戦国時代の硝石についての疑問N

硝酸塩を「えんしょう」と呼ぶのは、日本と朝鮮である。朝鮮では古来より「焔硝(えんしょう)」であり、「硝石」の名は使われていない。中国(明)では「硝石」「硝」であり、「えんしょう」の単語・用語は使っていない。
朝鮮では日本と同様に温度・湿度の関係で硝石は鉱石として産出しないが、古来より家屋の堀土から硝酸塩を抽出して「焔硝(えんしょう)」を製造していた。この「焔硝」は酸化剤などの用途に一般的に使われており、中国などから天然硝石は輸入していない。
朝鮮では「焔硝」の需要増と堀土の減少により、1430年ごろから国家管理の下に毎年春と秋に各地から堀土を集め、国家管理の下で抽出するようになった。
その後、1450年ごろから「焔硝」製造は秘密裏に製造されるようになり、「火薬」は合薬法を含めて厳重な国家管理品となった。
厳重な国家管理品になった理由は「日本」を非常に恐れたからであり、朝鮮の火器・火薬が日本に伝播したら災いになると思ったからである。しかし、火薬の原料である硫黄について朝鮮では中国と同様に殆ど産出しないので、日本からの輸入に頼っていた。
この厳重な国家管理と自信過剰が皮肉にも朝鮮の火器・火薬の進歩・発達を遅らせ技術者の育成をも怠り、倭寇の火器だけを注目していて日本本国の火器・火薬について見誤っていた。
中国(明)が鉄砲用火薬を知ったのは、嘉靖27年(1548)に倭寇側より獲得した鉄砲、および捕虜となった倭寇を通して日本式鉄砲が伝来してからと推定され、朝鮮が鉄砲用火薬を知り、導入したのは朝鮮の役の後になる。>>676 I
日本では、古くから大量の硫黄を輸出しており、硫黄の用途も当然知りえる立場にあり、また、朝鮮において強制的に家屋の土が掘られていること知っており、その堀土が移送されていることも知っている。
日本では古来より技術管理はなされておらず、個人が自由闊達に行動する「マニア」「オタク」文化・風土があり、この人らが火薬・火器に接するととんでもなく進歩する。
また、「えんしょう」には火薬以外の用途もあるので、日本では古来より製造していたものと思われ、需要増に対して韓国と家屋構造が異なる堀土には限界があり、「馬屋之土」などからも工夫・改良して「えんしょう」を製造していたものと思われる。>>683
その「えんしょう」が丹薬の一つである火薬となり、音響・花火類・狩猟用に利用され、殺人武器となる火器・鉄砲へと発展したものと思われる。
日本でも製造した硝酸塩は「えんしょう」の名で取り扱われ、自然産の輸入硝酸塩は「硝石」と明確に区別されている。 http://hdl.handle.net/2297/28308 『硝石の舎密学と技術史』
その意味で「硝石を全部輸入していた」は正しいが、「硝石は鉄砲火薬の原料」は間違っており、「えんしょうは鉄砲火薬の原料」である。>>639