「茶屋四郎次郎」は当主が代々襲名するからねぇ。
本能寺の変を家康一行に知らせたのは初代の四郎次郎清延。
ちなみに清延は三河の出身。
伊賀越えの際には手持ちの金銀をバラ撒き、土豪と折衝して穏便に済ませたとも。

二代目は清延の長男・清忠。
伊賀越えの功績で御用商人となった(それ以前から徳川家と茶屋は繋がりがあったとも言うが)
清延の跡を継ぎ、秀吉没後は家康の権勢を背景にして京・大阪の物流を取り締まるようになるが
慶長8年に急逝。

そして、家康に天ぷらを勧めたのが三代目の清次。
兄・清忠の急逝によって家督を継ぎ、幕府の御用商人を務める傍ら、長崎代官補佐を務め、また、
朱印船貿易においても特権を得たが、清次もまた元和8年に35歳で急逝してしまう。