▼火縄銃について語ろう▲
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0615S字型金具
2011/02/19(土) 01:37:49ID:hlQDpnLA>>614 はポルトガル国が東アジア進出にあたり、ポルトガルが知りたいことを日本人から直接聞き取った報告書である。
この日本人(アンジロー)は、事情により下僕1人を連れて日本を脱出した知的能力が高い貿易商人(?)と思われ、フランシスコ・ザビエルが日本訪問を決意し、彼の故郷鹿児島へ行くことになったほどの人物である。
報告書は他にも存在する書簡から判断して、彼が出国する1546年(天文15年)以前の日本について書かれたもので、他の書簡とも整合性が取れており、戦国時代の第一級資料としての信憑性は非常に高いと思われる。
この報告書に「彼等は、エスピンガルダ(小銃)、弓、矢及び槍を持っています。」と書いてあり、アンジローは1546年(天文15年)以前の日本に「エスピンガルダ」(その詳細は今も不明。大型のマスケット銃? >>470 )があることをニコラオ宣教師に伝えている。
天文12年8月(1543年)種子島に鉄砲が伝来したとされているが、その3年以内の年月に、銃の生産・配備・習得などが可能かどうかは判断に迷うが、アンジローが銃について知っている事は注目すべきことである。
『マスケット銃とは異なるエスピンガルダ』を天文12年以前から所持していた可能性もあり、土着の兵士についての銃装備の記載は無いので銃装備は武士の一部かもしれないが、輸入、コピー、または国産オリジナルかは興味のあるところである。
アンジローが活動した日本の地域は判然としないが、ニコラオ宣教師に銃装備を伝えたのは日本で一箇所だけなのか? 1546年までに装備が広く一般的になっていたものであれば、鉄砲伝来を見直さなければならない。
>>556
>フロイスは日本の戦場を見たことがないし、ほら吹きだから
>「西洋では馬に乗って戦い、日本では馬から下りて戦う」の部分は信じない。
>でも、この部分の記述は事実と受け取る。 >>553(?)
>そのダブルスタンダードが理解できません。
フロイスの日本覚書に『われらにおいては、馬(上)で戦う。日本人は戦わねばならぬときには馬から下りる。』と書いているが、『フロイスは、ほら吹き』の根拠が解らない。
この報告書には「この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。」と書いてある。
フロイスは、「山がちな地域で、すべての者が馬から下りて徒歩で戦っている戦闘」を目撃したと思われ、「彼の行動範囲内での宣教師の目で見た日本の覚書」と思えば、的確な記載が多いと思います。
問題なのは、フロイス(1532年生まれ)は1563年(永禄6年)から来日しているが、彼は自国の鉄砲、または彼が知っている鉄砲と日本で見た鉄砲とが明らかに異なっている様に書いている事である。
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