加賀百万石・前田家について語れ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 17:26:09ID:uD+86PdS0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 18:04:03ID:wDlJa6ne0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 18:11:22ID:cpY1VLoc具体的な武功を知っている人は教えてください。
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 18:57:32ID:oOj1AbUr前田利家の人生を見れば彼がかなりの切れ者だということが
よくわかります、無能などと言ってる奴はアホスギです
無能な人間がアノ時代に浪人から100万石の大大名に
なれるわけないじゃないですか。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 18:59:27ID:T8QwldbL>>3
小身時の槍働きいろいろ
賎ヶ岳の敵前逃亡での秀吉勝利のキッカケ(異論あり)
末森城防衛で佐々勢撃退
まあ1番大きいのは親秀吉派で旧織田家の生き残りだったからじゃまいか?
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 19:06:25ID:oOj1AbUr頭使う仕事や、血縁、その存在感などで領地がもらえる場合もあるわけ
なんでも武功武功と考えるのは厨房の証ですよw
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 19:09:03ID:0gjKrTg/0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 21:10:42ID:Csfe3w0g普通はそうだけど
利家に限っては武功以外のものって更に何もない気がするのですが…
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 21:28:39ID:T8QwldbL寺社の保護に力を注いだ統治
「俵」高で示す独特の検地とか
だいたい算盤が得意だったんだから武功だけなはずが無いのでは…
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 23:42:31ID:mrS1/DHf0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 01:04:55ID:stwP3rr70012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 02:19:56ID:HcAGeYjE末森死守したけど鳥越パクられてさんざ痛い目にあってるのな
上手い事隠蔽できたけど
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 10:07:19ID:dFNiygZh0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 10:11:44ID:OafYTcNCまぁ・・・その程度でしょ
可もなく、不可もなく・・・w
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 10:42:29ID:8EJb6VEsちょうど良い位置だったのだろう
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 10:42:47ID:6uZykhp4最終的には前田は織田閥尾張閥のトップに立つんだっけ?
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 11:02:25ID:WJVpvPKb人望があって旧織田家臣、更には親秀吉という事でのあの身代なんだろう。
利家には旧織田家臣まとめ役を期待していたんだろうなぁ。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 14:01:37ID:p0ZuLmAb隣領の前田利家に注意を怠りなくするようにと連絡したと、
書いてあったのを読んでショックを受けた記憶がある。
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 14:12:59ID:xc26LwJr前田家は無駄飯食ってウンコ大量生産してただけ
何の役にも立たない何の影響力も持たない
存在意義がわからない
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 17:13:36ID:qOQCCytS自分も読んだことあるが
事実なんでは?
やっぱり丹羽>前田だったんだろう。前田より先に懐柔しておいたことだし
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 17:18:12ID:pZ0xHpdX奴の言うことを真に受けてはいけない
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 17:20:18ID:qOQCCytSてかここageてる人多くないか?
たまーにでいいんだが…
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 03:12:16ID:3LZaSuWr0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 10:37:32ID:HkySixH7森が小牧・長久手で死んでいなかったら前田の出る幕はなかったのでは?
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 11:00:20ID:lgD/iXd40026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 11:23:54ID:WrrrJHE7堀秀政が生きていたら前田の出る幕はなかった
0027山内一豊 ◆Momosan9tk
2006/08/27(日) 11:34:52ID:JU2RnkJvこの時期は稲が実り、農民たちも胸膨らませる季節。
いま戦にて田を荒らせば、その期待も恨みに変わりましょう。
ここは姫路に戻り、政に励んでは如何でござろうか?
兵農分離に成功しているのは我織田家のみ。
今の時期の兵力動員数はたかが知れておりましょうが、
こちらが攻めれば、攻められた側は無理にでも
農民を徴兵するでしょう。
御舘様は、民を大事にするお方。
農民が苦しめられれば、さぞやお嘆きとなられましょう。
また、我が方が自国の有利を傘に他国を力攻め致さば、
信用を失いかねません。
諸大名の信を失っては天下安寧など夢のまた夢。
某はいったん席を外します故、
御家中の方々とよく話し合ってみてくだされ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 11:46:08ID:JU2RnkJv0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 12:30:26ID:AK8FnROz0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 12:41:41ID:EPLZTrzj森・・・信州川中島
河尻・・・甲斐
佐々・・・富山
佐久間・・・金沢
前田・・・能登
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 15:54:40ID:v+NpGrSuどうでもいいと思ってる家に自分の娘を出したりしないだろ
信長は将来的には前田家を出世させようと考えてたのは間違いない
信長時代が続いても前田家は安泰だった
信長秀吉家康から厚遇されたのは前田利家の人徳のおかげだろう
やはり前田利家は素晴らしい人間だ。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 18:47:31ID:NxTk3NM70033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 18:24:44ID:Ipvjhh8d利家は戦はさほど上手くなかったけど、占領地行政などはとても上手かったらしい。
信長が期待していたとすれば、武官よりも文官としての能力だったんだろうね。
本能寺が起こらず、信長が天下統一を果たしたら、秀吉なんかは九州あたりの
遠国に飛ばされて、案外権力中枢に残ったのは利家だったりしたかもな。
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 23:57:54ID:8gOxXFPOライバルの内蔵助はとうとう肥後を治められなかったからな。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 00:04:01ID:Qc0VEQXf越中で上杉・一揆勢食い止めたからいいようなものの
あそこで佐々が破れてたら前田は川尻と同じ顛末を辿る可能性がある
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 01:06:03ID:o5wwqQzb佐々>前田>不破だな
何より最前線である越中を与えられた事からして信頼・実力とも上だったのは間違いない
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 02:17:08ID:o5wwqQzb悪そうと言う辺りが俺の人の好さ
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 02:36:51ID:Qc0VEQXfあんまりアホなことはいわんほうがよさげ
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 11:57:06ID:CGWsqOC20042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 12:42:37ID:mCoKuLaS足軽百姓の秀吉に女を世話していた・・
マブ達だったってのはダメ?
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 12:43:21ID:mCoKuLaS足軽百姓の秀吉に女を世話していた・・
マブ達だったってのはダメ?
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 14:03:59ID:tJTg//ZK0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 14:09:12ID:ylq/Yz+W案外、使えなかったのかもしれないなぁ
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 16:10:04ID:NaOdNlHsホモだちでも大名になれない奴はたくさんいたでしょう。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 18:05:32ID:hrRV0m8Z0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:03:52ID:AabMrtDX豊臣秀吉政権末期で頼れるのが利家だけだったというのもある。
豊臣秀長が秀吉より先に亡くなったことが豊臣政権には痛かった。
00499io
2006/08/29(火) 20:22:59ID:LKxzObasこの文献は、利家が晩年、家臣に語ったことが書きとめられているという。
それによると、利家が15歳を迎えてからというものの、信長は夜になると、利家
を片時も離さなかったと書いてある。
非常に面白いので、ちょっと意訳して引用してみよう。
□「利家」と「まつ」と「信長」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ある時、織田信長が、安土城に諸大名を招き、ご馳走を振舞った。
信長は一人一人、諸大名に声をかけていった。例えば柴田勝家にはこうである。
-------------------------------
信長「おい、勝家。お前をはじめ、みんながよく働いてくれたおかげで、
私は天下を取ることができた。余は満足じゃ。」
-------------------------------
このように一人ずつ声をかけていき、とうとう、前田利家の番が来た。
信長は利家のヒゲをつかみ、こう言ったという。
-------------------------------
信長「利家が少年の頃、よくエッチをしたものだ。
あの頃は、本当に秘蔵っ子だったなぁ(笑)」
-------------------------------
-------------------------------
信長「しかし、お前は本当によく頑張った。お前が手柄を立ててくれたため、
私は今日の身分になれたのだ。」
-------------------------------
すると、その場にいた全員が「利家にあやかりたい」と、羨ましがったという。
信長に寵愛されていたという事実が、当時はステータスになったのである。
信長に褒められた利家は嬉しくなって、鶴の吸い物をたくさん食べた。
そして、調子に乗って、食べ過ぎてしまい、お腹を壊した。
彼はその後も、鶴の吸い物を食べると、その時のことを思い出して、お腹が痛く
なったそうである(笑) ウソのようなホントの話である。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:29:34ID:/PfIf1VU最大の大身であったにもかかわらず
租税の取立ても最高クラスであった。
そして城下町金沢は江戸、京都、大阪、名古屋と並ぶ
日本五大都市であったが、
藩が遊郭を禁止したため実に質素な町だったという。
名古屋から来た侍があまりの地味さ静かさに嘆いたという逸話あり。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 00:56:46ID:6pgKO0jMてか江戸の加賀藩って改作法とかで住民自治が行き届いてたんだっけ
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 09:52:04ID:KnQf55/E蘭丸が小姓の時代と利家が小姓の時代を考えろよw
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 13:03:50ID:H+s3v94y【賤ヶ岳の戦いの無断撤退(敵前逃亡)】
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 20:46:42ID:yiEGLq3z0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 21:01:03ID:tAIoWAW/黄門様の姉ちゃんって加賀藩に住んでたの?
そういえば金沢に菊姫って酒あったな(´・ω・`)
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 21:20:07ID:HB072HsB百間堀の水をどうやって引いたか?って解説されてた?
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:03:14ID:opqMwGb/生涯、ほぼ無敗で貫き通した戦歴も流石だ(先見性の賜物)
小西幸長曰く「領地兵の数では内府どのに敵わないが、こと人望人気においては内府の何倍もあった」
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:31:19ID:IYig7TFp0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 13:08:52ID:lkHjDQgh>小西幸長
行長?ともあれ自信の政治的方向性もろくにコントロールできなかった
小西の言葉くらいじゃ…。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 15:36:37ID:Rv7QB8Yt0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 17:26:06ID:yMNzdA8Tあくまで誰かの付属品だから
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 17:41:55ID:opqMwGb/浪人時代から100万石になるまでのサクセスストーリーを無視するなよ
信長秀吉家康といった偉人たち相手に互角に戦う利家のカッコよさといったらたまらんだろう
信長の言うことを聞かず、坊主を斬り殺し逆鱗に触れ浪人へ没落
そこから信長を無視して勝手に戦場で戦い、無理やり認めさせようとする利家はカッコいいやろ
秀吉をたぶらかし豊臣政権のトップに立つ話もまた面白いし
潔く天下を諦め家康に前田家を託すところなんて涙なくしては語れないよ
とまあ腐るほど話題ありまくりなんだけど
君たちは利家が嫌いなだけだろ?
戦で勝った負けただけが戦国時代じゃないんだよ
利家みたいな男の人生もよく知ると面白く感じるもんだぜ
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 17:54:28ID:Rv7QB8Yt0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 17:58:20ID:h9zfVK/Qこのオッサン
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 17:58:24ID:Rv7QB8Yt0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 18:24:58ID:Rv7QB8Yt>>64
そんなショボに負けてる数多の武将たちは一体…(・ω・)
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 18:53:18ID:UD1YgV/G好きな武将に傾倒してる人ってのはそいつの忠実で盲目的な家臣と一緒で、自分の主君とその殿様以外はクソに見えたりするってだけ。
と、客観的なつもりで非常に主観的なことをいう俺は水鏡崇拝の隠者気取り厨
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 18:54:01ID:IYig7TFp0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 19:25:38ID:Rv7QB8Ytそれが極論で…いいじゃない?自分は別にそこまで貶るほどじゃないとおもうけれど。
>>68
評価下がってたのか
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 20:42:44ID:h9zfVK/Q俺の人生が左右されるわけじゃないから
どうせなら華やかな人物を好きになりたいよ
なんで利家みたいなショボクレた爺さん好きにならなきゃいけないのさw
俺に何の利点もないぞ
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 21:00:13ID:CrBRO2YB勝手に人の天下を明け渡すなよ!大体、前田のものじゃないだろうがw
潔すぎるんだよ、特に2代目。前田家は家康にあっけなくへたれすぎ。
上杉が頑張った分、けっこうな恩知らずに映っても仕方ない。
太閤がしょぼい前田に異例の厚遇してやったのは、何のためか都合よく忘れるなよwww
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 21:44:33ID:Rv7QB8Ytてことはあの時やっぱ家康ぬっころせばヨカタということか?
しかしすぐ利家あぼんして2代目到来だしどうなるかな…
>>70
華やかな人物好きになったらなんかいいことあるのか…
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 22:32:18ID:yMNzdA8T病床の利家が今更少し早く死んだ所で何の問題もない
ただ、利家より優秀てだけだから家康亡き後に上手く治められるかは疑問である
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 07:34:42ID:zbu/od7j激怒し戦う気満々だったがね
まつと重臣たちに諌められて屈従することになったという話が残ってる。
家康の人質になったのはまつ自身の意思だったわけだ。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 08:30:53ID:JE/kG5Tf0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 15:39:28ID:DP1CH4uL皆の一致した見解によると「利家が家康より長生きしてたら」天下は前田
が握ってただろうとね
人望が抜群だったらしい
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 15:46:04ID:aJQwqqVm0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 15:59:11ID:u8uySg7G有力大名はみんな利家無視して徳川屋敷に行っちゃったもんな
前田屋敷にも機嫌伺いには行ったが…
個人的な付き合いでは利家の方が好きだけど
どっちに運命を賭けるかとなると家康に傾いてしまったようだw
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 18:02:42ID:J+YtadvM利家「何じゃこれは?」
まつ「あなた様は現世で人を殺し過ぎたから地獄に堕ちるに違いありません。だからこの経帷子を…」
利家「そんな物はいらぬわ!地獄に閻魔という者がいるのなら、
わしが先に逝った家臣を率いて虜にしてくれようぞ」
このエピソード好き
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 18:12:13ID:FA2CxOw6恩にまどわされずに、勝家にも秀吉にもこだわらない。
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 19:07:53ID:d7u6jZkO利家は何万という部下がいる責任のある立場の人間だ
利家の行動一つで全員死ぬ場合だってある
恩などに惑わされず、すべてを見定めて
冷静に行動する利家はやはりできる男だ
そこら辺のイノシシ武者とは違うね。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 19:25:03ID:p+fYwaJ8越前一向一揆のときの所業のことだろうな
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 19:27:55ID:FA2CxOw6嫌いじゃないが個人的感情では好きにはなれないかな。
豊臣は潰れてよかったと思う。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 19:47:58ID:m5BbLlfI0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 20:19:01ID:gTlckm3u痩せ我慢にしても立派な最期だよな。
もちろん閻魔大王と戦って勝てるとは利家自身も思っていないだろうが。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 20:23:21ID:0Lxw3vvO0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 20:30:22ID:YFkFaKdb多くの家臣を持たされているのは主家の為であって前田家の為じゃない
命を捨てて働くのが道理である
それが嫌なら武士を捨てて百姓にでもなればいい
みんなが自己保存に走ってしまったら世の中滅茶苦茶になってしまう
リスクを覚悟で権力を得たのだから都合の悪い所だけ無視するような振る舞いは人として許される事ではない
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 21:11:00ID:u8uySg7G名誉を汚すのを死ぬより恐れる人もいれば
何言われようとも今の生活を失いたくない人もいる
人それぞれ違うから本人にとって価値のある方を選ぶべきだね
善し悪しではないと思う
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 21:41:08ID:uIqY2olyしかし利家生存の時は、体が病魔に侵され死ぬ寸前で、とても戦に出れるような状態じゃないから勝ち目なし
そして利長の場合は、加賀征伐で全国の大名を相手にしなければいけないのでこれも勝ち目なし
さらに関ヶ原のときも、まつが人質になってる(加賀征伐回避のために人質になった)から徳川とは戦えん
このように前田家の場合、とてもまともに徳川と戦をできる状態ではなかったわけよ
これで戦ったら笑いもの間違いなし、まさに犬死だ、前田家は運がなかったわけよ
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 21:46:43ID:J+YtadvMまあ無理だな
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 02:39:04ID:3qodD+Bvそれを死ぬまで待つ家康はものっそい用心深さだ
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 02:44:48ID:DDCyasDL別に待ってなかっただろ。利家生前からガンガン政治的に動いていたわけで>家康
利家の方が勝手に折れて伏見会談に持っていったわけだし。あの時利家が戦争に動いたら、家康も
これ幸いと受けて立ったでしょ。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 06:54:19ID:kdcAb2oH前田から戦を仕掛けたら徳川からみればこれ幸い だろうな、そりゃ。
勝てる上に、「正当防衛」がなりたつんだから。
それがわかってるから前田もしかけなかったのだろうし。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 08:45:28ID:dJ+kVHhH松平忠輝と伊達正宗の娘を婚約の件が問題になり、
家康以外の四大老がそれを糾弾し、さらに家康暗殺のうわさ流れた騒動の時に
大坂の前田利家の下に馳せ参じた武将
毛利輝元・上杉景勝・宇喜田秀家・細川忠興・加藤清正・加藤嘉明・浅野幸長・佐竹義宣・立花宗茂・小早川秀包・
小西行長・長宗我部盛親・浅野長政・前田玄以・増田長盛・長束正家・石田三成
伏見の家康の下に馳せ参じた武将
伊達政宗・福島正則・池田輝政・黒田長政・藤堂高虎・森忠政・織田有楽・
黒田如水・有馬則頼・金森素玄・新庄直頼
とこの時点では明らかに利家率いる西軍派のほうが
有利だったんだよね。
これがのちの三成の関が原抗争になったらしいが。
009594
2006/09/18(月) 08:46:38ID:dJ+kVHhH009694
2006/09/18(月) 08:55:09ID:dJ+kVHhHこの時点では大阪城に住まい秀頼の養育係をしていた利家側が有利だったという事ね。
なんせ大阪城と秀頼をきっちり抑えてるわけだし、
ここで利家は家康を倒すことは出来たと思う。
だからこそ家康は切り崩しによる多数派工作を行い、
先が短い利家には極力逆らわないようにしたという事だ。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 09:05:16ID:rxrEcDAG自家保存の為ならなりふり構わぬのが利家では?
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 09:11:39ID:eZ0zrIgdこのメンツをよくよく比較すると、家康派の武将が遙かに老獪で強力だなあ。
政略に長けた、いわゆる食えない武将がそろい踏みしている。
家康が縁組みしたのは、伊達政宗、福島正則、蜂須賀家政。ついでに
加藤忠広に水野忠重の娘を養女として縁組みさせた。完全に利家を舐めている。
詰問使いの前田玄以は、今井宗薫を斬刑にすべしと詰め寄ったが、
政宗と家康は、そろって以下のように返答した。
「もし宗薫を刑戮するのなら、天下を二つに割りてもお相手いたす。」
奉行は顔色を変えて、退出するしかなかった。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 09:29:00ID:rdPXLJc6良妻賢母だけど不倫をしている小説にわかれるな、
010094
2006/09/18(月) 10:00:35ID:dJ+kVHhHそういう意見もあるだろうが、家康とてこの時点では
西軍派と事を構える気はほとんどなかっただろう。
あくまで西軍派の戦力を品定めし、いかに多数派工作と主将格の利家の死を待ち
確実に勝てる戦いをする準備期間が必要だった。
そのためには利家に頭を下げることくらい家康は屁でもなかった。
なんにせよ利家が死ぬまでは家康は手は出さなかったと思うよ。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 10:26:56ID:rxrEcDAG0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 11:11:33ID:d7r7mIG0加藤清正は早々と兵を率いて徳川屋敷に駆け付けたじゃないか
あと細川幽斎・忠興親子、加藤嘉明、浅野長政・幸長親子も徳川屋敷を警護したよ
他にも大谷吉継、蜂須賀家政、京極高次、山内一豊、脇坂安治なども徳川屋敷に駆け付けた
010394
2006/09/18(月) 11:34:19ID:dJ+kVHhHhttp://homepage1.nifty.com/SEISYO/seki-nen1.htm
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 11:44:34ID:ETIjbALt前田家は秀頼とずっぽりの仲、利家が家康とガチンコしても負けはないね
利家と戦う=秀頼と戦うってことだから、豊臣恩顧はすべて利家につく
まあ5大老のうち4人が利家派だからその時点で勝負ありだけどねw
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 12:10:41ID:DDCyasDLそれだけ有利なら、家康相手に戦争始めればよかったのに。
君の言う通りなら、利家は状況判断が全く出来ない、戦国大名として落第点のつくような
愚将と言う事になるぞ?
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 12:32:21ID:lPoC8Nr70107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 12:52:17ID:nnp8gX4W0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 12:52:56ID:rxrEcDAG一番の働きはやはり親父様を裏切っての戦線離脱ですな。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 13:02:20ID:ETIjbALt病気もあったけど、利家はできるなら戦はしたくないと思ってたみたい
戦をしないで対話でなんとかしたかったらしい、それは家康にびびってるわけではなく
秀頼も幼く、戦をして日本を混乱させるのはよくないと思ってたみたい
さらに言うと、実は利家と家康は別に仲は悪くない
利家と三成の仲は最悪だったけどw
そーゆーのも関係してたかも
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 13:19:12ID:aBe2hhUeあとの文治派と武断派の対立なんて致命的でも何でもないのに
ただ利家も前田家も、当然家康にはびびったと思うし
その上で恩や名より実を取ったんだから、
格好つけなくても、それはそれでいいと思うがな
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 13:46:42ID:x5HtGYJZ家康を抑えるのに絶対の自信があった
秀吉亡き後は利家が天下人と公言してた豪傑だからね氏郷わ
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 15:58:51ID:d7r7mIG0秀行の正室には家康の娘貰ってるし
氏郷ほどの人物が利家担いで家康と敵対なんてするわけない
氏郷をトップにして利家達が下につくなら喜んで戦うだろうけどw
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 17:52:15ID:rdPXLJc6黒田長政が家康を推すときに自分は「次を狙う」と考えたように
利家を擁立して、次を狙う、つもりでやったかもしらん。
秀行の正室って、氏郷死亡後に話が進んだんじゃなかったっけ?
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 19:09:10ID:P8I6wOKo長生きしててもせいぜい藤堂高虎のポジションだな
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 20:07:56ID:x4mIkbuR0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 20:22:20ID:rdPXLJc61 徳川家康 256万石
2 前田利家 83万石+21万石
3 宇喜多秀家 56万石
4 蒲生氏郷 91万石
5 毛利輝元 120万石
6 上杉景勝 90万石
か。
なんとなく、氏郷生前時代の土一揆が収まって
政宗が表面上恭順したら、
今度は国境のいさかいで蒲生と上杉の仲が悪くなるような予感。
兼続と氏郷って、なんとなくソリがあわなそう。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 23:34:58ID:0DNj/DiM秀吉家康早く死ねみたいな。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 09:37:51ID:LX2jHW1m衝撃だったのだろう。裏で両家がつるんでいたのは、三成も熟知していて、
様々な邪魔を入れるが全て失敗。ここにきて、ついに伊達政宗+徳川家康の
軍事同盟を表沙汰にしたわけだ。二次大戦下でアメリカとイギリスが組んだも
同然だろう。家康を盟主として、政宗、長政、如水の謀略家が集結。これに
福島、加藤等の武闘派が加われば、西軍などひとたまりもない。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 09:38:38ID:LX2jHW1m0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 10:13:43ID:lwdE0LHR秀吉もパワーバランスを完全に間違えたとしか言いようがない。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 10:16:33ID:h0ZH07l00122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 11:36:19ID:VQUhviysただ、小説で描かれるような、徳川家の力を削ぐ、という目的は秀吉にはなかったと思われる。
徳川は北条の行政基盤をそっくり引継ぎ、秀吉の小田原攻めが圧倒的で領地もさほど荒れていなかったから。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 12:28:13ID:lwdE0LHR北条旧家臣は暴れまわっているわ江戸は家臣団を入れることも出来ず一から作るしかなかったわ
領土の広さの割に農業生産高は低いわ農民の気質はむやみに荒いわ北条時代の商業基盤は
破壊されているわ、だったのに?
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 16:42:08ID:yVjtOA6c秀吉もバランスは考えてたよ。
石田と長束は関ヶ原で兵を集める段になって、
以前太閤からの五十万石ずつ与えるという申し出を断った事を悔やんだという話がある。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 16:58:37ID:+XSngoen東海道を前田に守らせ、家康を封じるつもりだった
しかしそれに三成が大反対、それを聞いた利家が激怒、三成との仲が最悪に
そのほか蒲生問題などで三成とは常に対立、家康とは対三成で手を組んでいた
その後、秀吉が死に、三成は前田に助けを求めるが、前田はこのことから積極的に動かず
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 17:16:56ID:+XSngoenこいつらは利長と淀ができているなどと噂を流しどんどん追い詰めていった
五奉行どもは自分たちの味方である親豊臣の利長を大阪城から出して何をしたかったのか
家康からの難癖を利長と組んで撃退するのが五奉行の役目だろ
その後、関ヶ原では「利長どの、一緒に家康を倒しましょう」と手紙を書いたりしてて
わけわからん。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 17:31:02ID:CoIUOJkO浅野長政は三成ともとから不仲で家康と親しかったけれど、利長が暗殺
容疑をかけられた時は、連座して甲斐に謹慎させられてる。
前田玄以は元々対朝廷外交や儀礼が担当だし、この頃歳だし病が篤いわで
実質的にはほとんど活動してない状態じゃないか。
もしあったとしても、増田長盛と石田三成の間くらいか?
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 00:51:06ID:mVcRntNZびびっていたというか、
守る側と攻める側の意識の差じゃないか?
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 08:01:03ID:gNMXNkoQ0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 09:04:21ID:ncZWBxjX邪魔も何も三成が家康と戦争しなければ豊臣方の大名の力は残ったままであり、
徳川三百年の平和は生まれなかったわけだが
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 09:09:19ID:y0jWz7iPそう都合よくもいかないだろ
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 09:51:52ID:VDuv3ajsそりゃ結果論だよ
ぶっちゃけ徳川260年の最後の60年くらいは幕藩体制も制度疲労で
もうグダグダの末期症状だったんだから、
豊臣政権が足利幕府式に脆弱ながらも150年か200年弱続いてたら、
近代に入ってからの結果はあんまり変わんなかったような気がする。
経済的にも政治的にも今よりずっと西高東低ではあっただろうし、
関東・東北が文化的も政治的にも独立性が強い地域になっただろうけど。
日本は島国だし言語の問題が深刻じゃないから、西欧みたいな
小国分裂状態にはならないし。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 13:04:09ID:TntO16PJ0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 13:54:02ID:ncZWBxjX近代に入るまでも何も、そこまで保たないだろ。
薩長といった外様の力を削りきれなかったのが幕府崩壊の原因。
ましてや、西軍の大名が残ったままなら徳川の天下は何十年も保たずに崩壊したと思われる。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 16:12:38ID:lui6DPB8持たないと思えば一つずつ潰していくだけだろ、常識的に考えて。
西軍大名が残ったまま歴史が進むとは限らんし、その可能性の方が少ない。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 19:25:16ID:ncZWBxjX幕府は「旗本八万騎」という強力な軍事力を擁するようになった。
更には江戸から近い要所に親藩・譜代を、
参勤交代で金が多く掛かる遠国に外様を配置する巧みな領地換えを行った。
外様は従いたくなくても幕府の圧倒的軍事力と参勤交代による金欠により従わざるを得なかった。
この状況が幕末まで続くわけだろ?(それでも結局は外様に潰されるわけだが)
でも徳川家が江戸周辺250万石の一大名で残りは全部他大名という状況のままだったら、
恐らく誰も参勤交代など従わなかっただろう。
それどころか他大名が結託したら幕府など一発で潰れたんじゃないか。
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 19:38:33ID:KmqTgFa5薩長が飛躍したのはほぼ100%商人への大量の借金を踏み倒したから。
ただそれだけの話し。実は薩長もそんなに経済改革は成功してない。
確か薩摩は150年分割払い、長州は37年据え置きだったか。
そんなインチキをして強引に商人からの超高額の借金を踏み倒した。
そんなのは幕府にとっても予想できない出来事だ。
えらそうに「何故、薩長は倒幕に成功しえる力をつけたのか」とか
ご高説を垂れる奴がいるがそんなのは単なる勘違いでしかない。
それと幕府の外様統制も本来は完璧だったが、そんなインチキな裏技には
対応できなかっただけ。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 19:43:13ID:KmqTgFa5もしもそれからも続いてたら日本は列強の植民地になってただろう。
大政奉還で徳川家はじめ幕府側の人間が殺されることもほとんとなく、
極めてご機嫌な政権交代だった。
ただ、面白いのは身分の高い人間は助かり
新撰組とか赤報隊とか下賎の人間が責任を押し付けられ
殺されるのはいかにも談合社会の日本らしい。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 19:49:11ID:hVQb28dy薩摩は250年無利子分割払いだった気がする
本来なら今でも払い続けてるはずだw
結局明治維新のどさくさに無効にしちゃったが…
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 19:53:31ID:TntO16PJ0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 20:08:08ID:7ysCvlShどこの国でも債権や借金は回収不可能でパーになるもんだよ。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 17:54:20ID:BTpgYizb無効ではない。
廃藩置県で債務をすべて新政府が引き継いだ。
これは薩摩だけじゃなく、すべての藩に対してやった。
あと薩摩は倹約の家老が密貿易、黒砂糖、偽銭鋳造(これについては他藩もやってるが)で絞り出した百万両が倒幕に使われた。
けど倹約家老は失脚させられたけどな。250年分割もこの家老の施策の一つ。
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 22:31:10ID:7FhEmFGHで、失脚させたら、「あれはあいつの独断でやったことで我々には関係ないです」
というのが田舎クオリティ。
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 21:05:43ID:RVIor5Xn意見ちがくない?どっちなのよ
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:27:04ID:0U2HrpXaあの時に切腹させられていたのだ
生前本気で家康から秀頼を守る気があったのかどうか
はなはだ怪しくもし負けると思えば秀頼なんて簡単に
見捨てるよ
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 05:39:34ID:ho6G5g4C踏み倒したのは新政府。
そこまで諸藩を追い詰めた幕府が続くとも思えんが。
逆にその債権を英仏などに買われてたら、第二のインドになってたな。
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 06:34:10ID:HrDgm6qI一夢庵風流記とか、加賀芳春記とか。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 07:35:59ID:DAvJ5YCv>>94の方は少なくともソースになる
URLが書いてあるから、
そっちの方が優勢だと思うけど。
>>146
でも、薩摩・長州も実質、踏み倒しも同然の方法にしてるぞ。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 09:53:33ID:/RQTpPaQどっちも微妙に違う。
新政府は旧藩の債務は『原則』は引継ぎを行ってちゃんと返済はしたけれど、天保以前の債務は「証拠としての信頼性がが欠ける」として却下とした。
しかも旧藩債務は基本的に天保以前の債務の繰り延べだったから結果的にほとんど踏み倒し。
それでも新政府の財政を一時傾かせるほどの莫大な債務が圧し掛かった訳だが。
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 13:38:38ID:4NCLfbiCそれで各大名は大喜びで版籍奉還したんだよな。
「これでもう貧乏しなくてすむ!」ってw
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 19:16:04ID:DAvJ5YCvただし、島津久光は廃藩置県に怒ったという逸話があるが。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 19:40:17ID:4NCLfbiC久光は 権力>>>>>財力 の、大名の中では珍しいタイプだからね。
一所懸命の武士の心を最後まで持ち続けていたと言うか。
逆に言えば久光くらいしか怒らなかったほど、大名は領主権に拘らなかった。
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:09:16ID:MzgvdafTのが岩崎弥太郎であり。
三菱誕生の礎は、暴落した藩債権、藩札の買い占め。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:16:33ID:MzgvdafTたしか幕末動乱期以前に、
「もうやだ!!!」
って領地返上しようとした小大名が出てきてた位だしな。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 22:56:07ID:1U7P20mhああ、まつが慶次にヤられちゃう話ね。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 03:14:39ID:gsfnTnGIどっちかっつーと、まつが慶次をやっちまう側の不倫だが。
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 18:09:46ID:Y/65FAVp0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 18:34:09ID:gsfnTnGIいや、利家病死の前後に家康の暗殺を計画したといわれるタカ派家臣、片山伊賀守延高を
ほとんどオリキャラに仕立て上げて、なんだかわからない平和のための戦いやらなんやらのために
前田家とまつは頑張りました、というストーリーにしたオナニー小説。
まつとは精神的な不倫。
だけど、病気の利家の好戦的な態度に愛想をつかして、
平和主義の延高に会うために花をたもとにしこんで、
利家が気付いて皮肉を言ったり、最後は嫉妬した利家が、
自分の死の際に延高に褒美として殉死を命じてまつが逆切れしたり
浮気・プチ修羅場小説としては面白いかもw
歴史小説としてははてしなくどうでもいい出来。
「一万石で二千人の兵が養えるとして、徳川と前田家では三十四万人の兵力差がある」
などぶっとびの記述が満載。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 22:37:25ID:AQGggsuzすげーw
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 00:26:05ID:v9iCUALqどこからその数字持ってきたんだろう…?
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 00:08:10ID:BMh1R9vN鉄砲とか大砲とか高額な兵器が主力になっていくと、動員可能兵力も激減してくけどな。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 14:38:57ID:9Xu/1Zd2槍足軽なら1万必要だ、という戦況で鉄砲隊が1万も必要なわけではないし
0163名無し募集中。。。
2006/11/05(日) 12:53:31ID:yZ1yejLPはははは都会だった頃からそうやったんか
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 22:06:09ID:MFRR0W8E伊達家 200万石
前田家 100万石
実高な
前田家は参勤交代で浪費
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 00:15:32ID:2DxpHq6q前田家約150万石
伊達家約110万石
毛利家約100万石
大体当時の米は現代の米とは違って、寒い地方じゃそんなに採れない。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 02:49:01ID:DFgBkcQg0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 14:35:43ID:2DxpHq6q冬の気温と年平均気温をみてみたら?
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 23:51:50ID:8s3sBvIY積雪の時期に米は植えてないだろw
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 21:19:38ID:rfGbqc7a金沢城は公園になってて人々がマターリしてたw
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 04:50:10ID:s2341zdN0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 02:10:45ID:0+aBCJH+まさかw
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:01:56ID:BdCCR+s9けっこう洒落のセンスのある人だったんだな 利家
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:05:54ID:BdCCR+s9サクセスストーリーなら
尾張中村の百姓から天下人になった人が
すぐ隣にいるんですが?
自分は好きだけどね 利家
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:12:35ID:c9mg8A0p0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:15:14ID:9Bxf0Cap>>164は実高だって言ってるんだから米だけじゃないだろう。
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:30:06ID:BdCCR+s9薩長というと なんか板違いに聞こえるけど
ようするに島津と毛利の勢力なんだよな
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:44:10ID:BdCCR+s9むしろ
越後みたいに積雪の多い地域のほうが
水が豊富で米がうまいんじゃないのか?
0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 09:51:37ID:+U8WKcHhおまえはゲームのしすぎ。
毛利を衰退させた輝本と一代で100万石の基礎を作った利家を一緒にすんな。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 10:05:03ID:f4lQJqcS0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 22:04:07ID:s/cB3R0M0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:06:45ID:prVrAEiR政治的に輝元が頑張ったのは事実だが、
それだって利家より上回るようなものじゃない。
比較対象がそれこそ上の政宗とかならともかく。
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:06:49ID:vh5kzky+0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:09:13ID:12fY1oJo0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:26:56ID:prVrAEiR軍事面では景勝の方が上かも。
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:37:36ID:12fY1oJoやったことは小早川秀秋と大して違わないんだけどな。
比較対象が景勝だからレベルが低すぎる
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:50:13ID:O/47Mx8y0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:55:51ID:12fY1oJo0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 23:56:35ID:U+KXfpHL>>165
そういうのよく目にするが
それだと関ヶ原以前からの譜代大名や親藩大名は徳川家来といっていいだろ
大名家のは家来の俸禄も合わせて入れるが、徳川はごく近い家来でも
大身だとあわせ無いって成ってるが、これはおかしくないか?
0189石 ◆wfGsWQJm.U
2006/11/13(月) 00:10:40ID:KVIrBY2O0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 01:11:57ID:OrUW5Y810191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 10:13:42ID:AH0R2d16利家が隠居したときすでに100万石は超えてた(102万石)
長男に81万石、次男に21万石と振り分けてたの
最近は長男の81万石を前田家の全石高だと思ってる奴多すぎだね
関ヶ原で豊臣派の次男の21万石は召し上げられて長男の恩賞になり
さらに家康との約束どおり前田が攻め取った分の領地20万石も加増
これで122万石の大藩になったわけだ
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 13:42:20ID:CkPF7L88寝返った直後に秀吉に忠誠示す為
必死に北ノ庄に攻めかかったが。
まあ、寝返った奴を先鋒にするのは常識だけどさ
0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 15:16:56ID:aDR0hGvNついでに賤ヶ岳の敗因をすべて佐久間盛政に押し付けた。
秀吉が死んで後、重要な局面であるにも関わらずあっけなく死亡。
それで後世の評価は「律義者」。皮肉以外の何物でもないな。
その上、子の利長は大恩ある豊臣をさっさと見捨てて家康に尻尾を振ってるし。
0194名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 15:26:24ID:FZ9/A5xK戦国板だからニワカが多いのか?
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 15:31:27ID:4Md2OhsRすげー掲示板だなw
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 15:51:06ID:+Yb+ArKHあれで一万石の褒賞が信長から出たというけど、信長公記には記録が無い…
0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 15:54:06ID:glnOCdma逸話と史実とが混同しちまってる。
それはまだマシな方で酷いのになると己個人の勝手な想像による書き込み。
己個人の勝手な想像のくせして書き込みは「〜だと思う。」ではなくて「〜だった。」と断定してんのな。
戦国時代板に書き込みに来る前に最低ウィキペディアで確認してから来い、と。
0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 15:58:49ID:aDR0hGvN( ゚д゚)
__(__っ/ ̄ ̄ ̄/驕Q
\/ /
( ゚д゚ )
__(__っ/ ̄ ̄ ̄/驕Q
\/ /
0199196
2006/11/13(月) 16:03:46ID:+Yb+ArKH0200松
2006/11/13(月) 18:41:40ID:PPURyQnu0201松
2006/11/13(月) 18:45:22ID:PPURyQnu0202松
2006/11/13(月) 18:51:06ID:PPURyQnu武将少ないしあまりだらけだな。いいなあーうらやましいよー
0203TAB ◆wfGsWQJm.U
2006/11/13(月) 18:54:10ID:FrG1oMGR0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 19:17:13ID:gG8TSdYc0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:00:28ID:5lBvTfzsいつもソロバン持ち歩く利家がいい
俺は一度も愛された事ないのに!
と慶次に泣き付くシーンに感動した
是非大河でやって欲しい
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:22:49ID:ILSiLwQm私はあのへたれの利家に萌えた。
利家が死んだと知らされた時は泣いた。
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 23:28:41ID:t700VdQzBASARAの前田家最高
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 01:50:59ID:PVdyzPBrあの漫画における利家というキャラクターは羨ましいほどにおいしいキャラだったw
主馬とのタッグでさらに最高w
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 12:18:44ID:d0T+W5NW花の慶次はキャラが立ってたな
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 22:56:20ID:En5g+GAF信長&秀吉との関係や織田家臣団時代の武勇伝などを考えると
美味しいポジションだよな。
年表を飾る華々しさは無いけど、利家をからめると信長&秀吉らの今までになかった人間臭さが
分かってくる感じがする。
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 15:34:51ID:HL8Z7sCN0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 17:35:18ID:nabZ995B0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 18:47:44ID:6xoIh/jY0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 19:14:53ID:ZetBSv8N上からの命令ではなくて自分で考え、責任を取る生後とに対して
徹頭徹尾やる気がない、ホントもうすがすがしいくらいに責任ある立場に立たない人間。
サラリーマンの鏡。
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 19:43:32ID:b/AlnTJE当時の武士は全員そうだが。
0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 20:12:55ID:seaFtnuAしかし指揮官としてはちょっと目立った合戦がないな
賎ヶ岳の無断撤退は裏切りとしても徹底を欠いていたし
末森の後巻きは史実としては別に特筆するものではない(直後に別の城落とされてるし)
0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 22:19:48ID:cBh0hcWkかなり長い間、信長の馬廻り&親衛隊長として一緒に戦場にいたからな。
初めから立場が違う。
利家もそういう立場でこそ適職だったんだろ。信長は良く分かってた。
司令官うんぬんも別に失態もしてないし、命令された仕事は確実にこなしてた。
0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 22:27:45ID:6xoIh/jY城主を切腹させなかったことで秀吉からお咎めを受けてなかったけ?
大事じゃないからいいけど
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 22:49:07ID:H3SZnw0B利家は殺さずに済めばそれでいい、と思ってたんだろうね。
利家の立場だからこそできる判断だったな。
そのおかげで命を落とさずに済んだ武将が一体どれだけいる事か。
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 02:42:00ID:bR8i3fA20221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 18:37:40ID:HMrYg98l自分の器を知っての采配じゃないでしょうか。
本人も共感や敬愛されることなんて二の次だろうし。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 21:29:40ID:du6zQPna豊臣家につくつもりだったらしいね
当主利常は徳川派として戦わせ家を残させ
自分は隠居領から兵4000を連れ大阪城に入るつもりだったとか
関ヶ原後も利長は羽柴を名乗り家康はそれを憎らしく思ってて
利長を呼ぶときは羽柴と呼ばず越中中納言殿と呼んでいたらしい
まあ利長は大阪の陣のちょっと前に死ぬが
これをやっていれば前田家のイメージも少し違っていたんじゃないかな
0223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 23:40:31ID:2EBwybNyお前の信用にたる(好きな)武将って誰?
戦国時代に裏切りも虐殺もしないでのしあがった奴がいたら教えてくれ。
0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 08:45:11ID:O5OoEF750225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 09:12:58ID:Cbz1WeRa小早川秀秋くらいだよう。
大恩ある相手を一番大事な戦いの最中に裏切っただけじゃないか。
0226いぬちよ
2006/11/21(火) 09:14:54ID:AVeCqIRh0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 09:29:53ID:OuH//4hLお互い独立した大名だからね、信長が死んだらあとはどう動こうと前田の自由なんだよ
賤ヶ岳も裏切りというか柴田が秀吉にびびり砦から出ないことに失望し
これ以上柴田についていては破滅すると思い離脱しただけ、味方を攻撃はしてない
もともと柴田につくつもりはなかったが能登の周りを柴田勢に固められ恫喝され
仕方なくの出陣だし、佐久間の突出も秀吉軍にびびりまくり
引きこもっている柴田を前線にもってこようとする佐久間の策だしね
賤ヶ岳のことではよく前田や佐久間が戦犯扱いされるが
真の戦犯は柴田本人だよ、その後の秀吉との戦で柴田軍がろくに抵抗せず
蜘蛛の子を散らすように逃げたのを見れば、いかに柴田が秀吉にびびってたか
わかるだろw
0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 09:51:51ID:t3XozyBm0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 11:51:14ID:pWqUc39q0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 13:23:22ID:bTakoG5sそれだと初めから裏切るつもりで勝家を騙していた事になるが…
0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 15:48:05ID:D/C/F1Cj俺>>227じゃないけど、そうじゃないか?て思ってる。
利家含め停戦和議を結びに行った三人とも賎ヶ岳で離脱してるし。その割に加増も多い気がする。
裏で内通でもしてたんじゃないかな。
内通とはいかなくても秀吉は情でほだしてみたり、恩賞をちらつかせたりしてただろうな。
ああ全部妄想だけどさ。
0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 21:28:54ID:AopmimgO0233名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 22:00:16ID:bf9crYGBとりあえず利家が丹羽らのように初めっから秀吉についていたのであれば、
誰に文句言われる筋でもないんじゃない?
ただ合戦始まってからしかも、危機に陥ってから裏切るのは良い事では無いな。
正直言って、これについて言えば小早川秀秋より酷い。
だから俺は前田利家に関して言えば律儀と言う点に関しては微塵も信用しちゃいないが、
現実的な計算のできる男と言う点では評価してる。
0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 23:33:29ID:whMrw1lP位置的に最初から旗幟を鮮明にするのは無理だろ。
0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 00:14:47ID:WP0caE+hがあってしかも対上杉の最前線な上
一向一揆の本場
そして丹羽には前田は最前線で使い捨ての駒
だから信用するなって意味合いの手紙を出してるな秀吉。
最初の頃は信用してない様子がありありと窺える。
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 00:16:27ID:+JCv/V8Cそうか?この時期の利家って能登にいたはずだから、
本気で中立なら篭ってりゃそれこそ手は出せないと思うが。
下手に攻めあぐねれば秀吉にそれこそ実権を奪われてしまうし、
上杉景勝も信長亡き後、果敢に勢力を伸ばしてる中だし。
そういう意味でも上で言ってるようにお互い独立した大名と言えるよ。
その中ではっきりと柴田軍として出陣しておきながらその言い訳は通じないと思う。
0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 00:26:31ID:ZUpW4Bz40238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 07:14:27ID:aB3dia0K0239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 11:11:16ID:gYGP+lKC0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 17:05:06ID:B8jrbCY5もちろん利家は後ろめたくて最後に勝家に詫びを入れるんだけど
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 18:19:11ID:vnOSy2sLこの二人には俺たちにはわからない何かがあったんだよ
そうでなきゃ裏切り逃げた利家に感謝の言葉なんか言うわけない
人質を無傷で返すわけない
その後、利家がこの裏切りについて誰かに罵倒されたという話も聞かないし
のちに律義者と呼ばれるなどやはり摩訶不思議な展開だ
この前田の離脱劇には何か裏があるんだよ、俺たちには理解できない何かがね
0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 18:42:32ID:gYGP+lKC0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 19:06:34ID:aB3dia0K0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 19:21:33ID:W3tzBrVy利家に何食わぬ顔で迎え入れられて無惨なほどお人よしの勝家は
最後まで尽くしてくれて有難う、と涙ながらに礼まで言って去って行った
その裏では利家と家臣らが
勝家の首取って差し出せば秀吉の覚えがいいのではないか?
いや、それでは世間体が悪いだろ
とか話し合っていたとも知らず
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 19:22:55ID:lFtL/tVq別に手を出しても名落ちねえw
まあ昔の話なんてどうとでもとれるけどw
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 19:26:02ID:gYGP+lKC0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 19:28:12ID:vnOSy2sLそれを勝家が知らないわけないだろう。
0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 19:50:55ID:W3tzBrVyうん、家譜にはそう書いてある
>>247
そんなの言うわけないじゃんw
別に利家は寝返って柴田勢を攻撃したわけじゃない
勝手に戦線離脱しただけ
豊臣勢の追撃受けながら逃げたわけだし
柴田勢からみれば逃げたとしか思えない
寝返ったの知ってれば僅かな供廻りと裏切り者の城に入る馬鹿もおるまい
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:11:42ID:OOUfhHFO親衛隊長といえば
史実の趙雲(劉備の親衛隊長)って大したことやってないだよね
(優秀ではあったらしいけど(優秀じゃないなら親衛隊長なんかなれないだろうし))
0250名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:15:23ID:GN8jCCIq「柴田+滝川+信孝」と「秀吉+信雄+その他」の争いに無理矢理巻き込まれた感がある。
府中へやってきた勝家が、戦線離脱した利家に「付き合ってくれてありがとう」くらいの礼を言ったとしてもおかしくない。
既に老いていた昔馴染みで人のいい勝家なら、それぐらい言いそうだ。
0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:17:34ID:OOUfhHFO>現実的な計算のできる男と言う点では評価してる。
こういう人達がいなくなったおかげで
第二次大戦のときの日米戦争はひどいことになったよ
硫黄島玉砕 戦艦大和出撃 沖縄地上戦 神風特攻
0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:24:01ID:OOUfhHFOせっかく出資してもらってがんばってやってみたけど 事業は失敗しちゃった
は違法ではない
利家は後者だったんだろ
出資した(期待した)勝家があほ
0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:01:33ID:5A+iPrKI秀吉体制での丹羽家の所領は越前一国と加賀半国しか確認されていず、
実際は60万石だったらしいよ。
0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:03:42ID:LH2e7CxVさらに秀吉とも若いころからの長い付き合いで娘を養女に出している親密関係
どちらも大切な友だったのは間違いない
いろいろあったが勝家も秀吉も最後の最後まで利家と仲が良かった
それでいいじゃないか。
0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:08:53ID:rc81dgN0それは例としておかしいな。
むしろそれらは財界の保身の為の犠牲なわけだし。
計算してる方だろ。
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 01:00:54ID:VqbDHD0t0257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 06:12:47ID:a3lECUde0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 06:45:34ID:04rwrkmS家康も1599年で死んでれば律義者だったと思うよw
0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 12:30:34ID:QlceUBUD期待するもなにも、味方でしょうがw
裏切ると分かっていたらどうすれば良いんだ?w
0260名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 16:44:07ID:VqbDHD0t0261名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 17:59:49ID:QlceUBUD0262名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 18:41:43ID:0NE/xu99足痛めた とか言って負傷退場になった感じ
0263名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 19:27:16ID:8634HGUU柴田チームは盛政と勝政の2TOPで猛攻激
そこでこぼれ玉を羽柴チームがカウンター
羽柴チームFW3人が上がり柴田チームのDFは前田、不破、金森の3人
が
前田「用事できたから帰るわ」
不破&金森「じゃあ俺らも…」
勝家(GK)「ちょwww」
て感じかと
0264名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 19:49:54ID:BfIqACMV前田は秀吉との戦を嫌い断ろうとしたが、「秀吉軍を威嚇するだけでいいんで」と何度も頼み込まれたらしい
普段は前田と柴田に上下関係はなく、戦のときは前田が柴田の配下になるのが織田家の決まりだったらしい
そして砦から出ず、突出した佐久間を戻そうとしてたのは、全面戦争になったら前田たちが逃げてしまうとの思いがあったようだ
だから敗戦後、柴田は前田に自分の力が至らなかったといい前田に感謝の言葉を言ったんだってよ
なるほどこれならすべて納得だね。
0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 20:57:03ID:7mRV7bO/秀吉との意地の張り合いみたいなもんだろ。
それより佐々って何で戦に参加してないの?
0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 21:04:32ID:8634HGUU佐々が国空けたら柴田勢は秀吉と戦してる場合じゃなくなる
0267名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 21:17:12ID:SKOwiYGQそれ前田家だけが自分で言っているウソwwwww
0268名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 21:25:21ID:7mRV7bO/嘘かどうかは闇の中。
0269名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 21:53:06ID:QlceUBUD一例をあげれば、柴田勝家である。
織田家の宿老として、豪快な戦ぶりが賞賛されるが、秀吉に攻められて自刃したため、残った言葉は実に少ない。
北ノ庄城に滅びる際の言葉をやっと見出したのは、キリシタン史料からだった。
楠戸義昭
0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 22:03:36ID:MwFcnSHL勝家は監督じゃないの?
0271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 08:47:35ID:tQBHzZ2C監督兼GK
市の三姫を保護したのは誰だっけ?
0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 11:33:39ID:Swh3zmqX0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 21:09:16ID:XH69Ubts中期になって一部の人たちは「藩」を使っていたようだが一般的では無い。
当時普通は「〜大名家」もしくは「〜家中」と言っていた。自分の国のことは「家中」「お国」と言っていた。
だから「加賀藩主」なんて言葉は無く「前田家」で言い訳で、初代当主は前田利家。
0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 21:15:02ID:qvrwgYDtどっちなんだろう。
0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 21:50:43ID:XH69Ubts一般人は殆ど知らなかった。
家士が身元を名乗る場合、例えば「前田加賀守家来なに某」と言います。
あくまで前田家の家臣ですから、「加賀藩士なに某」とは言いません。
0276名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 23:39:50ID:YTZSV7Xa物書き小瀬甫庵を雇い入れたからだよ
池田大作先生が諸外国で勲章貰ってくるのと一緒
0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 00:03:13ID:smfOe8LZ利家も腐れ気狂いなのか?
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 15:10:03ID:qNWtVwAC「藩」という呼び方はは江戸中期から一般的に使われはじめ、
幕末あたりはかなり普及してた。
とはいえ皮肉な事に「藩」が正式名称になったのは
大政奉還と廃藩置県は間の4年程度の出来事。
0279名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 19:08:44ID:55p1md79何が悔しいのか知らんが、歴史なんて全て勝者の理屈だろ。
例えば佐々なんて負け犬代表。
0280名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 19:22:32ID:ltsv3ALnなるほど、そう言わすために勝者は歴史を創ったのですよね。
0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 22:56:04ID:9N9bX7Hn>279さん釣れましたよ。
0282名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 07:36:23ID:Ig2B9LO5ってか成政に関しては曲解ってほどか?
0283名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 21:10:00ID:lrak9Xvn0284名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 00:38:08ID:5Pbr/LsS太閤記に関していえば前田家よりに書かれてたと見てもらっていい
末森戦あたりは最初から前田が官職の筑前守、佐々が通称の内蔵助で書かれてる
実際は逆で末森戦当時は佐々が官職持ち、前田は当時無位無官。
作者本人は信長髑髏酒にわざわざ佐々をフィクションお諌め役に使うくらいなんだから
悪感情事態はないと思う
0285名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 20:55:03ID:r6Iz+3N7信長公記の一部だって信憑性があると言われてたのがずっと前田家所蔵のものだってあったんだし。
0286名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 23:50:53ID:tlM2OHOg0287名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 00:18:29ID:xC8alqh20288名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 00:45:48ID:nhgMj76Jその部分に関しては関係ないんじゃない?
公記の中でも信用に足る部分と微妙な部分があるというだけ。
0289名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 11:20:18ID:JwY4QCCB中国の論語を引用して説いたって話だけど何だったっけなあ…。
0290名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 00:04:37ID:4/0Kc2CS成政が言ったってのも嘘っぽいな。
0291名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 01:12:01ID:Ua+7eCbR成政が〜ってのは知らない。太閤記だけかも。
怪しい・・・。しかも論語で?
0292名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 13:25:58ID:/pgiy7+I調べ直したら「金色髑髏での酒宴を成政が中国の故事を引いて諌めたため、喜んだ信長は成政を別室に招いて夜通し政治を論じあった」
(甫庵信長記)
だった。まあ、甫庵に関しては貶てない。
0293名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 22:23:07ID:3UFB8isT岐阜だって入れ知恵だろ?
佐々はさらに知らなそうだけど。
0294名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 22:26:57ID:LLqMI+Tx0295名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 23:49:43ID:lP6D5bJp利家の側室 利常の母 千代母が日蓮狂いで有名
息子の三代目藩主は加賀に文化人を招き芸術文化の発展を促進し金沢ルネサンスを起こした
利常の妻である徳川秀忠の娘も熱心な日蓮宗信者で
肖像画には南無妙法蓮華経と書いてある
0296名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 23:53:47ID:oUdRCJxr0297名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 23:55:34ID:lP6D5bJp家康=プーチン
歴代服部半蔵=歴代KGB(FSB)長官
あの頃って 不信な病死とかが多いね
0298名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 00:45:21ID:BjUwa/7f0299名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 11:15:14ID:N8xsAuMo詳しく知りたいけどどんな史料があるかわからない。
いや、詳しく残ってたら駄目なんだけど
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2006/12/09(土) 11:36:38ID:uUhnLGtq0301名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 17:49:45ID:LsmnxRqJ結局は滝川の残党だろ
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2006/12/09(土) 19:01:04ID:RhHiRYyVそんなのいるのか?
「花の慶次」に出てきただけだと思うが?
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2006/12/09(土) 22:50:50ID:kLVhb4tGだとしたらいくら家康でも、秀吉が死ぬ前から利家に手を回すとかあり得ないだろ。
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2006/12/09(土) 23:18:43ID:WOnBj3wS0305名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 08:50:39ID:doH9WbA/それで最大石高なんだから、よっぽど世渡り上手だったのだろう
当然それ相応の実力も持ち合わせていたのだろうが大河の題材にするにはネタ不足に思われた
徳川三代ならぬ信長→秀吉→家康の天下取り三代みたいだった
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2006/12/10(日) 16:57:37ID:ZovWSKdx陪臣とは違う
0307名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 17:40:26ID:vX4t131b利家が死ぬ前年四月から、内蔵疾患と思われる症状が出てたらしい。
秀吉が存命中に利家に自ら料理し、持て成そうとしたが利家は「虫持ち病に候」と断った。という話もあるし。
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2006/12/15(金) 22:07:56ID:sZiJo2eM0309名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 23:44:12ID:ZpH6ObWv0310名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/16(土) 02:08:24ID:Ctk0cr2l果てしなくありうるが、実際すぐ死んでるのを見る限り、調子が悪いのも嘘ではなかったっぽい。
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2006/12/22(金) 19:03:27ID:Tkc1EYiB棚ぼた金メダルの荒川も無能ということになる
0312名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 20:24:03ID:DNV9HK/t利家を筆頭に前田家はと言うと…。なんだかんだと理由をつけて逃げてばっかりじゃん。自家保存に関しては前田家は優れてるよ。
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2006/12/22(金) 21:13:11ID:3qLzL8hr0314名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 22:22:04ID:vTtjKLus荒川優勝の一因ではあるが、
そんなのはスポーツの世界では当たり前だろう。
荒川は正々堂々とした勝負で融資用したので、なんら恥じる必要はない。
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2006/12/22(金) 23:09:43ID:vTtjKLus「ミスしなかったら負けなかった」って
だから勝った側が無能って
そんなアホな理屈がどこにあるんだろう・・・・
細かいミスはプロレベルのスポーツやゲームでも当たり前ではないか。
0316名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 23:40:35ID:ts0z3o/t馬鹿の証だと思う。
0317名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 02:39:01ID:y0LJdFXBケチつけるのはあるよ。理由を明記してるやつはまだマシ…。
0318名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 00:17:51ID:CMwf+sS0自分では何もできないやつが多すぎ。
つーか、何もできないヤツほどケチ付けたがる。
単なるアホ。
0319名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/01(月) 01:35:59ID:CpkKvpHU私は、現在、金沢市に住んでいますが、
県内各地の土地の登記事項証明書が必要になることがあります。
どのようにすれば取得できるのか教えてください。
タイトル
A 法務局では、登記事務がコンピューター化された登記所間において、
土地・建物および会社・法人に関する登記事項証明書または印鑑証明書の交付を
相互に可能とする「登記情報交換サービス」を展開しています。
このサービスを利用することで、最寄りの登記所でその登記所管轄外の土地・建物
および会社・法人の登記事項証明書等を受け取れるようになりました。
例えば、輪島市の土地の登記事項証明書を金沢市内にある
金沢地方法務局金沢西出張所で受け取れます。
〒920−0024 石川県金沢市西念3丁目4番1号 (金沢駅西合同庁舎3階)
http://houmukyoku.moj.go.jp/kanazawa/table/shikyokutou/all/kanazawanishi.html
交付申請書は、法務局の窓口に備え付けています。
請求する場合の注意点は、次のとおりです。
〈1〉登記事項証明書の必要な土地・建物の所在(○○市○○町)と地番
または家屋番号、会社・法人の名称と本店所在地をあらかじめ調べてください。
なお、土地の地番・建物の家屋番号は、いわゆる住居表示番号と異なりますので、
正しい地番・家屋番号を登記済証(いわゆる権利証)などで確認してください。
〈2〉このサービスは、本年9月1日現在、全国523の登記所でご利用できます。
具体的な内容については、金沢地方法務局金沢西出張所の職員にお尋ねください。
なお県内では、金沢地方法務局珠洲出張所の会社・法人登記を除き、
このサービスが利用できます。
〈3〉料金は、登記事項証明書1通について、1000円です。
(2005年10月12日 読売新聞)
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub7/seikatu/ho_s7_05101201.htm
0320富山県民
2007/01/10(水) 21:17:58ID:LWL/XAZp0321名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 21:57:10ID:IGxVE+qt0322名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 19:07:01ID:0u4m7qZK記憶違いだったらスマンが、金沢城の天守閣は江戸初期から既に火事で焼失してて、
二代目利長が「この先、天守閣を使うような戦は起こらないだろう」と言い再建しなかったらしいが
利長も心の底では再建を望んでいたなら実現してほしいね、石川県民の力で。
0323名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 19:13:36ID:r3vhsQr/金が無いのと、徳川に因縁をつけられるおそれがあったので
作るのをやめていた。
0324名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 21:48:49ID:3HFXkj+i>>322
もとの天守閣だって富山県民(越中)の力なくして立てられなかったんだから
石川県で単独なんてムリムリw
0325名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 23:43:15ID:bbWVIggF0326名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 23:53:06ID:rQbKiScHシンボル的な意味しかないからな。
0327名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 19:36:40ID:oFHw/IuJ参勤交代の道を辿るってやつ
0328名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 20:10:30ID:WdK2cV7Z仮想敵国はあったがな。
0329名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 20:45:38ID:wwu6CzqU天守閣は落雷による火災で消失した。
ちなみに石川県の雷発生率は全国一。
避雷針のように落雷を受けやすい天守閣がないのは
金沢という土地では道理だったと思うが。
0330名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 20:49:18ID:wwu6CzqUhttp://www.hokuriku.chunichi.co.jp/kaganoto/hontokaine/31.shtml
日本最初の避雷針は金沢の尾山神社にあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BF%E9%9B%B7%E9%87%9D
0331名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 21:04:22ID:QmC+Y9I0ホテルニューオータニ○岡、洗い場パートの○池死ね。
ほんと死ね。いい加減にしろよ!てめぇのせいで精神おかしくなった。
医療費払って責任取れよバーカ。
2月で辞めてやるけどなw
バイト4人一致団結してまとめてwwお前は知らんと思うが、みんな憎んでるぞ?w
一人でせいぜい頑張れよバーカ。
600人分もの皿を1人で洗えるのかな?(プギャー
0332名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 21:39:16ID:DWLasLzh見たいなあ!
でも新聞見てもやりそうな番組がないんだが…。
>>329-330
なるほど、納得した。
明快な理由ですな。
0333人間七七四年
2007/02/13(火) 20:20:59ID:O9ntWpwm・前田家譜代
・織田家/柴田家の旧臣
・北陸の国人(神保/畠山旧臣含)
・その他浪人
0334人間七七四年
2007/02/18(日) 11:08:38ID:F4BAKSSJその後本とかも読んだ。
コーエーの信長の野望も好きだ。
柴田>前田という認識が一般だが、総合的に見れば実は前田>柴田であることは明白。
信行について信長にぼこられた柴田。
信孝について秀吉にぼこられた柴田。
誰にもぼこられてない前田。
その結果が100万石。
トップを走るのではない。トップのちょっと後ろを走る。
トップが崩れていきトップになると又少し後退して安全な位置を確保する。
俺が俺がという織田家臣団の中で利家は重宝されるのは当然。
一番使いやすい部類に入る家臣だた。信長の時も秀吉の時も。
家康にとってはつぶす名分を失ってしまった、ある意味で手ごわかった相手。
結局大身のまま残すハメに。
織田がついて秀吉がコネたモチを食ったのが家康というが、そのモチ家康に振舞わせたのが前田。
なんとも幼稚なレスですまぬみません。
0335人間七七四年
2007/02/18(日) 12:07:33ID:PCqi09cjまぁ秀吉死後に、五大老ナンバー2として睨みを利かせていた利家頑張ったと思う。
0336人間七七四年
2007/02/18(日) 13:58:33ID:drJpxngHだが、俺も利家ファンだが勝家を貶るのはややいただけないな…。
勝家は実力はあったけど相手が悪かっただけ、という見方が出来るし、なにより利家が「親父殿」と呼んで慕ったその人だし。
ただなんとなくね。
0337人間七七四年
2007/02/18(日) 16:25:53ID:F4BAKSSJ>信長の怒りを買って一度追放はされてるが・・・
そこなんだよね。
柴田は個人の時と大名の時とであまり差がなかったんじゃないのかな。
だから信長の下は嫌だといった尾張時代と同じ事を大身になってから繰り返したのかも。
利家はそこらへんわきまえてたよね。まつもそうだけどさ。
本当ならあの流れで前田が徳川を認めるってのは結構無理があった。
柴田なら多分滅ぼされてた。
前田が徳川を認めてしまったが故に徳川が乗ってしまったともいえる。
まあ西軍は団結すべき柱を失ったわけだからどちらにしてもしょうがないけどさ。
>>336
m(__)m
権六様は好きなんだけどさ。相手が悪くても自分の立場を忘れて気持ちでつっぱしってしまうところが、
権六と利家間における少ない利家が勝る要素だから。どうしても権六の悪い部分を書いてしまいました。
っていうかマツケンの権六最高だた。初めのころは上様が頭を下げてるよ!?なんて違和感もあり、
でもその大御所感が権六を単なる脇役に感じなかった一因だったとも思ってる。
あのドラマは正直ハマリ役多いよ。秀吉・信長・家康も最高だったし。
ポイズンはいいよ。本当。
0338人間七七四年
2007/02/18(日) 17:20:12ID:ftYuDewr終始家臣筆頭的立場だったのが勝家の有能さを示している
利家は個人的に信長のお気に入りだったが
手元に置くわけでもなく一手を任せるわけでもなく
勝家の一与力として付けた点からして
能力はさほど期待されてなかったのだろう
0339人間七七四年
2007/02/18(日) 17:38:40ID:TZGqR6iB前田家は織田の天下でも間違いなく優遇されてただろう
そういう意味では運の強い大名だなあと。
0340人間七七四年
2007/02/18(日) 18:13:30ID:F4BAKSSJ能力は残念ながらその通りだろうなぁ。
だって大河ですら、小さいことを拾って拾って何とかって感じだたからね。
まあ処世術においては一流なのは確実。
>>339
能力を評価されていたのかなぁ。
人間としての評価だと思うよ。
もちろん能力も評価されてたろうけど、実際秀吉なんかは信長が「こいつすげえ」って恐怖心を抱く瞬間もあったでしょうが、
利家に対してはそうではなかったとオモ。
誰の天下になってもきっと優遇されるのが前田利家かと。
能力評価については小姓時代が長かったってのもあると思うけどね。
まあ秀吉みたいに戦国においても1,2を争う功績でなりあがっていった人間とは違うから。
比べるのもある意味違うのかもね。若い頃は戦以外ではあまり使いどこなかったろうし。
0341人間七七四年
2007/02/18(日) 19:43:02ID:rtWGS+7L0342人間七七四年
2007/02/18(日) 20:20:14ID:TZGqR6iB大河で一気にブレイクした
0343人間七七四年
2007/02/18(日) 20:39:12ID:F4BAKSSJそうそう。五大老筆頭格であったのに、なぜか影の薄さも筆頭格だった・・・
0344前田 ◆MAEDAxMYTY
2007/02/18(日) 22:16:17ID:hw3qpbna0345人間七七四年
2007/02/18(日) 22:52:50ID:51yfKkd0要するに、利家は信長の家臣で、勝家は織田家の家臣なんだよ。
0347人間七七四年
2007/02/19(月) 22:38:55ID:KxdtCbpF0348人間七七四年
2007/02/19(月) 22:55:27ID:R7f47qsC勝家は従五位下修理亮
勝家に公なんてつける必要ないし、つけたら逆におかしいと思いますよ。
0349人間七七四年
2007/02/20(火) 08:33:09ID:MSlJl1PM贔屓な武将は「公」付けたくなるよね。
0350人間七七四年
2007/02/20(火) 09:53:26ID:dOI2OGFtすみませんでした。許して。
0351人間七七四年
2007/02/21(水) 11:52:08ID:98Olmabvなりすぎても敵作るだけだけど。
ぶつかり合いになりそうな人達がいたら、皆が積極的に仲介役に回ってくれたら良いんだけどね。
0352人間七七四年
2007/02/21(水) 18:34:43ID:FuAntdgP前田、丹羽、蒲生と
割と戦働きは堅実で、政治もそつなくこなせる武将という傾向があるわな
悪く言っちゃうと起用貧乏なんだけど、信長の好みってこういう小才が効く人間のように思える
森兄弟だって猛将の長可は信忠に付けて、蘭丸みたいなのは手元に置いてるしな
0354人間七七四年
2007/02/21(水) 21:32:22ID:hB1he1XAってトコだね、信長子煩悩だしそれくらいがちょうどいいな
0355人間七七四年
2007/02/27(火) 23:09:45ID:earUzuYuまた娘の豪姫もキリシタン。あまり知られていないけど、利長は洗礼を望んだらしいが。
あまり知られていていないけど、加賀藩はキリシタンにはおだやかだったとか。
0357人間七七四年
2007/03/08(木) 00:00:15ID:lT7Jk1FSいまの前田家は日蓮ではないよね?確か....
キリシタンに寛容だったのは、かつて一向宗で酷い弾圧を受けた土地柄もあった
と思うけど。隠れ念仏とかの類もあるからね。
0358人間七七四年
2007/03/15(木) 00:05:57ID:n/EDyEzf色々な意味で
0359人間七七四年
2007/03/15(木) 00:25:24ID:kn+1qVUI所詮、尻でとった家か
0360人間七七四年
2007/03/15(木) 12:07:27ID:xTWb0jfn狂った戦国の世の中で
まともな普通の人を貫き通すのはすごいことだと思うよ
0361人間七七四年
2007/03/15(木) 12:40:44ID:9eMd1xAI恩人を裏切り主家を見捨て
せこく小銭ため込んで芳春院に怒られたり
0362人間七七四年
2007/03/15(木) 16:17:42ID:2YiBOzQ6諸将に金貸して蓄財するわ。それをここぞいう時に使わないでまつに叱責されるし。
敗戦理由を盛政に押し付け、勝家に返してもらった人質は自分で取り返したことにしてるし。
五大老の中で影薄いのは当たり前。だって他の面々と比べて余りにも小人物。
0363人間七七四年
2007/03/15(木) 16:55:44ID:hfICyQloもっと新しい情報みたいなのないの?
0364人間七七四年
2007/03/15(木) 20:58:18ID:xTWb0jfn別に秀吉との戦いに参加する義務は無いし
それを義理人情は無いのかとか言われてもな
文句あるなら信長に言ってよ
0365人間七七四年
2007/03/15(木) 21:06:33ID:Fleu1waE裏切った時信長生きてたか?
離れようと思えば離れる機会があったのに誓書まで書いて勝家に忠誠を誓ったあげく
最後の最後に裏切るとは、裏切りの中でも外道のやることだ。
テレビばかり見てないでもっと勉強しろ馬鹿^^
0366人間七七四年
2007/03/15(木) 21:40:12ID:om4E9+Pl0367人間七七四年
2007/03/15(木) 21:55:24ID:H1LZFVZ9私は利家偉いと思うよ。
当時は領地を広げよう、国を強くしようと兵を雇いすぎたり、借金で国を潰す武将が多かったんだよ。
そんな今と感覚が全く違う時代に、ソロバンで計算することが得意で
人に貸すほど金を蓄えていたって異常なことだったんだよ。
利家のそんな家風が明治まで加賀藩には残ってて明治維新のあと日本海軍が
力をつけてきたときその屋台骨を支えていたのは数学を尊いとする加賀藩出身者だったって知ってた?
0368人間七七四年
2007/03/15(木) 22:38:59ID:36f0yg8V0369人間七七四年
2007/03/15(木) 23:35:36ID:C1nCLDXI家族ぐるみの付き合いの秀吉につかずに、そのまま与していた勝家に付いたのは「義」の為だったろう。
勝家に付いた以上、秀吉に殺されてもしょうがない、将来も諦めたと同じ意味だろう。
だから勝家は帰りに利家の城によって今まで自分に付いてきてくれた事を感謝したんだろう。
秀吉が利家を許した?のは長年の利家の付き合い方と秀吉のやり方であっただけで
そのまま利家の城に来た時に殺されてもしょうがない心積もりもしてたと思う。
裏切りって後から簡単に言うけど、当時の人はしょうがない、と思ったから責めなかったんだと思う。
0370人間七七四年
2007/03/16(金) 00:07:06ID:qeLS3GZB1つは、安土城を造った大工集団が信長亡き後、利家とともに加賀にやってきて、金沢の街と城を築いていること。
さらにその大工の末裔(まつえい)が、安土城天主閣の絵図面を残している事実。
2つには、信長の一代記を書き残した日本文学史上に名を残す2人の軍記作家、太田牛一(ぎういち)(1527―1610?)と小瀬甫庵(おぜほあん)
(1564―1640)がともに、加賀の国に足跡を残していること。
たとえば信長に仕えて「信長公記(しんちょうこうき)」を書いた牛一は本能寺の変の後、松任(当時は丹羽長秀の領地)に数年間隠世(いんせい)。
孫が利常に仕えている。また「太閤記(たいこうき)」と「信長記」の作者で知られる甫庵になると、晩年を金沢で過ごし卯辰山ろくに墓があるほどだ。
3つ目は、人的つながりだ。前田利長の妻となったのは信長の娘・玉泉院(ぎょくせんいん)である。
その母、つまり信長の側室も、晩年には加賀に招かれているという。
高岡の瑞龍寺(ずいりゅうじ)に信長廟(びょう)があり、金沢城に玉泉院丸と名付けられた曲輪(くるわ)があるほど、前田家は主君織田家を大切にしている。
むろん、信長の人的遺産といえば、前田利家本人が間違いなくその1人だった。
さらにいえば、高山右近や、右近に誘われて金沢に来た内藤如安(じょあん)、宇喜多久閑(きゅうかん)ら加賀藩で禄をはんだキリシタン武将らの存在こそが、伴天連(ばてれん)を保護した信長の「遺産」の1つと言ってもいいだろう。
これマジ?
0371人間七七四年
2007/03/16(金) 00:44:00ID:yxfU8RFbようするに信長様の うほ アッー! な仲だった訳だし
親衛隊長(劉備の趙雲)みたいなもんだったのだろう
0372人間七七四年
2007/03/16(金) 02:50:04ID:9nCAmyPJ0373人間七七四年
2007/03/16(金) 11:33:44ID:BYpEEgs20374人間七七四年
2007/03/16(金) 11:41:01ID:sN9gdAAU大河やら漫画では賤ヶ岳の陣中で離反の決心したみたいに描写されてるけど、
利家が秀吉側に内応したのは勝家の使者として秀吉の下を訪れた時だと言われてる
怠戦や最悪のタイミングでの撤退を見る限り、やはり後者の見方が妥当。
一部の資料で利家が府中城で「私がここで戦いますから〜」とか「死を覚悟で勝家助命を嘆願」っていうのは我が身可愛さの大嘘。
0375人間七七四年
2007/03/16(金) 12:04:09ID:2Ily4j8p0376人間七七四年
2007/03/16(金) 12:40:36ID:sN9gdAAU>>361>>362が言ってるのは個人的な蓄財であって、いざという時に使おうとしなかったことじゃね?
あと、加賀の学問奨励は利家じゃなくて綱紀だと思う
0378人間七七四年
2007/03/16(金) 15:52:23ID:VY77vrE6利家自身論語かじってるし、遺言に重用するなら文武両道の者、って言ってるから奨励派でしょう。
大きく行動したのは綱紀。
蓄財は狡っ辛いからだろうね。
いざってとき使う、というか、いざってときのために救援行けるほどの兵を雇うための金は使っとけってことで。(まつさま談
0379人間七七四年
2007/03/16(金) 16:48:49ID:sN9gdAAUただ藩内での学問が盛んになるように整備したのは綱紀の功績
個人的に利家の評価は?が多いんだけど、当時世間の受けは悪くなかったみたいだし、人付き合いは上手かったみたいだな
人たらし だけ においては秀吉に匹敵するんじゃないかと
0380人間七七四年
2007/03/16(金) 17:55:31ID:VY77vrE6まあ、綱紀しても利家や利常が及第点まで、前田家ならそれ以上まで持っていってくれたから色々自由が利いたところもあるんだからそこの評価も忘れちゃいけないと思うんだ。(忘れてるとは思ってないけどね)
大河では天性の愛され屋みたいになってたが、もっと強かだと思うねえ。青年期はそこそこ暴れても憎めないやつ、と思われてたかも。
抱く人物像は人それぞれだけどね。
0381人間七七四年
2007/03/17(土) 03:41:06ID:E5mShpS0実写化して欲しい
0383人間七七四年
2007/03/19(月) 08:07:30ID:4y0oz/d90384人間七七四年
2007/03/19(月) 12:52:30ID:xD4xLXqs0385人間七七四年
2007/03/19(月) 23:02:40ID:dVOAaZCL逆にもしも現代に来ても成功しそうな武将の一人だと思う。
現実的というか個人の感情とは別に自分を客観視出来てる人物と言うイメージ。
0386人間七七四年
2007/03/20(火) 12:03:01ID:YCKiuSMp選手を引退しコーチ、監督になるがしばらくの間たいした功績を残せず。(30〜40代後半)
しかし着実にチームを育て、攻めのサッカーではなく守りのサッカーを極め
組み合わせなどにも恵まれ、なんだかんだでW杯準優勝(晩年)
0388人間七七四年
2007/03/21(水) 20:48:30ID:sEvlePpf側室が本当だったとしても、前田利家の立場ならあんまり意味ないと思う。
ゴマするような立場でもないし。
むしろ秀吉側が望んで頼み込んでの間柄だったと思う。
まつとねねは親友だし、気を使ったと思う。
0390人間七七四年
2007/03/22(木) 01:28:33ID:lv1L9sy5前田家だけ無いと示しがつかないから
妥協の産物が麻阿(加賀殿)だと思う
0392人間七七四年
2007/03/24(土) 16:46:33ID:hCnuvLhg0393人間七七四年
2007/03/24(土) 16:50:36ID:sRn3kZY00395人間七七四年
2007/03/25(日) 12:09:00ID:3jxxOvDn0396人間七七四年
2007/03/25(日) 16:10:31ID:ZaOXA1MQ変態ロリコン野郎だね
0397人間七七四年
2007/03/25(日) 21:03:48ID:8GnPAUAB同じ社宅に住んでいて小さいときから知ってる同僚の娘を妾にするほうが変態だと思う。
0399人間七七四年
2007/03/27(火) 14:28:36ID:JezXPL4+それにしてもニュースみてると能登の人って気丈だね。
0401人間七七四年
2007/03/27(火) 22:17:43ID:+IQBJ8cC敵の首切り取って持ってきたら給料上がるなんて考えられないだろ。w
0402人間七七四年
2007/03/29(木) 01:50:26ID:YWr+fXVZ川川 ::::::⌒ ⌒ヽ ←金沢キムヲ ____
川川::::::::ー◎-◎-) /:::::::::::::::::::::::\
川(6|:::::::: ( 。。)) /:::::::::::::キム子::::::::::ヽ
._川川;;;::∴ ノ 3 ノ |:::::::::人人人人人人人)
/;;;:::::::::::::::\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ |::::::/ ┏━┓┏━┓)ノ
/:::: /:::::::::::: |::::| |(6ー┤¬├┤¬├)
(:::::::: (ミ: ・ ノ:::・/:::| ミ |U └─( 。.。)ー┘)
\::::: \::::::: (::: | ,.:':'゙'゙'゙:゙'゙':';., (X)| ∴) 3 (∴)
/:::\::::: \::: ヽ| r゙ ,.: :;;;:: : : : :; (X) \ ⌒ /
/:::: \::::: \::: ヽ ) | : ::::~';::--ー'ー-----.(X);:'゙ .: :` ‐- 、 /
|::: \::  ̄ ̄⊇) ,i ::::::::::::::::::::::::::::::(X): :ヾ i
|::::::: \;;;;;;;;;;;(_r' ::::::::::::::::: : : ::::::(ノ::::: ::::. . /
\:::::::::: ミ(;;; );; ) | :::::::::: : : : : ::: :: :: イ
\:::::::::::: ) ) i : : ::::::::::: : : ::::::: : |
):::::: / / | ,.;イ-- ., ,... -' i
/::::::::: / / i ,.;':/ ゙'ー-.,_ i ,.イ:: /
/::::::: / / .i:::: /:/  ̄i / ゙i |
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(;;;;;;;;;;;__っ)))つ)) r':: イ:::::i゙ | | i |
|:: | ヽ '-., ヽ 〈 ヽ ヽ.,
i, , '-, ゙'ー'ー' ヽ、`,ー、 `'ー'ー'
0403人間七七四年
2007/03/31(土) 01:49:08ID:w6oFnXy7戦国BASARAの前田家は沢庵カワイイ 二膳目
http://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamechara/1163149591/l50
0404人間七七四年
2007/04/06(金) 10:10:59ID:0qvUFLfk水戸黄門で、加賀前田家でお家相続の争いがあったとき、水戸光圀ご老公様をお呼びしたのは藩主のおばだったか祖母だったかとにかく
"すいこういん様"でした。
佐野黄門と里見黄門に同じエピソードがありましたが、前者は他人ですが、後者のほうは"すいこういん様"は光圀公の姉になっていました。
自分でぐぐったのですが、歴史的に2人が兄弟だという記述が見つかりませんでした。
詳しい方、教えてくださいませ
0405人間七七四年
2007/04/06(金) 11:45:40ID:oel83nfQ頼房と側室谷氏(頼重、光圀の生母)の娘、清泰院 大姫
光圀より一歳年長
加賀藩 前田光高の室 義父が将軍家光になっていますので、一度養女に入ってから嫁いでいるようです
寛永四年(1627)生まれ、明暦二年(1656)没
上記生没年ですので、ご老公が漫遊した(あくまでドラマ内で)年齢とはあいそうにありませんが
光高との間に綱紀と万菊丸が生まれています
0406人間七七四年
2007/04/06(金) 11:52:46ID:cXHMYZ2Pあぁ水戸黄門
ttp://iwa.pekori.to/mito/
0407404
2007/04/06(金) 12:32:15ID:0qvUFLfk事実をうまくアレンジしてドラマ作りしてるんですね
0408人間七七四年
2007/04/08(日) 03:20:51ID:CSrlmpFF0411人間七七四年
2007/04/17(火) 22:00:28ID:SxjXYmXQ0413人間七七四年
2007/04/19(木) 11:26:22ID:VoBpYnj4もちろん戦国〜江戸期にかけて
0414人間七七四年
2007/04/19(木) 22:14:40ID:M8SLvEeV加賀甲冑って最高級のブランドだったとか。
銀山もいっぱいあったし、焼物織物なんでも碁ざれだろ。
0415人間七七四年
2007/04/20(金) 00:06:08ID:WAUES5FW0416人間七七四年
2007/04/20(金) 16:14:29ID:7JoQpDlV加賀前田家第十八代当主前田利祐さんのご挨拶は10:35の予定
製作会社が富山の織田幸銅器なんだが、尾張の織田家の縁者かな?
0417人間七七四年
2007/04/20(金) 20:27:56ID:ywTxY+xH0418人間七七四年
2007/04/20(金) 22:34:43ID:gwlljSMe0419人間七七四年
2007/04/26(木) 20:31:02ID:B4Pkzd4BGWに見に行くかな。
0421人間七七四年
2007/05/01(火) 13:14:38ID:SjmR04wt本一なんなんですか?
もし日本一なら戦略物資として使えますね
0422人間七七四年
2007/05/13(日) 10:10:23ID:iqrKDYJKになった。金沢では、利家とまつを祀っている神社があって、初詣などで、
すごい人気があります。家康の日光東照宮は、信仰の対象としては今はどう
なのでしょうか?観光では、すごい人気あるみたいけれど・・・
利家がもう10年くらい健在だったら、日本の歴史はどうなっていたのだろう
利長や利政という優秀な息子もいたし・・・
けれど家康には敵わないかな?秀吉死後の混乱を前田家が収めるのはしんど
そうだ。。仮に利家が長生きして、家康との権力闘争に勝っていたとしても
その後の日本の将来像が見えないorz
考えられる人いませんか?
0423人間七七四年
2007/05/13(日) 11:16:00ID:A7Ef6Jka凡人がたとえ10年長生きしても何も変わらない。
利家が政治的に事実上「死んだ」のは、徳川との決戦時に
日和って和睦の道を探したとき。
そのときはまだ病気も寝たっきりと言うわけでもなく、状況は圧倒的に有利。
それでも利家は責任回避の逃げに走った。
病気とか外的要因ではなく、すべては利家の人間的限界。
それは、羽柴、柴田間の決戦時のときに逃げ出した心理と酷似している。
要するに、利家は片方の総大将になる器をもっていない人間。
タッグパートナーとしては優秀だけど、チームリーダーにはなれない。
利長と利政の「優秀さ」も、はっきり言ってあやしい。
最大限譲歩しても、「江戸初期に100万石の跡取りとして渡りきることができた」優秀さで、
関ヶ原のような大異変の状況でなにかできる英雄的な要素をまったく持たなかったことは証明されている。
神社については日本と中国は誰でも神様になれる国で、信仰とはあまり関係ない。
日光東照宮は明治時代に睨まれて徳川信仰から観光中心に切り替わったので
としまつしか売り物がない金沢の神社と比べることがおこがましい。
0424人間七七四年
2007/05/13(日) 13:27:11ID:BSR/QO+r秀吉生前から病の兆候は出てたし、そこまでの権力を取るに伴う責任は利家自身重いと思ってそうだ。
でも「(おそらく今現在の)利長に器量があれば前田の天下を取るつもりだった」と言っているから、条件が揃っていればもしや…。ということもあったかな。
0425人間七七四年
2007/05/13(日) 15:12:55ID:/GnUXQFr利家には家康にない人望があるからな、普通100万と250万だったら
誰だって250万の方につくだろ、でもほとんどの有力大名は100万についた
家康はマジで焦ったらしいし、利家の言うことを聞き伏見から向島に移った
おもしろい話だよね〜
0426名無しさん@お腹いっぱい。
2007/05/14(月) 01:38:02ID:ukebZgto> 利家には家康にない人望があるからな、
人望無いから家康にひれ伏したんだが。
0428人間七七四年
2007/05/14(月) 23:30:25ID:gfj2S1pKそれに一番は本人が「自分は天下を獲れる器ではない」と自覚してたからだろうな。
家康と刺し違える事は出来ただろうが、それでは再び天下が乱れ、前田家は滅びるから
そんなことは出来なかっただろうな。
利家も家を守るのが一番と死んでいったし、まつもそれを守って江戸に人質になって行ったし、
利長も結局母の言い付けを守って死んでいった。
賢い生き方だと思うよ。
0429人間七七四年
2007/05/14(月) 23:48:20ID:77RxM8IC0430人間七七四年
2007/05/15(火) 14:33:22ID:ViwTeHpQ加藤清正
細川忠興
浅野長政
宇喜多秀家
など親利家派の武将は多いな
0431人間七七四年
2007/05/15(火) 16:16:40ID:VKXR6/ly0432仙台藩百姓
2007/05/15(火) 18:13:14ID:fsaiJJ+5加藤清正も細川親子も浅野親子も
徳川邸に駆け付けたけどね( ^ω^)
清正などは真っ先に兵を連れて駆け付け
前田側に備えて家康を警護したお
結局利家も徳川方に諭されて謝りに出向いたお( ^ω^)
やる気になってた三成や上杉宇喜多佐竹あたりは
なんじゃそらΣ(゚∀゚;)って驚いたおうね
0433人間七七四年
2007/05/15(火) 22:07:34ID:rAtAjvaW0434人間七七四年
2007/05/16(水) 02:11:08ID:MkWT/wSH家康が東条たち もしくは会津若松で官軍に抵抗した旧幕府軍 みたいなものか
恥やプライドを捨てて平和を守ろうとするのも 大切なものだよ
パッと見はかっこ悪いけどな
かっこよさのために何万人もの命が失われるのは民にはやってらんない
0435人間七七四年
2007/05/16(水) 11:12:14ID:o0ZQIBVS加藤らが徳川側に詰めたのは利家死後のエピソードだよ
0436人間七七四年
2007/05/16(水) 11:25:20ID:ehkdzvJZ0437仙台藩百姓
2007/05/16(水) 12:14:34ID:UXPM/YMX利家らが戦仕度して騒ぎになった時じゃないお?
利家死後って利長が何かやったのかお?
0438人間七七四年
2007/05/16(水) 12:31:04ID:mz5wqNWM0439人間七七四年
2007/05/16(水) 12:42:11ID:oe4T5mfX失禁するほどにびびらせたのだろう。
0440人間七七四年
2007/05/16(水) 12:46:47ID:8+Ponw/m遺言状見ると「信長様は〜してたから〜しなさい」って事書いてあって秀吉の名は一つも出てこないんだよね
0442仙台藩百姓
2007/05/16(水) 19:02:08ID:UXPM/YMX家康の勝手な婚姻は違法であると利家や三成らが怒り
家康や政宗公などに三中老らを送って詰問したところ
家康に逆ギレされて追い出された為
利家もキレて戦仕度を命じた
上杉、宇喜多、毛利、佐竹辺りも
大坂城に集結して騒ぎになったお
その時真っ先に家康の伏見屋敷に駆け付けたのが清正
続いて福島正則や黒田親子、浅野親子、細川親子や
加藤嘉明、藤堂高虎、大谷吉継など
当然政宗公も徳川屋敷へ向かったお( ^ω^)
その後、周囲の説得もあって利家も冷静になったのか
徳川屋敷に出向いて和解
しばらくして利家が死去した
そして三成襲撃事件と繋がるお
0444人間七七四年
2007/05/16(水) 19:41:59ID:o0ZQIBVS〇その時、大坂城の前田利家の許へ駆け付けた主な大名
毛利輝元(120万石)
上杉景勝(120万石)
宇喜多秀家(57万石)
佐竹義宣(55万石)
加藤清正(25万石)
浅野長政・幸長(22万石)
長曽我部盛親(22万石)
増田長盛(20万石)
小西行長(20万石)
石田三成(19万石)
細川忠興(18万石)
小早川秀包(13万石)
立花宗茂(13万石)
岩城貞隆(12万石)
前田玄以(5万石)
長束正家(5万石)
など前田家76万石含み、親前田派662万石
〇伏見の家康の許へ駆け付けた主な大名
福島正則(24万石)
池田輝政(15万石)
森忠政(13万石)
黒田如水(12万石)
藤堂高虎(7万石)
金森長近(4万石)
新庄直頼(3万石)
有馬則頼(1万石)
織田友楽斎(0.2万石)
など徳川家250万石含み、親徳川派329.2万石
0445人間七七四年
2007/05/16(水) 19:49:08ID:sEPa8UH3上杉景勝(120万石) など最上(24万石)に一蹴されていることからもわかるが。
0446人間七七四年
2007/05/16(水) 20:06:17ID:T8kGRvYg0447人間七七四年
2007/05/16(水) 20:15:12ID:o0ZQIBVS親前田派に+
加藤嘉明(10万石)
九州の如水と四国の高虎は完全に孤立状態になるね
0448人間七七四年
2007/05/16(水) 20:23:43ID:987Vu1WO0449仙台藩百姓
2007/05/16(水) 20:43:10ID:UXPM/YMXそれはおかしいお
伊達、加藤、蜂須賀、福島、黒田は
いわば騒動の張本人だお
利家が伏見の徳川邸を訪れた時に
利家を迎えに行ったのが混同されているんだお
加藤、細川、浅野あたりは衝突を防ぐ為に利家を説得
利家もそれを聞き入れて忠興の仲介を経て伏見へ向かったお
0450人間七七四年
2007/05/16(水) 21:23:48ID:o0ZQIBVS『寛政重修諸家譜』
『藩史大辞典』(雄山閣)
『前田利家』(吉川弘文館)
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)
ってあるな
大野信長氏の文献から引用したんだが
0451仙台藩百姓
2007/05/16(水) 22:21:59ID:UXPM/YMXその著者はどういう了見だお(#^ω^)ピキピキ
0452人間七七四年
2007/05/16(水) 23:03:29ID:4K63fCwZ江戸幕府になってからも、反徳川の急先鋒だったじゃん。
0453人間七七四年
2007/05/16(水) 23:10:34ID:o0ZQIBVS中央の権力闘争に積極的に関与するより地勢的に体勢が決まるまで一線引くとい
うことが出来るし
0454人間七七四年
2007/05/16(水) 23:16:42ID:T8kGRvYg前田とも小田原征伐以降の付き合いが有るから困っただろうな
0455人間七七四年
2007/05/16(水) 23:25:23ID:VyAbDZdW百万石祭りにあわせて、前田育徳会展示室で【甲冑と陣羽織展】やるよ。
http://100mangoku.net/100-man/sai/kyousan.html
0456人間七七四年
2007/05/17(木) 01:34:27ID:zGYDmYCm利家は北条氏邦など旧北条家家臣も保護している
徳川が関東に移るのを見越して関東に影響のある旧北条家家臣を保護したという
したたかさがあったのかも知れない
0457人間七七四年
2007/05/17(木) 04:51:41ID:AqfY6bbH0458人間七七四年
2007/05/17(木) 15:20:26ID:YBIeuPRK0459人間七七四年
2007/05/17(木) 21:04:40ID:kdyMRhXNようするに
当時の伊達=賤ヶ岳の利家
0460仙台藩百姓
2007/05/17(木) 21:30:15ID:dM7GNAY/見限りや叛旗を翻すは武略であるが
合戦中の寝返りは恥ずべき卑怯行為であるお( ^ω^)
藤堂高虎などは何故か裏切り者みたいに言われるが
全て見限りや主家が潰れた事による退転であり
たった一度も土壇場の寝返りなどした事はないお
利家の方が余程卑怯者だお( ^ω^)
0461人間七七四年
2007/05/17(木) 21:44:59ID:ef+peOV00462人間七七四年
2007/05/17(木) 22:18:38ID:X7yqTnGt0463奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/17(木) 22:21:25ID:gJFvbj9q0464仙台藩百姓
2007/05/17(木) 22:48:09ID:dM7GNAY/うん
先祖の面汚しだおね( ^ω^)
高虎は名将だけど子孫は利家並だお( ´ω`)
でも勅命を承っての事だから
離反する大義名分がない事はないけど
土壇場だから感心できないお( ´ω`)
でも面白いのは加賀藩だお
加賀藩も幕軍として参加したけど
ちんたらしてて結局途中で逃げてしまったお
で、幕府が負けたの見てアッサリ新政府にくら替えしたお
賎ヶ岳の利家と全く同じだお(;^ω^)
先祖が先祖なら子孫も子孫だお( ´ω`)ヤレヤレ
0465人間七七四年
2007/05/18(金) 05:00:40ID:rUFZjc3G一族まとめられずにボロボロだった伊達が言うな。
官軍=宇和島 賊軍=吉田、仙台、一関
吉田は途中で寝返り。
0466人間七七四年
2007/05/18(金) 12:16:33ID:mkr3jByP葛西・大崎の乱も自分でアオりながら保身を図る汚さは小早川秀秋以上
0467人間七七四年
2007/05/18(金) 13:05:01ID:QkWuPF1S0468人間七七四年
2007/05/18(金) 13:11:31ID:mkr3jByP実際、佐竹側が押しまくっていたし
0469仙台藩百姓
2007/05/18(金) 16:10:27ID:HScwW8cJ政宗公はたった一度も負けた事ないお( ^ω^)
しかも多方面作戦とってるから一部の兵だけでね
更にたった4年で佐竹側の南奥州勢力は
相馬を除き全滅だお(≧ω≦)プッ
謙信信玄の死と政宗公の猛攻によって佐竹は奥州対策に忙殺され
北条もやっと北関東攻略で優勢に立つ事が出来たお
北条は伊達に愛想振り撒き盟友になったつもりかもしれんが
政宗公は関東進攻策に着手し
既に北関東勢力の懐柔を始めていたと言うのに
北条はおめでたいお(≧ω≦)プピッ
0470人間七七四年
2007/05/18(金) 17:22:57ID:wIhqK/dl0471人間七七四年
2007/05/18(金) 19:24:13ID:XJrJjdAmこれも荒らしではありません。この板のレベルにふさわしいだけです。
前田?裏切ったのは事実。
0472人間七七四年
2007/05/18(金) 19:32:57ID:XJrJjdAm柴田を裏切り、
豊臣を裏切り、
徳川を裏切りました。
裏切り家を崇拝している馬鹿は松永と同等の評価をするべきじゃないでしょうか?
福井県はマジで、自衛隊で制圧して福井人を皆殺しにするべきだと思います。
裏切るから多分、次の戦争で外国に。
0473人間七七四年
2007/05/18(金) 19:56:10ID:mkr3jByP仙台の非人
人様のスレ荒らすしか能のない愚民
ラッキーなだけで大したことしてねぇマサムネ公と
上杉景勝とまともに戦ったのも最上じゃねえかよ
0474人間七七四年
2007/05/18(金) 20:46:20ID:XJrJjdAmだって、一向一揆を殺しまくって、追撃したら重症負わされ(槍の又左w)柴田を裏切りった上に
北の庄の攻めの先鋒を志願。
織田家を裏切った佐々との争いでは、
秀吉がいなかったら勝てず、
末森の戦いでは撃退するが鳥越を落とされ
その後の戦役も前田家では有利に展開できず。
あとはただ只管、秀吉に尻尾を振る。
元同僚の息子を守れとか遺言してたのに息子や元妻にすら破られる(大爆笑)
ここまでが初代藩主
同格であるはずの家康に屈服してお世話になった
豊臣を嬉々として攻めて4000のクビをとったとほざく。
結局最終的には徳川をも裏切る。
それが「律儀者」前田利家と、前田家の歴史です。
0475人間七七四年
2007/05/18(金) 21:29:18ID:X/nUgkmq最後まで生き方を貫いたから
人を惹き付けるものがあるよね
だから意外と人気がある
利家は卑怯者の悪人のくせに
薄っぺらい偽善の皮を被り
律義者だとでっち上げて取り繕う様が
なんとも薄汚く虫酸が走る
こういうのを人間のクズと言うのだ
本当に下らない奴だよ
0476人間七七四年
2007/05/18(金) 21:34:40ID:v9zu1ojh・森と池田がくたばる
・堀も死ぬ
・丹羽が失脚
・滝川も失脚して憤死
あら不思議なことに気がついたら旧織田系で大大名として残ったのは利家だけでした。
チャンチャン!
藤堂とか蜂須とかはもうちょっと下だしな。
0477人間七七四年
2007/05/18(金) 21:43:52ID:UG7JVwZqどう考えても。
0478奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/18(金) 21:51:00ID:GklwkEhW0479人間七七四年
2007/05/18(金) 22:17:28ID:J65MQKxy0481人間七七四年
2007/05/19(土) 00:10:35ID:fy70eRTTでも 大久保殺してしまったせいで
金沢県ではなく 懲罰的に石川県に
仙台のほうも宮城になったけどねw
0482人間七七四年
2007/05/19(土) 00:19:48ID:fy70eRTTこの板住人的には
乱世の奸雄か 関羽みたいに義理がたいやつが好まれるだろうけど
0483人間七七四年
2007/05/19(土) 00:25:37ID:Un4Dmdnp利家の特技と言えば槍働きぐらい
字も読めない利家が治世の能臣なわけない
戦国時代が終わってこいつが何やったって言うんだ
0484人間七七四年
2007/05/19(土) 00:29:11ID:u8DZsv5d夫のケチを松が窘めたらしいが
0485人間七七四年
2007/05/19(土) 00:44:02ID:YEb86Qxuぁあ…キム出るっ、キムサワ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!キッ、キムッ、キムゥゥッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!キムッ!!キッ、キムゥ、キムゥゥ!!!キムサワ見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいキムサワ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…キム出るっ、キムサワ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!キッ、キムッ、キムゥゥゥゥゥゥ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!キムッ!!キッ、キムゥ、キムゥゥゥ!!!キム見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいキムサワ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…キム出るっ、キムサワ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!キッ、キムッ、キムゥゥゥゥゥゥゥゥ!
0487人間七七四年
2007/05/19(土) 11:23:53ID:DCDmzMu9信長秀吉家康という偉人全員をたぶらかし
100万石を維持させた手腕は当時でも随一の切れ者の証拠である
さらには東国の支配を家康と一緒に行い数々の功績を挙げている
(蒲生家問題などいろいろ)
戦場でも常に算盤を使い、なんでも計算して行動するという几帳面ぶり
これだけ見ても利家の頭が良いことは明白であろう
だからこそみんなから慕われたのです
強いうえに金持ちで頭がよく容姿も渋いときてる
利家は最高の漢だったのです。
0488人間七七四年
2007/05/19(土) 13:30:58ID:XEgLVvMv0489人間七七四年
2007/05/19(土) 16:59:34ID:zz6LL2uiなぜですか?
0490人間七七四年
2007/05/19(土) 17:29:36ID:Un4Dmdnp信長にはケツを差し出し
秀吉には娘を差し出し
家康には惨めに拝み倒して哀れみを乞う
でも無視され、利長は母親差し出して助かる
なんても薄汚い家である
0491仙台藩百姓
2007/05/19(土) 17:51:12ID:CVV5iyudほほう、それは知らなかったお( ^ω^)
花の慶次で利家が戦場で必死に算盤弾くシーンに爆笑したけど
てっきり算盤が得意な利家への当て付けかと思っていたお
あながち作者の創作でもなかったと言う事かお( ^ω^)
0492人間七七四年
2007/05/19(土) 18:43:07ID:Z4OYJOCA歴史上の人物をバカ呼ばわりしてれば
自分がそれらより偉くなったような気分にでもなる痛い人なんだろ
2ちゃんねらーの最低人種よりは全ての歴史上の人物のほうが優れてるよ
0493人間七七四年
2007/05/19(土) 18:45:27ID:Z4OYJOCAコンピュータは電子計算機だしな
計算機の元祖はソロバンだしな
今でいえば常にコンピュータを扱う武将みたいなもんだしな
0494人間七七四年
2007/05/19(土) 19:21:32ID:BwbmoeWy暇さえあれば算盤を弾いて金儲けのことを考えてた利家公
嫁さんには「お金儲けのことばかり考えて情けない」なんて言われちゃったりしてます
財テク大名利家公最高です!
0495人間七七四年
2007/05/19(土) 19:29:28ID:Un4Dmdnp無駄を省くのが節約だが
ケチは必要な物にも金を惜しみ
ひたすら私腹を肥やす者を言う
もちろん利家はケチの方である
0496人間七七四年
2007/05/19(土) 19:46:45ID:Fo9foAZq0497人間七七四年
2007/05/19(土) 23:23:52ID:OlpBD33sいやー当時はろくに計算も出来ず、領地を増やそうと家来を雇いすぎて
国を潰す武将が多かった時代に、領地をまとめてさらに他国の大名に
金を貸せるほど財力のあった大名の方が珍しかった。
ケチなら金を貸す訳無いだろ。返ってこないような金を。
(返してこない典型が政宗だったんだし、ケチとか言われたくねー)
0498人間七七四年
2007/05/20(日) 18:20:36ID:6yD09m7k理解出来ないバカが多いんだろうな
武将ってのはいっぱい人を殺したほうが偉いんだよ
金儲けとかサムライのすることじゃねえ
みたいな無双厨とか
0499人間七七四年
2007/05/20(日) 18:29:59ID:NTEjYn7Dつまり利家さんは一向宗徒を大虐殺したので、偉くないわけですね?
侍の風上にも置けないですなあw
ちなみに利家はショウカとは全然違うポジションと働きをした人間です。
0500人間七七四年
2007/05/21(月) 04:17:01ID:jDzMQplk殺した人は偉くない にはなりませんよ?
そんなこともわからないのですか?
0501人間七七四年
2007/05/21(月) 06:49:59ID:8wTw6m2P0502人間七七四年
2007/05/21(月) 22:20:58ID:P+BvuN78金儲け?が馬鹿にされてたなんて真っ赤な嘘。
武将だってやりくり上手なやつの方が大成してる。
特に金は貯めないと、何も出来ないだろ。
0503人間七七四年
2007/05/21(月) 22:53:42ID:2ZmMV319てのプライドを一番に考えて死んでいった武将達が能無し呼ばわりされてる
わけだ。
0504人間七七四年
2007/05/21(月) 23:09:51ID:Z6t1FluC0505人間七七四年
2007/05/22(火) 01:35:40ID:M70iLPYl二番目は加賀前田家かもしれんな
織田も秀吉も最後があれじゃ
0506人間七七四年
2007/05/22(火) 06:28:47ID:PrBAWCqKでも1番の勝ち組は幸村や慶次などの創作で大活躍したやつだと思うw
0507人間七七四年
2007/05/22(火) 13:58:48ID:201TrJPX死後に創作で英雄になっても何の意味も無い
ゴッホの人生を幸せな人生だった って言えるやついるか?
0508人間七七四年
2007/05/22(火) 16:39:09ID:P8CHYWU6諸大名から参賀の礼を受けた最絶頂期があるから満足してるかな。
御家も結局存続したし。
利家の遺言通りにしてたら改易されてた可能性高いから利家の功績というよりは
まつや利長の機転のおかげだろうけど。
0509人間七七四年
2007/05/22(火) 18:37:08ID:4Z81a6pl利家の功績とも言えるな
0510奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/22(火) 21:18:19ID:KNhJ3ObA0511人間七七四年
2007/05/22(火) 22:20:50ID:DG8u8+my0512人間七七四年
2007/05/22(火) 23:33:04ID:i91w0FXjそんなこと言い出したら信州松代藩なんか真田信之の子孫じゃないんだが。
そんな例はどこにだってあるよ。
江戸将軍家だって直系では無いし。
0513奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/22(火) 23:36:24ID:KNhJ3ObA加賀百万石は利常の守成によるもの。>>509だけが気に入らなかっただけだよ。
0514人間七七四年
2007/05/23(水) 00:17:52ID:IfWRR2+Sと言えば良いのになんでわかりにくい言葉でレスするかな
0515奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/23(水) 00:18:40ID:Dly3I9pi0516人間七七四年
2007/05/23(水) 00:19:08ID:IfWRR2+S江戸幕府が250年存続したのは秀忠家光の手腕によるもの
とも言えるな
0517人間七七四年
2007/05/23(水) 16:52:56ID:+P4jRbAz(犯人を射殺しなければそんな臆病でどうする 殺せばこの人殺し)
>>511
利長の奥さんになった信長の娘だっけ?
0518人間七七四年
2007/05/23(水) 17:53:39ID:KE98KMkp単に語彙が無いだけだろ
「生き抜く」、「子孫」の単語でどうやって
加賀百万石は利常の守成によるもの
とレスを読む人に解釈させられると思うのがおかしい。
>>508-510
の流れを見れば>>512のようなレスされるのは当然。
0519人間七七四年
2007/05/23(水) 22:25:02ID:IfWRR2+S0520奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/05/23(水) 22:26:39ID:Dly3I9pi語彙について突っ込まれるのが5年ぶりくらいなんで、正直驚いてる。
0521人間七七四年
2007/05/24(木) 06:46:29ID:l3IKDrul>>511>>517
主君が死んでもその姫の影響力って大きかったんだろうか。
利長は女は抱いていたけど永姫に気い遣って側室は置かなかったって話もあるし。
0522人間七七四年
2007/05/24(木) 15:23:18ID:MD8k4lj90523人間七七四年
2007/05/25(金) 15:45:01ID:gtK/5ywi0524人間七七四年
2007/06/05(火) 21:25:35ID:03vPHJb90525人間七七四年
2007/06/07(木) 19:57:05ID:5kwa5s29前田土佐守史料館で「芳春院と前田直之(利政の息子)」っていう企画展示やってるよ。
0526人間七七四年
2007/06/08(金) 00:20:25ID:QfO/AE2F秀吉や信長からの手紙やなんやらあって面白かった。
0527人間七七四年
2007/06/08(金) 14:10:37ID:hFBW7FXFっていうツッコミはタブーなの?
幕藩体制が始まったのは利家の死後だなんて皆さんご存知の通り
利家が金沢に入ったから初代藩主だなんて言ったら
薩摩藩の初代藩主は何時代の当主になるんだって事になるんだよね
0528人間七七四年
2007/06/08(金) 14:26:05ID:3gEMjGYH初代藩主は利長、利家は「藩祖」と呼ばれる立場
0529人間七七四年
2007/06/08(金) 15:52:50ID:hFBW7FXF藩祖だなんて言ってるのは聞いた事ないけど
0530人間七七四年
2007/06/08(金) 19:33:33ID:QhFMZFzm元服してから親元から加賀へ引き取られたのかな
それとも元服前?
0531人間七七四年
2007/06/08(金) 20:19:26ID:hFBW7FXFそれでも石高は下だけど八家筆頭、かつ家格も藩主以上とまで呼ばれた直之系前田氏が結構好き
0533人間七七四年
2007/06/08(金) 21:33:24ID:85uaCOeO軍艦は全部戦艦
軍用機は全部戦闘機
でいいんだよ
0534奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/08(金) 21:43:07ID:0YxFTYHP0535項龍 ◆Sw15bzOP8.
2007/06/08(金) 21:47:30ID:veDupw3m大体こんなもんじゃないの?
土岐氏>>斉藤氏>>織田氏>>羽柴氏>>織田氏
0536人間七七四年
2007/06/08(金) 21:49:05ID:EBitsTTz結局、藩を安定させたのは、妾腹の子という皮肉。
0538人間七七四年
2007/06/08(金) 23:45:40ID:85uaCOeO小泉の人気アップのために バカ演じた森とかみたいに
利長兄さんのやったことを真似して
晩年は 利常もヒゲをはやしてバカ殿を演じてました
0539奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/08(金) 23:58:27ID:0YxFTYHP「徳川は三代家光公のほかに、正室所生の将軍は一人足りとおりませぬ」
0541名無しさん@お腹いっぱい。
2007/06/09(土) 00:42:12ID:nw/vEirHほら術中に落とされてる。
0542人間七七四年
2007/06/09(土) 15:02:41ID:svo3W6Iu0543人間七七四年
2007/06/09(土) 17:54:48ID:XZGsbGSyその人はさ 江戸幕府がいずれ滅ぶのを予言したんだよ
あの時点では 天皇家みたいに千年から八千年も江戸幕府が続くもの って考えてないとおかしいけどな
>>541
固いチーズ食わされた にのときは
ホワイトハウス以下の茶番だと思ったな
0544人間七七四年
2007/06/09(土) 18:23:34ID:P4S/fYLy0545人間七七四年
2007/06/09(土) 21:40:28ID:6MQkdKjk0546人間七七四年
2007/06/10(日) 00:20:14ID:JTBxP0cq0547奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/10(日) 00:27:09ID:oNo3qiLe0548人間七七四年
2007/06/10(日) 01:35:36ID:iY6OaMFs比較対照はそれまでの「誰がやっても同じ」な歴代総理で十分。
森が馬鹿を演じる必要性は全くない。
0549人間七七四年
2007/06/10(日) 03:43:19ID:NHM9+Qto俺もあの当時はすっかり騙されたぜ
当時の大名も 利家にコロっと騙されたんだろうな
0550人間七七四年
2007/06/10(日) 04:35:29ID:QznYuyYGぶっちゃけ言動自体は演技じゃなくて森の素ですからw
鼻毛の殿様みたいに狂態は見せ掛けで実は凄い、と思わせるような実績でもあれば別だけどね
0551人間七七四年
2007/06/10(日) 23:19:26ID:tcreH+5z実際政界で馬鹿にされてる訳じゃない。
今でも充分裏政治の中心にいるし。
0552人間七七四年
2007/06/11(月) 19:26:24ID:DY/x1rzq反抗勢力追い出し選挙のときは
こうやって小田原合戦になったんだな と つくづく思った
なんで秀吉に北条は喧嘩なんか売っちゃったんだろう? と思ってたけど
0553虎之助
2007/06/14(木) 14:02:09ID:f/aQ8/Gwがあるんや!秀吉が何人来ようと負けんわい!
↑が理由やろ。
0554人間七七四年
2007/06/14(木) 18:57:15ID:NgDHGFiGと思ってたら 解散(&刺客)
離党組も北条氏も「マジかよ?」と思ったことだろう
0555人間七七四年
2007/06/16(土) 05:48:11ID:Hr9ijrmNタヌ吉に服部君とトンボが居て
タヌ吉が二人に「斬れるか?(利家を)」
と聞いた所二人が
「我々の命と引き換えならば」
と答えた
ってな話をどっかで聞いた気がするんだけどよ、お前ら知らないか?
多分なんかの小説だった気も
0556人間七七四年
2007/06/19(火) 11:17:47ID:8SuDq5gq0557人間七七四年
2007/06/19(火) 12:54:20ID:oE230kud0558人間七七四年
2007/06/19(火) 17:34:01ID:g3xg7GhR0559人間七七四年
2007/06/19(火) 23:10:57ID:C9NQ3EiA0560人間七七四年
2007/06/30(土) 21:18:27ID:aKVmg3hI中国は 関羽(三国志)だそうだ
0561人間七七四年
2007/07/01(日) 00:40:59ID:GAe3Z6/M0562仙台藩百姓
2007/07/01(日) 02:00:15ID:CMdmr2dB結局信玄だ元就だと言っても利家と大差ない
0564人間七七四年
2007/07/01(日) 13:02:38ID:ubcuJCmF0565人間七七四年
2007/07/01(日) 19:48:07ID:4UyrD01jそのほうがスレが荒れるから(自作自演で喧嘩もやりたい放題)
都合の悪い発言に関しては あれは偽物です で逃げられるし
0566仙台藩百姓
2007/07/01(日) 20:44:00ID:CMdmr2dB織田とか結局小大名だしー
豊臣も滅亡(≧ω≦)プッ
徳川も70万石まで落ちぶれたしー
100万石保った前田に比べたらウンコ※だおねンコー
(※家康は元からウンコ君ですが)
田舎で細々やってた元就やら氏康やら知らんけど
トッスィーは全国支配した政権の大老ですお
格が違いますお格がっ( ^ω^)
0567人間七七四年
2007/07/06(金) 23:41:30ID:T2KYrjJ40568人間七七四年
2007/07/06(金) 23:47:35ID:6SvRYOlm,. ‐''"´ 加賀 ``'‐.、
,.‐´ o `‐.、.
,/ / ̄ヽ. \
. .,/ チョー大都会 ヽ___/ . ヽ、
,|:: ヽ
.,|::::: ――― ――― ―――. ヽ
.|::::::::: ――― 二二二 ――― ○. . ;;;;;;;|
;|;;;;;| 金 沢 |;;;;;;;;|
|;;;;;;;| ___ ノ \ ____ . |;;;;;;;|
|;;;;;;/ ノ  ̄ ̄ ::::::ヽ /::::  ̄ ̄ ̄ヽ .ヽ;,-、
,-、;/ . :::::::| | ヽ |
| |:::.:::::: / ● \:::::| | / ● \ | |
| |.:::  ̄\ /::::::| | \ / ̄ | |
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| |::::::: ..::| | |/
ヽ|:::::::: 払 /:/ \ ヽ 汚 |
.l::::::::::::. / ::ヽ 能 登 ノ ヽ |
|:::::::::::. ___ |
|::::::::/`ー---‐^ヽ | :|
.|:::::::l::: l ________ノ /
_ ,--、l::::. ノ:::: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /
0569人間七七四年
2007/07/07(土) 01:34:49ID:jIVDutU20570人間七七四年
2007/07/12(木) 20:00:44ID:H+M/Uq3S幕末から明治かけての加賀藩の影の薄さは異常・・・
加賀100万石にもかかわらず日和見しかしなかった
というか藩主がボンクラしかいなかったからかwww
そのためか明治の華族制度での前田家の爵位は侯爵(弟2位)にすぎないw
ちなみに島津家と毛利家は公爵(弟1位)
これは明治維新の立役者としての功績があるからで
島津家にいたっては分家の久光家まで公爵になっている
つまり 島津分家>>>超えられない壁>>>加賀100万石前田本家www
明治の華族制度においては加賀100万石前田は島津分家にすら敵わないwww
m9(^Д^)プギャギャギャギャーーー
0571人間七七四年
2007/07/13(金) 11:53:57ID:ixbltQIb明治以降に活躍した華族なぞほとんどいないし
0572人間七七四年
2007/07/13(金) 19:14:28ID:CR18SkWB0573人間七七四年
2007/07/14(土) 10:56:53ID:eMvBnuEmコテハンやめたのか
0575人間七七四年
2007/07/22(日) 21:33:35ID:ubFrF2za0576人間七七四年
2007/07/24(火) 08:36:11ID:JtcpPdvl0577人間七七四年
2007/07/24(火) 16:25:37ID:P1Vv0M+c0578人間七七四年
2007/07/26(木) 02:57:14ID:rF6jPwb90579人間七七四年
2007/07/26(木) 03:39:05ID:sQQb8kmI0580人間七七四年
2007/07/26(木) 07:26:46ID:TlucX/D6まず租税が非常に高い。全国でもトップレベルというくらいに。
金沢という町は江戸時代は江戸、京都、大阪、名古屋と並ぶ日本五都だったのに
非常に閑静だった。
藩が風俗業を禁止したからだという。
名古屋から来た侍が金沢の町を見てあまりの閑静さに驚いたという話がある。
武士には文化的な意味での奢侈を奨励したが収入が高くないので、
衣食を切り詰めてまで美術工芸品で家を飾ったという。
あと、所領の加賀、能登、越中のうち金沢近辺のみを贔屓し
他の地域には重税などを行いつらくあたった。
特に佐々成正の領地だった越中にはかなりの酷政を行い、
その鎮静効果か知らないがたくさんの被差別部落を作った。
おかけで富山県は今も部落問題が深刻。
0581人間七七四年
2007/07/26(木) 07:34:35ID:TlucX/D6>加賀100万石を幕末まで維持したのは凄いとは思うが・・・
別に凄くないだろ。
三国志の劉禅と同じで無能だったから放置されただけ。
0582人間七七四年
2007/07/26(木) 08:02:59ID:TlucX/D6それと薩摩藩はまだしも長州藩は
藩主はボンクラで藩士が頑張っただけだ。
というか藩主はほとんど国政にタッチしてなかった。
薩摩藩も斉彬はともかく
久光は「いつ征夷大将軍に任命されるのか?」とか言ってて
廃藩置県の時に「西郷、大久保にしてやられた」と怒り狂った
逸話から言ってDQNぽいが。
0583人間七七四年
2007/07/26(木) 14:58:11ID:Ol0w+Vt6徳川幕府に無能と信じ込ませることに成功した 髭の殿様は優秀だなw
0585人間七七四年
2007/07/26(木) 15:04:26ID:Ol0w+Vt6玉姫(後の細川ガラシャ 明智光秀の娘)かと思ったw
0586人間七七四年
2007/07/27(金) 16:57:32ID:DNRxRjkH利家「おやかたさま〜!!!」
0587名無しさん@お腹いっぱい。
2007/07/27(金) 17:24:26ID:TbrJDgP5つーか長州藩には江戸中期くらいから明かに保守派と改革派の2大政党制みたいなのが出来ていた
(特筆すべきはおのおのの党派を構成するものたちが、自分達の属するものを「党」と認識していた)
0588人間七七四年
2007/07/28(土) 20:02:52ID:49ZL3jvf以前NHK教育で加賀藩の武士の話をやっていたが
税は結構軽かったという話だったぞ
0589人間七七四年
2007/07/28(土) 20:26:49ID:SrdC18ze近江に飛び地有った利点生かして京都でそれなりにリーダーシップとれていたけど、
国元で保守派が派閥争いに勝利して改革派一斉処分、同志全滅した藩主発言権無くして、
以降は保守派の傀儡にされちまったって話だねぇ。
0590人間七七四年
2007/07/28(土) 22:53:21ID:xxvA7k3l高いよ。地元の北國新聞にも高いと書いてあった。
NHK教育の方が間違いなんだろう。
それともう一つは地域による税率格差ね。
0591名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 19:40:54ID:Vxqr/50Q越中は戦争で獲得した植民地だから、がっぽり搾り取る。
こんな感じだっけ。
で、食うに困った越中人が薬の行商に出かけたと。
0592名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 20:02:26ID:HKtyUd8g明治に入って外国から治水技術を導入するまでひどい土地だったんだ。
(この治水事業をするのと交通事業を進めるのとでもめて石川県と富山県に分裂することになる)
売薬業はあまり農耕向きではない土地から収入を得るための地場産業として
越中藩主の前田正甫が積極的に基礎作りをしたんだよ。
あと、製鉄業を始めとする産業奨励もやっている。
このおかげかどうかは判らないけど、富山は軽金属産業では日本海側でトップだよ。
0593名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 20:17:29ID:Vxqr/50Q0594人間七七四年
2007/07/29(日) 20:35:54ID:HKtyUd8g前田藩の税率は確かに高い。
資料を見てみると60〜70%というのがごろごろ出てくる。
六公四民じゃな。
ただ、改作法には貧農の救済として、借金の帳消しや農業資金や食料の貸付
勤勉な農民に農地の配分などを行っている。
ただ、この税率、農民が限界まで働くことを前提とした税率なので
ひどいといえばひどい代物。
まぁ、何かといえば幕府に色々要求されていたから、財政火の車だったし。
0595人間七七四年
2007/07/30(月) 22:01:47ID:dirA4HBn越中が農耕に向いてない?
はあ?
越中の石高は加賀と能登をあわせたより多いんだけどな。
0596人間七七四年
2007/07/30(月) 22:04:29ID:dirA4HBnh
ttp://www.geocities.jp/yuujirou8/siro/Gallery-10-14-1.html
0597人間七七四年
2007/07/30(月) 23:39:07ID:BshA/VYS中学の体育ですぐそばを走ってるけど
夕方はちょっと怖い
0598人間七七四年
2007/07/31(火) 02:12:35ID:knb92pXC普通の墓だよ。
別に怨念を持って死んでいったとかでは全然ないから、
別に怖がる必要はない。
0599人間七七四年
2007/07/31(火) 03:28:13ID:aTlKaq5jもう少し調べてごらん。
この石高、米の出来高とはイコールじゃない。
0600人間七七四年
2007/07/31(火) 07:05:29ID:knb92pXCそうやって人を見下ろした程度で自分を知識人のようにふるまって誤魔化す奴が多いよね。
匿名掲示板2chなんて小学生が書いてるのか大学教授が書いてるのかわからんところだしさ。
つーか、そういうものの言い方は「質問を質問で返す」のと変わらんのじゃない?
現代も水害だらけのバングラデッシュが大食料生産地帯なのと同じく
山がちな加賀、能登とは比較にならないくらいに恐ろしく広大な富山平野が穀倉地帯だったのもは事実だ。
そもそも水害の多い土地は土地が肥沃だ。水害の難と肥沃な土地ってのは裏返しだよ。
0601人間七七四年
2007/07/31(火) 07:11:36ID:knb92pXC暴れ川がたくさんあって水害が多いが、
大農業地帯だしさ。
0602人間七七四年
2007/07/31(火) 07:29:19ID:6LVRaUTV>592が言っているのは越中藩の婦負郡と新川郡、今で言う呉東の事では?
呉西は古くからの穀倉地帯だし。
元々売薬の話の流れだから越中藩の話と見るべきだと
0603人間七七四年
2007/07/31(火) 08:04:23ID:6LVRaUTVおちつけ。
越中藩は常願寺川と神通川流域の富山平野をほぼ含む婦負郡と新川郡の一部で10万石だ。
(新川郡は新川平野、呉西は射水平野と砺波平野)
内、米による収入は2万石、小物成などの現金収入が1万石相当。
本来なら4万石+α相当の収入がなくてはならないのに3万石でやりくりせねばならず、常に火の車だった。
あまりにも水害が多いので佐々成政が治水事業を行い、また歴代の越中藩主も治水事業を行ってはいるけども。
富山平野が穀倉地帯なら、これほどひどい収入にはならないよ。
地元なら博物館とか行けば資料が見れると思うんだけど、洪水が起こると水だけではなくて大量の土砂も流れてくるんだよ
標高3000メートルクラスの日本アルプスから。川の長さは56kmしかない。(常願寺川)
田畑も家も埋まってしまうんだよ。
明治期からずっと今でも砂防工事が続いてるよ。国の直轄事業になってる(1926年〜)
ほかにも早月川とか黒部川とか札付きの河川があるしなぁ
富山平野が穀倉地帯になるのは、明治以降。
呉西は昔から穀倉地帯だよ。税率が6割超えるのは呉西に多い。
0604人間七七四年
2007/08/01(水) 07:47:32ID:lstlucms収入がままならないので能美郡からの収入で何とかせよ、といった意味もあった。
婦負郡百塚に城を造ろうとしたけど、資金難で頓挫。加賀藩の富山城を借り受けることになった。
領地の外に城があるのはあまりにも不便なので富山城と付近の領地を能美郡と交換することになる。
でも富山城の別名が浮城というくらいで、あのへん頻繁に水に漬かったんだこれがww
こちらも神通川の流れを変えることでようやく好転する。明治になってからの話。
0605人間七七四年
2007/08/01(水) 09:00:13ID:tUo++c7+そんな能美郡を流れる手取川も中々の暴れ川で
とある村では草高が15%も低下したのが記録に残っている。
洪水で荒地になって耕作不可能になっとるんだね。
0606人間七七四年
2007/08/02(木) 20:25:56ID:8Kb34DeDだから、もう少し調べてごらんといったのに…
ちょっとググれば判る事なのに。
地元の人間なら小学校の社会科や課外学習で学ぶから、ほぼ常識だし。
最近は知らんが。
>>604
交換した領地には富山城付近の舟橋の他に水橋岩瀬がある。
岩瀬は三津七湊のひとつで北前船交易で栄えた港町。
江戸末期には売薬と交易で年間20万石の売り上げを誇っていた。
水橋の廻船問屋は水害で困窮していた農民支援ちょくちょくを行ったりしている。
富山の人間が前田家に愛憎入り混じった感情を持っているのは、前の領主の佐々が治水などに力を注いだので
前田の代になっても慕っていたことと、それに対して過度の警戒をしたこと。
収入を得るために稲作に不向きな土地で無理やり稲作をやらせたこと。税が高かったこと。
まぁ、そのせいというかお陰で、稲作にこだわりを持つようになって
明治以降、大規模な灌漑と土地改良で扇状地でも稲作が行えるようにしたので
今でも稲の作付け面積割合は日本一だよ。
0607人間七七四年
2007/08/07(火) 17:28:11ID:mvVIgSie豊臣政権内では家康と並ぶ最高格だったし。
他大名からの評価も抜群。武断派官僚派どっちも利家には頭上がらず。
大坂城で秀頼の守役だし。家康が手を出せなかったのもうなずける。
利家と戦う=豊臣全てを敵に回すだからな。
0608名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/07(火) 17:42:53ID:e6txtD+gそれでもいざ家康と対立すると、あっさり頭を下げに行ったけどな。
0609人間七七四年
2007/08/07(火) 18:55:57ID:io/b4NB1戦えば勝つか負けるかは半々として、仮に勝ったとしても、徳川相手だと大打撃。
その後の日本を取り仕切るだけの力を維持できない可能性が高い。
なにより、家康の子供や家臣は粒ぞろいで磐石だが、利家側はといえば、ちと見劣りする。
自分が死んだ後考えると、ガチでやるより頭下げたほうが家名残せると。
0610人間七七四年
2007/08/09(木) 23:35:43ID:A8E/9Gz5頭下げたのは家康だろ。
0611人間七七四年
2007/08/10(金) 02:46:10ID:XKeJiBse利家もまだ健康だったし
まあ蒲生、宇喜多、浅野、加藤、細川、立花、森は確実に利家側だろう
毛利、小早川、上杉、島津、佐竹、最上、鍋島あたりも利家健在なら家康側には
つかないだろう
0612人間七七四年
2007/08/10(金) 06:07:39ID:Eq2KVA0S秀次がいただろう。大義名分が秀次だから前田は動けない。
0613人間七七四年
2007/08/10(金) 08:18:56ID:hJ3Ja3n5家康も苦労人だが、極悪な顔がちらつく。
0614名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/10(金) 11:56:21ID:vd8XtLhR> 家康も苦労人だが、極悪な顔がちらつく。
まるで利家が極悪で無いかのようなw
つーか、「いい人」が戦国時代を生き延びれるとでも思っているのか?
0615人間七七四年
2007/08/10(金) 11:59:56ID:TgNpBs4m0616人間七七四年
2007/08/10(金) 12:09:29ID:sm66Unf50617人間七七四年
2007/08/10(金) 12:37:25ID:ZZ2NqiD1今や名古屋はドキュン産出主要国。
あ、でも信長さまってドキュンぽい。
0618人間七七四年
2007/08/12(日) 17:29:09ID:KQlcoEqQ0619名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/14(火) 20:43:33ID:an45i2gr若き日の信長。
0620人間七七四年
2007/08/15(水) 05:07:26ID:ZIZp2qSU0621人間七七四年
2007/08/16(木) 19:53:35ID:iyiXbuXx豊臣家とのつながりを警戒されていたのも一因らしいが
秀忠に媚びへつらうのも嫌だったのも理由みたいだな。
豊臣時代は自分の方が格上だったとの認識があった…。
0622名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/16(木) 22:40:16ID:lso+8U1C> 秀忠に媚びへつらうのも嫌だったのも理由みたいだな。
> 豊臣時代は自分の方が格上だったとの認識があった…。
「そんなだから駄目なんだ」と言う感想しか出て来ない。
0623人間七七四年
2007/08/17(金) 04:32:51ID:i4IbyxAI利常と珠姫との婚礼のお礼に秀忠の所へ挨拶に行った折、
思い切り持ち上げたと思ったら、思い切り突き落とすという真似をされたからなぁ。
ただ、利常へ代替わりするときは「仕事を投げ出す」にしては準備を入念にやってるし、
代替わり後は内政や外交面で利常のサポートを行っている。
利長もそれほど単純ではないと思われ。
0624人間七七四年
2007/08/19(日) 09:30:14ID:rES8ipeQ|:::::┏━━━━┓ ┏━━━━┓:::::|
|::=ロ -=払=- ┣━┫ -=払=- ロ=::| ピキピキッ・・・!
/|:::/ヽ /ノ ヽ / ヽ|ヽ
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ヽ| (. o⌒o .)● .|ノ
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|. \. └┴┘ ./ .| < 金沢をけなす奴は金沢から出て行け!
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\ ´ ̄ ̄ ̄` ./ ハァハァ・・・・
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0625人間七七四年
2007/08/19(日) 12:58:00ID:y0A9MMVk七日市藩祖前田利孝は大坂の陣で活躍したというが、どんな活躍したか詳細を書
いてある史料ってありますか?
0626人間七七四年
2007/08/24(金) 16:49:16ID:9GrK1hNJ0627人間七七四年
2007/09/01(土) 15:04:42ID:hMxiXNBh0629人間七七四年
2007/10/05(金) 00:18:45ID:tLUJWAlz利家もこんな感じだったんだろうな
0630人間七七四年
2007/10/10(水) 15:41:35ID:oGz26LwK0631人間七七四年
2007/10/11(木) 01:00:51ID:HzmBeWdw0632人間七七四年
2007/10/29(月) 21:58:43ID:KSpFcBW40633人間七七四年
2007/10/30(火) 21:19:41ID:Tx+Ihoj8ホリエモンみたいな若造とかじゃなくて
業界の重鎮の大御所(フロッピーと穴あきテープの頃からプログラマーだぜみたいな)
のイメージだな
0634人間七七四年
2007/10/30(火) 23:13:08ID:tWxQi8TAこれが現存する日本最古のソロバンといわれている
ソロバンは1570年頃中国から伝来したがこれによる計算力の飛躍的な向上が
検地の集計や朝鮮出兵の大軍派遣の必要経費算出にどれほど役に立ったか想像に余りある。
>>633氏の言い分はまったく納得がいく
0635人間七七四年
2007/10/31(水) 10:37:06ID:lDB3g2BZ利家はなあ・・
0636人間七七四年
2007/10/31(水) 12:45:48ID:zcixXOO2それ以降がイマイチぽ
0637人間七七四年
2007/10/31(水) 14:10:52ID:a8vVdIo3同じ前田家でも加賀と越中はかなーり仲悪かったらしいね
本家の加賀100万石を守り抜く為の演出だったかもしれないらしいが
越中の前田家も江戸-明治初期までは国内の情報集合基地なんだしどっちが優れてたとは
一言で言い切れないけど両方ともたいしたものだよ
歴史捏造を除いてはね(笑)
0640人間七七四年
2007/11/03(土) 20:02:51ID:LoNM0p6s初代藩主 利長
2代藩主 利常
利家は藩制度が成立する前に死んでます
0641人間七七四年
2007/11/03(土) 22:44:38ID:yZXzt5O20642名無しさん@お腹いっぱい。
2007/11/04(日) 01:05:29ID:0OQi5X4C利家は野心満々だったぞ。大名居並べて秀頼を膝の上において一同に平伏させるって言う、秀吉が三法師で
やったアレと全く同じ事やってるし。豊臣の天下を簒奪する気は満々だったと思われる。ただ寿命が付いて
こなかっただけ。
0643人間七七四年
2007/11/04(日) 05:17:51ID:A+BQzPFt0644人間七七四年
2007/11/20(火) 01:19:14ID:P7wPsSR/織田家筆頭の柴田・丹羽・佐久間・滝川・明智(・羽柴)あたりは子孫にほとんど何も残せてないってのに。
0645人間七七四年
2007/11/20(火) 14:21:27ID:yyuSTTiB0646人間七七四年
2007/11/20(火) 22:32:58ID:JVeh3Lhs差はあるけど。
0647人間七七四年
2007/11/21(水) 17:12:07ID:SgIROnTN0648名無しさん@お腹いっぱい。
2007/11/23(金) 21:31:59ID:VG8lX5Dd> 磯田道史「武士の家計簿」
>
> 去年NHKでチョットだけ見て、本を買ったがマジおすすめ。
> 金沢藩御算用方・猪山家文書、家計簿による武家三代の記録。武士の家計の三分の一が
> 身分費用比(交際費)で占めて、常に困窮し武士より、その草履取りの方が収入が多かった。
> 武家の三分の一が離婚するため、武士とその妻との財産が別立てになっていた。
> 本家、分家の関係よりも娘姉妹、養子縁組による婚姻関係で出来た横の家の結びつきが
> 重視された。自分の知行地がどこにあるかも知らない武士がほとんどで、ヨーロッパ的
> 封建制とは、とても同一視出来ない。それゆえ大規模な農民反乱もおきず、明治維新の改革も
> スムーズにいった。そして、またヨーロッパのように中小貴族が土地所有者、財産家として
> 近現代まで生き残れたのに日本はそうならなかった、など世界史との比較も出てくる。
> それと磯田さんは文章が上手いというか面白くて読みやすいわ。
0649人間七七四年
2007/11/30(金) 14:26:32ID:R8opHuHl0650名無しさん@お腹いっぱい。
2007/11/30(金) 15:59:24ID:xl9/WS1u0651人間七七四年
2007/11/30(金) 17:22:20ID:Ftvh2IZk時勢を読むのが神がかってる
0652人間七七四年
2007/11/30(金) 18:08:34ID:yXEE45Sb間違いなく優秀だったはず。
0653人間七七四年
2007/12/01(土) 23:24:21ID:xd7IA+rcファンのウケは悪いだろうな
0654人間七七四年
2007/12/01(土) 23:54:07ID:ynMbTXTn滝川一益>利家≒佐々成政
こんなもんなんじゃないの?
0655名無しさん@お腹いっぱい。
2007/12/02(日) 01:52:07ID:tDkbYHhHまかされてた領地や権限を考慮すれば
滝川>>佐々>前田
こんなもんだろ。
0656人間七七四年
2007/12/02(日) 13:49:10ID:IgF9BQpeなぜか重要視されて出世していく
0658人間七七四年
2007/12/03(月) 12:06:25ID:lm67nlQQしかし特技そろばんな利家と上記2名を比較する事自体不毛
0660人間七七四年
2007/12/04(火) 01:19:41ID:RfHQcK/uクリステルのじいちゃんって
本能寺以降 急激に没落していったけど
なんで?
0661人間七七四年
2007/12/04(火) 07:33:57ID:bpvJh/Nh0662人間七七四年
2007/12/04(火) 07:47:39ID:bpvJh/Nh務め人の適正に関しては全然ないというのもよくある話
秀吉なんかどっちも大成功したからほんとの天才だな
晩年はボケちまったが
0663人間七七四年
2007/12/04(火) 07:50:47ID:bpvJh/Nh務め人としてはさえない一生を送っていたと思う
最悪主君から殺されてあぼーん
0664人間七七四年
2007/12/04(火) 12:48:00ID:ewWmpbZMこいつが才覚を試されたのは秀吉死後の徳川との対立くらい。
あとは基本的には地味。
もちろん堅実だとは思うが。
0665たられば君
2007/12/04(火) 13:23:54ID:BmT72pzK織田家をのみこんだ秀吉にとって旧主筋を政権参与にはできず、信雄は改易・秀信は高家扱い。
政権成立時に旧織田家臣で最上位格だったのが前田と蒲生。
丹羽は長秀死亡、滝川は雄利に継がせて家格低下、佐々は改易。
信長の婿は遠方へ追いやり前田以下を自家に取り込んだ。
秀吉の思考を消去法で考えてみた。
0666人間七七四年
2007/12/04(火) 15:16:57ID:lwLzC7fh利家は、外国から入ってきたばかりの算盤を使い金を貯め
秀吉政権では、どんどん金を貸して相手を取り込むことに成功
そして最終的には、圧倒的な人望を得て圧倒的な武力を誇る家康ですら相手にならない状態に
力で従わせるのではなく、金で従わせるという頭脳戦略
結局は自らの病気ですべての計画がパーになったが、利家のセンスは素晴らしいものがあった
0667奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2007/12/04(火) 23:09:51ID:Rkmav0s+0668名無しさん@お腹いっぱい。
2007/12/04(火) 23:13:21ID:siCgqp5hまあ輝元は実際には朝鮮役で財政的には汲々だったようだが。
0669人間七七四年
2007/12/06(木) 21:05:26ID:l+j/aA740670人間七七四年
2007/12/08(土) 21:39:43ID:1PVLZH2e若いころは傾奇者で鳴らして、でも一族の長としてはそれではやってけなくて
努力して人格者と呼ばれるようになり大大名もなった利家からしてみれば
若いころの自分がそのまま歳食ったような慶次には一言も二言も言いたいだろ
お前いい年してなにやってんだよって、俺の苦労もわかれってw
同系統の人間だからこその確執もあっただろうと思う
0671人間七七四年
2007/12/08(土) 21:40:25ID:1PVLZH2e>>208
若い頃はそこそこいい家の4男坊で地元じゃ女にモテるわ喧嘩は強いわで好き勝手やってたが
兄貴分の先輩が自分んちの親会社である会社を継ぐとそのままそこに就職
しばらくは若さに任せて無茶やってもそれが褒められていたが
ある時先輩の逆鱗に触れて会社クビ
結婚したばかりの妻と生まれたばかりの娘を抱えて2年間のフリーター生活
復帰してからは以前とは別人のようにマジメのコツコツと働き順調に出世
実家には自分と年の変わらない義理の甥のオッサンがいたが
そんな奴に子会社は任せられないと社長の命令で自分が引き継ぎ、兄貴とオッサン激怒して蒸発
その後もコツコツ働き出世していき十年が経った頃に兄貴とオッサン帰ってくる
それなりの地位と給料与えて仲直り
しかし社長の急死で会社は分解
長年お世話になってる上司の元を去り昇り調子の同期の友人の下へ
その後はとんとんと地位が上がって気がつけば5本の指に数えられるくらいの大社長に
しかしオッサンはいつまでも若い頃の自分のように好き勝手やっている
いい加減しっかりやってくれよと言ったら水風呂入れられたと・・・
そして後世では優秀な甥っこをいじめる嫌な爺として定着
涙が出るような話だ
0672人間七七四年
2007/12/09(日) 09:09:14ID:llXYMZE50673名無しさん@お腹いっぱい。
2007/12/09(日) 09:14:50ID:qvLXB+k/戦闘員としては相当強かった
武将としては並くらい
0674人間七七四年
2007/12/09(日) 12:53:34ID:xpVyt1ND槍の又左とあだながつくくらいだからタイマンならそこそこ強かったんじゃね?
本多忠勝が「前田利家には勝てない」と言ったわけだし
0675人間七七四年
2007/12/09(日) 13:20:22ID:9ykTCI+b0676人間七七四年
2007/12/09(日) 18:39:49ID:IT3Z8a+q走って近づいてきて よお家ちゃ〜ん と背中を叩いたら
それを見た用心棒の タダカツだったか服部半蔵が 咄嗟に斬ろうとして
家康が慌てて羽交い締めにして いいんじゃ 別にいいんじゃと制止したエピソードは
何度見ても笑えるw
0677人間七七四年
2007/12/09(日) 19:16:31ID:+s12w3Jv稲生の合戦で顔面に弓受けたまま敵の首取ったり
信長のも日本無双の槍、比類なき槍とか褒められてるくらいだし
武人としては相当なもんなんじゃない?
ただ一軍を率いる将として微妙だよなあ
0678人間七七四年
2007/12/09(日) 23:24:07ID:IT3Z8a+qましてや 日本(スポーツ名)協会の会長に相応しいかどうかなんて
言わずもがな
0679人間七七四年
2007/12/10(月) 13:03:38ID:lZ2papey利家は武将としても有能だろ
しずがたけでは負け戦と見るや即行で退いたり
部下から見ればこれほど頼もしい上司はいない
退いたりするのを潔しとせずに、名誉のために突撃して全滅するイノシシ武将の部下はマジ可哀想
生きてれば名誉なんていくらでも他の事で得られるのに
0681人間七七四年
2007/12/10(月) 14:44:23ID:3AdugUL+タチ悪いな本当に
0682人間七七四年
2007/12/11(火) 07:29:01ID:7CQC/276宇喜多や松永に通じるものがあるな
0683名無しさん@お腹いっぱい。
2007/12/11(火) 07:38:27ID:DMF9BnS+アホか。寝返り者は追撃戦の先鋒をつとめるのが戦国の習いだ。
0684人間七七四年
2007/12/12(水) 12:49:45ID:Wi2ughbX0685人間七七四年
2007/12/12(水) 14:08:03ID:BQFKn6DSお前が利家嫌いなのはもう十分わかりました
0686人間七七四年
2007/12/12(水) 16:02:51ID:GKCpiE1eあの時代は家を残すのが一番の仕事
負け組に組して家をつぶすなど最低のこと
自分のプライドや相手への恩や義理をスッパリ切り捨てられる人間こそ
本当に強い人間なんだよ
0687人間七七四年
2007/12/12(水) 16:28:55ID:Osy+2jmT0688人間七七四年
2007/12/13(木) 01:12:16ID:ailu59iy0689人間七七四年
2007/12/14(金) 13:51:48ID:20a9Xb4U0690人間七七四年
2007/12/14(金) 19:24:05ID:sDmeP28Wしかし利長と信長の娘に子が出来なかったのは可哀想だったな
利常は文句なしの名君だが利家と信長の血の繋がった3代目ってのも気になる
0691人間七七四年
2007/12/14(金) 20:55:11ID:vl1b+R/Gそれよりも松の血が途切れたほうが問題だったんじゃないだろか
0692人間七七四年
2007/12/14(金) 21:30:11ID:6Rjsu6t1利長と信長の娘 という説を提唱してみる
0693奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2007/12/14(金) 22:17:57ID:ttwJXLhj0694人間七七四年
2007/12/15(土) 20:58:48ID:yvka7iBn信長の血を引く小笠原家や本多家の連中も幕府に重用されていたと思うが
0695名無しさん@お腹いっぱい。
2007/12/16(日) 04:06:32ID:83NN4gQQ0696名無しさん@お腹いっぱい。
2007/12/16(日) 04:11:17ID:83NN4gQQ0697人間七七四年
2007/12/16(日) 16:42:03ID:4nxX9IX4前田家の春日局
0698人間七七四年
2007/12/25(火) 19:19:58ID:9HYgceu70699人間七七四年
2007/12/25(火) 21:40:41ID:7KagYAav具体的なエピソードとかあるの?
0700人間七七四年
2007/12/25(火) 23:39:23ID:4Y82067W0701人間七七四年
2007/12/26(水) 07:11:49ID:esK4iDhV利長の死後、入れ替えに江戸に上った千代保とまつは
フンッ!!ってかんじで口もきかなかったって話をどこかで読んだ。
0702人間七七四年
2007/12/26(水) 09:55:36ID:YUR6eCIc松を馬鹿にしたのか?恐ろしいな〜
0703人間七七四年
2007/12/27(木) 19:18:10ID:KaHipBcz利長と信長の娘で ちょぼはその養育係(兼護衛係)
と考えると
常に真実を隠してすっトボけた人生を送ってきたから
わざとボケじじいやった髭の殿様の行動も理解出来る
0704名無しさん@お腹いっぱい。
2007/12/27(木) 19:20:04ID:gSNpiqwm理解も何も出来ない。
0705人間七七四年
2007/12/27(木) 22:03:00ID:KkV+Tiny土佐家は最後まで、松の子孫???
あと、麻亜の子孫の前田もあったよね。
0706人間七七四年
2007/12/28(金) 11:24:48ID:PAJm5uaE松がイジメたっていうより
ちよぼが身の程を弁えず当主生母を笠に着て松を見下したんだろう
0707人間七七四年
2007/12/28(金) 18:39:47ID:ufro1NqB0708人間七七四年
2007/12/28(金) 19:02:02ID:8GwoTYGH0709人間七七四年
2007/12/29(土) 13:28:07ID:0BLA7m5r参勤の行列に最低人数を大幅に超えた量を連れて行くのもこの人から始めたんだよね?
飢餓で人が大量死してるのに無駄金を・・・利家利長公が生きてればこんな事にはならなかったと嘆いたそうです
幕府に対しての意味はあったのだろうけどね
明らかに政治能力は高いのだがモタイナイ 綱吉とかぶる
0710名無しさん@お腹いっぱい。
2007/12/29(土) 14:00:40ID:owXYXhJ5まあ利常の時代は武断主義と文治主義のはざかい期だから、そんなかんじの大名はけっこう多いよ。
0711人間七七四年
2007/12/29(土) 14:52:50ID:zf1Rb7k40712人間七七四年
2007/12/29(土) 14:53:20ID:zf1Rb7k40713人間七七四年
2007/12/29(土) 14:53:43ID:nyh7aGnm0714人間七七四年
2007/12/29(土) 15:11:40ID:2uzLt/nbそうなんだ、利常って若くして家督継いでバカ殿の真似しながら前田家守った
超名君のイメージしかなかったわ
利家については多少知識はあるんだが利長・利常はよく知らなかったんでそういうエピはサンクス
0715人間七七四年
2008/01/01(火) 23:01:14ID:q6RR+cFe本多重政がそれまで仕官した大名は全て取り潰され、旧来の家臣から徳川のスパ
イと疑われていたし
まあ兵法家の富田重政を除けば村井長頼、長連龍、高山重友ら歴戦の家臣がいな
くなっていたから仕方ないか
0716人間七七四年
2008/01/01(火) 23:25:55ID:q6RR+cFeスマソ
本多重政じゃなくて本多政重だった
0717名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/02(水) 03:35:45ID:vTDv8b6S> 本多重政がそれまで仕官した大名は全て取り潰され、旧来の家臣から徳川のスパ
> イと疑われていたし
ザ・後付の知識ご苦労。
0718奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/02(水) 12:22:01ID:ivGTq5x10719人間七七四年
2008/01/04(金) 16:16:37ID:p0TqPxYPだから それらが江戸の幕府に
利常はバカ殿です ってアピールした活動の一環だろうが
0720人間七七四年
2008/01/06(日) 01:37:07ID:/+iNLTFS利家 71 87 90 81 64
利長 64 60 72 75 70
利政 57 68 66 68 98
利常 70 69 88 88 75
個人的には前田家の面々はこんなイメージでみてる
0721人間七七四年
2008/01/06(日) 05:09:51ID:tsKTbf/C0722人間七七四年
2008/01/06(日) 18:23:34ID:dhJ8W/ld0723奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/06(日) 19:13:58ID:bnEUtUvT0724人間七七四年
2008/01/06(日) 20:33:55ID:25wafVug>>721-722 2 1 0 3 5
0725人間七七四年
2008/01/06(日) 21:04:10ID:tP5ygytsby柴田ファン
0726奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/06(日) 21:18:00ID:bnEUtUvT0727人間七七四年
2008/01/08(火) 01:52:23ID:Hyr+IQGw0728人間七七四年
2008/01/08(火) 17:46:44ID:08Jl3PsM人望はあったろうがカリスマ性とは違うと思う
まあその当時生きてたわけじゃないからわからんけど
何十石ってとこから数万石以上の大名などに出世して行ったような人間は
やはり武士としてはかなり優秀だったとは思うが。
0729人間七七四年
2008/01/08(火) 18:18:54ID:qIU2y5OZ(米一石=金一両と計算し、百万石=百万両になり、一両を十万円と考えると一千億になる)
で、年貢は4割だから単純に利家の手元には毎年400億が入ってきた計算になります
0730名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/08(火) 18:28:56ID:hvLoQ/1Kちなみに石川県の平成18年度の予算規模が5983億円。
0731人間七七四年
2008/01/08(火) 20:28:15ID:CWSvYdIR0732人間七七四年
2008/01/08(火) 20:49:05ID:Fo8vSG+R江戸期には1石あたり銀60匁あたりで推移していたから
1石=1両ってーのはまぁ普通だ。
実際は手数料やら何やらで一石、1両弱ってところだけど
中世だと1石、1貫文位。
それはともかく、加賀藩藩主の手元に入ってくるのは40万石ではないよ。
半分強は家臣の知行分だし、この100万石ってーのは寺社領も含めてのものなので
藩主の手元に入ってくるのは20万石以下だよ。
0733名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/08(火) 21:05:26ID:hvLoQ/1K> 半分強は家臣の知行分だし、
それは藩収入からの人件費として換算すべきものじゃね?この当時武士は、自分の領地とはいえ
直接統治も直の徴税もしていないんだから。
0734人間七七四年
2008/01/08(火) 21:25:09ID:Fo8vSG+Rあいやいや。
>729が利家って書いてたから。
十村制の導入以降だとそうだけど、そりゃ綱紀の代からだし。(実指揮は利常)
まぁ加賀藩は早くから地方知行制から蔵米知行制へ移行した藩だけどさ。
でも八家の抵抗強くて、完全移行に20年近くかかっている。
(最後の抵抗は長家3万石。元は能登の地侍なので自分の土地を奪われるのに等しい政策に最後まで抵抗)
0735人間七七四年
2008/01/09(水) 03:54:27ID:vNiUJ4/k裏切り者? ははは何をおかしなことを申す
信長様直属の 勝家に不穏な動きがあったときには首を打つために派遣された御目付役である利家が
その場の判断で勝家を見限って何が悪い?
部下でも無いのに守る義務も無い
0736人間七七四年
2008/01/09(水) 10:02:18ID:2NWYEEbtうちの先祖は600石で雇われていた訳だが
一年に600両も貰っていたとは思えんのだがw
能登は一町を360歩から300歩に変更した時から反発の連続だったと聞いていたけど?どうなんだろ
富山が廃藩まで360歩らしいので納得出来なかったのかな
>>735 やめい
0737名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/09(水) 10:21:36ID:a4xbzgej江戸時代の武家は交際費などで支出がとにかく多くて、どこも家計は大変だったらしいぞ。
それに武士には石高に応じた義務もたくさんあるし。
0738人間七七四年
2008/01/09(水) 11:44:19ID:xuPsjMpC武士が全部巻き上げたら百姓死んじゃうよ
加賀藩の年貢率知らんが、600石取りで4公6民なら収入は240石と言う事になる
年間の米代は一人1石(おかず含まず)
家族が10人+奉公人が5人としても、食費だけで数十両
あとは家族の衣類と奉公人の衣類(奉公人の衣食住は主人持ち)と給金
更に600石取りだと400坪ぐらいの屋敷に住み、馬1頭と11人以上の家来を雇わなくてはいけなかったらしい
これら家族の衣食住や家来の給金と屋敷や馬の維持費など生活費だけで半分は飛んでしまう
そして一番の出費である交際費を差し引くともういっぱいいっぱいになってしまうみたいだ
0739たられば君
2008/01/09(水) 11:45:01ID:nwn8PAZe0740人間七七四年
2008/01/09(水) 15:26:44ID:2NWYEEbtうちは城内女衆の生活費も任されてたらしく、その冠婚葬祭費で生活苦しかったとは聞いてます
仕事は代々剣術や行儀作法を教える役目なのに昔から数名の大工が一緒に住んでいたり・・・
今の公務員と比較するとワケワカランな(汗
0741人間七七四年
2008/01/10(木) 04:37:50ID:i68DQ/jz600石取りの場合、扶持米だと600俵=240石ということになる。
加賀俵は5斗だけど面倒なので4斗=1俵ということで。
まず食費。
家族が10人で奉公人が5人の場合。
>738は一人1石計算だけど、江戸期までは一人扶持(5合)食べるのが当たり前だったので
1人扶持で計算。
一人扶持は1.8石*15人で25石。
部下のほうは、幕府が旗本や御家人に出した軍役(1649)を元に
足軽3人、中間10人。
1.8石*13人で23.4石。
計、48.4石
野菜などの副菜や、味噌などの調味料、薪などの燃料代等、大体60両くらいは使うから
これで60石
馬は騎乗用が1頭、小荷駄用が2頭。
飼料代が1頭に付き9両
よって馬の維持費が27両
(戦国期だと代馬も用意するから4頭で36両になる)
これで27石。
次に給金。
足軽3人に3両、中間や奉公人に2両として
足軽9両、中間+奉公人30両
これで39石。
衣服代や武具の維持費、交際費が60両ほど
これで60石。
合計、234.4石
残 5.6石
実際は換金すると札差に手数料を取られるので手元には5両ほどしか……
現代にすると、利益が2400万の会社で従業員が20人ほどの会社の経営はどんなかなということでひとつ。
//
江戸中期以降になると、財政の圧迫で扶持米がちゃんと配給されなかったりするのでさらにひどいことに。
参考
tp://www.0105.jp/~mizuki/gunekikitei.html
tp://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J004.htm
0742人間七七四年
2008/01/10(木) 15:37:42ID:1TbjSJ/B0743人間七七四年
2008/01/10(木) 18:22:40ID:xKs7M4Fu0744人間七七四年
2008/01/10(木) 21:10:05ID:ABneySeTマルチ商法とパチ業界の守護者だけど…
0745人間七七四年
2008/01/10(木) 22:21:34ID:lMzM58d+0748名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/11(金) 00:18:59ID:M6X+tEOL丹羽さんとか甘利さんとか、二階堂さんも二階堂氏の末裔なのかね?
0749奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/11(金) 00:36:20ID:Wm9P7f6D0751奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/11(金) 00:45:56ID:Wm9P7f6D0752人間七七四年
2008/01/11(金) 01:50:02ID:kXZe3B+10753人間七七四年
2008/01/11(金) 03:10:01ID:vWSL4qQZ趣味は甲冑の制作・蒐集で、尾張国清洲藩主松平忠吉を中心に尾張の安土桃山時代から江戸時代にかけての歴史研究を行っている。
(前田は加賀百万石の旧前田藩〔石川県〕の子孫でもある。)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E9%9B%84%E5%90%89
【マルチ商法奨励】前田雄吉議員【民主党】
ttp://society6.2ch.net/test/read.cgi/giin/1196347256/l50
0754名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/11(金) 03:15:08ID:M6X+tEOL> 旧前田藩〔石川県〕の子孫でもある。
ものすごい変な日本語だな。
0755人間七七四年
2008/01/11(金) 09:22:08ID:Wlz0oY6h0756人間七七四年
2008/01/11(金) 17:44:06ID:kXZe3B+10757人間七七四年
2008/01/11(金) 20:12:05ID:Nhl5VRTt0758人間七七四年
2008/01/11(金) 22:54:34ID:dhNmfHg60759人間七七四年
2008/01/13(日) 20:44:53ID:GbPWOlse恐らく本家や八家の前田氏と関係ないだろう
加賀と言ってるなら大聖寺藩、富山藩、七日市藩とも関係ないだろうし
0760奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/13(日) 21:26:38ID:nC59o7BB0761人間七七四年
2008/01/19(土) 19:19:53ID:6CAoib6p池田恒興と佐々の話とされてる資料も数点あるみたいだが
0762人間七七四年
2008/01/20(日) 04:14:53ID:H7zXVxNr0763人間七七四年
2008/01/20(日) 19:56:06ID:2ieeDyzm信長公記には佐々成政と池田信輝の美談になっております
勝家や利家は出てきません
0764人間七七四年
2008/01/22(火) 13:05:05ID:68EQV7SY俺のイメージ的にも反論の余地が無い・・・・・
0765人間七七四年
2008/01/30(水) 04:12:20ID:S8Mcx2yY0767人間七七四年
2008/01/31(木) 13:02:41ID:wD3sjtSk0768人間七七四年
2008/02/01(金) 02:54:25ID:AbYra94Y0769人間七七四年
2008/02/01(金) 10:01:21ID:7rPdWnTk0772人間七七四年
2008/02/02(土) 18:06:51ID:0U5emoo80773人間七七四年
2008/02/09(土) 12:15:26ID:gRGWjKCAナンデ利ガトシデナク、リナンダ?
ナンデカタカナナンダ?
0774人間七七四年
2008/02/23(土) 13:29:45ID:SRlkY81p0775人間七七四年
2008/02/24(日) 20:02:52ID:AOJ+2PFJ0776人間七七四年
2008/02/24(日) 23:20:08ID:XzAfXQx50777人間七七四年
2008/02/25(月) 01:05:45ID:G6DgrcE+0778人間七七四年
2008/02/25(月) 17:10:29ID:hM269Z8R0779人間七七四年
2008/02/26(火) 23:44:18ID:RXAMWI2kその二人の子が利常だって説もある。
ちょぼの子ってことにしただけで。
0780人間七七四年
2008/02/27(水) 18:35:36ID:2/TPzWMiオチョボの子とするメリットがなにかある?
0781人間七七四年
2008/02/27(水) 23:22:40ID:5XTEFudW・秀吉に対して都合がいい
0782人間七七四年
2008/02/28(木) 15:48:17ID:wwyr8Ipbでいいの?
0783人間七七四年
2008/02/28(木) 18:32:38ID:1NiXyh9X鼻毛のお殿様の養母だし。
0784人間七七四年
2008/03/03(月) 20:33:11ID:a6Lfkf8X加賀に名君なし!
これ現実
島津公爵家>>>>>絶対に越えられない壁>>>>>前田侯爵家(プ)
0785たられば君
2008/03/03(月) 22:05:14ID:XPAHzVXcっ【日新斎は庶家からの成り上がり】
つか未だに対決ネタやってる人って何か取り残されてるみたいでかわいそう。
0786人間七七四年
2008/03/12(水) 21:24:56ID:jZb67fzU0787人間七七四年
2008/03/16(日) 00:17:02ID:7vIUpsT60789人間七七四年
2008/03/16(日) 02:50:23ID:7sHthIvbまあまつ様は利家のものだけどな
0790人間七七四年
2008/03/18(火) 13:16:19ID:m2PINviq0791人間七七四年
2008/03/18(火) 13:19:03ID:g/Ig3vmB0792人間七七四年
2008/03/18(火) 16:19:13ID:bHXJKUbL花の慶次の大河もありだろう
阿部主役で頼むわ
0793人間七七四年
2008/03/20(木) 00:23:05ID:0UNhygA30794名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/20(木) 14:54:29ID:fCye7lGP0795人間七七四年
2008/03/23(日) 13:49:24ID:YBcXT8KN0796人間七七四年
2008/03/23(日) 14:05:48ID:tiNRVrb2何で阿部寛やねん、せめて50歳以上の俳優じゃないとキツイ
つーか花の慶次はおもしろいし、慶次も嫌いじゃないし、漫画とかゲームなら最強でも何でもいいけど
大河で慶次郎なんて絶対にやって欲しくない
0797人間七七四年
2008/03/23(日) 14:29:02ID:kb7HWG4Q同意
慶次郎は漫画や小説では最強設定だが、史実ではただの変なオッサンだからな。
強かったのは確かだろうが。
利家の方がはるかに立派。
0798人間七七四年
2008/03/23(日) 16:48:02ID:QtTUfMvA慶次も薄汚い利家にいい加減うんざりして武勇誉れ高い上杉家に退転したんだろうね
0799人間七七四年
2008/03/23(日) 17:31:48ID:jSwcvDxn> ケツと幼女献上しただけの利家が立派とはw
比較対象が低レベルだから利家でも立派に見えちゃうんだろw
実際諸大名で利家よりレベル低いのって奥州に住んでる片目の基地外だけだから。
0800人間七七四年
2008/03/23(日) 17:37:40ID:tiNRVrb20802人間七七四年
2008/03/23(日) 21:32:41ID:jSwcvDxn前半読めない?
比較対象(前田慶次)が低レベルだから(相対的にケツと幼女献上しただけの)利家でも立派に見えちゃうんだよ。
それほど慶次なんてのはたいしたこと無いんだ。ケツと幼女献上しただけのやつより小物なんだ。
政宗が大河のせいで過大評価されてるのと同様に、慶次は劇画のせいで過大評価されてるんだよ。どっちも虚像だけが一人
歩きしてると言う点ではいい仲間じゃないですかw
0804人間七七四年
2008/03/25(火) 00:12:02ID:LupXsZ7+山本モナが
ヘキサゴンのバカどもと食事したら
言ってることすら訳わからなくて会話自体が成立しなかったそうだ
0805人間七七四年
2008/03/25(火) 19:55:23ID:uV5s77dQ0806人間七七四年
2008/04/02(水) 00:03:05ID:tUWv166S0807人間七七四年
2008/04/13(日) 10:37:10ID:gyD4D7aZ0808人間七七四年
2008/04/30(水) 04:38:26ID:5NwvPSRh0809人間七七四年
2008/04/30(水) 12:35:14ID:UbEwAzFL0810名無しさん@お腹いっぱい。
2008/04/30(水) 12:42:44ID:4eOxGvEH誰かにかまって欲しいだけなんだから、相手するなよ。
0811人間七七四年
2008/04/30(水) 15:07:01ID:5NwvPSRh0812人間七七四年
2008/04/30(水) 21:16:21ID:60ZZE6Uwほざいております。
0813人間七七四年
2008/05/19(月) 15:00:30ID:58MwdcDB0814人間七七四年
2008/05/20(火) 19:54:20ID:tLV7H44L0816人間七七四年
2008/05/22(木) 11:39:52ID:j8zG9ysK0817人間七七四年
2008/05/24(土) 02:09:29ID:iDj8KdOoお松の方は石野真子みたいでなんかイメージ違う様な
‥松嶋菜々子のイメージ強くてどちらかというと石野
真子は年だし侍女って感じが否めない‥柔らかすぎるし
0818人間七七四年
2008/05/24(土) 18:38:00ID:eir8UeaE0819人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 00:45:47ID:YztfUN770820人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 10:48:11ID:W5BAocAa0821人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 12:11:04ID:YTo/nr9h0822名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/01(日) 12:29:52ID:RrlJ7zlL0823人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 12:05:56ID:+3mC+GXK間違っても百万石まつりには呼ばないっしょ…呼ばれる訳がない。ましてや利家は手下だし
武士姿系のパレードなんて無理っしょwもしも・・織田信長祭りなんてのがあれば別だけど
0824名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/04(水) 12:46:04ID:r7dgkvXf信雄の失脚後はもうずっと前田家の格下ですが>織田家
0825人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 23:47:21ID:89zNd1v20826人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 00:54:27ID:zSyfrONc0827人間七七四年
2008/06/09(月) 01:49:04ID:0zt0lHnS競輪のトップ選手のブログにも「百万石」のことが
http://www.kojimakeiji.net/diary/index.html
0828人間七七四年
2008/06/09(月) 04:38:42ID:67cHx5K2織田信雄の子信良は上野小幡藩二万石の小大名に過ぎないが、家柄が考慮されて
待遇は加賀藩前田氏と同格にされていたよ
ただ子孫の時代に家臣吉田玄蕃の起こした事件に連座して大藩と同等の格式は以
後取り消されたんだよ
0829名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/09(月) 10:59:53ID:h1YinmG+なるほど。勉強になったよ、ありがとう。
0830人間七七四年
2008/06/10(火) 11:29:23ID:eSCtX3LO徳川家康に屈服したが
0831人間七七四年
2008/06/10(火) 12:50:17ID:Ltq71lim本屋を巡って探してみても今は絶版している小説ばかりだったし。
やっと見つけた童門冬二の著書は利家が亡くなる直前の話で、期待した程じゃなかったんだ。
信長に仕えてた若い頃から描いた利家が主役の小説があれば教えて頂きたいです。
0832名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/10(火) 13:04:18ID:ScW7tn8m前田利家 (光文社時代小説文庫) 戸部 新十郎
前田利家(講談社文庫) 津本 陽
前田利家―秀吉が最も頼りにした男 (PHP文庫) 花村 奨
この辺は普通に買えると思うが。本屋になけりゃ注文するかネット通販って手もあるし。
後マンガだけど
前田利家
SPコミックス 戦国武将列伝シリーズ
著者/訳者名 永井 豪 著 ダイナミックプロ 著
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/07179737/pg_from/rcmd_detail_2
0833人間七七四年
2008/06/10(火) 13:36:54ID:bdchlUeu武将として見たら屁垂れと見られても仕方がないかと。
時代の流れを読み家を残すといった家長として見れば有能。
領内の産業を興す等の経営者としての視点でも有能だと思う。
総合的には中の上クラスでは。
ただ、戦国時代板では武勇が優れた者が人気だから武勇のイメージが少ない武将の評価が低くなるのは仕方がない。
0834人間七七四年
2008/06/10(火) 15:06:19ID:DvVLosDD織田家の主要な作戦全てに重要な役割で出演しとる
まぁ漫画と割り切れるならいいけど、利家の事が知りたいって人には向かない
0835人間七七四年
2008/06/10(火) 15:08:29ID:eSCtX3LO性格は温厚やったらしいが
0836人間七七四年
2008/06/10(火) 18:02:46ID:Ltq71limどうもありがとう、助かります!!今日にでも探してみます。
>>834
永井豪の漫画は実は購入済みで読んでみたんだけど利家が桶狭間で今川義元を討ち取ったり、三方ヶ原で佐脇良之が武田信玄に致命傷を負わせたのは度胆を抜きましたね(笑)。
でも、展開が楽しみなんですよね。今はどの辺りまで話が進んでますか?
0838人間七七四年
2008/06/10(火) 18:34:05ID:Ltq71lim中国攻めですか(笑)!!
何故秀吉の与力になってるんでしょうね。
もしかして永井豪って柴田勝家の事が嫌いなのかと疑いたくなります。
本能寺の変直前に中国攻めをしているなら秀吉と共に光秀を討ちかねませんね。ゲームの戦国無双2猛将伝では本能寺の変直前に四国にて長宗我部元親と戦ってから、大返しして光秀を討った事になってましたが、それと同じぐらい凄い事になってますね(笑)。
0839人間七七四年
2008/06/10(火) 18:38:31ID:DvVLosDDお市と結婚できるように秀吉と利家で小谷城からお市を救って勝家に感謝されてるし。
まぁいろんな意味で面白いよw
同じ雑誌で岡村賢二が色んな武将視点の短編を書いてるけど、
先月の徳川家康では、信康の才能を恐れて信長が切腹を命じたって説を取り上げてるし。
0840人間七七四年
2008/06/10(火) 18:46:24ID:dwWuKDh6いや秀吉の与力だったかどうかは別にして
別所攻めに越前衆は動員されてるよ
佐々や金森や原と一緒に
秀吉というより信忠の与力っぽいけど
北陸方面軍を中国戦線に使わなければならないくらい
当時の織田軍は切羽詰まっていた
0841人間七七四年
2008/06/10(火) 18:56:57ID:DvVLosDD最終ページでは、信長は本能寺で光秀の軍勢を待つ!って宣言したところで終了。
今月27日発売のコミック乱ツインズ増刊戦国武将列伝で本能寺の変が起きるな。
予想では、上杉ににらまれて動けない勝家が利家に本能寺へ行くように要請して
秀吉と合流、山崎で光秀を討ち取ると思われますw
0842人間七七四年
2008/06/10(火) 20:37:52ID:Ltq71lim単行本読み直してみたんですが、確かにこの漫画では秀吉と勝家って仲が悪いようには描かれてないですよね。
今までドラマや小説ではこの二人が仲が悪いのが当たり前のように描かれていたので新鮮ですよね。確か史実でもそこまで険悪な仲ではなかったという事を何かの本で読んだ気がします。
どういう経緯で対立し始めるのか楽しみです。
そして、光秀討伐までの流れは本当に有り得そうですよね(笑)。この漫画の利家はまさに神出鬼没ですからね。
それから、信康切腹に至までの話を描いた漫画は読んでみたかったです。今まで信康って暴れ者で、武田に通じてたから切腹を命じられた説のほうが取り上げられてましたからね。
色んな武将の視点って毎回扱われる武将が違うんでしょうか。次は誰が扱われるんでしょうか?
>>840
そうだったんですか!!
無知を露呈してしまいました。
0843人間七七四年
2008/06/10(火) 21:10:07ID:O6QCG0NH岡村賢二の増刊の連載は毎回1話〜2話で纏められてるから
見かけたときに買うだけでも読めるのがGOOD
発行部数が少ないのかなかなか見かけないけどねw
単行本も出ててコンビニで良く見かけるからさがしてみるのもいいかも。
0844人間七七四年
2008/06/11(水) 01:49:30ID:eeFRanKfそんなに切羽つまってたか?とも思うが。信忠軍のやったことって、天正六年の五月から
七月にかけて三木城周辺の焼き討ち、枝城の神吉城攻略、三木城周辺に包囲のための付城を
築いたあとは秀吉軍にまかせて帰国。
前田は柴田配下ではなく、越前に封じられた後もしばらくは信長直属の身分だったようで、
信忠につけられて播磨に摂津で戦っている。ただ当時の前田の所領を考えるとそれほどの
軍勢も持っていなかっただろうが。
0845人間七七四年
2008/06/11(水) 02:00:31ID:EUPtpAdY0846人間七七四年
2008/06/11(水) 02:37:19ID:3ift60qfのこり1000石のゆくえは?
0847人間七七四年
2008/06/11(水) 03:21:12ID:EUPtpAdY0848人間七七四年
2008/06/11(水) 07:57:37ID:SFlYBjG3長家家譜だと謙信に七尾城を落とされ、
その戦いで父や兄を殺された長連竜が、仇討ちの決心を秀吉に打ち明ける
それを耳にした信長が感心しつつも
今謙信へ手向かうと、その隙に上方では騒動が起きるかもしれないので、難しい
それに今は中国征伐の時でも有るから、兵を分け難い
と話している(どれくらい信憑性が有るか分からないけど)
実際、この頃の播磨には信忠・信雄・信包・信孝らが率いる尾・濃・勢軍
それに丹羽・滝川・明智・細川・堀・越前衆(不破・前田・佐々・原・金森ら)そして秀吉など
信長は各方面の織田軍を結集させて、別所攻め&荒木攻めを行っている
というのも、播磨上月まで毛利・小早川・吉川が迫ってきたので、
その大軍を牽制する意図が有ったのかも
>天正六年の五月から七月にかけて
信忠ら織田主力軍が神吉城を落としたり、姫路で戦ったり、付け城を築くなどして戦った期間は
天正六年の五月〜
天正七年四月二十八日までだよ
三木城、有岡城攻めは殆ど信忠が中心になって攻略している
0849人間七七四年
2008/06/11(水) 10:04:17ID:eeFRanKf播磨と摂津を一緒くたにしてごまかしてませんかね。
>播磨上月まで毛利・小早川・吉川が迫ってきたので
せまってきたのは事実だが、その信忠軍が播磨から消えて秀吉軍だけになっても、
毛利は上月城から東へはすすみませんでした。
0850名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/11(水) 11:01:24ID:0xVOOJrr> せまってきたのは事実だが、その信忠軍が播磨から消えて秀吉軍だけになっても、
> 毛利は上月城から東へはすすみませんでした。
上月城の戦いの年の11月に、例の甲鉄船の摂津木津川口の海戦があって、毛利が東瀬戸内から大阪湾の
制海権を織田に取られた。このため毛利は進むに進めなくなった。
0851人間七七四年
2008/06/11(水) 13:43:01ID:QJVwnHHcじゃあその主家はだれの臣下なんだ?
中学生みたいな発想だよお前
0852人間七七四年
2008/06/11(水) 13:53:38ID:QJVwnHHc戦争に勝てばそれでいいのか?
総理大臣は誰でもいいのか?
0853人間七七四年
2008/06/11(水) 15:34:12ID:3ift60qf緊急時や大戦の時に武将の直属兵力が少ない場合、他国衆で増援することは珍し
くないですよ
例えば長篠の場合は平穏な地域に所領のある細川藤孝や筒井順慶の鉄砲衆を引き
抜いて前田、佐々、福富ら鉄砲組指揮官に配属したし
四国遠征時の信孝は北伊勢二郡の所領しかないため、伊賀衆、甲賀衆、雑賀衆の
兵で増援され、糧食・矢弾などは丹波から補給されていましたよ
勿論、信長の意向により増援するのですけれども
0854人間七七四年
2008/06/11(水) 16:33:40ID:nA88JeLI>>836
同志発見!俺も乱の利家を毎回楽しみに読んでます
色々トンデモなとこはあるけど花の慶次の利家版と思えばすぐに慣れました
永井豪の描く戦国時代、織田家の快進撃、槍の又左は画面から躍動感と爽快感が溢れてて読んでてとても楽しいです
最近は誠実な美男として描かれる事の多い光秀がこの作品では一昔前のフロイスの記述通りの光秀として描かれてるのも個人的にはたまりませんw
0855人間七七四年
2008/06/11(水) 18:38:32ID:nMSf9oQM0856名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/11(水) 18:55:06ID:0xVOOJrr0857人間七七四年
2008/06/11(水) 21:43:56ID:hAC69t0Oまあなんとでも言えますよね。
0858人間七七四年
2008/06/12(木) 03:01:40ID:4sPfVVN7あの時代は友達でも場合によっては殺さないといけないような時代だから
そんな時代だからこそ柴田は前田をうらまなかっただけなんじゃない?
0859人間七七四年
2008/06/12(木) 04:44:48ID:f+n3n2FI領地広げる為には常に勝ち馬に乗り続ける事が何よりも重要でしょう
0860人間七七四年
2008/06/12(木) 05:04:33ID:vI0hOydH忠義のために死ぬのは一武将としては誉れだけどね
0861人間七七四年
2008/06/12(木) 10:00:26ID:8tUYDi8O0862名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/12(木) 10:12:15ID:ogzvB5/t「武士の嘘は武略」
0863人間七七四年
2008/06/12(木) 13:42:18ID:Kga432+f0864人間七七四年
2008/06/12(木) 14:02:07ID:upYRRqFu「日本では裏切りは当たり前で普通のこと」と本に書いたんじゃなかったっけ?
当時の価値観は今とだいぶ違うらしいじゃん
0865人間七七四年
2008/06/12(木) 14:07:07ID:NJLTuH7V細川藤孝、筒井順慶は光秀を切ったし
丹羽長秀は秀吉が織田家をないがしろにしようとしているのを承知で清須で秀吉
の味方をした
それに秀吉陣営にも蒲生賦秀(氏郷)、稲葉一鉄のように真に秀吉に臣従してい
ないものも少なくなかったと思えるが
もし柴田側が外交で優位をとっていたなら彼等の動向に強い影響を与えただろう
ことは予測できるのでは?
0866名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/12(木) 14:11:19ID:ogzvB5/tそう思いたい人間の気持ちはわかるが。
0867人間七七四年
2008/06/12(木) 14:26:48ID:Kga432+fどちらが主家を滅ぼした光秀に正義はなかったし
丹羽だって清洲会議の時は秀吉が将来主家をどうするかわからなかったし一説に秀吉に抗議して割腹してる。
蒲生や堀らが心服してたか心服してないかどうかなんてまったくわからない。
小早川は功労者なのに他の裏切り連中と佐和山城攻めまで家康に命じられてる。
朱小学の影響はないとは言え儒学的な道徳観はあったろう。
0868名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/12(木) 14:31:11ID:ogzvB5/t> 小早川は功労者なのに他の裏切り連中と佐和山城攻めまで家康に命じられてる。
少しは武士の歴史を勉強しようよ。「返り忠」をしたものは次の合戦で先鋒を務めるのが古来からの武家の習い。
小早川らの佐和山攻めはそれに従ったに過ぎない。
0869人間七七四年
2008/06/12(木) 15:03:09ID:gwnABJG+0870名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/12(木) 15:07:00ID:ogzvB5/tそうだよ。
0871人間七七四年
2008/06/12(木) 15:19:07ID:f+n3n2FIそれとも秀吉が勝家の命まで奪うと思ってなかった?
0873人間七七四年
2008/06/12(木) 16:16:13ID:AFQVvYnR0874人間七七四年
2008/06/12(木) 19:04:18ID:Kga432+f別に秀秋は三成の臣下じゃねーし。
秀秋が返り忠なんて書かれてる本とかあるんか?なら吉川も返り忠か?w
秀秋は戦局を家康側にする決定的役割を果たしてる。他の裏切り連中とは質が違う。
0875名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/12(木) 20:32:38ID:ogzvB5/tそれが君の頭で一生懸命考えた捨て台詞なわけね。
0876人間七七四年
2008/06/12(木) 21:42:15ID:vI0hOydH伏見への助成を断られて、仕方なく西軍に与して伏見攻撃に参加してる。
まぁその後西軍方の松尾山守兵を追い出して占拠した時点で西軍でもないけど、
すくなくとも東軍(家康)とは対立した関係だったから返り忠でいいんじゃね?
0877人間七七四年
2008/06/13(金) 01:19:08ID:VlOWMpY4秀秋が返り忠なら正則や長政も家康も返り忠だろ。。。
つか万石大名を返り忠なんて呼称しないだろ。。。
0878名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/13(金) 01:41:09ID:Z2Xx4Yxj君は日本語が不自由な人間だな。
0879人間七七四年
2008/06/13(金) 05:11:53ID:YK8Hg/loその言い方だと関ヶ原の戦いがひどく矮小化してしまう。
明らかに大した事ない目下の身分の相手…国人や配下のものに使うのであって大名レベル相手に使う言葉じゃないと思われ…
例えば上杉が「佐竹が返り忠した」とか言ったらおかしいだろ。
0880名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/13(金) 13:47:21ID:Z2Xx4Yxj0882人間七七四年
2008/06/13(金) 19:09:57ID:qx0rQ0lO仲介?仲裁だろ?www
0883人間七七四年
2008/06/13(金) 19:35:19ID:fc2jxtVq先祖が家臣だったらしいんだけども
0884名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/13(金) 19:36:50ID:Z2Xx4Yxj上の下、くらい。身代で言えばかなり大身のほう。
0886名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/13(金) 19:44:38ID:ZytEp8uh0887名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/13(金) 19:53:15ID:Z2Xx4Yxj0888人間七七四年
2008/06/14(土) 00:26:06ID:BLhv7tX40889名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/14(土) 00:30:35ID:xYR/8ti/どうぞその真の意味を逐一著述してくださいな。
0890人間七七四年
2008/06/14(土) 01:07:27ID:SgqH0yE7利家は秀吉に騙されたんじゃないか?
0891名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/14(土) 01:19:43ID:xYR/8ti/利家のときは約80万石。息子の利長の分と合わせて100万石
徳川時代に入って本藩だけで100万石
0892人間七七四年
2008/06/14(土) 13:24:08ID:BLhv7tX4寝返り、裏切りの意味。
ただ、あからさまにそういうのは外聞的にもなあということで、「元の部下が帰ってきた」
というタテマエにして「返り忠」といった。
元は部下でもないのだから返り忠ではない、なんて間の抜けた言い分だな。
0894人間七七四年
2008/06/14(土) 18:39:52ID:WH3CPMji加賀八家でさえ1万石以上
1万石しかない前田利孝の七日市藩の重臣はどれくらいの“扶持”を貰ってたん
だろう
0895人間七七四年
2008/06/14(土) 19:04:42ID:PovQcwij家老1名、御用人6名、御番頭6名、御給人18名
無足之分18名、御中小姓25名、御徒士17名
小役人26名、御坊主27名、御出入扶持5名
計139名(時期により人数変動)
家老は170石+30石(斎藤善兵衛)
御用人は150石
御番頭は80石
御給人は100石
無足之分は7両2人扶持
御中小姓は6両3人扶持
御徒士は4両3人扶持
小役人は3両2分2人扶持
御坊主は2両2人扶持、
御出入扶持は2人扶持
足軽その他の人数と扶持は不明
初期の七日市藩の重臣は加賀藩からの出向者が多く
給金は加賀藩から出てた模様
困った時は加賀藩から度々お金借りてたみたいだし
0896人間七七四年
2008/06/15(日) 01:11:52ID:YByyIH1l>>424
いくら大河を見て利家ファンが増えたといっても、前田天下が薄さはみんな察してるよな
戦争で勝つとかまけるとかじゃなくて、天下人としてのびじょんがなさそうなんだy
信長→秀吉とそれぞれ自分はこの国をこうしたいっていうビジョンがあったわけだ
徳川も秀吉死後から完全に天下を意識して、あーしたいこーしたいは頭の中にあったろうね
ノブとヒデの政権の欠点をうまく補う徳川幕府を構想していたというか。
で、前田にそれがあったなら、天下の目もあるかもしれないけど。
どうもなさそう。
それはもう。
野心があるようでないんだよな。
でもビビッテるとかそういうことはなさそう。
何しろずっと人殺しの現場でやってきてるわけで肝の座り方は現代人とは比べ物にならない。
その当時の人たちの中でも勇敢なる人という評価なわけだから。
勇敢だけど、無鉄砲のいのししではない。
自分や息子に天下をどうこうできると思っていなかったってのが実のところだと思うよ。
だから徳川が天下取りに動く事自体にそこまで反対する気持ちはなくてさ。
ま石田より徳川との方がいい人間関係だった可能性は十分に考えられるし。
0898人間七七四年
2008/06/15(日) 20:19:29ID:84fE0H6Aいやいや、一応御給人までは録で見れば平士、つまり中級。
下級となると与力、御歩、御歩並。
身分については家老は一応「人持」クラス。
ただ、加賀本家に対しては七日市藩家老は陪臣ということになるので
本家の人持と比べると家格は下になるかも心内
0899人間七七四年
2008/06/15(日) 20:53:40ID:/APqH3s2信長=銀河帝国皇帝
柴田勝家=偉大なモフターキン提督
利家=ダースベイダー卿
0900人間七七四年
2008/06/15(日) 22:03:38ID:snqfAHyk0901894
2008/06/15(日) 23:25:46ID:Ct67Imd6七日市藩家中が140名前後だとすると参勤交代で家臣の一部が江戸表に出張す
ると在番だけで藩政を担うとなるとキツイですね
思い違いがなければ七日市藩は駿府の警備も担当していたのでは?
加賀藩同様に十村制度が確立されていたなら家臣の負担は減るでしょうが
加賀の旧一向衆のように上意下逹が徹底していたならともかく、単なる上野の農
民に変に帯刀させ年貢徴集任せたら危険かな
0902名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/15(日) 23:37:33ID:Pg57t0XRつーか、1万石程度の管理なら、2〜30人も入れば足りるよ。
基本的に各村落は庄屋を中心とした自治で秩序保っているし、年貢の徴収も地元から抜擢された手代がやるし。
幕府領なんて、10万石くらいの範囲を地元選出の手代10人で運営していた所もあるくらいw
0903人間七七四年
2008/06/16(月) 00:43:16ID:RMcNOHWtいつの時代になっても変わらんなあ
0904人間七七四年
2008/06/16(月) 02:25:35ID:F+c0M+wT足りる足りないじゃなくて、石高に応じた使用人を雇わなければいけなかったの。
三十俵二人扶持の御家人ですら小者と女中の2人を召抱えなければならなかった。
0905人間七七四年
2008/06/16(月) 03:49:36ID:XmNNHQz2騎馬:3〜4騎
足軽20人、中間人足30人
>>895には足軽や中間の数が無いので、あまり気にしないほうが吉
家臣にも家来が付くので七日市藩の武士やその関係者の数はもっと多いと考えるのが良いかと。
0906人間七七四年
2008/06/25(水) 09:27:10ID:a8/uVbV/0907人間七七四年
2008/06/27(金) 05:59:15ID:GzlT8Syfあまりに寂しい大名行列だな
しかし七日市藩は加賀藩の参勤交代の中継地でしょ
七日市藩はその接待だけで借金するほど重かったのではという感じがする
利常とか綱紀は思いやりがありそうだが、その後の歴代はかなり贅沢な要求した
のでは
0908名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/27(金) 13:01:29ID:slnpkwQm> あまりに寂しい大名行列だな
それでも財政負担は大変なのですよー。
足軽や人足に臨時の日雇いを雇って、行列の体裁だけ整えてコスト削減したり涙ぐましい努力を。
0909人間七七四年
2008/06/28(土) 04:56:55ID:vsfo2OaGいやー本家は必要なものは持込してるんじゃないかなー
あそこたびたび本家から経済支援受けてるし。
人口8千人ほどのところに4千人の大名行列が来て、おもてなしなんかしたらそれだけで終わってしまう。
0910人間七七四年
2008/06/29(日) 18:26:44ID:SLy1z1l2ゴッホの人生を幸せな人生だった
言ったよ?
0911名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/29(日) 18:36:11ID:KNZvB1x30912人間七七四年
2008/06/29(日) 22:32:26ID:WhOdopQM0913人間七七四年
2008/07/01(火) 21:23:40ID:sSYlnXajこの前、朝鮮通信使の本読んでたら通過地点の広島藩では三汁十五菜の豪華料理
で歓待したという
再現した写真も載っていたけど
これと同じような物を加賀藩の参勤交代で七日市藩が出していたとすると
たとえ援助とはいえ
加賀藩の負担は半端ではないですね
戦国の話題から外れて申し訳ないですけど
0914人間七七四年
2008/07/03(木) 00:09:46ID:g9xIz69h北ノ庄攻めの際、勝家の助命を嘆願したものが何人かいる。
しかし秀吉は「庭で虎を飼うようなものだ」と言ったらしい。
どのみち勝家自身、秀吉に頭下げるより死を選ぶだろうけど。
0915人間七七四年
2008/07/06(日) 15:13:37ID:XLtd3UB/森はばかだろう。
あれの馬鹿を見抜けないなんてお前馬鹿すぎるな。
マスコミが本気になれば森くらいは簡単に政界追放できるよ。
それくらい浅はかなバカ。
例えば小泉の下に誰もいなくなったとき、森の下に誰もいなくなった時、
小泉の評価はそこまで落ちない。
だが森の評価はガックリと落ちる。お前らでさえ、ああ森ダメなんだなと気付くだろう。
0916人間七七四年
2008/07/06(日) 15:16:34ID:XLtd3UB/利家ってそういえば個人の武力で言えば相当なものがあったんだよな
徳川の猛将といわれるやつらはあくまで統率采配力もあってこそだけど、
個人としては利家と同等、もしく以下ということも過大評価ではないといえるわけか。
なかなか凄いな利家。ファンだから嬉しいぞ。
0917名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/06(日) 15:17:08ID:K5CrtqJ/誰にも相手してもらえなかったからって自作自演は見苦しいよ?
0918人間七七四年
2008/07/06(日) 16:06:25ID:XLtd3UB/日和見なのに侯爵ってのは十分だろ。
前田家の処世術は完璧。
0919人間七七四年
2008/07/06(日) 16:16:14ID:orWwRp/O島津も毛利も前田も、蜂須賀や滋野や青山らの位に相応の精神や実績をもった華族に比べれば十把一絡げだ
0920人間七七四年
2008/07/07(月) 09:25:57ID:h7/teuyD相談役に越前松平の方が絡んでおりました。
0921人間七七四年
2008/07/09(水) 21:02:15ID:5HeFdD7Y前田慶次郎利益と同一人物?
0922人間七七四年
2008/07/10(木) 03:43:14ID:G9tqIB5gうんにゃ
前田利秀の事
前田秀継の子。秀継は利家の弟。
小説、一夢庵風流記の慶次郎のモデルの1人ではないかと推察する人もいる
0924人間七七四年
2008/07/29(火) 14:38:49ID:56asEDng0925人間七七四年
2008/08/10(日) 17:26:04ID:ca4IavcC華麗なる裏切りで100万石!
華麗なる裏切りで100万石!
裏切りの城 キム沢を世界遺産にしよう!
www
0926人間七七四年
2008/08/11(月) 18:05:58ID:NSG42tAh戦国の時代に身長が170cm以上ある男は少なかったのに
利家は180cmあった
それで長い槍を振り回して戦地を駆け巡って数々の武将の首を取ってきたんじゃなかった?
しかもかなりのイケ面だったらしい
0927名無しさん@お腹いっぱい。
2008/08/11(月) 18:12:49ID:ewA72rmA0928人間七七四年
2008/08/11(月) 18:28:49ID:Eze/Jh6Pお前も見習え。無職なんだろ?。
0929人間七七四年
2008/08/12(火) 02:02:36ID:gk027rSH容姿については、男性の平均身長が157cm程度の時代に6尺(約182cm)
を誇る類稀なる恵まれた体格の持ち主で、顔も端整であった事から
非常に見栄えのいい武将であったと言われている。
また同時代には利家の性格を「律義者」であったと評されている。
利家は三間半柄(約6m30cm)の長く派手な造りの槍を持ち歩き、
喧嘩っ早い武辺者であったため、「槍の又左」の異名で称えられた。
利家の槍の腕前はたしかなもので、姉川の浅井攻めでは信長から
「今にはじまらず比類なき槍」と賞賛され、大坂本願寺攻めでは、
春日井堤を退却する味方の中でひとり踏みとどまって敵を倒し、
「日本無双の槍」「堤の上の槍」と称えられている。
0930人間七七四年
2008/08/12(火) 05:09:27ID:G3lNqWp+利家の裏切りは悪魔の裏切り
0931名無しさん@お腹いっぱい。
2008/08/12(火) 10:37:26ID:MAB6wsLa利家の裏切りは高虎的なものじゃなくて、小早川秀秋のそれと同じだから。
0932人間七七四年
2008/08/12(火) 11:18:48ID:tm8KW6480933名無しさん@お腹いっぱい。
2008/08/12(火) 13:07:37ID:Q+LpEt4z0934人間七七四年
2008/08/12(火) 13:27:14ID:G3lNqWp+秀吉に柴田情報を垂れ流しまくり、秀吉が勝てる状況作りしたのちに、いきなり秀吉側に付いて先鋒になって攻めてくるからタチが悪すぎるがなw
しかも柴田がケチで自分は不遇だったから裏切ったけどオレ正義(笑)だからな。
0935人間七七四年
2008/08/12(火) 13:38:03ID:tm8KW6480936名無しさん@お腹いっぱい。
2008/08/12(火) 13:45:36ID:MAB6wsLa「返り忠」って言葉、知ってるか?
0937人間七七四年
2008/08/12(火) 14:10:42ID:E+6D5+5e戦国武将は誰も裏切った事がなくクリーンでいなきゃいけないなんて魅力は求めてないんで
0938人間七七四年
2008/08/12(火) 14:42:44ID:G3lNqWp+だから返り忠は道義的に嫌われる。
ただ返り忠の中には庶流や嫡流や主流派などの勢力変化が起きてる場合に限っては相手側もやむを得ないと思ってる。
その場合は撃破後にまた自派の多数派工作して帰属させるし。
悪辣な高虎の裏切りの場合とは違うわ。
0939人間七七四年
2008/08/12(火) 14:54:09ID:tm8KW648どこの常識?
0940人間七七四年
2008/08/12(火) 15:50:06ID:Q+LpEt4z当時の常識からも逸脱した裏切りだったんだとおもうお
ただ利家の場合出陣前に裏切れば柴田佐々佐久間にフルボッコで滅亡とおもわれます
盛政一人にも勝てないよ
0941人間七七四年
2008/08/12(火) 18:12:02ID:UnY3FZaJ春日井堤を退却する味方の中で退却する味方の中でひとり踏みとどまって敵を倒し
「日本無双の槍」「堤の上の槍」と称えられている
この事実だけでも俺は利家が好きだけどな
一人で命を張って味方を退却させることは相当な精神力と戦慣れしてないと
無理なんじゃないの?
人望があったのも戦国の戦で数々の武功があったからだと思う。
その辺が信長、秀吉、家康とは違うところではないかな?
0942名無しさん@お腹いっぱい。
2008/08/12(火) 18:17:16ID:MAB6wsLa0943人間七七四年
2008/08/12(火) 22:11:36ID:gk027rSH誰も相手にしなかった秀吉を家族同然のように扱い槍の名手で
見た目もカッコよかった。これだけで十分カリスマ性はあるだろう。
0944名無しさん@お腹いっぱい。
2008/08/12(火) 22:41:22ID:MAB6wsLa> 誰も相手にしなかった秀吉を家族同然のように扱い
そんな小説のストーリー信じているのかw
0945人間七七四年
2008/08/13(水) 00:09:11ID:jqFIej1e0946人間七七四年
2008/08/13(水) 05:57:55ID:Go2UrylN熱中症に間違いない
病院行ってこい
0947人間七七四年
2008/08/13(水) 13:58:47ID:hQSJ6dcX0948人間七七四年
2008/08/13(水) 22:01:40ID:jqFIej1e0949人間七七四年
2008/08/14(木) 09:19:47ID:Onvon21Uを誇る類稀なる恵まれた体格の持ち主で、
ちなみに現代の平均身長
13歳159.8cm
12歳152.5cm
つまり現代のの12〜13歳の身長が戦国時代の平均身長だったわけで
そのなかで182cmの大男で三間半柄(約6m30cm)の槍を使いこなせれば
相当武力は凄かっただろうね。
秀吉なんて150cmもなかったんだよな?
0950名無しさん@お腹いっぱい。
2008/08/14(木) 10:28:17ID:n/CYgwtO0951人間七七四年
2008/08/14(木) 10:31:51ID:nmGEBwShまぁ身長はある程度誇張するだろうなぁ。
>>950
出土した当時の遺骨等から科学的に証明されたデータですが?
0952名無しさん@お腹いっぱい。
2008/08/14(木) 10:46:36ID:n/CYgwtOその「科学的」にも相当問題があるんだが…
0953人間七七四年
2008/08/14(木) 10:51:17ID:nmGEBwSh0954人間七七四年
2008/08/14(木) 11:14:36ID:S0/IF8iU0955人間七七四年
2008/08/14(木) 11:56:14ID:KtLl8ndq他の槍使いが皆短い槍を使い、長いと使い物にならないとまで言う人もいる
相手に踏み込まれたら槍捨てて刀抜くしかないような・・・
0956人間七七四年
2008/08/14(木) 13:43:26ID:PcAOyXKf押し寄せる敵に踏み込まれたか槍が折れたかして、その時刀を抜いて戦って討ち取ったって話があって
槍だけじゃなく剣も強かったって話をどっかで読んだことがある
ソースは出せないけど大河とか小説ではない
0957人間七七四年
2008/08/14(木) 16:16:16ID:32GXRwyh出土した当時の骨から科学的に証明されて、現代の統計学的にも十分なサンプル数もあるから
当時の平均身長は限りなく真実に近いんじゃね?
大体文字の無い時代の古代の原人なんかの平均身長なんかも明らかにされてるのに・・・・・。
0958人間七七四年
2008/08/14(木) 16:20:57ID:Iz197W9kスレチはこの辺で
家康が秀吉が禁じた大名同士の勝手な縁組を糾弾したときに利家と一触即発になったけど
利家側には随分多くの大名がついたよね。
秀頼後見人って立場もあるんだろうけど、人望はかなり高かったんじゃないかね?
家康も利家が死んでから活発に動き出したし。
0959人間七七四年
2008/08/14(木) 18:31:21ID:Onvon21U利家の性格を「律義者」評されているわけだし。
そして秀吉亡きあと利家がいる間は戦もなく共存状態が続いた事実は評価してもいいんじゃないか?
0960人間七七四年
2008/08/15(金) 18:46:07ID:btgqbRsy生臭さ満載で。
0961人間七七四年
2008/08/15(金) 23:42:00ID:HrS89PP+利家は若い頃は爽やかで律儀者の武辺者として
晩年は表面的には人望のある穏やかな大御所っぽくしつつも奥底の部分では計算高く食えない爺さんとして描いて欲しかった
0962人間七七四年
2008/08/16(土) 11:50:01ID:p0EvGuOX思うんだが、当時の「六尺」って、身長をさす場合、
実寸の182cmをさす以外に、「背が高い」の代名詞にもなってるんじゃねーかな。
現代で言うところの、「2m級の大男」(実際は190cm後半から2m前後)って感じで。
0963人間七七四年
2008/08/16(土) 12:10:36ID:wnn5m3g/同意、大河はホームドラマ補正で潔癖すぎた。
秀吉死後の家康との攻防をもっと描いて欲しかったなぁ。
>>962
>>949ではないし、当時の六尺は背が高いの代名詞でもあると思うけど利家の六尺に関してはガチだろう。
史料に六尺と記述してあり、現存する甲冑や着物のサイズも180cmぐらいの身長の人間のものになってる。
今どこで見れるかはわからないけど、かなりでかいらしいよ
0964人間七七四年
2008/08/16(土) 15:38:44ID:hksI3REWたしか利家の甲冑はすべて金箔覆われていたんだったよな。カッコイイな利家。
0965人間七七四年
2008/08/17(日) 02:17:16ID:UdH4HdtKちゃらいの大嫌いな信長が生きてる頃に金箔鎧着たら
それだけで追放されそうだな
0966人間七七四年
2008/08/17(日) 08:46:30ID:41Sv3y9F秀吉の派手好きは勿論として、家康も関が原ではカブいていたようだが
0967人間七七四年
2008/08/17(日) 22:01:49ID:K+vEux5C利家の甲冑派手だよな。体もでかくて兜がこんな大きかったら戦場で目立ちすぎだろ。
0968人間七七四年
2008/08/23(土) 22:27:01ID:CyfVqI1X価格200万円って誰が買うんだよ(笑)
0969人間七七四年
2008/08/25(月) 12:01:05ID:RBgtv5ng0971人間七七四年
2008/08/26(火) 20:17:11ID:RXAVtaNu0974人間七七四年
2008/08/27(水) 04:28:27ID:R340ftAh0975武蔵関
2008/08/27(水) 15:23:49ID:JmHlPLow0976人間七七四年
2008/08/28(木) 10:54:15ID:XPYTqErY長時間つけてると首に掛けるヒモがくいこんで痛いと思うんだが
0977人間七七四年
2008/09/05(金) 16:22:45ID:5Y9g6XIUおそらくその甲冑は末森でしか付けてない
0978人間七七四年
2008/09/12(金) 14:53:17ID:/tRw9B3A0979人間七七四年
2008/09/12(金) 14:57:37ID:/tRw9B3A0980人間七七四年
2008/09/12(金) 15:13:31ID:/tRw9B3A0981人間七七四年
2008/09/12(金) 15:14:26ID:/tRw9B3A0982人間七七四年
2008/09/12(金) 15:15:46ID:/tRw9B3A0983人間七七四年
2008/09/12(金) 15:16:37ID:/tRw9B3A0984人間七七四年
2008/09/12(金) 15:17:34ID:/tRw9B3A0985人間七七四年
2008/09/12(金) 15:19:22ID:/tRw9B3A0986人間七七四年
2008/09/12(金) 15:20:35ID:/tRw9B3A0987人間七七四年
2008/09/12(金) 15:21:55ID:/tRw9B3A0988人間七七四年
2008/09/12(金) 15:24:29ID:/tRw9B3A0989名無しさん@お腹いっぱい。
2008/09/12(金) 15:24:43ID:gXeMNN/I0990人間七七四年
2008/09/12(金) 15:27:01ID:/tRw9B3A0991人間七七四年
2008/09/12(金) 16:10:59ID:/tRw9B3A0992人間七七四年
2008/09/12(金) 16:12:16ID:/tRw9B3A0993人間七七四年
2008/09/12(金) 16:13:44ID:/tRw9B3A0994人間七七四年
2008/09/12(金) 16:14:36ID:/tRw9B3A0995人間七七四年
2008/09/12(金) 16:15:40ID:/tRw9B3A0996人間七七四年
2008/09/12(金) 16:16:41ID:/tRw9B3A0997人間七七四年
2008/09/12(金) 16:17:40ID:/tRw9B3A0998人間七七四年
2008/09/12(金) 16:18:43ID:/tRw9B3A0999人間七七四年
2008/09/12(金) 16:19:33ID:u1w9zhFx1000人間七七四年
2008/09/12(金) 16:19:37ID:/tRw9B3Al;;;;;;゙、
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___',. -- ゙ ,.r '" ヾゝi--.、_ <加賀百万石始祖、前田利家だが何か?
/ lゝ、,_,,,、 :'" ,r''"´ノ、 丿
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'" ヽ、 `┴---‐'‐'" ,、 -'"/
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/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
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