豊臣家が生きのこるにはどうすればよかったのか
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 16:26:24ID:TQHCcFLz0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 16:30:24ID:kpyOhtgZ0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 16:45:00ID:k6tZ4usz0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 16:45:49ID:uhW4J2cL対朝廷政策の先棒を担げば存続するかも・・・
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 16:56:41ID:v+NpGrSuどこかの僻地に10万石くらいで生き延びることができたよ
すべては馬鹿淀の責任
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 16:59:39ID:jB5qM4Prそれに従った場合、適当な言いがかり付けられて改易されると思うよ。
家康が豊臣家を残すはずがないだろうし。
淀殿はそれに気付いたから徹底抗戦したんだろう。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:26:38ID:UAFBtzCd農民の政治力がその程度だった
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:36:33ID:WrrrJHE7どのみち生き残るのは無理
何人か庶子でもいれば生き残れたかもしれんが
0009小早川秀秋
2006/08/27(日) 17:44:37ID:PcUE2Ixr0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:47:14ID:S9tykyFK0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:50:30ID:jOX/gIfp最後みっともなく命乞いなんかするかぁ?
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:56:03ID:x9LM6hoL関白家だの朝廷政策だのそんな重要な地位のまま残れるわけない。
国替えだろうと人質だろうと言うがままに従って、
徹底的に特別な地位も役職も一切ない「普通の大名」となるしか手がない。
結局>>8みたいな感じでそれでもかなり難しいと思うが。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:56:10ID:9Ae35+Wa0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 18:17:50ID:ABRBKdwFこの時点で承諾しとけば良かった。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 18:26:01ID:et5Gv13I・妻や肉親を江戸に差し出す。
・普請などの課役を粛々と受け入れる。
・無能を装う。
これでもまあ、どのみち苦しそうだが。
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 19:01:49ID:cI2ps57N0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 19:11:41ID:UAFBtzCd忠誠は立派な能力だな。
価値あり
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:02:42ID:cI2ps57N0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:04:11ID:cI2ps57N0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:08:18ID:m3Zq/EOG戦いで勝てない以上、臣従して生き残りの政治をするしかない。
秀忠夫人のつてでしのいでゆくとかな。
家康としてみりゃあ、豊臣家を残す気はかなりあったんだから、
なんとかならんこともないと思うがね。権現様のお墨付きでも
もらえりゃ、後の世代ではそう簡単に改易できないしな。
でなきゃ、朝鮮半島にでも逃げ出すしかないわな。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:34:29ID:ZcsebW2fあの時期になって豊臣家を滅ぼそうという気になったんかな?
>>1
秀頼が大阪城を出て、旗本か、奥州辺りの小大名になる。
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:58:13ID:Jk2+FDBp0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 21:06:19ID:UAFBtzCd0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 21:50:59ID:KYDkXqBg東北の大名の誰かを転封させればいい話だ。
津軽か蝦夷あたりに行かせられそうだが。
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 22:00:43ID:jh+wB8Dr0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 22:07:05ID:UAFBtzCd0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 22:32:48ID:fYOeO3Cc0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 00:06:42ID:FiFdZox/家康より豊臣びいきだったんでしょ?
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 00:11:02ID:TnAbTqqS0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 00:21:12ID:AQb9BSixそれはそれで立場が危うくなるんじゃないのか?w
秀康・秀家・・・あと誰がいたっけ?養子は
それだと横一線の後継者争いにならないか?
で、家康の思惑通りに・・・って
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 01:17:36ID:IcTKIYV40032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 07:22:33ID:MU3jMjZk0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 09:26:45ID:xQtnz3+e0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 00:43:25ID:mLsnMbjwところで秀長にも子はいなかったのかな。
いれば養子にして早い段階で嫡子として育てていればよかったのに。
ろくな跡取りがいなかったので、どのみち豊臣は秀吉後ほぼ滅亡したろう。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 11:33:37ID:e+Auvb5H跡取りを育てるのも主君の器ー。ー;
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 02:00:11ID:QSwRcNdk0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 02:26:02ID:YHYLDYmJ歴ゲ板だったけか
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 02:40:53ID:5iMpLfFb秀勝と秀次が居たじゃん。秀長は秀保という養子を姉から得てる。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 08:13:27ID:lBWpi/1I秀吉の姉夫妻は悲惨
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 23:30:47ID:hZpA6hZJ徳川は淀に感謝すべき
下手に徳川に従っていたら後々面倒なことになっていた
戦国を終わらせ平和な時代を生み出す上で淀の果たした役割は大きい
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 23:34:00ID:KT9v3VMJ0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 23:53:33ID:3SgJ/d9mこれしかない。そうすれば一生手を出せなかったろうよ。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 00:09:28ID:LHCVatDw0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 00:34:17ID:TfcxIk4R天下を平和にしたのが秀吉なのに、その秀吉が人殺ししてどうするんだよな?
ただの大王だよ
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 07:28:59ID:U2qJXFVVちっぽけなただの武家になるしかないでしょう。
00469io
2006/08/31(木) 11:41:33ID:e53Pf4II2家康を暗殺する
3秀次を後継者として明確に位置づけ育成する。
この3つのうちどれかを秀吉が生きている時に実行出来ていたとしたら
後の歴史はだいぶ変わったものになったのではないかな
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 12:00:17ID:mv/fLTqa( ゚∀゚)彡
( ⊂彡
| |
し ⌒J
もし大阪夏の陣で武田信玄、上杉謙信が生きていて、西軍にいたらどうなってたかなあ?
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 13:01:48ID:qwDSd3WM同じことを家康がやっているな。
・唐入りをやめて内政につとめる
・豊臣家を処分する
・秀忠を後継者に確定し、将軍教育を行う
まぁ、それがしっかり出来ていれば、長期政権も夢ではなかったかもな。
(もっとも、家康の場合は他にもいろいろやっているが)
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 14:32:54ID:QFAdphVh0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 14:36:40ID:kjuyS6JOどうやっても滅ぼされる。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 14:58:08ID:sBSHaRmm大阪城を捨てる。
豊臣の姓を捨てる。
65万石の所領を捨てる。
そして
数万石くらいで関東に所領を宛がわれ高家筆頭にでもなれば
生き残れた可能性もあろうが・・
それも1代限りで家が継続したかというと難しい。
実のところ家光の代には春日局という明智よりの黒幕がおり
それが細々とした豊臣の系脈を摘み取ってしまう可能性が高い。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 15:12:44ID:sBSHaRmm系譜を残すのは可能。
実際実行してるな。(その2については微妙だけど)
その1
関白秀次の弟と淀の方の妹の子 豊臣完子を
養女とし九条家に嫁がせ女系として公家に豊臣の系譜を
密かに残す。完子の実母は家光の母だから手出しも出来ない。
その2
こっそり国松を替え玉にして本人は九州の木下家に落ち延びさせ
ころあいを見計らって木下家の子として分家させてしまう。
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 16:10:35ID:g1ZHg0x42はかなり危険。動乱の引き金になりかねない。
家康の豊臣処分も関ヶ原から15年もかかってる。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 20:14:05ID:lRPKNTd1彼が存命なら豊臣の安寧は間違いなかった
00559io
2006/08/31(木) 20:45:03ID:e53Pf4II彼は英雄や大人物ではなかったが堅実な領国経営が示す通り治世の統治者としての
才覚は十分にあった。
実子が誕生しても秀次を後継者として育成し次代の天下人としての位置づけを明確にする
度量の広さが晩年の秀吉になかったことが悔やまれる。
その点で三国志の孫策は偉い。実子の幼少と弟の有能を認め孫権にすぱっと
後を譲っている。
すでに関白にまで官位が昇進していた青年秀次が秀吉の死後正式に跡を継ぐことが出来た
なら武断派と文治派の内紛や家康の問答無用な専横もある程度は抑制することが
出来たのではないか
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 20:46:32ID:/2IWnT2q0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 20:53:14ID:/2IWnT2q0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 21:16:08ID:sBSHaRmm芸術家みたいに、自分の作品だから他人の手はつけたくないというみたいに
ある種天才特有の奇人癖というか
そういう意味で家康は経験をつんだ“努力する凡人”だったわけだ。
秀次は未熟ではあるが“努力する凡人”ではある。そして才腕もある程度あった。
彼顕在なら豊臣家は朝鮮出兵の後始末から江戸時代のような治世への移行を
なしとげられたかもしれない。
“努力する凡人”ってのは自分個人の能力を頼らずに他人の才腕や能力を活用したり
組織や法度での規律を重んじたりするからな。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 21:42:58ID:dmiOZxw2どうみても妄執一杯で豊臣家を残そうとしているが。
単に、実子の秀頼の地位を脅かしそうなやつを排除していったら、
秀頼を守ってくれる血縁すらいなくなっていたってことさ。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 21:44:22ID:TfcxIk4R最初から天下握るなよー。
織田家潰すなよー。
コピーは「乱世を、再び。」
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 21:45:24ID:TfcxIk4R必死に擁護しすぎww
ある意味天才w
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 22:03:50ID:uknx7YAw0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 22:06:45ID:Um6fSkpk地方分権体制を維持したい秀次と諸大名の図式じゃないの?
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 22:11:26ID:dmiOZxw2なんでも政治的・合理的な解釈を付け加えようとするのは、
後世で歴史を見ている人間の悪い癖だ。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 23:31:24ID:LHCVatDw秀頼の将来に秀次が邪魔になった、って素直に考えた方が良いよ。
まあその対立を煽った連中もいただろうが、基本的にはただそれだけの理由だろ。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 22:59:28ID:T30a80RK後に東軍に付く香具師らはお咎めなしな件
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 23:07:06ID:TfITSGUQ発給文書を見れば解るよ
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 23:08:22ID:lmXrtZCP0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 23:12:02ID:MXmVRpqp無駄な乱が防げる。
もっとも、潰す理由も将来の乱の芽をつぶすためだが。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 23:25:38ID:TfITSGUQ最上も娘を秀次にやってるけど、秀吉に通さないでやってたとしたらどうだ?
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 00:33:23ID:sauR9TqC秀次に関しての豊臣家内の事情は複雑だからなあ。
秀吉も最初は自立を促して、まがいなりにも朝廷の主催や大名統率をさせたりしている時期が
あるわけで。その間なら秀吉を通さない事も普通に考えられる。
しかし秀吉も実際に自立した政府として秀次周辺が機能しだしたとたんに秀次を警戒し始め、
お拾いが生まれるともう決定的に対立関係に入るからな。
自分から登らしておいて、やっと登りきったとたん梯子をさっさと外したわけで、秀次には
たまったもんじゃなかっただろうな。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 01:42:15ID:nn6ATnH60073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 01:48:06ID:VDGlIzcL転進する気になればできていただろう
当然大坂城は手放すことになるけど
あぼーんして族滅よりはずっといい
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 09:02:11ID:VLvvWJal豊臣ファミリーにしては珍しく生殖能力が高い人だったのにねぇ…
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 11:22:21ID:bWniqOa5姉の子だからじゃないの?姉んとこは結構子供が居たぞ。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:45:16ID:Ugrr2300賤ヶ岳七本槍の面々は秀頼に味方しただろう。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:04:03ID:9cByoz6mねねが戻って来る→ねねの子供達と言われる黒田、福島などの結束高まる
家康は容易く手が出せない
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:33:31ID:yEbYfxgz三成の存在は?
朝鮮から帰ってきた後、清正とか正則らは三成を襲ってるんじゃ…。
そのあたりで家康のつけいるすきがあるんじゃない?
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:41:11ID:FAjIta2c2 秀次の子孫まで罰されなければ生き残っていた
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:43:41ID:TqPC/zeO0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:43:44ID:FAjIta2c0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:47:58ID:+M+isL1P淀じゃなくてねねがもっていればよかったんじゃないか
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 00:10:03ID:6GOGt0CP淀は豊家と主筋であった織田家の血を継ぐ男子を産んでいる。
これは血筋的には戦国時代を平定した第一功労者の正当な世継ぎとなるに相応しい血筋だと思われる。
淀の功績は大きいと思うけど…。
血筋をうまく利用して、「戦国平定の第一功労者の血筋から、家康が天下を簒奪しようとしている」というような構図を描けていれば、戦略的には勝ちだ。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 00:30:52ID:Bor89BvZ0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 01:10:28ID:OmkzrHJt家康にはちょっと加増してやり、あくまでも家康は臣下であるとの立場を全国に示す。
次に家康が挙兵すれば逆賊・家康になるから容易には手出しできない。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 02:22:35ID:f0Z6hEKK結果、豊臣家はご安泰。
ただ執政官を三成にやらせても
どうせ淀殿が引っ掻き回して、結果ぐだぐだ。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 19:04:22ID:p0NGxYu7朝鮮出兵なんてせずに治世に専念してれば。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 00:18:49ID:N590pCdzまったく同感。
徳川・毛利・上杉・伊達・織田・長宗我部・前田・最上・島津などなど、
多少なりとも脅威がある大名家は徹底的に族滅すべきだった。
ありとあらゆる謀略をめぐらして謀殺・改易を大規模に展開し、
全国の守護を羽柴・木下一門と譜代家臣たちで独占する。
北条家のような冷酷非道さが羽柴にも必須だったといえよう。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 01:30:23ID:7iIU4GQN武門一辺倒の福島などでなく政治・統治手腕のある配下をおいていればあるいは。
三成や浅野に4〜50万石の大封を与えて尾張など統治させてればどうだったか。
というか家康自身が関ヶ原後尾張を重要視して大藩にしてるし。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 01:33:30ID:/vLnNf7e家康の偏諱を受けて改名していればなおよし。
羽柴の名字を返上して松平を名乗っていれば万全。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 01:52:53ID:Fe/0zsg30092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 01:57:38ID:Fe/0zsg30093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 02:01:53ID:FvTOQbNW秀吉生前ですら滅ぼせなかった家康を!?
嫌がらせの関東移封を逆手にとって、秀吉晩年には「日本最大の金持ち」と言われたほど
さらに勢力を大きくさせた家康を!?
五大老筆頭として、すでに実質日本国首相だった家康を!?
どうやって?
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 03:22:27ID:oR7l1NOG簡単に族滅できたんじゃないか?
ついでにその取り巻き連中もまとめて族滅すれば
ますますスッキリして言うこと無し。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 04:39:54ID:L1eM3aLp0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 05:04:53ID:7W28FrYX豊臣家から石見銀山や佐渡金山の権利を奪い取ってから
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 05:10:55ID:FvTOQbNW違うよ。秀吉生存時から既にそういわれている(実質はともかくな)
宣教師の記録にも、「諸侯のうちもっとも裕福なのは江戸内府、二番目は広島宰相(毛利)」と
書かれているほど。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 05:16:14ID:7W28FrYX日本全国の金銀山を直轄地にして、堺や博多の利権を独占した秀吉より金持ってるわけないでそ
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 07:09:02ID:lvnyhQSE豊臣家は宣教師からみれば日本国そのものなわけだし
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 08:15:10ID:xJ95l7Yc0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 09:07:17ID:7piuHedO西軍の離散させ周辺の戦地に送り込み
岐阜城を見殺しにした事は小さくない。
徳川家康到着前に大垣城、岐阜城ラインで防衛ラインを敷き
正則たちの進軍に対して逆にやっつけていれば
家康は容易に美濃に進軍できなくなり持久戦に持ち込めてた。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 09:43:33ID:FvTOQbNW後出しじゃんけんそのものだな。しかも現実性皆無の。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 10:07:12ID:7piuHedO断言口調で言ってるが、それは怪しい。
秀頼が生まれた時点で、秀次・秀長の両者を狂った秀吉がまとめて処分した
可能性は小さくなかったからだ。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 10:35:18ID:zn91mjGB徳川と徳川シンパをまとめて出しておけばよいんじゃね
「この日の本に徳川殿以上の戦上手などおりませぬ」
とかなんとか言えば狸も嫌とは胃炎だろ
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 11:08:55ID:3Ai/uyI+0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 11:14:05ID:G/T5pGwDまあ完全な後知恵だが。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 11:27:56ID:7piuHedO「豊臣家」は生き残った。
実際に、北条(伊勢新九郎に家督譲り)や
上杉(長尾影虎に家督譲り)が使った手だ。
上杉家なんか養子だらけで、米沢藩藩主は上杉の血も長尾氏の血も
全く受け継いでないが、それでも「上杉家」は立派に生き残った。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 11:41:40ID:dEz8UNck朝鮮半島は加藤・小早川あたりが足がかりに当地して、中国大陸の北東部くらいは豊臣領に。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 14:12:52ID:0+vQzpioあちらこちらに女に手を出してたんだから。
捨て子として生きた子もいるはず
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 14:37:46ID:hoiX7oW7>上杉家なんか養子だらけで、米沢藩藩主は上杉の血も長尾氏の血も
>全く受け継いでないが、それでも「上杉家」は立派に生き残った。
は?
ちゃんと血のつながりはあるが。
長尾為景から謙信と謙信の姉が生まれ、謙信の姉から米沢藩初代藩主景勝が生まれる。
4代目藩主綱憲は養子といえども3代目藩主綱勝の妹と吉良上野介の息子だから血のつながりはある。
9代目藩主鷹山は上杉の血が薄いとはいえ4代目藩主綱憲の曾孫にあたる。
鷹山を上杉の血筋と認めなかったとしても10代目藩主からは8代目藩主重定の血筋に戻っている。
つまり長尾上杉家の血筋は現在も脈々と受け継がれているわけ。
謙信の血筋が絶えたというなら話は別だが。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 01:58:19ID:re50fmxJ0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 02:15:25ID:w+u4UshXまあ、移封させた時の関東なんて、生産高は低いは未開の地ばかりだわ
北条遺臣も暴れまわっているわ農民の気性もむやみに荒いわ、なにより江戸は
交通の便がいいだけで、大諸侯にふさわしい首都にすることを考えるだけでも
気が遠くなりそうな寒村に過ぎない。そんなところに東海5カ国から大量の家臣団を
移住させなければならない…。
いくら秀吉が頭良くても、流石にこれじゃあ徳川も弱体化すると思うだろ。
まさか前にも増して力をつけるなんて、夢にも思わなかったに違いない。
0113
2006/09/08(金) 02:48:39ID:TpLy+6f/清正も正則も如水には逆らえなかっただろうし
三成も利家亡き後は大人しく、如水に従えばよかったのに・・
ま、そうなれば豊臣家の実権は全て如水に操られる訳だが・・
しかし、相手が如水となると、家康も、そう易々と豊臣家に手出し出来ないはず
0114
2006/09/08(金) 02:51:18ID:TpLy+6f/これで、米ソ冷戦みたいに、力関係が拮抗して
両雄、身動きが取れない
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 02:55:48ID:w+u4UshXつまり徳川と黒田に間に話さえ通れば豊臣家は滅亡ですな。
めんどくさい豊臣家を通すより、天皇家から将軍なり何なりいただいて新体制作ったほうが
スッキリする。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 03:01:24ID:RSnxvrdF戦術家・戦略家として才能がある事は認めるけど
家康と対等だとは全然思わないな。
如水のために命を捨てれる家臣の数も家康や
その他の大名と比べても少なく五大老なんてのも評価しすぎだと思う。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 03:08:52ID:w+u4UshX仮の話を妄想するだけだからねw オレも正直如水は、戦術戦略には優れているんだろうけど、
朝鮮の役や関ヶ原での戦の仕方を見ると、黒田家の内部に限ってすら統率力が決定的に
欠けている、と感じますな。
アレじゃあ天下は取れませんて。
0118
2006/09/08(金) 03:24:57ID:TpLy+6f/しかし、東軍の面たる豊臣恩顧の武将が
家康に着くことを阻止できたと思う
例えば、関ヶ原が長引けば
如水は清正に島津を攻めさせようとしてたし
清正も家康と一緒に関ヶ原には参戦しなかったが
如水に誘いには従順に従いそう
0119
2006/09/08(金) 03:29:37ID:TpLy+6f/清正や正則などの武闘派が三成が嫌いという事を利用した訳で
三成以外の秀吉所縁の有力家臣が豊臣家の音頭を取ってたら
そうは、上手く利用できなかったと思う
で、利家亡き後は・・やっぱり黒田如水しか残ってないでしょ
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 03:35:05ID:w+u4UshXそれじゃあ如水が三成の変わりに挙兵するのか?
もうちょっと落ち着いて推敲した方が良いよw
だいたい如水は先ず三成ら官僚派に政権から追い出されてるし。
そこを突き詰めようとしたら、秀吉生存時の武将派と官僚派の政争の結果から
変えていかないといけない。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 03:39:14ID:RSnxvrdF家康=利家>輝元>三成>如水だと思う。
一声で10万以上の軍勢をかき集められたのは
五大老では家康と利家だけで
輝元は元五奉行筆頭の三成とコンビを組んだので10万程度の軍勢を
表向きだが集められたんだと思います。
如水が声をかけても、それだけの兵は集まらないし
司馬遼太郎は如水が故郷の播州で募兵すれば家康と対決できるほど
兵が集まるような事を言ってたけど、それは無い。
旗頭として秀頼もしくは家康をたてなかったら募兵しても
それほど大きな兵は集まりようがないと思います。
寡兵で大軍を破る事はあるから絶対に如水が家康に敵しえないとまでは
言えないけど、やはり一方的に家康が有利である事には
かわりないと思います。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 04:09:06ID:3Y0PUghs黒田家が割れて収拾がつかなくなるだけ。
第一、豊前半国の石高と地理条件では何もできんよ。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 04:19:26ID:28JziTp7黒田家に恩顧を纏める求心力などないし、あくまで豊臣家に尽くす
理由もないんだが…
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 04:31:14ID:w+u4UshXむしろ豊臣家と言うか秀吉って、清正や正則なんかよりずっと譜代と呼んでいい
黒田家や蜂須賀家、池田家とかを意識的に政権から遠ざけているよね。これを上手く使えば
徳川幕府における本多、酒井、井伊家になれただろうに。
なんなんでしょうな、これは。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 05:30:05ID:28JziTp7内政的には中国国次(対毛利家の外交窓口)をともに務めたこともあって、
いわば同盟関係にあった。
これが、文禄・慶長の役で黒田如水と蜂須賀家政が立て続けに失脚。
黒田家が長年受け持ってきた中国国次の後任は、三成。
この時点で、両家は政権内での権力闘争に負けて遠ざけられてる。
長政や如水にとっては、三成は内政でも政敵なんだから西軍につくわけない。
もともと黒田家は豊前の検地も自己申告を許されてるから、
明らかに準外様待遇なんだし。
池田家の扱いもよくわからん。
同じ織田の旧臣である前田や蒲生の厚遇振りに比べて、
池田は豊臣家への貢献のわりに、明らかに冷遇されている。
別にもとから親徳川ではなく、輝政が父と兄の仇である家康の娘を娶った
のも、太閤の命令だしなぁ。
0126
2006/09/08(金) 12:59:02ID:TpLy+6f/>>それじゃあ如水が三成の変わりに挙兵するのか?
挙兵するんじゃなくて、その挙兵する必要を押さえる事が出来ると言ってる
>>121
>>一声で10万以上の軍勢をかき集められたのは
五大老では家康と利家だけで
関ヶ原合戦時に、実際に如水は10万の兵を集めたよ。そして、何より
家康の一声で豊臣恩顧の武将が集まるのを抑止させる為にも如水が必要
>>122
>>第一、豊前半国の石高と地理条件では何もできんよ
石高は唯一、秀吉によって自己申告を許されてたから
実際は60万石近くはあった。その分、中央から離された僻地なのは否めないが
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 13:22:49ID:+i51YWfnはっ?
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 13:49:18ID:LFDEyGG2確かに徳川の譜代に対応する(はずの)黒田・蜂須賀・浅野の2代目は、
もうちょっと政権中枢に組み入れてやれば、豊臣方に残っただろうにな
あと細川忠興も小牧・長手から九州征伐、小田原征伐、文禄の役と
転戦つづきで軍功も上げてるのに、織田家のときの石高から加増されてない
家老の松井康之を石見18万石で大名に取り立てようとして断られてるのに
それどころか秀次切腹のときは、連座して窮地に追い込まれる始末
異例の大厚遇した蒲生と前田は、肝心なときに死んでしまって機能しないし…
運もないんだろうけど、なんか秀吉の家臣の扱いが下手な気がする
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 14:00:39ID:LFDEyGG2>実際は60万石近くはあった。
これはどう考えても、筑前52万石の黒田家が実高57万石だったのと勘違いな。
豊前中津時代は、表向き12万石、実高18万石程度(最大で20万石くらい)
だったといわれている。
検地で低めに申告して名より実をとったんで、実際より豊かだったのは事実だが。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 15:30:38ID:RSnxvrdF実質的な防衛策をろくに講じてないのが致命的だよな。
それとも自分が宇喜多秀家や織田信秀を保護して立派な大名にしてあげたように
家臣の誰かが徹底して秀頼を保護してくれると信じてたのだろうか?
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 16:14:48ID:RSnxvrdF随分、馬鹿な事をしたよね。大阪城夏の陣以後、3000石くらいの捨扶持を与えて
下総のあたりの寺で坊主でもさせて監視し
自分の死後に秀忠の代でイチャモンつけて殺害させれば
家康自身が、それほど汚名を被らなかったのに・・・
実際に曹操は魏王になっても汚名を恐れて帝位簒奪は息子の代に任せたし
司馬懿もそうだった。それとも魏や晋がすぐに滅んだ事を参考にして
汚名は全て初代の家康自身が被る事にして秀忠の名は一切汚さない事が
最初から目的だったなら、もう頭が下がるだけだ。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 19:14:16ID:w+u4UshX君基準ではどうか知らんが、家康は現在でも人気あるぞ。信長より下だが秀吉より上、程度だ。
ついでに言うがその君の上げた曹操だが、中国ではボロクソの赤ら顔の悪役だよ。中国の人に
「曹操が好き」って言ってみ?「こいつキチガイじゃないか?」って目で見られるから。マジで。
中国の歴史上最悪の独裁者と言っていい 明の朱元璋のほうがまだ人気ある。
はっきり言えば中国における曹操のイメージは、歌舞伎の忠臣蔵における吉良上野介とほぼイコール。
スレ違いスマン。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 19:17:22ID:QqLA9dKI朝鮮出兵は言うに及ばず、伏見築城の課役だとかいじめのようなことばかりで。
これじゃあ、生きている間はいいとして、死後は豊臣から人心が離れるのは当たり前だ。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 19:30:08ID:TjilcPqZ0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 21:46:19ID:MMejrGg+きっと132の住んでるどこぞの半島国家ではそうなんだろ
秀吉に昔攻め込まれてるからなw
相手にしちゃいかんよ
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 21:49:31ID:rcrwTIru0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 22:35:03ID:TjilcPqZ現実社会に対応できるかしら・・・。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 23:30:24ID:r9YrqAZW「中国では、曹操は毛沢東が再評価したこともあって、
第二次大戦後すごく印象が変わった人物です。
今では悪いイメージがあまりないんですよ」
と、中国人の留学生に直接聞いたんだが…
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 02:25:01ID:cEq30glmあとの文治派と武断派の間には、
あまり対立する要素はないんじゃないのか?
ぶっちゃけ、三成が恩顧が割れた原因のほとんどというか
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 02:28:40ID:wY1fFEPFその場合、誰が豊臣政権の基盤を作るの?
武断派には無理だろうし、
いつかは粛清、又は力を削いで閑職に追い込む必要性があると思うんだけど。
それは早いに越した事は無いんじゃないのかなぁ。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 02:46:26ID:Qptk+HQO0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 02:56:25ID:cEq30glm古参や武断派を切るのが早すぎるんだよ。
徳川だって、武断派捨てたのは本当にいらなくなってからだし、
その頃には、もう大方年を取って死んでたから、さほど揉めずに文治に切り替えられたわけ。
代々仕える譜代が多くて忠誠心が高い徳川でも、武断から文治に切り替える際には
苦労してるのに。
秀吉みたいに一代で大名になった家臣を、不要となればあっさり切ろうとすれば
そりゃ東軍につくわ。
しかも、いわば同僚(三成)にリストラされてたまるか。
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 03:05:15ID:wY1fFEPF言いたい事はよく分かるんだけど、それまでの繋ぎはどうするのさ?
成人するまでの10年程を近場だと浅野とかに仕切らせるの?
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 03:16:08ID:cEq30glm三成以前に、古参が武断派が受け持っていた内政・外交職って多いわけで。
正直、三成ひとりいなくても、豊臣政権の行政は十分まわるよ。
官僚組織ってそんなもんです。
つまり、徳川の譜代が、石高少なくても老中に選出され幕政を担ったように、
古参や武断派の2世代目を譜代化して、政権の中枢に組み込んでやれば
よかったと言ってるの。
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 03:27:05ID:cEq30glmうーん、例えば124や125、128あたりが言うように、
蜂須賀や黒田、切腹させてしまった前野などの古参とその2代目とか。
細川・池田など織田旧臣で家格のいいのは、外様でも井伊家みたいに
譜代扱いしてもっと重用してやればいい。
浅野は、豊家と姻戚関係にある、いわば徳川の酒井家みたいなもんだから
もちろん父子ともに譜代の中心にすえればいい。
長政は行政官としても、優れてるんだし。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 08:55:06ID:peXEWgSq0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 13:33:54ID:JjfKBP700148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 14:44:27ID:6Nx75JHH* 徳川家康 …娘婿
* 前田利家 …織田家臣代表
* 宇喜多秀家 …豊臣一門扱い
* 毛利輝元 上杉景勝 …中国大返し以降秀吉に協力
政宗は小田原攻めの時点でやっと秀吉の元に来た位だから、とてもじゃないが五大老に入れるような信用は無いわな。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 02:16:55ID:a4YG2ZPe徳川家康、上杉景勝、前田利家、毛利輝元、島津義弘、佐竹義宣が秀吉から認められた六大将。
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 02:29:59ID:PurkRLOX遠すぎる・・・
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 07:52:30ID:elCVSGRY豊臣が切るのが早いって訳でもないと思うが、
徳川も忠勝や康政生前から2人よりは本多正信を重用してたし、
1612年には忠隣が失脚させられてる。
切捨てっぷりならむしろ徳川の方が凄いんで、
武断派が家康についたのは単に秀頼が幼君だっただけだと思う。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 08:30:01ID:0b74fsuX素朴な疑問
大久保一族の失脚が1612年なら、豊臣に比べて十分遅いんじゃないの?
秀頼の時代に起こるようなものなんでは・・
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 08:42:29ID:0b74fsuXやっぱり秀次失脚の影響も大きかったんじゃないか
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 09:19:42ID:yQwCWU/v徳川の武断派は、先祖代々松平家に仕えてるから我慢もするけど、
豊臣の武断派は初代かやっと2代目だからじゃないかな。
同じようなことされても、耐えられないというか。
>>153
秀次には、秀吉に冷や飯食わされてる諸大名や豊臣恩顧の傍流を
フォローする機能もあったしね。
地理的に豊臣政権から遠く接近が遅れた地方の諸大名は、
秀次を仲介して政権との関係を保ってたのに、失脚で混乱。
関東・東北では、かわりにその役割を徳川に頼るようになった。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 15:56:27ID:UIKa2HFN「豊臣家」ではなく「羽柴家」と書くほうが
より正確なのではないかと。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 16:12:34ID:u9m5Q0tb0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 16:47:56ID:leQY4QHO宇喜多直家を見てると、暗殺って意外に簡単な気がしてくるけど、
ありゃやっぱり暗殺の天才だったんだろうな。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 17:31:07ID:QZF3ci4B0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 17:32:42ID:gp2eLO3h0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 17:36:35ID:7SZ6O1O5何代目だか忘れたけど、刀引きずって城内歩いて鞘が落ちたけど気付かぬふりして
江戸城の廊下の畳を全てズタズタにしたって奴。
さすがに幕府も面目があるから帰る時には新しいのに代えてたらしい。
でも、その新しい畳をズタズタにして帰っていく前田殿。
そんな毎日の繰り返しだったみたいだね。本当かいな。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 17:59:40ID:TNdev5fW3代目の利常はエピソードに事欠かないな。鼻毛を伸ばしてみたり
立小便禁止の立て札のところでわざと立小便したり。
あまりの見苦しさに側近からも苦情が出たが
「家を守る為に馬鹿を演じることなどたやすい」と重臣に耳打ちしたとか。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 18:07:13ID:vtlEc7Ke>「家を守る為に馬鹿を演じることなどたやすい」
こっちの理由は後付で、本当は人から白い目で見られるのがたまらない、ドM志向だったと
想像してみる遊び。
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 18:16:57ID:kNWwV4u10164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 18:24:37ID:vtlEc7Keでは知ったかぶりでないご高説をどうぞ?チンカスさん。
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 18:41:32ID:PqZ/ZlUh0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 19:34:47ID:TR7hzj4V0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 19:38:08ID:vtlEc7Ke利常「その発想は無かったわ」
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 20:26:01ID:XWGIHZPo真実は、
本当にバカだったので、家臣が「バカなフリをしていただけで実は賢い」と
噂を広めて家の取り潰しを逃れた。
前田家の加賀藩は100万石だから馬鹿のふりしないと幕府に警戒されたんでは?
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 20:53:35ID:gSIXURpiソースおせーて
0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 21:42:56ID:Q76BrL9+0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 00:00:07ID:jrY78sDo自分の子供達に羽柴姓を名乗らせ、忠義を太閤 秀吉に見せれば生き長らえたのに・・・
豊臣ー羽柴 徳川ー松平
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 02:09:19ID:7L82QsQQすまんが言っている事の意味がまるでわからん。
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 05:55:10ID:G6oZgR+nだから例え秀次が後見人になったとしても・・・まあ前野氏ら譜代が生きている事は大きいかもね。
0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 19:15:35ID:XF2GaLoZまるで足利幕府のようだよ。しかも外様の徳川を五大老として政権内に入れちゃって
権力を持たせちゃった。これは大きな失敗。徳川は外様にある程度の領地を持たせたけど
手伝い普請で財力を削ったり遠方に追いやったり譜代を効果的に配置して牽制したり上手かった。
もし、徳川を200万石以上で存続させるなら奥州に追いやるべきだった。
それが出来ないなら駿遠三に前田家を配置して牽制させるべき。
関が原の時に尻尾ふるような小粒の連中を細かくして置いたのは大失敗だったな。
あと、これはどうしようもないことなんだけどあまりにも秀吉の一族が少なかった。
秀長が小梨でアボーンしたのはマジ痛かった。もし、早死にせず、しっかりとした後とりが居れば
駿遠三に封じてもよかったのでは?それと秀次の扱いだね。あれは駄目だ。
明と陸続きの朝鮮じゃなく、フィリピンか台湾なんかを取って南方への足がかりにすべきだった。
家康を豪州守に任じてしまうのもいいかも。
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 13:15:28ID:pDXAyczj家だけは多分残るんじゃないか?
まあ本末転倒だがな
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 13:39:20ID:ChS8lZbz死んだ後も秀頼に対しては孫の千姫嗣がせたり官位を右大臣にしてやったり、潰すような事はしていない
。
江戸政権は戦乱を終わらせ安定した平和を構築することが大儀で有ったと思う。
征夷大将軍になって、豊臣家がいくら頑張っても絶対に勝てないほどの力の差が出来たのだから、従っていれば無意味な戦争で潰されはしないだろう。
大坂の陣なんて、豊臣家60万石しかないのに二回も戦争やって赤字がすぎるからな、手柄を与える為に福島と最上が潰されてしまった。
豊臣家が潰される順番にしても、大阪城に浪人集まってきて、反乱の兆しあり>家康高齢でいつ死ぬか解らんので>仕方なく先手にいちゃもんつけて、>大阪の陣>滅亡。
0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 14:33:50ID:79YsX6iG鐘銘問題で家康がイチャモンつけたのと
大阪に浪人集めたのは、どっちが先だっけ?
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 14:36:17ID:z6bsCvtT0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 20:29:09ID:9QJ4AUyz伊集院リスナー乙
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 21:51:08ID:3/1hlErG浪人集めた方が先。
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 22:41:23ID:zD7kkqZt淀君と北政所の確執も大きいけどな。武断派は北政所に頭上がらんしね。
0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 00:28:06ID:hbE0mFZp誰か止めてやれよ
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 00:38:05ID:0BT6p666利長はやる気満々だったんだろ。ただ、利長について対徳川戦争を起こす為立ち上がる奴らが
想像以上に少なくて、負け戦をしたくない利長は屈辱を呑み込み講和、ってことなんじゃない?
昔自民党であった加藤の乱、あんな感じ。
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 01:14:08ID:VHhkuOnj0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 14:04:52ID:SmRWuA9U「三成ぃ、ワシも馬鹿じゃがお主も馬鹿よのぅ、ふぉふぉふぉ」の人は自己満足で家臣を死なせただけだし。
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 14:11:17ID:oMy0r3E92代目の利長などは気をのまれ、ビビリまくり、
平身低頭で膝を屈した。
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 14:17:51ID:rZg3ra8z確かに家を保ってこそ大名だとは思うけど、大谷のことを悪くは言いたくないなぁ。
前田と同じように上手く立ち回っても、意地とか義理を見せた豊臣恩顧の大名も
いるわけだし。
豊臣家への義理も立てて名も守り、しかも家も保った蜂須賀家政とか、
立派なもんだと思う。
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 14:20:56ID:GzwSA7Xi完全にまとめるのには時間的余裕が無かったと思う。
もし、代を継いで数年たち家臣団が一致団結して利長の命令に
服するなら利長も行動の自由があったが
芳春院の言うように利家ほどの器量を部下が認めず
二代目利長への忠誠心が固められてない以上は
家康と戦っても、調略や家臣の寝返りにより
ボロボロにされて、かつての武田狩りのように一方的に
狩られるだけだったと思う。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 15:06:16ID:TGQUfGJ+前田は、徳川家への抑えとして、実績の割に異例ともいえる
大厚遇をされた分、
一番肝心な時に利長がほとんど役に立たなくて、
どうしても期待はずれ感が大きくなるんではない?
逆に蒲生氏郷のスペア扱いで、小早川隆景の補充で五大老になった
あまり期待されてなかった上杉がやけに頑張ったのも、
前田の評判には影響あるかもな。
0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 15:11:33ID:QLZSGOTfそれなりに平和な世の奴じゃ同じ二代目でもな
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 15:56:37ID:xT75IRHHそりゃ上杉の意地にかけても、名をとるさ
0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 18:38:50ID:W2aJw4m5御機嫌伺いの使者を出し、伏見か二条あたりで臣従の礼をとる。
家康が死ぬのをひたすら待つ。
秀忠の代になると付け入る隙もでてくると思う。
大阪を出て淀を人質に出し、臣従してもいつかは改易され
よくても万石以下の旗本のような扱いか他家預かりになるぐらいだろう
0194名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 19:41:20ID:Q0992gCK0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 21:09:44ID:A+r3ZWeB0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 21:10:21ID:A+r3ZWeBいけねっ
小造具政
0197勇魚 ◆Cl39TXJnDE
2006/09/13(水) 21:31:26ID:xpa157kd0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 01:07:24ID:grryLxrX>そりゃ上杉の意地にかけても、名をとるさ
逆にそれが景勝のダメな所でもあるがな。
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 19:04:17ID:PpzGufCd0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 15:25:17ID:Asf1XohV0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 18:05:34ID:4te6BxjR0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 19:29:32ID:B/NXct9G豊臣政権は重税だし、日本国内も諍いでガタガタだったから、
存続したとしても江戸幕府のような磐石なものではなく、室町幕府みたいな脆弱なものになったと思われ。
所詮は豊臣秀吉の個人政権よ。
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 22:35:36ID:jNoy+lGw0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 22:42:13ID:4qwXFZ5e0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 22:45:37ID:mU/KUk1d0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 23:02:59ID:2dzGmMby0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 01:19:14ID:etgt1wLkかなり遅いかったから、秀吉としてはあまり肉親としての情が移らなかったのかもな。
むしろ血の繋がっていない豪姫や宇喜多秀家の方が実の子供っぽい感じがする。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 01:21:40ID:lBzs9ie3秀吉が朝鮮出兵を始めたのもそんな理由が一つだと聞いた。
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 22:58:19ID:rvsSepeW大陸出兵は秀吉の陽気な野望の具現(実際は地獄)であって、
国内の不満を海外にそらすものではない。当時の日本の状況
から考えて長期の軍隊展開はそれ自体が不満となりうる。
あえていうなら日本国内における徳川というスーパーパワーを
相対的に無力化する資源確保かな。
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 17:51:04ID:0myoeYHD0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 18:14:06ID:rvGR+ToR加藤と息子黒田死んでたら、そんなに状況変わるか?
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 20:22:10ID:0NQPHC7sあんまり変わらんだろう
関ヶ原で黒田長政いなきゃ、あるいは西軍が勝ってたかもしれんが
あいつが張り切って調略したせいで、西軍は大迷惑
関ヶ原の清正はおまけみたいなもんだが
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 20:24:45ID:0NQPHC7s0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 23:26:08ID:GZHy9Ncy関ケ原で三成が勝ち、めでたく家康を討った場合、どうやって政権を維持していくか、またそこに問題が生じてくるのだろうか?
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:13:39ID:Fe/usqBL関ヶ原の西軍敗北の因は、もっと根本的な所から見直さないと無理だよ。
0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 04:11:34ID:vqvB3+cm一人二人でどうこうなるような政治状況じゃ無いしね。
ぶっちゃけ豊臣政権の土台作りのところからやり直さないとどうにもならない
部分すらある。
豊臣政権の構造的欠陥は、秀吉がいないと何も機能しないことだ。
0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 14:53:52ID:i286e6hIそれだと
東軍が勝って空洞化していた豊臣から徳川幕府への権力の委譲があったように
西軍が勝っても豊臣政権は空中分解して別の政府に権力は委譲されていたということに
なるってことになる。
家康は「豊臣政権の構造的欠陥」を十分理解していて、その間隙を突いて
別の政権を作ってしまえたが
三成も官僚的資質から「豊臣政権の構造的欠陥」くらいは十分に理解しているだろうから
西軍が勝っても秀吉の残した豊臣の形は放棄して別の政権を作ってしまうかもしれない。
0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 15:08:49ID:6hDHWBjS一大名程度でも存続させられればいい、てコンセプトなわけで
政権が別になろうとも、三成の経歴や周辺の政治状況から言って
少なくとも三成の代で豊臣を絶つような事はしない、というかできないだろう。
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 16:03:16ID:zOPgb2Ehでも徳川は難癖を付けてくるだろう。しかし、影響力もあるし、なにより、宇喜多や石田みたいなのが生きているからちゃんと補佐してくれるだろう。
石高は百万石くらいは維持できそう。
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 17:50:02ID:NcvnjiPf徳川政権下でってことなのかな?
大坂城に百万石で置く事は無いと思うよ
個人的には>>215 の言うとおり、秀吉死去の時点でジリ貧だと思うから、
大名として残ろうと思ったらよほどうまく泳がないと難しいんじゃない?
0221名無しさん@お腹いっぱい
2006/09/24(日) 19:31:32ID:9ZBCkDgGあとあと禍根を残しそうな家は徹底的に潰す
いくら小大名に落ちてもなんやかやと因縁をつけて結局お取り潰しになる。
まあその後秀頼の子孫を旗本に取り立てるぐらいにはなったかもしれんが。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 19:56:09ID:i286e6hI>>徳川政権下でってことなのかな
219のいいたいことはそれとは違うと思う。西軍が勝っていても豊臣政権は解体し、別の政権に
変わったと思うので、その政権下での立場でしょう。
主体的に動いてない豊臣家は東軍勝利の際も戦後処理は蚊帳の外で天下の主から転落したが
西軍が勝利しても戦後処理は蚊帳の外で天下の主から転落は避けられない。
なんせ「秀秋を関白にします」とか言っている時点で、しばらくは秀頼は棚上げして
自分達だけの政権運営しますといっているようなものだし・・
そしてたとえ西軍政権(仮の名称ですがW)で秀頼が実質一大名のような立場に
置かれても宇喜多や石田が政権にいるのだから、100万石の有力大名として
存続する道はあったのではないか?ということ。
0223220
2006/09/24(日) 21:25:29ID:NcvnjiPfそうだったんだw でもその場合、>>219の徳川家の難癖は大きな問題じゃないんじゃない?
ただ、西軍政権(仮)の存在を前提としても、大坂で100万石は難しいんじゃないかなぁ。
西軍政権(仮)の主導的立場に立つのは宇喜多や石田ではないだろうし(おそらく毛利)、
その人物にしても秀頼を盛り立てる必要性は特に無い。
関ヶ原の合戦に豊臣家が能動的に関わっていない以上、戦後処理についても史実のように
蚊帳の外だろうし、豊家の為という名目がある以上、恩賞の足りない部分は蔵入地が削られるんじゃない?
西軍政権(仮)盟主がどのような統治形態を採用するか不明だけれども、豊臣家の立場は微妙だし、むしろ邪魔。
宇喜多や石田は西軍政権(仮)の盟主に遠国に飛ばされるだろうし、その状況で少しずつ豊臣家に近い大名の力を
そいでいけば史実と同じような形になるんじゃない?豊臣家自体が強大な直轄軍を持っているわけではないんだし。
よほどうまく泳いで為政者からの難癖をかわし続けないと家を保つのも大変だし、
大坂居座りや100万石なんて夢のまた夢じゃないかな。
0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 21:28:42ID:X7ImdX2X同意。担げる人間をそのまま大阪で100万石なんて与えておくか?と疑問には思うな。
どちらにしても秀頼は転封か領地をかなり削られるでしょ。存続させれば、の話だけど。
0225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:33:20ID:zOPgb2Eh計百万石なら出来そう
0226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:36:52ID:mqokpps90227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:38:29ID:dHTFnPLm0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:58:14ID:NcvnjiPf豊臣の姓を返上して、徳川家に臣従した上で国替えを受け入れて、
千姫との間に男児が生まれたら秀頼が即隠居とかならまだ望みは合ったかも。
>>227
三成が野心を抱いて豊家に取って代わろうとしちゃうんじゃない?
三成と仲の悪い奴はよりいっそう徳川家に接近するだろうし、
豊家にとっていいことはほとんど無いんじゃないかな。
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 00:24:10ID:mpCi8iDRどうだろう。
漏れは西軍政権(仮)の盟主には史実の徳川ほどのカリスマはないとおもうし
秀頼の家系を鎌倉幕府の3代以降の将軍職のように扱って執権が
武家の棟梁としてやっていくようになるとおもう。
豊臣家は代々皇族や摂家の姫を娶って公家として棚上げされていく形で
生き残ったんじゃないかと思う。
ただ豊臣の蔵入地は政権に没収されてしまったろうが。
>>227>>228
秀吉は石田三成と増田長盛の2人に100万石与えるとしていた。
だから100万石になるのは二人。
三成に小早川秀秋の後の筑前を
増田長盛に大和大納言家の所領の後を与えようとした。
この2人が100万石をゲットしていたら長盛はあのような中途半端な態度を
取る必要もなく、石田増田とだけで徳川の石高に匹敵したであろうから
西軍の勝ち目もあったというがね。
0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 00:24:37ID:YYrtHmpW一応関白二人も出した事実は存在するわけだし。
0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 00:35:40ID:mpCi8iDR一応秀次の家系が大阪の陣の後でも関白になっている。
昭和天皇陛下も豊臣家の末裔だしね。
0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 00:36:20ID:4DovJWzh鎌倉幕府のように執権という統治形態を採用するなら、豊臣家にはより厳しいだろ。
前例がある以上摂家や親王でもいいんだし、豊臣家の存在意義は無い。
石田や増田に100万石ずつ与えてたら、太閤の生前に政権の危機が訪れるだろ。
朝鮮出兵中に軍功の無い近臣を大幅加増なんて怖すぎ。
0233名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 00:47:04ID:4DovJWzh皇室に無数に入り込んでいる血筋の一つに過ぎない。
皇統に完子の血が入っていても、「豊臣家」の末裔ではない。
0234奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/09/25(月) 22:01:17ID:HT5grWS4でも今上陛下に尾張の足軽木下弥右衛門の血が入っているのは事実。
九条家にも固いこと言いなさんな。
0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 09:18:58ID:AQu9gJPe> 鎌倉幕府のように執権という統治形態を採用するなら、豊臣家にはより厳しいだろ。
> 前例がある以上摂家や親王でもいいんだし、豊臣家の存在意義は無い。
それは源氏本流が絶えちゃったという結果の産物であって、絶えなければ豊臣関白だろうが将軍だろうがに複数執
権(室町幕府の管領家みたいな感じ)でも問題ない。
徳川幕府だって一度宮将軍という話があったが、血統的に全滅していたわけではないので傍系から後継を出してる。
政権が安定するに従い、所謂「大老・奉行制」が室町風の「三管四職」的な家格に付随するものに変わって行く可能性
もあるだろう。
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 22:46:24ID:F4eBLQgZ源氏本流が断絶した原因が、豊臣家にも降りかかるんじゃない?
ただでさえ、秀頼公一人しかいないんだし。
大体、西軍が勝利した場合、大坂城には毛利輝元が居座ってるんだよ。
大軍を擁して秀頼公を手中においている以上、複数執権制は考えにくい。
0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:17:51ID:8U1FsVUEその人たちの家が残ってたら豊臣家が生き残ったことになるのかな?
それとも、豊臣が姓である以上、直系の子孫にしか名乗りは許されないの?
0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:23:11ID:uRluNmnm何人か、どころかすげーいる。徳川家康はもちろん、なんとあの山内一豊にすら
豊臣姓は下賜されている。
まあつまり、そんなものは意味がない、って事だ。
0239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:50:22ID:8U1FsVUE朝廷から賜った姓だし、血の繋がらない人物に下賜してもだめなのかな。
羽柴の家なら残ってたりするんだろうか。
それとも、やはり、秀吉の血筋が残ってこその「生き残り」なんだろうか。
0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:56:43ID:2XOI119u豊臣姓を与えられただけじゃ子孫とは言わないな。
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:01:01ID:8U1FsVUE「生き残り」の使命を秀吉の血を引く秀頼のみに背負わせるとすると、
上の方で言われてるみたいに厳しそうだね。
なんかいい知恵は無いもんだろうか・・・orz
0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:38:46ID:zRsdJzZj周囲を家康嫌いな武将で固める。これしかなかったんじゃないか?
因みに元の領地が三河、遠江、駿河、甲斐、信濃
まず、上杉を越後、越中に持って来て、北から睨みをきかす
関東に宇喜多、佐竹
飛騨に真田
尾張、美濃、近江、伊勢辺りは、大谷、小西、石田、立花
これで家康包囲網完璧
0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:52:17ID:gxQfE5it0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:00:50ID:EZggLatm徳川はただの名字というか氏で、姓でいえば源朝臣だっけ。
>>242
嫌徳川が転封してきた場所に居た大名たちをどこに配置するか難しそう。
また、嫌徳川の転封前の場所に誰を配置するかも難しそう。
そのやり方だと大坂周辺に徳川寄の大名が集まってしまわないかな?
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:03:52ID:tkEX9joZそんなことしないで、蝦夷か朝鮮に転封させればいいだろ。
もしくは琉球
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:18:51ID:2LkrxWM40247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:27:14ID:2LkrxWM40248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:30:24ID:EvDP4wPtそれだと徳川の力は削れないのに、包囲網を作る人間は移転で力が減るが…。
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 05:34:22ID:xNaU3XwO0250名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 05:50:18ID:X7UUz4Hu0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 14:13:23ID:yqw8KRSX0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 16:27:58ID:tRtCIPjc0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 22:26:18ID:MhHpOcmK0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 22:49:25ID:sv3gQb/oただ、その場合戦は長引くだろうし、信雄・徳川は北条と組んで、
それに葦名を滅ぼした後は伊達も一枚噛むかもしれない
そのすべてを一もみにできれば強力な中央集権体制が確保できるけど、
決着がうまくつかずに講和などしたら東国が独自の勢力圏になってしまうし、
もし、負けたら畿内に押し出されかねないギャンブルだよね
結果論でしかないけど、試してみる価値はあったのかな?
0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 13:58:40ID:Fr/EMgJRそんな危ない橋は渡らないだろ
史実みたいじゃないと短い期間で天下の統一は難しい
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 02:39:12ID:TcQjqFg90257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 03:34:19ID:DzUbIQ7+豊臣家が生き残る為には
家康だけを抑えなきゃならないってことはないんだよな
小牧長久手の合戦後なんか、やっとのことで信雄を丸め込めたって状況じゃん
そんな状況で、家康の力を削ごうとしても無理な訳で
要は、他の奴を削げば良かったんだよ
0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 03:36:28ID:DzUbIQ7+こいつなんか、いくらでも殺そうと思えば殺せたんだし
関ヶ原時も、伊達がいなけりゃ
上杉は北から家康を追撃できるし
戦況は、全く違ったものになってた
0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 03:40:54ID:DzUbIQ7+結城秀康だったけ? 関東の守りに置いといた次男坊
こいつの軍勢だけでは心もとないはず
0260名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 03:42:03ID:RwSRqv1a0261名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 03:42:42ID:xZcjchJz秀吉は平禅門の乱や嘉吉の変を模倣しようと考えなかったのか
1.京都で何らかの混乱を大々的に引き起こし、
それに乗じて徳川邸を奇襲攻撃し一気に誅殺
2.大坂城か伏見城に酒宴等と称して家康たちを招き、
酔いが回ったところを見計らって一気に討ち取る
もちろんこれは毛利・前田・上杉・伊達などの潜在的脅威にも応用できた。
0262名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 03:48:03ID:RwSRqv1a0263名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 03:48:16ID:4aFOO9D2信長・秀吉・家康の3人でやっと劉邦一人分というのが司馬史観。
0264名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 06:54:09ID:bpfiPpe7そういう意味でも北条得宗家や足利義満・義教親子は神だな。
信長・秀吉・家康は甘すぎたんだよ。
粛清や虐殺をやった場合でも、その矛先を頓珍漢な方向に向けてるし。
(とくに秀吉の秀次一家謀殺はキチガイそのもの)
秀吉が家康を処断しなかった愚挙は言うに及ばず、
信長も家康を信康事件に乗じて誅殺すべきだったのだ。
0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 17:53:55ID:kr9v/ZZdちょっと待たんかい!ぽまいら
>>家康を誅殺する
ってなー
少なくとも秀吉薨去までの過程で考えれば
関東徳川氏は豊臣の障害というよりも
天下安定に寄与する十分な柱であった。
あの段階で徳川を潰すなぞ百害あって一利なしだぞ。
秀吉薨去までに十分な体制を整えなかったというか
自己破壊しまくった秀吉をどうにかしなければ
徳川潰しても意味は無い。
0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 18:03:27ID:Yn07ykqdどうにもなりません
尾張派と近江派
ねね派と淀派
武断派の出世と五奉行の出世の差
一番は光成の秀吉からの信頼と性格
0267名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 19:26:48ID:6v2lGQvv信長時代の家康なんてそれほど脅威ではないだろ。
信康事件だって信長は許可を与えただけで、積極的に誅殺に動いたのは酒井忠次(もしくは家康)の説の方が有力だし。
0268奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/10/07(土) 22:39:58ID:5amebrwt結果論から言う。義満-義教ラインの粛清は権力を逸失する前例にしか見えない。
信長の信勝、秀吉の秀次、家康の信康・秀康。みんなかたちを変えた粛清だよ。
0269名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 01:04:52ID:CT6gYOarどこのやつ。北の政所派か。すごいな。
こいつが戦国なら天下とったな。すごいよ。
豊臣の末裔は国松できえてるばず、ただし、秀吉
めかけに生ませた子の末裔はのこってるはず。
徳川家康の真の末裔に「郵船の部長がいるが」
ホント、家康にそっくりだもんな。
子の人、木下さんかい。
0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 01:14:19ID:CT6gYOar状況をみたら、どんな命をくだしていたであろうか?
もう、戦が始まってしまったときに生き返ったとしたら。
小早川や毛利の裏切りは考慮しないものとしてだよ。
秀吉なら、子の戦、ばじまってどうしたろうか?
秀頼と毛利輝元を急遽、出陣させたかな ?
それとも西軍が負けるにまかせたであろうか?
家康に簡単に頭さげたであろうか?興味はつきない。
0271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:50:29ID:vj480Avoまず、大坂の全軍を出陣させて
九州の如水、清正も速攻で呼びつけて
家康討伐に全力を挙げるはずだ
0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:54:44ID:vj480Avo戦国全盛期に覇を唱えた名将に共通する物は
それは「気概」
何が何でも、俺が天下獲ってやる。 俺こそ一番だ。 俺は戦最強。
っていうような、絶対、自分こそ全てだという気持ちを持ち続けたこと
その最後の生き残りが、たまたま家康であっただけで
秀吉が生き返ったら、そりゃ、一心、天下を取ろうと努力するよ
0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:58:45ID:QV4ZdKmpつ「幻 関ヶ原」
0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 04:02:17ID:vj480Avo戦後の高度経済成長期なんか、松下やホンダや王や長嶋、江夏や力道山、美空ひばり、田中角栄
様々な分野で、まさに豪傑、偉人が出現した
しかし今は、己の保身第一。 強気に巻かれ、その中で出世したい、登りつめたいという
気概ない人間しかいなくなった
こんな時代だからこそ、秀吉のような常識や、下らない概念をぶち壊す人間が必要なんだ
0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 04:06:26ID:vj480Avo今までの価値観。いい大学を卒業して大企業に就職して、順調に出世するっていう
下らない既成の概念をぶち壊そうとした人だからね
しかし、今の経済界、地位を保持する人から見て、堀江モンのようなタイプが一番厄介なんだよな
0276名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 04:11:48ID:vj480Avo彼のような革命児を、葬り去ろうとした
俺は、現代の堀江を 戦国期の信長のように思える
奴も、出現、成長した時に
時の、実力者 信玄、本願寺、朝倉、足利・・
数多の既成勢力に 「うつけ」 と忌み嫌われた存在だったはずだが
それを破壊、改革した
絶対、必要なんだよ そうゆう、全ての価値観をぶち壊す人間が!!
0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 04:20:05ID:vj480Avo奴は、政府に個々を縛ろうとした
しかし、当時の武等派(一昔前のヤクザ気質の大名)が、拒絶した。 それで良かったんだよ。
戦国の時代を生き延びた男たちに管理主義なんて似合わないんだよ
で、最後の気概を持つ漢。 徳川家康に、靡いたのも是非もなきこと・・
人間にとって、漢にとって 一番大切な物は それは 「気概」
お前ら、気概だけは絶対 忘れるなよ!!
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 04:27:14ID:vj480Avoある事件の関与の容疑で出頭させられようになった時、彼は
「わしが、いなくなったら この国の3万人の、ゴンたくれは、どうやって今の日本で生活するねん」
と、言ったそうだ。
そう。 まさに、三成最大の敗因は
そうゆう、ゴンたくれ達の 「熱き思い」 を理解出来なかったこと・・
家康は、狡猾だが、 心根で、そういう「熱き思い」を知ってたんだ
0279名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 04:35:44ID:vj480Avo政宗なんかは、最後の最後に、その「気概」を捨てた陳腐な武将だと思う
途中までは秀吉に対抗し続けた その気概も いつしか 保身に変わり
戦国大名の牙を抜かれた腰抜け大名なんだ
たとえ敗れても、天下に覇を唱え続け 邁進し続けることが、本当の漢の姿勢だったんじゃないのか?
権力者たちはトランプの大富豪のように 己が頂点に立てば、それを維持しようと努力するはず
しかし、それをキープして甘んじるような漢なんて、まさに屑
いつかは、自分だけ落とされて大貧民に成り下がるんだよ
0280名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 04:48:55ID:vj480Avo一番、呼び声高かった、安部は 最初 消極的姿勢だった
自分はまだ、若いので次でもいいんじゃないか? ということで・・
しかし、政治家たちは言った
次はないんだ。 その今のチャンスを失ったら 次のチャンスなんて来ないんだ
そして、安部は決心する。
そう。 まさに、戦国でも その気概を失った漢は保身という罠に嵌り
いつしか、大貧民という辛苦を味わうことになるんだ
そう。過去の栄光、幻影に囚われ続け・・
0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 05:06:38ID:vj480Avoこの二人の勝因を決めた、一番の理由は
まさに、その保身と革命 その違いだ。
普通、家康側についた武将が保身に傾いたと思われがちだが
大将である二人の心情は、まさに 逆転していた
三成こそが保身で、それに付き従う者たちが 本当の漢たちだったんだ
家康こそが気概で、それに付き従う者たちこそが 保身だったんだ
しかし、その全てが 管理されることに怯え抵抗する ゴンたくれ達の保身だったんだ
オマエたち見誤るなよ! 誰が、本当に 己の気持ちを理解してくれてる人間か
オマエたちの弱さなんて、誰も分っちゃくれないぞ
本当に理解してくれる漢は政治家でもなければ現代のヤクザ(腰抜け)でもない
そう。 まさに 俺のようなカリスマだけが オマエ達 屑の救世主なんだ!!
はぁ〜・・ 海外旅行に行ってる彼女から 電話がなくなって マジで心配だから
誰か、俺の代わりに急遽 様子、見に行ってくれないな?
0282名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 05:25:18ID:TvE4WS4Fしかし、家康は秀吉生存中は、徹底した秀吉主義の忠臣。
秀吉すら見抜けない忠臣ぶりに、彼は狸としか言いようがない。
0283名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 07:19:16ID:JeDHlZaVやられる前にやる、脅威を感じたら是が非でも潰す。
これこそが北条時政〜貞時、足利義満・義教の考えだった。
貞時にいたっては家臣たる平頼綱夫婦と乳兄弟たちを一挙に誅殺する暴挙を成し遂げ、
義満は大内と山名を叩く壮挙を、義教は鎌倉公方家を壊滅させる壮挙を成し遂げた。
所謂「三英傑」はこれを模倣すべきだったのだ。
信長は家康や藤吉郎などを誅殺すべきだったし、
秀吉は何が何でも家康一族を根こそぎ誅殺すべきだった。
>>268氏は義満・義教親子の粛清を失敗としているが、そんなことはない。
この粛清によって室町将軍に権力を集中させることができ、
尊氏と義詮が残した宿題≠全て片付けてしまった。
北条得宗家や義満・義教親子が断行した方策は間違っていなかった。
0284名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 07:24:34ID:jcXaJ/HF義教が持氏らを抹殺して鎌倉公方家を叩き潰した永享の乱・結城合戦の様に。
徳川将軍はどいつもこいつも甘すぎるヤツばかりだ。
貞時や義教に匹敵する恐怖体制を敷いた将軍が一人もいないじゃないか。
0285名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 08:05:02ID:pf//d26s勢力が日本じゅうに散らばってる桃山時代以降にもなれば、
そう簡単に粛清だけでどうにかなるわけ無い。
政治が未熟な時代にのみ通じる戯言だ。
0286名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 11:04:49ID:u1txwKOi義満や義教は権力を中央に集中させるべく粛清を行った。
筑前も徹底した中央集権体制に移行すべきだったのであり、
例えば徳川の京屋敷を襲撃して家康親子を誅殺することはできたはず。
主君が家臣を成敗する行為を諸大名は口を出せない。
筑前は孫七郎一家ではなく家康一家を誅殺すべきだったのだ。
0287名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 12:45:38ID:Us9I5zFc家康親子を誅殺しても徳川家が滅ぶわけでもなし、関八州とは敵対決定
明日はわが身の毛利・上杉・伊達なんかはさっさと伏見から逃げ出すだろ
公儀の求心力は、低下するし有力大名が徳川家と結ばない保証は無い
そもそも、実質的な領国支配を行っている戦国大名と公儀の関係は、
建前上の主従関係だから成敗なんてもってのほか
足利義教にしても鎌倉公方家をたたいたことで、返って東国に諸勢力を生んでしまった
ことを考えると>>268氏の意見に個人的には同意
中央に集権した挙句に公方様が暗殺されてしまった結果を考えると特に
0288名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 13:03:17ID:+9iOJbRD秀吉と家康が逆の立場になっていても秀吉は家康に協力して
徳川政権を助けたと思う。
そういう一時の負けにとらわれな政治的な妥協をできるのが
家康や秀吉なのだ。
秀吉が家康の配下になってもいいではないか。
家康が早死にしたり誰かに討たれたら秀吉が後を引き継ぐ。
>>270
楽しい想像だ。
多分秀吉なら護衛もつけずに家康に会いに行くね。
そして頭を下げて天下を渡すかも。
負ける戦いをするほど愚かな秀吉ではない。
負けたからそれで終わりか?そうじゃないはずだ
秀吉ならその立場から又何かやり始めるはずだよ。
0289名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 20:48:40ID:E67zwlyY0290名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 23:36:31ID:BDWlNALh気がつけば豊臣家を乗っ取られ。
0291名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 17:17:37ID:v+Ya6aNd太閤が生きてなければ難しいかな
太閤恩顧にしても黒田如水みたいなのに大封を与えるのは危険すぎ
太閤がなるべく長生きして大小名を少しずつ潰して蔵入地を増やすことと
平行して、浅野や木下の縁類を要所に大藩として配置する
唐入りはもってのほかで、豊臣家単独の強大な軍事力の構築を目指す
上杉・毛利・徳川の大藩はのこっちゃうけど、これは2代目の仕事だね
0292名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 18:12:04ID:pTcf9J+f恩顧武将を次々と独立大名として直参家臣団を脆弱にしているうえに
元々一代のなりあがりゆえに恩顧の家臣といえど採用時期や出身地で
温度差もあり一枚岩の譜代家臣になりえない。
しかも一大名ならば譜代だけで固めてすむ問題を
天下を平定したがゆえに外様の出入りも多くしなくてはならず
そういう人材面での問題があまりに大きすぎるので
その戦略も途中で頓挫しそう。
あえていうなら徳川か前田、毛利のどれか後を任せられそうな
外様のNO1を選んで、そいつを豊臣家総代として全て一任
天下の政務を全て任せ、豊臣家臣団の指揮権も一任してしまう。
いわば禅譲ね。そして
秀頼は傀儡でもいいので神輿として残してもらう
ってまんま秀吉の実際にやった手段だなこれって・・
0293名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 18:36:11ID:D0c0OCX9伊達政宗は殺す機会は沢山あった
なので、伊達政宗を殺し領地没収
で、その領地に宇喜多秀家を持ってくる
次に、佐竹義重を完全隠居させ
佐竹家内で義宣の一党体制を作らせる
仙台の宇喜多秀家、会津の蒲生氏郷、
越後の上杉景勝、常陸の佐竹義宣
これで家康包囲網完璧
蒲生氏郷が死んだ後は加藤清正を大抜擢するか
史実通り上杉景勝を持ってくる
0294名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 18:42:01ID:D0c0OCX9上杉景勝、佐竹義宣、宇喜多秀家、立花宗茂、真田昌幸、蒲生氏郷、大谷吉継
なら、やはり こいつらで家康の周囲固めたら良かったのにな
0295名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 18:44:25ID:D0c0OCX9一気に徳川を叩くとか・・
「コイツ(徳川)は在日朝鮮人だーーー!」
とか、言って・・
0296名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 18:46:04ID:Q+xmxue90297名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 19:05:46ID:WS851LY20298名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 19:25:56ID:JomR5ZbM羽柴筑前にどんな恩義を感じてたというのでしょうか?
長尾家時代からの領地・越後を奪われたというのに。
逆に羽柴家を叩き潰そうとは思うのが普通なのに・・・
0299名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 19:39:49ID:Q+xmxue9両方か。
0300名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 19:47:58ID:smoQACcMアンチ加藤清正・黒田長政、ってところかな?
0301名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 19:59:23ID:2379pYx/上杉家を存続させてもらっただけでも恩を感じてるんだろ?
>>300
清正はどうしようもないアホ
真の敵は誰かも見抜けず
子供の代で家を潰されて
馬鹿丸出しだな
0302名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:00:28ID:LysLj+JN0303名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:02:01ID:LysLj+JN0304名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:37:06ID:qVsnN3FN0305名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:42:38ID:pTcf9J+fいくらそいつらでも所領の場所や石高が変われば
政治的状況も変わる。
だからそいつらが史実どおり家康牽制に動くかどうかは疑問
0306名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:44:16ID:D0c0OCX9なら、氏郷死後の会津米沢120万石転封ならどうだ?
で、旧宇喜多領には石田三成が入る
で、加えて越中の大名(誰か知らんが)を仙台に移す
そして、上杉に越後、越中に加増
これでいいだろ
0307名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:49:00ID:D0c0OCX9関ヶ原時に西軍として戦った大名は全員が親三成派という理由だよ
だから宇喜多や上杉は、所領が変わっても家康に対しては牽制するよ
0308名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:53:34ID:D0c0OCX90309名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 21:58:38ID:2379pYx/0310名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 22:06:10ID:GPQcZoZ+父祖伝来の備前を召し上げられることに譜代の家臣団は反発するだろうし、
そうでなくても宇喜多家は史実でも家中が割れている
上杉がそうであったように関東の牽制を勤めるには時間がかかるし、
仮にうまくいったとして、120万石の大身なら上方にもいないんだし
三成に使われることも無く独自の野心が芽生えるんじゃない?
上杉にしても治めなれた越後に加えて越中まであるのなら同様だろう
二人とも三成に心服して挙兵したわけではなく、上杉にいたっては難癖の被害者
三成を中央から離したらただの大名でしかないんだし岡山転封も論外
そもそも伊達を潰したら家康が旧臣をあおって一揆をさせるだろうし、
会津以北が動乱はそのまま公儀の政権担当能力の欠如に当たる
東国の政情不安に五大老筆頭の家康が介入して納めたりしたら、
東国はそのまま家康の勢力範囲で豊臣家はジリ貧だろう
0311名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 22:29:20ID:D0c0OCX9どれもピンと来ないな・・
父祖伝来の土地を取り上げた大名なんて沢山いるし
何より、
関ヶ原で西軍勝利の暁には秀家本人が関八州への領地代えを要望しているんだよ。
ならば、備前にそれほど執着があったわけではなく
仮に会津120万石への転封なら、本人も家臣も願ったり適ったりなんじゃない?
そして、宇喜多の西軍参加の最大の理由が
恩のあった秀吉に対する義だよ。彼自身、関ヶ原のことを「聖戦」と言ってたんだよ
つまり、領地が増えたから気持ちが変わるとかじゃなくて
純粋に豊臣恩顧なんだよ。 宇喜多秀家は
0312名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 22:34:08ID:D0c0OCX9重臣の直江兼続が、大の三成党。
家康に対してケンカを吹っかけた直江状は知ってるだろ?
純粋に、上杉家も家康が嫌いなんだよ
仮に越後に加えて越中を足しても80万石程度
史実の会津米沢120万石に遠く及ばない石高だから、血迷うこともない。
0313名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 22:35:10ID:BPEmPlgx(少なくとも秀家本人は)ある意味三成よりガチで豊臣恩顧。
0314名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 22:36:09ID:BPEmPlgx知ってるが原本がない。偽書の可能性が高いのでその存在に特に意味はない。
0315名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 22:41:20ID:D0c0OCX9大坂や京から、そんなに距離変わらないし
何より三成が備前に行く事によって、毛利とのパイプを強化できる(適当)
で、東北で一揆煽動したり、家康が動きを出すかどうかは分らないけど
軍を起こすなら
そりゃ、純粋に関ヶ原と同じなわけで
ここで、宇喜多、上杉、佐竹、が連合して家康を包囲すれば
戦況は大分、違ったものになってる
0316名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 22:48:25ID:D0c0OCX9で、宇喜多120万石+上杉80万石+佐竹50万石=250万石
これ、何かバランス取れてていいんじゃね?
0317名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 23:01:42ID:tCOIZZih0318名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 23:12:21ID:wy9qJZALこれほどの奴らを島流し程度で済ませるなんて信じられん。
源頼朝・北条時政・北条貞時・足利義教・毛利元就ならば
女子供にいたるまで根こそぎ晒し首にしているぞ。
命乞いをした前田も敵を庇った容疑で一挙に族滅すべきだった。
0319名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 23:20:52ID:GPQcZoZ+父祖伝来の土地に対する執着は当然だろう
領民との関係はすでに築かれているし、転封後の伊達・上杉が旧領で
一揆を煽動して新領主の足を引っ張ったことからも明らか
何らかの落ち度があって止むを得ないのならともかく、家康の関東移封に
譜代の連中が反対したのも、彼らにとっても父祖伝来の土地が失われるからだろ
しかも、会津は微妙な位置にあるし、うまく治まらなかったら改易・減封要因にもなる
西軍に加担が決定した後に敵である家康の領地を所望するのは士気高揚策としてありだし、
必勝祈願にしても同様だろう
実際「義」のためや豊臣家のために戦を起こすのなら、関八州は蔵入地にして
にして、豊臣家直轄の軍事力を強化するのが筋であるし、
西軍勝利後の影響力増加が確実な毛利輝元を総大将にせずに自らなるべきだろう
上杉・直江にしても旧領の越後に加えて徳川亡き後の関東の一部が目当てで、
それが実現できれば天下への道筋も見えてくる
大体、戦国の名残がある当時に当主の好悪の感情に基づいた合戦に家中が従うわけも無く、
家にとって何らかの利益があると踏んだからこそ踏み切ったんだろ
そして賭けに負けて家を潰し、傾けたというだけ
0320名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 23:52:25ID:w7cxptJY徳川か250万石なら反徳川連合は400万くらいないと厳しいよ
0321名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 00:04:45ID:tYnFYlCq清正はホンマにアホな恩知らず。
豊臣子飼いは清正のような不忠の輩ばかりだったのが一番の悲劇だったなぁ
0322名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 00:08:43ID:adFsNE7X国替えで宇喜多は四苦八苦な上、仙台に入るのが徳川シンパなら史実と同様
仮にそうでなくても苛烈の仕置きをした奥羽でさらに伊達まで潰せば
一揆の種は残るし、秀次事件で懲りた最上には保春院がいるから政宗の遺児が
いれば米沢回復の大義名分は十分に立つ
大体、宇喜多が上方にいなければ西軍の直接兵力が減少するんだから史実より悲惨
越後からは江戸も上方も遠いし、防衛能力はあっても家康相手に自ら押し出す力はない
佐竹の家中が割れてるのは史実どおりだろうし、三成が旧宇喜多領に入っても、
短時間に大軍を動員できる統治ができたか疑問だし、できたとしても
三成とその家中に大軍の指揮能力があったかどうかはさらに疑問
家康が伏見・大坂で政務を採ってたことを考えると、三成を機内から追ったら
畿内の諸大名は家康になだれ現象を起こすんじゃないかな
幼君と太閤の妾に統治能力は無いわけだし
史実より良くなりそうも無い以上、個人的には>>292さんの考えが豊家存続にはベストだと思う
0323ななしさん
2006/10/11(水) 03:33:37ID:1FG1zpX5ただ悪党でも家康が天下を取って戦争が消えたのは
よかったんじゃないかな
身内の少ない成り上がりの豊臣家が政権を握っていたら乱の火種を
消し去るなんて事は到底できなかっただろう
0324名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 03:48:15ID:tYnFYlCq0325名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 03:49:10ID:u0WbU5WC0326名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 03:49:11ID:eI8EA1Vo滅亡どころが豊臣の天下が続いただろう。
0327名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 04:30:17ID:LaFDsFG/成り行き上自然に徳川を削る、みたいな。
厳しいかな。
0328名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 04:36:18ID:A5tOvFfpそれが出来るんなら関東からでもこき使えばいい。
0329名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 04:47:08ID:LaFDsFG/なんかこううまい理由つけて徳川の力を削る術はなかったのかなぁと思って。
0330名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 05:21:17ID:A5tOvFfpそもそも関東でもなんで許されたのか?ってぐらいだし。
まぁこの辺りに豊臣政権内とは言え家康の発言力の大きさが
伺える気はしないでもない。
0331名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 07:19:45ID:d8qbWhWr脅威に感じるなら是が非でも族滅すべきだろう。
適当な理由をでっち上げて徳川討伐の綸旨をもらえばよい。
足利義満が大内義弘に仕掛けた調略を真似すればよかったのだ。
徳川族滅は多大なる見せしめ効果が期待できたはず。
諸大名たちは恐れおののき、筑前の命令に一切逆らえなくなる。
足場に不安がある以上、恐怖武断統治で諸大名を押さえつけるのが理想だ。
羽柴家の永久なる繁栄のためにも。
0332名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 07:27:35ID:vEywNwJc0333名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 09:27:26ID:A5tOvFfp関東は誰に任せるの?
0334名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 11:15:47ID:aPhZD7/Wそれか毛利家分家策として小早川とか…
実際まかせられてたならば上杉だろうけど
0335名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 14:01:05ID:e3/wW36o小西じゃあ器量不足だし、小早川が大封を得たら毛利が徳川に代わって脅威になるでしょう
家康への加増も伊豆一国じゃあ少なすぎるし現実的ではない
0336名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:03:12ID:SyqpOXeT小西は335の言うとおり、上杉は北条の仇敵だから、それぞれ難有り。
小早川・宇喜多の分割統治ならなんとかなるんじゃね?
0337名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:05:19ID:dCFWXV1J家康削ることが無理なんだから
伊達を削ればいいんだって。
そして仙台に蒲生氏郷を配置して、死後は大谷吉継を配置
で、宇喜多を会津に移す。上杉も加増する。
隠居した佐竹義重に常陸以外の僻地を少領を与え
本家佐竹家を義宣の一党独裁にする
旧宇喜多領の備前一帯に小西か石田を持って来て
完全に家康を包囲でき、石高も同レベルになる
0338名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:09:45ID:kHIkDfY00339名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:12:09ID:dCFWXV1J家康だからという理由は曖昧
別に北条遺臣は家康に恩があるわけではなく
ま、主家を滅ぼした豊臣の対抗馬としては、支持したかも知れないが
せめて、それくらい
結局、どの大名も 別の領地に行った場合
その地の豪族や人間と関係を作るのに時間はかかる
だが逆に、兵士達も、
禄をもらえ飯が食えるなら大将が誰であろうが付き従うという一面もある
家康が関東に移って、関ヶ原でも勝利してるんだから
他の大名が、どの領地に移っても 普通には戦える
0340名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:18:53ID:dCFWXV1J立花宗茂と真田昌幸も反家康で戦力になる
伊達を削って、その仙台に信濃の大名(誰か知らんが)を移す
で、真田を大幅加増するとか・・
信濃なら関東を包囲する上でも、かなり有効だし
真田が戦力を増すとかなり頼もしい
0341名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:33:12ID:u+DxhOoA0342名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:52:53ID:SyqpOXeTあなたが指摘している通り、在地の土豪や人間との関係を作るのには時間がかかる。
その関係構築に失敗して叛乱を起こされたり、あるいは土豪の粛清と言った方法を取ったりする者もいるのも事実。
佐々、堀、山内なんかが如実だけどな。
そうした中で、北条旧臣を巧みに取り込みつつ、国力を充実させた家康はやはりやり手。
0343名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 17:10:52ID:efHh9ZVL豊臣に忠実な猶子、宇喜多秀家を東海三国に加増転封していたら、東軍も苦戦したはずでは…?
0344名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 17:19:46ID:A5tOvFfpそんなとこに飛ばされたらあっという間にバラバラになりそう。
狸殿が何らかの芽を残してる可能性も高い東海を治められるだろうか?
0345名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 17:37:15ID:OU2Exzj9身近に居た豪姫関係者やキリシタンを優遇した事から始まったと言われてるし、
むしろ転封して領国へ返し、多少苦労して家臣団とちゃんとした関係築いとけば
防げたのかも知れんぞ。
0346名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 17:50:49ID:efHh9ZVL確か、上杉も会津転封の際は多くの家臣がついていけなかったはず。
これで宇喜多もスッキリ
0347名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 17:57:56ID:SyqpOXeTうむ、いいかも。
しかし重要なのは、切り捨てようとしている連中が宇喜多の屋台骨だということだな。
0348名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 18:02:55ID:dCFWXV1Jそう。領地移転の話が出ると
何故か、宇喜多は家中分裂ということばかり言う奴がいるけど
元々、備前でも家中分裂してんだし
領地変えで会津若松に移ったほうが、一掃のこと良い
それと、伊達の取り潰しは豊臣家存続には絶対条件
0349名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 18:06:48ID:dCFWXV1Jゴタゴタ言ってまとまり無く
肝心の戦のときに崩壊してるような連中、屋台骨とは言わない
明石全澄さえ、いりゃ
他の領地で変えはいくらでも作れる
0350名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 18:28:37ID:nYCmPQXs0351名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 18:47:28ID:E1Jc0FMt0352名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 18:53:01ID:OU2Exzj9結局は早晩腐って折れる屋台骨。
当時はまだ戦国の気風が生きてる時代だし、家臣の側だって秀家に芽がないと思えば
自分から家を出て行く自主性のある連中だ。
ならば秀吉が生きてる状態(国内は一応平穏、お気に入りの養子だから融通もきく)で
大鉈振るう建て直しを計るというのも特におかしい選択肢ではないだろう。
0353名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:08:09ID:WPQVHT9g半数以下の福島隊と互角に渡り合った、宇喜多隊をどう見るんだ?
明らかに屋台骨が抜けてガタガタじゃないか。
0354名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:15:20ID:OU2Exzj9だからそうならないように早い時点で屋台骨をちゃんと立て直そう、
という話の流れだと思うのだが?
0355名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:42:02ID:u+DxhOoA0356名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:48:01ID:akWHydI5でもそろそろ宇喜多はいいや
0357名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 20:20:33ID:adFsNE7X譜代連中を切り捨てて家臣団の再編成をしてたらまともな戦ができるまでに
かなりの時間がかかることになる。名の知れた家臣が一人いればいいわけじゃない。
太閤死亡前後にこんな状況じゃ、国替え時期の早かった家康に即対抗は難しい。
実際、関ヶ原前の大老連中の帰国もそれぞれ国許の仕置きが必要だったからでしょう。
ゲームなら国替え後の経営に大失敗とかはなくて、それなりに収まっていくんだけどね。
0358名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 21:07:19ID:8xSQvGjt生き残れた可能性は大きいと思う。
でも豊臣政権下の織田の立場になるだけじゃ満足できなかったんだろ、淀とか。
0359名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 21:09:57ID:u+DxhOoAむしろ関ヶ原牢人を大阪城に入れてしまったのが致命的。あいつら和平が成立したら
路頭に迷うしかない存在なんだもの。そりゃあ必死になって戦争しようとするさ。
豊臣家は結局それに引きずられてしまった。
0360名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 21:26:36ID:adFsNE7X徳川対策というとやはり臣従・国替え・人質提供になるんだろうか。
ただ、豊臣の姓と関白家という特殊性はネックになるよね。
国替え後の領国もいったいどのあたりなら適当なんだろうか。
上の方にあったけど、千姫に男児が生まれたら秀頼がさっさと家督を譲って隠居はありかも。
その子の妻を将軍家からさらにもらったりすればもう親藩並だしよもや潰したりはしないんじゃ。
0361名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 22:50:15ID:gLkrY1GRそのまんま、というまさに仮想戦記的妄想に取り付かれすぎ。
宇喜田だって史実より権力を手にしていれば豊臣政権の簒奪
を狙いかねん。むしろ秀吉に近いからこそ危ない。
0362名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 00:20:56ID:9q49+ayjまあ、一ついえることは仮に西軍が勝ったとしたら
太閤死去〜関ヶ原のように、権力闘争が始まるだろうと言うことだけだ。
0363名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 06:05:47ID:Ik7T3+Fm0364名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 06:51:40ID:Ik7T3+Fm0365名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:13:22ID:T1vk+VuJだから最低限の史実を踏まえてから妄想しろよ
宇喜多は、純粋な豊臣恩顧なんだって・・
仮に備前57万石→会津120万石になったとして
隣国に家康、上杉、佐竹といった大大名が居並び
で、領地代えで、国造りに時間もかかる
そんな状態で野心だけが先行する分けないじゃん
もし、それで野心剥きだしになるんなら
前任の蒲生氏郷が、すでに剥き出しになってるよ
宇喜多秀家は宇喜多直家と同じ人間じゃないんだよ。孫だよ。
それと領地変えて時間はかかっても
やはり家臣団の入れ替えは必要だね
何なら蒲生氏郷の家臣団を、そっくり従えるってのもアリなんじゃね?
0366名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:17:29ID:91tnK9Pkとりあえず秀家は直家の子では?
0367名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 10:23:43ID:T1vk+VuJ間違えた
0368名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 12:49:34ID:d/1bSZDa確かに義やら恩やらを頼りに離反を考えにいれないのはちょっと甘いよね
国替え後が治めづらい土地で上方からから離されてすぐに戦はできそうもない
備前から会津への国替えは加増があっても必ずしも栄転じゃないよ
かつての太閤猶子(養子?)の秀家が幼君に近く侍って盛り立てるのが筋なのに、
中央から飛ばされたら少なくとも奉行連中とは疎遠になるんじゃない?
仮に自ら野心を抱かなくても、領国経営の必要上、徳川家ともめるわけにもいかんし。
0369名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 13:06:37ID:rX+ffjhw効果的であると考える方策を降ってみればいいんじゃない?
すでに単なる水掛け論に突入してるし。
0370名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 13:16:25ID:T1vk+VuJ知ってる?
本人の中にも、このまま備前にいる必要はない。
むしろ、他に移って家臣団共々やり直したいという気持ちがあったんじゃないか?
それなら秀頼の近くに、是が非でもいなければならないとは
強く考えてたとは思えないし
転封が理由で奉行連中と疎遠になるのも考えられない
また、畿内を離れたところで、上杉景勝が実際そうなんだし、連携は組めるよ
そして何より、会津に移されてすぐの上杉家が実際に伊達や最上と戦ってる訳だし
(ま、譜代の家臣を多く連れて、その家臣団を中心に戦った側面もあるが)
そして何より一番おかしいと思うのは、
家康本人が東海から関東に転封して領国経営を一からしてるんだから
条件は同じ。
仮に、会津に蒲生氏郷じゃなく、宇喜多秀家が最初から配置されれば
同じ期間、領国経営できることになる
蒲生が謀反働いてないのに、宇喜多なら野心が芽生えるっていう意見も、根拠ないし・・
反対意見も、ちょっと根拠が曖昧すぎる
0371名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 13:24:53ID:T1vk+VuJ何も、是が非でも秀家を転封させたいと言ってるんじゃない
ただ、関ヶ原で西軍を勝たせるためには、信頼できる人材が少なすぎるんだ
石田、小西、安国寺、大谷、宇喜多、上杉、真田、立花、平塚
これくらいだろ?
で、会津120万石を任せられる大名は、格から言って
宇喜多、上杉だけなんだよ
豊臣家が関ヶ原で戦わずに家康に完全降伏して、一大名として存続する道を選ぶんなら
そりゃ、宇喜多の転封なんて必要ないけど
家康を封じ込めて、豊臣政権を続けるんなら、会津の空いた大封に誰を配置するか
とても重要になる
0372名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 13:44:06ID:yoSGcHG/上手く治めて且つ大政治家家康を押さえ込めるのかと。
豊臣の存続ってことを真面目に考えるなら家康がどうこうよりも
豊臣政権自体の体制を江戸幕府並みの強固なものに変えねば結局
第二・第三の家康が出てきてあぼーんだろ。
0373名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 13:57:27ID:T1vk+VuJ上手く治めて且つ大政治家家康を押さえ込めるのかと
↑
既出。同じ質問ばかりするな。
理解力ないなら、分るまで読んだ上で反論しろ
何より豊臣政権自体を強固に出来るんなら、誰もこんな話しない
石田派と加藤派が仲悪く、まとめる人材がいない以上
強固な政権を作ることは、宇喜多が転封先の国を経営するより困難
そして、強固な政権を作れない以上、家康を押さえ込むしか仕方ない
0374名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 14:03:11ID:d/1bSZDa蒲生の健在時はまだ太閤いただろ
ただでさえ厳しかった奥州仕置きの後なんだからまずは太閤に尻尾をつかまれ
ないように領国経営だろう。信長の女婿で太閤恩顧でもない蒲生が伊勢から
喜んで難治の場所へいったとは思えない
宇喜多をどれだけ評価しているのか知らないけど、武将の器量も家臣団の統制も
家康とは比較の対象にはならないだろう。
0375名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 14:21:48ID:T1vk+VuJ蒲生は嫌々行ってるのにも関わらず謀反してないし、
苦しみながらも領国経営してるんだよ
ま、伊達がチャチャ入れて、相当苦しんだけど・・
で、上に書いたけど
宇喜多を買ってるんじゃなくて、他に人材がいないんだよ
本当の意味の親豊臣派が・・
清正を持って来たいけど、石田が中央にいる以上、藪蛇だし
他に、立花・・身分不相応だし
人がいないんだよ。他に
0376名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 14:32:55ID:T1vk+VuJ・まず伊達を最初に取り潰す(機会は何度もあった)
・佐竹義重の隠居後、常陸以外の国に小領を与え、佐竹家を義宣の独裁にさせる
・蒲生じゃなく、宇喜多を初めから会津に配置する
・上杉家を加増
これで、会津、常陸、越後で家康の動きを牽制できる
0377名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 14:37:26ID:T1vk+VuJ・伊達を最初に取り潰す
・佐竹家を義宣の独裁にさせる
・氏郷の死後、石田を会津に配置
・清正を佐和山に配置して豊臣秀頼の御家人として中央を任せる
0378名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 15:23:45ID:UT4fgVdD> ・まず伊達を最初に取り潰す
甘い。取り潰すだけでなく間違いなく死罪にしなければいけない。
また、後に残った家臣団は奉公構いにした上で伊達遺臣狩りをやって根絶やしにしなければならない。
一人生き残らせればそれだけ豊臣家の災いが増すことになる。
とにかく、伊達は徳川以上に豊臣家にとっては確実に駆除しなければならない存在だ。
むしろ、徳川を会津に、関東に宇喜多・佐竹、越後に上杉、旧伊達領に石田と配置して徳川を完全包囲にするのが良い。
できれば、最上も他へ移すか潰すかして信頼できる大名を配置できないか。
0379名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 15:37:50ID:d/1bSZDa少しだけ冷静になってみなさいよ
宇喜多の家中分裂について
@たいした屋台骨ではないので粛清したほうがすっきりする
A明石さえいれば代えはいくらでもいる
という点がどれだけ乱暴な主張かはわかるだろう?
身上が倍増する以上領国経営には従来よりも多くの行政官が必要になる
蒲生家が取り潰されていない以上重職を引き抜くことはできない
奥州は太閤の苛烈な仕置きによって難治の場所であるから
軍事的にも一揆に備える必要あるし、整った軍制が不可欠
こんなに人が必要なときに家政を仕切ってきた譜代連中を切るのは無謀だよ
俄大名になった明智旧臣の木村親子みたいに一揆に追い詰められかねない
あなたの主張は発想としては面白いかもしれないけれど、実現にともなう
困難やその影響についての考察が甘いし、そうした反論に対しても
説得的な再反論がなされていないように思う
「秀家も国替えでやり直したかったかも」はその典型じゃない?
>>376なんかの主張についての疑問は前のほうにも出ているから、
乱暴なレスをする前にもう一度スレを読み返してみてごらん
0380名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 15:39:32ID:d/1bSZDa0381名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 15:49:22ID:d/1bSZDa公儀への求心力はいっぺんに低下しそうだけどね
江戸期のような磐石な支配体制が整っていない以上
他の大大名は明日はわが身とシンパを作って自己防衛を図るんじゃないかな?
その盟主が家康だったら目も当てられないよ
統治体制に外様の大大名が多い以上なんとかしてこれを取り除いて
豊家の直轄地と直属軍を増やしていきたいところだけど、時間をかけないと
リスクも大きいんじゃないかな?
豊家が天下人として存続するためには、秀頼公成長までの間に太閤が生き抜いて
ゆるゆると大名潰しをしていくほかないように思う。
ようは、太閤が唐入りなんかせずに家康より長く生きていないと
0382名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 15:59:23ID:T1vk+VuJでは、蒲生亡き後の会津には、誰を配置するのがいいの?
史実通り、上杉?
何も問題解決にならないと思うんだけど。
宇喜多の配置変えが困難だとしても
他に適任がいないんだよね・・
・・と、ここまで全く気づかなかったけど
1人最強の適任がいた!!
>>378の言う通りだ!!
家康を会津に転封すればいいんだよ!!
0383名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 16:02:49ID:T1vk+VuJ難所の会津に西軍の武将を配置しようとするから難しいんであって
蒲生じゃなくて、最初から家康を会津に配置する。
で、伊達を取り潰して、その仙台も宛がう
そしたら、石高も会津120万石+仙台60万石=180万石
他に、最上か誰か転封して、東北の国を足してやって250万石くらいにしてやれば
いいんじゃね?
でも、家康は納得しないだろうな・・
0384名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 16:04:26ID:T1vk+VuJ伊達に関しては、何度も殺す理由があるし
他の大名も文句ないだろう
0385名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 16:26:01ID:NpnouOFtその理由じゃ上杉ではダメの理由にはならんだろう
謙信の時代から関東は北条より上杉に肩をもつほうが多かったわけで景勝を関東にいれれば家康を東北、あるいは越前などに転封できたのでは?
0386名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 16:29:03ID:NpnouOFt大谷の当時の実績では多分無理
余程の成果をあげねば一国の主はないでしょ
0387名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 16:36:15ID:d/1bSZDa蒲生亡き後では太閤死去まで間がないし誰が入っても状況は変わらないんじゃない?
むしろ、本気で関東の牽制をしたいのなら、蒲生を入れる前に
大封を与えても裏切りの心配が少ない一門衆を当てるべきだったんじゃないかな。
ただ、片腕の秀長公は中央から離しがたいし、統治経験の未熟な秀次公に難治の会津を
任せるのは危険だし、譜代の家臣が少ない豊家が与力をたくさん送ると
天下の仕置きに不都合が生じかねない
これは、奥州のみならず関東にも当てはまることで、豊家の構造的欠陥かもしれない
こう考えると、いたずらに滅ぼすよりも統治の手足として地方を外様に任せた太閤の
方針は理由があるように思うがどうだろうか?それが、将来の禍根となったとしても。
0388名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 16:54:37ID:d/1bSZDa伊達を取り潰す気なら、小田原攻めのときに許さず戦によってする場合だろうね
ただ、その場合でも臣従を表してる当時大身の伊達を小大名なみに
遅参を理由に取り潰すことは、他の外様への印象が悪くなるし、
伊達は死に物狂いで抗うから奥州はあれに荒れてしまう危険がある
苛烈すぎる仕置きに反発して、遠征中に家康やらが伊達と結びかねないし
それ以降は法による処罰に変更するわけだから、どうやっても公儀の法に
逆らえないくらいに戦なんて起こせないくらいに公儀の力が強くならないと、
有力外様大名の取り潰しは即、政情不安と公儀への不信に結びつきかねない
0389名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 18:38:05ID:b0oMWdKX上杉って確か、利家が死んだあとはすぐに家康と繋がりがあったはずだぞ、
秀忠は秀忠で関ヶ原の後もなんだかんだで仲良かったはずだし。
難癖付けられる羽目になったから、敵対したけど、基本的には別に敵対してる国じゃない。
それが家康にとって手頃な相手が居なかったから(本当は前田家を狙ったのだが肩透かしを食らったので)
格好のエサにされてしまったわけだ。
だが近くに宇喜多秀家が都合よく転封されてきたら、家康にとっては願ってもない、
どうせどっちにしろ敵になる相手だし、そうなったら上杉はそのまま味方にして秀家に攻め込めば良いだけ。
>>379
同意、
ちなみに蒲生氏郷は会津転封後わずかな期間で、素早くもとの伊勢の商人などを
会津に住まわせ、町割もし直し、城も作り変え、会津100万石の基礎を現代にまで残してるし、
家康も関東の政治を素晴らしい実績で残してるが、秀家が同じ事ができるという論拠がまったく見当たらない。
史実では合戦はともかくそういった政治的素養は結局、家内の分裂でしかないのに、
治められると言う前提にするのは乱暴すぎる。
0390名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 18:49:29ID:T1vk+VuJそうかな、むしろ北条に苦しめられてた関東の豪族達と同じように
伊達に苦しめられてた、東北の豪族も万々歳の奴、多いだろう
でもって、豊臣家臣団にしてみても
最後の敵ということで、出世のチャンス掴もうと必死な奴も多くいるわけだし
そして何より北条叩きの時、家康は協力してるんだし
伊達のときに反発するほどバカじゃないだろう
で、政権落ち着いて、敵なしの状態なら分るが、まだ戦国時代だよ。
有力大名の取り潰しで公儀への不安も何も、政府自体安定してないし
何より一番に、関ヶ原でみんな家康方に寝返っちゃってるんだからね・・
0391名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 21:14:12ID:X4J6DVwX臣従を拒否ってた北条と遅参しながらも臣従を受け入れた伊達とは違わない?
秀吉の翼下につくことを表明しながらしゃにむに攻め滅ぼされたら、
他の臣従した大名達だって身の危険を感じるんじゃないかな。
大身であれば理非が明らかでなくても取り潰しの対象になると思わせたらまずい。
有力な外様大名が多くて政権が不安定だからこそ、おいそれと取り潰しはできないよ。
後の江戸幕府の改易にしても圧倒的な軍事力を背景に、難題にもわたって
少しずつ行っているわけだし、その対象は公儀が恩賞として与えた領地が多く、
先祖が勝ち取ったり、自分が切り取ったりしたものは少ない。
関ヶ原後の論功行賞は戦の後だから特殊な例として、
会津を削られ、伊達縁の米沢まで取り上げられている過酷な状況の中、
強引に伊達家を取り潰すのは無用な緊張をもたらすんじゃないかな。
這いつくばって臣従し、切り取った領土を召し上げられて逼塞中の大名が
なお取り潰しの憂き目に会ったら、外様の態度は硬化するでしょう。
ましてや、伊達家は有力大名なんだし取り潰しは弓矢の問題になる。
唐入りに現を抜かしている秀吉にとっては論外の選択肢だよ。
0392名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 22:44:59ID:T1vk+VuJ理由はそれだけでいいじゃない
家康の上杉討伐や、「国家安康」を理由にした大坂攻めに比べたら筋は通ってるでしょ
そもそも、外様って言ったって、主に家康、毛利、上杉くらいだろ?
それ以外は豊臣恩顧の身内や譜代なんだから、政宗なんかどうなってもいいだろうし
何より、潰す理由は政情不安にする目的でも、外様を不安にする為でもなく
関ヶ原で家康の片棒担がせない為だよ!
もし、政宗生かしてて、豊臣の味方するんならワザワザ殺さないけど
殺さなきゃ、禍となるからでしょ?外様の不安なんて気にしてる場合じゃないよ
0393名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 23:30:05ID:X4J6DVwX上杉攻めの家康は直属の軍事力の点からも、横車を押せる状況だった
秀吉は去り幼君と権高な女の周囲では豊臣家中が派閥争いをしていた
官位の上でも勢力の面でも事実上の天下様で、
対抗馬は病で死に掛かってるか、唐入りで疲弊していたのも大きい
幕府設立後の大坂攻めは言わずもがなのことでしょう
大身の外様が多くいて、それらが臣従して日が浅い秀吉とは
条件の面で大きな違いが存在する
外様の定義にしても、本能寺後の秀吉の覇道の仮定で臣従したものは
基本的に外様だろう
伊達と似た境遇の島津・長曾我部はいうに及ばず、蒲生にしても細川にしても
立ち行くために秀吉についただけであり、文字通り代を重ねている
譜代は少数だし、宇喜多のような特殊な例を除けば恩顧といえる大名も
荒小姓上がりか近江派の官僚達で、しかも両者は反目している
これではとても安定を見越せる政権であるとはいえない
取り潰しの目的については秀吉がどういうかよりも
外様連中がどのように受け取るかが重要であるし、
その結果生じる事態は大きなリスクになるんじゃないかな?
有力大名の取り潰しは期間と軍事力の絶対性が担保されて
初めて踏み切れるものだと思うよ
0394名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 23:49:28ID:T1vk+VuJ要は、ここぞという決め所で無茶(そんなに無茶でもないんだが)やらなきゃ
天下も取れないし、政権も維持できない
家康かって結局、同じようにリスクを背負っても勝負に出たから天下取ったわけで
(こっちの方が、よほどハイリスクなのに・・)
武力で完全降伏させてる島津や長宗我部なんかの気持ちなんか考える必要もないし
勢いに乗ってるときに全部、片付けれる事は片付けなくちゃならないんだよ
0395名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 23:59:28ID:6mV9GSct力づくで小田原を落城させることはできなかったし秀吉もそれを考えていなかった
0396名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 00:01:25ID:X4J6DVwX小田原攻めの軍事力は豊臣直属のものではない
政権基盤事態が脆弱であったことを考えると大坂攻めの例に当たらず
豊臣家の抗争から相対的に軍事的に強大となった上杉攻めにもあたらない
伊達攻めを仮に引き起こしたとしても、外様連中の勢力をいっぺんに
そぐことにはならないし、関ヶ原後の一人勝ちにはなりえない
リスクを負って一人勝ちを目指す場面は小牧の戦であったろうが
秀吉は賭けに負けてしまい、徳川家の影響力を排除することができなかった
0397名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 00:06:41ID:ETgvZzRF>何より、潰す理由は政情不安にする目的でも、外様を不安にする為でもなく
>関ヶ原で家康の片棒担がせない為だよ!
>もし、政宗生かしてて、豊臣の味方するんならワザワザ殺さないけど
>殺さなきゃ、禍となるからでしょ?外様の不安なんて気にしてる場合じゃないよ
あのさあ、政宗を弁護するわけでもなんでもないんだけど、
歴史上の人物を自分の将棋の駒のように扱うなよ。
自分が望む結果のために仮定に仮定を重ねるな。
秀吉が政宗に切腹させなかったのには、ちゃんと理由があってのことだろう。
君の論述にはそういう結果に至る事になった要因に対する考察が殆ど見られない。
なぜ秀吉は政宗を殺さなかったのかという問題を考えれば、
「政宗なんか殺せばいい。邪魔なんだから」なんていう言葉は出てこないはず。
「政情不安が予期される」こと以外にも、殺さなかった理由はいっぱいあると思うけどね。
0398名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 00:19:03ID:Nwx9eBDE別に小田原城落とせばいいんだし、何で力攻めしなきゃならないの?
ようは、氏政、氏直 切腹させればいいんでしょ?
>>396
無理してややこしく書く必要ないから、簡潔に明確に説明し直して
>>397
ぐ・た・い・て・き・に!
肝心の、その政宗を生かしておいた理由書かなきゃ話にならないでしょw
関ヶ原で、裏切られるリスクを賭しても、政宗を生かさなければならなかった
理由を、どうぞ具体的にお願いしますね
蒲生の牽制とかは言うのやめてね
0399397
2006/10/13(金) 00:35:58ID:ETgvZzRF俺はお前にその点についてもっと考えてみろって言ってんだ。
ちゃんと考えろ。そしてわかったら書け。
明日のこの時間……は飲み会で酔っ払っているので、土曜日の朝までによろすく。
土曜の朝にまた来るからよ。
それから、
>関ヶ原で、裏切られるリスクを賭しても、政宗を生かさなければならなかった
>理由を、どうぞ具体的にお願いしますね
馬鹿ですか?
1590年当時の秀吉が、どうして10年後に政宗が裏切ることを予測できるわけ?
「関ヶ原で裏切るから殺しとけ」なんてのは、結果を知っている現代人だから
言えることであって、お前の妄想の実行を歴史上の人物に押し付けるんじゃないよ。
仮に百歩譲って1590年当時の秀吉が政宗の離反を予測していたとして、
そのように秀吉が判断した理由は何? そういう証拠はあるの?
0400名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:08:57ID:Nwx9eBDEオマエな・・( ´,_ゝ`)プッ
俺、本当は それほど興味なかったんだよ(どうせ蒲生牽制とか言い出すのが関の山だと思ったし)
でも、オマエが鬼の首取ったかのように、さも質問して欲しいような書き方するから・・
面倒くさいのに、ワザワザ、質問してやったのにw
結局、何も答えもなく適当に吹いてただけかよwwww
俺、久しぶりにビックリしたよw
そんなオマエには、俺からこの言葉を送るよ
「 ス・レ・タ・イ・読・め 」
0401名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:27:00ID:sfOTfS7Y幼児一人だっけいうのは至難の技だよ
病気で亡くなっても終りだよ
0402名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:27:12ID:gYrCm8Sg▼ █▊ ▅███████▀▃▅▆██████▎
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言 ギ ひ そ ▂▃▅〓▅▃▌█▼ ◥▌▐ █▼
っ ャ ょ れ ▂▅〓▀▅▇▅〓■█▅▃ ▐▂▃▆▅▃▀◣
て グ っ は ◢▀〓▀▼▀ ▀▀■▐▆▌ ▀◤■◥◣
い で と ◢◤ ▐◢▌
る し ◢▍ ▍◥▃ ▐
の て ▐▲▐▂▃▃▂ ▎ ▍▂▃ ◥▍
か ▐▆◤ ▀◤▆◥◣ ▐▐▀▀▅
!? ▃ ◥▍▌ ▎ ▌ ▀〓
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0403名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:35:15ID:Nwx9eBDE0404名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 03:59:59ID:IQjR2dUP0405名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 04:21:27ID:fm4WrQAy秀吉は高く買っていたし。
実際、家康と結託している伊達家を軍事的に滅ぼすことなどできるわけもない。
0406名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 07:15:52ID:Ow738Tqp毛利元就のように事前に調略を仕掛けて
内部崩壊させることは出来なかったのか。
いわゆる三英傑はこの手の調略が無いから面白くない。
筑前は敵将に腹部自己切開→頭胴切断を要求してばかりだったが、
一気に攻撃して早めに形を付けるのが時間の節約だろう。
そのためには元就のような大天才頭脳が必要なわけだが。
0407名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 07:39:31ID:ADl8QEV40408名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 09:21:57ID:biFcUZNC信長は斉藤に諜略しかけて西美濃を分捕ってますが何か?
秀吉は対柴田戦で勝家の養子と前田利家を寝返らせてますが何か?
家康は外交と謀略で甲信を分捕り、豊臣を追い詰めてますが何か?
0409名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 12:43:56ID:L4cgnojS繁殖能力も武将に実力のうちだよね
親藩が増えることに加えて、娘を嫁がせることで外様を取り込むこともできる
そのあたりが家康と太閤の決定的な差といえるんじゃないかな
太閤はこの問題に関しては落第点だし秀次公の件を勘案すると問題外
仮に徳川の世にならなかったとしてもそのときの権力者が秀頼公成長までに
権力を集中させて、古に倣って豊家の血筋を絶やしちゃうんじゃないかな
後は摂家でも親王家でも関白にして権力者の家が役職を設けて
実際の統治に当たれば豊家所縁の人々以外は何も困らないしね
0410名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 15:00:50ID:L4cgnojS同意
当時の豊臣政権は後の江戸幕府に比べて諸侯の連合政権的な
性格を強く持っていると思う
江戸期の将軍権力に比べて相対的に公儀の権力は弱いものであるから
江戸期においてなされた改易以上のことを期間をおかずして
強引に行うことは難しいんじゃないかな
0411名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 17:26:12ID:Nwx9eBDE性格を強く持っていると思う
それは毛利や徳川。そして前田や細川、池田など(織田遺臣)であって
織田に縁も所縁もない島津、北条などは、敵対する勢力と秀吉も考えてたのは当たり前
何故なら、当時まだ誰も天下を取った事ない、戦国時代なんだから。
伊達が許されたのは、一番遠方にいて
他の敵対勢力もいなくなり、秀吉自身が早く天下統一したかったから。
もし、伊達が関東で北条が東北なら、生き残ったのは北条になった可能性も強い
分る?伊達が生き残ったのは、恭順の姿勢を示したからじゃないし
家臣団の政権への不安を心配したからでもない
他に敵対勢力が全て駆逐され、秀吉自身が天下の敵なしと慢心したからだ
四国の長宗我部は信長はじめ秀吉に敵対など示してなかった
しかし、領国を土佐一国に削られてしまったのは、他に敵対勢力が沢山おり
秀吉自身が戦国時代を意識していたから
伊達は、最後の最後だったから 天下人、秀吉は許す気持ちになったんだよ
0412名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 17:31:19ID:Nwx9eBDE死後、伊達は裏切った
ならば、戦国時代である北条征伐後に
伊達も必ず討っておくべきじゃなかったのかい?
政情不安? 政権崩壊と、どちらが大問題か考えれば答えは分るだろう?
0413名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 19:51:20ID:Nwx9eBDE是が非でも伊達家、お取り潰しは避けられない条件だ
で、出来れば家康を会津、仙台辺りに転封できないものかな
0414名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 19:53:05ID:5bE2UwuA豊臣恩顧っていうよりは
自分が豊臣家の一員だと思い込んでたというほうが正しいんだけどな。
0415名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 19:55:18ID:5bE2UwuAいたことだが。
0416名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 19:59:02ID:5bE2UwuAそれは「豊臣家が生き残る」という
スレの命題には反してないと思うんだけどね。
宇喜多秀家は豊臣家の一族だからさ。
豊臣秀次や小早川秀安芸が天下取るのと大差ない。
0417名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 20:10:20ID:SS2xg0k4羽柴血族という意味じゃ、秀家は違うんじゃないのか?
宇喜多と羽柴に血縁関係はあったっけ?
秀家は秀康と同じだろう。
秀次や秀秋は血族だろうが。
0418名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 20:16:37ID:5bE2UwuA秀吉が男なら関白にしてやったのにとまで言って溺愛した養女お豪(利家から赤子の時に貰った)を
縁組してやり系図の上では繋がってる。
0419奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/10/13(金) 21:09:47ID:cBsw2dwk0420名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 21:38:04ID:DzhQxGGw410じゃないけど、レスする前にもう一度読み返す練習をしなよ
410の要旨は伊達家を無理に潰せない理由として公儀の政治形態と
その基盤の弱さを挙げていて、後のより権力性が高まった後の江戸幕府
においてすら、徳川家単独の強大な軍事力と相当の期間を設けた上で慎重に
改易を行っていることを根拠として挙げているように思うんだけど、
伊達家取り潰しが可能であり不可欠であるというあなたの主張に対する
反論である410の内容に対して再反論をせずに自説のみを主張することは
まったく意味の無い独りよがりにすぎず、建設的とはいえないよ
加えて、あなたの主張は歴史における結果からの逆算が多すぎて、
当時の政治状況に対する考察がずさんであるように感じる
関ヶ原における伊達家の振る舞いに不満があるからといって奥州仕置き
の際に伊達家を潰しておくべきであったというのは乱暴すぎる
秀吉の置かれた状況を斟酌すると大大名相手に強引なまねは繰り返せない
という主張に対する反論は少ないか不明瞭であり、
説得的ではない自説の繰り返しにしかなっていない
あなたがどれだけの時間を生きてどのような人物であるかはしらないが、
挑発的なレスをする前にもう少し考えるべきことはあるだろう?
0421名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 21:43:14ID:DzhQxGGwたくましいともいえますし、子のためとはいえ哀れな女性ともいえますね
最初の結婚では落城も経験してませんでしたっけ?
0422奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/10/13(金) 21:57:51ID:cBsw2dwk三浦貞勝だったか貞久だったか記憶が曖昧で申し訳ない。
高田城攻防戦で落城の経験はしているから、腹括ってたんだろうね。
0423名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 22:17:15ID:+7d386wP伊達を潰そうが潰すまいが豊臣の命運とは無関係だよ。
それと北条征伐の後に伊達征伐を行なえないのは
豊臣家の内部問題。
秀吉は伊達を潰さなかったんじゃあない
潰したくても潰せなかっただけ。
事前に政宗は政権内部に渡りをつけて事前工作をやっている。
伊達を潰そうとすれば、それ以前に政権内部の派閥抗争になる可能性がある。
それと家康に関東を与えたのは関東征伐の恩賞であって
与えて間もない関東からさらに奥羽に移す名文が無い。
0424名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 22:20:38ID:DzhQxGGw八郎を生んだ後、譜代の臣との関係は良くなかったようですが、
激動の時期に幼くして父を失い、母の置き土産まであるんですから
秀家も家中をまとめるのは大変だったでしょうね
母とともに豊臣寄りだったわけですが、
一門のなかにさえ、家康と懇意で戦後に旗本になった者もいませんでした?
0425名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 22:28:42ID:krGV83V10426名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 22:38:51ID:+7d386wP室町幕府的な弱体な公儀でしかなかった。
これは事実・・だからといって秀吉が体制造りを
おなざりにしていたわけではないとおもう。
秀吉は家康を朝鮮出兵に動員して消耗させるべきだったという
意見とあわせて、どちらも本末転倒な意見だろう。
秀吉の体制造り、政権構想は大明征伐=海外進出雄飛の成功を
前提にしているという視点が>>1以降の全員に抜け落ちてる。
出兵は失敗を前提にしていたんじゃない。成功が前提だったんだぞ。
当時の日本の国力と武力からして明を破るのは、まんざら不可能
とばかりはいえないただ勝率3割から2割くらいだろうが・・
0427名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 22:46:12ID:+7d386wP海外進出雄飛の成功によって遠征軍の参加諸侯に分配する所領は
100万石単位になるだろう。海外交易の齎す富を頭においていたと考えると
単純な米穀経済じゃない貨幣商品経済も考えてさらに凄い経済力も獲得できる
と読んでたんだろう。
海外遠征で全国諸侯を日本国の代表として動員指揮したという前例が出来
あの中華帝国を破ったというカリスマを帯びることで
豊臣は強力な指導力を発揮できるだろう。
恩賞として獲得した海外領土への大移動もおこなわれるだろう。
これら全てについてよーく考えてみろ・・全て関が原で戦勝した
家康の諸侯へのそれと一致している。
大明征伐=海外進出戦争は豊臣家における関が原的な意味合いがあったわけで
狩にでも成功していたら
諸侯の大部分は恩賞こそ莫大だが海外の見知らぬ地へ移されてしまうという
大名鉢植えとなり
内政のために豊臣全国政権への依存度が高まるのも関が原以降の徳川に対する
豊臣恩顧諸侯と同じ立場。
そして日本は相対的に石高の少ない少身が配置されることとなり
これが豊臣家における旗本、幕閣譜代になるわけで
豊臣家も東アジア的規模での江戸幕藩体制みたいなの構想していたと思われる。
0428名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 22:52:12ID:+7d386wP秀吉の思案からしたら見当違いとおもう。
徳川には日本における箱根の東を一任して封じ込め海外への膨張の恩恵は
与えない。伊達も取り残す側なのだから潰そうが潰すまいが関係ないわけで
騒ぎを起こさない限り残しておいてもいいという考えだったんだろう。
豊臣世界帝国からしたら徳川に行政を一任した箱根の東は
江戸幕府における松前藩か津軽藩程度の存在に、相対的に落ち込むわけなのだから。
0429名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 22:58:09ID:+7d386wP終始している。
五大老とか言う大大名が犇いてるのは豊臣の思惑が破綻したからで
家康は秀吉が世界帝国として実現を模索していた豊臣体制を
日本列島限定に焼きなおしたものと考えられるだろう。
結論として
豊臣家が生き残るには大明征伐を成功させて
清朝のような東アジア帝国を実現してしまうか
家康のやったように日本を故意に分裂させて戦争し無理やり再編成しなすかだろう。
0430名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:03:46ID:6bbphm2g>秀吉の体制造り、政権構想は大明征伐=海外進出雄飛の成功を
>前提にしているという視点が>>1以降の全員に抜け落ちてる。
>出兵は失敗を前提にしていたんじゃない。成功が前提だったんだぞ。
完全にプランニングの失敗だな。
ほとんど勝てる見込みのない戦争で勝つことを前提にした政権など、
滅びて当たり前ということでいいか?
それに、明に勝つ可能性が2〜3割もあるわけないでしょ。
あれだけの大国を征服しようと思ったら、丹念に時間をかけて明の状況を調査し、
出兵に向けて十分な準備を行い、それでGOサインを出さなければならない。
敵国に対する情報収集を満足に行っていない時点で、勝利する可能性などなきに等しい。
0431名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:15:57ID:Nwx9eBDE根本的な勘違いをしている
治世も磐石になった徳川政権だから、
無茶な大大名の取り潰しは配下たちへの政情不安につながるんであって
治世もまだ、おぼつかない戦国末期の豊臣政権配下にあって
外様の大大名の取り潰しが、自分達の行く末を暗示しているなんて思わない
戦国末期の豊臣政権が不安定だから出来ないんじゃなくて
戦国末期の豊臣政権が不安定だから出来るんだよ
410と、君が別の人間かどうか知らないけど
僕は、それをずっと指摘してるんだよ
理解できる?
0432名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:31:41ID:Nwx9eBDE秀吉が伊達に対して、無茶な取り潰しを行えば
それは、他の大名たちに、
「権力を、かさにかけて秀吉は酷いことをするな。明日は我が身かも・・」
という印象を与えただろう。そして政情不安に繋がるかも知れない
しかし、まだ政権も定まらず、戦国気風、真っ只中の時に伊達を取り潰しても
配下や外様にしてみれば、戦国時代の弱肉強食に映るだけだろう・・
公儀の力が強まって来てからでは遅いんじゃなくて、不都合なんだ
公儀の力も強くない時に行うから、好都合なんだよ
0433名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:35:32ID:NsGnnyvs何度読み返しても君が何を言いたいのかすらよくわからん。
もし君が、自分の書いた文章が合理的で筋が通っていると考えるのならちょっと驚異的だ。
0434名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:39:17ID:Nwx9eBDE君に根本的な読解力の欠如と理解してOK?
0435名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:46:01ID:6bbphm2g>治世も磐石になった徳川政権だから、
>無茶な大大名の取り潰しは配下たちへの政情不安につながるんであって
違うな。大坂の役のきっかけはかなり無茶なものだったが、
譜代大名達は混乱したか? してない。
福島正則を改易したとき、政情不安が起こったか? 起こってない。
政権の主体の権力が磐石であればあるほど、多少無理な政策でも実行することができる。
小泉政権がそうだっただろう?
>治世もまだ、おぼつかない戦国末期の豊臣政権配下にあって
>外様の大大名の取り潰しが、自分達の行く末を暗示しているなんて思わない
治世もまだ覚束ないということは、政権がまだ安定していないということだ。
ということは、政権を安定させるため、今後何らかの政策を実行する可能性があるということだ。
その選択肢の中には、外様大名や不要となった功労者の粛清も当然含まれるだろう。
漢の高祖が韓信を、北条義時が和田義盛を粛清したように、
政権の草創期において功臣の粛清が行われるのは珍しいことではない。
0436名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:48:06ID:6bbphm2g>>434
俺は433に同意するよ。
0437名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:50:16ID:SS2xg0k4君の方が読解力が無い。
戦国時代の気風が残るたって他の大名は既に臣従してるんだよ。
気風が残る中、弱肉強食だと分かれば、次は自分かもしれない。
余計にやられる前にやってしまえ。になるんじゃないか?
0438名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:56:46ID:DzhQxGGwもう一度いうけれど、レスする前にもう一度読み返す練習をしなよ
小田原攻め当事に秀吉は関白の叙任を受けて、帝から節刀を賜っている
これは、既に公儀が成立していることを示し、公儀への臣従を拒んだ
北条家を征伐するからこそ、全国の大名への召集がかなった
加えて、秀吉の直轄地は相対的には大きいといえるが一人勝ちとはいえず、
直属軍にしても事情は同じである
直近のレスにもあるように公儀は有力諸侯の連合政権的な性格が強く、
外様大名も政権に参画している事情を鑑みるに、公儀の名による理非なき
無茶な取り潰しについて、外様大名は難色を示すのではないか
と何度も書かれているのはわかるよね?
戦国末期であることを強調しているみたいだけど、豊臣家が単独で公儀の
名を持ち出さずに敵対勢力を滅ぼすのであればただの私闘でしかないから
外様が傍観することもけっしてないわけではなかろうが、それこそ
返って豊臣家にとって困難なことになるのもわかるよね?
臣従して間が無い外様が迂闊な戦の最中に謀反を起こさないとも限らないんだから
@九州征伐・小田原征伐がどのようにおこなわれたか
A豊臣公儀がどのような性質をもっていたか
B上記の結果、外様大名の無理な取り潰しが政権にいかなる影響を与えるか
について、もう一度よく考えてごらん
スレを読み返してみるのもいいと思うよ
0439名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 00:20:25ID:b3itxtI3豊臣政権内で伊達が、忠臣として何年も働いてきた存在なのなら
君の言う、公儀の力が弱い時の粛清は逆効果になるだろう
しかし伊達が外様以前に、政権に組み込まれていない状態での取り潰しは
政権が安定している時より、安定してない時の方が効果的なんだよ
そりゃ、毛利や徳川にとってみれば不安になるだろう
しかし元々、政権に入っていない存在で
しかも、豊臣に恭順の意を示している芦名を滅ぼした相手を
擁護する理由はないはずだ
伊達を滅ぼすのは、安定した徳川政権が豊臣秀頼を滅ぼした事より
よっぽど理由もあり、無茶でも実行しなければならない事だった
0440名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 00:27:06ID:b3itxtI3史実は、他大名の動向を考慮したからそうしたんだろ?
じゃ、その後、豊臣家はどうなった?
その服従した外様や配下たちは、秀吉死後も豊臣家に付き従ったか?
政宗は恩を感じ、豊臣にいのちを奉げたか?
家康が、何で無茶苦茶な言いがかりで秀頼を滅ぼしたんだと思うの?
君の言う、他大名への影響なんて、政権崩壊から比べたら
比較の対象にもならないよ
もう一度、スレタイを理解して考察しなよ
0441名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 06:59:39ID:bgMXn79v少なくとも、それまで存在したあらゆる中央政権よりも豊臣は強大だった。
なんせ日本中に命令して関東や奥羽を仕置きしたり大陸を攻めたりする程だったしね
秀吉存命中は家康も含めて誰も秀吉に逆らえなかった。
こんな強大な政権は実は今までの日本になかった。
それと畿内以外にもあちこちに徳川政権でいう天領(お蔵入り地)を持ちその合計は
220万石程度はあったという。
他に日本各地の金山、銀山を押さえ、博多などの港の運上益も独占。
経済能力はすざまじいものだ。
あと江戸幕府でいう親藩・譜代も豊臣政権には存在してた。
親藩は豊臣秀次、小早川秀秋、豊臣秀長、木下など、加藤や福島も実は秀吉の親戚筋だ。
譜代に相当するのは山崎の合戦以前の配下が相当するんだろう。
黒田、竹中、蜂須賀、山内、七本槍、石田など。
ただ、家柄の卑しい豊臣家の結束は秀吉が死んだあとは激しく脆かったけどね。
なんにせよ一つ言えるのは
実は徳川政権というのは豊臣政権に酷似してる部分があり、
実は家康が秀吉のやり方を模倣しさらに改良強化したものだ。
秀吉というお手本・土台がなければ
家康がいきなりあんな強力政権を作れたわけではない。
繰り返しになるが
それは秀吉が家康より劣っていたからでは少なくともない。
むしろ家柄を除いてはやはり優れていただろう。
単に秀吉が強い力で切り開いた道を家康が進んだから、
家康が強力政権を作れただけ。
0442名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 07:03:36ID:bgMXn79v織田政権、豊臣政権があったからこそ徳川政権・江戸幕府が出来たのであって、
それは全て一人の人間の資質に帰せられるものではない。
戦国時代が信長、秀吉の行動や統治によってこなれ、
家康が信長、秀吉のいい部分・悪い部分を真似たり参考にしたりしたから、
江戸幕府が出来たのであって、
仮に信長や秀吉の立場と家康を交換したからといって、
一足飛びに江戸幕府のようになるわけではない。
0443名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 07:07:51ID:KP/oLjO1最終的に誰が信用できるかなんて、結果を知る俺らしかわかりえない事を
秀吉に求めすぎじゃないか・・・?
そんな神の目を持つ事が可能なら、
いくらでも手を打つことは可能だろうが、もう少し常識の範囲内で行わないと。
あと他大名家への影響無視で政情不安なんかどうでもいいとか言ってたら、
秀吉在命中に豊臣家は崩壊する可能性が高いな。政権崩壊など結果に過ぎん。
0444名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 10:11:30ID:b3itxtI3根本的に
主題について議論、考察するということを理解してないんじゃないか?
結果論? 当たり前じゃん。
秀吉に求めるも何も、政権崩壊を防ぐ為、豊臣家存続の為
秀吉が行わなければならない事を考えてるんだから・・
何でも否定すればいいということじゃないぞ
0445名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 10:14:13ID:KP/oLjO1例えば、
「信長が死なないようにするためには光秀を殺しておけば良かった。」
こういう意見があったとして、どう思う?
0446名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 10:19:34ID:6q9ckZb8問題点を指摘されてもそれに対する論理的な反論をせず、従来の自分の説を
ただ繰り返すだけなんで、はっきり言って有効な議論になっていない。
b3itxtI3よ、もう一度自分の主張を総点検しろ。
そしてレスを1から読み返し、自説に対する反論に、論理的に説明してみろ。
今のままじゃお話にならないよ。
0447名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 10:26:29ID:b3itxtI3なるほど、言いたいことは分るよ
ま、あくまで光秀謀反に関して言えば、
今一、理由が定かではないので(個人の突発的な衝動かな?)
彼が死ねば、信長が天下を取っていただろうw
しかし、君が述べたいように
光秀がいなくても他の第二第三の光秀が結局、信長を殺すので
政宗を殺したところで他の大名に
取って代わられるだけという事は確かに理解できる
けどね、一番の目的は家康なんだ。しかし、彼が殺せない以上
やはり、殺せるチャンスのあったNO.2は殺したくないかい?
0448名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 10:39:40ID:KP/oLjO1そう、まぁこういう良くある意見を聞いて想像する事は色々あるけど、
一つは光秀ならずとも、誰かがやっていたに違いないと言う流れであって、
ならば問題の解決を考えるためには原因を考えなければ意味が無いという事。
これは理解してもらえたと思う。
だけどそれだけじゃまだ足りない、この例えにはもう一つの意味があるの。
それこそが>>443に通ずる事なんだけど、つまり、
「他ならぬ信長が光秀を信用してると言う事実を無視して殺すと言う事は有り得ない」
ということ。
ではこの例えに合わせて秀吉の心境をちゃんと考えてみよう。
秀吉が国内で最も恐れていたのはどこらへんか?
そしてそこは関ヶ原合戦でどういう役割をしていたか?それを秀吉は見越せていたか?
まずはそこから考えないと。
0449名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 11:05:30ID:rf9ymlFO癌ができるためには遺伝子や生活習慣など色々な理由があるんだよね。
つまり、病気となる要因は豊臣の内部にあるのであって、
それを改善しない限り、癌はできるわ糖尿病になるわ高血圧になるわで、
問題は何も解決しないと思うよ。
手術で家康を切除できたとしても、体質や生活習慣を改善しない限り
また重大な病気に侵されるのは目に見えている。
0450名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 13:46:22ID:m19A0U9Pぶっ殺す機会なんかいくらでもあったじゃねーか
宴会なり茶会に招いて毒殺するとか、
酔いが回ったところを見計らってたたっ斬るとか、
山内夫婦が娘を失った大地震の混乱に乗じて
徳川邸を襲撃して一族まとめて誅殺するとか・・・
0451名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 13:50:19ID:xk4fBTsG豊臣の治世が素晴らしかったならそれでも共感は得られるかもしれないが、
秀吉が天下を取った後に何をやったかということを考えると、
あまり真面目に受け取る気すらしない。
0452名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 13:58:58ID:u/XbMULwいつでもぶっころせるから後回しでいいやーって思ってたら
自分の寿命がいつの間に尽きちゃってヤバスwwwwwじゃね?
夏休みの宿題を最後にまとめてやろうとしたら流石に一日じゃ間に合わなかったって感じ
0453名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 21:14:02ID:5tPXzgr7秀吉亡き後に今出川を右大臣で復帰させるんだったら
宇喜多秀家を右大臣にして家康の上位につけてさ
伏見でも大坂城にでも入れればってな
そんな事もやってなからやっぱ家康なんだろうな
0454名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 21:28:59ID:ntSIy1be0455名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 22:33:42ID:2HNN6344伊達家の取り潰しが仮に公儀にとって有益であり、不可欠であった
としても、断行しづらい状況に合ったんじゃないかな
後の政権交代を知っているから外様を敵に回しかねないギャンブルでも
主張したくなるのはわからなくも無いけれど、ようやく全国の諸侯
のなかで比較第一位を獲得した秀吉にはとても乗れないでしょう
伊達の切り取った会津を戦なしで取り上げる方が断然安全だし
スレタイに関しては豊臣家が生き残る手段についての考察であり、
必ずしも天下様であり続けるための手段についてではない
>>1からすると、江戸幕府の成立を前提に、いかにして家名を後世に
残すかという方向性が示唆されているし、スレの前半はそんな流れ
必ずしも関ヶ原で西軍に勝利させる手段についての考察でもないし
徳川家を滅ぼすための手段についての考察でもない
豊臣家が政権から離れる要因はスレでもいくつか指摘されているし、
決して何でもかんでも否定しているわけでもないよ
もちろん豊臣家に対して含むところがあるわけでもない
0456名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 23:01:15ID:2HNN6344豊臣家の問題は外部よりも内部にあるというのに同意
政権の基盤が秀吉一人の存在に大きく依存していたのは
独立大名化していた子飼が瞬く間に徳川家の旗下に入ったことからも明らか
個人に対する忠誠が家に対する忠誠に勝っているために勢力を維持していく
ことは困難である以上、後継者への権威付けや家臣団の整備が必要であったのに
前者は秀次処刑と幼君秀頼で、後者は唐入りに伴う子飼の対立で果たせなかった
秀吉存命中ですら政権基盤は磐石とはいえなかったのだから、
秀吉没後に政権を失ってしまうのは当然かもしれない
ただ、例え政権を失い一大名に没落しても、秀吉の立てた家を絶やさない
手段を選び取ることは、きわめて困難ではなかったように思う
0457名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 23:15:12ID:b3itxtI3どっちが厄介かということ
伊達の取り潰しを見て不安に思う傘下大名に対する懸念と
政権を崩壊させ、一大名としても存続させてくれない家康
どちらを意識しなければならないかということ
もし、伊達家すら思うようにも出来ないのなら、他のあらゆる手段も困難なんじゃないか?
スレタイは「豊臣家が生きのこるにはどうすればよかったのか」となっているね
>>1は政権維持は不可能だが、一大名としての存続なら可能と考えてるのかも知れないけど
僕は逆だと思う。信長死後の織田家然り、足利家然り
天下を取った血筋は、政権を維持し続けない限り存続は不可能だと。
トランプの大富豪と同じだよ。
その手段は確かに関ヶ原での勝利以外にも方法があるはずだが
では具体的に・・? どういったものが好ましいか教えてくれないか?
0458名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 23:57:49ID:2HNN6344秀吉の血筋が一大名として存続しなかった原因は
決して家康のみにあるのではなく、関ヶ原後の
秀頼やその周辺にもあるように思うけどなあ
織田家は信秀死去後も常真が将棋駒で有名な天童で維新まで続くし
有楽の家も維新まで残っていたように思う
足利家も義昭の家系が旗本だったか大名だったかで残っていたはず
そもそも、秀吉が幼い三法師を担がれないように手元に置き
長じた後も秀信が反抗も意を表さなかったから大名として
取り立てた例があるように、秀頼も父の残した特殊な立場である
@帝から賜った豊臣の姓と関白家の立場
A大坂城主の立場
B建前上、現在の天下様である家康の主君の立場
を自ら投げ打つことができたなら、それこそ、強引に取り潰すことは難しい
千姫の夫であるアドバンテージを生かせなかったことも大きいよ
0459名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 02:02:25ID:NEkHd9W2秀吉の天下を認め恭順した織田氏と、
家康の天下を認めず敵対した羽柴氏を一緒くたには語れない。
臣従するのならば、家康が脅威に思わない様な配慮をすべきだし、
家康と敵対するのならば、もっとしたたかに立ち回るべきだった。
あまりにも幼稚。
0460名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 02:29:24ID:Jpr955y8弱体化した公儀」とは間違った見方ですぞ。
徳川家康は、本能寺の変後、光秀を討って「天下を狙おう」
としてたんだぞ。それが、秀吉が急に伸びてきて、自分を
おい越そうとは夢にも思ってなかった。だからこそ、
小牧、長久手で実力を見せたのだ。ただし、その後の
秀吉の外交手段に感嘆をして、「到底、逆らえまい」
と残念をした上での臣従で小猿。それだけ豊臣秀吉と
言う男はすごすぎたということだ。ただ、この男、
秀吉が死んだら、天下狙おう。それまで、秀吉の
やり方を後のために勉強、見習おう。とかんがえてた
にちがいない。本気で、徳川を攻めれば、時間はかかった
かもしれないが、加藤清正、福島正則、豊臣秀長、黒田官部絵、
蜂須賀子六らで総攻めすれば、徳川はほろびたろう。
それだけ、秀吉は優しい心根の男だったということよ。
0461名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 02:33:08ID:5TYYVDauそりゃ違うだろ。
時間と物的損失の大きい徳川戦よりも、
島津や長宗我部を抑えるほうが、
秀吉にとって優先順位が高かったんだろう。
0462名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 10:02:29ID:rQ93nmuy読まれなくてもいいと思って書いているのか
他人に不親切なのか
0463名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 10:21:39ID:UhSTIhIJそれでも不安が拭えず、在世中は、政宗を京都の伏見屋敷に
とどめおいた。相当警戒したのだろう。秀次事件でも政宗を片付け
ようとしたが、家康に阻止されてしまう。
慶長3年8月に秀吉は逝去。そのわずか4ヶ月後の慶長5年の正月
には、徳川家康と伊達政宗は婚姻関係を締結した。
水面下で結託していた徳川・伊達が豊臣に対して牙をむいた瞬間だ。
0464名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 10:23:17ID:UhSTIhIJ0465名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 10:51:03ID:Ub0DOJh7実際の所、秀吉が真に恐れたのは家康でも政宗でもない。
毛利を含む中国地方の潜在能力だろう。
どう見ても毛利の能力の分散化に力を注いでるし、
それに比べれば征伐に大した苦労をしてない、関東や東北の能力は
そもそも軽視しているきらいがある気がしてならない。
0466名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 11:25:21ID:XO6GpkPAだろうな。基本江戸幕府以前は文化と経済は西国に集中していたわけ
だし。
0467名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 12:11:30ID:oM5N9byb0468名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 13:10:32ID:gm0JGpmuあまり警戒していなかった、徳川にやられたからなあ。
あれは秀吉の落ち度だろう。
あと北条の領地を与えたのが、さらにまずかった。
秀吉としては、善政で知られた北条の領土を統治させることで、
苦労させることを期待していたんだろうが。
朝鮮に二万くらい、投入させとけば、かなり疲弊するから、
関が原もなかったか、後何年も先の話になったと思う。
0469名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 13:31:12ID:R5ggYJY/流れを含めて読み辛い
0470名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 15:39:13ID:X/GY84Ib家康の側近調べてみ、本多も大久保も井伊だの酒井も数万石しか貰ってない。
家康の元であれだけの武功を立てまくった忠勝や榊原ですら10万石だ。
その意味を考えてみな。家康は物を貰って忠誠を尽くすと言う構造ではいずれ崩壊すると思い
物以外での忠誠心を家臣に求めたのだ、その代わり政治にも参加させてる。
御三家すら幕府の政策には一段外に置かれているのだ。
唐入りは、初めは勝つ事しか考えてない。
だから家康などに参加させるわけがない、ただ国内で大本営の筆頭で補佐はしていた。
朝鮮できつい戦いになればますます東国組は行かせられない。
何故なら朝鮮で苦労した西国が戻って来たときに褒美すらないのだ。
これが各地で不満起こしていったら統一国家が又戦国に逆戻りだ。
それを収める意味で東国は温存しておかないと行けなかった。
事実、出兵組の豊臣恩顧大名内での内紛により関ヶ原が起き。
それを収めた、家康が天下に混乱起こすことなく、幕府体制に移行できた。
大坂の陣で豊臣家滅ぼしたのは関ヶ原の状況とは全く違うし、意味合いも大きく違うのだ。
ごっちゃにしては困るぞい
0471名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 16:11:45ID:X/GY84Ib天下取りも大変だよな
0472名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 16:12:15ID:/qevKYHE0473名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 16:35:28ID:2d3Z2CE8忠誠心の継続でしか、政権を維持できなかった。
ここが、成り上がりものの欠点だ。
ところが、徳川のほうは、叔父、清康、父、広忠雄、妻、築山御前
長男、信康と身内に多大な犠牲をしいてきたので、「松平」としては
なんとしても家康だけは、生かして、いつの日にか、天下様に。
という旗本周の結束が高かった。それは石高にまさる戦国まれにみる
結束力だった。あと、徳川が戦争強かったのは、三河州の結束力と
共に,旧武田信玄の遺臣を数多く取り入れたことにより、「戦闘力」
が倍増したということだ。これでは意家に、豊臣とて、徳川に勝てまい。
0474名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 16:53:48ID:X/GY84Ib1615に彦根で35万石、でもこれは立地敵に西国が関東に攻めてきたときの最終ラインなので。
とっても重要なポイントだからな、石高は多めなんだろうね
0475名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 16:57:42ID:VOX7lPF5伊達すら削れないと思ってる人は
一体、何を持って、秀吉の力を維持できると思ってのやら・・
史実でも秀頼に難癖つけて、一家根絶やしにまで徹底した徳川に
恭順さえすれば助かると思い込んでる
>>458>>459のような輩は論外だし
公儀なんて概念も、政権が何年も継続して初めて意味を持つのであって
結局は弱肉強食こそが政権と従属ということの原点なのにね
どうして、そんな当たり前のことも理解できないのかな?
不思議で仕方ないわ
0476名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 18:34:04ID:3YzFT77v>史実でも秀頼に難癖つけて、一家根絶やしにまで徹底した徳川に
>恭順さえすれば助かると思い込んでる>>458>>459のような輩は論外だし
おいおい、お前、何様のつもりだ。
豊臣が徳川に徹底的に恭順してれは
一大名として助かっただろうという説は
小和田教授などいろんな人が唱えてるよ。
自分の意見を言うのはいいがあんま偉そうにするなよ。
少なくとも史実では豊臣が最悪の強硬姿勢をとったから
家康が難癖つけて滅ぼしたわけで
あんたの発言を裏付けることにはならない。
0477名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 18:37:55ID:3YzFT77v「人の事をバカという奴に限ってバカだ」という法則があるが
人の事「やれやれ」とかいう奴に限って「やれやれ」なんだよな。
少なくとも全面的に豊臣が臣従姿勢をとってれば
家康もゴリ押しに豊臣を滅ぼすのは無理だったと思われ。
0478名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 19:18:36ID:VOX7lPF5小和田教授www
小和田教授www
国家安康のどこが、ゴリ押しじゃないんだよ?
あれこそ、史上類を見ない究極のゴリ押しじゃん
大坂城落城の際、必死の助命にも関わらず
秀頼の子供も全部殺されたんだぞ
そう。その秀頼の子供こそが、家康の曾孫だと言うのに・・
0479名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 19:27:37ID:UBGYdcKA君が歴史の解釈はもちろんのこと、人間としても相当問題が有る、と言うことだけはよく解った。
少しは世間に出てみな?引き篭もってばかりじゃ体に悪いぞ。
0480名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 19:30:25ID:3YzFT77vなんにせよ、あんたの言ってるのは「かもしれない」とか「こうだろう」とか
自分の推測意見を述べてるだけだろう。
「100%こうだ」という事にはならないよ。
ようするに「俺はこう思う」といってるだけだ。
そんで「w」とか低劣な表現使ってケムにまいてるだけ。
>秀頼の子供も全部殺されたんだぞ
>そう。その秀頼の子供こそが、家康の曾孫だと言うのに・・
これで君の知識もお里が知れたね。
秀頼の娘の天秀尼は殺されてないし、
息子の国松は殺されたが千姫の産んだ子ではない。
0481名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 20:06:29ID:09T1Tkmxむしろ、>>475の論理が正しいとすれば家康は弱肉強食を実践しただけだから
>>478のような情に訴える発言は完全に矛盾する
0482名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 20:20:38ID:2JHcQJJo何度も降伏を促されていたのにそれに応じず
キリシタン禁令や改易等で牢人が多いのをいいことに各地の優秀な牢人を登用
家康が、己の寿命と戦乱の危険を感じ少々強引な大義を得て迅速に開戦
冬の陣で一度停戦し勝てないことを思い知ったくせに降伏せず
夏の陣で徳川方に多くの損害を出した状態で陥落しかけ、ようやく助命嘆願
これで許せと?
0483名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 20:26:48ID:3YzFT77v少なくとも、史実の豊臣家は自ら、
ほぼ最悪の形で滅亡へと向かってひた走っていた。
それを題材にして
「豊臣が臣従しても絶対に滅ぼされていた」と
結論づけるのはあまりに飛躍がありすぎ。
0484名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 23:17:25ID:fjFxiaJR生き残りの努力を全くしていない。
そら、家康でなくても難癖付けて滅ぼすさ。
0485名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 23:24:14ID:TcUn2TYn浪人囲う暇があったら徳川縁戚の跡継ぎ作りに励めば良かったのに。
0486名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 00:55:31ID:00xxKsroそれはともかく。
秀吉は、秀頼じゃ家康に対抗できないことを知っていたから
鎌倉幕府みたいに、合議制の上の主君制を狙っていたんだろうが、
やるなら自分の時代からそうしておくべきだったな。
ワンマン社長が代替わりして会社が傾くのと一緒。
家康はよく観察している。そういう反面教師を生かして徳川家を
うまく相続させてる。
0487名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 01:15:03ID:h16bxl7iそれ以前に、信長が三姉妹を助けたのが不可解だ。
奴の性格からすれば3人も即刻打ち首にしなければおかしい。
少女であっても敵の子、何をしでかすか分かったもんじゃない。
まあ、物心付いてないくらい幼いお江だけは助命しても無問題かな。
あの足利義教も永寿王(後の足利政知)だけは渋々とはいえ助命したくらいだし。
0488名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 01:17:16ID:h16bxl7i0489名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 01:31:17ID:NagY7UqKもし、信長が死なずに天下取ったら、日本はどうなった?
ていうスレ作ってくれよ
0490名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 11:20:08ID:V3c3Lj+k浅井や織田勝家の恨みの系譜とも言える存在だ。
それを秀吉が妾にしたのが全ての悲劇の始まりでした・・・・
0491名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 11:43:00ID:V3c3Lj+k女一つで歴史変わっていますな。
おねが子供産んでたら・・・・お濃も産まず女だしな、賢女は生産性に欠けるのかw
0492名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 13:36:07ID:W2IlDGXC>>478を庇うつもりは毛頭ないが話題が仮定の以上は100%こうだっていうのはないんじゃないか?
だが俺も>>458に激しく同意
0493名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 15:10:41ID:4m3Jxj32そんなこと言ってたら
秀吉の血ことそ続いてないものの
二つの木下家(しかも姓は豊臣)も維新まで続くし、
小早川秀秋の血が真宗大谷家に未だに続いてるしな。
0494名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 22:32:21ID:w1aJRfjK狭義の豊臣家は1615年に滅びた秀吉の直系を指すと思うんだけど、
このスレ的には、やはり後者を想定しているんだよね?
仮に秀頼が早い段で国替え・人質・豊臣姓返上を受け入れたとして、
徳川家が秀頼を滅ぼすにはどのような手段があると思う?
幕府開設直後の、後に改易された外様大名が軍功によって大封を得ている状態で、
あまりに強引なまねは、徳川家にとってもリスクが大きいのではないだろうか。
千姫との間に嫡男をあげて、その子にも将軍家縁の娘をあてがってもらった上に
松平姓でも賜っておけば、池田家のように遇される事は可能じゃないかな。
0495名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 22:53:28ID:1dSIGTQ8千姫との間に嫡男と娘をもうける。
嫡男には当然、将軍家縁の娘をあてがってもらって
娘を三代将軍の正室に宛がう。
あとは男3名女10名くらいを側室との間にでもいいので
もうける。
65万石は秀頼1代で、その後は15から20万石程度の3家にわかれ
転封させればよい。最悪でも、どの家かは生き残るだろう。
この分家にも徳川家縁の娘をあてがってもらえば、なおよい。
逆に娘は主要な諸侯に嫁がせていく。
0496名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 23:26:20ID:9hJbZVGdそうそう、そこまで都合がよくいくかは別として豊臣が臣従しても
確実に潰されるなんて理論はありえないよな
そんな感じにうまく潜り抜けていって秀忠が死ぬまで豊臣家が生きていれば
運が悪くない限り改易になんかならない。
秀忠が死ぬ頃になればいい加減豊臣家を長に叛乱を起こそうなんて大名も居なくなるし
豊臣自身もこの期に及んでかつての主筋だったこともどうでもよくなる
なにより戦争はしばらくおきないだろう
逆に先祖がうまくやってくれたおかげで徳川幕府外様の割にはいい待遇が待ってる可能性もある
0497名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 05:40:33ID:E/1FtR2l豊臣という名前のせいで滅びたような気もしなくもない。
欲張り過ぎたのかな?
0498名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 06:45:03ID:m0BIyLem秀頼・淀は徳川幕府挑発しすぎてる、兵集めるは金使いまくるわ
秀吉の残した金を大量に使って寺建てたりしすぎて、金があるぞと浪人が
大阪に溢れてしまった。
難攻不落の大阪城があり、秀吉の息子が居て、金もやたら沢山ある。
しかも当主側近は無能ぞろいときてる。
当時のチンピラゴロツキの浪人どもはそれを食い物に一戦やって武功を立てて大名に・・・・
なんて考えて10万も20万も集まった訳だ
調べれば調べるほど、豊臣側の原因が大きいねえ。
0499名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 07:10:54ID:E/1FtR2lワタス秀長ファン。
ヽ(´ー`)ノ
0500名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 07:26:33ID:C+oY64pi>小早川秀秋の血が真宗大谷家に未だに続いてるしな。
秀秋に実子がいたんですか?
0501名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 15:17:16ID:9phN2n04秀秋の子をはらんだ女性が真宗大谷家に再嫁して
子を産んで世継ぎになっている。
0502名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 17:37:25ID:6yWxXM3k皆さんのレスにあるように、二重三重の婚姻関係を徳川と結び、大坂城からの移転、大幅な領地の返上と…。
どれか一つでも、失敗すれば、元も子もなくしそう…
佐竹、上杉並みの家臣団統率力と島津ばりの外交術が果たして、秀頼に備わっているのかと…?
0503名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 17:58:57ID:9phN2n04いや難しくはあるまい。
豊臣家にも分別のある者がいて
自分から早々に大和あたりに移っていれば
なんとかなっただろう。
それと必ずしも秀頼自身の能力というよりは
優れた補佐役がいればそれで済むこと。
0504名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 18:31:10ID:6yWxXM3kというのは、10万石以上の外様で、明治維新まで、10万石以上の大名として、生き残る可能性は50パーセント強しかないという史実が物語っているのでは…?
この場合、優れた補佐役に求められる能力は先見力以上に上下を納得させる説得力…
当時の豊臣家中には…見当たらないのでは…
0505名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 19:51:35ID:zxo4e18h長い江戸時代の間にどこで改易にされるかは分からない
それはその時代の当主が悪いわけで徳川が、豊臣だからはむしろ関係ないし
秀頼時代にうてる布石なんか限られている
0506名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 20:04:20ID:E/1FtR2lなにせ、かなり他人任せな戦略なんだから。
0507名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 20:05:54ID:qNZc/96mむしろ秀吉は包囲網を作ったけど、秀吉の死で勝手に崩壊した、って感じだな。
0508名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 20:22:41ID:E/1FtR2lああ、確かに。
家康はなんであんなに長生きしちゃったのかね。
0509名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 20:22:46ID:JQsTCzBNそんならさ、大名やめて百姓に戻ればいいんじゃね
0510名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 20:27:14ID:E/1FtR2l自分もそれならそれでもいいと思うけど、大名として生き残るなら、って書いてあるからそんな感じかな、と思ったんだよ。
0511名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 20:38:47ID:qNZc/96m秀吉好きな人にはカチンと来るかも知れないけど、「天命」って奴だと思うよ。
0512名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 20:43:32ID:aaXwSU3J_(L..._____
/ `__、
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/ _,.‐'´ `ヽ、ヽ
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0513名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 20:53:06ID:nFATx4gk史実の徳川家対策を見ると否めないかもしれないね。
淀とその取り巻きの存在は、大きな同情材料だけど。
ただ、何がしかの行動を起こさないことには存続が危ういのだから、
前田家みたいに、徳川家からの付家老を受け入れるくらいの
捨て身の策は必要だったんじゃないかな。
具体的には、成瀬・安藤・竹腰あたりの駿府に近い連中を。
0514名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 21:15:35ID:6yWxXM3k外様の改易、削封は、美作の森家以外は、寛永年間までに行われている。
つまり、秀頼、もしくは秀頼の息子の代では、外様の大名が極めて生き残りづらい時代だったというのが史実だ。
だから、可能性は0じゃないけど、隠忍自重、恭順臣従すれば、生き残れたみたいに、口で言うほど簡単じゃないんだよ。
ばーか
0515名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 21:25:14ID:E/1FtR2l何故にそこまで言うのか理解に苦しむ。
それをいっちゃあ、家康包囲網を作ってそれを思い通りに動かす、って方がよっぽど難しいでしょ。
隠忍自重の方がまだましかと。
0516名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 21:42:54ID:lWrtasB6大名の改易と敵性勢力への攻撃を同一視する君こそ阿呆丸出しでは?
豊臣商事が生き残る為に徳川商事へ吸収される事の是非を云々してる
ときにその後の元社長がリストラにあう可能性を論じて何になる?
0517名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 21:46:13ID:6yWxXM3k当方の主張は、豊臣家生き残りの可能性は、
関ヶ原に至る『このスレでいうところの家康包囲網』の徹底、強化で50パーセント。
隠忍自重恭順臣従でも、50パーセントぐらいで、あとは、各人の好みで、イフの歴史を楽しみ、個々の意見を主張しあえば良いかと…。
ただし、>>505のように、よく史実調べずに、しらねーよと…レスするのはどうかと思うしだいであります。
0518名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 21:50:56ID:6yWxXM3k0519名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:02:27ID:1LBhBBy2家康包囲網は一応秀吉がやってみたが失敗した
その時点ではもう徳川臣従しか残っていない
豊臣厨はやだろうけど
0520名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:04:25ID:qNZc/96m「豊臣家」が続いていれば生き残った事になる。「家」と言うのは正しく現在の感覚で「法人」
だからな。例えば上杉家なんて江戸時代に嫡流は途絶えたが、他家から養子を迎え入れて
存続したし、誰も「上杉家は滅亡した」なんて言わない。
血の問題だけじゃないわけだ。家の存続って言うのは。
0521名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:06:41ID:E/1FtR2lうーん、イフの歴史を楽しむとか個々の意見を楽しむとかなら、史実がどうのこうのと言う事もないと思う。
それに史実を認めるとしたら、それまでの過程だけじゃないの?
0522名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:13:57ID:nFATx4gkifの歴史を楽しむのは賛成だけど、関ヶ原後の徹底恭順と
関ヶ原以前の家康包囲網が、策として五分のものとは思えないよ。
前者の可能性が高そうというよりも、散々既出のように
>>515と同じで、後者の実現可能性がかなり低そうなのがその理由。
>>518
秀頼がリストラされて、創業者一族の会社支配権が失われても、
買収先派遣の社長によって組織体が残されるのなら、
少なくとも社員とその家族が路頭に迷うことは無い。
もちろん、買収先の事情でリストラや部署の縮小・撤廃が予想されるが、
倒産していっせいに失業するよりはましでしょう。
豊臣商事(仮)の社名は残り、社員がそのままなら生き残りといえないかな?
0523名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:14:31ID:9phN2n04大阪の陣のように派手に一家皆越しにされるというのと、
単に加藤や福島のように徐封されるというのは違うと思うんだが?
取り潰された家で一家皆殺しにあった例って
あんまり聞かないなあ。
豊臣が取り潰されたとしても、
福島みたいに神妙にしてれば数千〜数万石くらい与えられて
穏便な形でなんとか存続すると思われ。
ただし大名としては存続しえない形かもしれんが。
0524名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:22:17ID:9phN2n04ただの木下家にして数万石与えて存続ってのがいいかも。
実際、木下家は維新まで存続したんだし。
0525名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:26:55ID:JQsTCzBNそんな存続の仕方アリなら
木下さん家の跡取り問題くらいに次元が下がっちゃってるじゃん
そんなの木下さん家で、考えればいいんであって
何で、他人の俺がスレ立ててまで話し合わなきゃならないんだよ?
0526名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:31:55ID:9phN2n04http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/kyushu/hiji.html
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/chugoku/asimori.html
0527505
2006/10/17(火) 22:53:00ID:zxo4e18hよく調べもせずにとは心外だな。別に脊髄反射してレスしたわけじゃないんだが
「しらねーよ」ってのはな、人材が居ないとか、明治までに半分近くが改易されてるだの
そんなのどうでもいいよって意味が含まれてるんだよ
人材が居ないのはどの道一緒だろ?家康包囲網なんて家康だけに特化したもんなんかで
生き残れる可能性が50%なんてありえない。それこそ後代の人材不足が露骨にでるだろと
お前の言うとおり臣従策は確かに棘の道だが、前から色々言われてるように
生き残るために利用できそうな要素は豊富なんだよ。多少人材不足でものらりくらりとかわせる
可能性もあるんだ。秀頼は一説によれば凡愚では無いようだしな
ただ秀頼、秀忠死後はもう分からんよ。あとは後代の秀頼の子孫に任せるしかない
0528名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 01:29:30ID:xILAgwR0下らん議論すんなよ
豊臣家が政権維持する為に知恵を絞るから意味があるんじゃん
家康に恭順すれば残るって・・アホらしいw
そんなの考えてどーすんの?
0529名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 01:38:17ID:ZWHrgR36スレに大名としてって書いてあるから、政権を担当しようがしまいが、関係ないと自分は思われ。
0530名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 02:00:13ID:xILAgwR0命だけは取らないで下さい!!
って頼めべいいんじゃね?
0531名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 02:04:15ID:xILAgwR0ていうか、どこにも大名なんて書いてねーじゃん
>>1が大名として。。自分の感想書いてるだけだろ??
オマエ>>1が出てきて、答えはこうだ! って言えば従うのかよ?
スレタイはあくまで、「豊臣家が生きのこるにはどうすればよかったのか」
分ったか? 百姓か関白か!? どっちかだ
0532名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 02:22:49ID:ZWHrgR36スレ立てた人と>>1って違う人なの?
補足の意味で>>1を書いたのかと思ってた。
スレタイにできるだけ近い方がいい思った故。
自分が推す主張は特にはない。
徳川と全面対決するよりは、服従して大名家として残る方が無難だと思っただけ。
0533名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 02:26:14ID:ZWHrgR36スレ立てた人と>>1って違う人なの?
補足の意味で>>1を書いたのかと思ってた。
スレタイにできるだけ近い方がいい思った故。
自分が主張したい事は特にない。
徳川と全面対決よりは、服従して家を残す方が無難だと思っただけ。
0534名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 03:08:48ID:+XNi55IJ隠忍自重論がより現実的なのは理解できるが、それでもかなり難しい。
例えば、現在、トヨタ級の巨大企業が、経営環境の激変で、いきなり、10分の1以下に、経営規模の圧縮を迫られたとする。
その際、下は従業員組合から上は取締役株主総会の猛反対を受けるのは必至である。
これを納得させるのは、かなりの説得力とリーダーシップが必要なのでは…
そして、それが秀頼に備わっているのかが疑問?
0535名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 03:10:00ID:xILAgwR0百姓や、1万石の大名でもいいような
分りきった答えの出てる回答すんじゃねーよ
何、言い訳してんの?
みっともねーw
0536名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 03:23:19ID:ZWHrgR36その例えは微妙であると思われつつ。
他の代替案はどのようなものがあると思われますか?
0537名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 03:28:27ID:ZWHrgR36どんな事が言いたいのかよくわからない。
0538名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 03:37:05ID:6E6kzwC2それを全部潰してきたのが秀忠と淀
0539名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 03:41:54ID:N4moi9qAむしろ豊臣家は、関ヶ原であらかたリストラは済んで、資本も縮小し、新たに成立した徳川グループに
ほぼ吸収された形になっていたにもかかわらず、過去の夢よもう一度とばかりに、そのリストラ
された社員を小さくなった資本も省みず勝手に、再び社員採用してしまい、社員数だけは旧に復して
「豊臣グループの復活だ!」と言い出した、と言った感じで始まったのが大阪の陣だな。
で、最終的に業務的には干上がりながら出戻り組みの作った組合が会社を実質支配してしまい
コントロールのきかないまま崩壊、と。こんなものかな?
0540名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 05:13:17ID:xILAgwR00541名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 06:44:11ID:cnI8Xyvu徳川幕府はなぜ大名家改易の際に一族郎党殲滅を断行しなかったんだ?
家臣団の女子供にいたるまで根絶やしにするのが当たり前だろう。
みすみす幕府に恨みを抱く者たちを大量発生させてどうする。
小早川家改易の際も稲葉正成一族以外は殲滅すべきだったし、
最上家改易の際も伊達政宗の母・保春院以外は全て誅殺すべきだった。
福島家や加藤家の場合は問答無用で家臣団の家族まで一人残らず殲滅しつくす。
毛利元就はそのような苛烈さをもって将来の禍根を断ち切り栄華を極めたのだ。
徳川幕府も元就のような断固たる対処で望めばもっともっと繁栄していただろうな。
もちろんこのことは羽柴秀吉にも言える。
奴も他家を甘やかしすぎて結局族滅されたのだからな。
0542名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 08:44:43ID:lXa3fkkp0543名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 09:56:16ID:BfreSV5W家康は自分なりに秀吉との約束を果たそうとはしたんだろ
秀忠や淀には秀吉と家康の「男の約束」がわからない
>>541
信長信者の発想だな、これはw
そんなことをしてもどこで恨みを買っているかわからない
信長が結局、重臣にやられたように
0544名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 11:57:37ID:+XNi55IJ史実では行われなかった隠忍自重
イフを語る際、有利なのは断然、後者なんですよ。
もう少し、強硬派の方々には、頑張って欲しいなぁ…
0545名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 14:15:59ID:pLYirzHY強硬派の望む関ヶ原当時の政治情勢にしても、伊達家取り潰しや家康包囲網など、
史実から離れた要素を前提としているから、その比較は微妙だと思う。
そもそも、関ヶ原の構図は豊臣家対徳川家を離れた嫌徳川対親徳川のものであり、
醍醐寺座主義演の日記にもあるように、当時の家康は事実上の天下様。
天下様と、その支配を厭う勢力との争いであって建前はともかく、秀頼は蚊帳の外。
天下様として豊臣家が残るためには、関ヶ原当時はすでにジリ貧であって、
その前の段階でいかに家康への政権移譲を防ぐかが問題となると思う。
0546名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 15:18:47ID:OI/2Ik03豊臣と徳川の蔵入地の差が格段に狭まるのは関東入部の時だから
そこまで戻って考えないと駄目かもね。
0547名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 17:02:35ID:8iKOn1Ox1.子供が居なかった、少なかった事。
関係ないけど、秀頼は実の子供?じゃないと思います。大野治長が怪しい.....。
2.秀長の死。秀次の切腹、聚楽第に居た秀次の子達を切腹。
3.家康を関東転封と五大老の筆頭。もう少し領土を少なめに与えていれば....。
4.唐入り。諸国の家臣の経済圧迫。
5.木下、羽柴時代からの家臣を信用してない。
6.信長死んでから20年しか時間が無い。
7.女性に構ってないで健康に気を遣っていれば(家康のように)長生き出来たかも?
もし、天下統一後に唐入りせずに豊臣政権の足固めしていれば、続いていたと思う。
また、信長を見ていたから家臣団を信用出来なかったかも?
逆に家康は、武田信玄を見習い家臣団の結束も固かったような気がします。
信玄の言葉で ”人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。”があります。
これを秀吉も実行してれば良かったかもしれませんね。
そうすれば、皆さんの意見のように諸大名を各地転封して外様の見張り役にする。
徳川家康くらいでしょうか?見張っておくのは。伊達はそこまでの力は無いような気がします。
0548名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 17:31:48ID:L+E/FysO底まで遡らないといけないのならば・・結論として
小牧長久手での戦勝という結論になるのでは?
あの戦で秀次が運でも良いから家康に先んじていれば
戦後家康の封土は三河駿河二カ国くらいに限定でき
関東をくれてやる必要なくなるし。
0549名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 17:33:33ID:+XNi55IJその実現可能性、戦略的効果を議論してみてはいかがだろうか?
0550名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 17:37:25ID:0gXtIqdz通俗的な意味ではなく、雇用対策としてな。
雇用対策をしくじれば治安が悪化し、政権運営もままならないのはちょっと歴史を知っていれば解るはず。
0551名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 17:38:45ID:4jPpzEas家康にあれだけ気を使っているのは小牧長久手で負けたことが大きい
戻るならそこまで戻らないと
0552名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 17:56:51ID:o6HpvEiF0553名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 18:00:58ID:VE06p2z30554名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 18:01:24ID:e2FUtJDKいや政略で臣従させたから負けたわけでもないが。
0555名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 18:28:31ID:zKWO1PKp海外商業の発展(用心棒&海外旗揚げ組)と大阪の陣(邪魔者一掃)
がそれに当たるかなあ。
豊臣の場合、雇用対策で大規模建築や戦争したのは良いが、自分
の財産使わないもんだから大名に痛みを強要しすぎた感がある。
「生かさず殺さず」これ鉄則。
0556名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 18:32:58ID:SlA3WU1H徳川を挑発して挙兵させれば、後は討伐あるのみ。
あるいは毛利元就が尼子などに仕掛けた調略のように、
徳川家内部で大混乱を引き起こさせるのもよかった。
筑前の天才的をってすれば徳川家族滅などたやすかったはずだ。
0557名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 18:34:19ID:SlA3WU1H×筑前の天才的をってすれば
○筑前の天才的頭脳をもってすれば
0558名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 18:34:35ID:+XNi55IJ伊勢を降伏させた秀長軍が、合流するまで、持久策を取るってのは…?
中入りを献策した池田を説得するのに、手間取るかもしれないが…?
0559名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:08:35ID:ApekC2Vr拾い首だし
0560名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:33:03ID:o6HpvEiF>徳川家内部で大混乱を引き起こさせるのもよかった。
いや、石川数正の二列目からの飛び出しがあったじゃん。
壮大なオフサイドに終わったけどw
0561名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 20:24:32ID:7qk00BbR露骨に挑発して、合戦を誘発させるのは家康を討伐するまではいいけど後が怖いよな。
まだまだ家康レベルの大大名は各所に居るわけで
家康を変ないいがかりで強引に討伐したら次は俺かと思われてしまう。
下手すりゃ家康に味方する大大名も出る可能性はある。家康は小牧で秀吉を苦戦させた実力者だしな
また大大名が秀吉に次々降伏したのもその実力者家康ですら秀吉に臣従したという
事実が一因だから、動揺も大きいだろう。
また秀吉政権が完成していくにつれて大老家康の手腕は正直欠かせないものがあったと聞く
これは石田三成等では代用が聞かないポジションのはずだ。
それもあるため秀吉は家康を信頼しきっている面すらある
0562名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 20:33:40ID:Ibv7n9I6家康を倒すよりも遥かに簡単で確実な方法だ
0563名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 20:46:17ID:L+E/FysO徳川家康の関東移封当時の豊臣政権の仮想敵国と呼べるのは
中国筋の毛利一族だ。
関東に追いやった徳川に比較して上方に近く経済的にも
関東250万石に倍増した徳川とタメ張った毛利が
箱根の向こうの家康なんぞよりも遥かに大阪近くにいるんだよ?
実際の話、毛利の警戒心を呼んだらどうする。
あの時点では先の読める小早川隆景も健在なんだぞ?
伊達の去就も今だ剣呑とし
島津、長宗我部と「恭順しても家康殿のように?」と
不安がって動揺する有力外様を決起させる事態も夢ではない。
家康が決起して場合秀吉が勝てる保証は無いわけで
局地戦ででも勝ってしまえば、後はこいつらへの揺さぶり
を実行していく。
これで秀吉は大明征伐という次の壮挙にてをつけられないまま
生涯を終えるだろう。
結果論てきには家康に決起させて外様&不満勢力を掃した方が
よかったんだが
当時的には早々と妥協で天下をまとめて大明征伐に総力戦に
したいというのが秀吉の判断だったんだろう。
海外進出に眼のくらんだ秀吉の判断ミスだな。
逆を言えば秀吉が日本一国の天下統一と安定に専念する腹積もりと
覚悟であったならとは思うが・・
0564名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 21:07:02ID:+XNi55IJ0565名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 21:09:03ID:xILAgwR0で、氏郷死後に
会津と仙台周辺に家康を配置替えさせる
それに家康が反対すれば攻めれば良い訳で。
朝鮮侵略も、元はと言えば
反乱分子や外様の矛先を海外に向け、
かつ、失業武士の雇用対策の一面が大きかったのだから
その敵が朝鮮じゃなく家康でいいんだし。
家康討伐後は、毛利、前田、上杉、宇喜多、加藤、佐竹など
大幅加増を約束しといて
加藤や宇喜多は関東辺りで
毛利なんかは、東北あたりに領地を加増してやれば
毛利家も分担できる
0566名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 21:17:34ID:xILAgwR0・氏郷死後、家康の会津周辺への領地替え
・家康が条件を呑めばOK。呑まずば侵略
・家康が東北に移った場合、関東に宇喜多、石田、大谷などを配置
・家康との戦になった場合、利家、毛利、上杉、佐竹などの外様を中心に侵攻させる
・毛利家加増の際は、東北や関東などに加増
・宇喜多、加藤など豊臣恩顧も関東に配置する
0567名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 21:29:24ID:IvHwSgRx具体的な政治闘争があったわけではないけど、
長年培った広大な領土と譜代の臣、京・大坂への立地など、
徳川家に並ぶ潜在的な敵国だったとは思うよ。
毛利家に移封はなかったけれども、四国・九州・朝鮮では
最前線でこき使っているし、毛利本家の家督相続をたてに
小早川家に秀秋を押し付けることに成功している。
外交官といっても良い安国寺に独自の所領を与える嫌がらせも。
似たような条件に加えて、小牧の借りがある徳川家に対しては、
父祖伝来の地から難治と見られる関東への移封に加え、
石川数正出奔を手引きして家臣団の離間を図るなど、
さすがに秀吉は政権安定のため、様々に手を打っている。
もっとも、家康はその策を乗り越えて自己の勢力を大きく拡大したし、
毛利家中にしても、秀吉の嫌がらせのせいで親徳川の吉川派を
生んで関ヶ原に影響を与えてしまった以上、大失敗ではあるけれど。
0568名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 21:58:06ID:iidfdqfV中国大返しのときの吉川元春の態度は諸説あるが基本的に弟の隆景と違って
九州攻略までは隠居と称して参陣しない、硬骨の反秀吉だったからねえ、元春は。
隆景がいくら秀吉に従順とはいえ毛利本家への影響力は元春の方があったわけだから
地理的な問題を置いておいても毛利は豊臣の潜在的脅威と見られても仕方がないか。
秀吉としては毛利両川の離間という点では小早川乗っ取りも含めて上手くやったな。
本題の徳川の方は秀吉の方から頭を下げるくらいだから何とも言えない。
あの(狭義の)家族想いの秀吉が大政所を人質に出してまでしているのに臣従拒否したら
まだ秀吉も西国から北陸を平定しただけだから中途半端に冷戦が続いただろうなあ。
てか秀吉生前で徳川包囲網なんてナンセンスもいいところじゃないか?
確かに国力から考えれば充分に脅威ではあるけど、同時に徳川なしに政権運営できない脆さもあった。
後世の創作かは知らんが家康自身は豊臣家滅亡を望んでいなかったという説もあるから
やはり淀とその周辺グループが時代を読み違ったんだろう。
もし家康が秀頼と二条城で対面して徳川政権の存続に危機感を抱いたという従来の説に従えば
謝罪の意味を込めててんぷらでも贈ればよかったか?
家康は秀吉一族と多重の姻戚関係にあるし徳川政権下でも過ぎたる望みを持たなければ
一大名家として生き残ることは可能だっただろうねえ。もう秀吉恩顧の大名は世代交代しているし
そう考えれば要衝である大坂から退去さえしてもらえれば豊臣家は徳川政権にとって脅威ではない。
0569名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 22:40:38ID:mQ3kevNp同意、そして関ヶ原でも毛利や宇喜多の意味はとてつもなく大きく、
東国は結局東国同士で乳繰り合ってただけに過ぎない。
そういう意味では秀吉のにらんだとおりだった。
だが家康もその辺を逆手にとって利用したということ。
伊達をわざわざ敵視しすぎる理由は無い、
国力を落としてやれば十分という策自体は有効で間違ってはいない。
どうしたってこの状況では東国までは目が届きにくいんだから、
東国の力関係を維持するためにも、そこそこの力であれば、
政宗のような存在は、秀吉の天下維持のためには有効な存在。
>>565
信長の野望じゃないんだと上で誰かに言われてた人かな?
とにかくもう少し国替えと言うものについて基礎知識がないとダメよ。
0570名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 22:58:41ID:IvHwSgRx小牧の戦のおかげで、力で強引に臣従させられなかったのが痛いね。
妹を嫁がしてまで得た臣従は、対外的には連立政権における
比較第一党と比較第二党のような提携的側面を生んでしまった。
これによって、家康は豊臣政権内における発言権と別格の地位を、
秀吉は、迅速かつ確実な天下統一の実現を得たのだから、
当時ではいずれが得をしたかは判断が難しいし、
秀吉自身は後の徳川家への対応を見ると、勝算があったんだろうね。
ただ、関東移封後に家康の旧領に入った田中(岡崎)、堀尾(浜松)、
中村(駿府)、石川(松本)、浅野(甲府)はこぞって東軍だけど、
やはり、俄かに身上の増えた移封後の領国経営を通じて、家康との
つながりが生まれてしまったのだろうか?
0571名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 23:16:16ID:zKWO1PKp単純に真っ先に踏み潰される位置&元領主による地侍の煽動を
恐れたんじゃなかろうか。
秀吉は対家康包囲網を築きながら、なぜかその旗頭を欠く配置を
してる。「各個撃破してください」と言わんばかり。当面の防ぎ
を担当する指揮権者を置くべきだった。
0572名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 23:35:36ID:IvHwSgRx同意
ただ、できることなら甲信・駿遠三をそれぞれ信頼と
統治能力に長けた者に任せられればいいのだけど、
譜代の臣は少ない上、その多くは大封を得るにはまだ早い。
いくらなんでも、交通の要地に外様をいれたら元も子もないから、
人選は結構難しいような気もする。
少ない身内ではあるけれど、秀長・秀次にそれぞれ与えることは
できなかったんだろうか?
秀次はともかく、秀長を中央から離すのは難しいのかもしれないが。
0573名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 23:48:11ID:OI/2Ik03あいつが入部したら少しは変わって・・・どうやらなさそうだな
0574名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 23:57:30ID:IvHwSgRx罰せられるのも困りもの。
丹羽・蒲生・佐々の例を見ても、秀吉は器量不足の改易・減封は
結構やってるし、なにより、豊臣家の仮想敵との最前線におかれるのは
リスクが大きいものだしね。
0575名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 00:02:41ID:/mi0Ri5J政宗を敵対する必要ないってw
じゃ、毛利を敵対する必要もない。
毛利にあれだけの揺さぶりをかけたのも、
家康を関東に配置したのも意味分ってる?
両勢力は大きくリスクが大き過ぎるから、取り潰しなんて出来ないが
政宗程度の勢力なら大勢に影響なし。
島津や長宗我部、北条の方が、よっぽど大きかったんだし。
秀吉の失敗は自分の死後を想定できなかったこと
だから東国の僻地は、外様や蒲生(油断ならない)などでお互い牽制させればいい
というような、生ぬるい処置にしたんだよ
結果が、それが原因で家康陣営は有利に戦略を進められた
その原因を取り去ることも出来なければ、どうやって小大名だけで家康を封じるの?
分らないんでしょ?
0576名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 00:24:03ID:ZONB7WjNそうはいうが、誰を旗頭にするのだ?
外様は全部だめだし、子飼いの連中もたいしたのがいない。
福島正則を尾張に置いたのがせいぜいだろ。
0577名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 01:37:16ID:RoYqpGOyその原因が政宗だというの?
随分高く評価してるんだな。
0578名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 02:04:27ID:/mi0Ri5J潰せる奴は潰しといた方がいいだろ。
結果、江戸幕府の副将軍になってんだし。
というのも
何せ、西軍には人材がいない
それで、各東軍大名に牽制役を配置してたら、全然、足りない
なので、秀吉存命中に敵対しそうな大勢力は潰しておきたいよね
政宗がいなければ、結果、上杉も関東に南下できた訳だし
その徳川も、難癖つけて東北に配置替え出来たら完璧なんだが・・
0579名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 02:48:30ID:2IqZlzy0元々秀次がその役目だったんじゃないかな。
その為に東北の大名と誼を通じさせて、東海道には秀次配下の大名を配置したんだろ。
秀次が豊臣の跡を継いでいれば、家康もさすがに動けなかったと思うんだけどなぁ。
まあ、それがグダグダの骨抜きにされたのは、家康の謀略だったのかもしれないけど。
0580名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 05:17:01ID:2cX/xpnu論理的思考ができるようになるまで伊達巻でも食ってろよ。な?
>政宗がいなければ、結果、上杉も関東に南下できた訳だし
違います。
関ヶ原時の上杉家の戦略は、上方戦線が長期化する間に
出羽村山郡・最上郡・越後などを制覇して東北の覇権を握ることだった。
関が原の合戦が一日で終了したので失敗したが。
というわけで、伊達がいようがいまいが上杉はすぐには南下しないよ。
0581名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 07:01:59ID:6E71Pq9C秀次切腹が家康の謀略なんてのは
勘ぐりすぎ。
0582名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 10:55:40ID:KPGPeVr8豊臣秀吉事態は天下人で終わってる、立派な成功者であると思う。
家康を初め彼に異論すら言える存在すら居ないのだ。
滅びの回避を秀吉の生前に求めるのは、無茶だ、特に政宗だの家康殺しておけばなんて暴論すぎるよ。
秀吉の死後、家康に政権が移った、これは器量実力石高官位・・・全部に置いてだ。
三成がそれを我慢成らず暴発した、それだけの事。
何度も言われてるが、豊臣家が滅亡したのは幕府以後の外交の失敗だろう。
0583名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 10:59:18ID:KPGPeVr8秀次生きてても結局政治は家康が関与する訳だし、三成の暴発は避けられないだろうな。
0584名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 11:35:54ID:RoYqpGOy結果的に上杉が西軍側になったと言うだけで、情勢次第ではいくらでも変わった可能性はあるし、
実際、上杉征伐の話が出るまでは徳川との関係は良好だった。
例えば前田利長が上杉の如く、前田征伐を迎えてたとした場合、
家康は越中を差し出すべしと言う旨を発していた。ここに家康の憎らしい深謀が存在する。
この越中は上杉謙信公の時代から悲願であった上杉家にとって非常に意味の大きい土地。
そこを柴田勝家が奪い、柴田が倒れた後に前田家の領有になった部分だ。
いわばもともと敵同士、特に仲が良いはずもない。真田とも同じ。
前田討伐になるならなるで、裏の選択肢もしっかり用意されてると言うわけだ。
情勢は変化していくものなんだから、その情勢下で考えないとまるで意味が無い。
秀吉もそれがわかってるから、無理に潰しきってバランスを失わせるような真似はしない。
そういう部分がわかれば、既に150万石から60万石弱まで減らした上に、
あくまで恭順な姿勢をとってる伊達を無理に潰さなければいけない理由など存在しない。
上手く利用しようと考えるのは当たり前、そうでなければ天下人なんて務まらない。
0585名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 12:06:59ID:z4gYuL7h三成の暴発?
三成は秀吉の遺志を次いで、豊臣の天下を守るべく、関ヶ原を企てたんじゃないのん?
0586名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 12:24:32ID:fxdUn5IH0587名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 12:25:30ID:0EMw0AfN>関ヶ原時の上杉家の戦略は、上方戦線が長期化する間に
出羽村山郡・最上郡・越後などを制覇して東北の覇権を握る
そんな悠長な時間は、上杉家には残されていないよ。
長谷堂で膠着し、それにじれた景勝は援軍を出そうとしていたが、その動きは伊達政景ら
に読まれ、結城秀康軍と伊達政宗本隊が29日に合流して、総力で米沢を叩く予定だった。
その翌日に関ヶ原が終わったため、攻撃は中止されたが、戦が長引いていたら上杉は伊達、
最上、結城の3者連合に滅ぼされていた。
0588名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 12:26:57ID:0EMw0AfN0589名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 12:57:57ID:EsC2HRy8唐入り継続中&重なる城普請で公儀への不満は高まっているし、
頼れる身内のいない幼君の家中は派閥対立の兆しあり。
この情勢では天下の仕置きは難しいし、乱が起きれば担がれる秀頼が危ない
から、政権内の実力者に事実上の統治権を与えるのも止むを得ない。
死ぬタイミングとしては最悪だし、秀吉にしても、天下を譲るといわぬまでも
家康が何を狙うかの予測くらいはさすがについていたんじゃないかな。
>>586
派閥間の対立があれほどに深まると、負けたほうは身の破滅だものね。
「義」や「恩」の入り込む余地がなかったとは思わないけれど、
中央の官僚群は保身が、嫌徳川家の大大名は野心が
関ヶ原当時の行動原理だと思うよ。
0590名無しさん@お腹いっぱい。:
2006/10/19(木) 13:05:18ID:6uV+wCal豊臣家だけは残ってただろう。
大野と女たちがあほ過ぎる。
秀頼が姿を見せて下知すれば士気は比較にならんかっただろう。
0591名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 14:08:52ID:EsC2HRy8出城や道路の整備をしていたことを考えると防衛戦が念頭だろうし、
国替え後間がなく、国入りもままならなかった上杉家に、
領土外進出の能力があったとは考えづらいよね。
0592名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 14:30:52ID:+FSaqtFY伊達が江戸幕府の副将軍?ふざけんなよ!
水戸光圀公を舐めるのも大概にしろや!
0593名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 14:42:42ID:9k52svYl最上領を制圧するというのが上杉の戦略方針というのは間違ってないでしょ。
伊達や結城の行動が云々というのは外的要因の話であって、
外的要因によって戦略・戦術の転換があるのは当然のこと。
>長谷堂で膠着し、それにじれた景勝は援軍を出そうとしていたが、その動きは伊達政景ら
>に読まれ、結城秀康軍と伊達政宗本隊が29日に合流して、総力で米沢を叩く予定だった。
ところでこれって本当なの?
自分でも調べてみたいので、ソースお願いします。
0594名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 15:42:32ID:/mi0Ri5Jバカじゃねーの?
だから、その上杉の動きを牽制したのは誰だよ?
家康が何で、上杉討伐の兵を関ヶ原に速やかに転じようと出来たわけ?
おまえ、考える力あんのかよ?
>>582
秀吉が成功しようが家が滅んでるんだよ
その家康を抑えなかった為に。。
それを変えて豊臣家が残るように考えるのがスレ目的だろーが
0595名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 15:52:59ID:/mi0Ri5J>>情勢は変化していくものなんだから、その情勢下で考えないとまるで意味が無い。
秀吉もそれがわかってるから、無理に潰しきってバランスを失わせるような真似はしない
分ってねーから、滅ぼされてんじゃんw
オマエの言う通り、情勢は変わるんだよ。
だから、伊達如き小勢力、残さなきゃならない理由もない
恭順の姿勢示してんなら、何で同じく恭順の姿勢示した芦名を滅ぼしたり
一揆煽動したり、殺されかける理由作るんだよ?
難しく考える必要はない。殺す理由のある時に殺せばいい。それだけ
後、その仲の良かった上杉討伐にして、前田征伐をしなかった理由を挙げろ
家康が、適当に上杉にしようなんて考えるわけないんだから
その理由は最初に上杉にあるんだろ。
上杉が表裏って。。w 適当に書けばいいってもんじゃない
0596名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 16:57:42ID:vK2oIU4c0597名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 17:00:30ID:7maTKV3aコテ名乗ってくれりゃあぼーんできるんだが・・
IDは一日で変わるしなぁ
0598名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 17:05:33ID:YFt5YGfL「政宗は天下の動向に一歩遅れて手を打つ、ちょっと気の利いた所も見せる
田舎大名」とは光栄の覇王伝辞典の人物評だが言いえて妙だと思ったのを
思い出しました。
覇王伝辞典の人物評は面白かったなあ。
信玄「戦国史上の名将にして、同時にそれがこの男の限界でもあった。」
謙信「不浄の世間は大嫌いだが、その不浄の究極である戦争が大好き
なので生き方が矛盾に満ち難しくなる。」
信長「正秀の諌止でうつけを改めたと言われるがそんな事は無い。死ぬまで
傾いていた。なので、真面目に天下を取ろうと思い、天下を取った。」
0599名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 17:30:09ID:/mi0Ri5Jオマエじゃ、負け惜しみいうのが精一杯だろーけど
分んないなら最初から出てくんなよ
0600名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 18:10:39ID:lmZgwGgV秀吉が死んだ後の事を秀吉の責任しなくても。
それは秀頼、淀、秀頼の家臣の責任。
あと、芦名を滅ぼしたり一揆を扇動したり、殺されかけたり、っていうのがよくわからない。
0601名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 18:29:48ID:/mi0Ri5J秀吉存命中に史実以外の手を打てるだろうと言ってる
手を打たなかったので、秀吉死後
豊臣家が滅んでるんだから。。
秀頼や淀君に神憑りなバイタリティーを求めるより
秀吉にさせた方がスムーズでしょ?
あと、伊達に関しては 恭順姿勢一徹なら問題ないが
そうじゃないだろう?
史実でも結局、家康方の一番の協力者になってるんだから
先に、秀吉に恭順姿勢を示した芦名を滅ぼしたり
氏郷統治下の会津で一揆煽動したりで、
政宗を殺す切っ掛けはあったということ
0602名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 18:44:56ID:RoYqpGOy0603名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 18:56:28ID:lmZgwGgV確かに秀頼の時代より、秀吉が生きてるうちの方ができる事は多いだろうね。
伊達を潰す口実もあるにはあった(小田原攻めに遅れた事)若干弱い気もしなくもないが。
伊達は畿内から遠いから秀吉は驚異として見てなかったのかな。
0604名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 19:12:09ID:lmZgwGgVむしろ、家康にとって不利な状況になれば、伊達は家康を攻めようとするんじゃない?
家康を攻めなかったのは親しかったからではなく家康についた方が有利だから、だと思われるが。
0605名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 19:38:24ID:J4HB902V0606名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 20:13:21ID:Plydn4HFそれよりは三成が挙兵しないほうが家康は困るだろう。
関ヶ原が起きなければ家康の権力は絶大にならないし、
豊臣を潰せないだろう。
0608名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 20:31:06ID:9tNVK3S7豊臣家が政権を失ったのは、外部的要因よりも内部的要因が大きいよ。
未然に徳川家なり伊達家なりの勢力を削いでも、彼らを滅ぼす合戦で
中心となる外様の諸侯に恩賞を賜らなければならないし、
彼らの存在が新しい徳川家とならぬとも限らない。
秀吉が死ぬ1598年に秀頼が6歳で、身内も譜代も少なく
家中は派閥争いで真っ二つでは、豊臣家の天下は望めないよ。
加えていえば、豊臣家存続のために秀頼や淀君がなすべきことは、
秀吉が存命中に上記の問題を悉く解決するよりは容易いと思うよ。
0609名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 22:14:36ID:RoYqpGOy同意、
そんで秀吉が政宗を殺さなかったのもそういう理由。
誰よりも経済観念が明るくて、それをもって天下を取った秀吉からすれば、
義だの信念だの言ってる奴より、利で動く奴の動きを計算する方が、遥かに信用できる。
政宗は間違いなく自分の利にならんような事はしないw
そういう意味ではこれほど信用できる人物はいない。
そして五大老家は多かれ少なかれどこもそういう一面を持った家だ。
それを簡単に敵味方で分けられると思ってるようじゃ話にならない。
家康だって敵とは限らない。上杉だって同じ。
>>608
これも同意、予言者以外不可能な見通しを立てるよりずっとやるべき事があったろう。
0610名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 22:14:59ID:9tNVK3S7有力諸侯に難癖をつけながら、秀頼の名の下で一つずつ潰すくらいかな。
豊臣家の蔵入地から恩賞を出すことは既にできていたようだから、
鎌倉期における北条氏のような形で政治を執るくらいだろうか。
史実に比べて徳川家の支配権は格段に弱くなるだろうけれど、
豊臣家の天下はもちろん、存続についても状況は変わらないような。
0611名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 02:03:16ID:QGvq9NaEいいの!光圀公は天下の副将軍なの!しかも前の副将軍!いいの!そうなの!
0612名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 02:06:52ID:2RS+plRhそうだな。光圀公は肛門様だな
やはり光圀といえば肛門でないと・・
0613名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 02:37:03ID:bWDVvue80614名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 02:50:13ID:EQ4K6Olm0615名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 06:41:45ID:ULER3LRh結城秀康宛伊達政宗書状、伊達政景宛伊達政宗書状。
秀吉政権は、政宗を何度も滅亡させようとはかったが、すべて家康の
横槍と政治的取りなしで失敗している。秀次事件では死罪乃至遠島の一歩
手前まで追い込もうとするが、政宗に京に火を放って、切り死にする
と恫喝されて、京中が騒然とする。その騒ぎは、伊達屋敷の門を開放して
豊臣に他意はないことを示してようやく落ち着いたが、これは家康による
手の込んだ入れ知恵だった。
0616名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 08:15:19ID:B+HXzinI秀吉という男の特徴は人材コレクターだ。
つまり家康も政宗も秀吉の大切な人材にすぎないと思う。
変なたとえだが、俺もハンゲームで
サークル運営するようになってその気持ちがわかった。
とにかく貴重な人材(有名人とか受賞した人物)は
あの手、この手でサークルに入れようとした。
「活動免除」「特別扱い」「レアなアバターを贈る」など・・・・
そうやって、有名人をサークルに入れたときの優越感ってなにものにも変えがたいからな。
0617名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 10:28:57ID:Uubxv76c言い訳ばっかで、自分の意見は何もないな。かっこわる
>>609
出たw 人の意見に便乗。 ほんと、かっこわるw
で、その意見も頭悪いな。。
利で動く奴の方が計算出来るってwww
その利で動く奴を思い通り動かす為に、秀吉は何やったんだよ?
で、結果、その利で動く奴を計算通り動かしたのかよ?
バカじゃねーのww
オマエは、結局、人の意見ばっかり便乗して、自分の意見ぽく言ってるから
そんな意味のない発言になんだよ
何が、利で動く奴の方が計算できるだよw オマエは何様だよ
史実で、秀吉が計算出来てないから豊臣家の崩壊の要因を増やしたんだろーが
それらを補正する目的で、こんなスレあんだろーが
オマエの安っぽい哲学を述べる為に、考察してんじゃねーよ
で、オマエに一番の質問が >>家康だって敵とは限らない。
どうすんだよ? 言えよ。 家康が豊臣の味方として、政権守ってくれる利を
どうせ、答えられないんだろーが 能書きバカが
0618名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 10:55:23ID:I6sLgIxNhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%AE%E5%AE%88%E5%BA%9C%E5%B0%86%E8%BB%8D
調べたら、名誉職で陸奥の武将で三位の者がそう呼ばれたりする、征夷ができてから中身無いが。
上のデータには政宗の名は無いが、陸奥の大名で正三位にまで成ってるので任命されて
陸奥鎮守将軍。つまり征夷大将軍以外の将軍であるのから副将軍格であるって説がある。
他の説では、外様では筆頭である器量人であるから副将軍と呼ばれたそうな。
大河ドラマの影響強いけどね
江戸幕府に副将軍って役職は無いと言って光圀がドラマで副将軍名乗ってるのは嘘などと言われてるが
水戸藩は御三家の中で江戸の隣で有り当主は江戸に在中して政治の補佐をする立場にあり。
その代わり石高が御三家の中で半分程度の28万石。
家康が将軍の補佐を目的として作られていたのではないかと言われている。
だから代々副将軍を名乗ってる訳だ。
副将軍はけして根も葉も無い事ではないよ。
0619618
2006/10/20(金) 11:01:21ID:I6sLgIxNhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%A5%A5%E5%9B%BD
ソース発見
伊達政宗(1608年<慶長13>1月〜1615年(元和元>6月19日)
伊達家は代々鎮守将軍だね。
これなら副将軍と呼ばれてもおかしくない。
0620名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 11:36:59ID:I6sLgIxN秀吉の事よく知っていれば絶対に出ない言えない事言ってるの解るか?
信長死後の天下取りまでの過程だけでも、如何に人を動かし征服し敵陣営を切り崩したか。
信長死後の統一までの手腕を見れば、戦争の上手さは信長以上だと思われる。
実に上手く敵を屈服させ味方にして、短期間で大兵力を運用し6年で日本を統一した。
ただし秀吉の天下は秀吉自身の力量が強すぎる者だった、秀吉意外には出来ないほどの強権力
秀吉死後にその反動がでるのは、避けれない、むしろ自然な事。
秀吉も晩年の官位の動きを見れば、秀吉が何をしたかったかがよく分かるよ。
1596年以後に家康が正二位内大臣に利家が従二位権大納言に、秀頼は5才で従二位権中納言
武家の統領はあくまで家康が一番であることがよく分かる、これは秀吉の生前の官位だ。
ちなみに毛利上杉とかその他は正三位程度、特に家康の正二位内大臣は政治を行う地位だ
代々の征夷大将軍も初めは内大臣征夷大将軍。
三成の官位は治部少輔、正四位でしかないのだよ?
秀吉は実権の無い関白としての秀頼、政務は家康が執る事を狙ったのだと思う。
当時生まれたばかりの千姫を秀頼と婚約させてるから、上手く次世代に移れば豊臣家も徳川家も
一緒になってるはずだったのだ、後は器量次第。
さらに秀吉は莫大な金を大阪城と共に残しているしな。
大坂60万石は上手く使えば、その何十倍もの金を生むだろうしおまけに官位も高い
生き残る条件としてはこれだけ揃ってるのだよ。
0621名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 12:04:56ID:dooqQUYq無駄に政宗を殺したり、家康を潰そうとしたりした所で、かえって豊臣家が傾くだけに過ぎない。
上手く御していく事もできない奴はそもそも天下も取れない。
信長の本願寺対策を見れば一目瞭然、あそこで10年も費やす事になってるうちに信長は逝った。
だが比叡山などの旧仏教勢力はともかく一向宗は本来信長の敵ではなかった、
そこを上手く利用すれば、あそこまで熾烈な戦いになる事は無かった。
秀吉も家康もその辺はよく見てる、同じ轍は踏まないよ。
0622名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 12:31:23ID:I6sLgIxNこれは信長の欠点だな、敵を倒す事に賭ける執念は凄まじい。
朝倉も浅井も武田も家名すら残さず滅亡してる、(朝倉は寝返った奴いるが)
生きていれば毛利も上杉も北条も滅亡させて統一までゴリ押ししたであろう。
もちろんその凄まじい行動が無ければ統一なんぞ出来なかっただろう。
秀吉や家康が信長の立場に居てもここまでの事は出来ないと思われる
0623名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 12:54:43ID:KiULCaJG秀吉の晩年に公儀の政治力が著しく低下してしまった要因に振れずして
後の天下人への未然の対抗策を並べても、とても説得的とはいえないよ。
徳川家への対抗や伊達家の取り潰しにかんしては、以前に実現可能性と
波及する影響についての書き込みが見られるから、一見してみたらどうかな。
特に難しいことはかかれてはいないと思うよ。
0624名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 17:16:21ID:Uubxv76c秀吉のやり方は史実だと〜うんぬんじゃなくて
豊臣家政権を残す為に史実とは違う手段を打たなければならないの。それがスレ目的
>>621
まず、本願寺との抗争と、光秀の突発的謀反の因果関係はない
それと、本願寺と政宗。 屈服させる際の困難さは比較にならないので例えにはならない
>>623
>>秀吉の晩年に公儀の政治力が著しく低下してしまった要因に振れずして
それは当たり前だけど、じゃ、具体的にどう内部強化すんの?
政権維持する為に、史実で東軍についた武将を、どう豊臣家に結束させるの?
朝鮮出兵を中止する以外、具体的に方法を書いてよ
0625名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 17:22:41ID:WmYG/Ynr0626名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 17:26:53ID:MOq6L5mlそして古今東西軍と言うものは、一旦稼動しだすと、その頂点の司令官が戦闘中止を
言い渡すまで活動を止めないものだ。古代ローマでカエサルの軍が、共和制ローマを破壊するとわかっていても
ルビコン川を越えたのもそう言う理由。カエサルの軍にも多くの共和派がいたのに。
上杉征伐をさせない、もしくは徳川に軍を結成させない、と言う視点を考えた方がいいかも。
0627名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 17:28:23ID:WmYG/Ynr0628名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 20:27:57ID:9tfJFuXbありがとう。勉強になったよ
0629名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 21:09:06ID:JTk14hLU>無駄に政宗を殺したり、家康を潰そうとしたり
俺は無駄とは思わない。むしろ必要悪と考える。
徳川(松平)は何が何でも誅殺せねばならない存在だった。
伊達についても、脅威となりうると判断したら誅殺すべきだった。
>>622
>朝倉も浅井も武田も家名すら残さず滅亡してる
これはまさに北条のやり方だな。
梶原・畠山・比企・三浦は一人残らず死滅させ、
毛利季光一党についても殆ど死滅するまで徹底的に殺しまくった。
織田は北条の非情さを模倣して浅井・朝倉・甲斐武田などを死滅させたのだろう。
俺に言わせれば、いわゆる浅井三姉妹を誅殺しなかったのが不思議なほどだ。
生かしておいても何ら得が無く、いつ寝首をかかれるかわからないのに。
0630名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 22:34:15ID:yfsViNDj豊臣家の存続と豊臣政権の存続は決して同一ではない。
「生き残り」が使用されていることを鑑みるに、
スレタイの核心は通常後者であると思われる。
伊達家取り潰しは恭順を誓う外様大名にいらざる不信と不安を与え、
小田原攻めに連続する力ずくの伊達攻めは、参陣しなかった奥羽の諸侯
ばかりか、既に恭順したはずの諸侯の伊達同心を引き起こしかねない。
政権を樹立して間が無い以上関東・奥羽の鎮定に手間どれないから事情は同じ。
仮に豊臣政権の維持を目指す場合、政権の持つ潜在的な崩壊要因についての
手当ては家康包囲網や西軍勝利案の前提となることであるから、
自説の前提である具体的な手当てについての思案は君の役回りだろう?
0631名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 22:49:12ID:COYfkUSEそれは結果論とはいえできるだけやったほうがいいのは納得できる
ただし何度も言われているが大大名家康を滅ぼすことは全国の大大名を
かなり警戒させることになる。「次は自分だ」とな
これは微妙な基盤から成り立っている豊臣政権としては重要なことだ
また政宗はともかく当時家康は豊臣政権において潜在的脅威大名の一人でありつつ
豊臣政権に無くてはならない首相的立場だった
彼の存在は大きく他の外様大大名との連絡や調停、全国的な政務等をかなりこなしていた
これは信頼できる豊臣譜代にはポジション的にはどうしてもできない部分だ
家康は結果的には必要悪になるが、当時は外様の割には秀吉に忠実で遊びふける
秀吉に代わり重要な立場に居た人間だったと言うのは認識して欲しいね
そして各所の大大名に信頼のある家康を滅ぼすことができるのか?
できたとしても各所の大大名に対する今後の対応は?家康に代わる武将は居るのか?
この辺を家康、政宗を滅亡させろと論じてる人に説明して欲しいね
0632名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 23:15:09ID:Sv3ukMQy家康も異国まで追いかけるほど暇人じゃないから豊臣家は生き残ることができた
0633名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 01:11:27ID:wzemUvOo外様大名連合と中央官僚達との覇権争いは避けられず
これに武断派と文治派の対立が加わるとなると権力を秀吉並に
秀頼に集中させた状態での豊臣政権の維持は困難だろう。
これは西軍がたとえ勝ったとしても豊臣政権の維持は困難だった
というのに通じる訳だが、返す返すも秀次一族抹殺は痛い。
0634名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 02:19:51ID:D81qLc/1俺は光秀の事なんか一言も言ってないよ、
あれだけの大勢力だった信長ですら本願寺攻めに10年かかったと言う事実を書いただけ。
60万石の大名を一気に潰すと言う事がどれだけの大事かの例えとしては
決して間違ってはいないぞ。
また家康はあくまで異議を申し立ててきてる、
それをあくまで潰そうと言うからには伊達だけで済まそうなんて甘い考えが通るはずは無い。
合わせて300万石以上の大名連合を潰そうという覚悟が必要だ。
あと前田家は上杉家にとって旧領地に存在する関係で、
そう仲が良いわけでもなく、逆に両方とも家康とはそこそこ繋がりがある。
また東国の大名家の多くは秀吉に冷遇されてる部分も多く、
家康を頼っている部分が多大にあるので、何か理由があるならともかく、
理も無く無理矢理家康まで潰そうとするなら、
家康に少なくとも同情的になるだろうことは容易に想像できる。
最上・安東・南部辺りは勢力的にも侮れんし、家康との繋がりもあり、
かつ秀吉に含む所がある連中ばかりだ、堀もかな。
これだけ入り組んだ情勢下での大戦争になったらそれでも豊臣が勝つかもしれないが、
まず10年はかかるぞ、北条の時は降伏さえすれば許すけど、降伏しないから潰すという
大義があったが、この場合従ってるのに潰そうとするわけで、そうそう諸侯も納得はしてくれんよ。
こうなった際いくら秀吉でも合戦中にあっちこっち警戒するわけにも行かないので、
史実とは違って、毛利家は信用せざるをえなくなる。当然ブクブク太るわな。
まぁなんていうか家康と同じ状況になるな。
0635名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 02:24:30ID:kaiPa2x8私も豊臣政権存続の模索の為に伊達家取り潰しは必須だと主張したのだがw
>>伊達家取り潰しは恭順を誓う外様大名にいらざる不信と不安を与え、
小田原攻めに連続する力ずくの伊達攻めは、参陣しなかった奥羽の諸侯
ばかりか、既に恭順したはずの諸侯の伊達同心を引き起こしかねない
↑
そんな事ない。先に秀吉に恭順を示した芦名を伊達が滅ぼしてるんだからw
東北の地理上、参陣できない大名は普通にいただろうし、
秀吉よりも「伊達そのもの」が脅威に感じてた大名の方が多いだろう
伊達は、関東における北条と同じ。地域の豪族、大名にとって
脅威で目障りな存在であっても、救って欲しい存在ではない
そして秀吉から見ても、伊達如き小勢力、潰そうが潰さまいが大勢に影響なし
逆に、伊達如きで揺らぐ力なら、最初から秀吉政権の存続など期待できない
0636名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 02:31:16ID:kaiPa2x8苦しい言い訳。。としか理解出来ない
伊達と本願寺とでは、攻略の困難さは比較の対象にならないと上で書いたが。。
仮に、島津や北条と伊達、どっちが石高上かも勉強しろ
取りあえず、君は。。何でも反論すればいい!というもんじゃない
よく勉強しろ
0637名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 02:32:45ID:kaiPa2x80638名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 02:43:08ID:D81qLc/1家康も政宗も従ってるじゃん、それを無理矢理潰す事に問題があるといってるの。
全く従おうとしない叛徒を征伐すると言うのなら話はわかるけど、無茶苦茶すぎるよ。
0639名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 02:58:30ID:kaiPa2x8恭順を示してる以上、秀吉にとって芦名と伊達は同等。その芦名を滅ぼした伊達が!?
それと世論や、他大名の影響と言っても
君の言う仏教勢力である本願寺と、東北の一大名である伊達では比べようもない
でも、信長は、それを実行し成功した。多くの敵を作ってもね。。
何故ならそれが必要な条件だったから。 自分の政権を作る為に。維持するために。
そして、このスレは豊臣家存続の為に、史実とは違う手段を考察する為にある
そして、その過程で、
信長の本願寺に比べ、比較にもならない小勢力の伊達如きを潰せない豊臣政権なら
はなから、存続など出来ないということ
0640名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:06:59ID:D81qLc/1何にも知らないんだな本当に。
例えた俺がアホだった、もういい。
0641名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:15:58ID:kaiPa2x8いつ、ごっちゃにしたのかな〜?
ホンと、バカは論破されたら即逃げて。。
オマエが小説で憶えた知識を自慢するためにあるスレじゃないよ
0642名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:19:00ID:fvJ14tdJ関が原が終わるや否や、秀頼が家康に対して賊軍征伐大儀というふうに
あくまで主家として振舞えばそれ以上何もできないんじゃないのかな。
0643名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:25:37ID:D81qLc/1>>君の言う仏教勢力である本願寺
じゃあ俺の>>621のどのレスを聞いてこういうレスが帰ってくるの?
0644名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:32:02ID:3KC14gkz伊達政宗秀吉の養子にして関白嗣がせればさすがに滅亡しなかったと思うよ。ヽ(^o^)丿
0645名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:38:35ID:3KC14gkz秀吉が死んだ時に秀頼が幼いのだからしょうがない、秀次生きてれば五大老の補佐で政権が続いて居た・・・はず
つまり秀吉の統一以後の行動が全て裏目に出ているのだから、7年ほど早く死んでいればそれで豊臣家安泰ですね!
0646名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:51:46ID:kaiPa2x8あいつで治まるなら、こんな考えたりしない
>>643
自分で考えなよ
本願寺が本来、敵じゃなくとも、法華宗の仇敵であろうとも、
信長の敵に回って戦争した以上、どうしようもないじゃん
君は、あたかもそれが直接の要因で信長が死んだみたいな書き方してるじゃんw
信長の死因は寿命でも、本願寺闘争でもなく 光秀の独断的謀反 分った?因果関係はないの。
都合の良いとこだけ例に挙げて、突っ込まれたら白を切る。。
バカじゃねーの? 大した知識もなくバカが偉そうに語ろうとするから叩かれるんだろ
0647名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 04:01:20ID:D81qLc/1そう見えたんならそこは訂正するよ。
俺が主張したいのは10年も費やしたと言う部分だけ。
信長が死んだのはそれとは関係ない。
0648名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 04:08:32ID:afCJB6lS邪魔者や脅威を葬りつくして
豊臣一門で中央の要職と全国の守護を独占する、
それこそが理想といえよう。
鎌倉幕府の場合、北条貞時・長崎円喜のコンビで
この理想体制を実現させたのだ。
筑前にも円喜に相当する、つまり調略に長けた腹心が必要だった。
筑前自身にも貞時のような非情さがあるべきだった。
0649名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 04:12:25ID:kaiPa2x8ただ、俺が言いたいのは
全国数十万もの信徒を持つ本願寺と、東北の一大名の伊達では
条件は同じじゃない ということ
しかも、織田にしてみれば
もっと小勢力の時から本願寺と戦ってるんだぜ
0650名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 04:19:04ID:MViviXsv芦名→蘆名だったみたい自分も勘違いしてたけど
あなたが言う蘆名がどうのこうのというのは、秀吉が総無事令を出した後に伊達が蘆名に攻め込んだ、って事だったのか。んでそれは、伊達を潰すには充分な口実になりそうだった、って事だね?
0651名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 04:24:27ID:MViviXsvあの質問なんですが、北条家は全国津々浦々まで影響力を及ぼせたんでしょうか?
自分は北条家や鎌倉時代をあまり知らないもので。
0652名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 05:50:48ID:D81qLc/1誤解は解かないと、話が続かんし。
訂正は迅速にした方が本題に入りやすいもんよ。
で、まぁ結局俺が言いたいのは勢力の大小よりも
一つの勢力を潰し切るということの大変さの一例と言う事。
それを踏まえた上で>>634の5行目以降って事。
この情勢下でここまで大事になったとしたら、結局は自身の天下の寿命を早めてしまうだろう。
要するに伊達家を警戒したいわけだよね。そんで上杉や佐竹はこの際信用するって事だよね。
それ自体は悪くないと思うんだ、
だけどそれが(=潰す)っていう白か黒かで決めようとする事が問題だと思うわけよ。
例えば中途半端に岩出山なんて微妙な所に飛ばすから蠢動されるわけで、
同じ50万石ならいっその事、会津が欲しいなら会津の西の方を50万石分くれてやって、
米沢・旧大崎領に蒲生氏郷を置いて、会津の残りを上杉にやれば、妙な動きはなかなか出来なくなる。
もともと会津は地元じゃないし。佐竹や南部にちょっかい出す事もこの位置だと難しくなる。
とは言え上杉や蒲生に下手にちょっかい出したら、さすがに大義名分が大きくなるので、
家康も庇いきれなくなってくる。そうやってからどんどん削っていけば良いじゃないか。
氏郷はどのみち途中で死ぬだろうけど、これなら上杉を下手に越後から動かす必要もなくなるわけで。
もっとも全面的に上杉や佐竹を信用すると言うのが大前提だけどね。
まぁこれは例えばの話だし、検証は甘いからつつき甲斐が無いけど、
このスレはこういう風に進めるべきじゃない?
0653名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 08:44:45ID:L8V+5RDl伊達政宗の過大評価を見ると伊達厨なのかな?
>豊臣政権存続の模索の為に伊達家取り潰しは必須
?????
はあ?????
んなもん、伊達なんてたくさんの勢力の一つだろう。
実際、徳川も伊達は潰さなかったが
江戸幕府は存続してるしさ。
0654名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 09:03:03ID:6vq7jSZo家康は支援するし、奥州は大混乱になるだろう。
朝鮮出兵を急いでいた秀吉にそんな余裕はない。
実際、下手をすれば、伊達と隣接し、苦杯を嘗めた大名家
(上杉や蒲生)らが逆に攪乱され、打ち負かされるのが落ち。
0655海舟問屋
2006/10/21(土) 09:05:16ID:WgKzleKG北条氏の威権は、執権という座から乗っ取っただけに、やんわりとしたものだったね。
全国を一つにまとめたのが、
かの「元冦」。
「いざ!鎌倉」の鎌倉武士も、最初の元冦の時は集まりが悪かった。
結果は惨敗。
元軍の組織的戦闘と火器の前に、敗色は濃かった。
台風や本国のゴタゴタなど、元軍がひきあげざる理由がなかったら、どうなったことか。
二度目の元冦で、やっと諸国は一致。
元軍に手痛い打撃を負わせるのです。
0656名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 09:06:45ID:w3Vev4UO葦名滅亡時に公儀の実質的な支配力は奥州に及んでいないから
総無事令が適用される余地はないし、公儀が葦名を助けられたわけでもない。
伊達と葦名が総無事令以前から戦争状態にあった以上、自力救済を目指すのは
大名家として当然だから、強引な取り潰しの大義名分としては苦しい。
仮に名分として使用できたとしても、公儀への恭順を示した上で
葦名から切り取った会津に加えて数郡を返上する意向を示している
伊達家を潰すことについての危険性は既に書かれているとおり。
小田原攻め当時の公儀は箱根以西を軍事力と関白職によって統治しているが、
軍事力は豊臣家自前のものではなく、東西に外様の大大名を抱えている。
諸侯は臣従して日も浅く、四国・九州で大きな戦を終えたばかりであるから、
この時点での豊臣政権は決して専制的に振舞えたわけではない。
豊臣政権の維持を考えるのならば、豊臣家の家政をただし、
豊臣家の直轄領・直属軍を拡充したうえで外様大大名に対して強引な
取り潰しを強要できる実力を養うべきであり、それに必要なのは時間。
0657名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 11:41:47ID:O6M72mg4俺の場合、豊臣一門以外は無条件で言いなりになる家を除いて
すべて叩き潰すべきだったと考える。
伊達は羽柴にとって脅威とはなりえないだろうが、
それでも何か理由をこじつけて叩き潰し、
羽柴家の所領とすべきだったといえよう。
徳川家は言うに及ばず、毛利家も島津家も最上家も
完膚なきまでに叩き潰しておくのが良かった。
邪魔者は全て消す、これが羽柴政権永続のカギだったのだが・・・
0658名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 11:44:56ID:kDDiI2eO戦国の余燼がくすぶる当時としては、
大義名分は所詮、口実でしかなく、
政宗の小田原遅参は、十分にその要件を満たしていると思われるのですが…
だからこそ、政宗も詰め腹を切らされる覚悟で、詫びを入れたと思われ…
古今東西、
孤独弱体の君主が、諸侯のバランスの上で、
政権の延命を成功させた事例は幾つもございますので、
豊臣にも、十分可能性があった。
やはり、後継者の秀頼が幼すぎて、豊臣家の意思決定と意思表示が出来なかったこと、
諸侯の中に、ずば抜けて巨大な徳川がいたことが、豊臣政権崩壊の最大の理由では…
0659名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 11:48:03ID:O6M72mg4毛利一族と島津一族を誅殺しなかったために江戸幕府は壊滅させられた。
これは源義朝の遺児たちを皆殺しにしなかった平清盛と全く同じ過ちだ。
西軍に組した大名家は全て族滅すべきだったのだ。
とくに徹頭徹尾反徳川だった上杉(長尾)と宇喜多を見せしめに族滅しなかったのは
まったくもってたわけた愚行である。
0660名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 11:49:46ID:/cBtDZC2もうちょっと現実的なこと言えよ・・・
0661名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 12:41:29ID:w3Vev4UO遅参・不参で取り潰したのは中小規模の大名のみ。
これは一揆の規模が小さくて済むものであり、政権内の外様を刺激もしないから。
参上した政宗をその場で手打ちにしたら小田原直後に南奥州と長戦だし、
諸侯に軍役を課し続けて公儀の求心力が低下したのは唐入りで明らか。
物語では政宗の決死のお目見えとして演出されることが多いが、
他領を小勢で渡る危険をみすみす冒している点を考えると、
既に秀吉側近や徳川家康あたりと話をつけていたと見るのが自然だろう。
公儀よりも豊臣家そのものに問題があることには同意。
これを解決した上での政権構造の再構築であると思う。
0662名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 13:27:59ID:0GUbsDSq決して非現実的ではないだろう。
秀吉は諸大名を自らの独断で誅殺できる立場にあった。
主君が家臣を成敗するのは何ら問題が無い。
北条貞時も平頼綱一党を皆殺しにしている。
0663名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 13:52:23ID:eJ1WQdeb江戸幕府あんだけ続けば平清盛とは十分違うだろうな。
大多数の日本人は、薩長が江戸幕府を倒して曲がりなりにも近代化できてよかったと思うだろう。
多分、徳川の政治が邪に変じたら汝らが代わって政権を取れと諸侯に公言した家康も。
0664名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 16:27:40ID:UYgVgrAY>薩長が江戸幕府を倒して
いや、実際は幕府が勝てたのに試合放棄が正しいでしょ。汚染された水戸納豆学のせいで。
それでも本格的な内戦状態にならなかったのは評価できる。やっぱりお江戸は徳川様のお膝元だぜ。
さっさとお歯黒首が京都でも奈良でもに帰ればいいのにな。
0665名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 16:48:27ID:1i/n36SE唐入りを成功させるってのは無理?
0666名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 16:53:05ID:3KC14gkz日本に有って天皇を無視して新たな国家でも宣言する馬鹿以外は、朝臣なのだから
たとえ敵対しても、懲らしめて、改心させて、協力させれば筋は通るだろう。
滅亡まで戦う戦争となると、被害でるし、戦後の経営にも支障はでるし、良いこと無いでしょ。
>>659
自分に恨みを持った大名でも、隙を見せなければ良いだけの事。
取りつぶせばそれこそ底知れぬ恨みが残る物。
たとえば毛利は東軍の人質を三成の命令を無視して切らなかった
そのお陰で取り潰しまでは行かなかったのだ。
島津も薩摩の特殊性から言って取りつぶしをすれば最後の一兵まで戦い抜くだろう。
それに意味が有るのか??
0667名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 17:16:47ID:kaiPa2x8>>たとえ敵対しても、懲らしめて、改心させて、協力させれば筋は通るだろう
↑
こんな一休さん的発想じゃ、天下は治められない
伊達を潰すのは、恨みを買うためじゃなくて、必要悪
0668名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 17:18:41ID:L8V+5RDl俺もあんたの意見に賛成・
伊達取り潰し論は賛成できない。
別に伊達のせいで豊臣が滅んだわけじゃない。
それに伊達を取り潰さなくても江戸幕府は存続した。
0669名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 17:22:36ID:UYgVgrAYマジで?何よ特殊性って。あいつら島津配下の連中は強いから島津に付いてるだけだろ。
あそこの特殊性はむしろ江戸期のリメンバー関が原から始まったんじゃないの?
内紛とか同族殺しとか家臣粛清とか城士・郷士の対立とかそんなのばっかじゃん。
むしろ中央から強大な軍隊が侵攻してきたらバラバラになる要素の方が多いわけだが。
何か島津を神格化してないか?ただの烏合の衆だぞ。土着の歴史なんか関係ないし。
大体、義久・義弘兄弟の家も分家から宗家を乗っ取ったような連中だし、周りもそれが強いから
付いてるだけで。薩摩を攻めるのが採算が合わないから放置しただけだろ。何言ってるんだか。
0670名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 17:36:17ID:E/1XQ2gT毛利の族滅回避にそういう事情があったというのは初耳。
これじゃ族滅するわけにいかなったのも道理。
ただ、島津については徹底的に族滅すべきだったのは?
たしかに相当数の犠牲者が出たはずだけど、
実際に徳川は多大な犠牲を払って羽柴を族滅した。
諸侯に支持を得にくければ、腑抜け朝廷に武力威嚇を仕掛けて
島津追討の詔勅を出させれば万時OKだったはず。
0671名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 17:40:15ID:CAkJ/YY/東北ならともかくとしてさ。
0672名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 17:41:39ID:E/1XQ2gT島津および上杉族滅には、見せしめという重要要素もある。
徳川に逆らうものは一族の血一滴たりともこの世に残せないという恐怖心を諸侯に植え付けられたはず。
やはり島津と上杉は全家臣団にいたるまで一族根絶やしにすべきだった。
宇喜多一族については即時公開処刑、宇喜多を庇った前田も同罪で成敗すべきだった。
0673名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 17:48:20ID:kDDiI2eO当時の秀吉は、あの唐入りでさえ、外様の謀反どころか、表立った反対もなしに実行出来たんだから。
0674名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 18:10:02ID:65ykv6TX小田原の陣では、ほとんどの連中が政宗のシンパだになっていたからなあ。
つまり用意周到な伊達家の外交力に、秀吉が籠絡された形になっている。
徳川家康を筆頭に、前田利家、浅野長政、和久宗是、施薬院全宗などは、至れり尽くせりの
情報提供と、好待遇を政宗に与え、秀吉にとりついでくれた。
秀吉もすっかり毒気を抜かれ、征服した葦名の会津三群のみの没収で、本領70万石を安堵する
という大甘な結論に相成った。
0675名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 18:12:56ID:UYgVgrAY体制に取り込められるならばそれでいいだろ
一番やらなきゃならんことは戦乱の世を終わらせて安定した社会を構築することだろ
後から結果論で言うことは誰でも出来るけど、当時の支配層だって馬鹿じゃないんだから
最善とは言えないまでも次善の策はとってるんだって。
ごちゃごちゃ言わずに従えば生かしといてやるよ、この方針が馬鹿ウケだったんだって。
ごめんね家康さん、判ればいいってことよ毛利さん、この阿吽の呼吸だろ。
とにかく族滅ってのじゃ社会が安定しねーよ。デカい大名をぶっ潰すのは大変なんだよ。
判るか?デカイ、とにかくデカイ大名がゴロゴロ。でも関が原以降は徳川ぶっちぎり。
ならばもう逆らうことの不利を悟ってごめんなさい言ってる奴を潰す必要はないの。
豊臣はその空気が読めなかったから他の大名連中の総意で見せしめに族滅されたじゃん。
その後で細かいのをパラパラと潰して見せしめにもしてる。んで、牢人が増えて社会が不安定だってことで
それもやめた。そのころにはもう乱を起こしてどうたらって雰囲気はなくなってたじゃん。
毛利だの島津だの倒幕したけど、藩主や家中の意に沿ったものというより、食い詰めの不満下級武士が
暴発しただけで、徳川に反抗しないように躾けたのは十分機能してるし。族滅がどうしても必要というなら豊臣と島原でオッケーだろ。長いな。
0676名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 18:57:52ID:kaiPa2x8体制に取り込めてないから裏切られてる訳だが・・
それらを是正する目的で、このスレがある訳だが・・
結果論で言わなければ歴史スレなんか先に進まない訳だが・・
0677名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 19:00:58ID:3KC14gkz北条は主戦論者だった当主の父がと重臣切腹だが当主自身は謹慎ですんでる。
その後すぐ死んで結局残ってないけど
家臣は徳川で拾ってるし、完全な断絶滅亡と言うわけでは無いと思う
後任に徳川は、それなりに実の有る政略だと思うが。
余談だが、昔、何でも鑑定団で北条家の子孫が出てたw
長い系譜の巻物広げてたw
0678名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 19:36:47ID:yREyPdkqいつ裏切られるかわからんし。
配下の大名も自国の為に生き残るために、恥をかきゴマを擦りまくり。
現在も変わってないだろ。官僚共も自分の地位や名誉守る為に必死必死。
ただ、こいつらが己の為だけだって言う違いで。
0679名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 19:38:03ID:UYgVgrAYはぁ?裏切られたってどういうことだよ。
徳川がいつ豊臣を裏切ったんだよ。
豊臣一家を残すために何で天下に大乱を起こす必要があるんだよ。
そんなのお天道様が許さんだろ。力があるから織田をねじ伏せて風上に立ったんだろ。
それをしといて他人にするなってのがそもそもアホなんだっての。
家中が二分するような体制しか作れなかったサルを呪えよ。
みんな強い方に付きたいんだっての。
豊臣が生き残りたいなら秀次族滅(笑)をせずに、無駄な外征をせずに
体制を固めろよ。それこそ結果論だけど、何でサルの失政を外様の血でつくろわなきゃならんのだ?
徳川がやったように統一通貨でも発行するとか何とでも出来ただろ。何が族滅だ、きんもー☆
0680名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 19:41:00ID:kaiPa2x8>>徳川がいつ豊臣を裏切ったんだよ。
>>徳川がいつ豊臣を裏切ったんだよ。
>>徳川がいつ豊臣を裏切ったんだよ。
0681名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 19:48:48ID:qn/8P6Gr明・朝鮮と諸侯が結ぶことは考えづらいけど、
大身の伊達家といずれかの諸侯が小田原直後の軍陣で背いたら事件でしょう。
唐入りまでの2年間に、外様の改易を断行して身内や子飼を入れることで
小田原当時に比べて公儀の政権基盤も強まっている。全国政権にもなったしね。
秀次を関白に据えて豊臣政権の永続性も示されているし、状況は異なるよ。
唐入りの初期は西国の大名に軍役を課しているわけで、秀吉・秀長・秀次は
畿内にいるし、東国にも諸侯はいるのだから背きようがないでしょう。
おかげで、毛利家は散々こき使われてしまったけど、安国寺が囲われてるしね。
自分にお鉢が回ってこない状況を作り上げられさえすれば、家康は熱心に
反対はしないだろうね。成功すればどうせ万事休すだし、
失敗すれば豊臣家の威信に傷がつく上、公儀への求心力も低下してくれる。
反対できないのと反対しないのとは多少意味合いが違うんじゃないかな。
0682名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 19:58:16ID:L8V+5RDlあんた、単なる伊達信者かよ。
0683名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 20:28:12ID:UYgVgrAY裏切ってないだろ。何言ってるんだボケ。頭蛆でもわいたか?
関が原は東軍として豊臣の大老として賊を討っただけだろ。
それに天下を鎮めるには豊臣では駄目だから朝廷の任を受けて幕府を開いたんだろ。
それのどこが裏切りなんだ?はぁ?マジで頭おかしいだろ。
徳川は豊臣にそこまで媚びへつらう義務なんかないぞ。
大体、豊臣自身がそれを非難できるような成り立ちじゃねーだろが。
諸侯が徳川に付いて、朝廷も家康に征夷大将軍を任命した、この時点で徳川はもはや
死に体の豊臣の配下として曖昧に振舞うこと自体が罪な状態になったんだよ。
それでも裏切りだの狸親父と非難するなら勝手にしやがれってんだ、この田舎モンが!
0684名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 20:28:41ID:KF26mdyf金ばかりうなるほどあるには、兵力がたいしたことない。
直属軍の5万もあれば、そうそうやられはしないはず。
0685名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 21:01:42ID:/cBtDZC2豊臣政権→徳川政権に移る過程は家康は曲がったことは概ねやってないよ
0686名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 21:37:17ID:UYgVgrAYあんたはよう分かってるな
0687名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 21:46:27ID:0WKgd38uある意味正論だが「絵に描いた餅」だな。徳川の旗本八万騎(実際には
六万ぐらいだったらしい)を養うのに直轄領400万石だ。
豊臣の直轄領は200〜250万石。兵力を養うには領地が必要。
0688名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 22:15:05ID:D81qLc/1豊臣家で大納言秀長以外にそれが出来たとは思えんけどね。
0689名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 22:28:18ID:zpjUO2Xjむしろこっちのほうが島津の特殊性?かと思われ
0690名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 22:52:24ID:kDDiI2eO唐入り、特に慶長の役なんか、加藤清正以外、誰一人、恐らく秀吉自身ですら、成功の見通しのない戦だった。
長期化、泥沼化が分かっていて、なおかつ、自家の財政赤字の垂れ流し、多くの生命財産を異国の地で失うことが分かっていても、外様の謀反どころか、表立った反対もされてない。
言い換えれば、それだけ、秀吉の権力が強かった証左になる。
小田原直後、もしくは最中とはいえ、その状況は大きく変わらない。
小田原征伐に反対した大名も、北条に呼応した勢力も皆無だ。
ここで伊達攻めを加えても、秀吉の権力は易々と揺らぐとは思えない。
だから、伊達攻めを外様の謀反や戦の長期化を恐れて躊躇したというのは、説得力に欠けている。
>>674の伊達政宗の外交的成功の方が納得出来る。
0691名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 22:59:35ID:D81qLc/1ただ、反対自体はしてた。前田利家もだな。
だが秀吉自身が成功の見通しが無いと思ってたってのは、さすがに無いと思うぞ。
0692名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 23:03:00ID:ihQ9yNCY2ちゃんのスレ建ての関係上、「スレ建て人=>>1」なので>>1の通りに考えれば良いんじゃ・・・
後は、みんな議論がかなりズレてる。
手段のみを講じてどうにかなる問題でもないでしょ。
とりあえず聞きたいんだけど、
まずは「スタートはいつなんだ?」ということ。
秀吉が関白になって豊臣姓を貰ってからスタートとするのか
秀吉が死んで後がスタートなのか、
関ヶ原前後なのか
大阪の陣前なのか(>>1を見る限りはここがスタートだと考えるが)
そこの所どーなの?
0693名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 23:27:17ID:kaiPa2x8さすがに、家康も助けるだろ
だから、ここでは
あくまで、豊臣政権としての存続と考えるのが妥当
なら、秀吉が最初に国内最強勢力になった時点から考えればいいだろ
0694名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 23:43:24ID:3KC14gkz慶長の役の名分は直前の和議で明の冊封受けて降伏扱いだったから。
秀吉の立場的に、自分の死後豊臣体制が崩壊しても、やらなきゃ行けない外征になってしまった
何故なら冊封なんぞ受けて戦争終わらせてしまったら、秀吉は日本を明に売り渡した事になる
英雄秀吉が、日本史上最悪の逆賊で愚か者になってしまう。
秀吉は自分が朝鮮に渡って、死ぬ気で慶長の役を始めたのだ。
有秀吉が豊臣政権を捨ててでも、起こした戦争と思えば、豊臣家の分岐点だっただろう
0695名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 00:03:18ID:qN6iPxnF冊封を受け入れずにうやむやに撤兵すればいいのでは?
倭寇なんかやりたい放題やってさっさと引き上げてるし
「今回はこれくらいにしたるわ」この捨てゼリフで終了の笛が鳴るんじゃないの?
ま、どっちにしても見通しが甘かった感は否めないな。
0696名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 00:08:59ID:ehmV0N/G別にいいんでないのか?
というか
朝貢勘合貿易さえ許されれば十分メリットはある。
それに冊封についても豊臣家が「日本国王」となることで
国際的秩序の中での日本の主権者となる位置付けができるのだから
無意味ではないだろう。
0697名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 00:24:22ID:7szhBffk天皇と何度も敵対した足利義満とは立場も責任も違ってくる。
これは日本人的に結構やばいよ。
天皇否定してしまうと地方の九州だの東北などで日本以外の国家が誕生してしまう可能性がでてくる。
皇国日本ではこれを外すとやばいのよ。
0698名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 00:26:14ID:XKKz2Ox/君は「皇帝」と「王様」の違いも知らないの?
0699名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 00:33:31ID:qN6iPxnFそれはある意味最悪でしょ。
天皇を軸から外した「日本国王」はよくないでしょ。
大体、外国からわざわざ「日本国王」に任命されるてことは
国の自主性に関わってくる。朝貢勘合貿易なんかやらんでも
豊臣はお金持ちだしな。う〜ん、そりゃマズいよ。いや、現代の俺でも拒否反応あるよ。
いかん、君は総理大臣にはならんでくれよ。もってのほかだよ。
0700名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 00:39:06ID:7szhBffk中国が違う国に冊封するのとは訳が違うのです。
なぜ日本は将軍が支配者だったかよく考えてね。
こんな事言われて、当時秀吉がどんだけ怒ったか。
慶長の役はその辺の経緯は外せない物が有るのです。
まあうやむやにして終わらせるのは有りだと思うけどね。
秀吉死んで結局そうなったし
0701名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 00:47:09ID:vH9vzSYo秀吉の権力が強かったと主張するなら、家康が朝鮮へ一兵も送ってない事実を
論理的かつ具体的に説明しなければ、説得性は決して生まれない。
伊達家の外交力が通用すること自体、秀吉の専制性の否定につながる。
小田原時に北条に呼応する勢力が無かったのは、決して豊臣家単独の軍事力
のためでなく、外様の大大名がそれに乗っていたから。
彼らの態度を硬化させる強引な政策は採りづらいのは散々既出。
唐入りの採算がはじめから無かったなどというのは現代に生きる人間の
結果論以外の何物でもなく、浅はかとしかいえない。
おそらく同一人物であると思われるが、伊達攻めと豊臣政権の存続について
固執するのであれば、豊臣家の潜在的な崩壊要因である譜代・一門の少なさ、
家中の派閥間抗争についての明瞭な解決策が当然の前提になる。
何度も繰り返し述べられているにもかかわらず、前提に触れずして
手段のみにこだわるのであれば、読解力・理解力に重大な障害があるといわざるを得ない。
>>692
>>1を素直に受け取ればあなたのおっしゃる通り関ヶ原以降が開始となる。
ただ、豊臣政権の存続と徳川家の衰亡を願う人が存在する以上止むを得ない。
0702名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 02:17:08ID:Wyc6oqdt日清戦争から日露戦争にかけて、朝鮮が日本との同盟を反古しまくったのは至極当然であると主張する半島の方ですか?
0703名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 02:35:19ID:qN6iPxnF近代の国際条約と、中世末のしかも日本国内の武家の倫理なんかを同一視されても困るわけだが。
当時の日本には慣習として強い者に従うって不文律があって、それが社会を不安定にしてた。
家康が圧倒的な領地を持ち、征夷大将軍という武家の棟梁の地位を拝領し、それを徳川家の世襲で継ぐという
社会を安定させるシステムを作ったことがそんなに悪いのか?家康にどう動いてほしかったんだ?
まさか、忠臣として綻びだらけの豊臣を支えろと?忠義なんてのは平和な時の世迷言なんだよ。
強い棟梁ぶりを発揮できない豊臣の不甲斐なさを嘆けよ。
>日清戦争から日露戦争にかけて、朝鮮が日本との同盟を反古しまくったのは至極当然であると主張する半島の方ですか?
半島の者じゃないし至極当然とは言わんけど、それはそれでいいんじゃないの?
ただし、それによって生じる結果には当然責任を持ってもらわないとな。それがあの時代のルールだ。今もそうだけど。
さらに言うと家康だって負ければ反逆者として扱われる。石田がそうだったように。
当然ながら彼等も自分の責任で行動してたわけで。「豊臣に逆らうのは反逆者だと思います」なんてのはガキの言うこと。
0704名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 03:00:34ID:Dy1/lVJl豊臣政権は無くなれど、豊臣家の存続自体に異議を唱える者は居るまい。
そもそも秀頼が生まれた時には、豊臣家は自他共に認める公家だからね。
0705名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 03:04:39ID:+35mQxNPまあ事実は事実だからねぇ・・・
無論これで家康の功績が否定される訳でもない、ただ純然たる事実であるというだけ、
秀吉が簒奪者として言われるのと同じことだと思けどなぁ、
家康が好きな人はこういう事さえ受け付けられなくて、家康が完璧じゃないと嫌なのかな?
0706名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 03:07:39ID:x5DU8joQ0707名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 03:12:56ID:+35mQxNP結局は秀頼の生まれた時期が悪かったのと、成人する前に秀吉が死んだのが一番大きい、
豊臣家が主体じゃないと関ヶ原みたく日本が二分するような争いになった時、
得するのは一方の頭になって、豊臣家としてはマイナスになるからねぇ。
0708名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 03:21:36ID:qN6iPxnF家康が反逆者だと言うのなら、それでもいいよ。
反逆者が日本の政治を安定させ、圧倒的な軍事力に支えられて
日本いくさのない平和な時代を創り、外国からの干渉を防いだってのもまた事実だからな。
反逆者万歳!ってなもんだ。いいよ、家康さん、俺は分かってるからさ。
結果論で語らなきゃ意味ないって子がいたけど、それなら俺は結果論で家康さんを褒めてあげるよ。
よくやったよ、何も悩むこたぁ無いっすよ。国家を『公』として見たとき、あなたの行動はかなりオッケーですからね。
秀頼が俺たちに何をしてくれたってんだ?俺は何も恩恵を受けてないし、むしろ国内に動揺を与えたじゃないか。
事後法で裁けるなら平和に対する罪でA級戦犯じゃないか。家康さんが汚名を被る必要はないんだよ。
関東平野万歳!東照大権現様万歳!江戸幕府万歳!三河弁万歳!一富士二鷹三茄子万々歳!
0709名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 05:07:57ID:amgUYDSg秀頼は自主的に官位を返上し、家康に対してはひたすら平身低頭、恭順
そして家康より長生きすること
60〜70万石程度の武将として存続できた可能性はある
戦って生き残る道を探すなら、大阪城に登城した折りに、
問答無用で家康を殺害すること
相手が丸腰であれなんであれ、これが一番確実
0710名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 09:20:22ID:vH9vzSYo徳川家と全面的に争う以上、秀忠と同時に刺す必要があるね。
成功すれば秀康・忠吉は出戻りの相続になって家中が割れそうだし、
それならば、分割相続させる理由になるかもしれない。
ただ、あまりに強引な手段が支持されるかは不安だし、
実際の戦争を秀頼とその周辺がさばけるのかはもっと不安。
関ヶ原以前に始まる政治変動に家康個人が徳川家と天下に対して残した
業績は多大だから、確かに彼の不在が豊臣家にもたらすものは多いかもね。
0711名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 10:33:09ID:DNBXcw3Lなんで豊臣家がつぶれたか?
簡単だよ、徳川幕府の末期と同じで旗本が激弱だったからだよ。
秀頼直轄軍が10万もいれば、関が原でも西軍が勝つよ。
天下取ったと大喜びして、大大名がたくさんいる状況で中央軍の
整備しないから足元すくわれるんだよ。
0712692
2006/10/22(日) 11:52:22ID:GIojvaNY関ヶ原前後をスタートすると大体フラグが立ちまくってて家康に手をつけるのはもう無理なんじゃない?
家康に対抗できた前田利家も死んでるし、
秀頼はまだ幼年だろ?
デカイ後見人でもいなけりゃ破滅にまっしぐらな感じプンプン。
秀次が生きてりゃ話は別だが、関ヶ原スタートなら秀次は死んでるわけだし、これは意味無し。
0713名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 11:57:25ID:ehmV0N/G奉行三成による第二次室町幕府みたいな脆弱政権か
執権宇喜多による鎌倉幕府の二の舞か
毛利幕府による家康が毛利に変わっただけ路線か
くらいにしかなるまい。
0714名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 12:22:51ID:vH9vzSYo豊臣政権の支配が全国に及んだ奥州平定後にどうするか、
というのが秀吉の政権構想との兼ね合いからも自然かな。
ただ、家康に手をつけるのにもっとも穏当で効果的と思われた
関東移封がものの見事に失敗してしまった以上、
徳川家を押さえつける好機は小牧の戦まで遡りそう。
豊臣家と公儀が同義語であるには家康ら外様を抑えることと平行して
三成ら奉行連中に権力を集めすぎず、なおかつ円滑に行政を進める
必要があるのも難しいところではあるよね。
0715名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 13:07:39ID:y1kbuZA+朝鮮水軍で、補給もままならない。
餓えと寒さで明日をも知れぬ命。
明軍の到着で勝ち目がない。
そんな不満タラタラの所に、家康みたいな影響力のある大物が行ったら、在鮮諸侯の不満を吸収して、反豊臣の一大派閥が出来上がる恐れが…。
少なくとも、文禄の役時点では…、黒田如水は、秀吉がそう判断すると読んで、自ら軍監になっている。
家康を行かした場合、勝てば更なる恩賞、負けても、在鮮軍への影響力を家康に持たせる結果になる。
伊達の外交的成功=秀吉が専制的権力を持っていない。って言うのもおかしな話では…。
そもそも、外交とは『戦場で失ったものを、テーブルで取り返す』って、言われる様に、力の弱い者が、より強い者に、交渉で言い分を通すことが、弱者外交の目的である。
秀吉が専制的権力を持っていようが、いまいが、政宗は弱者外交を展開する。
外交交渉を行えば、成功も失敗もあり得るのは、当たり前では…。
0716名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 13:09:42ID:aMAOZWJEそうなんだよね。
このスレの住人にとっては豊臣政権を持続させることが至上命題で、
それさえ実現すれば日本全体がどうなろうと知ったこっちゃないという雰囲気だが、
徳川政権に代わるものを考えるなら徳川以上か、せめて徳川と同等の善政を行えるような
政権を考えるのでないと、IFとして想定しても豊臣厨以外には何の意味もない。
史実の徳川政権以上のものを仮想豊臣持続政権に期待するのはまず無理だろう。
日本全体にとっては、徳川が豊臣を潰して善政を敷いてくれたことは大いに感謝すべき。
0717692
2006/10/22(日) 13:36:50ID:ySBaNBGSおまえが何を行ってるのか良くわからん。
ここはあくまで「豊臣家(豊臣政権?)が滅亡を防ぐためにどうすればよかったのか」
なスレだし。
そもそも俺的には「そんなIFな事言っても実際滅んでるんだからしかたないじゃん」と思ってるよ?
実際秀頼が降伏して小大名程度の知行安堵で大名(か公家)として豊臣家を生き残らせたとしても、そこから先は「秀頼の器量次第」なわけだし。
0718名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 13:42:08ID:vH9vzSYo在鮮諸侯の不満が家康と結びつきかねない情勢と
渡鮮させられない特殊な事情を持った外様について指摘することは、
豊臣政権の不完全性の説明にならないだろうか。
過剰な遠慮と配慮こそ、非専制性の証明といえる。
究極的な外交手段として戦争が定義付けられるのであれば、
「弱者外交」なるものの成功は「強者」の限界を示していないだろうか。
事実、取り潰せた奥羽の諸侯は概ね小身のものばかりであったしね。
0719名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 14:23:52ID:aMAOZWJEわかりやすく言ってあげると、
豊臣が持続したとしても良いことはない
史実どおり豊臣が滅んでくれて良かった
わかりやすいだろ
0720名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 14:31:13ID:+O/CTt/d豊臣家が存続するなんて事は考えにくいね
0721名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 15:05:24ID:usWpkhu+はいはい。 分ったから徳川厨スレに、お引越ししようね
0722名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 15:24:47ID:h6OI5sZw俺は終わったと思ったな。
0723名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 15:36:53ID:097rkec7たとえば徳川幕府成立後なら家康よりも先に秀忠が死ぬとか
率先して淀を江戸に人質に出して徳川に恩を着せると同時に
大坂から遠ざけるとか。
>>717
>>1読め
0724名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 15:55:57ID:HkCSBotA0725717
2006/10/22(日) 17:08:26ID:o8cHvA3Fいや、>>1は見たよ。
「滅亡せず一大名として」ってことは
「大阪夏の陣の前で、再三江戸に来いと家康に言われていた時にどう立ち振る舞えば豊臣家は滅亡せずに済んだか」
ということでいいんだよね?
答えは「大阪城を秀頼が出るか淀が江戸に人質に行けば問題なかった」しかないだろう。
他に方法ある?
前レスを見る限り
「豊臣が滅んだのは家康の所為なので家康が死んでればこんなことにならなかった」
的な意見が大多数なんだもん。
0726名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 18:20:04ID:WN3/PRTg織田の三法師を君主に据えて織田家の1家臣で満足してりゃ存続したんじゃね?
0727名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 18:35:52ID:+n3ioxVHあったんだよね。でも、淀君が止めた」
だから、大阪城炎上は、淀君のあさはかにある。
0728名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 18:42:16ID:+n3ioxVHさらに清正、正則、長政らが、協力してれば
豊臣から徳川に政権が移ることは阻止できた。
豊臣は自らの政権獲得が「奇跡」によるもの
なのに、徳川の協力のもとでおごり高ぶった。
豊臣は単に『臨時暫定政府」でしかなかった。
0729名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 18:45:50ID:+n3ioxVH豊臣政権は、あと、30年もたなかったであろう。
最後は徳川がでてきたであろう。まあ、関が原で
の西軍敗北で、豊臣政権が、ひっくり返ったのは
事実だ。
0730名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 19:20:49ID:+bjb9lzH0731名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 20:59:49ID:9LHXrfGP無駄な改行を止めろ!読みにくい
0732名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 21:04:08ID:q6HNSDmC改行厨のID:+n3ioxVHは戦国板のあちらこちらに出没してるなあ。
0733名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 22:01:57ID:b4wVMSnVそのままにするわけないだろ。
三成が豊臣政権の権力構造を抜本的に改革して
効率的で開かれた社会にしていたはず。
三成はある種の人間には嫌なやつだったかも知れないが
私心のない人間だし有能だから全く別の日本が生まれていたはずだ。
じゃなきゃ、大谷義継みたいな人間が動くわけないって。w
0734名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 22:15:21ID:vlB5fgMy0735名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 22:26:16ID:YVjVH+L/佐和山20万石、五奉行の三位だか四位だかがそんな事出来ると思ってんの?
大老で三成に味方した毛利、宇喜田、上杉は権力増大するんだよ?
0736名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 22:32:33ID:y1kbuZA+三成は有能な官僚であり、その忠誠心は疑う余地もない。
関ヶ原及びその追撃戦で、徳川を打倒した暁には、豊臣政権の永続のために、十分な措置を取ったはずだ。
だが、官僚の限界というべきか、新しい世の中を開くことは、難しいのでは…。
0737名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 22:34:29ID:KW7ggj+l彼のように情が優先されるまでの関係でなけりゃ、誰もついていかないだろう。
三成も好きな武将なんだが、それでもあまりにも多くの人間に嫌われ過ぎた。
三成がいたから天下が取れたと言った家康の言葉はあてつけではなく本音かも知れん。
0738名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 00:05:15ID:o1djPKs4・豊臣政権内を掻き乱し、気に入らない大名は弾圧。自分の思いのままに政を進め
よく有りがちなパターン(各地の大名が決起して政権崩壊させられる)になる
・豊臣家の為に努力し、私利私欲とは無縁の公平な善政を布く。
また古い封建政治の撤廃により日本の発展に大きく寄与する
どっちだろう?
俺は後者だと思うな。
何故なら、三成は佐和山19万石の石高の内、その多くを家臣の島左近などに与え
城内も、訪れた客が驚くほど質素倹約されてたそうだ
三成個人には天下への野望などもなく、ただ豊臣家の為。という想いだけだったのではないだろうか?
そして、今の腹黒の三成像を作り上げた張本人こそが、家康なのだから
実際は、イメージとは全く違う、本当の漢だったのではないだろうか?
0739名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 00:06:54ID:/AAN/khk同意、ただ三成自身の所領も間違いなく大きくなるだろうね、
近江だけでなく、清正や正則の所領の一部などを使って。
ただそうなると結局膨れ上がった五奉行と外様の間で亀裂が入っていきそう。
家康との対立となんら変わらない。
0740名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 01:58:51ID:C3UZwvNc政治体制が持つか持たないかは、個人の性格ではなく、そのシステムに
よる。それが、時代に合うかどうかも含めてな。
三成の政治姿勢は、基本的に中央集権の徳治政治だ。しかも教条的な。
だが、んなもの実際の政治の中では夢想でしかない。三成が政権を取っ
たら、自分の理想に合わない連中は全部恣意的に糾弾してゆくだろうよ。
その結果は、政権崩壊だ。
一方の家康の政治思想は、完全な人間はいないという前提に立った上で、
将軍の権力もそれを補佐する人間の権力もブレーキをかけ、統治の基本
は法に従うというものだ。これは、封建制の中でも一番近代的だ。また、
時代を先取りしすぎているということもなかった。
0741名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 04:40:30ID:o1djPKs4太閤検地然り、本格的荷駄隊の編成然り
三成の目指したシステムとは、単に合理性の追求であっただけで
それを実現することによって
豊臣政権の維持が実現されると考えてたんじゃないかな?
確かに権力者として、完璧思想すぎるのは性質が悪いけど
家康は関所設けたり、鎖国したり、参勤交代したり
政権維持にはいいが、日本の為にはならない事ばっかりしてるんだよな
なら三成の方がよくね?
0742名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 04:44:29ID:QJG1pCjx何でこの人はもう否定されて随分たつ徳川時代暗黒史観を嬉々として話しているの?
あたまがわるいの?
0743名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 04:48:33ID:QJG1pCjxhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152431263/535
この辺とか読め
0744名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 04:57:34ID:o1djPKs4まで読んだ
0745名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 05:01:11ID:QJG1pCjx真実を指摘されたからってそんなに真っ赤になって泣くなよ三成厨w
0746名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 05:18:59ID:o1djPKs4しかも中途半端以下の意見を間に受けて根拠にしようとしてるのか??
頭大丈夫か? 恥ずかしくないのか?
アジア諸国が植民地にされたのは地理的に日本より近かったという事も理解できないの?
シャムやカンボジアなど東南アジア諸国に、江戸初期の鎖国以前の頃
イギリス、オランダ、ポルトガル、イスパニア・・そして日本
各国の貿易船が交易を舞台に争い、結局、最後は日本の独壇場になってた事も知らないんだろ?
取りあえず・・オマエはバカだ。 それだけは言える。 マジメに反論する気も失せさせるほどだ
0747名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 05:49:27ID:QJG1pCjxえーっと…
君のその歴史認識がどこの小説から持ってきたものかが興味あるな。特に
>各国の貿易船が交易を舞台に争い、結局、最後は日本の独壇場になってた事も知らないんだろ?
このへん。
悪いけどそんな説、聞いた事も無い。
本当にそうであるのなら是非その資料、記録、どこと何を交易してどういう風に独壇場にしたのか
それに使用された船のトン数、船数、海外で拠点とした貿易港(もちろん独壇場なんだから
一つ二つじゃないよな)中心となった船会社、貿易商人、それを裏付ける海外の側の記録。
そういうのを提示してくれまいか?
君はなにか貿易を金儲けの魔法のように考えているようだけど、基本的に売るものがあって
それを欲しがる人がいて、始めて成立するんだよ、交易って。
残念ながら豊臣時代の日本は売るものがほとんどなかった。生産性が低かったんだ。
「黄金の国だろ」って言うかもしれないが、豊臣期にはもう日本の鉱物資源は頭打ちだった。
かといって工業製品はその産業自体が殆ど存在していない。当然だ。ついこの間まで
激しい内戦やってたんだからな。今のアフガンやイラクみたいいなものだ。
日本に、一次品ではなく、海外に輸出できるほどの二次産業が成立したのは江戸時代。
国際的にも通用する商況慣行も契約環境も、定着したのは江戸時代。
何より自国の発行する通貨がきちんと定着したのすら江戸時代だ。
理由もなく貿易は栄えないし、理由もなく貿易は止まらないんだ。
人を馬鹿と言う前に、そういうことを少し考えて見なさいよ。
0748名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 06:44:21ID:o1djPKs4外貨を持って海外の特産品を国内に持ち込む事だけを言うんじゃないよ
それは、小学生が考える基礎の基礎だ
問題は、既存の交易ルートというネットワークに新規に介入するには
政治背景や地理的要因が大きく関係していると言う事だ
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-3.htm
まず、これは基本。 これを頭に入れて、
西洋各国が、どのようにアジア諸国と交易を開始したのか理解しろ
0749名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 06:47:44ID:QJG1pCjx日本の独壇場になってたって資料を出しなさいよ。
0750名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 07:34:39ID:o1djPKs4当時のアジア交易あたりでググれよ
おまえに合わせて>>748で分りやすいの貼り付けてやったのに
マジで理解出来てネーだろ?
交易における、もっとも重要なモンを日本は占めてたんだよ
理解力ないバカは、これだからウザイんだよ
おまえも、鎖国して有益だったって資料だせよ
庶民の貯蓄が増えたw なんて情けない言い訳抜きでだぞ
0751名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 08:53:23ID:QJG1pCjx研究者でもなんでもない元社会科教師のHPを…
えーっと、これを信じているわけか、君は。
がんばって読んで見たけど、そこは歴史上の出来事から自分の思想に合う都合のいいエピソード
だけをピックアップして、それに自分の空想を加えて書き連ねただけだぞ、そこ。
小説というべき内容だな。
あとね、日本の鎖国って管理貿易なの。国を閉ざしてなんかいないの。
秀吉の時代が貿易で栄えたような幻覚を君は見ているようだが、アレは日本で唯一生産できた
鉱物を海外に安くばら撒いたからそう見えるだけだ。つまり秀吉は日本国の資産の
バーゲンセールをやったわけだ。そりゃあ豪華にも見えるだろう。だが実態は資産の切り売り
でしかない。
君の言う重要なものとはこれのことなんだろうけど、その重要なものをまったくもって
効果的に使えなかったのが豊臣政権だ。貿易商人に良い様に甘い汁を座れた政権、と
言っていい。今の中東の産油国の王族みたいなものだ。
徳川幕府が鎖国政策を行ったは、もちろん国防上の理由もあるが、それまでの乱脈と言っていい
金の流れをコントロールするためでもあるのだ。
それまで日本から金銀がだだ漏れに流出していたわけだからな。責任ある政府の対応と
言っていい。
それにより国内に還流した金銀によって、幕府は安定した通貨制度を創出できた。
通貨を作るというのは、逆説的だが、資金が無いと出来ないのだよ。
これがどれだけ大変な事かわかるかい?日本以外の東アジアの国、例えば李氏朝鮮や
ベトナムは、植民地にされるまで中国の貨幣を使っていたんだよ。それはどれだけそれらの国の
近代化を阻害した事か。
まあ君はこういうことを理解する気はないだろうから、まあ、勝手な解釈を言っていればいいさ。
だけれども空想を歴史と言い張るのはやめたほうが良いぞ。そういうのは世間一般にはオカルトと
呼ばれる行為だ。
0752名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 10:02:34ID:6Jy+8xnsなかなか面白いサイトだなw
謎の集団倭寇が大活躍だなw
0753名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 10:38:06ID:DtFOu55W三成が豊臣政権を改革するのには問題がある。
例え恩賞で石田の石高が膨れたところで彼の持っている武力では
全国乃統制を可能にするほどの軍事力を保持し得ない。
まして奉行衆の思惑は一致しているわけでないのは関が原で
歴然としているから、戦後足並みが一致する保証も無い。
豊臣家には直属軍も無い。淀殿とか豊臣家の家政を担う
輩が三成に協力的になる保証も無く豊臣家の資産を使って
直属軍を養うという手段も難しく
出来たとしても時間がかかる。
西軍は外様の寄せ集めであり関が原後には豊臣恩顧の大半を処罰して
外様の有力大名を巨大化させるという賞罰になる。
戦後の統制には少なくとも大老の協力は不可欠になる。
戦争での貢献、武力的経済的裏づけとして働いたこともあって
上杉、毛利、宇喜多は単に巨大化するだけでなく
周辺への軍事的指揮権を預かるという先例も出来てしまうので
三成としては宇喜多を豊臣家の柱石に取り込んで
毛利、上杉という東西の二大巨頭を天秤に載せて
協力を仰ぎながら政治を行なうしかなく
大老の顔色と利害を伺い合議でまどろっこしい手続きに追われながら
政務を行なう。
だから改革は進まないと思う。
0754名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 12:01:17ID:85ZJs5N/なんで三成の武力だけで、統治しなあかんの?
奉行衆が一枚岩じゃないとあかんの?
そんなん、当たり前では…。
関ヶ原及びその追撃戦で勝利しても、三成は近江一国がせいぜいで、普通なら、所領二倍にする程度が関の山。
なんせ、率いた兵力が少なすぎ。
それでも、奉行の中で、三成が主導的な役割を担うのは間違いないのでは…。
北日本で上杉が200万石、西日本で毛利が200万石になっても、東海から東中国で、豊臣家と宇喜多、奉行衆で固めれば、豊臣政権をかなり強化出来るのでは…。
孤独弱体の君主が、諸侯のバランスの上で、長期政権を築いた例は、少ないながらもあるので、要は、徳川のような、圧倒的な実力者を作らなければ、良いのでは…。
0755名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 12:41:02ID:26VqHV2Y>交易における、もっとも重要なモンを日本は占めてたんだよ
金・銀かな?これを流出させて得るものが金平糖じゃ割に合わないよね
0756名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 12:52:24ID:q0ac5xdW恩賞を与えるべき対象は上杉・毛利だけではないことに注意が必要。
九州においては島津・鍋島・立花の加増が求められるし、地生えで勝者の彼らに
転封は現実的ではないので九州の大半は彼らの所領になりかねない。
中国の毛利も同様に、山陰地方から但馬・丹後あたりまで要求しかねず、
四国においても旧藤堂・加藤領は長曾我部家のものになりそうだし、
西国における豊臣政権の影響力が低下する恐れがある。
そもそも、秀頼を抱えて大軍・大封とともに大坂城に居座る毛利家はすでに
徳川家に代わる圧倒的実力者以外の何者でもなく、諸侯の加増権についても
毛利家、あるいはそれに上杉家を加えたものが行使すべきものだろう。
足りない分の恩賞は豊臣家の蔵入地から捻出しなければならず、
奉行衆もそれなりの加増で東国に追いやられるのが関の山じゃないかな。
大諸侯の政権参画と豊臣家の勢力低下は避けられないし、
その場合、家康がしたように奉行衆の無力化もまた同様に図られると思うよ。
0757名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 13:24:36ID:L2dwV10T享保の蘭学ブームは一体なんだったのかとwwwwwww
それだけではなく、朱子学に江戸幕府のお墨付きを与え
各種中国の書籍を導入してるんだよと。
鎖国で制限されたのはイスパニアなどのカトリック教国だけで
それ以外は制限されていない。
ペリー来航時でも情報をオランダ人から入手しており
情報ネットワークとやらからは別に離れていない。
0758名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 13:38:51ID:WuW8V1lN志筑忠雄の造語が一人歩きしている感はあるな。言葉のイメージが優先している。
実際は海禁政策以外の何物でもないので、当時としては特に珍しいものでもないのだが。
0759名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 17:03:13ID:Lzr4km8G0760名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 18:29:48ID:o1djPKs4>>あとね、日本の鎖国って管理貿易なの。国を閉ざしてなんかいないの。
そんな事、小学生でも習ったよね
問題は、何故、管理するのか?と言う事。理解できる?
君が言うのは金銀の流出を抑えるため
本当に、この理由だけで幕府が貿易を管理したと思うの? 違うね。勉強しなよ
・九州などの大名、幕府以外の勢力が貿易により富を得ることを避けたかった
・自給自足できるので米本位経済でよかった
・キリシタンなどの締め出し
・貿易窓口を管理するので幕府主導で海外文化の流入、政権維持が図られた
これらの理由で幕府は鎖国したんだよ 分る?
つまり幕府は、通貨ではなく米本位の古い経済で良いと思ってたんだ。
自国の中でだけの流通、経済規模の閉塞であっても、政権維持だけが唯一の目的なんだよ
そんな政府の布いた鎖国制度が果たして国の発展に寄与したとでも思ってるの?
0761名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 18:38:52ID:p8Ve58Mr秀吉関係はこういうアホがやってくるから困る。
0762名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 18:41:41ID:o1djPKs4幕府評定所大寄合(寛永16年)での諮問をまとめた酒井忠勝の
「我々は、他の人の奉仕を受けることができる限り、日本の船を国外に渡航させる必要はない」だった
分る? つまり、外国(オランダ)に依存できる限り
日本自体が海外に雄飛する必要はない
そんなリスク犯してまで、日本の国の発展は望まず
ただただ徳川政権の維持のみを考えて鎖国を進めたんだ
今の、どこかの政府に類似してるでしょ?
北朝鮮だよ。
ただ、金正日政権の維持の為だけに海外政策を行い、国を閉ざし
にっちもさっちも行かなくなって初めて気付くんだよ
その時には、すでに諸外国から遠く突き放されてるんだけどね
結局、徳川政権の維持なんて日本の発展と関係ないし
政権維持する為に、日本の国を鎖国(管理貿易)したのは大きな間違いだよ
0763名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 18:43:24ID:o1djPKs4信長の野望以外の話はしないで下さい
まで読んだ
0764名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 18:56:42ID:DtFOu55W>>日本自体が海外に雄飛する必要はない
>>今の、どこかの政府に類似してるでしょ? 北朝鮮だよ。
これはまた(失笑するしかない)極端な論理ですね。
鎖国には弊害も利点も双方あったと見るのが自然でしょうに・・
どうしてそうまでして弊害ばかりに目を向けるのかねー。
海外雄飛にも同様に利点も弊害もあるということじゃないんですか?
金銀流出以前に日本には海外と交易するに足る品目が絶対的に不足していた。
だからゆえ金銀を輸出品にす知るなんて事態が生じていたんでしょ。
しかも日本にはまだ開拓する余地もあり、国内ですら全国を統一した市場
がまともにできてもいない。まだまだ内需に目を向ける余地のあるのに
海外に目を向けるのは人材流出と国土の荒廃を呼びかねないでしょ。
現実に未熟な国内基盤のまま外に目を向け海外雄飛した
イスパニアポルトガルの末路を見るに性急な海外雄飛が
日本のためになったとは一概に言えないでしょうね。
0765名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:07:51ID:r2H6B5Leしかもそれは鎖国のような対海外政策は無くその後何百年間も
海外列強と不平等条約を結ぶことなく近代に入っても列強と同じように歩を進めれると思ってるのか?
結果論ではあるが徳川政権は近代へ続く際にその国力と土台を提供した意味で十分功績がある
それは250年の太平の世がないとそうそうできないことだ。
その太平=徳川政権維持のに鎖国政策をしたとしても別にいいと思う
0766海舟問屋
2006/10/23(月) 19:16:07ID:PkmWn0XK馬鹿げた朝鮮出兵で地方の財政は破綻しかかってたし、
豊臣家臣団の分裂もそうとう早まった。
大坂以外の民衆はみんな豊臣が滅んでほしいと思ってたし、
その次の代表として徳川家が選ばれただけ。
先見性のある家康は、豊臣家の滅亡をいち早く予測して、自分がとって変わる手を着々とうっていった。
豊臣家臣団では、北政所寧々が一番早く、豊臣家に見切りをつけて、
どうせ誰かがとって変わるなら、人格者である家康であって欲しいと協力していくようになる。
結論として豊臣家が生き残る術は"ない"と言っていいだろう。
0767名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:31:05ID:WQdsfjSb0768名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:35:23ID:o1djPKs4なぜ、海外進出が国土の荒廃を呼びかねるやら・・w
徳川の布いた鎖国制度とは、国内の経済基盤を設ける為と真剣に思ってるの?
そんなの後付ね。
そもそも、日本に輸出品がないと言ってるけど
競争なくして、いつ、その価値ある輸出品が開発される事やら
資源のない日本において、外貨を稼ぐ方法は海外との競争に培われる産業品しか望めないのに・・
鉄砲然り、日本は海外の優れた文化を進化改良させることに秀でた国民
その日本から、海外の競争を閉ざし資源と内需だけで成長しろなんて無茶な話だよw
0769名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:41:39ID:DtFOu55W・・まあいいけどね。貴殿のおっしゃる鎖国が無ければ
海外との競争で日本はより発展していたという説も
根拠の無い思い込みでしかないのは事実。
実際に証明できないのだからして。
>>なぜ、海外進出が国土の荒廃を呼びかねるやら・・w
あなた世界史知らないでしょ(苦笑)
まあいいです、あんたが大将、あなたのお言葉はみーんな正しいです。
これで満足でしょ。反論するのもあほらしくなってきた。
0770名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:43:37ID:DtFOu55W後は貴殿の、頭で考えてみてくれw
鎖国で日本が遅れた、と言うのなら、国を閉ざしていなかった西アジア、アフリカ、インドは
何故西欧にかなわなかった?
西欧が強くなったのは1にも2にも金の力だ。その金はどこから来たか?もちろん新大陸から
ただ同然のコストで略奪してきた金銀だ。それまで辺境の、貧乏で小さな、キリスト教と言う
マイナーな教義のみで固まっていたヨーロッパと言う地域が、突然他地域の想像を絶する
大金持ちになったのだ。
彼らはその溢れる金の力で世界各地に進出し、また内域的には産業の機械化を行った。
産業革命だ。
これを勘違いしている人間が多いが、蒸気機関や電力などは西欧の発明ではない。
古代ペルシァやローマではすでに電気も蒸気の力の利用も行われていた。ただ、それを産業化
することは無かった。何故か?人間や動物の力を使った方が、安上がりだったからだ。
世界帝国であるペルシァやローマであってすらも、わざわざ莫大な金をかけて機械を作り
それを燃料を購入し起動させ物を作るなんて、コストに合わなかったのだ。
そのくらい機械と言うのは金がかかるのだ。それを可能にしたヨーロッパの金の力とは
暴力的と言っていい。
日本にアメリカ大陸がなかった以上、ヨーロッパ的な発展は不可能なの。金が無いからだ。
とくに徳川時代の支配層は、民間から金を吸い上げる事をしなかったから貧乏だった。
どのくらい貧乏かと言えば、支配の頂点に立つ将軍家が、その日の食事にも倹約するくらいだ。
だが、それこそが民間に資本を蓄積させ、明治になって政府の主導の下、日本資本主義を
花開かせたのだ。
0771名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:44:33ID:gSWJidC30772名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:49:29ID:o1djPKs4>>徳川政権は近代へ続く際にその国力と土台を提供した意味で十分功績がある
それは250年の太平の世がないとそうそうできないことだ
土台って何? 日本固有の文化が形付けられたという事だけじゃん
米資本の経済なら、開国してても出来るし
大坂や江戸が発展するのも開国してても当然出来る
ま、君の疑問である三成が政権を主導すれば、発展したかという質問とは関係ないけどね。
ただ、少なくとも史実で徳川幕府は交易を閉塞的にし、海外の文化の流入を規制した
島原の乱の時、オランダ船に城を砲撃することを頼んだ
つまり、西洋の文化の方が進んでるとわかった上で、規制したんだ
なら徳川政治が善政かというと、結論は否だよね。
なら三成然り、他の大名のほうに期待したいけどね
勿論、家康自身は鎖国してないから、彼を責める気はないけど
その原案は、やはり家康自身の発想だと思うから、彼の頭の中は国の発展二の次で
結局は、ただただお家の存続だけだったのじゃないの?
0773名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:51:57ID:p8Ve58Mr世界最強国家ニダなんて理屈が出てくるの、豊臣時代マンセー
だから、江戸時代は暗黒時代ニダって言いたいのか。
まったく、厨はしょうがねえなあ。
0774名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:52:55ID:o1djPKs4うん。自分の無知を認めたのなら
もう2度と出てこないでね
バカは己が恥じかくだけじゃなく、周囲にも迷惑かけるから^^
でも素直に、その事を認めただけ誉めてあげるよ
おバカさん
0775名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:56:21ID:DtFOu55W後付の説明でようは
「家康の頭の中は国の発展二の次で 結局は、
ただただお家の存続だけだったのじゃないの」ってことかよ
どうりでいかにみんなが説明しても屁理屈こねると思ったらwww
でもいっておくが家康以外のどの大名武将でも
お家が最優先で、国の発展はその次というのは大差ないと思うが?
違うというなら、その日本の発展を優先し、自家は二の次に出来る
大名というのを教えてもらいたいな。
0776名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:57:20ID:DtFOu55Wそのセリフをそっくりお返しします
0777名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:57:58ID:L2dwV10T余りにも見てらんねえ。
>ただただお家の存続だけだったのじゃないの?
と徳川家と家康を非難する文を書いておきながら
同じ石田三成評で>>738
>天下への野望などもなく、ただ豊臣家の為。
って書いておきながら、
石田三成の場合は「豊臣家の存続の為には国なんてどうでもよかった」とならず
>豊臣家の為に努力し、私利私欲とは無縁の公平な善政を布く。
>また古い封建政治の撤廃により日本の発展に大きく寄与する
という仮定が出てくる。
むしろ、近代精神に則れば、豊臣家なんてどうでもよくて
西軍が勝った場合、図抜けた諸大名が居らず
上手くいって合議政権、下手すりゃ内戦状態に逆戻り
三十年戦争みたいになるかもしれないのにな。
なぜか、よくなる可能性しか考慮しない点が厨なんだよな。
0778名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:03:31ID:tGSIF3+4確かに鎖国して海外と比べてそこまで大して発展しなかった日本だが
どうして後にアジア周辺まで領地を広げるほどの活躍が出来たんだ?
中高の教科書では結局西欧の技術を取り入れたから〜ですんでるんだが
それにしては発展しすぎな気がするんだ
この一世紀弱の間に何があったんだぜ?
0779名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:06:18ID:L2dwV10T先物取引やマネーサプライ調節などは洗練されてるといっても
良い位だ。
あと経済学の基本だが、内需を無視した貿易なんてのは存在しない。
比較優位による貿易のWin-Win関係はあくまで公平な国際ルールが
存在し、適切な為替相場が存在してこそ。
国際競争力なんてものが存在しないのは、企業が生産管理を行うから
であって国同士が競争するのではないからだ。
生産性の劣るイギリスがインドの繊維職人の指を切断されたりしたのは
産業革命後だ。その技術革新が職人技を越えるのは近代に入ってから
の話だっつーの。
0780名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:06:37ID:jTPJLQCX0781名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:07:43ID:DtFOu55W私ども偉大なる首領様 ID:o1djPKs4
に反する意見を述べるとこのスレでは>>774のようなおバカ扱いされるので
偉大なるID:o1djPKs4首領様に聞いてください。
彼ならばきっと納得いく説明するでしょう。
0782名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:08:13ID:o1djPKs4おまえ、自分で反論しないと言ってじゃん
何、悔しいからって出てきてんの?
バカじゃねー?
おまえ、自分で認めたんだから出てくんなよ
何がペルシャの電気だよw 遺跡から出てきた電池を大袈裟に語ってんじゃねーぞ
0783名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:10:45ID:DtFOu55Wしかも反論してるのはほかの方だ。IDよく見ろ。
貴殿を茶化して遊んでるだけだ。
0784名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:12:28ID:o1djPKs4きも
俺は、オマエの祖国の同朋じゃないんで
オマエの尊敬する将軍様と一緒にしないでね
( ´,_ゝ`)プッ
0785名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:18:29ID:DtFOu55Wアオリにばかり反応しないで>>777>>779>>780
へのまともな反応もしたらどうなの?
0786名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:23:03ID:o1djPKs4君の疑問こそ答えだよ
徳川幕府の閉鎖された内需主導の米資本経済から
民主主義に乗っ取り外需に目を向けた資本経済に移行しようとした姿勢
そいて、それに乗っ取った努力。まさに競争によって成長したんだ
他には海外侵略による植民地支配。それに伴う戦争景気
別に朝鮮も清も金銀財宝なんて持ってないけどねw
しかし、海外の安い労働力を背景に、資本経済の成長を推し進めたんだよ
0787名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:25:18ID:jTPJLQCX0788名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:30:18ID:8aAObZOq0789名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:34:14ID:L2dwV10Tまあ、漏れも詳しい訳ではないが、
江戸時代は中期1700年代中盤から近世に分類される。
合議制を中心とした老中システムの拡充により官僚体制が整い、
公事方御定書などそれまでの(石田三成の目指した徳治主義も含まれる)
人治国家から法治国家へ移行が始まる。
これは近代政治において非常に重要な事だ。
経済においては鴻池などの財閥が振興し、経済の基本とも言うべき市場経済
が形成され資本蓄積も行われる。(最もこれは幕府の米中心経済を破綻させ
る一因となる。)
(余談だが、江戸時代の経済は調べると面白いよ。下手な欧州各国よりよっぽど
洗練されてる。)
学問も奨励され、前に上げたように朱子学、蘭学なども紹介され、地方においても
寺子屋などで読書き算盤が行われ識字率も世界一となるといった複数の要因が
有ると思われ。
これらすべて泰平の世があって初めて成立するお話ですが。
0790名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:38:43ID:8aAObZOq0791名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:42:56ID:o1djPKs4また、朱子学や蘭学など
外国の学問が紹介される上で鎖国は弊害だが
学問が奨励されたことと鎖国の因果関係はない
0792名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:43:36ID:L2dwV10Tあくまで、生産性の向上が経済発展の原点であり、奴隷を使って
楽したところで、そんな連中の士気が高いわけもなく
当然ながら生産性が高いわけが無い。
貴族が楽したところで生産性には関係ない。
「植民地はイギリスの軛である。」とは18Cの海軍提督のお言葉。
0793名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:44:38ID:L2dwV10T>>777
0794名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:48:26ID:L2dwV10T俺の感想としてはそんな事は誰にもわからんね。
ただ、為政者にとって政策を行うだけの妥当性はあった。
それが日本に別に悪かったとは思えない。
歴史に正解とか、石田治部なら
1600年に封建制から近代化ができたとかは
電波ゆんゆんすぎてついていけない。
0795名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:50:02ID:8aAObZOq0796名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:54:45ID:KYigdeX8「民主主義に乗っ取り」はさすがに恥ずかしいぞ。
日清戦争時の賠償金を文字通り金で払わせたこと、その賠償金を元に
日本の産業革命が進んだこととあわせて明治期の理解を深めたら?
>>788
家康と江戸期に対する潜在的憎悪に立脚した主張しかしない奴がいるからな。
伊達取り潰しだったり、江戸時代暗黒論だったり。
0797名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:54:46ID:o1djPKs4>>あくまで、生産性の向上が経済発展の原点であり
ふ〜ん 認めちゃったね
なら、開国後の生産性の向上が意味するものを理解できたわけだ
それと誰も植民地=奴隷労働力とは言ってないから
ま、それも多少はあるけどね。 それは主に中世以前の話だね
0798名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:57:44ID:o1djPKs4だから植民地支配然り、戦争による賠償金然りだよね
鎖国してたら、いつ海外から賠償金取れるんやら・・
生産性の向上を意識したのも、産業革命を成さなければならないという意識も
どこから来たのやら・・
0799名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:00:18ID:8aAObZOq0800名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:00:51ID:jTPJLQCX0801名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:10:37ID:o1djPKs4何も本質理解できてねーのに
都合よい根拠だけ持ち出すから墓穴掘る
日本が明治に文明開化しても、結局、遅れを取ったわけだ
だから焦って、アジア諸国への植民地支配マンセー的な気風が広まった訳で
早くから開国、自由貿易、国際競争で
諸外国の実情、世界における日本というものを理解していれば、結果は同じ物にならなかった
勿論、秀吉の例に見られるように海外侵略などしたかもしれない、
しかし、新政府発足後に始まるアジア諸外国への過度の侵略、植民地支配による
明治〜現代に続く、このアジア諸国との軋轢は起こらなかった
それを起こした切欠が、江戸の閉ざされた鎖国制度なんだよ
0802名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:15:09ID:26VqHV2Y>海外雄飛にも同様に利点も弊害もあるということじゃないんですか?
海原雄山にみえた
0803名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:16:38ID:o1djPKs4鎖国の現代にまで延々続く、一番の弊害は
日本人の海外に対する意識を希薄、鈍化、歪曲させた事だよ!
0804名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:18:16ID:YObCKweCちょちょ、結局そうなるの。
アジア諸外国がどうだとかは関係ないでしょ。
0805名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:18:36ID:6Jy+8xns関ケ原以降鎖国前には海外に挑戦した連中がうじゃうじゃいる、カトリックとプロテスタントと各国の争いを
利用しやすい立場に有るのも利点。
アジアに限って言えばヨーロッパは距離が有りすぎるので、日本も有利な面もある。
日本の余剰人員である浪人30万を利用できるし、伊達がローマまで支倉行った実績もここで役に立つw
まあ、鎖国をしなければ良かったって論議は、戦前の日本で盛んだったらしい。
戦後は平和主義になって鎖国良かった論が定着したようだ。
外征と東南アジア進出は違うので、国内が疲弊はしないと思われる。案外悪くないかもね
0806名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:24:15ID:w1mOImFSお前議論する気ないだろw
0807名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:26:57ID:vNBWj0Uo開国しようがしまいが生産性向上が重要であるって話なのに。
中世以前って織豊時代は中世じゃん。石田治部もその中の人間だし。
彼の事績もその範疇だ。なのに合理主義とか言いだすから
電波ゆんゆんなんだよ。
0808名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:30:46ID:jTPJLQCXまあこれはほっといて。自分の事でしょ?
>結局、お前らバカなんだよ
何も本質理解できてねーのに
都合よい根拠だけ持ち出すから墓穴掘る
自分こそ家康憎しか江戸時代憎しか知らないけどそれに凝り固まってんじゃん。
0809名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:35:52ID:vNBWj0Uo徳川幕府による鎖国は別に閉じてないっての。
朱子学や蘭学が幕府から奨励されてるっての。wwww
何回書いたら分かるんだよ。
0810名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:36:25ID:o1djPKs4お前らの国を豊かにしてやったのは日本人だって
0811名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:39:35ID:KYigdeX8ただでさえ唐入りに失敗してる上に民力が疲弊していた状況で、
江戸初期においてどうやったら勝ち味のある海外進出ができるんだよ。
それ以降の東アジアでは清が拡大政策を進めていく時期だから、
清に直接挑むのも、さくほう下にある国を狙うのも無謀。
死にかけた清相手の日清戦争とは条件が違いすぎ。
鉱物資源しか目だった輸出品目が無い上に収奪貿易もできないんじゃ、
対外交易によって国家そのものが富むことはないぞ。
0812名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:40:48ID:o1djPKs4オマエ、頭悪いな〜
だから、交易も海外の学問も全て、
幕府の管理の下に進められたんだよ
政権を崩壊させられない程度で、
一方通行の海外文化が幕府を通して齎されただけだよ
いい加減、理解しろよ
0813名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:46:38ID:DtFOu55WID:o1djPKs4貴殿は自分に都合の悪い意見だけ迂回して
反論できる意見にしか反応していない。(ように見える)
ゆえに他人はバカな意見しか述べないように見えるんでは?
ゆえに誰も納得させられてない。
すくなくとも根拠がたしかなら、誰か擁護意見出るんでは?
自説が間違っているんでは?と疑って再検証するというのはどうでしょう?
0814名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:46:55ID:26VqHV2Y俺も頭悪いんだけど、じゃあどうすればよかったと思う?
幕府主導がそんなに嫌なのは何故?
0815名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:47:34ID:vNBWj0Uo作れたという論拠がないと話にならん。
あくまで政治システムや経済システムと言う点で徳川幕府
以上のどういうシステムを作れたというのか。
近代以降は特に個人に依存せず組織で運営するもの。
豊臣御為じゃ話にならん。
0816名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:47:35ID:o1djPKs4鎖国完成させたのは家光なんで ヨロシク
それと誰も清を侵略しろなんて言ってないので ヨロシク
鉱物資源は明治でも、ないので ヨロシク
0818名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 21:56:28ID:o1djPKs4幕府主導が嫌なんじゃないよ
政権維持の目的で、大幅な規制をかけるのが嫌なんだよ
0819名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:00:33ID:Lx1kSm7F0820名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:06:26ID:KYigdeX81,寛永期における東アジア情勢について
2,植民地支配について言及したのは誰か
3,明治期の産業革命に清からの賠償金が大きく寄与していることについて
以上の3点によく考えてみてからレスしろよ。
読解力と文章作成力の乏しさについては同情するけど、努力くらいはしとけよ。
0821名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:11:29ID:DtFOu55W豊臣家が生き残るには徳川政権下で一大名として存続
淀殿は江戸に護送して
一刻も早く分家を3〜4家分けて生き残る手綱を増やすってのが
ベスト
少なくとも関が原で三成が勝ってても豊臣家がどうなったかは
不透明で ID:o1djPKs4 いわく
三成が天下主導したら開国政策で海外雄飛、海外と競合して
産業や国内が発展してたというなら・・
それこそ豊臣家は勃興する市民階級に押し倒されてしまう末路
になると思われなので、なおさら家康の配下の一大名として存続
がベスト。
伊達取り潰しは徳川の天下取りに二次的影響は与えても
結末は変わらないと推察できるので、これまた意味なし。
出・・いいだろ?>>1−819。
0822名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:19:02ID:o1djPKs4三成の政権なら、優れたものになったと断言はできないけど
少なくとも、徳川の一党独裁、政権維持の為の、保守的外交
つまり鎖国は起きなかった。。と考えられる
つまり、三成の政権の場合、
宇喜多、毛利や上杉といった大勢力も均衡して存在しているはずだから
国内においても競争といった意識が残る
また、当時、東南アジア各国には多くの日本人町が存在し
大坂、堺、博多の商人を中心に朱印船交易が頻繁に行われていた
国内の水面下での競争に、海外から齎される西洋文化、西洋技術。。
加えて、無き太閤の夢であった外征(ま、これが正しいとは言ってないが)への志
これらの要因で三成が鎖国に走るとは考えられないし
果たして、江戸の閉ざされて安穏とした社会だけが
庶民にとって真に泰平と言えたのか? という疑問符が打てる
俺は思う。閉ざされた社会には、その中の範囲でしか成長はできない
しかし、開かれた、真に競われた社会は、相手の数だけ成長の可能性がある
0823名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:25:02ID:o1djPKs4聞いて欲しい事があるのなら、自分でまとめてから発表しなさい
誰も君の言いたいであろうことを親切に考察し、
君の都合よく解釈はしてくれないよ
0824名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:28:44ID:QGZTLuzpマホカンタ
0825名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:34:30ID:vNBWj0Uoのままじゃないか。
大勢力が豊臣政権を維持する根拠がまるでない。
第二、第三の家康がでてくる豊臣政権の脆弱性が残ったままなら
長期安定政権は不可能。
因みに競争はそれまで専ら軍事関係のみで経済的には
生産性の向上には寄与しない。戦争が起これば低下する。
戦国時代に生産性は向上したか?新田開発は江戸期からだ。
経済学の初歩から勉強しなおせ。
0826名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:39:07ID:v4UIGbi2>いや、その前に石田なら徳川政権より強固な中央政権と長期安定政権が
>作れたという論拠がないと話にならん。
鎖国云々以前に、この部分の論証をしっかりしないと
あなたの説そのものが成立しないのではないか?
0827名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:39:19ID:o1djPKs4知ってる事だけ吠えたいのあ分るけど
関係ない話を1人ですんなよ
0828名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:40:44ID:KYigdeX8正気か?
お前の>>786説得性に乏しい主張に対して返した
>>796>>811の中身を、不得手であっても読む努力をしろよ。
難しい内容でもないし、誤解しやすいわけでもない。
最後の2行は傑作だな。
0829名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:49:06ID:vNBWj0Uo全国的な近代できるとすれば強固な中央政権は不可欠な訳で。
外様を組み込まざるをえないシステムでは脱封建性は夢のまた夢だな。
0830名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:49:58ID:KYigdeX8「徳川家を叩ければ、果たして豊臣政権は安泰なのか」という部分
についての論証をせずに、家康包囲網構築のための伊達取り潰しを
延々と主張したのと同じパターンだからね。
0831名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:52:10ID:PLjC1u2fなあ…リスクマネージメントってご存知?
貴方の意見(というか妄想)には失敗したらどうするの、って視点が
欠けている。まるで飲み屋で「あの時起業していればいまごろ…」
とクダ巻いてる親父のごとく。
1.国内での競争激化
ちゃんと統制できりゃ良いけどできなきゃ混乱する。その混乱した状態を戦国時代、
って言うんだ。わかった?
2.貿易論
産業なき貿易は亡国の道。明治時代のように江戸の財産をガシガシ投資して殖産興業
できるならまだしも、ようやく戦火が収まったばかりの時に何が出来る?
せいぜい傭兵ぐらいか。
3.三成の思想
政治は状況に従って変化するもの。たとえ信念があろうと状況に応じた判断が出来なければ
優れた政治家とはいえない。秀吉が空気読まずに豊臣政権の弱体化を招いたように。
君の言うように三成が脆弱豊臣政権を立て直してしまえるほどの才覚持ちならば、故太閤の
遺志を勘案して政策を決めるなんて絶対にありえない。徳川幕府が鎖国を決めた時のように、
国内・国際情勢を吟味した上で状況に応じた対応をするだろう。
4.結論
ギャグとしては寒い、釣りとしては見え見えでイマイチ、話題提供としては良かった。
で も ス レ 違 い 。
0832名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:52:12ID:EdNY9sas「日本が一丸となって海外と競争すれば」だな。
でも、
>宇喜多、毛利や上杉といった大勢力も均衡して存在しているはずだから
>国内においても競争といった意識が残る
ここから導き出せるのは「海外への競争」ではなく国内緊張の
延長だな。そんな状況で 単に海外からの技術をめいめいが競争とやらで
好き勝手に、しかも提供相手の方が力の強い状況でやったらどうなるか。
日本国内は海外勢力の代理戦争場になってしまう危険性が非常に高い。
で、「一丸となって」競争する為には強力な組織機構が必要なのは自明の理で
あることは明治時代の強引な性格を見ればわかる。
その明治時代の政策の基礎となってる「日本」という国際意識は、良くも悪くも
江戸安定期の国学などを経て築かれたもの。
>しかし、開かれた、真に競われた社会は、相手の数だけ成長の可能性がある
落ちる可能性もな。
当時どちらに天秤がかたむいていたかの判断基準はここにもいくつか出ている。
「起きえたことの可能性」が眩しい、という理由で起きた事を批判するのは
アンフェアだろう。
0833名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:54:37ID:vNBWj0Uo君が予想した状態と江戸時代の比較だろ。
君が戦国時代の延長状態で競争するとかいたんじゃないか。
0834名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:08:23ID:o1djPKs4面倒くさい
お前ら、意見まとめろ
で、代表者が総括した考えを発表しろ
分ったな 能無し共 ちゃんと論破してやるから
まるで俺は真田か島津だなw 烏合の雑魚連中相手に翻弄、撃退・・
さーこい! 秀忠の雑兵共が
0835名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:10:02ID:PLjC1u2fここで意見の代表としての俺様が登場。 ID:o1djPKs4よ、
こ の ス レ か ら 出 て 行 け こ の 馬 鹿 野 郎
以上!
0836名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:11:53ID:jTPJLQCX0837名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:14:01ID:o1djPKs4粘着君
オマエが最強w
0838名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:23:03ID:jTPJLQCX0839名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:32:27ID:DtFOu55W漏れが煽ったら激興したくせにwwww
自分もおんなじ事するするとは芸の無いwww
漏れが>>813でのまともに意見すると返答もしないくせに
こうして煽ると絶対返答してくるID:o1djPKs4(ハゲ笑
ゆえにID:o1djPKs4は真性マゾに認定する。
ありがたく頂戴しなカス野郎
0840名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:33:31ID:WQdsfjSbってことでまとめておこうよ、人それぞれさ
0841名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:40:00ID:DtFOu55WID:o1djPKs4 は確信的な釣りではないのか?
チョと前に煽った文章かいてやったら嬉々として
バカにした文章を打ってくるくせに
まともな意見や反論できない正論には見事なスルーだ。
これは家康や伊達がどうとかじゃなく、タンなる愉快犯だろ。
0842名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:42:00ID:EdNY9sas横レスでアレだけど、俺は明治期の産業革命は西洋での産業革命の成果を
丸々そっくり形として学べたのが大きいと思ってる。
(無論そのための賠償金の大きさの影響を否定はしない)
西洋と大きく引き離されたのって鎖国だの政策だの以前に日本人の
技術に対する経験至上主義があったんじゃね?
実際、日本人の技術はたいしたもので鉄砲もあっという間にコピーした。
ここで閉じた閉じたと批判されてる江戸期でも、からくり人形のしかけは
今でも目を見張る物があるし、和算も当時の西洋数学に勝るとも劣らない。
折り紙ですら連鶴くらいまで行くと幾何学的思考に足踏み込んでるし。
生物学に関しても稲の改良あたりからはじめて、江戸期の万年青やら
朝顔の品種改良、金魚や鯉などケースだけならメンデルも詫びをいれそうな
結果を生んでる。
ただ、こういった技術が全て体系化されることなく「職人」や「趣味人」の
経験の範疇に留まりつづけたが故に大きく花開く事はなかったわけだ。
ここらへんが神学論争とかでバカみたいに抽象思考を磨きつづけた
欧米との違いだと思う。仮定に仮定を重ねて理論先行で実践する近代科学
的発想が出てこないところでは、仮に産業革命を同時期に体験できた
としても同様に発展するのは難しかったんじゃないかね。
ここらへんは今でも「それと知らずに凄い物を造る」「用途は良く分からないが
とりあえず造れるから造る」という今の日本人のモノ作りに出てるような気がする。
長文の上スレ違いでスマソ。
0843名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:49:16ID:U9WN3UMI0844名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:52:44ID:DtFOu55W他人の振りして、またもやこりもせず
家康の鎖国が日本の発展を遅らせた。
とか主張しだすに1000万ペソ賭ける。
てわけで寝るわ。
0845名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:57:10ID:o1djPKs4まとまな議論じゃ適わないと見て
いなくなったとたんに罵詈雑言ですか?
ID:DtFOu55Wさん。。カッコ悪いッスね
( ´,_ゝ`)プッ
早く、まともな論文まとめろよ
0846名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 00:07:10ID:DtFOu55W本人がいなくなった塗炭に強きですか?
ID:o1djPKs4さん。。カッコ悪いッスね
( ´,_ゝ`)プッ
早く、まともな論文まとめろよ
0847名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 00:10:08ID:mGzC+MzJ反応見たらすぐ返してくるとはID:o1djPKs4
あなどれないwwwwwwww
しかも反論してない俺だけに返答(激笑
まあ消えるわ
と書いてまたちょっとしたられすくるんだろうなあ(失笑
>>ID:o1djPKs4さん。。カッコ悪いッスね
>>( ´,_ゝ`)プッ
>>早く、まともな論文まとめろよ
こんなのがね(苦笑
0848名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 00:24:23ID:tBo8JbOC0849名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 01:08:15ID:5IaDTpJc平日な上、仮に休日でも2chに張り付いて一日潰すなんて芸当は普通以上の人間には無理だ。
0850名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 02:10:54ID:PwcQRVqq0851名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 04:55:13ID:VoGrnXk7(自分も人の事言えないけど)
0852名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 07:41:17ID:LZoz3eQ+0853名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 10:49:02ID:pUnedlgQ一瞬彼のことかと思ったw
0854名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 14:51:56ID:9QgmuA7dくどいようだが、豊臣政権なら、積極的に海外技術を取り入れ
技術も発達し、ペリー来航を待つまでもなく近代社会を築いていたはず。
そしてその技術で朝鮮を制圧までいかなくとも、樺太からロシアの広範囲にわたる
未開の地を開発していたはずだ。
日本の近代化により刺激をうけた中国も軍備を整えるので
アヘン戦争のような欧米に蹂躙される事態を避けることも予想される。
まさに徳川の時代は日本人が飛躍できた千載一隅の時代をみすみす
逃した暗黒の時代といえよう。
0855名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 14:55:49ID:Ue2umvL+徳川家以外で朝廷の権威を利用できるのでは、いつまでも不満分子の核になる可能性があるし。
0856名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 16:09:36ID:Ue2umvL+イェルマークによるシベリア侵攻が信長生前から始まってるのに、
仮に豊臣家が国内を磐石に治め続けたとしても、そのときには
ロシア方面への進出は現実的でない。
そもそも、何を以って「近代社会」としているの?
0857名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 16:12:03ID:pUnedlgQ0858名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 16:13:59ID:dfMFTUFp釣りには引っかからないぞ!何ども否定された意見繰り返すな!
0859名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 16:20:06ID:0YH7Ii26近年まれに見る強い電波だな
現実を見ようぜ?今俺たちがパソコンをいじって形式上欧米人と
対等に喋れるのも徳川の太平→明治の奮闘→昭和の敗戦から表向き世界平和という流れは
そんなまずいかな?
0860名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 16:43:33ID:dfMFTUFp俺はそんな羨ましくないしな、俺が英国人だったら植民地の国々に罪の意識感じると思う
今時満州朝鮮台湾にも善政をしいたし、日本が何だかんだと道義の国として筋を通して来た事を誇りに思うよ。
0861名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 18:02:50ID:l2ecFNDDもうそろそろまともに>>1の通りに話を進めませんか?
正直、徳川政治がどうとか外国がどうとかな話はもうどうでも良いんですが。
0862名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 18:13:07ID:kqx3cqWjなら、お前が何か書けよボケ。
秀頼が泥水すすれば楽勝ってので答えが出てる。
それよりも豊臣なら海外雄飛ってのが電波過ぎて面白い。
0863名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 18:17:31ID:l2ecFNDD黙れ池沼が。
俺は700レスくらいで「秀頼が降伏すれば残るよ」ってもう言ってる。
それでも無理やりに「残すにはどうする?」を議論するんだろ?
0864名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 18:24:43ID:7YQexo++淀殿の江戸入りは何とかならんかったのかね。
これを実現できるかどうかだけでも大分変わったと思うんだが。
お江がいるし強硬派の秀忠も軟化できたんじゃないか?
0865名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 19:11:18ID:kqx3cqWj>黙れ池沼が。
>俺は700レスくらいで「秀頼が降伏すれば残るよ」ってもう言ってる。
何この馬鹿w
0866名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 21:01:37ID:3niohf6R実際の淀の方がどういう意見を持っていたのか、豊臣家臣団が
それを許す状態にあったのかが不明だからなあ。
江戸入りとは行かなくともせめて剃髪入道(女でも入道って言うのか?)
して権力と手を切ってりゃ少しは変わったかも。
0867名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 21:31:09ID:RvJQzQ7N国替えの甘受・人質の提出の二点は普通の大名であることを
幕府に対して示すための必要条件だから、淀の出家だけじゃ足りないような。
権高な淀が豊臣家を誤らしたというのがよく聞く話だけど、
本当にそうだったのかな?
淀は秀頼の生母であるだけの無位無官の故太閤の妾でしかないんだから、
そんな女がのさばるのなら、幼君はあることだし刺すなり押し込めるなり
の動きは家臣団からあってもいいんじゃないかな。高台院もいるんだし。
仮に家臣団が幕府への臣従を拒み続けたのであれば、幼君をいただいて
いることもあるし、滅びの道は避けられそうも無い様に思う。
0868名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 21:33:35ID:R8a3zkSB0869名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 21:47:32ID:L1Befmttもうちょっと勉強してから書き込んだほうがいいんじゃないの?
0870名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 22:26:37ID:RvJQzQ7N関ヶ原直後は淀の近臣が豊臣家家政の中心にあったわけでなく、
太閤子飼のなかで独立大名化していないものが城中にはべっている状態。
関ヶ原後の豊臣家の身の振り方、とりわけ名目上の天下人から滑り落ち、
蔵入地を大幅に削られた現実の中で、家中の意向がまったく反映されないとは
思えないし、その混乱を、いくら秀頼の名をかたっても淀の指図一つで
仕切り通すことができると思えない。
豊臣家に譜代の臣が少なく家に対する累代の忠誠心が薄い以上、
家政に限っていえば幼君とその生母が専断することは難しいように思う。
不勉強については申し訳なく思うけれど、後学のために具体的な指摘を
お願いしたいのでよろしくお願いしたい。
0871名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 22:44:14ID:7YQexo++といっても五奉行はいない。七本槍は且元以外いない。
大野兄弟、信雄、後誰?
0872奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/10/24(火) 22:56:11ID:J3hL8b220873名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 23:08:25ID:L1Befmttやっぱりもうちょっと勉強してから書き込んだほうがいいんじゃないの?
0874名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 23:10:20ID:L1Befmtt>具体的な指摘を
との事だけど、
まずは他人にマジレスさせるレベルの書き込みをお願いします
0875名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 23:28:28ID:RvJQzQ7N大野治長は豊臣家大老だった家康によって関東に流され、
関ヶ原では東軍に参加してようやく大坂で戻ったばかり。
大野治房も年弱で実績もない状況で、大蔵卿の局縁故だけで指導力発揮は疑問。
常真、老犬斎あたりは西軍所属の改易大名で、身内を頼った客将の身分で
急に家中に対して淀の主張を通すだけの実力があるだろうか。
東軍に所属して家康とつながりのある有楽については可能性があるかもしれないが、
それにしても東軍に所属した以上臣従を勧める立場だろう。
直轄軍たる旗本を指揮する七手組には、青木、伊東、堀田、野々村など
近江系でないものがいたことを考えると、彼らは彼らの利害得失について
何らかの発言をし、それは軍事力を背景として影響力を持ったとは考えられないだろうか。
0876名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 23:40:41ID:Okyi3pOw確かにそうだね。徳川幕府の保守的な体制、発展性の少ない鎖国制度には幻滅だな
支持してる奴も、どうせ上辺でしか歴史を知らない厨だと感じる
0877名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:02:14ID:0AM639Lu家康が鎖国したのは、大井川に橋をかけなかったこと同様、極度な社会の安定化。
つまり、人口の流動化や地域バランスの変化を抑える政策の一貫である。
江戸時代の文化の発展、経済成長は、徳川の鎖国や政策のおかげって言うよりも、
よくぞ勧農抑商政策、閉塞社会の中で、ここまで、経済を成長させ、文化を成熟させた、日本人の優秀さの賜物であり、日本人として誇りに思う。
0878名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:06:19ID:gvWybeXWその手の勘違いが一番多いみたいだね
どういう経緯で鎖国に至ったのかも知らないだろw
0879名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:13:24ID:0AM639Luすみません、よく知りませんので、教えて下さいませm(_ _)m
0880名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:19:28ID:gvWybeXW家康は鎖国なんかしたくなかったんだよ
0881名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:22:49ID:pX/3nxgw僕も教えて欲しい。でも小学生レベルの猿知識は勘弁な
教えて!
金銀の流出。キリシタン追放。外様が富を蓄えないように。ただ只管の政権維持目的
これらの一般常識以外の鎖国に至った経緯を!
0882名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:25:03ID:gvWybeXWすいませんが、>>877のどこにそんな事が書いてあるのか教えてください。
私のモニターには
「家康が鎖国したのは極度な社会の安定化、つまり
人口の流動化や地域バランスの変化を抑える政策の一貫である。」
と書いてあるように見えます。
0883875
2006/10/25(水) 00:29:18ID:31D2zMNK自分の書き込みが低レベルであると他人様に取られることは大変心苦しく思う。
ただ、憎まれ口を叩いてくださるほど時間に余裕があるのであれば、
どうか、主張の不整合性について御教授いただけないだろうか。
0884名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:39:47ID:9mgSVVob鎖 国 云 々 も 煽 り 合 い も
ス レ 違 い だ っ て こ と に 気 が つ け
0885名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:41:13ID:pX/3nxgw別人ですよ
でも、それ以外に
家康が断腸の思いで鎖国を決行した理由をご存知なら教えて貰いたいと思って・・
例えばさ、どんな政策もリスクとメリットが伴うじゃん?
鎖国をしたことによって得られたメリットと。そのリスク
どっちが果たして大きかったんでしょうか・・?
0886名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:44:20ID:pX/3nxgw鎖国政策は家康じゃなくて、段階的に家光によっての決行でしたねw
ただ、島原の乱でビビッたからっていうのなら、一国の首領として余りにも情けなくて・・
他に、本質的な理由ないですかね?
0887名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:47:29ID:Hy2vQSU/漏れは鎖国なかりせば日本が発展していたという可能性は
別に否定せんが・・肯定もせんけどさ。
そして海外雄飛するには、確かに徳川じゃなく豊臣天下の
必要性はあろうな。
しかし、そうなると起きてくる肝心な点を見落としておられるようなので一言
開国するつまり海外に門戸を広ーく開け海外に雄飛する選択をする、
そうすると、海外から大量の文物が入り競争がおきるとおっしゃってる。
これは発展の原動力だと。
だけども流入してくるの書籍や知識だけにとどまらない。
人や宗教も大量に入ってくるわけだが?ついでにいえば疫病もなー。
0888名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:48:20ID:0iMnDXJr昨日は孤軍奮闘していた自称真田島津の電波説に突然二人も三人も恭順する奴が出るとは思えない
0889名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:49:52ID:Hy2vQSU/日本の希釈化とでもいえばいいのかな・・
日本がまとまりをなくすであろうこと。
現実に戦国があけたばかりの状況で、肥前名古屋では薩摩と会津奥羽の
出身者は会話の成立も困難だったという。
逆に北九州では朝鮮半島との言語のほうが通じやすかったとも聞く。
当時は“日本”というまとまり、「国家」を意識する香具師なんぞ
少数であったろう。
鎖国して国内で纏まってた江戸の頃ですら、まともな共通語なんぞなく、会話が通じない
連中はざらにいた。
それが海外に伸びて、言語や宗教や、当然ながら混血も起きる罠・・
混血して多様な文化がごたまぜになったのも活気あっていいという
意見もあると思うが・
そうなると>>877のいう「日本人の優秀さ」とやらも
失われることにならないのかい?日本は多民族帝国になる選択をするんだよ?
日本人という概念の垣根をどこに設ければいいのか?
日本の国境はどこか?
近代に問題が生じないのか?
現実に多民族帝国の多くはアイデンティティを喪失して分解していってる
オスマンとかハプスブルグとか清朝とか
それ以前に豊臣天下では巨大大名の均衡政策で平和安定するという
お説が上のほうのレスにあったが
そうなると、そういう大大名が先をきそって自国の植民地を海外に求め
独立国化して豊臣家の日本は神聖ローマ帝国みたいになりはしないのか?
0890名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:54:22ID:gvWybeXW家康は鎖国などしていませんよ。
まず、キリスト教を禁止したのは秀吉ですが、
家康はスペインと貿易がしたいあまりに自分が政権を取ると
秀吉が出した禁制を「黙認」という形で緩めています。
家康は自分が政権を取ってすぐに、スペインのルソン(フィリピン)政府を相手に
「ルソン経由ではなく日本独自にメキシコと通商がしたい。
そのために太平洋を横断する航路と船の技術をくれ」と交渉しています。
もちろんそんな交渉が上手く行くわけもなく、スペインと手を切る事になったんですよ。
ウィリアム・アダムスのおかげで太平洋を横断できる大船が国産できるようになったし。
スペインと手を切る=秀吉のキリシタン禁止令をそのまま発動です。
スペインと手を切って、布教活動に執着しないプロテスタントのオランダと組んだ、
というだけの話です。
鎖国というのはもっと後の世代の話です。
0891名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:55:22ID:Hy2vQSU/日本という国はなくなってもいいって意見のようですが
日本が東洋のヨーロッパみたいになって、九州とか近畿が
先進国として世界をリードできるなら東北や北海道は
発展途上国やユーゴのような民族紛争の坩堝で流血の日常になっても
それは日本民族が世界に飛躍した結果だからよしとするのかい?
0892名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 01:10:43ID:F9MovKfQ>鎖国して国内で纏まってた江戸の頃ですら、まともな共通語なんぞなく、会話が通じない
>連中はざらにいた。
武家は猿楽(能・狂言)、商人は浄瑠璃でおk。
>薩摩と会津奥羽の
>出身者は会話の成立も困難だったという
農民はそうかもね。伊達政宗と島津義弘はツーカーだぜ?
>逆に北九州では朝鮮半島との言語のほうが通じやすかったとも聞く。
絶対ウソ。全く違う言語だぞ。電波を信じるなよw
ただ、倭寇連中の間でビジン語があったのかもしれんね。それは否定しない。
>鎖国して国内で纏まってた江戸の頃ですら、まともな共通語なんぞなく、会話が通じない
>連中はざらにいた。
農民は地域に根を下ろして移動が少ないからそれもあるだろうね。
0893名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 01:28:24ID:uzbXFplm江戸時代を暗黒時代とするのはどうかと思う。
徳川250年の間にヨーロッパが行った事を考えると、少なくとも俺は当時のヨーロッパ
諸国でくらすより、徳川の日本に住みたいとおもうよ(薩摩除く)。
当時の江戸ほど灌漑設備が整った治安の良い都市はヨーロッパのどこを探しても
ない。失業率も低いし、税金も安いし、国民の学力平均もトップクラスだしね。
徳川政権いがいでも、同じ国は作れたかもだが、少なくとも歴史上実現したのは
徳川政権なわけです。
まぁ家康はきらいだが、彼が残した国は評価n価値ありだと思うのだが・・・・
0894名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 06:39:52ID:QSE/xIg9釣られ易過ぎだろオマエら。
0895名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 12:59:43ID:daIJ2OUhもちろん故意にだろ。
関ヶ原直後の豊臣家の状態が気になったんだけど、誰か詳しい人いない?
0896名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 18:06:43ID:BgNhRgOT淀が家康に釣られて秀吉を祭るお寺を建てています。
大仏だの釣鐘だのの建造のために
秀吉が秀頼を守るために蓄えた金銀を大量に消費しています。
0897名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 19:16:01ID:/jOVZzE1秀吉が勝家と喧嘩して長浜に帰った時に信長に敵意がないことの証として
城下あげてのドンチャン騒ぎしたって話もあるし。
まあ、そのほどの政治的アピールが出来るなら楽勝で江戸に下るはずなんだけど。
蓄財を消費することで民の人気を得ようとしてたのかもしれないし。公共事業的な感じで。
大仏が寛永通宝になって民のためになるトコまで先を読んでたとしたら淀は大物だよな。
0898名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 20:37:09ID:f5haXX8C当時の戦国武将は宣教師を自分たちと同じように覇権を求めて
こんな地の果てまでやってきたライバルのような存在として感じていただろう。
狸の家康は彼らを何とか手なずけてコントロールしようとするが、
結局、箸にも棒にもかからない連中だとわかって禁教にしてしまう。
実際、当時のキリスト教は世界を征服して神の名の下に統一するという
勢いでやっていたわけだから、家康一人の力量ではどうにもならない。
日本人の意識も日本文化も十分に成熟していない状態でキリスト教のような
強権的な宗教が入ってきたら、日本全体が奴隷化され植民地化されてしまうのがオチ。
鎖国はきわめて妥当な選択だと思う。
0899名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 20:50:26ID:Guc72PCV残ったんじゃねーかね。
0900名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 21:02:13ID:qz47D5i10901名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 21:02:55ID:fWbFneOAちょっと時間が進みすぎてない?
関ヶ原の結果によって天下の仕置きとは無縁になったけど、
摂・河・泉に所領を持ってるわけだから領国経営する必要がある。
政権運営から切り離された豊臣家の家政はすぐに淀君の近臣が仕切ったのかな。
切り取られた直轄地を従来運営していた豊臣家の直参は、戻ってきたとしたら
新参やポッと出が急に大きな顔をし始めるのを黙ってみていたのだろうか。
それとも、秀頼の名を持ち出せば大丈夫なくらい家中はまとまっていたのだろうか。
0902名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 21:49:07ID:+R78nH5C0903名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 21:53:03ID:+R78nH5Cそうじゃなくてね
徳川政権は将軍や天皇よりも法律を上にして法と秩序によって統制しようとしていたんだよ。
キリスト教というのは神が絶対的な物で将軍や天皇や法律よりも宗教の教えが上にくるから
法律で統制出来ない邪魔な存在なのよね
0904名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 22:34:10ID:/jOVZzE1徳川は法治国家
0905名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 23:16:08ID:T1duOlLd特に関ヶ原以降。
0906名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 01:32:17ID:RhWJkZQe>逆に散財することで害意がないことを証明しようとした可能性だってあるよね。
ねえよバカw
0907名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 03:21:42ID:76oPvKd5豊臣は徳治国家
徳川は法治国家
詳しくご説明お願いします
0908名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 06:58:55ID:eH/AGy7Q一昔前の「信長ならなんでも出来た」論の
家康バージョンになってる気がする。
0909名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 08:38:09ID:eH/AGy7Q満州は疑問
0910名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 09:22:13ID:ndKGGpL5むしろ逆。
豊臣政権なら海外雄飛して日本は素晴らしい国になってたとか言うイタい豊臣厨がいる。
0911名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 11:26:11ID:kCCYhLvfキリストしかり仏教しかり
本願寺を見習え、宗教の力はすごいぞ
利害だけでは、難しいぞ
0912名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 12:09:12ID:ISvsN5Bg異論は俗説や噂があるが
石田三成がクリスチャンであったという話
(洗礼名がオーガストとかったか?)
豊臣秀頼と淀殿がクリスチャンとして洗礼を受けていた話
追記すれば徳川忠輝もクリスチャンであったというのもあるな。
0913名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 12:15:44ID:0dESI8oD豊臣政権は秀吉のいうことがすべてに優先するが、徳川幕府の
将軍はそうではないということ。
0914名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 13:18:28ID:6mePJ/Yj建前では
豊臣政権は、秀吉は天皇の名代という大義名分の下に政策を施行する。
天皇は法を超越した存在であり、その名代の関白秀吉もまた、法を超越した存在である。
よって権力はすべて天皇の名代としての関白・太閤秀吉の下に集約される。
徳川幕府では、武家諸法度、禁中並びに公家諸法度、寺社法度などの法によって治められており
天皇といえども法に縛られ、超越者としての存在を許されていない。
将軍は天皇から武家の棟梁として政権の委任を受けており、全国の実質日本の政治を握っている武家を掌握している。
すべての権力は武家の棟梁である将軍に集約されるが、将軍もまた、法より下位の存在である。
0915名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 20:32:51ID:9UkLBP64徳川秀忠の時代には住所不定で定職もなく法にも従わず税金も払わないヤツを
強制的に定住させて職業をあてがって税金を納めさせた。
法的には武家は商家や農家よりも地位は上だが
一揆が起きたらその藩は取り潰されるから武士は必死で百姓のご機嫌をとったし
武士は一般人を斬る自由が認められていたが、斬った武士は裁判で必ず切腹させられたので
斬る自由は自分の命と引き換えだった。だから簡単には斬れない。
法律という「建前」と秩序という「現実」で、
世界的にも稀な治安の良さと役人を信用する平民が生まれたのが江戸時代。
0916名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 21:10:44ID:L6IInOHC0917名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 21:50:10ID:eH/AGy7Q>武士は一般人を斬る自由が認められていたが、斬った武士は裁判で必ず切腹させられたので
おいおい「武士の体面を傷つけられた」とか政党理由があれば別だぞ。
0918名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 22:59:25ID:9UkLBP64正当な理由があっても職務ではない時に斬った場合は
「喧嘩両成敗の法則」で切腹、ヘタすると打ち首になった。
だから武士は無用な争いに巻き込まれるのを恐れて
日が暮れたら外に出ない生活を送っていた。
0919名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:13:50ID:6mePJ/Yj0920名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:21:11ID:eH/AGy7Qしょせんは匿名掲示板の一人の名無しが発言してるだけで、権威もなにもないんだよな。
あんた、ただ自分の妄想を述べてるだけじゃないの?
なんか、あんたの主張を裏付けるソースくれよ。
別に一時史料とか出せとは言わない。
単にあんたの主張を裏付けるどこかの信頼できる研究家とかの本でも紹介してくれ。
>>918
それはちと「うーん」だよな・・・・
0921名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:24:47ID:6mePJ/Yj何だよ、俺にガブリ噛み付くなよw
法があってそれに乗っ取って運営されてるんだから法治国家だろ
0922名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:24:51ID:eH/AGy7Q大体、この発言からして怪しい
「必ず」って事は100%ってことだよな
300年の江戸時代にただの一人でも一般人を斬って
切腹させられない武士がいたら、
あんたの主張はたちまち完全崩壊して音を立てて崩れちまうなw
研究家ってこんな怪しいこと言わないと思うんだけど・・・
0923名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:28:55ID:Mq4QJJ1Mどう関係するんだ?
別スレ建ててやれ。最も激しく板違いだから別板でな。
0924名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:32:23ID:6mePJ/Yjはぁ?キリスト教が征夷大将軍をも超越した存在としてあるのが法治国家として
すべての権威を管理する徳川と相容れないってことを言ってたんだよ。よく読めよ池沼。
ちなみに豊臣の場合も天皇を超越した神を持つキリスト教とは相容れないから
結局の所、禁教される。そういう性格をもった宗教だからな。
てことは徳川が政権を握ったから鎖国に至ったってアホな論理は通用せんってことだ。
分かったかゴミ。
0925922
2006/10/26(木) 23:32:30ID:eH/AGy7Q>武士は一般人を斬る自由が認められていたが、斬った武士は裁判で必ず切腹させられたので
大体、この発言からして怪しい
「必ず」って事は100%ってことだよな
300年の江戸時代に日本全国のただの一人でも一般人を斬って
切腹させられない武士がいたら、
あんたの主張はたちまち完全崩壊して音を立てて崩れちまい
あんたの今までの全発言の信用性が消滅するなw
研究家ってこんな怪しいこと言わないと思うんだけど・・・
ちなみにちょっと調べてみたら、職務中意外にで庶民を斬って
罰っされなかった事例を何件か見つけたぞ。
0926名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:34:07ID:eH/AGy7Qいやー、あんたの発言も怪しくなってきたぞ。
0927名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:36:08ID:fDywx5Nc徳川家が残るのは必然的・・
ていうようなニュアンスを漂わせてるだろ?
豊臣家と徳川家
政権として、どちらが優れてるか何て
期間も違うし、一概に比較できない
なので、豊臣家が存続するのは不可能と言う奴の議論づけが
徳川家の政権は素晴らしい・・
そんな小細工を止めれば、こんな議論は終わる
0928名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:38:07ID:eH/AGy7Q切捨て御免を実行した武士は「必ず切腹か打ち首」なんて事はない。
確かに「蟄居閉門もしくは謹慎」などの処分が下されることは多いが。
0929名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:41:57ID:6mePJ/Yjそうだな
0930名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 00:15:59ID:Ir1yISNv法律によって武士や民衆を統制するだけでなく
将軍家自体も法に従って「嗣子なきは絶つ」の法則で消滅させてるからな
0931名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 00:26:38ID:KHJkofqo今でも京や大阪のどっちかが首都で日本で一番栄えていただろうよ
それに新撰組も坂本竜馬も存在しなかったろうよ
九州にスポットライトやった西郷ドンもでてこなかっただろうな
0932名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 00:58:56ID:g/4FEU6M>九州にスポットライトやった西郷ドンもでてこなかっただろうな
そのかわり別の英雄が出現しただろうな。
今の歴史ルートの世界では名前すら知られず死んでいったような人間が
その世界では英雄になってる。
0933名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 11:11:07ID:DGDGfTbu太閤になっても不摂生せずにちゃんと健康に気を配って
死なずに500年くらいいきればなんとでもなったと思う。
0934名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 19:44:17ID:jIDeN36o>死なずに500年くらいいきればなんとでもなったと思う。
現在も健在になるが・・・・
0935名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 00:07:34ID:VxKuBphtこれでも見て気を落ち着けなさい
http://ime.nu/www.youtube.com/watch?v=-oi7cDsK1L4
0936名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 00:12:10ID:T1z5xzie家康の逸話があるように、それがしの家宝は家臣。
秀吉は子もなく、文治派と武断派の内部分裂。徳川の天下になって良かったんじゃなかろうか。
0937sage
2006/10/28(土) 08:18:31ID:kW2usIri秀吉のような集中権力は絶対無理なので
状況次第で入れ替わる可能性も有る5大老が首脳部で
その他大名も政治運営に多少口を出しつつ。
官僚である非世襲制の五奉行が実務を行い。
中心の豊臣家は武家の頭領と言う立場ではないが天皇の執政として世襲して、天皇と武家を
繋ぐ存在のような物?として残る、こんな感じですかね。
地方の大名は江戸時代と大差は無いだろう。中央の権威が薄れない限り平和が続く訳だ。
室町ほどは弱くは無いが、関白豊臣家が天皇と近すぎるのが逆に問題になるかも。
公家の権力が強い感じがするな、豊臣家も半公家化してるし。
徳川幕府よりも腐敗が進みそうな構図だな。
つっこみ待ってるよw
0938名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 10:42:42ID:Azz4lKnl0939名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 13:14:56ID:+6Z993Ia泰平にどっちが良いんだか。
0940名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 15:52:31ID:Azz4lKnl泰平かどうかは組織構造と統治政策に依存すると思うが。
帝制だろうが封建制だろうが民主制だろうが一応どれも建前は有れども
実際には長期政権もあれば、短期政権で潰える事もある訳で。
0941名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 17:58:41ID:tG7EBi+a法治国家について誤解している。
0942名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 18:29:00ID:TO/DMV9i多分君が徳川幕府に対して誤解してると思う
0943名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 18:36:57ID:xEfHFpTP0944名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 19:29:44ID:YNLVemCqそれでは豊臣家が実権の無い“統合の象徴”とされ
5大老が世襲でない持ち回りの将軍家ないし選帝侯みたいな存在
非世襲制の五奉行が老中若年寄
そして諸侯に譜代と外様の垣根は無い
といった構図になるのかな?
0945名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 19:42:38ID:5NZA8UCHなんだよ。徳川は敵に回せば怖いが味方にとりこめばこれほど
頼もしいものはない。
明国まで侵攻するためには猫の手を借りたい戦略的な意味から
徳川を残したに過ぎない。
0946名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 19:56:30ID:PWIBlIQg同意。
「法治国家」という語を用いる場合、社会契約思想と、それを前提に
国民によって作られた近・現代的な法が存在するのが普通だよね。
朝廷や諸大名に対する政策は豊家も徳川家も基本姿勢において変わりなく、
両者の違いは政権の意思が明示であるか黙示であるかというだけ。
法度や令が少ないからといって豊臣政権の基盤を徳とするのは贔屓の引き倒し。
>>944
天皇家が存在する以上“統合の象徴”としては豊家の存在価値は無さそう。
豊家自体が武家勢力を代表するものではないのならば足利将軍家のように
担ぐ必要もないし、応仁の昔が再現された挙句国土は荒れ放題で、
豊家は痩せ細って自然消滅が関の山なんじゃないかな。
0947名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 20:31:56ID:TO/DMV9i妄想は自分のブログに書けばいいと思う
0948名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 21:02:37ID:W3xj0QE00949名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 21:38:28ID:pfn9LcDb>「法治国家」という語を用いる場合、社会契約思想と、それを前提に
>国民によって作られた近・現代的な法が存在するのが普通だよね。
普通じゃねーよw
お前、何勝手に調子こいてんだ?
ただのイメージでスレ汚しすんなよ
な、大人しくしてるなら落書き帳買ってやるからさ、静かにしてなさい!
0950名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 22:07:04ID:tG7EBi+a【法治国家】 ほうち-こっか はふ―こく― 4
法により国家権力が行使される国家。
国民の意志によって制定された法に基づいて国政の一切が行われ、国民の基本的人権の保障を原則とする。
法治国。
0951名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 01:56:57ID:QixaV3RSどこで拾ってきたか知らんがそんなクソみたいな辞書もどき貼っても何にもならんぞw
涙目で検索したんだろうけど、残念でしたw
国民の定義からやり直せよ、カス
0952名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 02:43:43ID:LRwGG+gN0953名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 03:39:22ID:hFHKdlaB俺はどちらでもいいが法を持って国を治めようとしたでいいじゃん。
1000近いし無意味な煽り合いは辞めよう。
0954名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 08:25:00ID:YMFHLQHdこれがどの将軍のことをさしてるのかがいまいちわからんのだけど。
ちなみに将軍家というのは徳川宗家のことをいってるんだよね?
0955名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 08:54:16ID:swoRgUz70956名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 10:31:55ID:V9h1LvxG言葉の概念や定義があやふやなレスだと議論にまとまりがなくなるからなあ。
wでレス抽出してみると特にそう思うよ。
>>955
北政所が表立って家康に対立するのであれば、太閤子飼の大名の動向が不明
になって、関ヶ原のような一大決戦は難しかったかも。
ただ、伏見城に入って政務を執っている時点で事実上の天下人だし、
蔵入地を含めた所領に関する権限も行使し得たようだから、
豊臣家がつらいのはあまり変わらないような気もする。
0957名無しさん@お腹いっぱい
2006/10/29(日) 13:05:56ID:/yjJ+xxC秀吉のいない関が原でも裏切り無ければ
いい勝負だったなら
何だかんだ家康を謀反人にしたてて決戦すれば
見積もると上杉は家康に味方しても
福島、加藤、伊達、小早川など西軍に決まってるし
余裕の勝利だしょう
0958名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 13:15:32ID:T7W33Qvv0959名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 13:17:46ID:nIxxq0sW減封したり田舎に飛ばしたり朝鮮に送り出したりしておいて
太閤殿下の御恩とか叫んだりしたら頭のおかしい人としか思われないよ
0960名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 13:34:54ID:KLz7zmIY失敗は関が原だよねぇ。家康に見事にやられたって感じかな。
0961名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 14:24:00ID:S4CmFuAg0962名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 14:43:01ID:S4CmFuAgその前に前田が加賀大聖寺城を落してて、伊勢も簡単には落ちなかったし
美濃だって関ケ原までいっちゃうと後がないし
0963名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 14:43:24ID:V9h1LvxG征夷大将軍に就任されて幕府政治を始められたのも痛いけど、
関ヶ原後の論功行賞で蔵入地を大幅に削られたのがより痛い。
徳川一門の加増と合わせて軍事力の差が開きすぎてしまった。
ただ、西軍が仮に勝利したとしても、蔵入地が無事だったか
どうかは微妙な気がする。論考行賞への影響力は史実通りないだろうし。
0964名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 16:04:49ID:opzZj+2s0965名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 21:54:44ID:7a3byZDp0966名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 18:35:30ID:79t82/ST0967名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 01:27:38ID:4E7qdtEj0968名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 15:48:25ID:4sm9zCel0969名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:31:44ID:H/5DhGnu0970名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:16:35ID:ye1uS4pg0971名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 00:12:11ID:cG91+GCi0972名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 00:12:30ID:NZnboGIZ0973名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 00:34:49ID:cG91+GCi秀秋を送り込んだわけで、ある意味、秀秋の行動は秀吉の計画通りだったとも言える。
まさか家康にそこを利用されるとは思わなかっただけで。
0974名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 04:47:39ID:BvHEThF00975名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 17:22:34ID:a41XaDmz↓
北方領土・千島列島・サハリン 全部日本のもの
0976名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 22:00:50ID:Y2arSHC/武家も朝廷も押さえつけた家康には勝てないよ。
0977名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 11:23:26ID:9MW0GTZ80978名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:28:06ID:Pb5H43xo0979名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:09:04ID:xliX0awT0980名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:29:17ID:wpVV5wic0981名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:33:46ID:LHuiFaVE0982名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 18:02:04ID:oifAJYM9いや回答は出ているんだし、わざわざループするの分かってる
次スレは必要ないんでは?
0983(・∀・)凸 ◆7xuwBG6R9k
2006/11/03(金) 18:57:17ID:vLixrX07でも滅んで正解だな
秀吉が天下をとったこと自体が間違いだからな
0984名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 19:35:33ID:7UO4Gl7F今川家も吉良家も家康の旧主に当たるが、その待遇を受けている。
高台院や諸大名の手前、秀頼が徳川家の威令に粛々と従っていれば滅ぼしはしなかっただろう。
伊達政宗が今井宗薫に送った手紙にも似たようなことが書かれていたはず。
0985名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 19:44:44ID:8GlNwym0とっくに没落したものと、ついこの間まで天下に号令を発揮していた存在という意味でもそうだ
0986名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 20:14:14ID:oifAJYM9家康の代は大丈夫だろう。
心配なのは秀忠から家光に継いだ前後と
綱吉あたり
0987名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 20:42:49ID:9MW0GTZ8まあそのときの当主しだいかな?でも過去ログから考えると高家として生き残るのが一番無難な選択だろうね。
0988名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 20:47:01ID:oifAJYM9忠長との関係もどうなるかで去就が難しい。
0989名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 21:47:10ID:lKbyRzCdよく議論になるスレだったね。スレタイが少しあいまいだったのかな?
もし次スレがたつのなら、この点に特化できたら面白いかなと思ったり。
0990名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 22:13:19ID:3y3TZF6+綱吉の時代まで持ちこたえれば「既成事実」として生き残れる
豊臣家を必死で潰そうと画策したのは秀忠で
家光は秀忠の人格や政策を軽蔑していたから
家光の時代になれば大丈夫だと思う
0991名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 10:09:32ID:FsmNIXQqつまり、今川や吉良のような状態になれるかどうかなんだよ。
権威はあっても、実力は0に近いって状態にしないと生き残れない。
それでも、担ぎ出される可能性があるから、そっちの方にも疑念を
もたれないようにせんといかんわけで。
いっそ、公家になってしまうという手もあると思うけどな。
もともと、関白家なんだし。公家の位階の世界に入ってしまえば、
内大臣とかになっても将軍家さほど気にしないだろうし。
(さすがに関白就任すると、疑念をもたれるけどな)
0992名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 12:43:19ID:+0gTSWn6そこまで落とさなくても
前田より上くらいの禄高で生き残れる可能性があったよ
0993(・∀・)凸 ◆7xuwBG6R9k
2006/11/04(土) 15:40:40ID:LWpxBwhi結論になるからか?
どう考えたって家康が死ねば徳川の体制は緩む
浮田の暴走によって石田がやむを得ず動いてしまったという
歴史は変えられないが、もし戦わなければ
織田と建て前上は豊臣の血をひく御曹子がそのまま天下を保てた可能性は高いと思うが?
0994名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 18:23:43ID:/l5nPJ+m豊臣家滅亡には秀忠やその首脳部が豊臣を嫌った構図がある。
家康は秀吉と個人的な親交も義理もあったが、秀忠時代だと秀吉の晩年の醜態を
見せつけられた連中だ。その辺りの影響も大きいと思う。
豊臣家の外交力や当主の器量次第で回避出来る問題ではあるけども。
0995名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 18:26:36ID:/l5nPJ+m秀吉の晩年が最悪だった、の一言で豊臣家滅んだのでは、秀吉が悲しすぎる。
0996(・∀・)凸 ◆7xuwBG6R9k
2006/11/04(土) 19:04:04ID:LWpxBwhi根本的な部分を見のがしていると思う
秀忠はそれなりの人物ではあったがカリスマではない
よって家康が死んでから彼が戦の音頭をとっても
多くの外様が彼に付くとは思えない
あくまでも家康と戦をしなければ後の秀忠の立場もないから
締め付けなど不可能だよ
>>995
秀吉なんぞに評価すべき点は少ないと思うが?
0997名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 19:22:45ID:aduo6usq豊臣政権存続の方策がよく話題になってたから、秀吉の政治とともに
考察できる次スレがあったらうれしいね。
0998名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 19:26:22ID:AUaN0+1aあんな大阪の陣なんて誰が指揮しても結果は絶対変わらない
仮に総司令が秀忠だろうとも豊臣方につく奴なんか馬鹿以外居ない
未知数だが母親に甘やかされた温室育ちの司令と驕慢な母という足枷をもち60万石も満足に扱えない豊臣方と
すでに政権が出来上がっており司令がかつて醜態をさらしたとはいえ直属旗本、一族合わせて十万以上を指揮できる徳川方
君ならどっちにつく?
0999名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 19:26:26ID:LugKYyXn秀吉ではなく信長が天下政権を取っていたらよかったという結末になりそうなのだが
1000名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 19:30:17ID:tPIsVUbH10011001
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