0830人間七七四年
2009/09/23(水) 16:45:59ID:ueVxcqQy例を挙げると西欧のコブと呼ばれるタイプの馬は比較的小柄だが、足が太く頑健で、急な坂道やぬかるみでも楽に動けるという。
http://www.mmjp.or.jp/freedom/FR37-1.html
オプスレイ社の『中世フランスの軍隊』によれば、コブタイプは西欧騎士の乗馬としても使われていた。
日本には鵯越の逆落としという故事があるが、真偽はともかく、これも日本の在来種が山岳地帯に住む生き物だから生まれた話であろう。
サラブレッドではたとえフィクションでも思いつかなかったに違いない。
0831人間七七四年
2009/09/24(木) 23:24:02ID:+sTiHNZP「その馬皆小、登山に便。」
0832人間七七四年
2009/09/26(土) 11:12:04ID:zRtwZ5Tfたとえば山を登ろうとすると疲労のあまり排泄すると動けなくなってしまうほどであった
0833人間七七四年
2009/09/26(土) 16:06:03ID:bAxRysPN0834人間七七四年
2009/09/26(土) 22:27:27ID:N/V2lC65>たとえば山を登ろうとすると疲労のあまり排泄すると動けなくなってしまうほどであった
はいはいワロタワロタ。
面白いから次からはじゆうちょうにでも書いてね。
0835人間七七四年
2009/09/27(日) 09:39:34ID:nAlAj9p5おじちゃん
0836人間七七四年
2009/09/28(月) 12:07:25ID:NEOrfgEK藤井は子どものころからよく遊びに行っていた。
そこで鳥羽博士から聞いた話がある。
鳥羽博士が、地方の山城の調査を頼まれて現地に行ったところ、
小型馬が用意されており、山の上へ馬で登って調査した、
と言うのである。
昭和30年代までは、山に登る道具として馬が認識されていたのである。
戦国時代の馬も同じだった。貴人は馬で山を登ったのだ。
山城は馬の存在があって始めて築城と運用が可能だったのである。
ttp://www.sengokushi.com/gote/b00200.html
0837人間七七四年
2009/10/04(日) 22:00:01ID:n61SV9Gm>>だっせーのw
といっているだけで、それは本人の主観だから議論の対象にはならないし
ここのスレでワーワー議論されているような「そのような体格の馬で、どのように戦闘が行われたか?」という議論は、的外れである。
とういうつまらない答えを出す俺。
0838人間七七四年
2009/10/04(日) 23:49:22ID:ftCevoSS0839人間七七四年
2009/10/06(火) 00:31:38ID:dVjotMjS結構速いな
War Horse Battle Charge
http://www.youtube.com/watch?v=KPXG8pt0lr8&feature=fvw
0840人間七七四年
2009/10/06(火) 23:35:30ID:uJule3Lc大袈裟に言うほど小さくはないな
むしろこの程度が普通にみえる。
0841人間七七四年
2009/10/12(月) 12:22:23ID:zRAKD2/B0842人間七七四年
2009/11/10(火) 01:11:24ID:QmsqR5+a0843人間七七四年
2010/01/15(金) 21:56:50ID:rtFXSrl40844人間七七四年
2010/02/28(日) 08:22:01ID:Hn3kR4CX全くだな。ナリタブラリアンを知らない若造はこれだから困る。
まじめな話、ポニーでも調教次第で上がり2ハロン40秒で走るんだから在来馬だって近いところまでやれるだろ。
(陸上400m走の世界記録は43秒台)
0845人間七七四年
2010/02/28(日) 11:09:22ID:EWnGS4bv0846人間七七四年
2010/03/24(水) 23:15:27ID:s0/tOn+y0847人間七七四年
2010/05/04(火) 21:42:22ID:11tPz/0l武田館で発見された馬の骨が展示しているよ
0848人間七七四年
2010/05/04(火) 23:03:38ID:+pXQa6kz0849人間七七四年
2010/05/05(水) 04:53:22ID:8TZ88JvU0850人間七七四年
2010/05/05(水) 13:18:04ID:0Oun9P+g0851人間七七四年
2010/05/11(火) 22:23:11ID:bGcJ1zfD確か『関八州古戦録』にも同様のがあったはず。
「安房上総両国の府君、里見義弘公一家の正木大膳といひしもの、十二三の歳より馬を
ならふに、片手綱にて、のらんことをこのむ。馬訓ゆるもの怒て云ふ、片手綱と云は、
能々馬を乗覚え、功者に成てのうへ、片手綱にてめすべきに、未だ鍛錬もまゐらずして
左様にめせば、其身なりも悪しくおはします程に、必らず片手綱無用と制す、大膳申やう、
侍の将たらん者、馬よりおりて鑓を合せ、高名する事多くは有まじ、馬上にて下知をし、
其まま勝負を決せんならば、片手綱を達者に覚てこそと、をさな心に申せしごとく、
度々馬上にて勝負を決す」
0852人間七七四年
2010/05/14(金) 21:07:51ID:k7ttqh4n人が乗っていた馬が小走りで走っていたが、
ものすごく上下に揺れるのな。
これじゃとてもじゃないが、馬上で片手なんて無理。
0853人間七七四年
2010/05/15(土) 09:53:36ID:LKEkPNsX0855人間七七四年
2010/05/15(土) 19:19:55ID:HdHwWzRV走りがずいぶんと早いのだそうだ。
0856人間七七四年
2010/05/21(金) 19:38:18ID:mNb6zFqD戦国時代の話なのになぜか感覚が現代基準。
0857人間七七四年
2010/05/21(金) 20:47:35ID:4AvSrDqd和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、と誤解されていますが、
約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく走り続けられることを確めました。
機会があれば何処まで走り続けられるか確認してみたいと思います。
ttp://www.marvellouswings.com/Kattyuu/Reviw/Review.html
0858人間七七四年
2010/05/21(金) 21:15:26ID:gE/lgDYvおっきいポニーな和馬ならもっと走れるはず
0859人間七七四年
2010/05/22(土) 04:39:29ID:nzsBWjbVメジロリャイアンというポニーもいたしな。
0860人間七七四年
2010/05/22(土) 09:15:53ID:OyC5Dbfxちっこいマキバオーがあれだけ走れたんだから、
おっきいポーニーな和馬ならもっと走れるはず
0861人間七七四年
2010/05/23(日) 19:35:17ID:HPhhmkir0862人間七七四年
2010/05/24(月) 04:59:29ID:LcuVE+mc0863sage
2010/05/25(火) 20:40:21ID:AUhlZidz流鏑馬なんて両手放してやるのに、片手ぐらい何だって思う
0864人間七七四年
2010/05/25(火) 21:28:12ID:k4APM8HI0865人間七七四年
2010/05/25(火) 22:36:27ID:bOElBax10866人間七七四年
2010/05/26(水) 19:55:23ID:sXF7fHoKちなみに三国志演義の劉備は、両剣(二本の剣)が武器。
0867人間七七四年
2010/05/26(水) 22:09:00ID:kimSu2mf0870人間七七四年
2010/07/12(月) 13:59:59ID:LtTVcoQk英語だが、上記の論文によればローマ帝国内の馬は平均で140cm程度の体高だったようで、中〜大型ポニーか小型の馬に分類されるという。
日本馬はポニーサイズだから騎乗戦闘は不可能云々が妄想だという証拠がまた増えたな。
0871人間七七四年
2010/07/12(月) 21:57:24ID:vDLRcuvkローマ時代の馬のサイズがよくわかるね。鐙がないのが時代を感じさせる
ttp://blogs.yahoo.co.jp/londoncomcom/24169625.html
ttp://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2009396/217704
0872人間七七四年
2010/07/19(月) 14:22:23ID:rXit5n0L0873人間七七四年
2010/08/06(金) 22:45:24ID:xvaimjXlプロイセンの精鋭、髑髏軽騎兵の馬なんてほんとに小さい。
まあ向こうの軽騎兵用ポニーは中騎兵や重騎兵より高速で日本のとはちょっと違う
0874人間七七四年
2010/08/08(日) 12:25:16ID:E2H1CiS8実際の映像で各国の「ポニーの騎馬」風景が見られる。
俺自身もなめていたけど、蹴り殺される人間がいたのもわかるわw
0875人間七七四年
2010/08/20(金) 07:40:57ID:epmB7ZXJ0876人間七七四年
2010/08/20(金) 09:39:58ID:6kYQPtYw0877人間七七四年
2010/08/20(金) 18:47:57ID:q2u26l7Oこれだけでも大きな違いだ
0879人間七七四年
2010/08/20(金) 21:38:58ID:ylXd0ksk当たり前だけど品種改良の進んでいない昔の馬は、
洋の東西を問わずにポニーサイズが主流だった。
そして栄養状態の悪い当時の人々も小柄で、
現代に入るまでは平均で150cm前後(18世紀のモーツァルトが150cmちょいで普通ぐらい)、
巨人と呼ばれた北欧系でも165cm辺りが平均だった。
0881人間七七四年
2010/08/20(金) 23:16:20ID:q2u26l7Oあのねぇ
イギリスのヘンリー8世は
小型の馬を軍から排除するためにある程度の体長に達しない小型の馬を飼育する者を厳しく罰する法を作ってるんだがね
0882人間七七四年
2010/08/20(金) 23:24:13ID:dEgM30kI0884人間七七四年
2010/08/21(土) 14:03:34ID:u+wDc75fヘンリーの法令はあんまり守られなかったようだな
0885人間七七四年
2010/08/21(土) 21:21:52ID:ZsZgU/fq確かに日本のそれよりは大きいが極端な差ではない。
0886人間七七四年
2010/08/22(日) 19:40:19ID:zq4rmAeoそれから、源平の頃の一騎打ちは今の感覚だと機関砲による空中戦が近いように思います。
0888人間七七四年
2010/09/04(土) 18:51:19ID:OUZM5L97れるようになったのって、正直二十世紀に入ってからなんだよね。
0889人間七七四年
2010/09/07(火) 16:55:12ID:SkEPT5qr百姓たちが徴発されるのを嫌がって小型の馬を好んで生産したとか言う話が島津にあったような
0890人間七七四年
2010/09/08(水) 22:42:11ID:Iv60ZKxgクロムウェルが捨てたからね。
西洋でも馬のモンスター化に熱心だったのは、フランスくらいだろう。
0891人間七七四年
2010/09/20(月) 17:45:51ID:xGIKKpVgお二人は一緒に和歌山県の乗馬クラブ「グリーンオアシス」へ婚前旅行したお熱い仲です。白石歩さんのブログに書いてあります。
また、白石歩さんは、森田優さんの馬術競技の写真を John というペンネームで撮り続けてきました。関学スポーツ新聞に採用されているのをご覧下さい。
森田優さんは馬術のチャンピオン!白石歩さんはパイロット! 馬術界でもトップクラスに華やかなカップルです!!!
2007年 07月 01日
ポニー最高
行ってきましたグリーンオアシス。
乗ってきましたポニー。昔は競走馬の調教をブイブイお手伝いしていたオイラ。15-15(専門用語!?)や3ハロン38秒で上がるとかお手の物だった。昔は。
しかし、今はポニーライダー!の練習中。ポニーってめっちゃおもしろい。小さくてヒョコヒョコはしって、バランスがめっちゃとりにくい。
ウチのかみさんは馬術の全日本チャンピオンなんだけど、かみさん曰く「ポニーはめっちゃ難しい」そうだ。そんなポニーに、オイラははまった。
見てると間抜け。でも乗ってるのは真剣。たーくさん課題も見つかったし、これからも乗るのが楽しみだ!平日は訓練。週末はポニーの訓練。実に良いサイクル。
両方とも課題と達成を乗り越えて、空飛ぶポニーライダーになるぞ。
http://blog.nikkansports.com/user/kangaku/moritayu3.html
(魚拓) http://megalodon.jp/2010-0920-1636-02/blog.nikkansports.com/user/kangaku/moritayu3.html
http://blog.nikkansports.com/user/kangaku/moritayu3plus.html
(魚拓) http://megalodon.jp/2010-0920-1637-32/blog.nikkansports.com/user/kangaku/moritayu3plus.html
http://blog.nikkansports.com/user/kangaku/moritayu2.html
(魚拓) http://megalodon.jp/2008-0502-1525-04/blog.nikkansports.com/user/kangaku/moritayu2.html
http://blog.nikkansports.com/user/univ/archives/2006/07/post_10.html
(魚拓) http://megalodon.jp/2010-0126-0841-31/blog.nikkansports.com/user/univ/archives/2006/07/post_10.html
0892人間七七四年
2010/09/29(水) 20:44:08ID:BeyI3/i1そいつ犯罪者だろ。
0893人間七七四年
2010/11/03(水) 21:45:21ID:gglJgy580894人間七七四年
2010/11/06(土) 22:35:25ID:5fWpooFdhttp://www.youtube.com/watch?v=tFFKjJ-5ry0&NR=1
鈴木眞哉とその信者が大げさに言うほど
木曽馬小さくないな
0895人間七七四年
2010/11/17(水) 23:37:13ID:wza+PTM4戦国時代の馬に限らず、どこの地域の馬も、当時はだいたいがポニーと同レベルの小柄さだったんだろ?
0896人間七七四年
2010/11/18(木) 00:17:48ID:0M4uE14F0897人間七七四年
2010/11/18(木) 00:18:11ID:rQgo9qW5いや、巨大な馬もいた。
たとえばペルシュロン
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%83%B3
ただ、モンゴル騎兵やら三十年戦争でのグスタフ・アドルフのスウェーデン軍の騎兵やらは
和種と大差ない体格だったのは、このスレでもさんざガイシュツ。
0900人間七七四年
2010/11/23(火) 01:43:49ID:LN3VUKTG函館のドサンコ3頭 神奈川県逗子の流鏑馬に在来馬で初参加
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki2/258106.html
北海道和種馬(ドサンコ)3頭が21日に神奈川県逗子市で行われる
流鏑馬(やぶさめ)神事「逗子海岸騎射式」に参加する。
ドサンコは約130センチと小柄で、小さな歩幅でリズム良く走るのが特徴。
流鏑馬にドサンコ 重心低く、安定感抜群 的中を連発
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/261180.html
武田流流鏑馬を保存・伝承する大日本弓馬会(神奈川県鎌倉市)による神事。
最近は流鏑馬でも洋馬が一般的で、逗子海岸騎射式でも純血和種馬が
登場するのは初めてという。
同会の小池義明副会長によると、ドサンコは「低く安定した走りで、
(足が長く)跳ね上がるサラブレッドより乗りやすい」のが特徴という。
他の5頭が矢を打ち損じる中、的中を連発し、会場を驚かせた。
(動画)http://www.youtube.com/watch?v=POj5nz3BNfw
0901人間七七四年
2010/11/23(火) 11:22:22ID:L8cA9cIk確かに歩幅が小さくて上下動が少なそうに見える
0902人間七七四年
2010/11/25(木) 15:33:39ID:jW4xaQYN日本、中国、モンゴルは同種の馬。
モンゴル系王朝が続いた北インド、
典型的なポニーを使う中央アジア〜中東のモンゴル・トゥルク系諸国家、
その流れを汲むセルジュークトルコや東欧・中東に進出する前の前期オスマン帝国、
前出の北欧
少なくともこの辺は馬格が日本と似たり寄ったりと思う
ロシアの馬はどうだったんだろう?
弓騎兵が多くて、短弓に曲刀、ラメラーアーマーやミラーアーマーといった
モンゴル・イランの影響を受けた武装だが
0903人間七七四年
2010/11/25(木) 15:44:17ID:jW4xaQYN中世以降のイギリス・フランス・ドイツ・イタリア・スペインなど西欧
アラビアを中心とする中東だろうか。
ローマ帝国時代の馬はポニーサイズで、当時のドイツ周辺の馬は更に小型だったと「ゲルマニア」にあったと思う。
732年にイスラム帝国が今のフランスに侵攻したとき、フランク軍はアラブ馬の大きさに驚いたらしい。
0904人間七七四年
2010/12/25(土) 09:18:58ID:rGy7sA4yだったらアイヌの人たちは騎馬武者の様な事はやってたのかな、と。
0905人間七七四年
2010/12/25(土) 11:49:27ID:S4WEEx4i0907人間七七四年
2010/12/30(木) 22:13:35ID:hMScHtME>実際にポニーサイズの在来馬に騎馬武者が乗って走ってみた
写真(2010逗子海岸の流鏑馬)
ttp://shugakuin.blogzine.jp/blog/2010/11/2010_a58b.html
0908人間七七四年
2010/12/30(木) 22:44:54ID:hMScHtMEポニーサイズの在来種(木曽馬系)のウマを使ったホースショー
吹き流し、長槍、流鏑馬
http://www.youtube.com/watch?v=Dd44MVjWjX8
0909人間七七四年
2010/12/30(木) 23:48:25ID:IhxQMOPs0912人間七七四年
2010/12/31(金) 15:59:40ID:uXugFeqL0913人間七七四年
2010/12/31(金) 16:12:10ID:6GyCOzQShttp://www.youtube.com/watch?v=QvHaI0iwnAk
0914人間七七四年
2010/12/31(金) 18:10:36ID:Qd/9JTia当時のこのタイプの馬しかしらない人間にもかわいく見えるのか
0915人間七七四年
2011/01/01(土) 00:17:04ID:/M4ozy090916人間七七四年
2011/01/04(火) 13:23:54ID:gSWBSjjy0917人間七七四年
2011/01/04(火) 20:50:35ID:6dY3b268競走馬上がりのサラブレッドは速く走り過ぎで、2射目以降は矢の準備が全く間に合わなくてワロタ。
ゆっくり走らせれば良いのだろうが、流鏑馬専用に調教してない借り物なので
簡単には行かないらしい。
木曽駒は確かに小さいが、足もしっかりしていて、非力な印象は無かった。
タテガミも長くてかっこ良かった。
0918人間七七四年
2011/01/05(水) 23:49:25ID:LcNGbvyhというより生物として異常
他の動物に比べて心臓が異常にデカいし
足が異常に弱い
0919人間七七四年
2011/01/09(日) 08:25:07ID:/8LodR9d当時の基本編成単位、備の構成からして、騎馬組は数十騎程度。近衛である馬廻衆でも二百〜百数十騎。
西洋や中東中国のような数千騎単位の突撃は編成上ないだろう。
ただ、騎乗戦闘自体はスレの上の資料やポニースレを見れば、基本無かったとはいえないんじゃね?
戦国時代の馬はポニーサイズ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
0920人間七七四年
2011/01/09(日) 08:25:47ID:/8LodR9d0921人間七七四年
2011/01/09(日) 09:22:14ID:0gtwu4P3アドルフ・グスタフの時代の騎兵の馬でも、
120cmを超えることは稀だったそうだ
ブライテンフェルトでは、
この馬の数個中隊(1個中隊125騎)の抜刀突撃で3万5千の軍を中央突破して分断、撃破した
0922人間七七四年
2011/01/09(日) 14:03:12ID:e58Fm5bL0923人間七七四年
2011/01/09(日) 15:49:48ID:a81FPY1A0925人間七七四年
2011/01/09(日) 20:39:33ID:cQwwKcMb「粗食に耐える」ってのが重要ポイントとして
書かれていたよ。
日本在来馬の紹介文には、どれも「粗食に耐える」が
記載されてました。
サラブレッドは極端な例だけど、牧草だけだとダメで
高カロリーな豆類を食べさせないといけない。
お腹も壊し易いので、体調悪い時は一度加熱した物を与えたり、
とにかく手間がかかるやつだ。
0926人間七七四年
2011/01/09(日) 22:07:36ID:Phv56Vsc馬の種類なんてめちゃくちゃあるし、
体格だけじゃなく、走法、得意な速さ、持久力、性格、暑さ寒さに強い、その他もろもろ
いろんなものを総合して、乗馬用、狩用、農耕馬、競馬とか用途が決まってくるんだから。
でかいのが良けりゃ農耕馬でものってろって話だ。
http://www.horse-gift.com/gallery/breed.htm
0927人間七七四年
2011/02/08(火) 00:52:51ID:mWUv+CE3南部馬が、サラブレットやアラブ馬をぶっちぎって優勝したなんて言う話もあるし、
体格の割には足も速かったのかな?
日本馬の共通点として粗食に耐えその割に蹄、骨格が丈夫というのがあげられるらしいね。
0929人間七七四年
2011/03/02(水) 19:59:14.56ID:mzCAnmKt競馬に出るような南部馬はアイノメ型の乗用馬だろう
農耕や駄馬やるタイプじゃないよ。
速くても不思議じゃない。
0930人間七七四年
2011/05/13(金) 09:40:47.56ID:YwVll1ab0931人間七七四年
2011/07/05(火) 23:37:52.70ID:Y9QwbXDj0932 【東電 74.0 %】
2011/07/15(金) 23:50:49.13ID:WdwJDIsj場合によっちゃ徒歩戦闘する事などは在ったんだろうか、と……
0933人間七七四年
2011/07/15(金) 23:55:19.29ID:hsy2b/if3分の1が重装騎兵。3分の1が軽装弓騎兵、
残りの3分の1が戦場に付いたら馬から下りる騎乗歩兵でなんたらと聞いた
0934人間七七四年
2011/07/15(金) 23:57:36.62ID:q6ZnPKyJ最前線は異民族の投降兵だったかもしれないけど。
長城攻めは騎馬での機動を活用したという話しもあったようですが。
0935人間七七四年
2011/07/22(金) 20:24:07.28ID:JUvvFhSL天然記念物の岬馬を殺処分=伝染病感染で12頭―宮崎県
時事通信 7月22日(金)16時36分配信
宮崎県串間市の都井岬に生息する野生馬で、
国の天然記念物に指定されている「岬馬」(御崎馬)の一部が家畜伝染病の馬伝染性貧血に感染していたことが判明し、
宮崎県は22日、ウイルス検査で陽性だった12頭を殺処分した。岬馬の数は計85頭となった。
県によると、今年3月、宮崎市の日本中央競馬会の宮崎育成牧場で1頭の感染が確認された。
この馬が都井岬生まれだったため、今年4月から5月にかけて岬馬に行った血液検査で、12頭の感染が分かった。
馬伝染性貧血は、口蹄(こうてい)疫などと同じく家畜伝染病予防法で規定する伝染病の一つで、
県は陽性だった12頭を現地で隔離して対応を検討。
野生種は同法の対象外だが、昆虫がウイルスを媒介するため、感染の拡大を防ぐために殺処分はやむを得ないと判断した。
0936人間七七四年
2011/08/16(火) 08:36:28.51ID:rFTLPbfI0937人間七七四年
2011/09/17(土) 22:14:30.20ID:KO1+lYUxちゃんと肩までの高さが147cm以下の馬をポニーと言いますって説明しないんだから
戦国時代の馬は肩までの高さが147cm以下ですって文と戦国時代の馬はポニーサイズって文じゃ受け取られ方が違うのは当然
0938人間七七四年
2011/10/27(木) 15:56:49.93ID:va2XMsUe当時の平均身長160センチ弱からすると可笑しなものではない。
0939人間七七四年
2011/10/27(木) 23:18:13.37ID:kWE8ZaWc木曽馬の体高は平均で130cmぐらいだから、
乗り手の足の長さが130cm以上ない限り足が地面につくなんて事はあり得ない。
いや、馬上で足をまっすぐにする事はできないから、150cm以上かな?
0940人間七七四年
2011/10/28(金) 01:04:47.41ID:G5MK7mnQクォーターホースの体高でも枝で顔に切り傷できた
小型じゃないと森林なんか抜けられないわ
脚短いと階段状の岩場でもピョンピョン鹿みたいに飛び上がれるんだよね
下りはさらに怖いからデカい馬ではイヤだw
ついでにスタートダッシュの瞬発力は小型の方が速いくらい
ダッシュした直後に急カーブも曲がりやすいし
体重軽い方が蹄への負担も少ない
大型にこだわる理由はないと思う
0941人間七七四年
2011/10/29(土) 22:58:14.23ID:WGkMcZx7まあ日本の木曽馬なんかは足回りが頑丈らしいので、
向こうの軽騎兵みたいに快速タイプではないかも。
0942人間七七四年
2011/10/30(日) 11:42:30.00ID:HGbriStF0943人間七七四年
2011/10/30(日) 13:54:29.19ID:JRbKNXSe後世の伊達正宗は、外国産馬の輸入をしたらしいけど。
どちらかというと、現代の木曽馬より小さく弱い馬だったんじゃないか?と思う。
0944人間七七四年
2011/10/30(日) 18:02:45.68ID:A/1u7tl5リアル日向の駒、御崎馬にもっとスポットあててください。
木曽馬よりずっと走るのに向いてそうな体つきしてるから。
伝染病でもう85頭しかいないから、そろそろ絶滅しそうだけど。
0945人間七七四年
2011/10/31(月) 00:28:09.26ID:ZKSdRLed木曽馬のどこに不満があるんだよ。
体つきががっしりしていて、いかにも頑丈そうでいいだろ。
http://26.pro.tok2.com/~yataro/sy-kisouma1.htm
http://youtu.be/Dd44MVjWjX8
http://youtu.be/OZ2mx0GOrm4
上のサイトでは速度は30km/hが限度とあるが、
西洋騎士の最大速度も同じ位らしい。
実際の戦闘では、味方との隊列を保つため15km/hで駆け足して
敵に接触する寸前に速度を上げるそうだ。
0946人間七七四年
2011/10/31(月) 01:59:43.87ID:Xtk0Dpwf0947人間七七四年
2011/10/31(月) 21:04:32.02ID:syE//hh7博物館で見るときは人馬との接触部分が取っ払われてるから(腹帯もない)
馬 - 布 - 鞍(木製)- 布 - 人
でいいんだろうか?
布部分は綿入れ状態じゃないと痛そうなんだけど、実際どうなってるのー?
あと鐙の形状、つま先がカバーされてるスリッパ状なのはスペイン式と同じだけど
踏みつける部分が平じゃないから、鐙の上には立てないよね?
その分、人間側は動きが制限されるし、どうやって馬とボディコンタクト取ってるんだろう?
狩野派の絵ではかなり踵が前の方に出てるフォームだし、様式乗馬のフォームと違い過ぎて謎が多い
0948人間七七四年
2011/10/31(月) 23:45:21.59ID:ohdBcc0k>鐙の上には立てないよね?
和式の鐙の特徴で、立って上下動を少なく乗る
立ちスカシという乗り方があるようです。
実演動画(甲州和式馬術探求会)
http://youtu.be/OZ2mx0GOrm4
0949人間七七四年
2011/11/01(火) 19:46:02.58ID:0Kim12l+甲州和式ってことは武田流かそれに近いものって考えていいのかな
駆け足初心者が練習する”立ち乗り”みたいな状態なのか
きっと膝の緩め方とか腿の使い方が違うんだと思うけど
馬格が小さめだと人間の方のフォームにも余裕が出るからできる感じ
ブリティッシュと完全に違うのは踵の使い方かも
鐙が逃げない構造だからつま先が多少下がっても大丈夫で
手綱の扱いはウェスタンみたいに緩めなんだね
手綱の素材まで分かってよかったけど綿の国内生産がほとんどなかった時代は大変だっただろうな
また博物館で鐙見るとき内側をじっくり確認してみるよ
蒔絵より鐙の内側や鞍の裏側見たいヤツなんて少ないだろうから非常に見えにくい展示なわけですが…
0950人間七七四年
2011/11/02(水) 01:20:00.29ID:HWMxRTGb和式馬装講習 その1(和鞍1)
http://www.youtube.com/watch?v=GuqI1IRPHAY
まずは和鞍の装着から。
0951人間七七四年
2011/11/10(木) 21:07:39.83ID:YIMqTpm4ttp://www.youtube.com/watch?v=z64AzHIdgKw
乗ってるのは間違いなくポニーですなw
0952人間七七四年
2011/11/11(金) 02:21:13.56ID:Z8PAfkRT動画の馬は、デールズポニー(Dales Pony)らしい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Dales_Pony
0953人間七七四年
2011/11/29(火) 01:44:52.38ID:FOfsqZ+9乗ってた馬が木曽馬だと思う
場所は開田高原に見えた
別に小さい印象はない
http://www9.nhk.or.jp/go/bigocoro/idx45.html
0954人間七七四年
2011/12/16(金) 00:34:02.27ID:envhS+Lj0955人間七七四年
2012/01/09(月) 21:06:24.59ID:B4aywgG4http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1325852168/l50
0956人間七七四年
2012/02/19(日) 03:31:33.71ID:jw+XfI1tかわいいシェトランドポニーであることを利用した言葉のマジックだな
0957人間七七四年
2012/03/16(金) 17:29:30.48ID:gvH+wZbMポニーカーというのであった
0958人間七七四年
2012/03/18(日) 14:30:51.96ID:m7E5xNY8▽馬50,000頭 牛1,000頭
北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉
▽馬50,000頭 牛10,000頭
青森、岩手、秋田、千葉、長野、新潟、岐阜、宮崎
▽馬10,000頭 牛1,000頭
山形、東京、神奈川、山梨、愛知、富山
▽馬50,000頭 牛50,000頭
熊本、鹿児島
▽馬10,000頭 牛10,000頭
静岡、石川、高知、福岡、佐賀
▼馬10,000頭 牛10,000頭
福井、徳島、愛媛、長崎
▼馬50,000頭 牛50,000頭
大分
▼馬1,000頭 牛10,000頭
滋賀、奈良、大阪、香川
▼馬10,000頭 牛50,000頭
三重、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口
▼馬1,000頭 牛50,000頭
京都、和歌山
0959人間七七四年
2012/05/11(金) 00:49:06.93ID:y+gdF2rD0960人間七七四年
2012/05/11(金) 21:37:07.31ID:3RSF1iug関東では馬が多く使われてたんじゃないのか。
0961人間七七四年
2012/05/11(金) 21:46:47.37ID:FyYs3FaX0962人間七七四年
2012/05/12(土) 15:49:51.80ID:vZAmwFpo(青森県が提供する映像素材)
桜流鏑馬 - 基本射 - 0311A
http://youtu.be/ndKPqdiKDF4
桜流鏑馬 - 下方射 - 0314A
http://youtu.be/LxqRc-FN7qc
使用される馬は南部馬。奉納行事でもあまり使用される
ことのない和種馬で、和式馬術を繰りながら行われるという
醍醐味にも注目の流鏑馬です。
0963人間七七四年
2012/05/12(土) 19:03:57.56ID:R098FdQJ一言断りくらい入れてくれてもいいのに。
0964人間七七四年
2012/05/13(日) 13:37:35.62ID:axcV8hnDサラブレッドと比べても劣らないお化け馬もいたみたいね。
0965人間七七四年
2012/05/14(月) 17:00:42.60ID:RLlht0cOオマンコ舐められクイーン、長野美郷
オマンコ舐められクイーン、長野美郷
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0966人間七七四年
2012/05/16(水) 19:31:54.64ID:beCnwr4t0967人間七七四年
2012/05/16(水) 19:53:23.94ID:G8LmGvRA単純に去勢してないからでしょ。
0968人間七七四年
2012/05/16(水) 20:14:55.69ID:1C1lOoPK0969人間七七四年
2012/05/16(水) 20:34:32.68ID:tMrT0nmDどっからそんな話が出たんだ?>日本の馬は暴れるばかりで騎馬隊編成は無理
0970人間七七四年
2012/05/16(水) 23:13:57.37ID:G8LmGvRA0971人間七七四年
2012/05/16(水) 23:23:05.72ID:cIkgQSrg明治〜昭和のお百姓さん達が大人しさと扱いやすさを優先して
こっそり繁殖させていた農耕馬の子孫だからだろ。
明治時代の記録では性質がよろしくないと書かれているし
当時は木曽馬と言っても、その気性は様々だったのだろう。
木曾馬は西筑摩の山間の馬にして粗食に堪え剛健
能く山地を跋渉するに巧みなリ
體格は矮短、三尺七寸乃至四尺四寸にして頭は重く
眼は小に、頸は厚く躯幹長く、尻は傾斜して四肢軽細
関節強靭、蹄小にして其質堅牢なり
青毛多く駄用に適するも性質柔順ならざるもの多し
0972人間七七四年
2012/05/17(木) 10:27:48.68ID:s5K1xAE6って書いてるのに鈴木さんは無視するんだよね。
0973人間七七四年
2012/05/17(木) 11:21:15.06ID:Pfn0wDti0975人間七七四年
2012/05/19(土) 15:01:36.51ID:5zjZgNq01548年(天文17年)、ゴアの聖パウロ学院長ニコラオ宣教師がインドに来た日本人(アンジロー)から聞き取った『日本の世俗的な事柄について』のインド総督宛ての報告書。
私が日本の情報について閣下に送付した第一の文書においては、甚だ簡略にですが、私はその土地において行なわれている宗教と神の礼拝に関する主要な事柄のみをいくつか書き認めました。
その他の世俗的な事柄は、私の職業にそれほど相応しくなく、また必要であると私には思われないため、余り熱心に知ろうとしませんでした。
しかし、閣下が、私が前述の世俗的な事柄に関して質問するように私に命じていますので、私はたくさんの恩義を受けている方に従わない訳にはまいりません。
閣下の質問、日本人の間に、戦いが行なわれるかということについて、彼(アンジロー)が言うところによると、 ・・・・・
日本には、鎖帷子、胸当、兜、頤甲及び腕章があります。
彼等はまた腿や脚部に鉄でできた具足を付ける習わしがあります。
彼等は、エスピンガルダ(小銃)、弓、矢及び槍を持っています。
彼等はまたたいそう幅が広くてかなりの長さがある一種の鉾をも所持しており、それは私達のものと同様に柄に付いています。
彼等は私達が片手や両手で剣を持っているように、小刀と大刀とを帯びています。
彼等には卵型の革製の盾はありませんが、その代わりに金属の薄片で被われた革を常用しています。
それは左肩の上に、そしてその箇所に楯の代わりに結び付けられます。それは長さ三パルモ(66cm)、幅はそれよりも少し短くなっています。そして、左手は戦闘のために空いています。
これらの日本人が戦争に赴く時には、土着の兵士(現地人兵士)は各々胸当、兜及び革のあの手楯のようなもの、刀、槍、弓矢を持っていきます。
彼等は武器を運搬するのを手伝う小者一人、あるいは、私達の間に見られるように、彼等の地位に応じてそれ以上の数の小者を連れていきます。
この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。
そして敵を幾人か殺した時には、その首を斬って大将のところへ持っていくのが習わしです。そして、首を持参することができない時には、勇しさの証拠及びしるしとしてその耳を切り取って持っていきます。
日本の馬は、私達の馬と同じほどの大きさでがっちりしており、フランスの馬に似て太い脚を持っています。領主達は自分達の牧場に飼育のために数え切れないほどの雌馬を持っていることを誇りにしています。
日本の船はすべて小型であり、その最大のものでもカラヴェラ船ほどであり、丈が短く、私達の船とは別の様式です。すべての船は櫂で漕ぎ、ござ帆を持っています。あの土地に見られる強い風の時には、投錨する度毎に帆柱がおろされます。
日本の商人達はシナ人達と取引を行なっています。彼等は日本からシナに銀、武器及び硫黄や扇子をもたらし、シナからは硝石や多量の生糸を持ってきます。また同様に陶磁器、水銀及び麝香の固まりをも持って来ます。
日本人達はまたシナの下方、東にあるコレー(高麗)と呼ばれる別の人びととも取引を行なっています。
彼等はそこにも銀や貂の皮を持っていきますが、それは、同島にはそれが多量にあるからです。彼等はまた扇子をも持参し、朝鮮からは綿布を招来してきます。 ・・・・・
この島のいくつもの地方に大量の銀があり、僅かではありますが、金山も幾つかあります。また多量の銅、鉛、錫、鉄があり、鋼鉄も非常に豊富にあります。また水銀若干量と硫黄がたくさんあります。 ・・・・・
0976人間七七四年
2012/05/20(日) 22:58:23.77ID:cPdznH6o気性が荒いくらいでないと戦では使い物にならなかったらしいぞ。
大人しい馬は臆病なんで火薬と怒号の入り混じる戦場だと
すぐに逃げ出そうとするらしいし。
0977人間七七四年
2012/05/20(日) 23:06:00.29ID:h5hU+fot0978人間七七四年
2012/05/20(日) 23:06:43.33ID:HD1d/NdV0979人間七七四年
2012/06/03(日) 11:01:04.68ID:Q7+h7V32>気性が荒いくらいでないと戦では使い物にならなかったらしいぞ。
で、それは誰に聞いたの?
0980人間七七四年
2012/06/03(日) 12:38:40.72ID:mmqziK5o絶対に正解は無い
0981人間七七四年
2012/06/16(土) 10:03:48.52ID:OGl9BuAiレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。