戦国時代の硝石についての疑問F
硝石を輸入品としている人の根拠集

G佐々木稔『火縄銃の伝来と技術・平成15年(2003年)』
『問題は火縄銃を製造するための原材料である。すでにI部の第一章第2節でも簡単に触れたが、亜鉛(もしくは真鍮)・鉛・硝石は、最初から輸入に頼らざるを得なかった。また原料鉄の多くは、それ以前からも輸入されていた。
したがって火縄銃の伝来は、数種の原材料の調達を含む一連の生産システムとして導入された、意図的な事件の可能性がある。
たんに火縄銃が伝来したことだけを見てしまうと、歴史の真実から遠ざかる危険性がある・・・・
(硝石)火縄銃伝来当時は、日本国内では火薬の需要はなく、生産していなかった。明では禁輸品であり、従来説のように密輸品を使用したと考えたい。
(鉄)銑鉄や半製品の鋼材として輸入されていて、その比重は国産の鉄(これには不均質な中間産物が想定されている)よりもずっと高いと考えざるを得ない。』

H武光誠『海外貿易から読む戦国時代・平成16年(2004年)』
『鉄砲伝来をきっかけに、種子島家と倭寇(海商)の頭目、王直との取引が開始されたと思われる。王直の部下の船によって大量の硝石が種子島家にもち込まれ、それが西国各地の商人に売られたのだろう。
種子島家は、この硝石貿易によって大きな儲けを得た。そして、種子島から運ばれた硝石の有力な買い手が織田信長ではなかったかと思われる。』

I久芳崇『東アジアの兵器革命・平成22年(2010年)』
『鉄砲といえば、日本では織豊政権樹立の原動力の一つとなったものとして広くに知られる。そのため、一五四〇年代前半の種子島での鉄砲伝来、およびその後の全国への伝播・普及の状況については、これまでに膨大な研究の蓄積がある。・・・・・
明朝における鉄砲の伝来については、従来の研究ではおおむねその製法がまずポルトガルから伝来したが精妙に模造できず、
次に嘉靖二十七年(一五四八)に密貿易の拠点として倭寇の巣窟となっていた雙嶼を明軍が攻撃した際、倭寇側より獲得した鉄砲、および捕虜となった倭寇を通して日本式鉄砲が伝来したと推定されている。
十六世紀半ばには、威継光らによって鉄砲が積極的に導入され、倭寇対策や北方防衛に効果をあげた。しかしその後、十七世紀初頭にかけての明朝における鉄砲の普及状況については、なお不明確な点が多く、
十六世紀末の朝鮮の役時点における明朝では、十六世紀半ばに伝来した旧式鉄砲が配備されているにとどまり、それは朝鮮の役で日本軍が用いていた鉄砲の性能に遠く及ばないものであったとするのが従来の大方の見解であると言える。・・・・・
朝鮮の役を契機として、日本兵捕虜を介して日本式鉄砲と火器技術とが明朝に伝播し、それが十七世紀の中国北辺での対女真・モンゴル防衛や中国西南部での反乱鎮圧に活用されたことを解明した。
すなわち、十六世紀半ばのポルトガル人などを通じてのヨーロッパ式火器の導入と・・・・・』