▼火縄銃について語ろう▲
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0521S字型金具
2010/12/10(金) 20:53:12ID:tEglVc5Oしかし、この本では威力実験を行わずに道具の紹介で終わっており、科学的な検証になっていない。
このような書籍は根拠が曖昧で、戦国時代の「弓矢」にあった鍛錬・訓練は当然必要であり、「戦国時代の弓は現代人にはとても引けないと思います」と書いて記述全体を誤魔化している。
385.4メートルと長い飛距離を書いているが、これは18gの特製の軽い矢を使ったもので戦国時代の矢とはまったく異なるものであり、少なくとも戦国時代の矢を再現した上で、風向、風力、湿度などの影響を調べ、武器としての弓を明らかにすることが必要ではなかろうか。
「弓」の記述は、『019ページの「結局のところ鉄砲は、弓より総合力はやや低い」の拠り所のために書いた』と勘繰られる内容である。
036ページに、鈴木眞哉氏が「軍忠状」を集計した負傷要因と比率を紹介しており、171年間の史料142点(0.8点/年)、負傷者1567人(9.2人/年)と年間例数が少ない史料からであるが、『石・礫疵が12.4%』と書かれている。
この集計について、『戦国時代を勝ち抜いた者の家に残る記録』、『初戦の制圧戦で負傷して戦列を退いた原因の統計に過ぎない』など、『軍忠状に現れた結果は著しく偏向したものだ』と批判する人もいる。
また、「注進状」ともなると、負傷者15人全員が「石疵」となって書かれた物もあり、戦国時代の様相を調べる手法としての「軍忠状」は、注意を要する。
「石・礫疵」の負傷比率は高く、山城攻撃の際には投石・落石などによる負傷は多かったと思われるが、平地での戦いには笠などの防具を着用しているので、軍忠状に現れるような「石・礫疵」は少ないと思われる。
そこで、日本各地での「土弾・素焼弾」の出土品や、「石銃」「団子銃」「手火矢」など「鉄砲」以外の記述もあり、「軍忠状」の「石・礫疵」にこの火器(鉄砲?)による負傷も考えられるのではないだろか?
自分が火器を持っていない、其の名を知らなかった場合は、負傷要因に「石・礫疵」と書いた物もあったのではないだろうか?
また、「伝来当時の鉄砲は高価であった」と曖昧な根拠で汗牛充棟のごとく書かれているが、猟師の軍用以外の記録(永禄3年)があり、なぜ猟師が弓矢の他に鉄砲を所持できたかも考える必要がある。
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