日本へ伝来したとする火縄銃の来歴を考えるE

明の趙士驍ヘ、『卷一,聖旨八道,萬?二十五年條上《東援用兵八害》,?議"番銃足以破倭鳥銃"。兵部題覆:"令京營具式轉咨工部制造。"奉聖旨:"是。"二十六年五月,因京營無式,恭進?蜜西洋等銃。』で始まる『神器譜』を著している。
この書は、文禄・慶長の役(1592〜1598)の際、明の朝鮮支援軍が日本の火縄銃(倭鳥銃)が優良なことを認め、明軍にこのような火縄銃が無いので、?蜜銃、西洋等銃、軒轅等銃、鷹揚車などの朝廷献上や運用法などを記述(1598〜1603年)したものである。
この『神器譜』は主に火縄銃について記述されたもので、恭進した火縄銃以外の明軍から見た当時のアジア地域の火縄銃についても記述されている。
同名異種、または異種同名のような記述になっているので、火縄銃らしき物を其のまま抜き出してみた。

中国の銃: 中國鳥銃、中國銃炮、鷹揚銃、翼虎銃、震疊銃、迅雷銃、三長銃、三神銃、軒轅銃、奇勝銃、三眼銃、掣電子銃、霹靂火銃、改放西洋銃
ヨーロッパ・インド系と思われる銃: 佛郎機番銃、西洋番鳥銃、西洋鳥銃、西洋銃、大西洋銃、小西洋銃、水西洋諸國銃
トルコ系と思われる銃: ??銃、?蜜番銃、西域?蜜銃
東南アジア系と思われる銃: 海南各國鳥銃
日本の火縄銃と思われる銃: 倭銃、鳥銃、倭鳥銃、對馬島大鳥銃

神器譜に於いて、倭銃は??銃・西洋銃とともに研究対象の中心となっており、各国の銃とは違う独立した銃として取り扱われている。
和銃の特徴として銃床の頬付けが挙げられる。
神器譜に記載されている図の中で、西洋銃全形図・改放西洋銃図・水西洋各国番人打放図は銃床を頬付けする内カラクリ銃として描かれている。
しかし、倭銃(出土品)を所蔵している徐州博物館の「??和?型的火炮」と比べて、カラクリ、引金、銃床形などはまったく異なっている。
同じく、種子島家所蔵の2挺の古銃は、「ポルトガル人が伝えたとする初伝銃は頬付け式で内カラクリ」、「伝国産第一号は頬付け式で外カラクリ」でなぜか形式が違うが、神器譜に記載図の頬付け銃とまったく異なっている。
海南各國鳥銃の図は無かったが、「喜其初為打鳥而作。床尾稍短,後手不甚定準。打放非極精熟者不能命中。」と書かれており、海南を東南アジアとすれば「マラッカ銃」となるのかな?
本文に燧石(フリント)の単語は現れず、当時の東アジアにはスペインで開発されたミュクレット式銃は伝来・渡来しなかったのでは?